とりとめのない趣味の小話

新規作成2015/12/21

<<追記2015/12/21

趣味の話に仕事の話を追記する。

最初の話としてはパンチが効いているかもしれない。

私は仕事でプログラムの仕事していて

頭で組み立てる目に見えない仕事として

プログラムの仕事も色んな分野があって

自分のやりたいことだと思わなかった。

そんな手前今の内職の仕事も苦もなくやっている気がする。

仕事とはやりたいものでは無い気もする。

なのに大半の人は仕事をやりたくもなくやって人生が終わる。

だけどそれは給料もらっている人の話である。

私みたいな安い給料だったら人生の無駄にしか思えない。

もっと有効な時間を使いたくなる。

給料もらって消費するそんな生活に程遠い人が自衛するのは当然である。

なんかそれだけでも社会が困難な状況にある気もする。

明らかに経済の歯車が合っていない。

人間にそれだけの仕事をさせるからには給料と消費はついてこないと

社会矛盾である。

<<追記2015/12/21end

<<追記2015/12/22

最近はあまり絵心が働かない。

kindle本でも色んな絵とか写真とか買っても

模写さえ描く気がしない。

単に美しいだけじゃあダメみたい。

意味とか価値とか考えるけど難しい。

今年は描くのは花ぐらいだったような気がする。

もんもんと夏日を表現したかったけど失敗した。

バラを描こうとしたが今では面倒な気がしている。

自分の気持ちを絵に出来ていない。

それが最大の原因かもしれない。

一昨日の日曜美術館の番組でそう思った。

でもどうやったらそんな絵になるかまでわからなかった。

イマジネーションが足らないかもしれない。

ボチボチやりたい。

<<追記2015/12/22end

<<追記2015/12/23

今年のプログラムは仕事も少しやったり数学的な本を読んだりといった感じである。

ヘイズ統計とか待ち行列とか自然言語処理とかである。

他にはマネージメントの本も読んだ気がする。

新年からもやりたいことはある。

一つ一つ乗り越えたい。

今まで出来ないことはないと思ってても動機が乏しく

やりきれないでいた。

それをつぶしていこうと思っている。

そのため正月休みも楽しみに待っている。

妹の元気な姿も見たい。

とりあえず明日はクリスマス・イブである。

多分粛々と過ぎるだろうと思っている。

他人なんてそんなものである。

ましてや社会なんてそんなものである。

そんな正義が世の中に蔓延している。

ボチボチやりたい。

<<追記2015/12/23end

<<追記2015/12/24

私はてんかんのためゲームが出来なかった。

大学の時にプレイステーション買ったけど

あんまり集中できなかった。

ファイナルファンタジーもやったけど大ボスの所でやめてしましった。

それから福岡を出てからも

麻雀ゲームしかクリア出来なかった。

みんなのゴルフも表のキャラはなんとかなったけど

裏キャラまでうまくいかなかった。

太鼓の達人も途中であきらめてしまった。

何かゲームに集中する感じがない。

結局若い頃にやらないと続かない気がする。

またそういった感じなので

ゲームに集中して何が良いのかも理解出来ていない。

それはそれで幸せを感じない人間になっている気もする。

今は詰将棋とか詰碁とか麻雀の問題とかやっている。

それはそれで頭使っている気はする。

ボチボチやりたい。

<<追記2015/12/24end

<<2012/12/26追記

自分が苦しいから自分の個性が出来上がっている気はする。

多分普通の人にはわからない気がする。

段々負担は軽くなっているが

まだまだ重たい。

それを理解してくれる人はいない。

つまり普通の人は理解出来なくて当たり前である。

そしてそれが私を形成している。

それがこの世の現実である。

神は何を考えているか私にはわからないけど

何となく神に守られているように思ったりするところはある。

ボチボチやりたい。

<<2012/12/26end

<<2015/12/27追記

昨日から無音でいられるようになっている。

部屋からは鳥の鳴き声程度である。

何だかこんな穏やかな感じは小学生低学年以来な気がする。

昔はこんなどんよりした気持ちが好きだったような気がする。

だけど時折幻聴は聞こえる。

ストレスではある。

でも落ち着きが戻っているかもしれない。

昔の感覚がよみがえる自分に少しだけ安堵している。

いつまたこんなヒドイ目に合うんじゃあないかという不安はあるが

ボチボチやりたい。

<<2015/12/27end

<<2015/12/28追記

私の右目が効き目である。

なのに視力が左目より悪い。

ヒゲソリの時に右ほほが見にくかったりする。

右目の視界が悪くなっている。

何か催眠術もからんでかなりあやしい。

車で映像が流れるような違和感もありながら

反射的に行動するのは映像も影響している気がする。

しかも思い出せない記憶を左目で視覚を拾っているような気もする。

これが当たっているのか私には半信半疑ではある。

だけどこれだけとっても

私の体は戦っているのがわかると思う。

得体の知れないチームと戦っている。

これを社会問題にしないのは社会問題な気がする。

そういう意味ではマスコミも同罪である。

安保よりこれが基本的人権を守っているのか私には信じられない。

だから私は誰も信じていない。

歯が抜け落ちる夢見たり血便が出たり背中が焼けるようだったり背骨が痛くなったり気が遠くなったり

これが私にまた起こりうるとしたら

不安でいっぱいである。

まさに奴隷そのものである。

なんでこれが問題にならないのか理解出来ない。

<<2015/12/28end

<<2015/12/29追記

勤勉とはみんな同じだからではない。

みんな違うからである。

何のために競争しているかと言えば

みんな同じだと思っていないからである。

競争しない人達とか自分を正当化している人達とか考え始めると

わけがわからなくなるのが実情である。

そんな世の中で世界は動いていない。

だから私はそんな人達の事を考える余裕が無い。

全てそれは先生のやる仕事である。

私は私の出来ることを考えている。

私がわけわからなくなるよりマシである。

そんな人達を除外して考えるのは

それが私の最大の理由である。

<<2015/12/29end

<<2016/01/02追記

将棋ソフトをインストールして

詰将棋をパソコンに解いてもらった。

小学生の高学年頃からやり出したが

その頃よりは難しくなっている気がする。

もしかしたら簡単な奴しかやっていなかったかもしれないが

特に捨て駒が絶妙である。

今回も捨て駒に気がつかなかった。

<<2016/01/02end

<<2016/01/03追記

大晦日に腹こわして

それまでプログラムの本を読んでた。

iOSとかPerlとかUnityとかVC++でゲームとかである。

目下概略程度ではある。

なんか冷静になると仮想現実というのもコワイ気がする。

本当の現実と仮想現実がつながってたらどうなるんだろうと思ったりした。

プログラム次第で

ゲーマーがやってたことが

何かしらの形に現実社会に投影したりするんじゃあないかそれは難解なプログラムだけど

それは何か数学に似ている気がした。

数学の問題が社会に影響するように

ゲームの問題が社会に影響する気もした。

そんなプログラムは私は作れないけど

SFみたいな話ではある。

こんなにITが発達してるとゲーム上で数学が解けたりもするかもしれない。

ゲームの中でやっていることが仕事になったり

そんな世界が簡単にやってくると思えないけど

そうやって問題は色んなものに置き換えて形になっている。

そういう置き換えがゲーム上で現れたりしたら

ひょんなことでゲームの中で解決するんじゃあないかと思ったりした。

それが現実とリンクしていたらどうなるんだろうと思った。

面白半分でやってたことが自分の意図していない事に使われるかもしれない。

そんなプログラムは作れないけど

未来ならどうなんだろうと脳裏によぎった。

<<2016/01/03end

<<2016/01/04追記

東芝テックの子会社にいて

言われた事は

誰でも仕事を引き継げるような仕事をしろという事である。

いざ自分がいなくても仕事が成立する仕事をしろという事である。

そのための証拠となる文書をわかりやすく残す事である。

それはあとで何年後の自分が見てもわかる文書である事である。

二番目は

重要な仕事は最初からさせないと言われた事である。

上司にも言われたが上司の上司にも言われた。

別に私が仕事催促していないのだけど二回言われた。

それだけ信頼を勝ち得ないとありえないのかもしれない。

そして最近思う事は

仕事は何の役に立っているのかわからないで仕事するものかなあという事である。

そしたら

私はそんな中でどうしたら仕事しようと思うかである。

テックの子会社では嫌々働いてた。

多分余裕が無かったのが原因だと思う。

結局それでもなしえたいものが何か他に無かった気がする。

テックの子会社の仕事以外のものに興味が移ってしまった。

それがここ最近の状況に反映されていると思う。

何かここまで来て振り出しに戻った気がする。

そしてみんなの気持ちはなかなか一致しない。

誰かが

最高の小学校と言っても

私は

最低の小学校と思ってるし

誰かが

最高の世の中だと言っても

私は

最低の世の中だと思っている。

それが事の真相だと思う。

みんな最低だと思わない。

だけど私はそう思っている。

それでも生きていくのは愛しかない。

ボチボチやりたい。

<<2016/01/04end

<<2016/01/05追記

今日は仕事始だった。

少し疲れて良く寝れそうである。願いは健康第一かな。

本が読める時間があれば不満は無い。

そんなこんなで

本日はいい気分だった。

そんな毎日を繰り返したいそう思った。

一、二年はこんな感じでいこうと思っている。

それと何ヶ月かは本を買うのを控えようと思っている。

十分今のままで楽しめる。

気になるのはありふれた日常を写真にしてみようと思っている。

ボチボチやりたい。

<<2016/01/05end

<<追記2016/01/06

勉強も四十代がピークかなあと思う。

せめて外国語だけでも四十代に解決したいなあと思っている。

その足掛かりにここ一、二年で大体の本を消化したい。

ここのところは自分の専門が無いから特に外国語に力を入れたい。

夢は民族の垣根を超えた会話である。

私にできることといったらそれぐらいである。

その夢は破れたっていい。

ただ挑戦しているのがいい。

そういう自分が好きである。

誰かにバカにされるような夢を持ちたい。

そういう自分がもっと好きである。

<<追記2016/01/06end

<<追記2016/01/07

昨日は北朝鮮で水爆が成功したそうである。

新年早々悪い情報である。

来るべき時に役立たずでも私は私で努力するしかない。

それはさて置き今日は知り合いに会って仕事の話をしたので

家に帰って継続しようと思う。

毎日7.5h働いて人生は仕事一色なのに時給はナンセンスである。

どうせ仕事一色なら同じ給料が欲しい。

それがかなわないなら

今の4hで最低賃金もらって月六万円で十分である。

私に本を読む時間があるからである。

普通の人と働きたいと私も思ったが

のらりくらりやっているだけである。

そんな人生を参考にしたいと思わない。

安定した収入があればそれにこしたことはない。

ここまで色んなことをやってきて

仕事が私に来ない世の中に

自分一人で生きろと言われている気はする。

なのでひらきなおっているところである。

これが本当に社会生活というのか不思議でならない。

世の中とはこんなに冷たいものなのか理解不能である。

ある意味水爆より恐ろしい。

無表情の社会といったところである。

火の海か無表情かどっちもどっちである。

いったいどうしたら人間社会として成立しているのか皆目見当もつかない。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/01/07end

