不登校になり始めた「二年時の10月~進級」までのお話です。
思い出して書いてるのですがなにしろ一年以上前のことなので…
なかなか記憶があやふやだったりします、あしからず(^^;)
過去の事実と若干違ったことを書いているかもしれませぬ。
でもでも、大体実体験です!事の流れを読み取ってくださいな(滝汗)
学校が嫌になった
2002年10月、秋休みが明けて 後期の初日、電車に乗り遅れ学校を遅刻いたしました。
秋休みボケ(?)で体調が悪かったのもあり、学校に着いてから 過呼吸を起こしました。金曜日のことでした。
学校着いた直後から過呼吸です。ホームルーム後には後期の始業式があります。
本来なら吹奏楽部は校歌を演奏します…が、楽器を吹ける呼吸の状態ではないので、 始業式中ずっと音楽室で休んでいることに…。
もう音楽室でボロボロ泣きました、なんでこんなんなんだろう、 こんな自分いやだ、もういやだ…って。
ちなみにその後はしばらく保健室で休憩。
不登校のきっかけはこれだったのかもしれません…。
「かも」って、 明確には「これだ!」ってきっかけが分からないのです、本当に(^^;)
ただしあくまでもきっかけであり、改めて考えてみれば
これが原因ではないことは確かで、原因と思われるものは別のことでした。
さて、この日は金曜日です。完全週休二日制のため、次の土日は連休です。
連休ってことは、二日間学校に行かないんです。 過呼吸で苦しんだことを引きずりながら休日を過ごすんです。
結果、連休明けの月曜日、なんだか気分がとっても重かったです。
確かその日は学校を休みました。その次の日もだったかな。
さてさて次の日。このところしばらく学校に行っていません、
気分が重くて休んだ月曜日に比べ さらに気分が重くなっているではありませんか。。。
親父に怒鳴られなんとか学校に行ったものの…
自転車をこいでいると心臓がバクバク。
校舎に入って、二階の教室に通じる 階段を見ると、身体が妙に重くなり、一歩も動けなくなりました。
全身になにか 重たい服を着せられたかのような(?)そんな感じがしました。
一段すら階段が上れず、その日は保健室へ向かいました。
次の日からも登校したら毎日これです。
教室にいけません、気持ちがどんどん落ち込んでいきます。 さらに学校に来るのが嫌になります。
…ということで、休み休みに保健室登校、という生活が始まりました。
休み休みの登校
さてさて、保健室登校という形になったものの…つらいつらい(汗)
なにがつらいって、まず朝。起き上がれません。
別に怠けてるーとか 金縛りだーとか、そういうわけじゃないんです。
ドラ○ンボールの 重力何倍の部屋ーみたいな雰囲気です。
身体が重くてだるくて本当に動けません。 布団の中で動けなくて沈んでいると、親父や母親が部屋まで攻め込んできます。
二人とも心配はしてくれています。でも正直…その「心配」が自分にとっては 「プレッシャー」になります。
つまり、余計動けなくなるってことですね。 ハッキリ言ってしまえば、「行け」と言われると余計動けなくなります。
勉強したくもないのに「勉強しろ」と言われたら…ってのと同じ感じかな。
行ける日はなに言われたってなにも言われなくたって 自分から動いて自力で行けるんです。
まぁ、遅刻して午後からーとか、そんな感じですがね。 逆に、行けない日はどうやったって全くダメです。
そして登下校、これもつらい。しんどいしんどい。
両親に送り迎えなんぞしてもらったとしても 帰りがとっても面倒くさい。共働きだからどちらかの 仕事の合間にしか迎えに来てもらえないので(^^;)
とっとと帰れないのは結構痛い、できるならこんなところ(学校)一刻も早く去りたいーって、そういう状態ですから。
ってことで仕方ない、登下校は自力です。
さてさて、登下校ってことで、当時の通学方法を説明しましょう。
家から自転車→自宅最寄の駅→電車→学校近隣の駅から自転車→学校
…です!なんだかなんというか、いたって普通でございます。
さて、登校時の問題は二つです。一つは自転車、もう一つは電車です。
う~ん移動手段を全て否定しちゃってるような気がしますが。
自転車がなぜきついか、これは大方予想できるのではないでしょうか。
布団から起き上がるのですらきついんです。自転車なんかもっときついですよ(苦笑)
しかも学校が近づくにつれて大きくなるあの嫌~な空気…そうですね、
「すごく仲のいい友人と喧嘩した直後なのに重要な用事があって その友人のところにしぶしぶ行く破目になった」
な~んて 重苦しい空気や気まずさを想像してもらえれば結構です(多分)。
その重苦しさのおかげで重くだるい身体がさらに重くなります。
そして電車、なにが嫌って、人がいるんです。当たり前のことですがね。
以前からあたしは人ごみが嫌いで、あまり外出は好きではありませんでした。
電車に乗るのは十数分間ですが、その間周りの人になにを思われているんだろう…な~んて 思っちゃったりします。
大抵の人はなにも思わないでしょうけどね、 見知らぬ人間のことなんか考えてもな~んにも得なことありませんし。
