ホントの話

コンサートが実現するまで・・・

1999年初春から、私は当時の相棒M氏とピアノ連弾を好んで演奏していた。連弾は2台ピアノより面白いし、インパクトがあるから好きだ。色々な事を試した。

2002年春頃、S青年から 『ローゼンブラット自作自演集』 という1枚のCDを借りた。その中に連弾曲が1曲入っていて気になっていた。

2003年初夏、連弾の相棒M氏が一生懸命この楽譜を探し始めた。しかし販売されていないので見つかるわけがない。彼女は、あの手この手を使った様だ。

2003年真夏、在日留学生のロシア人女性が、ローゼンブラットさんと面識がないのに、かなりの人の手を経てローゼンブラットご本人と連絡を取ってくれた。親切な彼女とめぐり会うことができた事に、感謝したい。

2003年晩夏、この女性がロシアへ帰省した際に、直接ローゼンブラットさんに会って楽譜をもらってきてくれた。こんな事が本当に起こるなんて信じられなかった。

2003年初秋、ローゼンブラットさんへのお礼に我々はビックカメラで腕時計を買い、更に自分達の派手な演奏写真と熱いラブレターも入れてローゼンブラットさんへ贈った。青色紙で折った鶴を二羽そえて...。

2003年晩秋、ローゼンブラットさんから「一緒にジョイントコンサートをやろう!!」というファックスが来た。まさか、私達の写真を見ただけで?!これもかなり信じられなかった。

2004年1月、ローゼンブラットさんと仲の良いコーディネーターが、半信半疑でアドバイスをくれた。とうとう動き出した。偶然にもローゼンブラットさん達の「モダン・ピアノ・デュオ」と、我々の「ミュージック・パフォーマンス・デュオ」は、アルファベットの頭文字が「M.P.D.」なので、お互いそのことで盛り上がった。

2004年9月、急なメンバー変更により野口杏梨さんが私の相棒になった。野口さんは全てを捨ててこれに懸けた。人間は変わろうと思えばいくらでも変われるのだと知った。

2004年12月、ロシアを訪問した。ロシアでは腰が抜けるほどの驚きの連発だった。何と現地でコンサートまでさせていただいた。ローゼンブラットさんのデュオの相棒であるオレグ・シンキン氏は、ロシアのかなり重要な芸術家として称えられ、活動内容はとても民族性が強く演劇的要素の高いものだということを知った。

2005年3月、ローゼンブラット初来日コンサートが本当に実現してしまった。チケットは全て完売し、更に追加して売れた。まぎれもなく大盛況だったが、それでも赤字だった。この企画は、それだけ大がかりなイベントだったということだ。

加藤麗子

2004年 ロシア訪問記

2005年 初来日&観光

2005年 招聘コンサート ★ローゼンブラット初来日公演【ダブル・ピアノ・デュオ】