4回キャリアインタビュー 本田悠里

インタビュアー:西山大貴(UEA)

 江草裕美(SOAS)

第4回キャリアインタビューは本田悠里さんです。本田さんは大学生の頃からNGOでフェアトレードの活動をされ、新卒で青年海外協力隊(現JICA海外協力隊)としてジブチで難民支援を行っておられました。その後、オランダのエラスムス大学社会科学大学院で開発学修士を取得され、IOMフィリピンでのインターンやIOMネパールでのUNV、そして現職のJICAアフリカ部と様々な地域で活躍されております。

現在のお仕事、経歴について

西山:現在のお仕事について教えていただけますか?

本田:まだ勤務を始めて4ヶ月なんですが、JICAのアフリカ部の方で特別嘱託という有期の職員として働いています。業務内容としては、ジブチやウガンダの案件形成やプロジェクト管理の仕事をしています。具体的には、JICA内での部署間の調整であるとか、予算管理、あとは外務省との調整も行っています。例えばジブチでODAによる無償資金協力や技術協力などの事業が動いているのですが、現地JICA事務所で聞き取った相手政府の要請をもとに案件形成をしたり、案件に関する情報収集調査を監理したりしています。また、案件形成のなかで長期的な観点でこのプロジェクトがどのような貢献を出すかとか、日本として協力する意味や価値はどういう点なのかとか、事業の妥当性を詰めていくような仕事になります。

西山:国際協力にご興味を持たれたきっかけについて教えていただけますでしょうか?

本田:高校生の時に現代社会の授業で初めて民族対立や紛争など世界の問題について勉強しました。先生がかなり詳しく難民やその背景のことを教えてくださる方だったので、そこで興味を持ちました。それまでも、世界の文化や音楽などに漠然と興味はあったんですが、難民問題が実際起きていて、大変な思いをしてる人がいるということについて、興味を持ち始めたのはその高校の授業がきっかけでした。

西山:難民・移民分野を選ばれた理由について教えていただけますでしょうか?

本田:難民に興味を持ったのはその社会の授業だったのですが、その背景には子供の頃に経験した阪神大震災があります。当時私は6歳で、2ヶ月ほど避難生活を送りました。短い期間でしたが 、自分自身が住み慣れた地域から離れて避難生活を送るという経験をしました。小学校に必要な文房具とかランドセルなども物資の支援で頂きました。 そういった経験があり、高校生の時に勉強した際に、難民や避難民の人たちの境遇と自分の過去の経験に共通点を感じ、共感を覚えました。自分がその立場だったらどうだったのだろうかと。それから漠然と将来は難民と関わる仕事がしたいと考えるようになりました。

大学時代は、フィリピン支援のNGOに参加しました。そこでフェアトレードの活動として、フィリピンのある島の産品を使った商品開発をやりました。就活中に海外青年協力隊の募集があり、難民女性を対象にしたNGOの手工芸プログラムの要請があることをを知って、もともと手芸が好きだったこともあり、これだと思い応募しました。運良く受かったので卒業後はすぐに海外協力隊として活動することになりました。キャリアとして難民分野を選んだのはここからです。


青年海外協力隊(現JICA海外協力隊)での活動について

西山:協力隊としてどのような活動をされていましたか?

本田:難民支援のNGOにコミュニティ開発の職種として派遣され、お土産プロジェクトという、約70人の難民の女性対象に、現地の布を使ったポーチやキーホルダーなどを作る手工芸事業を配属先NGOと一緒に進めていました。当時ジブチにはソマリアとエチオピアとエリトリア難民の人たちが2万人程度いました。具体的には、難民の人達のアイディアを元に商品を考えたり、デザインを取り入れたりといった商品開発に関わる活動をしました。私が特に注力したことは(難民女性の)生産者グループの組織化です。このような事業でありがちな、プロジェクトが終了して活動を率先するNGOや協力隊がいなくなると活動が止まってしまうということが課題だと思っていたので、難民女性自身の力で運営が将来的に継続する仕組み、体制作りにも取り組みました。具体的には、70人の参加者でグループを8つ作って、その中で『リーダー』や『材料管理担当者』、『経理担当者』などをグループ内で決めて、その人たちに対してリーダーシップトレーニングや布を裁断する方法、お金の管理方法などを指導し、女性たちが自立して活動を継続できるような仕組や体制を整えていきました。

西山:ありがとうございます。そこまで踏み込んだ活動を行うのは、社会人を経験した人でも難しいのかなと思います。本田さんのそういった手芸や販売等の経験とかはどこから得られましたか?

