第三期

苦しみ抜き、ついに卒業が決まった三年生後期のお話。

今回はホームページの日記という強い味方があり、

これまでと比べて記憶が若干強めに残っています。

日記があるからこそ逆に、日記と同じにならぬように

注意しつつ…ゴールである卒業までの長い長いお話です。

こんなはずでは

秋休みも順調に終わ…りそうだったんですがねぇ、秋休み最終日、

「体調が悪くて受験勉強ができない自分」に苛立って、 なんでできないんだ~って、逆ギレのような感じで勉強を始めたんです。

始めたものの…範囲は、丁度学校を休み始めた頃の内容、全然分からんところでした。

始めて20分くらいだったかな、身体全体がだんだんに重たくなり、 頭痛と共に視界や頭がボーっとしてくるといった症状が出てきました。

それでも無理矢理でしたね、勉強を続けたところ、イライラして目が回って、 何も考えられなくなっていきました。

うまく言い表せるものではないのですが、 今自分が何をしている~という意識がだんだんぼやけていき、 混乱し、わけが分からなくなっていきました。

しばらくして、やや我に返った後、メールにてカウンセラ先生に報告。

「もう一度、卒業することだけを第一にしたらどうかなぁ。」

そう返答がありました。そのときは、とても自分が情けなく感じました。 暗~い気持ちで秋休みを終え、後期を迎えることになりました。

秋休み最終日の事件もあり、後期はスタートからボロボロ。

さらに悪いことに、二学年の修学旅行保健室の先生が付いていくことになったようで…旅行期間の 一週間、保健室の使用ができませぬ。

条件も体調も最悪と言っていいほどの状態。幸先が悪いとはまさにこのこと。

10月の一週目がこんな状態、二週目になり保健室の使用ができるようになっても 崩れたバランスはそう簡単には元に戻らず…。

休めば当然欠課数も増えていきます。この頃に、物理の欠課数が年間での 赤点ライン上にまで達してしまい休めない状況に。

とても苦しい状況でした、学校に行けても物理だけしか出られない~ って日もあったような無かったような。

現実逃避と言うのか、自分の状態をようやく認めてきたと言うのか、 ここのホームページの、そして不登校体験記の作成を始めたのはこの頃でしたね。

自宅にいる時間のほとんどは、ホームページの作成に費やしていました。 特に力を入れていたのは、この体験記。

『第一期』と『第二期』の8割近くを、 一週間かからずに書き上げました。

ちなみにこのホームページ、全くお金をかけていません。ファイル置き場となる サーバースペースにも、html文書作成にも。ノーマネーっす。

2012年にGoogleサイトに移転しましたが、そのスタンスは変わらず。相変わらずお金はかけていません。

html文書作成って、普通はホームページビルダーだとか、そういう市販ソフトを 使って作成するのが一般的だとは思うのですが…

html言語のお勉強も兼ね、 無償のタグ入力ソフトを使って、気長にのんびりと作りました。 おかげでなかなかの知識が身に付きましたよ、ええ(笑)

