4/8(FRI)今日はメリルボーン駅から始め南へ下りながらバッキンガム宮殿、東のワッピング、北のゴルダース・グリーンと移動して行きます。
地下鉄での移動が2度あるので階段が頭痛の種ですが荷物がないので幾分ましかな。
それと、夜にロンドン在住のKyuさんとVictoria周辺のPUBで一杯やる約束になっています。
7時半頃起きて玄関に出ると自転車は無事だった。
朝食が8時からなのでチェックインした建屋の地下にある食堂へ行きキッチンを覗いて「おはよう」と挨拶すると
多分経営者の奥さんらしいインド人が「座っていて」と命令口調
「シリアルはブラウンかプレーンか」と聞くので「プレーン」と答える
「コーヒーか紅茶か」と聞くので「コーヒー」と答える
と注文したらシリアルとミルクポットを運んできて、しばらくしてお湯を入れたポットを持ってきて
「コーヒーはそこ」とテーブルの食器を指差す蓋をあけたらインスタントコーヒーが入っていた。
それはないやろ
シリアルを食べ終わった頃、薄切りトースト4枚をもってきたので「これだけ」と聞くと「これで終わり」
ほんまかいな
昨日の接客態度である程度予想していたとはいえここまでとは。
ここで5泊はきついな。
とにかくそそくさと朝食を済ませメリルボーンに向かった。
通勤時間らしく道は込んでいてビクトリア駅からウェリントン・アーチへ向かう道は危なくてしょうがない。
自転車も結構走っていて慣れているのか巧みに車の間をすり抜けていく。
こちらではママチャリや軽快車のような自転車はまったく見かけなくてロード・バイクばかりだ。
リヴァプールでも奥さん風の人がロード・バイクでバック・パックを背負いスーパーに買い物に来ていた。
ウェリントン・アーチとマーブル・アーチの大きなロータリーは、いつ進んでいいのやら迷ってしまう。
マーブル・アーチを過ぎてやっと普通に走れるようになった。
①ボストンプレイス・メリルボーン駅
映画"A HARD DAY'S NIGHT”冒頭のシーンが撮影された現場だ。
BOSTON PLACE
A Hard Day's Nightのイントロが鳴り
ファンに追われた3人がここを走って逃げる
ジョージは躓いてこける
メリルボーン駅
公衆電話BOXはこの奥にあった
ここかな
今はここに
この辺のベンチにポールが変装して座っていた?
入口
次はベーカー街へ
②アップル・ショップ:94 Baker Street W1 London
ビートルズが1967暮れに開店したファッションの店、放漫経営で1年足らずで閉店してしまった。
開店当時壁はサイケデリック・アートでペイントされていた。
Baker Street南向き 北へ上がるとSherlock Holmes Museum、リージェンツ・パークへ
アップル・ショップのあったビル
次はモンタギュー・スクゥエアへ
③リンゴのフラット:34 Montagu Square W1 London
リンゴがジョンの家を譲り受けた後もこのフラットを所有していて又貸しでジョンとヨーコが住んでいたことがある。
ロンドンにはこんな何とかスクゥエアという住宅棟の間にあるプライベート公園が多い
ブルー・プラークが見えてきた
ジョンのブルー・プラーク
34番地です
MONTAGU SQUAREの近くにはロード・マネジャーのニールとマル、ストーンズのミックも住んでいた。
こちらはMONTAGU MEWSのニール・アスピノールのマル・エヴァンスのフラット
こちらはミック・ジャガーが住んでいたBRAYNSTON MEWS EAST
