第13回生物学基礎論研究会は、下記の通り開催されました。
日時:2019年8月20日(火)~21日(水)
場所:自然科学研究機構 岡崎コンファレンスセンター(http://www.orion.ac.jp/occ/)愛知県岡崎市明大寺町伝馬8−1
協賛:基礎生物学研究所
特別講演(敬称略):渡辺英治(基礎生物学研究所)、吉田正俊(生理学研究所)
プログラム・発表要旨集は、本ページ下記に記載のとおりです(本ページ最下段からもダウンロードできます)。
田中泉吏(慶應義塾大学)tanaka@flet.keio.ac.jp
鈴木大地(自然科学研究機構)daichi1207@gmail.com
(ご連絡の際は@を半角に変更してください)
受付 12:00〜13:00
開会の挨拶 13:00〜13:10
一般発表(1)
13:10〜13:40 長谷 和子(総合研究大学院大学)「血縁認識をめぐる問題」
13:40〜14:10 泉 龍太郎(日本大学)「生命活動における機能・構造と情報に関する一考察」
14:10〜14:40 森中 定治(放送大学)「種問題が意味するもの ー無性生殖生物の位置付けを含めて」
休憩 14:40〜14:50
一般発表(2)
14:50〜15:20 島谷 健一郎(統計数理研究所)「生物科学における統計モデルの役割:仮説検証でなく推定・分類」
15:20〜16:20 松本 俊吉(東海大学)「進化心理学における適応思考と発見法との関係をどう考えるか」
休憩 16:20〜16:30
特別講演(1) 16:30〜17:30 吉田 正俊(生理学研究所)「自由エネルギー原理と視覚的意識」
エクスカーション
17:30〜18:30 基礎生物学研究所の紹介と神経行動学研究部門の研究室見学
<懇親会>
19:00〜 当日会場にて案内します。ふるってご参加ください。
ワークショップ
10:00〜12:00 太田紘史(新潟大学)・鈴木大地(自然科学研究機構)・田中泉吏(慶應義塾大学)「意識をめぐる問題への新しい生物学的アプローチの検討」
昼食 12:00〜13:30
一般発表(3)
13:30〜14:00 佐藤 直樹(東京大学)「細胞内共生説の謎:2019年アップデート」
14:00〜14:30 権藤 洋一(東海大学)「ゲノムからみた量的形質としてのこころ」
14:30〜15:00 坪川 達也(慶應義塾大学)「進化の意外な順序?」
休憩 15:00〜15:15
特別講演(2)
15:15〜16:15 渡辺 英治(基礎生物学研究所)「深層学習ネットワークを通して見た錯視」
総合討論と閉会の挨拶 16:15〜17:00
一般発表(1)
長谷 和子(総合研究大学院大学)「血縁認識をめぐる問題」
生物社会において血縁関係は最も基礎的な単位だろう。相手が血縁者かどうか識別する必要があれば、その生物は血縁認識能力を獲得するだろうと考えられる。血縁認識を必要とする説明としては大きく2点、協力行動における血縁者優遇のため(e.g, Sherman et al. 1992)と、配偶者選択における近親婚回避のため(e.g., Bateson 1970)、がある。前者については、血縁選択説(Hamilton 1964)が理論的説明として用いられ、どのようにして血縁者を認識するのか、所謂kin labelについては、Dawkins(1976)のGreen beardがよく引用される。実際、仮説を支持する研究が微生物と社会性昆虫を中心に報告されている(e.g., Keller & Ross 1998; Queller et al. 2003)。脊椎動物の血縁者認識においては、免疫遺伝子(major histocompatibility complex, MHC)が配偶者選択と合わせて取上げられてきた(e.g., Yamazaki et al 1988)。脊椎動物において最初に血縁認識が報告されたのは両生類の幼生であり(Waldman & Adler 1979)、Hase & Kutsukake (2019)では発達と種内競争という文脈で新たな知見を報告した。しかし、適応的意義を含め本分類群でのkin labelの説明については、疑問が多く残っている。
