第15回生物学基礎論研究会

第15回生物学基礎論研究会のプログラム


8月27日(土)


開会のご挨拶

  • 13:20〜13:30


シンポジウム

  • 13:30〜16:00 「エボデボの現在と未来」

    • 太田欣也(台湾中央研究院)「祖先物語から子孫物語へ:金魚の人為選択を事例に」

    • 江川史朗(国立精神・神経医療研究センター)「有機的ボディプランの進化史叙述に向けて:恐竜の大腿を例に」

    • 大林侑平(日本学術振興会特別研究員PD:東京大学)「Evo-devoの一前史:19世紀ドイツの学術文化政策における生物学の状況を考慮して」

    • オーガナイザー:森元良太(北海道医療大学)/コメンテーター:鈴木大地(筑波大学)


特別講演(1)

  • 16:15〜17:15 椎名隆(東海大学基礎医学系分子生命科学)「HLA遺伝子領域の塩基配列決定とポストゲノム解析」


懇親会(オンライン)

  • 18:00〜20:00


8月28日(日)

一般講演(1)

  • 10:00〜10:30 網谷祐一(会津大学)「行動進化論はメタファーで夢を見るか」

  • 10:40〜11:10 浅利みなと(東京都立大学)「コミュニケーション的な振る舞いとしてのカモフラージュ」

  • 11:20〜11:50 鈴木大地(筑波大学)「Subjectivityの段階的進化」


昼食休憩

  • 11:50〜13:00


一般講演(2)

  • 13:00〜13:30 松本俊吉(東海大学)「生物学の哲学から見た進化医学」

  • 13:40〜14:10 権藤洋一(東海大学)「AI時代における先進医療とQOL」

  • 14:20〜14:50 佐藤直樹(東京大学)「酵素概念の科学史と哲学的考察(その2)」


特別講演(2)

  • 15:00〜16:00 中島敏幸(愛媛大学大学院理工学研究科)「外部を仮定しない生命システムの理論:逆因果原理による外部モデルの生成」

  • 16:10〜17:00 総合討論/閉会のご挨拶

第15回生物学基礎論研究会の発表要旨

シンポジウム「エボデボの現在と未来」


森元良太(北海道医療大学) 「開催趣旨」


 進化発生学、通称エボデボはいまどうなっているのだろうか。そして、これからどうなるのだろうか。発生学と進化論の総合が模索されはじめたのは1980年代。いまはそれから約40年経過した。ホメオボックスやHox遺伝子の発見、エピジェネティックな遺伝など、遺伝子中心主義で還元主義的な進化の総合説では説明に窮する現象が発見され、発生学が日の目を見るようになったころ、進化発生学も始動した。モジュール、遺伝子制御ネットワーク、発生経路、発生拘束など、進化の総合説とは異なる概念が用いられ、エボデボの台頭は新しい潮流として期待され、「エボデボ革命」と言われることもあった。また、「拡張された総合」と称され、進化の総合説が拡張されて発展していくとも言われた。ではその後、エボデボはどうなったのだろうか。

 エボデボは一枚岩ではなく、研究者によってエボとデボの重点は異なる。エボデボ研究者と話すと、エボ寄り、デボ寄りといった表現を耳にする。また、分子生物学の還元主義的アプローチはエボデボにも浸食しているが、日進月歩で変化する研究状況によりエボデボの捉え方も変わり続けているだろう。そのなかで、エボデボ特有の研究テーマや研究方法などはあるのだろうか。これまでエボデボはどんな問題を解決し、どんな問題が解けないまま残っているのだろうか。そもそもエボデボは何を問題にしているのだろうか。進化の総合説との関係はどうなったのだろうか。エボデボに関する疑問は尽きない。

 そこで本シンポジウムでは、エボデボ研究者から現場の生の声を聞いて、エボデボのいま、そして未来について考える。また、エボデボを歴史的な観点から検討し、俯瞰的な考察も加える。発生学が進化論と総合するまでの歴史には、エボデボのいま、そして未来の発展のための手がかりがあるかもしれない。



