第7回生物学基礎論研究会(共催:生物学史分科会夏の学校)

2013年9月7-8日 総合研究大学院大学 葉山キャンパス

プログラム

9月7日(土)

10:30-11:00 開会の挨拶 中尾央(総合研究大学院大学)

11:00-11:30 「屋久島の事例から探る開発と自然保護のジレンマ」 武田浩平(総合研究大学院大学)

11:30-12:00 「大正・昭和初期における動物調査の諸相―春日神鹿保護会によるシカの調査記録について―」 東城義則(総合研究大学院大学)

13:00-13:30 「生物学的法則の存在/非存在、もしくは生物学と物理学との関係」 松本俊吉(東海大学)

13:30-14:00 「種や高次タクサは歴史的本質をもつか」 千葉将希(東京大学)

14:00-14:30 「脊椎動物における新奇な神経機能(像形成視)の進化」 鈴木大地(筑波大学)

14:30-15:00 「生物学者Julian S. Huxley の文化観:現代的総合と人類学における文化進化論への影響」 南波孝次(明治大学)

15:15-17:45 共通セッション「生物学の人文・社会科学的研究を模索する」

キーノートスピーカー:長谷川眞理子(総合研究大学院大学)

セッション登壇者:飯田香穂里(総合研究大学院大学)・見上公一(総合研究大学院大学)・標葉隆馬(総合研究大学院大学)・中尾央(総合研究大学院大学)

ファシリテーター:瀬戸口明久(京都大学)

18:00-20:00 懇親会

21:00-22:30 ナイトセッション「ポピュラーカルチャーと生物学」 八代嘉美(京都大学)・瀬戸口明久(京都大学)

9月8日(日)

9:00-9:30 「生物学的情報とは何か―認識論的観点から―」 石田知子(慶應義塾大学)

9:30-10:00 「生物学的情報理論の展望」 中島敏幸(愛媛大学)

10:00-10:30 「断続平衡説の歴史と哲学」 田中泉吏(慶應義塾大学)・高橋昭紀(早稲田大学)

10:45-11:15 「極端に実用主義的なトップダウン科学政策がルイセンコ事件をもたらした」 藤岡毅(同志社大学)

11:15-11:45 「霊長類社会学の起源ー19世紀社会学から何を学んだのだろうかー」 浅井健一郎

11:45-12:15 「言語の生得性をめぐって」 高橋さきの(翻訳者/お茶の水女子大学・九州大学)

13:30-14:00 「日本の優生学史研究は何をしてきたか?―新型出生前診断の登場を受けてー」 横山尊(九州大学)

14:00-14:30 「生物学と治療のあいだ」 鈴木和歌奈(大阪大学)

14:30-15:00 「水俣病事件からみた食品衛生学の様相」 中野浩(東京海洋大学)

15:00-15:30 「視覚化される分類と系統:科学のもつヴィジュアル性のルーツ」 三中信宏(農業環境技術研究所/東京大学)

15:45-16:15 「動的な創発概念による生命理解の提案」 佐藤直樹(東京大学)

16:15-16:45 「葉緑体など真核生物細胞内小器官の起源の単一性について」 丸山真一郎(基礎生物研究所)

16:45-17:00 閉会の挨拶 飯田香穂里(総合研究大学院大学)

要旨

「屋久島の事例から探る開発と自然保護のジレンマ」 武田浩平(総合研究大学院大学)

環境保全と開発のジレンマは、生態学に関わりの深い社会的課題である。そこで、環境保全の論理がどのようにそのジレンマを解消して、実践されるのかを明らかにするために、1970年代における屋久島の事例に焦点を当て、2次文献を調査した。どちらの立場も究極的には島民の生活・福祉のためと考えて主張しているが、利害関係の違い上、開発側は島の現代的な経済発展、保全側は伝統文化や自然を重視する点で大きく異なっており、その食い違いがジレンマを生み出していることが分かった。また、保護活動には3段階あり、それぞれ、世論の高まりによる自主的な保全、土砂災害などから住民を守るための保全、学術的価値による保全、と理由付けが変わっていくことが分かった。最後に、この事例をふまえ、自身もフィールド研究者の卵として、現場で調査する上で、このような社会問題を意識する重要性を議論したい。

