「古事記と言霊」講座 そ
「古事記と言霊」講座 その一- <第百六十号>平成十三年十月号
s<第百六十号>平成十三年十月号
その160
「古事記と言霊」というテーマでお話を始めます。古事記とは日本の最も古い書物の一つであり、言霊と申しますのは日本民族の太古の祖先が、人間の心を構成している究極の要素として今から八千年乃至一万年程前に発見したもので、その言霊(これをコトタマと呼びます)によって構成されている人間の精神法則を布斗麻邇(フトマニ)と呼びました。以上の日本最古の書物である古事記と、日本の太古といわれる時代に日本人の祖先によって発見された言霊布斗麻邇の原理とが如何なる関係にあるのか、その関係を調べることによって如何なる事が分かって来るのか、等々をお話するのがこの「古事記と言霊」講座の目的であります。
今回の講座は表題に多少の違いはあるものの「古事記と言霊」の四回目の講座であります。過去三回の講座で言霊布斗麻邇の原理は理論的には百パーセント近くまで完成し、その三回の講座の話を基礎にして当会発行の書籍「古事記と言霊」が世に送り出されています。そんな事情を踏まえた上での第四回「古事記と言霊」講座で御座いますので、従来とは趣向を変え「古事記と言霊」の本の記述の順序に則って話を進めながら、随所に記述の内容に関連したエピソードや言霊学勉学についての注意事項などを折り込んで話を進めて参りたいと思います。興味深い講座の話にまとまり、読者の皆様の言霊学の尚一層の御理解に役立つならば幸甚と存じます。出来れば「古事記と言霊」の本を座右にしてお聞き下されば便利かと存じます。
先ず古事記という本について簡単に説明しましょう。古事記は奈良時代の最初の天皇である元明天皇の勅命(和銅四年九月十八日・七一一年)により太安万侶が稗田阿礼(ひえだあれ)の誦んだ帝王の日嗣と先代の旧辞を撰録して和銅五年正月十八日・七一二年に献上した書物であります。その古事記撰録の基礎となりました稗田阿礼の暗誦した歴史とは、元明天皇より三代前の天武天皇が稗田阿礼に勅語して、帝王の日嗣と先代の旧辞(くじ)とを誦み習わしめた、といわれるものであります。帝記とは歴代天皇の系譜を中心に諸氏族の系譜との関わりを記した書、旧辞とは前の世の伝えごとの事であります。
古事記は全文が漢字で書かれています。とは言いましても漢文ではありません。日本語を、その音と同じ漢字を当て、またはその意味・内容が同じ漢字を当てて書かれたのであります。例えば姓(うじ)の日下(くさか)を玖沙詞(くさか)と書き、名の帯(たらし)の字に多羅斯(たらし)を当てるようにであります。簡単に言いますと、私達が現在、難しい漢字に假名のルビを振るように日本語を漢字のルビで書いたのです。この方法は日本最古の歌集といわれる万葉集にも同じように使われました。従ってこれを現代人が読みこなす事は困難であり、万葉集の歌の中には今現在に到っても如何に読んでよいかが不明のものもある位であります。幸い古事記は本居宣長(もとおりのりなが)の多年の労作により寛政十年(一七九八年)「古事記伝」として翻訳され、現代人に読めるようになりました。何故安万侶がこの様な難読な書としたのか、またはせざるを得なかったのか、の理由を明らかにする事も本講座の目的の一つであります。
古事記は上中下の三巻より成っています。上つ巻は天地の開闢、天の御中主の神より日子波限建鵜草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)の尊までの神話を載せ、中つ巻は神倭伊波礼■古(かんやまといはれひこ)の天皇(神武天皇)より品陀(ほむだ)の御世(応神天皇)までの歴史、下つ巻は大雀(おおさざき)の天皇(仁徳天皇)より三十三代小治田(おはりだ)の大宮(推古天皇)までの歴史が書かれています。中下巻は天皇を中心とする現実の歴史書であり、その前の上巻が、中巻以前の歴史と思わせるような恰好の神々の神話で構成されているのが最大の特徴と言えましょう。この奇妙とも思える歴史書構成の内容に対する解釈の相違が近代日本人の歴史観・国家観に大きな変動をもたらす事にも繋がることになります。この日本人の歴史観に根底からの見直しを迫る事も本講座の目的の一つと言う事が出来ます。
古事記撰上の年の八年後に舎人(とねり)親王等によって「日本書紀」が撰上されました。この書もまた歴史の初めに神話が冠せられています。この日本最古の書物であり、歴史書である古事記・日本書紀の伝える日本の歴史の記述の前置きに現実世界の歴史ではない超越的世界の神々の神話の記述があることから、日本国の君主である歴代の天皇・皇位の尊厳が人事を超越した神によって国が肇まる以前に既に決定されていたという、人間による証明不可能な信じ仰ぐより他に解釈する事が許されない絶対の神性を持ったものと規定されたのでありました。その信じるより他の態度を国民の側に許さない天皇位の根拠は古事記神話の「天孫降臨」の章、『日子番(ひほこ)の邇々芸(ににぎ)の命に詔科(みことおほ)せて、「この豊葦原の水穂の国は、汝(いまし)の知らさむ国なりとことよさしたまふ。かれ命のままに天降りますべし」とのりたまひき。』と記された天照大神の皇孫邇々芸の命に与えた命令に拠っている事であります。更に近世に入り、この神話による天皇位の尊厳は明治憲法により「天皇は神聖にして犯すべからず」という最高法律の条文として規定され、天皇は信仰上も、また法律上に於いても絶対のものとなりました。以上が第二次世界大戦終了までの日本国天皇の皇位と日本国国体の姿でありました。この様な見解が長年月にわたり日本国民の信条として続く事となりましたのも、一にかかって古事記・日本書紀の超現世的な神話がそのまま現実世界の歴史の構想力・原動力として取り入れられた事にあります。「日本は神国なり」の思想が日本人の頭脳に浸み込んだ結果に他なりません。この様な思想は事日本国だけなら時として通用する事もありましょう。けれど世界の各民族のすべてに通用する「神聖」としては到底通用し得ない事が起きて来る事も否むことは出来ない事です。そしてその時が到来します。
第二次世界大戦が勃発しました。神国日本が神聖なる天皇の名に於いて戦争をし、完敗しました。昭和天皇は敗戦の翌年、昭和二十一年一月「古事記・日本書紀の神話は単なる神話であり、皇室とは関係ないものである」との詔勅を発表・宣言し、次いで発布された日本国憲法によって「主権在民、天皇は国民統合の象徴」との決定がなされたのであります。所謂人間天皇宣言であります。日本の従来の天皇中心の歴史は、考古学的遺物、または外国の古文書にてその実在が証明されたもの以外はすべて歴史の中から抹殺されました。所謂実證的歴史が出発したのです。その結果、良きにつけ悪しきにつけ日本国と日本人の因習、伝統として日本人の心に育まれて来た日本人のアイデンティティーが少なくとも表面的には木端微塵に吹き飛んでしまいました。今の日本人は糸が切れた奴凧(やっこだこ)、根なし草の境涯に陥り、民主主義的ヒューマニズムの心がやっと社会の連帯感を支えているのが実状です。「日本人よ、何処へ行く」のでしょうか。
以上、古事記・日本書紀の神話をそのまま現実社会史観とした過去の日本人の歴史観と、記紀の記述を全く放棄した戦後の〈実證的〉と称する歴史観とを簡単に並べて見ました。その余りの変貌に改めて驚かれる方もあるのではないでしょうか。私達日本人は遠い祖先の時代から少なくとも数千年の間、この日本列島の地に住み、生活を営んで来ました。その長い間に自然に培われて来た日本民族としての生命の叫びとでもいわれるもの、血統と霊統のアイデンティティー、民族としての使命等があるのではないでしょうか。社会的な変化、精神的変貌を繰り返しながら、意識の底に形成されて来た民族の特性・特徴が当然あって然るべきではないでしょうか。第二次世界大戦の敗戦の前と後でかくも正反対の立場と見える日本の歴史観の変化も、実は日本人の意識の底の底を流れる生命の血統・霊統の源泉の立場から見るならば、日本人が長い間に培って来た意識の下の使命が辿る必然の当為の道なのではないでしょうか。一見この様な途方もなく大言壮語とも思われる「世界の中の日本」の道の発見の課題に一石を、大きな大きな一石を投ずる事も本講の目的の一つであります。
古事記の神話と歴史との関係の話からいくつかの問題提起をして来ました。最後に歴史そのものについて考えてみましょう。古事記の神話をそのまま鵜呑みにして来た戦争以前の日本の歴史、その神話を全く否定して作られた戦後の歴史、この双方の歴史観は正反対のものです。同じ国の同じ時代の歴史を取扱う歴史書がかくも違うものとなるとは全く奇妙としか言いようがありません。その時代の年月が如何に長く、複雑な事件が如何に多く起ったとしても、起った出来事の実相は常に唯一つしかありません。なのにその記述にこれ程大きな違いが出て来るのは何故なのでしょうか。その最も大きな原因は歴史を考え、記述する人の判断の基となる経験知識が人それぞれに異なるからです。「○○さんってどんな人」と○○さんを知っている十人の人に聞いて見て下さい。十人十色の答えが返って来るでしょう。全く同じ答えなど先ずありません。歴史を判断する立場も十人十色です。ですから十人の歴史学者は十種類の歴史を書く事となります。知識偏重の現代人にはその歴史の十人十色が当然と思うのかも知れません。歴史を学問の対象と考えて、自らのアイデンティティーの根源の一つであるとは考えていないように見受けられます。そこに真実の歴史から懸け離れた歴史書が横行することともなります。歴史記述が多様化することは構わぬ事でしょう。けれどそれと同時に歴史的な実相は実は唯一つしか存在しないという嚴たる事実を認める事も重要でありましょう。そこに歴史を記述する人間そのものが問題となります。「人間とはそも何者なのか」という問題を過去の歴史が現代人に提起しているのではないでしょうか。
「人間とは何か」の言葉を聞くと、私が学生時代よく聞いた藤村操の話を思い出します。今で言う東大生であった俊才藤村操は「人生不可解なり」の一語を残して、日光華厳の滝に身を投じ自殺したのでした。明治時代(一九○三年)の話です。それから約百年の歳月が経ちました。その間、日本はもとより世界の何人も藤村操の疑問に完全な解答を与えた人はいないようです。それでは人類始まって以来今日まで、また今日より未来永劫、この「人生とは何か」に人類は答えを出し得ないのでしょうか。否、決してそうではありません。人類は各民族が神代と呼ぶ遠い昔、既にこの「人間とは何ぞや」の問題に必要にして十分な完全無欠の解答を発見しているのです。それが本講座「古事記と言霊」の話の中の言霊学(コトタマノマナビ)なのであります。詳しくは後程お話申し上げることといたします。
「古事記と言霊」の古事記の説明はこの位にして、次に言霊についての簡単な説明をいたします。言霊はコトタマと呼びます。コトダマではありません。この説明は後程いたします。人が何かの物を見たとします。この時、見ている人の主観的な立場をネグレクトして(これを哲学の言葉で捨象といいます)見られている客観的な物質が何であるか、どんな成分から成り立っているか、と調べて行って長い科学的研究の末に物質を構成している究極の物質として分子、原子を発見しました。その発見までに人類は約四、五千年の歳月を要したと考えられています。更に人類は人間の意識では捕捉することが出来ない物質の先験的領域に研究の手を延ばし、終に物質の先験構成要素として電子・陽子・中性子その他究極的な種々の核子、果てにコークなるものの存在を突きとめました。物質というものの全構造を明らかにするのもそう遠い事ではないでしょう。物質科学の一応の完成は間近だと思われています。人類は「物とは何ぞや」に究極の解答を出す事が出来る時が来ました。
人類が「物とは何か」の疑問に対する答えを出そうと研究を始めた時より更に数千年前、人間は「人には心がある。心とは何なのであろうか」の問を発しました。その疑問に興味を持った人々が一ヵ処に集まり、お互いに力を合わせて研究を始めました。古事記に高天原とありますから、その場所は地球の高原地帯、アジアのチベット、またはアフガニスタン、インド方面の山岳地帯ではなかったでしょうか。集まって来た賢者達の関心は人の心と言葉との関係であった様に思われます。人類が「物とは」の問いに一応の答えを出すに要したと同じ程に長い年月をかけた研究の結果、賢者達は人の心についての完全な解答を発見したのです。その解答によれば、人の心を分析して行って、もうこれ以上分析出来ない処まで来た時、心は十七個の先天要素と三十二個の後天要素、それに文字化する要素一合計五十個の要素から構成されている。彼らはそれ等要素の一つ一つを、現在私達が小学校時代に覚えたアイウエオ五十音の清音の単音の一つ一つと結び、これを言霊(コトタマ)と呼びました。それは心の最小単位であると同時に言葉の最小単位でもあるもの、心であると同時に言葉であり、言葉であると同時に心でもあるもの、即ち言霊(ことたま)であります。人の心は五十個の言霊によって構成されており、五十個より多くも少なくもありません。彼等は言霊の事を一音で霊(ひ)とも言いました。霊(ひ)が止(とど)まるから人です。
次に彼等は人の心の動きを言霊の動きとしてそのすべてを解明しました。人の心の動きとは五十個の言霊が典型的に五十通りに動く事であると発見したのです。五十個の言霊が五十通りの動きをする、即ち計百個の原理を発見し、この原理・法則に布斗麻邇と名を付けました。私達はこれを言霊の原理と呼んでいます。彼等は言霊即ち霊の原理を知る人です。霊知り(ひしり)(聖)と呼ばれます。
【註】現在言霊という言葉は静かなブームとなっているようです。書店の棚には数種から十数種の言霊の本が並んでいます。それ等の本の言霊はすべて「コトダマ」とタの字に濁音が附いています。舟底を「ふなぞこ」と読みます。舟の底の意ですと、このように底に濁点が附いて「ぞこ」となります。同様一般の言霊論では言霊とは言葉の心、言葉に含まれている心の意でありますので「ことだま」と濁ります。本書にある言霊は説明いたしましたように、言であると同時に心でもあるもの、即ち言と心の意でありますので「ことたま」と濁点が附きません。本論にある言霊とは、現代人がそれぞれ自分の経験知からする言霊論ではなく、遠い太古から日本に伝わる言霊学(コトタマノマナビ)の言霊であります。
時が来て言霊布斗麻邇の原理の自覚者達は自らの発見した心の究極の原理・法則を運用・活用してこの地球上に理想世界を建設しようと思い立ちました。霊知り(聖)の集団はアジアの高原地帯から今の中国を通り、朝鮮半島を過ぎて更に進みました。古事記に「ここに■肉(そじし)の韓国を笠沙之前(かささのみさき)に求(ま)ぎ通りて詔りたまはく、此地(ここ)は朝日の直刺(たださ)す国、夕日の日照る国なり。かれ此地ぞ甚(い)と吉き地と詔りたまひて……」とありますから、朝鮮半島を通って日本の九州地方に来たという事になりましょう。この事実を古事記・日本書紀の神話は「天孫降臨」と呼び、天空の高天原から皇祖の天照大神の孫神に当る邇々芸の命が九州の高千穂の峰に天降ったと記しています。
