「もう卒業やな」
「そやな、4年間早かったな」
二人の男がその店の暖簾をくぐる。
ぶっきらぼうに立つ券売機のボタンを押すその手には、一瞬の迷いも無い。
ここは京都市左京区でも北区に隣接する地域。その店は下鴨本通北大路の交差点を西に少し行くとあるつけ麺屋「あんびしゃす花」。
ピッ
券売機は小気味よい音を立て、食券を生む。この無機質で何の変哲もない紙切れが男たちの唾液腺を刺激するのだ。
こく旨しょう油つけめん
幾度となく私たちの舌を歓喜の渦に巻き込み、腹を満たしてきた逸品。私と友人はあんびしゃす花に来たらこのつけ麺をオーダーすることが暗黙の了解になっている。それが俺たちのルールだからな。
私たちのような学生をはじめとし、どこか背中に哀愁を漂わせるサラリーマン、一現場終えてきたのであろう少しやんちゃそうな兄ちゃん、まだ小さな少年少女を連れた家族と、その客層は実に幅広い。どの世代からも愛される店であり、連日行列が絶えることは無い。
少し待つと、威勢のよい店員が食券を取りにやって来る。
「大盛り、太麺」いつも通りのオーダー。大盛り無料。大盛り無料の店で大盛りにしないのは失礼。と誰かが言っていた。ここで店員がすかさず、
「当店ではにんにくを入れることをオススメしていますがいかがでしょうか」
と尋ねてくる。いつもはニンニク抜きでオーダーする私だが、今日は学生最後となるであろう日。私よりもあんびしゃす花のつけ麺をよく知る店員のオススメなのだから、外れは無い。
先達はあらまほしき事なり
兼好法師もそう言っている。これは何もお寺参りやニンニクだけの話に留まらない。人生一般に通じることである。先駆者、先輩の存在がどれほど大切なことか。彼らの教えは、金言は、必ずどこかで役に立つ。
またしばし待つと、席に案内された。この時点でもう頭の中に勝利のイマジネーションはできている。
来た。
グツグツ。
アツアツに煮えたつけ汁からは勢いよく泡が次々と生まれては消える。そしてその一つとして同じものは無く、見る者すべてを楽しませる。音だけでなく、視覚でも楽しませてくれる。その秘訣はその器にある。この店のつけ麺の器は全て土鍋なのだ。
「ごゆっくりどうぞ」
ゆっくりなどしていられようか。
「「いただきます」」
全てはこの瞬間の為に。
縮れ太麺にアツアツのしょう油つけ汁が絶妙に絡み合い、私たちの舌の上で遂に完成の時を迎える。甘口とも呼べるつけ汁にはいやらしさなどは一切なく、それ故にストレートに味覚を刺激し、歓喜の爆弾は輝かしく脳内で炸裂する。
「美味い」
本当に美味しいものには、「美味い」という言葉しか出てこないものである。いや、一切必要ないのだ。修飾する言葉の全てが陳腐なものと化してしまうことを、私は知っている。
思えば、この店は私の学生生活をはじめから終わりまで見届けてくれた。1回生の春から4回生の冬まで、いろんな人と来た。
4年前と変わらぬ味?そんなワケがない。このつけ麺は常に高みを目指し、改良を重ねられている。変わらないものなどないのだ。4年間で多くのものが変わった。百万遍のパチンコ屋はネットカフェとなり、カレー屋はイタリアンレストランになった。そして、私も。
4年前は大学生活に大きな希望を抱き、京都大学のシンボルである楠の前に立ち、歴史ある時計台を見上げ、輝かしい未来をとめどなく夢想した。新たなことにたくさん触れた。大学での勉学、初めてのアルバイト、サークル、女の子の感触。その一つ一つがかけがえのないものであった。しかし逆に、未知のものが既知のものになるにつれ、どこか物足りなさを感じている自分もいた。こんなものか。そう思うことも少なからずあり、年々、物事に対して冷静になっていく自分を感じ、学生生活やこれからの人生への熱意が冷めていることも自覚していた。
そんなくだらないことを考えていたからか、つけ汁も心無しか冷めていた。
心配御無用。
あんびしゃす花のつけ汁は何度でも蘇る。店員に器を渡せばあら不思議。
グツグツ。
熱気が復活する。思わず笑いがこぼれる。何を馬鹿なことを考えていたのかと、そして、なんて美味しそうなのかと。
「僕も土鍋になろう。」
そう決意した。確かに一人では冷めていくばかりかもしれない。しかし私には4年間で得た多くの仲間がいるではないか。頼れる仲間が。きっと彼等ならまた私の人生を熱くしてくれるだろう。そして逆もまた然り。私も大好きな仲間の火となろう。
エモが最高潮を迎えた時、その時は来た。チャーシューへの入刀である。
十分に煮込まれたであろうチャーシューはその無骨な姿とは裏腹に、いとも簡単に瓦解した。つけ汁と混ざり、溶け合い、遂にクライマックスの時を迎える。噛めば噛むほど味が染み出てくる。どれほど入念に煮込まれたのであろうか。やはり、「美味い」。
様々な要素が複雑に絡み合ったMasterpiece。もう誰も私の箸を止めることはできない。
完食、完飲。
ふぅ。至福の溜息が自然と漏れ出してくる。隣の席の友人と顔を合わせると、互いに笑顔だった。
彼は奇跡的にアパートが近く、数少ない私の親友と呼べる存在であり、4年間この店に共に通い続け、そして学生生活を駆け抜けてきた戦友のような存在である。彼は何を考え、どんな気持ちでこく旨しょう油つけめんを食べたのだろうか。分からないが、あれこれと詮索するのも野暮というものだろう。
「ご馳走様でした」
こう告げると、少しバイク川崎バイクに似た店長が
「いつもありがとうございます!」と答えてくれた。
「また来ます」
また来る。必ず。ゼッタイイクヨー。
店を後にする。
「頑張れ!」
幾度となくこの言葉を発し、多くの人々に無限のエールを送ってきた私には分かった。あんびしゃす花がそう叫んでいることが。
私は春から社会人として歩むことになるが、彼は院生として物理学を修めることになっている。
Boys , Be あんびしゃす!
我が友よ、冒険者よ。大志を胸に抱き、それぞれの道を歩んでいこう。
バスに乗り込もうとする友人を強引に引き留め、力強く握手をした。
勿論、左手で。
その刹那、分からなかった彼の心の中が見えた気がした。やっぱりだ。教え通りだ。
熟、先達はあらまほしき事なり。
(文責:じりゅー 2018/3/18)