【刊行物】『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ)

投稿日: 2018/04/10 7:21:20

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062586764

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単著『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ)を刊行しました。

あたかも魂が入ったかのように、言葉が生き生きとした表情を持ち始める瞬間。あるいは逆に、言葉から表情が急に失われ、魂が抜けたように感じる瞬間。そうした体験のもつ言語実践上の意味と、その社会的な重要性を探ります。

具体的には、言葉のゲシュタルト崩壊の現象と、逆に、単なる線や音の集まりが有意味な言葉として感じられてくる現象とを手掛かりにして、言語をめぐって従来看過されがちだった論点を指摘し、さらに、言葉を用いて生活する我々の社会にとって肝心となる、一個の倫理の存在を明らかにします。

本全体の流れとしては、まず中島敦の「文字禍」とホーフマンスタールの「チャンドス卿の手紙」という二篇の短編小説を主な題材にして、基本的な問いを浮かび上がらせます。それを踏まえて、ウィトゲンシュタインとカール・クラウスの言語論を辿ることで、本書の問いへの答えを探っていきます。

なお、本書は、これらどの作家・哲学者にも全く馴染みがない方でも読み進められるよう工夫していますので、予備知識は特に要りません。

現実離れした抽象的な話ではなく、いまこの時代と切り結ぶための具体的な思考のかたちを浮かび上がらせようと試みました。手に取っていただければ幸いです。

* * *

《目次》

はじめに

凡例・略記表

第1章 ヴェールとしての言葉――言語不信の諸相

第1節 中島敦「文字禍」とその周辺

1-1 「文字禍」あらすじ

1-2 現実を覆う言葉、世界との親密さの喪

1-3 存在の不確かさ

1-4 文字はどうすれば息づき始めるのか

1-5 補足と前途瞥見

第2節 ホーフマンスタール「チャンドス卿の手紙」とその周辺

2-1 「チャンドス卿の手紙」あらすじ

2-2 言語への絶望

2-3 フランシス・ベーコンの言語不信との比較

2-4 現実の不完全な代理・媒体としての言語観

第3節 まとめと展望

第2章 多面体としての言葉――ウィトゲンシュタインの言語論を中心に

第1節 使用・体験・理解

1-1 言葉の理解は、言葉の使い方の理解に尽きるのか

1-2 親しんでいることと、親しみを感じることの違い

1-3 魂なき言語と魂ある言語

1-4 理解の二面性

1-5 まとめと展望

第2節 言葉の立体的理解

2-1 「ゲシュタルト構築」としてのアスペクト変化

2-2 「見渡すこと」による言葉の習得

2-3 多面体として言葉を体験することに重要性はあるか

第3節 「アスペクト盲」の人は何を失うのか

3-1 アスペクト盲の思考実験

3-2 アスペクト変化の体験は瑣末なものか

3-3 〈しっくりくる言葉を選び取る〉という実践

3-4 言葉の場、家族的類似性

3-5 多義的な言葉を理解していることの条件

3-6 まとめと、第1節の問いへの回答、第4節への展望

第4節 「言葉は生活の流れのなかではじめて意味をもつ」

4-1 人工言語――連想を呼び起こさない言葉をめぐって

4-2 生ける文化遺産としての〈魂ある言語〉――日本語の場合

4-3 「『シューベルト』という名前はシューベルトにぴったり合っている」

4-4 「意味」という言葉の故郷――アスペクトを渡ること

4-5 まとめと、第3章の展望

第3章 かたち成すものとしての言葉――カール・クラウスの言語論が示すもの

第1節 クラウスによる言語「批判」

1-1 稀代の諷刺家・論争家クラウス

1-2 言語不信から言語批判へ

1-3 言語浄化主義の何が問題なのか

1-4 形成と伝達――言葉の二つの側面

1-5 言葉の創造的必然性

1-6 まとめ

第2節 言葉を選び取る責任

2-1 「最も重要でありながら、最も軽んじられている責任」

2-2 常套句に抗して――予言者クラウス

2-3 「迷い」という道徳的贈り物

2-4 諧謔と批判の精神

2-5 〈言葉の実習〉の勧め

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