弁護士 大澤理尋 Oosawa Michihiro

経歴

新潟県長岡市出身

北海道大学法学部卒業

1993年弁護士登録


主な取扱業務

民事・刑事・家事・行政事件など


ひとこと

共同事務所の利点をいかし、可能な限り事務所の弁護士との共同受任や意見をきくことをこころがけています。

過労死等防止対策推進シンポジウムが開催されます

2019.8.5 学会発表をしました

日本福祉大学大学院博士課程で成年後見制度の利用促進の研究をしています。指導教授からメールや面談で指導を受け、学会発表や論文投稿を続け,博士論文の原稿をつくっています。本年5月25日に日本成年後見法学会、6月1~2日社会福祉士学会、6月8~9日に日本地域福祉学会に参加、後2者で発表をしました。

地域福祉学会では福井県立大学の山口先生がセーフティネットとしての法人後見について、立教大学の木下先生が老齢加算廃止に触れスウェーデンの行政裁判等について、それぞれ発表されました。判断能力の低下した低所得の方の社会参加の需要を顕在化し費用の保障を訴えることが私の研究を始めた動機であり、大いに盛り上がりました。

居住福祉論へのお誘い 2018.9.10

私は、23年前自由法曹団の5月集会(鹿児島)に参加した際、阪神淡路大震災からの復興をテーマとした分科会に参加しました。

そこでの報告とコメンテーターを担当されたのが「居住福祉学」の創設者である故早川和夫先生でした。この分科会では、行政が大震災の後住民無視の都市づくりを行おうとしていることに対抗して、いかにして民主的な復興を勝ち取るかが議論されました。早川先生が「これは戦いだ。甘っちょろいことでは負ける!」と参加者を叱咤激励したことを覚えています。

さて、私は、22015年度、2016年度と日本福祉大学大学院(通信)に在籍しました。2016年度では、早川先生の直弟子である児玉善郎先生(現日本福祉大学学長)の授業を受けました。

新潟市の住環境を例に「居住福祉」についてイメージしていただければと思い、実際に提出したレポートを転載します。

テーマ 新潟市の住環境の現状と課題

1.新潟市の概要

(1)位置,人口,高齢化率及び都市環境

新潟市は,新潟県の北東部に位置する政令市であり,人口は801,047人,高齢化率は27%である(2016年4月末日現在 住民基本台帳人口).

同市は,数回にわたる市町村合併により,市街地を中心に農村地域と海浜地帯を含んだ複合的な都市環境として現在に至っている.

(2)住環境の特徴

新潟市住生活基本計画(2015)に基づき整理すると,新潟市の住環境の主な特徴は,次のとおりである.

1)住宅の特徴

住まいの特徴として,他の政令市との比較では,「持ち家率」「一戸建率」「木造率」「延べ面積」が1位,「敷地面積」が2位と,比較的広い木造一戸建の持ち家が多い.

2)住宅の広さ

住宅の広さについて, 最低居住面積水準に満たない世帯が全体の4.5%存在する.

また,子育て世帯の誘導居住面積水準の達成率は48%であり,約半数が適切な規模の住宅を確保できていない状況である.

さらに, 持ち家に住む高齢単身世帯の65.5%,高齢夫婦世帯の87.2%は,最低居住面積水準における「4人世帯50㎡」と同等の30 畳(49.5 ㎡)以上の広い住宅に居住している一方,借家に住む子育て世帯の77.6%は,30畳未満の狭い住宅に居住しており, 住宅の広さと世帯規模のミスマッチが生じている.

3)耐震性能

①耐震性能について,約2割の住宅で耐震性が不足しており,特に木造の耐震化率が低い.

②高齢者が居住する住宅のバリアフリー化率は増加傾向にあるが,半数以上は未対応である.

③住宅のライフサイクルの中で,居住時のCO2排出量が大きい.

④空家数は増加しており,古くからの市街地や田園集落地区で空家の発生が顕著である.

⑤リフォーム実施率は増加傾向にあるが,その担い手である大工の数は,平成12年~22年までの10年間で約2/3まで減少している.

⑥災害リスクとして, 地震時の液状化危険度の高い地域が分布している.

また,海抜0m以下の土地が広く分布しており,浸水被害のリスクが高い地区が見られる.

⑦身近な公園・緑地について,広大な田園地帯を有する等市全体では緑は豊富であるが,市街化区域では緑が少ない.

⑧居住ニーズとして,まちなかへの居住に一定のニーズが見られる.

また, 子育て世帯が親世帯と同居・近居を望む一定のニーズが見られる.

さらに,高齢期の介護は「自宅で受けたい」というニーズが高い.

⑨交通手段として,自動車を利用する市民は約7割を占めており,自動車交通への依存度が高い.

また, 公共交通空白地域が郊外の農村部で多く見られる.

2.住環境の現状の評価

(1)良い点

1)比較的広い木造一戸建の持ち家が多いこと,持ち家に住む高齢世帯の多くが広い家に居住していることは,健康面,防災面,住む人の心に与える影響等の点で,良好な住環境の要素として評価できる.

2)郊外の農村部の豊富な緑は,信濃川の広い河川敷,市街地から近い海浜とともに,住む人をつつみこむ豊かな自然環境として評価できる.

(2)先進的な取り組み

住居をとりまく生活環境の改善・まちづくりについては,以下のとおり全国的にみて先進的な取り組みがある.

1)マイカーの普及は, 交通渋滞の発生,交通事故の増加,排気ガスによる環境問題等,住環境の悪化につながる.

新潟市では,少子・高齢化社会を迎え,市民のモビリティを維持・確保していくためには,バスが中心的な役割を担うことが不可欠と考え,2007年国土交通省の指定を受け,「オムニバスタウン計画」を策定し, 公共車両優先システムの充実, バス停上屋の整備,ICカードの導入, ノンステップバス,バリアフリー対応車両の導入促進等を実施している(国土交通省2007).

2)新潟市は,「信濃川やすらぎ堤かわまちづくり」計画を策定,2016年2月国土交通省から「都市・地域再生等利用区域」の指定を受けた.これにより,新潟市が民間事業者等と使用契約を結ぶことで,河川敷での店舗営業やイベント開催が可能となった.また,かわまちづくり支援制度の登録により,国と市が連携し,堤防天端広場,船着場階段工,転落防止柵等,まちづくりと一体となった水辺整備を推進する (国土交通省・新潟市2016).

萬代橋,信濃川河口付近河川敷は,従来から散歩やジョギング,お花見,花火等市民の日常生活や行事に利用され,良好な住環境の要素となってきた.この事業によりその一層の改善が期待される.

3)新潟市のNPO法人「まちづくり学校」は,2013年5月,まちづくり法人表彰(第2回)「まちづくりの担い手サポート部門」で国土交通大臣賞を受賞した.

「まちづくり学校」は,協働型・自立型のまちづくりを進めるため,市民,行政職員,市民活動団体を対象に心構えや技術,ノウハウを学ぶ研修会等の実施や,書籍の出版等の取組を行っている.

選定理由として,市民主体のまちづくりについて基礎的なものから実践的なものまで学べる研修会等の実施や書籍の出版等の取組が,まちづくり活動で活躍する人々を応援してまち全体の活力向上に貢献している点が高く評価された(国土交通省2013).

(3)これらの取組みの評価

これらの先進的な取り組みは評価すべきである.

一方,低所得者に対する家賃補助,防災対策等,住宅セーフティネットの根幹にかかわる事業について,先進的とみられるものがない.

また,「まちづくり学校」で学んだ人たちが,住民の立場から公共交通政策や住宅政策に参画する,住宅改善チーム(早川1997:210-211)の提唱者・コーディネーター役を務める等,先進的な活動の成果をさらに発展させていくことが必要である.

3.問題点・課題

(1)新潟市住生活基本計画における整理

1,2の現状およびその評価を受けて,新潟市住生活基本計画は,同市の住環境の課題について,以下のとおり整理している.

課題1 安心・安全の確保

〇高齢期や子育て期において安心・安全に暮らすことのできる住宅・住環境を整備していく必要がある.

〇住宅の防災性を高めていく必要がある.

課題2 安定した居住の確保

〇住宅確保要配慮者の安定した居住を確保する必要がある.

〇世帯規模・状況に応じて円滑に住み替えできる環境を整える必要がある.

課題3 住宅ストックの継承

〇住宅のライフサイクルを通じ環境負荷の低減を図る必要がある.

〇リフォームしやすい環境を整える必要がある.

〇住宅ストックの流通・利活用や適正管理の促進を図る必要がある.

課題4 住環境の魅力向上

〇農村集落における魅力ある住環境を保全していく必要がある.

〇市街地における良好な住環境を形成していく必要がある.

(2)私の考える重点的課題

新潟市住生活基本計画による課題の指摘は概ね妥当であるが,そのうち私が日々の仕事や生活から考える重点的課題は、以下のとおりである。

1)安全・安心の課題

①老朽化した木造住宅の密集

新潟市の中心部では,江戸時代から続く街並みとして,小路をはさんで老朽化した小さな木造住宅が密集している地区が少なくない.

これらの地域においては,住宅の敷地が非常に狭く,境界問題などもあり,居住者の高齢化や資力の問題もあって,建て替え,耐震化が容易でない.

しかし,現状を放置しておくことは,居住者,地域の良好な住環境や防災面において大きな問題がある.

②自転車の路上通行

また,多くの歩道で自転車の通行が認められていることが,特に高齢,障がいのある人たち,子どもや妊婦の歩行上大変危険な状態である.

2)安定した住居の確保の課題

①住宅確保要配慮者に対する制度の問題点

新潟市には,住宅確保要配慮者に対する主な制度・事業として,以下のものがある.

ア 賃貸住宅の供給

(ア)市営住宅制度(要配慮者が当選しやすくなる措置がある)

(イ) サービス付き高齢者向け住宅(政令市として実施)

(ウ) 高齢者向け優良賃貸住宅制度

イ すまいの融資制度

(ア)老人居室等整備資金融資

(イ)障がい者住宅整備資金融資

(ウ)母子父子寡婦福祉資金

(エ)生活福祉資金

ウ すまいの助成制度

(ア)高齢者向け住宅リフォーム助成

(イ)高齢者介護予防リフォーム助成

(ウ)障がい者向け住宅リフォーム助成

(エ)子育て支援健幸すまいリフォーム助成事業

事業数からみると,持ち家を前提とした融資・助成が施策の中心である.

また,対象者や利用の要件が異なる複数の制度があるため,複雑で市民にとって理解しにくい,わかりやすい広報が難しい,利用実績の少ない制度がある,「制度の谷間」がある,などの問題がある.

さらに,市営住宅の入居や老人居室等整備資金融資には保証人が必要であるところ,少子高齢化の進展のもとで,適切な保証人を得られない人も増加しており,制度の利用を困難にしている.

②刑務所出所者の住居の保障の制度がない

刑務所を出所する人たちのなかには,身体障がい,認知症,知的障がい,精神障がいなどで,かつ,身寄りのないひとたちがいる.従来このような人たちが福祉につながらず,ホームレスとなり,累犯により刑務所と実社会を往復することが問題となっていた.新潟市にも新潟刑務所があり,同様の問題に直面している.

新潟市では,この問題への対応が保護観察所による「特別調整」と各都道府県の地域生活定着センターによる支援に委ねられ,市としての施策がない.

しかし,福祉施設等の受け皿が不足し, 「貧困ビジネス」といわれる団体の運営する無届の無料低額宿泊所等に頼らざるを得ない状態であり,このような人たちの居住が不安にさらされている.

3)空家の活用の問題点

住宅ストックとしての空家の活用について,低所得の方に対する住宅保障と結びついていない.

また, 空家を小規模多機能サテライトとして活用することが考えられところ,これに対応する助成がない.

4)農村部・市中心部の課題

①農村部における公共交通の未整備

新潟市でも農村部においては,バスは1時間又は数時間に1本である.

子ども,高齢者,障がいのある人たちにとって,大変不便である.自動車の運転ができない人たち,ひとり暮らしなどで家族の運転による送迎に頼れない人たち,タクシーを利用する経済力のない人たちの交通手段がないことが大きな問題である.

②市中心部の空洞化

また,新潟市においても,郊外型大型量販店の増加と市街地の昔からの小売店の廃業等,市中心部の空洞化が,住民の高齢化とともに進んでおり, 自動車の運転ができない人たちの生活が不便になりつつある.

4.今後の住環境の改善のあり方

(1)新潟市住生活基本計画における改善の枠組み

新潟市住生活基本計画は,上記の各課題に対応する基本目標を以下の通り定めている.

基本目標1 住み慣れた地域で安心・安全・快適に暮らせる住宅・住環境の形成

基本目標2 誰もが安定した居住を確保できる多様な仕組みの構築

基本目標3 環境負荷の低減に貢献する住宅・関連市場の形成

基本目標4 多様な暮らしを実現する魅力ある住環境づくり

さらに,新潟市は, 新潟市住生活基本計画「指標編素案」を策定し,基本目標ごとに具体的な施策ごとの評価指標を設けている.

(2)私の考える改善のあり方

しかしながら,より本質的には,憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利に含まれる「居住の権利」の保障の見地から, 住環境の改善のあり方を考えるべきである.以下,1)から4)において総論としての改善の方向性を,5)において個々の課題の改善の方向性をそれぞれ示す.