心の究極の法則を自覚した霊知り達がこの日本列島に天降ったといわれる時は何時だったのでしょうか。はっきりはしません。けれど今から約一万年乃至八千年位前という事は確かであります。日本到着後、聖達即ち私達日本人の大先祖がした最初の仕事は言霊原理に則り事や物の実相に名を付けた事であります。日本語の創造です。物や事の真実の姿に即して、一音一音が心の実相を示す言霊を結び合わせて名を付けたのですから、その名前や言葉は物や出来事の真実の有様をそのまま表現しています。概念の説明・解釈を必要としません。言葉がそのまま実相です。「惟神(かんながら)言挙げせぬ国」とは日本語の上述の意義を言ったものであります。
大先祖の霊知り達が次に取掛かった仕事は、物事の実相がそのまま表現されている言語が、更にそのまま通用して矛盾の起こらない社会即ち国家の建設です。日本国家の肇国はこうして行われました。日本国の誕生です。今から少なくとも八千年程前の事と推察されます。日本の国を肇めた人の名前を古事記は邇々芸(ににぎ)の命と呼びます。邇(に)とは二・似の意です。邇々(にに)とは「二次的な、更に二次的な」の意で、第三次的なの意となります。第一次の真理は言霊です。第二次的とは言霊を結ぶ事によって付けられた物事の名前です。第三次的な芸術(邇々芸)とは言霊原理によって名付けられた物事の名前が世の中に使われて矛盾が起こらない社会・国家・世界を建設・実現させる芸術の意となります。そのように言霊原理に則って人々が幸福に生活し、全体の調和が保たれる合理的な国家、世界の建設の創始者、またその意図の下に人類の文明創造を始めた責任者の名前を邇々芸の命と呼ぶのであります。
邇々芸の命と、その建設の意図を受け嗣ぐ霊知り達の努力によって、日本の国と世界に平和で心豊かな社会が築かれて行きました。現在世界各民族の神話が「神代」と呼んでいる平和豊饒な時代とは単なるユートピアなのではなく、人類の歴史に数千年にわたり実在し、存続した精神的理想の時代であったのです。この時代の日本国は「霊の本」(ひのもと)と呼ばれました。世界の政治の根本原理である布斗麻邇を保持して世界の中心となり、その上言霊原理より直接造られた日本語を以って生活を営む国の意であります。その法・教・政庁の最高責任者を天津日嗣天皇(アマツヒツギスメラミコト)と呼びました。心の先天構造から発する(天津)精神原理(日)を先祖より受け嗣ぎ、世界の人々の生命・使命(みこと)を総覧(スメラ)する人の意であります。
天津日嗣天皇の統べる日本国朝廷の道義政治の下に世界は平和な時代が続きました。天皇の系譜(王朝)である邇々芸(ににぎ)、日子穂々出見(ひこほほでみ)、鵜草葺不合(うがやふきあえず)の三王朝が相継ぐ約五千年の間精神文明の華が咲いた時代であります。その記述は「古事記と言霊」の歴史編を御覧下さい。この五千年間を人類の第一精神文明時代と呼びます。
精神文明時代の第三番目の鵜草葺不合王朝の中葉に到り、爛熟した精神文明の社会の中に漸くその時までとは違う風潮が起って来ました。物事を見る側、即ち主体を見つめる眼が、物事を外界として見る物質の方向に移って行く傾向が醸成され始め、進んでその外界の探求に興味を示す人が増して来たのであります。今より四千年程前の事と推定されます。それを主張する社会の中の勢力が次第に強くなって来ました。「心とは何ぞや」から「物質とは……」への関心の変動です。
この人類の精神の偏向を早く察知した日本の朝廷は、徐々に精神文化の日本より外国への輸出を減らして行き、終に今より三千年程前に到り、日本朝廷の人類文明創造の政治の宏謨が精神文明から世界を挙げて物質文明創造へと切り換える事が決定されたのであります。一足先に外国に於いて精神文明時代は終焉の幕が下ろされ、二千六百余年前、日本に於いても新しい神倭王朝の創設となり、六百年後、神倭(かんやまと)王朝第十代崇神天皇の時、精神文明創造の原器であった言霊布斗麻邇の原理の象徴である三種の神器が天皇の座右から離され、伊勢神宮の神体として信仰の対象となって祭られたのであります。
物質科学文明の創造促進のための精神土壌は弱肉強食の生存競争社会です。そのための方便として第一精神文明時代を築き上げた精神原理布斗麻邇は政治への適用が廃止されました。古事記の神話にありますように天照大神は岩戸に隠れ、世の中は真っ暗になりました。ですから物質文明即ち「物質とは何か」が解明された暁には、精神原理布斗麻邇は再び世の中に復活されなければなりません。人類の第二物質科学文明完成の時が来た時、第一精神文明の原理が人間の意識に復活し、それら心物双方の二大原理が協調する人類の第三文明時代の到来を宏謨に入れての上の朝廷の決定であるからです。
崇神天皇以後二千年の歳月を経て、言霊の原理が再び人々の意識の表面に浮かび上がって来る事に備えて、日本の朝廷に於いて種々の方策が実行に移されました。それ等の施策については「古事記と言霊」の「歴史編」に詳しく示されています。言霊原理隠没から七百年が過ぎた奈良時代の初め、それ等施策の最後のものとして、ここにお話しております「古事記」並びに「日本書紀」の編纂が行われたのであります。これは私達日本人の古代の祖先の霊知り達、日本神道ではこの人達を皇祖皇宗と尊んでいますが、この人達が二千年後の子孫の日本人のために遺した深謀遠慮の賜(たまもの)であります。物質科学文明創造の促進のための方便である生存競争時代に於いては、言霊原理は日本並びに世界の人々の忘却の内に閉じ込めておかなければなりません。けれど忘却とは喪失ではありません。時が来れば必ず民族の意識上に帰って来なければなりません。大本教祖のお筆先は「知らしてはならず、知らさいではならず、神はつらいぞよ」と表現していますが、この「知らせてはならず、知らさいではならず」の苦肉の一策が古事記の上つ巻の神話(神々の物語)となって現れたのであります。古事記の編者、太安万侶は勅命により歴史書の巻頭の上つ巻に歴史とは直接関係のないような神話を飾りました。そして途轍もない歴史書を作り上げました。……
もうお話が此処まで来れば、大方の読者はお気付きになった事でしょう。古事記の上つ巻の神話は「人間の心とは何か」の完全解答である言霊布斗麻邇の原理を神々の物語という謎々の形式で示した「人間」そのものの文明創造の歴史の序文なのです。「蟹はその甲羅に似せて穴を掘る」といわれます。人間はその天与の性能という甲羅通りに歴史を創造します。太安万侶は「人間とは何ぞや」の全容である言霊の原理を神話という謎で示し、その人間精神の自己発展の記録としての歴史を書こうと意図したのであります。
以上、「古事記と言霊」講座開始に当って、「古事記」と「言霊」双方について予め簡単な解説を申し上げました。そのどちらの説明も現在の国文学者や歴史学者が聞いたら、直ちに空想物語として一笑に附してしまうに違いないでしょう。にも拘わらずこの解説は真実そのものなのであります。読者の皆様がこれから始まる本講座の話を成る可く先入観なしにお聞き下さり、御自分の心の姿と比べてお考え下さるならば、太安万侶の撰上した古事記の神話の指し示す人間の心の全内容とその動き、またその原理によって創造されつつある人類の歴史の実態が掌にとる如く明らかになって来ることでしょう。
(次号に続く)
その161
ここに二つの冊子があります。一冊は謄写版刷りで、表題は「言霊」。口述者は山腰明将氏、筆記者は小笠原孝次氏による講演の記録書であります。奥付に昭和十五年月十五日発行とあり、今より六十六年前発行の書であります。
もう一冊は昭和四十四年六月一日発行、著者小笠原孝次氏。表題は「古事記解義言霊百神」二百七十八頁、東洋出版社(東京・神田)発行とあります。著者の小笠原孝次氏は私(島田)の言霊学の師であり、昭和五十七年(一九八二)に逝去されました。山腰明将氏は小笠原孝次氏の言霊学の師でありました。昭和二十六年、事故により不慮の死を遂げられたのであります。
第四回目の「古事記と言霊」講座の本論に入る前に、右の二冊の書が成立する過程についてお話し、神倭朝第十代崇神天皇の御代より約二千年の間、人類の潜在意識の底に隠されていた人間精神の秘宝がどの様にして再び人間社会に復活して来たか、をお伝えしたいと思います。この話の大半は先師、小笠原孝次氏が私に時折内輪話として話された事を綴ったものであります。
山腰明将氏の「言霊」は昭和十五年三月二日より週一回、全部で十回にわたり、場所は東京築地の当時の海軍将校のクラブ、水交社に於て、日本の皇族方、陸海軍の大将・元帥、政府高官、情報局長、警視総監等日本国の上層部の人々を前にして行った「言霊」と題した山腰明将氏の講演の記録を綴った書であります。筆記者は私の先師、小笠原孝次氏でありました。
当時日本は三年間にわたり隣国支那(中国)と戦争状態にあり、その上外交・軍事・経済的にアメリカ、イギリス、オランダ三国より圧迫を受け、このまま推移すれば一触即発世界を相手の戦争に突入必至の緊迫した国状にありました。昔なら鎌倉時代の元冦の時の如く所謂神風を祈る所でしょうが、近代戦ではそれもならず、せめて精神的に神風となり、それによって日本国民の勇気を奮い立たせるものはないか、と捜していた所、陸軍の軍人で山腰明将氏という者が、明治天皇より始まった「わが日本肇国の根本原理、アイウエオ五十音言霊布斗麻邇」の学問を研究しているそうだ、という事を知り、急遽「話を聞いてみよう」という事となり、講演会開催となった、という事であります。
山腰氏の「言霊」を読みますと、日本語の一音一音の音声と音意から成る音韻学という学問の立場から、古事記の神話の解釈に入り、神名の一つ一つを五十音の一音一音と結んだ言霊の解釈を進めている事が理解できます。けれど音韻学という耳馴れない直感的な学問を土台とした説明であります為に、初めて聞く人達にとって、言霊というものが日本語の語源となり、その事が皇室の三種の神器の学問であり、日本肇国の原理であるのか、の理解を十分に得られたであろうか、という疑問が残ることは否めないように思われます。言霊とは人間の心を内に顧みて、その究極に存在する心の最小要素であるとの発見に到っていない事であります。それ故、第二次世界大戦を間近に感じている日本の上層部の人達に、言霊原理によって人類の第三文明時代の建設に到る歴史の筋道を明示するに至らなかった事は誠に残念であったと申せましょう。
にもかかわらず、「言霊」の講演記録に見られる山腰氏の話し振りは誠に確信に満ちたものであり、大勢の日本の上層部の人々を前にして少しも臆することなく堂々たる態度であった事が窺えるのであります。この山腰氏の言霊学――日本肇国の原理、三種の神器の学――を披露する堂々たる確信の根拠は何だったのでしょうか。それは山腰氏の永年の言霊学研究の真摯さから来た事は勿論でありましょうが、その研究を推進させたバック・グラウンドの力も否定出来ないものがあったと推察されるのです。そのバック・グラウンドとは言霊学復活の歴史であります。
言霊原理隠没の二千年の暗黒時代に、最初にその原理の存在を知り、復活の仕事を始められたのは明治天皇とその奥様、昭憲皇太后であります。この事について先師、小笠原氏が遺した記事がありますので紹介しましょう。先師の主催する「第三文明会」の第百回を記念して、言霊布斗麻邇復活に関係・尽力した物故者の慰霊祭が東京銀座のレストラン八眞茂登で行われました。昭和四十八年四月二十八日の事であります。その慰霊祭で述べられた文章の一部であります。――
「(明治天皇、昭憲皇太后)宮中賢所と皇太后が一条(藤原)家からもたらした文献に基づいて言霊言の葉の誠の道の研究に志された最初の人である。『天地も動かすばかり言の葉の誠の道をきわめてしかな』『白雲のよそに求むな世の人の誠の道ぞ敷島の道』(御製)、『敷島の大和言葉をたて貫きに織る賎機の音のさやけさ』『人並みに踏むとはすれど言の葉の道の広きに惑ひぬるかな』(御歌)」
上の簡単な文章を先師から聞いた言葉で補足しましょう。一条家からもたらした文献とは、皇太后が一条家より御興入れの際、嫁入り道具の中にあった和歌三十一文字を作る心得を書いた古書の中に言霊布斗麻邇に関する文献が含まれていたといいます。昔の三十一文字の作法は単に叙事・抒情を三十一文字に表現するだけでなく、その歌の中に言霊の法則を詠み込む事によって言霊学の勉学の一手段ともしました。そういう歌は古今和歌集までは容易に発見することが出来ます。新古今和歌集には見出せません。明治天皇御夫婦のお歌の中の「言の葉の誠の道」「敷島の道」とは単に和歌の事ではなく、アイウエオ五十音言霊の学(まなび)のことを言っているのであります。「たて貫きに」とは縦横に、の意です。賎機とは倭文(しず)機の意で、織物の一種。麻などでしまを織り出したもの。あやぬの、の事と辞書にあります。日本独特の模様だそうであります。
天皇、皇后両陛下の言霊学研究のお相手を勤めたのが山腰弘道氏なる皇后付の書道家でありました。この山腰氏については明治時代に発行された紳士録(現代人名辞典)に載っておりますので、そのまま次に引用します。
「山腰弘道君――君は書道奨励家なり。旧尾州藩士山腰喜明氏の長男にして、安政三年八月朔日を以て名古屋に生る。九才、藩主の近侍となり、傍ら藩黌明倫堂に於て漢学を修め又、武術を講じ、書道を村井鍬蔵氏に学ぶ。尋ねて京都江戸の間に奔走し、藩主国老の秘密公用を勤め、明治初年勤皇の故を以て賞禄を賜う。同四年英学を修め、翌年名古屋県庁に出仕す。後浜松、三重、奈良、島根各県に歴任し、同二十一年挙家東京に移り公共事業に尽し、二十三年大日本選書奨励会を設立し毎年上野公園博物館管轄館に展覧会を開き、その第四回後、皇后陛下、皇太子殿下行啓の節御説明の重任に当たる。同四十三年皇太子、同妃殿下御同列行啓を辱うし多年斯道の興隆に力め熱誠を以て稱せらる。夫人を美志子と呼び、長男利通、三男明将、四男道文の三子家に在り、次男朝克養子繁次郎は分家す。利道氏の婦を八重子と云う。政久、愛子、久徳の三孫あり(牛込区若宮町二○電話番町四○二二)」(この紳士録は会員I氏持参)
明治天皇の崩御と共に明治は終わり、その言霊学研究の流れは大正天皇には伝わらず、民間に流出し、その正統は弘道氏の二男山腰明将氏に受け継がれました。その他皇室の血統といわれる大石凝真澄氏の言霊学研究も今の世に遺されています。私が敢えて「正統」と申上げる理由は次に拠ります。言霊学の原典は皇典古事記(日本書紀)であります。その古事記は冒頭より神様の名前がヅラヅラと何十、何百と現れてきます。その神名の中で、最初の五十神が五十個の言霊を指し示す「指月の指」(謎)なのでありますが、五十の神名のどれがアイウエオ五十音言霊の正音を示しているのか、は人間個人の思惟、直観更には霊能、神懸りを以てしても到底解明不可能のものなのであります。にも拘わらず山腰明将氏、それに続く小笠原孝次氏の著書にも寸分違わず、しかも何の説明もなく五十の神名が五十音の一つ一つと結び合わされています。この事実より推察して古事記神名と五十音言霊との結び付きは、少くとも古事記編纂の時より明治の時まで宮中賢所に記録として秘蔵されていた事は確かだと言う事です。言霊学とは古事記神話を唯一の原典とし、その神話の神名と五十音言霊との結び付きを宮中賢所の保存記録を出発点とする学問研究を正統と呼ぶ所以であります。
山腰明将氏については私の先師、小笠原孝次氏の簡単な文章が手許にありますので、これを掲げます。
「(山腰明将)陸軍少佐。父君春道氏(弘道氏の間違いと思われる)は書道神代文字研究を以て明治天皇に仕え、大石凝真澄氏と親交あり、明治朝廷で研究された言霊学を子息明将氏に伝えた。筆者(小笠原氏)は神政竜神会脱会後山腰氏より言霊の指導を受け、戦時中同氏の明生会に属して同門の高橋健助、小川栄一、斎藤直繁の三氏等と啓蒙遊説に奔走した。昭和二十六年山腰氏不遇の裡に逝去。筆者が発憤、その遺鉢を継いで研鑚三十余年今日に到っている。」
