4/ 2(SAT) 今日はNational TrustのMendhips 20Forthlin ツアーが10時から2時間予定されていたので、それまで市内中心部を見てツアー集合場所に向かいます。
ツアーがおわったらマージーフェリーに乗って対岸へ渡る事になっています。
今朝も宿を出ると小雨、例のごとく晴れると思い雨具は用意せず出発しました。
①マージービート・オフィス:81A Renshaw Street L1 Liverpool
ジョンの友人ビル・ハリーが編集長をしていた地元音楽誌”マージー・ビート"のオフィスがあった場所です。
宿から坂を降りた所にありすぐ近く。
路面に水溜り。右の坂を上がって400mで宿、前の道を進むと600mでLime Street駅
1階緑がマージービート・オフィスのあった場所
②ブルーエンジェル・クラブ:108 Seel Street L1 Liverpool
アラン・ウィリアムズのクラブ(この時は手に入れたばかりでウィヴァーンという労働者クラブだった)
でリヴァプールのディングル出身の歌手ビリー・フューリーのバックバンドのオーディションを受けるも選外。
変わりにジョニージェントルのバックバンドでスコットランドへ2週間のプロとして始めての巡業を獲得した。
この時、巡業用にバンド名をジョニーアンド・ザ・ムーンドッグスからシルバー・ビートルズに変えている。
早朝のため閉まっている。
③ジャカランダ・クラヴ:25 Slater Street L1 Liverpool
ここもアラン・ウィリアムズの店、こちらが1軒目でブルー・エンジェル・クラブが2軒目。
コーヒー店で無名時代の溜まり場、コーヒー一杯で何時間もねばっていた。
また、1960/5/30を始め何度かギグも行っている。
一昨日飲みに行ったが地下のペイントを見るのを失念
④Lyceum Café:Bold Street L1Liverpool
ここもよくたむろした喫茶店
POST OFFICEだが中に喫茶店があるらしい
雨に濡れた朝のBOLD STREET
⑤レシーズ・レストラン跡:Parker Street L1 Liverpool
1962/8/23ジョンとシンシアが結婚式を挙げた後、ブライアンの奢りで食事をしたレストランがあった場所。
ちなみに、ジュリアとフレッドもここで披露宴をやっています。
☆印の場所がレストラン跡
⑥ホワイトチャペルNEMS:12 Whitechapel L1 Liverpool
ブライアン・エプスタインが店長を務めていたノースエンド・ミュージック・ストアがあった建物です。
CAVERNはすぐ近くにあります。
レイモンド・ジョーンズがマイ・ボニーのレコードをここに買いに来たんですね。
レイモンド・ジョーンズは俺が考えた架空の人物だとアりステア・テーラー(ブライアンの部下)が自著に書いていましたが実在していたようです。
NEMSのあったビル
WHITECHAPELの通り、左手緑色窓の建物手前を入るとMathew Streetの入口
上の写真左手前はMathew Streetの1本南のButton Streetの入口
この辺は屋台のFast Foodの店が立ち並んでいる。マクドの2階から撮った写真
汁そばの中華屋台があったので買おうとしたが準備中で仕方なく前のマクドで朝食後、集合場所へ向かった。
集合場所はアルバート・ドックの前デュークス・ドックにあるホテル
真中の建物が集合するJurys Inn Liverpool Hotelで右側がアルバート・ドック
アルバート・ドック、真中がビートルズ・ストーリー
集合場所のホテル内喫茶店BARISTAでコーヒーを飲みながら待つ
9:30になって喫茶店の入口に看板が置かれた
係員が点呼を始める
渡された胸に付けるカード14番はラストの番号
全員(14人)揃ったのでマイクロバスに乗り説明を受ける。
⑦メンディップス&20フォースリン・ツアー
