3/31 LIVERPOOL 2日目

3/31(THU)この日はSouth Parkway駅までローカル列車に乗る。

宿からは8kmちょっとで自転車でも行けるのだがローカル列車にも乗って見たかったので。

6時に起きて洗顔してすぐに出発しLiverpool Central駅へ向かう。

セントラル駅はルイスの横から入って行く。

券売機で切符を買おうとするが、いくら探してもSouth Parkway駅が見つからないので改札にいた駅員に聞くとそこの店で買えと言う。

どうみても売店にしか見えず新聞や飲料水、菓子類が並べてある。

おかしいなと思いながらもSouth Parkway Singleと言うと2.5£と答えて切符を渡してくれた。

近距離の切符は売店で売ってるんや。

プラットホームの表示板が無かったので駅員にプラットホームを聞き自転車でそのまま改札を入ると電光掲示板があり6:59Hunts Crossと表示されている。

確かSouth Parkwayの次の駅だったなと思い出し入ってきた列車に乗る。

Central駅発Hunts Cross駅行きの列車の車内、早朝ということもあり乗客はまばら。

5駅目10分程でSouth Parkway駅に到着する。

改札を出たらコーヒーの自販機があったので1£で購入する高いなと思ったらカップが大きかった日本の自販機の3倍程の量。

ここでは気づかなかったが英国は自動販売機が街中には全くない。ある程度の規模の駅構内にあるのだが、どの自販機も商品番号を入力するタイプ

さらに紙幣が使えない。

都会はゆうに及ばず田舎でも道路脇に自販機がある事に慣れている日本人にとって何故?と思ってしまう。

それだけ治安が悪いと言うことなのか、それとも文化の違いなのか。

とにかく、この駅前にはビートルズ植木がある。

何故この駅前に作られたのかは良く分からないが、さすがビートルズの町。

ビートルズ植木

LIVERPOOL SOUTH PARKWAY駅

LIVERPOOL SOUTH PARKWAY駅正面にあるビートルズ植木 ポールのベースの糸巻き部分曲ってるで

ここからジョンの母ジュリアが住んでいた家に向かう

ジュリアの家:1 Blomfield Road L19 Liverpool

フレッドAlfred Lennonと別れたジュリアはJohn Robert Dykinsと暮らす為ここに引っ越した。

メンディップスへは2.5km車で5~6分、歩いて30分(ゴルフ場を横切れば25分ぐらい?)の所にある

メンディップスにはここからバスで行っていたらしいです。

次はジュリアの墓へと向かう。正面入口までは500mぐらいでいけるが広大な敷地(700,000㎡程)の反対側にある為、1.8kmの裏口へ。

裏口に自転車を止め墓に入ってしばらく歩いていると後ろから自転車でやって来た男性が入口に止めてあるのは君のバイクかと聞く。

そうですと答えると墓は自転車に乗ってもいいよと教えてくれたので引き返して自転車で墓地内へ。

リヴァプールの人は何かと親切(おせっかい)である。

ジュリアの墓(Allerton Cemetery)

Springwood Avenueから覗いたアラートン墓地ALLERTON CEMETERY

後ろの大きな木が目印 GoogoleMap座標では53.360643,-2.869438

ジュリアの墓石 上からMUMMY,JHON,VICTORIA,JULIA,JACKIEと掘ってある。マミーがジュリア?

JHONは我等がジョンでは無くJHON DYKINSの事か?DYKINSとの間の娘にJULIAがいるのでJULIAはおそらく子供の方かと思う

JACKIEはDYKINSとのもう一人の娘JACQUELINという子がいるのでその子の事なのか良くは分からない。

VICTORIAは1942年頃ジュリアがDYKINSと暮らす前、ウェールズ人の軍人でWILLIAMSという男との間の子のことか。

裏口は写真の左手にある。2枚目の墓石の後ろの大きな木で位置が分かる。

しばらく墓地内を自転車で走っていると墓地の真中にはこんな礼拝堂があった。

墓地を後にしてジョン・レノン空港へと向かうがこの頃から段々風が強くなってきて自転車が進まない。

空港に近付くにつれ風は一層強くなり南西からの向い風となったり、西からの横風になる。

風速は感じから10m以上あるように思われた。

向い風では7段変速のローギアでもきつい位で横風では自転車が倒れそうになる位。

空港へ向かう道筋にある風力発電の風車 写真では止まっている様にも見えるが、ものすごい勢いで廻っている。

ジョン・レノン空港(LIVERPOOL JHON LENON AIRPORT)