小笠原氏が私に話してくれた事によれば、山腰明将氏は明治天皇、皇后、父君弘道氏の言霊学研究を受け継ぎ、身は軍籍にありながら大正・昭和と研究を続け、その集めた学問資料は膨大なものであったという事です。山腰氏は常日頃門下生(小笠原氏等)に「私が研究している言霊布斗麻邇の学は元来、日本国の天皇となるお方が勉学習得すべき学問であり、時到れは天皇に復命(かえりごと)する為に勉強しておる。君達に話しても余り意味がない」と言っていたそうであります。先にお話しました昭和十五年、東京水交社に於て、日本の上層部の人々を前にして講演をした山腰氏の堂々とした話しぶりは、自らの話が天皇に復命するという使命感に満ちていたためであったのでは、と思わせるものがあります。
昭和二十六年(一九五一)山腰明将氏は自動車事故により非業の死を遂げられました。訃報に接して小笠原氏等門下生が先生の御自宅に駆けつけた時には、山腰氏が永年にわたり研究された言霊学に関する多量の資料が、これも研究者にとっては不測の事故としか言えない事件で全部焼失してしまっていたそうです。
「あの時は全く茫然自失、途方に暮れました」と先師は私に語りました。「絶望感で何もする気にならず、何日も無為に過ごしたものです。暫くして気が付きました。この日本の秘宝、新しい時代を建設する唯一の学問を山腰先生の資料と共に消滅させてはならない。言霊学復活の使命が今私に負わされたのだ、と気付きました」と。「先生が私に遺してくれたのは『言霊』の本だけです。他に頼るものは何もありません。けれど言霊学というのが、読んで字の如く言葉と霊(心)の学問であるからには、昔も今も永久に変わることのない生きた人間の心の全性能を知ることが出来るならば、古事記に示された言霊学の内容は必ず解明・自覚する可能性が開けるに違いない、と思い発憤しました。」先師はしみじみとその心境を語ってくれた事があります。先の「筆者が発憤、その遺鉢を継いで……」の先師の文章はこの事を指しているのであります。
先師の多摩川畔での坐禅が始まりました。朝早くから釣箱と弁当と傘を持って多摩川へ行き、釣箱に腰掛けて、自らの心の構造、特に一切の心象が現出してくる元の心の宇宙、禅で謂う「空」を知る修行です。毎日、毎日、降っても照っても先師の多摩川行きは止まなかったそうです。時には帰りが真夜中になる事もあったとか。一本の雨傘が雨傘にも日傘にもなり、春から夏、秋、冬とめぐり、二廻りが近づいた頃、先師は自らの心の本体が心の宇宙そのものである事を、何の理屈もなく知ることが出来たと言います。そして古事記神話の「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は……」の「天地の初発」とは、宇宙物理学や天文学で謂う所の何十、何百億年以前の宇宙、天体の始まりの事ではなく、今・此処に於ける生きた人間の心の活動が始まろうとする瞬間の消息を謎の形で述べているものなのだ、という事がはっきり分かって来たと言います。
この時以来、言霊学の研究が、天文学で謂われるところのコペルニクス的転換(太陽が地球の周りを廻るのではなく、地球が太陽の周りを廻ると知ること)を遂げることとなります。人間の心の現象を対象の客観として調べることから、現象を見る主体自体の学問とする研究が解明されて行く事となります。生きている自らの心を知る事は、とりも直さず人類そのものを知ることです。「私とは人類であり、人類とは私である」の自覚の下に、古事記の神話が示す全内容が言霊学という人間の心と言葉に関する究極の学問として解明、自覚されて行きました。昭和四十四年(一九六九)六月一日、小笠原孝次氏著「古事記解義言霊百神」が東洋出版社より発行されました。一万年前に日本人の祖先によって発見され、大成された言霊布斗麻邇の学問が、二千年前、崇神天皇によって世の表面から隠没され、千三百年前、太安万侶の謎々の古事記神話として後世に伝えられた日本伝統の心と言葉の学問が、ここに不死鳥の如く甦ったのでありました。二千年間、日本皇室独占の秘儀であった三種の神器の学問が、志あり、日本語が話せる人ならば誰しもが心の広大で精巧な殿堂に自由に入ることが出来るようになったのです。
「言霊の冊子が出来た出来たんだ。出来たんだよと大空に叫ぶ。」
古事記解義言霊百神の序文巻頭を飾る先師の喜びの言葉であります。
その162
古事記の神話と言霊との関係をお話する講座の一と二で前置となるお話を終えましたので、今回のお話から「古事記と言霊」の本筋に入ることといたします。先ず古事記神話の第一章「天地のはじめ」の全文を掲げます。御手許の古事記を御覧下さい。
天地の初発(はじめ)の時、高天(たかま)の原(はら)に成りませる神の名(みな)は、天の御中主(みなかぬし)の神。次に高御産巣日(たかみむすび)の神。次に神産巣日(かみむすび)の神。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。
次に国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に天の常立(とこたち)の神。この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。
次に成りませる神の名は、国の常立(とこたち)の神。次に豊雲野(とよくも)の神。この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。
次に成りませる神の名は、宇比地邇(うひぢに)の神。次に妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に角杙(つのぐひ)の神。次に妹活杙(いくぐひ)の神。次に意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に於母陀流(おもだる)の神。次に妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。
次に伊耶那岐(いざなぎ)の神。次に妹伊耶那美(み)の神。
古事記の第一章ともいうべき「天地のはじめ」の章は以上であります。この章の文章を書くに当って、古事記の紹介の書によってそれぞれ文章を何処で区切るか、が違っています。この講座では古事記の他の本の節の区切りの箇所に捉われず、五つの節に分けました。どうしてそのように区切ったかは、お話が進むにつれてお分かり頂ける事と思います。
さてこれより古事記神話の初めから、文章の一つ一つの意味、内容について説明をさせて頂く事となるのですが、前三回の講座によって大方の事は余す事なく説明し尽くされております。その点については当会発行の新刊「古事記と言霊」をお読み下されば御理解頂ける事と思いますが、古事記(日本書紀)の神話がこの世の中で唯一つの言霊学の教科書でありますので、他に参考となる本がありません。その為、御理解出来難いと思われる所を繰返し重点的にお話して参りたいと思います。それを一つ一つ取上げながら説明して参ります。
<天地の初発の時>
普通「天地(あめつち)」と言えば、常識的に誰もが「天と地」または宇宙天体とか、太陽系宇宙とかを指すものと思います。古事記の神話の冒頭の文章である「天地」も当然そのようなものの事と思うことでしょう。現在の古事記研究の国文学者もその様に解釈して少しも疑いません。その証拠は古事記の本の頁毎に見える字句の訳注に明らかに読みとれます。古事記の編纂者である太安万侶も神話を書き始めて、その初めに「天地の初発の時」と書いた時の第一の願望は「天地」をその様にとって貰う事であったであろうと推察されます。「そんな当り前の事を何故言うんだ」と思われる方が多い事でしょう。けれどそれから後に奇想天外な、誰もが夢にも思わない事が秘められているのです。それは何か。古事記編纂後千年乃至二千年(兎も角、一千年単位で数える長い年月)の将来、神倭朝十代崇神天皇によって世の表面から隠されてしまった言霊布斗麻邇の原理の存在に日本人が気付く時、古事記の神話の初めの言葉「天地の初発の時」が、その常識と誰でも考える「天と地」または「この太陽系宇宙」、即ち今日の天文学や宇宙物理学等で謂う外界の宇宙空間の事ではなく、それら外界の宇宙空間を見ている私達人間の内なる心の広がり(宇宙)の事なのだ、という事に気付いて欲しいという奥なる願望が秘められているのです。
古事記神話の冒頭の言葉「天地の初発の時」の天地とは、今お話ししました如く、宇宙物理学や天文学が研究の対象として取扱う人間が外に見る宇宙空間のことではなく、その宇宙や世の中の何かを見たり聞いたりする人自身の内なる心の広がり、即ち精神宇宙のことを言っているのであります。古事記が編纂されてから現在まで約千三百年という長い年月、言われてみれば「なーんだ」と思う程簡単な事に人々は気付かなかったのです。そして今から約百年前、明治天皇御夫妻によって古事記神話が日本伝統の言霊布斗麻邇の教科書、それもとんでもない謎々を以って書かれた教科書なのだ、と気付かれるまで誰もが夢にも思う事がなかったのです。講座の前置の所でお話しましたように、当時の天皇の命によって太安万侶の編纂した「神様のおとぎ話」としか思えない書物が、実は将来を千年単位で見つめる、謎の中に真実を埋め込んだ言霊学の教科書であった、という事実が、如何に日本人の祖先の民族と人類の将来を見つめる眼が悠大で正確なものであったか、を知らせてくれるのであります。
明治時代に発布され、先の大戦終了まで日本国の教育の根本として崇敬されて来た「教育勅語」なるものがあります。大戦後は主権在民の立場から「命令された道徳など……」と日本人全体から見向きもされずに今日に到りました。かくいう私も略々同様の気持で昔を偲ぶよすがとしてしか思い出す事がありませんでした。しかし、言霊学の素晴らしい真理に出会い、その学問の教科書が、千三百年前という大昔に、天皇の勅命によって太安万侶が撰上した古事記の神話唯一つなのだという事を聞いた時、私は直ぐに教育勅語の冒頭の文章を思い出したものであります。
言霊原理隠没の二千年の暗黒時代に、最初にその原理の存在を知り、復活の仕事を始められたのは明治天皇とその奥様、昭憲皇太后であります。この事について先師、小笠原氏が遺した記事がありますので紹介しましょう。先師の主催する「第三文明会」の第百回を記念して、言霊布斗麻邇復活に関係・尽力した物故者の慰霊祭が東京銀座のレストラン八眞茂登で行われました。昭和四十八年四月二十八日の事であります。その慰霊祭で述べられた文章の一部であります。――
「朕惟(おも)うに我が皇祖皇宗国を肇(はじ)むること高遠に、徳を樹(た)つること深厚なり。……」
千年を越える昔、古事記編纂に関係した人々は、日本の子々孫々の行末を思い、更に人類の将来を展望し、遠大な計画の下に古事記の神話を後世に遺しました。その壮大なる文明創造の宏謀、将来の民族・人類に対する慈愛が身に沁みて感じられたものであります。
「天地」が人の心の内なる広大な宇宙、そこに人間の数限りない大小の出来事が去来する心の広がりであることに気付きました。ではその「初発の時」とはどんな時なのでしょうか。外界に見える宇宙の広がりの「初め」といえば、何百億年か、もっと前の宇宙の巨大なエネルギー変動によって種々の天体が形成され始めた時という事になりましょう。けれど人の心の宇宙の初発とはそんな昔の事を言っているのではないでしょう。人間の内面に何かの現象が始まろうとする時、という事です。それは主体的な心に何かが始まろうとする時、そうです。それは「今」です。時を客観的に見て、新しい二十一世紀が始まった時は、と言えば、それは西暦二〇〇一年一月一日午前零時です。しかし心の出来事を内に見て、その心の「初まり」と言えば、それは常に「今」であります。厳密に言えば、人は常に今、今、今に生きています。今・此処が常に「天地」の初めであり、場所です。この今を永遠の今と言います。そしてその場所が宇宙の中心です(この事は後程詳しくお話ししたいと思います)。今・此処を古神道は中今と呼びます(続日本紀)。
その163
前号にて古事記神話のはじめの章「天地(あめつち)のはじめ」についてお話しました。天地とは普通言う所の眼前に展開している宇宙空間についてではなく、人間が心の内を顧みる時、心の内に展開している精神宇宙のことを言っているのだという事でありました。そしてその心の宇宙の「はじめ」とは、心の宇宙の中で何事かが起ろうとしている時の事であり、それは常に「今」であり、その処は常に「此処」である、とお話をいたしました。話を先に進めます。
高天原
この章の中の高天原とは簡単に心の宇宙の何もない広々とした領域の事です。透き通っていて清らかな大きい心の宇宙の事であります。「古事記と言霊」では、この他に高天原という言葉に二通りの内容がある事を述べておりますが、この事についてはその都度説明することにして話を更に先に進めます。
成りませる神の名(みな)は、
この文章をそのまま読みますと、生れて来た神の名前はという事になります。これだけでは単なる神様のおとぎ話で終りますが、古事記の神話が言霊学の教科書だという事が分かった今は、「成りませる」は同時に「鳴りませる」と天の御中主の神という神名が指月の指として指し示している言霊の音として受け取ることも出来ます。
天の御中主(あめのみなかぬし)の神
言霊ウ。天の御中主の神という神名のそのままの意味は心の宇宙の(天の)真中にいる(御中)主人公である(主)神という事になります。そしてその神名が指し示す言霊はウと言霊学で記されます。「あゝ、そうか」と簡単に受け取ってしまえば、それで事は終りとなります。けれど私がこうお話しますと、聞いて下さった人の中には「宇宙の中心にいる主人公の神」とはどんな神なのか、またそれが言霊ウである理由、言霊ウでなければならない理由は何なのか、という疑問を持つ方が必ずいらっしゃいます。そして質問される方も多いのです。そこで今回の講座では、今まで簡単にお話して来たこの二つの事柄について詳細に説明させて頂く事といたします。と申しますのも、この聞き流してしまえばそれで何事もないように思える事柄が、実は言霊布斗麻邇の学を勉強する上で最も重要な事を示唆しているからであります。それは何か。
言霊学といいますのは、人の心を内にかえり見て、心の構造とその動きを研究し、学ぶ学問であります。眼前に展開する宇宙を研究する天文学や宇宙物理学等に於いては、そこに起る種々の現象を観察し、それ等多数の現象間の関連性を求め、そこに働いている法則を発見して行きます。更にその法則によってはまとめる事の出来ない他の現象を発見した時には、今まで正当と思われていた研究の基礎法則を御破算にして、今までの法則と新しい発見とが共に成立することが出来る新しい見地とその法則を発見しようと努力する事となります。そういう努力を弛(たゆ)まず積み上げて行く事によってその学問は一歩々々完成に近づいて行く事となります。
それ等の学問の初心者は先ずその学問の教科書を読み、先輩から指導を受け、種々の観察や実験によってその時までに発見された学問の成果が真実である事を学び、その上で自らもその学問の研究者として心新たにして新しい発見を目指して観察を続けます。その目的とは、今までの法則・学理では捕捉し、統合することが出来ない新現象の発見です。研究の対象を自らの外に見る学問研究は以上のようにして行われます。