<<追記2016/01/08

詰将棋を解いた。

上下とか左右とか挟んで詰む形に弱い模様である。

それでもだいぶ慣れてきてはいる。

なんか頭使ってスッキリみたいなところがあって

私も歳をとっているせいだと思う。

そんなこんなで色んな所で影響している気もする。

人生そんなもののように思う。

仕事もそれに似ている。

総じて色々やって色々影響している。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/01/08end

<<追記2016/01/11

水素爆弾って水素の核融合だから

一つの反応で

大きくても10兆Kぐらいの熱が出る。

それに少ない水素とか多い水素とかで判断できる小さい熱量じゃあない気がする。

TNT爆弾は化学反応だから

全然熱量が比較にならない気がする。

それはそれで威力の規模で判断できる気がする。

私が火の海と言ったのはそれだけの熱量があるという事である。

何でこんなエネルギーの話を私がするのか理解出来ない。

それより数百万倍高い加速器使ってヒッグス粒子を見つけた。

そのエネルギーはどこから来ているのか不思議でならない。

この世界はエネルギー問題から解放されているようにしか思えない。

蓄電技術が向上したとしても少なくともエネルギー問題の幾つかは解決しているはずである。

誰もその説明をする人がいない。

そうやって世界は動いているとしか思えない。

私は誰も信じない。

そういう世界だと私は思っている。

<<追記2016/01/11end

<<追記2016/01/12

人間も他の生物と共生している。

何だかそんな事も忘れてしまいそうである。

他の生物は人間なんて御構い無しである。

人間こんなにあくせく生きて何か良い事あるのか不思議である。

地球上に生物があるから人間は生きている。

その生物は人間と関係無いところで生きている。

せめて人間でいれるからこそ楽しむところが無いと

人間の価値が無い。得とか損とか人間社会で閉じている。

地球規模で言ったら人間としての生命の躍動が大事である。

その躍動と言ったら金じゃあ無い。情報ではないかと思う。

生きている限りその躍動を目にし応援したい。

今日も少年の目線が素敵だった。

極めて素直な目をしていた。

そういう躍動を感じた。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/01/12end

<<追記2016/01/13

冬の山を登っていると虫があんまりいない。

この日本列島の生物が弱肉強食ではないのは

この冬のせいのように思う。

冬を越す事が試練なのであって

冬を越す事が食物連鎖よりもっと重要な要因なのではないかと思う。

貿易の無い時代にそれは日本人にとっても同じ意味があったはずである。

仕事よりも冬を越す事が大事な時があったんじゃあないかと思う。

今ではいろんな要因が冬を越す要因を超えている。

そういう意味ではいろんな要因に試練があるのかもしれない。

問題は複雑化している。

日本人が冬を越すようにいろんな要因を越えていかなければいけない。

そうする事によってお互い平和がやってくるのかもしれない。

なのに他人に嫌われ問題を突きつけてくる。

本末転倒である。戦争が好きなんだろうかと思う。

せめてどうしたら平和が来るのか考えた方がいい気がする。

とりあえず私はそうやって平和を考えた。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/01/13end

<<追記2016/01/14

私のしたい仕事って何だろうとは思う。

私自身大変な身である事は確かである。

健康でいることが大事ではある。

昨日父親に私の病気も国に補償してもらいたいと言ったら

国がつぶれると言った。

ヒドイ話である。孤立しているけど私みたいなのがいっぱいいるからか

それとも私の身が苦しいほどにヒドイぐらいしかない。

それくらい苦痛でもあり孤独ではある。

それでも人生の足跡を残すぐらいしか仕事に対する思いはそれしかない。

あとは給料が毎月入ってくるぐらいである。

こんな理不尽な状況下で困難な仕事をする必要があるのか

今日の朝父に仕事の話したらもっと大変になると言われた。

そんなこんなで二の足をふんでいる。

短時間で結果を残すなら私には出来る。それが私のやっとの結果である。

それが私の現実である。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/01/14end

<<追記2016/01/15

人間こうも何回も同じ失敗を繰り返すのか理解出来ない。

毎回失敗を繰り返す。

仕事もそう幻聴もそう。

ほとんどバカの典型である。

経験則が無いのかと聞きたいぐらいである。

それに丁寧に答えていくのも馬鹿らしい。

私としては世の中が変わるまで待ちたい。

それにしても繰り返す失敗の内容がくだらない。

そうやって失敗して他人にどうにかしてもらおうとする。

バンカーショットぐらい自分でリカバリーしろよと言いたい。

それが出来なければプログラムも結婚相手もあきらめたほうがいい。

それが私の本音である。

<<追記2016/01/15end

<<追記2016/01/16

どうしてみんな同じになんかなんないのに

おなじにせなああかんのか理解できない。

私のやった事はプログラムだけでない。

物理もあるし俳句もあるし短歌もあるしデッサンもあるし音楽も広げていきたいし

英語もあるしドイツ語もあるしフランス語もあるし他の言語も広げたいし

数学もあるし他にも随筆もあるし

それで私の学歴もあるし

私の職歴もあるし

それをどうやって同じにするのか理解できない。

絶対に無理である。

あきらめて自分の道を進むしかない。作家でも大人の流儀とかでも言っている。

私を帳消しにしたいなら私を上回る人になる事である。

学歴も職歴も上回る事である。

多分私を上回るなんて無理である。

できる人としたら若い人でティーンネージャーしかいない。

私の同世代で可能だと思わない。

だからこの勝負はしない方がいい。

自分の子孫にのぞみをつなげるしかない。

私はやる事はやった。

あとは他人が判断する事である。

それで他人が判断できない事は私にも無理である。

あとは自分でどうにかしましょうぐらいしかない。

それで解決しないなら永遠に解決しない。

無理な人が無理な事言っているでだけである。

私はそんな人どうでもいい。

私はそんな人間なのに何で続けるのか理解できない。

世の中は本当ストレスのカタマリである。

<<追記2016/01/16end

<<追記2016/01/17

家に帰って電子書籍買ってしまった。

もう当分やめようと思っている。

いくらなんでも消化するのに時間がかかりそうである。

そのため今年も課題が多い感じである。

それと柔軟体操をやって

筋が伸びている感じがしている。

自分なりに工夫してやってみている。

それがそんな結果になっている。

私は素敵な女性だと思えば

慎ましい素朴な生活してみたくなる気もする。

何かそれだけで生きていけそうな気もする。

それも私にある美的感覚かもしれない。

そんな事が出来るぐらい私もやる事やった。

私に出来る事と言ったら伝道師ぐらいである。

生活さえ出来ればなるようになるぐらいである。

不必要なものをそぎ落として生活するのも乙である。

そこに何かしらの美的感覚が働く。

大事なものだけしか家にない。極めて何か美しい。

それこそ学校関係者にはわからない私が追い求めた美しさがある。

学術的なものが美しいんじゃあない。

本当の美しさはそんなものじゃあない。

今まで生きてきて美しいものを認識できた事である。

それが本当の美である。

私もボチボチやりたい。

<<追記2016/01/17end

<<追記2016/01/18

人生を振り返ると生理的レジスタンスではある。

それぐらいストレスを感じて生きてきた。

今も幻聴はそのストレスのままである。

言い出すと止まらないぐらいあるので今日はやめておく。

男としても人間としても最悪ではある。

「本日も晴天なり」と考えたら涙が止まらなかった。

私の人生そのものかもしれない。

人間の歴史が私を応援していると考えると

さらに涙が止まらなくなってしまう。

歴史上の血潮の結晶が私をいざなっている。

私は一人ではない。そう感じる。

それがまた涙が止まらない。

それは二十代の頃から私にはあった。

今は41歳である。

無駄な時間を費やして女の問題をかかえている。

なんか永遠に解決する気がない。

自分のために時間を使いたくなるのも良くわかるだろう。

女の問題のために何で私がこんなに苦労しなああかんのか文句タラタラである。

私は好きな事やってます。みたいな心境になって当然である。

私だけが苦労している気しかしない。

だって女が自分一人で解決すればとうの昔に解決しているからである。

そして私だけが何でこんな困難な状況におちいるのか理解できない。

ほとんど女一人では解決しませんから私にどうにかしてくださいと今の状況がそう言っていて

馬鹿馬鹿しくて私は努力したくないですという状況である。

まともに仕事する気が起こらない。

それが私の本音である。

<<追記2016/01/18end

<<追記2016/01/19

私の幻聴を女から男版にして逆の立場で表現するとこうなる。

タコ三点セットお買い得だよ。

これから株のようにどんどん高くなるよ。

分割手数料込みだけどそれより高くなるよ。

超お似合い超ぴったり超素敵です。

借金してウン億円払ってね。株のようにもっと高くなるよ。

タコのままにタコの姿を見せるのよ。

タコ三点セットお買い上げです。

これが努力と言えるだろうか

結局判断するのは自分しかいない。

他人に判断してもらおうなんて不可能である。

それと同じ事を女の幻聴がやっている。

私としてもそんなの努力とも思えない。

結局努力できない人が私を苦しめているぐらいしか思えない。

これを馬鹿馬鹿しいと言わず何なのか理解できない。

結局ここにきてほとんど自分で何とかするぐらいしか方法がない。

どうしたらいいかぐらいは私のホームページになっている。

私がやれる事はやった。

あとは本人の問題であって私の問題ではない。

それが私の本音である。

<<追記2016/01/19end

<<追記2016/01/20

最近は本を読んでいて楽しい。

こんな感じを継続したい感じがある。

仕事はほどほどでいい。本さえあればそれが世の中だと割り切っている。

あんまり極力人間に頼りたくない。それが本音である。

努力しないのは別に私は止めないけど

努力しないのに努力している人を批判するのはどうかと思う。

努力しないで成功するとしたら

全部平然とやる人である。

嫌なことも好きなことも全部やる人である。

そんな努力しない人が努力している人に批判するのはそれが天才だからだろうと思う。

だけどある意味そんな努力しない人は

努力とは何かぐらいはわかるはずである。

したがって私の努力がわかってくれないのは

本当に努力しない人ぐらいにしか思えない。

それを私はどうすればいいのか私には皆目見当がつかない。

最近はデッサンやピアノやドラムや簿記や古語や作詞や外国語などの

本を読みたくてウズウズしている。

そんな手前努力しない人のために

仕事する気は無い。

そんな時間があったら本が読みたい。

他人の事なんて考えてる余裕無い。

私のやりたい事をやる方が優先順序が先である。

どうしたらそれがわかってくれるのか皆目見当がつかない。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/01/20end

<<追記2016/01/21

仕事場で話がかみあわなかった。

私の人生そんなものである。

無視もいっぱいある。

病気もまともに話を聞いてもらえない。

なので我ながらさっぱりしている。

だけど私の名前はもしかしたら歴史に残ると思う。

そして私の人生も歴史に残るかもしれない。

あんまり私の前で恥ずかしい事やると恥ずかしい歴史が残る。

それで私の前で何をやりたいのか考えてやって欲しい。

今までやってきた事も歴史になる。

これ以上恥のうわぬり繰り返して歴史に残るだけである。

プログラムの仕事も労働法に除外されている。

そんな仕事を私にやらせる義務あるのか冷静に考えて欲しい。

東芝テックの子会社だって

誰でも引き継げるように言われて

私のやってきた事は証拠になっている。

私の持っている技術は全て使った。

それでも労働法は適用されなかった。

それが社会の現実である。

さらに恥のうわぬりして歴史に残るだけである。

<<追記2016/01/21end

<<追記2016/01/22

プログラムの仕事も論理学もあるしアルゴリズムもあるし

数学的要素がある。

東芝テックの子会社に入る前に

基本情報技術者試験とソフトウェア開発技術者試験に合格した。

多分大学の実習が効いたと思う。

旧の情報技術者試験の一種と二種にあたる。

そこまでして何とかせめてやらないと同じステージに立てない。

入社後はテスト技術者の基礎技術の資格を取った。

せめて私と同じようにテストするならそんな資格も取って欲しい。

そんな手前

私は41歳である。同じ世代の人がこれを何年でやるつもりなのか理解できない。

20代や30代前半なら少しはわかる。

結構

上から下へ理解するために

数学に慣れていないと同じ世代では不可能に近い。

東芝テックの子会社の時から

同じ失敗を繰り返すのは目に見える。

何でこれが理解されないのか私には皆目見当が付かない。

ここまで言ってもみんな同じにはならないが理解されない。

言葉が通じないのと同義語である。

宇宙人としゃべってる気分である。

<<追記2016/01/22end

<<追記2016/01/23

英語に母音で始まる単語にaじゃなくてanをつける事がある。

フランス語にも似た変化があるのだが今まで何となくおそろかになってた。

フランス語の否定文で冠詞が変わったりもする。

ドイツ語の冠詞にはそんな変化がない。

あとは気になることは

記憶している単語の量である。

一日二つとか三つとか決めてやるしかない気もする。

それは古文で先行している。

外国語でも踏襲すべきかもしれない。

違う分野の単語の並走ならできそうな気もする。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/01/23end