本田:新卒ですぐに協力隊に参加したので、社会人経験はなかったのですが、学生時代にフィリピン支援のNGOでチームリーダーとしてフェアトレード活動をしたことがありました。現地にある素材を使った商品開発、また、生産者達とやりとりを通した事業管理を経験しました。

それに加えて、協力隊の合格後、フェアトレードとエスニック雑貨を扱う京都の企業でインターンをしました。商品開発部に加わらせてもらいながら、インドやバングラディッシュの布を使った商品の生産工程を見せてもらい、商品化する上で必要な知識を教えてもらいました。


協力隊時代の活動先での一枚

大学院について

西山:オランダの大学院を選ばれた理由について教えていただけますでしょうか?

本田:私がオランダを選んだ理由が二つあって、一つ目は、元々大学院に行きたいと思ったきっかけが協力隊の中で芽生えた問題意識だったので、それを深めるためにフィールドワーク調査を行ない、修論にまとめたいと考えていました。その観点で調査場所はすごく大事だと思って、難民や移民の受け入れに特徴がある国、自立支援や社会統合政策を積極的に行っている国がいいなと思い、まずは場所ありきで候補を探しました。ドイツとかスイスとか北欧とか、あとカナダとか思いつくままに調べて、難民とか移民というキーワードで学部や専攻を検索したりしました。

最終的にオランダに絞った理由として、まずその大学院の専攻の名前がGovernance of Migration and Diversityといって移民関連研究の学部があるというのと、オランダという国が多様性に寛容な国として、移民に限らずLGBTQなどの権利を広く尊重していたりとか、また安楽死を認めていたりっていう、広い意味で個人の自由を尊重する基盤があるという点で面白い国だなあと思いオランダを選びました。

二つ目が、フィールドワークがしたかったので、 少なくとも二、三ヶ月ぐらいは修論にかけられる期間が欲しいなと思いました。そういう観点からカリキュラムを考えると、イギリスって基本的に1年じゃないですか。それだと自分にとっては短いと感じて、オランダの大学院は15か月のカリキュラムだったので、自分にはもってこいだと思いました。大体10ヶ月ぐらいで全ての単位授業を終えて、残りの5ヶ月はフィールドワークと修論の執筆というのが特徴的なカリキュラムだったのでこれはいいなと、自分のやりたいことに合うと思って決めました。

西山:大学院ではどういったカリキュラムを学ばれましたか?

本田:大学院は開発学の専攻(日本語にすると移民/移住/多様性におけるガバナンス)で、難民や出稼ぎ海外労働者など、広い意味での移民を取り巻く現代の様々な状況について、受け入れ社会や政府の直面する課題等について勉強をしていました。修論ではエリトリア難民の若者がヨーロッパに移住後直面している問題について書きました。2017年頃にヨーロッパは難民危機に直面し、移民の男の子の遺体が地中海沿岸に流れ着いた非常にショッキングな写真が注目を集めていました。エリトリアはアフリカの北朝鮮と言われている国で、徴兵制があり18歳になると男女関係なく無期限で兵役につくことになっています。そのような国から逃げ出すために18歳になる前に若者達が小さい船に乗って地中海を渡ってヨーロッパへ命からがら逃げてくるっていう状況があって、その子達がその後どう生活しているのか興味がありました。

協力隊時代のジブチにもエリトリア難民がいて、ちょうど同世代ぐらいだったので仲良くなって話を聞くなかで、彼らはこの先どうなるのだろう、とずっと心に残っていました。それで修論調査ではスイスのジュネーブに移住したエリトリア難民の若者が、どうやって新しい生活を構築し、どのような手段で問題に対処しているのかというテーマにしました。生活の中で具体的にぶつかる課題や、それに対して地域社会の支援や政策はどのように作用しているのかについて、13人の若者にインタビューをしました。また彼らの生活圏に実際に付いて行かせてもらって、日常で経験していることを聞いたりしました。それをまとめて論文にしました。

西山:大学院で学んだことは、キャリアの中でどのように活きていますか?

本田:大学院の終盤にIOM(国際移住機関)のインターンを始めました。IOMは人の移住・移動に関する問題に取り組む機関なので、大学院から同じ分野が続いてるような感じでした。大学院は理論から移民が抱えている問題の分析を行っていました。協力隊の時から難民を取り巻く問題について悶々と疑問に思っていたことが、大学院で理論をを学ぶ中で、ある程度、自分の中で言語化できて頭の整理ができたということが大きなポイントだったかなと思います。そういった中で学問として勉強したことは、IOMの 支援現場でも本当に十分生かせるような知識になったかなと思います。具体的には大学院の論文に出てきた専門用語は、そのままIOMの業務でも使われているようなものだったので、IOMのインターンを始めて「専門用語がわからない」みたいなことはほとんどありませんでした。ずっと同じ分野のことを継続してやっているような状況だったので、本当にそれは良かったかなと思っています。

西山:就職活動はどのように行っていましたか?