上に述べました客観世界の研究方法に対して、主観世界である精神界の構造とその動きの究極の学問である言霊学の勉学方法は如何にあるべきでありましょうか。詳しく説明させて頂きます。
初めて言霊学に接する初心者の方は、当会発行の言霊学の書籍と会報を読んで頂き、また御理解し難い箇所については先輩の方に質問して言霊学の理論について大体の御理解を得て頂き度いと思います。ここまでは客観世界の学問の勉学と異なることはありません。客観世界の学問はこの理論の上での理解でその十中八九までは学問をマスターした事になると考えられます。けれど百パーセント内なる心の学問である言霊学では、これからが本番なのです。客観世界の学問では、従来の学問の成果をマスターすれば、次は自分なりにその学問の新しい分野への挑戦・探究が始まるでしょう。しかし言霊学のこれより本番となる勉強は全くそれと相違します。言霊学の勉学の対象は人間の心の内でありますから、勉学者にとって勉学の対象とは勉学者本人の心の内だけという事になります。他人の心の内を探っても、その真相を完全に把握することは出来ません。頼りに出来るのは自分自身の心だけです。
更に言霊学の勉学には客観世界研究の学問の手法を適用することが出来ない大きな理由があります。客体についての学問は眼前の現象の観察から始まります。ところが言霊学の始まりは、古事記の文章に見られますように「天地の初発の時……」と書き出しが人間の五官感覚では全然捉えることが出来ない、人間の心の先天構造の記述から始まっている事です。これは丁度物理学・化学の初心者にいきなり原子物理学という物質の先験構造の問題を出すようなもので、勉学者にとっては「とりつく島もない」問題だ、という事が出来ます。勉学者が初めに戸惑うのも無理はありません。
この様な事を理解しようとして、初心者がそれまでの学問のように「古事記にこう書いてあるが、何故だ」という疑問を起こして、今まで自分が勉強して来た経験知識を総動員して理解しようとする事は殆ど無意味に近い事なのです。何故なら、現代の原子物理学は人類が「物とは何か」の疑問を起こし、数千年という歳月をかけ、数えることも出来ない大勢の科学研究者の血のにじむような研究努力の結果もたらされた成果であるように、古事記の神話に呪示される言霊学の記述も、科学研究と同様の多数の人が長い年月をかけ試行錯誤の結果、約八千年乃至一万年前に完成した人間の心の一切を解明した学問であるからです。若し現代人がこの言霊学の命題に「何故」の疑問を起こし、自分なりの結論を出そうとしたら、その人の一生はおろか、数千年の歳月を要することとなりましょう。
科学研究の「何故」の疑問が通用しないとしたら、どんな勉強方法があるのでしょうか。さいわい心とは何時も自分の中にあるものです。自分から離れません。ですから人がそれを意識するとしないとに関らず、生れた時から現在まで心の現象の数限りない経験を持っています。そしてそれ等経験を記憶として所有しています。それ等の経験は、科学の観察の機械や材料とは違い、何時も何処でもついて廻っています。言霊学の本を読むに当り、その記述の幾分かは理解できる筈です。また理解には学問の先輩に聞くことも出来ます。そして言霊学というのが人間の心の先天と後天の構造とその働きを解明した学問であるという事が分かったら、また分からない部分はそのままにして置いて、次に申上げる事を始める事であります。
言霊学の勉学者が自分の習い覚えた経験知識を土台として言霊学の書物の内容を解釈・理解することが出来ないとしたら、残る方法は唯一つしかありません。それは古事記の神話が呪示している言霊学の書の内容を心の鏡として、その鏡に自らの心の構造を映して行く事です。勿論初心者は言霊学の内容が真理であるか、否か、を確かめた訳ではありません。けれどそれが真か偽かかは別に、假に真実だとした上で、それを鏡として自らの心を顧みる事とするのです。ではどのように自分の心を見るのか、と申しますと、譬えば次のようにするのです。
古事記の神話は先にお話しましたように「天地の初発の時……」と始まります。としたら勉学者は自らの心に問うのです。「自分は天地の初発の時、と古事記が言っている心の宇宙(天地)を知っているか。またその何も存在しない心の宇宙に今、此処で何かが始まろうとする瞬間の時を『これだ』と把むことが出来るか」と。自分自身それは分かっている、と思う時はそれでよし、はっきり自覚出来ないと思われた時は、その事について如何にしたらよいか考えることとなります。
この様にして古事記の神話とその言霊学の解説書を鏡として自らの心を見つめ、分かった所、分からない所を区別しながら古事記神話の文章を先に進めて行き、分からぬ所は質問し、分かった所についても話し合いすることによって、自分自身の心が神話が呪示する構造の如き構造と動きをしている事が確認されて行きます。古事記神話に示される言霊学が確かに人間精神の全構造とその動きを解明しているのだ、という事を、生きた人である自分自身の心の実相を以て証明することとなります。
そんな廻りくどい方法で古事記神話の内容を理解するとしたら、どんな長い年月が必要となるのか、と戸惑う方もあろうかと思います。確かにこの方法で即座に言霊学全体をマスターするという訳には行きません。早い人で二・三年、遅い人では更に数年を要する事でしょう。けれど自らの心の全貌を隈なく知るという大事業の達成としてはそんなに長い年月とは言えないのではないでしょうか。先に示しました自分の従来積み重ねて来た経験知識で言霊学を理解しようとするならば、一生かかっても理解達成不可能である事と比べるなら、尚更の事であります。
ここで「自分自身の心を見る」という事について、もう一つ説明を加えさせて頂きましょう。この事は古事記の始まりの文章「天地の初発の時」にも関係する事なのでありますが、現代人は自らの心を見るという時、自らの心中に起って来た事を自らの経験知識を通して見、またそれを解釈することに馴れて、その現象をそのまま、即ち実相を見ることが出来なくなっています。例えば、他人の前で自分の事を飾って話す癖のある人が、反省して「自分を飾らず正直にしなければ」と心中に強く思ったとします。しかし或る時また嘘を言ってしまいました。「また癖が出てしまった。あんなに正直になろうと努力して来たのに」と後悔します。こうしてこの人は後悔の連続となります。癖を直そうとする自分が本当の自分で、自分を飾り嘘をつくのは「たまたま」癖が出てしまったのだ、と思います。「私という人間は嘘つきなのだ」とは決して思わず、思おうともしません。他人から「貴方は嘘つきだ」と言われたら、きっとその人を恨み憎む事でしょう。「自分は嘘つきだ」または「嘘をつく事がある」と率直に認めない限り、嘘つきは治りません。この「嘘つきだ」と率直に自分で認めること、これを「実相を見る」と言います。
前号でお話しましたように、現代人は実相である太陽を直接見ないで、月である経験知識やその概念に太陽の光を当て、その反射光によって物事を見ます。ですから物事を見る人の表現が十人十色とならざるを得ません。どうしたら物事の実相を常に見ることが出来るようになれるのでしょうか。それは古事記の「天地」または「天地の初発の時」を頭の中の理論的想像でなく、実際にそれを心中に内観し、直観し、実感する事に関係しています。
先に「天地の初発の時」即ち心の宇宙の中に何かが起ろうとする時とは「今」であり、場所としては「此処」である、とお話しました。今、と思う瞬間、今は次の今に移り変り、果しがありません。「今」は頭に画く事は出来ても、実際にこれを捕捉し、自覚することは仲々困難です。「今」を捉え得ないのですから、その今から見る物事の実相も仲々捉え得ない事となります。昔からその「今」を「これ」と捉えることが正当な宗教の目的であったと言えます。この「今」を古神道では中今と呼び、禅では「一念普(あま)ねく観ず無量劫、無量劫の事即ち今の如し」と言って、通常私達が言う「今」とは違うのだ、と区別しています。
そこで従来の宗教信仰の修行の手法を例にとって、「天地」また「天地の初発の時」即ち中今を自覚する方法を明らかにすることにします。
人はこの世に生れ、長ずるに従って種々の経験を積み、知識を身につけます(図参照)。更にその集められた経験知識の有機的構造を自我と意識します。するとその自我意識は自らの内容である経験知識でもって人や物事を判断し、批判し、それが真実だと思い込むようになります。このように物事に対する自我主張が強くなればなる程、見ている<真実>は真の姿からかけ離れたものになって行く事となるのです。実は人間は生れた時から物事の真実を見る「眼(まなこ)」を授かっているのであり、自我意識の経験知識は、その真実を見る<眼>にかける色眼鏡となるので、経験知識を増せば増す毎に、真実の<眼>にかける色眼鏡の数が増すことになります。物事の真相、実相の把握は困難となります。
この事に気付いた時、人はどうしたら真相を有りの侭に見る事が出来るようになるのでしょうか。それは簡単な事です。色眼鏡を外せばよいのです。習い覚えた経験知識を捨てればよい事です。しかし人間は一度覚えたものを捨て去ることは出来ません。出来なく造られています。ではどうすればよいか。今まで頼って来た経験知識の影響を少なくすることです。その影響を少なくする方法を宗教信仰が教えてくれます。
宗教が教える本来の自分に帰る道に二通り有ります。自力と他力です。先ず自力の方法から説明しましょう。
自力信仰の代表的なものに仏教禅宗があります。「父母未生以前の本来の面目」を求めること、即ち自分が生れた時から父母より受け継いだ性格、生れた後に身につけた経験知識を反省によって識別し、そのそれぞれの知識・性格を本来の自分ではないもの、と心の中で「ノー」と否定して行く修行です。身に付いた知識や性癖等は仲々離れて行くものではありません。それを毎日坐禅により、また日常の座臥に根気よく自己問答を繰返しながら否定して行きます。一度覚えた知識は忘れ去られるものではありません。しかし「今まで私はお前を頼みに生きて来た。しかしこれからは私自身が私の主人公でなければならないと知った。今までお世話になった。これからは私が必要とする時は声をかけるから、呼ばないのに私の頭を占領して私の口を無断で使うことはしないでくれ」と知識や性癖に語りかける事によって、それ等が勝手に出しゃばる事が少なくなって来ます。
この様な努力、反省を弛まなく続けて行き、ついにどんな知識や性癖も本人自身がそれを欲しない限り、勝手に頭脳を占領し、我物顔には動く事がなくなります。知識がなくなったのではありません。知識・癖が自己本体(これを禅では天真仏と呼びます)の従者、または道具としての位置に収まる時、それ等知識や癖によって構成されていた自我意識が自然に消えている事に気付きます。すると、本来生れた時から心の住家であった心の宇宙と自身との間の障壁が消え、自己の心の本体が宇宙そのものである事が自覚されます。この宇宙が即我であるその宇宙を禅は「空」と呼びます。自分が持っていたもの、見聞きしたもの、すべてが空であったと知ります。これを「色即是空」といいます。人は自分の本来である宇宙の目で物を見、宇宙の耳で物を聞く事となります。
この空なる目で物を見る時、物事は真実の姿を現前させます。万人が万人に同じように見える物事の実相を顕現します。これを「諸法実相」と仏教は呼んでいます。人々は真正面から物事を見、聞く事が出来ます。人の心はどんなに動いても、宇宙は動きません。動かない宇宙の目で見れば、自分が今動こうとする瞬間を目の当り知ることが出来ます。何故なら従来の私とは現象の私でした。動いている者が一瞬の今・此処を把握することは難しい事です。それが動かない宇宙である私からは動き出す瞬間を知る事は容易な事となります。「現在心不可得」ではなくなります。
次に他力の行を説明しましょう。自分自身が集め身につけた沢山の経験知識を心の中で識別し、これと問答することなど難しくて到底出来ないと思う方には、親鸞上人が「易行」と呼ぶ他力信仰の方がよいかも知れません。他力信仰といえば、浄土真宗の念仏か、またはキリスト教マタイ伝に説かれる信仰が代表的なものです。家の人や他人に対する自分の行いの矛盾を感じ、絶望を感じた時、自分自身が自己を反省し、自身を変えようと努力するのは自力信仰です。反対に、自分を変えることなど到底出来る業ではないと思い、この悪性の自分を助けてくれと仏にすがり、念仏するのは他力信仰です。念仏はしないでも、「この悪性の、自分でさえどうにもならないこの身を、生れてから今日までよくぞ大過なく生かさせて頂きました。有難う御座いました」と自分を包み育んで下さっている大きな力を感じて、それに掌を合わせ感謝の心を捧げる事、これも他力です。どんなに苦しい事、つらい事があっても「今・此処」に生きている事がどんなに有り難い事かを思い、自分のクヨクヨと心配する心を抑え、何事も自分を包み育てて下さる御力におまかせして心配しないで、感謝の心で暮らそうとする事、これが他力です。
「有難い」とは英語の「サンキュー」とは違います。「サンキュー」は自分に何かの利益を与えてくれた人に言う言葉です。「有難い」とは本来「今・此処に生きる事自体が有り得ない程の奇跡だ」の意味です。ですからつらくても苦しくても「有難い」という事です。「有難い」という言葉は人間の言葉ではなく、人を包み慈(いつく)しんで下さる大きな力に属す言葉なのです。ですから「有難い」と思う心は生命の光で満たされ、その気持ちで物事に向かえば、その物事は実相を顕現してくれます。「有難い」と思う時、人は時間・空間を超えた「今」にいる事となります。「有難い」と思う時、人は人の目から宇宙の目に移って見ている事となります。
以上、人が常なる今を自覚し、物事の実相そのままに見る事が出来る立場に立つための宗教信仰の自力と他力とについて簡単に説明しました。自力と他力とはこの様に修行の方法は違っても、行き着く観点は全く同じです。共に従来の「我」とは違う観点に立ち、広い広い心の宇宙を心とし、自らの生きる「今」を自覚し、その観点から物事の実相を見ることが出来るようになります。
説明をもう一つ付け加えておく事にしましょう。人が自らの修行によって自覚した、自らを包み慈しんでくださる大いなる力に対し「神」または「仏」という名で呼ぶとしたら、その大いなるものは宗教信仰の対象となる神・仏として崇敬されることとなります。これに言霊アと名付ける時は、言霊学が成立します。神または仏と命名すれば、人はそれに対して「有難いもの、とてつもなく大きいもの、何とも温かいもの、そして近づき得ないもの」という感じを持ち、これ以上は知的探究は及ばないもの、と思う事となります。これに対して言霊アと命名すれば、その言霊アの内臓する内容である言霊五十音の原理(言霊イ)と、その原理によって創造される人類文明の歴史に於ける日本人の聖の祖先、皇祖皇宗の御経綸という事に触れる機会を与えられる事となります。
