4/01 LIVERPOOL 3日目
4/ 1(FRI)この日はカスバの予約が11:00~12:00に取ってあるので時間調整が難しいと思っている。
昨日寝る前にイタリア人が、明日ははカスバに行くんだろ、僕は一昨日予約入れたんだけど断られたから一緒に行っていいかと聞くので
いいよ11時だけどと答えると、じゃあ10時から11時の間カスバの前で待ち合わせようと云う事になった。
6時前に目を覚まして、奴はまだ寝ていたのでそっと身支度を済ませ出掛けた。
宿をでるとまだ薄暗く少し雨がパラついている。昨日の朝も路面が濡れていたけどすぐ晴れたので今日も晴れるだろうと思っていたら、しばらく走っているうちに
やっぱりやんできた。
宿からMyrlle Street→Upper Parliament Street→Smith Down Streetを通りシンシア・パウエルがアート・スクール時代住んでいたフラットへ
①シンシアのフラット:93 Garmoyle Road L15 Liverpool
ジョンと一緒にFalkner Streetで暮らすまでここに住んでいたのだろう。
実家はマージー河向こうのホイレイクという所だが列車、フェリー、バスを乗り継がなければならないのでフラット住まい。
SMITH DOWN ROADからちょっと入った住宅街
朝早いので電気がついていた。
一旦SMITH DOWN ROADにでてTESCOで朝食のバゲットとハムを買う。
SMITH DOWN ROADをGREENBANK ROADで曲り800m程行くとPENNY LANEの西の端に着く。
バゲットにハムを挟み、昨日買ったバナナとリンゴとを食べながら、ゆっくりPENNY LANEを歩いて行く。
②ペニーレーンの角:Penny Lane, L18 Liverpool
PENNY LANEの曲り角、ここからSMITH DOWN ROAD迄PENNY LANEが続く
1ペニーからの寄付金で作られたのでPENNY LANEと名付けられた。つまり壱銭道。
6:30頃、まだ街灯が付いている。
向こう側がSMITH DOWN RAODのROUNDABOUT
途中の壁面の標識
坂になっていたのは鉄道の高架橋
通勤電車が走っている
PENNY LANEのFISH&CHIPS屋さん、今は閉店となってしまっています。
Penny Lane is in my ears and in my ears
A four of fish and finger pie
In summer meanwhile back
ROUNDABOUTが見えてきた
SGT.PEPPER’S BISTROも閉店になってしまいました。
ここからジョンの生家はすぐ近くです。
②ジョンの生家:9 Newcastle Road, Wavertree L15 Liverpool
ジョンの生家があるNEWCASTLE ROAD、ランナバウトからは床屋の横を通り300m
CHURCH ROADを北へ700m程ロータリーを左折して細い路地を右に入るとジョージの生家です。
③ジョージの生家:12 Arnold Grove Wavertree L15 Liverpool
ARNOLD GROVEの入口は見落としてしまいそうな細い路地でした。
黒い扉がジョージの家
ARNORD GROVE路地を入ると道幅が広がっていました。
次はジョンの幼稚園に向かいます。
④ジョンの幼稚園:Mosspits Lane L15 Liverpool
幼稚園というかPrepreparatory School日本的に言えば小学校年少組みたいな表現になるのでしょうか。
ジョンの純真無垢な時代です。でも悪がきで放校されていますが。
小学校は何処も青か緑の柵で囲まれていました。
次はマネージャーのブライアン・エプスタインの家です。
⑤ブライアン・エプスタインの家:197 Queens Dr, Liverpool L15
エプスタインの家のあるQUEENS DRIVEは高級住宅街らしく1戸建ての大きな家が立ち並んでいます。
同じような家ばかりでGoogleMapの示した辺りに行っても番地表示がなかったりでなかな特定できません。
同じような高級住宅が両側に並んでいました。
