第14回生物学基礎論研究会

第14回生物学基礎論研究会のプログラム

8月26日(木)

開会の挨拶

  • 10:00〜10:05

一般講演(1)

  • 10:05-11:05 中島敏幸(愛媛大学)「生命システムは独我論から逃れられるか」

  • 11:10-12:10 小野山敬一(地球村自遊学者)「生きていることのエネルギーシステム学」

昼食休憩・ディスカッション

  • 12:10〜13:30(質疑応答後も議論されたい方は講演者とともにブレイクアウトルームにご案内します)

一般講演(2)

  • 13:30〜14:00 森中定治(放送大学埼玉SC)「人間の利己性と利他性についての考察――ハミルトンとプライスの方程式を土台にして」

  • 14:05〜14:35 大林侑平(名古屋大学、日本学術振興会特別研究員)「生物学的機能の歴史性:19世紀の目的論的自然哲学を参照して」

  • 14:40-15:40 森山徹(信州大学=発表者)、右田正夫(滋賀大学)、齋藤帆奈(東京大学)、園田耕平(立命館大学)「心の行動抑制ネットワーク仮説:心の連続性から心の遍在性へ」

休憩・ディスカッション

  • 15:40〜16:00(質疑応答後も議論されたい方は講演者とともにブレイクアウトルームにご案内します)

特別講演(1)

  • 16:00-17:00 橋本康弘(会津大学コンピュータ理工学研究科)「新規性の生成と選択—ソーシャルメディアの分析とオープンエンド性」

懇親会(オンライン)

  • 18:00〜20:00頃


8月27日(金)

シンポジウム

  • 10:00-12:00 「相同性はなぜ哲学の問題になるのか?」(オーガナイザー:鈴木大地(筑波大学)、スピーカー:植原亮(関西大学)、大塚淳(京都大学)、鈴木大地)

昼食休憩

  • 12:00〜13:30

一般講演(3)

  • 13:30-14:00 佐藤直樹(東京大学)「酵素概念の歴史的・哲学的考察」

  • 14:05-14:35 権藤洋一(東海大学)「遺伝、遺伝子、遺伝学:形式知としての課題と現状」

  • 14:40-15:40 松本俊吉(東海大学)「『嚢胞性線維症の遺伝子』同定をめぐる哲学的問題」

15:40-16:00 

休憩・ディスカッション(質疑応答後も議論されたい方は講演者とともにブレイクアウトルームにご案内します)

特別講演(2)

  • 16:00-17:00 出村裕英(会津大学宇宙情報科学研究センター)「小惑星探査機はやぶさ/はやぶさ2と会津大学/福島」

総合討論と閉会の挨拶

  • 17:00-17:40

第14回生物学基礎論研究会の発表要旨

8月26日(木)

一般講演(1)

中島敏幸(愛媛大学大学院・理工学研究科(理学系))「生命システムは独我論から逃れられるか」

 細胞や個体のような生命システムをその外側から記述し、そのシステムの構造や機能を理解しようとするのがこれまでの生物学の主要な枠組である。この枠組では、外部観察者の視点から、生命システムとその環境の存在を認めたうえで、それが環境といかに相互作用しそれに適応しているのか理解しようとする。一方、生命システムの側からこの問題を見ると、あるシステムが環境に適応するには、自身の環境の存在を何らかの形で知る必要がある。しかし、生命システムは自らの外に出て自身とその外部を認識できない。では、システムはその外部を知ることができるのか。この問いは哲学においてデカルトが問うたことである。これは、生命システムは独我論から逃れられるのか、できるとすればいかにしてか、という難しい問題である。システム内部からの問いと外部観察者の問いは互いに表裏一体であるが、前者の視点からの解析は乏しい。

この発表では、生命システムはいかにして自身の外部の存在を捉えられるかという問題にアプローチし、一つの答えとして「生命システムは、逆因果律(inverse causality)に基づいて外部実在のシンボルをシステム内に生成し、そのシンボルを用いて事象(現象)の確率分布を制御する」というモデルを提案する。ここで、逆因果律とは「主体の(部分)システムがある同一状態(x)から異なる状態(y or z)に状態変化した場合、x の背後に異なる何か(外部実在)が存在する」という原理である。生命システムはその進化の過程で逆因果律を実行する装置(例えば、イオンチャネルやニューロン)を発明した、という考えを述べる。また、この議論では、演者のこれまでの研究結果の整理に加え、デカルトの懐疑、Husserlの現象学,量子力学における情報から実在の導出(Wheelerのit-from-bit)、UexkullのUmwelt、脳科学における意識、等の諸概念との関連を示し、生命システムの “環境の内部モデルの構築”の理論へ発展させるべき展望を描きたい。


