悲しみ、哀しみ、かなしみ。
人の顔に浮かぶ悲しみ。
何が悲しみを悲しみたらしめるのか。
うつむきがちなその目か。下がった眉か。真一文字に結ばれた唇か。
そのどれをとってみたところで悲しみを感じ取ることはできない。その片鱗に触れることはできても、さらに奥には決して踏み入れ得ないのだ。
しかし、これら要素の集合としての表情には確かに悲しみが存在する。
とすれば、表情としての悲しみとはいったい何か。
ラーメンにも表情はある。
たいていのラーメンに関して言えば、おおむね笑顔だろう。店の暖簾をくぐり抜けてきた私達を出迎えてくれる店員の表情そのものだ。
しかし、ごくまれに「悲しい」顔をしたラーメンに出会うことがある。
その一つが、京都左京区一乗寺を代表する名店、天天有である。
夢を語れ の東隣に位置するこの店、1975年創業で現在は二代目の老舗で鶏ガラ白湯に豚骨を混ぜた最初の店と言われているらしい。
愛想の良い店主に注文をした後、ほどなくして運ばれてきたラーメン。
非常に美しい色をしたスープはその色とは裏腹にコッテリ系の粘度の高いもの。しかし、しつこくはない。
全体として美人薄命を体現したような印象である。細めのストレート麺が更にその印象を強める。
思い出したように支那竹をかじるが、これがまた旨い。非常にしっかりと醤油系で裏打ちされている。
だが、箸を進めるうちになんとなくBuono!のうらはらを思い浮かべてしまう。なんとなく割り切れない思いに駆られてしまう。
注文時に量を指定できる九条ネギの彩りさえもどこか淋しさを感じさせる。
麺を半分ほと頂いたあたりで、机に備え付けられている紅生姜をスープに入れるというのがこの店の流儀だ。
寥々とした感情を紛らわせようと、派手な彩りの生姜を加える。やや単調気味になっていたスープにアクセントが効き始める。
美味い。抜群に美味い。
だがどこかかなしい。
必ず一度はご賞味あれ。
(文・にんじん)2012.10.23.