これまで言霊学勉学についての二つの命題の中の、如何にして今・此処の中今を把握するか、物事の実相を見る方法を説明して来ました。もう一つの命題、天の御中主の神と五十音のウを結び付けたのは何故か、について説明しましょう。古事記の神話には天の御中主の神に始まり、五十番目の火の夜芸速男(ひのやぎはやを)の神まで、言霊五十音を指し示す神名が登場します。これ等五十神と五十音を如何にして結びつけたか、は一切その理由を述べておりません。言霊学成立上の大先輩である山越明将氏、小笠原孝次氏の著書にもその結び付きの理由は記されておらず、唯「天の御中主の神・言霊ウ……」と五十神と五十音が如何にも当然と言うが如く結ばれています。言霊学の学徒である私・著者もこれを踏襲いたしました。考えても見て下さい。五十神と五十音の結び付きは全部で幾通りあるか、まさに天文学的数字となる事でしょう。この作業を人間一代や二代で始めから終りまで再検討することなど不可能事に属します。多分私達日本人の祖先は遥か遠い昔、大勢の人が長い年月をかけて、物事の空相と実相の単位と五十音との結び付きに関して探究し、討論し、その結論として完成したのに違いありません。その正当性を証明する唯一の方法があります。言霊五十音の一つ一つをお分かり頂けた時の話ですが、その言霊を結び付けた日本語の単語を御覧になり、その言葉がその物事の意味・内容(実相)を見事に表現して誤る事がない、という事実であります。以上の事から古事記編纂以来、日本の皇室の中に、神話の五十神と日本語五十音との結び付きを記した記録が現存しており、言霊学復興を始められた明治天皇以来の諸先輩はその記録をそのまま踏襲したものと推察されます。
次に高御産巣日の神(たかみむすび)、次に神産巣日(かみむすび)の神。
言霊ア。ワ。広い何もない宇宙に何かが起る兆しとも謂うべき動きが始まりました。言霊ウです。次に人間のこれは何か、の思考が加わりますと、たちまち言霊ウの宇宙が剖判して言霊アと言霊ワの宇宙に分かれます。宇宙の剖判です。
その164
高御産巣日(たかみむすび)の神。神産巣日(かみむすぴ)の神。
言霊ア、ワ。広い宇宙の一点に何か分からないが、ある事の始まりの兆しとも呼ぶべきものが生れます。それに対し太安万侶は天の御中主の神という神名を付けました。言霊ウです。次にそれが何であるか、の問いかけが人の心に生じる途端に、言霊ウの宇宙は言霊アとワの両宇宙に分かれました。安万呂はその両宇宙に高御産巣日の神、神産巣日の神の名を付しました。言霊ウの宇宙が言霊アとワの両宇宙に分かれる事は、意識の対象として、即ち現象として捉え得る事ではありません。飽くまで心の中の実在の活動であり、意識によってではなく人の内観・直観によってのみ捉える事が出来る事でありますので、これを宇宙剖判と申します。剖判の剖は「分れる」であり、判は「分る」です。分れるから分る、分かれなければ分らない。分るとはこういう事であり、それが同じであることを言葉が示しています。日本語の妙であります。
上の言霊ウの宇宙が剖判して言霊アとワ、即ち主体と客体、私と貴方、始めと終り……の両極が生じて来る消息を一つの実験によって逆に証明出来る事を説明しました。人は自分に対するものを見聞きした時、自らの存在、即ち自我を意識します。その現象は言霊ウの宇宙から言霊アとワの宇宙が剖判した事の一つの説明になります。それとは逆に、自我を意識している自分から、その自分に対立して存在するものが(仰向けになって見る雲一つない空が対立する雲がない事によって)なくなることによって、自意識が次第に消えて行ってしまう実験でありました。自意識が消えてしまうと、仰いで見入っていた空が自分を呑み込んでしまったのか、自分が空になってしまったのか、全く何だか分らない状態、即ち「天地の初発の時」の言霊ウになってしまう実験であります。それは言霊ウから言霊アとワが剖判する消息を、逆に言霊アとワとの対立から、対立が消えて初めの対立のない、禅でいう一枚の言霊ウに戻って行く事で証明する実験という事が出来ます。
言霊ウから言霊ア・ワが剖判して来る事を簡単に確かめる心理実験として、上の如くビルの屋上で仰向けになって、雲一つない澄んだ空を見る事についてお話をしたのですが、これに関して蛇足かもしれませんが、二つの注意事項をお話をして置きます。
十年以上前の事、ある右翼の幹部の方が私の処へ言霊の話を聞きに来ました。ところが心の先天構造という事がどうしても分からない、と言うのです。そこで私は所謂「仰向け実験」の話をしました。その実験で彼が人の心の本態が宇宙そのものなのだ、という事を知って貰えるかなと思ったからです。数日後、彼は再びやって来ました。そして「貴方の言った事は嘘だ。言われた通りに幾度もやってみたが、一度として自分と空とが一体となる事はなかった」と言います。私は彼が実験した時の心理を種々尋ねてみました。そして彼が一度として成功しなかった原因が分り、大笑いしたのでした。彼は実験を始めるや、宇宙との一体感を味わうという好奇心に胸をふくらませて、その現象が今起るか、今起るかと期待して待っていた、というのです。これでは空との一体感などいくら待っても起るはずがありません。彼は視覚に相対する物という対象の代わりに、彼の心の中に「一体感」という期待を強固に持ってしまったのです。知識人は経験的知識に頼って物事に対処するという癖が強くて、「ただ漫然と見る」という事すら出来なくなっていたのです。
注意の二つ目は次の通りです。「ビル上の仰向け実験」は心の本態が宇宙そのものである事、また言霊ウより言霊ア・ワへの宇宙剖判を体験する簡単な実践です。けれど「心即宇宙」を自覚することではありません。これを自覚し、この自覚の下に一切の自分の行為を律して行く事が出来るようになる為には、種々の体験と反省の行為が必要であることを御理解頂き度く思います。この事については後程詳しくお話申上げます。そしてこの「仰向け実験」を何回も繰返してやれば、心即宇宙の境地を自覚することが出来る、と勘違いして、実験を度々行ったり、また面白がって遊び心で行う事は決してなさりませんよう御注意申上げておきます。この間の事情に精通した熟練者の指導の下に行わない限り、或る心理障害を招来する危険があることを忘れないで下さい。以上二つの注意を申上げました。
言霊アとワの指月の指として太安万侶は高御産巣日の神、神産巣日の神という神名を当てました。高御産巣日は主体であり、神産巣日は客体です。二神の名を片仮名で書くと「タカミムスビ」「カミムスビ」となり、主体を示す高御産巣日の頭に「タ」の一字が多い事だけの違いという事に気付きます。とすると「タ」の一音によって高御産巣日は主体を意味する事となります。
高御産巣日のタを除いたカミムスビから検討しましょう。カミは「噛み」です。産巣は産む、生じる事、日は言霊特にその中の子音を指します。カミの噛みは二つのものが出会う事で、心理学的に言えば感応同交という意。そこでカミムスビ全部で(主体と客体が)感応同交して言霊子音を生む、となります。では高御産巣日の冠に付く「タ」とは何を意味するのでしょうか。音声学という学問ではアイウエオ五十音表のタ行のタチツテトの五音はすべて陽性・積極性を意味する音とされています。日本の九州地方に伝わる剣道に示源流という流派がありますが、この剣法は剣を持って人と向かい合うと、剣を八双に立てて構え、そのまま敵に突進し、近づくと剣を上段に挙げ、気合諸共剣を敵の真向から斬り下げます。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と自分の肉を斬らせて敵の骨を断つという玉砕剣法ですが、この剣を振り下ろす時の掛声がタ行の音「チェストー」です。以上の事で分りますように、「タ」とは積極・主体性を表わします。
何もない心の宇宙に初めて言霊ウが生れ、それが剖判して言霊ア(高御産巣日の神)と言霊ワ(神産巣日の神)が生れて来ますが、このアとワは一方は積極性の我であり、主体であり、片方は消極的な客体であり、貴方であることがお分かり頂ける事と思います。この私と貴方、主体と客体が感応同交をすることによって何かの出来事が生れます。現象が起ります。即ち現象である子音が創生されることとなりますが、この主体と客体の感応同交に於てイニシアチブを取るのは飽くまでも主体アであり、客体ワは主体アの問い掛けに答えるだけであります。
初め心の宇宙から言霊ウが芽生え、それが剖判して言霊アとワの宇宙に分かれます。そしてその言霊ア(主体)と言霊ワ(客体)の感応同交によって人間に関する一切の出来事(現象)が生れ出て来ます。人間の一切の行為の元はこの言霊ウ、アワの三言霊から始まります。これが人間の心の重要な法則でありますので、言霊ウ・ア・ワ即ち天の御中主の神、高御産巣日の神、神産巣日の神の三神を造化三神と呼ぶのであります。
広い何もない心の宇宙に初めて生れ、動き、蠢き出すもの、即ち言霊ウはやがて人間の自我意識に発展し、欲望性能が現れ、社会の中の産業・経済活動となって行きます。そのウの宇宙が剖判して出来た言霊ア(ワ)の宇宙からは人間の感情性能が発現し、その性能はやがて社会の中で宗教・芸術活動となって行くものです。
古事記の文章の説明を先に進めます。
この三柱の神は、みな独神(ひりとがみ)に成りまして、身を隠したまひき。
この三柱の神とは天の御中主の神、高御産巣日の神、神産巣日の神三神のことです。独神とは独立神という事で、他の実在に依存することなく、それだけで一つの界層、或いは次元を成している、という事です。例えば言霊ウの宇宙より発現してくる人間の五官感覚に基づく欲望性能というものは、他の言霊オの経験知や言霊アの感情性能に頼ることなくそれ自体で活動します。
身を隠したまひき、とは三神はみな心の先天構造を構成している神で、意識で捉えることが出来ないものです。そこで自らの身を隠している、即ち現実の現象界には姿を現すことがない、という意味であります。この説明で納得なされば、それで事は済みます。けれど中々そう行かない場合がありますので、例を引いて説明しましょう。
高御産巣日の神・言霊アは主体であり、私であります。神産巣日の神・言霊ワは客体であり、貴方です。と言いますと、「私といい、貴方という人間は現実に意識で捉えられるではないか。先天の実在であるというのは変だ」と思われる方もあるかと存じます。誠にもっともな事ではありますが、此処でもう少し考えてみましょう。今、此処に立っている私と言えば、右手で今日の朝刊の新聞を持ち、居間で窓を通して外を眺め、まだ起きたばかりで半分眠そうな眼をして、今日の日曜日は何処か空気のよい処へでも出かけて行き、帰りには久しぶりに美味しい夕食でも食べようかな、と思っている私です。一時間後の私は、会社から緊急の電話がかかり、血相を変えて急いで出勤のために背広に着替えているかも知れません。これも私である訳です。となると、どれが私なのでしょうか。この様に私自体という存在は捉えようがなくなります。捉えられる私とは、その時、その場の私というものの現象なのであって、私自体とは言い得ません。私自体とは人間が意識で捉えることが出来ないもの、つまりは人が意識で自分と思っているものの奥に直観で「自分自体」と見なしているもの、または、宗教行為によって直観乃至内観する「何か」でなければならない、という事になります。五官感覚で捉える現象としての「私」だけを私だと思っている限り、私という存在は私にとって永遠の謎のまま終ってしまう事となります。「真実の私とは何であるのか」と問い直して見る時、そこに壮大で、華麗で、厳密な言霊学の扉が開かれる事となるのであります。
心の宇宙の中に言霊ウ、ア、ワの宇宙が剖判して来る状況を図で示しますと、左の如くになります。この剖判の理論上の説明は今までお話して来た事で済むのですが、人の心はこの剖判の過程をどの様に内観することが出来るのか、はまた別の話となります。勉学する人の実際の体験を次にお話することにしましょう。御参考になれば幸いであります。
勉学者が古事記のいう「天地の初発の時」を現実に心で体験するための二つの方法、即ち自力と他力について前号でお話いたしました。今回も自力の反省から説明を始めます。人間は心の宇宙から生れ、宇宙の中で育ち、死ねば宇宙に帰って行きます。宇宙と人間は切っても切れない関係にあります。ですからここに「天地の初発」即ち心の宇宙自体を殊更に見、自覚しようとすることは奇妙な事なのです。宇宙、禅でいう「空」を見ようとすることを禅は「屋上屋を架す」と言って警しめています。四六時中宇宙の中で生きているのに、その上にまた宇宙というものを設定して、これを把握しようとすることは、今まである屋根の上に更に屋根を作ろうとするものだ、という訳です。ではどうしたらよいか、と言えば、常にその中に生きていながら、それを見る事が出来ないのは、見る眼の上に人間の経験知という色眼鏡をつけているからであり、宇宙を見たいならその色眼鏡をはずせばよい、というわけです。
そこで自力信仰の反省、自分との問答が始まります。自分が生れた時から天から授かっている大自然の眼で物を見ることを妨害している自分の経験知とは何か。その自分がその時まで頼っていた経験知・癖を一つ一つ心の内で点検し、それ等が自己本来のものではなく、他からの借物である事を確認して行きます。そして最後にそれこそ自己そのものだと確信していた経験知に真正面から向き合う事となります。この経験知をも「ノー」と否定したら、自分はどうなってしまうのだろう、と不安に駆られます。この時、禅は「百尺竿頭尚一歩を進むべし」と励まします。そして更に一歩を進めた時、宇宙は「現前」します。何もない宇宙の広がりを見ます。そこに何もありません。従来の心は死に、再びの「生」は起りません。この恐ろしいような空の世界を禅は「白雲影裡笑呵々(はくうんえいりわらいかか)」とニヒルに言ってのけています。達磨大師は「郭然無聖」と言いました。「広がりのある他は何一つ有り難いものはないよ」と中国の王様の問いに答えています。そこには宇宙の無音の音が聞こえて来るばかりです。人はそこに留まるならば、永遠のニヒリズムがあるのみとなるでしょう……。これが宇宙なのです。
人が自らの内に積んだ経験知識、性癖を、それは借り物であり、本来の自分ではないと「ノー」と否定して行き、その否定の末に大自然そのものに辿り着きます。そこは禅で「世界壊(ゑ)する時、渠朽(かれく)ちず」と言った冷厳透徹した無味無音の世界です。人間の愛、慈悲、温かさ、有難さなど一つもない世界です。それ等の人間らしさが現れるのは、人の精神反省の修行過程としては、もっと後の事なのであります。
イエス・キリストは死んで三日目に蘇った、と聖書にあります。イエスは右に述べました如く精神的に死んだのです。肉体的に死んだのではありません。人は自らの本来の生の根源宇宙に帰った時、暫し茫然として何することの気も起きなくなります。それを死と呼んだのです。やがて(人により時間に差はあるでしょうが)冷徹し切った心の中に何かが芽生えます。それは何の変哲もない、いとも当然の事が起ります。例えば「腹が減ったな」です。何もない心の宇宙に何か、即ち「空腹感」が、言霊ウ、やがてそれが自己意識となり、欲望となる意識の芽が生れます。
次に「何か食べるものはないか」と捜します。冷蔵庫の中に古くなった一片のパンを見つけました。夢中でそのパンを齧りました。その美味しい事。普段なら干乾びていて捨ててしまうであろうその一片のパンの美味しい事。この時です。人の心に愛、慈悲、そして生きることの無限の有難さ、身も震えるような真底から込上げてくる感謝の心が湧いて来るのは。今まで自分が自由気侭(きまま)に生きて来たと思っていた自分が、実は大きな大きな力によって生かされていたのだと気付くのです。身勝手で一人善がりの小さい小さい自分が、大きな力によって生かされて来た事を何の理屈もなく知ることとなります。聖書は「今よりは我生きるに非ず、イエス・キリスト我が内にありて生きるなり」の使徒パウロの言葉を伝えています。人は再び蘇ったのです。生れ変わったのです。