小野山敬一(地球村自遊学者)「生きていることのエネルギーシステム学」

 1.凍結精子や乾眠中のクマムシといった、代謝活動がほとんどゼロの有機体は、立体構造が無傷であることが、生命活動を再開する潜在能を保証していると考えられる。ロボットと比較すると、エネルギー供給が無くなって、ある期間は活動停止状態にあっても、充電すれば自動的に起動して、またはスイッチをオンにすれば、活動を再開する。ただし、有機体もロボットも、その立体構造が破壊されていれば、復活することは無い。損傷部分を修理するか新しい部品で交換すれば、システム体は再び作動する。

 2.有機体における複製は、DNAまたはRNAを媒介として行なわれる。鉱物は(生命体だと認めない人が多いだろうが)、環境条件が整えば、結晶は成長する。小さな元タネを鋳型として、立体構造を複製=繰り返し積層して積み上げていく。植物が、成長点で伸びていくのと似ている。

 3.クールー病や狂牛病や羊スクレーピーの病原体として、ウイルス仮説ではなく、プリオン仮説を、つまり変異蛋白体仮説を採用しよう。アミノ酸順序集合体または1列連鎖体が、エネルギー的に最も安定な立体構造を取る(アンフィンゼンの原理)とは限らず、様々な折り畳まれ方をして、環境条件または棲み場所に応じて、多様な形態様式 conformation が可能だとすると、多様な病態へのもっともらしい説明になる。プリオンは、αらせん体とβシート体が混じった立体構造である。組み合わせ方の自由度も、そこそこあると考えられる。一定範囲の環境条件で一意的に決まれば、ドミノ倒しのように、複製されていくだろう。結晶の成長(=増殖)方式と同様である。

 4.プラスチッド、ウイロイド、ウイルス(virophage といったウイルスに寄生するウイルスもいる)は寄生性生物である。satellite virus といった、感染性の核酸(DNAまたはRNA)が主体的物体で、その増殖には同じ細胞に他のウイルスが感染していることが必要なウイルスもいる(片利共生か相利共生)。ヒトもまた、食物連鎖を媒介として、間接的に太陽エネルギーを食べている、寄生性動物である。

 5.コロナウイルス類について、システム的種概念を適用した結果を検討する。


一般講演(2)

森中定治(放送大学埼玉SC)「人間の利己性と利他性についての考察ーハミルトンとプライスの方程式を土台にして」

生物の進化とは、遺伝子の複製過程である(Dawkins, 1976)。複製率が1より大きければ進化であり、世代を追うごとに当該遺伝子を持つ個体が増加する。1より小さければ消滅の方向になる。自然選択は遺伝子ではなく表現形質の機能に作用するがゆえに、視点を変えれば生物の進化とは表現形質の変化過程でもある。では、表現されない遺伝子やある特定の機能は表現されない(認識されない)けれども他の機能を発揮している遺伝子はどうなのだろうか。表現されない遺伝子は、自然選択が作用しないゆえに塩基配列が変化し易く、これは分子進化の中立説として知られている(Kimura, 1968)。一方、他の機能を発揮している遺伝子は、その必要性が続く限り維持されると考えられる。

ハミルトン(Hamilton, 1964)が見出した包括適応度方程式(Fi = Fd + B x r - C)は、個体が所持する資源の利他的配分についての範囲を定めるが、それだけではなく、この地球における生物の存在形式そのものである。言葉を変えれば、ハミルトン則は生物の生存原理とも、生存のための普遍的な仕組みとも言える。包括適応度(Fi)は、直接的適応度(Fd)+助けた他個体の適応度の増分(B)×血縁度(r)ー他個体を助けるゆえの直接的適応度の減少分(C)で表される。B×r > C の時、つまり自己の適応度と助けた他個体の正の同類性を持つ遺伝子(正の同類性以外は除外)の適応度を合わせて結果的に自分の元々以上の場合のみ利他があり得るという結論が導かれ、B×r に拘らない純粋利他は存在し得ない。

