とりとめのない趣味の小話2

とりとめのない趣味の小話

<<追記2016/04/09

最近は韓国語と中国語とアラビア語が出来ていない。

今の所後回しになっている。

それはそれで気になることである。

私の学歴や職歴は明らかに社会のせいであって

自分のせいではない。

自分が作り上げたものではない。

そういう意味で結婚も同じである。

私に文句言う奴や他人に文句言う奴のせいである。

文句言っている人が私に犠牲を強いている。

小学生の頃先生が私に教科書を清書させたのも私のせいではない。

何にも私には問題が無い。

板状の重たいもの持たされて遅れたせいである。

そうやって私を悪魔にする同級生がいっぱいいる。

それが私に影響している。

そして外国語の勉強が出来ないのは他に読書しているせいである。

それは時間が解決するだろうと思っている。

<<追記2016/04/09end

<<追記2016/04/10

今の日本が平和主義なのかと思うと

軍国主義では無いから平和主義なんだろうと思う。

平和主義だから競争が無いという事でも無い。

そしたら平和とは何かというと身の危険が無いという事のように思う。

失敗しても生きていけるというのが平和なんじゃあ無いかと思う。

だとしたら果敢に挑戦しても何とかなるのが見えてくる。

そう思うのが平和なのかもしれない。

何ともなら無いのが戦争なのである。

希望があるかないかそれが生命線である。

<<追記2016/04/10end

<<追記2016/04/11

ここまで苦労がすべてお金のためだったのいうのが最悪のシナリオである。

女のために苦労したが

お金しか人間関係が無い。

それが私が想定する一番最悪なパターンである。

父が食事や洗濯をするのが五年目に入り

お金があればもっと楽が出来たはずである。

この五年間は女のためだったというのが第二の最悪なパターンである。

ここまで来て女の方もそれなりに中身無いと

私達の生活は説明つかない。

こんなくだらない女のために苦労したのかと思う所でありえない。

まあここまで言ってきて

お金はどうなるのかという不安もある。

お金は水道管のように一般的に回るけど

手に入る現物は人それぞれである。

そういう所でお金だけを見てても仕方ないのに

お金でしか女が見ていない場合がもっとも最悪なケースである。

そんなこんなでどうなる事かと

それをカバーする女いるのか疑問でならない。

男でもなかなか中身があるって難しいのに

よっぽど中身のある女なんだろうなあと思う。

<<追記2016/04/11end

<<追記2016/04/12type1

駅のホームで障害者の批判された。

「あいつだって障害者だ。おかしいと」明らかに人権問題である。

幻覚の障害者だってノーベル賞とっている。障害者をあまく見ている。

障害者だって人様々である。ひとくくりに見る事自体が人権問題である。

<<追記2016/04/12type2

お金の話にしたくないなら

お互い自分の中身の話をする事である。

自分の中身の向上はお金によっても変わるが

努力によっても変わる。

私のホームページを見ればそれは明らかである。

私が変わったのはお金にも寄るが他人への観察眼もあるし努力もある。

他人の中身の話から自分にも出来る事がわかればハッピーである。

そういうハッピーな話こそが面白い。

ここまで来てそんなにお金にこだわる必要があるのか私にはわからない。

食事や習い事ぐらいかなあと思う。

それを他人のせいにするのはいかがなものかと思う。

それくらい自分で何とか出来るように思う。

その努力をおしまない人が文句言っているようにしか思えない。

<<追記2016/04/12end

<<追記2016/04/13

私のホームページは私がそう考えたというもので

真義を問うたものではない。

そう考える私がいるというものである。

そういう風にこたえてこう言うのが賢いかなあと自分で思う。

多分賢いというものがわかっていない人には通じない。

それを痛いほど感じている。

同窓生の何人か浮かんでくる。

それが俗世である。

何言っても通じない人がいる。

悲しいというかむなしいというかここまでくるとあきれるというか

無論若い頃からあきれているけど

それだけに今までイバラの道だった。

他人に同意を求めず私の中で平和どころか戦争だった。それはツライものだった。

ここまで一般常識までに昇華したのは稀有だろう。

なのに抵抗している人はそんな事は無いと他人に同意を求めている。

明らかにどっちがおかしいか判断出来るレベルになっている。

自己の損得で動くより私の方がマシである。

それが如実にあらわれている。

<<追記2016/04/13end

<<追記2016/04/14

本人は一般通念の話のつもりなのだろうが

結局世間巻き込んで自己の損得で終わっている。

周りの同意を取り付けてあたかも正義のように振舞って

周りの損得が自己の損得になっている。

まるでたちが悪い。

私が言える事はもうちょっと自分一人で頑張った方がいいのと

周りからの褒美は神にまかせる事である。

水泳大会の優勝は神の判断である。

決して人為的なものではない。

同意を取り付けて自分が正義というのはおこがましい。

そうやって正義ヅラするのは間違っている。

最終的な判断は神がするものであって本人がするものではない。

私的には英雄は神が選択する。

多分私ではないが私のような打たれ強い十字かを背負う人だと思う。

そんなボロボロでも立ち上がる人である。

もう頑張らなくてもいいよと言っても立ち上がる人である。

他人が心配するぐらいの困難を伴った人である。

そんな正義ヅラするのと真反対である。

誰が何を言おうと英雄の背中が語っている。幾多の苦難が物語っている。

すごすぎるとはこういう事である。

<<追記2016/04/14end

<<追記2016/04/15

昨晩は忙しかった。ドイツ語とかフランス語とかを作文したり

短歌や俳句などをノートに記したり

アンケートをチェックしたり

おかげで今日はゆっくりできそうである。

年々過密スケジュールになっているような気もする。

本人が楽しければそれでいいかと思う。

会社にいるより幸せ感はある。

多分自分がやりたい事をやれるからだと思う。

そういう意味で仕事はあんまり自分がやりたい感が無い。

だから自分がやりたい仕事って何だろうと漠然と問題は抱えている。

そろそろそういった事も考える必要がありそうである。

ヒントは経営学にもある。

人間の仕事に対する欲求は限定できるみたいなので

私なりに分析できそうである。

いろいろ読書したいと思っている。

<<追記2016/04/15end

<<追記2016/04/16

人生完璧に近づけるために生きている。

何のために努力しているのかウヤムヤにするほど社会はすり切れている。

この二つが今日のテーマだった。

経営が毎年継続する事が経営者の使命である。

完璧に近づけるからこそ継続する。

そのための努力とはいろんな価値観が必要である。

それなのにそれさえも社会はウヤムヤにしようとしている。

これが喜ばしい姿に思えない。

私を障害者にして仕方ないと言ってるのと同じである。

結局私がおかしいと言われているのと同じである。

私自身そういうのは慣れっこである。

社会はそれでいいのか私は問いたい。

いろんな価値観を大切にする必要があるんじゃあないのかと問いたい。

それでなければ完璧に近づけない封建社会と同じである。

何のために我々は民主主義をとっているのかと言いたい。

完璧をあきらめている人よりマシである。

完璧だと言って完璧じゃあない人よりマシである。

こんなに努力している私を無視して何の民主主義なんだろう。

そしてその努力をすくいだすのが社会じゃあないのかと思う。

なのにウヤムヤにしようとしている。

そして権威主義の封建社会に逆戻りである。

本当にそれでいいのかと問いたい。

私はおかしいからと難癖つけている。そんな社会でいいのかと言いたい。

<<追記2016/04/16end

<<追記2016/04/17

限りなく完璧に近づけているのが

科学でもある。

限りなく原因と理由のある労働だって出来る。

リコールだって

自動車に対して限り無く完璧のためである。

そうやって世間は完璧に近づけているのに

完璧に近づける人生が送れないのを言いことに他人に迷惑をかけるのか

私はどうしようもないねえぐらいしか無い。

どうしてそんな奴の話なんか関係あるのか理解出来ない。

現にそういう奴を避けて通ってきた。

今も避けて通りたい。