太田欽也(台湾中央研究院) 「祖先物語から子孫物語へ:金魚の人為選択を事例に」


 Evodevoの研究のほとんどが祖先物語を語る形で発表される。とりわけ、分子生物学的実験手法の普及によって異種間の比較が分子レベルで可能となり、祖先状態について物語る論文が数多く発表されるようになった。たとえば、「Hox遺伝子群のゲノム上の配列と発生過程での発現パターンの一致の発見」などがわかりやすい。そして、このように発現パターンの一致を発見することが多くのEvodevo分野の研究者の模範となり、その後同様の祖先物語を再生産しようとする研究者が続出し、さらに広範囲の動物群に対して先鋭的な技術を用いた解析の応用へと駆り立ててきた。しかしながら、演者は進化発生学者の一人として、同じような物語の再生産を繰り返そうとするこの分野の先行きに不安を感じるようになった。そこで、新たな展開として「子孫物語」を語るEvodevoの道を模索するべく、人為淘汰を考慮した金魚の進化発生学にこの10年ほど取り組んできた。本発表では、金魚の尾鰭の形態バリエーションという身近な事例をもとにEvodevo分野で重要な概念とされる相同性や発生拘束についての議論を深めたい。また、今後生物への人間の支配はさらに強まるであろうから、生物進化の未来のあり方についてこの分野で蓄積された知見に基づいた議論を交わしたい。


江川史朗(国立精神・神経医療研究センター) 「有機的ボディプランの進化史叙述に向けて:恐竜の大腿を例に」


 本発表では、まず(1)エボデボの特徴を紹介し、次に(2)エボデボの未解決問題あるいは方法論が未整備な問題を取り上げる。最後に、(3)この課題解決の端緒として具体例を挙げながら試論に挑戦する。

(1)エボデボと呼ばれる研究領域は、生物学的階層性あるいは階層を跨ぐプロセスについて“縦方向”と“横方向”に着目すると特徴付けができる。エボデボは発生学に依拠しているため、複数の階層を一個体・一世代の時間的スケールで“縦方向”に橋渡ししている(e.g., 遺伝子発現-細胞挙動-胚形成-生後の形態)という点が進化生物学の中にあって特徴的である。一方で、従来のエボデボは身体/ゲノムのパーツごとの各論に終始しがちであり、“横方向”にはあまり広がりがなかったと言える。また、形態形成(発生現象)と形成された形態の機能性の関係については大進化的時間スケールでの議論がなされず、両者はエボデボの内/外で別個に扱われてきた。

(2)エボデボの主要なルーツである比較形態学は、全身の構成(ボディプラン)の成り立ちについて長らく関心を寄せてきた。19世紀以前は実験技術や概念整備が及ばず原型論的パターン研究から先に進めずいたが、エボデボが興るにあたって胚形成プロセスの有機性にその機械論的説明を求める機運が高まった。しかしながら、パーツごとの各論から全身的な議論への移行には、依然としてその糸口が見えていない。また、胚形成プロセスの有機性をその他の有機性(e.g., 生後の機能性の有機性)と絡めようとする動きもほぼ無い。

(3) 身体の各パーツからなる発生上・生後機能上の2つの有機的ネットワークには、両者の間で干渉が生じていないことが必要であり、ボディプランの変遷に際してはこの「一個体内で“縦横”に広がる有機性」が大進化的時間スケールで変化している筈だ。この進化的プロセスを機械論的に理解できると、ボディプラン成立/変遷史の叙述に繋がるだろう。本発表では恐竜の大腿をモデルケースとし、この議論に挑戦する。



大林侑平(日本学術振興会特別研究員PD:東京大学) 「Evo-devoの一前史:19世紀ドイツの学術文化政策における生物学の状況を考慮して」


 集団遺伝学を軸とした総合説に発生学の観点を再結合させるEvo-devoが対置されたという一般的学説史は、これまで繰り返し修正が提案され、Evo-devoの意義や主要な概念の洗練が試みられ、さらに最近では有機体概念の見直しも図られている。このトピックに関わる歴史家や哲学者は基本、生物学史を進化論的観念の過去と未来として、解剖学、生理学、形態学、自然哲学から進化形態学や実験発生学、そして総合説とそれ以後を段階的に叙述してきた。

