とりとめのない趣味の小話4

とりとめのない趣味の小話3

<<追記20160820

第三次計画に移る。

もういい加減これでいいだろと言うのが実感である。

何か同じことを繰り返している気もする。

あんまり私を引っ張り出さないで欲しい。

短歌と俳句と登山やウォーキングと外国語ぐらいで書き込みを減らしたい。

最近は数学書読めるようになっている。

今日は「オイラーの賜物」を読み終えた。

その後、複素関数論や物理数学や機械学習やテストや群論探して何やろうかと

少しナナメ読みした。

有力なのが複素関数論と群論である。

テストもちょっと気になる。因子でテストケースを選ぶのが気になる。

機械学習は何か少しAIとしての精度があんまりあるように思えない。

そんなこんなで順番が後ろになっている気がする。

平日は

会計とか古典の話とか科学史とか哲学とかになっている。

今の所私は将来何がやりたいのかが気になっている。

今までやりたい事をやってきて次のやりたい事探している。

未だ消化すべき事はたくさんあるがそれも時間の問題である。

ボチボチやりたい。

<<追記20160820end

<<追記20160821

明日台風が来るみたいである。

もしかしたら有休とるかもしれない。

朝に判断しようと思っている。

今日は二年前に自分の作った名刺見て

しびれてた。

日本の柿本人麻呂とか日本の松尾芭蕉とか

日本のソクラテスとか人類史上初の日本の物理学者とか

過去を振り返ると本当にウソみたいである。

それぐらい良くやっている。

ほめていい。

それを他人が認めなくても私が認める。

他人が許せなくても私が許す。

これを社会が認識出来なくても私が認識する。

失われた20年が何だというような勢いである。

後はどうでもいい。

全く天才ガロアのような気持である。

十字架をかつぐイエスのような気分である。

なるようになるだろうと思う。

当面は読書したいのが課題である。

やっぱり読書が基本である。

そんな人に社会が冷たい。

それが社会なんだろうと思う。

社会には参る。本当にこれで機能しているのか不思議である。

誰も信じられない。それが日本社会である。

誰がこの世を救えるのか知らない。

本当に混沌としている。

それが日本の実態である。

カオスすらなっていない。カオスとは準周期的な事である。

まあ私は高みの見物である。

そんな事より

次のやる事である。

ボチボチやりたい。

<<追記20160821end

<<追記20160822

台風が来て一日家にいた。

家ではテレビつけて読書が中心だった。

ナンダカンダと元気になっている気もする。

少し本棚から本を探した。

だからと言って目標があるわけでもなく言ってみれば野心的かもしれない。

それがいいのかわからない。

何となく数学で閉じててもいい気がする。

私に何かわかりたい感じがある。

それが私を動かしている。

何はともあれ前向きになっているんだろうと思う。

どうなるかわからんが

少しずつの満足求めてボチボチやりたい。

それと第三次計画今日からスタートです。

それなりのフェイドアウト求めてます。

それでこそ好きな事やれる気がしてます。

正直好きな事やって暮らしたい。だからなるだけフェイドアウトします。

ファイト!!!フェイドアウト!!!

