世界銀行の環境アセスメントに携わった経験

IDDPスタッフによる途上国での活動紹介(2010-2011年)

小林 隼人 (こばやし はやと)さん

PhD in Development Planning, Development Planning Unit, Bartlett Faculty of the Built Environment, University College London

ロンドン大学 UCL 開発計画部 博士課程、所属期間:2008年9月~現在

執筆:2011年2月

自己紹介

イギリスに来るまでは、世界銀行の環境局で環境社会配慮の仕事をしていました。元々日本の大学での専攻は西洋史で、その後に公共政策の大学院、シンクタンクでのリサーチを経て世銀で働くことになりました。西洋史から開発というのは大きな方向転換だねと言われることが多いのですが、当時、多少なりとも歴史や宗教、哲学を齧ったことは今の仕事/研究の大きな助けになっていると感じますし、人文の基礎というのは、どんな仕事にも通じるものだと思います(少し話がそれますが、イギリスに留学している方は、キリスト教についての知識があると、美術館の楽しみが倍増するのでお勧めです)。当面の目標は論文を仕上げることですが、卒業後は実務と研究を行ったり来たりしながら、環境と開発についての仕事を続けていきたいと思っています。


トピックの概要 :経験された出来事や仕事・活動 / 学んだこと

概要説明

世界銀行では、戦略的環境アセスメント(Strategic Environmental Assessment: SEA)を担当していました。SEAというのは、プロジェクト実施の段階で行われる環境影響評価(Environmental Impact Assessment: EIA)よりも早い段階で実施されるもので、政策や計画レベルでの環境社会配慮の実現を目指すものです。私は主に西アフリカの鉱工業セクターにおけるSEAを担当していました。当時は、資源価格が高騰したこともありシエラレオネやギニアなど、これまで投資があまり入ってこなかった地域に巨額の資金が流れ込んでおり、これが経済発展の大きな起爆剤になることが期待される一方で、環境社会面、また発展の公平性といった点では懸念がありました。

世銀がSEAを通じて実施しようとしたのは、当該地域における環境面、社会面の重要課題を洗い出すとともに、鉱工業セクターの成長によってそれがどのように影響を受けるか、またそうした影響に対処するキャパシティの有無を調査し、その内容を世銀の援助に反映させることでした。鉱山開発には、通常大きなインフラ投資(例えば鉄鉱石を運ぶ鉄道など)が伴います。こうしたインフラ開発が、鉱工業だけでなく地域の開発全般に資するようにすること、また各国別、鉱山別にインフラ計画を策定するのではなく、地域レベルでインフラ整備を行う方がより効果的ではないかとの考えから、SEAには地域レベルでの議論を深めるためのプラットフォームとしての役割も期待されていました。

他には、中国の道路計画のSEAという案件もありました(ちなみに中国には、セクターの長期計画についてはSEAを実施しなければならないという法律がありますが、日本では一部の地方自治体を除き、SEAは実施されていません)。意思決定のより上流での環境社会配慮というのは、まだまだ発展途上の分野で、援助機関やNGOが思考錯誤を繰り返している状況でした。私が担当していたSEAは、世銀が新たなアプローチをテストするために実施していたパイロットプログラムの一環として行われたもので、チームで思考錯誤しながら、より効果的なやり方を模索し、実施できたというのは非常に貴重な経験でした。援助機関やNGOが、SEAの知見を共有しあうネットワークがありますが、我々のチームのアプローチは、従来の環境影響評価にとどまらず、意思決定プロセスそのものに着目し、そのあり方を問うものであり、一番 “radical” なものだと言われていました。


具体的な活動内容・所感

アフリカの鉱工業案件を担当することが多かったのですが、特にシエラレオネの鉱工業SEA、それから範囲を西アフリカに拡げて実施したSEAのことは今でも良く思い出します。レオナルド・ディカプリオ主演のBlood Diamondという映画や「紛争ダイヤモンド」という言葉をご存知の方も多いと思いますが、途上国で産出する貴金属資源の利潤の多くは、国内に落ちず、海外に流れてしまうのが現状です。政府に不利な契約や税率、あるいは加工技術がない(宝飾品を売るほうが、原石を売るよりも利潤が大きい)ことなどが理由です。また、途上国に入る収益であっても、それが現地や現場で働いている人に届いているとは限りません。資源開発による利益がその国に落ちるような制度作りの支援をする、というのがSEAの目的でしたが、例えば加工技術を育てるための施策であったり、零細事業者の保護であったり、環境配慮にとどまらず、資源開発を通じてどのように持続可能な開発を実現するか、という、少し大げさではありますがその国の未来を考えるためのプロセスに参加できたというのは非常に貴重な経験でした。