<<追記2016/01/24

私がそんなにうらやましがれるほど良い男とは思わない。

41歳中年肥満体型

あんまりそれが美しいとは私自身思えない。

私にできると言えばアドバイスぐらいである。

今までやってきた経験のみである。

他に思いつくと言えば愛しかない。

そんなん他の人でも出来るのと違うかとも思う。

けど何が違うと言えば

私は困難な状況下で勉強してきたということだろうと思う。

それは最も簡単な方法で勉強することに集中したのかもしれない。

でも結果論である。私は私でやってきて他人と違うと言われても

ピンとこない。それが私の現実だったからである。

もう大学を出て十六年目である。

この十六年何をしてきたのか文句タラタラである。

美しい人間だと思わないのになんで十六年目なのか私にも理解出来ない。

何か真面目に生きている奴いないのではないかとさえ思う。

無理をして無理に生きている奴が普通なのかもしれない。

私はいたって普通に生きている。

結局楽しんで生きるというのがキーワードのように思う。

そうやって自分の中でブレークスルーしている。

それが神のせいなのか神が認めているのかわからんが

少しは神に近づいている気もしつつ

神にこれでいいのだと言われている気もしたりしてるが

私自身神にはさからえない。

最後は神に判断してもらおうと私は思っている。

苦しみの中楽しんでいるのが功を奏しているといった感じである。

私は神が一人かもしくはたくさんいるかはわからない。

だけど神は世界をたくさんの考えで成り立たせているのはわかる。

多分それはみんな理解されうることだろうと思う。

<<追記2016/01/24end

<<追記2016/01/25

私の幻聴は

毎日どこをチェックしたら日本語になっているのか私にもわからない状態が続いている。

これを続ける限り数学的にも情報量無しである。

それが私に何の意味があるのか理解出来ない。

つまらな過ぎていい加減やめてもらいたいのである。

私のやっている事が面白く無くなるぐらいである。

そうやって私は面白い事を探そうとする。

今日の感じだと

当分続きそうである。

いったいいつになったら満足するのか理解に苦しむ。

私には全く関係がない気がするのだが

このままだと満足しないと終わらなそうである。

そんな事が可能なのか私にはさっぱりである。

自分勝手に進んでいるようにしか思えない。

私の気持ちなんて関係が無い。

むしろ私の気持ちの方を大事にしたい。

だから私にとって

他人なんてどうでもいいのである。

私はそういう病気である。仕事もまた同じである。

そういう状態に私はいるのである。

<<追記2016/01/25end

<<追記2016/01/26

私自身そこそこやっていればいい人間なのだが

最後の追い込みで猛チャージみたいになってしまった。

我が子なんて存在できるかわからんが

私的にはそこそこでいい気もする。

ましてや東大や京大なんて求めない。

そんな人たちにアドバイスするとしたら

自分のできることから積み重ねて面白くやる事である。

たとえ高学歴な人たちも出来ない事なんて沢山ある。

もしかしたらこれが世の中に役に立てるような事を目指すべきである。

そしたら毎日が面白く送れる。

そこがミソである。

エジソンも普通の人である。

エジソンがもっと偉かったら私の活躍は無かっただろう。

科学をぶち破るほど過激な人では無かった。

ただ毎日は面白く送れたのは想像できる。

そういう人間が珍しいという典型のように思う。

そういう意味であこがれでありミソである。

それでも子供が東大や京大に行きたいと言ったら私はどうするのかあんまり想像できない。

高校の数学がわかるから大学の数学がわかるとは限らない。

ましてや高校の数学で現代物理は語れない。

それでもやはり

多分それは私と違う人生になるだろうなあと思う。

プレッシャーやストレスもついてくる。

私の身軽さとは異なる。

私もタフに生きているが身軽さという犠牲の上に成り立っている。

そんな事に悩む時が来るんだろうか?