<<追記20160822end

<<追伸20160828

物理の話とか浮かんできたけど

時代にまかせていいかなと思う。

人間らしい生き方をするのが私の目標である。

理想は波状攻撃である。

私は一つの震源であればいい。

何も私が違う震源をねらう必要も無い。

それなりに一つの方向性が出た気がする。

それでいいじゃあないかというのが私の持論である。

ボチボチやりたい。

<<追伸20160828

<<追記20160829

会話が通じ無いほどにして

何か世の中良くなるのか理解出来ない。

会話がかみ合わない。

それが小中高の限界だった。

こうすればこうなるという話を否定して

自分の利益を優先する。

人生自分の利益より未来にかけて勉強したり仕事したりしているのにである。

ここまでくると地獄絵図である。

最後にこうすればこうなるという話をどうして否定するのか

考えて頂きたい。

私としてはそれで済ませて勝手にしてくださいしか申し上げられない。

それが世間なのである。

本当めちゃくちゃである。

そんなにめちゃくちゃにして世の中これでいいんかいと文句タラタラである。

何のために勉強しているのか私には理解不能である。

あとは私には全く関係の無い話である。

いろいろ叫んでもののしっても私は知らない。

幻聴があると私としては無視したいし他のこと考えていたい。

それをさせない他人が悪い。

もうすでに無視で十分である。

救いようが無いとはこういう事である。

これから再度フェイドアウトを試みようと思う。

<<追記20160829end

<<追記20160901

今日から九月に入った。

段々涼しくならんかと思っている。

当分残暑との戦いである。

私としては知性には配慮した方がいいと思う。

それをないがしろにして物事は解決しない。

あえて批判するならそれを上回る知性が大事である。

批判の先を誤差範囲で証明出来る知性が大事である。

あんまり悪い事は考えない事である。

考えようとするから悪い。

むしろ良い事だけを考えるべきである。

良い事だけを考えればいい。

それが出来無いなら批判すべきで無い。

せめてそれを上回る考えがあるのかが大事である。

そして私の言う事さえ証明できれば批判は成立する。

それが人間らしい生き方である。

再度フェイドアウト開始である。なんか同じ事を繰り返しているけどそれも人生である。

<<追記20160901end

<<追記20160902

他人がただ私が許せない。

それは私にもどうしようもない。

どうしても私が許せない。

私というものがどういうものか理解もせずただ許せない。

正義というものがヘンテコに見える。

多分他人の正義より私の正義の方が大きいのかもしれない。

私の正義が小さかったら他人も理解できるからである。

それを私がどうしようもない。

例えば

天才をやめて地球の父で理解するしかない。

そうやってスケールを大きくしていかなければ気づかないだろう。

そんな事をして何になるのか私にも判然としない。

そんな暇があったら毎日努力した方がいい。

ほとんど他人が停止したままである。

どうしようもないというのが私の見解である。

そしてそんな人が私を困らせている。

そんな事より活動的に動くことである。

いつまで停止してたら済むのか理解不能である。

私の事で止まっている。そんな事が大事には私には思えない。

正直あきれている。

何も抵抗する事無い。そんな暇あったら活動的になる事である。

<<追記20160902end

<<追記20160904

最近はCOBOLの本読んだり

この掲示板のPerl読んだりしている。

Htmlがめんどくさいから他人のコードを借りてた。

折角の資産だから解読し始めた。

コード自体はHtml5にも使えそうである。

Common Lispの本もこの土日に買った。

Lisp自体は別の本でナナメ読みしている。

今日はそれ以外に

ストレッチとリンパ腺による運動を本を読みながら行った。

なんか体がかたいのと体中のめぐりが悪い気がして

少しは気分は良かった。

経済数学とマクロ経済とミクロ経済にも興味を持って

土曜日に電子書籍を買った。

今は民法の本を読んでいる。

法律の本も読みかけの本がある。知らない分野なので

大学の教養で憲法やった程度だが興味深い。

会計の本は何冊か読み終えたけど

まだ何冊か読みかけがある。

簿記も三級は読み終えたが二級はまだである。

自分の知らない事を知るのは楽しいというのが

今の自分である。

知らない事はすべて本に書かれているように思う。

一応雇用保険でもらった予算で自己投資している。

世の中色んな人がいるなあと思う。

医者や化学者や物理学者や数学者や哲学者だけで解決しない。

