Jeux D'Eau 水の戯れ

「らばるすさんち」とわたし

  わたしが〈らばるすさんち〉をはじめて訪れたのは、らばるすさんが自死を選ぶひと月ほど前の深夜でした。

 〈サイトオープンにあたって〉でも書いたけれど、それまでのわたしはインターネットとは無縁の生活を送っていました。

パソコンはもっぱらメール専用で、電源を入れない日のほうが多かったし、Googleってなに? 2ちゃんねる? へえぇ、という程度の知識と興味しか持ち合わせていませんでした。

 わたしにとってパソコンは、あってもなくてもいいモノだったんです。

 2002年の9月24日、『石に泳ぐ魚』の最高裁判決が出て、想像を絶するバッシングに曝されました。

 テレビや新聞で、『石に泳ぐ魚』を1行も読んでいない識者面したコメンテーターや評論家が一斉にわたしの〈モラル〉をあげつらい、「柳美里は自著の宣伝のために自分で騒ぎを起こしている」などとのたまう輩まで出現し、解らない奴には解らないと呆れ憤っているうちに、解ってくれていると信じていた友人や知人や読者までもがひとりふたりと離れていって──、それでもなんとか立ってはいようと脚に力を入れていたはずなのに、気がつくと地面は跡形もなく消えていて、風も波も光もないところに放り出されていました。

 わたしは漂着しました。

 〈らばるすさんち〉に……。

 〈らばるすさんち〉の掲示板〈柳美里ファンBBS〉は荒れ果てていました。

 裁判に関係のないわたしの国籍や容貌をあげつらう2ちゃんねら~のみならず、原告支援者までもが自由に書き込んでいて、わたしの読者が書き込める雰囲気ではありませんでした。

 管理人であるらばるすさんでさえ場違いな感じだった……。

 後に弟であるhakkaに聞いたところ、らばるすさんはそのことでこころを痛めていたそうです。

 そのことが遠因になったのではと推測することは不遜ですが、精神を病んで会社を辞め、萩に帰郷して自室に引きこもっていたらばるすさんにとって〈らばるすさんち〉は最後の拠所だったと思うんです。

 らばるすさんは、『石に泳ぐ魚』最高裁判決の41日後の11日4日に亡くなりました。

 らばるすさんは、わたしが〈らばるすさんち〉に訪れていたことを知りませんでした。

 〈柳美里ファンBBS〉以外の部屋の扉をひらいたのは、彼の死後です。

 ある夜、ふらっと立ち寄ると、〈らばるすさんち〉は閉鎖されていて、〈引越し先〉をクリックすると、掲示板には〈管理人さんが自殺したそうです。ご冥福を祈ります〉などという悔みの言葉がいくつもあり、hakkaの〈どなたか、兄の死の真相をご存知のかたはいませんか?〉という書き込みも残されていました。

 わたしは激しく動揺しました。

 壁に体当たりするようにして(何度も失敗しました)、それまではどうやって入室すればいいかわからなかった〈日記〉や〈こころ〉や〈本棚〉や〈音楽室〉に足を踏み入れることができたんです。

 そして、わたしは〈らばるすさんち〉に入り浸りました。

 〈空家〉にしてはならない、と思ったんです。

 わたしは、いまでも、らばるすさんの〈帰宅〉を待っています。

 いつか、外側から扉がひらいて、「ただいま」と声がする。

 わたしは玄関に走り出て、「おかえりなさい」と声をかける。

 そして、〈この家〉の時間がふたたび動き出す……

 その瞬間まで、わたしは〈この家〉の留守を守ります。

~はじめに~


 2002年11月4日、兄は自ら命を絶ちました。

 遺書はどこからも見つからず、見つかった兄の携帯には私の携帯番号を画面表示したまま、通話ボタンを押さずに発見されました。もし兄が最後に私に電話をしていたら何を伝えたかったのだろうか? いくら考えても、想像にしかならない。本当のことは解るはずがない。だから、私は兄がこの世に残したカケラを集めて、今まで以上に兄の事を知り、あの時兄が私に伝えようとした言葉を感じたいと思います。

 当時、兄の死を知って数時間たったとき、私は奇妙な行動を起こしました。告別式や葬式すらまだ済んでいない状態の中で、なぜか私は兄のために、柳美里さんから弔いの言葉を貰わなくてはならないという思いが、頭の中を埋め尽くしました。今考えても、なんでその時急にそんな思いが頭に浮かび上がったかわからないのですが、でも他にやらなきゃならないどんな事よりも最初に頭をよぎったその思いは、葬式の準備という慌しい時間の中、消える事はありませんでした。