ボウルズ&ギンタス(2017)は著書『協力する種』において、プライスの共分散方程式を用い、そうではないことを示そうとした。利他行為が自分と正の同類性への利益の範囲内でしかあり得ないのであれば、大規模の協力だけでなく、多数の無償援助、分け隔てのない多種多様のボランティアなど現実の人間世界の有り様を理解することは難しい。それだけではなくボウルズ&ギンタスはハミルトン則が大嫌いなのである。ボウルズ&ギンタスはこの著作で一体何がしたかったのか。彼らの主張について、そしてその主張の奥に隠れる人間の持つ普遍的なものについて考察する。ハミルトン則が正しければ純粋利他は本当にあり得ないのか、純粋利他とハミルトン則は両立し得ないのか、それについて考察する。


大林侑平(名古屋大学、日本学術振興会特別研究員)「生物学的機能の歴史性:19世紀の目的論的自然哲学を参照して」

本発表は、生物学的機能の概念に二つの側面からアプローチする。一つは機能概念が生物個体やその器官など何らかの個別に帰属される時に前提とされる歴史性であり、もう一つは現象的性格である。

そもそも生物学的機能の概念は、意味や使用に即して、個体や器官の活動能力や傾向、活動に資する特徴、あるいは自然選択の結果として母集団に現れている形質、などに分類できる[Wounter (2003, 2005)]。このように分類される生物学的機能は、ある時点での統計的な傾向や形質に根拠を有している限りで、歴史的である[Garson (2019)]。

とはいえ、この歴史性はtypological thinkingにおける発生的時間とpopulation thinkingにおける進化的時間によって二重化されている。しかしLewens (2009)などが指摘してきたように、これら二つの思考は両立しないため、歴史性の概念もまたうまく理解できない可能性がある。二つの思考様式の対立については、Love (2007)がfunctional homologyの概念を歴史的に分析することで、あるいはSuzuki (2021)がhomology thinkingを提案し、総合的な解決が試みられてきた。

一方ここでは、生物学的機能の歴史性を再考する。そのため以上の議論を前提に、歴史認識論的方法をとる。まず1800年前後のカントやシェリングに代表される有機体論における目的や展開(Evolution)の概念と、ゲーテやブルダッハに代表される形態学的な個別化の考え方を取り上げる。第二に、従来の自然哲学を否定した1850年前後の唯物論者、特にL. ビュヒナーにおける、1859年のC. ダーウィンの『種の起源』(H. G. ブロンによるドイツ語訳は1860年)受容前後の議論を瞥見する。そして第三に自然哲学を再度受容したE. ヘッケルの影響を受けたW. ルーの機能的適応の理論を取り上げる。

こうした歴史認識論的な考察の結果として、ここでは類と個体、個体全体と部分ということなるスケールにおける自己目的的関係に依拠して類別化や個別化に際しての規定性と決定論の相違を強調し、生物個体や個別部分の機能的な自由度に関する考察に進むことで、歴史性の二重化の問題を解決しようと試みる。


森山徹(信州大)、右田正夫(滋賀大)、齋藤帆奈(東京大)、園田耕平(立命館大)「心の行動抑制ネットワーク仮説:心の連続性から心の遍在性へ」

心の連続性とは、ヒトに特有と見られる心的能力はヒト以外の動物においても原基的な形で見られる、という考え方である。一方、発表者らは、ヒトを含む動物に普遍的な心の性質を探究している。その一つが、私たちが動物に対して抱く「何をしだすかわからない」という感じ、すなわち「わからなさ」である。我々は、この「わからなさ」を生みだす仕組みとして、行動抑制ネットワーク(Behavioral Inhibition Network: BIN)を提案する。例えば、ダンゴムシは、事前の転向方向の逆に転向する交替性転向反応という性質を備えている。この反応は、ダンゴムシの他の様々な反応、例えば、丸くなる、止まる等、を司る機構がネットワークを形成して互いの活動を抑制し、交替性転向反応の機構の働きを妨げないようにすることで、初めて実現されるはずである。実際、自然界で凹凸の地面を歩きながら交替性転向反応を見せるダンゴムシは、体が突然大きく揺れるたびに外敵を想起し、にもかかわらず、丸くなるという行動を抑制しているだろう。このように、ダンゴムシは、BINの働きによって交替性転向反応を実現していると考えられる。ところで、このBINは、その働きが自律的であるがゆえに、その構造を時々刻々と変化させる。そして、この変化は、交替性転向反応の機構に影響を与え、反応にゆらぎを与えるだろう。例えば、ダンゴムシは時折、同じ方向への転向や方向転換というゆらぎを見せる。更に、BINの自在な変化は、交替性転向反応の機構と、抑制中の機構の混同さえ引き起こし、ダンゴムシに「わからなさ」を生じさせる原動力にもなるだろう。例えば、ダンゴムシは、連続T字迷路という人工的な未知の状況に晒されると、突如、壁を登って装置から逃れてしまう。この壁登りによる高所への移動は、乾燥が死に至る条件であるダンゴムシに対し低湿度を与えるため禁止されており、ゆえに、理解不能である。このように、BINは、ダンゴムシの「わからなさ」を説明する最も単純な仮説の候補である。