地図の位置で似たような格好の家
カスバまで15km程走らなければならず待ち合わせしていたので探すのを諦めて次に向かいました。
⑥ポールの小学校②:Naylorsfield Drive, Belle Vale
ジョセフ・ウィリアムズ・プライマリー・スクールではなくHOPE SCHOOLという名前でした。
NAYLORSFIELDS DRIVEにある学校はここだけなので多分間違いはないと思うのですが。
ポールの通っていたスピークのストックトンウッド小学校が手狭になった為、ここに移されました。
スピークの家からは随分遠く10km程離れているのですが。
ここからジョンのアート・スクールの親友であり若くして夭折したビートルズ初代ベーシストスチュアート・サトクリフのお墓に向かいます。
途中で水がなくなったのでLathom RoadのASDA前にあるWilkinsonというスーパーで洋梨1個と500mlの水1本を買いレジに行くと
レジのおばさんが水は2だといいます値札には1£と貼ってあったのにと思って2£と聞き返すと、違う違うといって水の置いてある所へ
連れて行き値札の2for1を指差しました。2本で1£だったのです。
一昨日駅前で買ったら1本89ペンス昨日宿の近くで買った時は1本79ペンスで英国には定価というのがなく売り手次第だとは思っていたのですが
2本1£とは、自転車のボトル・ホルダー1本しか付かないにと思いながらDAYパックに1本入れました。
⑦スチュアート・サトクリフの墓:Blue Bell Lane Huyton L36 Liverpool
スチュは1962年わずか21歳にして亡くなっています。
ビートルズデビュー前の最も悲しい出来事でした。
ハンブルグ時代のジョンとスチュとビートルズの姿は、映画"BACK BEAT"で少しだけ垣間見る事ができます。
ジョン・ムーア展でスチュが60£の賞金をもらった時、ジョンはスチュにベースを買わせメンバーに引き込んでいます。
スチュのハンブルグでの恋人アストリッド・キルヒアーの撮ったハンブルグ時代の写真は当時のビートルズの姿を残した傑作ばかりで
"WITH THE BEATLES"のアルバム・カバーのハーフ・シャドーのアイデアはアストリッドがハンブルグで試みたものでした。
映画"BACK BEAT"
墓のあるBLUE BELL LANE
教会の反対側に墓があります。
教会の反対側の小さな公園の奥に墓への入口があります。ちょっと分かりにくい。
こんな門です。
門からの道を真っ直ぐいった正面の柳の木が目標です。
真中がスチュの墓です。1962年4月10日に亡くなっています。
ファンが訪れているのか献花されていました。
スチュの墓を後にしてスチュの小学校へ
⑧スチュの小学校Park View Primary School:Park View Huyton-with-Roby L36 Liverpool
近くにあるだけでスチュの小学校である確信はなかったのですが、その後調べた結果やはりこの小学校でした。
スチュはスコットランドのエジンバラ生まれで1943年にリヴァプールに越してきています。
ここから500m程の所にポールの叔母さんの家があります。
⑨アンティー・ジンの住んでいた家:147 Dinas Huyton L36 Liverpoolへ
”Let 'Em In"のJIN叔母さんです。
叔母さんの息子のIANの結婚披露宴がJIN叔母さんの家で行われたときThe Quarry Menで演奏しています。
(演奏したのはここではなくマージ川向こうのバーケンヘッドの方でした)
JIN叔母さんでのIANの披露宴ポール、ジョージはまだ子供ですね。
JIN叔母さんの家の前は生垣で良く見えません。
二個一でもメンディップスよりは大きい建物です。
ここからカスバのあるWEST DERBYまで4kmちょっとあります。
イタ公を待たせないよう気合を入れて走ります。
⑩カスバCASBAH COFFEE CLUB:8 Haymans Green L12 Liverpool
気合を入れたので10時丁度にカスバに着きました。
もちろんまだイタ公は来ていませんしカスバも閉まっているようです。