次はポールの恋人ジェーン・アッシャーの家
④ジェーン・アッシャーの家:57 Winpole Street W1 London
ポールとジェーンは1963年から5年間つきあい婚約までしたがポールの浮気がばれて破局。
ジェーンの母は音楽家でジョージ・マーチンが音楽学校で学んでいた時オーボエを教えていてポールにもリコーダーの演奏を教えている。
"Fool On The Hill”のリコーダーはポールなのか?----->1967/9/25Take3にポールのリコーダー等を加えてTake4にオーバーダブしてました。
1963年から数年間ポールはジェーンの家に居候していた
次はBEATLESが契約したパーロフォンレーベルを所有する音楽会社EMI本社ビルへ
⑤EMIハウス:20 Manchester Square W1 London
BEATLESはデビュー前に一度EMIのオーディションを受けて断られている。
EMIのあった場所
デビューアルバム"Please Please Me”のジヤケッとの階段はもう無い
残しておいてほしかった
次は最初にアップルのオフィスがあった所
⑥最初のアップル:95 Wigmore Street W1 LONDON
セビルローにオフィスを構えるまでの短期間ここにアップルがあった。
EMIからは200m、EMIの近くで探したのかな
隣のビルの1階はWagamamaというラーメンのチェーン店です。ラーメンが10£ほどします。
次にハイド・パークに近い
⑦FAB4'sフラット:57 Green Street W1 London
ロンドンに出てきてホテル暮らしの後、しばらく共同生活をしていたフラットです。
GREEN STREET
写真を撮っていたら中から住人(30代の女性)が出てきて玄関を掃除していたので
中の階段を撮らしてと頼んだらにべもなく「NO!!」と言われた
ここからPARK LANEを下ってバッキンガム宮殿へ
⑧バッキンガム宮殿
偶数日には近衛兵の閲兵交代式が11時ぐらいから行われます。
4/29にはウィリアムズ王子の結婚式がありますが、もう少しすると観光客で大変でしょう。
まだ少し早いのでグリーン・パークを歩いていると10日振りに日本人の母娘連れを見かけました
観光客は門前にパラパラ
交代兵ではなく偵察小隊みたいな兵でしょう
広場のモニュメント前で記念写真を撮る中国人家族、中国人はほんとに多かった
宮殿内で交代の儀式が始まり続いてThe Mallから交代兵が軍楽隊とともに http://www.youtube.com/watch?v=lsr1kS-h-uc
次はワッピングに行く為Victoria駅へ、Victoria駅からTowerhill駅まで地下鉄に乗ります。
自転車でとも考えたのですが最短距離のA3211がトンネルがあったりで危なそうなので地下鉄にしました。
⑨WAPPING:High Street E1 London
WAPPINGは大英帝国華やかなりし頃の波止場です。
BEATLESは1967/7/28、後にマッドデイと呼ばれる1日に7箇所を廻るハードなロケを行いここでも撮影しました。
商業施設と公園がありました
この建物の角でも撮影しています
右手の生垣の中がメインの撮影現場ですがPrivate Parkで入れません
あちこち見える場所をさがしましたがダメでした。向こうの堤防とこちらの堤防の間にあるのですが
この辺自体Private Roadのようです、ナショナル・トラスト買い取ってくれ!!
