『オンエア』

『オンエア』

講談社、2009年10月19日

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062157032

『オンエア』

講談社文庫、2012年11月15日 解説・榎本正樹(「著者インタビュー 聞き手・榎本正樹」収録)


【初出】

『週刊現代』2007年12月22・29日号~2009年3月14日号

雑誌連載時の挿絵:小野塚カホリ


【あとがき】

『オンエア』を書くにあたって、テレビに携わる多くのひとに取材をしました。

ニュース番組、ミスコン、美容整形、プロ野球――、多くの現場にも取材に行きました。

多くの本、多くのHPを参考にしました。

ほんとうは、そのひとつひとつ、そのひとりひとりに感謝を述べたいのですが、あまりにも膨大なので、おふたりのひとを紹介したいと思います。

ひとりは、調布エフエムのパーソナリティーである長谷川理沙さんです。

長谷川さんは、バイオリン奏者としてオーケストラで活躍されていましたが、左手の怪我で音楽の道を断念し、「落ち込む自分を変えたい」とフリーアナウンサーとして再スタートされたかたで、二〇〇六年四月から、府中刑務所内だけで放送されるラジオ番組<けやきの散歩道>のディスクジョッキーを担当されています。

府中刑務内の仮設スタジオで、長谷川さんにお目にかかったのは、二〇〇八年九月十日のことでした。

『オンエア』は、既に第三十五回まで発表していて、望月結香は、スキャンダルで<ニュースEYE>を降板し、夏休みが終わったら死のう、と決意して鹿児島のホテルに籠もっているところでした。

最初の段階で、結香が地方のコミュニティーFMのパーソナリティーとして復帰を果たす、という流れは構想していたのですが、どこの、どのような番組にするかは、まだ見えていませんでした。

<けやきの散歩道>の生放送を聴かせていただき、受刑者が書いたメッセージに対して、「がんばってください」と励ます、長谷川さんの丁寧な言い方に胸を打たれました。

放送後、そのことを訊ねると、「どちらかというと、がんばれない、と思うんです。でも、出所後にがんばってください、というひとがいたな、と思い返していただくためのひとつの声として、敢えて、『がんばってください』といっています」と長谷川さんはおっしゃり、その言葉を聞いた瞬間、覚醒剤使用によって収監された石川キャスターのリクエストカードを読む結香の横顔が浮かびました。

首にできた腫瘍の切除手術をした直後は、ヘッドセットができなかったためにマイクスタンドで放送し、「倒れない限り、つづけたい」とおっしゃった長谷川理沙さんにとって、そして府中刑務所に収監されている三千人余りの受刑者のみなさんにとって、掛け替えのない存在である<けやきの散歩道>を聴かせていただいたことを、こころより感謝いたします。

もうひとりは、二〇〇八年九月三日に享年五十二歳でお亡くなりになった永井譲治さんです。

永井譲治さんは、東京アナウンスセミナーの代表として、二千五百人をアナウンサーとしてテレビ・ラジオ局に送り込んだ、知るひとぞ知る指導者です。卒業生には、イチロー夫人として有名な福島弓子さん、永井美奈子さん、有賀さつきさん、皆藤愛子さん、本田朋子さん、松尾翠さんなどがいます。

永井さんの指導は一風変わっていて、受験対策、ノウハウを教えることよりも、アナウンサー志望の生徒たちと寝食を共にして、さまざまな悩みをカウンセリングする、ということに重きをおいていらっしゃいました。

「ひとは自分のために生きることなどできない。ノアの箱舟に自分ひとり乗り込むことなどできない。他人のために生きて、はじめて自分を生かすことができるのだ」という信念を基づいて、就職活動中の生徒や、アナウンサーとなって活動する卒業生の電話に、二十四時間体勢で対応していらっしゃいました。耳と声帯をやられて(声帯の三分の二から出血されていたそうです)電話恐怖症になり、「ガラパゴスかイースター島に逃げたい」と思い詰めながらも、生徒に向き合うことをやめませんでした。

東京アナウンスセミナーの授業風景と、居酒屋での「カウンセリング」と、生徒たちとの合宿所と化していた永井さんの自宅マンションを何度か取材させていただきました。

そして、担当編集者の石井克尚さんが、「もし、望月結香のような状況で、教え子のだれかがスキャンダルに見舞われて、ニュース番組を降板になってしまったら、永井さんはどのように再起させますか?」という質問を携えて取材にうかがった一ヶ月後に、永井さんは、虚心性心疾患によって逝去されたのです。

過労死、だと思います。

わたしの仕事机には、居酒屋で、永井さんがわたしのためにケチャップで「明るく 心をもって 一生懸命! 念ずれば花開く」と描いてくださったオムレツの写真が飾ってあります。

本書を出版するに際して――、

『週刊現代』の連載を実現するためにご尽力してくださった講談社の井本麻紀さん、ありがとうございました。

「女子アナを主人公にした小説はどうだろう?」といってくださった加藤晴之さん、ありがとうございました。

連載中、叱咤激励しつづけてくださった乾智之さん、ありがとうございました。

『柳美里の「自殺」』以来、十四年ぶりに装丁をお願いしたにもかかわらず、この作品の核である静(死)と動(性)を、沈黙しながら叫んでいるような女性の裸体で表現してくださった鈴木成一さん、ありがとうございました。

最後に、はじめての打ち合わせをした二〇〇七年四月二十三日から二年半に渡って、『オンエア』の登場人物と共に生きて、苦んでくださった石井克尚さん――。

羅針盤なしで夜の海を航海する作家にとって、編集者は灯台のあかりのような存在だ、と思っていたけれど、石井克尚さんは、共に船に乗り込み、何度か遭難しかかったときも、決して、航海を諦めませんでした。

石井克尚という水先人がいなければ、わたしは、この航海をつづけることはできなかったし、無事に帰港することもできなかった、と思います。

石井さん、ありがとうございました。

二〇〇九年九月十六日 柳美里