本田:まず就職活動については、在学時にも卒業後には移民・難民支援関連の仕事がしたいなとは思ってはいました。ただ、在学中は、授業に追いつくのに必死すぎて就職活動のために動くことはほとんどできなかったです。できている生徒もいたんですが、一部だけでした。

ただ、大学院の授業の中で、例えば国際機関とかNGOからゲストスピーカーが来て話を聞く機会はありました。そこから現場ではどうやって仕事をしているのかについて情報を得たという感じでしたね。

修論の終盤あたりに、その後のことを考えようかなと思い、インターンの情報を調べていました。たまたま大学院の繋がりで、卒業生の方が当時IOMフィリピン事務所で職員として勤務されていることを知って、紹介していただきました。本当に偶然なんですけれども、インターンを探しているという話をしたら、ちょうどいいタイミングで「前のインターンがいなくなるところだから、新しい人を探してたんだ」と言われて、「すぐにCVを送ってください」と言われました。すぐにCVを送って「修論の目処がついたらフィリピンに来てください」ということになったので、本当にいいタイミングでした。

他の国のIOM事務所 (繋がりのなかったところに)にも履歴書を出したりメールを送ったりしたんですけれども、返答はありませんでした。そのフィリピン事務所の方では、卒業生の方に繋がって受け入れていただいたので、本当に運だなと思いますね。


インターン時代、IOMフィリピン事務所の同僚と

UNVについて

西山:インターン後のネパールの UNVではどのような業務を行われていましたか?

本田:UNVでは、IOMのネパール事務所でコロナ対策事業のプロジェクト補佐官として勤務していました。具体的にはMigration Health Divisionという、移民保健支援という部署に所属になりました。同僚やスーパーバイザーもみんな医療関係・従事者や公衆衛生の専門家というチームでプロジェクトを行っていました。ネパールは主にインドと国境が接しており、フェンスもなくパスポートなしで往来できる状態ですので、コロナ禍ではその国境地点が主な感染経路になっていました。なので業務としては、国境沿いにある感染拡大が顕著な県での感染予防対策の調査や強化、人の移動の追跡調査をやっていました。

もう一つ担当していた業務として、ネパールは海外労働者がすごく多いので、コロナ禍で帰国せざるを得なかった人たちへの心理的なケアに関する活動なども行っていました。出稼ぎ労働者の中で多かったのが、ブローカーの被害にあって、人身売買の被害に遭い、国に帰れなくなってしまってる人たちでした。現地大使館などによってレスキューをされて、ネパールに帰国した人達がたくさんいて、その被害者の診断や被害に陥った背景、継続的な支援について直接の聞き取りを通した調査をしていました。


UNV時代、IOMネパールの同僚と、結核防止キャンペーン時

移民・難民分野について

西山:よくテレビで、アフリカや中東からヨーロッパへ移民や難民が押し寄せるという状況が流れているのですが、現状に対して国際社会や国際機関とかはどのように対応すべきか、本田さんの個人的なご意見を頂けますでしょうか?

本田:そうですね。すごく難しい問題だとは思うんですが、個人的には国際社会の全体で取り組むべき問題としてそれぞれの国が政策や組織改革などを通じて本当に機能するような体制を整えるべきだと思うんですね。今までも国際社会として難民問題には対処してきたなか、枠組みだけでなく本当にそれが適切にその国と社会で機能するのかを検討し、機能する体制をその国が持つ必要はあるのではないかと思います。

あともう一つは、日本でもよく言われますけど、移民や難民を受け入れることにどういったメリットがあるのかという点について、労働力が将来いなくなって経済が停滞するから外から人を入れないといけないと言われたりしますが、国にメリットがあるかどうかというのが最上位になるべきではないと思います。やはり人道的な観点は忘れてはいけない重要なことであるし、それが最優先事項であるべきだと思います。

さらに、難民のように、国籍がないということで社会的サービスを受けられない不安定な身分にある人たちの保護を最優先に行なうのが国際機関の役割だと思うんですね。JICAで私は働いてますけれども、国の開発援助っていうのはどうしても時勢に影響されることもありますので、社会から取り残される最後の人達にアプローチするのが国際機関の役割なのかなと思っています。

西山:ちょっとこの質問に繋がる話で、例えば日本だと難民を受け入れる姿勢が消極的ですが、 本田さんの個人的な意見としてこういった消極的な姿勢に対しどのようにアプローチしていくべきだと思われますか?