どうして私はそんな大多数を相手に話をする必要があるのか理解出来ない。

迷惑至極である。

この世の仕事は「報告・連絡・相談」つまり報連相が必要だと教わった。

それが私の報連相相手が完璧なんて無理って言う奴なんてナンセンスである。

むしろ逆であるそういう奴が私に報連相するのが常識である。

なんでこうも立場が逆になるのか理解出来ない。

何様のつもりで偉くなっているのかバカバカしい。

そうやって世の中を真っ暗にしている。

もうちょっとどういう奴が偉いのか真剣に考えた方がいい。

少なくとも完璧に近づかない奴は底辺で普通である。

<<追記2016/04/17end

<<追記2016/04/18

記憶の本を少し読んでいる。

最初に覚えて6〜12時間に二度目24時間に三度目みたいに繰り返す。

20秒間は覚えておくと長期記憶になる。

寝る前に覚えると忘れにくい。

年をとって時が早く立つ気がするのは

短期記憶が低下しているせいみたいである。

若い時は短期記憶がしっかりできているから長く感じるらしい。

まだ読んでる途中ではあるが

関心のある話で面白い。記憶の部分も知能に直結するらしい。

記憶できるのもそれなりに意味あるかなと41歳にして

本を読んでいる。

<<追記2016/04/18end

<<追記2016/04/19

自分自身あんまり大阪人が好きで無い。

三才から高卒まで大阪にいた。

小四の頃高槻に引っ越したのが最悪だった。

今もってこんなに自分が苦しんでいるのは

小四から高卒の間のこの時期のせいである。

山口や福岡が天国に感じた。

福岡でも女の子にそういう話を少しした。

高校の頃は何かもてた気はするが

居心地は悪かった。コンディション最悪である。

あの頃の大阪が私の印象を悪くしている。

あんなところに住んでなかったら今はもっとラクだったように思う。

いろんな所に移り住んで来たが大阪が最も最悪だった。

一応私は大阪府立三島高等学校というところを卒業した。

大阪にも三島というところがある。

山口から関西に戻る時はこんなヒドイ所に住んでたのかとビルのジャングルのように感じた。

あんまり名古屋もイメージが悪い。

私としては何か勤勉というような所がいい。

勤勉な奴が発言している所がいい。

勤勉な奴が特に面白い所がいい。

総じて大阪とか名古屋とかイメージ悪い。

何か努力とか勤勉とか面白いとか無視しているように思えるからである。

何でくだらない奴が権力を持つのか信じ難いのである。

そして最悪はパーセンテージでは無くて原因と理由である。

どこに原因があるのかそれが大事である。

私に最悪な原因は無い。

全部他人のせいである。

<<追記2016/04/19end

<<追記2016/04/20

蜜の味が止められない。何かそんな感じがする。

私自身自分の体を思うように動かなくて嫌な感じを持った事がたくさんあるから

多分そういった私の体の犠牲を払った代償のように思う。

私にとって足手まといでしかない。

それで私が完璧に近づくと関係があるように思う。

そして他人はそれを蜜の味に感じている。

こんなおいしい奴はいないと止まらない。

私はただ迷惑である。

いつまでこんなおんぶに抱っこを続けるのか理解出来ない。

私の体の犠牲でしかない。

それが止まらない。

そういう事が起こるまで続けようとしているしか思えない。

ここまでくるとイカれ狂っているとしか思えない。

ほとんど学校の先生と医者の責任である。

私にとってそんな事を許していいのか責任とってもらいたい。

私は自由を求めている。

それが私の本音でありそんな束縛をしたから

代償を払ってもらいたい。人権問題である。

<<追記2016/04/20end

<<追記2016/04/21

女の問題以外は順調である。

41歳にして未だに女の問題で幻聴が聞こえる。

ここまでくると

タタリである。

女の会話は通じない。それで女は効果あると思っているみたいである。

本当にタタリである。

何か段々女に興味を失っているような気もする。

精神的に疲れた。

私が女に求めるとしたら私や子供が愛らしくなれる事ぐらいである。

それが幻聴を聞いているとありえない。

女の会話が成立していない。

そんなのありえない。

やたら不安になるばかりである。

私はどうにか変になっちゃいそうである。

それで賢いと言えるのか理解出来ない。

ありえない人がありえない事言っているようにしか聞こえない。

それで愛らしくなるだろうか私はありえない。

私自身賢いより愛らしい組織なら結構自信ある。

そういう判断で動くなら動ける。

何か賢いってなかなか難しい。

価値観が違う賢いもあるからである。

だけど愛らしいなら大体わかる

愛らしい選択もわかる。

その愛らしいパワーもわかる。

そのためなら私は許せる。

だけど賢いは私にとって未知数である。

ただバカに対して賢いならわかる。

そんなに賢くなってどうすんのというのもある。

何かここにきて愛らしさを尊ぶ母親がだぶって見える。

何かそれが私の理想である。

それが未だに決着つかない。

いつまでこんな事を41歳にもなって続けるのか理解出来ない。

怨念としか思えない。

そんな判断もつかない恐ろしい女がいっぱいいるとしか思えない。

本当に女には参る。それが私の本音である。

<<追記2016/04/21end

<<追記2016/04/22

一体女の叫びが何の努力なのかわからない。

通じねえままに叫んでいるだけである。

パーも度が過ぎている。

会話の通じない人が頑張っているようにしか感じない。

それをどう処理しろというのか私には理解できない。

何で41歳にもなってこんな状況なのか理解できない。

努力しない人が努力しているようにしか思えない。

もうちょっとラクをしたいそんな気分である。

何で女だけがラクをするのか理解できない。

改心もしないで私に聞かれても私はどうしようもない。

だって私の話なんて聞いてくれないからである。

それは幻聴も同じである。

それをどうしようも無い状態と言うだけである。

それを毎日続けている。

えらい疲れた。

<<追記2016/04/22end

<<追記2016/04/23

日本では人間何が大事か難しくなっている。

私的には他人の要求に応えていくしかないと思う。

それでうまくいかないなら環境を変えるしかない。

それを繰り返していくしかない。

常に自分自身が何が本業かを考える事である。

それがもう一、二年で考えるべき事である。

ここまでは私自身としては満足している。

やりたい事をやっているからである。

次の展開を考える時が来ている。

そんな簡単に解決しないけどボチボチやりたい。

しばらく

物理と科学とJRさわやかウォーキングと

英語とドイツ語とフランス語と

俳句と短歌ぐらいの更新に控えるつもりである。

何だかやりきった感がある。

またグツグツ頭が沸騰したら書こうと思う。

<<追記2016/04/23end

<<追記2016/05/04

連休で

ようやく時間にゆとりが持てたので例外的に書き込む事にした。

今までは自分なりに出口を見つける活動だったと思う。

それなりに出口は見つかった気はする。

あんまり今の自分には疑問点が無い。

それなりに消化した。

それが全てだった気がする。

そんな手前何の疑問も無く過ごすのはそれはそれで大変な気がする。

世の中にはまだまだ疑問がたくさんある。

それが活力の源泉かなあと思う。

いろんなアイデアがアプローチする。

こんなに面白いもの無い。

自由とは可能性そのものである。

私もボチボチやりたい。

<<追記2016/05/04end

<<追記20160509

何か積年の労働を振り返って

私の仕事に対する思いをぶつけてみた。

私の悲しみをわかってくれない人が多い。

他人は見て見ぬふりしているだけである。

他人は給料をもらうために仕事しているけど

私はそんな待遇を受けていない。

何のために仕事をするか自分で考えなければ割に合わない。

最低の時給で四時間働いて

はじめて私は給料をもらうために働いていると実感する。

時給のみの7.5h以上は私自身何のために働いているか理解出来ない。

e-learning受けれるから働いてもいいだろうと総務に言われた。

総務も理解しているのである。

時給のみの私の給料で給料のために働いているなんて言えない事をである。

それなりの買い物出来て給料のために働いているのである。

そんな買い物出来ないで十六年もたっている。

こんなの犯罪である。

そんな事を許していいのか私には疑問である。

自動車にも乗れず家も買えず。