(カスバに行く予定の人はメールか電話でで必ず予約してください)tours@casbahcoffeeclub.com
近くをうろうろしていると、10:20頃車がカスバの前に止まり男性がカスバの中に入って行きました。
10時半頃になって雨が降ってきたので中に入って行き戸を叩くと、ちょっと待って(Wait a seconds)といって玄関から出てきて
受付カウンターのある戸を開けてくれました。
客はだれもいません案内人はローリーと名のりました。当時バンドをやっていたらしいです。
カスバの入口です。
しばらく待っていると10:20頃、車が止まり60代の男性がカスバの中に入って行きました。
裏手にある右の戸が受付の部屋の戸です。
CASBAH COFFEE CLUBの看板
受付カウンター前の案内人ローリー
雨が小降りになってきたので友人が来るから玄関で待っているといって玄関で10:55分まで待っていましたが奴は来ません。
後の予定もあるので戻ってローリーにそのうちくるから11時になったら始めてと言って11時になったので案内を始めてもらいました。
ジョンがペイントした天井
壁にJHONの自筆の名前が彫りこまれてあった。
当時のピアノ
壁に貼られたセット・リストや切抜き写真
壁に貼られたポスター
ポールがペイントしたサブ・ステージのストライプの天井
上と同じサブ・ステージで説明するローリーhttp://www.youtube.com/watch?v=jcxGA1GgRSs
メイン・ステージ
メイン・ステージの天井にもJHONが刻んだ名前が
メイン・ステージのドラム・セット
ローリーは気安く写真を撮ってくれた
ジョンが描いたドラゴン
古い冷蔵庫
シンシア作ジョンの影絵
ローリーがこの影絵はこのジョンの写真だよと説明している
4人でペイントした天井の☆印
50年も前なので2箇所剥がれているとローリーが言う
案内が終わってこの受付カウンターでゲスト・ブックに記帳
外にでるとローリーが記念写真を撮ってくれた。裏庭の看板前で
門側の看板前で
ローリーを門側から
帰り際ローリーが友達は来るのかなあと訪ねた。
分からないけどイタリア人だからと言ったら、そうだねと言ってお互い苦笑い。
ローリーに別れを告げ次へと向かう。
⑪New Clubmoor Hall (Conservative Club):Back Broadway L11 Liverpool
1957/10/18ポール参加後The Quarry Menでの初ギグを行った場所、保守的なクラブであってもSkiffleやRock'n Rollができたのだ。
BACK BROADWAYの入口前はモールになっていて、トイレと昼食をモール内のTAVERNで済ませた。
BACK BROADWAYの細い路地を入っていったが裏口の倉庫みたいな場所で玄関に廻ろうとしたがどうしても入口が見つからなかった。
しかたなく次へと向かう。
⑫ポールの生まれた病院Wallton Hospital(Aintree Univercity Hospital):107 Rice Lane L9 Liverpool
1942/6/18ポールが産まれたWolton Hospitalポールのお母さんMaryは助産婦で以前この病院に勤めていた。
しかし最近閉鎖されたらしく窓は全てトタンで塞がれていた。
父のJIMはこの頃、長年勤めていたハネーズという綿花商をやめネイピアという航空機のエンジン工場に勤めていて
夜間の見張り(戦時中のためドイツ軍の夜間爆撃)をしている時に生まれました。
ネイピアは水平対抗水冷24気筒排気量37ℓのネイピア セイバーを製造していました。
最近閉鎖された模様、こうして少しずつ縁の地が無くなっていく。
病院の名残の案内板
RICE LANEから少し入った所にあった
1日たてば1日分過去の歴史が消え去って行く。
GoogleMapのストリート・ビューでは健在だったのに。
ここからGoodison Park→Anfieldを通ってポールの生家に向かう。
EVERTON FCの本拠地GOODISON PARK、ポールはEVERTONのファンだった
LIVERPOOL FCの本拠地ANFIELD、ポール以外はLIVERPOOL FCがご贔屓
