とりとめのない趣味の小話8

--->>とりとめのない趣味の小話7

<<追記20170430

連休二日目である。

小坂ミカン農園から発端丈山まで登山した。

12:30ぐらいに登頂した。

富士山が良く見えて駿河湾も見えた。

益山寺に寄って帰った。

八重桜が咲いていた。

途中良くウグイスがよく鳴いていた。

あんまりホトトギスの声は良くわからなかった。

今回は今年初登山じゃあないかと思う。

その割に疲れた。

今日も良く寝れそうである。

<<追記20170430end

<<追記20170504

今日は昼間1時間歩いて昼食後

湯の国会館で温泉に入った。

家に帰って短歌と俳句作った。

今夜は英語でもやろうかと思っている。

午前中は奥の細道を書き写したりした。

なんかやっているうちに一日が終わる。

人生そんなものかもしれない。

気になる事は

健康と元気ぐらいである。

あとは全て時間の問題である。

そういう意味では消化試合である。

なるようになるさぐらいしかない。

ボチボチやりたい。

<<追記20170504end

<<追記20170505

今日は箱根に行って芦ノ湖一周してきた。

7:30に家に出て

8:01出発し11:15ぐらいにワカサギ定食食べて一時間後

最後の半周を歩いて

14:00ぐらいに一周した。

家に帰って俳句を作った。

昨日は英語をやった。

英語の今週は今日で終わりである。

今日も良く寝れそうである。

ボチボチやりたい。

<<追記20170505end

<<追記20170507

今日は黒岳登って

忠ちゃん牧場でジンギスカン食べた。

越前岳勧める登山者がいたけど

また今度にした。

なんか愛鷹山の景色がいいらしい。

この連休で元気になったのかよくわからない。

気分転換もよくわからない。

ともかくあしたからいつもの通りである。

大型連休に山を登りはじめて

今年の夏も順調かなあと思う。

家に帰って俳句を三句作った。

今日中に短歌を二首作ろうかなあと計画している。

ボチボチやりたい。

<<追記20170507end

<<追記20170508

私の文章を書く基準は

自分の心に自由と希望を見出す事である。

それと

神に背いてまで物事は実現しない。

私が信ずる限り神にまかせるそういう精神でいる。

私の俳句短歌論も

出来るだけ自由に心と向き合う事である。

正直な話

あんまり私自身駄作や秀作の基準がわからない。

ただあるのは今までと違う短歌や俳句を作った時の感覚が

ある種のヒントとして次の短歌や俳句につながっている。

でも

文章も短歌も俳句もたくさん書いているというのが

大きくてそれも私の心が共鳴するように書いている。

それを神はどう思うのか私にもわからない。

でも適当に神は判断する。

それを私は信じて神にまかせてる。

そういう意味で私の心の共鳴に対して神にウソはつかないようにしてる。

そして理論のポリシーもあるが実験のポリシーもある。

互いに協力しているはずである。

それを一刀両断するのはおかしい。

結局偏見で見ているだけである。

なんで私がここまで目の敵にされなあかんのか理解しがたい。

他人の事情と私の事情は違うってだけである。

それで私に関わって困らせるのはお門違いである。

そんなん神も許さない。

もっと環境にいい人間になってもらいたい。

迷惑である。

もっと神がちゃんと判断してくれる人間になるべきである。

自分の心に向き合って神がいい方に判断してくれるようにまかせて

自分はそのように努力したら

自然に神は応じてくれる。

それが私の人生論である。

それなのに利益や不利益なんて考えるから人生ややこしくなる。

私にとっていい迷惑である。

そんな他人と競争しているというのがストレスである。

私としては自由で自分の心にウソはつきたくない。

それが私の文章論と短歌論と俳句論である。

なのにいつまでこんな犯罪繰り返して許される気しない。

神に反している。

それでも私は生活だけはしていかなければいけない。

それになんで他人が関係あんのか理解不能である。

他人の私の問題はただの利害関係だけである。

だけど私にはそんなのどうでもいい。

そんなこと考える暇あったらもっと他の事考えていたい。

なのに利害関係で世の中を両断するのは

私にとって疲れるだけである。

面白くない。

自然やこの世の成り立ちの方が面白い。

そういう知的好奇心が理解されない。

いつまでこんなくだらない問題をかかげるのか理解不能である。

結局面白くない人が面白くないように言っているだけである。

私はオモシロイようにいきたい。

なんだここまでくだらないのか人生末期的である。

利害ばかりがオモシロイでいきている人間では無い。

理論の面白さだってある。実験の面白さだってある。

それになんで利害が関係あんのか理解不能である。

結局面白く無い人が面白く無いように世の中を動かしているでいい。

本当に面白く無いそれがこの世の実態である。

せめて私だけでも面白くしたい。

それが理論的な発想だと思う。

ボチボチやりたい。

<<追記20170508end

<<追記20170512

二ヶ月英単語一通りやった。

最後は目次になってた。

少しだけ見通しが明るくなった。

これだけ覚えればいいんだと思った。

また来週からもっと詳しく読もうと思っている。

文章を隅から隅まで読む計画である。

問題は古文である。

あんまり時間的余裕が無くて保留状態である。

短歌と俳句考えたらこれぐらい覚えたい気がしている。

時間があったら歌舞伎とか能とかも台本を読みたいのだが

あんまり今のところそんな時間が無い。

電子書籍があるからいつでも読めるけど

それなりに創作意欲の増す分野ではある。

なんか刺激を受ける気はする。

そういう意味ではチャンスは至る所にある。

なんか私の夢で子供とやってみたい気はする。

そうやって文系になるのか理系になるのか私にはわからんが

そういう無駄な労力が可能性なんだと思う。

何も学歴や職歴だけが人生では無い。

それが私の実感であり現実である。

連休後の一週間やれやれである。

あした雨だから

ゆっくり寝る予定である。

ボチボチやりたい。

<<追記20170512end

<<追記20170515

今日は慣れない仕事して疲れた。

従って今日も良く寝れそうである。

私はもっと成熟した社会だと思ってたけど

どうもそうでは無いらしい。

それが私の第一感である。

損や得にとらわれ過ぎて

得になる事しかしない。それが見え透いてくる。

以外にいろんなところに得になる事がある気がする。

それが日本社会にはたくさんある。

それに気づこうともしない。

損が嫌だからである。

得する事ばかり考えて仕事しているのだと思う。

ハンバーガーの100円みたいである。

どうもこの日本社会は上から下まで欠陥がかなりありそうである。

それだけ利益を上げるのは難しいかもしれないが

それに真剣に取り組んでいるのかというとそうでも無いらしい。

それが私が文章書いてて感じる事である。

よっぽどマスメディアよりマシだからである。

いくら高給取りでも努力なんてあんまり無いからである。

それがこの日本社会だと思うと

学歴も職歴もあんまり関係無い気がする。

それぐらい努力をする人は珍しいという事だと思う。

なので努力ぐらいしてるといいことあるかもしれない。

それがハンバーガーの100円みたいである。

そんなもんなのかよと現実が見えてくる。

本を買う余裕さえあれば

何でも出来る。まさに損して得取れである。

それぐらい努力が足らない人達がこの日本社会を投影している。

私がそう文章を書いててむなしいほどである。

何のために勉強しているのかわからない人がほとんどである。

そういう人が世の中を占めて人間社会をギスギスさせている。

競争している人が得しているだけである。それなのに利益が上がらない。

それではこの世に何の効果も無い。

そう無駄のオンパレードである。

それが日本社会の実態である。

そんなのと決別して努力してた方のがマシである。

それがハンバーガー100円効果である。

もっと冷静にこの日本社会を見渡せば

チャンスはいっぱいある。それが私の本音である。

<<追記20170515end

<<追記20170519

どう考えても

成功しない努力より

成功する努力の方が大事である。

それが苦労の分水嶺である。

苦労の知らないか苦労を知っているか

もうちょっと冷静に考えるべきである。

それなりに目標があるから苦労するのであって

やたらむやみに苦労するのでは無い。

それなのに苦労がわからないのは

私にもわからない。

あまりにも目的が離れすぎているぐらいしかない。

せめて成功してから苦労話した方がいい。

なんか順番が間違っている。

何の成果もなく苦労の話してもついていけない。

