4/11 実質は最後の英国です明日、明後日は飛行機ばかりなので。今日はピカデリー、ソーホー周辺のごちゃごちゃした所を廻りロンドン・アイで閉めです。
7時に起きてチェックアウト、笑いながら「最低やったで(日本語)」と言ってカードキーを渡して宿をでた。
今日は廻りながら宿をさがして、なかったら空港の待合室で夜明かしでもしようと思いながら出発。
まずは、インディカ・ギャラリーへ
①インディカギャラリー:6 Mason's Yard SW1 London
1966年3月ピーター・アッシャーが共同経営者のアンダーグラウンド文学やアートの店でポールの支援でオープンした。
ヨーコの個展「未完成の絵画とオブジェ」が1966/3/10から行われ、その前日の内覧会にジョンが訪れジョンとヨーコが出会っている。
インディカ・ギャラリー
次は、ピカデリー駅前へ、この辺細い道が多く自転車の通れない所もあるので駐輪して徒歩で
②ピカデリー・スタジオ:201 Piccadilly W1 London
1949年~1972年まで、ここにはBBCのスタジオがありピカデリー・スタジオと呼ばれていた。
BEATLESは1963年~1965年にかけて5回収録をしている。
1963/3/21初のBBC出演もここで収録、"On The Scene”という番組
ピカデリー・スタジオのあった辺り
次は、"HELP!"の撮影現場へ
③アスプレイ:65-169 New Bond Street W1 London
1965/5/9映画”HELP!”でリンゴの指に食い込んだ指輪を外すために訪れるシーンを撮影した宝飾店が今もある。
ロンドン1の技術と価格のお店です。
ジョンは撮影の時600£の買い物をしたそうです多分今の500万円ぐらい
アスプレイ、お土産に買って帰ろうとしたが開店前ってそんな訳ないやろ
次は、セビルローへ
アスプレイの近くにあったチャーチルの銅像
④アップル: 3 Savile Row W1 London
ロンドンでのBEATLES聖地中の聖地アップル本部のあったビルです。
1968/7/15にここに入居していますが解散後も各人のオフィスが設置されていました。
当時はここに来ればメンバーの誰かに会えたらしいです。
1976年10月にアップルがこのビルを手放してから工事が行われたそうですが正面の部屋はほとんど当時のままのようです。
但し、玄関の戸は変えられどこかに保存されているそうです。
最後のコンサートを行った屋上はすっかり変わっているそうですがやっぱり昇りたい。
この二人ここで朝飯を食べていたので一旦パリススタジオにいったが戻ってきたらまだいた。
真中がアップル
この上がルーフ・トップ
正面入口
落書きは無かった
1階右はジョンとヨーコが使っていた
嗚呼アップル
アップル玄関前で二人の男が朝飯を食べていたので、先にBBCパリススタジオに向う。
⑤BBCパリススタジオ:12 Regent Street W1 London
1962/11~1964/7までラジオ番組の為、演奏した。
1963/4/4番組収録の後デゾ・ホフマンがスタジオ入りする設定で撮ったシーンが"Live At The BBC”のジャケットに使われた。
1963/7/16には"Pop Go The Beatles"を1日で3回分収録しているがこの時のゲストにはホリーズが呼ばれている。
現在はヘルスクラブになっている。
ここで写真を撮っていると、英国紳士が1995年にBBCは無くなったよと言って去っていった。
一番手前がパリススタジオ
アップルに戻った後、駐輪中の自転車を押しピカデリー広場へ
⑥ロンドン・パビリオン:1 Piccadilly Circus W1 London
1.1964/ 7/ 6”A Hard Day's Night"
2.1965/ 7/29”HELP!"