鉱石の輸送ルートや電力などのニーズを考えると、国別に考えるよりも地域レベルで考えたほうが良い、ということで実施したのが、対象を西アフリカ地域に拡げたSEAでした。私はこのプロジェクトの途中で世銀を離れたのですが、西アフリカの地図の上に、鉱物資源や様々な環境資源、また町や村の位置をプロットして地域全体での開発のあり方を議論するきっかけを作ることができたのではないかと思っています。一方で、地域レベルでの協力については各国の中に温度差もあり、国家間の交渉ごとに関わるのであれば、自分の専門分野だけではなく、その地域の政治状況や歴史についてのより深い知見が必要だとも感じました。

また、様々なステークホルダーが参加し、議論を重ねる場を提供するというのが、我々が実施していたSEAの目的の一つだったのですが、SEAを実施する度に「参加」の難しさを感じる日々でした。例えば、上司が一緒にいる場では部下は発言しない、あるいは本心を言わない可能性があります。女性が不都合や身の危険を感じることなく発言できる場を確保するのも簡単ではありませんし、またそうした場を「いつ・どこで・何時」に設けるかにも注意が必要です。小さな子供を抱える女性や、毎日の仕事がなくては生計がたちゆかなくなる人は、平日の昼間のイベントに参加するのは非常に困難です。「参加」のための機会費用はそれぞれ違う、ということを頭では理解していても、現地で実際にそれを体験するのはまったく異なる経験でした。

中国では、飲みニケーションの大事さ(と大変さ)を感じました。美人で有名(らしい)街では嫁を紹介してやると言われ、また別の街では日中友好に乾杯と言われワイングラスで白酒を飲み干し、地方都市を回っていたときには毎晩のように吐いていた記憶があります。あまりお勧めはできない経験ですが、それで相手との距離が縮まるのは事実なので、中国、特に地方で仕事をしたいと考えている方は肝臓を鍛えておくことをお勧めします。

なお、アフリカの資源開発については、以前IDDPの勉強会でもお話したことがあります。資料と議事録がHPに掲載されていますので、興味のある方はこちらもご覧ください。 https://sites.google.com/site/iddpuk/workshop/2008-2009/6

また、シエラレオネで実施したSEAの最終報告は世銀のHPに掲載されています。

Sierra Leone Mining Sector Reform: A Strategic Environmental and Social Assessment

http://go.worldbank.org/ZCSIR0TJL0


その他の情報

出張先では、毎日のように停電するホテルで、停電のたびにカードキーが使えなくなり「行列ができるフロント」に毎度並んだこと、固定電話から携帯電話には発信できないこと、思いもよらないこともありましたが、当時住んでいたワシントンでも部屋が水没したりハリケーン(カトリーナ)で屋根に倒木が突き刺さったり、ハプニングには事欠かない生活だったので、そういう面では耐性ができていて良かったのかも知れません。途上国では自分が予想できないような状況に直面することがあるので、精神的なタフさというか、いい意味での鈍感さを身につけることも必要です。

私は環境という分野から開発の世界に入りましたが、環境といっても結局は人間がかかわる問題なので、環境だけを見ていては仕事にならないと感じていました。大学に戻るにあたり、「環境」専攻ではなくプランニングを選んだのも、人間の行動の中に答えを見つけたいと思ったからです。専門分野が何であれ、開発にかかわる仕事に携わる以上、人間への関心、日々の営みへの眼差しを忘れずにいることが大切だろうと思います。仕事に役立つ「スキル」を身につけることも大事ですが、留学生活を通じて様々な文化や歴史に触れ、人間への関心と理解を深めることも今後大いに役立つと思います。

シエラレオネのダイヤモンド鉱山。ダイナマイトで岩盤を爆破して採掘するのですが、爆発のたびに岩が周囲に飛び散るため、周辺の村落は退避・移転する必要があります。

川底など、岩盤が柔らかくなっているところでは、手作業でもダイヤモンドを探すことができるので地元住民が働いています。彼らを雇っては働かせる業者がおり、またその業者を何人も抱えている大業者がおり、、という産業構造になっているので、例えダイヤモンドが見つかったとしても、彼らの手に入るのはその利益のごく僅かです。