体験記を書くことによって、自分の身の回りに起こってきたこと、そして 自分の考えていることを、少しは整理できたと思います。

一方で、欠課数がどんどん増えているというのは事実なのですが…。

欠課数オーバー

さてさて、物理がライン上です。オーバーさせるわけにはいかないですから、 物理の授業を最優先に受けていたんです、他の教科は休みがちでした。

そんな状態が一週間近く続くと、他の教科も休めなくなります。 現代文がライン上に、数学英語も残り数回でオーバーという状況にまでなってしまいました。

毎日がいっぱいいっぱい。そんなところで、こんなところとの出逢いが。

カウンセラ先生の患者さんと家族の方々の集まりに参加しました。11月3日のことでした。

あたしと同じような心を持つ人々と接することができる場…ここは後々 自分にとって、とても大きな支えとなってくれる場でした。

とは言え、身体がきついのは相変わらずのこと。

11月の二週目だったと思います、ついに学校を休んでしまい、 物理の欠課数がオーバー。

これにより、張り詰めていたものが全て、 一撃で崩れたかのようでした。

気持ちは落ち込み、体調はぼろぼろに、 二週間近く、物理を含め殆どの授業が受けることができませんでした。

…ということは、全教科の欠課数も増え、物理に続いて現代文、数学と、 欠課数が規定数を越えてしまう科目が多くなっていきました。

担任の先生の話では、補講を受けさせることはできるだろう、とのこと。

かと言っても、一日休めば必要補講日数が増えていき、 結局のところ、学校を休めないって状況には変わりないんですよね。

一日休めば一日補講日数が増え、後々自分の首を絞めることになります。 それが余計に重荷になったのか、さらに身体は動かなくなります…。

高校三年生のこの時期です、センター試験まであと何十日って、 カウントダウン始めているような、そういう状態。

下手に周りの人間に話しかけても邪魔してしまうかな~などと、 色々と気を遣ってしまうこともあり、やはり教室にも いやすいとは思えない。余計に動きづらい。

気持ちが沈んだときにヘルプを出したくても出せない。

みんな勉強しているんだろうな~と、邪魔になるんだろうな~と、 それで相手がイライラしていたら、こっちが余計に調子悪くなりかねないよな~と。。

11月が終わるころでした。この頃、カウンセリング予約が、 偶然に連続で取れて、回数を増やしてもらえました。

普段二週おきだったものが、この時は三週連続。 毎回「あと残り2ヶ月ないよ、よくここまでこられたねぇ」って、 簡単な言葉なのに、すごく楽になれたのを記憶しています。

中間テスト

さて、二期制の日程は、後期の中間試験は12月頭に実施されます。 実はこのテスト、三年生にとっては超重要なんです。

2月の二週目から、受験等のため、三学年全員が自由登校になります。

で、後期の期末テストは2月の終わり…しっかり自由登校期間なんですよね。

登校が自由ですから、基本的には期末テストも免除です。基本的には。

どういう場合にこのテストを受ける必要があるのか。…テストをなんのためにやるかって、

どれだけ学習内容が身に付いているか、最終的には評価点をどの段階にするか、単位を 認められるか、と言ったことに大きく関わってきます。

つまりこの期末テストは、単位を認められるだけの基準点に達していない生徒が受けることになる、 事実上の単位認定試験なんです。

12月の時点で欠課数が規定を越え、2月には補講で大忙しの予定であるワタクシ(苦笑)、

そんなくそつらい状況の真っ只中で、補講と並行して 単位認定試験までやってられる余裕があるとは絶対に思えません。

ってことで、12月の中間試験、前期の試験が散々な結果だったため、 卒業するためには絶対にいい点を取っておきたいテストなわけです。

…苦笑いしかできないっての。受験勉強もまともにできないのに。。。

とりあえず何が何でも受けねばならない、且つある程度の点を取っておかねば ならない。

…まずいって、まずいってこの状況。だって、学校に行く~すら 微妙ジャン今。

ちなみに、テストを休むとさらに厳しくなります。 再試験を受けさせてもらうことはできますが、

再試験の場合はペナルティとして、取った点数が 三割引になります。

仮に100点を取っても70点としてカウントされます。

さらに、その再試験を受けている時間も、教室では授業は行われていますから、欠課数は増えていく。

…多分絶対に休めませんね(苦笑)

…とまあ、状況説明が終わったところで、どうなりましたかと言いますと…遅刻しながらですが、全教科無事にテストを受けられました。

で、肝心の試験内容ですが、全問題マーク式だとか、 マーク式ではないにしろ全問題を記号で答えさせる試験だとかで、 とっても受験生仕様な問題でした(笑)