世界を理解するとは難儀である。

物理一つ理解するのも難しい。

こんな宇宙語話しているような専門家相手に

お互い仲良くやっていかなければいけない。

それが世界の実態である。

それなのに意味不明な叫び声だけの幻聴に

何の意味があるのか私には理解出来無い。

そんなの人間の活動としては末期的である。

私が法律家の事を理解しないのと同じである。

それで社会は成立しない。

ちゃんと理解できるように会話すべきである。

それが出来無いなら何の意味にもならない。

そんな世の中で叫び続ける。

タコの中のタコである。

何の意味にもなっていない。

会話ぐらいしっかりすべきである。

でもなければ一人で生きているのと同じである。

何のために社会を形成しているのかしっかり考えるべきである。

私も自分のやるべき事をやってきた。

他人も同じである。他人のやるべき事をやるしかない。

何も他人と私は同じではない。

それは専門を考えたら当然である。

細分化された専門をまた考えたら同じように違ってくる。

結局自分のやる事やるしかない。

それでしか自己表現出来無い。

結局個々の問題しかなっていない。

なのにみんな同じにはならない。

みんな違うってだけである。

なのに同じになりたいなんてありえない。

やればやるほど違ってくる。それが人間である。

私にはそういう世界にしか見えない。

一人になりたくなかったらしっかり会話すべきである。

会話も出来無いならひとりぼっちである。

そういう認識も無く私は他人が理解出来無い。

それぐらい個々が違っているのに気づいていないように思う。

それが私の感覚である。

今週もフェイドアウトに努力する。

ボチボチやりたい。

<<追記20160904end

<<追記20160907

未来に期待するとしたら

私にとって何だろうと考えている。

どうせなら夢の広がるように生きたいかなあと思う。

そうでもないなら生きている価値無い気がする。

そこで私の夢は何だろうかと考える。

せめて愛らしく子供と話する事かそれとも

愛するもののために物事を形にする事かそれとも

尊い愛を具現化する事か

いずれにせよ未来に何かをあらわしたい。

そうでもないなら

あまりにつまらない。

つまらない人生なんて嫌である。

少しでも喜んでくれるようなものを形にしたい。

やっぱり最後はアミューズメントパークかな。

どうせ生きるなら未来に希望を持ちたい。

段々形になっている。

これを周りの力を借りて花を咲かせたい。

それが出来るんじゃあないかと妄想している。

ボチボチやりたい。

フェイドアウトも段々やっていきたい。レッツゴー!!!

<<追記20160907end

<<追記20160909

仕事も自分の仕事しか興味無い。

仕事の事しか考えない。

それを何の努力なのか理解不能である。

結局何事も真面目に生きる事である。

何が正しくて何が正しく無いのかただ真面目に生きてこそ発言できる。

わからなくても自分の努力はあらわせる。

結局努力ありきである。

何にも他人に頼って解決する事は無い。

自分なりに真面目に生きるしか無い。

それが仕事だけで解決しないというだけである。

真面目に生きるただそれだけである。

それだけのためにもめている。

人間やめた方がいいんじゃあ無い。

そんな暇あったら努力する事である。

<<追記20160909end

<<追記20160912

昨日の日曜日からちょっと調子をくずしている。

今日は何とか仕事している。

全く幻聴は参る。

私の事情と他人の事情は違う。

そして幻聴の主は他人とうまくやってけない。

自分の事情しか主張していない。

まわりとうまくやってけないのに何で私が関係あんのか理解に苦しむ。

自分の事情が解決するまで永遠とやるつもりである。

私の事情何て関係無い。

こんな疲れる話を毎日聞いている。

私だけが頑張っている気がしてくる。

そうじゃあないでしょう?他人だって頑張っている。

それなのに私に関係の無い話をする。

本当にストレスである。

私の事情で押すしかないじゃあないのかと思う。

なのに関係無い女が叫ぶ。まさに幽霊である。

<<追記20160912end

<<追記20160916

自分で幸せをつかめないものを

他人の私がどうやっても無駄である。

せいぜい私にできる事はアドバイスぐらいしかない。

それを私に色々文句言われても

不可能なものは不可能である。

それが本当の楽しむということのように思う。

大体何でも楽しめるのである。

なのに楽しめ無いのを楽しめなんて不可能である。

精神的なものも必要だし技術的なものも必要だし健康も必要である。

それを強制的に楽しめと言ったって不可能でしょう?