それを分かっていても人の視線が気になり、電車の中でだんだん落ち込んでいくのです。 これ、結構厄介だったりします(苦笑)
さて、つらいことさらにもう一つ、学校に着いてからです。
休んでいて気まずいのもあり、とにかく人と会いたくない。
特に 理数科の人間。 学年全8クラス中、理数科は2クラスです。だからほとんど顔馴染み(笑)
学校に行ってないとなに思われるか分かったもんじゃない…下手に心配 されても正直つらいだけですし。とにかく気まずい気まずい。
そして担任に会うのもとっても申し訳ない気持ちでいっぱい…根は優しい、 素敵な先生でしたが、
彼は言葉や態度で気持ちを表現するのが 照れくさいんだかなんだか、どうやらお下手なようで…
若干 言葉がきつめ、態度が強めになってしまうようです(苦笑)当時 はちょっと恐かったです(^^;)
そんな感じで、学校に行ってもとっても居心地が悪かったです。
身体は重くなるばかり。じゃあどうしていたかって…
日々、保健室で寝てました(苦笑)
保健室のベッドの周りにはカーテンがあります、 外から見たら誰が寝てるかなんて分からない♪
ということで、ベッドと授業中で誰も人の来ない保健室は居やすかったですね(笑)
もっとも、まだマシ、ってところですが。。
ちょっとだけ復活
突然ですが、あたしの母校は、修学旅行に行くのは二年生なんです。
修学旅行の期間は11月半ば…すげぇピンチでした(笑)
「不登校で修学旅行行かなかったー」なんて思い出を残して これからの人生歩むのもちょっと空しいなーと思い、 旅行前の復活を目指しました。
苦しんでるうちに班のメンバーやら目的地やら部屋割りやら 大体決まっていました…
まぁメンバーと部屋は大方希望通り、 目的地は特に希望も無かったので問題無しでしたが(^^;)
だってだって、班別行動の主な範囲は京都周辺、中学の時と場所同じ。 行っても見るものがない(爆)
班員に気を遣ってもらって、班別行動の移動手段を決めるのは一緒にできました。
担任の先生に「保健室で一緒に決めたい」と許可を得てくれたんだかなんだか… わざわざ保健室まで来て一緒に決めてくれました。ありがたかった~。
んで、何度か保健室に顔出してもらっているうちに、 今度は教室に用ができてしまい…付いて行くことになりました(笑)
保健室登校でだんだんに学校の空気に慣れて行ったからなのでしょうか、
今なら付いていってもなんとかなるかも、ってちょっとだけそう思えたんでしょうね。
手を引かれ階段を上り廊下を歩き…終いには物理的に背中を押されて教室に入ることができましたとさ。
それが修学旅行何日か前のことだったと思います、体験記書いてる今からもう一年近く前のこと なんで、実は結構あやふやだったりします(汗)
も~すんごい恐かったですよ(笑)教室近づくにつれて 心臓はバクバク言うわ足は震えるわでパニック。
付いてこなければよかった~って思いました(^^;) 入ってしまえばあとは勢いです。
ある程度空気に慣れて落ち着くまでしばらく教室の端にちょこんと座っていましたが(笑)
さて、その次の日からのことですが、普通に教室に行って授業も受けられました(汗)
どうやらあたしは一度行くことができればその先もなんとかなるみたいです。
修学旅行の日まで、たまに保健室には通ったものの、教室で授業を受ける ことはなんとかできました。
ってことで、無事に修学旅行行ってこられました~♪
感想…楽しかったです!お約束の旅館が特に(笑)
そりゃあまぁ、体調が完全によくなっていたわけではないので滅茶苦茶疲れましたけどね。でもホント、行ってこられてよかったよおおお(汗)
んで、旅行から帰って来てからも無事教室に行けて、 今までできなかった、ずっと求めていた「普通の生活」ができるようになりましたとさ。
ひとまず、めでたしめでたし。
長い長い不調
さて、旅行から帰ってきて二週間くらいでしょうか、 だんだん身体がついてこなくなりました。
具体的に言いますと、すんげ~身体が重いです。 学校に行けてなかった時の状態に近いです。 結構無理しつつ休み休み学校に通い、冬休み。
冬休みは普通に生活できました。 学校がないだけでこんなに楽なんだな~って思いました(笑) 予想以上に楽に過ごせました。
しかし、休み最終日あたりから、10月の時よりもひどい 身体の重苦しさ、だるさに襲われました。 結局、冬休み明けからまた、保健室登校の始まりです。
保健室登校って言っても…週に三日学校に行ければまだマシ、 ひどい時は週一日しか学校に行けませんでした。
学校に行かない日はなにをしていたかと言いますと…
午前中は身体が本気で動きません。朝、目は覚めるものの起き上がれず…
その状態で苦しんでいると親父が部屋まで攻め込んできて怒鳴られる。 いつも言われることは決まっています。
「そうやって寝ていてなにが変わるんだ」
「そのまま学校休んだって余計自分を苦しめるだけだろう」
…これを読んでいるあなたはこの言葉についてどう思うでしょうか、 少し考えてみてくださいませ。
この言葉を動くことのできない人間に対して向けたら、どんな効果があるのか。 こう言われた人間はどう思うのか。