 後日、私は手紙を書いて柳美里さんにその旨を伝えることにしました。正直なところ、事務的な返事が返って来るだけと思っていたのですが、「La Valse de Miriオープンにあたって」に書いてあるように、兄と知り合うことは出来ないが、兄を知ることは出来るので、兄の事を知るために萩に行きますという思いもよらない返事を頂き驚きました。あの時、柳さんに弔いの言葉を貰わなくてはならないと思った思い、それが兄が残した最初のカケラだと今でも思っています。

 葬式前に遺書が残ってないかと兄のパソコンを詮索していると、兄のパソコンのデスクトップ上に画像ファイルと音楽ファイルが、他のファイルの群と違う場所に目立つように置いてありました。兄が一人で写っている写真が三枚とRavelの「亡き女王のためのパヴァーヌ」の音楽ファイルでした。自分の遺影や葬式の時のBGMに流してくれと言わんばかりの状況を目にして、それを兄の遺言と思い実行にうつしました。それがもし私の勝手な想像でなく本当ならば、兄は死を覚悟する直前までパソコンを触っていたんだと思います。兄の思いを最後まで記録として残していたのがこの「らばるすさんち」であるのならば、私はこのHPの中からもっといっぱいのカケラを探そうと思います。


~解説~


 「らばるすさんち」は現在10コンテンツの構成ですが、実際は15コンテンツありました。

 HTMLタグの書き方と言うのも人間性が出るので修正は最低限にとどめています。HTMLソースもほぼ当時のものです。

 ここでは、HPのビジターとしてではなく、弟としての視点から現在残っている10コンテンツ二解説を加えていきたいと思います。


書きたい放題

自己紹介

日記

音楽室

機械室

のーと

本棚

こころ

リンク集

柳美里ファン掲示板




書きたい放題


これって日記じゃないの?と思われるでしょうが違います!

上部に書いてあるように日記+αです。

こまめに更新したりしなかったりと、性格が出てます。

精神状態が悪い時には書いてなかったりします。

昔は日記がなかったので書きたい放題がメインに更新されていました。

ちなみに、ココと日記は欠かさず見てました。

兄弟だからと言う事ではなく結構おもしろいこと書いてありまっせ♪

「らばるすさんち」見たことがない人は最初にここを見ましょう!

ここをみて合わない人は…ほかのページ見ても面白くないかもしれません(-。-) ボソッ

ちなみに過去の「書きたい放題」は「のーと」に移動されています。


自己紹介


読んで字のごとく自己紹介です。

ちなみにあの熊のぬいぐるみは結構前に撮った写真で、写っているノートパソコンはリブレット20。

兄が東京にきたときにHDD増設の改造を受けた私が貰い受けます。

本物の画像は所属していた阪大オーケストラのハープを弾く画像と、実家で海外で購入したオンボロソプラノサックスを吹いている姿です。

吹けてる様だが実際はあんまり吹けてない。

ちなみに好きな作家、漫画家、作曲家、音楽家は結構普通っぽい(かな?)

好きな食べ物はジャンクフードがメインに見られるが、実際毎日コーラとポテチを食らう姿を見ていました。

嫌いなものは、海の横に住みながら小さい時から刺身を食べない。

そして、トマト、トマトジュースは嫌いだがケチャップは平気、ちなみに私が作ったポモドーロは食べた…いまいち謎である。

ちなみに頑張れと言われるのは本当に嫌いだった。

私がたまに口にすると相当嫌がっていた。


日記


2002年、「書きたい放題」から分離して始まった日記です。

最後の更新分のファイルを持っていません。

(韓国から帰って私とゲーセンにいって北斗の拳ゲームにはまったことがかいてある文)

持っている方がいたらご一報を!!

死の4日前の韓国旅行までが書いてあります。

はじめた頃は三日坊主だと思っていたのですが割とこまめに書いています。

一部写真がついた日記がありますが、これはカメラ付き携帯を買ったばかりなので携帯カメラの写真です。

(画像紛失が一部あります)

画質がよいものはデジカメ使用です。

途中で飽きてしまったのか写真はなくなります。

この日記を使用して、兄弟で最近何してる? という情報の交換してました。


音楽室


兄を思い出すときには音楽は欠かせない。

ここではRavel、椎名林檎がメインに書かれているが、相当なジャンルを聞いていました。

生前は部屋に入るとCDがゴロゴロと転がっていて、落ちているケースを踏んで足を痛めたことを思い出します。

音楽経歴にもあるように、コントラバスをメインに弾いてたのですが、結構色々な楽器を弾いていました。

高校時代には私が友達と遊んでいると私の部屋にバイオリンを弾きながら入ってきたり、階段で歌いながら学校から帰宅する私を迎えてくれました。

大学時代は学校のコントラバスを18切符を使用して鈍行で持って帰ったりもしていましたが、最終的には自分のコントラバスを購入して人の部屋に来て(私の部屋は窓が厚いいため軽く防音がきくため)弾いていました。