1)基本目標としての居住の権利,居住福祉の明記の明記

まず,世田谷区住宅条例のように,住宅政策が市民の健康で文化的な住生活の維持及び向上を図ることを目的とすること,すべての市民が良好な住生活を主体的に営むことができる権利を有することを条例に明記すべきである.新潟市における様々な課題は,住宅政策が住民の「居住の権利」の保障の具体化である,という意識が明確でないところから派生していると考える.

2)まちづくりの全体像との関係で検討を

次に,高浜市居住福祉のまちづくり条例のように,まちづくりの全体像との関係で,個々の政策を検討すべきである.常にこの視点から個々の政策を考えることにより,制度の谷間や切れ目のない政策の実現が可能となる.高浜市条例の前文は,このような観点から非常に参考になる.

3)地域住民による多様な話し合いを

また,行政主導の政策ではなく,住民主導のボトムアップによる政策形成が必要である.

新潟市住生活基本計画策定のための会議にととまらず,町内会,地域コミュニティ協議

会,地域包括ケア会議,自立支援協議会など,多様な立場の人たちの集まる様々な機会に様々なすまいの問題を取り上げ,そのような議論が政策に反映されるようなしくみづくりをすべきである.

4)総合的な政策推進を

さらに,個々の課題をばらばらにとらええるのではなく, 総合的な政策推進が必要である.例えば,阪神淡路大震災では,老朽化した狭い家に住む高齢者の被害が甚大であった(早川・前掲:20-23).したがって,高齢者に対する安全・安心な住宅・住環境の整備,住宅の防災性の向上,住宅確保要配慮者の安定した居住の確保,リフォームしやすい環境の整備は,一体として強力に推進されるべきである.かかる観点から,住宅改修費用の公費負担の一層の充実が必要である.

また,複数の課題相互を考えるにあたっても,個々の対象者の居住福祉の観点が重要である.例えば,子育て世代の住居が狭く高齢者の住居が広いのはミスマッチであるとされ,住み替え環境の整備,住宅ストックの流通・利活用が強調されている.これは,市場によって高齢者の住宅を流通させ子育て世代の住居とする,という解決方法を示唆している.しかし,高齢者にとって住み慣れた自宅を離れることは重大な問題である.他方,子育て世代には経済面,子どもの育つ環境の変化等,住み替えが困難な要因がある.高齢者,子育て世代双方に対する施策の充実が必要である.

5)個々の課題の改善の方向性

以上の観点から,個々の課題についてみると,小路をはさんで密集し老朽化した木造住宅の建て替え,耐震化の問題は,当該地域について安全で住みやすいまちづくりを議論する住民同士の話し合いのなかで基本的方向性を見出し,行政は専門的な見地から情報提供やアドバイスを行うべきである.

自転車の歩道通行の問題については,車道に自転車専用の通行帯を設けることで解決が可能である.しかし,問題の背景には,お互いが自分のことだけを考え,異なる他者の権利について眼中にないという意識があると考えられ,ここでも住民相互の話し合いが重要である.

同様のことが,農村部の公共交通網の整備,都市中心部の空洞化対策についてもいえる.例えば,前者については,コミュニティバスの整備,高齢のため運転免許を返納した方などに対するタクシー券の配布,移動支援のNPO法人などに対する助成などが考えられる.そして,これらの政策が「すべての市民に対する良好な居住環境の保障」という観点から,住民相互の話し合いのなかから提案されるべきである.基本的人権の保障であることを明記しないと,市長の方針や財政事情に政策が大きく影響されるおそれがある.

さらに,市営住宅は住宅セーフティネットの役割を有することから,保証人がなくとも入居できる場合を定めるべきである.また,社会貢献として市営住宅に限らず身寄りのない人の保証人となるNPOなどに対し行政の支援を行うべきである.

また,すべての住民に対し居住の権利を保障する見地から,刑務所出所者のすまいについて市として対策を講ずるべきである.居住の受け皿となる施設,グループホームの運営主体に対する支援や,地域生活定着センターをはじめとする支援関係者,関係団体と連携した上での市営住宅の入居などを進めるべきである.地域住民主体の話し合いによるこれらの人たちを受け入れる地域づくりも重要である.同時に,無届の無料低額宿泊所に対し第2種社会福祉事業の届出をするようつよく行政指導するとともに,埼玉県のように貧困ビジネス条例を定め規制をすべきである.

空家対策も,同様の見地から,今後重点的に取り組むべき分野である.

2016年7月22日の朝日新聞朝刊は,「国土交通省は,低所得者向けの住宅に空き家を活用し,家賃を一部補助する方針を固めた.公営住宅を十分に供給できないためで,都道府県ごとに一定の基準を満たす空き家を登録し,入居希望者に仲介する仕組みを来年度につくる.低所得者の住宅環境の改善と,空き家の減少を目指す.」と報じている.

低所得者向け住宅の不足と空家の増加による問題の双方を解消する政策であり, 耐震性等の審査による安全性確保及び家賃補助の仕組みを組み込んだ点で制度設計としても適切である.

新潟市は政令市であり,この制度の実施主体となることが想定される. この施策がすべての住民に対し居住の権利を保障する政策の一環であることに照らすならば,少なくとも市営住宅と同等の家賃水準とし,かつ,保証人がいない人には市などの公的機関が保証人となることが求められる. また,空家の活用が住民主体のまちづくりの一環として進められる必要がある.

(本文6481字)

<引用文献>

国土交通省(2007)『新潟市オムニバスタウン計画の概要』www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/09/090604/01.pdf(2016.6.7閲覧)

国土交通省北陸地方整備局・新潟市(2016)『やすらぎ堤にさらなる賑わいを Ⅱ』

www.hrr.mlit.go.jp/press/2016/04/160428kasenbu2.pdf(2016.6.7閲覧)

国土交通省都市局まちづくり推進課(2013)『第2回 まちづくり法人 国土交通大臣表彰 審査結果』

http://www.mlit.go.jp/common/000998925.pdf(2016.6.7閲覧)

新潟市ホームページ「市民基本台帳人口(年齢1歳ごと)平成28年分」 (2016.6.5閲覧)

http://www.city.niigata.lg.jp/shisei/gaiyo/profile/00_01jinkou/kihon_nenrei/juuki1saigotoh28.html

新潟市(2015)『にいがた住まい環境基本計画(新潟市住生活基本計画)』

http://www.city.niigata.lg.jp/shisei/seisaku/keikaku/kenchiku/sumaikihon/sumaikankyo.files/00honpen.pdf(2016.6.7閲覧)

新潟市(2015)『にいがた住まい環境基本計画(新潟市住生活基本計画)指標編素案』

http://www.city.niigata.lg.jp/shisei/gyoseiunei/fuzokukikan/sonota/kenchiku/jyukankyoseisaku/sumaikaigi/h18-26/jukankyo2015.files/a2.pdf(2016.6.7閲覧)

早川和男(1997)『居住福祉』岩波書店.

朝日新聞デジタル(2016.7.22)『 低所得者向けに空き家を活用 国交省、家賃を一部補助へ』

http://digital.asahi.com/articles/ASJ7P5453J7PUTIL037.html?_requesturl=articles%2FASJ7P5453J7PUTIL037.html&rm=336

社会福祉基礎構造改革と成年後見制度 2018.9.10

近年「成年後見制度」という言葉を耳にする方も多いと思います。この制度は、認知症高齢者や知的障がい、精神障がいのある人の財産を管理する制度という理解が一般であると思います。この制度は、これらの人たちの生活を支える制度として注目される一方、本人の自己決定権を侵害し、後見人による横領が問題となるなど、社会的批判も受けています。

私は、2015年4月から2017年3月まで日本福祉大学大学院修士課程(通信)に在籍した際、戦後のわが国の社会福祉の歩みとの関係で成年後見制度の位置づけを検討し、レポートにまとめました。ご担当の先生は、新潟大学にも在籍された木戸利秋教授です。

成年後見制度に対する異なった視点からの検討として、お読みいただけると幸いです。なお、誤字等は修正しています。

テーマ 社会福祉の政策・制度研究への私の視点

社会福祉基礎構造改革と成年後見制度 ―公的後見制度構築の必要性―

第1 研究テーマ・研究目的の紹介

私の研究テーマは,「成年後見制度の利用促進の方策に関する総合的研究―新潟県下の動向を中心に―」である.

研究の基本的スタンスとして,成年後見制度を,判断能力の不十分な人の福祉サービスの利用を確保するなど,その権利を擁護し,健康で文化的な生活を実現するためのセーフティネットとして位置づける.

その上で,行政の責任による公的後見制度の構築という基本フレームのなかに,成年後見制度の利用促進の方策である成年後見制度利用支援事業(成年後見開始の審判の申立費用及び後見人の報酬に対する助成),日常生活自立支援事業,権利擁護支援センター,地域ネットワークの構築・拡充及び行政計画への位置づけ(行政の方針化),これらの方策の現状と課題を検討するとともに,各方策の関係を分析する.

このようなスタンスに立つならば,成年後見制度は,利用者の生活ニーズを顕在化し,これに応えない制度の不備を浮き彫りにし,政策の変更を迫る手段となりうる.例えば,成年後見人による支援の結果, 被保護者である認知症高齢者が親族との関係を回復し冠婚葬祭に参列する,地域行事に参加する等,社会的関係が豊かになった事例が続くならば,それに伴う支出の問題が顕在化する.その結果,現状の保護費が要保護者の年齢に応じ必要な事情を考慮した生活需要を満たすに十分でないことが明らかとなり,生活扶助の増額を迫ることができる.

成年後見制度の利用促進は,利用者のQOLの向上というミクロレベルの課題,住みやすい地域をつくるというメゾレベルの課題だけでなく,よりよい政策の実現というマクロレベルの課題の解決にも資する.

このような問題意識に基づき,成年後見制度の利用促進の方策に関する総合的なモデルを提示することにより,成年後見制度の利用促進に関わる行政,地域住民,支援者,そして当事者の気づきに貢献することが,本研究の目的である.

本レポートは,成年後見制度の利用促進の必要性を論ずるにあたり,このようなスタンスを明確に示すため, この論文の第1章第1節において,社会福祉基礎構造改革と新成年後見制度の関係に関する論述の基礎とするものである.

第2 社会福祉基礎構造改革と新成年後見制度の関係:テキストから学んだ内容及び木戸先生のご指摘にこたえて

成年後見制度は,一般に社会福祉基礎構造改革(以下「基礎構造改革」という)において導入された権利擁護システムの一つに位置づけられている.

そこで,以下,河野(2002)の展開に即して,成年後見制度と基礎構造改革との関係を検討する.

1 基礎構造改革以前の状況

⑴ 禁治産宣告・準禁治産宣告制度の概要

成年後見制度は,精神上の障害により判断能力が不十分であるため法律行為における意思決定が困難な者について,その判断能力を補う制度であり,最終的には,その者の生命,身体,自由,財産等の権利を擁護することを目指している(小林2000:3).

2000年4月施行の新しい成年後見制度(以下「成年後見制度」という)以前の制度としては,禁治産制度(心神喪失の常況に在る者に対し家庭裁判所の禁治産宣告により選任された後見人が本人の意思決定に関する取消権及び代理権を有する制度)及び準禁治産制度(心神耗弱者及び浪費者対し家庭裁判所の準禁治産宣告により保佐人が選任され,民法所定の重要な法律行為のうち保佐人の同意を得ずに行った行為について本人に取消権を与える制度)が存在した(小林前掲:4).

これらは,基本的に「行為無能力者のための財産管理制度」として設計されており,福祉サービスの利用等の「身上監護事項」についてほとんど留意していなかった(上山2000:13).

⑵ 禁治産宣告・準禁治産宣告制度と社会福祉との関係

ア 措置制度のもとでの両者の関係

一方,社会福祉基礎構造改革以前の福祉サービスの法的フレームとして,児童福祉法(1947),身体障害者福祉法(1949)及び社会福祉事業法(1951)の3法により,行政裁量に基づき措置の要否及び内容を決定する方式が採用された(河野2002:66).国は,措置制度について,職権に基づく行政処分であり,福祉サービスの利用は本人の意思決定を要しないと位置づけた.

また,措置費用について,主に公費負担方式が採用された(河野前掲:66).

さらに,戦後フレームの形成期(1945~59)には,社会福祉は生活保護に収斂され(河野2002:66-67),戦後フレームの拡充期(1960~73)においてもその中心は低所得対策であった(河野2002:73-74).

このように,この時期の社会福祉は,利用者負担がなく,かつ,管理すべき財産に乏しい者を対象としていたため,禁治産・準禁治産制度との関係は希薄であった.

1970年代後半になると,福祉ニーズの変化及び増大により福祉サービスは低所得対策に終始できなくなり,国及び自治体の財政硬直化を背景に受益者負担を強調する傾向が強まった(河野2002:82).しかし,措置制度は継続し, 禁治産・準禁治産制度を福祉サービスの利用のため改正しようという改正の動きはなかった.

イ 禁治産宣告制度及び準禁治産宣告制度に関するうごき

(ア) 運用状況,問題点の指摘及び法改正

この間,禁治産宣告制度及び準禁治産宣告制度については,以下のとおり,主に財産管理の制度として運用されていた.

