第10回生物学基礎論研究会

2016年9月6-7日 慶應義塾大学 日吉キャンパス

プログラム

9月6日(火)

13:00-13:10 開会の挨拶

特別公演1(司会:田中泉吏)

13:10 – 14:10 坪川達也「魚類の前脳:比較行動学・解剖学から見る動物の意思の座」


一般講演 第1部(司会:森元良太)

14:20 – 14:50 佐藤直樹「葉緑体細胞内共生説の虚と実」

14:50 – 15:05 質疑応答


15:05 – 15:35 丸山真一朗・大野ゆかり・河田雅圭「進化的形質の起源推定における最節約原理の有効性について」

15:35 – 15:50 質疑応答

討論の部(司会:網谷祐一)

16:00 – 16:40 中島敏幸「ダーウィンモデルの限界を超えて:適応進化の包括的モデルの展望」

16:40 – 17:00 松本俊吉 コメント

17:00 – 17:30 質疑応答・総合討論


18:00 – 20:00 懇親会

9月7日(水)

一般講演 第2部(司会:中島敏幸)

10:00 – 10:30 石田知子「遺伝子とはどのような対象であるのか」

10:30 – 10:45 質疑応答


10:45 – 11:15 森元良太「ランダム化比較実験における『ランダム化』とは何か」

11:15 – 11:30 質疑応答

特別講演2(司会:田中泉吏)

13:30 – 14:15 金子洋之「ヒトデ胚の再構築と細胞選別:細胞の意思という考え方に効力はあるか?」


一般講演 第3部(司会:松本俊吉)

14:30 – 15:00 網谷祐一「仮説的思考と心的リハーサルから見る熟慮的理性の進化」

15:00 – 15:15 質疑応答


15:15 – 15:45 千葉将希・野口智明「種の価値とその保全」

15:45 – 16:00 質疑応答


16:05 – 16:35 矢島壮平「目的論とスミス道徳哲学の現代的意義」

16:35 – 16:50 質疑応答


16:50 – 17:00 閉会の挨拶

要旨

特別講演

坪川達也(慶應義塾大学法学部)

「魚類の前脳:比較行動学・解剖学から見る動物の意思の座」

魚類の社会行動を観察する実験系を確立し、メダカやゼブラフィシュ変異体の行動および解剖学的解析を日本及び英国University College Londonで行った。ヒトを含む動物の意思の座としての前脳の構成について議論する。

金子洋之(慶應義塾大学自然科学研究教育センター)

「ヒトデ胚の再構築と細胞選別:細胞の意思という考え方に効力はあるか?」

実験下で、棘皮動物ヒトデ胚の解離細胞から、再び身体を構築させ得る。再構築系において、胚細胞が互いに相手を選別する現象を解析した。これらの概要を、細胞に意思があるかという観点も含めて紹介する。

討論の部

中島敏幸(愛媛大学大学院理工学研究科理学系)

「ダーウィンモデルの限界を超えて:適応進化の包括的モデルの展望」

歴史的に多くの論争はあるものの、Darwin(1859)による自然選択理論は生命の適応性の進化を説明する標準的な基礎理論としてひろく受け入れられている。しかし、自然選択理論が持つモデル(以下、ダーウィンモデル)は次のようにまとめられるだろう。モデルの基本要素として、(A)生物個体は親個体から生まれ、生態系から資源を取り、死ぬ前に子を残す、(B)生物は有限な資源量や生物的・非生物的な要因により生存や繁殖の機会が制約される、が前提となる。これらに基づいて、(0) ある環境において、(1) 生物個体群には個体の形質にバリエーションが存在し、(2) 形質の違いにより生存率や繁殖率に差が生じ、 (3) それらの形質が遺伝すれば、確率論的な帰結から繁殖率や生存率の高いタイプが個体群中に頻度を増して古いタイプを置換して集団が進化する、と説明される。しかし、このモデルに基づく理論的予測や説明は情報量が低く、検証を通してこの理論をさらに発展させることが難しい。この問題を解決するために、自然選択理論の基本原理は踏襲しながらも、より包括的な機械論的な階層システムモデルを導入し、適応進化の理論を再構築することが必要である。新しいモデルは、生物個体群の下位レベル(分子、細胞、個体)からの上向決定性(upward determination)と、生物集団の上位レベル(群集、生態系)からの下向決定性(downward d.)の両側面から適応進化過程を捉える。本発表では、モデルの全体像を示し、上向決定性に関しては概要にとどめ、特に群集や生態系からの下向決定性に焦点を当てる。具体的には、生態系が“選択環境を作り出す”、“新しい遺伝的変異を生み出す”、“変異体間の置換・共存を決める”、等のメカニズムを持つことを階層システムモデルに基づいて示し、可能な限り実験的検証の手立てを示したい。このモデルを用いて適応進化の理論をより詳細で定量的な予測と検証可能な理論に発展できることを議論したい。また、参加者を含めた討論では、上記の見解に対する批判を受けることに加え、因果性(原因と結果)のもつ“システム性(全体が部分をそうさせる)”、 科学理論におけるモデルとその役割、理論的予測の情報量、反証可能性などについても意見交換をしたい。