私に許されているのは本を買うぐらいである。

電子書籍を買えているのは最低時給で4hのおかげである。

それでも過去を振り返って今年で42歳でまともな評価もされていない。

本当に犯罪である。

他人に罪悪感無いのか聞きたいぐらいである。

ありえない事を私にしている感覚も無く

問題を先延ばしにしている。

私はもう十分ゴールに達しているのである。

いつまでダラダラとこんな犯罪を続けるのか理解出来ない。

<<追記20160509end

<<追記20160515

誰も文句が言えないほどにイカレまくっている。

それが私の実感である。

なのに幻聴で文句言われている。

理不尽きわまりなし。

そんなにお互いイカレまくって何が楽しいのか理解出来ない。

私としては私一人でもまともでいたい。

それが私の民主主義の使命である。

おかしな人がおかしな事言っているようにしか聞こえない。

そんなん私はどうでもいい。

私はそういう人間なのである。

出来るだけいい結果出るように一人になっても工夫したい人間である。

そんな結果にならない人とはあんまり関わりたくない。

その結果とは私一人だけのものとは限らない。

でもその結果に反する事は嫌う人間である。

だからおかしな事になる人に無頓着である。

はっきり言って眼中に無い。

それで今までおかしな事に付き合ってきている。

もうそろそろいい結果になるとはどういう事か考えた方がいい。

それなりに工夫しなければありえない。

それが出来ているのか私は問いたい。

その可能性にかけれるのか考えればおのずとはっきりする。

プラスにはたらく可能性にかけたくなるのが人間である。

そういう民主主義にならなければ日本は沈没である。

ここ最近は何だか世間話しているとこの日本は

年金にしろ給料にしろボーナスにしろ

矛盾をたくさんかかえているように思う。

可能性が停滞している。

たくさんの可能性を生み出さなければいけないのに

可能性がしぼんでいる。

どんな年代であれ可能性が無ければそれは社会の停滞である。

私自身はこんな状況を許していいのか疑問でならない。

リーダーとしては色んなところを改善して期待値を上げなければ

社会がしぼんでしまう。

あらゆる年代に期待値が必要である。

それを行政は改善する余地があるんじゃあないのかと思う。

結局自分の事しか考えていない世の中になっている。

もっと別の可能性がまだまだたくさんあるはずである。

なのにこのままでいいのか不思議でならない。

<<追記20160515end

<<追記20160516

昨日の話だといい結果しかのぞんでいないように聞こえたように思う。

ある程度目標を持っていい結果をのぞんでいるが

そうでもない事は存在する。

目標の無い会話だってある。

それだってそんな話無いよなと感じる時がある。

つまり楽しく無いのである。

私自身楽しい会話がしたいというのはある。

楽しく無い会話を聞いているとありえないなあと思う。

何か人間間違っていると思う。

それでも批判はしない。

眼中に無いとかスルーとかほっとくしか手段が無い。

そういう話が通じない事は私は痛いほど経験している。

それでも言う事は言うが

それで済ましている。

あんまり関わらないようにしている。

それが大阪とか顕著である。

ある意味都会病である。

それなのに私に関わろうとしている感覚が仕方無く

これまでのホームページに如実にあらわれる結果になっている。

本当は人権問題だろうが

私だって反撃ぐらいしたい。

そういう意味で正当防衛である。

<<追記20160516end

<<追記20160517

物理に関しては自分自身やりきった気はする。

でもこれからは自分一人で何とかなる問題では無い。

実験データも必要だし流体力学の発展も必要だし

私の研究範囲以外も色々影響するように思う。

21世紀も物理の時代になりそうな気もする。

ここまで来てコミュニケーションが大事である。

もうすでに私一人でどうにかなる時代は終わった。

今後の発展を夢を見て

そういう意味で私は未来が楽しみである。

読書含めてそういう知らない事を知りたいという欲求は今もある。

何だか楽しくなってきたみたいな感じもある。

科学者が知的に健康なのも社会のバロメーターのような気もする。

私自身あんまり自分だけでどうにかしようと思わないようにしようと思っている。

無論努力はするが

いろんな問題を共有したいと思っている。

他人の努力も尊重したい。

私としては他人が活躍すればいいぐらいに思っている。

もともとそんな感じでここまで来た。

私はあんまり主人公になりきれない。

主人公になるとしたら自分が愛らしくなれるキレイな女の人の前で

見つめ合う時ぐらいかもしれない。

自分が愛らしくなれるのは女性がソフトだからのように思う。

女性と子供を置き換えてもいいかもしれない。

多分子供もソフトだからだろう。

なんでソフトなのかは本人に愛があるからじゃあないかと思う。

それに私は愛で返す。

それも結果論である。

愛のある所に愛があるという気がする。

それが私が愛らしくなる理由である。

<<追記20160517end

<<追記20160518

今日は帰宅中に散髪した。

色々雑務に追われている。

何となくゆっくりしたい気分ではある。

人生何が良いのかわからないというのが私の実感である。

それは社会のせいもある。

医学のせいもある。

物理のせいもある。

私の責任では無い。

そんな事を許していいのか私には理解出来ない。

それでもボチボチである。

<<追記20160518end

<<追記20160519

女性のあっちがいい、こっちがいいに

幻聴によって私はふりまわされてる

私もそう言ってたい気になる。

なのに立場が逆になっている。

なんの権力があって私にストレスを与えるのか理解出来ない。

どうでもいい人がどうでもいいように言っているようにしか聞こえないのに

その人が権力をにぎっている。

何か世の中間違っている。

テレビの見過ぎなのではないかと思う。

誰でも主人公になんかなんない。

そんなに問題が解決しないなら

私が権力をふりまわしたい。

それが私の権利である。

なんでそんな強力な権力で私を困らせるのか不合理である。

ただあっちがいいこっちがいいとは

嫌な奴がいるという事でしかない。

私はそんな事に付き合えない。そんな話さえ聞きたくない。

小六に私がテンカンになった原因である。

私としては楽しくやってたい。

それが本音である。

私には関係無い女が叫んでいるだけである。

私には私の道がある。

あとは他人が判断するだけである。

なのに女は天下をとろうとする。

テレビの見過ぎである。

「女の努力が足らない。」

その一言に尽きる

<<追記20160519end

<<追記20160520

自分は仕事しないのに

仲間のおかげで仕事になっているなんてあるだろうか?

私にはそういう事は無いとは言えない。

でも少なくとも弱い立場である事は変わらない。

なぜなら自分が仕事出来ないからである。

仕事する以上仕事になってないといけない。

それだけの仕事をしましたと言えなければ給料は無いし給料カットされて当たり前である。

給料もらえる仕事がなければ仲間がいてもありえない。

それでも仲間がいれば仕事になるというのに私は否定しない。

そもそもそんな事考えない。

私は自分の仕事に集中したい。

人件費もバカにならないのに仕事もしないで給料もらうなんてナンセンスである。

そういう事を考えるのは経営者である。

中間管理職とか経営者はそういう仲間も必要かもしれない。

私はそういうの胡散臭いと思う人間である。

結構そういうのに定年後抜けきれない人を見ると

そういうの嫌だなと思う。

私はそういう人にならないようにしたいと人を見て思う方である。

そんなこんなで私は偉くなれない方なのかもしれない。

<<追記20160520end

<<追記20160521

自分の可能性をアップしたいのが今のところの目標である。

読書の消化が今のところの期待値である。

ここ一、二年はドイツ語とフランス語に費やした感がある。

正直自分の知らない事は山ほどあるというのが実感である。

なので自分自身全てやりつくしたとは言えない。

大学の疑問ややり残した事はやりつくしたが

それでも知らない事の方が多い。

なので読書で知る事が今の幸福である。

私の出来る事は出来るだけやってたい。

何事もボチボチである。

<<追記20160521end

<<追記20160523

世の中結果がすべてなんじゃあないの?