 こうした叙述はしばしば、C. ダーウィンを除き、E. ヘッケルに進化と発生の研究を結合させた人物として特別な位置を与えてきた。加えてヘッケル以前ではJ.W.v. ゲーテ、C.v. ベーアやL. オーケン、以後ではW. ルーやA. ヴァイスマン、それからI.I. シュマルハウゼンなども主要な研究対象となった。この一種の拡張的な進化生物学の歴史に取り込まれるのはドイツ語圏の有機体論や生物学の歴史が多く、英語圏の教科書的な図式を批判し、進化論やEvo-devoの学説の起源や展開、それから大学制度や師弟関係に依拠した学問史が、進化生物学の歴史の主要な構成要素となった。

 とはいえ、この種の研究は、その舞台19世紀ドイツ語圏で生命現象を扱う科学者や教育者が直面していた学術文化政策的圧力をほとんど見落としてきたか、十分に考慮してこなかった。この発表ではドイツ語圏(特にプロイセン)における18世紀以来の政治経済的要請と学問の関係、教育政策や宗教政策と学問の関係を考慮に入れ、「生(Leben)」の科学が初め形而上学的にも宗教的にも、ついで新人文主義的理念からも自然科学内部からも危険視され、しかし結局は産業的な規模を持つ分野に転換した過程を提示する。こうして、形態、電気、細胞、生殖についての究明が、自然科学の制度的・認識論的規範と進化論の関係を歴史的に変化させてきたこと、そしてEvo-devoの思想的系譜が一旦埋没しながらも「再結合」の試みとして登場し得たことの意味について考察する。



特別講演


椎名隆(東海大学基礎医学系分子生命科学) 「HLA遺伝子領域の塩基配列決定とポストゲノム解析」


主要組織適合性複合体 (Major Histocompatibility Complex; MHC) 分子は、免疫システムの中で自己あるいは病原体由来の非自己ペプチドと結合し、これをT細胞やNK細胞に提示し、抗原特異的免疫応答の誘導や免疫細胞を制御する働きを担っている。ヒトのMHCはHLA (Human Leukocyte Antigen)と呼ばれており、HLA分子をコードするHLA遺伝子領域は、第6染色体短腕3.6 Mb (360万塩基対) に多重遺伝子族を形成し、ヒトゲノムの中で極めて高度な多型性を有する。また、自己免疫疾患やがんなど100を超える疾患やウイルス感染症における防御と重症化、アレルギー及び薬剤感受性等、数多くの表現型と関連すること、遺伝子密度が他のゲノム領域よりも約5倍高いこと、強い連鎖不平衡が観察されることなど、多数の興味深い特徴を持つため、ヒトゲノムの縮図とも称されている。

演者らグループは、このような興味深い特徴や他ゲノム領域との進化学的相違を明確にするために、この遺伝子領域のシーケンシングを海外グループと協調、競争しながら進め、その当時の最長であった3.6 Mbの完全決定配列とこの領域に同定された224個の遺伝子情報を1999年に報告した。その後のポストゲノム解析として、DNA多型マーカーを詳細に設定し、それらを用いた症例対照研究から数多くの疾患感受性遺伝子が同定された。また、ゲノム塩基配列に基づく民族集団間の遺伝的多様性解析や代表的な生物種のHLAオーソログのゲノム塩基配列を用いた比較ゲノム解析が精力的に進められた。

本講演では、HLA遺伝子領域におけるヒトゲノム計画とその後のポストゲノム解析としてこの領域のゲノム進化やHLA多型の特殊性について紹介したい。



中島敏幸(愛媛大学大学院・理工学研究科) 「外部を仮定しない生命システムの理論:逆因果原理による外部モデルの生成」


 生命は自身の外部が存在することを知ることができるのだろうか?もし可能なら、どのように?もし不可能なら、生命は外部を持たずに単独で存在することになる。この場合、環境適応という概念もなくなる。この問題は、自我は自身のみが存在する立場(独我論)から脱し外部の存在を知りうるかという哲学の問題の生物学版でもある。通常の生物学では、システムの外部はそのシステムが持つセンサーによって捉えると考えるだろう。しかし、これは、そのシステムとその外部を見る”他者(外部観察者)の観点”である。主体となるシステムにとって、自身のセンサーの状態変化がなぜ外部の存在を示すと言えるのか?知覚がその対象の実在を必ずしも導けないというデカルトのテーゼを思い起こそう。従来の生物学はこの問いに答えを出していない。むしろ、無視してきた。