あたしは…正しいことを言われていると思います、一般的に考えたら、ですが。
…が、反論はしますよ、この場では。なに言われたって言われなくたって、 真剣に動くことができない。動ければ学校に行ってると言いたい。
でもそんな気力も無く、がんがん世間一般での正論を叩きつけられ どんどん落ち込んで行き余計動けなくなる。
そのまま朝食は取れず、昼ごろまで布団の上で苦しむ。 それがいつものパターンです。
そのあとどうなるか。基本的に動けない原因は「学校に行きたくないこと」です。
学校に行くのには40分ほどかかります。 お昼の時間帯を過ぎたあたりは、これから動き出しても学校着いてすぐ終わり、 という頃です。
こうなるとだんだん動けるんです(笑) まぁ、身体は重いですがね。それでも朝よりは全然マシです。
のそのそっと起きて行って、母親が作ってくれた弁当を 申し訳ない思いで食べられるだけ食べて、また部屋に戻る。
そのまま居間にいたら祖父母がお茶を飲みに現れます。 「なんだ、今日は行かなかったんか」と、こう言われます。
やっとこさ動けるようになったのにそんなこと言われて また動けなくなったら堪りませぬ、そうならぬようさっさと逃げます。
で、部屋でなにをするかって…調子が悪ければまた横になります。 寝てるだけでもすでにつらいですから、座っていることですらできませぬ。
調子がいいときはPCに逃げます。ネットしたり、作曲したり。 ちなみにこのときにできた曲が 『kodoku』 です。
自分のことを本当に分かってくれる人がいない、そんな気持ちだったかな…。
夜はまた親父から説教喰らうし、それを兄がかばってくれることもありました。
申し訳なくてその場に居られなかったですね…本当に毎日がつらかったです。
「消えたい」ってよく思いましたよ、ええ。 今の自分にはなんにも価値がない、生きていてなんの意味があるんだって。
でもまぁ、自分には死ぬことができるほどの勇気ありません、臆病者ですよ(苦笑)
そんな苦しみの最中、担任の先生がカウンセリングを受けることを勧めるようになりました。 2月入った頃のことだったかなぁ…。
カウンセラーとの出会い
「カウンセリング」って言葉とその内容、どんなイメージをお持ちですか?
正直あたしは、あんまりいいイメージを持っていませんでした。 具体的に言い表すことはできないのですが…なにか偏見のようなものを もっていたんだと思います。
なんだか行くことが恐かったですね。 知らない人と会うこともあまり好きではないですし。
担任の先生に勧められ、母親がカウンセラーの先生と直接電話連絡を取ったところ、
とても感じのいい方だった、と言うことで、カウンセリングを 受けることを決意しました。
気持ちが固まるまで 結構時間かかりましたけどね、これが2月の半ばごろだったと思います。
さて、2月の終わり(だったかな)、初めてのカウンセリングに行ってきました。
とある病院の3階のカウンセリングに使う部屋に入るのにとても緊張しました。
初回はもちろんまずは自分の現状を伝えます。しかし初めのうちは緊張してあまり話せませんでした(^^;)
でもでも、とっても素敵な先生でした。 話しているうちに空気や先生にも慣れ、だんだんと緊張もほぐれていきました♪
さて、カウンセリングの感想ですが…行ってよかったです、本当に。
もっと早く来てればよかった~と、そう思いました。 この先自分はどうなるんだろうって、お先真っ暗だったのに ちょっとだけ光が見えたような、そんな感じです。
話を聞くと、先生もかつて不登校になったことがあったようです。
だから余計に、今不登校になっている人の気持ちが分かるみたいです。 そして、学校に行かないことは全然悪いことではないって言われました。
嬉しかったです、「行かない」のではなく「行くことができない」自分を認めてもらえました。
他にも、こんなことを言われました。
「あなたがもし骨折して、包帯ぐるぐる巻きになってたらみんなは 大変だね、頑張ってね、ってそう言ってくれるだろうけど…目で見てすぐ分かるからね。
でも今あなたは心が骨折している状態なの。これって目で見えないからね、 なんで来ないんだろうって、そう思われてしまう。
ちょっと悲しいけど、世間は心の病にはまだ厳しいの。 でもそれで自分を失うことはないよ。」
表現に多少の違いはあるものの、このようなことを言ってもらいました。 とっても、と~っても、楽になりました。さすがです。
そして目標を確認しました。不登校になっているものの、 留年や中退は絶対にしたくない、そう思っていました。
まずは「進級すること」…これです。 かといってすぐに教室に行くなんて簡単にはできません。
進級したいという意思表示のため、ちょっと苦しいけど 学校へ行っておいたほうがいいかもしれないね、そう言われました。
もちろん苦しいことは苦しいですけどね(^^;)
ちなみに先生は携帯電話を操ります、なにかあったらメールちょうだい♪な~んて 言われました。
随時メールでの相談も受け付けますという、 そういう先生。いやぁ、とってもありがたいです。
日数が足りない!?