結果が受け入れられないなんて

小六の水泳大会みたいである。

いつまでこんな小学校と同じ問題を繰り返すのか理解出来ない。

そうやって試験を繰り返してきたのに

未だに結果が受け入れられないなんて私にはどうしようもない。

神様がそうしたんだから仕方ないしか無い。

そうやって結果を無視しても何にも世の中はヘンテコなままである。

結果ぐらいまともに評価出来なくて

世の中正常と言えるのか理解出来ない。

結果が気に入らなくても結果である。

真摯にたたえあってしかるべきである。

事実をねじ曲げて正義をとなえても

世の中ヘンテコになるだけである。

まともに働けない。

そんなに働けない世の中にしたいのか疑問である。

そうやって経済は困窮する。

結果は結果である。

次の結果に期待すべきである。

なのに次の結果に展望を示せないのは私の責任では無い。

どんどん展開するしか無い。

そうやって水泳大会のような結果でとどまっている。

それは愚かとしか言えない。

もう結果がすべてな世代にしろ

次の結果は若い者に期待するしか無い。

それでいいじゃあないのかと思う。

そういう意味で結果は結果である。

<<追記20160523end

<<追記20160524

人間皆同じでは無いというのが私のスタンスである。

小学校の頃からそれと対立する人とどうやって説得したらいいのか困っている。

私が許せないのもそれが原因である。

私にとって他人と違ってて当たり前なのである。

自分と同じはずだと思っている奴と話が合わない。

そして私もおかしいはずだと思っている。

どうやったら私とは何かがわかってくれるのか今まで苦心してきた。

私の専門から言ったら専門を極めれば極めるほど他人と違ってくる。

それすら理解されない私はあきれるぐらいしかない。

それなのに私も他人と同じはずだという論調が

私を許せない原因になっている。

ほとんど私の個性を無視している。

当の本人はそれがわからない。

私にとっていろんな専門家がいるようにいろんな個性があってしかるべきなのである。

なのに私の個性を否定して皆同じだとせまっている。

そして私もおかしいはずだと思っている。

そんなうまい話は存在しない。

それが私の結論である。

決定的に話が合わない。

もういい加減皆違うんだという結論で良いと思う。

そうしないと誰も努力しない。

現にそういう小学校だった。

時間的にも、もっと勉強に人生をかけた人間が秀才というのに

私が秀才と呼べない。

私の勉強の時間を考えたら天才の部類である。

そういう社会認識もせず努力を怠ってるのである。

みんな同じという名の下にどういうのが努力かわかっていない。

私はそう言った経験したので

勤勉が大事だと思う。

それが自分を肯定出来るからである。

なんか変な教義のせいで努力を怠るなんて愚劣である。

<<追記20160524end

<<追記20160525

他人の期待や自分の期待が交錯している。

私としては

お互いが発展していく関係でいたい。

そのための私なりの結論である。

みんなどうでもよくなるのを避けたいし

努力するのを尊重したい。

上から下まで一緒である。

上だけとか下だけは私には理解しがたい。

とりあえず人生なんとかなるやと思える日本にしたい。

そう思って今まで活動している。

そういう意味ではいろんな人を知っているのは

私なりの活動を生み出したけど苦痛でもあった。

私の場合おかしい性格あってもなおせると思っている。

自己修正できる。

だから他人も同じだと思っている。

リカバリーショットやバンカーショットのように人生なんとかなる。

なので一回失敗したからとか何回も失敗したからとかよりも

どうしたら対処できるかの方が大事である。

そんな事を繰り返したら性格も変わってくる。

それは他人に対しても自分に対しても変わってくる。

なので私はあんまり深刻に考えなくても対処していけば

性格ぐらい変わると思っている。

ただ単に対処していけばいいのである。

そうやってきて問題が複雑化するのは

人間関係である。

私は極めてスッキリである。

それは私が対処してきた結果である。

そういう意味でなかなか問題を先送りしてしまうのは

対処出来ないためであり人間関係も複雑化する原因である。

そういう意味で私なりに対処してきたという事だろうと思う。

<<追記20160525end

<<追記20160526

よく勉強してよく仕事してよく生活する。

それが私の幸福の最大である。

それは対処してれば可能である。

私のホームページにも手段が書いてある。

それ以上何をモメル必要があるのか理解出来ない。

あるとすれば結果ぐらいである。

だとすれば他人が次の結果を求めればいいだけである。

結果は手段があれば可能である。

こんなに実現しそうなものを

なんで私が引っ張り出されなああかんのか理解出来ない。

それは卑怯なだけである。

多分男が嫌われるのは対処できないからであり

それは嫌ってる女も同じである。

結局同じことでモメテいる。

そんなん私もくわない。

勝手にしてください状態である。

それがお互い乗り越えられなければ

結婚は無理である。

なので私には関係無い話である。

それに脱却出来る手段は自分で何とかするしか無い。

こんなに幸せに暮らせるのに

私は幻聴でストレスを感じている。

男も女も対処出来ない現実を私はどうしようも無い。

それぐらい自分をほめてもいいのかもしれない。

自分を天才の部類だと言った手前

それなりの認識はしている。多分科学が正しかったら私も正しいと思う。

それぐらい美しい感じが物理にはする。

美しいものからより美しいものになるとは

可能性が100%に近づく以上より美しいものが

より正しい道を必然的に示している様な気がする。

なので強力な科学を人間がやれば神秘的な力を得た様な気がする。

それは神の力なのではないかと思う。

そういう科学の力を感じる。

<<追記20160526end

<<追記2016/05/27

ここ一、二週間書き込みを続けた。

出来るだけ書き込みを減らしたい。

そう思って何か思いつく感じでいる。

ボチボチやりたい。

<<追記2016/05/27end

<<追記20160529

昨日は沼津のバルチケット一枚を使った。

二人で遊覧船と食事に使った。

演奏会も聞いたけど私は手を打って楽しんでた。

楽しんだと思うけど

私なりにお得感はあったが結構探すのに苦労した。

6時頃には帰ってしまったので

三島の一般市民レベルだと妥当な時間だったような気がする。

今日は裾野市の黒岳にのぼった。

富士山目当てだったが

晴れて良く見えた。

そのため何か家の中でも気分は良い。

今日も良く寝れそうである。

今週は土日がどうなるか計画に苦しんだが

過ぎてみるとうまくいった気がする。

来週は六月になる週である。

衣替えだなあと思っている。

元気出していきたい。

<<追記20160529end

<<追記20160531

ワインバーグの本を今日買った。

どんな本かわからないけど

色々間違えて科学は発展したみたいな感じにタイトルがなっている。

私的には現象を説明するのは色々間違えると思う。

でも一旦その現象の普遍性に立ち入ると

理論の純度が増す。

こんなに科学が発展している今こと普遍性を問い直せば

えげつない事になる。

私的にはそんな時代が到来しているような気がする。

まあ私も短歌や俳句やっているから

楽しんで本を読もうと思う。

三角関数もべき乗数で展開できる。

小数点何桁でも正確に計算できる。

それがデータを三角関数で関数化できる。

という事はべき乗数でも関数化できる。

指数関数もべき乗数で表せる。

対数もべき乗数で表せる。

そして三角関数でπの値を表せる。

小数点何桁の精度で三角関数がわかればπの精度も計算できる。

数学を道具として使えるのである。

<<追記20160531

<<追記20160601

今の心境は

他人を悪者にする最後の砦の様な気分である。

一体どこまで他人を悪者にする気なのか理解出来ない。

そんなの阻止した方が良いので無いかと思う。

なんでそんなのが常識で判断出来ないのか理解出来ない。

結局常識でも判断出来ない他人がいるというだけである。

会話が通じないのである。

小学校と中学校がそうであった。

だから最悪な小学校と中学校だった。

私としては自称小四卒である。

そんな会話が通じない中最後の防波堤である。

ひたすら耐えるしかない。

私がこたえれるものはこたえる。

そういう認識が無いのも困りものである。

人間何のためにおのれ自身が努力するの?