「大正・昭和初期における動物調査の諸相―春日神鹿保護会によるシカの調査記録について―」 東城義則(総合研究大学院大学)

春日神鹿保護会は、1891年(明治24)にシカ(神鹿)の保護を目的として設立された団体である。同団体は1947年(昭和22)に奈良の鹿愛護会へと改称され現在に至っている。

奈良公園に生息するシカについては、これまで生態学を中心に研究が蓄積されてきた。だが科学者・研究者の調査研究で協働してきた、春日神鹿保護会・奈良の鹿愛護会によるシカの保護活動に関しては、これまで十分な検討と評価が行われてこなかった。そこで本発表では、春日神鹿保護会によるシカの保護活動を分析する基礎作業の一環として、同会による頭数調査記録と出生個体等の調査記録について紹介する。

「生物学的法則の存在/非存在、もしくは生物学と物理学との関係」 松本俊吉(東海大学)

グールドは『ワンダフルライフ』で「生物進化の偶発性のテーゼ」を提起した。「生命テープ」を再生したら、再び人類が登場する可能性は限りなくゼロに近いというわけである。では、生物進化にはいかなる「法則性」もないのだろうか。ポパーが『歴史主義の貧困』で力説したように、基本的に一回的な事象を対象とする歴史科学に法則性や予測可能性を求めるのは見当違いであり、それは進化生物学においても然りなのだろうか。さらに、進化生物学に限定されない生物学一般において、それ固有の「生物学的法則」は存在するのだろうか。それとも、一見法則のように見えるもの(例えば集団遺伝学におけるハーディ・ワインベルグの「法則」)も、単に物理学レベルの法則の、一定の境界条件の下での生物学的現象への適用例にすぎないのだろうか。そもそも生物学と物理学の関係はいかに捉えられるべきだろうか。こうした問題を、グールド、ベイティ、ソーバー、ミッチェル、デネット、キッチャー、カウフマン等の議論を参照しつつ考えてみたい。

「種や高次タクサは歴史的本質をもつか」 千葉将希(東京大学)

近年、それまで進化生物学的知見と相いれないと思われてきた種や高次タクサの本質主義を、進化生物学と調和するようなしかたで新たに擁護しようとする試みが、生物学の哲学者たちによって活発に提案されるようになってきている(「新しい生物学的本質主義」)。こうした試みのひとつは「歴史的本質主義(Historical Essentialism)」とよばれ、おもに哲学者のGriffiths (1999)、OKasha(2002)、LaPorte(2004)といった論者たちによって提案・支持されるとともに、いくつかの論者たちから批判も受けてきた。本発表では、この歴史的本質主義に対して網谷(2007)、Devitt(2008)、Ereshefsky(2010)、Pedroso(2013)といった論者たちがなしてきたおもな批判を踏まえたうえで、これらの批判を再検討し、歴史的本質主義者の立場からの可能な応答を模索することである。本発表で目指すのは、種や高次タクサに本質があるのか否かにかんする問題の早急な解決ではなく、言語哲学・形而上学・生物体系学といった諸分野における議論を援用しながら、生物学的本質主義者たちに残された課題や理論的制約、利点を明らかにすることである。

「脊椎動物における新奇な神経機能(像形成視)の進化」 鈴木大地(筑波大学)

進化発生学は生物の発生から進化を研究しようとする学問領域であり、近年「拡張された総合説」として急速に統合が進んでいる進化学において重要な立ち位置を占めている。その中でも概念的に重要な点として、進化において新奇性(novelty)がどのように進化するのかという問題が盛んに議論されている。

脊椎動物は像形成視という視覚機能をもつ。これは物体を画像として認識する機能であり、脊椎動物で初めて獲得された新奇な機能であると考えられる。像形成視の獲得以前では、光の方向を感知する程度の視覚機能しか無かったであろう。では、この像形成視という新奇な神経機能がどう進化したのだろうか。発表者らは、脊椎動物の中で最初期に分岐し祖先的な特徴をもつヤツメウナギを中心として、比較形態およびEvoDevo的な見地からこの問題に取り組んでいる。今回の報告では、現在までの研究成果と考察をご紹介したい。