本田:日本は近い将来労働人口の方が減って、確実に社会なり経済に影響を与えると言われていて、もう既に多くの業種で、外国人労働者に頼っている状況です。例えばコロナになって技能実習生って言われてる人たちが来日できなくなって、農家さんとか、製造業の企業とか、今までその実習生に頼っていたところがもう回らなくなってきているということはたくさん言われていますよね。そんな中、去年頃から技能実習生の劣悪な労働環境が日本でも報道され始めて、それが日本の評判に影響して実際には技能実習生の数が今減っていて、日本語ができないと生活も仕事もできないという現状もあり、もう日本が選ばれなくなってしまっていると言われているんですよね。

多文化共存と言われてますけれども、それを日本の政府として本当に真剣に捉えて、理想論で目標を設定するだけではなく、社会でどうやって外国人を受け入れて、本当に機能する政策を整える必要があると思います。

実際にJICAの中でも外国人材受け入れ事業についての議論が高まっています。今までJICAは途上国への開発援助をしてきましたが、その経験を生かして日本国内での多文化共生とか外国人受け入れ促進への取組みを検討しているんですね。具体的には、農家や製造業が技能実習生受け入れをしている事業者が多い地方自治体での受け入れ体制の強化や、多文化共生に関するアドバイザーの設置にJICAのこれまでの途上国での経験を生かして取り組もうとしています。

私自身は、以前、東京の難民の子供たちへの学習支援ボランティアをしていたこともあって、移民や難民を含めた外国人との個人レベルの交流の機会が増えればいいかなと思っています。

最後に

西山:これからの本田さんの展望について教えていただけますでしょうか?

本田:協力隊や大学院に行き、IOM で少し活動をした後にJICAで勤務していて、開発援助の事業の中で変わる様々なアクターのそれぞれの目的や、利益・戦略などを踏まえて選ばれたプロジェクトについて学んでこれたと思っています。そこで求められている、情報収集力や調整力など、今どんなことが起こっていて、どのアクターがどういった目的を持っているのか、という流れを捉える力をもっと磨いていきたいなと思っています。

一方で自分のゴールとしては、難民の人たちが豊かな人生を送れるような社会を作りたいっていうことは、高校生のときから持っていることなので、それは今でも変わりません。そのために自分の積み上げてきた経験を踏まえて具体的な事業の提案とかができるような、プロフェッショナルになりたいと思っています。目指すところとしては将来的にはそういった人物像というか専門家っていう感じですかね。

西山:最後の質問として、国際協力のキャリアを目指している学生や社会人に一言いただけますでしょうか?

本田:国際協力のキャリアを今構築している最中の社会人としては、私も含まれます。国際協力の分野ではいろんな先輩方が相談に乗ってくださって具体的なアドバイスを頂くことが今まで頻繁にありました。その中で全然知らなかったことの知識が増えていったりするので、まずは積極的にそういった人たちにアプローチをしていくことが重要だと思います。私自身も例えばインターンに繋がったり、迷っていたことについて何か答えを得ることがありました。

また、そういう人たち自身も昔は先輩方からいろんなアドバイスもらってきたということがあるので、積極的にアプローチするというのが大事なのかなと思っています。それを自分のキャリア選択に活かすことは大事なのかな、と。

もう一点は、自分が大切にしていることなんですけれども、シンプルに情熱を持ち続けることは大事なのかなと思っています。やっぱり国際協力とか開発援助を目指す人たちっていうのは、みんな何かしら問題意識があったりとか「〇〇を変えたい!」と思っているので、その気持ちを継続するために自分でどうするかというのも大事かなと思っています。やっぱりモチベーションが落ちるときも、いろんな原因であると思うので。その時に自分なりにどうやってモチベーションを保つのかということ、例えば積極的に本を読んだりとか、映画を見たりとか、そういった自分の中での方法を持つことも大事なのかなと思っています。

これまで出会ってきた人の中で、すごく魅力的だなあと思った人が何人かいて、そういう人たちってみんなプロフェッショナルとして問題に真摯に向き合いつつ、昇進しても常に勉強をしたり情報収集も怠らないという人たちがすごく多かったんですよね。例えばIOMネパールの所長はネパールの移民に関するあらゆる問題や情報についていつもアンテナを張っていました。そういった姿勢はすごく大事だなと思って、常に問題意識を持ち続けて勉強し続ける姿勢が大事だと思っています。

西山:このインタビューもまさに現在国際協力の分野で働かれている人に対してお話を聞いて、それを自分の中に落とし込んでどうするかという、そのようなヒントを提供する趣旨で行っていますので、本田さんのおっしゃる通りだと思います。

本田:もう一ついいですか?(笑)

いろんな人にアドバイスをもらって参考にするっていうのもありつつ、やっぱり「自分はこれだ!」という核になる部分っていうのはしっかりと持っていた方がいいかなと思うんですよね。矛盾するかもしれないのですが、人からアドバイスをもらいつつ、やっぱり自分の問題意識や軸を持つことが大事なのかなと思いますね。日本に限らず、海外でいろんな国籍の人がいる職場で働くときにいろんな影響を受けてしまって、自分の中の軸がブレてしまうことがあると思います。その中で自分のこだわりはこれだっていうことを、しっかりと持つことも大事なのかなって思います。

西山:インタビューは以上になります。ありがとうございました。