何となく不思議な気持ちになった。

<<追記2016/01/26end

<<追記2016/01/27

いったいこれ以上何をしたら解決するのか皆目見当がつかない。

女の問題は男の問題であり

双方私を困らせるために生きているとしか思えない。

それをお荷物と言わず何と言うのか理解できない。

ほとんど本人がやる気を持ってやる事やるだけである。

それを私に問題をなすりつけているだけである。

プログラムだって私には関係のない話である。

本人がやりたいのなら本人がやればいいだけの話である。

資格も取ればいい。

私ができる事はした。私の関係のないところでやればいい。

学歴だってそうである。

本人がやっていけばいい話である。

それで何で私が関係あるのか理解できない。

そうやって私に問題をなすりつけているだけである。

私は私でやる事でありそんな関係のない人まで眼中にない。

それって一般ピープルとして当たり前である。

何で私が偉くなって全てを管理せなああかんのか理解できない。

それを求めるなら

私を総理大臣でもしてください。

私は公務員でもないし先生でもありません。

私は普通の一般ピープルです。

そういう社会活動をしている人間に過度に求め過ぎです。

私は粛々と自分がやりたい事をやる。

それが私の第一の主眼であり

女の問題と男の問題なんて取り扱っていません。

勝手に私を引っ張り出さないようにしてください。

もしそんな事をするなら

私にも給料たくさんください。

せめて総理大臣ぐらいの給料ください。

何の権限も私にはありません。

総理大臣くらいの権限をください。

これだけ言っても歯止めがかからないなら

ただの迷惑です。

ゴミ同然です。

さようなら。

そんな人生を引き受けるほど

私は偉くありません。

権限も無し、給料も無し、細々と生きてます。

女の問題と男の問題は

私の身分として私の考えることではありません。

一般ピープルとしてただの迷惑です。

それは行政や先生がやる仕事です。

本人がやることをやるだけなのに

本人がそれをできないからと言って私の問題ではありません。

私は少なくともそれができるからです。

それができるようになりたいなら自分で政治活動してください。

私の問題ではなくなっています。

私は私で他のことをやらしてください。

同じことを繰り返すほど私の人生は暇ではありません。

だからただの迷惑にしか思えません。

私を困らせるために生きているとしか私には認識できません。

そんなの私にとってゴミです。

<<追記2016/01/27end

<<追記2016/01/28

自分自身悪さされている感覚しかない。

私には全く無関係しか思えないのに

いつまでこんな嫌味な話を続けるのか理解に苦しむ。

私の気持ちなんて置いてけぼりである。

他人の気持ちなんて聞いていない。

私がどうしたいのかの方が優先事項である。

なのに私の頭は女の叫び声がこだまする。

全く女の事情なんて考えたくもない。

私が判断する事は私が判断したい。

なのに女に振り回されて生きている気がして悲しい限りである。

もうちょっと私をラクに生きられるように考えてもらいたい。

それなのに私に一般人と仕事をさせようなんてお門違いである。

そらあ一般人がまともな仕事するなら少しは考えるけど

実際はそうではない。

プログラムをやるというよりプロジェクト計画管理の人間が幅をきかせていて

私のような人はマレだった。

そんな世の中で一般の人はのらりくらりやっているだけである。

真正面から問題解決するようには思えなかった。

真面目に生きるのが馬鹿らしいというのが本音である。

そんな世の中で私をラクにしようなんて発想がないのが驚きである。

いつまで学歴も職歴もないがしろにするのか皆目見当がつかない。

やるべき事をやってから文句言ってもらいたい。

大体もうすでに差がついているのに

同じように仕事なんか出来ない。

こんだけ差がないからやりましょうぐらいに持っていかないといけない。

そんな人世の中にどれだけいるのか私は想像できない。

もういい加減私を振り回さないで欲しい。

それだけを祈って女の幻聴に不安を感じている。

こんな現状を許していいのか皆目見当がつかない。

なんでこんな障害者をアテにする男も女も最低である。

せめて自分事は自分でやって

そして私をラクにしてからアテにしてもらいたい。

<<追記2016/01/28end

<<追記2016/01/29

職安の人とか学校の先生とかそんなに弱者救済を言うなら

自分が授業でもして面倒を見ればいいだけのように思う。

何で私なんかにその役目がまわるのか理解できない。

結局給料をもらっても誰も救えない強者が多すぎる。

ほとんど給料泥棒である。

自分の能力がないのに給料もらっている。

私はそんなに給料もらっていない。

一体このいびつな世の中がおかしいとしか思えない。

強者が弱者を救う構図が全く存在していない。

強者が強者たりえないそれが如実に出ている。

つまりつまんない奴が給料もらいすぎである。

頑張らなくていい奴が頑張って

頑張らあかん奴が頑張っていない。

それが今の世の中なんだと痛切に感じている。

それは女も男も同じである。

もうちょっと専門家なら

今の現状を打開できる奴が職安の人とか先生とかやった方がいい。

私はそう思う。

<<追記2016/01/29end

<<追記2016/01/30

インターネットやらパソコンやらタッチパネルやら

こんなに便利なものが世の中にあって

不景気なのが信じられない。

もっと自由な発想で大きな事を実現する余地はあるが

私にもあんまり思いつかない。

でもその可能性に気づければ大儲けできそうである。

家電システムにしろ工業システムにしろ商業システムにしろ

効率的な生活はもっと出来る気もする。

無駄な時間を減らして有意義な時間を過ごす。

それは一つのジャパンドリームのように思う。

生活スタイルを変えていかないと経済は成長しない。

今まで通りの生活ではもう無理があるのかもしれない。

でもこの最近の技術からしてそれは可能ではないかと思ったりする。

そんな可能性を感じざるおえないのに

不景気である。何か不思議でならない。

あんまり暗くなりすぎではないかと思う。

結局こういう時に世の中を変えるのは情熱のある若者である。

そういう生活の根本から変えていけばいい。

そういう夢を持ってもらいたい。

私はそう思う。

<<追記2016/01/30end

<<追記2016/01/31

昨日は晩にピアノとドラムを少しやった。

何か違和感があって

嫌な気分だった。

変な感覚が入り込むのがたくさんあった。

私は未だにこんな状況下にあるんだと再確認した。

私が意図しない感覚を味わった。

ほとんど他人のせいである。

私には無関係である。

こんなことが許せるのか文句タラタラである。

そんな手前プログラムの仕事も同じになるのは目に見えている。

いったいいつまで他人の言いがかりの面倒を見なければいけないのか理解できない。

私は無抵抗にこんなストレスを感じている。

ほとんど私の人格なんて無視であり

基本的人権も無視である。

いったいこんな違法状態を許していいのか理解できない。

結局他人とは話が合わない。

そういう世の中なんだと認識している。

いつまでたっても他人の話なんか成立しない。

最後は私が判断するだけである。

どうしてそれがわからないのか理解できない。

こんな奴隷状態許していいのか理解できない。

<<追記2016/01/31end

<<追記2016/02/01

何をやってもダメな人が私の邪魔をしている。

多分何言っても通じない。

自分の要求が高くなるだけである。

自分が良くなるまで続けるだろう。

結局話の合わない時は

自分の話を永遠と続けるしかない。

他人に合わせても良いことないからである。

それでも私は他人と付き合うのは

少しだけ希望を持っているからであり

そんな希望も無ければ自分の話しかしない。

営業トークとは自分の話を同意してもらい

自分の話しかしない人達である。

それもタチが悪いけど

要求ばかり高くなるのもどうかと思う。

ほとんど自分が良くなるまでやるつもりである。

そんな人と何で私が付き合わなければいけないのか理解出来ない。

無駄に無駄を重ねているようにしか思えない。

ほとんど関係が無い。

私としてはそんな奴と全く関係の無い生活がしたい。

もっと自由に生きたい。

タコにタコられタコみたい気分である。

なのに今の所自由になっていない。

いつまで呆れ果てればいいのか私には全く理解出来ない。

つまらなすぎてつまらない。

<<追記2016/02/01end

<<追記2016/02/02

7.5hで働いていた頃より4hの今の方が健康的である。

今の方が読書も出来て

体力的に余裕がある。一日のハードさが異なる。

なので収入より健康と読書といった感じである。

そんな世の中だと割り切れれば

今の方が幸せである。

自分の幸せを追求するのが目下大事な部分である。

それでも今日も疲れてよく寝れそうである。

でも明日には元気になれる。

それが4hの効果である。

心の負担が軽いそんな感じはある。

一般人がそんなに仕事するわけではないというのが私の割り切り方である。

ただ単にのらりくらりやっているだけである。

だとしたら私も私で自分のペースで生きようと思っている。

それが私らしい気がする。

<<追記2016/02/02end

<<追記2016/02/03

子供の時からあやとり折り紙コマ回しベーゴマビー玉けん玉凧揚げヨーヨー

散々遊んだ。多分こんな私のホームページが出来たのも

楽しんで学習してきた結果であろうと思う。

あんまり無理しなかった。

結構大学院の頃から消化不良なところがあって

研究内容についてはついてこれたけど大まかなところもあやふやだった。

今そんなこと言うとバカにされる感じであったが

ここまで来てようやく消化され

こんなホームページになったんだと思う。

私の人生はそういう意味で随所によくやってきて

総合的なところで発揮されたんだと思う。

中高一貫もメリットはあるがデメリットもあるはずである。

私は国公立で通して今の現在がある。

私もデメリットとメリットがあるがそれをよく吟味して考えて欲しいと思う。

<<追記2016/02/03end

<<追記2016/02/04

納得いかない。悔いを残す。惨めさが後を絶たず。

それで私を憎いと思われても

私には無関係である。

あえてどうしたらいいか考えるに

うまくいくように努力するしかない。

憎いだけが先にたってもしょうがない。

他人がどうのこうのより自分で何とかするしかない。

それは他人にはどうしようもない話である。

他人にどうかしてもらおうなんておかしな話である。

私はそれについてヒントを綴ってきた。

それでもうまくいかないなら

私には元気でいるしかないと思う。

私もどちらかというと元気だけが取り柄である。

あとは文句言われても

私にはどうしようもない話である。

個々の奮闘を祈るばかりである。

私に出来る抵抗はしたつもりである。

こういう行為を一般庶民がやるとはどういう事なのか文句タラタラである。

強者はどこ行ったのか聞きたいぐらいである。

それぐらいくだらない世の中にいて

私のような一般庶民を憎むとは憎む相手が違うと思う。

もっと助けれる人を憎むべきだと思う。

なんで助けないのかと憎むべきである。

なんで私を憎むのか理解出来ない。

そういう事でほとんど私には無関係である。

あるとしたらくだらない世の中も憎むべきであり

残念ながら私には力の及ばないところである。

<<追記2016/02/04end

<<追記2016/02/05

獲物にねらいをつけて喜んだり悲しんだり

準備をして待ち続けて喜んだり悲しんだり

狩猟にしろ農耕にしろ喜んだり悲しんだりするわけである。

特にプログラムなんてものは

狩猟に近い。そして物理なんかも狩猟に近い。

成果があがるかは

狩猟や農耕に限らず神にしかわからない。

そして待ち続けて結果が出るのかは

ある程度の予測が必要である。

私のやることも最大限無駄をしない目標で

自分にできることをしているだけである。

そんな予測も立てれないでむやみに時間は使わない。

私の状況もそんな予測が立っていない。

予測が立てれない以上実現不可能である。

それぐらいの判断は私にもできる。

待つとは他力本願であるが

ある程度の予測ぐらい立てなければいけない。

生物科や農学部に魅力を感じる女性は多い気はする。

それでも何かを利用してやろうと思うのは

プログラムでも物理でも同じである。

難しいことにも長いタイムスケールがかかるし、ゆっくりやれるところもある。

簡単なことには競争が激しく。入れ替わりが激しい。

こんなこと言って

私の世代がこんな事を挽回できる余地はない。

大学を出て16年目である。

それを込みでこれから先をちゃんと予測しているのだろうかと思う。

今まで散々予測は当たっていないと思う。

それでこれから先に予測が当たる根拠は存在しない。

それぐらい私も認識できる。

なのに続けるのは自分の非を認められないからである。

私が非を認めるのは最善の道の途中だからである。

私は私なり予測してそれなりの事をしてきた結果である。

それを他人に言われる筋合いにない。

結局世の中は誰が偉いのかそんな疑問しか持てない。

くだらない人が権力持っているからこんな事になるんじゃあないかと思う。

ちゃんとした人がちゃんとした事やってたら

私みたいな人はお役目御免である。

なのに世の中はそうなっていない。それが私の認識である。

くだらない庶民が権力をふりまわすのはそういった事情だと思う。

私みたいな一般庶民を取り上げるだけみんな納得しない。そういったところだろうと思う。

そんなの私の責任ではない。

偉い人の責任である。

<<追記2016/02/05end

<<追記2016/02/06

気もおもむくままに時が流れる。

一体どれだけの無駄な時間が過ぎているだろうと思うと

くだらない世の中が見え透いて見える

これがまっとうな社会といえるのかヘンテコに見える。

これでも社会学は可である。

それでどっちがまともなのか理解に苦しむ。

社会学なんてやめた方がいいんじゃあないかと思う。

それが私の社会学である。

<<追記2016/02/06end

<<追記2016/02/07

他人の先立つ不安をどうにかしろと言われても

私には全くの無関係である。

上から下まで色々将来を心配しても

私に得する事は無い。

そんな状態で色々幻聴もありストレスを感じている。

私が望む事は自分のペースで生活する事である。

何も役に立たない他人のために生きる事は無い。

自分のために自分の事をする。

それが私の一般庶民的な発想であり私の本音である。

<<追記2016/02/07end

<<追記2016/02/08

最近は葛城山で母親に笑われた時の高笑いを思い出す。

私が花粉症でクシャミを連発したら

母親は笑っていた。

私の人生を象徴している気がする。

私が家族に求めるとしたら快活な会話かなあと思う。

そういう所が息子や娘に出来てたら

明るい未来が待っている気もする。

私はあんまり話を自分の方に持っていくのは好きじゃあない。

でもそういう人達でも

快活に笑い飛ばすような会話をしてもらいたい。

人間そういう所から頭が自由になる。

あんまり凝り固まった頭では先が思いやられる。

母は私にありもしないことをたくさん言うから嫌いと言われたことがある。

私はそれぐらいがちょうど良かった気がする。

母とはよく論戦した。

私としてはわかってくれるまでやろうと思っていた。

そんなんだから国語の表現としてあの手この手を使った。

今思い出すとなつかしい気がする。

私としてはそういう親子を見守りたい気もする。

だけど母親からすると面倒くさい子供だったかもしれない。

中学高校ぐらいになると論争はあまりなかった。

多分そのほかに国語に影響したと言ったら読書ぐらいである。

もう一点は中学生の時に国文をやった。

えらい面倒くさい気がした。それが私が文語に対していだいているきっかけになっている。

あんまり大学入試では国文なんてやらない。

あんまり知らない人多いかもしれない。

私にも私の固有のメリットとデメリットである。

<<追記2016/02/08end

<<追記2016/02/09

高校や大学の頃は徹夜でテスト勉強したことを昨日思い出し

そんな事やるぐらいなら

まだ何でも出来る気もした。

今日は電車の中で自分の身に徹夜までして勉強したいものは何だろうと頭によぎった。

多分私が実現したい事とつながっている気もする。

それが見えればGOかもしれない。

そんな事を今日考えた。

他には資格試験でもいいかもしれない。

いずれにせよ動機が乏しい。

とりあえずゆっくりボチボチやりたい。

<<追記2016/02/09end

<<追記2016/02/10

私の中でも美しくありたいという欲求があるように思う。

それはある種の、醜さがあると

解放されたくなる。今までそうやって解放するように努めてきた。

ここにきて女性が浄化するというよりあんまり必要としなくなってきている。

お金のために女性問題があったのかと思うのも辛いし

自分が自分のために生きてきた方のがよっぽど美しくなっている。

あんまり他人を必要としなくなっている。

自分としては自分一人の方が美しくなれる。

他人がいればいるほど醜くなりそうである。

いくら女が頑張っても段々子供を作れる自信も無い。

こんな女のために私は生きてきたのかと後悔する方がコワイ。

それが私の美的感覚である。

かわいいは私にとって愛らしいである。

だから愛が無ければキモイにしか思えない。

愛らしい家庭に愛があるように思う。

愛があるから愛らしい家庭があるとも言う。

それは人を見ていて大体わかる。

女性にとって愛だけで人生が終わるのかもしれない。

なので愛らしい人を見つけるのは至難の技である。

そんなに簡単に見つからない。

愛らしさに行き着かないで終わっている。愛らしく見えるのも幻想かもしれない。

完璧という人に会ったことがない。

<<追記2016/02/10end

<<追記2016/02/15

毎日わからない気分ではある。

それでも自由になりたいと思っている。

そのために出来ることをしようと思っている。

私の条件がそんなに良いとは思わない。

それでもわけのわからん話をするのは苦しい。

話が通じない。それで私は自由になりたくなる。

他にも条件の良い人はたくさんいる。

それは周りを見ていてそう思う。

なんで私だけが理解を示す必要があるのか理解できない。

無駄な話が無駄にしか思えない。

私としては関係の無い生活がしたい。

出来るだけラクになりたい。

それでまた今日もわけわからん気分である。

いったいこんな状態を続けて意味あるのか私にもわからない。

こんなんで条件がいいとは全く思えない。

わけわからん女つきである。

人を病気にして喜んでいる奴がいるぐらいにしか思えない。

何でこんなんが条件がいいのか全く理解に苦しむ。

ゴミみたいな人が私を困らせて喜んでいる。

私はそんなに条件は良くない。

それは他人の女のせいである。

<<追記2016/02/15end

<<追記2016/02/16

明るい未来に個人がしていけば

明るい未来が待っている気もする。

そういう風に過ごせばそういう風になる。

みんなスルーしたらみんなスルーした人生が待っている。

私的には明るい未来にしていこうぜと言いたい。

そういう馬力のある奴が明るい未来に出来ると思う。

私ができ得る条件と言ったらそれぐらいである。

あとは私を病気にして喜んでいる女性は

マイナス条件ではある。

何となく一人で生きた方がラクな気はする。

私としてはお茶をすすりながら

微笑ましくて奥ゆかしい話ができればそれが風情な気もする。

タコのギスギスした気持ちなんて聞いていない。

何にも成立しない女の叫びなんて聞いていない。

私にはタコは無関係である。

天然の陽気な気持ちと奥ゆかしくて微笑ましい気持ちと道理が通れば

タコの事情や話なんて聞いていない。

一体私にタコとどういった関係にあるのか理解できない。

しょうもないねえぐらいしか思えない。

明るい未来は自分が切り開いて自分が享受するものだとつくづく思う。

私もボチボチやりたい。

<<追記2016/02/16end

<<追記2016/02/17

どうしてこんな身分が許されるのか理解出来ない。

何で私だけがタコと付き合わなければいけないのか

真面目に生きるのがバカらしい。

一人で生きてけない人がどうして私が出てこないと生きてけないのか理解出来ない。

自分が出来るんだったら私なんて関係無いでしょう。

そうやって他人と比較しなければ生きてけない人が私を困らせてるようにしか思えない。

自分で未来を切り開けない以上私と比較する必要あるのか

理解出来ない。

私は十分未来を切り開いた。

それで

私と比較する必要は無い。

あとは

自分で何とかしましょうで良い。

それ以上

私を駆出さないで欲しい

ただの時間の無駄である。

<<追記2016/02/17end

<<追記2016/02/18

頭の中で毎日つまらなく悲しく苦しい思いをしている。

この状態のどこが条件が良いのか理解に苦しむ。

結局私は私の方が面白いってなだけである。

これ以上他人の迷惑に

付き合っている私にどうしてラクをさせないのか理解に苦しむ。

よほど他人の方がラクをしているのにである。

どこに他人の努力のかけらがあるのか理解出来ない。

私としてはそんなんほっといて

私の事を充実させたい。

そんな私が何で他人のために私が駆り出される必要があるのか理解出来ない。

散々こき使ってきた世の中のために生きる気はない。

医学も社会学も法学も経済学も重罪である。

いかれた世の中にアンチテーゼなんか無い。

せいぜい私をラクにしてくださいとしか言いようが無い。

せめて他人がラクをする事をやめなければ

いつまでたっても解決しない。そんなの不可能に近い。

歴史を見れば明らかである。

<<追記2016/02/18end

<<追記2016/02/20

私の幻聴や催眠術や生理的不調は

受け身である。

決して自分から解決しない。

そういう意味で奴隷である。

私の運命は私で何とかならない。

そんな事を神は許すのか私にも理解出来ない。

それでも何となく神はいる気がする。

神が私にこたえている気はする。

声にならなくても私のやる事なす事神技である。

神がいなければありえない気がする。

受け身でいるのもある意味大事かもしれない。

柔道や剣道でひたすら受け身なってこそ

本当の強さが生まれる気がする。

後の先の発想は

相手の攻撃する瞬間の先手をとることとして

小学生時代の私の剣道の負け試合から生まれた。

負ける事から得る事無くして

負ける価値は無い。

受け身にも強くなる要素がある。

それを知らずして強くなるのは間違っている。

<<追記2016/02/20end

<<追記2016/02/21

好奇心はキッカケとトリガーを与える。

だけどあんまり続かない。

日本史も中学生の時は興味があったが

高校生の時は好奇心を失っていた。

謎が謎を呼ぶという意味では挑戦であり

色んな挑戦をするという意味で遊び心なければ続かない。

あえて

「好奇心」と「挑戦」と「遊び心」をあげたい。

何に遊ぶというかというと

他人や自分の利益を超えるという事である。

試験と全く違う次元である。そういう意味で自由になる。

好奇心が失われても挑戦は出来る。

そんな事を繰り返すうち謎が生まれる。

そして謎が謎を呼ぶ。

そして好奇心や挑戦や遊び心が解決してくれる。

今はあと一、二年かけて簿記や会計や法律や経済やらの本を読みたいと思っている。

他には外国語や音楽やデッサンもある。

そうでもしない限り次に進めない。

それが今の私の「好奇心」と「挑戦」と「遊び心」である。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/02/21end