それが決定的に欠けている。

努力しない人がこたえれる話でも無いのに

それにこたえようとしている。私はそんな話ナンセンスである。

私としてはそれは努力している人から私は聞きたい。

それが下克上になっている。

そんな話ありえない。

<<追記20160601end

<<追記20160602

私がおそれるのは誰も勉強していない状態である。

努力はしていても勉強になっていない事である。

いくら官僚が偉くても

官僚が勉強していなければどうするのかと思う。

私だったらそんな責任持ちたくない。

できるだけ多数の国民にリスクを分散させる。

こんな日本経済の低迷は官僚だけで解決不可能である。

なのに頑張るらしい。

私にはあんまり関係無いので高みの見物である。

気楽なものである。官僚も気楽になった方がいいのではないかと思う。

それでも責任を負う気でいるらしい。

国民は責任をとってもらおうと思っていればいい。

それが日本の国の形であり

民主主義の国では無い。そんなの時代に逆行していないかと思う。

日本国憲法もここまで来たかという感がある。

新しい日本の国の形を求める必要がありそうである。

本当に今のままでいいのか疑問である。

責任のあり方をふまえて憲法を作った方がいい。

どうもこの日本は責任がどこにあるのか明確では無い。

責任の取り方まで必要な気がする。

それは今の政治を見てて痛切に感じる。

そして市場経済が本当に神の見えざる手になっている気が日本に無い。

品質の良いものが順番に売れている気がしない。

市場経済を見直した方がいい。

いくら工夫して良い商品でも売れない市場のように思える。

必要なのはマーケティングでもなく正当な市場経済な気がする。

そうやって一国民が言っても官僚は責任を負う気でいるのか聞きたい。

ただの権力の乱用ではないのかと思う。

<<追記20160602end

<<追記20160603

//日本国憲法前文草案//愛バージョン

日本国民は尊い人間を愛する国民であり、愛するが故に平和主義と国民主権と基本的人権を

堅持する。何人たりとも賛同するものが無くても

一つの愛を持って社会をのぞみ幾つかの愛を持って突き進む日本国民の姿として希求する。

何故に愛するのかと問えば

困窮すればするほど愛さざるおえないのであり

自らを愛らしくするものは愛するためである。

ここにきて

明朗な屈託の無い愛こそが日本国民の使命である。

我々が頑張ろうとするのも愛があるからである。

そういう愛のもとに日本国憲法が成立することを忘れてはならない。

またそういう愛を見つけて他国と平和主義を貫くと同時に

愛が無くては平和主義は成立しない。

まさに他国との関係は愛が存在するかしないかで左右されうる。

愛は妥協では無い。明朗な屈託の無い愛である。

その愛が人々の動機になりうる。

それが日本国民の姿である。

愛こそが我々を動機づける。それが日本国民の希求する愛である。

何人たりとも愛する事を忘れない事を宣言する。

それが日本国憲法の存在意義である。

愛が無くては我々日本国民は存在しない。

いかなる事があっても愛を堅持する事を希求する。

それが日本国民の存在意義でありまた日本国憲法の存在意義である。

//日本国憲法前文草案//愛バージョンend

何か愛以外でもいいかなと思ったりするけど

自殺する人も多い社会なので

愛があれば少しは違うような気もする。

救世主みたいな自殺もどうかなと思うので

どんな事があっても愛が必要っていうのはあり得るパターンかなと思った。

学校のイジメにもつながって社会規則も必要だけど

結局一人一人の愛が大切なのである。

平和主義にも少し言及したが結局愛でしか判断つかない事態に備えた。

そう思って日本国憲法の前文草案を作ってみた。

<<追記20160603end

<<追記20160604

今週も勢いで掲示板の書き込みをしてしまった。

まさか私がとんでもない書き込みをすると思わなかった。

積年の思いが詰まった感じがする。

人間自己修正を繰り返したらこんな事になるんだなあというのが実感である。

そういう人間にならんとあかん気もする。

それが私なのかはあんまり自信が無い。

ただそういう人間がいてもいいだろうとは思う。

ボチボチやりたい。

<<追記20160604end

<<追記20160605

ITは時間による労働の側面と言葉や論理による頭脳の側面があると思う。

何行目に何のエラーか判断したり

テストによるエラーの原因を判断したり

他人でも理解出来る文章の証拠を残したり

そんなこんなで時間がかかる。

つまり労働だけでも語れないし頭脳だけでも語れないのである。

私としては結構両方やるのはしんどかった。

分業するにしてもそれはそれで単価の問題がある。

頭脳にしたって私の場合学校でどうにかなるように思えない。

結局自分で勉強するしかないのである。

そして会社側にも環境と本しかない。

あとは自分でインターネット使ってどうにかしなければいけない。

そんなこんなで学校側も企業側もあてにならない。

自分でどうにかするぐらいの頭脳なら企業になんかにいなくて結構である。

労働に対しては単価の問題がついてまわる。

長ければ長いほど不利益である。

そうやって労働の側面と頭脳の側面が解決しそうにない。

それを解決しないとITの技術者を増やすのは困難な気がする。

結構バランス感覚がある人というのが私の理想である。

<<追記20160605end

<<追記20160606

私が東芝テックの子会社で不安の中を仕事した理由を考えてた。

インターネットと本しか頼れなかったのが一番である。

他人に頼れる組織では無かった。

そして掲示板もグーグルのキャッシュデータしか見れなかった。

そのキャッシュデータで対処した事もあった。

掲示板の書き込みが出来なくなった。

私のホームページも閲覧出来なくなった。

家でチョコチョコっとやって会社からアクセスもメールぐらいしか無くなった。

制約を受けて私の文筆活動も会社で出来無くなった。

総じて会社のプログラムの仕事は人間的に可能な仕事だった。

私に合わせた仕事では無くてもシステム上可能な仕事だった。

結局出来無い仕事はやって来なかった。

なので仕事とはそういうものだと思っている。

それぐらいしか組織としてのありがたみを感じなかった。

こんな時代に技術の話をする他人がいないのはどうしたものかと思う。

今もこの時代に対応出来なかった仕事をあれこれどうやったら良かったか考えたりする。

もっと自分なりに対応出来ない理由を明確にすべきだったかもしれない。

そのリストを作れば他人に対応してもらえたかもしれない。

そういう冷静になって今もあれこれ考えている感じがある。

そういうアプローチが上司にも無かったのも一つ問題がある気もする。

それでも六年2ヶ月大体対応出来た。周りにはプログラム作っている感じが無かった。

プロジェクト管理が主で下請けにプログラムを作らせてた。

それで一人ポツンと孤軍奮闘した気はしている。

いい経験にはなった。

今は私なりに可能性を広げていきたいと思っている。

当時よりはインターネットの情報が増えている。

年々増えている気がする。

それでも人間同士のつながりって大事のように思う。

それが私の一番の気がかりである。

<<追記20160606

<<追記20160607

ナンダカンダと仕事の事を書き込んだら

これからの目標が気になった。

そして今読んでる関心のある本のリストをピックアップしてたら

また外国語やりたくなってきた。

単語量を増やしたい気がする。

キオクの本も読んでたら結構頭には健康的らしい。

五感を使ったり寝る前とか6時間後12時間後に繰り返すとか

頭の体操になりそうな気もして

外国語の単語量に意欲的になっている。

他にはプログラム関連と経営学関連と会計関連と経済関連と哲学関連と科学関連が上がった。

全体を見渡して私は何をしたいんだろうと思うと

判断つかずとりあえず外国語かなとか思ってしまう。

多分言葉に影響を受けた自分がいるように思う。

そしてまだ考えたい自分がいる。

何を考えたいのか掲示板の書き込みを続けている手前

いろんなことが脳裏によぎる。

それが生きるという事のように思う。

<<追記20160607end

<<追記20160608

今日の作業量は少し多かった。

昨日は筋トレをして水泳の運動をした。

今日も帰り際少し筋トレした。

何となく元気になっている気がした。

そう言えばあんまり幻聴も聞こえない。

過去より負担が少なくなっているのは事実である。

これは何を意味するのか定かではない。

それでも過去の負担がいつまた起こるかもしれないと思うと恐怖ではある。

私の集中力はダマシダマシやってきた。

