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このウェブサイトは 古田徹也(哲学・倫理学研究者: 東京大学)が
研究・教育にかかわる情報を発信する個人サイトです

【刊行物】『不道徳的倫理学講義――人生にとって運とは何か』(ちくま新書)

2019/05/10 18:15 に Tetsuya FURUTA が投稿   [ 2019/05/10 18:24 に更新しました ]

https://sites.google.com/site/frt8050/home/_draft_post/20190507.jpg


2019年5月7日、単著『不道徳的倫理学講義――人生にとって運とは何か』(ちくま新書)
を刊行しました。

この世界には避けがたく「運」が存在し、人生には「賭け」の側面が伴うという観点から、
道徳や倫理をめぐる人間の思考の歴史を紐解いていく講義です。

私たちの人生の道行きは「運」というものに大きく左右されています。けれども、
あるべき行為や人生をめぐって議論が交わされるとき、なぜかこの「運」という要素は
無視されがちです。
そしてその傾向は、道徳や倫理について学問的な探究を行う倫理学に顕著だと言えます。
それはなぜでしょうか。

本書では、そもそも「運」とはどのような概念なのかを探究したうえで、人生における
「運」の問題が主に倫理学の歴史でどう扱われてきたのか(あるいは、どう排除されて
きたのか)をたどります。ギリシア神話から始まり、デモクリトス、ソクラテス、プラトン、
アリストテレス、ストア派らの多様な思想、そして近代のデカルト、アダムスミス、カント、
ヘーゲル、さらには、現代のトマス・ネーゲルやバーナード・ウィリアムズの倫理学へ。

その過程で本書は、道徳とその外部、理想と現実、人一般とこの私、賢者と愚者、神と人間
という対比を何度も照らし出していきます。
それは総じて、人間の「あるべき生」と「あるがままの生」の裂け目を見つめることであり、
人間とはいかなる存在なのかをあらためて考える機会だと言えます。

私たちはいつの間にか、幸運や不運は道徳的な善し悪しとは無関係だという見方を、当たり前
のこととして受け入れています。本書は、そうした常識的な見解の前で立ち止まり、むしろ
「運」の積極的な役割に目を向けるという意味で、「不道徳」な倫理学の書です。
手に取っていただければ幸いです。

      【目次】

はじめに

第Ⅰ部 「運」の意味を探る

 第1章 現代における「運」
  1 日本語の「運」
  2 英語の「luck」「fortune」等

 第2章 古代ギリシアの文学作品における「運」
  1 くじ、割り当て、運命
  2 神は運命を左右できるのか
  3 運命の不平等さ、理不尽さ
  4 「テュケー」をめぐって
  5 無力さのなかでもがく人間

第Ⅱ部 「運」をめぐる倫理学史――古代から近代までの一断面

 第3章 徳と幸福の一致を求めて――アリストテレス以前
  1 無知の言い訳としての偶然、運――デモクリトスの場合
  2 善き生き方への問い――ソクラテスとプラトンの逆説
  3 「幸福者の島」と「奈落」――プラトン『ゴルギアス』終盤の神話
  4 運命の自己決定と自己責任――プラトン『国家』終盤の神話

 第4章 アリストテレス
  1 「幸福とは、徳に基づいた活動である」
  2 徳を発揮する可能性に影響を与える運
  3 徳を備える可能性に影響を与える運
  4 完全な幸福としての観想――神の生活という理想

 第5章 ストア派
  1 ストア派の先駆――シノペのディオゲネス
  2 決定論的世界観
  3 徳、幸福、感情
  4 ストア派にまつわる諸問題
  5 現実性と一貫性――キケロの診断
  6 これまでのまとめと、これからの展望

 第6章 後世へのストア派の影響――デカルトの場合
  1 デカルトのストア派的側面
  2 心の平静に至る道筋

 第7章 アダム・スミス
  1 道徳的評価の二種類の枠組み
  2 偏りなき観察者
  3 ストア派への接近
  4 ストア派からの離反
  5 〈感情の不規則性〉をめぐって
  6 まとめ

 第8章 運に抗して――現代の手前まで 
  1 理性に基づく自足――カントへ
  2 いくつかの異見――ヘーゲルへ
  3 此岸から彼岸へ

第Ⅲ部 道徳と実存――現代の問題圏

 第9章 道徳的運
  1 現代の論争の起点
  2 道徳的運とは何か――ネーゲルの議論に即して
  3 反「道徳的運」①――認識的運への還元
  4 反「道徳的運」②――日常の安定性に訴える議論

