人生の意味とは、何のために生きるのかという問いに対する、その人の答えのことです。
人々が人生に与える意味は人それぞれですが、よりよい人生の意味に共通するのは、他者への貢献、関心と協力であると、アドラーは言います。
その理由は、「人生の三つの課題」にあります。
人は、生きていく中で、①仕事、②対人関係、③性という三つの課題を乗り越えなくてはならないと、アドラーは言います。
我々は「地球の自然によって課せられた限界内で生き残ることを可能にする仕事」(アルフレッド・アドラー,2010)を見つけなくてはなりません。つまり、自分が生きるために、そして人類が生き残るために、適切な仕事をしなくてはならないのです。これが①の仕事の課題です。
また、我々は、「弱さ、欠点、限界のために(略)一人であれば滅びる」(アルフレッド・アドラー,2010)可能性をはらんでいます。このため、いつも他者と協力し合って生きてきました。それは今の時代でも変わりません。これが、②の対人関係の課題です。
更に、「人類には二つの性があり、人類が存続するかは両性間の関係にかかって」(アルフレッド・アドラー,2010)います。これが、③の性の課題です。
以上の三つの課題を踏まえ、人生の意味は、他者への貢献、関心と協力であると、アドラーは結論付けます。
「我々が祖先から受け取った遺産(中略)で残っているものはすべて、人間の生活に貢献したものだけである。耕された大地、道、建物(中略)、伝統、哲学、科学、芸術(中略)、技術(中略)である」。そして、「協力しなかった人(中略)の人生は不毛だった」としています(アルフレッド・アドラー,2010)。
人生への意味付けは、その人の行動に現れると、アドラーは言います。つまり、人の行動は、過去の経験によって決定される(決定論)のではなく、その人にとっての人生の意味、つまり人生の目的によって決定される(目的因論)と考えたのです。現在は、過去の結果ではなく、未来の結果だと捉える視点が、とても独創的です。
ちなみに、フロイト派は決定論の立場をとりますが(神経症の原因は、幼児期の発達の問題や、抑圧された過去の外傷体験にある)、アドラー派は決定論を否定はしないものの、目的因論を重視する点に特徴があります。