とりとめのない趣味の小話12

--->>とりとめのない趣味の小話11

<<追記20171209

今日の午前中に短歌と俳句作ったあと

来年のホームページどうしようか考えてた。

「とりとめのない趣味の小話」をやめて

「Facebook」に変えようかなあと思っている。

「Blogger」と「Facebook」に変更するつもりでいる。

とりあえず今日から「Facebook」にも更新して

来年から「とりとめのない趣味の小話」は終了するつもりでいる。

「三島のSNS」は使い続けるつもりである。

だからと言って状況が変わるわけではないのだが

私なりのデータのリスク分散である。

それでも自分の仕事自体が自分の状況が変わるような仕事ではない。

あるとすれば他人の仕事が変わるだけである。

自分自身ににチャンスがない。

それが現状のように思う。

ありていに言えば期待されていないと言う事だろうと思う。

身体動かして元気か健康になるぐらいしかない。

そんなんでビジネスが拡大しているようにも思えない。

ビジネスの領域にも定義があるようである。

市場が成立する条件があるようである。

私自身そんなんで生きていないと言う事かもしれない。

ビジネス外で生きていると言うことのように思う。

もっと人間らしく生きれればいいのにとは思う。

面白くない人間が多すぎてどこに日本の魅力があるのかわからない。

魅力が無さすぎである。

それはそれでビジネスにも政治にも社会にも問題があるのではないかと思う。

面白い事が山のようにあるのに肝心の仕事になると

面白く無くなっていく。

私としては仕事がしたいから戦争が嫌だと言うのが筋だと思う。

それがこの日本に欠如しているのは

保守的な仕事ばかりやっているからのように思う。

つまりつまらない権力構造の中で仕事しているだけのように思う。

それでつまらない時間使ってつまらない仕事しているつもりになっている。

そんなんで人間は幸せだろうかと思う。

つまらない事が当たり前になっているのが日本の仕事なのである。

それでは私には希望がない。

それが私の考える日本の仕事である。

それなのにそれ以上に面白く生きている気は私自身はする。

それが私には関係ないモメ事の原因だと思う。

私がつまらなくならないのは色々考えるからぐらいしかない。

私に遊び心があるのか知識があるのか経験があるのかぐらいしかない。

それで私を非難されてもほめられても私の問題ではない。

私は私で別次元である。

従ってこの問題は私の問題ではなくて日本の問題である。

もういい加減にしてほしい。

それが私の本音である。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171209end

<<追記20171211

今日も仕事した。

夕食の買い物して帰った。

雑務をこなして段々と年末モードである。

昨日は

アニメの話もした。

妄想であって現実じゃあないそれがアニメである。

だから引き込まれると危ない。

私自身現実逃避になった時もあった。

だけどそれで終わったら悲しい。

現実の世界でいきる。それが神様に近い生き方のように思う。

現実の世界が面白い。それが健全だと思う。

そこにたどり着くアニメにするべきである。

夢のような話が実現する事もある。

それもまたアニメの力かもしれない。

だから何が妄想で何が現実なのかはっきり考えた方がいいと思う。

その境が無くなるとコワイ。

それでも現実はもっと神秘的である。

そこに気づくまで時間がかかったけど

それぐらい消化するものが多すぎる気もする。

私は人付き合いが下手である。

それでも現実の方がもっと面白い。

それが私が一人でもやってられる原因である。

それでも極力会話は大事だと思っている。

それで明確になる事があるからである。

会話が出来なければそれはそれで幻滅である。