その一方,両制度の運用に携わる鑑定医らにより制度の問題点が指摘されるとともに,準禁治産宣告の対象について改正がなされた.

a 金子らによると,1951年度から1961年度までの大阪家庭裁判所における禁治産宣告事件の審判記録83件を調査したところ,その申立の動機は,財産管理32件,離婚10件,年金受給9件,遺産相続6件であるのに対し,身上監護は6件に止まっている(その他2,不詳18)(金子ほか1964:19).

また,金子らは,鑑定医の立場から,「全精神障害者の実数に比して,家庭裁判所において禁治産宣告を受ける人数が極めて少ない.多くの精神障害者は無能力制度を利用して,財産上法律上の保護を十分受けているのかどうか疑問に思われる.民法においては原則として申立てのあった場合にしか審判を受けることができず,本制度の保護が与えられない.それゆえ,精神障害者に対して本制度の趣旨が積極的に十分に活用されることが少ないようである.」(同頁)として,職権による審判開始のない点を問題とする.しかし,金子らの理解する本制度の趣旨は「精神障害者の財産行為および一部の法律行為を制限して,かれらを社会から保護すること」(金子ほか1964:17)であり, 福祉サービスの利用のためにこの制度を利用するという視点はなかった.

b 1979年民法が改正され,民法11条の準禁治産宣告の対象から「聾者」,「唖者」及び「盲者」を削除した.

その理由は,「単に聾者,唖者または盲者であるということだけで,これらの者について準禁治産宣告がされるかのような誤解を生じ,ひいては不公平感を生じさせるおそれもあるのみならず,これらの者が社会生活上種々の不利益を受ける懸念もなしとしない」(国務大臣古井喜實の趣旨説明:第087回国会 法務委員会第9号)というものであった.

この法改正においては,準禁治産宣告が対象者にとって様々な社会的不利益を及ぼすことが問題とされており,この制度を積極的に利用しようという視点はみられなかった.

c 寺嶋(1980)は,家庭裁判所医務室の医師の立場から,1975年から1979年までの福岡及び熊本の家庭裁判所本庁の禁治産宣告及び準禁治産宣告56件の申立動機を調査したところ,遺産相続が20件,財産管理・維持が12件,保険金・年金の請求等が7件,本人に代わり訴訟・交通事故7件,離婚訴訟4件等であった(710表3).この時期にも,両制度は,財産管理を中心として利用されていた

また, 寺嶋は,「意思能力の不完全な者が軽率な取引によってその財産を喪失しないようにする制度にすぎないから,財産のある者の保護にはなるが意思能力の不完全な無産者の場合にはほとんど役に立たない.かえって法定代理人の有する大幅な財産管理権と代理権は親が子を食い物にするといわれるような濫用のおそれなしとしない」と制度の問題点を指摘するとともに(寺嶋1980:709),「後見は民法のなかでも最も有産者的な制度であるが,有産者の保護のためにはまだ不十分(不備不徹底),無産者のためには煩瑣という批判があるし,禁治産後見事務履行の制度については将来改正していく余地がないわけではない」(寺嶋1980:712)としている.

(イ) 障害者の権利擁護をめぐるうごき

他方,「国連の精神薄弱者の権利宣言」(1971),「障害者の権利宣言」(1975)に次ぐ「国際障害者年」(1981)の設定,「ノーマライゼーション」,「完全参加と平等」など新しい障害者保障の理念の登場などを受け,この時期には,障害者の権利擁護を擁護するための第三者機関の設置が,東京都福祉局長の私的諮問である「精神薄弱者等の地域生活に関する調査・協議会」,「国際障害者年日本推進協議会」及び「国際障害者長期行動計画推進全国会議86‘国民会議」において検討されていた(高藤1987:100-101).

高藤(国際障害者年日本推進協議会政策委員,法制プロジェクト委員長)は,これらの議論を踏まえ,障害者の権利擁護の課題として,「障害者の現実の権利擁護の観点からみた場合,特に注目されるべきことは,障害者が市民としてもっている財産権,生活権,人格権その他多くは憲法上の基本的人権の内容とされている権利さえも,障害者であるがゆえに行使されず,あるいは侵害されっぱなしとなって悲惨な状態に置かれていることである.」と強調する(高藤1987:100-101). 高藤は,障害者の「親なきあと」の問題,障害者である子どもの年金を親が使い込むケース,親以外の者のもとにおかれた障害者が暴力的搾取や性的いたずらの対象とされやすいことなどを指摘した上,さらに,障害者である子どもは単独では日常生活さえ困難な場合が多く,親が財産を残しても管理運用能力のなさから「宝のもちぐされとなるばかりか,それを失い,あるいは奪われてしまうおそれもある.」と強調する.その上で,障害者の権利や生活を守るために,障害者に密着し,日常生活から財産管理,さらに人権擁護にあたる何らかの権利擁護機関が必要となる.」とする(101).

さらに,高藤は,「類似の制度」として,禁治産宣告制度及び準禁治産宣告制度を挙げた上,両制度に共通する問題点として,「財産の少ない者の保護や日常生活上の面倒見など,福祉的側面への配慮がなされていないこと」,「障害者の福祉的側面について,裁判所系列による保護は果たして適切か」との問題点を指摘する.

このような問題意識は,後の成年後見制度の導入の議論と共通するものであった.

ウ 憲法25条に基づく訴訟との関係

一方,この間の動きで重要なものは,朝日訴訟,堀木訴訟などを通じ,憲法25条に対する社会の注目が集まり,社会福祉の増進に影響を与えたことである(河野2002:69-73,82-83).

司法は,政治部門の広範な裁量を認め,市民の福祉サービス請求権を認めなかった(河野2002:83).

しかし,訴訟と運動の盛り上がりは,生存権の重要性を国民の脳裏に焼き付けた.

新成年後見制度を含む権利擁護システムの憲法上の根拠について,自己決定権の尊重を定めた憲法13条とともに,憲法25条を挙げる見解が多いこと(河野・相澤2009:66-67,平田2012:109,128-129,若穂井2014:26-27)は,上記の訴訟等の影響を抜きにしては考えられない.

2 基礎構造改革における成年後見制度改正の位置づけ

⑴ はじめに

1945年から半世紀間の,少子高齢化,家族形態の変化,就業構造と経済基調の変化などを受け,かつ,増大・多様化が見込まれる福祉需要にも対応できるよう,社会福祉制度の抜本的な再構築が不可避となった.

この改革期は,措置制度の枠組みのなかで改革が進められた時期(1989~96:改革前期)と,基礎構造そのものの転換を目指す時期(1997~:改革後期)とに分けられる(河野2002:84).

成年後見制度の改正は, 改革後期に, 基礎構造改革の一環として行われたものと位置づけられている.

⑵ 改革前期のうごき

ア 禁治産宣告による被害例の報道

1991年7月20日NHK総合テレビは,朝の報道特集として禁治産宣告問題を取り上げた.

番組では,バブル最盛期の東京で強引な地上げ業者が暗躍するなか,土地を所有する高齢者が近親者により強引に精神病院に入院させられそうになり逃げてきた実話は,茶の間に驚きと怒りを呼んだ.

番組は,ほとんどの人が宣告後半年以内に住所を変え,旧住所の建物は跡形もなく解体されている事実を報道し,禁治産宣告の制度は本来意思能力を喪失した人を保護する制度であるにもかかわらず,本人名義の財産を処分するために禁治産宣告がなされているのではないか,という疑問を呈しながら終わった(関東弁護士会連合会1995:129).

イ 高齢者・障害者の消費者被害の多発

関東弁護士会連合会は,今日豊田商事事件をはじめ高齢者を高齢者及び障害者の消費者被害の事例を挙げ,被害が多数に上ると報告している(関東弁護士会連合会1995:204-211).

大曽根も,1981年に社会問題化したいわゆる豊田商事事件以降,高齢者が市場経済との関係で被害にあうことが多くなったように思われる,と指摘した上(大曽根2000:12),同時期の認知症高齢者や老人ホーム入所者の財産被害の事案として,保険勧誘事件(毎日新聞1993年10月29日付夕刊),遺言無効事件(中日新聞1992年1月24日付 判例時報1473号62-65)及び預り金不明事件(中日新聞1992年1月21日付)を挙げている(大曽根2000:13-16).

ウ 権利擁護センターの設立,活動と提言

東京都においては,精神薄弱者等の地域生活に関する調査・協議会が1986年に「精神薄弱者等の地域生活援助システムのあり方について」において「第三者機関」の構想を提案するなど(高藤1986:101),意思能力が十分でないため自らの財産・身上監護などに関する権利を行使し,享受することが困難な人が安心して社会生活を送れるよう,権利容疑に視点をおいた機関の設立について長年検討を重ねてきた.1990年に権利擁護機関の事業内容を具体的に検討するための「精神薄弱者・痴呆性高齢者権利擁護機関(仮称)検討委員会が設置され,1991年7月に最終報告書がまとめられた.

「東京都精神薄弱者痴呆性高齢者権利擁護センター」(愛称:「権利擁護センターすてっぷ」,以下「すてっぷ」という)は,この委員会報告の趣旨に基づき1991年3月に開設された.

すてっぷの主な機能は,①6名の法律専門相談員(弁護士)と8名の生活専門相談員(福祉,職業,教育等の専門家)による専門相談(知的障害,認知症の人の権利に関するすべての相談を行うもの),調査活動,関係機関や第三者との調整,民間ボランティアによる生活アシスタント(日常生活プラン,金銭管理プランの作成,見守り,相談相手となる),通帳等の保管,権利擁護セミナーの開催や講師派遣等の啓蒙活動であった(東京都精神薄弱者・痴呆性高齢者権利擁護センター1993:6-7).

専門相談には,「財産管理・身上監護との援助者の不存在」,「取引被害・消費者保護」,「援助者または家族による権利侵害」「施設における問題(施設内処遇,入所者の預貯金管理など)」など,禁治産宣告,準禁治産宣告に関係する事案が多く(13-25),制度の不備を実感する相談もあった(14-15).

さらに,すてっぷでは,研究者らに依頼して欧米の成年後見制度について報告をまとめるとともに(前掲:41-239),わが国における成年後見法の課題についても問題提起をした(243-295).

ステップでは,これらの活動を踏まえ,国連の精神薄弱者権利宣言及び障害者権利宣言の趣旨にそって,意思能力が十分でなくとも,自己の財産を保全活用し,日常生活を賄って,自立できる人は自立し,自立が困難な人は適当な援助を得て,安心して生きていくのに必要な財産の管理,身上監護のための法制の検討と,具体的立法作業の進展を,関係者に強く要望している(前掲:301).

なお,この時期には,東京都以外でも,愛知県において大曽根が「財産管理を考える会」の活動や名古屋・愛知の地域における権利擁護システム・財産管理システムの構築にかかわるなど,自治体や専門職団体によって,権利擁護センター,財産管理センターなどが立ち上げられた(大曽根2000:143).

エ 弁護士会の取り組み

弁護士会においても,1993年には関東弁護士会連合会がシンポジウム「障害者の人権」を開催し,高齢者問題については1993年から95年にかけて,近畿弁護士連合会の93年「高齢者の介護に関する決議」,中部弁護士会連合会の「高齢者の自己決定権の確立に関する決議」,九州弁護士会連合会の94年大会宣言と各年の関連シンポジウムが続き,1995年には日弁連がシンポジウム「高齢者の人権」を開催した後「高齢者の尊厳にみちた生存を求める決議」を行った.近畿弁護士会連合会は,1996年成年後見制度に関するシンポジウムを開催した後「高齢者・障害者の権利擁護制度の確立を求める決議」を行った(新井・高野1997:160).これらのシンポジウムや決議において,禁治産・準禁治産宣告制度の改正と成年後見制度の導入の必要性が強調された.

オ まとめー多様なうごきが成年後見制度の導入を後押し

以上のとおり,改革前期においては,禁治産・準禁治産制度の問題点が浮き彫りにされるとともに,自治体や民間において成年後見制度の導入につながる,あるいはその導入を一部先取りする動きが展開された.

次にみる「社会福祉基礎構造改革について(中間まとめ)」も述べている通り,これらの動きが成年後見制度の導入を後押ししたことを忘れてはならない.

3 改革後期―成年後見制度の導入

⑴ 社会福祉法の制定等

1997年介護保険法の制定(2000年4月施行)を受け,その延長線上に基礎構造改革が進められた.

1997年11月提出の「社会事業等の在り方に関する検討会」報告書をたたき台として,中央社会福祉審議会社会福祉構造改革分科会が議論に入り,「社会福祉事業法等一部改正案大綱」(1999年4月)がまとめられた(河野2002:89).

この過程において,同分科会は,1998年6月17日「社会福祉基礎構造改革について(中間まとめ)」を公表し,「現行の禁治産・準禁治産制度などの制度は種々の観点から利用しにくい制度となっているとの指摘がされているため,自己決定の尊重,障害のある人も家庭や地域で通常の生活ができるようにする社会づくり(ノーマライゼーション)等の考え方に対応し,柔軟かつ弾力的な利用しやすい権利擁護の制度が必要となってきている」「このため,現在,法務省においていわゆる「成年後見制度」の検討が進められており,また,各地の社会福祉協議会等において,痴呆の高齢者,知的障害者,精神障害者等に対して日常生活の相談援助,財産管理などを行う取組が始まっている」「今後,「成年後見制度」の早期導入が望まれるとともに,財産管理にとどまらず,日常生活上の支援を行うことが大変重要であることから,社会福祉の分野においても,成年後見制度の利用や,高齢者,障害者,児童等による各種サービスの適正な利用などを援助する制度の導入,強化を図る必要がある」とした.