そのダマシダマシが薄れると私はどうなるのか私にもわからない。

それはそれでいいのか私自身あんまり自信が無い。

何にも自分の意思に反して物事が考えられそうである。

それが私にとってどういう意味を持つのか判断しかねる。

視野が広がって遊びみたいな思考回路が生まれてる気もする。

それだけ幻聴で頭を占有されてた。

まあ色々文句タラタラであるが

生きているだけが取り柄である。

人生そんなものかもしれない。

神の導きかもしれんが二度と同じ人生送りたくない。

そう思って人生を二度繰り返さないように生きている。

<<追記20160608end

<<追記20160609

私の方は人生を二度繰り返さないように注意している。

なのに他人は何回も間違いをおかす。

一体この状態をどうやって改善すればいいのか理解出来ない。

ほとんど他人の問題である。

私の問題では無い。

それを学習というのか私には理解しがたい。

学習とは失敗を回避する事ではないのかと思う。

私としてはもうこれ以上他人の失敗の件で右往左往するのは御免である。

それが私の学習能力である。

結局そんな学習もしないから、ありえない人がありえない事言っているようにしか聞こえない。

私は男にも女にも振り回されている。

それが脱却できるまでこのままの状態を維持したい気もする。

それが私の学習能力である。

一体これを何遍も繰り返して他人の学習能力というのか理解出来ない。

学校の先生の監督不行き届きである。

こんなんを社会人と呼べるのか理解不能である。

そうやって私を自立していないと公然と言われるぐらい

他人は何遍も失敗している。なんでそれで私が関係するのか理解不能である。

そのような他人とは関係の無い生活がしたい。それが私の欲求である。

<<追記20160609end

<<追記20160610

今週も書き込みを続けてしまった。

そろそろ停滞してもいいんだと思うが

私もなんかはっきりさせたくて書き込んだ。

明日は俳句と外国語でもやろうかと思っている。

日曜は松田駅でJRさわやかウォーキングを計画している。

大阪は都会だと思う。人が多い分それだけにイカレた奴も多い。

私は田舎者だからノーテンキでいたい。

笑い飛ばすぐらい明るくいきたい。

それが私の本音であり勝ち負けなんてどうでもいい。

生きていければいい。

それに立ちふさがっているのが今の現実である。

身動き出来ない。それを罪と言わず何が罪なのか理解できない。

契約社会にしても自由には程遠い。

そんな事を許していいのか理解できない。

亀になったような気分である。

お前は亀だ亀になるのだと言われている気分である。

<<追記20160610end

<<追記20160613

年金や給料やボーナスとか考えていると

出口が見つからない。

結局私は一人前では無いと言われているようだ。

私は私で防護した方が良さそうである。

こんな身分を十六年費やした世間が悪い。

もうとっくに十六年前に結果が出てる。

なのにダラダラやっている。

私に何と言おうが現実は変わらない。

私をはぐらかす事で精一杯である。

そんな事を許していいいのか理解できない。

みんな総動員した立派な犯罪である。

犯罪を繰り返しても何も現実は変わらない。

<<追記20160613end

<<追記20160614

「満足した豚より不満足な豚になれ。」

要するに知性に目覚めよみたいな話らしい。

それにしてもこれを自分に当てはめてみると不満足だらけである。

厚生年金も時給のように収入が無いとあてにならない現状と

時給ではボーナスも出なかった。

こんな状態で満足するのは自分の知性だけである。

つまり本を読んでいる時間と自宅のPCにむかっている時間だけである。

まともに働いて何が残るのか不思議で仕方ない。

ただ仕事で時間つぶしているだけである。

まともな収入が無いなら短時間で低賃金の方が私には合っている。

「満足した豚より不満足な豚になれ。」とは誰に言っているのかわからんが

不公平な立場の人が不満足な豚のように聞こえて仕方ない。

結局誰が偉いのかわからないと言っているようにも思う。

だからこそ知性に目覚めよと言っていると思う。

常日頃のおこないがいろんな形で出てくるんだと思う。

あんまりにも知性に程遠い世の中で

私は稀有な方だと私自身そう思う。

なんか一人で頑張っているようにも思う。

私自身これを広めていく必要もあるように思う。

私一人で終わらしていいのか疑問である。

そういう危機感が世の中に無いのが残念である。

知性とは伝統でもある。

和算と同じ運命を少し感じる。

それが日本の欠点である。何倍にもして効果を上げるそれが日本の急務である。

それが日本の教育者に欠けている。

本当にいい機会である。おうむ返しするような効果が大事である。

<<追記20160614end

<<追記20160615

行動のともなわない理想が小中学校に蔓延していた。

そう言った手前

私は努力するとはどういう事かとか勉強が出来るとはどういう事か関心事であった。

私はパソコンに計算させ自分の頭と格闘した。

それなりに実践の美学である。

どういう人が私を認め無いのか大体わかっている。

ある程度本人の行動がともなわないと相手するのも苦労する。

そういう小中学校だった。私としてはそんな奴と関わりたくない。

学校の先生の責任である。

私はそうやって自分の疑問に忠実に生きてきた結果なのである。

何にも偶然じゃなく必然である。

どちらにしろやる事やっていないとありえないわけである。

そのやる事とはどういう事かわかっていない人が私を困らせている。

小中学校を思い出すと多分永遠にわかってもらえない。

それが私を苦しめている。

私としてはそんなと関係無い所で生活したい。

それが私の本心である。

向こうもそうだと思う。

私はそれで結構である。いくら私を認めなくても結構である。

行動がともなわないで拒否している。

永遠に人の気持ちがわからない奴である。

こんなモンスターを学校の先生が作り出したのである。

現代文や国語など通じない。

それぐらい努力とか勉強とか大事なのである。

行動ある若者を増やしていかなければいけない。

そうじゃあないと宇宙語になっちゃう。

それを理想論で学校の先生は作り出した。

社会問題である。

私としては若者の特権とか女性の特権とかあんまり関心が無い。

行動しなくては宇宙語になる方が気になる。

そういう意味で人の気持ちがわかる人間になった方がいい気がする。

現状は私の苦労なんてわからない人が文句言っているだけである。

<<追記20160615end

<<追記20160617

土曜日は俳句と外国語やって水神さんに行って墓参りする。

日曜日は温泉に行く

なので比較的ゆっくりモードである。

今日もゆっくり寝ようと思っている。

比較的人生よくやっている方かなと思う。

欲望に目がくらむとロクな事無い。

理性を持って制したい。

ボチボチである。

<<追記20160617end

<<追記20160619

今日は湯の国会館で食事して温泉に入った。

帰宅後短歌二首と俳句三句と3Dパズルを完成させた。

早速3Dパズルの画像を撮影してメールした。

これから夕食してその後ビデオのテレビでも見る予定である。

とりあえず

3Dパズルの画像をセブンイレブンで印刷しようかなあと思ってる。

それからどうしようか考えようと思っている。

結構シースルーになった3Dパズルなので見づらくて結構苦労した。

もらったものなので

返事するのが適切かなあと思ったりして

ボチボチやりたい。

<<追記20160619end

<<追記20160620

今日は午後作業量が落ちた。

調子悪かった。

ニットがうまく置けず動揺した気はする。

あんまり良い気分では無い。

一体どこまで私はこういうのに付き合わなければいけないのか理解に苦しむ。

女も最悪ながら男も最悪である。

それで私何かが何の関係があるのかわからない。

わからない人がわからないように問題作っているだけである。

私はそんな問題聞いていない。

知りたくも無い。私はもっと違う問題を考えたい。

いつまで私の頭を使う気なのか理解出来無い。

これを犯罪と言わずして犯罪じゃあ無いのかと文句言いたい。

憲法違反である特に生存権で違反である。一体行政はこれをどのように認識しているのか

理解不能である。この国は最初から憲法なんて存在していない。

違憲審査権も発動しない。裁判官なんていらない。

全部間違っている。こんな事をやっている以上日本は信じられない。

それが私の持論である。

<<追記20160620end

<<追記20160621

唯物論と観念論を結びつけるのが人間の第六感ではないか?