他の場所にあったテムズ河への船着場、多分こんな感じなのかな
対岸にある船着場
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ここで少し自転車に取り付けている地図について
今回の旅にあたり”LONDON AZ”と”LIVERPOOL AZ”というB6版地図を買ったのですが
文字が小さすぎて近付かないと見えないので走りながらではとても無理だと分かり
目的地間のGoogle MapをB5に印刷してMapホルダーに付けようと思い、あちこち探したのですが
B5版を付けられて頁がめくれるような物が見つからないので自作しました。
ホームセンターでイレクタージョイント2個156円、アルミパイプ8mm径1m320円,シリコン・シーラント198円
100円ショップでB5クリア・ファイル、髪留めクリップ4個で500円で合計1174円
1.イレクター・ジョイントにシリコン・シーラントを注入して乾いたらドリルで8mmの穴を開ける。
2.自転車ハンドルにビニール・テープをイレクタージョイントを嵌めた時に振動でずれないように巻きつける
3.イレクター・ジョイントをハンドルに押し込んで装着する。
4.アルミパイプを45cm程度に切ってイレクター・ジョイントに開けた穴に差し込む
5.髪留めクリップの片側をアルミパイプ差し込む
6.クリアファイルの頁を髪留めクリップの片側で挟んで固定する
28mm径のイレクター・ジョイント
シリコン・シーラントを注入し8mm径の穴を開けた後ハンドルに装着
穴にアルミパイプを差し込む
アルミパイプには適当な位置にずれないようにビニールテープを巻く
こんな髪留めクリップを用意して
片側をアルミパイプに差す
クリアファイルの地図を挟んで固定する
地図は両面印刷してあるので常に2頁が見られ、次の目的地に向かう時も簡単に頁を変えられて重宝しました。
只、リヴァプール2日目のように10mを越える風は想定していなくて、一度クリアフォルダーごとすっ飛んだ事がありました。
その時、1枚だけ地図がなくなり(フォースリン→クオーリーバンク→カルダーストーン・パーク)あわてました。
幸い、何度もストリート・ビューで予習していたので迷いませんでしたが。
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ここからTower Bridgeを渡ってテムズ河南岸へ
⑨HMS.Belfast
第二次大戦(WWⅡ)時の女王陛下海軍軽巡洋艦が記念展示されています。
ここに行くかグリニッジに行くか迷ったのですが飛行機、船等が好きで(特にWWⅡ)こちらにしました。
Tower Bridgeを渡ります
商業施設があり天気もよく暖かいので結構な人出でした
対岸に見えるTower Of London
Belfast艫
Belfast舷側と舳先
舷側のボフォース40mm連装対空機関砲
6インチ(15.2cm)3連装前部主砲塔2基
当時5.5インチから6インチ主砲搭載艦を軽巡洋艦8インチ主砲搭載艦を重巡洋艦と呼んでいました。
こんどはLondon Bridgeを渡りSt Paul'sへ
ここでちょっと道に迷ってしまいました。
Canon Streetを通るはずがKing William Streetの先に見えたドームをSt.Paul'sと勘違いしてしまい
Bank駅の辺りで位置が分からなくなり30近くもうろついてしまいました。
⑩St.Paul's
ここでも入場にあたり60歳以上の優遇をうけました。
London BridgeからTower Bridgeを
St.Paul's ささやきが聞こえるという回廊はうるさくて良く分からなかった
入口の階段、暖かいので半袖の人が多い、リヴァプールでは冷え込んだ夜でも半袖が多かったが
今度はBEATLESの弟分BADFINGERの縁の地へ
St.Paul's駅から地下鉄に乗りTottenham Court Road駅でNorthen線に乗り換えようとしたら
今年になって廃線になったらしい改札で聞くとOxford Circusまで行ってVictoria線に乗換さらにWaren Streetで乗換
自転車を抱え2度も乗換は勘弁と思い地上に上がりタクシーでGolders Greenまで行くことにした。
タクシーを拾いGoldsers Green近くの7 Parks Avenueと告げるとドンピシャで家の前に止めてくれた。
ロンドン・タクシーの運ちゃん恐るべし。
⑪7 Park Avenue(バッドフィンガーの合宿所)
THE IVEYSというバンド名で活動中にBEATLESのロード・マネジャーのマル・エヴァンスにスカウトされて