一般講演

佐藤直樹(東京大学大学院総合文化研究科)

「葉緑体細胞内共生説の虚と実」

細胞内共生説は,真核細胞におけるミトコンドリアや,植物細胞における葉緑体の起源を説明する有力な説と考えられている。細胞内共生説を幅広く説明した著書としては,Margulisが1970年に刊行したOrigin of Eukaryotic Cellsが有名で,当時最新の生化学データによって,それ以前に現れた空想的な共生説に科学的根拠を与えたと評価されることが多い。しかしこの本の大部分は,真核細胞の分裂の様式についての議論とそれを説明する曖昧な生命起源論(Carl Saganに触発されたものと思われる),さらにそれらと関連した鞭毛の共生起源説である。周知のとおり,鞭毛の起源をスピロヘータで説明する説は全くの誤りである。そのため,上記の本を引用する人々も,鞭毛の部分は無視している。

一方,色素体(葉緑体・白色体・有色体などの総称)の共生起源説に関しては,Margulis(1970)は,すでに自明であるとの態度で解説しており,その最大の根拠は,Ris and Plaut (1962)の葉緑体DNAの発見である。この論文では,色素体の共生起源説を最初に提唱した論文として, Mereschkowsky (1905)とFamintzin (1907)を引用している。Margulis は1970年時点では,これらの論文を孫引きしているだけで,読んでいなかったと思われる。Mereschkovsky (1905)には,シアノバクテリアが動物細胞に入り込んで共生することによって植物・藻類細胞が生まれ,それ以後,色素体は色素体から生ずるという連続性があることが述べられている。色素体の連続性は,Schimper (1885)で確立しており,Mereschkovskyはこの論文を読んで,共生起源説を着想したと記している。

Margulis以降の色素体の細胞内共生説の根拠には,生化学的な物質組成やタンパク質合成系なども含まれるが,その後の研究により,構造的にほとんど同じ糖脂質の合成系がシアノバクテリアと葉緑体では全く異なること,葉緑体の遺伝子発現系はシアノバクテリアのものとは大きく異なることなどがわかり,むしろ相違点が目立つようになってきた。現在から見ると,細胞内共生とはいったい何なのか,DNAの水平移動とどこが違うのか,という疑問もわいてくる。Mereschkovsky論文は,このほかにも現代の細胞内共生研究につながるさまざまな示唆に富んでいる。MargulisはMereschkowsky以上のことを言っていたのだろうか。改めて細胞内共生説を問い直し,議論を喚起したい。

参考:佐藤直樹 (2016) 色素体細胞内共生説の源流:メレシコフスキー論文の紹介と再評価。光合成研究26巻(8月号発行予定)

丸山真一朗・大野ゆかり・河田雅圭(東北大学大学院生命科学研究科)

「進化的形質の起源推定における最節約原理の有効性について」

複数系統間で保存された共有派生形質の起源について、最節約原理は重要な判断基準を提供する。即ち、必要のない仮定をなるべく置かなくて済む仮説が最も適切である、というものである。その一方で、同時に同じ種類の「出来事」が多数回独立に起こることもあることは経験的にはよく知られている。では、どのような状況下であれば最節約原理が役に立つのだろうか。つまり、「回数」の少なさが本質的な意味を持ち、尤もらしい起源推定であると言えるのはどのような条件の時だろうか。