<<追記2016/02/22

仕事は4H/1日で本の代金と生活費と通勤費をまかなっている。

それが無ければ

ずうっと本を読んでたいけど

今の所実現しない。女も女で仕事した方がいいんじゃあないかと思う。

生活設計もできない女が私を苦しめている気がする。

ほとんど私には無関係であり

私とは少しも親密になる必要も無い。

私にとって親密になる人は私を苦しめる人では無い。

なんでそんな実現能力で私が関わらなければいけないのか理解出来ない。

無駄に無駄を重ねて何が楽しいのか私には理解不能である。

そんな損得勘定ぐらい私にも出来る。

自分で働いて自分で使う。

それが私の最低ラインである。

それぐらい最低ラインじゃあないかと思う。

もめる暇があれば働いた方がいい。

どうしてそんなにもめる暇があるのか私には理解出来ない。

ひまじがひまじな事言って喜んでいる。

そんなの救えない。

一体私は何をすればいいのかわからない。

話が通じない相手に

どうしようもないだけにしか思えない。

そんな事を繰り返す暇があるのか聞きたいぐらいである。

そうやって無駄な時間が過ぎてゆく。

あんまり私の人生暗い。

そんな感じである。

<<追記2016/02/22end

<<追記2016/02/23

幻聴以外は順調である。

今日も帰り際ひどかった。

すっからかんのカラッポ話には参る。

そんなんのどこに愛があるのか理解出来ない。

愛のある人の愛のある選択なら私にもよくわかるけど

どこを探しても叫んでいるだけなのでストレスがたまる。

そんなんのどこに愛があるのか理解不能である。

頭使うのあきらめました感が強い。

まあ愛のために生きようと思えれば強いかなあと思う。

それが逆に幻聴でこわれる。

そんな認識も持てないで幸せになるのか私には理解出来ない。

なんか不可能な人が不可能な事言っているようにしか思えない。

一体世間は何を実現したいのか理解出来ない。

私には全く関係の無い話にしか思えない。

将来をエリートと庶民が悩めばいいだけで

私は別である。

だって私はそういう身分である。

そういう身分を世間が許している。

だから私には全く関係が無い。

なのに幻聴が聞こえる。

世間もエリートも重罪である。

罪にさいなまれた方がいい。

私は何様のつもりなのかと主張したい。

私が他人の勝手に翻弄されているのは間違いない。

これを罪と言わずして何が犯罪なのか理解出来ない。

<<追記2016/02/23end

<<追記2016/02/24

今日の朝は何か不安な夢を見た気がする。

何かどうやっても勉強できなくて

試験がパスしない夢を見た様な気がする。

それも大学試験だった様な気がする。

私自身幻聴があって暗記出来ずそんな危機もあったが

数学と物理で乗り切った。

何となく国語関係で悩んでた様な気がする。

そんな手前今日の朝は古文と漢文にかじりついた。

多分反射神経だったと思う。

古文と漢文を多読しようと思っている。

「源氏」で学ぶ入試古文 受験古文は名作で学ぼう! 学研合格新書 [Kindle版]

論語・韓非子で学ぶ入試漢文 東洋の思想は漢文から 学研合格新書 [Kindle版]

私が学生なら試験問題にかじりついただろうけど

私は試験を受けるわけでもないので

多読を選択した。

本当に試験問題で何をはかるのか私には半信半疑ではある。

あるとしたら有言実行しかない気もする。

そんな試験に受かったから知識があるとは思えない。

その他の知識なんて方がいっぱいあるからである。

だから

私はこれだけやりましたぐらいしか誇れるものはない気がする。

そんなもののために試験をやっても

中身はどうでもいいわけである。

そしたら私も同じでいい気もする。

私はこれだけやりましたというものを残せばいい。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/02/24end

<<追記2016/02/25

私自身王道を進んでいるというより

アウトサイダーである。

誰にも注目されないタイプである。

それでも何かの役に立てればいい方である。

そんな人にいくら目線を送っても無視しても

何の力にもならない。

幻聴も同じである。

何かの利益でもならん限り私にとって何の利益にもならない。

それは私の人生がアウトサイダーだからである。

本筋の人生なら正社員で稼いでいる。

そんな人生には程遠い。

それでも勉強するとはどういう事が理解出来ていない証拠である。

一体いつまで

こんな人を実験するような人生を送ればいいのか理解出来ない。

ありえない事されてありえない気分である。

それは幻聴も同じである。

そして仕事も同じである。

いつまでこんな人を説得出来ずに私を人形のように使うのか理解出来ない。

そんな仕事はエリートのやる仕事である。

私の仕事ではない。

そうやって無責任な仕事を受けている。

私も正直に仕事の選別ぐらいしたい。それをさせない世の中は

世間が末期的だと言わざるおえない。

それでも本を読んでいる時間があるというのが

私の譲歩である。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/02/25end

<<追記2016/02/26

あんまり真面目に考えるのもバカらしい。

そんな仕事で済ましている。

仕事して物事が解決する気がしない。

その場しのぎの現状でありこれが一、二年続けばいいと思っている。

その間に読書に費やそうと思っている。

ここ一、二年はドイツ語とフランス語に費やせた。

それで視界良好であり

韓国語、中国語、アラビア語も少しずつ消化している。

簿記や会計や会社法や経済学や法学にも少しずつ消化している。

こんな事が出来れば文句はない。

仕事は大目に見てやろうと思う。

そういうわけでそういう仕事をしている。

あんまり関心ない仕事をやっている。

それも人生かなあと思う。

何かこんな仕事するのも社会生活のように思う。

私に関係ない仕事をしてる実感はどこにでもある気がする。

そういう仕事を通じて自分のやりたい事をやっていたら

それはそれでOKである。

何となくお互い嘘をついて仕事している気もして

きみ悪いけど

それも運命共同体である。

<<追記2016/02/26end

<<追記2016/02/27

今日も幻聴は最高潮でした。

話はかみ合わないしどうでもいいし何であんたの話が重要なのか理解できない。

最悪最低絶好調である。

私の頭の中でなんであんたの話なんかするのか理解できない。

私の話で十分である。

他人の話なんて聞いていない。

何で他人がどうしようもないのが私に関係あるのか理解できない。

すべて私の事は私で統一してもらいたい。

他人のどうしようもない話なんて聞いていない。

そういう話が出来ない人が話をしたって私とはかみ合わない。

どうしてそれが最悪最低絶好調でないのか理解できない。

さようならで十分である。

そのままオカシイからサヨウナラでいい。

どうしてそれがわからないのか私には不可抗力である。

わからない人がわからない事言っているだけである。

何でそれが私に関係あるのか理解できない。

一体いつまでこんな不毛な議論を続けるのか理解不能である。

そのままオカシイねでいいのと違う。

私の頭ぐらい私の頭を使わせて欲しい。

わけわからん女の話聞いてもストレスなだけである。

それもわからん女がどこに救いようがあるのか理解できない。

そのままオカシイからサヨウナラでいい。

どうしてこんな現象が起こるのか理解できない。

よほど私に悪意があるとしか思えない。

そんな悪意に私は無抵抗である。

せめて正当防衛出来る状態にして欲しい。

私だけストレスためている気がする。

私だって反撃したい。悪意はほとんど私には無関係である。

悪意をうちのめす気持ちと死にたい気持ちが半々と言った所である。

<<追記2016/02/27end

<<追記2016/02/28

この状態のどこが善意で動いているのか理解できない。

悪意に満ちている。

私自身信じられない。

世も末である。

学歴や職歴なんか私には無関係である。

しかしそれが私にふりかかっているような恐ろしさを感じる。

出来るだけ私はそれに無関係でいたいというのが私の本音である。

なんか世の中のドロドロした部分を肯定するなんて

理論家のする事ではない。

美しいものに惹かれてこそ

美しい理論ができる。

ぜひそういう人間になって欲しい。

なのに悪意が満ちている。

あんまり世間や世の中に近づきたくないというのが私の本音である。

美しいものを考えるのに汚いものなんか考えない。

汚いものは雑音にしかならない。

そういう雑音の中で生きているのは確かである。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/02/28end

