第二期

なんとか進級できました。三年生前期のお話です。

勢いに乗って卒業&受験だああと少し不安に思いつつ

開けてみればまたしても調子を崩し前と同じ調子。。。

第一期に比べればまだ記憶は残っているのですが、

記憶があやふやなところはフィーリングです。

今回もまた、あしからずです(苦笑)

うっそん

さあさあ、無事に進級できました、三年生です!わーい。

「あ、そういえば人事移動の新聞記事がこの前あったよなぁ、誰が動くんだろ。」

と、何気なく新聞を広げました。次の瞬間、大きな衝撃を受けました。

なんと、二年時のあの担任の先生が移動と書かれているではありませんか。

ちなみに、一年のときの担任も同じ先生で、人柄や授業内容、ネタになるくらい短いSHR、 名言「今日は心の中で掃除だ~」などなど、

彼にはあたしを引き付けるものがありました。 まぁ…恐かったのは否定できませんけどね(笑)

本当に尊敬したいと思える先生でした。 なので余計に移動の知らせが、とても大きな衝撃でした。 進

級できたお礼もしっかりとできてなかったし、 なによりも最後まで、卒業するまでを見届けて欲しかった…あうう、 書いていてちょっと胸がいっぱいになってきました(^^;)

さて、今年の担任はどなたでしょう。

後日、春休みに部活で学校に行きその帰り際、 一年時からの理数科数学担当の先生に会いました。 会って初めに言われた言葉が以下です。

「あ、俺担任だから~」

…おいおい、まだ春休み中で担任発表もしてないのに(笑)

まぁ、安心しました、この先生も一年生の時からお世話になっていて、 話もできるし、PCについていろいろと話せる相手(笑)で、

この一年もなんとかやっていけそう~♪と、 気が楽になりました。去年の先生ほど恐くもないし(苦笑)

さささ、いよいよ新学期ですじゃ!

クラス替え~クラス替え~、理数科は2組編成だから クラス替えしても半分はメンバー同じ~、 あんまりドキドキ感がない~。

しかし開けてビックリ、修学旅行前にわざわざ保健室まで来て 一緒に計画を作ってくれた友人、そして旅館の部屋が一緒だった友人…

言い換えれば、 去年仲がよくて、よく一緒にいた人が約七人中一人しかいない。。

しかも新クラス内に苦手な人も多い。。どのような人が苦手かと言いますと、 とにかく「派手にやかましい人」です。

全てとは言いませんが、 あたしが苦手とする人の大半がこれに当てはまります…。

こ、これはまずい、この先が不安だ…(滝汗)

不安的中ぽい

新学年始まって五日目、とうとう身体の限界を感じ、 学校を休みました。

次の日に学校へ行ったものの体調はよろしくなく…だんだん気持ちも落ち込んで行き、 再び「教室へ行く」ができなくなりました。保健室登校再来です。

今年はクラスのメンバーになかなか馴染めないのもあり、

そしてわざわざ休み時間に保健室まで様子を見に来てくれるほど親しい友人とは クラスが分かれてしまったのもあり…

う~む、なかなか 学校に来ても居心地はよくないです。

カウンセラ先生はこうなるだろうと思っていたようです、大抵の患者さんは 新学期の頭に一週間くらい行けてもその先ぽつぽつと休んでいくそうな…(^^;)

