『沈黙より軽い言葉を発するなかれ』目次

『柳美里対談集 沈黙より軽い言葉を発するなかれ』

創出版、2012年8月30日

http://www.tsukuru.co.jp/books/2012/09/yu-taidan.html

【ブックデザイン】

鈴木成一デザイン室

【目次】

まえがき

◎第1部 3・11以後の表現と表現者

第1章 震災と向き合うための「詩」の解体│和合亮一

「作品を修羅のように書きたい」

現実が壊れるなかで詩の解体を

ツイッターで意識された「共時性」

子どもから老人まで不安の中で生きている

五感で捉え直さない限り、震災の本質には迫れない

言葉を失う状況下でも沈黙してはいけない

詩を解体した後、どこへ向かうのか

第2章 原発事故と「閉鎖的共同性」│岸田 秀

原発は戦時の戦艦建造と似ている

原発事故で露呈した官僚の「隠蔽体質」

現代社会を覆う「自閉的共同体」

“共同幻想”はどうすれば壊れるのか

アメリカへの屈辱感をどう解消するのか

アメリカが行った「トモダチ作戦」の矛盾

原発事故で福島から何が奪われたのか

第3章 3・11後の「日常」と「非日常」│岩井俊二

「思い」と「想い」の強度が岩井作品の魅力

ボランティアの若者に詰問

一人ひとり違う「物語」を生きている

逃げる理由より留まる理由を探す

日本のメディアが持つ「北朝鮮」の偏ったイメージ

高校生の頃は教育というものを拒否していた

第4章 作品に描かれた「性」と「死」│山本直樹

性を描く一方で連赤事件を描く

震災の影響と「死」へのイメージ

日常のディテールを描きたい

外へ向けての闘いと内への閉鎖性

見開きで見せることの自由と不自由

子どもにとっての性的な体験

「物語に復讐された」

作者の現実と小説の中の現実

◎第2部 ノンフィクションとフィクションの間

第5章 フィクションだからこそ本当のことを│原 一男

「一歩踏み込む」という表現の仕方

フィクションだからこそ本当のことしか書きたくない

撮る側と撮られる側の関係

息子の死の落とし前を映画で果たす

ドキュメンタリーを撮る時の表現者の位置

第6章 死者に向けて書くということ│佐藤 優

書きながら声にするという作業をやった

「死者に伝える」という本のあり方

自己正当化と事実を捻じ曲げるのは違う

新潮ドキュメント賞選考委員会の内部

ノンフィクションという文学の終わり

第7章 テレビ界の閉塞と女性キャスター│今野 勉

『オンエア』で描かれたテレビの現場

時代を感じさせる女性キャスター

テレビ界を覆う閉塞感

テレビは本来、起爆力のあるメディアのはずなのに……

『オンエア』で描かれた女性たちの「再生」

第8章 書くという仕事と演じるという仕事│寺島しのぶ

「痛い部分」に手を突っ込んで書く

存在の反証としての食欲と性欲

被害者でもあるし、加害者でもある存在

舞台、映画、テレビはそれぞれ違う仕事

表現者としての女性が母親になること

女優が年齢に応じて演じるということ

あとがき