アップルからデビュー、その後BEATLESの"With A Little Help From My Friends”の仮タイトル”BADFINGER BOOGIE"から
バンド名をBADFINGERと改めリンゴ出演映画の主題歌でポール作曲の"Come and get it”で再デビューこれがヒットしてスターダムに。
最近マライア・キャリーが彼らの曲"With Out You”を持ち歌としているので知っている人も多いはず。
その彼らがここで共同生活をして作曲に練習に明け暮れていた。
"Come and get it”の本家BEATLES版はアンソロジー1で聞けます。
”With Out You”はニルソン版の方がいいですよ。
7番地
1個建ての結構いい家
Kyuさんのブログで知ったが、そういえばジャケット写真にも黒桟の写真があった
Pete HamはBADFINGERのリーダーでメイン作曲者だったが1975/4/24妊娠中の彼女を残して自殺してしまう。当時のマネージャーとの契約のトラブルによる貧困状況に悩んだ選択だった。
上の2枚のアルバムは彼の死から1ヶ月後に生まれた娘が自宅に保管していたデモ録音テープが音源になっている。
次はEMIと並ぶ音楽会社のDECCAのあった所へ
⑫DECCA:65 Broadhurst Garden NW6 London
BEATLESは1961年の大晦日にリヴァプールを出発し1962/1/1にDECCAのオーディションを受けました。
結果は不合格で、その時のA&Rマンディック・ロウはBEATLESを蹴った男と呼ばれる事になる。
この時、ディック・ロウはもう1組のグループのオーディションも担当しておりそちらのグループと契約したからだ。
トレメローズというグループでその後”Silence Is Gold”のヒットを出したが結果は誰の目(耳)でも明らかでBEATLESの圧勝。
その後BEATLSEの紹介でROLLING STONESと契約したので耳はまんざらではないようだ。
地下鉄West Hampstead駅の近くで、現在はEnglish National Operaの練習場
1962/1/1のオーディションには次の曲を以下の順で演奏した。
01 Like a Dreamers Do ・・・Lennon&McCartney
02 Money(That's What I Want)
03 Till There Was You
04 The Sheik Of Araby
05 To Know Her Is To Love Her
06 Take Good Care Of My Baby
07 Memphis,Tennessee
08 Sure To Fall(In Love With You)
09 Hello Little Girl ・・・Lennon&McCartney
10 Three Cool Cats
11 Crying,Waiting,Hoping
12 Love Of The Loved ・・・Lennon&McCartney
13 September In The Rain
14 Besame Mucho
15 Searchin
次は世界一有名な横断歩道、途中日本の自宅にメールする。
「もうあと20分ぐらい12:30から見といて」現地時間はPM2時過ぎ、ABBEY ROADのWebカメラの画像をSaveしてもらう為。
⑬ABBEY ROADスタジオと横断歩道:3 Abbey Road NW8 London
ABBEY ROADスタジオはEMIの経営状況悪化により一時売却が噂されたがポールやナショナル・トラストの働きかけによりEMIが撤回
しかし今後どうなるかは分からないので、まだ行っていない人は今の内に。
幸い横断歩道のほうは2010年12月英国政府が英国の文化的・歴史的遺産として指定したので残ります。
残すなら”ABBEY ROAD”のジャケット通りにしてほしいけど。
WEST END ROADからABBEY ROADに変わる所の壁標識
所々にあるスタンド標識
ずっとうろついている男、後で写真の撮りっこをした
ギザギザの白線が当時のイメージを壊している
世界一有名な横断歩道
EMIのABBEY ROADスタジオ
1962/6/6 am7~pm10第2スタジオでオーディション兼Firstレコーディングが行われた。
("Besame Mucho","Love Me Do","PS I Love You","Ask Me Why"はレコーディングされた)
横断報道付近でうろついていた男は写真を撮ってくれそうな人を待っていたらしい、お互いに撮りっこ
Webカメラの画像①着いたところ
Webカメラの画像②着いたぞとマイクの近くで叫ぶ
