2005年初来日&観光

写真左から、太田整さん、濱川礼さん、シンキンさん、ローゼンブラットさん、植松洋史さん

ローゼンブラット氏とシンキン氏の初来日スケジュール

3月6日 成田空港到着

私は、成田空港まで二人を出迎えた。成田空港の見学デッキは、いつ行ってもドキドキわくわくするものだ。快適なアエロフロート航空で到着した彼らは、あいさつするなり興奮して言った。

「聞いてくれ!僕たちもしかしたら、今頃まだモスクワにいるかもしれなかったんだよ。実はすごい事件があったんだ。航空会社側が、かなり多めに座席の予約を受けたために、乗れる定員を数十人もオーバーしてしまい、誰がその飛行機に乗るかって空港ですごくもめたんだ。僕たちは頭を使ってうまく切り抜けたけど、本当に危なかったんだよ。僕たちは強いんだぞ。」との事でした。

確かに何があってもおかしくない国だと知っていたので「ご無事でよかったですね。」と普通のリアクションをした。それより私にとっては、初めて日本を訪れた外国人の反応の方に興味があった。案の定、私の期待通りになった。オレグ氏がタバコを吸いに行ったかと思うと目を真ん丸くして帰ってきた。「ねえねえ、サーシャ(ローゼンブラット氏の愛称)、日本ってすごいよ!タバコを吸うエリアというのがちゃんとあって、吸う人はみんなその中に入って立って吸っているよ!これはすごいシステムだね。あ~ビックリした」とこんな感じで。

このあと、彼らが機内手荷物にして日本へ運び込んだCD100枚を、宅配に詰めて会場へ送る手配をした(コンサート会場で売られていたあのCD達は全て彼らが手荷物で運んでこられたものでした)。 成田エキスプレスで池袋まで乗って、いざ滞在するメトロポリタンホテルへ。このあとすぐに来日スケジュールの打ち合わせをした。

3月7~8日 公開レッスン

東京・池袋のカワイ楽器店にて、ローゼンブラット氏による公開レッスンが行われた。通訳をロシア人女性(当時、東京藝術大学院生)のコリチェワ・ナタリアさんにお願いし、オレグ・シンキン氏も同席した。大変気さくなレッスンだった上に、何とオレグ氏とナタリアさんまでがいつの間にかレッスンに参加し、三人の意見が対立するという凄まじい白熱シーンもあった。彼らのパワーに、受講生と聴講生はただただ圧倒された。以下は、受講生からのレッスンの感想だ。

●「ローゼンブラット作曲:パガニーニの主題による変奏曲」のレッスンを受けて

(村本江里子:中学2年生)

特に注意された点をとりあげてみます。アクセントのつけ方はジャズとクラシックでは全く違うので、オスカー・ピーターソンなどの色々なジャズ演奏を聴いて研究するとよい。上から叩きつける弾き方ではなくて、手首や指は上下に動かさずに、鍵盤に平行に前後に動かして弾く。そして流れを止めないように注意する(変奏6とフーガ)。ジャズ演奏で重要なノンレガート奏法では手首や腕は絶対に動かさない。指先だけではじくようにして弾く。まずゆっくりと何回も練習してだんだん早くしていくと良い(変奏10)。メトロノームを使って練習することは重要で、このことはオレグ氏にも常々おっしゃっているようです。ローゼンブラット先生ご自身も毎日メトロノームを使って練習しているとおっしゃっていました。テンポを揺らさずに正確に弾かなければならない(変奏6と変奏7)。レッスンを受けて感じたことは、もっと音に色やコントラストをつけて弾こうと思ったことです。特に先生が弾いて下さる和音は聴いている人がうっとりしてしまうほどの音色で本当に綺麗でした。ジャズをたくさん聞いて、ジャズ特有の響を研究していくことが大切だと感じました。

●「スクリャービン作曲:ソナタ第2番 嬰ト短調 作品19」のレッスンを受けて

(島崎真弓:ピアノ指導者)