本問題が解決困難な理由の一つに、文脈依存的であるという指摘がある。また機構を明らかにしようにも、現象を担う遺伝子群の複雑性や、集団の分散といった対象種の進化的背景まで遡れなかった問題もあるだろう。血縁認識は種認識の副産物に過ぎない、という反論もある(Grafen 1990)。協力の進化研究では、血縁選択は原因ではなく結果ではないかといった反論もある。また利己的遺伝子の文脈に沿うなら、個体にかかる選択と遺伝子にかかる選択は区別されているのだろうか。自己/非自己の問題から社会行動の問題まで、血縁認識を巡る問題は今日まで多くの研究者を惹きつけてきた。野生動物が保持する血縁認識能力が投げかける生物学的疑問について、改めて考察する。
泉 龍太郎(日本大学)「生命活動における機能・構造と情報に関する一考察」
生命構造の維持・形成に関わる力学系については、様々な理論的な取り組みが行われているが、ミクロからマクロレベルまで統一的に記述する法則は知られていない。本発表では、そのような力学系の存在を仮定し、「Biological Dynamics (BD)」と仮称する。但し、BDが実在することを意味するものではない。BDの最小単位として、個々の物質間相互作用(Molecular-Molecular Interaction;以下、「MMI」)を取り上げる。即ち、BDを構成するのは、MMIに基づく力学的な変化であり、その関連性について考察する。次に、生命構造の有する機能について、「その構造を維持・形成すること」と一元的に定義し、情報熱力学的な考え方を援用して、情報量の記述を試みる。その試みに基づき、BDの最小単位である、個々のMMIと情報量の関連性を考察する。最後に、このような考え方をメゾスコピック~マクロレベルに拡張し、また実際の生命活動の現象にあてはめて考えてみたい。
森中 定治(放送大学)「種問題が意味するもの ― 無性生殖生物の位置付けを含めて」
生物の種とは何か?つまり生物の種の概念(種の意味)は、20世紀前半から生物学者の間で広く議論されてきた。最も代表的で多くの生物学者が受け入れている概念は1942年に鳥類学者エルンスト・マイヤーが提唱した“生物学的種概念”である。科学者ならずとも、誰もが直感的に納得でき広く知られた概念である。種Aと種Bは生殖ができない。子孫ができない。これを生物学的には生殖的隔離というが、生殖的隔離のない個体の集合を種(同種)とした。シンプルな種の概念だが明白な欠点がある。それは、交配をしない生物、細菌のように自らの分裂で増える無性生殖生物には適用できないことである。無性生殖生物も生物である。
論考『種問題とパラダイムシフト』(森中、2018)および講演録『次世代にどのような社会を贈るのか?』(森中、2018)では、個々の個体と種の両方が実体であり、それぞれが分離独立し自立した個体(個物)であることを論述した。
種とは何かという問いが非常に難問であり今なお答えが見つからないのは、対極にあるA論とB論のどちらかではなく、その両方を包含する人間の論理を超えたものゆえであることを上記拙論で論述した。そこから無性生殖生物の位置付けが明らかになる。
人間はどう生きるべきか。どのような社会にすべきか。この問いに対し自然科学はずっとそっぽを向いてきた。自然科学上の発見や証明と、個人が持つ美意識や価値観とは無関係と断じてきた。その結果、人類がどのような未来を持つか、未来への道の探索は哲学や心理学など社会科学だけの領域となった。しかし、こうあって欲しいとかこうありたいなどという道徳や倫理、つまり人間の心に生まれる理念や価値観は生物学的な基盤を持つ。自然科学によって見出されたデータや証明が人間の歩む道を定めることはない。それは、その時を生きる人間の総意による。しかし、その時代を生きる個人の意志に、自然科学上の発見は大きい影響を与え得る。
一般発表(2)
島谷 健一郎(統計数理研究所)「生物科学における統計モデルの役割:仮説検証でなく推定・分類」
科学の王道として、理論と観察の一致がある。ところが、個体群生態学や群集生態学では、最も基本的な数量であるはずの個体数や種数ですら、野外集団では正確に測ることは無理な場合が多い。サンプリング調査や、動物では、標識・再捕獲データなどから推定せざるを得ない。