せめて自分の目標に対して苦労話するべきである。

その目標が私に無関係なだけである。

何でその目標が私の目標になるのか迷惑千万である。

それがわかってくれない。

それが私の悩みである。

私の苦労はそれなりに形になった。

それで私はたくさん文章を書いている。

順番としては順当である。

なのに迷惑な人が私に関わろうとする。

まるでゾンビみたいである。

魑魅魍魎である。

私の事は私の事で完結している。

他人は関係無い。

それでも私に関わろうとするのは問題の間違いである。

ただ他人がどうにかなろうとしているだけである。

ヒントはいっぱいある。

それをどうにかするのは他人の問題であって

私の問題では無い。

ヒントも受け付けず私に関わって迷惑をかけているだけである。

そんなん私にとってどうしようもないねえぐらいしかない。

全く私には関係無い話にしか聞こえない。

それなのに関わってくる。それは立派な犯罪である。

そうやって犯罪違憲国家日本が成立している。

それでいいのかよと文句タラタラである。

<<追記20170519end

<<追記20170522

私が恐ろしいのは私の気持ちがわからない事であり

私の努力や勉強もわからない事であり

ましてやエリートの努力や勉強もわからない事である。

それでは賢い人が恐ろしくなっても仕方ないという事である。

ましてや物理の畑を荒らされるのを嫌って当然である。

物理の畑を守ろうとするのは極めて自然である。

それでは何を持って恐ろしいのか楽しいのか性善説にも性悪説にもならない。

みんなの目標次第である。

それが異ればみんなすれ違う。

話が合わない同士で会話しているだけである。

ちゃんとするように他人と接しなければ

他人だって調子をくずす。

それはここまでの話で明確である。

もうここまできたら話を合わすのか合わさないのかぐらいしかない。

合わさないなら

さようならで

合わすなら

努力と勉強しましょうである。

それが如実に現実化している。

それが私の世界論である。

それがメチャクチャでいいのかというのが実態である。

そんなのログとか例外処理しかない。

<<追記20170522end

<<追記20170525

憲法3.0前文草案について備考を今日書こうと思う。

1. 愛を尊ぶ。愛のあるところに愛らしい希望がある。

2. 24時間一生を阻害するものを排除する。それを基本的人権とする。

3. 24時間一生には平和あってこそである。それを平和主義とする。

4. 24時間一生とは日本国民全員の権利である。それを国民主権とする。

5. 24時間一生とは24時間を繰り返す当たり前の精神である。人間としての普遍的で尊ぶべき純粋な原理である。

今日は一応五つ考えた。

私としてはこれが限界かなと思う。

これを元に前文考えてもいいけど

今日はやめにする。

結構私も本質にせまろうとしている努力は評価して欲しいけど

なんか悪者みたいなのよね。

どっちが弱者かわからないぐらいである。

万人何が大事かというと私なりにこんな感じです。

私なりに考えてきた結果です。

なんかここまで良くやって立派だとかないのが悲しい限りで

いつも悪者みたい。

それなりに弱者の論理なんだけど

そんなの弱者じゃあないみたい。

こっちは立派じゃあ無くてもいいけど

向こうは立派じゃあないといけないみたい。

それで向こうは弱者らしい。

なんか矛盾している。

そんな状態で私はいつもストレスである。

弱者は私の方でしょ。

なんかほとんど強者の論理である。

そういう自覚もない。

困ったもので前文書く気にならなかった。

また気が向いたら書こうと思う。

<<追記20170525end

<<追記20170529

今日の朝刊で作業を小さく分割してやるみたいな本が出てた。

東大生は強い意志と言うし

プログラムの本も一気に読まないと

わかりづらい事もある。

全体像がつかみづらいのである。

今はわからない事あったらインターネットで調べる。

そう言う意味ではチョコチョコやれる。

それでも時には一日か数日かけて本を読むのもありかなと思う。

物理や数学もなんかチョコチョコやってたら何が結論かわからなくなる時がある。

それなりにストーリーが必要である。

そこらへんが試験勉強と同じで

憲法3.0前文でカットする判断をした。

作りたければ条文に付け足せばいい。

本当は今日は書き込みする気は無かった。

朝刊見て家帰って私なりの意見を言おうと思った。

それと昨日のNHKスペシャル見て

もうちょっとアフリカで自衛隊を保護するような装備は無いのかなと思った。

オランダのように考えることは結構あるように思うが

目的をはっきりさせて任務が果たせるように明確にしなければ

難しい仕事にならざるおえない。

そんな仕事にしちゃあいけない。

私自身社会とつながりがない。

そう言う意味では基本的人権が無い。

本にもならないし、私の意見も通らない。俳句と短歌だって隔絶している。

社会とつながる仕事がしたい。

なので仕事にならない苦痛から

ちゃんとした仕事にするというのが私の最大の使命である。

それが今日の書き込みに至った原因である。

<<追記20170529end

<<追記20170531

私に聞かれても男や女の事なんか知らない。

知っているのは私の事だけである。

知らない人の事なんか考える気しない。

そういう自分なのに他人から迷惑を受ける。

迷惑な人が迷惑にいきているというだけである。

私はそんな人になりたくない。

せめて私だけはしっかりしたいというだけである。

私が支えているものはただそれだけである。

そうして私は何が出来るか常に考えている。

私なりの戦略でここまでやってきた。

そういう意味では私の願望そのものが戦略のように思う。

それが正解なら神に導かれているかもしれない。

私の願望が形になっている。

いろんな知識が私を支えている。

あんまりそんな人いないだろうなあと思う。

私の願望は自由を向いている。

ただ一人というより私の解放である。

そういう意味では考え方次第というところである。

考え方を共有出来れば私が解放される。

それを普遍性というのかもしれない。

普遍性の権化になっている。

科学の名を借りたなんかそれは神の力だと思う。

そんなわけで私自身無抵抗である。

正義が何であろうと私は無抵抗である。

ただひたすらに神を信じる。

全てのことは神が決めてくれる。

神が決めたことは私も認める。

それが私に出来る唯一の事である。

それが私の運命論である。

私が決めることじゃあないと思っている。

神が決めることだと思っている。

なのに正義の名のもとに他人が偉くなろうとするのは

間違っている。

そういう意味で私は実験値そのものが神が決めたことだと思っている。

厳正な実験値そのものは神が決めてくれる。

なのであんまり正義を語る偉い人間は私は信じられない。

あまりに自然の実験値こそ神聖である。

それが私の世界観である。

何にも人間は偉く無い。

神こそ偉大である。

なので理論は神があってこそである。

そうやって理論は神に導かれる。

ぜひそういう人間になってもらいたい。

それが私なりの気持ちである。

ボチボチやりたい。

<<追記20170531end

<<追記20170601

人が神を語るのは

人に及ばない神の力を知っているからだと思う。

いくら人が正義を語っても神にはかなわない。

それが神の力である。

そういう意味ではなんか神まかせである。

ジタバタしてもしょうがない。

最後は神が決める。

それが私の理論の根幹である。

私が決める問題ではない。

ましてや他人が決める問題でもない。

そうやって私は風まかせである。

社会も経済も物理もである。

なのでやる事はやっても結果は私にもわからない。

一応色々手は尽くすが

最後は神まかせである。

なのに人間が判断するのは限界だろうと思う。

なのでそんなに人間がエラクなるのが理解できない。

私はそんなんで

全て神が決めてくれると思っている。

そのために私は努力している。

私は判断しなくても挑戦する。

それが人間の役目だろうと思っている。

挑戦そのものが理論である。

そしてあらゆるデータを神が決めてくれると思っている。

そこまでいくのにやる事やらなければいけない。

なので神を語るとは

人知を超えている証拠である。

人間の正義なんてちっぽけである。

なので私はあんまり自分で判断するのは最善を目指すぐらいである。

結果はあんまり期待していない。

神様から結果をもらう気でいる。

それゆえ平然としてられるのかもしれない。

ある意味私の苦行の成果かもしれない。

<<追記20170601end

<<追記20170602

憲法3.0前文草案について追加項目作る。

6. 正義には限界がある人間の最善について

7. 神と人間の関わり方