目標を決めました。4月は半分、5月は三分の二、六月は週四回、保健室でいいから学校に行くこと。

「無理はしなくていいからだんだんにね」、そう言われました。 あわてなくていいんだ、そう思えるだけで気持ちに余裕ができました。

しかし、家族全体の理解は未だに得られず…学校を休めば家で やんややんや言われ余計心が不安定に。

学校へ行くと身体がつらい、 身体がつらくて休むと家族に追い詰められて気持ちがつらくなる。 とっても悪循環です。

…でもですね、だんだんに家族も変わってきてくれました。 今ひとつな面もありますが、やんや言われるのも5月頃には 朝だけになりました。

それだけでももう、すごい楽になります。 学校を休んでもお昼には自分から居間にひょっこり現れてチャーハンを作るくらいのえねるぐいがでてくるくらいです。

やんや言われなくなって これだけ動けるようになったと言うことは… 家族から受けていたプレッシャーも だいぶ大きかったようです。

本当にこんな、プレッシャーをかけられる量が減るという 簡単なことでも、心にゆとりができればそれだけで楽になってしまうもののようです。

もちろん、だからと言って急に治るわけではないですけどね。

家族が忙しい日には夕飯を作っておくくらいのゆとりまで持てましたから。

作りましたよ~、カレーとかカレーとかカレーとか(笑) ええ、カレーくらいなら作れます、炒めてお湯入れてアクとってルー入れて待つだけですから。

ちなみに体調ですが、以前と大して変わっていなかったような気がします。

ちょっとはマシでしょうが…やっぱり気持ちがちょっと晴れてるだけで 大きく違ってくるみたいですね。

そうそう、学校のほうですが、4月はなんと目標通り半分行けました♪ もうね、カウンセラ先生に褒め称えられました(笑)

実のところ、非常に体調の悪い中で頑張って学校に行っても、 褒めてくれる人って少ないんですよね、だから本当に嬉しかったです。

5月も頑張ろうって気持ちになれます。

さて、5月の出席も大体三分の二行けていたのですが、その最後の週…テストの 週でした。我が家に大きな事件が起こりましたとさ。

強制送還

実はですね、兄が…兄も、大学で不登校状態だったようで、

そのことに対してちと家族で色々とごたごたがありまして、 最終的に兄が家を一時的に出て行くという形になってしまいました。

追い出す、って雰囲気でした。

そう決めたのは親父、兄はそれに従ったという感じでした。 …でも親父は、初めて家族に涙を見せました。

本当に初めてです。 今まで「強い親父」ばかりを見せられてきた分、この涙は本当に大きな衝撃でした。

さて、それがテストの前日でした。親父はなんとしてでもテストを受けさせるべく、 半ば強制的にあたしを車に乗せて学校へと…強制送還でした。

でも親父は、車の中でも涙を流していました。

兄を今のまま家に置いていたらなんのためにもならない、なにも成長しない、 そういう気持ちで今回の結論を出したようです。

でも、その結論を出した親父も、本当につらかったんだと、本当につらいんだと、 苦しくなるくらい伝わってきました。

学校に着いても親父は「教室に行け」とは言いませんでした。 いつもなら言ってきたのに…そうする気力もなかったのかもしれません。

もう親父の涙は見たくない、親父を泣かせたくはない、 そういう思いで校舎に入りました。逆に背中を押されているようでした。

いつもなら足が重くなり、そして動けなくなる階段前…あらやだ、 今日は止まらない、上れる~(汗)ぐはぁ、勢いで教室に行ってしまいそうだ。

心臓はバクバク言っていました、すげぃ熱かったです。。。

ってなわけで、教室に行けました。その日次の日と、テストも教室で受けられました。 一回教室に入っちゃえばなんとかなるんだよなぁ…(苦笑)

しかし三日目、テスト最終日でしたが、そろそろ身体がきつくなってまいりました。 やヴぁい、起き上がれない・・・って状態。

今度は例のごとく親父にがやがや言われ強制送還。 行けないよりはまぁいいんですがね、身体がきっついきっつい。金曜日でした。

明日は土日の二連休です。もちろんばたんきゅ~、だるいだるい。 でも学校がないととっても楽。だるくても朝食を食べに起き上がることはできます。

二日間ゆっくり過ごしました。あまり疲れは取れませんでしたが。

次の週、六月の頭から、車で通学の日々が始まりました。 せっかく教室に行けたのだから今の勢いを大切に、という感じだったのでしょう、

親父はなんとしてでも学校に行かせると、そんな勢いでした。相当無理をさせられました。

まぁおかげで卒業に向けて 大きく前進できたので文句は言いませんがね(汗)