理論(数理生態モデル)と観察値を比べようにも、理論が予測する数量の観察値を得られない。こんな事情もあって、数理モデルの検証は、もっぱら定性的パターンで行ってきた。しかし、シミュレーションモデルの発展もあり、全く異なる仮定やメカニズムのモデルからも期待される定性的パターンは同じという事例が出てくる。大量のデータが得られる今日、野外集団の生態学においても、モデルの定量的評価へ進むべきである。そこでは、観察データから統計モデルを経た推定値で数理モデルを検証することが求められる。
今日、統計モデルは主として推定や予測のために用いられている。
いわゆる検定(有意性検定や統計的仮説検定)は、実験室の中で正確に測定される場合に、ランダムな変動と何らかのメカニズムがもたらす差異の識別には有効である。しかし、推定や予測を伴う場合、直接には役に立たない。
推定・予測目的の統計は、応用(実用)目的なら、当たればよい、正確なほうが良い、で評価できる。しかし、科学目的(仮説の検証目的)では、どのような推論を経るべきだろうか。例えば群集生態学では、ある種の(観察されている)個体数の減少が、人為攪乱によるか、自然の動態の1過程か、現実の生態系に関する真理の判定を期待される。対照実験を伴わない上に、基本料である個体数すら満足に測量できない中、どのような科学が実践可能なのだろう。あるいは、こうした世界は、科学の領分に属さないのだろうか?
こうした問題は、生態学の中だけでは解決できない。統計学を含めた議論が不可欠である。この発表では、こうした問題の整理を中心に行う。
松本 俊吉(東海大学)「進化心理学における適応思考と発見法との関係をどう考えるか」
本発表では、進化心理学を「発見法的プログラム」と解釈することによって従来の方法論的な批判を回避しうるとする、進化心理学の擁護者による近年の議論を検討する。
進化心理学に対する従来の批判の中で最も根本的なものの一つに、その進化的起源が問われている現在人の心的形質について研究者はすでに一定の知識を持っているのだから、過去の適応課題から現在人の所有する心的形質を予測するという適応思考において、彼らはそうした既知の情報を過去に投影しているのではないかというものがある。
これに対してEdouard Macheryは、現在観察可能な形質から過去の進化的起源を推測するリバースエンジニアリングと、過去の淘汰圧から現在の形質の存在を予測する適応思考は、各々単独では不完全であるが、後者が前者の基礎を提供するという形で相互補完的に機能しうるという「ブートストラップ戦略」を以て応答する(Machery forthcoming)。
またAndrew Goldfinchによれば、従来の批判が効力を持つのは、進化心理学に仮説の検証までを含む完全な「説明」を要求する限りにおいてである。しかし、進化心理学の役目を仮説の提起までとし、その検証は、周辺隣接諸分野の経験的研究に委ねるという分業体制の確立によって、進化心理学者は自ら提起した仮説を自ら正当化せねばならないという過剰な負担から解放されると論じる。
それに対して発表者は、Matthew Rellihanによる、進化心理学において採用されている適応思考の分析を援用し、批判的な検討を試みる。Rellihanによれば、進化心理学における適応思考の使用には、「心が適応的に複雑な形質であるという事実が、心が進化的適応であることを示している」という進化心理学者によって通常なされる正当化では不十分であり、「自然選択の力は他の非選択力と比して圧倒的であるゆえに、更新世の祖先が直面した淘汰圧が特定できれば、適応的進化の帰結は一義的に予測可能である」というそれよりはるかに強力な適応主義的前提が正当化されねばならない。このことから導かれる一つの帰結は、たとえ発見法といえどもこうした正当化を免れることはできず、発見法と適応思考との相違は質的なものでなくあくまで程度の問題に帰着するということである。
特別講演(1)
吉田 正俊(生理学研究所)「自由エネルギー原理と視覚的意識」