「生物学者Julian S. Huxleyの文化観:現代的総合と人類学における文化進化論への影響」 南波孝次(明治大学)

1930-1950年代の間、生物学の領域においては「現代的総合」が、文化人類学の領域においては、小規模ながら、進化主義の復興が起きていた。その間、総合説の構築者の一人であるJulian S. Huxleyが中心となり、進化主義人類学者たちの進化思想に影響を及ぼしていた。そして文化進化の思想は洗練されていった。かつては生物学における「進歩」的概念であった「文化進化」の概念は、「進化」的概念に変化していった。

Huxleyによれば、人類の、経験を累積し伝達する能力が、生物学的進化から文化進化への経路となった。Huxleyは人類の文化を、生物学的進化の結果であると同時に文化進化の土台であるとみなすことで、文化を理解できるともの考えた。そしてHuxleyにとって文化人類学こそが、まさに文化進化についての科学である。

社会生物学の登場以降深まってしまった、生物学と文化人類学の間の溝を埋める手掛かりを、現代的総合の時代の、生物学と文化人類学との関係に見出すことはできるだろうか。

「生物学的情報とは何か―認識論的観点から―」 石田知子(慶應義塾大学)

遺伝情報をはじめとする「生物学的情報biological information」は、これまで様々な仕方で分析されてきた。従来の議論は存在論的なアプローチを採用するものが主であったが、本発表では、認識論的な観点から生物学的情報概念を分析する。その際に鍵となるのは、モデルを中心とした科学観と認知意味論である。まず、ジョージ・レイコフとマーク・ジョンソンの概念メタファー説、エレノア・ロッシュらによるプロトタイプ理論などをもとに、生物学的情報概念を分析する。また、このアプローチはロナルド・ギャリーらの展開するモデルを中心とした科学観と親和性が高いことを指摘し、認知意味論による分析によって科学の中で実際に機能しているモデルを取り出せることを示す。最後に、一連の分析から、認識論的な帰結のみならず、存在論的なアプローチに対する教訓も得られることを確認する。

「断続平衡説の歴史と哲学」 田中泉吏(慶應義塾大学)・高橋昭紀(早稲田大学)

生物はどのように進化してきたのだろうか。古生物学者は、この問いに地層中の化石記録を用いて答えようとする。そうした試みの中で最もよく知られているのが、1970年代にエルドリッジとグールドによって提唱された断続平衡説である。この理論は進化生物学の主流派から批判を受ける一方で、有力な古生物学者から支持を集め、大きな論争を巻き起こしてきた。その中で、理論の内容や提示の仕方も歴史的に変化してきた。本発表では、断続平衡説とそれをめぐる論争の歴史的経緯を分析する。その中で、古生物学が生物学と地質学という独立した二分野にまたがる学問領域であるということに注目する。そして断続平衡説、ひいては古生物学という学問分野の特徴についてあらためて検討してみたい。

「極端に実用主義的なトップダウン科学政策がルイセンコ事件をもたらした~現代日本の科学政策にも通じる普遍的問題~」 藤岡毅(同志社大学)

1934年に設立されたソ連科学アカデミー・遺伝学研究所は世界トップ水準にあったが、1930年代末には遺伝学者は政府の信任を失い、1941年以降、遺伝学研究所はルイセンコ派の牙城となった。こうした出来事はこれまで、遺伝学=「資本主義の生物学」vs「社会主義の科学」=ルイセンコ理論、というようなイデオロギー対立の脈絡で語られることが多かった。だが、この事件は基礎科学を切り捨て、生物学を農業政策に従属させようとしたトップダウンの科学政策の帰結とも捉えることが出来る。農業科学アカデミーのセッションに参加した政府高官は野生キツネの家畜化についての発表を聞いて、この研究は「なんの役に立つのだ」と批判し「資金の浪費」と激怒した。さらに1938年5月の人民委員会議(閣僚会議に相当)では遺伝学研究所の研究テーマ全体が槍玉に挙げられ、査察の過程で遺伝学の基礎研究の廃止と焦眉の実用問題への重点投資が求められた。こうした政策の帰結として、遺伝学研究の凋落とルイセンコ派の躍進がある。このようなルイセンコ事件の「教訓」は、「5カ年計画の早期達成」と「産業競争力の強化」という時代背景の違いにもかかわらず普遍性を持つだろう。たとえば「予算の一元化及び戦略的・重点的配分」を目玉に打ち出された「日本版NIH構想」が歴史の轍を踏まないことを願いたい。