ものに対する色々なデータから

人間は普遍性を見出す。

それは唯物論と観念論を結びつける人間の第六感に他ならない。

今宇宙のデータもある。太陽のデータもある。りんごのデータもある。

それを結びつけて認識する人間には感覚がある。

それが人工知能の最大の難問ではないかと思う。

明らかにデータを持って物を認識しているのは人間の第六感のように思う。

どういう第六感なのかは残念ながらわからない。

もしかしたら第六感以外にも複数存在するかもしれない。

生物学的にも物理学的にも唯物論と観念論を結びつける何かがある気がする。

今日は沼津駅でスズメを見かけた。

スズメはスズメで私を認識し私はスズメを認識した。

そこに何かがある気がした。

地球的にも宇宙的にも何かがそこに意味がある。

私には理解しがたい事にも意味がある。

それが人間の人生のように思う。

それはスズメも同じのように思う。

植物にも動物にも人間にもお互いを認識する意味があるように思う。

天体なども同じように宇宙かなたと人間の頭で認識するのは

唯物論と観念論が結びついているからではないかと思う。

それが人間の感覚のように思う。

<<追記20160621end

<<追記20160622

理系とか文系とか関係あるのか理解出来ない。

計算できるからと言って数学者になれるわけではない。

他人が理系じゃあないから文系なのか理解出来ない。

そうしてマイペースのはいいのだが

パスワードが覚えられないのを

私が話しても覚えられないと文句言われて

人の話を聞くでも無し。

なんかそんなこんなで調子が悪い。

多分人の話を聞く余裕も無いんだろうと思う。

自分がどうにか出来る事にしか興味が無い。

それで私に話をする。

全く調子が悪い。

ここんとこ仕事もあんまり順調とは言えない。

なので丁寧にやりたい。

また調子が上向く事もあるだろうと思っている。

そうやって物事をうやむやにして何が楽しいか私には理解不能である。

着実に事実を作る方が大事である。

そして最後に事実が残る。

それが本当の仕事のように思う。

他人が事実が作れないからと言って

他人に迷惑かけていいのか私には理解し難い。

上司と一緒に解決するしかない。

それが出来なければ仕事は無理である。

報告連絡相談で事実を作るしかない。

それが人間の道である。

だから私も着実に丁寧に仕事した事実を残そうと思う。

なのに自己中心的な発言には参る。

だったら私に話しなければいいのにと思う。

本当に調子が悪い。

それで本人は何にも感じていない。

本当に参る。

うやむやにするほど仕事は落ちぶれてないのを祈るばかりである。

<<追記20160622end

<<追記20160623

比較対象にされるのが耐えられない。

理由は恥ずかしいからでいい気がする。

女も女でそんなんに耐えれるんか信じられない。

AKBの番組も今の所耐えられない。

42歳にもなって何で比較対象になるのか理解し難い。

許容量が無くなってきている。

他人の許容量より自分の許容量の方が気になる。

仕事も比較対象になるなら

仕事も嫌だなと思う。

私はそんなために仕事しているわけではない。

ただ生活出来ればいいのである。

なのに他人は生活のためで私は比較対象のためなんて御門違いである。

いつになったら普通に生活出来るんだろうと疑問でならない。

他人の許容量は私には関心無い。

ただ私はついてけない。

私と違うんだぐらいしか無い。

それは私の責任では無い。

私とも関係無い。

なのにこう言う迷惑がひっきりなしである。

私としては勝手にしてくださいぐらいしか無い。

どうせ私の意見なんて聞く耳無いんだからそれでいいでしょう。

それなのに私が比較対象になる必要がどこにあるのか理解出来無い。

そうやって時間を費やしている。

あきれてものも言え無い。

迷惑極まりなし。

まず本人がそういう自覚が必要な気がする。

なのに本人は全く意に介さない。

これではいつまでも平行線である。

それで時間を費やしている。

せめて私にどうしろというのかリストにして明確にして欲しい。

それも無くやたら時間が経ってる。

私は人形の人間では無い。

意思を持った人格である。

何でやりたい事もあるしやりたく無い事もある。

私にはそれを選択する権利ぐらいあるだろうと思う。

恥ずかしい比較対象は身にこたえる。私自身そういう年齢である。

それを女の方も耐えれるのか聞きたいぐらいである。

多分女の方がもっと恥ずかしいんじゃあ無いのかと思う。

それをいつまで続けるつもりなのか疑問でならない。

<<追記20160623end

<<追記20160624

人間の劣等性が言語を生み出し人間社会を構成した。

そこには現実との接点がある。

宇宙もそうだし天体もそうだし自然もそうである。

なのに人間の劣等性が非現実に向かって

私を困らせている。

結局現実を前に実行を繰り返すしか経験出来ない。

パソコンをどれだけ実行したかとか

俳句や短歌をどれだけ作ったかとか

今の仕事をどれだけこなしたかとか

それでようやく現実が見えてくる。

そこに人間としての知識がある。

なのに日本語が通じないのは

人間の劣等性にあるのではなく

戦略の間違いである。

もっと効果的な戦略を持つべきである。

誰が失敗だらけの戦略を参考にするのか理解出来ない。

そう言っても私の意見は聞いてくれない。

だから全部ヤケクソ気味である。

一体いつまでこんな不毛な議論をするのか私には信じられない。

そんなん無視でしょ。

もっと効果的な戦略を考えた方がいい。

明らかに間違っている。

そうやって私は私なりにヒントをばらまいている。

あとは本人次第である。

あれからアドラーの心理学読んでたら

優越感をもって耐えがたい劣等感を補償するのが

優越コンプレックスの正体だそうです。

私にとって優越するのは

何かが出来るようになる事である。

だから私の話を聞けば他人も同じ道を進めると思う。

なのに私の話を聞こうとしない人が私を困らせているだけである。

私はどこまでも話をする。

要は聞こうとするか聞こうとしないかしかない。

<<追記20160624end

<<追伸20160624

結局今週も書き込みを更新している。

外国語もあんまり書く材料が無くなってきた。

外国語も来月の1回ぐらいは出来そうである。

本を消化しては発想が浮かぶ。

仕事ネタもある。

生きている証拠は残せているかもしれない。

私としてはただそれだけである。

この日本が自由だったら

私はもっと自由に仕事している気がする。

それだけに権力に屈している気はする。

誰も私に接点を持たない閉塞感を感じる。

それも私にしたら生きている証拠である。

<<追伸20160624end

<<追記20160625

迷惑な人がそんなに私に関わろうとするのが

私には全く理解が出来ない。

そんなに私は面白いのかと聞きたいぐらいである。

私自身全く関係無い話をしているようにしか思えない。

どうして私の人生において関係無い話を私にするのか戸惑うばかりである。

私の問題は私の中で解決している。

解決していないのはむしろ他人だけである。

それは私の問題になっていない。

子供の時も大人の時も解決していないのは他人だけである。

私自身は前向きにやっている。

大人になって前向きにやれたらそれでいいのと違う。

それが何でそろいもそろって後ろ向きにならんといけないのか理解不能である。

それが当面の不安材料である。

なんか話を聞くたんびにやってられなくなる。

どこまでこんな状況を繰り返すのか理解不能である。

もう少し私の正当防衛を認めてくれないかと文句言いたい気分である。

<<追記20160625end

<<追記20160626

結局昨日外国語の来月の計画を立てて

七月は何とかなりそうである。

昨日は午前三時とか四時に目が覚めて

五時過ぎにまた寝てしまった。

今日は午前中は起きてもウトウトしていた。

かえって昨日雑草を抜いて疲れたかなあと思ったりした。

でもまだ三、四メートル雑草が残っている。

天気見てボチボチやりたい。

今日は

湯の国会館で昼食し温泉入って

帰宅後

ヤマダ電機で買い物して

イトーヨーカドー三島で買い物した。

何かやる事やったような気がした。

昨日は雑草抜いた後

枝豆をゆでた。

今日の夕食で食べ終えた。

ナンダカンダと過ぎてゆく。

人生そんなものかと思ったりする。

そこにも何か意味がある気がする。

未だそれがつながっていかない。

何かがつながる気がしている今日この頃である。

<<追記20160626end

<<追記20160627

今日は仕事して夕食の買い物して帰った。

通勤時に少し読書した。

何の意味も無く地球に生物はいない。

地球の生物は何かしらの意味がある。

なんか至る所動物植物の生物にはつながりがある。

お互い無関心そうな世界になんかつながりがある。

未開の領域に占める役割に

生物の存続がかかっているのか

あらゆる領域に生き物がいる。

それに何かつながりがある。

もしかしたらそれが宇宙につながっている気もする。

そうやって生物としての生き残りを図っているようにも思う。

ただ誰かが生き残っていく、そういったところに

私なりの使命があるのかもしれない。

それが人間と限らないかもしれない。

私が人間である以上人間を生き残らせる必要があるような気がしても

生物の私としても生物を生き残らせる必要もあるのかもしれない。

<<追記20160627end

<<追記20160628

私としては自分が出来る事から現実化するべきである。

いくら他人が可能だって自分が可能で無いものまで可能にはならない。

自分を除いて他人が出来る事から現実化するものでは無い。

だから本人が可能になる事の方が大事である。

だから結局本人の問題でしか無いのに

他人の問題になっているのが根本的に間違っている。

そんなんより本人の不可能性の方がより深刻である。

それは私にもどうしようも無いからである。

それで私がどう関係があるのか理解に苦しむ。

関係無い人が関係無いように発言しているだけである。

あとはほとんど本人の問題である。

そして私は他人の不可能性まで議論する気は無い。

私の可能性を現実化するのみである。

ヒントはそこらじゅうにいっぱいある。

それを可能にするのも不可能にするのも他人である。