前々から担任の先生からは、 「出席日数は足りてるし成績も悪かったわけではないから進級については 問題ないと思う」と言われていました。
しかし、二年生も残すところ二週間と言う頃、担任から 「一部の授業の欠課日数が規定をオーバーしそうだ、このままだと進級できない」 と言われたのです。
へ!?な、なぬ!?って状態でした。
どうやら学校への出席日数は、保健室登校をしていたので問題はなかったようです…が、 問題は授業の欠課数でした。
合計で確か13時間くらいオーバーでした。 担任の先生も学校出席は大丈夫とやや油断していたようです(^^;)
で、どうなったかと言いますと…進級の意思があることを、 担任と学年主任の先生に伝え、
保護者を踏まえ学校長と面談をし、 3月中の春休みに学校に通い、足りない授業時間分の課題を各教科担当から もらい、
それをこなして教科の単位を認めてもらう、 不足教科を春休みに補充するという形になりました。
そして後期最終日、終了式。
…実はですね、終了式少し前、確か前日かその前くらいの日に、学校唯一の音楽教師である 部活の顧問の先生が…
ちょっと事故で骨折してしまい、 入院してしばらく休業という形になってしまったのです。
さて、終了式にはお決まりの校歌斉唱があります。演奏は吹奏楽部。 指揮は音楽教師…っていない!!
と言うことで、吹奏楽部の学生指揮者である あたしが校歌を振ることになりました。 もちろん、全生徒職員の前でです。
で、振りました(笑)恐ろしい恐ろしい。 不届きにも歌詞をしっかり覚えていないため 壁に設置されている歌詞を見る生徒ばかり、
指揮者を見て歌う生徒なんて本当に数えるくらいしかいないのですが(苦笑)
…振ること自体は苦ではないのです、慣れてたし。 ただ、人との接触を結構減らしていたので…
う~ん足震えました、 頭の中も真っ白けでしたねぇ。。まぁ無事に終わりましたが(^^;)
さて、人前に立った→理数科の人間に自分の姿をさらしたですから、 なんか勢いで教室行けそうでした(^^;)
楽器を片付け終わった 同じクラスの吹奏楽部員に教室まで一緒に行ってもらい…なんか 普通に教室入れました(滝汗)
さて、今日は後期最終日です。通知表が来ます! 後期の授業半分も出てなかったし、 どれほど悪いのかと思いつつ受け取ったところ…
本来数字が書かれるところに「保」って 書かれていました。
な、な、なんじゃこりゃあああ~数字じゃないジャン(笑)
どうやら保留と書かれているようです。欠課数オーバーなので(^^;) いやぁ、なんと書かれるのか知らなかったのでビックリしました。 いい体験です(苦笑)
さてさて、春休みです。欠課数補充開始です。
これがまたきっついきっつい。やはり、今まで普通に学校来られてなかった人間が いきなり普通に通えるようになるわけではなく…
人が いないからまだマシにしてもきついもんはきつかった…。
確か4日間で補充は終わったと記憶していますが…3日目あたりからはもう ひぃひぃ言いながら通っていました。
つらかったよぉ~、つらかったけど…
無事進級できました!
本当に担任の先生のおかげです。後から聞いたのですが、 俺なんかのために職員会議で頭を下げてくださったとか…本当に 感謝しています。
これから先、もうしばらく会えなくなるなんて思ってもいませんでした。
…と、意味深な言葉を残して、第一期のお話は終了です。
ひとまずこれにて一段落です、お疲れ様でした。
さて、お話は3年時の前期…第二期へと移ります。