今日も仕事で時間を短縮する必要に迫られている。

あんまり方法が思いつかない。

とりあえず時間を半分にしたいと思っている。

それはそれで悩みどころである。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171211end

<<追記20171212

今日も仕事した。

家に帰って

短歌を二首作った。

あんまりやりたい事もない。

冬休みはUMLの本とディープラーニングの本やろうかなあと思っている。

あとは気になる事をちょこちょこやるつもりである。

毎年やり過ぎ感はいなめない。

いつになったら落ち着くのかわからない。

多分落ち着く事もない気もする。

せわしない生活のような気がする。

それでも一瞬一瞬が命のように思う。

そこにどれだけ心を投影できるかのように思う。

こんなに文章があふれているのに

短歌や俳句ももっと良いものが出来るはずである。

それはそれで私は確信している。

古典に学ぶものもあるが

今だからこそ出来るものがあるはずである。

それが私なりのヒントになっている。

それが実現するかわからないけど

少しだけ実現している気になっている。

だけど私の心はもっともっとである。

自分の心にどれだけよりそって生きれるかみたいな気もする。

とりあえず素朴になればなるほど

自分の心に向き合える気がする。

私自身他人には理解されない人間である。

精神障害者とはそういうものである。

そんな手前誰がエライのかわからない。

私に出来るのは自分の心に向き合う事である。

なんで他人が私にエラそうなのかわからない。

それが私の不思議な感覚である。

物理がエライというより

神がエライのであって

人間がエライわけではない。

何様で他人がエライのか私には理解しがたい。

それが私の実感である。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171212end

<<追記20171213

今日も仕事した。

いつもより早く帰宅した。

なので比較的ゆっくり出来そうである。

昨日読書していると

国家権力の話が出てきて

支配と服従の関係にあるそうである。

その辺を克服するのに

明るい愛があれば行動出来る事を

国造りというのはあながち間違っていない気がした。

もちろん本にはそんな事いっさい書いていない。

私的には一個の人間の人生がまともに運転出来るつまり行動出来る事が

支配と服従の条件じゃあないかと思う。

そのために自由主義が必要であり

他人に迷惑与えてもいないのに

それを束縛するのは正義じゃあない。

人間の運転と行動は愛であり

まさに国造りである。

自然法というより人間が人生を運転し行動出来る事が大事である。

そのための自由主義である。

その愛を誰も止める事は出来ない。

人生の運転や行動の無い愛は存在しない。

本来リベラルとはこういうものを言うのであって

日本の左派はリベラルじゃあ無い。

やっている事は束縛と抵抗である。

今もって私に迷惑を与えているのは

そう言う束縛と抵抗である。

私にとって悪魔としか思えない。

どこにリベラルと左派なのかわからない。

どこにも純粋性が失われている。

それでも明日はやってくる。

仕事は仕事

ボチボチやりたい。

<<追記20171213end

<<追記20171214

今日も仕事した。

昨日は自然法とか社会契約説とかに少しだけ抵抗したかなと思う。

私なりに自由になるために活動するのは

正しいかなと思う。

それで活動とは何かと言われると

日々の生活の賜物である。

そこに愛があればあるほど

天国に向かっている気がする。

なのでそれを束縛したり抵抗したりするのは

暗黒の国造りである。

そんな事を許していいのか私には理解不能である。

