総監督の部屋

夢か幻のような音楽…?

「とうとう ここを開いてしまいましたね。あなたが今見ているのは、不思議の国への扉です。」

この文章に目を落としたあなたは、間違いなく音楽がお好きな方。あなたの耳を潤すのは流行のポップス、クラシック、はたまたロック、ジャズでしょうか?

私達が演奏しますのは「誰も聴いたことのない音楽」、アレクサンドル・ローゼンブラットの曲達です。パロディに満ちたメロディ、ロックやジャズをも超えるポップ性、そして繊細かつ野生味溢れる超絶技巧の数々を4本の手で!!…想像できますか?

ロシアの今を生きるローゼンブラットは、モスクワ音楽院で作曲を学んだ現代芸術音楽の作曲家。クラシック、ロシア音楽、その他の民俗音楽などをモチーフに、ジャズやポピュラー音楽の語法で組み立てる華麗で力強いクロスオーバーに、歴代のロシアの巨匠達の遺伝子をしかと発現するロマンチックな音世界は、現代の音楽家を圧倒しています。また「不思議の国のアリスの冒険」をはじめ、初来日の際に書き下ろされた「日本の歌によるファンタジー」など軽妙なメロディでまとめられ、親しみ易いながらも複雑で入り組んだ曲達は聴く者を必ず魅惑してきました。

そしてローゼンブラットの他に、芥川作曲賞に輝いた山本裕之の揺蕩う旋律の美しい「フォールマ」などを取りあげます。私達は、私達と同じ時間を生きる作曲家ローゼンブラットと山本裕之を、各々と親交の厚い加藤麗子、高橋健一郎を媒介に芸術を共有します。それは私達とあなたとの心を1つの世界で共有する、ということなのです。2台のピアノは饒舌に、4本の手は妖艶に、複雑怪奇で流麗な摩訶不思議な世界へと誘います。

「あなたは、この一夜の夢の世界から戻っては来られないでしょう。」

ローゼンブラットの作風について

ローゼンブラットが現代芸術音楽であるゆえんについてご説明します。

目に見えてくる表面的な所はかなりポップな色使いが見えるので、一見ジャズなどのような商業音楽に聴こえます。しかし、彼の作曲法は決してアレンジに留まることはなく、再作曲に近いといってよいでしょう。楽譜を見ると明らかなのですが、数々の名曲の引用をフレーズとして入れています。しかしこれは編曲作品ではありません。例えば現代作曲家フィニスィーは名曲をいちど和音まで分解してセリーに再融合するということをやっていますが、ローゼンブラットもそれに近いところがあり、フレーズまで分解してそれを再合成しているからです。しかも彼の場合は古今東西の音楽作品を合成しておいて、1曲通しての統一感というのを生み出しています。これこそ超絶の技巧であり、そこに先進性があってアヴァンギャルド芸術なのです。

更に彼の音楽は難しい無調の現代音楽を感じさせることはなく、ドラマチックかつエンターテイメント性に富んでいる上にウィットも見え隠れするので、演奏者も聴衆もあっという間に心を奪われ楽しめてしまうという、摩訶不思議な引力のある音楽なのです。

現代音楽とmusicaliceland

musicaliceland(ミュージカリスランド)は、アレクサンドル・ローゼンブラットと現代音楽の普及の為に立ち上げられました。私達は明るく楽しいローゼンブラット作品を現代音楽の救世主であると信じ、愛しています。

現代音楽とは何でしょうか。辞書的な意味では「西洋クラシック音楽の流れにあり、20世紀後半から現代に至る音楽。」のことでしょう。しかし、実際のイメージはどうでしょうか。「無味乾燥な無調と恐ろしげな不協和音」といったところではないでしょうか。確かにかつてアヴァンギャルド(前衛)の芸術はそういった破壊行為そのもでした。印象派から始まった芸術運動は伝統芸術を否定し、ダダは芸術から意味を奪い、シュルレアリスムは人間の無意識の精神世界を暴き、芸術を恐ろしいものにしてしまいました。同時代の音楽家達も同じ芸術的悩みから破壊的作品を作り出してきました。そしてそれは、暗く難しいイメージを私達に与えてしまいました。

しかし本当に暗く難しいのでしょうか。無味乾燥な無調であるはずのストラヴィンスキーの「春の祭典」はディズニー映画「ファンタジア」の中で使われています。スティーヴ・ライヒの反復しながらうねる知的な音型はアンビエント音楽として大変人気です。シェーンベルクやウェーベルンの12音技法は、それまでの音楽には無い冷たくも美しい煌めきを与えたのではないでしょうか。

現代の美術の旗手である村上隆やダミアン・ハーストに暗く難しいイメージなどありません。彼らの作品は、明るくポップで美術というよりアートと呼ばれます。「現代の音楽も『アート・ミュージック』にできないものか」、私達はこう考えています。私達は現代音楽を楽しい物にしたいのです。お酒も出ます。談笑してください。ローゼンブラットに縁の深いジャズも弾きます。つまりエンターテイメントにしたいのです。それはある意味で破壊行為かもしれません。なぜなら、「クラシックは黙って座って聴くもの」だと思われているからです。破壊行為が娯楽として暇つぶし以上の人間的価値を持つならば、それは芸術です。そして、私達のコンサートで心の底から楽しんでもらえたなら、それは芸術だと確信しています。