8. バージョンアップして限りなく真理に近づいていく理論と神の関係性について

なんか無理やり感あるけど

合計八つ作った。

なんか日本を作っていこうとするポジティブ感が私に今無いのよねえ。

それが無いと前文草案作れない気がする。

それでもここまでやって結構満足している。

それ以上のポジティブ感が無い。

それと日本の文化も関係しているからあんまり私の専門外ではある。

必要なのは熱い情熱であり冷静な状況把握である。

誰もそんな事をしないのは

誰も考えないからである。

そういう機会が無い。

私が考えるのは考えたいからであり

誰も考えたくて考えないからである。

私一人で考えてきた状況はかなり信じられない状況である。

私一人でここまで考えた。

存在するのはほとんど人材の墓場である。

信じられない事こそが神の判断である。

もうちょっとこの日本を背負って立つ奴いないのか

文句たらたらである。

給料の責任問題である。

<<追記20170602end

<<追記20170605

貧困に勝つのはなかなか難しい。

ほとんどエリートが作った世界なのに

責任がどっかにいってる。

借金して大学行くのも

なんかエリートの思う壺のように思う。

私なりにコンテンツで勝負した方がいい気がする。

社会見渡して中身のある奴はいないからである。

おのれの中身で勝負した方が勝てる。

大学に入って良かった事といえば

論理的に説明する機会があった事である。

学士、修士、博士で収入が違うけど

それだけ結果も求められる。

アルバイトやパートぐらいならあんまり学歴なんて関係無い。

障害者の扱いはアルバイトやパート扱いである。

なのであんまり学歴は関係無い。

なので貧困で困るなら

本人が何がしたいのか真剣に考えた方がいい。

金か目的かというのもあるけど

やりたい仕事中心に考えた方がいい気がする。

この歳になって

未だに何の仕事がしたいのか正直に私はわからない。

それだけに仕事中心に考えるのが最短経路問題のように思う。

私の場合最長経路問題になっている。

これは今の科学には無い現象である。

あるとすれば、ことわざの「急がば回れ」ぐらいである。

それでどうなる事やら私にもわからない。

すべて棚上げである。

それはそれで正直に不安である。

すべて無かった事にする気もするからである。

いつになったら確定するのか文句たらたらである。

そんなんより最短経路の方がいいと思う。

それが私なりの気持ちである。

それと社会を観察するぐらいの気持ちがあれば何とかなるだろうと思う。

他人がやっているのを学習するそれも大事な要素である。

私もボチボチやりたい。

<<追記20170605end

<<追記20170606

最長経路問題が最短経路問題になっている。

つまり「急がば回れ」になっている。

なんかそんな事を朝考えてた。

なんか女子学生の話も帰り際そんな事を考えてた。

あんまり悩みの関係無い人生の方が幸せである。

それがわかるから避けて通るのである。

そんなのより青天の空の中明るくいきたい。

それが本当の健康のように思う。

何が健康で何が不健康なのか世の中は複雑である。

それでも自分の健康は明らかにわかる。

それは他人に対しても同じである。

私は健康でいたいのである。

それは私には理解ができるのである。

それが私のしっかりである。

神様はそれをしっかり理解されている。

私が支えるものはその一点に尽きる。

それでうまくいくなら神が見守っているのかもしれない。

私にはよくわからないけど

私なりにやっているだけであって

神様の事情まで知らない。それで毎日回転しているのは

神様の通りぐらいしかない。

それでも私なりにチャレンジしているだけである。

それで私なりになっているのは私の管轄外である。

長年そうやってやってきたぐらいしかない。

ボチボチやりたい。

<<追記20170606end

<<追記20170608

損が続いたり得が続いたりすると

判断が狂う原因かもしれない。

私自身損得勘定しない方が冷静に判断できる気がする。

私的に今の状態が続くのは

異常である。なぜなら損が続いているか得が続いているかしているからである。

もう今の状態を終わりにした方がいい。

損得勘定で今の状態が続いている。

異常としか言えない。

そんな状態より冷静に考えることは山のようにある。

私的にはそっちを考える方が大事である。

私がやってきた事は努力そのものである。

何も天から降ってきたわけでは無い。

私が私なりにやってきた結果である。

どうにかなろうとするなら

やるべき事をやるぐらいしかない。

それを無視してどうにかなろうとしても結果は出ない。

それを重視するより

何をやっていくかの方が大事である。

本当に本末転倒である。

それなのに空っぽなままどうにかなろうとする。

そんな悩みより

今何をするかを考える方がいい。

今日はこれとあれとそれをやる。それがまともな神経である。

そういう風に過ごしているうちに結果がついてくる。

それを損得勘定で今の異常な状態を続けている。

そんなこと考える暇あったら今あれとこれとそれをやる。

それがまともな人のする事である。

それが無いまま結果だけでどうにかなろうとするから異常なのである。

それが今の異常な状態の性質である。

やがてどっかで損が続いたり得が続いたりすると判断が狂う。

あんまりいい状態と思えない。

損得勘定より離れて今あれとこれとそれをやる。それが無ければ判断が狂っている。

いつまでそんな異常な状態を続けるのか

変である。そんな損得でいきていない。

ただ単に今あれとこれとそれをやるぐらいしかない。

それがまともな人間のする事である。

<<追記20170608

<<追記20170609

最近はプログラムの本を読んでいる。

GO言語やPythonやLISPやGitやデバッグやGoogle App Scriptなどが中心である。

その他に

幕末から太平洋戦争までの本とか

英会話のヒアリングとかしている。

ごくたまに

労働法とか

会社法とか

知的財産についての法律とか

マネージメントとか

Swiftとか

Windows 10とか

伊勢物語とか

やったりしている。

何となく気になるのは

フランス語とドイツ語である。

何事も基本が大切かなあと思う。

三級ぐらいが目安のように思えて

まずそこまでが問題である。

古語も保留状態である。

とりあえずやらなければいけないけど

パスになっている。

他に気になるのは

物理や経済や数学やらである。

ワインバーグの「科学の発見」は読み終えた。

どうも手におえない感があって

戦略的に動くしか方法が無い。

そのために本を読むのもありなのだが

面白く無いのである。

面白いように本が読みたい感がある。

まあ私の身の上では仕方ない感がある。

そうやってプログラムの本読んでいる感である。

まだ自分の立場だとその方が面白い気がする。

自分の状況を明らかにして

ボチボチやりたい。

<<追記20170609end

<<追記20170612

機会の平等は法律にあるけど

例えば労働権とかもそうだけど

なんか現状は開かれていない。

なんかほとんど競争する前に差がついている。

同じもの与えられて競争していない。

それはそれで私の責任では無い。

私のストレスは機会どころか

全ての平等のために私がしいたげられている正義である。

そんな世の中でも無いのに

全て同じようにしようとする正義とのたたかいである。

どこにそんな正義のために私が苦労する必要があるのか理解できない。

だったら

せめて機会の平等ぐらい担保するべきである。

だけど世の中はそうじゃあ無いのに

私は行き過ぎた平等のためにストレスを感じている。

何のために競争しているのか

わかっていない。

全国民が同じように生活出来ない権威のために

競争しているのである。

努力して成功したものだけが得れる特権のために

競争しているのである。

その競争に勝ったものが全国民のためになるそういう特権や権威である。

努力しもしない人が必要の無い特権や権威のために

競争しているのである。

なのに機会の平等も無いまま

私だけがナンセンスな全ての平等のためにストレスを感じている。

結局みんな自分勝手に生きているだけである。

何のために競争しているのか

何のために機会の平等があるのか全然理解していない。

なのに私のストレスはナンセンスである。

私の責任では無い。

それが全て私に迷惑を受けている。

私に不満を言うのではなく政府に不満を言うべきである。

例外もなく私も競争してきたのである。

それなのに今の現状は犯罪である。

そんな全て平等の正義なんて絶対最後に正義は勝た無い。

なぜなら

それは私が身をもって私は競争してきたからである。

今の世は競争ありきである。