かってはスピーク空港と呼ばれていたが、リヴァプール出身のジョンの偉大な功績を讃えて2002年にリヴァプール・ジョン・レノン空港となった。

1933年にブラックプールとの空路開設のためオープンし第二次大戦時はRAFの基地で

戦闘機ホーカー ハリケーン、グラマン・マートレット(F4F ワイルドキャットの英国での呼称)、ボート・コルセア(F4U コルセア

戦闘爆撃機ブリストル ボーファイター(主に雷撃と対潜哨戒)、爆撃機ブリストル ブレニムハンドレページ ハリファックス(4発の重爆)等の部隊が置かれていた。

1961年に空軍省から民間(リヴァプール航空会社)に引き渡され商用空港となった。

近年、格安航空会社の乗り入れで大幅に利用者が増え10年間で7倍となっているらしい。

と、いうことはさて置いて、我々にとってはジョン・レノンと名前が付いているだけで縁の地となってしまうのです。

空港への導入路

空港ビル前のイエロー・サブマリン

正面から見た空港ビル

"above us only sky"僕達の上には只、空があるだけ・・・空港にはぴったりの歌詞だった

ここで撮影していたら強風で止めてあった自転車が倒れMapホルダーから地図が飛んで行ってしまった

構内のレストランでENGLISH FULL BREAKFASTを、薄切りトースト、目玉焼き、豆の煮込み、ソーセージ、ベーコン2枚、トマトの煮込み、マッシュルーム炒め

壁面のジョンの詩”I Don't Want To Be A Soldier" When I Won The War に主演して反戦家になった訳でもないだろう

壁面のジョンの詩”Crippled Inside" How Do You Sleep と同じくポールへのあてつけの曲、曲は好きだけど

壁面のジョンの詩”Happy Xmas(War Is Over)" 12/24日徹夜の仕事があってこの頃付き合っていた彼女に電話でこの曲をプレゼントしたっけ

壁面のジョンの詩”Give Me Some Truth" 私も真実がほしい(福島原発)

壁面のジョンの詩”Well, Well, Well" まあまあまあなら 日本人的

壁面のジョンの詩”Give Peace A Chance" 平和を我等に(福島原発)

そして"Imagine" 想像してごらん(炉心溶解)学者先生、政治家、役人達のいい加減さが良く分かったよ。

2階にあるジョンの銅像、階段、エスカレーター共、使用禁止となっている為近づけなかった。

眼鏡がよく盗まれたからなのかなぁ・・・

空港を後にしポールのウェスタンAveの家へ、風はまだ強いが日差しが指してきて暖かくなってきた。

引越しの多かったマッカートニー家、ここは5番目の家で4歳の頃に住んでいたらしいです。

市営住宅で家賃は無料だったらしいです。

4歳というと1946年戦争は終わっていて英国も多分ベビーブームとなっていただろうから助産婦は何処に住んでも引っ張りだこだったでしょう。

ポールのウエスタンAveの家:72 Western Avenue, Spike L24 Liverpool

Western Avenue全景

ポールの家の前には導入路がある

木の門扉があるのがポールの家

WESTERN AVENUE おっ地デジアンテナ 日本では大抵南壁面だが東壁面に付いていた

強風でカメラをセットした3脚が倒れていく途中足元を写している

すぐ裏手にあるポールが通った小学校に向かう

ポールが通った小学校Stockton Wood Primary School:Stockton Wood Road, Spike L24 Liverpool

ポールが最初に通った小学校で300m子供が歩いても5分と掛からないアドウィックRdに引越した後もここに通っていた。

ちなみに私の小学校は1km以上あり20分近く歩いていた(今は引越して別の場所にあり母校を懐かしむ事ができない)