 生命システムは、自身の外から自身とその環境を観察することはできない。生命システムにとって、外部とは自身の内部にそのモデルをつくる形でしか存在しえない。では、「内部にそのモデルをつくる」とは一体何か?本講演ではこの問題に対する一つの答えを提案したい。それは「生命システムは、逆因果律(= 逆因果原理)により与えられた内部状態(データ)から外部状態を指し示すシンボルを内部に生成する」というモデルである。逆因果原理による外部状態のシンボル生成とは「システムの状態があるとき x からy1に、また別のときにはxからy2に変化した場合、異なる外部状態を指し示す2つの異なるシンボルが内部に生成される」というものである。シンボル生成はシステムコンポーネントの状態変化でなされる。これを”逆因果計測”(IC-measurement)という。生命はこれを実行するサブシステムを進化過程において発明した。これらの議論を通じて、外部/内部枠組み、認識(心)/存在(物)の一元論モデル、情報、意識、ニッチ/ウンベルトなど関連する概念との関わりについても言及したい。



一般講演


網谷祐一(会津大学) 「行動進化論はメタファーで夢を見るか」


科学者は仮説や理論を作るときにしばしばメタファーを用いることが知られている。物理学の例を取ると、気体分子の運動を説明するのに分子をビリヤードの玉になぞらえるといったことである。同様に進化論もメタファーを使用する。進化論のメタファーの特徴の一つは、多くのメタファーで生物の様々な振る舞いをヒトの行動や制度になぞらえて理解しようとする点である。例えば一頭の雄が多数の雌とペアを作った状態を「ハーレム」と呼ぶといったことである。

しかしこうしたメタファーの使用は様々な点から批判されてきた。一つの批判は、多くの場合こうしたメタファーを用いた表現がメタファーを用いない表現に置き換えることができることをもって、メタファーは進化論においては理論的な役割を果たしていないのではないかというものである。もう一つの批判は、こうしたメタファーでは往々にしてメタファーの対象となる動物の振る舞いとヒトの行動・制度の間には根本的な相違点があるので、メタファーが成り立っていないのではないかというものである。

本発表では科学哲学におけるメタファー論を参照しながら、そうした批判を検討する。例えば第一の批判については、メタファーの役割として、科学者の注意を特定の方向に向けることによって、研究や理論構築の方向性を与えることが知られている。するとメタファーにはメタファーを用いない表現では置き換えられない役割があると主張することができる。また第二の批判については、そうした批判は比喩の源泉(人間の行動を表現するとされる表現)を狭く理解している場合があることを指摘する。



浅利みなと(東京都立大学) 「コミュニケーション的な振る舞いとしてのカモフラージュ」


本発表では、動物のカモフラージュ(camouflage)という振る舞い(ないし構造)をある種の動物のコミュニケーションの形態として研究対象とすることの意義を主張する。動物のシグナルやコミュニケーションを研究している論者のあいだで、カモフラージュはそれほど大きく着目されてこなかったと言 って差し支えないだろう。具体的に言えば、カモフラージュの取り扱い方については以下の二つの立場が主流であったと言える。すなわち、動物のコミュニケーションの研究対象からそもそも除外する立場と、擬態(mimicry)と一括してだまし(deception)というより一般的な概念のもとで包括してしまう立場である。前者の立場の代表として、Maynard-Smith and Harpar (2003)が挙げられる。彼らは、自らのシグナルの定義を満たさないがゆえに、カモフラージュをそもそもの考察の対象から外している。哲学者で言えば、Scott-Philips (2008)も基本的にこの方針に従っている。後者の立場としては、Sober(1994)が挙げられる。ソーバーは、カモフラージュをある種のメッセージを発する振る舞いとして考えてはいるものの、擬態を典型例とするより一般的なだましの概念―彼が進化的嘘(evolutionary lying)と呼ぶもの―のもとで捉えており、カモフラージュそれ自体に特別な焦点を当てているわけではない。最近ではFont(2019)もこれに似た立場を採用していると考えられる。

 このようなカモフラージュの取り扱い方にはそれぞれ一定の理があるものの、本発表ではどちらの立 場にも与しない。本発表が目指すのは、カモフラージュを「本来であれば発せられていた情報を、その情報を晒すことが当該の個体にとって不利益をもたらすがゆえにあえて遮断する振る舞い」として取り出し、ある種のコミュニケーション的な振る舞いとして着目することの意義を示すことである。そして、このような仕方でカモフラージュに着目することが、人間のコミュニケーションの分析においても新たな視座をもたらす可能性があることを示唆する。