要約すると写真撮ったらあかんで、周りは普通の人住んでるから静かに見てや。
まずは、メンディップスへ車内で流れていた音楽がSMITH DOWN ROADのランナバウトに差し掛かるとPENNY LANEに
MENLOVE AVENUEでBEACONSFIELDに差し掛かるとSTRAWBERRY FIELDS FOREVERに 変わります。
左:こんなバスです
右:バスを降りて玄関前へ
左:ナショナル・トラストのパネル
右:門を入った所
左:勝手口への中門から庭を望む
右:玄関ポーチ前で説明を始めるガイド
ジョンの生い立ちから始まり10分程
左:場所を変えて10分程、最後に
写真、ビデオは禁止です良心に
まかせます。
これから中に入るがカメラとバッグは
預かります
右:玄関のステンドグラス
左:中庭、ここからストロベリー・フィールズ
への秘密の抜け道が
右:玄関ポーチの床
ミミにうるさいと追い出された
ジョンとポールが
このポーチでギターを弾いて歌った。
左:中から見た玄関ポーチの戸
右:台所への勝手口
まず、勝手口から入り、キッチンへ6畳ぐらいのこじんまりしたキッチンで、古いオーブン+4つ口のコンロ
4つ口だが大きい鍋4つは乗らない。
これも古い冷蔵庫、水道の蛇口は昔タイプのものでタイル張りの流し台に1つ、シンクにはまな板が置かれてある。
食品棚にはできるだけ当事に近付くように古いパッケージの食品が置かれていた。
次に、モーニング・ルームへ"NOWHERE BOY"で下宿生と食事をしていたあの部屋だ
東北側が窓となっているので朝の陽射しが気持ちよさそうだ、これも6~7畳程の広さ
次は、ダイニングでここは、家族のダイニングルームだったが、下宿生の居間としても使われていた。
ジョンのパスポートのコーピーを綴った冊子が置いてあり、中には1966年の日本国のVISAもあった。
玄関右のラウンジ、暖炉、作り付けの古い本棚とソファー、ジョンはよくこの部屋で詩や絵を書いていたそうです。
いよいよ、2階に上がってジョンの部屋、5畳ほどの小さな部屋でベッドと小さな机だけで一杯になる。
壁にはエルビス、ブリジッド・バルドーのポスターが貼られていた。
ここで1人で、ポールと一緒にR&BやRock'n Rollのレコードを聴き曲を作ったのだ。
後2つベッドルームが2階にあったが、説明が終わった後もこの部屋に居座ったためちょこっと見ただけだった。
階段を降りて玄関ポーチへ行くと、説明が終わっているらしく誰も居ない良心は痛んだが玄関ポーチで2枚パチリ。
45分程で終わる予定だったがガイドの長話で1時間半程になっていた。
パンフレット
再びバスに乗りフォースリンへ
左:ツアーの面々と手前の案内人
引越した当時、生垣は20cm程
右:玄関と前庭
左:ガイドのおばさんに玄関で撮ってもらう
右:CHAOS AND CREATION IN THE
BACKYARDの裏庭へ続く勝手口の扉
玄関の戸 玄関の戸拡大 CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD
ガイドが変わって今度はおばさん。
ここも写真、ビデオは禁止です。
まず1回のラウンジ、3パターンの壁紙が貼られていてポールと弟のマイケルが選んだそうです。
今は張り替えられていますが一部当時の壁紙が残っていました。
暖炉と、古い白黒テレビ、アップライト・ピアノが置かれている10畳程の部屋です。
奥にキッチンとダイニングがあってメンディップスのそれと良く似たこじんまりとした造りでした。
台所から裏にでるとCHAOS AND CREATION IN THE BACKYARDの裏庭です。
アルバム・カバーでは台所の窓から写しているため広く見えますがそんなに広い庭ではなく
左手に外トイレと物置がありました。
隣との境が今は生垣の後ろの高い木塀で仕切られているからかもしれません。
とにかく、生垣の前に座ってFine Lineを歌ってみました。