ちなみに部活ですが、教室に行き始めて、それでも身体も気持ちも いっぱいいっぱいで…ということで、 様子を見るために一週間ほど休みをもらいました。

あたしは学指揮なので本来ならできる限り抜けるわけには行かないのですが…とは言っても 本当に部活ができる状態ではありませんから。。

もちろん、このまま勢いに乗って卒業まで行けるかって、そんなに楽なものではありませぬ。

だんだん身体がつらくなり、心身相関ってやつでしょうか、身体がつらいと 気持ちまでバリバリ落ち込んでいきます。

6月の中旬だったと思いますが、「学校に満足に行けなくなった」と言う過去が 本当に許せなくていられなくなった時がありました。全てが嫌になりました。

でもカウンセラ先生の言葉に救われました。先生はこう言ってくれました。

「あなたは生きているの、目は見えるし耳も聞こえるし 手足だってある…美しいもの見て美しいと感じられるし、

素晴らしい音楽を聞き分けることもできるし、 面白ければ笑うし、悲しかったら泣けるし、

あなたが生きてることが一番大切、 学校行けないなんてそんなの…大したことない(苦笑)

あなたのお母さんは高校に通わせたくてあなたを産んだんじゃないんだから。

元気に幸せに生きて欲しいって、あなたは今生きてるんだから。 ホントはそれだけでも十分なんだよ。」

「卒業したいって思ってる君と、ずっと保健室にいる君とで、 すごく差があるね?

それだから余計に疲れちゃうねえ。 でも、頑張ることと無理をすることは違うねえ、

どんなに限界まで頑張ったって、そこで潰れちゃって 次の日からず~っとだめになったらそれこそおしまいだよ。

頑張れるときだけ頑張って、だめだと思ったらきっぱり休む、 少し伝えづらいことかもしれないけどちゃんとみんなに伝えていいことなんだよ。」

この言葉がどれほど嬉しかったか…

生きることがつらくても、 生きることをやめられるほどの勇気がないあたしに 再び希望を与えてくれた、本当にそう思っています。

久々に人の話に感動して涙を流したような気がします。

全ては生きていることが前提なんだなぁと、改めて実感しました。 天から授かったこの命、本当にちっぽけなものだけど、 大切にしたい、そう思います。

おいおい。。

7月、強制的に学校へ通わされる生活(笑)にも慣れ始め、 そろそろ吹奏楽のほうが演奏会の時期に近づいてまいりました。

かといって、6月の頭は休養もらったし、なによりも学校に行けない→部活に でていないですから、一部のメンバーからは反感を買ってしまったようです。

なにが面倒って、その相手が部長だったことです。。

「コンクールに出たいなら毎日来い、来ないなら出るな。」

こう言われました。いかがでしょうか、この言葉…ええ、 正しくなくはないです、が…

例えばです、運動部だったら…足を 負傷したレギュラーに「試合に出たいなら毎日練習に参加しろ」と言えますか?