自分が自由になるのに

自分がやる事やらないとありえない。

自分がやる事やるのにどうして他人が出てくるのかわからない。

そうやって束縛したり抵抗してるのは

自然法とか社会契約説の方である。

ここまで来て

頭にあるのは自由になる事である。

そこまで私はやる事やったんじゃあないかと思う。

いろんな事をやった。

そこで自由が出て来ている。

それが私の結論である。

やり尽くすまでやった後に自由が出てくる。

それが無いのは

やる事やっていないからじゃあないかと思う。

自分自身しがらみに嫌になっている。

自分がやればやるほどなんで他人が出てくるのかわからない。

それが自由を目指す原因になっている。

それでも明日はやってくる。

仕事は仕事

ボチボチやりたい。

<<追記20171214end

<<追記20171215

今日も仕事した。

夕食の買い物して帰った。

なんか西暦2017年でキリスト誕生2017年目である。

そんな事を考えたら

東歴43年でもいいような気がしてくる。

それでも私は人間である。

救世主でもない。

私の人生振り返って奴隷のような人生である。

キリストが十字架にかかったように

私の人生も自分の身を犠牲にして人生を送っている。

それでもここまで来れたのは

奇跡である。

並大抵の人生じゃあない。

困難の連続である。

それでも私の言う事がここまで来れたのは

誰にでも出来ることじゃあない。

昨日のテレビの東大生の話も一つであるが

私の人生はもっと違う形で実現している。

自分の精神の苦痛そのものを引きずって実現している。

そんなラクな人生じゃあない。

そこまでの勇気と根性は

苦痛を超えている。

それが私の東歴43年の根拠である。

それも遊びである。本当は仏陀なんだろうと思うが

あんまりにも仏陀は遠い。

私に仏陀に対して出来ることは信じる事ぐらいである。

それでも私には不可能と絶望を感じる。

それよりかは希望が見える方がいい。

それが私の東歴43年の遊び心である。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171215end

<<追記20171218

今日も仕事した。

夕食の買い物して帰った。

今年の仕事もあと二週間である。

昨日はNHKスペシャルの東大論文の録画を見た。

なんか前進ばかり考えている気がした。

立ち止まって後退もあるのが当たり前である。

そんな時は理論で耐えるしかない。

実験もあり理論もある。

やる事はいっぱいある。

私はお金が無くてここまできた。

それが理論では可能である。

なんか予算獲得に邁進する姿を見て

複雑だった。

なんとなく可能性とは

理論で乗り越えそうなところまで持っていく必要がある気がした。

それが実験が主体になっている。

それがなんとなく重荷になっている気がした。

多分理論が先行すると実験が大事であり

実験が先行すると理論が大事のように思う。

その分岐点を注意したほうがいい気がした。

なんかいつものパターンでやっているとうまくいかない気がした。

いろんな人が研究室にいるはずなのに

そんな人材交流がなんか頼もしく見えなかった。

私にはそれが東大の魅力だと思うけど

もっと個性のひかる研究室というのが私の妄想である。

それでも私には全く関係のない話ではある。

それでも大変な世の中だなあとは思う。

何が健全なのか考えさせられる。

何事も一歩一歩かなあと思う。

なんか私的にはお金が無くても可能な線を探りたくなるような話だった。

それは庶民の話としても同じように思った。

今ある予算でやる事をやるということのように思う。

それは東大でも無くてもあり得る話である。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171218end