「霊長類社会学の起源ーー19世紀社会学から何を学んだのだろうか」 浅井健一郎

今西錦司の主著『生物の世界』は「遺書のようなもの」として書かれたこともあり、ダーウィンに対するわずかな言及をのぞき、引用がまったく明示されていない。そこで『生物の世界』に対し、これまでの今西研究では、西田幾多郎といった哲学や思想からの影響について議論がさかれてきたが、生物全体社会学と称した今西の議論に対する社会学からの影響を指摘したものはない。唯一の例外が動物社会学の系列に今西の議論を置くものであるが、それですらアリーやエスピナスと具体的に比較したものではない。そこで本発表では今西が学生時の京都大学社会学教室の教授であった米田庄太郎を中心に、当時の主要な社会学者を検討し、今西が生態学ではなく社会学という名乗りを選んだ理由を考察する。そこで明らかになったのは、社会学と生態学字体がその起源において密接な関係にあり、今西が学んだ可能性がある米田社会学はその経緯を色濃く受け継いでいたという事である。米田社会学の学説的な位置づけと今西の種社会論を比較しつつ議論する。

「言語の生得性をめぐって」 高橋さきの(翻訳者/お茶の水女子大学・九州大学)

生きものである以上、都合のよい局面のみで生物学を持ち出して自説を補強すること(生物学決定論)は自動的に棄却される。言語と向かい合う場合も、この点は同様で、要請されるのは、種横断的な言語行為の現場での地道な観察だということになる。まず、ダナ・ハラウェイの『犬と人が出会うとき』で議論された、動物を観察するのか、動物と一緒に観察するのかという分析視角と、人間の言語行為を分析した結果としての文法の議論との重複関係について検討する。具体的には、文法の現場において「場」をめぐって考えられてきた話し手と聞き手の関係性をめぐる分析や、「目の位置」をめぐる議論の有用性について検討する。

「日本の優生学史研究は何をしてきたか?―新型出生前診断の登場を受けて」 横山尊(九州大学)

ここ10年程度で出生前診断に基づく中絶の件数は倍増し、2013年4月から「新型出生前診断」が日本でも始まった。これらの現象は、医療社会論や生命倫理学、あるいは歴史研究で「新優生学」と捉えられてきた。そして、ここ10数年で、優生学史や新優生学をめぐる議論は相当の蓄積を見せてきた。ところが、その新優生学が日本でも隆盛を迎えつつある今、意外にもこの分野の研究者の議論は低調である。 その低調さには恐らく理由がある。その根は、1970-80年代の優生保護法改廃論議にまで遡ることができる。そこで重大な事実の見落としがされ、多くの研究者たちも同じ轍を踏んで今日に至っていると報告者は考える。また、その延長上にあった新優生学批判も、今日の状況の急激な進展に対応しにくい構造にあったと思う。その理由と構造はいかなるものか。優生学の研究史も現代史のなかに含めて俯瞰することで、見えてくるのではないかというのが、報告者の見通しである。

「生物学と治療のあいだ」 鈴木和歌奈(大阪大学)

近年、分子生物学や幹細胞研究などの成果を迅速に臨床に結びつける「トランスレーショナル・リサーチ」が各国の科学政策で注目を浴びている。しかし、基礎科学研究と医療の間には、研究機関や病院といった制度、資金の違い、考え方の違い、人材不足などさまざまな隔たりが存在し、優れた基礎研究であってもすぐには治療に結びつかないのが現状である。

発表者は、iPS細胞を用いた眼科疾患の治療に着目し、1年ほど神戸医療産業都市のあるラボでフィールドワークを行っている。フィールドワークのデータをもとに、政策レベルだけではなく、研究所と病院、ラボレベルでの共同作業に着目し、どのように新しい研究成果が臨床へ移行していくのか、について論じる。