1年生の時手をつないで一緒に登校した女の子の名前が最近どうしても思い出せない。

1年の担任の島津先生、2年の担任の谷幾子先生は忘れていないのだが(どちらも女先生、谷先生は名前まで覚えてるやんか)

ポールの家から少し行った私道を左折→左折して裏側に廻る

学校の周りを囲む鉄柵がすぐ見える

学校の様子

次はウエスタンAveの家から引越した同じSpeak地区のポールのアドウイックRdの家へと向かう。

同じ地区とはいっても2km離れている。

ウエスタンAveの家が5番目という事は6番目の家。

ポールのアドウイックRdの家:12 Ardwick Road, Spike L24 Liverpool

真中の樋の右の戸が12番地

2kmも離れているのでバスで通っていたのでしょう。

フィリップ・ノーマン著のシャウト・ザ・ビートルズ文庫版によれば(上巻P84)

でジョージのお母さんがポールのバス代を出してあげたのはここに住んでいた時でした。(バス代を出したのはポールのお母さんではなくジョージのお母さんでした)

同じ学校に通っていたとあったのでストックトン・ウッド小学校の事になるのかな?インスティチュートと思っていたけど。

ARDWICK ROADの様子

続いて600mほどのジョージのアプトン・グリーンの家へ。

ジョージは6歳~19歳迄をここで過ごし1962年にマケッツ・レーンに引越しました。

ポールは7歳の時にフォースリンに引越しているので近所だったのはほんのわずかでしかなかったようです。

ジョージのアプトン・グリーンの家:25 Upton Green,Spike L24 Liverpool

1958/12/20ジョージの兄のハリーの結婚披露パーティーで演奏したこともある家でジョージの青春時代の思い出が詰まっている。

UPTON GREEN の入口 アプトン・グリーンは長円形の形の中庭を囲んで家がぐるりと建っています。

真中出窓の家がジョージの家です。上の写真の赤壁の家から逆時計方向に廻って7軒目で長円のほぼ真中正面立木の右になります。

見にくいですが25と描いてあります。

ここでも強風で2度3脚が倒れカメラがダメージを受けました。

カメラは2台で1台目はスナップ用1回充電で1000枚撮れ光学10倍(CASIO EXILIM EX-H15)