 第10章 倫理的運
  1 バーナード・ウィリアムズにおける道徳的運
  2 力及ばぬことへの責任
  3 道徳と実存の問題の間

エピローグ――失われた〈耳〉

文献表

あとがき

索引

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【刊行物】『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』《シリーズ世界の思想》(角川選書)

2019/04/26 5:17 に Tetsuya FURUTA が投稿   [ 2019/04/26 5:19 に更新しました ]



単著『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』《シリーズ世界の思想》(角川選書)を刊行しました。

本書は、現代哲学最大の古典の一つ『論理哲学論考』の入門書です。
『論考』を理解するための肝となる箇所を具体的に取り上げ、一から解きほぐしていきます。
また本書では、ウィトゲンシュタインの生涯と著作の紹介や、記号論理学および「倫理学講話」
(彼の生前唯一の一般向け講演)についてのコラムも載せています。
哲学や論理学に馴染みのない方も対象に、『論理哲学論考』の一番初めのガイドとなることを
目指した本です。ぜひ手にとってみてください。

【目次】
はじめに
凡例
人と作品
『論理哲学論考』
§0 『論理哲学論考』の目的と構成
§1 事実の総体としての世界、可能性の総体としての論理空間
§2 事実と事態、事態と物(対象)
§3 不変のものとしての対象、移ろうものとしての対象の配列
§4 現実と事実
§5 像と写像形式
§6 像とア・プリオリ性
§7 思考と像、像と論理空間
§8 命題と語
§9 名と要素命題
§10 解明と定義
§11 シンボル(表現)と関数
§12 日常言語(自然言語)と人工言語
§13 個別性の軽視、個別性の可能性の重視
§14 言語の全体論的構造節
§15 「言語批判」としての哲学
§16 命題の意味の確定性と、命題の無限の産出可能性
§17 『論考』の根本思想
§18 否定と否定される命題の関係
§19 哲学と科学
§20 要素命題とその両立可能性(相互独立性)
§21 真理表としての命題
§22 トートロジーと矛盾
§23 命題の一般形式1
§24 推論的関係と因果的関係
§25 操作、その基底と結果
§26 操作の定義
§27 世界のあり方と、世界があること
§28 独我論と哲学的自我
§29 命題の一般形式2
§30 論理学の命題および証明の本質
§31 説明の終端
§32 意志と世界
§33 永遠の相の下に
§34 投げ棄てるべき梯子としての『論考』
§35 『論考』序文
コラム1 記号論理学
コラム2 倫理学講話
文献案内
用語の対照表
あとがき
索引

【刊行物】『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ)

2018/04/10 0:21 に Tetsuya FURUTA が投稿   [ 2018/04/10 0:24 に更新しました ]

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062586764


単著『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ)を刊行しました。

あたかも魂が入ったかのように、言葉が生き生きとした表情を持ち始める瞬間。あるいは逆に、言葉から表情が急に失われ、魂が抜けたように感じる瞬間。そうした体験のもつ言語実践上の意味と、その社会的な重要性を探ります。

具体的には、言葉のゲシュタルト崩壊の現象と、逆に、単なる線や音の集まりが有意味な言葉として感じられてくる現象とを手掛かりにして、言語をめぐって従来看過されがちだった論点を指摘し、さらに、言葉を用いて生活する我々の社会にとって肝心となる、一個の倫理の存在を明らかにします。

本全体の流れとしては、まず中島敦の「文字禍」とホーフマンスタールの「チャンドス卿の手紙」という二篇の短編小説を主な題材にして、基本的な問いを浮かび上がらせます。それを踏まえて、ウィトゲンシュタインとカール・クラウスの言語論を辿ることで、本書の問いへの答えを探っていきます。

なお、本書は、これらどの作家・哲学者にも全く馴染みがない方でも読み進められるよう工夫していますので、予備知識は特に要りません。
現実離れした抽象的な話ではなく、いまこの時代と切り結ぶための具体的な思考のかたちを浮かび上がらせようと試みました。手に取っていただければ幸いです。

     * * *

《目次》

はじめに

凡例・略記表

第1章 ヴェールとしての言葉――言語不信の諸相

    第1節 中島敦「文字禍」とその周辺
    1-1 「文字禍」あらすじ
    1-2 現実を覆う言葉、世界との親密さの喪
    1-3 存在の不確かさ
    1-4 文字はどうすれば息づき始めるのか
    1-5 補足と前途瞥見

