『雨と夢のあとに』あとがき

『雨と夢のあとに』

角川書店、2005年4月10日

http://shoten.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200312000226


【装丁】

原研哉

https://www.ndc.co.jp/hara/

【本文写真】

村上朝晴

『雨と夢のあとに』

角川文庫、2008年2月25日

http://shoten.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200511000003


【カバーイラスト】

下平晃道

http://akinori-shimodaira.com/

【カバーデザイン】

池田進吾(67)

http://renzaburo.jp/nasshy/003/


【初出】

『野性時代』2003年12月号-2004年4月号、7月号、8月号、11月号-2005年4月号


【あとがき】

Dear You

この物語の主人公の父親、桜井朝晴は、3人の男性との出逢いによって生まれました。と書くと、すぐ、3人の男性をモデルにしたんですね? と訊かれそうですが、そういう意味ではありません。

小説の説明はしたくありません。

3人の紹介だけさせてください。

1人目は、東由多加です。

東由多加とのことは、『命』『魂』『生』『声』や『新潮45』に連載中の「交換日記」に書いていますが、わたしが16歳、東が39歳のときに、役者と演出家として出逢い、以来、恋人、友人、師弟……「わたしの○○です」とひとことでは紹介できないような関係を斬り結び、10年間生活を共にして別れても、また逢い、だれよりも互いのことを知っている唯一無二の存在として、つきあいつづけました。

1999年夏にわたしの妊娠と東の癌がほぼ同時に判明しました。

東はわたしが「死なないでよ」と泣くたびに、「子どもがおれのことを、東さん、と呼ぶまではぜったいに死なない」と約束してくれました。

2000年1月17日に子どもは生まれ、僅か3ヶ月後の4月20日に東由多加は亡くなりました。

わたしは、どうしてももう一度東と話がしたい、という思いに衝き動かされ、霊能者と呼ばれるひとたちのもとへ通いました。話ができた、と確信を持てたことはなかったし、霊能者によって話の内容も違っていたんですが、一致していたのは、「東さんは、あなたと息子さんと共にいる。息子さんは生まれつき霊能力が備わっているので、東さんの存在を感じとっているはずだ」ということでした。

実際、不可思議なことがつぎつぎと起こっています。一例を挙げると、東の死後5回目のハッピーバースデーツーユーをうたうと、玄関、裏口、庭の3箇所に設置してある(ひとの体温を感知して点灯する仕組み)セコムのセンサーライトが反時計まわりについては消え、消えてはつきました。怖くなって家中の電気をつけて、ベランダに出ました。すると、わたしの目の前で、ゆっくり歩いてライトの下を通過しているような速度で明滅したんです。

わたしは東由多加がここにいないということを嘆きつつ、「ぜったいに死なない」といった東の言葉をいまでも信じています。

2人目は、ハンドルネームで紹介します。

2002年11月4日に自殺した La Valse さんです。

La Valse さんとは、生前の交流はありません。

La Valse さんは、わたしの作品の読者でした。

東由多加が主宰していた<東京キッドブラザース>が(山口県)萩公演のときにお世話になっていたひとの劇団に、La Valse さんの弟のHAKKAさんが出演していた縁で、HAKKAさんはキッドの制作をしていた北村易子さんにわたし宛ての手紙を託しました。

「兄に弔いの言葉をいただけないでしょうか」――。

わたしは返事を書きました。

「わたしは、あなたのお兄さんについてなにも知りません。弔辞を書くことはある意味容易いですが、なにも知らないのに弔辞を書くことは死者に対して失礼ではないでしょうか? 彼は亡くなってしまったのですから、知り合うことはできませんが、わたしが彼を知ることはできます」

わたしは、萩にお墓参りに行って、La Valse さんの部屋に入らせていただき、HAKKAさんとお母さんから彼の生前の話を聞きました。

La Valse さんは、コントラバス奏者でした。

La Valse さんは、観覧車が好きでした。

もし、この物語を読んで、La Valse さんのことをもっと知りたいと思ってくださったのなら、わたしのHP<La Valse de Miri>の<Jeux D'Eau――水の戯れ>という扉をノックしてみてください。

彼の遺したHP<らばるすさんち>を訪問することができます。

3人目の村上朝晴さんも、<らばるすさんち>の訪問者でした。

彼は La Valse さんの生前から時雨という古風なハンドルネームで頻繁に書き込みをし、その内容が常に冷静かつ理知的だったので、てっきり歳上の男性だとばかり思っていました。

2003年9月18日に、わたしは La Valse さんが遺した掲示板に書き込みをはじめました。

時雨さんとはその日のうちに、掲示板上でやりとりをし、神戸在住の19歳だということを知って、かなりびっくりしました。

それから、彼のHP<随時所感>を読み、<響鳴>というページにアップされていた使い捨てカメラで撮ったという4枚の写真(<近影><鳩が乱舞><ぐるぐるぐる><近所のビル>というキャプションがついていました)を見て、ひとことでいうと、こころを動かされたわけです。

わたしは彼に<直接対話>という件名でメールを送り、まず、本名を訊ねました。

村上朝晴。

何日か雨がつづいていて、生まれた朝にちょうど晴れたので、お父さんが朝晴という名をつけたということでした。

わたしは、彼に頼んで、朝晴という名をもらいました。

桜井朝晴。

この物語の父親の名前です。

そして彼の時雨というハンドルネームから、主人公の少女の名前を思いつきました。

桜井雨。

東由多加と出逢っていなかったら、La Valse さんとの出逢いはなかったわけだし、東由多加と La Valse さんというふたりの死者が存在しなければ、村上朝晴さんとの出逢いはあり得なかったし、この3人と出逢わなければ、この物語は生まれなかったわけです。

小説に<あとがき>めいたものを書くのは嫌いで(というか、不要だと思っている)実は一度も書いたことがないんですが、東由多加、La Valseさん、村上朝晴さんの3人を紹介したい一心で、書くことにしました。

最後に、この1年7ヶ月、我が人生最悪のときに(肉体的にも精神的にも、どん底でした)担当編集者として、『雨と夢のあとに』を支えてくださった松崎夕里さん、ありがとうございました。

『ルージュ』以来4年ぶりに、単行本を担当してくださった吉良浩一さん、ありがとうございました。『ルージュ』の単行本ゲラに手を入れはじめた途端に雪が降りはじめて、「吉良は雪男でしょうか……」というファックスをもらったけれど、雪男ですね、きっと、うん。

本名とハンドルネームと写真を提供してくださった村上朝晴さん、ありがとうございました。物語が停滞したときは、いつも村上さんの鳥や猫や蛾や自転車や屋根や窓や石や川や雨や影の写真を凝視して、言葉を立ちあがらせました。これからも、言葉や言葉にならない感情を喚起させる写真を撮りつづけてください。

そして、原研哉さんです。原さんに装丁を委ねるとき、正確にいうと、お願いしようと思うとき、わたしは原さんのことを考えます。原さんのお仕事のことを考えるのではなく、原さんご自身のことを考えるんです、透視しようとするみたいに――、で、なにかが通じていると感じるとき、よし、原さんしかいない、と決心するんです。

原さん、美しい夜と幻の蝶を、ありがとうございました。

今日は朝から雨でした。

ワープロを叩いているあいだじゅう伴奏みたいに雨が屋根を叩き、ワープロの電源を切った途端に雨が止みました。

いうまでもなく、わたしは雨女です。

雨と夢のなかで……あなたにお逢いできれば幸甚です。

2005.3.23

From Yu Miri