それが嫌だから私が嫌いと言われても

私が悪いからでは無い。

その結論は私に対する犯罪である。

そんなことに私の責任は無い。

それなのに全て平等なんて正義こそが犯罪である。または

憲法が違憲かどっちかである。

そんな判断を私がする気無い。

私には全く責任は無い。

<<追記20170612end

<<追記20170614

今日は電話で洗濯機の問い合わせをして

バスと電車で

イトーヨーカドー三島店で買い物し

ブロンコビリーで昼食し

ノジマでぶらぶらして

電車と徒歩で家に帰った。

kindle paperwhiteは今日辞書機能使ってみた。

間違ったまま生きる危険性は多々ある。

結局それを避けるのも人間である。

それを投げ出しては議論は成立しない。

結局みんなが正解を求めないと合意にはいたらない。

なぜなら不正解に比べて正解の数が少ないからである。

そういう危険性はどこのレベルでもついてまわる。

私も例外ではない。

だから慎重になるのである。

その割にうまく行き過ぎのような気もする。

その次元はほとんど神様に聞いてくれとしか申し上げられない。

神が私を救ってくれてんのか同情してんのかわからない。

ほとんど神の領域である。

あえて言うなら今ある科学やら人間の可能性の追求しかない。

だから可能性の追求ぐらいしてもいい気はする。

それがなかなか努力するにも学歴も職歴も難しいのかもしれない。

合意すると言うのは可能性に目覚めないと難しい。

それが顕著にあらわれているように思う。

ボチボチやりたい。

<<追記20170614end

<<追記20170615

ここまでやってきて

思う事は

「人間あんまり考えていない。」という事である。

そういう意味で

「考える機会を持つ。」というのは大事だと思う。

会話でもいい。文章でもいい。

そういう機会があるか無いかでだいぶ違ってくる。

マスコミや政府や国会や行政や含めて

どれだけ考えている人数がいるか私には疑わしい。

考えているつもりになっている人が大半のように思う。

なので何となく危機感を感じる。

もうここまできたら開かれた日本国家を目指すべきのように思う。

行政に頼るより国民に頼った方がいい。

エリートには荷が重すぎる。

考える暇のある奴が考えればいい。

エリートなんて詐欺である。

東大法学部でも考えれるなら

一般国民でも考えられる。

一体何が違うのか私には定かでは無い。

国語が数学か英語か社会か理科かそれで何が違うのかもっと明らかにしてもらいたい。

そういう一つ一つが会話や文章になっていないのは

考えていない証拠である。

「人間あんまり考えていない。」危機的状況である。

それのどこが開かれた日本なのか理解しがたい。

いろんな人の頭をシェアする時代だと思う。

競争が競争になっていない状況だから文句言っているのである。

いろんな事をもっと冷静に考える奴が必要である。

まともに競争になっていない。

そういう意味では私も含めて下剋上も仕方ない。

もっと考える人が必要である。

それが私の本音である。

<<追記20170615end

<<追記20170616

明日も仕事である。

何か最近は

小説読んでいると頭使ったような気がする。

色んな事が影響している気もする。

短歌や俳句や文章とかのアウトプットもその一つだと思う。

今日は「奥の細道」を少し書き写した。

そんなこんなで気分は上々である。

それでも読書量考えたら

当分時間が必要である。

その事実だけが私の救いである。

あとはあんまり当てにならない。

それが私の事実である。

そんな暇があったら私がやった方がマシというのが

私の感覚である。

それでも仕事はまた別である。

論理性と整合性の問題である。

それさえはっきりすれば仕事になる。

どうなる事やら明日も

ボチボチやりたい。

<<追記20170616end

<<追記20170617

今日は仕事した。

明日は休日である。

昨日俳句を作って今日は短歌作った。

明日は俳句と短歌作る予定でいる。

正直あんまり言いたい事も無い。

それでもストレスたまっているから続いてる。

それこそが犯罪である。

ほとんど私に責任無い。

他人の事情ってだけである。

一体私はどうすればいいのか理解不能である。

出来るだけ自由を目指しているが

ただそれだけである。

そんなんで何で続くのか理解を超えている。

愛のあるところに愛はとまるでいい。

そうやって愛には愛でこたえる。

それぐらいしかない。

私のやる事もある意味愛である。

それがわからないなら愛はとまらない。

それが愛である。

そして私にも愛が感じられる。

そういうところに私の愛はとまる。

それもそれなりに私の本音である。

結局あなたにも愛があるなら

その愛に愛がとまる。

愛があるか無いかぐらいしかない。

そうやって私の愛は

他人の愛にとまって愛を感じるのである。

それ以上何を続ける必要があるのか理解出来ない。

そして愛って明るい無償だと思う。

それがギブアンドテイクの有償だから問題なだけである。

それを私がどうせいというのか理解不能である。

自然を見渡せば明らかである。

人間だから利己的なのかわからんけど

人間だからこそ美しいものやら愛らしいものもわかる。

それって無償でしょう。

そこに明るい愛がとまるのも事実である。

そう愛には愛がとまりやすい。

そうやって愛は愛にこたえ選択されていく。

それが人生というものだろうと思う。

だとしたら愛をかかげ愛にいきるのも人間である。

それ以上なにを議論する必要があるのか理解出来無い。

ただ愛をかかげ他人の愛がとまるのを努力するのみである。

その愛が大きくなるようにいきるだけである。

それ以上何を続ける必要があるのか理解不能である。

それが私の本音である。

<<追記20170617end

<<追記20170619

今日は暑かった。

暑くて仕事もたまらんかった。

ディープラーニングには線形代数と偏微分が必要らしい。

今のところ 段々Pythonに慣れてきたところである。

そのためAIは二の次になっている。

/*

科学技術計算のためのPython入門――開発基礎,必須ライブラリ,高速化

中久喜健司

基礎Python 基礎シリーズ

大津 真

*/

今のところ上の二冊が大きかった。

AIも未消化の本がたくさんある。

何事も順番が大切である。

何となく簡単に済ませようというのが甘かった気がする。

それとLispのような関数型言語にも

少しずつ慣れようとしている。

他にはGo言語、Git、Google apps scriptも少しずつである。

英会話や英語の多読、ドイツ語、フランス語も少しずつである。

小説も二冊読み出した。

なので当分やる事はある。

他人の事情で動くほど暇じゃあ無い。

そんな暇あったら自分の事考えるのが先である。

幻聴聞くたびにうんざりである。

全く私に関係が無い。

それで日本語なのが信じられ無い。日本人じゃあない。

それって排外主義というより能力の問題である。

話が通じ無い。

結局私には無関係というのが私のスタイルである。

なんかこの歳になると

観音様の像を作った方がいいかなあと思ったりする。

なんか無駄に歳をとってむなしいから尚更仏像に魂を残す気になった。

それが私なりの罪のつぐない方のように思う。

それはそれで家の中では出来無い。

それも人生かなあと感じる。

一つの方向性ではある。

ボチボチやりたい。

<<追記20170619end

<<追記20170620

今日も仕事で疲れた。

明日は雨らしい。

どうせなら涼しくなるといいなと思う。

逆にむっとするかもしれない。

気分はなるようになれである。

どうせなら未来のわからん事をやりたい。

未来の先がわかるような人生を送りたくない。

不確実性のある事をやりたい。

正直夢は実現している。

実現し過ぎである。

なんか中年になってふりだしである。

何がやりたいのか色々考えている。

生活にしばられているけど

それでもこのままでいい気がしない。

考えれるうちは考えようと思っている。

そんな感じは高校以来かもしれない。

それぐらい長年の宿題が多かった気がする。

色々消化不良だった。

それが時間の問題になって

なんかこれから先の目標や計画に魅力を感じなくなっている。

何事もボチボチやりたい。

<<追記20170620end

<<追記20170621

今日は帰り際

雨と風でJRの電車が止まっていた。

バスだけは定刻に乗れた。

家に帰って短歌と俳句作った。

今日は資格試験でもやろうかなあと少し脳裏によぎった。

ドイツ語、フランス語、英語、数学、漢字、プログラミング、VBA、UML

なんか試験やるとモチベーション上がる気はする。

なんかそれを良い機会にするのもありかなあと思う。

なんか極力避けて通ってきたが