<<追記20171219

今日も仕事した。

雑務もこなし

なんとなく大掃除ぐらいが頭にある。

他はあんまり考えていない。

しばらくゆっくりして考えたい。

今日も短歌と俳句作った。

風呂入って

夕食をして

読書して

寝るぐらいである。

比較的ゆっくりしたい気分である。

そしたらなんか思いつくかなあと思ったりしている。

思いつかなければそれも人生かなあと思う。

今年の展開も大体読めたけど

来年もこんな感じかなあと思う。

私自身あんまり期待していない。

あきれている。

そんな暇があったら備えあれである。

昨日はNHKスペシャルの脱炭素のビデオを見た。

マネーの流れが変わってきているという話だった。

そんなんより素粒子や原子核はどうなっているのかの方が気になる。

石炭や石油が

太陽光や風力に変わるより

素粒子や原子核の方が核心のような気がする。

超相対論とか超弦論とか量子論とか統一場理論とかの方が気になる。

どんな実験やってどんな理論があるのか気になる。

なんかそれを避けて太陽光や風力になんて魅力に欠ける。

それがマネーの流れなんて信じられない。

それが私の実感だった。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171219end

<<追記20171220

今日も仕事した。

昨日はあんまりゆっくり出来なかった。

そのため何も思いつかなかった。

私も今年は自分の考えてた事書いて書きまくった。

それで何も思いつかないのかわからんけど

日々いろんな事を考えるという事は大事のように思う。

それでも今日は仕事してて

原子のモル数とか電子配列とか頭によぎった。

原子核の構成要素とか電子配列とか原子の重さとかは

私にもわかる。

それでも原子には相互作用がある。

そして球対称である。

宇宙理論も球対称である。

宇宙理論にも相互作用がある。

宇宙理論と原子の中間に生物がいる。

宇宙理論と生物と原子には

何らかの相関関係があるように思う。

ミクロとマクロそしてその中間に

同じ世界があるのではないかと思ったりする。

そう思うとミクロだから確率論になるだろうかと思う。

人間の勝手で決めつけていると思う。

それは宇宙理論や生物にも言える。

人間のものさしで考えているだけで

神の作った世界はもっと美しい気がする。

他人の都合で私が悪くなっても

私に関係が無い場合どうしたらいいのだろう。

それが最近の悩みである。

ほとんど他人のせいしかない。

それを私がどう処理したらいいのかわからない。

法律で何とかならんのかと思う。

ここまできたら犯罪である。

私に落度は無い。

それが神と他人と私でわけわからん。

私としてはやってられない。

他人が悪いしかない。

そんな勝手な他人のせいで正義だと言われても私はまた別問題である。

それを法律で判断出来ないのもどうかと思う。

そんなこんなで明日がやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171220end

<<追記20171221

今日も仕事した。

今週もあと1日である。

昨日は読書して

コミュニティーについて少し知った。

コミュニティーの中にいる人たちは自由は邪魔な気がした。

私のような孤独な人生だと

自由は大きな価値がある。

それを認めたくないのはコミュニティーの中にいるからのように思う。

所詮私の人生は温泉育ちのぬくぬく育ちじゃあない。

私一人で切り開いていく気概があるから

自由が大事なのである。

それがわからない人が私を認めたくないのである。

そうしてコミュニティーの中にいる人たちはエラそうである。

私にはなんでそんなにエラそうなのかわからない。

それが私の厄介な問題になっている。

私には全く関係がない話である。

そうやって守られている人たちが私に迷惑を与えている。

やっぱりここでも自由が大事である。

そういう価値がわからない人こそ自由が大事であり

それがわからないコミュニティーの解体こそが自由である。

コミュニティーに自由がわからないなんてふんぞりかえっている。

そうした安穏としたコミュニティーなんていらない。

やっぱり独立独歩が大事である。

それがないコミュニティーは自由を拒否している。

それがコミュニティーがエラそうになる原因である。

そんなにエラそうでもなくてもやっていけるコミュニティーを目指すべきである。

それが本当の自由民主主義である。

それが欠けているから

独立独歩が欠けていて

政治が成熟しない原因である。

未熟な精神でエラそうなのは上から下まで同じである。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171221end

