【刊行物】『不道徳的倫理学講義――人生にとって運とは何か』(ちくま新書)

投稿日: 2019/05/11 1:15:53

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2019年5月7日、単著『不道徳的倫理学講義――人生にとって運とは何か』(ちくま新書)

を刊行しました。

この世界には避けがたく「運」が存在し、人生には「賭け」の側面が伴うという観点から、

道徳や倫理をめぐる人間の思考の歴史を紐解いていく講義です。

私たちの人生の道行きは「運」というものに大きく左右されています。けれども、

あるべき行為や人生をめぐって議論が交わされるとき、なぜかこの「運」という要素は

無視されがちです。

そしてその傾向は、道徳や倫理について学問的な探究を行う倫理学に顕著だと言えます。

それはなぜでしょうか。

本書では、そもそも「運」とはどのような概念なのかを探究したうえで、人生における

「運」の問題が主に倫理学の歴史でどう扱われてきたのか(あるいは、どう排除されて

きたのか)をたどります。ギリシア神話から始まり、デモクリトス、ソクラテス、プラトン、

アリストテレス、ストア派らの多様な思想、そして近代のデカルト、アダムスミス、カント、

ヘーゲル、さらには、現代のトマス・ネーゲルやバーナード・ウィリアムズの倫理学へ。

その過程で本書は、道徳とその外部、理想と現実、人一般とこの私、賢者と愚者、神と人間

という対比を何度も照らし出していきます。

それは総じて、人間の「あるべき生」と「あるがままの生」の裂け目を見つめることであり、

人間とはいかなる存在なのかをあらためて考える機会だと言えます。

私たちはいつの間にか、幸運や不運は道徳的な善し悪しとは無関係だという見方を、当たり前

のこととして受け入れています。本書は、そうした常識的な見解の前で立ち止まり、むしろ

「運」の積極的な役割に目を向けるという意味で、「不道徳」な倫理学の書です。

手に取っていただければ幸いです。

【目次】

はじめに

第Ⅰ部 「運」の意味を探る

第1章 現代における「運」

1 日本語の「運」

2 英語の「luck」「fortune」等

第2章 古代ギリシアの文学作品における「運」

1 くじ、割り当て、運命

2 神は運命を左右できるのか

3 運命の不平等さ、理不尽さ

4 「テュケー」をめぐって

5 無力さのなかでもがく人間

第Ⅱ部 「運」をめぐる倫理学史――古代から近代までの一断面

第3章 徳と幸福の一致を求めて――アリストテレス以前

1 無知の言い訳としての偶然、運――デモクリトスの場合

2 善き生き方への問い――ソクラテスとプラトンの逆説

3 「幸福者の島」と「奈落」――プラトン『ゴルギアス』終盤の神話

4 運命の自己決定と自己責任――プラトン『国家』終盤の神話

第4章 アリストテレス

1 「幸福とは、徳に基づいた活動である」

2 徳を発揮する可能性に影響を与える運

3 徳を備える可能性に影響を与える運

4 完全な幸福としての観想――神の生活という理想

第5章 ストア派

1 ストア派の先駆――シノペのディオゲネス

2 決定論的世界観

3 徳、幸福、感情

4 ストア派にまつわる諸問題

5 現実性と一貫性――キケロの診断

6 これまでのまとめと、これからの展望

第6章 後世へのストア派の影響――デカルトの場合

1 デカルトのストア派的側面

2 心の平静に至る道筋

第7章 アダム・スミス

1 道徳的評価の二種類の枠組み

2 偏りなき観察者

3 ストア派への接近

4 ストア派からの離反

5 〈感情の不規則性〉をめぐって

6 まとめ

第8章 運に抗して――現代の手前まで

1 理性に基づく自足――カントへ

2 いくつかの異見――ヘーゲルへ

3 此岸から彼岸へ

第Ⅲ部 道徳と実存――現代の問題圏

第9章 道徳的運

1 現代の論争の起点

2 道徳的運とは何か――ネーゲルの議論に即して

3 反「道徳的運」①――認識的運への還元

4 反「道徳的運」②――日常の安定性に訴える議論

第10章 倫理的運

1 バーナード・ウィリアムズにおける道徳的運

2 力及ばぬことへの責任

3 道徳と実存の問題の間

エピローグ――失われた〈耳〉

文献表

あとがき

索引

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