そんなに高レベルじゃあなくてもいい気がする。

簡単な試験でいい。

それはそれで目標になりうる。

勉強の口実になる。

障害者の私にとってそれなりに理論武装になる。

あんまり急がずゆっくりやりたい。

ボチボチである。

<<追記20170621end

<<追記20170622

昨日と今日は

色々資格のホームページ見てた。

英語はまだ早い気がする。

リスニングがネックである。

TOEICを一回受けたが最後の方のリスニングにまで対応してない。

大学受験でリスニング出来たら

TOEICも高得点のはずである。

高校受験のリスニングさえ難しいから

TOEICで高得点にならない原因のように思う。

まだリスニングに慣れるまで時間がかかる。

それでも英検三級や二級では気乗りしない。

なので英語は保留にした。

ドイツ語やフランス語も五級とかでもいいかなと思うが

それでも今やっている事を継続中でゴーである。

なのでドイツ語とフランス語も保留である。

今のところ一番有力なのが

L1,L2,L3のようなUMLである。

どちらにしろ

一年で一回資格取得が目標かなあと思ったりして

なんかダラダラ時間が過ぎるのは勿体無い気がして

一応自己努力してますみたいなのが必要かなあと思ったり

Excel VBAはあんまり家でExcel使う機会が無く

ExcelでUML書けるようになっただけで

あんまりExcel使う機会が無いのが悩みのタネである。

まあ何事も一歩一歩である。

ボチボチやりたい。

<<追記20170622end

<<追記20170623

プログラミング、数学、漢字

私は一体何をしたいんだろうというのが漠然とした気持ちである。

多分仕事してたら.こんな疑問は無いと思うが

今の私にはいつもながら存在する。

それはそれで発想の原点である。

何事も基礎は大切である。

やってみて思いつく事もある。

計画としては順番か気分転換か

色々あるけど

なんか資格取れそうなのからやろうと思う。

沼津のマルサン行って

検討してみようかなあと思う。

いずれにせよ

来週以降になりそうである。

自分の可能性のある限りチャレンジである。

それで仕事に問題解決を先のばし出来る気がする。

いきるとはこういう事かもしれない。

とりあえず

今日もボチボチである。

何事も一歩一歩である。

<<追記20170623end

<<追記20170625

昨日、本屋に行ったが

数学、漢字、外国語ぐらいの検定しかなかった。

EXCEL VBAやJavaやUMLの資格の本が無かった。

静岡市内に行くのも

ちょっと無いかなあと思ったりして

結局アマゾンで買うしかない。

今日朝方今までの状況を

リストアップして整理していた。

午後佐野美術館で

浮世絵を見た。

実物を見るのは初めてだと思う。

三島や沼津や三保の松原や薩埵峠や赤富士や

広重や歌麿や写楽や北斎などの浮世絵があった。

家に帰ってテレビの録画を見ていた。

短歌と俳句も作った。

あんまり仕事の話をする気は無い。

私にとってしょうがないだけである。

言われた事をやるだけである。

それに論理性と整合性で処理するだけである。

それに合わなければ

話をしてどうすればいいか考えるだけである。

それ以外どうしろというのか私にはわからない。

それ以上の仕事にならない。それが私の本音である。

そうだとしたら、ただやるだけである。

それを比較してたらキリがない。

人間そんなに変わらないのに違いが生まれるのは

やるかやらないかぐらいしかない。

それを私がどうしろというのかわからない。

そんなに人間かわらないのに環境がかわっていく。

その違いはやるだけである。やる事が出来無いだけである。

ある意味勉強と同じである。

やるつもりあるのかただそれだけである。

そんなつもりもなく比較するのが間違っている。

私は私なりに冒険してきた。

あなたは他人と比較するほど冒険しているのか考えた方がいい。

それも無いまま他人と比較するのは間違っている。

冒険の量が違うだけである。

それはただやるだけに違っている。

それを私がどうしろというのか犯罪である。

そんなに人間かわらないのに違う原因は冒険あるのみである。

要するに経験が全然違うと言いたい。

そんな生易しい問題じゃあない。

もう私も四十二歳である。

この人生くりかえせば八十四歳である。

これが中年の人生である。

それが小中学校から脱線して補正できるレベルじゃあない。

もう全然世界が違っている。

人間似たもの同士なのに結果が全然違う。

それが人間の末路である。

みんな真面目に生きた方がいい。

真面目に生きた分自分に返ってくる。

それが私の正真正銘の本音である。

<<追記20170625end

<<追記20170626

今日は午後調子が悪かった。

幻聴も聞こえるし

なんか後味悪い気分が残った。

午前中の二時間は85個作った。

午後の二時間は56個だった。

あんまり「みちしる沼津」は環境が悪いのかついていない。

そういう意味では東芝テックの子会社と同じである。

やたら技術集団に近寄るのはよくない気がする。

まあ気分は最悪である。

それを誰に言えばいいのかわからない。

誰に言っても私は満足しない。

それだけは私の真実である。

そんな事が昔も今も続いている。

誰が責任をとってくれるのか文句たらたらである。

早く環境のいいところで生活したい。

それぐらい悪環境の中で生きてきた。

それを私は自覚して生きている。

それ自体が犯罪である。

許される問題じゃあない。

誰が悪魔かはっきりしてもらいたい。

そうじゃあなければ私の正義はどこにあるのかわからない。

私に正義が無いなら相手にも正義が無い。

それなら正義なんていらない。

正義のせいで私は困っている。

そんなために私の正義を持つ気は無い。

なのに何で正義の話になるのか理解不能である。

おかしいものをおかしいでいい。

正義のためにおかしいんじゃあ無い。

人間として許されないからおかしいのである。

正義のために仕方無いなんておかしい。

そんな正義なんていらない。

なのに正義を振りかざすのは間違っている。

相手の正義そのものがおかしいから私が困っているだけである。

人間としておかしい。つまり変である。

それを何で私が証明しなければいけないのか理解不能である。

私はそんなために生きていない。

そういうのと関係の無い生活がしたい。

それが正当防衛できないのは犯罪である。

ちゃんと責任とってもらいたい。

いかれた奴が変ってだけである。

何でそんなもののために正義が成立するのか私は理解できない。

ちゃんとした奴が正義をとなえるべきである。

いかれた変がとなえるそんな正義いらない。

何で正義のために私が振り回されるのか理解不能である。

そんな正義なんて根性くさっている。

やっぱいかれた変である。正義がくさっている。

くさった正義です。そんなん誰もくわない。

もうちょっと他人が貢献できるようなアドバイス出来る人が正義を語るべきである。

それが全然無いからくさった正義なんだと思う。

ほとんど底辺にあるのは利害関係だけである。

そんなん愛にもならない。

もうちょっと人間考えた方がいい。

どうしようもない話にしかならない。

努力とは何かぐらいから始めた方がいい。

努力通り越して正義になっている。

それがそもそもの間違いである。

<<追記20170626end

<<追記20170627

今週の土曜出勤のため

明日は休日である。

今日は軽いヒアリングみたいな面接があって

午後はあんまり進まなかった。

午前90個午後54個だった。

昨日みたいな不調が無くて良かった。

正義だなんて厄介である。

努力で済ましたい。

何で他人の正義が私に関係あんのか理解不能である。

そんなんより努力してた方がマシである。

努力の無い正義なんて迷惑である。

私には全く関係が無い。

そうやって私は小中学校時代スルーしてた。

迷惑もはなはだしい。

何で今頃になってそんな事が出てくるのか理解に苦しむ。

私の経験は

小中高時代にもっと解決すべきだったのかもしれない。

大部分スルーしてきた。

そのつけがまわっている。

それは先生がだらしがないからである。

先生の責任である。

そんな事私がどうしようもないからスルーした。

それが全部私にふりかかっている。

先生失格である。

それで私の出番がまわっている。

無責任体制である。

税金の無駄である。

私にも給料くれと言いたい。一体誰が一番まともに働いているのか理解に苦しむ。

それで防衛費がどうのなんて論外である。

先生の給料を防衛費にまわした方がいい。

もうちょっと責任を果たしてから給料の話した方がいい。

何で私のような障害者が責任を果たすのか理解不能である。

そういったところで努力こそが責任を果たす要因なのである。