我々生物が外界を認識するということは、感覚情報という観測データから外界の状態という潜在変数を推測する過程であると捉える知覚観があり、古くはヘルムホルツの無意識的推論まで遡ることができる。UCLのフリストン博士が提案した自由エネルギー原理 (Free-energy principle, FEP) はこれを情報理論的に拡張したものだ。自由エネルギー原理によれば「いかなる自己組織化されたシステムでも、環境内で平衡状態でありつづけるためには、そのシステムの変分自由エネルギーを最小化しなくてはならない。」つまりagentは外界についての知識を「生成モデル」(外界の状態とagentの感覚情報と行動の同時確率) という形で保持しており、現在の外界の状態についての「近似的推測」(外界の状態についての確率分布) を時々刻々更新している。FEPによればagentは生成モデルと近似的推測から定義される変分自由エネルギーを下げる方向に変化してゆく。このとき知覚、行動、学習、注意、発達などの過程はすべて変分自由エネルギーを最小化する過程として統一的に説明することが可能となる。本講演ではFEPについてエッセンスを理解していただくために必要最小限の説明を行うとともに、FEPを意識の理論として援用する立場について演者の考えも含めて紹介する。また、FEPは自己組織化されたシステムの安定性についての理論であり、人間のような認知的なシステムだけに限定されていない。たとえば「単細胞生物」については、感覚器と効果器による外界との相互作用を外界の推測過程と捉える。「進化」については、自然選択を環境についての推測過程として捉える。このようにFEPは長い射程をもっているが、FEPとは本質的にはベイズの定理に基づいた最適化であり、進化における適応主義と同様な議論が必要であると思われる。ぜひこの点について生物学基礎論研究会のみなさまと議論できたらと考えている。
ワークショップ
太田紘史(新潟大学)・鈴木大地(自然科学研究機構)・田中泉吏(慶應義塾大学)「意識をめぐる問題への新しい生物学的アプローチの検討」
ここのところ、意識に関する研究は新たな局面を迎えつつある。
ひとつには、『意識の進化的起源』(ファインバーグ&マラット、邦訳2017年)、『タコの心身問題』(ゴドフリー=スミス、邦訳2018年)、『進化の意外な順序』(ダマシオ、邦訳2019年)、そして “The Evolution of the Sensitive Souls”(Ginsberg & Jablonka 2019、未邦訳)をはじめとして、意識を生物進化の文脈でとらえようとする動きが盛んになっている。これらの著作で共通する見解は、これまで動物意識の議論の対象となってきた霊長類や哺乳類の出現よりもはるかに早い進化的段階で意識が進化したとするものである。しかし、すべての生物に意識があるとも考えない。意識の進化には土台となる生命システムが必要なのは確かだが、それだけでは十分ではないのだ。すなわち、複雑な中枢神経系つまり脳の発達や、脳で行われる多感覚統合や学習、それらに基づく行動選択、環境との相互作用が必要だと考えられている。
一方で、意識研究の関連分野も目まぐるしく進展している。哲学方面では、新しい汎心論(チャーマーズ『意識の諸相』邦訳2016年)、意識の表象理論(鈴木貴之『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう』2015年など)、AIR(注意を向けられた中間レベル表象)説(プリンツ『はらわたが煮えくりかえる』邦訳2016年)などが現れ、現象学も認知科学との接続を模索している(ギャラガ&ザハヴィ『現象学的な心』邦訳2011年など)。また数理方面でも、トノーニの情報統合理論やフリストンの自由エネルギー原理などの新たな理論が注目を集めている。
このような状況のなかで、生物進化の文脈で意識を捉えるアプローチは意識研究のなかでどのように位置づけられるだろうか。また、今後の研究に向けてどのような貢献ができるだろうか。本ワークショップでは、意識をめぐる問題について心の哲学(太田)、進化生物学(鈴木)、科学哲学(田中)がそれぞれの立場から提題・議論し、新しい生物学的アプローチの可能性を模索したい。
一般発表(3)