2000年3月「社会福祉の増進のための社会福祉事業法等の一部を改正する等の法律案」が閣議決定,国会に提出され,2000年5月法案が成立(社会福祉法令研究会2001:45),社会福祉事業法は社会福祉法に改められた.

この改正により,①福祉サービスの提供方式は,利用者が福祉サービス提供者と直接契約し市町村がその費用を支給する方式に変更され,②自己決定能力の低下した者の福祉サービス利用を支援するため,成年後見制度の補完として,福祉サービス利用援助事業が制度化された(河野2002:89,社会福祉法令研究会2001:45-46).

⑵ 禁治産・準禁治産制度から成年後見制度へ

この間,禁治産及び準禁治産制度は本人の保護の理念を重視した硬直的な制度であったとして,自己決定の尊重,ノーマライゼーション等の現代的な理念にも配慮し前述の成年後見制度の趣旨に適合し,かつできるかぎり利用しやすい制度とすることを目指し,法改正が行われた(小林2000:5).

法改正に際し担当者は,介護保険導入に伴う要介護認定申請及び介護サービス契約締結のため,判断能力が不十分な本人を支援する法的仕組みが必要であるとした(小林・大門2000:6).

法務大臣の諮問機関である法制審議会民法部会の財産法小委員会は,1995年6月20日の会議で成年後見制度の見直しを検討課題として問喘げることを決定するとともに,法務省民事局内に成年後見問題研究会を設置した.同研究会は,報告書をとりまとめ,1997年9月30日に民法部会に報告した.その後の審議を経て,法制審議会は,1999年2月「民法の一部を改正する法律案等要綱」を法務大臣に答申した.法務省は「民法の一部を改正する法律案」等4つの法律案を作成,1999年3月閣議決定を経て同月15日国会に提出し,同年12月に可決された(小林2000:5-10).

新成年後見制度のうち法定後見制度の主な改正点は,①軽度の認知症,知的障害,精神障害に対応する「補助」制度の新設(本人の同意を要件として補助人に特定の法律行為の取消権又は代理権を付与),②保佐人に対する取消権・代理権の付与,③後見について「日常生活に関する行為」の取消対象からの除外③本人の福祉を図るための市町村長に対する申立権付与,④「禁治産」「準禁治産」の用語の廃止,⑤戸籍への記載の廃止と成年後見登記制度の創設,等である(小林・大門2000:9-11).

⑶ 福祉関係者の動き

福祉関係者の動きとして,日本社会福祉士会は,1996年「成年後見制度研究会」を設置,「『日本弁護士連合会成年後見法大綱(中間報告)』に対する意見と提言」(1997),「成年後見制度の改正に関する要綱試案への意見書」(1998)を公表した.

前者は身上監護重視の立場から日弁連の大綱に意見を述べ,後者は法務省が公表した要綱試案の方向性を肯定した上でソーシャルワークの視点から意見を述べるものであった(以上,大澤1997,日本社会福祉士会2013:48).

⑷ まとめー成年後見制度の位置づけについて

以上のとおり,成年後見制度は,基礎構造改革により導入された権利擁護システムの一環として位置づけられる(平田2012:63-70,若穂井2014:26-27).

福祉サービスの利用に関し契約方式を導入することは,利用者による選択と自己決定を認めることである.しかしながら,自己決定能力の低位性やアクセス能力の低位性という福祉サービス利用者の多くにみられる特性に配慮を欠けば,多くの人が福祉サービスの利用が不可能または不十分な形での利用とならざるを得ない.その結果が自己責任の問題として放置されるのでは,福祉サービスは生活権の保障,すなわち人々の生活に対する最終的なセーフティネットとしての役割を放棄することになる(古川2002:327-328). したがって,成年後見制度は,判断能力の不十分な人々の福祉サービスを利用する権利を担保する仕組みであり,契約型福祉社会におけるセーフティネットとして位置づけられる.

ただし,基礎構造改革により福祉サービスの利用が「措置から契約へ」転換されたということだけが成年後見制度が導入された理由ではないことには,特に注意が必要である.

前述のとおり,認知症高齢者や知的・精神障害者に対する権利侵害を防止し,権利侵害がなされた場合権利を回復するためには,権利擁護・財産管理システムが必要である.しかしながら,禁治産宣告・準禁治産宣告は,このような要請に応えることができないばかりか,かえって本人の権利を侵害するおそれのある制度であった.そのため,新たな権利擁護システムの導入が強く求められていた.福祉サービスの利用の支援は,あくまで,権利擁護の一部である.

成年後見制度の導入は, 福祉サービスの利用のみならず,判断能力の低下した人の権利擁護全般に対応するためのものであった.

このことは,高齢者虐待防止法27条2項及び障害者虐待防止法43条2項に虐待対応として市町村長による成年後見等の審判開始の申立てが定められ,また,高齢者虐待防止法28条や障害者虐待防止法44条が国及び地方公共団体の成年後見制度の利用促進に関する措置をとる義務を定めていることからも明らかである.

成年後見制度は,認知症高齢者,知的障害者及び精神障害者等判断能力の低下した人の福祉サービスの利用の権利だけでなく,すべての権利を擁護するための基本的なセーフティーネットとして位置づけられるべきである.

第3 私の研究にとっての政策・制度研究の視点

1 成年後見制度の導入と措置制度の廃止との関係について

成年後見制度の導入は,その導入の経緯から利用者の選択権と自己決定権を尊重する見地からの措置制度の廃止・契約方式の導入とワンセットである旨の説明がなされることが多い(古川2002:327-328,大曽根2012:73).

しかし,このような「ワンセット」は、論理必然的なものではない.

例えば,スウェーデンでは,行政決定に基づく社会サービス受給の方式を保持しつつ-すなわち,わが国でいうところの「措置制度」方式を保持しつつ-,個人の自己決定権への尊重を基本的原則として社会サービス法の中に位置づけるとともに,個人の法的地位を強化するため個人の援助を受ける権利,手続的権利,裁判所へ訴える権利およびこれらに対応するコミューンの義務を明記し拡充した(高田2005:7).また,スウェーデンではわが国よりも早く従来の禁治産制度を改正し,1974年に特別代理後見人制度(選任及び職務執行について本人の同意を要する)及び1988年に管理後見制度(選任目的の範囲内においてのみ本人の行為能力を制限される)を導入している(菱木1993:141).

さらに,措置制度のもとでも,本人の自己決定・選択を尊重した運用が可能である.すなわち,措置制度の廃止前においても,1980年代以降,施設入所措置が機関委任から団体委任になったことに伴い,社会福祉サービスの決定体制が以下のとおり変化した.(小林:2002:46-52).

⑴ 判定委員会の設置:福祉事務所職員だけでなく,保健・医療関係者や施設関係者などが加わって総合的な判定を行うシステムが導入された.

それぞれの自治体福祉事務所の関係職員は,申請に基づいて訪問調査を行い,その結果を「老人ホーム入所判定委員会」に提出し,委員会における判定を行った上で,行政責任者による最終的な決定が行われることとなった.

⑵ 調整チームの設置:高齢者の多様なニーズに対応し,個々の高齢者のニーズに見合うもっとも適切なサービスを提供するため,主として市町村の福祉,保健,医療機関の職員によるサービスの調整が行われることとなった.

⑶ 在宅介護支援センターの設置:在宅要介護高齢者のニーズに対応した各種の保険,福祉サービスが総合的に受けられるように市町村等の関係機関,サービス実施機関等との連絡調整の運営事業の開始を行うとともに,地域住民に対する相談・情報提供等が行われた.

すなわち,1980年代に入ってから,自治体のサービス決定システムや,サービス提供機関との関係も大きく変化し,現在のサービス利用体制に近い体制ができあがりつつあった(以上,小林:2002:46-52).

このような体制の下では,判定委員会の決定において利用者の選択を尊重する運用がなされることで,利用者本位のサービス提供を実施することが可能となっていた.

したがって,措置制度のもとで本人のサービス利用権,選択権が保障されないというのは,運用の問題であり,措置制度自体の欠陥ではないと考えられる.

さらに,措置制度は憲法25条1項2項の定める社会福祉施策の実施に関する国家責任を具体化するための重要な制度であったことに,特に留意する必要がある.

それにもかかわらず,国は,措置制度を廃止し,これに代わるものとして,契約方式とセットで成年後見制度を導入した.そうである以上,国は,利用しやすい制度を構築する,行政計画に明記する,予算措置を講じるなど,低所得者を含むすべての人に対し成年後見制度を利用する権利を保障するシステム(上山2012,山口2014は,これを「公的後見制度」という)を構築する責任を負っていることを忘れてはならない.

2 基礎構造改革に対する評価と「権利擁護」の必要性

基礎構造改革に対する評価は,積極,消極に分かれる.

河野は,福祉サービスの権利としての実現について訴訟による救済が隘路に入ったとの認識に基づき,裁判による救済を必ずしも前提としない指針・ガイドラインの設定を通じ事実上サービス基準の引き上げを実現する基礎構造改革のアプローチを積極的に評価し,その実効性を確保する手段として権利擁護事業等を位置づける(河野2002:89-90).

これに対し,新村は,基礎構造改革に対し,憲法25条に基づく利用者の権利を利用契約上の権利に矮小化し,採算性・効率性を重視する大資本による寡占,福祉労働者の低賃金・長時間労働による人材の流出,「持てる者」と「持たざる者」との福祉サービスへのアクセス格差を招く,と批判する(新村2013:18-25).

前述のとおり,措置制度のもとでも利用者本位のサービスの提供が可能であったこと,及び措置制度が措置制度は憲法25条1項2項の定める社会福祉施策の実施に関する国家責任を具体化するための重要な制度であったことを考えると,新村の主張には頷ける.

しかしながら,現実には基礎構造改革が進行する状況の下,社会的弱者にとって厳しい状況のなかで,その権利を擁護する制度が不可欠である.

従って,上記批判を意識しつつ, 成年後見制度を権利擁護の主要な制度として位置づけ,判断能力の低下した人が福祉サービスを利用する手段としてこれを活用するしかないであろう(新村2013:24-35も同趣旨である).

3 セーフティネットとしての公的後見制度の構築の必要性

前述のとおり,成年後見制度は,認知症高齢者,知的障害者及び精神障害者等判断能力の低下した人のすべての権利を擁護するためのシステムである.

また,契約型福祉社会においては,判断擢力の低下した人の福祉サービス利用を担保するものとして,誰もが成年後見制度を容易に利用することができなければ,社会福祉サービスの保障は画餅となる.

生活保護法81条も生活保護受給者による成年後見制度の利用を当然のものとしている.

したがって,成年後見制度の社会保障的側面を重視し,成年後見を必要とするあらゆる人が制度を利用するためのセーフティネットを国の責任において整備しなければならない.これはまさに「成年後見の社会化」の核心である.「成年後見の社会化」とは,「社会福祉インフラ整備の一環として,国や地方自治体が成年後見制度の利用可能性を広く市民一般に保障する責務をおうべきことになったこと」である.具体的には,「低所得者に対する後見利用可能性の担保(公的な経済利用支援の仕組み)」と「困難事案対応(後見の担い手面でのラストリゾートとしての役割)」が焦点である(以上,上山2012:52).

たとえば,低所得者に対する公的な経済利用支援の仕組みとして,成年後見等の申立費用と後見人等の報酬の一部を助成する成年後見制度利用支援事業がある.しかしながら,この事業は障害の分野では必須事業であるが高齢分野では任意事業である.また,市長申立にその対象を限定する自治体も多く,その主な理由として予算確保の困難さが挙げられている(山口2014:158-159).したがって,国においては,成年後見制度利用支援事業を高齢分野においても必須事業化するとともに,市町村に対する財政支援を増額すべきである.

以上のとおり,公的後見制度の構築という視点から,成年後見制度の利用促進の方策の総合的研究をすすめたい.

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生活保護クライシスと医療クライシス 2018.9.10

私は、生活保護の老齢加算廃止違憲訴訟(新潟生存権裁判)に2006年から2015年まで取り組みました。

その後、2015年度から2017年度まで日本福祉大学大学院修士課程(通信)に在籍し、成年後見制度の利用促進の研究をしました。

生存権裁判では、老齢加算に見合うほどの需要がないということが廃止の根拠とされました。この点について、私は、需要はあるがそれが潜在化しており、成年後見制度の活用により需要を顕在化できるのではないかと考えたのです。

さて、入学後高齢者福祉論の授業で、生存権裁判の大きな論点であった「健康格差」の研究で著名な近藤克則先生(日本福祉大学客員教授)のテキストで学習する機会を得ました。御担当は、近藤克則先生のお弟子さんである澤田如先生でした。

この授業のレポートで、老齢加算の廃止問題を取り上げました。

大学院でどのような勉強をしたのかの一端を示すものとして、お読みいただけると幸いです。なお、脱字等は修正しています。

テーマ

老齢加算廃止に対する政策評価

―「生活保護クライシス」と「医療クライシス」との比較及び「健康格差」の観点から―

第1 はじめにー「生活保護クライシス」と老齢加算の廃止

1 「生活保護クライシス」とはなにか

リーマンショック以降わが国における格差と貧困の広がりが指摘される.そのなかで,生活保護については,受給人員数及び受給世帯数の増加,保護費の増加による財源問題,医療扶助の増加とモラルハザード,不正受給,最低賃金との逆転現象等が問題とされる.こうした現状を「生活保護クライシス」という論者もいる(土堤内2012:1,6,7).