一に努力二に努力三四が無くて五に努力である。

それなのに正義を語るとは悪魔である。

そんな暇があったら努力すべきである。

それが日本や世界を救う。

それが日本や世界を没落に進めている。

これこそ悪魔である。

努力の無い人生とは何なのかもっと考えるべきである。

愛もない、仕事も無い、迷惑でしかないぐらいしかない。

そういう迷惑さもわからないぐらい努力を知らないという事である。

それを何で先生が言わないのか理解に苦しむ。

それは先生自体が努力を知らないからである。

先生のやる事は絵に描いた餅である。

そんなの努力じゃあない。

努力とは何か全然わかっていない。

結局それからわかる事は

先生自身が努力が足らないという事である。

暇人の付き合いでしかない。

そんな暇があったら自分で勉強した方が早い。

無駄な時間を費やす先生自体が犯罪である。

先生いない方がよっぽど勉強出来る。

もうちょっと先生は危機感を持ってもらいたい。

それが私の先生論である。

努力を知れば努力の話が出来るのである。

それが無駄な時間を費やすならそれも犯罪である。

それが先生の責任である。

なのに何で私の出番がまわってくるのか理解不能である。

だとしたら私にも先生の扱いを受けたいと思う。

それが全然私には無いのに

迷惑ばかりが私に起こる。

努力一つそうなんだから努力した方がいいに決まっている。

私はそういう世の中にすべきだと思う。

それが何で先生にわからないのか理解不能である。

正義が何だより努力である。

それが出来無いのは努力が無いからである。

だから最終的に努力がわかる人になった方がいい。

それが私の気持ちである。

<<追記20170627end

<<追記20170628

今週の土曜の出勤のため

今日は休みの日だったので小説を読み終えた。

書評の掲示板に書き込んだ。

それでなんか使わない頭使った気になった。

気分転換にはなったと思う。

昼間は一時間歩いた。

正直これ以上何を語ればいいのかわからない。

私に出来るのは自由あるのみである。

それなのに束縛しようとしているとしか思えない。

それは私にとって厄介な考えとしか思えない。

こんな歳になって出来るのは自由しかない。

それを逆の形で実現するのは間違っている。

そんなのは人間のやる事じゃあない。

神のやる事である。

人間はただひたすらに自由あるのみである。

誰だって実現可能になれば私は自由になれる。

ただその一点につきる。

それが私の活動である。そんな努力もしない人が文句言っているだけである。

そんなん私の自由のさまたげでしかない。

私にとってやるかやらんかぐらいしかない。

それを文句言ったって解決しない。

やるかやらんかしかない。

ここまでくると私の問題では無い。他人の問題である。

そのために私は自由を目指している。

私もボチボチやりたい。

あと残すのは

大学外でどうやって

活動すべきかぐらいである。

健康でいれれば

いいわけで

頭を使うなら体を使う。

体を使うなら頭を使う。

それが頭と体使ってるなら

どうやってか継続する事である。

それを泳ぎきれば

何かが見えてくる。

それが困難なら

道具を使う事である。

そんなこんなで

毎日格闘である。そういう気持ちなら

結果は、おのずと出てくる。

それが努力というものである。

仕事だけでそんな生活出来れば

いいけど私は困難だった。

でも仕事でいい経験にはなった。

経験したいと思えば

仕事もありである。

でも仕事にすべては無い。

それは大学も同じである。

だから大学を出た。

必要なのは

そんな答えの無い世界を

泳ぎきる頭と身体である。

だから格闘なのである。

格闘の先に答えがある。

それを続ければ見えてくる。

それが人間といういきものである。

それが出来て継続してるかが

俗世の付き合い方である。

<<追記20170628end

<<追記20170629

世の中いろんな奴がいるなあと思って

それが私の事情になっている。

そのため一概に誰が悪いのか判断不能である。

そんな暇あったらチャントしたい。

ただそれだけである。

自分の事考え無いで他人の事考えるのは

間違っている。

どうしてそんなにエライのか私にはわからない。

自分のやる事だけ考えてたら大概間違わない。

それなのに

なんで私が他人に干渉されないといけないのか

理不尽である。

いろんな奴のために問題が起こっている。

それを私がどうせいというのかわからない。

自分の役割を果たせばいいだけなのに

それが成立しないのはどっかがおかしいからだろうと思う。

それがどうしようもないレベルである。

変な事して変になっている。

自分の役割を果たせない。

それを私がどうせいというのかわからない。

うやむやに変である。

それのどこがチャントしているのか理解デキナイ。

そんな話をいろんなところから聞こえる。

私には判断不能でも原因はどこかにある。

チャントしてたらこんな事にはならない。

そんな話がいたるところにある。

それでも私はチャントしなければいけない。

なんか最後の防波堤のような気持ちである。

そんな状態に障害者を追い詰めるのは正義じゃあない。

そういう感覚が無いのはおかしい。

それでもとりあえず一日一歩である。

<<追記20170629end

<<追記20170701

今日は土曜日だけど仕事があった。

明日はさすがに休みである。

帰りマルサンの本屋に寄った。

資格も迷っている。

外堀から責めるような気分である。

本丸がつぶれているのに外堀もない気もする。

数学やUMLがなんとなくそんな感じであり

英語は外堀より本丸というような気がする。

基礎が大事と言えば外堀からだろうと思うが

ゲームのように楽しみながらやるという感じが

長続きするコツなんだろうと思う。

気長にやりたい気はする。

あと「奥の細道」書き写すのを今夜やろうかなあと思っている。

九月まであと二ヶ月である。

比較的ゆっくりやって終わりそうである。

五月、六月が大変であった。

立春から立秋までといった所である。

それでも旅の最後の方だから

文章が多くなっているかもしれない。

ともかくボチボチやりたい。

あとは読書みたいな事がたくさんある。

どこで納得するか難しい。

際限がない。人生とはそういうものである気がする。

なんとなく私は仕方ないぐらいしかない気がする。

それは私の俳句や短歌もそうである。

果てしなく続くんだろうなあと思う。

ともかく元気にやりたい。

一歩一歩である。

<<追記20170701end

<<追記20170702

今日は水神さんと墓参りして帰った。

夕方は少し庭の草取りした。

もう半分くらい残った。

その後風呂に入った。

それでもなんか先を急ぎ過ぎている気はして

何事も順番だよなあと思っている。

出来るだけ楽しんでいるうちが花である。

可能性とはそういうものだろうと思う。

昨日は予定通り「奥の細道」書き写せた。

あと立秋まで十日分ある。

量もあんまりなさそうである。

八月以降はあんまり日程がわかっていないらしい。

かえって頻度が少ないと忘れて書き写せ無くなるのが心配である。

今日も短歌と俳句作った。

七月になって

今年も半年が過ぎた。

人生こんなものらしい。

あんまり世の中に期待するなと言われている気がする。

バカバカしさが去来する。

それでもボチボチやりたい。

仕事よりそれだけが私の心情である。

かえって仕事で困らされているように見える。

そんな世の中で抵抗しているのは一つの理論かもしれない。

データ重視では無い気がする。

人生とは不思議である。

それでも何事も一歩一歩である。

<<追記20170702end

<<追記20170703

今日も仕事した。

帰宅後庭の草取りを少しやって

風呂に入った。

今日はあんまり読書が進まなかったけど

元気といえば元気である。

正直あんまりやりたい事もない。

願うのは健康と元気ぐらいである。

テストも変なテストだからあんまり

私の中であんまり信じられない。

それはそれで人権問題である。

どこまで私は対処したらいいか迷う。

ちゃんとした国家資格だからでも私は信じられない。

そこらへんで敬遠してきたけど

なんかやたらむやみに時間が過ぎるのがたまらない。

情報系の三つぐらい資格持っているけど

あんまり難しいのはダメみたいである。

なんかそれはそれでやる気無くなる。

ここまでくると犯罪である。

なんでこんなに私は閉塞感を感じる必要があるのか文句たらたらである。

どうしたらまともなテストになるのか

定期テストの中学校も高校も疑わしい。

ちゃんとしたテストだったら私はもっとまともに生きれたと思う。

学校の定期テストから公務員試験から資格試験まで

許せるレベルじゃあない。

そんな状況でどこが閉塞感無いのか理解不能である。