大体逆も同じである。

楽しめ無いのを知れと言ったって不可能である。

健康状態も違う。技術を使わなくたって経験的にピンとくる。

いろんな神経が存在する今精神なんて同じなんてもはや不可能である。

そうやって不可能な事なのに他人はあきらめない。

ここまでくると私には処方箋が無い。

勝手にしてくださいぐらいしか無い。私は違うんですぐらいしか無い。

なんでここまで来て同じにならないと済まないのは間違っている。

どんどん多面的に複雑的に違ってくるでいい。

結局自分の頭で考えないと幸せになれないのだというのが私の持論である。

私もボチボチやりたい。

<<追記20160916end

<<追記20160925

今日は下土狩駅から沼津まで

JRさわやかウォーキングに参加した。

帰り際イトーヨカドー三島店に寄って

父と合流した。

最近はプロジェクトマネージャの本を読み出した。

来年の春に試験を受けるのかは未定である。

9/14に内科の病院に行って薬をもらった。

薬は飲み終えて大分調子は戻ってきつつあるが

こんなに調子悪いと生きるのが嫌になるんだと思い知った。

体力バテもあった気がする。

読書やら登山やら寝不足もあって疲れてた。

今日は久しぶりに歩いて

良く寝れそうである。

そんなこんなで健康が第一であると再確認している。

最近気になるのは仕事である。

どうしたら幸せに仕事が出来るのかという疑問がある。

日本経済は国民の需要にこたえられていないのではないかと思う。

それは市町村や県や国の失策ではないかと思う。

そして私も例外なく仕事でこたえられていない。

もっと可能性を考えたら色々出来るのにその組織が無い。

そうやって私も三島の地で仕事に困っている。

どう考えても日本経済は需要にこたえていない。

それではデフレになって当たり前である。

だってお金の使い方がなっていないからである。

需要はあるのに需要にこたえていないからである。

そう言っても私の力でどうにかなる話でも無い。

私自身ほったらかし状態である。

なので私がリーダーになることは無い。

私がリーダーだったらとは思うけど

今の状態だったらありえない。

私を障害者扱いにしている以上リーダーなんて遠い存在である。

いくらスカラー波だの白装束の教祖と同じ目にあっていると言っても

おかしいから障害者扱いなのである。

それではいくらたってもリーダーになんかなれない。

ただ私がリーダーだったら知的な事に投資する。

ITを使った知的創造を推進する。

自分の能力開発のためにITを活用する社会を作り出したい。

でも私が障害者な手前無理の話である。

いくら病人でも無いと言っても病人扱いである。

そんな人にわけのわからん女に迷惑を受けている。

なんでこんなに女がもめるのか理解不能である。

いくらなんでも正常な男ともめるべきである。

なので私自身女の話は興ざめである。

なんでこんな貧弱な私を困らせる気なのか理解不能である。

もっと男らしい正々堂々とした健康的な男ならまだわかる。

なんで電磁波受けてこんな障害者扱いの私が困らなあかんのか文句タラタラである。

そうやって私が頑張らなあ正しいベクトルが見つからない気もしたりするほど

この日本の停滞ぶりに情けない気がする。

太平洋戦争が何だ。今も同じ状態である。正しいベクトルを持った人間が今必要なのである。

それは戦争も平和も同じ状態なのではないかと思う。

毎日自分の能力開発にITを駆使出来ている奴が

私は正しいベクトルだと思う。

それが消費者ベースで出来ているように思えない。

私は医者に烙印を押された障害者である。

多分それは医者も犯人である。

そうやって私の体を人体実験されてきた。

それを隠して今まで障害者をやってきた。

その屈辱は耐え難いものである。

それなのに女はさらに私にストレスを与える。

それは本当に犯罪である。

そんな屈辱的な話は存在しない。

それが私の本音である。

<<追記20160925end

<<追記20160927

胃から前立腺から肛門から大腸から鳥肌からの変調

背骨の痛み

白装束の教祖と同じ境遇

反射的に反射神経で催眠術が成功する。

一人の人間が他人と異なる事だってある。

それはなぜか本人に手段がある場合である。

他人には手段が無い場合である。

それなのに他人と比べて本人にとって正解になんかなんない。

可能なのはその手段で他人が可能かどうかしかない。

そして本人の手段は本人にとって真でしかない。

それなのに自律神経と同じレベルで私を見ている。

私にとって私は特有である。

それに医者も技術者も気がついていない。

一体こんな動物みたいな動物実験をいつまでやるつもりなのか文句タラタラである。

なんか人間的な生活がしたい。

それが私の欲求である。

わけわからん女ももう少し自分の状況を理解した方がいい。

どう考えても女の方が環境がいい。

それなのに何の結果も残せない。

そんなんどこの男性とも同じ立場である。

それなのに偉そうな事言っている。