<<追記20171222

今日も仕事した。

昨日はコミュニティーについて書いたあと

ここでも何が右で何が左なのかわからなくなった。

ここ日本ではゴチャゴチャである。

自由を拒否しリベラルなのか

コミュニティーありきで左なのか

何が共和的であり何がリベラルなのか私は混乱した。

私には障害者が高圧的なのも私には理解できない。

なんかメチャクチャである。

それでしっかり本人がやってれば問題もない。

それなのにそれもあやうい。

結局自分の都合の良いように生きているというだけである。

それが世間なのだと思う。

それが私にとって考え方が左なのか右なのか混乱する原因のように思う。

それが他人も気づいていない気がする。

私は私の事をいろんな考え方をしているのを認識しているけど

人間都合いいようにはいかない。

やっぱり哲学とは失敗したり成功したりの連続である。

それでも修正に修正を重ねて

目標に向かうのであり失敗のしない成功なんて存在しない。

それに抵抗しているのがエラそうなのの原因のように思う。

そんなの不可能である。

それなのに都合の良いように生きて正しい人生を送っている気になっている。

それが他人に対して私の悩みのタネになっている。

後退だってある失敗だってある。

それでも目標に向かうそれが人生だと思う。

常に前進なんてありえない。

障害物だってある。

とりあえず土日休日である。

ボチボチやりたい。

<<追記20171222end

<<追記20171223

今日は土曜日で喜多方ラーメンで昼食し

アオキで買い物した。

午前と午後は掃除をした。

短歌と俳句も作った。

テレビで舟木一夫が「逃げ傷が人間を作る」と言っていた。

自分で逃げ傷だと認識している事がマレのように思う。

向こう傷だと勝ったとか負けたとしか残らないそうである。

私はなんとなく逃げている人間が大半な気がする。

なので色んな人間に対して同じように考えていると間違ってしまう気がする。

結局私は私なのであって

他人は他人である。

それを私と他人を比較するから間違ってしまう気がする。

そう言う意味で舟木一夫も他人である。

私は自分のやる事にあんまり逃げない気はする。

とりあえず努力はするという立場である。

それでうまくいかなければ仕方なしである。

やるだけはやるという感じである。

だからあくまでやれと言われれば工夫はし続ける。

そして結果は結果である。

受け入れるしかない。それが間違っててもたった今の最善しかない。

それを文句言ってたら永遠に結果は出ない。

それなのに結果が出ないのは

そういう教育をしてきたという事実しかない。

そう教育が間違っていただけである。

ここまでくると誰が先生なのか文句たらたらである。

結果の無い教育を繰り返してきた結果である。

私の問題では無い。

他人の問題である。

私の問題ですんでたらとっくに結果は出ている。

なので私はほったらかしである。

そういう認識でいる。

それなのに未だに私の事に他人が出てくるのは

世の中が大半自分の問題に逃げている証拠である。

私には全く関係の無い話である。

それに逃げ傷を感じるなんてマレなのは

結果から逃げているからである。

それを私がどうしろというのか私には全く理解が出来ない。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171223end

<<追記20171224

今日はクリスマスイブである。

短歌と俳句作って

蕎麦屋で昼食しイトーヨーカドー三島店で買い物して帰った。

あんまりやる事ない。

今のところあんまり得している状況にない。

それを総取りというのもおかしい気がする。

こんなにやる事やっている割に

割に合わないというのが現状である。

やる事やっていないのに得をしているよりマシなだけである。

そんな事は不可能に近いってだけで

それが私になんの関係があるのか理解不能である。

そう今の状況が犯罪レベルってだけである。

あり得ない状況である。

許されるべき状況にない。

ただそれだけであって

それを総取りというなら

何をやっても許されるレベルである。

そんな次元で今がある。

いつまでこんな犯罪レベルを許すのか私には理解出来ない。

総取りよりそっちの方が問題である。

原因と結果がゴチャゴチャである。

何も出来ないから許されるより

なんかやっているのに保留状態の方が問題である。

それも何十年も続けている。

それも普通の人には出来ない実現ぶりなのにである。

その年月考えたら

その犯罪レベルは重罪である。

それが普通の感覚である。

いかれた人の話なんて会話が通じない。

それでどうしてそれがシステムになるのか理解不能である。

無駄に無駄を重ねているだけである。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171224end

<<追記20171225

今日も仕事した。

夕食の買い物して帰った。

バスを降りる時階段を踏み外して

転倒した。アスファルトに当たってすり傷作った。

なんかそれだけで済んだのが幸いだった。

骨折してもおかしくなかった。

なんで私が他人の都合で左右されなああかんのか文句たらたらである。

もうここまで来たら

私の都合を押し切りたい。

それを総取りというのか私にはわからない。

いい加減他人が迷惑である。

これのどこがシステムになるのかわからない。

全然システムが安定していない。

私を酷使しているだけである。

それで他人がラクし過ぎである。

これのどこが苦労のわかる他人なのか理解不能である。

他人のラクのおかげで私は苦労している。

苦労のわからん奴が多すぎである。

こんな状態で日本語も通じない。

もうここまで来たら末期的である。

私は勝手にやってますぐらいしかない。

今年も色々あって未来はよくわからない。

運動の多い仕事だった気がする。

そんな仕事しかないのかわからんけど

なんかもっといい仕事はないのかと思ったりする。

それで私がどうにか出来る環境に無いのが来年の課題である。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171225end