鈴木大地(筑波大学) 「Subjectivityの段階的進化」


 意識の進化的起源に関する最近の議論において、ファインバーグとマラット、そしてギンズバーグとヤブロンカは、ミニマルな意識とは何らかの主観的経験subjective experienceを有することであり、こうした主観的経験を有するのは神経系の発達がある程度のレベルまで達した動物、具体的には脊椎動物・節足動物・頭足類に限られると論じている(Ginsburg & Jablonka 2019; Feinberg & Mallatt 2016)。ゴドフリー゠スミスは意識を主観的経験や有感性sentienceとは別概念であるとしつつ、やはり脊椎動物・節足動物・頭足類に主観的経験や有感性を認める(Godfrey-Smith 2016, 2020)。

 一方で、あらゆる生物に主観的経験があるとする生物有心論biopsychismも議論が最近さかんである(Edwards 2006, Fitch 2008, Reber 2019)。たしかに生物には、合目的性や刺激応答性など、単なる無機物にはない特性が見られるので、そのあたりを踏まえて何らかの心的性質の存在をすべての生物に認めたくなるのも理解はできる。この点についてゴドフリー゠スミスは認知と有感性を区別して、前者のみをバクテリアのみに認めるが(Godfrey-Smith 2020, p. 278)、これは生物有心論に対する反論としては踏み込みが浅いように思われる。

 そこで本発表では主体性/主観性subjectivityという語の多義性を出発点に問題の整理を試みたい。具体的には、能動的行為者としての主体性はあらゆる生物に認める一方で、ミニマルな意識や有感性の要件としての主観性を、神経系の発達がある程度のレベルまで達した動物にのみ認める。ここで生物記号論biosemioticsの論者のひとり、シェイロフの提唱する原記号過程protosemiosisと真記号過程eusemiosisの区別(Sharov 2018)、そしてミリカンの目的意味論を対比しつつ両者の調停を図ることで、「主体性から主観性への移行」つまり主観的経験の起源について新たな見解を提示したい。



松本俊吉(東海大学) 「生物学の哲学から見た進化医学」


 進化医学は、生体機構の単なる誤作動に見える疾病という現象の背後に何らかの適応的意義が隠されているかもしれないという作業仮説に立脚し、人類進化の過程でなぜそうした疾病が生まれ現在まで淘汰されずに保存されているのかという進化的究極要因=病因論を問題とする。その手法が統合失調症、大うつ病、不安症などの精神疾患に適用された場合、それは、私たちが現在抱えている心の問題の起源を、太古の時代に適応的に獲得された心のメカニズムが現代の新奇な社会環境の下で不適応となり機能不全を起こしているという診断を下すものとなる。こうした発想は、更新世の時代に獲得された現代人の心のメカニズムが現代の高度に発達した社会環境の下で不適応となっているという進化心理学の理論構成と類似しており、実際、進化精神医学は進化心理学の方法の精神疾患現象への応用だと見る向きもある。けれども発表者は、特に精神医学のような「発展途上の」分野が、適応主義思考の導入によって真の厳密科学の仲間入りをするだろうという、この分野の創始者であるNesseとWilliams(Why we getsick, 1994)の議論は幾分楽観的に過ぎると考える。

 この報告では、まずNesse and Williams, Why we get sick (1994)や井村裕夫『進化医学―人への進化が生んだ疾患』(2012)などの記述に拠りつつ壊血病、通風、糖尿病といった身体疾患や統合失調症、大うつ病といった精神疾患の起源の進化的説明を概観した上で、特に大うつ病に関するネシー等の上述の見通しに対して生物学哲学の立場から私見を述べる。



権藤洋一(東海大学) 「AI時代における先進医療とQOL」


Peter B. Scott-Morgan氏が6月15日に亡くなった。筋萎縮性脊索硬化症(ALS)により余命2年と告知されながら、AIとロボティクスを駆使し自らサイボーグ1号と称した試みは、いわば、究極の対症療法の可能性を示した。単なる延命効果以上に、これからの医療及びQOLの在り方や考え方を根本から変えうるものであった。これまで、iPS細胞などを用いる再生医療から、ゲノム科学を基盤とした遺伝子治療/デザイナーベイビー・エンハンスメントといった動向など紹介してきたなかで、医学医療に生命科学を超えたパラダイムシフトをもたらす可能性も高い。また、QOLを大きく損なうため「尊厳死」とともに議論されることも多いALSなど「不治の病」に対し、大きな希望と近未来像を提示した。さらには、「じぶん」とは何か、「ひと」とは何か、など、こころの生物学にも大きな示唆を与えるという視点からも議論を深めてみたい。