2台目は記念写真用ミラーレス一眼1回充電330枚レンズは28mm~55mm(SONY αNEX-3K/R)で3脚に付けています。

ダメージを受けたのはSONYの方でレンズリングのダイキャストが割れレンズにちょこっと傷が付きました。

幸い機能は無事で写真を撮る事はできましたが。

3連射にしているので倒れて行く様子が分かります。

スピーク地区を後にして次は4km程北のマケッツ・レーンに向かいます。

ジョージのマケッツ・レーンの家:174 Mackets Lane L25 Liverpool

アプトン・グリーンからマケッツ・レーンに引越したのはデビュー真近の1962年で1965年迄は実家ですが

すぐにロンドンに行ってますから少ししか生活はしていなかった事になります。

MACKETS LANE 手前の左側はWoolton Golf Clubというゴルフ場が続いていました。

ジョージの家

マケッツ・レーンからジョンの住んでいた町Wooltonに向かいますが、ここで初めて道に迷ってしまいました。

添付ファイルLV2-0901のようにジョージの家から最初の左T字を左折→突当りを右折→最初の十字路を左折の十字路を左折をしなかったのです。

地図と合わせて見ていれば何の問題もなかったのですが風が強くかなり体力を消耗していて南から北へ上がるので追風かと思っていたらそうでもなく

おまけに丁度この時、走りながらHunts Cross Avenueの景色の写真を撮っていたりとにかく途中でストリートビューで見た事がない景色になって完全

に位置を見失ってしまいました。

走りながら撮っていたHunts Cross Avenueの写真 桜並木が満開だったので

色々迷って概ね添付ファイルのLV2-0901間違い版の道を通ってたどり着きました。

所が後で気が付いたのですが一度はハリエット叔母さんの家の反対側の車線まで行っていたのですがここで一度

King's DriveをHunts Cross Avenueまで引返していたのです。

迷っていながらもKing's Driveの続きのHigh StreetとChurch Roadの角にある次の写真を撮っています。

Hunts Crossまでの下り坂を戻り(行きはすごい昇り)そのあたりであちこち迷った後、犬を散歩している男性にWooltonへはどういくのか聞くと

King's Driveを昇っていったら上りきった辺りだよと教えてくれた。

またこの坂を昇るのかと思いながらも走っていくと15分程、途中押し歩きして行くと開けた交差点の反対側にダービー・アームズを見つけた。

結局8分で到着する予定が1時間ほど掛かってやっとウールトン・ビレッジ・クラブに辿り着いた。

ウールトン・ビレッジ・クラブWoolton Village Club:23 Allerton Rd Woolton L25 Liverpool

ここは(ジョンの地元)会員制のクラブでクオーリメンで1959/1/24にギグをやっている。

Woolton Village Club

前の通りAllerton Roadの左手側を振り返ると突き当りがJOE'S・ミルク・バーのあった建物

JOE'Sミルクバー:Speak Rd.Garston, Liverpool L25

Woolton Village Clubから振り返って見ると

ジョンのお気に入りJOE'S MILK BARがあった建物、今は左から?貸衣装屋?、ケーキ屋、薬局になっている。

手前はバス停になっていてバス待ちの人が結構いた。

天気もいいので、ここでFish&Chipsでも買おうかとバス停横の店に行ったらお昼時だというのにしまっていた。

それなら後でダービー・アームズで食べようと思いSt.ピーターズ教会に向かった。

Stピーターズ教会St.Peter'sChurch:Church Road, L25 Liverpool

St.PETER'S CHRRCHのあるCHURCH ROAD この通りがHIGH STREETと突き当たる所まで一度は来ていたのに・・・

CHURCH ROAD全景

St.PETER'S CHRRCH、赤い砂岩でできている。

ジョンが幼少の頃のWoolton村はここがメイン・ストリートで付近は酪農場と石切場だった。

St.PETER'S CHRRCH入口

St.PETER'S CHURCHの墓地 、しばらくエリナ・リグビーの墓を探していたが分からない。

しばらくするとタクシーで観光客が1組墓に向かったので後を付いて行った。

二つの墓石の前でタクシーの運転手が説明しているのだが聞き取れない。

とりあえず写真はとったがELEANORだがどちらもRIGBYの名はなかった。

この後も探してはみたが結局見つからなかった。

諦めて向かえにあるジョンとポールが出会った教会ホールに

教会の向かえにあるホールへの入口、前に事務所があるのだが誰も居なくて閉まっていた。

平日は閉まっているのかお昼だから居なかったのか、ここを訪れる予定の人は週末にした方がいいかも

正面から見たホール、中央にプレートが貼ってある。

IN THIS HALL ON

6 JULY 1957

JOHN & PAUL

FIRST MET

1957年7月6日 ジョンとポールが出会ってここから全てが始まった。

ホールの中に入ろうとしたが鍵がかかっており裏庭にもいけなかったが、とにかく歴史の始まりの地にしばらく呆然と立ち尽くした。

(午前中に演奏した裏庭とはホールの方ではなく教会の北側の庭だった。しまった!!)

しばらく待っていて他の観光客も2組来たが諦めて帰って行った。

30分程待ったが仕方なく次へと向かう。

ハリエットHarriet叔母さんの家:120a Allerton Road L25 Liverpool

Allerton Roadのハリエット叔母さんの家、英国の道は次々と名前が変わるKing's Drive→High Street→Allerton Road→Woolton Road