<<追記20171226

今日も仕事した。

帰り際パン屋でパン買った。

あんまり今年もやり残した事ない気もする。

それでも

ディープラーニングとUMLが気になる感じではある。

今日の書き込みが遅れたのは

ちょっと年賀状でハガキ印刷に手間取った。

iMacの不慣れである。

それでもやる事やって

正月を迎えられるように努力したい。

今日はちょっと仕事で背筋を痛めた。

力のいれ過ぎのように思う。

今はそんなに痛くないが明日に持ち込みになるのか

少し不安である。

今はなんかゆっくり寝たい。ただそれだけである。

なんか自分の展開も

予想がつく状態であり

あんまり期待しないで年越ししたい。

大概苦労も理解せずラクな事ばかり考えるのが普通なんだと思う。

だとしたらあんまり期待出来ない。

それが私の本音である。

私はひたすらに普通に過ごすのが目的である。

だけど他人は違っている。

それが顕著な現象として私にふりかかっている。

なのでサバサバしている。

この文章が終わった頃

我が家の年賀状も終わった。

仕事も明日から三日間で今年は終わる。

なんとなく初詣と大場駅ぐらいしか用がないので

寝正月になりそうな気もする。

それがなんとなく私の大問題である。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171226end

<<追記20171227

今日も仕事した。

今年の仕事もあと2日で

終わりに近づいている。

今年もよう働いた気がする。

健康と言えば健康な気がする。

それでもなんか他に仕事ないのかなあというような気はする。

こっちも生活しているから

あんまり文句は言えないけど

選択の自由はあるよなあと思う。

それでも私に仕事はやってこない。

それが現実であり。

社会に閉ざされている気はする。

インターネットもあるのにどこがオープンなのか絶望的である。

ここ日本でさえそれが現実なのに

他国のことを笑えない。

いくら私がホームページで大事な事を書いても

私のホームページのランクは上がらない。

マスコミや学校の方がランクが上である。

こんな状態でオープンソースも期待無し。

それが私の現実である。

一体ここまでやってきて

未だ音沙汰無し

それが社会でありマスコミであり学校である。

どこがインターネットなのか私にはちんぷんかんぷんである。

それでも私は走り出す。

何事もやるだけやる。

それぐらいしか手がない。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171227end

<<追記20171228

今日も仕事した。

仕事もあと1日である。

それでも明日の予定がくるった。

結局いつもより早めのバスに乗る予定である。

今年は私の仕事にウェートがかかった気がする。

私はそれで幸せとは思えない。

止むに止まれぬ生活費である。

なんかもっと好きな仕事した方がいい気もする。

そんな仕事がやってこない一年だった。

三島や沼津では限界かなあと思う。

東京や神奈川を考えると通勤圏内とは思えない。

下宿が有力である。

そこまでの勇気が私には無い。

それと昨日読書していると

国際関係はアナーキー状態であり

リアリズムのようなパワーバランスか

リベラリズムのような自由主義が対極と書かれていた。

案外

日本人はある程度のリアリズムを拒否しある程度のリベラリズムも拒否し

何が言いたいのかよくわからない状態にいる気がする。

結構逆に

リアリズム的なところもあり

リベラリズムなところもあるというのが日本人なのかもしれない。

そんな手前

綺麗事が多いかもしれない。

それで信用を失っているかもしれない。

どんな立場であれ

もうちょっと前進していくような状態に持っていかないと

何をやっているのかわからなくなる気がする。

そんな事より

三島で自由になれない自分がいる。

それが私の気がかりである。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171228end

<<追記20171229

今日も仕事した。

とりあえず今年の仕事は終わった。

夕食の買い物して帰った。

昨日の話の続きだと

リアリズムのパワーバランスは

AがBにのぞまない事をさせる事である。

リベラルの

自由主義は道徳とか秩序で成立する事である。

リアリズムとリベラルは

そんなお偉いさんか

一般市民かみたいである。

それなのに自分がどういう考えに立ってものを言っているかわかっていない。

案外左と思って右だったり

右だと思って左だったりしている。

そういう事を言う人がいない。

なんか平然と自分が何を言っているのか認識していない。

それで私は迷惑を受けている。

ちゃんと他人が何を言っているか認識していれば

こんな混乱はないはずである。

それが無責任のもとである。

みんなのためと言って他人に強制したり

あんたはおかしいから障害者だと言ったり

科学的にありえないから事実じゃないと言ったり

それはリアリズムであり右である。

決して左ではない。

道徳や秩序とは全く正反対である。

リベラリズムなら一般市民レベルで共有するのがリベラリズムである。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171229end