佐藤 直樹(東京大学)「細胞内共生説の謎:2019年アップデート」
この数年来,ミトコンドリアと色素体の起源に関する細胞内共生説の再検討を科学史と生物学の両面から行ってきた。その一部はすでに,『細胞内共生説の謎』(東京大学出版会,2018年)として発表したが,さらに多くの酵素についての系統解析を進めるとともに,データのまとめ方も更新したので,本研究会で発表し,批判を仰ぎたい。
まず最初に確認しておかなければならないのは,オルガネラの細胞内共生起源は一度も証明されたことはなく,仮説だということである。そもそも,生命の歴史に関する問題を実験室内の実験によって証明することは困難である。にもかかわらず,これがまことしやかに信じられているのは,その分かりやすい説明図式によると思われる。プロテオバクテリアやシアノバクテリアが真核細胞に入り込み,そのままオルガネラになったかのような図が教科書に示されている。しかし重要なことは,「膜は遺伝しない」という原則である。つまり,一見分かりやすい解説図にあるオルガネラ膜は,細菌の膜そのものではありえない。自然科学では,新しい研究成果が最初に提案されたときには,正しいと思えるぎりぎりの証拠しかないものの,より精密な実験によって,時間とともに確実になっていくものである。これに対し,細胞内共生説は,最初,細菌・シアノバクテリアとミトコンドリア・色素体の類似性に基づいて提案され,その後,rRNA配列を用いた系統樹で確認された。さらに,系統樹解析の手法が精緻化され,また,多数のゲノム情報が利用できるようになった。新たな多数の系統樹データが出てくると,むしろ,細胞内共生説には合わないデータが増えてきた。ミトコンドリアについては,ミトコンドリアの多数のタンパク質の系統解析の結果,その大部分の起源はミトコンドリアrRNAの獲得よりも古く,真核生物の共通祖先に遡ることが報告されている。私は色素体の多数のタンパク質の系統解析を行い,その結果,膜の合成に関わる多くの酵素の起源がシアノバクテリアではないことと,シアノバクテリア起源と見なされる多くの色素体タンパク質の獲得時期に大きな幅があり,rRNA獲得の前にも後にも獲得されていたことが判明した。
これらに基づいて考えると,そもそも細胞内共生によってオルガネラの起源を説明する必要がないことがわかる。1970年当時は遺伝子の水平移動という概念が原核生物に限定されており,原核細胞が真核細胞にまるごと入り込むという説明しか存在しなかった。ゲノム解析により,原核生物から真核生物への水平移動が明らかにされたいま,単純な一回の細胞内共生でオルガネラの起源を説明する必要はなく,さまざまな生物からの多数の遺伝子の水平移動を考えればよいと思われる。こうした科学史的な逆転は,哲学的にも興味深いテーマをはらんでいると思われる。
権藤 洋一(東海大学・医学部、理化学研究所・統合情報開発室)ゲノムからみた量的形質としての「こころ」
情動(こころ)はさまざまな遺伝的影響を受け、社会的不適合にまで至ると統合失調症、双極性障害、自閉症などの要因ともなる。候補遺伝子群もすでに膨大な報告がある。ハンチントン舞踏病を典型例とする神経変性疾患は、単一遺伝子変異で説明される稀少疾患が多いのに比べ、精神疾患は遺伝率/罹患率が遥かに高く候補遺伝子も多く報告例があるにも関わらず、単一遺伝子異常で発症する報告はほとんどない。これは、情動が、わずかな効果をもつ多くのポリジーンによってコードされる量的形質であることを意味する。
ヒトは、理性によって情動を制御し、行動や言動をドライブするという前提に立つことで、例えば、議会制民主主義などは成り立つといっても過言ではない。しかし,変化著しく予測困難な今日、国際的にポピュリズムが支持を集めている動向などから、情動の方が強く機能しているという見方も成り立つ。また、「伝統的社会的規範」が、科学的知見を基準を置き論理的に判断する方向への移行に際しても、低線量放射線が有害かどうか、といった大きな社会的課題においても、科学的というよりは風評に左右されるケースが少なくないという現象はいまだ多く見られる。これは、AIによるシンギュラリティーの議論も同様と見て良いであろう。すなわち、科学的な根拠・情報がなく、理性・論理の機能が限定される場合、情動による判断が大きく作用しやすい。さらに拡張すると、情動に基づく価値判断が、理性という「衣」で覆って表現され、多くの場合、ヒト社会はドライブされているという見方も可能であろう。