無理がありますよね、怪我も余計に悪化してしまいます。

精神面での怪我だとなにが違うのでしょうか。まぁ管楽器は一日吹かないと その前日までの調子を取り戻すのに大体三日くらいかかってしまいますから、

完全に同じことだとは言えないのかもしれませんが…でも、 当時の体調ではまず無理があります、休まずに学校に来るのは…。

仮に学校に顔を出せたところで一日体調がもつことは少ないですし。

部活を辞めようと思いました、真剣に。コンクールにも定演にも出たいですが、第一目標は学校卒業ですし、

今の状態についてなにを言っても 聞こうとしないメンバーと一緒に音楽をやっても 一つにまとめられるとは思えませんでした。

そんな音楽を定演でお金払って聴いてもらうなんて申し訳ないですから。

…もう一人、あたしと同じように教室になかなか行けず、 欠課数補充のために夏休みに何時間か部活を抜けざるを得ないという状況に 置かれてしまった後輩がいました。

その後輩も同じことを言われたそうです。

あたしが今くらい気持ちに余裕を持てていたら、多分ぶち切れていました。

その後輩は、望んで欠課が増えて夏休みの部活期間中に補充をするわけではない、 怠けや甘えで少しの間部活を抜けるわけでは断じてない。

できる限り部活時間と被らないように、少し無理をしてもらって 担当教員のお願いしたそうでしたし。

本人も、周りと比べて若干少ない部活時間でも、自分にできる限りの努力はする、 与えられた時間は無駄にしない、そう言っていたんです。

…どうしてここまで、心の病に冷たい人間がいるのだろう、心からそう思いました。 なぜ目で見えるものしか信じようとしないのだろう、と。

あたしがなにを言ってもまともに聞いてもらえません。

なんかですね、不登校になってからだんだん、この反感を持っているメンバーを 中心に話をちゃんと聞いてもらえなくなったと感じていました。

なにかこう…こちらの話を聞くだけ聞いて理解はしてもらえないという、 そういう印象を受けていました。

怠けて休んでいるのではない、行ければ毎日行っている。

周りからその「行けない」ということの見極めをするのは少し難しいですが、 一番つらいのは本人ですから…完全に理解できないにしても、

理解しようとする気持ちを大切に、そしてせめて 冷たくきつく当たるのだけは避けてほしいものです。 なんだか今回は愚痴みたいになってしまいましたね(^^;)

ちなみに七月の最後の週は車ではなく自力で行くことができました。

自力で行ければ少しは自信になって、休み明けのプレッシャーが 減るだろう、と言う親父の、こちらからはなんとも言えない作戦でした(笑)

夏休み前半は部活漬けの予定。はてさて、どれくらい持つことやら。。

…あ、結局部活は辞めませんでした(苦笑)このことは後ほど。

夏終わる

ちょっとちょっと~、夏休み入って学校がないってのに ちっとも体調良くならないわよ奥さん。

いやね、一応身体は動くのですが、 一日中部活するったってもたないもたない。 気持ちが安定してた去年一昨年でさえつらかったですし。

それを毎日です…今年もげっそりと痩せ細りました。

校外合宿は本当にたまらなかったですよ。なぜ高い金払って合宿行ってまで 遊ぶの!?花火!?スイカ割り!?しかも半ば強制で。

一部…ってか多くのメンバーから批判が。休みたい、と。 本来の予定では休憩時間でしたからね。

ちなみにあたしはそのなぜか遊ぶということに対して溜まっていたストレスが爆発し、 この時間部屋で寝ていました。ふふり。

いやね、遊ぶくらいの体力があるなら曲をさらいなさいと言いたい。 演奏予定曲で一ヶ所でもまだできないところがあるなら遊ぶなと言いたい。

なんだかなぁ、言う人間が心の病持ってるだけで何故ここまで 聞いてもらえないのだろう。。

また愚痴になりそうなので続きをば(^^;)

コンクールも定演も終わり、部活は無事に引退。 やっとこさストレスの発生源から離れることになりました。

音楽も楽器吹くのも指揮するのも全部好きなんですがね、 不登校になって以来、一部の部員との人間関係がとってもストレスでした。

…それでも続けられたのは、あたしのつらさを分かろうとしてくれる 仲間や後輩もいてくれたから…本当に多謝です…。

部活のこの学指揮になってからの一年間を振り返ると…やはり 物足りなさがとても大きく残ります。

三分の二くらいしか部活出られなかったし、言うこと聞く気がないんだかなんだか、あたしが合奏してもその時しか変わらないし、

うぅ~、もう一年、今度は体調が良くて一年間毎日部活に出られるって状態で もっかい学指揮したいよう…叶わぬ夢です、くそ~。

さてさて、残りの夏休みですが、いやぁ~なかなか過ごしやすかったです。

学校がないから行く行かないで家族がうるさいなんてこともないですし、 大きなストレスになるようなものも少なくなりましたから。

体調もだんだん良くなっていきました。「学校」というものが 自分を動けなくさせていることをひしひしと感じる日々でした(苦笑)