ありえない女がありえないように叫んでいるだけである。

そんなん誰も相手しない。

そういう認識が出来ない女も女である。

そんなんよりもっとまともに話が出来て人間的な生活がしたい。

それが私の人間としての欲求である。

それが動物レベルで苦しんでいる。

本当に屈辱的である。

<<追記20160927end

<<追記20161011

みんな賢くなれない。

みんな美しくなれない。

みんな愛らしくなれない。

それで私を何で引っ張るのか理解不能である。

男も女も苦しんでいる。

どうして賢く美しく愛らしくなれないのを私の責任になるのか理解不能である。

ただ単にどうしようもないねえぐらいしかない。

それで女は日本語にもならず叫んでいる。

そんなんで解決したら私は努力しない。

そんな事は不可能だから努力しているのである。

大体先行く未来を考えたら

どんな事だって努力する事はたくさんある。

未来に先回りして努力するしかない。

それで計画性もなく場当たり的だから誰も相手にしないのである。

努力する事はたくさんあるのである。

それに誰も気づかないまま叫んでいる。

そこまで来たらボケバカアホとしか思えない。

お前の努力は叫ぶことかよである。

未来に先回りすれば他に努力する事はたくさんある。

なのに努力を失っている。

結局努力しない人が私を困らせているだけである。

それを私がどうしようもない。

なんかそんな感じなので努力したもの勝ちなんじゃあないのかと思う。

私的には他人がしない努力をした方がいい気もしている。

結構努力する価値はそこらじゅうにあるように思う。

それが他人はおこたっているから困窮するのである。

若いうちからそれなりに努力しないと何に努力したらいいか思いつかない。

私は大学と大学院修士まで行ったので消化不良のところに努力を見出している。

多分努力することが見出せないなら思い切って冒険するのも必要かもしれない。

東芝テックの子会社に6年半いたのもある意味冒険だったように思う。

みちしる沼津に三年目である。それなりに自分を冷静に分析できた気がする。

このホームページだけでも価値があった気がする。

まだ読みたい本もたくさんある。

ボチボチやりたい。

<<追記20161011end

<<追記20161012

賢い人はそんなこと言わない。

美しい人はそんなこと言わない。

愛らしい人はそんなこと言わない。

こんなんで大体人間は判断できる。

誰がタコでボケでアホでバカなのか叫び声一つでわかる。

言わないことを言っている認識が無い。

すごいタコでボケでアホでバカの人生が待っているのがわかる。

そんな手前私自身ストレスである。

そんな女が私の人生に関わってくること自体がストレスである。

出来るならお荷物の男も女も

無関係な人生を送りたい。

なのに毎日幻聴で関わってくる。

どうしようもない人生を私にもどうしようもない。

結局人のアドバイスを聞くぐらいしかない。

なのにそれも抵抗している。

どこまでもどうしようもない男と女である。

それに私が何の関係があるのか理解不能である。

大体人の言っていること聞いてるだけで判断できるのである。

それが全く理解できていない。

どうしたら信用される発言なのか考えていない。

信用もおけない発言繰り返して

一体それが何のストレスなのか理解できていない。

それをいちいち指摘していたら日が暮れる。

そんな暇が無いというのが私の本音である。

この世や自然の複雑さを考えたら当然である。

小中学校の頃の無視は今も同じである。

それをわからせるなんて不可能である。

そこで私がとりえる態度は民主主義的態度である。

私自身が私なりにゴールを目指すという事である。

権力があろうが無かろうが最善を目指す。

わけわからん奴が何と言おうが

それが私のとりえる態度である。

<<追記20161012end

<<追記20161014

最近は電車の中で

会計やら民法やら哲学やら世界史やら音楽やら経済学やら数学やら

天文やら物理やらメモ術やら英語やらの本を少しずつ消化して

家では英語やらドイツ語やらフランス語やらプロジェクトマネージャの本を消化している。

懸案のプロジェクトマネージャの試験を受けるか受けないかまだ判断出来ていない。

私自身がプロジェクトマネージャになりたいかと言われるとそうでもない気もする。

何でこの勉強がしたいかと言うといろんな分野に応用が出来そうだからである。

もしかしたらそんな機会がおとずれて役に立つ可能性があるように思うのである。

そして私個人が自己管理できるかもしれないというのもある。

ある意味

組織になったらどうすれば効率のいい仕事が出来るかそれが私の関心事である。

それは経営学やら会計やら経済学でもあらわれている。

私には何となく理想の組織を作り出したい感がある。

今のみちしる沼津にいても色々感じる。

組織の意味とか個人の意味とかである。

他にも何か個人が幸せになる組織にも興味がある。

上司だけが幸せなんじゃあなく上司や部下が幸せな組織である。