今回我々は、ある進化時間内で形質の獲得と喪失がある一定の確率で起こるような形質状態変化に関するSober(1988)のモデルを基に、形質状態獲得後の経過時間依存的に遷移確率を減少させるような「喪失し難さ」の係数(減衰率)を導入した改良版モデルを構築し、最終的な状態の割合をシミュレーションによって算出した。ここでの減衰率導入は、ある形質がわずかでも生存に有利な形質状態であれば、一旦獲得した形質状態はその後喪失し難くなっていくという仮定に基づいている。

その結果、これまで考えられていた以上に広いパラメータ範囲で、派生形質は祖先形質よりも残りやすいことが示された。また、遷移確率が等しい場合でも、減衰率が非対称(獲得と喪失どちらかの遷移確率だけ)に適用された時、派生形質が残りやすくなり、こうした場合には再節約原理を採用しない起源推論の方が妥当と判断され得ることが見出された。これらのことは、最節約原理に基づいて単一回起源説と複数回起源説とを秤量する際に、生物学的な素過程の理解とそれに応じたパラメータの適切な設定が重要な意味を持つことを示している。

石田知子(慶應義塾大学通信教育部)

「遺伝子とはどのような対象であるのか」

遺伝子の定義をめぐって、これまでに様々な議論がなされてきたが、いまだ合意には達していない。それどころか、新たな生物学的事実の発見に伴い、遺伝子概念は複雑さを増しているようにさえ見える。本発表では、遺伝子の定義をめぐる議論から距離をおき、科学的実在論と自然種の実在論という二つの実在論の観点から、遺伝子について考えてみたい。

科学的実在論は、伝統的に、肉眼で観察不可能な微視的対象の実在性をめぐって議論を戦わせてきた。微視的対象の実在性を擁護する一つの方法は、操作可能性に訴えることである。この議論は遺伝子にあてはめることができる。なぜなら、遺伝子も肉眼で観察不可能な対象であるからだ。しかしながらこの議論では、遺伝子の実在性は認められるものの、遺伝子がどのような対象であるのかについては曖昧さが残る。

一方で、遺伝子が自然種として実在するのかという問題もある。ここで重要なのは、生物学的な自然種は、必要十分条件によって特徴づけることはできないということだ。そのため、遺伝子が自然種であったとしても、それは遺伝子が厳密に定義できるということを意味しない。このように、二つの実在論の議論は、どちらも、遺伝子が厳密に定義可能であるということを支持しない。それでは、そのような状況の中で、我々は遺伝子をどのような対象として考えるべきであるのか。本発表では、遺伝子の実在としてのありかたを考察する。

森元良太(北海道医療大学)

「ランダム化比較実験における『ランダム化』とは何か」

ランダム化比較実験はロナルド・フィッシャーにより考案された。農作物の栽培において収穫量を上げることは重要な課題であり、そのためにはどの品種をどの肥料で育てれば最も収穫できるのかを明らかにする必要がある。だが、肥料や品種の効果を調べようとしても、日照条件や土壌の水捌けなど制御できない要因が不可避的に存在し、収穫量の増減が肥料や品種によるのか、あるいはそれ以外の要因によるのかを判別することは難しい。そこでフィッシャーは異なる品種と異なる肥料を用意し、それらをランダムに配置することで、肥料と品種が収穫量に及ぼす効果を調べた。このとき彼は「ランダム化」と呼ばれる手法を用い、制御できない交絡因子の効果をうまく相殺してみせた。その後、ランダム化比較実験は農学だけでなく、薬学、医学、心理学など幅広い分野で応用されていく。とくに医療の分野ではエヴィデンスレベルなるものが提案され、ランダム化比較実験はその最上位に位置づけられる信頼性の高い研究とみなされている。

その一方で、ランダム化比較実験は有効な手法ではないという批判もある。ベイズ主義者のピーター・アーバック(1985)は、ランダム化では母集団の特性を突き止めることはできないと主張する。これに対し哲学者のデイヴィッド・パピノー(1994)は、アーバックはランダム化を誤解していると指摘する。パピノーによると、アーバックのいうランダム化はじつはランダムサンプリングを意味する。また、実際のランダム化比較実験では、ランダム化を処置の等確率の割当てという意味で用いることもある。どうやらランダム化という概念を整理する必要がありそうだ。そこで本発表では、ランダム化比較実験における「ランダム化」とは何かを明らかにする。そのうえで、ランダム化比較実験で何が言えるのかも明らかにしたい。