先に図で示しましたように「天地」の何もない広い宇宙の存在を知り、その「初発の時」として言霊ウの芽生えを自己の心中に確認し、次に愛と慈悲の心に生かされている宇宙の子としての自己、主体としての自己である言霊アとその対象となる言霊ワの存在を知る心の旅路の過程は以上のようなものであります。
自己は限りなく小さいもの、その限りなく小さい者であるが故に、限りなく大きな力、宇宙の力によって生かされているもの、そして限りなく小さいが故に、それが何かをしようとする処は常に大きな宇宙の中心に存在し、大きな宇宙より授かった知性を以て、自己である言霊アより対象となるあらゆる客観に天の浮橋なる橋をわたして次々と「問い」を発し、世界人類の文明を創造して行くことが出来る掛替えのない尊い生命であることを知ります。この文明創造の尊い生命の問いの光、聖書はこれを「日月の照すを要せず、神の栄光これを照らし、恙羊(こひつじ)はその燈火なり」と讃えています。
上の自力信仰による心の宇宙の自覚から言霊ウ、ア、ワの剖判に到る過程を他力信仰の立場から説明することにしましょう。自己の他人、身内または社会に対する行為について矛盾を感じ、迷い、苦しみから脱却する道として他力信仰の道に入ります。自らの一人善がり、我侭な行為にもかかわらず、自分を生かし、守っていて下さる大きな力(例えば阿彌陀様)に帰依し、感謝の念で世の中を暮らさせて頂こうと思います。苦しくとも、どんなに辛くとも、大きな力に感謝し続けようと努力します。「善人なおもて往生をとぐ、まして悪人をや」の悪人正機を信じて信仰に励みます。けれど己が煩悩は次から次へと湧き出るが如く現れて、我が身を嘖なみます。自分自身でも呆れる程の煩悩に終には「煩悩具足の凡夫、地獄は一定住家ぞかし」の絶望が訪れます。どんなに佛に縋(すが)ろうとも、地獄の底に這い回っているより他にはない自分だと知ります。それは心も凍るような冷厳な事実として自我が打ち砕かれる時です。自己の罪の重さに手も足も出なくなったのです。如何に神仏に縋り、祈ろうとも助かる事のない自分だと知ります。地獄の底の底にただかすかに息をしている自分を発見します。この息をするのだけが許されている事がこの世の中に生きている印(しるし)であると知ります。
この時、耳もとで大きな念仏の称名の声が聞こえて来ます。それは助かりたくて称えて来た念仏ではなく、決して助かる見込みのない自分の代わりに、阿彌陀様が地獄の底まで下りて来て下さり、自分の代わりに自分の口を使って称えて下さる念仏なのだ、と知ります。助かり度いという気持ちが消えて、しかも自然に両掌を合わせ、南無阿彌陀仏を称えている自分を発見することとなります。自我意識の自我ではなく、生れたばかりの本来の自己に帰った事を知ります。この純粋信仰を親鸞上人は「佛より賜わりたる信心」と呼びました。
以上が他力信仰による自己の内に見る宇宙―言霊ウ・ア・ワの剖判の過程です。自力・他力どちらに頼るにしても、広い大自然の心の宇宙から言霊ウ・ア・ワの宇宙剖判の事実を自己心中に確認すること、即ち「天地の初発の時」に成り出でる造化三神、天の御中主の神、高御産巣日の神、神産巣日の神を心の内に見極めるならば、勉学者の言霊学に於ける無限の創造の土台が築かれた事になる、と言う事が出来ましょう。
宇宙より造化三神、言霊ウ、ア、ワが生れ出て来る自覚の心理過程を宇宙、言霊ウ、ア、ワの区切りが理解し易いよう説明しました。勉学者それぞれその心理過程の体験は画一的ではない筈です。この説明を参考にお考え下されば幸いであります。
古事記の文章を先に進めることにしましょう。
次に国稚く(くにわかく)、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母なす漂へる時に、葦牙のごと萌え騰る物に因りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に天の常立(とこたち)の神。この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。
心の宇宙から言霊ウ、アワと剖判が起りました。しかしまだ先天宇宙の構造の話は始まったばかりで、それが確定されるのはまだまだ先の事であります。「国稚く」の国とは組んで似せる、区切って似せる、の意。東京と言えば東と京の字を組んで名を付け、東京といる処の内容に似せたもの、という意味であり、また東京という処を他の処とは別に区切って、東京の地を際(きわ)立たせたもの、の意となります。「国稚(わか)く」とは、先天構造を構成する言霊ウ、アワの検討は終えたけれど、まだその区分は始まったばかりで、しっかりと確定されたものでない、即ち、稚い、幼稚なものであるの意。「浮かべる脂の如くして」とは、水の上に浮かんだ油のようにゆらゆら漂っていて安定したものではない、という事。「水母(くらげ)なす」の水母とは暗気のこと。混沌としてまだ明白な構成の形体をなしていない、の意。
「葦牙(あしかび)のごと萌え騰る物に因りて成りませる」の意味は、濕地に生える葦が春が来ると共に芽を出し、またその枝芽から次々と芽を出し、何処が元で何処が末だか分らない程分かれた枝芽を出しますが、その姿のように、の意であります。
宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に天の常立(とこたち)の神。
言霊ヲ、オ。宇摩志(うまし)とは霊妙不可思議なの意。阿斯訶備(あしかび)とは葦の芽のこと。比古遅(ひこぢ)は、辞書に比古(彦)は男子のこと、遅(ぢ)は敬称とあります。男子(おとこ)とは音子で言葉の事。「霊妙に葦の芽の如く萌え上がるように出て来る言葉」といえば直ぐに記憶の事だと思い当たります。寝そびれてしまった夜、目が冴えてとても寝つかれそうにない時など、過去の記憶が次から次へと限りなく浮かび上がって来ます。一つ一つの記憶は関連がないような、有るような複雑なものです。宇摩志阿斯訶備比古遅の神と古事記が指月の指として示した実体は、人間の記憶が納まっている心の空間(宇宙)のことであります。これが言霊ヲです。一つ一つの記憶は独立してあるものではなく、それすべてに何らかの関連をもっています。その関連が丁度葦の芽生えの複雑な形状に似ているために、太安万侶はこの神名を指月の指としたのでありましょう。
天の常立(とこたち)の神とは大自然(天)が恒常に(常)成立する(立)実在(神)といった意味であります。宇摩志阿斯訶備比古遅の神が記憶そのものの世界(言霊ヲ)であるとするならば、天の常立の神・言霊オとは記憶し、また種々の記憶の関連を調べる主体となる世界という事が出来ます。またこの世界から物事を客体として考える学問が成立して来ます。言霊ヲの記憶の世界も、その記憶を成立させ、またそれら記憶同士の関連を調べる主体である言霊オの宇宙も、それぞれ人間の持つ各種性能の次元宇宙とは独立した実在であり、また先天構造の中の存在で、意識で捕捉し得ないものでありますので、宇摩志阿斯訶備比古遅、天の常立の二柱の神も「独神であり、身を隠している」と言うのであります。
その165
何もない広い宇宙の中に先ず言霊ウの宇宙が現われ、それがアとワの宇宙に剖判しました。言霊アは主体・私であり、言霊ワは客体であり、貴方であります。即ちこの見る方(ア)と見られる方(ワ)の次に何が剖判して来るのでしょうか。それは言霊オ・ヲの宇宙でありました。言霊オは天之常立の神、言霊ヲは宇摩志阿斯訶備比古遅の神であります。
心の先天構造の此処までの活動で、広い宇宙の中に何かまだ分からないが、何者かが現われ(言霊ウ)、それに人間の思惟が加わりますと、言霊ウの宇宙は見る主体(言霊ア)と、見られる客体(言霊ワ)に剖判し、更にそれが何であるか、を見定めるために言霊オとヲ即ち過去の記憶と記憶するもの(言霊ヲとオ)が剖判・出現し、そのオとヲの記憶によって「何か」が決定されるという段取りとなるのであります。眼前のものが何であるか、が決定しますと、次に何が起るのでしょうか。古事記の文章を次に進めます。
次に成りませる神の名は、国の常立(とこたち)の神。次に豊雲野(とよくも)の神。この二柱の神も独神(ひとりがみ)に成りまして、身を隠したまひき。
国の常立の神は言霊エ、豊雲野の神は言霊ヱであります。国の常立の神とは国家(国)が恒常に(常)成立する(立)根本の実体(神)といった意味です。この宇宙からは人間の実践智が発現して来ます。言霊オから発現する経験知が過ぎ去った現象を想起して、それ等現象間の関連する法則を探究する経験知識であるのに対し、言霊エから発現する実践智とは一つの出来事に遭遇した時、その出来事に対して今までに剖判して来た言霊ウ(五官感覚意識に基づく欲望)・言霊オ(経験知識)・言霊ア(感情)の各人間性能をどの様に選(えら)んで採用し、物事の処理に当るか、の実践的智恵の事を謂います。経験知と実践智とはその次元を異にする全く別なる人間性能であります。
言霊ヱの指月の指に採用された豊雲野(とよくも)の神なる神名は豊(十四〈とよ〉)を雲(組〈く〉む)野(領域・分野)の神(実体)といった意味であります。十四を組む分野の実体と言いましても意味は分かりません。説明を要します。
今までの心の先天構造を構成する言霊として現出したものは言霊ウアワオヲエヱであります。これ等の言霊の中で主体側に属するものは(ウ)アオエであり、客体側に属するものは(ウ)ワヲヱとなります。言霊ウは一者であり、主体でも客体でもないもの、或いは主体ともなり、客体ともなるものです。この様に分別しますと、まだ出て来てはいませんが、言霊イとヰも同様に区別されます。すると主体側として母音ウアオエイ、客体側として半母音ウワヲヱヰの各五個が挙げられます。主体であるアと客体であるワが感応同交して現象子音を生むということは既に説明しました。更にまだ現れてはいませんが、この次の説明として出て来ます主と客を結ぶ人間の心のリズムである八つの父韻というものがあるのですが、豊雲野の神の「雲」が示す「組む」という働きが実際には主体である母音と客体である半母音を結び組むことを意味しているという事、また母音五、半母音五の中で、半母音五を言霊ワの一音で代表させますと母音と半母音は六、それを結び組む八つの父韻八、六と八で合計十四となります。まだ説明していない言霊の要素を先取りしてお話申上げておりますので、読者にはよくお分りにならないかも知れません。これについては言霊エ・ヱの次に出て来ます言霊父韻と言霊イ・ヰの項で詳しく説明させて頂きますが、「豊」の字の示す十四とは、右に示しました母音五、半母音一、それに八父韻合計十四数のことなのであります。これを先天構造の言霊数十七の中の基本数を表わす数としています。人間の実践智の性能とは結局はこの十四の言霊をどの様に組むか、の性能の事なのであります。これは言霊学の基本となる法則であり、豊の字は日本国の古代名である豊葦原水穂国にも使われております。
国の常立の神・言霊エが人間の物事を創造して行く実践的・主体的行為の働きであるのに対し、豊雲野の神・言霊ヱは実践的智恵によって創造された各種の道徳並びにその規範に当ると言うことが出来ます。
言霊エ・ヱの道徳実践の性能は他の人間性能に依存せず、独立しており、また先天活動として実際に現象として現れることがありません。「独神に成りまして、身を隠したまひき」となる訳であります。
言霊オの経験知と言霊エの実践智とは現在同じように思われています。けれど全く次元を異にする違ったものなのです。経験知は既に過ぎ去った現象、または現象と現象同志を想起して来て、そこに起る現象の法則、または現象間の関連法則を調べることによって得られる知識です。実践智とは今起っている現象に対し、如何に対処し、新しい事態に創造して行くか、の智恵のことです。両者には大きな相違があります。
人は何か対処し、処理すべき事態に遭遇した時、先ずその事態が如何なる原因によって起ったのか、を調べます。この調査は経験知によって行われます。今まで過去に起った同じ現象と比べて、今回の事態が過去と同じか、違いがあるとすれば、それは何か、を調べます。以前起った現象と様相が全く同じであるなら、その以前に経験した対処法をそのまま採用すればよい事となります。この場合、経験知がそのまま実践智となり得ます。問題は起りません。
けれど今度の事態が過去に似た事例を見ない出来事だったり、似た事例があったとしても、その他未知の要素が含まれているような出来事であったりした場合、経験した知識だけでは判断出来なくなります。この時、実践智という人間の性能が浮かび上がります。言霊エの実践智とは、言霊ウの欲望、言霊オの経験知、言霊アの感情の各人間性能をどの様に按梅して物事に対処したらよいか、を決定する智恵なのであります。この智恵も経験知と同様人間に生れた時から授かっている生来の性能なのです。
現代の教育はこれ等経験知と実践智の全く違った人間性能を混同しているようであります。その結果、知識教育一辺倒になり、知識を覚え、その知識を利用する性能に劣る人の存在をやゝもすると疎外視する傾向があるのを否めません。人間に生来授かっている性能と言えば言霊ウオアエイの世界から発現する五つの本質的性能があります。単なる数学的計算で見ても、経験知識的(学問)性能は人間全人格の「五分の一」に過ぎません。経験知で他より劣る人は、よく観察するとそれ以外の性能で思いもよらぬ優秀な才能を持つ人が少なくありません。今の学校教育の中で経験知・言霊オと実践智・言霊エとが全く違った次元のものなのだ、という事を知っただけでも、若い人の教育がもっと活気あるものになるのではないでしょうか。
経験知と実践智、言霊オと言霊エの相違は、その精神構造を図形で示しますと、更に明らかとなります。経験知による勉学の精神構造は三角形△で表わされます。その形而上は△で、形而下は▽で示され、その総合は(図①)の形となります。これを篭目と呼び、イスラエルの国旗に使われます。主として欧米諸国(西洋)の精神構造がこれであります。
これに対し実践智の精神の構造は方形□で表わされます。形而上は(図②)の形で、形而下は(図③)の形で示され、総合は(図④)の形となります。この精神構造は主として東洋精神の伝統となっています。この形を東洋哲学で框(かまち)と呼んでおります。この三角形と方形の精神構造については後程詳しく説明いたします。
古事記の文章を先に進め、八つの父韻の話をいたします。
次に成りませる神の名は、宇比地邇(うひぢに)の神。次に妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に角杙(つのぐひ)の神。次に妹活杙(いくぐひ)の神。次に意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に於母陀流(おもだる)の神。次に妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。
