アドルフ・アイヒマン

アドルフ・アイヒマン

ユダヤ人問題の最終的解決を実務的に取り仕切った人物。SS中佐で、ゲシュタポの中でユダヤ人課課長として、ナチス政府内調整を行いユダヤ人の移送を処理した。ヴァンゼー会議の発言参加者ではないが、議事録作成者としての役目を負った。

戦後、南米に逃亡したが、イスラエル政府に拘束され、エルサレムで裁判のうえ絞首刑となった。ユダヤ人哲学者ハンナアーレントは、アイヒマン裁判の過程で、アイヒマンを悪の凡庸さとして批判した。

  • 1906年、ドイツのゾーリンゲン生まれ

  • ナチスドイツSS(親衛隊)の中佐

  • ゲシュタポ(保安警察)のユダヤ人課長で、ユダヤ人の列車輸送の責任者

  • ヴァンゼー会議に出席し、議事録作成を担当

  • 戦後、偽名を用いてドイツ国外逃亡し、アルゼンチンに潜伏。リカルドクレメントと名乗った

  • 1960年、イスラエル諜報機関モサドに拘束され、イスラエルに移送

  • 1961年、エルサレムで人道に対する罪などで裁判を受け死刑判決

ミルグラム実験・スタンフォード監獄実験