今でもコントラバスは残っていますが、「本当は思い出したくない~」のところに書いてあるように壊れてしまい、今でも壊れたままです。

ちなみに下の欄にも書いてあるように、その後は地元のブラバンに所属して音楽を続けていました。


機械室


色々書きたいのですが、ゴメンなさいここのページほとんど読んでませんでした。

ですので箇条書きでいくつか・・・

・ザウルスは結構いじってたこと。

・ビギナーに優しいFAQを置いている割には、以外にビギナーに厳しい。

・オークションは一儲けしようとして失敗。結構買い物はしていた。

・SH-51はイヤホンを挿してMP3を聞きながら歩いている姿がよく見られた。

 よくVodafoneショップ(旧J-Phone)に行くので店員さんにも名前が記憶されていた。

・電脳日記は知らない単語がいっぱい

・ちなみにPS2は勝手に私が頂戴していました。

・最後のネット出来ない事件は、次の日にはつながっていましたが、更新はされていません。


のーと


ここでは書きたい放題のバックナンバーが公開され、過去のトピックスも公開されています。

当時100の質問はやってまして(今も?)その痕跡が残っていますが、こんな所で兄の性癖見てどうするとか言う話もあります(笑)

韓国が好きで韓国によく行っていたので、韓国コーナーもあります。

わざわざ圧縮ファイルまで作っている所なんか、ココに力が入っているのがよくわかります。

まんが収納法の痕跡は家にまだまだいっぱいあります。

奈良美知さん村上隆さんは好きで各地の博物館によく見に行っていました。

部屋にも色々な本やグッズを持ちお土産にもたくさん買っていました。

一緒にいられればと、遺体を焼く時には部屋にあった奈良美知さんの犬ぬいぐるみと村上隆さんのポスターも一緒に焼きました。

ナラビョーブはその後壊れましたが、残骸は今も残してあります。


本棚


数々の本の書評が書かれています…が結構偏っています。

これで書評を見た人がアマゾンで購入したら ( ゚Д゚)ウマー だねと会話した記憶があります。

(結局、書評を見てかった人がいるかは不明)

初めて柳さんに手紙を書くときにはここの書評も入れました。

実際の兄の本棚は、読み終わった本棚とまだ読んでない本棚があり、読み終わった一部がここに書評として公開されています。

現在ではもう古くなった本ですが、書評を読んでみて気になった本があれば是非購入してみてください。

書評を書くのはわりと好きだったようで、結構楽しそうに書いていたのを思い出します。


こころ


こころは今でも読んで苦しくなります。

兄のこころの病気に関しての文章が置いてあります。

未来への展望は更新されずに終わってしまいました。

このページは兄が心を切り裂きながら書いている文章も含まれているため、人によっては不愉快な気持ちになる場合もあります。

読む人によって受け取り方は千差万別だと思いますが、ココだけは読んでもらいたいと言えるページです。


ちなみに柳さんはこのページを見て兄の文章が良いと、育てたかったと言ってくれました。

仕上げれば本に出来るとまで…今となっては悔やむばかりです。


リンク集


リンク集です。

いったい何を解説すればいいんじゃい!

…と言うところでもあるんですが、リンク集って結構管理人の動向が見えますね。

上部にあるニュース系リンクなんた私がお世話にはまずならないところですが、兄は結構よく見ていました。

チャット欄にあるぐったり教室は行きつけでした。兄のパソコンを覗くとよくぐったり教室の画面が見られました。

兄の死の直前の行動を知りたくて、ここで聞き込みしたりもしました。

(そのせいか、お名前は書けませんがHNで弔電も頂きました。明らかに人の名前でないHNもあったため、葬式でお寺の方がなんと呼べばいいのか聞かれたりしました。兄の最大の親友曰く「これでこそ【兄の名前】の葬式だ!」と言われました)

作家さんやミュージシャン、美術系のサイトに多くリンクしてあります。ちなみにその他にある私のサイトは私がHP作りたての時に無理やり入れてもらいました。

ちなみにリンク切れ等もありますのでご了承を。


柳美里ファン掲示板


この掲示板はコンテンツにある掲示板達の中で唯一残しています。

レンタル掲示板なんですが、レンタル会社に了承を頂きパスワードを変更して頂いて今は私が管理しています。

結構色々な騒ぎがあり、荒らしの方々もいっぱい来ました。

そのせいか、兄の死後からもしばらくの間Googleで<柳美里>と検索するとトップに出ていました。

兄は結構こまめにレスをつけていましたが、当時書き込みをしていた常連さんは今ではあまり見かけないようになりました。

でも、オフィシャルに来ている方でここの掲示板を知っている(ROMしてた)方は結構多いようです。

ちなみにオフィシャルスタッフの時雨君も当時ここのサイトに書き込みをしていた一人です。



らばるすさんちには兄のカケラがいっぱい詰まってます。

あなたも柳さんと同じように兄と知り合うことが出来ますように…