ハリエットはジョンの母方の叔母さんスタンリー家の5女、ジュリアが4女、育ての母ミミ(Mary)叔母さんは長女

Allerton RoadからWooltonRoadに変わりVale Roadに入る角にダービー・アームズがある。

The Derby Arms:Woolton Street/Vale Road L25

VALE ROADの角にあるTHE DEBBY ARMS、PUB RESTRANTでここで昼食をしようと思ったが残念ながらここも開いていなかった。

Allerton Roadを街中に戻って昼食をすませVALE ROADを通ってメンディップスへと向かう。

ピート・ショットンとアイヴァン・ボーンが住んでいたVALE ROAD

2人とも番地が分からないけどこんな感じで住宅が両側に並んでいる通りでお店はこの写真の手前にPUBが1軒あるだけでした。

でもジョンがよく通っていた筈です。

VALE ROADはこの先で大きく左にカーブしてMENLOVE AVENUEに出ます。

MENLOVE AVENUEを左に折れるとすぐメンディップスです。

ジョンの家メンディップス:251 Menlove Avenue, Woolton L25 Liverpool

ジョンは5歳の時ミミに引取られて23歳でロンドンに行く迄ここで暮らしています。(アート・スクール時代の下宿を除いて)

ジョンがミミにボーンマス近くのプールにコテージを買ってあげそこに引越した後、人手に渡り2002年に売りに出ていたのをヨーコが買い取って

ナショナル・トラストに寄贈しました。

MENLOVE AVENUEは中央分離帯がある広い道で同じような二戸一の家が立ち並んでいました。

メンディップスです。ナショナル・トラストのツアーでしか中に入ることができません。

4/2にナショナル・トラストのツアーで中に入ります。

ブルー・プラークが貼ってあります。

左半分がミミの家、窓はステンドグラスになっています。1階入口のテラスはミミにうるさいと追い出され2人でギターを練習したテラスです。

2階のジョンの部屋の出窓

玄関の門に貼ってあるNATIONAL TRUSTのプ案内板

中央分離帯の桜並木が満開でした。

MENLOVE AVENUEの全景

メンディップスからストロベリー・フィールズはすぐ近くです。

ジョンの通っていた道とは違いますがMENLOVE AVENUEを北に上ってBEACONESFIELD ROADを右折した何でもない道端に。

ジョンはメンディップスの庭から秘密の抜け道を通ってストロベリー・フィールズに行っていたのですが。

ストロベリー・フィールズ:Woolton Beaconsfield Road, L25 Liverpool

何でもない何もない所にあるこの場所はBEATLESファンに取って特別な意味を持っています。

やはり曲の描く幻想的なイメージがそうさせていると思いますが、あの赤い門が幻想的な曲のイメージとぴったり合うんですよね。

Let me take you down, 'cos I'm going to Strawberry Fields

MENLOVE AVENUEからBEACONSFILEDの曲り角

片側1車線で車がすれ違ったら自転車が通れないような狭くて暗い道です。

赤い門 感動で体が震えてきます。

反対側から

門の中はちょっと霞んで見えて・・・ 救世軍の孤児院は今はなくなっていますが

門の落書き 歌詞ではFIELDSですが実際はFIELDです。

白いペイントのLINDAのLの字に小さく赤のボールペンで書きました

しばらくここでSTRAWBERRY FIELDSを携帯プレーヤーで聞きながらあれこれ思いを馳せているとメンディップスでも見かけた変な男がやってきました。

メンディップスでコーヒーカップを持って写真を撮っていたので、撮ってあげようかといったら断った男です。

あやしげな格好で写真を撮っています。

門の上にコーヒーカップを乗せて写真を撮り始めました。

そばに行ってコーヒーカップを見ると日付と名前が書いてあり見かけの怪しさとは反対にいい奴だと思ってしまいました。

遠慮したけど少しだけど日付と名前を書き込んだのが恥ずかしくなって。

また、シャッター押しましょうかと言ったらやっぱり断ったので私の写真を撮ってもらいました。

立ちポーズ1枚撮った後、もう1枚座ったほうがいいよと言って座って撮った写真です。

こまかい気遣いありがとう。

ここでジュリアの交通事故のあったバス停を忘れていたのでメンディップスに戻りました。

バス停は玄関を出てすぐの所に1箇所とゴルフ場へ抜ける道の前に1箇所あり、本などを見ると家の前のバス停とあるので前者の方だと思う。

バス停、こちらはゴルフ場へと抜ける方です。

Wooltonを後にしてフォースリンに向かいます。

本当はゴルフ場を抜けて行きたかったのですが、そういう訳にもいかず公道を走って。

カルダーストーン・パークとゴルフ場の間を通る公道YEW TREE ROAD

ポールの家フォースリンRd:20 Forthlin Road, Allerton L18 Liverpool

1955年にアドウイックRdから引越してロンドンに移るまでここに住んでいました。