それで私はどうしたらいいか悩んでいる。

結局大学受験の勉強法と同じである。

私のやる事はいつも自分との戦いである。

他人が頼りにならない。

ひたすら自分との戦いである。

この日本は犯罪大国である。

それだけはこの一件でも明らかである。

違憲だし人権問題だし私自身許せない。

ただ言えるのはもっとまともに生きたかった。

それが私の心である。

<<追記20170703end

<<追記20170704

今日も仕事した。

どうやら台風が来るようである。

資格も真面目に考えたら

馬鹿馬鹿しい。

ちっとも張り合いがない。

なんのための資格なのか理解不能である。

小中高の勉強みたいである。

ただあるのはそれでも勉強は必要ってだけである。

疑問なのは何で資格試験があるのかという事である。

世の中に参っちゃう。付き合いきれない。

一体日本社会は機能しているのか疑問である。

みんな責任回避している。

そんなんで権力があるのが不思議である。

もうここまで来たら許せる度合いが過ぎてる。

人間のレベルを超えている。

それが本当の人権問題である。

それが本当の社会問題である。

それが本当の政治問題である。

それでも今がある。

どんどん物事が深刻になっていくだけである。

ボチボチやりたい。

<<追記20170704end

<<追記20170705

今日も仕事した。

新規の仕事で神経が疲れた。

まずは慣れが必要のように思う。

とりあえず家に帰ってホッとしている。

時間ばかりがやたらむやみに過ぎる。

それに対する足跡が欲しい。

それなのにそれも難しい。

どうやって努力すべきか悩んでる。

結局自分で楽しむしか方法がない。

人生はヘンテコな形で正直である。

テストをする人が変なのか私が変なのかよくわからなくなってくる。

なんか意図していないけど

人生見えないところで努力になっている。

それだけしか他人との違いが見出せない。

しょうがないから見えないところで努力しているのであって

本人は見えないところで努力しているつもりはない。

本当はこんなに努力してますみたいな資格があればいいけど

そんな形になっていない。

でもそれに見合った努力はしているつもりである。

それが理解してくれない。

なんかぶっちぎりだけどそんな努力も認識してもらえない。

それを私がどうしろというのか理解デキナイ。

努力一つそういう状況にある。

誰がそんなに仕事しているのかわからんけど

なんとかなろうとしたってならない。

ただ他人の努力と私の努力が結実するだけである。

何を努力というのか知らなければ難しい。

結局努力をしているというのがわかっていないだけである。

それをなんで私が指摘する必要があるのか文句タラタラである。

小中学校でそんな事も脱線しているのだから手がつけられない。

私には無抵抗である。

それでも私は私でボチボチやりたい。

<<追記20170705end

<<追記20170706

今日は二日目の仕事だった。

ちょっと変化のある仕事だった。

慣れるまで時間がかかりそうである。

今週もあと一日である。

気分は

これ以上どうしろというのか私にはわからない。

やるかやらんかしかない。

もうほとんど私の問題ではなくて

他人の問題である。

私には全く関係の無い問題である。

それだから私はえらい迷惑である。

そんな意識もなくて何が悪魔なのか理解不能である。

天使と悪魔の分別もデキナイなんてナンセンスである。

もうすでにどうしようもないレベルである。

そんなんほっといて普通である。

ほとんどそれを生み出した学校の先生が悪い。

私には全く関係の無い話である

責任が果たせなくて学校の先生なのか理解不能である。

どこに責任があるのか明確にすべきである。

それが全て他人の問題である。

その全ての原因は「努力とは何か」がわからないとしか思えない。

そのため努力を評価デキナイし自己努力もデキナイ。

そして何にも残らない。

それが全然理解できていない。

少なくとも私は何かが残っている。

それを逐一述べる気はない。

なんか宇宙人と会話している気がする。

何にも国語になっていない。

それは努力に直結している。

この世の末である。

AIの暴走というより人間の暴走である。

人間だって暴走するんだからAIだって暴走して何が悪い。

知能低下の原因なだけである。

そんな議論よりもっと緻密な論理が大切である。

私もボチボチやりたい

<<追記20170706end

<<追記20170709

昨日は大観山と山中城に行ってきた。

大観山は涼しかった。

山中城も日陰は涼しかった。

今日は湯の国会館で温泉に入った。

今夜小説を読み終わり

書評の掲示板に書き込みをした。

今の所

気になるのは外国語と数学とプログラミングとAIである。

古代史も少し読んでいる。

やる事はあるので心配していない。

仕事も気になる所である。

言われた事を出来るように努力するしかない。

あしたからまた一歩一歩である。

「奥の細道」も今日書き写した。

短歌も俳句も土日やった。

ともかくあしたは月曜日ボチボチやりたい。

<<追記20170709end

<<追記20170710

今日も仕事した。

明日も仕事出来るように頑張りたい。

最近は仕事する時間が短く感じる。

あっという間に終わってしまう。

それだけ集中しているのかもしれない。

昨日は小説の次の計画どうしようか迷ったけど

当分休む事にした。

ミステリーとか小説読んで

考えたら疲れてしんどい気がして

それも面白くない気がした。

それでも頭の体操と言えばそうである。

なんかめんどくさくなった。

気分を変えたい。

正直な話私になんの問題があるのか理解しがたい。

他人の問題であって私の問題じゃあない。

ここまで来たら犯罪レベルの他人の問題である。

それをなんで私が受け入れる必要があるのか理解できない。

なんかここまで来て生きていく自信が持てない。

なんで他人がここまでエラクなるのか全然理解できない。

エライ奴が間違っている。

私にはそうとしか思えない。

それで私は不安なのである。

権力構造が間違っている。

いつまでこんなに振り回されなああかんのか犯罪レベルである。

なんかまともな話に聞こえない。権力の濫用である。

いつまで私は困らなああかんのか犯罪である。

ほとんど他人の無責任が私を困らせているだけである。

そんなの許せない。

それでも明日は明日ボチボチやりたい。

<<追記20170710end

<<追記20170711

今日も仕事した。

帰宅中本屋のマルサンに寄って買い物して帰った。

所定のものは買えなかったけど

割り切って決断した。

そのため当分楽しめるかなあと思っている。

楽しんでいるうちに

なんか発想が思いつくといいなあと思う。

いい傾向かなあと思う。

あせらずじっくりやりたい。

それなりに手はつくしていると思う。

なんか縁があれば資格を取りたい。

資格は二の次である。

来年ぐらいでいい気がする。

まだまだ基礎体力が必要である。

ボチボチやりたい。

<<追記20170711end

<<追記20170712

今日は「みちしる沼津」で仕事した。

明日から通常モードである。

今週もあと二日である。

昨日は数学の問題見ていた。

数学らしい問題のように感じた。

物理で数学使うのと違う次元を感じた。

こういう細かい事やらなああかんよなと思った。

それが全てでないにせよ

違う世界を見た気がした。

それとまた違う世界があって

私のスタンスがいまいちつかめていない。

それはそれで新たな視点である。

それぐらい数学も多岐にわたり

専門は複雑である。

そんな中私は何をやりたいのか考えると

悩ましい問題ではある。

今日は電車の中でJavaの問題をやって見てた。

なんかあんまり難しそうではないというのが

目次を見た感想である。

それはそれで張り合いがない。

UMLとドイツ語とフランス語は後日書き込むつもりである。

英語はヒアリングをたまにする程度である。

古代史もまだページ数の1/4程度しか進んでいない。

読書以外にもそんな感じでやる事はたくさんある。

ボチボチやりたい。

<<追記20170712end

<<追記20170713

今日も仕事した。

今週もあと一日である。

明日は一人で出勤する。

まあ二週間目でもあんまり慣れていないので

言われたようにやるしかない。

出来るだけテキパキやるぐらいである。

だけど集中しているせいかなんか時間は短く感じる。

それが唯一の救いである。

人生楽しんでいるというのがまた救いでもある。

やっぱり自分の時間は必要である。

薬のせいで睡眠時間が長いせいか

一日の稼働時間が人より短い。

それが人より労働時間が短くないと自分の時間が持てない。

それが私の人生論である。