3.1967/10/18”When I Won The War”
4.1968/ 7/17”Yelow Submarine”
5.1970/ 5/20”Let It Be”
のワールド・プレミアム上映が行われた映画館でBEATLESは1.2.4に出席した。
ピカデリーサーカス駅から出てきた通勤する人
ロンドン・パビリオン、現在は映画館ではない
次は、東へ300mほど行った所
⑦プリンス・オブ・ウエールズ・シアター:Coventry Street W1 London
ロイヤル・バラエティ・パフォーマンスが行われた劇場だ。
BEATLESのラストナンバー"Twist And Shout”の前の、かの有名なジョンのMC
「安い席の方は手拍子を、それ以外の方は宝石をジャラジャラさせて下されば」
上演中の”MAMMA MIA!”の看板
すぐ先の角を左に曲れば
⑧ルパートコート:Rupert Court W1 London
この周辺はデゾ・ホフマンのスタジオがあったので数々の写真が撮られている。
その1枚が、1963/7/2ルパートコートの通路を歩く4人が取られた有名なショット。
Wardour Streetから撮ったルパートコート
40mほどの短い通りがルパートコート
ロンドンのBEATLES縁の地の参考書にした本
1963/7/2撮影のルパートコート
PIZZAEXPRESSの3階にデゾのスタジオがあった
中華料理屋となっているのがガーナーズ・レストランだった
向え側、ここにはアイスクリーム・スタンドがあってBEATLESが買っている写真が撮られた
フラミンゴ・クラブがここにあってBEATLESも聞きにいった
Queens Theatre、4年前に家族で来た時レ・ミゼラブルを見に行った
Brewer Streetで露天商の左がRupert Street、この角で1963/7/2青果市でバナナを買う写真が撮られた
Wardour Streetに戻ってもう少し北へ
⑨マーキー・クラブ跡: 90 Wardour Street W1 London
フー、ヤード・バーズ、ゼップ等がライブを行っている。
BEATLESのメンバーも何度か足を運んでいた。
マーキーは何度か他の場所に開店、閉店を繰り返しているが2008/2/10以後オープンされたと言う話は聞かない
そのまま進みBrodwick Streetを超えた右の細い路地を入ると
⑩トライデント・スタジオ:17 St. Annes Court W1 London
一昨日の夜Kyuさんと中華を食べに行った時、教えて頂いたので再度訪れた。
WHITEアルバムの数曲をここで録音していた
トライデント・スタジオで録音したアーティストのリスト
ザ・ビートルズ ワークスによればBEATLESは1968年の
7/31 "Hey Jude" 8トラックを使って撮り直し
8/1 "Hey Jude" ベース、リード・ボーカル、バッキング・ボーカルをオーバダブ
8/2 "Hey Jude" さらにオーバーダブを加えステレオ・ミックス
8/6 "Hey Jude" モノ・ミックス
8/28 "Dear Prudence" ジョージ、ジョンのギター、ポールのドラムでベーストラックを作成し8トラックで他を重ね撮り
8/29 "Dear Prudence" ベース、ジョンのダブルトラック・ボーカル、ジャッキー・ロマックス等のバック・ボーカル、ポールのピアノとフリューゲルホーン
8/30 "Dear Prudence" モノ・ミックス、ステレオ・ミックス
10/1 "Honey Pie" ポールとジョージのベース、ポールのピアノ、リンゴのドラム、ジョンのギター
10/2 "Honey Pie" ポールのボーカルとリード・ギター
10/3 "Savoy Truffle" ベーシック・トラック
10/4 "Mather My Dear" ポールのみ
当時、既にEMIには3Mの8トラックの器材が購入されていたが専門技術者の手元にあって調整中でBEATLESは知らなかったらしい
それを聞きつけたBEATLESがテクニカル・エンジニアにこっそり運びださせ9/3にアビーで"While My Guiter Gentry Weeps"で
最初の8トラック録音を始めているので10/1~4は息抜きにトライデントで録音している。
また、ジョンが1969/9/28に前日アビーで撮った"Cold Turkey"を撮り直している。
トライデント・スタジオからWardour Streetを戻りBrodwick Streetを右折すれば
⑪公衆トイレ:Broadwick Street W1 London
BBCの1966/12/26放送TVコメディ”Not Only・・・ But Also”の撮影が1966/11/27に行われた現場です。
ジョンはアド・ラブという高級クラブのドアマンに扮して出演しています。
GENTLMENの看板が変わっています
扉が閉まっていたけど中はこんな感じです
立ち去ろうとしたら中から清掃員?が鍵を開けていました9:45分頃です