楽譜のリズムを正確に捕らえて、しかし楽譜に縛られていくのではなく、もっと自分の感じた音や表現を歌を歌うように自由に演奏してみるようにと、言われました。ソナタ第1番はショパン的雰囲気の曲であったが、5年後に書かれたこの第2番は印象的雰囲気の曲に一変していて、スクリャービンは「海の幻想」をこの曲で表している。スクリャービン独自の神秘和音の捉え方や、一つ一つのメロディーは透明、繊細でありながらそれらが折り重なり合い、エネルギーを増し、深い海の暗い動揺の表現となるというような所をアドバイスされました。とても難しく今後も取り組んでいきたい曲です。

3月9日 リハーサル (渋谷ステュディオ)

リハーサルはわずかな時間で終わり、お二人はリラックスした様子でそのまま即興でセッションを始めた。スタンダードジャズから始まり、そのうちショパンのノクターン嬰ハ短調へ。映画「戦場のピアニスト」で有名になったあの名曲である。スタンウェイとディアパソンのピアノの何とも言えない柔らかく甘い音色が、二人のジャジーなアレンジによって、ゆっくりと静かに呼応していった。まさかこんなに素晴らしい演奏に自分が立ち会えるとは夢にも思わなかった。

3月10日 浅草観光 (通訳の中川玲央さんから情報を提供していただきました。)

何とコンサート前日のワクワク観光!爽やかな学生二人が案内人だったことも手伝ってか、両氏はとても和やかな雰囲気でこの日を楽しまれ、本番の前日だというのに普通の「観光客」になっていた。偶然にもこの学生達は、両氏の愛娘と同じ年頃である。

まず、両氏が滞在している池袋メトロポリタンホテルロビーで午前11時に待ち合わせた。当初予定していた秋葉原電気街でのショッピングから急遽予定変更、「日本の伝統を見ることは大切だ。」とおっしゃり浅草観光になったそうだ。

日本で初めての地下鉄・有楽町線に乗り永田町で銀座線に乗り換えて終点浅草駅で下車した。浅草周辺を散策しながら興味をもたれたのは、お土産にするための風情ある浴衣・きゅうす・風鈴。オレグ氏は自分ひとりで行きたい場所を回っていたのに対して、ローゼンブラット氏はすぐに中川さんを頼ってきて色々と質問なさっていたのが対照的。お互いに英語が外国語なだけに会話のやり取りは大変だったようだ。

「浴衣」は両氏共に「漢字入り」の物を選んでいた。特に「きゅうす」はローゼンブラット氏が大変こだわりを持っていて「私は緑茶が大好きなのできゅうすを自宅で使っていたが残念なことに割れてしまい、日本へ来たらぜひ手に入れようと思っていたんだ。陶器製の物が欲しいです。」ということで裏路地へ案内し、きゅうす専門店で2個購入した。ローゼンブラット氏は「なぜ日本では湯呑みを奇数の5個セットで売っているのですか?ロシアでは6個セットか12個セット(1ダース)で売ります。」と聞いてきた。中川さんは「夫婦(めおと)を除いて大抵は日本文化で縁起が良いとされる奇数にすることが多い」と答えた。

昼食は四人で天婦羅定食を食べた。何とローゼンブラット氏の「おごり!」だ。お座敷だと疲れるということで普通のテーブル椅子に座り、箸が使いにくいのでフォークで召し上がっていた。やはり大好きな緑茶を常に飲んでいた。両氏は「天婦羅は最高だ!」と言って残さず全部食べて更にお茶をおかわり。そして氏は1階の喫煙所で愛用パイプ一服~。きっとフロア中バニラのいい香りが充満しただろう。食事の際の会話一部をご紹介しよう。

浅草寺のお香のかおりも大変気に入っていた。「雷門」で記念撮影をして午後3時ごろホテルへ戻り明日に備えて休息。

中川さん、山下さん、コンサート前日という彼らにとって大切な休息のひと時に、気配りのある温かいエスコートをして下さり本当にありがとうございました!