右の文章に出て来ます八神の名はすべて言霊父韻を指し示す神名であります。古事記の初めから今までに現われ出ました神、天の御中主の神(言霊ウ)より豊雲野の神(言霊ヱ)までは言霊母音、半母音を示す神名でありました。母音・半母音の宇宙は共に大自然実在であり、それが人間社会の営みの原動力となるものではありません。高御産巣日の神(ア)と神産巣日の神(ワ)が噛み結ぶと言いましても、またアが主体、ワが客体と言いましても、そのアである主体そのものが客体に向かって働きかけを起こすことはありません。実際に主体と客体とを結び、人間社会の中に現象を生じさせるものは大自然宇宙そのものではなく、飽くまで人間でなくてはなりません。そうでなければ、人間自体の創造行為というものはなくなり、創造の自由もない事になり、人間は宇宙の中の単なる自然物となってしまいます。人間という種が万物の霊長といわれ、神の子といわれる所以は、人間が自らの意志によって社会の中の文明創造の営みを行う事によります。
言霊母音・半母音を結び、感応同交を起こさせる原動力となる人間の根本智性とも言うべき性能、それが此処に説明を始める言霊八父韻であります。この言霊の学の父韻に関して昔、中国の易経で乾兌離震巽坎艮坤〈けんだりしんそんかんごんこん〉(八卦)と謂い、仏教で石橋と呼び、旧約聖書に「神と人との間の契約の虹」とあり、また新約聖書に「天に在ます父なる神の名」と信仰形式で述べておりますが、これ等すべての表現は比喩・表徴・概念であって実際のものではありませんでした。言霊学が完全に復活しました現在、初めて人間の文明創造の根源性能の智性が姿を明らかに現した事になるのであります。
これより説明いたします言霊八父韻は、言霊母音の主体と、言霊半母音の客体とを結び、現象の一切を創造する原動力となる人間の根本智性であり、人の心の最奥で閃めく智性の火花であり、生命自体のリズムと言ったものであります。その父韻を示す八つの神名の中で、一つ置きに「妹」の字が附せられています。それで分りますように八つの父韻は妹背、陰陽、作用・反作用の二つ一組計四組の智性から成っています。当会発行の言霊学の書「古事記と言霊」で八つの父韻について個々に詳細な説明があります。そこでこの会報では個々の父韻の説明の要点のみをお話申上げることといたします。
宇比地邇(うひぢに)の神。妹須比智邇(いもすひぢに)の神。
言霊チ、イ。上の言霊イは母音のイではなく、ヤイユエヨの行のイであります。言霊チを示す神名、宇比地邇の神は「宇は地に比べて邇(ちか)し」と読めます。宇とは宇宙、いえ等の意味があります。人間の心の家は宇宙です。言霊アの自覚によって見る時、人の心の本体は宇宙であると明らかに分ります。するとこの神名は人の心の本体である宇宙は地と比べて近い、と読めます。即ち心の本体である宇宙と地と同じ、の意となります。宇宙は先天の構造、地とは現象として現われた姿と受取ることが出来ます。そこで宇比地邇の神とは心の宇宙がそのまま現象として姿を現す動き、となります。
太刀を上段に振りかぶり、敵に向かって「振り下ろす剣の下は地獄なり、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と、まっしぐらに突進する時の気持と言えばお分り頂けるでありましょうか。結果は運を天にまかせ、全身全霊で事に当る瞬間の気持、この心の原動力を言霊チの父韻と言います。それに対し言霊イの父韻は、瞬間的に身を捨て全身全霊で事に当ろうと飛び込んだ後は、その無我の気持の持続となり、その無我の中に自らの日頃培った智恵・力量が自然に発揮されます。須比智邇とは「須(すべからく)智に比べて邇かるべし」と読まれ、一度決意して身を捨てて飛び込んだ後は、その身を捨てた無我の境地が持続し、その人の人格とは日頃の練習の智恵そのものとなって働く、と言った意味を持つでありましょう。
以上の事から言霊父韻チとは「人格宇宙全体がそのまま現象として姿を現わす端緒の力動韻」であり、父韻イとは「父韻チの瞬間力動がそのまま持続して行く力動韻」という事が出来ましょう。ここに力動韻と書きましたのは、心の奥の奥、先天構造の中で、現象を生む人間生命の根本智性の火花がピカっと光る閃光の如き動きの意であります。
角杙(つのぐひ)の神。妹活杙(いくぐひ)の神。
言霊キ、ミ。昔、神話や宗教書では人間が生来授かっている天与の判断力の事を剣、杖とか、または柱、杙などの器物で表徴しました。角杙・活杙の杙も同様です。言霊キの韻は掻き繰る動作を示します。何を掻き繰る(かきくる)か、と言うと、自らの精神宇宙の中にあるもの(経験知、記憶等)を自分の手許に引寄せる力動韻のことです。これと作用・反作用の関係にある父韻ミは自らの精神宇宙内にあるものに結び附こうとする力動韻という事が出来ます。
人は何かを見た時、それが何であるかを確かめようとして過去に経験した同じように見える物に瞬間的に思いを馳せます。この動きの力動韻が父韻ミです。またその見たものが他人の行為であり、その行為を批判しようとする場合、自分が先に経験し、しかもそういう行為は為すべきではないと思った事が瞬間的に自分の心を占領して、相手を非難してしまう事が往々にして起ります。心に留めてあったものが自分の冷静な判断を飛び越して非難の言葉を口走ってしまう事もあります。これは無意識にその経験知を掻き繰って心の中心に入り込まれた例であります。
人は世の中で生きて行く時、この父韻キミの働きを最もしばしば経験します。そしてこの働きは最も容易に認識する事が出来るのではないでしょうか。
意富斗能地(おほとのぢ)の神。妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。
言霊シ、リ。父韻を示す神名の中でこの父韻シ・リの神名からその父韻の内容を理解することはほとんど不可能に近いと思われます。意富斗能地は大きな斗(はかり)の働きの地と読めます。物事を判断し、識別する大いなる能力の地という訳です。人はある出来事に出合い、その事を判断・識別する事が出来ず迷う事があります。あゝでもない、こうでもないと迷いながら、次第に考えが心の中でまとめられて行きます。そして最後に迷いながら経験した理が中心に整理された形で静止し、蓄積されます。蓄積される所が心の大地という訳です。この働きから学問の帰納法が生れて来るでありましょう。
大斗乃弁とは大いなる計りの弁(わき)まえと読めます。意富斗能地と作用・反作用の関係にある事から、心の中にある理論から外に向かって発展的に飛躍していく働きと考えられます。父韻リはラリルレロの音がすべて渦巻状、螺旋状に発展していく姿を表わしますから、父韻リとは心の中の理論が新しい分野に向かって螺旋状に発展し、広がって行く働きであることが分ります。この様な動きの理論の働きは演繹法と呼ばれます。学問ではなくとも、多くの物事の観察から人の心の中に一つの結論がまとまっていく過程、また反対にひとつの物事の理解から思いが多くの事柄に向かって連想的に発展して行く事、その様な場合にこの父韻シ、リの存在が確かめられます。
於母陀流(おもたる)の神。妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。
言霊ヒ、ニ。於母陀流の流の字に琉(る)を当てた本がありますが、言霊的意味に変わりはありません。於母陀流の神を日本書紀には面足尊(おもたるのみこと)と書いており、その意味・内容は更に明らかとなります。ハヒフヘホの音は主として人の言葉に関する音であります。面足とは心の表面に物事の内容表現が明らかに表わされる力動韻という事が出来ます。私も時に経験することですが、何かの集会で突然一人の人から「久しぶりにお会いしました。御無沙汰していて申訳御座いません。あの節はお世話になりました」などと親しげに挨拶されます。余りに親しげであり、突然の事とて、戸惑い、いい加減な挨拶を返してそのまま別れてしまう事があります。別れた後で「確かに何処かでお会いした事があるように思えるが、さて何方(どなた)だったかな」と仲々名前を思い出せません。二、三日経って、散歩な心に懸っている間に、次第に心の奥で思い出そうとする努力が煮つまって行き、以前に会った時が何処か、何時か、どんな時か等の事が焦点を結び始め、終に心の一点に過去の経験がはっきり一つの姿に沈黙の内に煮つめられた時、その瞬間、意識上に「あゝ、あの時の木下さん……」と言葉の表現となって花咲いた訳であります。かくの如く心の表面にはっきり表現として現われる時には、心の奥で過去のイメージが実を結んでいる、という事になります。この心の奥に一つの事の原因となるものが煮つめられて行く力動韻、これが父韻ニであります。
以上、妹背四組、八つの父韻チイ、キミ、シリ、ヒニについて簡単に説明をいたしました。お分かり頂けたでありましょうか。古事記の神名はすべて言霊の学問に関して禅で謂う所の指月の指だと申しました。「あれがお月様だよ」と指差す指という事です。ですから指差している指をいくら凝視しても、それだけでは何も出て来ません。指が指差すその先を見ることが肝腎です。今までお話して来ました父韻についての説明も矢張り「指月の指」であることに違いはありません。読者におかれましても、この説明にあります力動韻を自分御自身の心の奥に直観されますようお願い申上げます。
父韻のお話に添えてもう一つ御注意を申上げておきます。「父韻の説明を読んで自分の心を探ってみるのだが、八つの父韻がどんなものなのか、実際に心の中に起る何が父韻なのか、どうも分かりません」と言われる方が時々いらっしゃいます。どうしたら父韻の働きが分かるのか、一つのヒントを申し上げようと思います。チイキミシリヒニの八つの父韻がアオウエの四母音に働きかけて、言い換えますと、八つの父韻が母音と半母音四対を結ぶ天の浮橋となって三十二の子音言霊を生みます。この子音言霊のことを実相の単位を表わす音と言います。父韻は母音(半母音)に働きかけて物事の実相の単位である子音言霊を生みます。その子音が生れる瞬間に於いて、その子音誕生の原動力となる父韻の動きを誕生の奥に直観することが出来ます。でありますから物事の実相を見ることが出来るよう自分自身の心の判断力を整理しておく事が必要なのです。心の整理とは心の中に集められた経験知識を整理して、少しでも生れたばかりの幼児の如き心に立ち返って物事の空相と実相を知る事が出来る立場に立つ事であります。その時、実相を見る瞬間に、その実相誕生の縁の下の力持ちの役目を果たす八つの父韻の力動韻を直観することはそんなに難しい事ではありません。
ここまでの説明で心の先天構造を構成する十七言霊の中の十五の言霊が登場しました。言霊母音と半母音ウアワオヲエヱ七音、言霊父韻チイキミシリヒニ八音、合計十五音となります。そこで最後に残りました言霊イ・ヰ即ち伊耶那岐・伊耶那美二神の登場となります。その説明に入ることとしましょう。
伊耶那岐(いざなぎ)の神。伊耶那美(み)の神。
言霊イ、ヰ。先天構造を構成する十七の言霊の中の十五言霊が現われ、最後に伊耶那岐(言霊イ)と伊耶那美(言霊ヰ)の二神・二言霊が「いざ」と立上り、子音創生という創造活動が始まります。言霊イ・ヰが活動して初めて先天十七言霊の活動が開始されます。この様に言霊イ(ヰ)は一切の創造活動の元となる言霊であります。
「大風が吹くと桶屋が儲かる」という話があります。一つの原因があると結果が現われる。その結果が原因となって次の結果が出て来る。……かくして因果は廻って果てしなく話は続くという事になります。言霊ウの宇宙から社会の産業経済活動が現われます。言霊オの宇宙から学問という分野の活動が起ります。……では何故ウ言霊から産業経済活動が起るのか。……それは人間の根本智性である八つの父韻が母音言霊ウに働きかける事によって現象を生むからです。……では何故八つの父韻は言霊母音に働きかける事が出来るのか。話は何処まで行っても尽きないように見えます。この次々に考えられる原因・結果の話に「止(とどめ)」を刺すのが伊耶那岐・伊耶那美二神の言霊イ・ヰであります。言霊イ・ヰは大自然宇宙を含めた人間生命の創造意志と呼ばれる一切の原動力であり、伊耶那岐・美の二神は宗教で創造主神または造物主と呼ばれているものに当ります。
現代では使われなくなりましたが、昔「去来」と書いて「こころ」と読み、また「いざ」とも読みました。伊耶那岐は心の名の気の意であり、伊耶那美は心の名の身という意味となります。心の名とは言霊の事です。そこで生命創造意志である言霊イ、ヰの意義・内容を次の三ヶ条にまとめて書いてみましょう。詳しい説明は次号に譲ります。(図参照)
一、四言霊アエオウの縁の下の力持ちとなって、これ等言霊を支え統轄します。
二、人間の根本智性であるチイキミシリヒニの八父韻に展開して、四母音に働きかけ、人間の精神現象の一切を創造します。
三、生み出された現象に言霊原理に則った相応しい名前を付ける根本原理となります。
言霊イ・ヰは母音・半母音であり、同時に父韻となるものでありますので、特に親音と呼びます。
その166
先月号会報の終わりに伊耶那岐・美二神、言霊イ・ヰの内容とその働きを三ヶ条にまとめて書きました。これより説明して行きます。
一、言霊イは他の四母音言霊エアオウの縁の下の力持ちの如くこれ等言霊を支え、統轄します。
母音エアオウの精神宇宙からはそれぞれに特有の精神現象が生れます。次元ウの宇宙からは五官感覚に基づく欲望性能が、次元オからは経験知識という所謂学問性能が、次元アの宇宙からは感情性能が、そして次元エの宇宙からは実践智という人間性能が生まれます。これら現われ出た人間性能の現象は言霊ウの欲望現象より社会的に産業・経済活動、言霊オより一般に学問・物質科学が、言霊アより感情、引いては宗教・芸術活動が、言霊エより実践智、またこれより政治・道徳活動が現われます。しかし言霊イの創造意志の宇宙からは現実世界に現われる何らの現象もありません。
けれど今、此処で活動する人間の心をよくよく観察しますと、言霊ウオアエよりの現象の底に、それらの現象を縁の下の力持ちという言葉の如く下支えしている生命創造意志言霊イの力があることに気付きます。言霊ウの五官感覚に基づく欲望性能が現われるのも、その底に言霊イの生命創造意志が働くからです。言霊オの記憶を想起してその現象の法則探究即ち好奇心が起るのも、その底に生命の創造意志が動くからであり、言霊アの感情性能が現われるのも創造意志あっての事であり、更に言霊エの実践智性能も創造意志が動いて初めて発現して来ます。このように言霊ウオアエから起る諸現象はすべてそれぞれの母音宇宙の底に言霊イの生命創造意志の力が働く事によって発現して来る事が分ります。言霊イは右に示しますように言霊ウオアエを縁の下の力持ちの如く下支えし、統轄します。
第二ヶ条の説明に入ります。それは「言霊イは人間の根本智性であるチイキミシリヒニの八父韻に展開して、四母音宇宙ウオアエに働きかけ、これ等四次元からそれぞれ八つの現象の単位を、即ち全部で計三十二の実相の単位を創生する」ということです。この第二ヶ条は第一条の「言霊イが他の四母音ウオアエを下支えし、統轄する」という事を更に詳細に説明し、その上で母音と半母音であるウとウ、オとヲ、アとワ、エとヱの宇宙の間に入ってその両者を結び、それぞれの次元の現象の単位を誕生させる(言霊イの働きである)八つの父韻チイキミシリヒニなる人間天与の根本の智恵をクローズ・アップさせる説明となります。言葉がやゝ難しくなりましたが、平たく述べますと、「人間はどの様にして外界の出来事を、それが現象として認識することが出来るのか」という人類の認識論という学問が始まって以来数千年間、いまだかって完全な解明がなされていない大問題に最終的な解答を与える素晴らしい事柄を提示したものなのです。こう申上げても何の事だかお分かり頂けないかも知れません。順次説明して参ります。