佐藤直樹(東京大学) 「酵素概念の科学史と哲学的考察(その2)」


酵素は現代生命科学において生命機能を理解する不可欠な概念であり,遺伝子概念とも密接に結びついている。一方で,酵素には触媒化学的な研究アプローチもあり,その場合には,効率のよい化学素材という見方になり,生命の本質との直接の関係はなくなる。昨年も酵素概念の歴史と哲学についての考察を発表したが,今回は,特に20世紀前半までのいわばミステリアスな酵素概念について,さらに詳細な考察を行う。

 そもそもBerzeliusが1835年に触媒概念を提唱したときには,そこにあるだけで反応を促進する謎の物質を触媒と呼び,そこには生物由来の,後に酵素とみなされるものも含まれていた。逆説的であるが,現代の化学では触媒は反応に関与するものであり,ただそこに存在するだけで作用を及ぼすものではない。その意味で,Berzeliusのいう触媒は,今の触媒ではない。にもかかわらず,Berzeliusが言い出したことで,触媒研究が進展したのである。酵素概念も最初は曖昧で,Pasteurが発酵を微生物の作用に帰したことにより, 19世紀中期の学者たちは微生物と今で言う酵素の両方に対してfermentという言葉を使っていたことは昨年も指摘した。顕微鏡で見える形態をもつfermenrt(つまり細胞そのもの)とは区別して,可溶性のfermentに対して, enzymeという言葉を提案したのはKühne(1877年)であったが,酵素の実体も本質もまだ不明であった。酵素はそれ自体の物質的性質ではなく,触媒する反応によって定義されていた。すでに19世紀にはさまざまな種類の酵素に関する多数の研究が行われていたが,二つの問題点があった。一つは酵素を精製してその実体を明らかにすることが困難だったことであり,もう一つは,再現性のある信頼できる活性測定法がなかったことである。後者については,インベルターゼ活性を旋光度変化として測定する方法がいち早く利用されていたが,再現性を得るためには20世紀初め,SörensenやMichaelisによるpH緩衝液の導入が不可欠だった。

 酵素の精製は技術的に困難だっただけでなく,当時のコロイド化学による「コロイドを担体とする低分子活性物質が酵素である」という解釈が事態をさらに混迷させた。もっとも精力的に酵素の精製を行 っていたのは,クロロフィル研究でノーベル賞を受賞したWillstätterであるが,精製した酵素の主成分であるタンパク質をコロイド的な担体とみなし,そこに金属などの微量の活性物質が結合して触媒活性を発揮すると考えた。これについては,1926年にSumnerがナタマメのウレアーゼを結晶化させ,それが100%タンパク質であると証明したのちにも論争が続いた。1930年代,Haldaneなど時の有力な学者も酵素研究をしていたが,Willstätterの説が信奉され続けた。タンパク質が酵素の本体であることが確定するのは1950年代であり,1959年刊行のThe Enzyme, 2nd ed.の編者はSumnerに対する追悼文のなかで,まだ上の論争に関する恨み言を述べていた。

 タンパク質性の生体触媒としての酵素概念が確立した1960年代,DNAを本体とする遺伝子概念とともに,生命科学の基礎概念が揃ったように思えた。しかし,ゲノム情報が氾濫する現代生命科学において,酵素概念が再び曖昧なものに戻りつつあることは昨年指摘した。触媒する反応によって酵素を命名していた牧歌的な時代は終わり,いくら配列や立体構造が分かっても,酵素はそれぞれに特殊なもので,生命を記述する共通言語とはならない。遺伝子概念もますます複雑になり,生命を説明するための基礎概念とはならない。細胞構造の単位とされてきたオルガネラもそれぞれに密接に結びついていて,機械の部品のようなものではなくなっている。生命を共通パーツからできた機械仕掛けのように考えること自体が難しくなってきているのではないか。今回は,こうした文脈の中で,酵素概念の歴史を振り返りながら,その哲学的考察を試みたい。