3月12日 鎌倉・みなとみらい観光

コンサートで大成功を収めた次の日!エスコートはローゼンブラット中毒の社会人の方々にお願いした。私は又もや参加できなかった事が悔やまれる。

まず、池袋メトロポリタンホテルで待ち合わせてJR山手線で新宿へ。そこから湘南新宿ラインで北鎌倉に到着し、いざ「鶴岡八幡宮」へ。メンバーの一人が行きの車中で暇つぶしにノルウェーの現代作曲家 Trygve Madsen作曲「VARIATIONS ON A PAGANINI-THEME op. 36」の楽譜をお見せしたら、両氏共に興味深そうに1ページ、1ページ、丹念に見ていたという。楽譜の特定箇所をところどころ指差しながら二人で話していたが、ロシア語なので何を言っているのかは全然わからなかったということだ。

さて実は両氏には「日本へ行ったら満開の桜を見たい」という夢があったのだが、時期が少し早かったせいもあり今回この望みが叶わなかった。聞いた話だがこの日やはり桜の話題が出たらしい。ここで撮った写真と資料を照らし合わせる限り、「源氏池」脇の階段で撮影された写真をよ~く見ると「弁天社大島桜」が咲いているのが分かる。こんなささやかな咲き具合にも「日本の花が咲いている」ということに喜んでおられて、素朴な両氏の様子が伺える。熱心に花を観賞しては広い境内を散策し、奉献用の日本酒の樽を見て「全部飲じゃおっか~」とジョークを飛ばして記念撮影しながらも、日本の建築物にはその都度興味を持ち真剣にご覧になっていた。

この日が寒い日だったからかいつものことなのか、両氏は何とウィスキーを持参していて要所でチビチビと飲んでいたと聞いている。仕舞いにはローゼンブラット中毒患者にも「飲んでみるか?」と誘って回し飲みしたらしい。焼けるような強い酒。


また、敷地内で展示会をやっていたらしく入場料は数百円なのだが、ローゼンブラット氏が「これだけのお金を払う価値はあるのかい?」と聞いてきた。結局入場し、「鎧」や「刀」など日本固有の伝統ある展示物に大変興味を示し「こんなのを着て本当に戦っていたのかな...」と聞きながら喜んで見ていた。

蕎麦屋で昼食。お箸で上手に食べていらした。

ここから「鎌倉小町」を歩き娘の話をしながら娘へのお土産に和服を購入。そしてお茶の葉を買う時は「何色のお茶が出るのですか」と聞いて緑茶を選んで買った。それから江ノ電に乗って長谷駅で下車し「鎌倉大仏」へ。両氏は手を清める所で鳴っていた風鈴の音色に聞き入った。オレグ氏はマグネットを集めるのが趣味なのでマグネットを購入。

ここから「山下公園」へ移動したが寒かったのですぐに「マリンタワー展望台」へ昇り夜景を眺めた。そしてみなさんで夕食会。横浜駅で解散。両氏は帰りのJRで座ることは出来たが、かなり疲れたご様子だった。

エスコートをして下さった皆さん、お仕事でお疲れの中、快く駆けつけて下さり本当にありがとうございました!そして貴重な情報をありがとうございました。

3月13日 帰国

この3ヶ月間、私は彼らの名前を漢字で表現しようと真剣に考え続けていた。実は私が2004年12月にロシアを訪問した際にオレグ氏から「僕の名前を最高の漢字の名にできるのであれば、ぜひそれをあなたからプレゼントされたい」と真剣に頼まれていたからである。

そして2005年3月12日、ついにこれ以上の名前はないだろうという傑作が誕生した。私は成田空港での別れ際に、自ら色紙に毛筆で書いた字を贈った。彼らはこれを本当に喜んで大切に持ち帰ってくれた。その中に途轍もない素晴らしい意味が詰まっていたし、それを彼らが大切にロシアへ持ち帰ってくれたことは私にとっての一番の救いだったかもしれない。

ここまで来るには色々ありすぎた......全てがやっと終わったと実感でき心からほっとしたいところだが、本当は何も終わっていない......今までの事が全て夢であって欲しい。

2004年 ロシア訪問記

2005年 招聘コンサート★【ダブル・ピアノ・デュオ】

2006年 2度目の来日

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