2 「医療クライシス」との共通点

「医療クライシス」とはなにか

他方,医療・福祉界では,病院閉鎖や医療現場の労働の過酷さ,介護職の離職問題等,医療や福祉・介護が崩壊の瀬戸際にある状況が,「医療クライシス」といわれる.医療・福祉界では,その主因が医療や福祉など社会保障費の抑制やそれに伴う人手不足にあることは「常識」とされる(近藤2012b:275).

さらに,今後予想される量的かつ質的・構造的な変化として,①後期高齢者の増加,②高齢者のみの世帯・単身世帯の増加が挙げられる.そして,10~20年後には,医療・福祉・介護の人手不足等の量的問題だけでなく,診療科や提供されるサービスなどと高齢者のもつ医療・介護ニーズとのミスマッチ等,質的な問題の拡大も予見できるとされる(近藤2012b:285~287).

⑵ 「生活保護クライシス」と「医療クライシス」との共通点

「生活保護クライシス」の背景にも,「医療クライシス」と共通する問題がある.

まず,受給世帯及び受給原因の増加の最も大きな原因が高齢者世帯の増加にあること,世帯の単身化が進んでいること,である.厚生労働省「被保護調査(平成27年9月分概数)」によると,2015年9月分の生活保護受給世帯数は,1,629,598世帯である.このうち高齢者世帯は800,301世帯であり,全体の49.4%を占め, 対前年同月伸び率も5.4%に及ぶ.一方, 被保護実人員は2,163,584人となり,対前年同月と比べ1325人減少した(厚生労働省:2015).厚生労働省は,高齢者の増加に加え,単身化が進んでいる,と説明する(沖縄タイムズ2015.12.3).

また, 生活保護費の増加は,その財源の全額が税であり,国と地方の財政負担になることから,財政を直撃する,と指摘される(土堤内2012:5).政府も同様の認識に立ち,保護費を抑制する方針を示している.具体的には,2004年度から2006年度にかけて, 老齢加算(70歳以上の対象者に対し加齢に伴う特別需要に相当する額を加算する制度)を段階的に廃止した.また,生活扶助基準について,2013年8月から3年間で保護費を670億円削減する見直しをした.さらに,2015年度から住宅扶助及び冬季加算の見直しを実施している.

医療費抑制施策と同様,このような保護費抑制の妥当性が問題となる.

3 老齢加算の廃止をとりあげる理由

本レポートでは,保護費の抑制のうち老齢加算の廃止を取り上げる.その理由は,次の3点にある.

第1に,老齢加算の廃止は,高齢化に伴う費用の増大,単身高齢者の増加という問題状況を反映した,保護基準の見直しの最初の政策である.

第2に,老齢加算の廃止は,社会保障政策上の重要問題である.保護費の削減は,国民に対する「健康で文化的な生活」の保障に対し直接影響する.また,老齢加算の廃止により,その支給対象であった全世帯の生活扶助費が20%近く減額となった.さらに,全国9地裁で70人以上の対象者がその廃止を生存権侵害であるとして提訴し(生存権裁判を支援する全国連絡会2015),現在も3つの裁判が続いている.

第3に,老齢加算の廃止の主な理由は,70歳以上の単身の被保護世帯の生活扶助相当消費支出が,60歳から69歳のそれより低く,かつ,70歳以上の単身の被保護世帯の生活扶助費(加算を除く)の金額を下回っている旨の調査結果に基づくものとされる(最高裁判所平成24年2月28日三小法廷判決 民集第66巻3号1240頁). 生活保護法によれば,生活保護基準は,要保護者の年齢別,性別,世帯構成別,所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した「健康で文化的な最低限度の生活」の需要を満たすに十分なものであり,かつ,これをこえないものでなければならない(同法8条2項).この基準に照らし,加算廃止の妥当性を,本講義での学習を踏まえ検討することが可能である.

第2 基本的視点―医療との比較から

1 「常識」の多様性とゆれうごく政策

前述のとおり,医療・福祉界では,「医療クライシス」の主因が社会保障費の抑制やそれに伴う人手不足にあることは「常識」とされる.一方,政府・厚生労働省に近い識者らは,地域医療崩壊の原因は医療費抑制ではない旨強調する(近藤2012b:275).

生活保護分野では,その基本原理である「自立の助長」(生活保護法1条)の概念自体について,経済的自立であるとする考え方と社会的自立であるとする考え方がある(岡部2014:216-217).2つの自立概念のどちらを重視するのかにより,具体的な政策も異なる.また, 国民のもつ「健康で文化的な最低限度の生活」のイメージも,各自の生活歴や現状,価値観等により異なる.国民の意識は,その時々の報道対象(生活苦による孤独死であるか,不正受給であるか等)にも影響される.

政府の政策も2006年以降,貧困の原因を個人の問題に求め,財政規律を重視し,保護費の抑制を志向する「適正化モデル」と,貧困の原因として社会構造を重視し,生存権保障と漏給防止を求める「人権モデル」との間を揺れ動いてきた,とされる(大山2013:41-43).

生活保護における「適正化モデル」は医療費の抑制と,「人権モデル」は医療費抑制に反対する主張と,それぞれ親和性があるものと考える.

老齢加算の廃止は, 「適正化モデル」に基づく政策である.

2 医療・福祉界に相当するものがないー行政の責任による対応が必要

老齢加算に関しいかなる政策を採るにしろ,「適正化モデル」,「人権モデル」を支持する人の双方から相当程度納得を得る必要がある。この意味で,医療政策に求められる国民への説明,大枠での合意づくり,評価と説明責任,マネジメント(近藤2012:b276-283)は,生活保護においても重要である.

他方,生活保護分野には,医療・福祉界に相当するものが存在しない.医療・福祉の利用者には被保護者も含まれるが,全体に占める割合は小さい.被保護者を支援するNPO等も,業界を形成するに至っていない.

さらに,生活保護制度の目的は「日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き,国が生活に困窮するすべての国民に対し,その困窮の程度に応じ,必要な保護を行い,その最低限度の生活を保障するとともに,その自立を助長すること」(生活保護法1条)であり,国家責任が最も重要な原理である.

したがって, 生活保護政策の国民への説明,大枠での合意づくり,評価と説明責任,マネジメントは,政府が責任をもって取り組むべきである.

老齢加算の廃止についても,政府がこのような取組を行った結果実施されたのか否かが問われるべきである.

3 政府は必要な取組を行ったのか

まず,国民に対する説明についてみると,生活扶助相当消費支出は,生活需要そのものではない.特に,わが国では生活保護の捕捉率が低く,所得が生活扶助基準以下であるのに保護を受給していない人が多数に上る.厚生労働省によると,平成19年国民生活基礎調査による推計結果として,低所得世帯数に対する被保護世帯数の割合は,所得のみで15.3%,資産を考慮した場合32.1%とされる(厚生労働省2010:5).したがって,残りの67.9%に属する人のうち多くは,需要が存在してもお金がないため支出ができない状態にあると推定される.この点について,政府は説明をしていない.

国民的合意づくりについても,積極的取組はみられない.

評価と説明責任について,政府は,2011年9月社会保障審議会生活保護基準部会を立ち上げ生活扶助基準本体の額を検証した.しかし,ここでも生活扶助基準と第1・十分位の低所得世帯の消費支出の比較に止まっている(社会保障審議会生活保護基準部会:2013).

医療において指摘される通り,合意形成には多面的な「評価と説明責任」が必要である(近藤2012b:279).したがって,消費支出の比較にしか着目しない政策評価の手法は,誤っているというべきである.

以上から,政府は必要な取組を怠っているといわざるを得ない.

第3 老齢加算廃止に対する政策評価―「健康格差」の観点から

1 「健康格差」と生存権保障

老齢加算の廃止については,次の通り,対象者の健康に与える影響という見地から評価する必要がある.

(1) 「健康格差」とは

AGESプロジェクトの調査結果によると,等価所得の低い人ほどうつ状態や不眠ありの割合が有意に高くなっていた(近藤2012b:173).また,「閉じこもり高齢者」は所得が低い人に多かった(同書:175).さらに,ソーシャルサポートの受領も提供もないという孤立した状況にある高齢者は,低所得者に有意に多いという結果がでた(同書:176).

さらに,日本を含む多くの国における検討により,絶対的所得水準だけでなく,他の人と比べた相対的所得水準も,人々の健康に影響を及ぼすとの相対的所得仮説が検証されつつある(近藤2012b:185-186).

(2) 生存権の保障との関係

生活保護基準の設定及び変更について厚生労働大臣の専門的裁量を認めるとしても,その引下の結果対象者の健康に悪影響が生じているとすれば,引下後の基準は健康で文化的な最低限度の生活に関わる需要を充足していないことは明らかである.

この点に関し,兵庫県在住の原告らの訴訟において,大阪高等裁判所2015年12月25日判決は,AGESプロジェクトの調査結果について「所得の減少や低所得であることが高齢者の健康に影響を及ぼす可能性があることは否定しえない」と説示し,「健康格差」を考慮する必要性を認めている(同判決:18).

3 政策インパクト評価が必要である

(1) 政策評価とゴール設定の必要性

老齢加算が廃止された現在,政府のなすべきことは,廃止後の生活扶助基準が対象者の「健康で文化的な最低限度の生活」に必要な需要を充足しているか否かを評価し,その結果を国民に説明することである.

また,政策評価に当り,具体的な政策目標の設定が不可欠である(近藤2012b:281-282).目標の設定により,現状とのギャップから逆算し計画を練ること(近藤2012b:287)が可能となる.具体的には,「健康で文化的な最低限度の生活」の具体的内容を詰めることにより,数値目標を設定すべきである.その場合「健康格差」の解消に向けた数値目標が必要である.WHOは,健康格差を25%削減することを目標に掲げ,オランダ,フィンランド,イギリス,アイルランドなどで,数値目標が設定されている(近藤2012b:186-187).しかし,現在わが国の生活保護分野では,その検討の動きはない.

(2) 評価指標に基づく評価

ア さらに, 介護保険政策について近藤教授が述べるように(近藤2012a:71-72,186),老齢加算の廃止に対し,アウトカム指標に基づき政策評価を行う必要がある.具体的には,対象者のうつ状態,「閉じこもり」,ソーシャルサポートの受領・提供等について,全国調査を行うことが考えられる.

また,政策評価には,介入前後の2時点と,介入群と対象群の両者のデータが必要である(近藤2012a:72).したがって,これらの調査は,近藤教授のグループが介護保険政策に関し行った調査と同様,加算の廃止前後にわたり同一人を追跡して行う必要がある.

しかし,政府がそのような調査をしないまま,加算の全廃後9年間以上が経過している.

イ 追跡調査が困難となった現在,老齢加算の廃止に対する政策評価は,廃止後の生活扶助基準のもとでAGESプロジェクトにおけるアウトカム評価の指標等を利用した現状の調査によるしかない.

現に,厚生労働省は,母子加算の廃止後,被保護母子世帯と一般母子世帯に対し「健康格差」の有無を含む生活実態調査を実施し,その結果を母子加算復活の根拠としている(厚生労働省2009).

政府は,被保護高齢世帯と一般高齢世帯に対し同様の調査を実施し,両者を比較した結果に基づき政策インパクト評価を行うべきである.

第4 まとめ

1 本レポートで明らかになったこと

本レポートにより,医療クライシスとの比較を通じ,政府が老齢加算の廃止について,国民への説明,合意づくり,評価と説明責任等を行っていなかった点を問題とすることができた.

また,「健康で文化的な最低限度の生活」の具体的内容を詰めた上で数値目標を設定する必要性,及び「健康格差」の観点からの政策評価の方法も明らかにできた.

2 本レポートの限界及び今後の課題

本レポートでは,論述の対象を老齢加算の廃止に限定した.

しかし,本来,低所得施策全般に対し,近藤教授の指摘する日本版NSFを策定する検討(近藤2012b:290-297)が必要である.

この点に関し,大山は,生活困窮者支援について長期的な成果を検証する仕組が必要であるとして,SROI(Social Return On In-vestment)の手法を紹介する(大山2013:225-236).

この問題は,時間と紙面の制約により検討できなかったため,後日の課題とする.