ポールの生家はすぐ近く、なのにポールは何故EVERTONを応援してたのか
⑬ポールの生家:10 Sunbury Road L4 Liverpool
Anfield Roadをスタジアムから3本目を東に入るとSunbury Road先の病院からは3.4km
ここもジョンのNewcastleやジョージのArnold Groveと同じで関係ない人が住んでいるので何れ無くなってしまうのではと心配だ。
SUNBURY ROAD
左がポールの生家
10番地、ここからマージ河向こうに引越している。
ここまで郊外の中部→東部→北部と廻ってきてやっと市中心部に戻る。
⑭メトロポリタン大聖堂Liverpool Metropolitan Cathedral:Cathedral House, Mt Pleasant L3 Liverpool http://www.liverpoolmetrocathedral.org.uk/
円盤のような不思議なデザインのRoman Catholicの教会です。
入口から中に入ってチケット売場を探すが見当たらないので受付にいって聞くと、お金は要りませんよと言われパンフレットを渡してくれました。
見学している途中に受付のおばさんがやってきて、どこから来たのと聞くので日本からですと答えると、日本語のパンフレットがあるから後でもらいなさい
と言ってくれました。
カトリックにしては前衛的なデザインです
これが鐘楼と鐘ですから
入口前のレリーフ
ステンドグラスのデザインも幾何学的です
見学が終わって受付前を通ると、日本語のパンフレットを差し出してくれました。
ここから一旦、宿に帰って自転車を預け後は徒歩で廻ることにして、リヴァプール大聖堂へ
⑮リバプール大聖堂Liverpool Anglican Cathedral:St James Mount L1 Liverpool
こちらは英国国教会としては英国で2番目の大きさとなる教会です。
メトロポリタン大聖堂とは正反対の重厚な建物ですが歴史は浅くジョン、ポール、ジョージがこの辺りで俳諧している時には工事が始まったばかりだったようです。
HOPE STREETを通って大聖堂に向かいます。
途中RICE STREETの路地を入ると
イークラックYe Cracke:13 Rice Street L1 Liverpoolが見えます
イークラックはジョンのアート・スクール時代のお気に入りの店でいつもジョンの座る席は決まっていたそうです。
HOPE STREETに戻ってMOUNT STREETが見えてくると
アート・スクールの前にオブジェが積み重ねられています
ポールのギター・ケースです
ジョンのアート・スクールです。勿論シンとスチュもですが。
今は、JHON MOORES UNIVERSITYとなっています。
オブジェの後ろの階段を降りてMOUNT STREETに入るとすぐに
ジョンとジョージの母校LIVERPOOL INSTITUTEが建っています。
インスティチュートはLIVERPOOLで1番の進学校で関西でいえば灘高みたいな有名校です。
ポールもジョージも頭よかったんですね。
HOPE STREETがUPPER DUKE STREETに突き当たった所に
ガンビア・テラス:3 Gambier Terrace,Liverpoolがあります。
ここを西に曲ってUPPER DUKE STREETを進むと
LIPAがあります。ポールの奔走で出来た芸術大学です。
パトロンにはジョージ・マーチンがいて客員教授にマンフレッド・マン、ギャラガー&ライルのBenny Gallagherもいます。
Gallagher&Lyleの”LOVE ON THE AIRWAVES"は好きなアルバムでした。
反対側がリヴァプール大聖堂です。ポールはここの聖歌隊のオーディションを受けすべっています。
入口では無く出口でした。入口はこの左に。
横壁面のクラシックながら綺麗なステンド・グラス
正面祭壇
ドーム天井
階段がある
グッズ売場にある階段を昇ると喫茶店がある
グッズ売場上の2階の喫茶店
ジンジャー入りのケーキとコーヒーを注文し休憩
喫茶店から1階を見た所