特別講演(1)

橋本康弘(会津大学コンピュータ理工学研究科)「新規性の生成と選択-ソーシャルメディアの分析とオープンエンド性-」

文章を読み進むと単語が次々と現れる。異なるそれぞれの単語に記号を割り当てると、文章を読み進める行為は記号のシーケンスの観測として表現できる。読み進めることで既知の単語の出現回数は増えていくが、それでも時折一度も見たことがない単語が現れるだろう。学術の世界では論文が次々と現れる。論文の中で参照された論文に記号を割り当てると、学術世界全体は参照された論文のシーケンスとして表現できる。特許の引用も同様である。これらは生態系の種の出現に少し似ている。突然変異によって、生物学的に新しい属を構成する種が次々と生まれ、属のバリエーションと属が含む種の数が増えていく過程は、単語や論文の種類とその出現回数・参照回数が増えていく過程とアナロジーをもつ。過去から現在までに聞いた音楽は?届いたメールの送り主は?利用した駅は?これらも同じく、新しい何かの発生と、その再生産のシーケンスと見ることができる。ここに2つの問いが生まれる:新規性はどのように生まれるのか?そして、その再生産にはどのような選択圧が働いているのか?この単純な問いに対して、ミニマムに近いモデルを提供するのがYule–Simon過程と呼ばれる古典的確率過程である。

ソーシャルメディアで利用される「ハッシュタグ」は、そうした新規性の生成と選択の興味深いテストベッドである。次々と新しいタグが生み出され、それが社会集団の中で次第に意味を獲得し、他のタグとのネットワークの中で、ある種の生態的地位を形成していく。生物種と異なるのは、その過程を包括的にトラッキングできる点である。本講演では、タグの進化的ダイナミクスをYule–Simon過程を基礎に分析する取り組みを紹介する。そして、人工生命研究における重要なテーマ「オープンエンドな進化」を考える入り口としたい。


8月27日(金)

シンポジウム

鈴木 大地(筑波大学)・植原 亮(関西大学)・大塚 淳(京都大学)「相同性はなぜ哲学の問題になるのか?」

 相同性とは、生物体間あるいは生物体内の形質の同一性を指す。ここでの「同一性」とは認識論的・存在論的に何を意味するのかについて、哲学的な議論が活発に交わされてきた。当初は、生物種における本質主義的自然種説と個物説の「場外戦」として、「相同物は自然種なのか、それとも単に個物の一部分に過ぎないのか」が焦点となった。この論争は個物説に軍配が上がり、一度は「本質主義の死」が宣告された。

 それに呼応して、自然種説の支持派は「新しい本質主義」をいくつか提唱した。そのひとつが恒常的性質クラスター(Homeostatic Property Cluster [HPC])説である。旧来の本質主義は必要十分条件が揃って自然種の本質であるとするのに対し、HPC説はそれを緩め、必ずしもすべての性質が揃う必要がないとする。それによって、進化の過程における性質の変化を許容できるようになった。さらに相同性の議論においては、同一個体内での相同性(連続相同:昆虫の前翅と後翅など)を扱える点で、系統的連続性を必要とする個物説よりも利点がある。とりわけ進化発生学の研究の進展により、連続相同物の形成メカニズムの共通性が明らかになると、HPC説を支持する生物学者も増えた(たとえばWagner 2014)。

 一方で自然種説も個物説もとらずに相同性を捉える相同概念も提唱されている。因果グラフの同型性に基づくOtsuka 2017のCausal Homology (CH) 説、相同物は繰り返し形成されるという現象論とダイナミクスに注目するSuzuki & Tanaka 2017の Persistently Reproducible Modules (PRM) 説である。