益々複雑化し価値観が多様化するに連れ、総論賛成/各論反対という現象がさまざまな局面でより顕著となり、社会的軋轢が高まっている今日、ヒトにおける情動の生物学的理解が、解決に向けたひとつの鍵を握るのではないかという仮説を立て、ゲノム科学分野でもまだ未着手に近い量的形質の解明を目指している。
坪川 達也(慶應義塾大学)「進化の意外な順序?」
アメリカの脳外科医アントニオ・ダマシオは「理性」を司るとされたヒト前頭前野、その腹内側の研究を通じて、意識決定には身体反応を含む情動の働きが重要であるとする「ソマティックマーカー仮説」を1991年に提唱したことで知られる。その研究は、『デカルトの誤り』(1994)などの著作を通じて、神経科学だけでなく、哲学など多くの分野に影響を与えた。今回の発表では、このダマシオの最新著作『進化の意外な順序 感情、意識、創造性と文化の起源』(高橋洋訳、白揚社、2019)を取り上げる。
講演者が、2011年の生物学基礎論研究会で発表した「ヒトの支配者―時間・情動・理性」の中では、物質の誕生から神経系、理性の進化までを解説したが、その発表内容に、ダマシオが取り上げた情動の進化の機構を絡め、ダマシオのいう“原核生物のクオラムセンシング”に関しては“代謝”を、“ホメオスタシス”に関しては“パラニューロン”を、“神経系のマッピング能力”に関しては“散在神経系”を、“感情と意識”に関しては“辺縁系”を対照して考察を加える形で、生物の進化と情動の起源について、神経系のみならず内分泌系を含めた再検討を行う。
また、前回の生物学基礎論研究会で発表した鏡像の同期現象に関与する「線条体」とダマシオの「ソマティックマーカー仮説」を対比することにより、生物の進化と神経機能の統合について考える。
特別講演(2)
渡辺 英治(基礎生物学研究所)「深層学習ネットワークを通して見た錯視」
大脳理論の一つである予測符号化説とは、『脳は実時間で眼前の世界がどうなっているか、どのように変化するかを予測しており、その予測と目からの情報の誤差を最小にするように脳の中の予測生成モデルを最適化している』という仮説である。目から大脳へ情報が入力される際には、数十ミリ秒ほどの遅延が生じるため、ベルトコンベア方式の情報処理では、「今この瞬間」の世界を知覚することが難しい。網膜に投影された二次元像から三次元世界を再現する際にも予測という機能は必須であるとされ、予測符号化は視覚のあらゆる側面で働いていると考えられている。しかし残念ながら予測符号化説を直接的に検証する手段はこれまでなかった。
私たちは、これまで「動き」に関する錯視の研究を進めており、一連の心理実験から、錯視知覚は予測符号化が主因であるという仮説をたてた。そこで、予測符号化説を組み込んだ深層学習ネットワークが錯視を再現するかを試みた。検証に用いた錯視は、立命館大学の北岡明佳教授の考案した「蛇の回転錯視」である。この錯視は静止画であるにも関わらず、強い動きの知覚を引き起こす。ネットワークには自然風景の動画を入力し、動画の未来のフレームを予測する学習をさせた。学習完了後のネットワークに蛇の回転図形を入力したところ、驚いたことに、入力映像が静止画であるにも関わらず、このネットワークが予測した次のフレームは元の図形から回転した図形になったのである。予測された動きの方向もヒトの知覚と一致し、回転錯視と似ているのにヒトで錯視が起こらない図形を入力しても予測は入力図形のままであった。以上の研究結果は、予測符号化説が大脳視覚系の働き方を適切に捉えていることを示唆していると共に、このネットワークの中間層のノード特性を調べることで、脳の情報処理の基本的な仕組みを知る手掛かりが得られる可能性を示している。本発表では、色知覚の錯視である「ベンハムの独楽」や、形状知覚の錯視である「フレイザー錯視」についての研究についても報告する予定で、人の知覚や意識を考察するうえでの話題提供を行いたい。