大聖堂を後にしてUPPER DUKE STREET-CANNING STREETを西へガンビアテラスの次のPercy Streetを南へ入ると
スチュのフラット:7 Percy Street L19 Liverpoolがあります。
この辺は学生街でこのようなフラットが数多くあった
ジョンのフラットとはすぐ近くです
CANNING STREETに戻りもう少し西へ進むと
スチュのもう一つのフラット:83 Canning Street L19 Liverpoolがある。
CANNING STREETをCATHARINE STREETまで戻り北へ上がるとFALKNER STREETとの角に
ジョンとシンのフラット:36 Falkner Street L8 Liverpoolがある。
ジョンとシンシアが暮らしたフラット
HOPE STREETを戻り、喉が渇いたので
フィルハーモニックでビールを半パイント呑んで
HOPE STREETをMOUNT PLEASANTのメトロポリタン大聖堂で西に折れ300m程進むと
ジョンとシンシアが結婚の届けを出したマウントプレザント登記所:64 Mount Pleasant L1 Liverpool
ジョンとシンシアは1962/8/23に結婚している。
MOUNT PLEASANTを少し戻りRODNEY STREETを南に入ると
マネージャーのブライアン・エプスタインの生家:4 Rodney Street L1 Liverpoolがある
エプスタインの家の前にあった廃屋
MOUNT PLEASANT出てメトロポリタン大聖堂を過ぎた辺りまで戻りCAMBRIDGE STREETという細い路地を入ると
ジョンの生まれた産院:Oxford Street L1 Liverpool
玄関横に丸いプレートが
1940/10/9午後6:30ジョンがこの病院で生まれた事を記したプレート
近くにリンゴが生まれた病院もあったのだが
位置からするとこの建物のあった場所
学校が建っている
宿に戻って暫く休憩し暮れなずんできた頃
宿へ戻る途中、フィルハーモニックのプレート
宿の部屋1階7号室の壁に飾られたBEATLSの額
ベッドに寝転ぶと落書きが
リヴァプールの町のあちこちにあるオブジェ、何かのシンボル?
暮れなずんできたのでイークラックで
イークラックの店内
8時過ぎまだ満席にはなっていない
ギネスを注文3.5£でラガービール2.5£(Fostersと呼ぶらしい)より高い
店内のWelcomeボード
煙草をすうため外へでて階段横で
店内に飾られたジョンの肖像画
談笑する客達
この後、元船員(コック長)だという60代後半の人と話をしていて1杯奢ってやると言われたのでギネスを注文したら
横にいた仲間がギネス注文するのかという顔をしたので半パイントにした。
おじさんは世界中いろんな所にいったらしく日本は長崎、神戸、大阪、横浜に来たらしい。
料理の話になって仲間に、知ってるか寿司っていうのは米の上に生魚切って乗せるだけなんだぜ、あれを料理って言えるか
みたいな事をはなしていた。
おじさんの別の仲間が来て、それじゃ楽しみなと言ってさって行ったので、バーテンにJHON'S SEATの場所を聞いてそちらに移動した。
バーテン
しばらく席が空くのをギネスを呑みながら待っていたが空きそうもないので隣の人に頼んでジョンの席に座っている人と一緒に撮って貰った。
10時になったのでイークラックを出る。
ソーセージ程度しか食べていなかったので帰りに宿を出た前にあるFISH&CHIPS店で夜食を買った。
CITY FISH AND CHIPSという中国人の店、焼きそばもあった
買ってきたFISH&CHIPSの包み、英国は紙で包む所がほとんど
FISH1切れとCHIPS大量
意外とうまい
FISHはかなり大きい
ベッド前の椅子に座って食べる。
この晩は1人だった。文句を言ってやろうと思ったがイタ公は結局帰っていなかった。
今日は40km走りました。+宿周辺徒歩散策2km。
途中、全速力で走った所もあり昨日のように風が強くなかったとはいえ疲れました。
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