私立大学を受験予定で、 国語や社会科の勉強はしていない、受験体制なので無駄な時間を使いたくない~ って人もいると思いますしね、

その辺りのことを考慮しての内容だったのでしょう。 違う意味で勉強できないあたしにとっても、かなり助かりました~。

お陰で、採点終了後に担当の先生方と確認を取ったところ、 成績については単位を認められる点数を満たしているとのこと。

残る問題は欠課数のみ!…これが一番厄介なんですがね。。。

五日間の補講

さて、テスト疲れだか何なんだか、試験終了後学校はかなり休みがち。

遅刻で学校に行っても途中でダウンして保健室~ってのも少なくはなく。

三者面談期間のため授業は半日~という週でさえ、ほとんど登校できない…。

家にいても楽なわけではないのが正直なところ。 どこにいても疲れはたまるばかり。

学校に行けない日が続き、そのことについて親から文句を言われ続け、 自分の価値って、

親にとっての自分ってなんなんだろうって、そう感じました。 学校に行きさえすれば何も言われない。

学校に行けない自分は、親にとってストレスの原因でしかない。 自分存在価値無いな~って、イライラぐるぐるしていました。

眠っても30分くらいで目が覚めてしまい、殆ど眠れなかった日もありました。

もういやだ~ってそう思いながら登校する。 もちろん出席率も低く、欠課数は重なっていくばかり。

ずるずると日数だけが過ぎていってしまい、不安を残しまくりつつ 12月の登校期間も終了し、冬休みに入ってしまいました。

そしてこの冬休みも、大きな山であることは相変わらず。

11月に欠課時数が規定数をオーバーして、今のままでは単位が認められない。

つまり卒業するためには、二年時の3月終わりの時と同じように、 欠課時数に相当する時間分の補充が必要です。

冬休みに入った時点で既に、かなりの時間数がオーバーしておりました。 2月の自由登校期間から補講開始~なんてことを言っていたら、

卒業に間に合わないという可能性があることも否定できません。 なので、補講が可能な冬休みに、進められるだけ進めておこうというそういう作戦です。

さて、補講の日程は、通常の登校と同じように組まれます。 冬休みですが、休みであることを考えずに平日は登校、休日と年末年始はお休み。

つまり、12月の24日に学校の通常登校期間が終わり、25日26日に補講として登校。 以降は土日と年末年始のため補講は無し。

そして1月の5日6日7日にまた補講。 計五日間を、補講として冬休み中に登校することになります。

ちなみにその次の日8日は、学校開始のため通常授業日として普通に登校。

冬休みに入った時点で、自分の数えてきたものによると、68時間分の補講が必要でした。

ええと、欠課時数が合計で、規定を68時間越えていたってことになります(苦笑)

これをすべて終わらせるって、かなりきついようですが…68時間「分」ってところがミソ。 つまりは、時間数に相当するだけの課題をこなせばいいわけです。

例えば、プリント1枚を終わらせると1時間分としてカウントだとか、2時間分として~だとか、 そういう方法を取っていたので、

実際には68時間つまり4080分間みっちりお勉強~ってわけではないのです。 時間分の課題を期間中にこなせばそれでいいわけですな。

12月の補講は、まあいつものことながら、車の中で色々と文句を言われつつ登校。

1月はそれに耐え切れなくなって自力で、自転車+電車で行っていたような記憶があります。

それでも後半、体調に限界を感じて送ってもらい、車の中で無神経なことを言われて 余計に体調が悪くなっていたような。

ただ、「送ってもらっている」という立場上、 こちらから文句を言えるわけでもなく…。

と、なんやかんやと言いつつ、無事に補講期間は終了しましたとさ。

68時間あったものが、5日間で残り9時間まで減らせました!

朝身体がよく動かないのは相変わらずなので、遅刻はたくさんしましたがね…(苦笑)

センター試験

さてさて、1月の補講、5日6日7日と、3日間無事に、休まず登校しました。

勢いがついたのか、冬休み明けの8日(木)9日(金)と普通に登校することに成功。

一週間の間、補講もありましたが、全ての授業を休まずに学校に行けたのは ホントに久しぶりでした。ちょっと、いやかなり嬉しかったです(笑)

