共同体感覚とは、「私はまわりの人々と結びついている」、あるいは「人々とともにある」、といった感覚のことです。この感覚には、他者に貢献しようとする態度や行動、他者に関心を持ち協力しようとする態度や行動を伴うとされます(共同体には、家族、学校、職場、地域社会、国家など色々なレベルがあります)。
人間は他の動物に比べて身体的に弱い存在であるため、この様な感覚や態度、行動を発達させてきました。加えて、他の動物には見られない「分業による協力」というシステムを生み出してきました(例:狩りの道具を作る人と狩りをする人が分業するなど。協力無くしては成り立たない)。
人は生まれつき共同体感覚を発達させる素質を持っているのですが、共同体感覚の発達の度合いは、養育者の関わり方(アドラーは母親の関わり方を重要視しました)によって左右されるとしています。
共同体感覚があり、他者に関心を持っていて、協力的で、他者に貢献する行動をとる人は、集団への所属感(居場所がある感覚)や、集団から受け入れられているという感覚(他人の役にたっている感覚)、安心感を持つことができるとしています。
「劣等感の補償(劣等感を克服しようとすること)」や、「優越性の追求(目標を追求すること)」には勇気(予想できない未来へ踏み出すための勇気)が必要となりますが、共同体感覚はその勇気の源泉にもなるとしています。
逆に、共同体感覚が少ないと、居場所が無いと感じられ、自信も持てず、不安感が強まります。神経症患者、精神病患者、犯罪者、問題行動のある子どもたちなどは、共通して共同体感覚が不足していることから、共同体感覚の欠如がこれらの要因の一つだと、アドラーは考えました。
心理学における類似の概念としては、アブラハム・マズロー(A.H.Maslow)の欲求段階説における「社会的欲求(集団に所属したいという欲求)」、マレー(Murray,Henry Alexander)の社会的動機における「親和欲求(仲間と協力し親密でありたいという欲求)」が思い出されます。
共同体感覚は、なぜこの様な欲求が生じるのか、この様な欲求により何を得られるのか(得られないのか)までも説明します。共同体感覚を、文化的な価値観(どう振る舞うべきか)と個人との関係の問題と捉えれば、もっと広く、社会心理学、文化心理学の領域でも検討され得るテーマかもしれません。
なお、アドラーの言う共同体感覚は、人間だけでなく、動物、植物、宇宙までもが対象とされます。ここまで幅が広がると観念的すぎて違和感を感じる人も多い様ですが、共同体感覚を「人々と共に生きる、自然と共に生きる」という感覚、「私たちが暮らすこの世界をより良くしたい」という感覚、と捉えれば、無理なく理解できるかと思います。