パワーユニットの歴史

1986年にパラグライダーをはじめて見た。場所は千葉県の房総半島にある砂山ではじめて触ったそれは本当に飛べるかどうか確信できなかった。

時が流れパラグライダーの翼形が変化し地上からの発進に期待が高まった。

1989年:重量30kg程度のパワーユニットがヨーロッパで開発され、日本へはフランスの3R社のエンジンを搭載した”プロパルサー”が紹介された。

1990年:私もそのフライトを体験するために長野県の信濃平でプロパルサーの1日体験をした。

1991年:樫山工業㈱より小型軽量のユニット:スカイエースが開発された。草刈機のエンジンを搭載し、エンジン始動が悪かった記憶がある。

静止推力は25kg程度だと記憶している。

1992年:スカイエースを購入しアプコ社のタンデム用パラグライダー:ハイライト2で地上発進のタンデムフライトが可能か否かテストをしてみたが無謀だった。

推力はあまりにも不足していた。

時を同じくして3R社のエンジンを搭載した国産パワーユニット・”空太”がスタイリッシュな外観のFRP製コンポジットを伴って発売された。

デザイナーは盟友・栗原氏であった。

1992年:カラオケのリーダーカンパニー ㈱第一興商から小型でパワーもあるパワーユニットDK-Beetが発売された。水平対応2気筒の専用エンジンを搭載していた。

1993年:私自身が㈱第一興商へ所属することになり西日本地区のセールスとして販売に携わった。軽量でエンジンの始動性が抜群で、ひと月に一度ペースで毎月デモフライトの依頼をこなすこほどの話題性だった。

DK-Beetの対抗馬としてフランスのADVENTURE社からFシリーズ・パワーユニットが発売されていた。

この当時からドイツ製の”SOLO-210”エンジンを搭載したユニットを多く見かけるようになった。

1994年:国産のパワーユニットは他社でも開発されたが資本力でDK-Beetは優位に立っていた。セルスタートモデルが追加販売されラインナップを充実

1995年:各地での騒音問題を背景としてDK-Whisperが完成した。デザイナーは工業デザイナーであった栗原氏

それまでダイレクトドライブであったDK-Beetのエンジンをそのまま使用し、リダクションを取り付けてプロペラ径は大型化し、重量も増したが 低騒音と静止推力40kgという力強さを得た。DK-WhisperはFreeXのタンデム用パラグライダー Flantec Twinとのセットでタンデムに成功した。

データはパイロット65kg パッセンジャー40kg 風速4m/秒程度のアゲンスト。

風の条件としてはシーブリーズが有利であるためビーチなど海に面したエリアが好ましいが 内陸部でもタンデムフライトは可能だった。

1996年:プロペラ径をさらに大きくし、それまでのメトン樹脂で作られたプロペラ素材をカーボンに変更したWhisper Plus(ウィスパー・プラス)はセルモーターを装備してDK-Whisper以上のパワフルさを発揮した。

1997年:DKブランドは海外進出を果たし、アメリカや中東への輸出もされた。

DK-Beet以来使用されてきたT-250型エンジンは当初ダイレクトドライブを想定していたためリダクションを取り付けた仕様には限界が見られ、Whisper Plusの外観、プロペラに加えて単気筒型200ccエンジンを搭載した”Whisper-GT”が発売された。

2000年:㈱第一興商の業界撤退を機に多くのパワーユニット(パラモーター)輸入業者が派生した。

(有)エリアジャパンもそれまでのパラグライダーの輸入に加えてスペインのAIRFER社の取り扱いを開始した。

当時の主だったエンジンは80ccエンジンの先駆け”VITORAZZI” そして”TOP80” ”SOLO210” 当時から群を抜いたハイパワーモデルの”Cors Air”

この時代から小排気量 軽量 大径プロペラ をそろえたパワーユニットが目立ち始めた。

ニーズは換装重量20kgという軽量化を選んだ。