 本シンポジウムでは、HPC説、CH説、PRM説の論者が一堂に会し、相同性にまつわる認識論的・存在論的問題を議論する。


一般講演(3)

佐藤直樹(東京大学総合文化研究科)「酵素概念の歴史的・哲学的考察」

現在の生化学では,酵素は「タンパク質でできた生体触媒」である。もともと,有機物が発酵したり腐敗したりする原因として,生物に由来する有機物そのものに内在する生命力が想定されていた。19世紀半ば,Louis Pasteurによって,発酵や腐敗の原因として微生物の活動が解明され,発酵を引き起こす作用をもつものは発酵素fermentと呼ばれた。その場合,発酵に微生物そのものが必要なのか,それとも,微生物が含む何らかの物質が必要なのか明確ではなかった。その後,Wilhelm Kühneにより,微生物から抽出される「形のない発酵素」(可溶性の発酵素)に「酵素」enzymeという名称が与えられた。生化学史家Marcel Florkinによれば,当時,熱素や電磁気を伝えるエーテルなど,何でも自然現象を物質化して考えてしまう悪弊への反省から,酵素という物質的なものを安易に認めず,酵素活性を生体物質が示す特殊な性質とみなす考え方も根強かった。これに対し,Emil Fischerはさまざまな糖の異性体を用いた酵素反応の研究から,酵素が基質と特異的に結合する「鍵と鍵穴」仮説を考えた。Victor Henriによる先駆的な研究を受け,Leonor MichaelisとMaud Mentenは,有名なMichaelis-Mentenの式につながる酵素反応速度論の研究を行った。反応速度論は,基質の濃度をさまざまに変えたときの酵素反応の進行を丁寧に測定することにより,反応のしくみとして想定されたモデルの妥当性を検証する,当時の生物学分野では珍しい数理的解析であった。そのモデルでは酵素と基質との結合が想定され,実験と理論の一致に基づいて,モデルの正しさが認められた。しかし,これには,それぞれの酵素が明確に定義される構造をもつタンパク質であることと,酵素と基質との特異的な結合を証明する必要があり,それには分子生物学や構造生物学の発展を待たなければならなかった。現在では,酵素概念は確立しているとみなされているが,哲学的に考えれば,むしろ問題は難しくなったとも考えられる。なぜなら,酵素のセットによって細胞や生体の生命活動が説明できるようになったにしても,機械論的な生命の理解では,構成要素たる酵素は,生物種を越えて一般化された部品でなければならない。にもかかわらず,同じ名前の酵素であっても,異なる生物のものはそれぞれに性質が異なり,場合によっては,ドメイン構造が異なって,他の触媒活性や制御部位をもつこともある。それはそれぞれの生物の適応進化の結果とみなされるが,逆にそれぞれの生物がもつ酵素が,それぞれの生物に固有のものであるとすると,特定の生化学反応を触媒する酵素の組み合わせによって生命を理解するという機械論・還元論は破綻してしまう。それぞれの生物がもつ酵素は,結局のところ,その生物固有の構造の一部をなしているのであるから,部品の相互作用によって全体を説明するという還元論的な説明が意味をなさないことになると思われる。


権藤洋一(東海大学医学部分子生命科学)「遺伝、遺伝子、遺伝学:形式知としての課題と現状」

優性・劣性を顕性・潜性とするなど遺伝学用語が見直されている。なかでも「遺伝子」は個々人で暗黙知が異なり「遺伝」「遺伝学」「変異」などとともに要検討用語として残った。近代遺伝学はメンデル「因子」の再発見から始まり、遺伝(inheritance/heredity)に対し、そのメカニズム解明を目指す遺伝学(genetics)が20世紀初頭に確立した。「因子」は遺伝子(gene)として定着し、遺伝子に突然変異mutationが生じ、変動し、置換固定を繰り返すNeo-Darwinism進化論が1920年代には確立した。

1遺伝子-1酵素仮説から遺伝子の実体がDNA分子であることが解明され、遺伝子=「タンパク質コーディングおよびそのcis発現調節領域」という分子生物学的定義が広く定着する一方、ゲノム解読によって例えばヒトゲノムの99%近くはノンコーディング配列でありそこから発現する多数の機能性ncRNAが大進化に寄与するとも提唱され、「遺伝子」の再定義が必要となっている。また、「変異」もpolymorphism、variation、mutationとともに、個別化ゲノム医療やデザイナーベイビーといった先端技術利用に伴い再検討が必要となっている。