そんな事を最近考えている。

それが突発的な始まりと終わりがはっきりしているプロジェクトマネージャにも関係している。

それはそれで組織論として明解に見えてくる気がする。

最終的に組織っていいねと思える社会にしたい。

それがこの世にいて希薄である。

自分一人で生きている気分である。それが私の悩みの種である。

組織にいかされている気がしない。

まあ私の身分はそうであるというのもあるけれど

私だけ悩んでいるわけではないと思う。

仕事していたら誰しも感じるんだろうと思う。

それはそれで仕事の種である。

<<追記20161014end

<<追記20161016

今日はJRさわやかウォーキングで富士川駅だった。

なんだかサーバーも今日が復旧日だったけど今も復旧していない。

そして私もどうしようもない話を聞いてもどうしようもない。

話にもなってないのを私が何の関係があるのか理解不能である。

関係無い話をいっぱいして私はどうしろというのか理解できない。

関係無いだけである。

それを認識できないっていうだけである。

情報処理の試験も私自身理系の大卒でもあるわけで

それなりに英語や数学や物理の知識はあるわけで

そういう下地をもとに発言しているのである。

そして実務も経験している。それは修士の時や会社にいてそれなりである。

そんな私が何の関係も無い人の話を聞かなあかんのか

そして指導せなあかんのか理解不能である。

せめて授業料くれと言いたい。

私は私の関係のある事を考えたい。

そんな不正解なんて言い出したら何も解決しない。

正解を求めないとただ時間が浪費するだけである。

私の言っている事は私の経験上ありえる話である。

私の経験は経歴でもある。

それで通じない女がいくら頑張っても

私には何の関係が無い。私は何の関係も無い人生を送るっていうだけである。

何でこんなに不可能を繰り返すのか

わからんけど私を苦しめている以上もっと苦しめばいいと思っている。

せいぜい

数学がわからないから試験が不合格とか

英語がわからないからプログラムの仕事が出来無いとか

それはそれでありえる話だと思う。

そしてそれが他人のせいで幻聴であらわれ私を苦しめている。

私が苦しんでいる以上他人はもっと苦しむべきである。

私のする事は出来るだけ負担の無い生活をする事である。

それを出来るだけ選択したい。

私は何にも苦しむ必要が無い。

なのに他人だけ苦しんでいる。そんなん疫病神っていうだけである。

そんな不正解をたくさん持ってて何でそれが私にとって関係あるのかわからない。

正解を見つけないとただの時間の無駄である。

その苦しみが私には無関係なのである。

なのにまとわりついてくる。それが幻聴女の核心である。

不正解と苦しみとまとわりついてくる。

えらい迷惑な話である。

そんなんが一体どこに愛があるのかわからない。

誰も救えない。

そんな事よりサーバーなんとかならんかなあと思う。

そっちの方が期待値がある。

またしばらく様子見である。

<<追記20161016end

<<追記20161017

サーバーが10/30に変更した。もしかしたらその途中で順次復旧するかもしれない。

白装束の教祖みたいに

千本病院で背骨をひねったらギックリ腰のように痛くなった。

テスターで自分の周りの電圧計と電流計測ったらスカラー波のような変化を示した。

まぶたが光ったり布団が光ったりした。

反射的に何かをやってしまう催眠術もあった。

車の窓に反射して見える映像通りに同じ事を反射的にやってしまった。

これが人権問題にならないのが理解出来無い。

大体人間はじっくり考えて考え方が変わるものである。

それも理解せず答えが決まっているように反射的になんか物事は進まない。

それが脳科学なんて私は信じられない。

こうやって文章考えているうちに考えが変わる事だってありえる。

つまりそういう経験が無い人が脳科学している気がする。

考えれば考えるほど考えが変わってくる。

それが人間である。

それがわからない人が脳科学をして私を困らしているとしたら腹が立つ。

そういう事を聞いてくれる人はいない。

ただ私の言う事は本当にあった話である。

それが無くなる事は無い。

そんな具合だから体の変調は前立腺と同じく至る所にある。

ここまできたら動物扱いである。

どこに人間の尊厳があるのか文句タラタラである。

そこまで書いて私は私の負担の無い生活を選択したい。

それが私ののぞみである。

<<追記20161017end

<<追記20161018

今日は帰宅にホームセンターに寄って買い物した。

ここまで来て大体の事は繰り返し表現したと思う。

なんか風情のある生活したい。

42歳にもなって8年で50歳である。

それを考えたら若いというより中年である。

私がこんな事になっているなんて若い頃は想像出来なかった。

先生達が想像させなかったというべきである。

学校の先生や医者の先生のせいである。

そう全ては先生の責任である。

私は無抵抗である。

その割にごまかしごまかしうまくやって来たと思う。