ちなみに、受験勉強にはあまり移れませんでしたが(^^;) 少しは休めたかなぁ、ボーっと過ぎてしまったような気もします。

もったいない、せっかく動けたんだからどこかに出かければよかったかも。

ただし夏休みの終わりごろは、例のごとく学校が始まる~という 重苦しい空気に包まれて

心のどこかに「あうぅ始まってしまう~」と 焦りの気持ちがよみがえってきました。だんだん身体もだるさが沸いてきます。

さらに「学校」というものが自分を動けなくさせていることを ひしひしと感じました(笑)

やばいきつい

夏休み明けた~。二期制なので始業式はありませぬ、 初日から全時間授業です(苦笑)

でもですね、 自力で通学できて、教室にも普通に行けてます。

いい感じだあああ、疲れてるけど頑張れてました(笑)

…が、そうやって調子付いてるうちに、夏休みが明けて二週間ほど経った頃でしょうか。

やはり疲労が限界に近づいたらしく…身体も重くなり、だんだん遅刻気味になっていきました。

体調がすごく悪い、だるい、身体が重い。教室は周りがうるさくてイライラ。

ストレスが溜まっていくとなにもできなくなって行きます。 もう本当に授業どころではありませぬ。…で、なにもできないと

「どうしてこんななんだ~、何故不登校になったんだ、 ちゃんと学校来られてればこんなじゃなかったはず、 こんな自分嫌だ、全部やり直したい…」

そう思ってしまいます。余計調子は悪くなります。

で、その場にいられなくなり保健室へ。ひどいときは過呼吸を起こして 自力では殆ど動けなくなってしまい、担架で保健室まで運ばれます。。

そんな授業にでられない自分をさらに責めて、もっと混乱して、保健室 の壁や床を殴って、ぐはあってなって(苦笑)、そんなパターン。

「今のあなたは授業を受けるどころか、学校に行くことだけででいっぱいなんだから。 長い人生だもの、一年や二年浪人したって大したことないよ。

今年の目標は、まずは卒業。大学受験はその後でいいの。

来年になれば今あなたを動かなくさせる物はなくなるもの、 きっと普通に受験勉強もできるようになるよ。

卒業したいっていう目標をまずは達成させよう。」

こんなようなことを、カウンセラ先生や保健室の先生から言われました。

いやね、分かってはいるんですよ。自分でも教室行くだけでいっぱいいっぱいだってのは。

でも、どうしても怠けてるだけなのかもって気持ちがまだでてくることがあって、 クラスでは真剣に受験勉強モードに入った人もちょろっと、まだちょろっとだけど(苦笑)いるわけだし…。

焦りというか…自分ってなんなんだろうって、受験生なのにまともに勉強できてない 自分ってなんなんだろうって、いつもそう思っていたような気がします。

結局勉強はあまりできず、体調もいっぱいいっぱいなため…家では 寝てたりとか、PCやってたりとか、そういうことがとても多かったです。

以前学校にあまり行けてなかったときと同じような感じですね。。

なにやら身体がきついまま、9月もどんどん終わりが近づいていきます。

それに伴い身体の疲労感も蓄積され、どんどん授業が受けられなくなっていきます。 一日の半分も授業が受けられないという日もだんだん増えていきました。

体調に不安を残しつつ、9月の終わり、ついに前期の終業式。その日も調子を崩し、 式の途中から保健室へ。本当に不安だらけの前期最終日でした。

さてさて、最終日ってことは、通知表が来ます。結果は…

体育以外、全て「」(爆)

何故って…二年後期と同じです、欠課数がオーバーしてるみたいです(^^;)

ただし、前期の計算でオーバー、ですから、まだ卒業不可ではないです♪

う~ん、後期で巻き返しを図るべく気合を入れなおさねば、って状況ですね。

さてさて、やっとこさ三年前期が終わりました。

今回もまた長くなりました、お疲れ様です(^^;)

さて、お話はついに三年時の後期…第三期へと移ります。

続き(第三期)を読みますか?