遺伝的要因であれ環境要因であれ、生物個体はゲノムに刻まれた「遺伝子群の発現応答反応系」と見ることができ、疾患解明や診断治療に留まらず、「優れた遺伝子」という言葉がゲノム編集とともに社会全体でも議論されつつあり、概念定義を見直す時期と考える。平衡集団では適応度の高い個体は平均値近傍の形質をもち、外れ値を示す個体はプラスにもマイナスにも働くという多面発現pleiotropyを示すことで生物集団の多様性が維持にされており、新たに定義される遺伝子群の間で、また、環境とも相互作用epistasisを示す遺伝学geneticsへの展開を方向性の一つとしたい。


松本俊吉(東海大学)「『嚢胞性線維症の遺伝子』同定をめぐる哲学的問題」

 1989年にCollins, Riordan, Tsui等によってなされたいわゆる「嚢胞性線維症の遺伝子」の発見(Rommens et al. 1989; Riordan et al. 1989; Kerem et al. 1989; all in Science)をケーススタディとして、病因遺伝子を特定するとはどういうことかという問題を、遺伝学史的な事実も踏まえて哲学的に考察する。この「発見」における注目すべき点のひとつは、この遺伝子から合成されるタンパク質についての情報を事前にほとんど持たないまま、研究者たちは「逆遺伝学reverse genetics」の方法——すなわち推定された遺伝子型から出発して表現型を特定するというボトムアップ的手法——に頼らざるをえなかったという点にある。すなわち彼らは、病的な症状(表現型)から出発してそれに因果的に関与する遺伝子型(突然変異)を突き止めるという、病因遺伝子の特定において従来用いられてきた「順遺伝学forward genetics」の方法を用いることができなかったのである。

 この報告では、嚢胞性線維症というこの重篤かつ致死的な遺伝子疾患の原因遺伝子特定にともなうこうした特異な側面に、歴史的かつ哲学的な側面から光をあてる。歴史的には、なぜこの発見が、当時マスコミも巻き込んで、病因遺伝子発見の歴史的な快挙として持て囃されたのかという理由の一端を垣間見る。哲学的には、「嚢胞性線維症の遺伝子 (the gene for cystic fibrosis)」という用語法が実際のところ何を意味するのかという問題——すなわち「青眼の遺伝子」という語りとも共有された曖昧性——について掘り下げて検討する。


特別講演(2)

出村裕英(会津大学宇宙情報科学研究センター)「小惑星探査機はやぶさ/はやぶさ2と会津大学/福島」

太陽系科学の進展により、地球生命の材料物質である有機物と海水が地球軌道近傍で生じないことが明らかとなってきた。原始太陽系星雲から水や有機物が析出する範囲は、火星軌道と木星軌道の間にあるスノーライン以遠の低温環境である。現在地球上にある生命や海は地球外から持ち込まれた物質で出来ており、それらの起源は地球だけを調べていても決して追いきれない。そこで、太陽系の化石ともいうべき始原的天体、惑星への進化途上で取り残された小天体が注目されるようになり、小惑星や彗星のサンプルリターン計画が世界中で進められている。

日本はそうした取り組みで先駆的位置を占めており、2010年に「はやぶさ」がS型小惑星Itokawaで、2020年に「はやぶさ2」がC型小惑星Ryuguで、2件のサンプルリターンミッションを立て続けに成功させている。加えて、有機物の多い小惑星が捕獲されて火星衛星となった可能性があるPhobos(D型)を目標としたサンプルリターンミッション「MMX(Martian Moons eXploration)」が2024年の打ち上げを目指して走っており、日米欧合同の「AIDA(Asteroid Impact & Deflection Assessment)」による小天体軌道変更衝突実験、そして「はやぶさ3」の検討も始まっている。

日本は、はやぶさで技術実証し、はやぶさ2で有機物と水の多い小惑星試料を回収分析することで、より始原的なサンプルを求めて着実にステップアップしている。会津大学教員と学生、福島県内企業はこれらに参画し実績を挙げている。

本講演では、はやぶさ/はやぶさ2を振り返りつつ、会津大学と県内企業が果たした役割を中心に紹介する。