(4835字)

【文献】

大阪高等裁判所2015年12月25日判決

大山典宏(2013)『生活保護VS子どもの貧困』PHP研究所

沖縄タイムズ(2015.12.3)『生活保護受給者,19年ぶり伸び率マイナス 世帯数は最多更新』

http://www.okinawatimes.co.jp/articlephp?id=144243(2015.12.30閲覧)

岡部卓(2014)「第10章 生活保護における自立支援」『新・社会福祉士養成講座16 低所得者に対する支援と生活保護制度 第3版』中央法規出版2014

厚生労働省(2009)「生活保護母子世帯調査等の暫定集計結果 -一般母子世帯及び被保護母子世帯の生活実態について-」http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/12/dl/s1211-11c.pdf(2016.1.4閲覧)

厚生労働省社会・援護局保護課(2010)『生活保護基準未満の低所得世帯数の推計について』

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/04/dl/s0409-2d.pdf (2016.1.4閲覧)

厚生労働省(2015) 『被保護調査(平成27年9月分概数)』

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/hihogosya/m2015/dl/09-01.pdf(2015.12.29閲覧)

近藤克則「第4章 介護予防と健康の社会的決定要因「第7章 「評価と説明責任」と「マネジメントの時代」に向けて」『医療クライシスを超えて イギリスと日本の医療・介護のゆくえ』医学書院2012(本文では「近藤2012a」と表記)

近藤克則「第6章 介護保険政策は介護者の負担を軽減したか」「第14章 介護保険制度の政策評価」『医療・福祉マネジメント(改訂版)』ミネルヴァ書房,2012(本文では「近藤2012b」と表記)

社会保障審議会生活保護基準部会(2013)「社会保障審議会生活保護基準部会報告書の概要」

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002szwi-att/2r9852000002t033.pdf(2015.12.30閲覧)

生活保護裁判を支援する全国連絡会(2015)『生存権裁判(老齢加算)の提訴・弁論・判決等進行状況』

http://seizonken.jpn.org/wp/wp-content/uploads/20150209_saiban_shinkou.pdf(2015.12.29閲覧)

土堤内昭雄(2012)『格差・貧困の拡大と生活保護クライシス』

http://www.nli-research.co.jp/report/gerontology_journal/2012/gero12_014.pdf (2015.12.29閲覧)

福祉国家と優生思想

-なぜ福祉国家スウェーデンで、日本国憲法下のわが国で-2018.9.10

優生保護法に基づく強制不妊手術について、被害者の救済が政治的課題となり、また、現在各地で損害賠償請求訴訟が提起されています。

新潟県弁護士会高齢者・障害者の権利に関する委員会では、電話相談・学習会など、この問題に対する取り組みを進めています。

私は、2015年4月から日本福祉大学大学院(社会福祉学研究科 社会福祉学専攻)修士課程(通信)に在籍し、2017年3月に修了しました。

その過程で、障害者福祉論のレポートで、この問題を取り上げています。

強制不妊手術は、基本的人権の尊重を保障している日本国憲法の下でも、ワイマール憲法下でのドイツでも、福祉国家スウェーデンでもなされていました。なぜそのようなことがなされ続けたか?これが以下のレポートのテーマです。

テーマ 福祉国家と優生思想

1.はじめに

本講義第3講及び第5講により,福祉国家の理念を定めた日本国憲法のもとでも,優生保護法により「遺伝性の疾患」とされた障がいのある人に対する優生手術が認められ,実施されてきたことを知った。

同様の歴史は,福祉先進国とされるスウェーデンにおいても存在した。

個人の尊厳の実質的保障を目指す福祉国家において,なぜ障がいのある人の基本的人権を侵害し,障がいのある子の生存を否定する優生手術が認められてきたのか。

福祉国家の本質を理解し,今後のあり方を考えるため,この問題を検討する。

2.優生思想の成立と展開

優生思想とは,不良な子孫の出生を防止するという考え方である。[i]

優生手術とは,優生思想に基づく不妊手術(断種手術)である。

優生学の歴史は,イギリスのゴルドンが『人間の能力とその発達の研究』(1883)で,「優生学」の言葉を用いたことに始まる。[ii]

⑵ 優生学は,19世紀の社会ダーウィニズム(人間やその社会を,ダーウィン的原理を通じ解釈する試み)の潮流に乗って各国に広まり,[iii]アメリカの多くの州,ドイツ,スウェーデン,日本などで断種政策が実行された。

3.ドイツワイマール共和国と優生学

⑴ ドイツワイマール期のドイツは,戦争後の廃墟からの出発,福祉国家の立上げという点で,第2次世界大戦後の我が国に似ている。

ワイマール期におけるドイツの動向に注目することは,わが国の戦後の優生政策について検討する手がかりとなる。[iv]

⑵ 1918年に成立したワイマール共和国は,憲法により福祉国家を宣言した。

福祉国家としてのワイマール共和国は,従来家族という私的領域で女性たちに押し付けられてきた役割を吸い上げ,その社会化を目指した。

同時にそれは,人間の生命が国有化=社会化されていくこと,国家が人間の生命の維持や再生産に深く関与していくことを意味した。

「子どもを身体的にも,精神的にも,社会的にも有能な人間に養育することは,親の最高の義務であり,かつ自然の権利であって,その実行については国家共同体がこれを監視する。」(第120条)-ワイマール憲法のこの規定は,以上の意味をよく表している。[v]

具体的な政策としては,1920年戸籍法の改正により,婚姻前検診が推奨された。同法の改正に基づき,政府は,次世代育成の重要性,結核,性病,精神病,アルコールや薬物中毒にかかっている人と結婚すれば病気や障害のある子どもが生まれ社会に大きな負担を与える旨記載したパンフレットを作成,配布した。

また,1927年制定の性病撲滅法により,性病り患を知りつつ性交渉をもつこと,性病り患を相手に知らせず結婚することが処罰の対象とされ,この点もパンフレットに明記された。[vi]

このように,1933年のナチス政権による断種法の制定以前から,ワイマール共和国のもとで,優生政策は進行していた。

4.スウェーデンにおける強制不妊手術

⑴ スウェーデンの断種法(「特定の精神病患者,精神薄弱者,その他の精神的無能力者の不妊化に関する法律」)は,福祉国家の確立を訴えたハンソン社民党政権下で,1934年制定された。

34年法は,41年に大幅に改正され,知的障害,精神障害以外の身体的な疾患や障害にも対象が拡大されるとともに,不妊手術の実施は原則として本人の同意が必要であるとした。

スウェーデンの断種法には,ミュルダール夫妻が中心的な役割を果たした。夫妻は,1935年発足の政府の「人口問題委員会」に加わり,低所得の有子世帯に対する経済的援助の充実を力説するとともに,著書『人口問題の危機』(1934)のなかで,「変質(退化)が進んだ人間たちを淘汰する」ため,必要ならば強制手段に訴えてでも,不妊手術を実施すべきと説いた。

さらに,アルヴァ・ミュルダールは,「手当の支給は断種法の強化を求めるか?」(1946)のなかで,一般児童手当の導入と引換えに,不妊手術をより広汎に実施せよ,と主張した。

こうした主張に基づく政策の結果が,1930年代以降1970年代に至るまでの,半ば強制的な不妊手術の実施だった。[vii]

⑶ 1997年,報道によりこの問題が世界に知られるに至った。

政府は,この問題に関する調査委員会を発足させ,1999年1月末「スウェーデンにおける不妊手術問題」と題する中華報告を出した。

中間報告は,41年法により実施された少なからぬ不妊手術が自発的なものだったとは言いがたい,と指摘している。[viii]

2000年3月には最終報告書が刊行された。

最終報告書は,委員会の任務を,①歴史的状況の展望,②事実の概要,③意に反して,または,第三者の指揮の下に強制不妊手術を実施された者に対する経済的補償,の3点に整理している。

③の経済的補償については,高齢化した被害者の救済を最優先し,立法化及び経済補償が実行された。

①②については,報告書に相前後して,中立的研究者による多数の各種調査研究論文が続出している。[ix]

5.我が国における優生政策の展開

(1) 優生保護法の成立と展開

我が国の優生保護法は,「逆淘汰」を防止しつつ終戦後の人口過剰問題に対応するため,1948年成立した。[x]

1960年代には,高齢化社会の到来を見据えつつ経済成長を維持することが人口政策の課題となった。

厚生省人口問題審議会「人口資質向上に関する決議」(1962年)は,「長期計画として劣悪素質が子孫に伝わるのを排除し,優秀素質が民族中に繁栄する方途を講じなければならない」として,遺伝相談の全国的整備や「優秀素質者」の育英制度の活用を求めた。[xi]

⑵ 福祉コスト削減

1967年以降重度障害者の「大量収容施設」であるコロニーが各地に建設され,1968年には特定の難治性小児慢性疾患に対し医療費の公的負担制度が導入される等,障害者対策が拡充された。

一方,「障害児は財政を圧迫するから,福祉コスト削減のため障害児の発生を予防すべきだ」という声が浮上した。

1970年代,80年代の障害者対策の柱となった心身障害者対策基本法では,「発生予防」が重視された。

厚生省は,同法を根拠として, 1971年度に障害児の発生予防プロジェクト」を発足させた。

また,1970年代には,厚生省は厚生白書等において,遺伝的疾患を出現させないための結婚・出産を教育的指導により誘導すべきとしていた。[xii]

⑶ 優生保護法の改正

1970年代前半の「青い芝の会」による障害のある胎児の中絶を認める条項(胎児条項)の創設に関する反対運動などを通じて,「優生」という言葉や考え方は障害者の生存権の否定につながる,という考え方が徐々に社会に浸透した。

そして,1996年,優生保護法は,母体保護法に改正され,障害者差別につながるとして,優生条項はすべて削除された。[xiii]

⑷ 強制不妊手術

優生保護法の施行から廃止に至るまで,我が国では同法に基づく強制不妊手術が行われた。

優生保護法で特に問題であったのは,不妊手術ならびに中絶を認める事由として,遺伝性(と想定された)疾患や障害を定めていた条項,そして,不妊手術を本人の要請にもとづくことなく実施することを認めていた条項である。1949年から1996年までのこの条項に基づく手術の実施件数は,公式記録にあるだけでも1万6520件に上る。

厚生省が1953年各都道府県知事宛に通達し1996年まで効力をもち続けた「優生保護法の施行について」は,「審査を要件とする優生手術は,本人の意見に反してもこれを行うことができるものであること。…この場合に許される強制の方法は…真にやむを得ない限度において身体の拘束,麻酔薬施用又は欺罔等の手段を用いることも許される場合があると解しても差し支えないこと」,としていた。[xiv]

これらの手術は,露骨な強制により実施された疑いが強い。

6.考察

⑴ 福祉国家と優生施策との関係

福祉国家の下では,国家は,従来市民の自律に委ねられていた領域に積極的に介入し,社会的・経済弱者の救済に努力する,とされる。[xv]

生存権(日本国憲法25条)をはじめとする社会権は,福祉国家の理念に基づく「国家による自由」である。[xvi]

そして,その立法による具体化に際しては,「国の財政事情を無視することができず,また,多方面にわたる複雑多様な,しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とする」(最大判昭和57.7.7民集36.7.1235)とされる。

以上のとおり,福祉国家の特徴として,次の3点が挙げられる。

ア 国家による私的領域に対する積極的介入

イ 国家の政策的判断による限られた財源の配分

ウ ア,イの結果としての救済対象の選別

ドイツのワイマール期,スウェーデン及び戦後日本の各優生施策についてみると,前述のとおり,いずれもこのような福祉国家の特徴があらわれていた。

これらの国々においては,福祉国家理念の具体化として,優生思想に基づく施策が推進されたのである。

⑵ 今後の福祉国家のあり方―優生施策を復活させないために

近年出生前診断や遺伝子技術は,著しく進歩している。

また,我が国においては,民族差別意識による在日韓国人,朝鮮人の方に対するヘイトスピーチが問題となっている。

このような社会状況のもとでは,優生思想が再び台頭するおそれがある。

これまでにみた各国の歴史を踏まえるならば,福祉国家の下で優生施策を復活させないためには,以下の2点が重要である。

まず,個人の尊厳,基本的人権の保障の見地に立ち戻って考えることである。我が国において胎児条項の創設が否定され,優生保護法の優生条項が削除されたのは,これらの条項が障害者の生きる権利を否定し,障害者を差別するものであるという当事者らの意見が,社会の共感を呼んだためである。

次に,福祉国家の下での各国の優生施策による人権侵害の歴史の研究を進め,事実を明らかにし,教訓とする取組を継続することである。前述のとおり,スウェーデンでは,多数の調査研究論文が発表されている。

7.おわりに

以上,時間,字数,入手した文献という限界はあるが,福祉国家と優生思想との関係,福祉国家のありかたについて,理解することができた。

優生思想は,遺伝治療や遺伝子組換え,遺伝情報関連サービスの進展など,現代的課題を提起しつづけよう。

こうした課題に向き合うためにも,この問題の検討を続けたい。


【文献】

引用文献

[i] 橳島次郎(2000)「はじめに」米本昌平・松原洋子・橳島次郎ほか『優生学と人間社会 生命科学の世紀はどこへ向かうのか』講談社,1-2

[ii]米本昌平(2000)「イギリスからアメリカへ-優生学の期限」米本昌平・松原洋子・橳島次郎ほか『前掲書』14

[iii]米本昌平(2000)「前掲」16-17

[iv]市野川容孝(2000)「ドイツ―優生学はナチズムか」米本昌平・松原洋子・橳島次郎ほか「前掲」74-75

[v]市野川(2000)「前掲」78-79

[vi]市野川(2000)「前掲」84-85

[vii] 市野川(1999)「福祉国家の優生学―スウェーデンの強制不妊手術と日本」『世界』第661号,岩波書店,167-176(再録:岩田正美監修杉昭博編著,2011,『リーディングス日本の社会福祉7 障害と福祉』124-128)

[viii] 市野川(1999)「前掲」,126,128

[ix] 二文字理明(2004)「北欧にみる「福祉国家の優生思想」-サレンバ報道を契機とするスウェーデンを中心に北欧各国の動向―」中村『前掲書』,544

[x]松原洋子(2000)「日本―戦後の優生保護法という名の断種法」,米本昌平・松原洋子・橳島次郎ほか「前掲」186-190

[xi]松原(2000)「前掲」190-191

[xii]松原(2000)「前掲」191-198

[xiii]松原(2000)「前掲」214-231

[xiv]市野川(1999)「前掲」,129-130

[xv] 芦部信喜・高橋和之補訂(20079『憲法(第4版)』16

[xvi] 芦部『前掲書』82,252

参考文献

二文字理明・椎木章編著(2000)『福祉国家の優生思想(世界人権問題叢書)』,明石書店.