少し先を右折しNoel Streetまで出て西へ進むと
⑫カーナビー・ストリート
1960年代モッズ・ファッションのメッカとして流行の最先端を行く場所だった所です。
今でも有名ブランドが軒を連ねているそうです。
カーナビー・ストリートのGreat Marlborough Street側入口
WELCOMEゲート
ここにも公衆トイレが
入口のすぐ先のArgyll Streetを入ると
⑬NEMS&パラディアム:5-6 ,7-8Argyll Street W1 London
5-6がサザーランド・ハウスで1964/3/9からブライアンの死後数ヵ月後までNEMSが入居しています。
NEMSのあった5-6番地
隣が7-8のパラディアム
オズの魔法使いを上演中
BEATLESも3回出演しているロンドンの有名なバラエティ・シアター
Noel Streetを東に戻ってSOHO SQUAREへ
⑭MPL:1 Soho Square W1 London
1971年ポールが設立した音楽出版社でカール・パーキンスやバディ・ホリーの版権も所有しています。
ノーザン・ソングスの売却の一件で、自分達の曲の版権が他人に渡った事に懲りたのでしょう。
待っている女の人がいましたポールは時々顔を出すそうですが
しばらく待っていたけど来ませんでした
前の公園はPrivate Parkです
お昼も過ぎたのでリージェンツ・パークで昼食して休憩します
⑮リージェンツ・パーク
ロンドンは広い公園が沢山あっていいです。
xxスクェアみたいな小さな公園は数え切れないぐらいあるし。
ハイド・パークも広かったけど、ここも相当広いです。
アウター・サークル東側のチェスターゲート横にあるこの壁で1967/4/13に
ジョンとポールがポールの愛犬マーサと散歩している写真をパパラッチに撮られてガーディアン紙に掲載されたそうです。
マーサは”Martha My Dear”で歌われている犬です。
Wings時代にも当時飼っていた犬の名前の曲”Jet”があるように、ポールは無類の犬好きです。
ちなみにジョンは大の猫好きです。
上の建物(2 Chester Terraceの裏側)のすぐ右がチェスター・ゲート
BEATLESはEMIでのレコーディングの合間にズーカフェテリアでよく昼食をしたそうですが今はありません
休憩の後、駐輪していたインナー・サークルから3kmほど走ってパンクラスへ
⑯セント・パンクロス・オールド・チャーチ:Pancras Road NW1 London
1968/7/28のマッドデイの5番目の撮影現場です。
1350年頃建てられた非常に歴史のある教会です。
ここでは以下の撮影をしています。
1.玄関横の花壇で
2.モニュメント前のベンチで
3.水のみ場で
4.ジョン・ソーンの墓標の前で
5.財産管理裁判所前のベンチで老人と
6.タチアオイの花壇で
7.2.の反対のベンチで
8.教会の前で
9.鉄柵の向こうで
正面入口
8.教会入口前の撮影
案内板
9.鉄柵の向こうで観客と一緒に撮影
2.ベンチは無いがモニュメント前で撮影
モニュメントからの全景
7.中央花壇の前、モニュメントの反対側ベンチで撮影(ベンチの位置は異なっている)
6.タチアオイの植込みの中で撮影(今はタチアオイは無いが)
4.ジョン・ソーンの墓標の前で撮影
5.財産管理裁判所前のベンチで老人と
新聞では無く地図を見ている
3.水のみ場で撮影
1.玄関横の花壇で撮影
次は、ロイヤル・ホテルへ
⑰ROYAL HOTEL:38-51 Bedford Way WC1 London
DECCAのオーディションを受ける為に1961/12/31に1泊したホテル。
雪の降る大晦日ブライアンは列車でロンドンへ着き、ハムステッドの伯母さんの家に泊ったが
ジョン・ポール・ジョージ・ピートはニールの運転するバンで昼にリヴァプールを出て10時間もかかってホテルに着いた。
当時はこんな立派なホテルではなかったらしい
すぐ近くに
HOTEL PRESIDENT:62-72 Russell Square WC1 London
1963年の夏ロイヤルコート・ホテルからこのホテルに移り、それぞれの住居が決まるまでのロンドンの拠点となった。
当時は出来たばかりの高級ホテルで、朝食の時ネクタイを締めていなかった彼らは支配人に注意されたらしい。
ちなみに、彼らは114号室。
ここではGuilford StreetをRussell Squareに向って歩くBEATLESが1962/7/2に撮影されている。
あるいてみた
ここで荷物が重かったのでいらない物を整理してゴミ箱にすてた。
ポンチョ、オーバーパンツ、洗濯していなかった靴下や下着等々、おかげでデイパックが空になってバックパック1つになった。
立ち去ろうとしたら清掃員のおじさんが不審げにゴミ箱を除き中身を調べて、オーバーパンツとポンチョを拾っていた。
RUSSELL SQUARE
1962/7/2にはラッセル・スクエアでも撮影が行われている。
ラッセル・スクエア
撮影した噴水は当時の面影がまったく無かったし花壇を見つけることが出来なかった