<<追記2016/02/29

現状は今の所

いくら働いても評価されない。

それが障害者の宿命である。

だとしたら

自分に納得のいく生活をする事である。

プログラムに実務経験なんて必要なのか私には理解できない。

ペーパーテストが出来れば出来る気がするからである。

そういう意味では数学的である。

逆に言えば一通りやれば記憶に残る。

やっぱり数学的である。

私はやっぱりこのまま一、二年過ごしたい。

周りが何と言おうと

現状は変えたくない。仕事を辞めろと言われれば

無職でこのまま一、二年いたい。

それは私の決める事である。

それが私の権利である。

周りや世間や世の中なんてどうでもいい。

現状が変わらなければ一生このままでいい。

何で私だけがタダ働きしなあかんのか理解に苦しむ。

くれるならガッツリ下さいとしか言えない。

私はそんな奉仕の仕事なんかしない。

私は私のために生きる。

それが私をこのままでいいと認識している。

せめて周りと同じ身分でいたい。

それが今はかなっている。

それが今の私のハッピーである。

<<追記2016/02/29end

<<追記2016/03/01

優秀な人物とか優秀な物を生み出す社会にしなければいけない。

弱者救済より私は大事だと思う。

弱者救済するより自分が優秀になる方が大事だと思う。

ともすれば共倒れだからである。

結局社会主義と共産主義の失敗はそれに尽きる。

今後同じ失敗するかわからないけど

大事な点は優秀なものを残せるかにかかっている。

日本人見て優秀なものが無いと思われたら最後である。

それはアメリカ人とか外人も同じである。

そして社会主義と共産主義の失敗は

理想を求め過ぎて複雑な人間になる事である。

学校の先生見てたら

あんな先生になりたく無いと思う。

それが私の時代である。

もっと自分の心に正直になる事である。

そうしなければ面倒な先生にしか思えない。

複雑過ぎて心がみにくい。

人をおとしいれたり、人を助けない以前に

自分が優秀になる事を主眼に置かなくて

社会は末期的としか思えない。

だから私は日本に優秀なものがあるという事が

その国の姿を現していると思う。

そういう視点無くして社会は語れない。

それが私の社会学である。

人を優秀にさせない理論なんて私は信じられない。

そんな社会学いらない。

そういう意味で大学当時からそんな試験に意見して可だった。

くだらない人が給料泥棒している気もして

私に給料もらいたいぐらいである。

人間が美しくならなくて何の社会学なのか私には理解出来なかった。

ダメダメ人間作って何が面白いのか理解不能である。

私は人間が向上するって大事だと思う。

そのための社会学なら私もわかる。

そうやって約二十年近くになる。

<<追記2016/03/01end

<<追記2016/03/02

プログラムで|2x-1|の関数とか作れる。

xが1/2以上の時は2x-1をリターンし

xが1/2未満の時は-1*(2x-1)をリターンする。

数学的に整合が取れるので数学である。

例えば交流の電圧を変圧してプラスだけにするとか

マイナスだけにするとかのプログラム計算にも使える。

関数化できるということはそういうモデルを数値的に想定できる。

こんな事は情報処理試験には出てこない。

数値計算はまた別世界である。

なんでこういう事を言うのかというと

プログラムが数学であるという事を言いたいからである。

高校の数学もわからなくてプログラムは出来ない。

プログラムが先か数学が先かは方法として考えるべきであるが

どちらもやっているのに越した事はない。

なんで私がそれを指摘しなければ

私がラクにならないのか文句タラタラである。

私をラクな道に進ませて欲しい。

他人の出来無い事を私に当てつけない人生を送りたい。

つまり自由になりたい。

他人のどうにかなりたい事を私のストレスにしないで欲しい。

そんなに切望するなら私を先生にしてからにして欲しい。

教壇で即戦力になるぐらいの事はできると思っている。

それなのにピエロになってストレスを感じるのはツライ。

直球勝負して欲しい。

紆余曲折我慢ならん。それが私の本音である。

<<追記2016/03/02

<<追記2016/03/03

私は今まで就業形態はパートしかない。

それでも正社員と非正規社員がクローズアップするのはおかしい。

正社員になってからのどういうような労働をするかの方が大事である。

非正規社員が問題になるのは労働者に対して

労働そのものがただの労働時間しか問題にならない。

結局世間労働者に期待しているのは労働時間だけになってしまう。

労働者が労働から付加価値を見出すことなんて期待していないから

非正規社員がクローズアップするのである。

そして正社員も同じく課長にもなれない世の中だから

労働時間でしか働いていないのが現実なのである。

正社員も給料泥棒である。

誰も付加価値を見いだせていない。

そんな世相が見えている。

労働者が付加価値を見いだせたら企業は積極的に正社員を雇用するだろう。

だけど非正規社員がクローズアップする今

いびつな世の中であると言っていい。

健全に付加価値を見出してこれなかった日本が浮かび上がる。

日本人全体の問題である。

非正規社員も正社員も同罪である。

そして私もそんな日本に巻き込まれている。

出来たら私は無関係でいたい。

なのに私に乗りかかってストレスをため続けている。

いつまでこんなくだらない状態を続けるつもりなのか理解できない。

日本人全員の問題である。

私だけの問題では無い。せめて給料もらっている人が悩んだ方がいい。

私は観客席にいたい。

大体そういう身分である。

そういう苦痛にいるのにさらに苦痛を与える気かよと言いたい。

放射能許容量超えていないような苦痛じゃあ無い人が悩めばいい。

<<追記2016/03/03

<<追記2016/03/04

モンテカルロ法でランダム関数使って確率関数が作れる。

普通ランダム関数は時間を使って一様なランダム数を発生させる。

0から1のランダム関数を使った場合

確率はすべて合計すると1になるから

表と裏のコインの数が

10回やって表が7裏が3だとすると

確率は表が0.7裏が0,3になる。

そこでランダム関数が出てくる

表と裏を両方発生させて表の確率が0.7裏の確率が0.3になれば確率分布として整合している。

表の時にランダム関数を発生させて0.7以下なら表となりそれ以外は裏(表以外)となる。

裏の時にランダム関数を発生させて0.3以下なら裏となりそれ以外は表(裏以外)となる。

裏と表以外に変数がたくさんあっても全部そうなめしたら確率分布になる。

これで自分独自の確率分布を発生させることができる。

正規分布もできる。

別にどんな確率分布だって合計が1になれば可能である。

私はナンバーズの確率分布を数学の確率に近づける確率関数使って予想してみたが

ただの数学の確率に近かった。

案の定当たらなかった。

何か夢のような確率関数作る人いたら夢のようである。

<<追記2016/03/04end

<<追記2016/03/05

ホームページで数学を取り上げるのは少々難しい。

昨日少し数式やグラフも必要かもと思った。

感覚的には言葉で表現できても

緻密さに欠ける。

html5に期待したい。

数値計算と言ったらルンゲクッタ法とか行列計算とか気になるけど

もう用意されているコードで十分のような気もしている。

昨日モンテカルロ法を紹介したのは

大学にいた頃他の学部は正規分布しか使わないと先輩に言われ

正規分布でもない分布をプログラムで使える事を示したかったからである。

そんな要求にこたえているか自信は無いけど

とんがってみたのである。

<<追記2016/03/05end

<<追記2016/03/06

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ゴロで覚える中上級英単語記憶法1380語-10日間で覚えよう! [Kindle版]

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最近暗記法に自信が無くて語呂もいいかなあと思って試している。