末広敏昭(1981)『優生保護法 基礎理論と解説』,蜻蛉舎.

山本起世子(2012)「2.日本の家族と優生政策―産児制限運動から家族政策へ」,河合利光編『家族と生命承継 文化人類学的研究の現在』,時潮社,181-206.

齋藤有紀子編著(2002)『母性保護法と私たちー中絶・多胎減数・不妊手術をめぐる制度と社会』,明石書店.

優生手術に対する謝罪を求める会編(2003)『優生保護法が犯した罪』.

介護事故に関する近年の裁判例の検討 2018.11.5

私は、社会福祉士の資格を持っていることもあり、介護事故の相談・依頼を受けることがあります。また、大学の非常勤講師として、社会福祉士の取得を目指す学生に対しても、講義のなかで介護事故を取り上げています。

2015年4月から2017年3月まで日本福祉大学大学院修士課程(通信)に在籍した際、長沼建一郎教授の社会保障論特講のレポートで介護事故に関する近年の裁判例を検討しました。

少しでも実務的なお役に立てればという思いで、以下このレポートを掲載します。

【テーマ】

2011年以降の転倒事故に関する裁判例の検討と法政策に対する影響について

第1 本レポートの目的及び検討の対象

本レポートの目的は,長沼(2011 以下「長沼」という)による2000年から2010年までの介護事故の裁判例(以下「従前の裁判例」という)の分析に即して2011年以降の裁判例の傾向を検討し,その法政策に対し与える影響を考察することで,本講後半の理解を示すことである.

そのため,介護事故の概念規定は,長沼(89-96)に従い,(1)要介護者に人身損害が生じたこと,(2)介護サービスの事業者ないしは従事者が法的責任を問われていること,(3)介護サービスの提供プロセスにおいて発生した事故であること,とした.

ただし,本レポートでは,時間,紙面等の限界から,検討対象とする裁判例を,「介護にかかる事故」全体においては圧倒的に多いといわれる転倒事案(長沼:123)に限定した.

裁判例の収集方法としては,日本福祉大学附属図書館のリモートシステムから第1法規のデータベースD1-LaW.comの「判例体系」にアクセスし,2015年12月30日現在掲載されている裁判例について,検索対象期間を2011年から2015年とし,「転倒」「損害賠償請求」のキーワードでヒットしたものの判決文を読み,上記(1)から(3)までの要件をいずれも満たす事案の裁判例をピックアップした.

第2 裁判例の検討・分析

1 裁判例の概観

第1の条件で検索した裁判例は,以下の【表】のとおりである.

裁判例の符号は,長沼が転倒事案についてB⑪まで付している(長沼:117-119)ことに従い,B⑫からとした.

【表】介護事故・転倒事案に関する裁判例(2011年~2015年)

B⑫仙台地裁 平成23年9月29日

訪問介護による排泄介助中の転倒による脊髄損傷等の事案

請求棄却

『自保ジャーナル』1874号178頁

B⑬仙台高裁平成24年4月25日

請求棄却

『自保ジャーナル』1874号176頁

B⑭東京地裁平成24年3月28日

老人保健施設での転倒による骨折事案

治療費,慰謝料等207万7868円を認容(素因減額を否定)

『判例時報』2153号40頁

B⑮福岡地裁大牟田支部平成24年4月24日

老人保健施設での転倒による骨折事案

治療費,慰謝料等2719万8783円を認容(要介護度の進行について介護費に限定して5割を素因減額)

『賃金と社会保障』1591・1592号101頁

B⑯福岡高裁平成24年12月18日

請求棄却

『賃金と社会保障』1591・1592号121頁

B⑰東京地裁平成24年5月30日

短期入所介護施設での転倒による脳挫傷の事案

請求棄却

『自保ジャーナル』1879号186頁

B⑱東京地裁平成25年5月20日

通所介護契約に基づく介護サービスの送迎車両から自ら降車しようとし席を立った際の転倒による骨折事案

慰謝料20万円を認容

(転倒に関する注意義務違反は否定,速やかに医師の助言を受け診察を受けさせる義務の違反を肯定)

『判例時報』2208号67頁

B⑲新潟地裁平成25年12月25日

小規模多機能型居宅介護サービス施設での転倒による硬膜下血腫等の事案(事故の約2か月後入院先の病院で死亡)

請求棄却

『自保ジャーナル』1391号178頁

原告は病院搬送義務違反のみ主張

B⑳東京高裁平成26年6月19日

請求棄却

『自保ジャーナル』1391号170頁

原告が転倒防止義務違反の主張を追加

B㉑福岡地裁小倉支部平成26年10月10日

特別養護老人ホームでの転倒による骨折事案(事故の約2か月後入院先の病院で死亡)

慰謝料480万円を認容(事故と死亡との因果関係を肯定過失相殺,素因減額を否定 死亡慰謝料2200万円の法定相続分5分の1を認容)

D1-LaW.com

B㉒東京地裁平成27年3月10日

デイサービスから職員が付添い帰宅の際の自宅玄関での転倒による骨折事案

請求棄却

『自保ジャーナル』1948号185頁

B㉓東京地裁平成27年8月10日

老人保健施設での職員付添でトイレに行く際の転倒による脳挫傷事案(事故の約8か月後入院先の病院で死亡)

請求棄却

D1-LaW.com

2 事案の全般的な傾向

⑴ 長沼(2011)による従前の裁判例の分析

長沼は,従前の裁判例の事案の傾向を以下のとおり分析する.

ア 事故の発生場所について,裁判になるのは施設内での事故がほとんどである(長沼:120).

在宅でのサービス提供に際しての事案についても,今後は裁判例も出てくることが予想される(長沼:120).

イ 事故の発生状況について,介護者による積極的な行為以外の場面で多く発生している.

ただし,着替えや排せつ介助時など積極的な介護行為自体に直接起因する事故は発生しうる(以上,長沼:122).

特に,転倒事案の事故態様について,これまでに裁判になっている事例は,すべて基本的に事業者側が目を離していた間の事故であり,事業者側の介入の余地は,「歩行・立ち上がり」及びそれ以前の段階に集中される(長沼:204).職員等が直接付き添っているときのミスではなく,見守りの不十分さが問われている(長沼:218).

今後は歩行介助の際の付き添い方自体にかかる裁判事例もありうる(長沼:204,218).

ウ 損害の種類として,裁判事案では骨折が中心であるが,3事案では死亡損害までが争われている(長沼:205).

⑵ 2011年以降の事案の特徴

2011年以降の裁判例の事案には,以下のような特徴がみられる.

ア 長沼が指摘したとおり,在宅介護サービスの事案にかかる裁判例があらわれた(B⑫,B⑬).

また,施設外での事故の事案として,送迎中の事案(うち1件は自宅玄関内での転倒である)が2件あり(B⑱,B㉑),施設外での事故の事案が増加している.

イ 長沼が「積極的な介護行為自体に直接起因する事故は発生しうる」ことの例として指摘した排せつ介助時の事故の事案があらわれた(B⑫,B⑬).

ウ 長沼が指摘したとおり,「移動時の付き添い方」が問題とされる事案があらわれた(B㉒,B㉓).

エ 転倒による骨折の事案に加え,脊髄損傷(B⑫,B⑬)脳挫傷(B⑰,B㉓),硬膜下血腫(B⑲)の事案があらわれた.

オ まとめ

従前の転倒事案の裁判例は11件である(長沼:117-119).これに対し,冒頭のデータベースに掲載された2011年から2015年までの転倒事案の裁判例は,対象期間が5年間であるにもかかわらず同数の11件に及んでいる.

判決数の大幅な増加により,従前から予想されていた在宅介護の事案,直接的な付き添い方が問題とされる事案, 脊髄損傷,脳挫傷等の重大な結果の生じた事案等が公にされたものと思われる.

3 判決の全般的な傾向

⑴ 長沼(2011)による従前の判決の分析

長沼は従前の裁判例の判決内容の傾向を,以下のとおり分析する.

ア 請求の認容又は棄却の結論及びその理由

(ア) 利用者側の請求がなんらかの形で認められたケースが多い(長沼:125).転倒の場合請求棄却で確定したものは,1事案2判決のみである.

転倒については,誤嚥と異なり,「そのとき利用者から目を離さなければ防げた」という可能性が常にある.他方,ひとたび転倒してしまえば,そこから骨折などの損害発生までの間には,事業者側も介入の余地はない.そのため転倒を引き起こしたことについて過失が認められれば,事業者側としては,他の抗弁を持ち出すことで過失を打ち消す余地がないと考えられる(長沼:126)

ほとんどの事案では,控訴審まで含めると事業者の法的責任が何らかの形で認められている.その際の法的構成としては,契約の具体的な条項というよりは,利用者と事業者との全般的な法的関係を論拠として過失や注意義務違反が認められている.ただし,その注意義務の具体的な内容は,目を離していて何もしなかったという不作為自体の責任が指摘されたり,事故防止のためにとりえた方策が複数示されたり,それが利用者とのやり取りに関して「説得義務」や「見通し・特変の有無」などのようにやや抽象的な形で提示されたり,また事業者側が一定の対応をとっていた場合には,「さらにもう一歩の対応」を求めている(長沼:218-219).

(イ) もろもろの論拠がやや寄せ集め的に援用される背景には,死亡や受傷という重大な結果を受けて,さかのぼって「適切な対応をとっていれば,事故の発生を阻止できたはずだ」という形で行為規範を導き出し,その行為規範に従った行動をしていなかったという不作為から事業者側の注意義務違反を基礎づける構成になっているという事情がある(長沼:219).

(ウ) 転倒は,誤嚥とは異なり,何らかの対策や対応さえあれば,事故の発生を防止する「余地」はある.

そのことから裁判においては,事案を詳しくみればみるほど「ここでなにか対策をとれば,事故は防げたのではないか」という事故発生防止の「余地」が発見され,法的責任が認められやすくなることは予想できる.

事業者側に対し問われているのは,具体的なサービス提供の態様というより,高齢者の身柄を預かり,高齢者に対しての生活の場所を提供し,その場所を管理するという,全般的な立場に伴って求められる責任に近づいているように思われる(以上,長沼:220-221).

イ 賠償額の水準

賠償額が交通事故の賠償水準と比べてもかなり低い.5件が1000万円を超えているほか,請求が認められた10件の賠償水準は約285万円から813万円の間に分布する.2000万円を超える賠償額が認められた事案は2件だけであり,いずれも「誤嚥による死亡」のケースである(長沼:126-127).

特に,転倒事案では,事故発生に高齢者の側の一定の意識的ないし主体的な言動要素が関与・寄与している場合が多い.このことが事業者側から過失相殺が主張される論拠になる.また,利用者側の属性に由来して事故や損害が発生・拡大している面があり,事業者側に固有の過失の度合いがそれほど重くないことから,判決であまり高い賠償額を認めるのには逡巡していると推測される.

加えて,利用者への自立支援への要請が無視し難いことから,常時介助・常時監視のような利用者への保護的介入を義務として位置づけるのが難しく,そのことが賠償水準にも影響しているように思われる(長沼:211).

転倒を契機として,寝たきりになり,結果として死亡に至るケースも少なくない.転倒を起点としてどこまでの損害を賠償範囲に加えるかは極めて難しい問題である.そこで,転倒事案の判決では,相当因果関係の切断や素因要素の勘案,さらには,慰謝料の算定自体が,過失相殺と同様に,賠償水準を縮減する役割を果たしている(長沼:221-222).

⑵ 2011年以降の判決の特徴

2011年以降の裁判例の特徴として,以下の点が挙げられる.

ア 各判決における事業者側の法的責任の評価

(ア) 請求棄却の増加

従前の10年間の転倒事案の判決11件のうち請求棄却は4件である(長沼:117-119).これに対し,2011年以降の5年間の転倒事案の判決11件のうち請求棄却は7件に及ぶ.しかも,認容判決のうちB⑱は,転倒に関する注意義務違反は否定し,速やかに医師の助言を受け診察を受けさせる義務の違反を肯定した.B⑱を含めると, 転倒に関する注意義務違反を否定した判決は,11件中8件に上る.

以下,これらの判決において請求が棄却された理由を検討する.

a 施設外での事故の事案では,請求が棄却されている(B⑫,B⑬,B⑱,B㉒).