ただし、この時期あたしは、これまでにないくらいの大問題を抱えていました。

センター試験です。年末から…いや、10月辺りからすでに、 センター試験を受けるのか受けないのかでとても悩んでいました。

まともに受験勉強ができていないので、受けるとしたら 来年の受験のために「様子を見に」試験会場に 行くことになっていたでしょう。

仮に受けるとして、気持ちを「様子見の受験」に 割り切ったとしても、試験は試験ですから、必ず点数を気にすると思いますし…。

そして、センターを受けることのなにがきついって、試験の二日間、見知らぬ人が大量にいる中で、 まともに勉強をしていないのに、とても大切な試験を受ける。

そしてその試験翌日は 自己採点をして業者に成績を提出するために、遅刻早退を絶対しないように と言われている中で学校に行かねばならない。

3日間続けて、絶対に休めない日が続くことになります。 体力的に、そして特に精神的に大きなプレッシャーがかかります。

その3日間で無理をして、次の日からボロボロ~なんて言ったら洒落になりませんし。。

家の人間に相談すると「受けた方がいい」としか言われない。

そんなこと分かってるっての、 受けられる状態じゃないから困ってるんだって…そのくらい 考えてもらいたかった。

世間での一般的な常識が通用しない状態だってことを。

確かそのころから、家の人間との接触を減らしていきました。接触が無いようにした、 と言っていいでしょう。

こちらのことはまともに考えてもらえている気がしない、 今のこちらの状態を考えずに一般的な常識論をぶつけられる。

そのぶつけられる場が、 居間であったり、送迎の車の中であったり。

交通手段も、車での送迎は絶対にイヤでした。車の中でなにか言われるくらいなら、 満員電車の人ごみに耐えているほうがまだいい。

ホントは電車に乗れるような 状態でもないんですがね。できることならば電車も避けたい。

満員と言うほどでもない乗客数でも、5分ほど乗っていれば気分が悪くなり、 気持ちはどんどん沈んでいく。

登校時もかなり混んでいます。 学校にたどり着いた頃には、口を開く気力もないくらいの落ち込み様。

結局、センター試験は両日とも、受けることができませんでした。

それを引きずったか、その週も出席率は低く…。

唯一のと言ってもいいくらいの救いが、フリースペースの存在。 家にいたくない、放課後学校に残っているのも、どこか本屋などでぶらぶらしている こともできない。

学校はまあ当然と言えば当然ですね。 ぶらぶら~っとしているのも、下手に動くと人ごみに紛れ込むことになるので、 それだけで調子を崩しかねません。

行く宛て、居場所がない状態である我々の、新しい居場所。 それだけが全てではありませんが、本当にフリースペースができてよかった…。

支えにも、励みにもなってくれました。もしここが無かったとしたら…この先 どうなっていたか分かりません。

最悪の場合、この時期まで来て潰れちゃって、 卒業できずに学校を中退していた、かもしれません。

最後の補講、そして…

学校だけに限らず全てがイヤになる、投げ出したくなる。

これだけ苦しんでいると、そういうことが多々あります。波はありますがね。

なるようになれ、なんとかなれ~と思える時。全てが本当にイヤになって、 消えてしまいたいと思う時。

後者が2月の頭、三年生の登校期間が残り数日という時期まで来て、とても強くなりました。

なにがなんだかよく分からないけど、とりあえず消え去りたいって、 学校も進学も卒業も全て投げ出したい、もうどうでもいい、って。

学校に行っても、自分の頭の中で卒業とどうでもいい~がぐるぐるして、調子はより悪化、出席率も低下、身体はこの上なくだるい。

最後の最後まで満足に学校に行くことはできないまま、 三年生の普通登校期間は終了し、自由登校期間に突入しました。

あたしにとっては、卒業への最後のハードルであり望みであり、 そして最後の巨大な山である期間です。

計算によると、全教科で約40時間分の補講課題を終わらせれば卒業は内定。

一歩だけ、もう一歩だけ踏ん張れれば、昨年度の10月からずっと、 一年半目標にしてきた「卒業」というものが手に届く時期。

しかし、卒業もなにもかもどうなってもいい、 この世界から消えて無くなりたいって、そういう気持ちが とても強くなった時期でもありました。

恐らくこの、自由登校期間に入りそして補講課題をこなしていったというこの三週間程度の期間が、

思うように学校に行けなくなってからの一年半の中で 一番つらかったように思います。

心の底からどうでもいいと感じた、 精神的な面でのぐらつきが最も大きかった時期でした。

2月は五日間補講を受けたのですが、そのうち中の三日間は散々な内容でした。

なにがどうなってもどうでもいい、とにかく楽になりたい~と、もがき苦しんでいました。 課題をまともにこなせず、残り時数も全然減りませんでした。

ようやく火がついたと言うか、ふっきれたと言うか…まともな ペースで課題をこなせるようになったのは、 補講四日目の午後あたりからだったと思います。

ただしそのとき、課題を進める場所を、あたしの希望により 指定の教室から移動させてもらいました。

「相談室」という部屋が 指定されていたのですが、課題をこなす生徒が自分の他に二人いたんです。

こちらはただ人と同じ空間にいるだけで調子を悪くするような状態だったので、 とてもとても、課題を進められる環境ではなかったわけです。

学校側も、ここまできたら卒業させてやりたいって思ってくれていたのか、 だいぶ融通をきかせてくれました、ありがたかった~。

なんとか山済みの補講を終了させられたのが、2004年2月19日のこと。

翌日20日、先生方の中で卒業認定会議がありました。 会議の内容がどのようなものだったのかは全く分かりませんが…

無事に卒業許可が下りました。

本当に多くの人々に協力してもらえて、この結果を受け取ることができました。

二年時の担任の先生、三年時の担任の先生、部活顧問の先生、保健室の先生、 話ができた仲間、そしてカウンセラ先生フリースペースのみんな。

この結果と今の自分があるのは、みなさんのお陰、本当にそう思います。

照れ臭いけど、心からの言葉です。ありがとうございました。

そして、最後の最後まで本当に、ご迷惑ご心配おかけしました。

これにて、凪カルビの不登校体験記は終了です。

例の如くやはり長々とお読みくださり、ご苦労様でございました。

後書きを読みますか?