『ファミリー・シークレット』

『ファミリー・シークレット』
講談社、2010年4月30日
講談社文庫、2013年3月15日 解説・野村進
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062161992


【装幀】
鈴木成一デザイン室


【装画】
中村眞弥子
http://mayakonakamura.jp/


【推薦コメント】

肩書きも、洋服も、そして顔の皮膚さえ剥き去って、

血を流し痛みにのたうちまわりながら、家族に、自分に正面から

向き合う―。ここまでしなければ“治癒”に至らないのだとしたら、

精神科医として私がやって来たことはウソなのか。

精神科医をやめたい、とはじめて思った。

香山リカ


柳美里は「親と子」の関係を、もっとも濃密な愛情ともっとも激しい憎しみが

混ざり合う戦場として描いた。一度読み始めれば、読者は目をそらすことが

できない。そして、最後に、これが絶望を希望に変える戦いの記録であるこ

とに気づくのだ。

高橋源一郎


闇は、すべての家族にある。

この本は、その闇を消し去るための光ではなくて、その闇を見るための光だ。

そしてもしそうであるなら、光が光として在るための闇、という言い方も、

できるのかもしれない。

江國香織


生きていることの意味を知れば、どう生きてゆくかを見つけるのは容易い。

柳 美里 悲しいくらいに繊細で美しい人。

土屋アンナ


【目次】

なぜわたしは愛するわが子を叩くのか

「虐待」(カウンセリング第1回 2009年8月1日)

夢に出てきた男の正体

ある「虐待母」を訪ねて名古屋にて

「二つの夢と息子」(カウンセリング第2回 2009年10月31日)

わたしと息子の現在

「母性」(カウンセリング第3回 2009年11月1日)

畠山鈴香と「碧いうさぎ」

父が死ぬ前に、話しておくこと

「26年ぶりの対話の前に」(カウンセリング第4回 2010年1月24日14時)

棘を失くした時計

「父・柳原孝に逢う」(カウンセリング第5回 2010年1月24日16時)

記憶にかかるフィルター

「最後の夢で見たもの」(カウンセリング最終回 2010年1月25日)

家族という檻のなかで

「あとがき」


【あとがき】

書くことが、こんなに辛いとは思わなかった。

いや、書くことを楽しいと感じたことは一度もないのだけれど、どんなに辛くとも、書くことは生きることだ、と書くことを仕事に選んだ十八歳のときから、そう言い切ってきた。

この作品は、書くことによって生きることを折り取られていくような気がして、書き進めることが辛く、重く、痛く――。

昨日脱稿して、こうして「あとがき」に向き合っているわけだが、もともと生きることと親しくできないなりに書くことによってなんとか生きることと折り合いをつけてきたのに――。

今日も、一睡もしないで教会のミサに行って、やみくもに祈ってきた。

「正しい解決」はないのだと思う。

けれど、もしも、本書を、こころに痛みを焼きつけられたひとにとっての「ひとつの解決」として読んでいただけるのであれば、書いてよかったと思える。

生きててよかったと思える。

臨床心理士の長谷川博一さんとの出逢いがなければ、本書をかたちにすることはできなかった。

長谷川さんは、疎遠になっていた感情との縁を取り持ってくださり、父親と母親の陰からわたしを連れ出してくださった。

長谷川さん、どうもありがとうございました。

『オンエア』につづいて、本書を担当してくださった石井克尚さん、いつも、どんな局面でも、わたしと、わたしの書くものを信じてくださり、ありがとうございます。石井さんの信に向かって、わたしは書いていきます。

鈴木成一さんも、『オンエア』につづいて装丁をお願いしました。今まで出した本のなかで最もカラフルな装丁になりました。意外性にドキドキします。

最後に――、『G2』編集長の藤田康雄さん、ありがとうございました。

藤田さんの、こうと決めたら揺らがないところが、わたしは好きです。

そして、わたしは『g2』創刊から三号つづけて作品を発表できたことを誇りに思っています。

『G2』よ、永遠なれ!

ニ〇一〇年 春 柳美里