前述のとおり,従前の裁判例の傾向は,施設内における事故は, 高齢者の身柄を預かり,高齢者に対しての生活の場所を提供し,その場所を管理するという全般的な立場に伴って求められる責任に近づいていると理解される.そうすると, 施設外での事故,特に利用者の自宅における事故の場合,上記の責任が認められないことから,施設内での事故と比べ,請求が認容しにくいと考えられる.

また,次のbで指摘する点も,重要であると考えられる.

b 職員の積極的行為・直接的な付き添い方が問題とされる事案では,請求が棄却されている(B⑫,B⑬,B㉒,B㉓).

在宅介護サービスの場合(B⑫,B⑬がその事案である)ALS患者の介護等の場合を除き,比較的短時間のうちに食事,着替え,排せつ等の積極的行為を行う.したがって,在宅介護サービスにおける事故の多くが職員の積極的行為が問題とされる事案に該当する.

介護事故防止のマニュアルでは,このような事故の防止に主眼が置かれている(長沼:122).また,事業者としても,積極的な介護行為を行う際には事故が起きないよう注意を払う(長沼:123).したがって, 職員の積極的行為が問題とされる事案では,事故が施設内の日常的な生活場面で発生した事案と比べ,注意義務を尽くしたと評価される場合が多いと考えられる.

また, 職員が目を離した間に生じた事故においては, 「そのとき利用者から目を離さなければ,何らかの対応により,事故の発生を防止できた」という可能性が常にある.これに対し,職員の積極的行為・直接的な付き添い方が問題とされる事案では, 当該行為における注意義務違反の有無に審理の対象が限定される.

以上から, 職員の積極的行為・直接的な付き添い方が問題とされる事案では,施設内の日常的な生活場面で職員が目を離した間に生じた事故と比較して,請求が棄却される場合が多くなると考えられる.

c 当該高齢者について転倒時に具体的な転倒の危険が認められないとされた事案では,請求が棄却されている(B⑱,B⑳,B㉒,B㉓).

東京地裁平成15年3月20日判決では「常時監視義務」に近い表現がなされたが,後の裁判例では注意深く避けられることが多い(長沼:206).

利用者に対する「常時監視義務」までは認めないとすると,個別の事案における具体的な状況の下で,当該利用者について転倒事故が発生する具体的危険性が存在したか否か,及び当該具体的危険性との関係で施設側の実施可能な「とるべき対応」は何か,その「とるべき対応」がとられていたか否かが,それぞれ審理の対象となる.

そうすると, 個別の事案における具体的な状況の下で,当該利用者について転倒事故が発生する具体的危険性が認められない場合,請求は棄却される.

この点に関し,当該事案における当該利用者に対し予見可能であった「具体的危険性」の「具体性」について,高齢者の現実の転倒の状況・態様等との厳密な一致を要求するならば,「具体的危険性」の不存在または予測不能を理由として注意義務違反が否定されうる.例えば,物に躓いて前方に転倒する危険が予測されていた利用者が歩行中突然真後ろに倒れた場合,前方への転倒に注意しつつ当該利用者の歩行に付き添っていた職員について注意義務違反は認められない.B㉓の裁判例は,この点を理由として,請求棄却の結論を導いている.

d 原告が注意義務違反の前提として主張する事故態様に関する事実が認定されなかった事案では,請求が棄却されている(B⑫,B⑬,B㉓).

e 複数の注意義務違反を否定した判決

以上のaからdまでの類型に該当する裁判例は,長沼による従前の裁判例の分析からも請求棄却となりうるものである.公にされた裁判例の倍増により,請求棄却になりやすい事案の裁判例が現れた,といい得る.

他方,B⑯及びB⑰の判決は, aからdまでの類型に該当せず,かつ,事業者側の複数の「とるべき対応」を検討した上で注意義務違反を否定する.これらの裁判例は,従前の裁判例の傾向とは異なっている.

(イ) 請求認容の場合の法律構成

B⑭の裁判例は, 「被告は,原告が本件介護施設入所後多数回転倒しており,転倒の危険性が高いことをよく知っていたのであるから,入所利用契約上の安全配慮義務の一内容として,原告がベッドから立ち上がる際などに転倒することのないように見守り,原告が転倒する危険のある行動に出た場合には,その転倒を回避する措置を講ずる義務を負っていた.

しかるに,被告は,平成二一年七月一七日未明,原告がベッドから立ち上がり転倒する危険のある何らかの行動(例えば,ベッドから出て歩行する等)に出たのに,原告の動静への見守りが不足したため(仮に職員による見守りの空白時間に起きたとすれば,空白時間帯に対応する措置の不足のため)これに気づかず,転倒回避のための適切な措置を講ずることを怠ったために,本件転倒事故が発生したというべきである.そうすると,被告は転倒回避義務に違反しており,債務不履行責任を負う.」と判示する.

また,B㉑の裁判例は,施設側の安全配慮義務違反を認める理由を,次のとおり判示する.

「~基本的に身体能力が十分でない高齢の利用者を受け入れ,その安全に配慮すべき立場にある被告施設において,利用者の転倒による事故が予見可能であり,これを防止するための措置を講じることが可能な状況であるにもかかわらず,何らの措置も講じないことが許されるべきではない.上記(3)のとおり,亡Bが本件ユニット内で歩行中に転倒することが予見可能であった以上,被告は,亡Bが歩行する際,事後的対応を前提とせざるを得ない,離れた位置からの見守りにとどまらず,可能な範囲内において,歩行介助や近接した位置からの見守り等,転倒による事故を防止するための適切な措置を講じる義務があったというべきである.」

「証人Hは,亡Bが歩行介助の提案を拒否した旨供述するが,それが事実であるとしても,証拠(略)によれば,亡Bは訪問看護時には歩行介助を受けており,被告施設においても,本件ユニットから1階のカラオケ室までの移動等については歩行介助を受けていたことが認められるのであって,こうした事情からして,場合によっては家族を含めるなどして包括的な説得に努め,あるいは,その都度本人を説得した上,本件ユニット内での歩行介助を実現することが不可能であったとまでは考え難い.また,仮にそれが不可能であったとしても,近接した位置からの見守りまで不可能となるとはいえない.したがって,亡Bが歩行介助の提案を拒否することがあったことにより,可能な範囲内における歩行介助や近接した位置からの見守りをする義務が解消されることにはならない.」

「~このように,歩行介助等が必要となり得る利用者は亡Bのみであり,その歩行開始も容易に認識可能な状態にあったこと,少なくとも食事用エプロンを洗って干す業務がそれほど緊急性を有しているとは考え難いことからすると,職員少なくとも1名が亡Bの歩行介助をし,あるいは,歩行している亡Bに接近して見守ることが可能であったことは明らかである.そして,本件事故時の亡Bの転倒状況からすると,歩行介助,あるいは,近接した位置から,転倒の可能性が常にあるという意識を持って見守りをすることにより本件事故を防止し得たと認められる.」

これらの判決が注意義務違反を認める理由は, 目を離していて何もしなかったという不作為自体の責任が指摘される(B⑭,B㉑),事故防止のためにとることのできた方策が複数示される(B⑭,B㉑),それが利用者とのやり取りに関して「説得義務」としてやや抽象的な形で提示される(B㉑)等であり,従前の請求認容判決と共通している.

また,後述のB⑮の裁判例も含め, 請求認容の裁判例は,事業者の責任について,長沼が従前の裁判例の傾向として「近づいているように思われる」とした「高齢者の身柄を預かり,高齢者に対しての生活の場所を提供し,その場所を管理するという,全般的な立場に伴って求められる責任として理解する」立場を示している.

イ 各判決による賠償水準

B⑭の裁判例の請求認容額は217万7868円であり, 2000年から2010年までの裁判例の傾向と同様に低額である.

他方,B⑮及びB㉑の裁判例は,明示的に高額の賠償水準を採用しており,2000年から2010年までの裁判例の傾向とは異なる.

このうち,B⑮の裁判例は素因減額の対象を限定し2719万8783円を認容している.

これに対し,B㉑の裁判例は事故と死亡との因果関係を肯定し,過失相殺及び素因減額を否定した上で,死亡慰謝料2200万円の法定相続分5分の1として480万円を認容している.

第3 特徴的な裁判例(B⑭及びB⑮)の検討

2011年以降の裁判例として特徴的なものは,1審で請求が一部認容され2700万円以上の損害賠償が認められたが,2審では請求が全面的に棄却されたB⑮,B⑯の事案である.

1 B⑮判決について

B⑮判決は,施設側の契約上の注意義務について関係事実を詳細に検討した上で,これを否定する.

その上で,「入所者に対して安全配慮義務を負う被告が,認知症かつ転倒の危険がある原告を預かってその自立的な歩行を認めるという前提に立つ以上は,定期的に原告の動静に注意を払うことにより,具体的に予測される危険がある場合には速やかに駆けつけて対処し,実際に事故が発生してしまった場合にも速やかに駆けつけて救助ができるようにしておくことは最低限必要と言える.その意味で,常時原告を見守り原告の歩行に必ず付き添うことまでは要求されないとしても,定期的に原告の動静を確認し,その安全を確認すべき義務が被告にはあるということができる.」と判示する.その上で50分にわたり原告を放置した点に動静確認を怠った過失があるとした.

この判示は,施設を運営する事業者の介護事故に関する責任について, 長沼が従前の裁判例の傾向として「近づいているように思われる」とした「高齢者の身柄を預かり,高齢者に対しての生活の場所を提供し,その場所を管理するという,全般的な立場に伴って求められる責任として理解する」ことを明示するものである.

2 B⑯判決について

これに対し,B⑮判決の控訴審判決であるB⑯判決は,B⑮判決とは注意義務違反のとらえ方が異なっている.

B⑯の判決は,過失があると認められるためには,過失として主張される行為を怠らねば結果を回避することができた可能性が認められることが必要であるところ,転倒はその性質上突発的に発生するものであり,転倒のおそれのある者に常時付き添う以外にこれを防ぐことはできないことからすると,被控訴人の動静を把握できないという職員らの行為がなければ本件事故を回避できたと認めることはできない,と判示する.

次に,控訴人が被控訴人に対し歩行時にはシルバーカーを用いて歩行するよう注意し, シルバーカーにおもりを入れて安定性を確保するなどしていたところ,被控訴人には,本件事故以外に,シルバーカー使用時の転倒事故が生じた事実はなかったことからすれば,控訴人に本件事故に対する予見可能性があったと認めることはできない,と判示し,控訴人の職員らが被控訴人の動静の把握を怠った旨の過失を否定した.

さらに,大きめのシルバーカーを用意する,介護職員の人員を確保する,転倒転落アセスメントスコアシートの導入や,センサーが付いたマットの使用またはシルバーカーに鈴を付けることについてそれぞれ検討し,結果回避につながらないなどと判示した.

この判決は,全体として,転倒事故の予測が困難であることを前提として,結果回避義務違反を否定するものである.

そして, 上述の判示を文字通り読めば, 施設に常時付添を求めることは現実的に困難である以上,転倒事案では原則として過失が否定されることになる.

今後他の裁判所で同趣旨の判決が出されるのかどうか注目される.

第4 まとめ

以上のとおり,2011年以降の裁判例には,長沼の分析による従前の裁判例と同様の傾向を示すものがある.

一方,公表された裁判例の増加に伴い,施設外での事故,職員の積極的行為が問題とされる事案,具体的な危険性が認められない事案,原告の主張する事故態様に関する事実を裁判所が認定しない事案等があらわれ,これらの判決において原告の請求が棄却されている.

事故の発生場所は,偶然性に影響される.また,職員のいかなる行為が問題とされるのか,裁判所が当該事案における「具体的危険性」の判断において事前に予想された危険と現に発生した結果との間の一致をどの程度まで要求するのか,具体的な事故態様についていかなる事実認定をするのかについては,利用者,事業者双方にとって予測が困難である.

さらに,2011年以降,従前の裁判例の傾向とは異なる判決が複数出されている(B⑮,B⑯,B⑰,B㉑).しかも,これらの裁判例は,請求の認容又は棄却という結論においても,賠償水準及びその理由である素因減額,過失相殺等の有無においても,相互に異なる方向を示している.

以上の2011年以降の裁判例の傾向は,当事者による判決の予測困難性(長沼:242)に一層拍車をかけ,また,類型的な法的評価の困難性(長沼:242)を従前以上に明らかにするものである.

このような2011年以降の裁判例の傾向を踏まえるならば,介護事故に対し保険により対応する必要性が一層明らかにされた,ということができる.

以上が本レポートで明らかになったことである.

第5 今後の課題

本レポートでは,前述のとおり転倒事案に検討対象を限定しており,誤嚥及びその他の不測の事故事案は検討していない.

また,各裁判例について本来事案の概要及び判旨を記載すべきところ(長沼:134-181),時間及び紙面の限界からそれもできていない.

以上の点を検討・補完した上,介護事故に関しあるべき法政策を再検討することが,今後の課題である.

【引用資料・引用文献】

D1-LaW.com「判例体系」(2015年12月30日閲覧).検索結果から選択した裁判例をコピーし,B⑫~B㉓の番号を附し,番号順に整理したものを提出する.

長沼建一郎(2011)『介護事故の法政策と保険政策』法律文化社

(以上 全角及び半角カタカナの数9356字)