裏の台所の壁には雨樋のパイプがあって、夜帰ってきたポールはパイプを昇って2階の自室へ入っていて
手が滑って落ちたこともあったそうです。
ジョンとジョージもパイプを伝って昇っていたそうです。
2階に上がってポールの部屋へ、ジョンの部屋よりはちょっと広そうでした。
壁には弟のマイケルが撮った写真が4枚
1枚目は上半身裸のポールの写真
2枚目3枚目はこの部屋で”I Saw Her Standing There"を作曲中のポールとジョンの写真
4枚目がアルバム・カバーの写真
パンフレット
ここは45分程で終わり集合場所であったJurys Innホテルへ向かった。
予定の2時間を大幅に超えて12:45分になっていた。
土日祝はフェリーが1時間に1本しかなく13:00にはぎりぎり、ホテルに止めてあった自転車に乗り全速力でピア・ヘッドに。
RIVER EXPLORER(3つのどの乗場で乗降しても良い1日券)のシニア5£(大人は6.7£外国人であってもOK)を買い
桟橋を渡って乗場へ向かった。
丁度フェリーが接岸していて係員にチケットを見せるとここじゃないと言って別の桟橋を指差している。
そちらにも接岸しようとしているフェリーが見えている。
うそー、100mぐらいあるやんと思いながら慌ててその桟橋に向い必死でたどり着くもフェリーのお尻を眺める事になってしまった。
フェリーが出て行った後の桟橋
この船と間違った
こちらの桟橋だった
ピアヘッド桟橋の待合室
対岸の風景 下はシティ・センター側のパノラマ
結局1時間待ちで14時のフェリーに乗る。
左;やっと着いた次のフェリー
右:フェリーに乗せた自転車
左:船上から見た対岸
右:船上から見たシティ・センター
10分で対岸のSEACOMBEフェリー・ターミナルへ到着、下船後プロムナードを走ってタワーボール・ルーム跡へ。
プロムナードは幅が10m程もあり歩行者と自転車専用走りやすい道だった。
左:マージー河沿のプロムナード
右:タワーボール・ルーム跡前の河岸
左:先端にあるFORT PEACH ROCK桃岩城
右:跡地前の案内板
左:跡地前の灯台
右:桃岩城遠景
河岸全景
⑧ブライトン・タワー・ボール・ルーム跡地
タワーボール・ルームでは何度もライブを行っているがポールのヒーローリトル・リチャードと競演した場所でもある。
左:1961/12/8のボール・ルーム
ドラムはピート
右:1962/10/12リトルリチャードと
左:1962/10/12ボール・ルーム
ドラムはリンゴ
右:競演の広告
タワーボール・ルームからポールの2番目の家へ。
河岸からかなりの昇りが続くが今日はあまり走っていないのでなんとか上りきる。
⑨ポールの2番目の家:92 Broadway Avenue
1942~43年に掛けて住んでいた。Anfieldには少ししか住んでいなかった事になる。
92番地のポールの家
BROADWAY AVENUE全景
ここからシンシア・パウエル家へ行く予定だったがフェリーに乗り損ねた為、残念してフェリー乗場へ向かった。
左:SEACOMBEの桟橋
右:SEACOMBEターミナル
左:Concessionチケット
障害者やOver60用
右:もう一つのターミナル
WOODSIDE
右:フェリーの煙突
左:アルバート・ドッグと
リヴァプール大聖堂
左:リヴァプール大聖堂
右:ピアヘッドオフィス
フェリーを降り、リヴァプールで最も歴史のある建物の一つTown Hallへ
⑩LIVERPOOL TOWN HALL:High Street L2 Liverpool
リバプール市長の官邸でもあり、結婚式や会議の式場としても利用されている。
ヒースローからここまで、まだ一度も日本人観光客にあっていない。
日本人と会話したのは着いた日の宿だけ。
ちょっと日本人観光客を探しに再びアルバート・ドックへ
⑪ビートルズ・ストーリー:Albert Dock L3 Liverpool
日本人観光客がいるかと思ったが、ここでも中国人ばかり。