    第2節 ホーフマンスタール「チャンドス卿の手紙」とその周辺
         2-1 「チャンドス卿の手紙」あらすじ
    2-2 言語への絶望
    2-3 フランシス・ベーコンの言語不信との比較
    2-4 現実の不完全な代理・媒体としての言語観

    第3節 まとめと展望


第2章 多面体としての言葉――ウィトゲンシュタインの言語論を中心に

    第1節 使用・体験・理解
    1-1 言葉の理解は、言葉の使い方の理解に尽きるのか
    1-2 親しんでいることと、親しみを感じることの違い
    1-3 魂なき言語と魂ある言語
    1-4 理解の二面性
    1-5 まとめと展望

    第2節 言葉の立体的理解
    2-1 「ゲシュタルト構築」としてのアスペクト変化
    2-2 「見渡すこと」による言葉の習得
    2-3 多面体として言葉を体験することに重要性はあるか

    第3節 「アスペクト盲」の人は何を失うのか
    3-1 アスペクト盲の思考実験
    3-2 アスペクト変化の体験は瑣末なものか
    3-3 〈しっくりくる言葉を選び取る〉という実践
    3-4 言葉の場、家族的類似性
    3-5 多義的な言葉を理解していることの条件
    3-6 まとめと、第1節の問いへの回答、第4節への展望

    第4節 「言葉は生活の流れのなかではじめて意味をもつ」
    4-1 人工言語――連想を呼び起こさない言葉をめぐって
    4-2 生ける文化遺産としての〈魂ある言語〉――日本語の場合
    4-3 「『シューベルト』という名前はシューベルトにぴったり合っている」
    4-4 「意味」という言葉の故郷――アスペクトを渡ること
    4-5 まとめと、第3章の展望


第3章 かたち成すものとしての言葉――カール・クラウスの言語論が示すもの

    第1節 クラウスによる言語「批判」
    1-1 稀代の諷刺家・論争家クラウス
    1-2 言語不信から言語批判へ
    1-3 言語浄化主義の何が問題なのか
    1-4 形成と伝達――言葉の二つの側面
    1-5 言葉の創造的必然性
    1-6 まとめ

    第2節 言葉を選び取る責任
    2-1 「最も重要でありながら、最も軽んじられている責任」
    2-2 常套句に抗して――予言者クラウス
    2-3 「迷い」という道徳的贈り物
    2-4 諧謔と批判の精神
    2-5 〈言葉の実習〉の勧め

     * * *


【刊行物】『これからのウィトゲンシュタイン――刷新と応用のための14篇』(リベルタス出版)

2016/12/09 21:15 に Tetsuya FURUTA が投稿   [ 2016/12/14 16:21 に更新しました ]



海外ではいまもウィトゲンシュタインをめぐる議論が盛んであり、刺激的な展開を見せ続けていますが、その一方で、日本では彼の哲学はしだいに埃を被 りつつあると言えます。
それを一気に吹き払って新たな地平を切り拓くことを目的に、ここに14 篇の、すべて書き下ろしの論考が編まれました。

まず、日本の中堅・若手を代表するウィトゲンシュタイン研究者が結集し、海外の最新の研究動向も踏まえた新解釈を提示します。
そして、教育学、社会 学、計算言語学、法学の各分野をリードしつつ、ウィトゲンシュタインにも造詣の深い論者たちが、狭義の哲学分野の外部にもひろがる彼の思考の可能性を示します。

以上の構成を通じて本書は、英米系(分析系)と大陸系の枠を超えた哲学的見地から、そして、哲学研究の枠を超えたそれぞれの学術研究の見地から、 「21 世紀のいまわれわれがウィトゲンシュタインから何を学びうるのか」をあらためて問い直します。
ウィトゲンシュタインの遺産を、観賞用の作品ではなく、アクチュアルな哲学的思考 の主題として取り戻すために。

『これからのウィトゲンシュタイン――刷新と応用のための14篇』 

  荒畑靖宏・山田圭一・古田徹也 編著
  リベルタス出版

    目次

凡例
略記表

序論 (荒畑靖宏・山田圭一・古田徹也)