「水俣病事件からみた食品衛生学の様相」 中野浩(東京海洋大学)

近年,公衆衛生学は水俣病を食中毒事件として十分に認識していないと批判されている.また公衆衛生学の専門書(教科書)で水俣病事件が具体的に語られ始めるのは1969年以降の刊行書においてであることも報告されている.一方,厚生省食品衛生行政では1958年には水俣病(1956年公式確認)を食中毒事件として認知しており,同年には複数の食品衛生学専門書(教科書)が水俣病事件を取り上げていた.公衆衛生学が語り始めるまで,水俣病に関する言説は食品衛生学関係書籍で展開されていた.このことは公衆衛生学とは別に,自律的に食品衛生学という科学が機能していたことを意味する.その食品衛生学を主として担っていたのは薬学と水産学の研究者であった.とりわけ,水俣病に関する言説を展開していたのは,東大伝研(予研)に属した水産学研究者であった.今回は,食品衛生学における水俣病の語りとそれを可能とした状況がどのように形成されていたのか,についての検証を試みたい.

「視覚化される分類と系統:科学のもつヴィジュアル性のルーツ」 三中信宏(農業環境技術研究所/東京大学)

多様な生物を分類し整理することはわれわれ人間にとって根源的な重要性をもつ認知行為です.生物体系学は,生き物に関する知見や情報をさまざまなグラフィック・ツール(図形言語)を補助手段として「目に見える」ように体系化してきた歴史をもっています.生物多様性をその進化や系統にもとづいて論じるようになったのは確かに19世紀以降のことです.しかし,分類や系統を視覚化するため,たとえばチェイン(=連鎖)やツリー(=系統樹)あるいはネットワーク(=マップ,チャート)などの図形言語が使われてきました.生物にかぎらず,この世に存在するオブジェクトの多様性をグラフィックに可視化することは,われわれ人間のもつ直感的な認知的理解能力に頼りつつ,多様性の分類パターンと系統プロセスへの理解を深める機能を果たしています.それと同時に,多様性を可視化する図像がツリーであれネットワークであれ,それらがもつアーティステックな表現様式に惹かれます.生物学を越えて複数の学問分野にまたがるパラテクストとしてのチェイン,ツリー,およびネットワークの歴史と今日的意味について論じます.

「動的な創発概念による生命理解の提案」 佐藤直樹(東京大学)

創発という概念は,下の階層の事象から上の階層の事象を説明することができないという共時的かつ認識論的に定義されることが多く,水の創発性をはじめとして,存在論的な創発は否定されているように思われる。しかしこれは,創発を静的あるいは論理学的に捉えるためであり,生命など動的な過程を,存在論的な創発と理解することは可能なのではないだろうか。本発表では,動的な創発概念を定式化する試みを提案する。その基本的モデルはプリゴジーンが生命のモデルとして引用していたベナール対流であるが,万物の駆動力として「不均一性」を考え,これを用いて定式化し直す。すなわち,ベナール対流とは,駆動力(温度勾配)とそれに対する制約(重力)の対立による新たな不均一性・駆動力(対流)の創発である。同時に,これにより階層を定義することができる。さまざまな生命現象の階層においても,同様のモデルがあてはまると考えられ,ものごとを動的に考えることで,生命の創発性が理解可能なものになると思われる。

「葉緑体など真核生物細胞内小器官の起源の単一性について」 丸山真一郎(基礎生物研究所)

地球上の殆どの生命は、植物などの光合成生物により太陽光エネルギーが化学エネルギーに変換される光合成という営みにより支えられています。植物の起源については、最初の植物の祖先が誕生した細胞内共生という進化イベントは十億年以上前に一度だけ起こった、つまり起源は単一であるという考えが広く支持されています。この植物単一起源説は主に最節約性から説明されることが多いものの、ここでいう最節約性が有効になる条件がどのようなものなのかについては、これまであまり議論されてきませんでした。本報告では、単一起源の根拠とされてきた植物のゲノム情報や分子系統解析の結果などを検討し、最節約性が葉緑体などの細胞内小器官の「起源」を考える上でどこまで有効なのかを議論したいと思います。

参考:日本植物学会研究トピック「植物の起源を知るということ」