何か今ままで残っている記憶としたら語呂か数学か物理か

使用している知識しか残っていない。

不必要に覚えているとしたら語呂な気がしていて

試してみようと思っている所である。

<<追記2016/03/06end

<<追記2016/03/07

私のやった事は評価されていない。

大学入試試験からそうである。

かれこれ二十年近く評価されていない。

真面目に働く気は段々薄れている。

全て女が原因である。

女と結婚しなければ全てすっきりモードである。

そうやって私を恐怖におとしいれて女は喜んでいる。

それが女のやる事である。

あんまりかかわりたく無い。それが本音である。

私としては自分のやった事ぐらいは評価してくれないと仕事している意味無い。

仕事自体馬鹿馬鹿しくなっている。

なんでこんな無償な事をするのかは

誰もそんな事はできないのに私だけやっている。

そういうところで女は働かせようとする。

そんなの女の責任である。

私の分まで働いて欲しいぐらいである。

女の主張は自分勝手で私の事情なんてお構いなし。

男は無関心そして私も無関心である。

それでもめている。なんでもめる必要があるのか理解できない。

そうやって女は問題を感じている。

そして私を働かせようとする。

そうじゃあないでしょう女が働けばいいだけである。

馬鹿馬鹿しくて恐ろしいぐらいである。

なんでこんな事になるのか怨念としか思えない。

いつまで私を保留扱いにして喜んでいるのか人間のやる事ではない。

全て女のせいである。

<<追記2016/03/07end

<<追記2016/03/08

催眠術で

パソコンを反射的にわけわからんようになって混乱したり

勝手に反射的に体が動いたり

体の不調例えば

雨の時の血痕とか血便とか歯が抜け落ちそうとか批判している時に勃起とか

背中が焼けそうとか背中が痛くて動けないとか

布団が光ったりまぶたが光ったり

電圧計と電流計が数百ミリアンペアとか数百ミリボルトとか

小便の不調とか大便の不調とか

全て統合失調症のせいである。

なんかここまでくると

サンドバック状態である。何言われても私がおかしいと言われている。

これで王道と言えるだろうか

アウトサイダーそのものである。

逆に言えばそれだけ覚悟して生きているとは言える。

全部私が受け止めて悪いとなっても構わないように生きている。

これを基本的人権の侵害とならないのが信じられない。

私の権利は認められていない。

それが真実である。

人間ここまでやるかと文句言いたいけど

しょうがないで生きている。

よっぽど女の方がラクである。

ここまでやる女がいないってだけである。

男も同じである。

もっと気楽に生きている人が苦労すればいい。

私は十分苦労した。

ここまでやった私は世界上にも歴史上にもいないだろうと思っている。

良かったのはただそう思える事ぐらいである。

<<追記2016/03/08end

<<追記2016/03/09

他人の態度は本人しか決めれない。

だとしたら私は私の事実を述べて私の態度をとるより他は無い。

結局みんなゴーイングマイウェイである。

なのに私は全部受け入れるしか生きていけない。

すべて統合失調症のせいだからである。

おかしいと言っても聞いてくれない。

そんな事を私だけにしいて他人は喜んでいる。

権利の乱用である。

どう考えたって他人がいいようにやっているだけである。

正当防衛も働かない。

そんなの不公平である。

私としてはすべてやる事やらなければ

可能性は無いという事である。

ひたすら整合が取れるようにやる事やるしか方法が無い。

これ以上他人に振り回されるのは御免である。

世界が恐怖なのではなくて

女が恐怖なのである。

私には全く関係が無い。

そんな恐怖な女なんて私は嫌だ。

それが私のゴーイングマイウェイである。

<<追記2016/03/09end

<<追記2016/03/10

女同士や男同士や男女同士に意見の一致を見ないのが

俗世である。

私の幻聴も同じである。

だからと言って私が論理的な会話を止めたら

全て無茶苦茶になるが

死んででも出来ない。

それが生きるという事だと思う。

お前の気持ちなんて聞いてねえと

幻聴の主に言っても通じない。

それぐらい意見の一致は難しい。

あとはタコだのアホだのバカだとパッパラパーだのしかない。

結局自分の身の確保しか出来ない人に

理論の証明なんて不可能である。

あるのはみんなが存在出来る事のみしかない。

理論が正しいとか不完全かなんて話にならない。

私は理論が正しいかどうかの方が気になる方である。

だけどそんな事すら考えない人と

やっていくのは至難の技である。

それをどうやったらわかってくれるのか皆目見当がつかない。

ただ結局仕事を今日もやったというだけしか残らない。

ただそれだけでも意見が一致しない。

私は私でやる事やって

それ以外はあきらめている。なんか勝手にしてください状態である。

それは幻聴も同じである。

<<追記2016/03/10end

<<追記2016/03/11

正直に分からん女に分からん話である。

ほとんど私の問題では無い。

それを私の頭でやっている。

そして私の仕事場も何かそんな感じである。

結局そんな話を考える必要は無い。

それが私の結論である。

私は私でやる事やっていればいい。

あんまり話に振り回されて根拠失っているだけのようにしか聞こえない。

物事の本質は利益と不利益の別の方にある。

発言のみで何もしない理想なんて存在しない。

そんな暇があればやる事やっていたい。

それが誰にあたるのか私は知らない。

幻聴も仕事場もである。

だけど似た者同士で同じあやまちをおかしている。

私もここまできたら極力私の姿勢を正すしか方法が無い。

それが今のところの生きる道である。

<<追記2016/03/11end

<<追記2016/03/12

桜の時期も近づいて

こちらは読書中心に順調に推移している。

人生楽しんでいる気はするが

幻聴以外はである。

怒りがこみ上げると女がいなければと思ったりはする。

男と女の戦いはどうなるのやら

本当に困りものである。

私にはこれ以上なす術が無い。

どうしろと言うのか聞きたいぐらいである。

それを何様と言うのか私には理解できない。

もう無理だねえでいいのと違う。

そして私には全く問題ありません。

そしてオジャンです。

そんな暇あったら勉強しましょう。

私はそれでいい気がする。

<<追記2016/03/12end

<<追記2016/03/13

アメリカがイギリスから自由を求めるように

私も世間からも幻聴からも自由を求めている。

私の実感からしてそれは結構正しい選択のように思う。

そんな手前

アメリカももっと自由を求めていい気もする。

それはトランプ氏とは異なる自由なんじゃあないかと思う。

それは閉塞的な自由というより開放的な自由のように思う。

グローバル社会とは開放的な自由な権利なのではないかと思う。

それが本当のアメリカであり

私の自由に合っている気がする。

そんな手前

自分のための勉強より開放的な自由を求める勉強の方が健全である。

自分が開放される自由のための勉強をすべきだと思う。

得てして自分のための勉強になっている。

それがその人がコワイ原因のように思う。

もっと自由のための勉強をすべきなのである。

それは私が生きていて正解だったように思う。

全てを開放する自由のための活動が人々の共感を得る源泉になっている。

それが神の選択のように

私は思える。

<<追記2016/03/13end

<<追記2016/03/14

私は高校受験で結構暗記して頭がパンパンだった。

そして大学入試は幻聴で全然暗記少なかった。

それもあって何かうしろめたい感じもある。

まあ退却兵のしんがりみたいではある。

でも歌とか語呂で暗記の本見ていると

結構な暗記量である。

そういう所で京大と東大は別格のように思える。

暗記だけじゃあないにしてもそれなりに暗記も必要になってくる。

参戦する自信はなくはないけど

就職できるわけでもなく

医者になるぐらいしか価値が無いけど医者になりたいとも思わない。

それに専門もぶら下げてる手前

今後どのように対処すべきか悩んでいる。

何か自由になりたい。そう思っているが何が自由なのか難しい。

高校受験のような頭を大学受験にも求めて一浪して失敗した。

それだけに頭を使うとは健康体である感覚はある。

私が感じているぐらいだから

国民の半数はそれが可能だと思っている。

そう言って私は自由になりたい方である。

それがまともって言ってくれる世の中をのぞみたい。

これもボトムアップである。ボチボチやりたい。

<<追記2016/03/14end

<<追記2016/03/15

何が何でも楽しんで生きた方がいい。

plan do seeというよりenjoy do seeでいい。

勉強も一工夫すれば楽しくやれる。

そんな作戦をもエンジョイすればいい。

そしてエンジョイを増やせばいい。

仕事も勉強も生活も同じである。

工夫ある所にエンジョイがある。

つまらなくなったらパーである。

とどのつまり面白くないのは本人次第である。

なのでつまらない原因は私には無い。

なのに現状はそれを女は他人のせいにしている。

何か問題のすり替えもいい所である。

そんな事をいちいち気にしてたら

我が身がもたない。

ただ私は今日もエンジョイした。その方が大事である。

なのに女は男のせいにしている。

ほとんど女の責任である。

私には無関係である。

私はそれをどうしようも無い。

ここまでやって本人次第にならないのは

いかがなものでしょう。

自分の道は自分で切り開くでいいと思う。

それでなんで私なんかが関係あんのか理解不能である。

面白いねえとか面白く無いねえとか言ってればいいだけである。

それは男も女も同じである。

<<追記2016/03/15end

<<追記2016/03/16

今日の朝の電車で簿記三級の読書を完了させた。

経営学とか会計学とか税務とか総務とか色々本が残っている。

有機化学も読んだりデッサンとか作詞とかも読んでいる。

そんな手前外国語は最近は英語とドイツ語ぐらいになっている。

結構知らない事を知るのは楽しいように思う。

電子書籍で若干敷居が低くなっているように思う。

そういうポテンシャルを持った人が電子書籍を作っているケースがある。

普通の本より値段が手頃で結構満足している。

テスト勉強もテストに特化するだけで本当に勉強したというのか半信半疑である。

どんな事もテストになるというわけでないからである。

そんな思いからテストに依存しない暗記方法も必要な気がして

語呂や歌で暗記するのもいいかなあと思ったわけである。

特に入試試験はどんなテストが出るか大体大まかにわかっているテストである。

大まかにそれた試験は出てこない。

でも世の中そんな現実は無い。もっと自由に勉強した方が賢い。

特化した試験にこだわるべきで無い。

それが私の自然な発想であり四十代の見解である。

それで私は極力特化しない戦略もありかなと思っている。

作文や英作文もそうだし音読や読書なども該当する。

そんなんで試験勉強するよりそういう活動した方が賢い可能性だってある。

だからあんまり試験に特化したからといって

試験ができるってだけなのである。

悪い事ではないにしても

往々にしてそういう所から抜け出た勉強も必要な気がしていて

それが自然な発想な気がしている。

それでテストから離れた暗記方法もありかなと思ったのである。

<<追記2016/03/16end

<<追記2016/03/17

まあ私も色々時間の経過で変わってきている。

中学生や高校生や大学生や社会人に至って変遷している。

どうしても若い時は自分がしっかりする事を重きに置いて

あんまり自分が偉いとも思っていない。

なのであんまり自分の思ってる事の半分ぐらいにしか文章になっていない。

同級生にも自分の話をするのは限られている。

ここ二年間で大量に文章を作成したのは

ひとえに自由のためである。

学生の悲観的な話を聞いていたので私は誰でもテストはできると言ったが

ほとんどの人が悲観的なことを言ってたからである。

そんなのありえないと私は思ったのである。

正規分布は高校で習ったが

高校生や大学院生の時に二つ山があるグラフを見た。

高校の時はそれがアメリカの学生の学力分布だと説明を受けた。

大学院の時は超新星爆発の何かのグラフだったが

明らかに高校の時を思い出させた。

今までの学生の経験と地域の学力の差を考えると

平均の学力が上がったり下がったりするのはまさに正規分布そのものに思える。

それで大体半分ぐらいが境界とみて妥当のように私は思う。

だけど

そんな学力よりも私は工夫の方が大事だと思う。

こんな知識の量の中でいかに自分らしい工夫をするかの方が学力より大事な気がする。

それを可能にするのは今までの知恵を知るしかない。

みんなそこから出発する。

人を勇者にさせるのが大事であって人を弱者にさせるのは間違っている。

それなのにみんな悲観的になったりみんな楽観的になったりするのは

正規分布のなせる技である。

勇者とはリスクも知っているし知識もあるし工夫もある人が勇者だと思う。

あんまり全員が成功する世の中ではない中で

どうやってリスクを回避し知識を得て工夫できるか冷静になった方がいい。

日頃からそういう経験を胸に対処していくしかないのである。

あんまり一日全部が積極的とか逆に一日全部が非積極的とかあんまりにも危険である。

そういう世間に私自身はうんざりしている。

大体押すところもあれば引くところもあるというのが健全な人間なのである。

なのに女は毎日叫び続けている。

そんな女ありえないというのが私の見解である。

そういうのを異常な女である。

男もそんな女を対処しようとするのは間違っている。

そんな暇あったら自分の男前をみがいた方がいい。

そして男諸君にも押したり引いたりした方がいい事を申し上げておく。

それが私の健全な世間である。

<<追記2016/03/17end

<<追記2016/03/18

私も掲示板の書き込みがいつまで続くのかわからない。

何か書いているうちにはずみが出る事もある。

自分の中からはずみが出てくる。

そんな事を続けていると

まだ書き足らない事があるような気さえする。

何か色んな機会があればもっと色々出てくる気もする。

何でだろう。私にもあんまり確信が無い。

私を引っ張り出したら滝のように出てくる気もする。

それだけの事を経験しているのかもしれない。

私の方はそれが不思議な感じなのである。

今年で42歳になる。

そんな手前若者には中年や年配者にうまく知恵を引き出す能力を

持ってもいいかもしれない。

私もボチボチやりたい。

<<追記2016/03/18end

<<追記2016/03/19

知識からの実践こそものの上手なれである。

得てして知識のテストで止まっているから

面白くも無い話に聞こえる。

私の場合はそれがパソコンで実践可能になっている。

仮想なものまでプログラムで表現できる。

でもなかなか夢まで実現するのは難しい。

それでもパソコンに実行させる事で私はある程度消化できた。

なので面白くないなら

他人に迷惑をかけず実践する事である。

知識からすべてを実践する事である。

そうしたら色んな事に気づく

そして新たな知識を求める。

そして考える。そして試してみたくなる。

それが面白いという事である。

そういう面白い経験が無いというのは

実践不足なのである。

それは社会や他人が悪いじゃあなく自分が悪い。

それが私に局所的に可能になっている。

その部分がこのホームページにあらわれている。

学校の勉強なんて大体パソコンで実現可能なのである。

魂とか妖怪とか科学で扱えないものは

私にとっても実践不可能である。

だから

他人に振り回されず他人に迷惑をかけず

学校の知識を実践する事が面白い原点である。

<<追記2016/03/19end

<<追記2016/03/20

センター試験(2016.03.20)