第1部 ウィトゲンシュタインを読みなおす

【前期・中期】

1 [吉田 寛] 「はしご」としての『論考』の読み方と哲学の可能性

2 [荒畑靖宏] 言語を、そして世界を取り戻すこと、治療すること――ひとりのウィトゲンシュタイン

3 [野村恭史] 実在と階層――『論理哲学論考』における「関数」のリダンダンシーについて

4 [林 大悟] 直接経験の記述による本質の把握――『哲学的考察』の現象学的言語

【後期・晩期】

5 [入江俊夫] 概念形成へのまなざし――ウィトゲンシュタインの言語観と数学の哲学

6 [菅崎香乃] 「心理学の哲学」最初期の思考――ウィトゲンシュタインの関心はどこにあったのか

7 [山田圭一] 与えられるものの原初性と多層性――アスペクト論と懐疑論はいかにしてつながっているのか


第2部 ウィトゲンシュタインをつなげる・ひろげる

【他の思想家とのつながり】

8 [古田徹也] 形態学としてのウィトゲンシュタイン哲学――ゲーテとの比較において

9 [大谷 弘] 倫理について哲学者が語りうること――ウィトゲンシュタイン、ロールズ、倫理的像

10 [水本正晴] ウィトゲンシュタインとゲーデル: 対話編

【哲学外へのひろがり】

11 [平田仁胤]  新しい世界に出会うための教育の技法――ウィトゲンシュタインの蝶番命題が示唆するもの

12 [西阪 仰]  身体の構造化と複合感覚的視覚――—相互行為分析と「見ること」の社会論理

13 [田中久美子] 機械は《言語ゲーム》をプレイできるか

14 [大屋雄裕]  言語のゲームとしての法――法学におけるウィトゲンシュタイン

文献表
出典索引
人名索引



本書は、全国の書店のほか、以下のページから購入できます。


【刊行物】ウィトゲンシュタイン著『ラスト・ライティングス』(講談社)

2016/05/16 2:26 に Tetsuya FURUTA が投稿   [ 2016/05/16 2:26 に更新しました ]


訳書『ラスト・ライティングス』(ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著、講談社)を上梓しました。

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この本は、ウィトゲンシュタインの晩年の遺稿 Last Writings on the Philosophy of Psychology の1、2巻を1冊にまとめて刊行するものです。
彼自身の手になる遺稿として主だったものの「本邦初訳」は、この本で区切りになると思います。(もっとも、ウィトゲンシュタインの未邦訳の遺稿としては、他に『ビッグ・タイプスクリプト』がありますが、これは原著で千頁を超えるものですので、全訳に手を出す人がいるかどうか・・・。あとは、『原論考』と、いくつかの講義録、書簡集が残るくらいでしょうか。)

『ラスト・ライティングス』前半は、彼の主著『哲学探究』第2部の最終草稿です。そして後半は、彼が文字通り最晩年に書きつけていたノートのうち、未公開だった最後の部分です。つまり、この本によって、ウィトゲンシュタインの後期の哲学の全貌が初めて明らかになると言えます。

このように、本書はウィトゲンシュタインを研究する上で不可欠の文献であり、既刊の彼の著作と密接な関係を結んでいますが、それだけではありません。単純に、一個の哲学書として極めて面白い本だと思います。この時期に彼の思考が最も熟成し、脂が乗り切っていたことがよく分かります。

ただ、初めてウィトゲンシュタインの著作を読む人には、やはりとっつきにくいところもあります。そのため、彼の哲学に関する予備知識がなくとも、また、彼のほかの著作や解説書を傍らに置かずとも、この本から読み始めることができるように、訳註と用語解説をできるだけ充実させました。

体裁についても、編集部に提案して、第1巻、第2巻、訳註、用語解説のタイトルページを黒地にしてもらいました。これで、それぞれの位置および範囲が、本の側面や天地を見ればすぐに分かります。読書中のストレスが少しでも減るように。

価格の方も、学術書の単行本としてはかなり低く抑えられました。512ページで税抜き2700円ですが、前述の通り、原著では2巻本のものを1冊にまとめていますので、1巻分あたり1350円という格好。もしも2冊に分けて出していたら、合わせて4-5千円にはなっていたと思います。

ともあれ、哲学の研究者や学生だけでなく、幅広い層の方に手にとって頂けるよう、丁寧につくりました。お好きなページから、ゆっくり読書を愉しんで頂けたらと思います。

【刊行物】「文化に入り行く哲学――デイヴィドソンの言語哲学の限界をめぐって」(『フィルカル』Vol.1 No.1)

2016/05/16 2:08 に Tetsuya FURUTA が投稿   [ 2016/05/16 2:10 に更新しました ]

