3/30 LIVERPOOL 1日目
3/30(WED)リヴァプールLime Street駅に定刻通り13:15に到着
Lime Street駅の少し前から線路は5階建てビル程の深さの掘割のような感じが続く。
列車を降り自転車の組立を始める。空気は100円ショップで買った圧縮空気ボンベで注入した。
100円なので心配していたがあっというまに入ってしまった別に持ってきた携帯空気入れは不要だった。
ところが自転車の荷台を付けるのだが、これは4本のボルトでサドルのポールに固定するようになっており狭い箇所でレンチが少しづつしか回せない為30分以上も
掛かってしまい後、輪行袋を折り畳んだり輪行袋に入れていた物をバックパックに詰め替えたりで結局1時間以上を費やす事になってしまった。
Liverpool LimeStreet駅の少し前から掘割のようなコンクリートの壁が続く
Liverpool LimeStreet駅が見えてきた
Liverpool LimeStreet駅構内
Liverpool LimeStreet駅に到着した列車
St.George's Hall側から見たLiverpool LimeStreet駅
昼食をゆっくり食べている時間がなくなったので駅前にあるマクドナルドで昼食を済ませたがWalker Art Galleryに入っている時間が無くなってしまい後日にする
ことにして4人の名前を冠した通りのあるKensingtonGarden方面へ向かった。
①(JOHN LENNON DRIVE,PAUL McCARTNEY WAY,GEORGE HARRISON CLOSE,RINGO STARR DRIVE)
LimeStreet駅から約2km普通の住宅街の中の近接した場所に4人の名前を冠した通りがある。
住宅街の真中を通るJOHN LENNON DRIVE
北東に位置するPAUL McCARTNEY WAY
西にあるGEORGE HARRISON CLOSE
東にあるRINGO STARR DRIVE
こんな名前の不動産屋も
英国の道の名前ってどうやって決まるのだろうか?ここに関していえばきっと町内会で決めたのではと思う。
帰国してからKensingtonにはアンソロジー1に入っているプライベート・レコーディングの2曲
ザットル・ビー・ザ・デイとインスパイト・オブ・オール・ザ・デインジャーをレコーディングしたスタジオが53 Kensingtonにあったそうです。
ここから再びLimeStreet駅迄戻り、リンゴの生家等があるディングル地区へ道順はGoogleMapのストリートビューでおさらいしているのでスムーズに到着
添付ファイルのLV1-0201(LimeStreet駅→リンゴの生家).jpgのように目安となる建物、通りの名前を順番に書いてある。
実は、マドリンへ行くPrinces roadの真中辺りにRosebery Streetという東へ入る通りがあるのだが
この通りのストリート・パーティーでトラックの荷台に乗ってクオーリーメンの初ギグが1957/6/22に行われていたのだが
調査が行き届いていなくて立ち寄ることができなかったのが残念。
②リンゴの生家:9 Madryn Street, Dingle L8 Liverpool
リンゴの生家のあるMadryn地区はLiverpool市議会で建直しが議決されているように確かに薄汚れていてゴーストタウンのようだ。
議決されてから建物のレンガが 盗まれるので柵で囲うような記事を見たがまだ囲まれてはいなかった。
WeekDayの午後ということもあってかMadryn通りには人っ子一人いない。路地をでてHighPark通りにでるとやっと人と出会う。
マドリン通り(MADRYN STREET)止めてある自転車は愛車
マドリンのリンゴの生家、海老茶とこげ茶の間の薄茶がリンゴの生家玄関ドアは鉄製になってしまっている(ここには3ヶ月程しか住んでいなかったらしい)
マドリンから見たHIGH PARK STREETにあるエンプレスパブ
②リンゴの家::12 Admiral Grove Dingle L8 Liverpool
ロンドンに移るまで住んでいた家
マドリンの9番地と勘違いして9番地前で写真を撮っていたら家の中からおじさんが出てきてここじゃなくてむこうだよと教えてくれた。
アドミラル・グローブ(ADMIRAL GROVE)のリンゴの家右から8,9,10,11,12で12の白壁の家
③エンプレス・パブ:High Park Street, Dingle L8 Liverpool
リンゴのお母さんのエルシーが勤めていたパブ
リンゴのファースト・ソロ・アルバム”センチメンタル・ジャーニー”のアルバムカバーで有名になった
マドリン、アドミラル・グローブの路地から出ると目の前にある。
エンプレスパブWeekDayの2時半頃で店は開いていなかった、右の路地がアドミラル・グローブ
マドリンから見たエンプレスパブとHIGH PARK STREET ごらんの通り人通りは無い
④リンゴの小学校セントサイラス:Pengwern Street, Dingle L8 Liverpool
エンプレス・パブからHIGH STREETを西へ50m程行くとセントサイラス小学校(ST.SILAS PRIMALY SCHOOL)がある。
幼い頃病気がちだったリンゴは病院生活が長くあまり学校には通っていなかったらしくA HARD DAY'S NIGHTはリンゴの無知からでた言葉がタイトルになったらしい。
授業中なのか子供達の姿は見かけなかった
ここから暫く公園で休憩する為近くのプリンシズ・パークとセフトン・パークに向かう。
⑤プリンシズ・パーク(PRINCES PARK)
ディングル地区からすぐ近くにあるのでリンゴも良くここで遊んだのではないかと思う。
プリンシズ・パークの入口
大阪はまだだったが桜が満開だった
背黒セキレイかな?