公園を出てマンタギュー・プレイスに向かおうとしたとき、日本人の女の子二人連れを見かけた。
多分、大英博物館に行く途中なのだろう。
ロイヤルかプレジデントかどっちかに泊ろうと思ったが高かったのでパス。
キンタイアのタクシーとロンドンの宿代がカードで払えなかったのがひびいていきている。
⑱モンタギュープレイス:Montague Place WC1 London
1963/3/5EMIの専属カメラマンのジョン・ダブが宣伝用の写真を撮影した。
Montague Placeではなく間違ってMontague Streetに行ってしまった。
いくら探しても目当てのパーキングメーターが無くマレット・ストリートとの交差点が見つからないしおかしいと思った。
なので今もパーキングメータがあるかを確認できなかった。
写真はマレット・ストリートから数えて2番目と3番目のパーキングメーターの間で撮られた。
本人は来たつもりになって最後のBEATLESEスポットネムズ・エンタープライズ&ファンクラブに向った。
行く途中の大英博物館
⑲ネムズ・エンタープライズ&ファンクラブ: 13 Monmouth Street WC2 London
NEMSの最初のオフィスとBEATLES公式ファンクラブがあった。
ファンクラブの本部は1963年初夏にリヴァプールからここに移り1966/11/4までここで活動した。
2階3階にNEMSとファンクラブがあり、当時1階はザ・ブックショップというエロ本屋だった。
1963-1964ブライアンとファンクラブがあった証
Monmouth Street全景
BEATLESスポットはこれで終わり後は、ロンドン・アイからロンドンの街を見下ろすのみとなった。
⑳ロンドン・アイ
5時頃、テムズ北岸歩道橋の下に着き駐輪場に自転車を止めて歩道橋を渡って行った。
歩道橋から
ロンドンに来てずっと天気が良かったが雲行きが怪しくなってきた。
南岸の広場ではストリート・ミュージシャンや大道芸人や仮装している人が何組もいた。
ギター、ベース、ドラムのトリオ
特大タンバリン?とバグパイプ
マイケルの仮装
風船を飲み込んでしまう男
予約は6時で30分前までにチケットと交換となっていたので券売所へ
Visit Britainで予約したConformationでチケットと交換Senior13.5£(通常はadult16.74£senior15£)
購入の列が長く続いていたが、予約していたので別の窓口ですぐに引き換えられた。
チケットを交換したのでWaterloo駅あたりで食事をすませている間に雨が降ってきた。
ロンドン・アイに戻ると結構人が並んでいる10分ほど並んで観覧車に乗ったが小雨模様だ。
ロンドン・アイからWaterloo Sunset見るつもりなのに大丈夫かなあ。
”Waterloo Sunset"は、美しいメロディーで1967年にヒットしたKINKSの名曲です。
Kyuさん曰く、KINKS(Rayの)の歌詞はまさに英国だそうです。
出発
Waterloo Sunset Fineとはいかなかった異様な空
夕焼けと思おう
最上部へ
最上部から見た下界
この雲が去ったら晴れるなあ
夕焼けっぽい
4/29にロイヤル・ウェディング
これでロンドン→リヴァプール→グラスゴー→キンタイア→グラスゴー→ロンドンと巡ったBEATLES縁の地+観光の旅はジ・エンド。
けど、今日の宿がまだ決まっていない。
駅から遠いのもなんだし、とりあえずビクトリア駅に向う。
西日が差してきた
宿を探しにビクトリア駅周辺に向う途中
あちこち宿を探したが50£までで空いていて綺麗な所がなかなか見つからない。
週末でもないのにと思いながらも1時間ぐらい探し8時を過ぎて薄暗くなってきてしまった。
念のためにHugh Streetにあった小奇麗なB&Bに行ってみる。
今朝覗いたときにはNOVACANCYになっていたがVACANCYの看板がかかっていた。
部屋を見せてもらうとビジネスホテル並みのシングルでバス・トイレも付いていて新しくて清潔だったのでここに決めた。
料金は45£やっぱりこの辺だと、この位出さないとまともな宿はないのだろうと思った。
但し、朝食はコンチネンタルで部屋のバスケットに果物とジュースにショートブレッド、クラッカーが入れて置いてあったが。
出かけようかと思ったがシャワーを浴びたら9時半をまわっていた。
全て終わった安堵感から疲れがどっと出てきて眠くてしょうがなかったのでそのまま寝てしまった。
自転車は宿の前に鍵は掛けているが放置したままだ。
実は、地下鉄の乗り降りに輪行袋を担いでいくのがコリゴリなので取られたら諦めようと思い
止める時、自転車に「明日無事だったら連れて帰ってやるからな」と言ってチェーンと壊れた荷台はゴミ箱に捨てた。
雨の日も風の日も坂道も田舎も都会も一緒だったけど誰かに拾われてロンドンで走ってみるのもいいかもなと語りかけた。
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