30分程アルバート・ドックを歩いたがついに見かけなかった。
前回、家族で来た時に中に入っているので中には入らないがショップでTシャツを買った。
一旦、宿に帰りシャワーを浴びて歩いてマシュー・ストリート界隈をうろつく。
⑫マシュー・ストリート界隈
6時半頃だがまだ明るい。
この辺りは時間帯によって車が乗り入れできないようでホコテンの場所が多い。
↑マシュー・ストリート入口 ↑エリナ・リグビー像
↑Hessey’s楽器店跡スタンリー・ストリートの角にある
↑最初に目に付いたパブ ↑マシュー・ストリートとテンプル・コートの角
↑マシュー・ストリート反対側入口
↑グレープス ↑レノンズ・バー
↑ラバー・ソウルというパブ ↑その前で声を掛けてきたスキンヘッドの若者
↑スキンヘッド達と ↑二代目CAVERN、後で行く
↑CAVERN PUB ↑初代CAVERN
↑RUBBER SOUL前で屯する黒服黒帽のグループ ↑マシュー・ストリート
↑ホワイト・スター ↑ジョンのブロンズ像
↑ハード・デイズ・ナイト・ホテル
↑ジョン ↑ポール
↑ジョージ ↑リンゴ
↑ヘイ・ジュードで踊る一風変わったパフォーマー ↑集金
↑Wall Of Fame ↑Wall Of Fameに刻まれた歴代CAVERN出演者
⑬キャバーン
クオーリーメンのキャバーン初出演は1957/8/7だがボーイスカウトのキャンプに行っていたポールは参加していない。
ピート・ベストの最後のステージが1962/8/15で8/19にリンゴが変わって初めてキャバーンに出演している。
(リンゴは前日の8/18に川向こうバーケンヘッドのハルム・ホールからBEATLESに参加)
キャバーンではデビュー後もランチタイム・セッションを続けていて1963/2/4が最後のランチタイムセッションになった。
キャバーン最後の出演は1963/8/3の夜で最初5£だった出演料は300£になっていた。
一昨日は入場が遅くてステージが見えなかったので少し早いが7:30にCAVERNに入ったので
前の3人掛けの席の1つが空いていて座って見ることができた。
ソロのミュージシャンがアコースティック・ギター1本でビートルズ・ナンバーや'60s'70sの曲をやっていた。
ギターはカッティングONLYだがかなり上手い。
この男ギター・ソロの部分はギターではなくスキャットでやっていた。
時々、歌の一部を客席に歌うようリードする。
オール・ショック・アップみたいな古い曲でも、客席はさびのI'm all shook upを全員で唄う。
ビートルズの曲はなおさら。
↑ギター1本の弾き語り ↑そっち声が聞こえないよと催促する
9:45までこの男がやった後、休憩をはさんでKEATLES(ケートルズというらしい)なるおっちゃんグループがCome Together で登場した。
http://www.youtube.com/watch?v=TJ8GWLa30Nc
数曲やった後、スペシャル・ゲストといったので誰が現れるのかと思ったら、かつてお嬢さんであったおばちゃん3人組がステージに上がり
のりのりの踊り入りでGet Backをやりだす。
どうも、あらかじめ希望者を募ってステージに上げるらしい。
次に上の右写真で右端に座っていたおやじがステージに上がり(このおやじはどの曲でもエア・ギターをやっていた)
リード・ギターのストラトを借りてSomethingのソロ部分を演奏した。
その後、次から次へと下手な歌を聞かされるのであほらしくなって11時前にCAVERNを出て宿に戻った。
帰り道、夜のPaker Street
今日は、メンディップスのガイドの長舌のおかげで後少しというところでフェリー乗船が1時間遅れてしまい予定がくるってしまった。
おかげかどうか走行距離は19kmで足休めにはなったが。
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