「分析哲学と文化をつなぐ」をテーマに創刊された新雑誌『フィルカル』Vol.1 No.1に、論文「文化に入り行く哲学――デイヴィドソンの言語哲学の限界をめぐって」を寄稿しました。
徹底的に抽象的な次元に留まろうとするデイヴィドソンの議論の可能性と限界を探ることを通して、哲学の議論がどの辺りから個別の文化的背景に踏み込まねばならないのかを論じています。

『フィルカル』は、以下の出版社のページよりご購入できます。

また、5月16日現在、紀伊國屋書店新宿本店および新宿南店、荻窪の「Title」、恵比寿の「NADiff a/p/a/r/t」等の書店でもご購入できるようです。
最新情報については、『フィルカル』のTwitter公式アカウント@philcul_pubをご確認ください。

【刊行物】『経験論から言語哲学へ』(放送大学教育振興会)

2016/03/16 5:39 に Tetsuya FURUTA が投稿   [ 2016/03/16 5:46 に更新しました ]


勢力尚雅さんと、『経験論から言語哲学へ』(放送大学教育振興会)という本を書きました。もう発売されているようです。いわゆる「英米系」の近代以降の哲学の道行きをたどる入門書です。参考文献もいま入手しやすいものを挙げています。

この本の特色は、近代のイギリス経験論は「言語」にまつわる議論を重心に置き、逆に、現代の言語哲学(初期分析哲学)は「経験」との絡みを中心にして、全体を構成している点です。そして、両時代の結節点として、英米圏ではないドイツ語圏の「世紀末ウィーン」の諸相にかなり紙幅を割いています。
その点で、「英米系」という枠組みそのものを問い直す本でもあります。マッハも、フレーゲも、ウィトゲンシュタインも、最初の論理実証主義者たちも、みなドイツ語圏の人々でした。ほかには、20世紀後半のクワインやデイヴィドソンの議論にまで手を伸ばしているのも、類書にない特徴でしょうか。

また、この本は、この4月から開講される放送大学のラジオ科目「経験論から言語哲学へ」の印刷教材でもあります。日曜16:00-16:45に全国各地で放送されるほか、インターネット配信もされるそうです。ご興味に応じて聴取いただければ幸いです。

【刊行物】『科学技術の倫理学 II』(梓出版社)

2015/08/02 20:48 に Tetsuya FURUTA が投稿   [ 2015/08/12 2:09 に更新しました ]


私が執筆に参加した『科学技術の倫理学 II』(共著、勢力尚雅編、梓出版社)が、2015年3月に刊行されました。
 ・出版社のページはこちらから
 ・amazonでの購入はこちらから

細分化する専門知、分散する責任主体、過熱する責任追及・・・この科学技術化した社会にあって、科学や科学技術とは何であり、どうあるべきなのかについて、様々な角度から分析と提言を行っている本です。
科学や科学技術をめぐるコミュニケーションと倫理の適切なかたちを考える手掛かりとして、ご活用ください。

【刊行物】『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』(講談社学術文庫)

2015/08/02 20:40 に Tetsuya FURUTA が投稿   [ 2015/08/12 2:09 に更新しました ]


『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇: ケンブリッジ1939年』(大谷弘・古田徹也 訳、講談社学術文庫)が2015年1月に刊行されました。
 ・出版社のページはこちらから
 ・amazonでの購入はこちらから

本書は、現代を代表する哲学者の一人ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが行った講義の記録ですが、哲学の本として大変面白く、また、(ウィトゲンシュタインのものとしては)内容も分かりやすいと思います。 それから、この本の目玉のひとつは、著名な数学者アラン・チューリングが講義に参加していて、最も活発に発言していることです。哲学に関しては素人である チューリングのいわば「素朴」な発言と、それに対するウィトゲンシュタインの応答の数々は、読者にとって、「いま、何が問題になっているのか? ウィトゲンシュタインは何を言おうとしているのか?」ということを理解するうえで、大きな助けになると思います。
そして、何よりも、ウィトゲンシュタインの議論になかなか同意しない(ときに全く同意しない)チューリングという人物の存在は、場全体に緊張感ないし「ハ リ」をもたらしていて、当時ケンブリッジ大学の一室で行われていたこの講義をあたかも追体験しているような臨場感を味わうことができると思います。ぜひ手にとってみてください。

ウェブサイトの新設

2015/08/02 17:49 に Tetsuya FURUTA が投稿   [ 2015/08/13 18:10 に更新しました ]

この度、研究・教育にかかわる情報を発信する個人ウェブサイトを開設しました。
(これに伴い、仕様が老朽化していた旧サイト (quus.jp) は閉鎖しました。)

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