アドラーは、人には優越性を追求しようとする力が備わっていると言います。
優越性の追求とは、「下から上へ、マイナスからプラスへ、敗北から勝利へと進行する」(アルフレッド・アドラー,2010)活動のことです。目標に向かって努力し、完全性を追求し、それに伴って自尊心が高まっていく様子を指します。
優越性の追求における目標を、優越性の目標と言います。優越性の目標には、全般的な目標(「原型」とも言う)と、具体的な目標があります。
全般的な目標とは、最終的に求めている目標状態を指しますが、通常は本人にも意識されることはありません。
一方、具体的な目標とは、全般的な目標が具体化されたもので、職業選択(「エンジニア、建築家、プロの競技者(後略)」)や、生活の一側面(「料理、庭いじり、家事(後略)」)が目標となります。(ロバート・W・ランディン,1998)
例えば、死への不安に対抗したいと望むのが全般的な目標、医師になりたいと考えるのが具体的な目標、といった具合です。
優越性の目標は、4〜5歳までに決まるとされます。幼少期の経験や器官劣等性(「劣等感」の項を参照)などから生じるとされます。先ほどの例で言うと、幼少期に死の不安に直面した結果、医師を目指すようになった、ということが挙げられます。
また、優越性の目標は、その人のライフスタイルを、そして行動を規定します(目的因論)。従って、誤った目標(不適切な目標)を持っていると、行動も不適切なものになります。
例えば、劣等コンプレックスを持っている人が、自分にとって困難な状況を避けること(それによって優越性を保とうとすること)を(意識しているか否かに関わらず)目標にしている場合、その目標を実現するために、神経症の症状(不安症など)を呈する可能性があります。
アドラーは、どの様な目標も、多少なりとも誤りを含んでいると言います。しかし、共同体感覚を伴った目標、つまり他者や共同体に貢献できる目標は、誤りは大きなものにはならないとします。
つまり、他者や共同体に貢献する様な目標、アドラーの言う共同体感覚に即した目標こそが、自分にとっても他者にとっても望ましい目標ということになります。ハードルが高い様にも感じますが、実際はどうでしょうか。
優越性の目標は、仕事や家事、趣味、その他の活動に表現されます。そして、通常の(つまり非倫理的でない)活動は、どの様なものも、他者や共同体に貢献していると思います。なぜなら、直接的であれ間接的であれ、自身も含め、人々の生活を支え、人々を豊かにするからです。
あなたの仕事や家事、趣味、その他の活動は、誰をどの様に喜ばせていますか?
優越性の追求に類似した他の概念としては、ロジャーズ(Rogers,C.R.)の「成長仮説」、アブラハム・マズロー(A.H.Maslow)の欲求段階説における「自己実現」なとが挙げられるでしょう。興味のある方は調べてみてください。