7軒目の家です。フォースリンもナショナル・トラストが管理していてナショナル・トラストのツアーに参加しないと中に入れません。

4/2ツアーに参加して再訪します。

MATHER AVENUEから見たFORTHLIN ROAD

FORTHLIN ROADの入口

FORTHLIN ROADの標識

MATHER AVENUE側から見たFORTHLIN ROAD、車が止まっているのがポールの家

左から3軒目黒い入口の右

20 FORTHLIN ROADです。2階の裏側がポールの部屋、右のドアーが玄関でポールがドラムを抱えている写真のドアーです。

玄関の生垣にあるNATIONAL TRUSTの案内板

反対側から見たFORTHLIN ROAD

次は、MATHER AVENUEを北へ上りカルダー・ストーン公園側に走って

クオリー・バンク中学校:Herthill Road L18 Liverpool

ジョンが通っていた公立の中学校です。

今はCalderstones Schoolと名前が変わっています。

ジョンはメンディップスから自転車で通っていました。

ピート・ショットンと一緒にムチ打ちのお仕置きを受けたり放課後残されたり。

残されている懲罰記録には”学校事務所への報告の怠り”、”無礼”、”窓からの黒板消しの投下”、”授業中の脱走及び無断欠席”

”交流試合中の学校敷地内での賭博”・・・等々

学校のあるHARTHHILL ROAD狭い道ですが一方通行ではありません。

丁度、下校時間で迎えの車とかで混雑していました。

ジョンの後輩達です。男女とも制服でした。

QUARRY BANK WINGと名残の名前が残っています。

悪がきそうな生徒も見かけます。

右の3人は、女子生徒を2人の男子生徒が囲んで10分程なにやらひそひそ話。

ワイシャツ外だしの悪がきを撮りました。

お返しに撮ってくれました。

ここで、しばらくカルダーストーンズ・パークで休憩です。

⑲カルダーストーンズ・パークCalderstones Park:Garston L18 Liverpool

ジョン、ポール、ジョージとも遊びに来たんじゃないかな。

そういえば映画”NOWHERE BOY”でジョンが公園で女の子を口説いているシーンがあった。

公園の入口 HARTHHILL ROADだから学校からすぐです。

Welcomeボード

新緑にはちょっと早いが芝生は緑

公園内にある温室

馬に乗って公園内を警備している

案内板

1999/7/20にポールの寄贈で設置されたリンダ・マッカートニー記念子供プレイ・エリア

オープン記念式典にはポールも参加している。

案内板にその旨が書かれている

公園内の池と鳩、鴨

天気が怪しくなってきた

別の入口から出る

今日の予定は後1箇所、ジョンとジョージが通っていた小学校へと向かう。

ダヴィデル小学校Dovedale Junior School:Dovedale Road, Calderstones L18 Liverpool

上の写真の入口はCALDERSTONES ROADに出るので、そのまま右手へ進むと(途中、一方通行になる)MATHER AVENUEに出る。

MATHER AVENUE に出た所の交差点に”PENNY LANE”の歌詞に出てくる消防署がある。

正面入口

マージーサイド消防旅団、団員は見あたらなかったので砂時計もポケットに女王の写真を持ってるかも確認できませんでした。

消防車が見える。ピカピカ。

In Penny Lane there is a fireman with an hourglass

And in his pocket is a portrait of the queen

He likes to keep his fire engine clean It's a clean machine

PENNY LANEとは少し離れていますが、ポールの家からMATHER AVENUEを真っ直ぐ行くとランナバウトに出ます。

全体はこんな感じです。

トラックが走っているのがMATHER AVENUEでポールの家方向に向かっています。

消防署の建物の向こう側が通ってきたCALDERSTONES ROADでトラックと反対方向に進むとランナバウトに出ます。

MATHER AVENUEの1本西の道Elm Hall Driveを北上するとダヴィデル小学校があります。

英国の教育制度の初等教育では私立はPrepreparatory School:5~6歳 Preparatory School(Junior School):7~10歳まで

公立はPrimary School:5~10歳となっているようでジョンはメンディップスからバスで通っており、ミミがペニー・レーンのバス停まで送り迎えしていました。

ジョージがアーノルド・グローブから通っていたのかアドミラル・グローブから通っていたのか微妙です。

最初アーノルド・グローブからここへ通ってアドミラル・グローブに引越してここからストックトン・ウッドに転校したのかもしれません。

学校入口

校長、副校長、教頭の名前が書いてあります。

こちらが正門かな?