それでなんで私を取り上げる必要があるのか理解不能である。

他人の利権ぐらいしか思いつかない。

そんな簡単に済む問題なのか理解に苦しむ。

もっと努力した方がいい。それが私の第一感である。

<<追記20160628end

<<追伸20160628

外国語も定期的に詩を取り上げようかと

計画している。読解も必要に思う。

気分転換にもなるかなと思う。

最初は詩でも無く文章でもいいかなと思う。

少しずつ乗り越える機会にしたい。

有意義になるようになるといいなあと思っている。

<<追伸20160628end

<<追記20160629

家に帰って俳句と短歌を作った。

外国語の計画はさておき古文と漢文が少し気になる。

後回しになっている。

ちょっとどうしたらいいか妙案が浮かばない。

数学の本もストックされつつある。

いずれにせよ自分なりに環境を整えば

周りも影響してくる。生物とはそういうもののように思う。

自分なりに工夫していると周りも追いついてくる。

それは人間もそうだし生物としても言える。

だから家事も同じ程度に意味がある。

人間的にも生物的にもである。

だから人間のやる事に意味がある。

私としてはそう思いたい。

そう思って生きていきたい。

そうして一つ一つ真実に近づきたい。

それが私ののぞみである。

それも時間がかなり必要な気がする。

ボチボチやりたい。

<<追記20160629end

<<追記20160630

共同体の貢献と言っても

友達レベルとか会社レベルとか日本レベルとか世界レベルとか人間レベルとか

生物レベルとか太陽系レベルとか宇宙レベルとか

色々ある気がする。

多分お互い理解出来ないレベル差がある気がする。

私的には

公共性と私事は分けて考えるべきだと思う。

そうすれば私自身色んなレベルで考えられるからである。

何か私の問題の一部は公私混同にある気がする。

本人の問題が友達レベルだったりしている。

私のレベルが友達レベルだったりしている。

これでは私はいつまでも困った状況である。

私自身は私自身の問題であり他人は他人の問題である。

全く関係ない。

ともかく私自身は友達レベルをずっと続けているわけではない。

ある時は私の事のみであり

ある時は会社レベルだったりする。

それを全部友達レベルになんかなんない。

私自身なりようがない。

そういう私を悪だというなら悪かもしれない。

でもそれが私の冷静な判断である。

物事をすべて友達レベルで平和的に解決しない。

それが私の認識である。

文句あるなら神に言ってくれと言いたい。

一体今まで何を勉強してきたのかわからんが

そういう認識に至らないのはやっぱり教育の失敗である。

学校の先生が反省すべきである。

<<追記20160630end

<<追伸20160630

みんな賢い人の言う通りになる。

それでいいと私は思う。

何にも抵抗する事ない。

わけわからん人の言う通りよりマシである。

なのに小中学校の繰り返しである。

いつまでそんな話に付き合わなああかんのか理解不能である。

権力の乱用である。

みんなどうしようもないねえでいいと思えない。

せめて賢くなりましょうで結論である。

私もボチボチやりたい。

<<追伸20160630end

<<追記20160701

とりあえず七月に入った。

精神的なソフトタッチに一票みたいな気分である。

なのに幻聴の女は

汚いネバネバのネチョネチョである。

一体この差は何のなのか理解不能である。

男の私には全く理解出来無い。

どうしてこんな差が生まれるのか教えて欲しい。

どっちが私にとって頑張るかと言えば

精神的なソフトタッチである。

私も精神的なソフトタッチで答えたい方である。

そしたら私も素敵になれそうである。

なのになんでガメツイ汚いネバネバのネチョネチョが問題になるのか私にはさっぱりである。

私まで汚くなりそうである。

私も素敵でいたい方である。

まあ物理の美学に似ている気がする。

幻聴は本当に疲れる。

そして催眠術にさいなまれて仕事も苦労している。

一体これを許している社会も社会である。

罪深き社会と言って申し分ない。

全然汚い社会である。

そんな美学私には持ち合わせていない。

これを許している法律って一体何なのか

自然を超越する気でいるらしいぐらいしか思えない。

なんか生きる勇気失いそうである。

本当に自然やら科学を冒とくしているぐらいしか思えない。

そんなこんなで神を超越しようとしている。

絶対おかしい。

それを本当に許していいのか私には関係無い話である。

ほとんど他人の事情である。

私の事情では無い。私に起こっている事が私に関係が無い。

それを正義というのか全然理解出来無い。

ほとんどおんぶにだっこである。

それも我が子なら少しはわかるが全く関係が無い。

それを許しているのは罪なだけである。

一体いつまで時間を使う気なのか理解不能である。

<<追記20160701end

<<追記20160702

今日は水神さんと墓参りした。

午前中は庭の手入れした。

山は霧がかかって路面がぬれてた。

梅雨時期の山らしかった。

今日もよく寝れそうである。

私の実感は男も男なら女も女である。

そんなに一方的に解決する話ではない。

どっちも同じである。

そんなのに巻き込まれている私はミジメである。

だってどっちも同じ心境だからである。

なのに女は女で問題をかかえ

男は男で問題をかかえているだけである。

そんなんいつまでたっても解決しない。

それをミジメな心境という。

ほとんど私の問題では無い。

男と女の問題である。

そんなんいつまでたっても解決しない。

それで他人と関わって私は何の利益になるのか理解出来無い。

私は私のやる事をやっている方がマシである。

それがサバサバした私の心境である。

<<追記20160702end

<<追記20160703

今日は車で富士吉田まで行った。

途中キリンディスティラリー 富士御殿場蒸溜所で見学した。

前回さわやかウォーキングで見学出来なかったので

見学して試飲した。

私はハイボールを一杯もらった。

富士吉田の手前のさかな公園で昼食しスイカを買った。

富士吉田の道の駅で買い物して

帰った。帰りは浅間神社に寄って帰った。

帰宅後は

短歌と俳句を作った。

これからゆっくりする予定である。

<<追記20160703end

<<追記20160704

一体会話も通じないのに毎日ノイローゼになりそうである。

そして仕事も苦戦している。

こうやって何が実現したいのか理解不能である。

私に関係無いぐらいしか認識できない。

私なんかいなくてもいいのだぐらいしか認識できない。

私が必要ならこんなことは許さないだろうぐらいしかない。

そんな常識判断を私はしている。

私としては許せない。

自分の神経がズタズタにしてまで仕事する必要を感じない。

そんな正義は存在しない。

なのに現実はそれを許している。

結局私はいなくていいんだというのが私なりの認識である。

それぐらいの私の配慮は存在しない。

そんなこんなで私には正義なんて存在しない。

それを如実に認識している。

<<追記20160704end

<<追記20160705

こんなにフラついてたら私は正義は持てない。

神の命ずるままに神に導かれるしかない。

私はソクラテスのようにはいかない。

母との口論を経て

多少は似ているがソクラテスになっていない。

議論する人は父親と親戚のきみちゃんぐらいである。

それと本ぐらいしか機会がない。

かみ合わないスポットライトなんていらない。

議論したい気はするかもしれない。

結局議論する相手も大事な気がする。

それが当面の心配である。

私が頑張るのは生きてて面白いからである。

つまらない奴にはなりたくない。

だから頑張るのである。

ただそれだけである。

面白い方にかけてみたいそれが私の本心である。

<<追記20160705end

<<追記20160706

私は他人の出来る出来無いで生きていない。

私自身面白ければいいのである。

出来るだけ面白い方にかけたい。

それが私である。

クソ面白くも無い事に従事するほど暇では無い。

なのになんで私を使ってストレスを与えるのか理解不能である。

私を除外している事だけは確かである。

そんな正義はフラついている私には受け入れがたい。

私としては神の言う通りに導かれるままに進むしか無い。

正義なんて言っている奴がうらやましい。

私には正義を持てないからである。

そんな正義なんてあるのか聞きたいぐらいである。

そんなん関係無く私は生きている。それが私の現実である。

なんのスポットライトも必要無い。

ただ私は面白い事やっていたい。

そのためだけに私は頑張れる。

それが一般庶民の感覚ではないだろうかと思う。

なのにクソつまらないストレスを受けている。

そんなの人権問題である。

クソつまらない社会のためにクソつまらないストレスなんてナンセンスである。

そんなの退場である。

やっぱり一人一人パラダイスを追求すべきである。

クソつまらない奴のためにクソつまらない社会なんていらない。

それが私の社会的感覚である。

<<追記20160706end

<<追記20160707

遺伝だけで語るのも環境で語るのも手段で語るのも

私はあんまりピンとこない。

結局大体の事をやる事やるしかない。

それだけやってナンボである。

それだけの事をやる覚悟があるのか私はピンとこない。

ほとんど他人の問題である。

私の問題ではない。

私の事は私で覚悟出来ているけど

こと他人に対してはあんまり自信が無い。

それだけの覚悟をしているのか私には疑問である。

苦痛やマイナスさえも受け入れる覚悟に似ている。

ただ幻聴を聞いているとただ得をしようとしているだけにしか聞こえない。

そんなのを覚悟とは言えない。

覚悟の無い成功なんて無い。

スポットライト当ててたら成功するんじゃあ無い。

成功するからこそ苦痛やマイナスさえ覚悟しているのである。

そうすると他人に対してあんまり自信が持てないのが私の気持ちであり

私を困らせている奴も全く自信が無い。

多分無理である。だって得する事しか眼中に無いからである。

そこの覚悟を示さない限りその努力はいつまでも無理である。

<<追記20160707end

とりとめのない趣味の小話3