網谷祐一(東京農業大学オホーツクキャンパス)

「仮説的思考と心的リハーサルから見る熟慮的理性の進化」

古代ギリシアより理性は人間を他の動物から区別するメルクマールだと思われてきた。本発表ではこの人間理性の進化について最近認知心理学で広がりを見せている二重過程説に基づきながら、とくに発展した形では人間にしか見られないとされる「熟慮的理性」(システム2とも呼ばれ、「直観的理性」=システム1と対置される)がどう進化したかについて、議論する。

二年前の本研究会ではこの「熟慮的理性」の進化について、おもにそのマキャベリ的解釈について批判的に検討した。今回の発表では同じトピックについてより積極的な描像を出すことを試みる。具体的には、仮説的思考と呼ばれるものを熟慮的理性の大きな特徴に位置づけながら、その進化を「心的リハーサル」という点から考える。仮説的思考とは、現在起こっている事柄とは別の状況を思い浮かべて、それについて、またそれに基づいて考えることである。この仮説的思考からは熟慮的理性の様々な特徴がよく説明されることがわかっている。

では仮説的思考はどのように進化してきたのだろうか。ここで本発表は仮説的思考とよく似た概念である心的リハーサルに着目する。心的リハーサルは、現実世界の知覚から切り離されたモデルを頭の中に作り出し、それをいわば「舞台」にして様々な対象を頭の中で操作し物事をシミュレートすることで意思決定に役立てるという心の働きである。この心的リハーサルの進化についてはヒトと他の動物の間に共通点と相違点がある。これを元にどういう点で心的リハーサルがヒトで進化したのかを考える。

千葉将希(日本学術振興会、東京大学)・野口智明(東京大学)

「種の価値とその保全」

20世紀後半に登場した保全生物学(conservation biology)は,その性格上,保全されるべき自然や生物多様性の価値(e.g., 内在的価値)に対するコミットメントを含んだ価値負荷的な科学分野であるとしばしばされる(Odenbaugh 2016)。たとえば,多くの保全生物学者たちが受け入れ,研究の方向性や応用のされ方を基礎づける(べき)指針として,「生物の多様性は内在的価値を持つ」,「生物の進化は善である」,「自然には経済的価値を超越する精神的,美的価値がある」などといった価値的なテーゼが持ち出されることがある(Soulé 1985, Primack 2004)。

本発表では,以上のような,しばしば保全生物学に方針づけを与える基礎として持ち出される価値的なコミットメントの是非に関して,大きく2つのアプローチのもと批判的な検討することとしたい。第一に,種や生物多様性のもつ価値の種類や重要性がいかなるものでありうるかに関して,Sandler (2012) をはじめとする先行研究を踏まえつつ価値論的な観点から評定を行う。そして第二に,種や生物多様性の価値をめぐって人々が実際にどのような価値づけを行っているのか,またこれが既存の哲学的議論や保全実践にいかなる含意をもたらしうるのかに関して,Leiserowitz et al. (2005) やVucetich et al. (2015) といった近年の経験的な心理学研究等を踏まえつつ検討する。

矢島壮平(日本女子大学)

「目的論とスミス道徳哲学の現代的意義」

アダム・スミス『道徳感情論』をめぐって、多くの研究者を困惑させてきたのは、神学的・目的論的言説をどう位置付けるかという問題だった。一方の(そして主流派の)研究者は、スミスの道徳哲学が、ニュートン的方法を導入して道徳的事実を説明する経験論的な「科学」である点を重視する。そして彼らは、神学・目的論を、スミス道徳哲学にとって本質的でないものとして切り捨てようとする。他方、前世紀から今世紀への変わり目に声を上げた反主流派の研究者は、神学・目的論が、スミスの道徳哲学に不可欠であることを強調する。

本発表では、(1)スミスの神学・目的論をその道徳哲学から切り離せると主張するスミス研究主流派の見解の妥当性を検討し、彼らがどのような動機のもとで神学・目的論を切り離すことを願うのかを考察する。次に、(2)スミス道徳哲学の現代的意義を探るため、スミス内在的なところを離れ、人間本性の合目的性を説明する代替仮説としての自然選択の可能性について検討する。最後に、(3)実際にスミス道徳哲学理論をそこなうことなく、神を自然選択に置き換えることが可能かどうかを検証する。

第10回生物学基礎論研究会プログラム.pdf