劣等感とは、一般的には「自分が、なんらかの点で他人より劣っていると思い込むこと」を言います(新明解国語辞典)。
一方、アドラーの著書では、劣等感を、「無能感」「弱いと感じている」「征服されている」(アルフレッド・アドラー,2010)などと表現しています。具体的に何らかの能力が劣っているという感覚だけではなく、漠然と、自己を弱い存在に感じたり、劣位にあると感じることなど、広い意味で捉えているようです。
アドラーは、人は誰しも、多かれ少なかれ、何らかの劣等感を抱いていると言います。それは、人が、幼少期より自分の力で解決できない出来事に遭遇し続けるためとされます。また、身体の機能が十分でない場合に、そのことに劣等感を抱くケースもあると言います(「器官劣等性」と言います)。
劣等感を抱いていても、課題に取り組む勇気を持っている人は、状況を改善しようとします(「補償」「優越への努力」と言います)。しかし、勇気をくじかれた人は、状況を改善しようとするのではなく、自身を傷つける可能性のある状況を避けることで、自尊心を保とうとします。この様な状態を「劣等コンプレックス」といいます。
劣等コンプレックスのパーソナリティ特性は、「恥ずかしがり、臆病、過度の依存傾向、言いなりになる服従傾向、さらにずうずうしさや衝動性、(中略)マゾヒズムの傾向、あるいはサディスティックな衝動」(ロバート・W・ランディン,1998)とされます。
この様な人は、行動の領域を制限し、失敗や困難な状況を避けようします。また、弱さを武器にして他者を支配しようとします。アドラーは、例として不安神経症や引きこもりを挙げています。
また、劣等感を補償するのではなく、自身を優れているように見せかけることで自尊心を保とうとする状態を、「優越コンプレックス」といいます。
優越コンプレックスの性格特性は、「横柄であったり、俗っぽかったり、うぬぼれていたり、専横であったり、横暴であったり、あるいは他の人の人生を動かそうとしたり、あるいは著名な重要人物に自分をくっつけたいという願望を表す」(アルフレッド・アドラー,2010)とされます。
優越コンプレックスを持つ人も、他者を支配しようとします。
劣等コンプレックス(または優越コンプレックス)は、神経症を引き起こす原因の一つになります。