<<追記20171230

今日から冬休みである。

NHKの番組で乱数器に絶縁体をおおってたのに

電磁波の影響で乱数器が異常になったと発言した。

だったら私の障害は電磁波でもいいのでは無いかと思う。

私の体は絶縁体なんておおっていない。

それなのに電磁波じゃあ無い証拠はどこにあるのか理解不能である。

そうやって科学的にもおかしい発言である。

こんな状態で説明しても

納得いかない。

自分のいいように発言しているようにしか聞こえない。

今年の私自身に起きた

Bluetoothの一件も私には納得いかない。

医者も医者で考える気無い。

そんな事あり得ないなんてナンセンスである。

そんな事あるからどうしてなのか考えるのが科学者である。

それで私がなんで必死こいて報告せなああかんのか文句たらたらである。

私の身の回りは

あり得ない事が起きている。

それが私にとって重荷である。

それが科学的でなくても起きている。

そうやってどこのどいつも無責任体質である。

許せるレベルを超えている。

こんなに困った状態で科学的にあり得ない。

だからあなたは障害者だと言われて

はいそうですかなんてなるかよと思う。

これのどこが左なのか私には理解不能である。

戦争も罪だけど私の一件も罪である。

あんまり戦争状態と私の場合変わらない。

なんの説明もない。これで不安になるなというのが無理である。

極悪非道である。

そうやって私に仕事も生活も負荷かかっている。

そんな事が許されるのが世の中である。

これのどこが正義なのか私には理解不能である。

私にはなんの正義も無い。

こんな状態は仕事も生活も

私がのぞまない事をさせられている。

それはリアリズムのパワーバランスである。

私は道徳と秩序でなんとかしのいでるだけである。

それで自由主義を無くしたら生きていけない。

それが私の本音である。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171230end

<<追記20171230take2

冬休みに入って

掃除と庭の草抜きをした。

光長寺に行って帰り際

イトーヨカドー三島店で買い物して帰った。

私が理解に苦しむのは

女の100%正しいとか当たり前という態度である。

私自身間違って元々で生きている手前

そういう態度をとられると不安になってくる。

一体それにどれだけの信ぴょう性があるのか私には自信が無い。

日本語が通じなくても100%正しいとか当たり前とかなのである。

私には恐ろしいというのが実感である。

何を言おうが事実という幻想を掲げてくる。

そんなのに振り回されたく無いというのが実感である。

そんなのに振り回されるより

闊達な議論をした方がマシというのが私の本音である。

女が間違わないなんて保証はない。

それが如実に当たり前とか100%正しいにあらわれている。

私自身がそんな風に取り組んでいないからである。

色々間違って修正しているだけである。

だから女の方がおかしい。

それをどうやって修正する気でいるのか私にはわからない。

なんかここまでくると修正不可能のように思う。

なので日本語も通じずどうしようもないというのが実感である。

そんなんより普通に会話している方がマシである。

それが叫んで尋常じゃあない。

正気の沙汰とは思えない。

だけど女は当たり前とか100%正しいと思っている。

そんな世の中簡単じゃあない。

それのどこがかわいいのか私には理解不能である。

いかれた女ぐらいしか認識できない。

普通に会話が出来ない。

それが私にとっての苦痛である。

男の方も女の方もである。

それでも明日はやってくる。

ボチボチやりたい。

<<追記20171230take2end

<<追記20171231

今日は午前中に神棚を新しくして

家を出てスマホを購入した。

http://wakkii.umu.cc/soft/ddiary/arc/dd201712.html

家に帰ったら12時近くになった。

昼食後

それで三時半ぐらいまでスマホを使ってた。

短歌と俳句でも

これから作って

明日は

初日の出でも見ようかなあと計画中である。

紅白見る気もしないので

ちょうどいいかなあと思う。

そんなこんなで当初の冬休みの課題が全然進んでいない。

それが今のところの心配である。

だけど昨日は

家からドコモまで歩いたので元気でいる。

今日はドコモまで車で送ってもらった。

明日は歩きたい気はするけど

無計画である。

今日も疲れたと言えば疲れたので

ゆっくりしたい気はする。

今年も何事もうまくいかなかった気はするけど

色んな事があった。

新年はどうなるかわからんけど

いつも通り何だろうなあと思う。

そう思うと冬休みの計画もうまくいかない気がしてきた。

なかなか即効性はない。

それなりに時間がかかる。

それが人生の悩ましい所である。

なので明日もボチボチやりたい。

<<追記20171231end