私の出来うる最善だったと思う。

正直私をほめてやりたい。

まだ楽しむ心はある。

それが人生ではないかと思うけどそれが出来ている人を見た事が無い。

気のせいか私が一番楽しんでいる気がする。

それが私の気やすめである。

楽しんでいるうちが花かなと思う。

まだ当分こんな状態が続くような感じでいる。

それはそれで吉かなと思う。

<<追記20161018end

<<追記20161019

他人に見返してやりたい。そんな事が中年で可能なのか私には、にわかに信じられない。

42年間の私の結果から言うと不可能に近い。

こんな私を上回るか同じくらいになんか無理である。

歴史上でもなかなか難しい。

人類史上でも難しい。

大体小中学校の時から脱線しているのにいつになったら修正出来るのか私には理解できない。

私はそんなの関わりたくない。

それが私の第一感である。

日本の毛沢東とか日本のスターリンに近い。

強権的なそんなんと相手する気になれない。

どうしてそんなに偉くなるのか理解不能である。

そもそも見返すどころか一般庶民として生きた方がいい。

私自身はそういう一般庶民的なスタンスである。

なのに強権的になろうとする。本当に日本の毛沢東とか日本のスターリンである。

そんなに偉くなんなくても賢い事は可能である。

それがわからない以上いくらやっても他人を見返せない。

それが民主主義の世の中である。

それがわからない以上いくらやっても無駄である。

無駄な人が無駄なこと言って時間が無駄である。

だから私はあんまりそんな強権的な奴とは関わりたくない。

そんなん努力じゃあないからである。

人の努力もわからず何で強権的なのか私には関心が無い。

そんな時間を無駄にするなら努力してた方がマシである。

<<追記20161019end

<<追記20161020

日本人の最大の幸福は

民主主義で結果を残す事である。

大体民主主義で結果が残らないのは日本人の不幸である。

必要なのはそれを肝に銘じて生きる事である。

それが無くなったら日本沈没である。

他人を見返す暇があったら何か結果を残す事である。

それも他人の評価より本人の評価である。

他人より本人が本当に満足する結果を残す事である。

そんな本人の満足も出来なくて民主主義は成立しない。

なのに

他人の評価ばっかり気になるのは自分の努力では無いからである。

自分の努力で自分が満足する結果を残す事である。

なのに

日本のスターリンと日本の毛沢東は強権的で敵と味方でまっぷたつ。

それでは日本の民主主義は成立しない。

極めて日本人は不幸になる。

そこまで私は述べて

まだ自分のベクトルを持てないのは本人の問題である。

私自身の問題では無い。

自分のベクトルさえあれば民主主義は成立する。

それはそれで民主主義の力のように思う。

それを否定するなんて私には理解出来ない。

努力できるからこそ自分のベクトルがあるはずだと私は思っている。

<<追記20161020end

<<追記20161021

昨日と今日は読書はお休みモードである。

何か頭が疲れている。

気分的には読みたいけど読んだら大変だろうなと思った。

それでも少しだけのペースで読んではいる。

私としてはラクにラクにいくように努力したい。

何も他人と一緒に苦しむ事は無い。

出来るだけ苦しまないようにしたい。

苦しみをうむような人間関係は嫌である。

なので人災にならないように気をつけている。

愛のある所に愛がうまれる。

そう思っている。

私はそれを見つけて生きていきたい。

子供達はわかっている。

そう私も子供の童心のように愛を見つければいい。

それが子供を見ててそう思う。

アホでバカな大人より子供心である。

それを理解出来無くて大人やってられるかと思う。

ただただ問題をもたらす大人は子供心がわかっていないに尽きる。

最も基本的である。

それが大事にならなくて大人はやれない。

結局問題なのは基本も応用もなっていないというだけである。

それをどういう風に修正すればいいのか私にもわからない。

私は私でやってきたっていうだけである。

それをどうしろというのか理解出来ない。

全く困ったものである。

厄介な問題を回避したい。

それが私の第六感である。

だから私は基本姿勢である。

言われた事にこたえ、返答にこたえる事に真剣になり

それ以上の問題は無い。

そうする事で問題を回避している。

結局それも出来ない人が問題を起こしていると思う。

子供に対しても大人に対してもである。

対人関係に問題ありである。

私はそれで問題はない。

ちゃんと言われた事にこたえ、返答にこたえる。

そしてそれで済んでいる。

それが会話で済まない事が問題なのである。

そんな単純さえままならぬ。

それを私がどうしろというのか理解できない。

叫んだってそんなの済まない。

丁寧にこたえるしか解決しない。

それが男も女も出来ていない人が問題なのである。

<<追記20161021end

とりとめのない趣味の小話5