やっぱり

生徒募集広告のようです。

通用門

校庭、生徒は下校した後です。

Elm Hall Driveに戻って北へ昇るとSt.バルナバス教会の横を通ってSmith Down Roadのランナバウトに出ます。

St.Barnabas Church、ポールが聖歌隊に入っていた教会です。

Smith Down Roadに出た所、Roundaboutと銀行が見えます。

少し空を青くして見ました。

There beneath the blue suburban skies

銀行です。

On the corner is a banker with a motor car

The little children laugh at him behind his back

And the banker never wears a mac in the pouring rain

In Penny Lane there is a barber showing photographs

Of every head he's had the pleasure to know

And all the people that come and go stop to say hello

床屋です

カットは7£この日のレートで約1000円

シェルターの裏側とバルナバス教会

Behind the shelter in the middle of the roundabout

今日の午前中は強風で大変でした疲れたので宿へ帰って寝ます。

宿へ帰る途中ASDAというスーパーがあったのでリンゴとバナナと洋梨を買って1個づつ買って(1個でも量り売りしてくれます)

洋梨を齧りながら宿まで帰りました。

宿に着いて顔や着ているものが砂まみれなのでシャワーを浴び、宿の備え付けの自動洗濯機に下着(シャツ、パンツ、靴下)をほりこんで休憩していると

30分程して例の早口のねーちゃんがやってきて何やら捲くし立てています。

Washingとか言ってるみたいだったので一緒に洗濯場までいくとにーちゃんが何か操作しています。

なんかずっと廻っていたみたいで、お湯を何度にセットして何分にしたとか聞くので、良く分からないと答えるとOK後20分したら受付に取りにきて

といって洗濯機を設定しなおしてくれました。

洗濯物を取りにいって部屋に戻ると今日の相部屋の住人が座って本を読んでいます。

BEATLESの旅行ガイドのようなので今日はどこへいったとかの話をしていると同じようなコースを廻ったきたようです。

イタリア人で29歳、これからジョンの産まれた病院にいくけど一緒にいかないか、と誘われましたが疲れているので寝ると答えると一人で出かけていきました。

宿の近くで食事を済ませ寝ていると7半時頃に彼が帰ってきて今度はPUBに行こうといいます。

じゃあという事でPhilharmonicでビールを立ち飲み(いっぱいで座れません)していると今度はCAVERNへ行こうと言い出します。

CAVERNは4/2のチケット持ってるからと言っているのに何度も言うので行くことにしました。

ホワイト・チャペルからスタンリー・ストリート辺りはストリート・ミュージシャンがあちこちで演奏していました。

ギター1本でとかコンボとかアメリアッチ風、アコーディオンだけでとか様々、9時過ぎにCAVERNに3£で入りました。

BEATLES初期のコピーバンドがステージに上がっていましたが後ろの方なので良く見えません。

9:45分に1回休憩が入って10時過ぎに同じメンバーで次のステージが始まったのですが、私の後ろの入口階段付近が大騒ぎになっています。

何かと思って振り向くと狭い場所で若い男二人が大喧嘩をしています。

そのうちベロベロに酔ってるスキンヘッドの学生風の男が頭突きを鼻にくらって倒れ辺りが血だらけになってしまい、周りがワーワーキャーキャーと

騒がしく(ステージは関係なく演奏していましたが)明日の朝が早いこともあって、やばいから帰ろうといって途中ジャカランダに寄って1杯飲んでから

この日は帰りました。

列車でのスタートだったのですが道に迷った事もあったので走行距離は35kmでした。

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