Webカメラの画像③反対側に移動して横断歩道を渡る
Webカメラの画像④写真を撮っていると男が近付いて来る
Webカメラの画像⑤それじゃ行くからと手を振っている
これが世界一有名な横断歩道の元となったアルバム"ABBEY ROAD”のジャケット、ギザギザの白線は無い
BEATLES最後の録音となったアルバムでアルバムタイトルを考えていて、ヒマラヤにしてヒマラヤでロケしようという案が出て
ヒマラヤへ行くのも面倒だからスタジオの前で撮ろうと言う事になりスタジオ前の横断歩道で撮った写真がジャケットに
タイトルもそのまんま”ABBEY ROAD”。
私が最初に買ったLPでもある(当時2000円のLPは小遣いでは買えなかったが社会人になったので)
このアルバムのB面メドレーには当時ぶっとんだ。
一度家族とカラオケに行った時、B面メドレーをフルで歌ったらヒンシュクをかった。
次はすぐ近くのポールの家
⑭ポールの家:7 Cavendish Avenue NW8 London
CAVENDISH AVENUE閑静な高級住宅街でリージェンツ・パークも近い
7番地のポールの家、他のメンバーは郊外に家を買ったがポールはスタジオのすぐ近くに買った
カメラを3脚に付け塀越しに中を撮ったが残念なことに逆光
次もすぐ近くでリンダとの記念の場所
⑮セントジョゥンズウッド教会:St. Johns Wood High Street NW8 London
1969/3/12ポールとリンダが結婚式を挙げた教会です。
近かったからここにしたんでしょうね
今日の最後です。
⑯BBCメイダビルスタジオ:Delaware Road W9 London
BBCのラジオスタジオがあった所です。
15回放送された冠番組"Pop Go The Beatles”等の収録を行っている。
リンゴの手と足を他の3人が抱え上げている写真は確かにこの通りですね
ここがスタジオのあった所で今は学校になっているみたいです
今日はKyuさんと7時半に待ち合わせているので早めに帰ってシャワーを浴びます。
自転車で走っていると顔が砂だらけになってざらざらです。
宿まで後、7kmほどなのでもうちょっと頑張ろう。
6時半ごろに宿に到着して狭いシャワー室でシャワーを浴びる。
今日は31km走りました。
宿はVictoria駅から800m(裏口なら150m)の所にあります。
HollyHouse Hotel:20 Hugh Street Victoria SW1 London
HotelとなっていますがB&Bです。
Victora駅裏手のHUGH STREET(ヒューと発音するみたいです)
緑の看板がチェックインした建屋で私の部屋は向こうの端から2軒目でした
玄関の赤い字の看板はVACANCYの看板でNOVACANCYのNOが蓋で開閉できるようになってます
角にPUBがあり週末なので外まで客が溢れ出ていました
宿の前でKyuさんを待っていると手を振っている東洋人が歩いてやってきました。
Kyuさんしかいないでしょう。
握手を交わし自己紹介して立ち話、自転車を見せてこんな所に止めさせられたと話すと、後でかけあってあげますよと言って下さった。
掛け合ってもらったら部屋に持ち込んでもOKという事になった。
二人でぶらぶらと話しながらPUBに行きラガービール(Fostersと呼ぶらしい)を呑みながら旅の話、BEATLESの話
’60’70ロックの話、仕事の話、お歳は聞かなかったが'60'70のロックの躍動期を知っておられるので、私より一世代お若いぐらいでしょう。
それぞれ2パイントを呑んだ後、米が食べたいと言ってKyuさんの良く行く中華料理屋に案内して頂いた。
地下鉄でOxford Ciucusまで出て夜の事でよく分からなかったが途中マーキーを見かけているので
SOHOから下って中華街に行ったのだろうか、Kyuさんのご存知のスポットも幾つか教えて頂いた。
トライデント・スタジオやデビッド・ボウイのアルバム"Ziggy Stardust”のジャケットのロケ現場とか。
中華料理店は観光客はめったに来ない店で安くてうまいので職場が近くにあるKyuさんはよく利用されているとの事。
焼飯とワンタンメンを注文すると言ったら量が多いので食べきれないと言われてワンタンメンをやめワンタンスープにした。
結構うまくて焼飯も確かに量が多かった。
名残はつきなかったが夜も遅くなりKyuさんにOxford Ciucusに送って頂いてお別れした。
Kyuさんのお宅はEast Finchleyの1駅向こうということだったのでFinchley Central30分掛かってしまう。
Kyuさん遅くまでありがとうございました。
"Ziggy Stardust”のジャケットのロケ現場