400m×300m程の公園だが只一人見かけた犬と遊んでいる人
⑥セフトン・パーク(SEFTON PARK)
14歳のジュリアJulia Stanleyがセフトン・パークを散歩している時、15歳のフレッドに出会ったのが最初つまりBEATLESの起源の地という事か。
セフトン・パークの北西入口でプリンシズ・パークと接している。セフトン・パークはプリンシズ・パークの5倍程の広さ
入口から続く遊歩道(自転車可)
公園の真中のモニュメント
公園の南にあるボーディング湖、湖とはいっても周囲1km程
ボーディング湖の鴨と鴎、マージー河からは1km程なので鴎が多い
ボーディング湖の南の端の出口付近のスチュアート・サトクリフの家に向かう。
公園南出口(入口)
公園南出口(入口)横にあるスチュの家、豪邸である
今はTHE BLENHIM LAKSIDEというHOTELになっている
プリンシズ・パーク、セフトン・パークで1時間半程散策し5時を廻ったのでチェックインの為、宿に向かう。
セフトン・パークから宿までは3km弱でフィルハーモニック・パブが目印15程で着きチェックインしようとするが受付の女性は物凄く早口で何を言っているのかさっぱり分からない。
ゆっくりしゃべってといっても無視とにかく部屋番号が聞き取れなかったので案内してもらってようやくチェックインを済ませる。
部屋は2段ベッド2つの4人部屋でシャワールーム・トイレ付き、先客があるらしいが出かけているらしく誰も居ない。
ベッドを選べと言っているらしので入口側の下段ベッドを選び部屋にある1£のコインロッカーにバッグパックを入れシティーセンターに向かう。
宿のあるS.Hunter Streetの路地を出たHardman Street向こうの左角がフィルハーモニック・パブ
LIVERPOOLの宿Cocoon Hotel @ International Inn:4 South Hunter Street At Hardman Street L1 Liverpoolと愛車
2段ベッド2つの4人部屋、入口側下段ベッドが私のスペース、部屋は掃除が行き届いていて綺麗
Lime Street駅周辺のシティーセンターまでは1km程で歩いても15分はかからないが自転車で行く。
途中に
⑦ルイス・デパートメント・ストア(Lewis's Department Store):40 Ranelagh Street L1 Liverpool
ハンブルグから強制送還されたポールは急場しのぎにルイスで配送者の助手をした事があります。
⑧アデルフィ・ホテル(The Adelphi Hotel):Ranelagh Place L3 Liverpool
マネージャーのブライアン・エプスタインはパーティー等よくこのホテルを利用していた。毎年8月行われるビートルズ・コンベンションの会場でもある
⑨エンパイア・シアター:Lime Street L1 Liverpool
1957/6/9クオーリーメン初めての公式なステージでの演奏を行っている。
テレビタレント発掘コンテストでクオーリーメンは、この日の午前中に行われた予選を通過できなかった。
1959/10/26~31にもジョニー・アンド・ザ・ムーンドックスでコンテストに出場しマンチェスターで行われる決勝に出場している。
1963/3/24には凱旋公演は大変な騒ぎだった
向え側のセント・ジョージズ・ホール
シティーセンターのレストランで夕食を済ませ朝行きそびれたWalker Art Galleryにいくがもう閉館されていた。
⑩ウォーカー・アート・ギャラリー(WALKER ART GALLERY):William Brown St L3 Liverpool
ここにはスチュアート・サトクリフの絵があって見たかったのだが・・・
ハンブルグ時代に描いたこの絵を見たかった
宿に帰り宿の前の空地に自転車を止めようとしていると車で通りかかった女性が駄目だという。
怒られていると思って誤るとそうではなく、この辺は学生が多いのでチェーンを切って盗まれてしまうからという親切から駄目だと言ってくれていた。
宿の受付に行き(早口の女性ではなく別の人)バイクを止める所はあるかと訪ねると地下室の倉庫を貸してくれた。
部屋に入ると同部屋の住人が1人帰っていたジョナサンというカナダ人で日本から来たというと流暢な日本語で話してくる。
どうして日本語が話せるのかと聞くと、交換留学で熊本大学に2年間在学していたとのこと、これは助かると思ったが明日の朝には帰るらしい。
もう一人連れがいてその人はジョナサンよりも日本語が流暢だと言っていたのに、結局もう一人は夜中に帰ってきたので顔を見ずじまいだったが。
この日はロンドンからの移動もあり自転車での走行を押さえ近くは徒歩としたので走行距離は15kmだった。
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