もうセンター試験の時代が将来終わるみたいだけど

一言述べるとするなら国語200点英語200点で400満点である。

あとの科目はそれぞれ100点満点である。

そしてトータル800満点である。

国語と英語だけで半分の点数である。

振り返ると国語と英語の負担が私には大きかった。

現役時代もも浪人時代も国語も英語も100点未満であり

それでトータル500点プラス数十点のちょっとである。

どちらか言うと国語の分だけ文系の方が有利である。

何かこれだけでももうちょっと国語と英語やってた方が良かった気がした。

そんな余裕も無く退却兵のようだった。

そして勉強方法だけは英語以外すでに当時は正確に認識していた。

何かみんな良くこのために勉強しているなあと感じた。

えげつない勉強に思えた。

それぐらい世の中は反対にいびつなのかもしれない。

そして今も男と女がもめるのは

この時代のせいにしか思えない。

そしてあの時代から今までずうっと私の件は棚上げになっている。

恐ろしい話である。

<<追記2016/03/20end

<<追記2016/03/21

何か生きていく自信があんまり無い。

多分生きていける人は

それなりに自分のやった事に評価されているからだと思う。

私自身お金を使う度に

何やっても無駄なあと感じる。

そんな社会でこの国は成り立っている。

他人のやった事なんてお構いなしで進んでいる。

これが私にとって社会の一員では無い事は明白である。

それで民主主義と言えるだろうか?基本的人権が守られていない。

そんな日本で私が不安に思うのは当然である。

私自身それなりの補償を受けたい気持ちでいっぱいである。

せめて私一人で生きていけるようにしてもらいたい。

何かそれすら自信が無い。

こんな状態を許して神様どう思っているのか私はなんか

薄気味悪さを感じている。

とりあえず神様の件は私には無関係として

この日本に文句タラタラなのである。

<<追記2016/03/21end

<<追記2016/03/22

仕入れと引き取りのバーコードを打って

仕入れ商品にはバーコードを張る。

パソコンに記入するバーコードも打つ。

掃除をして椅子を拭く。

テーブルも拭く。

商品の賞味期限を記入する。

レジを扱う。

注文の品を持って行ったり戻したりしてテーブルを拭く。

パソコンに今日の仕入れと引き取りをバーコードで入力する。

ハシの袋を折る。

陳列棚のホコリを取る。

そんなこんなで10時から15時が過ぎて行った。

途中一時間昼飯タイムだった。

あと二、三日やらんと慣れない気がした。

明日から通常業務に戻る。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/03/22end

<<追記2016/03/23

最近何か多面的に文章がかけている気がしている。

それはなぜか今日考えてた。

英作文にあるような気がする。

でも最近の英文法の本を読んでいると

修飾語の修飾語は出来ていない気もしているが

出来ないわけでもない気もする。

あとは短歌や俳句ぐらいである。

何か本歌取りで無いにしても和歌取りで

インスピレーションがはたらきバリエーションが増えた。

和歌取りでも全く違うものが作れるのが

私には強烈だった。

そんなこんなで色んな言葉を色んな風に派生させる事で

多面的になっているような気がする。

そうなってくると多面的な事象を多面的に表現できる気もする。

多面的な事象に興味がある今日この頃でした。

<<追記2016/03/23end

<<追記2016/03/24

何でも出来る人と何でも出来無い人なんていない。

大体何パーセントかは出来るのが普通である。

そのあとは他人に聞くか先生に聞くか説明書や本を読むか自分で勉強するかしかない。

それで

何でも出来る人はその後の残りの何パーセントをどうにかする人であり

何にも出来無い人はその後のやる気が全く起こら無いしかない。

全くもって勇気もしくは平然があるか無いかぐらいしか無い。

私が勇気が無いのか平然が無いのかわからないけど

どうにかしてゴールを目指しているのは確かである。

それを評価せずに万民が納得しないだろう。

いつまでそんなくだらない勇気や平然を持ってゴールにいたらないのが

私に関係があるのか理解出来ない。

全く日本語にもなっていない。

叫んでいるだけである。

そんなの勇気や平然とは別次元である。

一体それをどうやって評価するのか理解出来ない。

そんな議論する暇あったら自分は仕事していたい。

それが私の本音である。

他人が仕事出来無い事を考えるより私が仕事する事を考えて当然である。

<<追記2016/03/24end

<<追記2016/03/25

今年の春は私としては本当の春って気がする。

前進する事しか考えていないが

今まで何か弱点克服に身を捧げてきた気がする。

それが今ではゴーになっている。

そんなこんなで本当の春がきたような感じが何かする。

桜を見たいそんな感じもある。

何かここからがはじまりのような気もする。

機は熟している。

一歩一歩着実に一日を送りたい。

春が待っているそんな淡い期待が

私の背中を押している。

<<追記2016/03/25end

<<追記2016/03/26

みんな何も出来無いからこそ

日頃から努力する必要がある。

大体毎日日課をこなすと違って当たり前である。

習慣づいた一日を送る人と違って当たり前である。

当たり前の日こそ違いが出てくる。

それを努力と言わずして何を努力と言うのか理解出来無い。

そう言った手前毎日何気に送っているだけでも違いが出てくる。

それでみんな何も出来無いのは当たり前である。

それでも人間出来る事がある。

それはただ一つを証明している。

ただ単に本人にやる気が無いだけである。

そして当たり前にやっている日課が欠如している。

それをいい事に自分から逃げている。

私はそれをどうしようも無い。

本人の人生である。

こんなカッコ悪いのを私はどうしろと言うのか理解出来無い。

だから人それぞれ当たり前な事は全く違うという事である。

それを同じにしたら万人は納得でき無い。

結局ゴーイングマイウエイというのが中学時代なのである。

意見の一致なんてし無いそれが俗世である。

よっぽど科学の意見の一致の方が美しい。

いくらこうしたらうまくいくと言っても理解され無いのが俗世である。

私はそれを嫌なほど経験している。

<<追記2016/03/26end

<<追記2016/03/27

最近は読むべき本がたまっている。

それはそれで今年もやる事ある気がしている。

WBSとか仕様書とか設計レビューとかプロジェクトマネージメントとか

簿記とか食材の切り方とかレシピとかタレとソースのレシピとか

経営学とか花とか樹木とか能とか歌舞伎とか文楽とか

MBAとかワードとかエクセルとかパワーポイントとか

英語とか古文とか英熟語とか英文法とか化学とかぐらいが

最近ちょっとやっている事である。

他にもやりたい事あるけど棚上げになっている。

本人はやりたい事があるうちが花だと思っている。

結構知らない事がたくさんあるものだというのが自分の認識である。

それだけでも何でも出来るとは難しい。

得てして何でも出来るように見えるというのが実態のように思う。

私は何でも出来ますなんて言っている人見た事無い。

それだけに何でも出来るってどういう気で言っているのか皆目見当もつかない。

何にも出来無い気でいる人が言っているだけのように思う。

そう言って安住してヤル気を失っているだけのように思う。

そんな事はなかなか不可能である。

自分の日課はそれぞれ様々で

自分の当たり前が他人に通じないのが普通なのである。

それが見事に理解されていない。

それを認識せずに万人は納得しない。

<<追記2016/03/27end

<<追記2016/03/28

入試試験を肯定したり否定したり

色々やってみたものの

一応実践すれば

結果は誰がやっても一緒のように思う。

私としては人材活用した方がいい気はする。

適材適所というのが私の理想論である。

そんなに試験が出来たから頭がいいわけではないというのが私の理論であり。

せいぜい試験のせいで頭を使って健康体を認識するぐらいである。

その頭を使う健康体ってなんぞやというのは

山口大生でも認識するぐらいだからほとんど国民の半数は認識するものである。

そんな認識ぐらいしか共通項無い。

頭使っている感覚しかない。

そんなの京大生や東大生より私は頭使っている。

それが現在の状況である。

そんなに他人に差をつけるぐらいなら

何かの役に立った方がマシである。

いったい今まで何の役に京大生や東大生がなっているのか私には理解できない。

ただ差別化しているだけである。

それこそ基本的人権を無視している。

特権の何物でもない。

どこらへんが他人と違うのかわからない。

そんなん他人と違うのは私だけではないのかとさえ思う。

それが本当の真実になっている。

あとは私は関係無いねえでいい。

好きなように基本的人権無視して差別化してればいい。

みんな自分がカワイイのねで

そんなん特技でもなんでも無い。

ただの試験バカである。

<<追記2016/03/28end

<<追記2016/03/29

そこいらの姉ちゃんを説得出来ないで

何を勉強したというのか理解出来ない。

せいぜい仲間うちで認識を共有するのが精一杯である。

どいつもこいつも似た者同士だから

モメルのであって

互いに違ってたらモメ無い。

誰も勉強している何て言え無い状況である。

そんな事を許していいのか理解に苦しむ。

試験バカには困りものである。

せめて勉強していると言えるだけ頑張ってもらいたい。

今の現状はそれに値し無い。

無知の知のそこいらの姉ちゃんの方が頑張っている。

そしてその姉ちゃんの方が偉くなっている。

男からしてそんな時代に思え無い。

それをもののみごとに実現している。

姉ちゃん一人説得でき無いなら

東大も京大も廃校にした方がいいんじゃあないかと思う。

仲間うちでナアナアにやっているだけである。

そんなんを知力というだろうかと思う。

私としては世に知らしめる知力が大事だと思う。

それが試験バカには極端に低下している。

そのため

世間は似たり寄ったりでモメテいる。

全て試験バカのせいである。

税金消化している分責任とってもらいたい。

そういう自覚と使命が足らない。

教育には税金が支払われている。

私もそういう意味では同じである。だからある程度は奉仕しようと今までやってきた。

そういうバランス感覚無くて

日本国民やってられるかと思う。

そういう感覚が欠如しているのが問題なのである。

<<追記2016/03/29end

<<追記2016/03/31

本読んでて私も何かビジネスモデル作れないかと思った。

私の望みを実現して使ってみる。

もっと面白いものを見つける。

面白いものを使ってみる。

その繰り返しである。

そんなこんなでこんなホームページになってしまった。

ユーザーをしぼるとかターゲットをしぼるとは無縁である。

私のやりたいようにやってきた。

それも私が楽しめる選択である。

何が成功なのかは難しい。

私のやってきたこともある程度のターゲットになっているのかも知れない。

今の所私が楽しんでストレスを発散させている。

それが私を支えている。

テーマは私である。

<<追記2016/03/31end

<<追記2016/04/01

ここんとこ体調変化を感じる。

大便もマチマチだがあんまり最近にない形が出る。

ここまでくれば

私の体のどこが正常なのかわからない。

わからないのがコワイ。

何でもありの状態である。

こんなに私を不安定にさせる要因がわからない。

ただ小学生の時に戻りつつあるような気はしている。

あの時の感覚がぴったりなのである。

あの頃まま何も成長していないような気もしている。

すっかり二十代三十代が抜けている。

幻聴も

誰も結婚出来無い女が叫んでいるだけにしか聞こえ無い。

そうやって男も女も結婚出来無い。

そんな人の話を聞いてもつまらない。

普通は結婚出来る話をするものである。

それを結婚出来無い話をするなんてナンセンスである。

果たしてそんな叫んでいる女が私と何の関係も無い。

ただ結婚出来無いだけである。

だって結婚出来無い事を叫んでいるからである。

<<追記2016/04/01end

<<追記2016/04/02

今日の朝はなんか不安だった。

ここまで色んな事を書いてきたが無視されていてこんな状態がいつまで続くのかと思うと

なんか不安だった。

こんなに書いてきて未だに評価されないのは

何の理由なのか皆目見当がつかない。

私にも誰にも言えない事をしているとしか思えない。

現に私の周りの電磁波とってもあやしい。

私の体も色んなところに刺激を与えている。

こんな事が許されていいのか私には理解できない。

いつになったらこんな状態が明らかになるのか暗くなる思いである。

色んな事を思い出すと不安になる。

今日の朝がそんな感じである。

<<追記2016/04/02end

<<追記2016/04/03

世間なんてそんなものだというのが

労働者なんてそんなものだというのと同じに聞こえる。

結局自分たちの価値を下げている。

付加価値をつけれない世間と労働者という縮図に聞こえる。

そうやって偏見を生み出している。

そんなんだから評価なんてされない。

私は価値を見出す生活ってあると思う。

それがすっぽり失って消耗戦になっている。

気力や体力などを失っていく。

そんなのに私は耐えられない。

もういい加減目を覚まして

賢い世間と賢い労働者を目指すべきではないかと思う。

今のままこんな世間やこんな労働者でいる限り

一億総活躍社会なんかやってこないと思う。

そのために一日の生活を見直してあらためるべきだと思う。

<<追記2016/04/03end

<<追記2016/04/04

他人のマイペースぶりには参る。

多分何言っても通じないなと思う。

そういう人間関係しかない。

死ぬまで働くのは私が労働者として何が関係あるのか理解出来無いし

私が五千円札持っているのがどうチャイムと関係あんのか理解出来無い。

そしてビルマの竪琴が

日本兵の残党の話として私に話をさせないのは何なのか理解出来ない。

結局そういう人間関係しかないという事実しかない。

これがまともな会話とも思えない。

好きにやってぐらいしかない。

私は私で好きにやらしてもらいますの関係しかない。

そうやって私は冷めている。

私は私の頭として使わせて欲しい。

それさえも拒否されている。

これを人権無視と言って何なのか理解出来ない。

私の心境は勝手にしてくださいとしか思えない。

結局そういう人間関係である。

<<追記2016/04/04end

<<追記2016/04/05

利益を上げるのは難しいのかもしれない。

そんな中どんな生活をすべきか私も色々考えさせられる。

私はそんな社会がおかしいんじゃあないかと思ってしまう。

実体そのものが幻想に思える。

もっと物事の本質にせまらなければ問題が解決しない気がする。

だけど幻想が勝っている。

私もその幻想に振り回されている。

それが今の経済な気がする。

幻想のまま私は何をすればいいのか悩ましい問題である。

結局幻想と格闘している。

あんまり意味無いのだけれどそれが実体になっている。

それでいいのか私にはわからない。

そうやって経済はまわっている。

<<追記2016/04/05end

<<追記2016/04/06

この不景気に学校の先生は何をしているのか聞きたい。

ただの既得権益ではないかと思う。

もうちょっと世の中に貢献した方がいいのではないかと思う。

なんか既得権益で閉じているように思える。

一体それのどこがオープンなのか理解出来ない。

社会を変えるぐらいの取り組みをしているのだろうか?

ただ安住しているだけなのではないか?

のんきに毎日送っているだけではないのか?

そうやって自己努力をおこたるから既得権益で閉じるのである。

社会に打って出るような勇気が無くて

何で私のような障害者が社会でのたうちまわらなああかんのか理解出来ない。

そうやってどこもどいつも

軟弱な生活しているからこんな日本になってしまったのである。

私のような障害者を借り出して責任を取れと言いたい。

もっと社会に貢献出来るような先生になれと言いたい。

それが学校の先生の生活が軟弱だからこんな世の中なのである。

それは学校の先生の責任である。

そういう所で私は家庭教師でもやりたい気でいたが

どうもそういう風に運んでいない。

みちしる沼津では否定された。同様に情報処理の仕事も否定された。

そんな中私も自分の身の振り方考えている。

急に動く事も無いが頭の中でぐるぐるまわっている。

先生なんていらないそれが私の望む世の中かもしれない。

せめて家庭教師がいればいいのである。

情報処理の仕事もあんまり繊細過ぎてコワイ。

あんまり進んでやるものに感じない。

ブロック積んで倒れたらどうするか人間はもろい。

そんな感じがする。そんな社会に先生は学校で安住しているようにうつる。

そんな身分だからなおのこと社会に影響を与えるぐらいじゃあないと先生と呼べない。

それが私の先生像である。

<<追記2016/04/06end

<<追記2016/04/07

なんか人間関係に少し疲れている。

会話になっていない人がいる。

いつまでこんな状態なのかわからない。

手先がどうのより仕事だと思う。

仕事にならないのなら他の仕事しかない。

女が勉強出来無いのとか仕事が出来ないのとか愛がないのとか

私には何の関係も無い。

男が勉強出来ないのとか仕事が出来ないのとか愛がないのとかも

私には何の関係も無い。

ないなら他をあたってくださいぐらいしか無い。

いつまでこんな不毛な議論を続けるのか理解出来ない。

そして最後に物の見事に会話が成立していない。

こんな無駄な時間無いよなと思う。

何でそんな事に私が悩む必要があるのか理解出来ない。

いくらインプットしても無駄の無駄である。

本人がやる気無いもの私が何の関係があるのか皆目見当つかない。

最後にしょうもないねえぐらいしか残らない。

そうやって本人は何も感じていないみたいである。

それを私はどうやって生きろというのか理解出来ない。

私は私で仕事するしかない。

仕事が出来ないなら他をあたるしか無い。

それはみんな平等である。

どうして他人が出来ない主張するのか理解出来ない。

どうしようも無い人がどうしようも無い話して何が楽しいのか理解出来無い。

どうしようも無いねえぐらいしか無い。

それでどうやってもり上がれというのか理解出来無い。

何にもつまん無いからつまん無いでいいのでは無いかと思う。

それなのに出来無い人が出来無い話をしようとする。

私にはさっぱり理解出来無い。

そのどこが面白いのか理解出来無い。

一体こんな状態をいつまでやる気なのか理解出来無い。

ただひたすらに無駄な気がしている。

そういう意味ではあきらめてる。

会話も成り立た無いんだから当たり前である。

そういう人間なんだねえぐらいしか無い。

それを毎日繰り返している。

もう飽き飽きである。

<<追記2016/04/07end

<<追記2016/04/08

陰険な意地悪女の世間話は嫌いである。

小五の頃低学年が可哀想だの他人の男は最低だの

渡る世間は鬼ばかりみたいな陰険で意地悪い女の世間話で

私は小六の頃家で寝ていて

テンカンになった。

なんかここまでくると女が鬼門である。

私が結婚出来ないのも

妹が結婚出来ないのも

陰険な意地悪女のせいではないかと思う。

都会のなせる技である。

そんな女は都会にしかいない。

女と関わるとこんな陰険で意地悪な話までくっついてくる。

もう都会の人とは関わりたくない。

それが私の本音である。

自然にあふれた明るさが私には欲しい。

ドロドロした陰湿な神経なんて聞いていない。

本当に都会は色々な意味で恐ろしい。

なので女がいっぱい私に言い寄られても私は受け付ける余裕無い。

それがそれぞれ世間話すると思うとぞっとする。

私は一人でお茶でも飲んでたい。

それが私の本音である。

<<追記2016/04/08end

とりとめのない趣味の小話2