なんとなく面白いようにいっている気はする。

短歌も俳句もそんな気がする。

ここまで来たのは

経験もして来たし結果も残せた。

それが私をいい傾向にある気がしている。

なんとなく仕事だけが人生のように思えない。

何事も一歩一歩である。

ボチボチやりたい。

<<追記20170713end

<<追記20170714

今日も仕事した。

とりあえず三連休である。

今日UMLのL1とL2の本が届いた。

フランス語とドイツ語の五級の本もある。

Javaのブロンズとシルバーとゴールドの本もある。

数検の三級から一級までの問題集もある。

漢字検定はパスした。

一通りそろって来年の資格に向けて楽しもうと思う。

気が向かなかったら再来年である。

一応時間がやたらむやみに過ぎるので

資格で誤魔化そうという事である。

私の頭も時々真っ白になって

用件を忘れる事がある。

そんな時は目で見て思い出したり

再び同じように何かを考えて思い出したりしている。

あんまり私も記憶がいい方ではないが

何かつながりで思い出せる事がある。

真っ白になる事が

私に何かをされている気はする。

それでも私に抵抗できることを物語っている。

そういう戦いがいっぱいある。

何をされるかわからない。

そういう怖さと戦っている。

結局私はなかなか正当防衛できない。

それでも私は抵抗している。

それが記憶一つそうなのである。

生理現象も私には何がなんだかわからない。

気分は動物並みである。

人間として扱われている気がしない。

やっぱりこの日本は犯罪大国である。

まともな社会じゃあない。

それでも生きているのは平和だからぐらいしかない。

これで穏やかに生きている気がしない。

それでもボチボチやりたい。

<<追記20170714end

<<追記20170715

三連休初日は「つるべ落としの滝」に行ってきた。

水神さんと墓参りして

家に帰って

短歌と俳句作って

調べものして検索して印刷した。

ようやく今ゆっくりしている所である。

汗もいっぱいかいて

元気と言えば元気かもしれない。

ストレッチもして

色々ストレスもあるけど

私としては対応するしかない。

昨日のUMLの本をさっと目を通して

一番有力だと思ったけど

それだけにどれだけ時間がいるのか

ちょっと想像が難しい。

なにはともあれ気長にやりたい。

何事も一歩一歩である。

順番に決まってく。

ボチボチやりたい。

<<追記20170715end

<<追記20170717

昨日は富士吉田に行って昼食は「ほうとう」食べた。

今日は天城峠に行って来た。

昼食に修善寺駅で弁当買った。

浄蓮の滝で「鮎」を食べた。

昨日は「奥の細道」を書き写した。

昨日から

もう秋の季語になっていて

少しフライング気味である。

あと大体八日分ある。

元気と言えば元気な気がする。

ストレッチの本でストレッチしている。

いろんな意味で中年だと思う。

消化するだけで中年になってしまった。

あんまり無理できる年でもない気がする。

あるとしたら経験なんだろうけど

そんなんでいきている気はしない。

それでも万事は万事

備えありかなと思う。

仕事で解決する問題でもない。

それなりに消費したいから仕事している。

ただ消費のための仕事である。

そのどこが自由民主主義なのか私にはわからない。

自由でもないし民主主義でもない。

誰かが得をする自由民主主義にしか思えない。

何を自由と言い何を民主主義と言うのか理解できない。

そう言う事をはっきり言ってから説明して欲しい。

自由民主主義を謳歌した人がもう終わりなんてナンセンスである。

無責任極まりない。誰かが得をしたからもう終わりってだけである。

何はともあれ

ボチボチやりたい。

<<追記20170717end

<<追記20170718

今日も仕事した。

なんか電車の中で読書したら

元気になった。

何が健康なのか難しい。

読書ばっかりするのもなんか健康に良く無い。

今日はJavaとGO言語とディープラーニングを少しずつ読んだ。

昨日は古代史も読んで1/3程度である。

何事ものぞむものから順番に消化しようと思っている。

英語とドイツ語とフランス語はヒアリングを少しずつやっている。

UMLは保留状態である。

LISPも同じく保留状態である。

それで物事は順番である。

今必要なのはどっしり構える事かなあと思う。

一日一歩である。

やるべき事はやっている。

それをそのままやる事である。

それがわかってくれないから困っている。

それが私の人生を困難にしている。

いつまで説明したらいいのか理解不能である。

私が短歌や俳句でどんな事しているのかとか

この文章を書き続けてどういう影響があるのかとか

そんな説明なんて面倒だから嫌である。

それが他人には全然理解できていないんだなと思う。

私は私で似たように同じように努力している。

それがわかってくれない。

これではいつにたっても解決しない。

それがわかってくれない。

なんか世の中絶望だらけである。

無駄に無駄を重ねている。

それが世の中の実態である。

それでもボチボチやりたい。

<<追記20170718end

<<追記20170719

今日も仕事した。

元気と言えば元気である。

ただあるのはそれだけである。

古代史の他に

昨日は少し「UML L1」をやる時間があった。

外国語のヒアリングも少しできた。

そんな理由で順調のように思う。

努力はしている気分である。

今日も電車の中でJava言語やGO言語やディープラーニングや

プログラム技法について読書した。

その合間に短歌と俳句作った。

それでも元気だけである。

昨日は途中のビデオが残ったので

今日消化してまたいつもの日課を消化する予定である。

気分はもうなんか八月に入りそうである。

それぐらい暑くて

秋が恋しい気分で

夏なんかのぞんでいない状態である。

それぐらい夏を満喫する余裕なし。

夏なんてパスである。

夏の思い出なんていらない。

夏もそれでも一歩一歩である。

ボチボチやりたい。

<<追記20170719end

<<追記20170720

今日は朝方うまく電車に乗れなかった。

結局

帰り際「奥の細道」をコンビニでコピーした。

これで全行程のコピーを終えた。

もう秋の季語になっているので

立秋まで待とうと思う。

それから秋から

芭蕉はどのような日にちで旅行したのかわからないので

書き写すのも私の気ままである。

前にコピーしたものと今日のコピーで

九日分ある。毎日やるとしたら一週間とちょっとである。

そんなこんなで今日は電車の中で読書できなかった。

昨日は古代史とドイツ語とフランス語とUML L1がやれた。

もちろんビデオも消化できた。

最近は薬の効きがいい気がする。

夜薬が効いてきて眠気がある。

なんかそんな感じで家の中が天国である。

今週もあと一日である。

今日は帰り際暑かった。

歩いているだけで汗が出てきた。

毎年こんな暑かったかしらと思う。

梅雨もあけて夏本番という感じである。

私の人生は夏の勉強の方が進む。

ボチボチやりたい。

<<追記20170720end

<<追記20170721

今日も仕事した。

夕食の買い物して帰った。

電車の中で少し読書が出来た。

今週からエライ暑くなった。

歩いて通勤だけで汗が出た。

ともかく休みである。

休みは

なるべく気分を変えて過ごしたい。

ここに来て

やりたい事はそろった気はする。

ほとんど時間の問題である。

デーンと構えてやろうと思う。

気分はドンブラコドンブラコみたいである。

よくここまでやったなあとは思う。

語る事はたくさんあって

今も続いている。話題の尽きない文章になった。

それにしても物価が上がらないのは

何が売れるかわからないからのように思う。

市場経済が機能していないのではないか

消費者も仕方無く買っているだけで

その値段が適正ではないのではないかと思う。

値下げも値上げもできない生産者が見え透いて見える。

値段設定ありきになっている。

「市場経済とは何か」もっと考える状況にあると思う。

そんなに市場経済が機能しないなら

新しい市場経済を目指すべきである。

ともかく市場経済なんて関係無いけど

いい加減世の中ちゃんとしろよと言いたい。

障害者なんて健常者並みに給料もらえない。

それは当たり前である。健常者が稼がないと障害者も稼げない。

一体いつまでこんな迷惑を受ける必要があるのか聞きたいぐらいである。

プログラム一つだらしがない。誰もやろうという気概が無い。

逃げてまわっている。

それでもそんな世の中でも私なりに

私もボチボチやりたい。

<<追記20170721end

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