<がんの治療創薬を目指して-ABHファミリー分子の機能解明とがん分子標的治創薬>
生物はDNAに組み込まれた遺伝子を子孫に引き継ぐ重要な役目があります.しかし,もしこのDNAを構成する塩基に 変異が生ずると,子孫にもそのDNA変異の情報を引き継いでしまうだけでなく,自身の生命活動にも重篤な危機がもたらされます. 生物は,このDNA損傷を種々の方法で修復する術を備えてきました.例えば細胞をアルキル化剤で処理すると,DNAの塩基がメチル化されます. メチル化DNAは細胞の増殖や機能に異常をもたらします.しかし,大腸菌はメチル化剤にさらされると DNA損傷を修復する酵素群を誘導し,正常な生命活動を維持することが示されました.このメチル化損傷を修復する酵素の1つとして, 最近特に重要な発見をもたらした大腸菌蛋白質がAlkBです.AlkBは酸化的脱メチル化という,それまでに知られていたメチルDNA損傷修復機構とはまったく異なる新しい機序により, メチル化DNAのみでなくメチル化RNAも脱メチル化する酵素であることが証明されました.この発見は, DNA損傷は修復系により修復されるか,修復できない場合細胞死が誘導される.しかしRNAは損傷を受けると分解されるが修復はされない, というこれまでの分子生物学のセントラルドグマを改変させる可能性を示唆したものとなりました.
当分野では,文部科学省知的クラスター創成事業の支援を受け,欧米での男性がん罹患率,死亡率のトップを占め, かつ本邦においても罹患率の急激な上昇を示している前立腺癌の治療標的分子の探索を進めました.その結果, 前立腺癌部で高発現する新規遺伝子としてprostate cancer antigen-1(PCA-1)と命名した遺伝子を発見しました.驚いたことにヒトPCA-1蛋白質は, 大腸菌蛋白質AlkBとアミノ酸レベルでも高い相同性を有することが明らかになりました.このことは, PCA-1がAlkBのヒトカウンターパートとして,メチル化されたDNAやRNAの塩基を脱メチル化する酵素として機能している可能性を推測させました. そこでPCA-1の抗体を作製し,前立腺癌病理組織の免疫染色を行ったところ,前立腺癌で高発現を示し, 良性腫瘍である前立腺肥大や正常前立腺上皮細胞では顕著な発現を認めないことを報告しました.また最近, PCA-1は現在最も難治性の癌である膵癌においても
顕著な高発現を示し,術後の予後の悪さと有意な相関を示すことも明らかにしました.さらにPCA-1の発現抑制により,前立腺癌細胞や 膵癌細胞にアポトーシスによる細胞死が誘導され,in vivo xenograftモデルでも顕著な抗腫瘍作用が発現することを突き止めました. これらの結果は.PCA-1が前立腺癌や膵癌の分子標的となる可能性を強く示唆しました.PCA-1はin vitroにおいてメチル化RNAの 脱メチル化酵素活性を有することから,この脱メチル化酵素活性を阻害する低分子化合物は,First in classとなる分子標的治療薬に なることが期待され,保健医療分野における基礎研究推進事業により治療創薬を進めています. 一方,我われはPCA-1が他の7種の分子とともにヒトAlkB homolog (ABH)ファミリー(ABH1~ABH8)を構成することも明らかにしました. そこでこれらの抗体を作製し,癌病理組織の免疫染色を行ったところ,ABHファミリー分子特徴的な癌での高発現が認められました. 現在,これらABHファミリー分子の機能と癌化との関連性解明研究も進めています. そしてこれら基礎研究成果を基盤として,癌の診断・治療薬開発と臨床応用を目指した研究を進めています.