向うのお寺の鐘の音が「ゴーン」と鳴りました。何故人の耳に「ゴーン」と聞こえたのでしょうか。「そんな当り前の事を言って何になる。お寺の鐘を坊さんが撞いて音が出た。その音を人が耳の聴力で聞いたのだ」と言って納得してしまう事でしょう。けれどそう簡単に片付けてしまえない事があるのです。棒で撞かれた鐘は果たして初めから「ゴーン」という音を鳴らしているのでしょうか。撞かれた鐘は振動して、その振動による音波を出します。鐘はただ無音の音波を出しているだけなのです。そしてその音波が人の耳元に達したとき、人は「ゴーン」という音を聞く事となります。この経緯を合理的に説明するにはどうしたらよいのでしょうか。そこに言霊学独特の八父韻が登場します。
人がいます。向うに鐘があります。鐘が鳴ったとしても、人がいなければ鐘がなったかどうか分りません。逆に人がいたとします。けれど鐘が鳴らなかったら、人はその音を聞く事はありません。どちらの場合も主体と客体の関係となることはない訳です。鐘が鳴り、その音を人が聞いた時、聞いた人が主体(言霊ア)、聞かれた鐘が客体(言霊ワ)の関係が成立します。けれど主体であるアと客体であるワは母音と半母音であり、「身を隠したまひき」であり、その双方共に相手に働きかける事はあり得ません。双方だけではその間に現象は起らない事になります。
「人が鐘の音を聞いた」という現象が生じるのは、主体アと客体ワの他に、根源的な宇宙生命の創造意志である言霊イ(ヰ)の実際の働きをする人間の根本智性である八つの父韻の為す業なのです。八つの父韻が主体と客体を結んで現象を起こす事となります。
では八つの父韻はどんな形式で主体と客体を結びつけるのでしょうか。主体と客体が結び付く時、能動的なのは主体であり、先ず主体側から客体に向かって問いかけをし、客体側は主体の呼びかけにのみ答えます。この事を父韻の働きではどういう事になるのでしょうか。八つの父韻チイキミシリヒニは作用・反作用の関係にあるチイ・キミ・シリ・ヒニの四組から成ります。この四組の中で、濁音が附けられる音チキシヒが主体側の父韻であり、濁点が附けられないイミリニの父韻が主体側よりの呼びかけに答えるものです。主体と客体だけでは決して現象は起りませんが、その間に八父韻が入り、両者を仲介し結びますと、主体と客体の間に現象が生れます。その時、主体と客体の間に入る八父韻の中で、主体側の客体側への問いかけの働きとなるのはチキシヒの四父韻であり、その問いかけに答えるのが客体側のイミリニの四父韻という事になります。主体側の問いかけである父韻チには客体側のイが、父韻キにはミが、父韻シにはリが、そして父韻ヒにはニが答える事となり、その答える時現象が生れます。このチに対してイ、キに対してミ、シに対してリ、ヒに対してニが反応し、答えること、それを主体と客体のリズムの感応同交というのであります。
先に言霊父韻の説明の所で、八つの父韻が四つの母音に働きかけて計三十二の子音言霊を生むと申しました。また主体と客体のみでは現象は起らないが、主体と客体との間に八つの父韻が入り、主体と客体とを結ぶ時、三十二の現象の単位である子音を生むと申しました。その子音を生むメカニズムを、八つの父韻の陰陽の二つの働きに分けて更に詳細に正確に説明した事になります。お分かりいただけたでありましょうか。
上の説明を更に整理してみましょう。人間の心にはそのそれぞれより現象が生れるウオアエの四母音の次元があります。言霊イの次元は、それ自体からは現象を生むことのない縁の下の力持ちの次元です。ウオアエの四次元はそれぞれウヲワヱの四つの半母音宇宙と主体と客体の関係にあります。このウ―ウ、オ―ヲ、ア―ワ、エ―ヱの四対の主客対立の間にチイキミシリヒニの八父韻が、言い換えますと、主体側のウオアエにチキシヒの四父韻が働きかけ、客体側のウヲワヱにイミリニの四父韻が寄って行き、そこにチイ、キミ、シリ、ヒニの陰陽のリズムが作用・反作用の感応同交を起す時、初めて次元ウオアエの四界層に現象が起る事となるのであります(図参照)。この事を言霊イ・ヰを観点として簡単にまとめて見ますと、図の如き構造が完成します。人間の生活一切の営みは、次元ウ―ウ、オ―ヲ、ア―ワ、エ―ヱの主客の感応同交による四次元界層の現象でありますが、同時にそれは創造主神と呼ばれ、造物主と宗教界で崇められる人間生命意志(言霊イ・ヰ)の根本活動である言霊父韻の働きに依るのである、という事であります。人間の一挙手・一投足の動きはその奥にこの様な大きな内容を秘めているという事を忘れてはなりません。
人が鐘の音を聞く、という現象に加えて、もう一つ例を挙げてみましょう。人がいます。向うに青い葉の茂った高い木があります。普通の常識から言えば、木があり、それを人間の眼の視覚が捉えたという事になります。この簡単な事も心の根本構造である言霊学の見地からすれば、人それ自身は純粋な主体であり、樹それ自体は純粋な客体であり、この両方だけでは両者の間に現象は起り得ません。そこに人間の精神生命の根本の創造意志(言霊イ・ヰ)が働き、両者間を取り持つ時、初めて現象が起ります。ここまでは前例の人と鐘との場合と同じです。この現象を更に細かく説明しましょう。人と木との間に起る現象には四次元、四種類の可能性があります。
先ずウ次元の現象が考えられます。人間と木との間に考えられる現象としては、この木の高さは、また人と木との間の距離は、幹の直径は、……等々の問題です。即ち人間の五官感覚意識に基づく問題です。次にオ次元の現象と言えば、この木は学問的には何科に属する植物か、常緑樹か、落葉樹か、木材として利用の可能性の有無等々が考えられます。アの次元では、この木の写真の芸術的価値を出すのは朝焼け、昼間、夕暮のどれが効果的か、風にそよぐ枝の葉擦れの音の音楽的効果如何……等々でありましょう。そしてエ次元の問題としては、車の往来が激しくなり渋滞が起っている。この木を切り倒してでも道路を拡張すべきか、どうか、等が考えられます。
以上、人と木との間に起り得る現象は四種類が考えられるのですが、それ等四種類の現象は人間が生来授かっている性能がそれぞれ違っておりますから、人と木との間に入る人間の根本智性である八つの父韻の並びの順序も当然違って来る事が考えられます。言い換えますと、人間天与の四性能を示す四母音(ウ―ウ、オ―ヲ、ア―ワ、エ―ヱ)に対して、生命意志の働きである八父韻はそれぞれ相違する配列を以って対応、感応することとなります。これも言霊イ(創造意志)の霊妙な働きであります。
これまで伊耶那岐の神(言霊イ)の内容の第二について長く説明をして参りました。そろそろ言霊イの働きの第三点の話に入ることにしましょう。この第三点は「第二点の働きによって生み出された現象に、言霊原理に則り相応しい名前をつける」事であります。この第三点は誰も気付かない事で、しかも言われてみればいとも当然の事とも思われ、それでいて人間の生命の営みひいては人間の文明創造の仕事に大変重要な意義を持つもの、と言う事が出来ます。説明して参りましょう。
言霊イ(ヰ)は人間の生命創造意志の次元であります。創造と言いますと、現代人は普通言霊ウ次元の産業・経済活動に於けるビルや道路、飛行場、船舶などの建設、建造を、または言霊オ次元の学問社会に於ける新学説の発見・発表などを思い出すのではないかと思います。更にまた言霊ア次元に於ける諸種の芸術活動、音楽・絵画・彫刻・小説等々の創造、その他各種スポーツの振興等も同様でありましょう。また言霊エ次元に於ける新しい道徳理念の発表、政治倫理の発見等も創造行為と言う事が出来ます。
上に羅列いたしました各次元の活動・行為がすべて社会の中の創造である事に間違いはありません。この誰も疑いを差し挟むことがない事実であることが、若し「○○がなかったとしたら」という前提を許すとすると、それ等すべての創造行為が一辺に「無」に帰してしまうという、その様な前提がある事にお気づきになる方は極めて少ないのではないでしょうか。
「そんな魔術のようなものがこの世の中にある筈がない」と思われるでしょう。けれど極めて真面目な話、それは厳然と存在するのです。それは何か、「名前」です。貧しい家庭の中でも、今ではエアコン、テレビ、携帯、パソコンなどの科学製品は当り前のように見られる世の中となりました。その内部の機械構造は分らなくても、大方の人は操作が出来ます。けれどこれ等の電化製品が発明された時、若しそれに名前が付かなかったらどうなったでしょうか。「テレビジョン」という名前が付けられなかったら、ただ人は「アー、アー」というだけで、テレビの普及どころか、それは世の中に存在しないのと同じで終ってしまうのではないでしょうか。
「何を言い出すかと思ったら、そんな途方もない事を。名が付かないなんて事はある筈がない」と言われるかも知れません。発明されれば、その物品に名前は付けられるでしょう。でも若し付けられないとしたら。……SF小説のような恐ろしい世界が予想されもするのではないでしょうか。
物品に対してではなく、この世に生を受けた人間に名が付けられなかったら、どうなるでしょうか。その人には戸籍がありません。国籍もありません。小学校にも入れません。就職も出来ません。正式な結婚も絶望です。その人の一生は奇想天外なものになるでしょう。「そんな有りもしない事を何故言うのだ」とお叱りを受けるかも知れません。けれど私はそういう自分の名前を持っていない人を一人知っています。先の大戦に出征し、軍隊の仲間は全部戦死し、自分だけ一人日本に帰って来た時は、自分を知っている人はすべて死んでおり、自分の名前も戦死という事で抹殺されて、法務省へ再三の戸籍復活の請求にも「事実を証明する人なし」という理由で却下され、苦悩の中から余生の五十年間を今も尚生きている人を一人知っています。その人がどのような人生を歩まれて来たか、聞く人がいたら多分開いた口が塞がらない事でしょう。
名前がなかったら、という仮定の事について長々とお話しました。人でも物でも、その名前というものは、私達が普段思っているより遥かに重大な事を含んでいるのです。二十世紀のヨーロッパの有名な哲学者、ハイデッガー、ヤスパース等の人達は「物事の実体とは何か、それは名前だ」と言っています。新約聖書、ヨハネ伝の冒頭には「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神と共に在り、万のものこれに由りて成り、成りたるものに一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり、この生命は人の光なりき。……」と説かれています。
上のように物や人の実体であり、生命であり、光でもある名前を命名する根元的な役割、力、生命は何処から出るのでしょうか。それが言霊イ(ヰ)であり、言霊イの第三番目の重要な働きという事が出来ます。八つの父韻が四つの母音に働きかけて生れて来る種々の現象に、それに相応しい名前を与え、この人間社会の生々発展の基礎的役割を果たす事、それが言霊イの第三の内容であり、役目なのです。
言霊母音ウオアエの四次元から生れて来る種々なる建設、発見、発明、主張、学理、理念、これ等は勿論社会の創造物であります。そしてその様な社会の創造物相互の関連ある進展が文明社会の創造発展と言うべきでありましょう。と同時に、それら生み出された現象上の進歩・発展の創造物に名前をつけること、そしてその名前と名前の関連する精神的発展、これも人類文明の限りない発展の実体ということが出来るのであります。
人類社会に創造される物事につけられる名前自体の限りなき発展、それが人類文明の創造という事が出来ます。
以上で言霊イ(ヰ)の三つの言霊学的内容についての説明を終えることといたします。この三つの内容について復習をしますと、――
●第一に言霊イは母音ウオアエ四宇宙の最終・最奥の次元に位して、これら四つの母音宇宙の縁の下の力持ちとなって統轄します。
●第二に八つの父韻に展開して、母音ウオアエに働きかけ、三十二の現象子音を生みます。
●第三にその生まれ出た三十二の最小の現象の実相単位のそれぞれを一個乃至数個結び合わす事によって生まれ出る現象に名前を付けます。
広い広い心の宇宙の中に何かが始まろうとする兆し、言霊ウから次第に宇宙が剖判し、更に宇宙生命の創造意志という言霊イの実際の働きである八つの父韻が他の四母音宇宙に対する働きかけの話となり、心の先天構造を構成する十五の言霊が揃い、最後に母音であり、同時に父韻ともなる親音と呼ばれる言霊イ(ヰ)が「いざ」と立ち上がる事によって先天十七言霊が活動を開始することとなる人間精神の先天構造の説明が此処に完了した事になります。この十七言霊で構成される人間精神の先天構造を図示しますと次のようになります。この先天構造を古神道言霊学は天津磐境と呼びます。
この名前を説明しましょう。天津は「心の先天宇宙の」意です。磐境とは五葉坂の意、図を御覧になると分りますように先天図は一段目に言霊ウ、二段目にア・ワ、三段目にオエ・ヲヱ、四段目にチキシヒイミリニ、五段目にイ・ヰが並び、合計五段階になります。五葉坂とは五段階の言葉の界層の構造という意であります。
人はこの心の先天構造十七言霊の働きによって欲望を起こし、学問をし、感情を表わし、物事に対処して生活を営みます。人間何人といえども天与のこの先天構造に変わりはありません。国籍、民族、住居地、気候の如何に関らず、世界人類のこの心の先天構造に変わりはありません。この意味で世界人類一人々々の自由平等性に何らの差別はつけられません。人間は一人の例外もなく平等なのです。またこの意味に於いて人類を構成する国家・民族の間に基本的優劣は有り得ません。また人類がその「種」を保つ限り、この先天構造は永久に変わることはありません。この先天構造に基本的変化が起ることとなったら、その時は人間という「種」が人間とは違った異種に変わってしまう事となります。
ここまでの説明で心の先天構造を構成する十七言霊の中の十五の言霊が登場しました。言霊母音と半母音ウアワオヲエヱ七音、言霊父韻チイキミシリヒニ八音、合計十五音となります。そこで最後に残りました言霊イ・ヰ即ち伊耶那岐・伊耶那美二神の登場となります。その説明に入ることとしましょう。
この天津磐境と呼ばれる心の先天構造は人間の心の一切の現象を百パーセント合理的に説明する事が出来る唯一の原理であります。人類社会の後にも先にもこの原理に匹敵する、もしくはこれを凌駕する原理は出現し得ない究極の原理であります。古来伝わる宗教・哲学の書物の中にはこの天津磐境の原理を象徴・呪示するものがいくつか認められます。その一つ、二つについてお話をすることにします。
中国に古くから伝わる「易経」という哲学書があります。易の成立については「古来相伝えて、伏羲が始めて八卦を画し、文王が彖辞を作り、周公が爻辞を作り、孔子が十翼という解説書を作った」と言われています。その易経の中に太極図というのがあります(図参照)。太極図について注釈書に「易に太極あり、是、両儀を生ず。両儀、四象を生じ、四象は八卦を生じ、八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」と説明しています。この太極図を天津磐境と比べてみて下さい。構造は全く同じように見えます。けれど磐境は物事の実在と現象の最小単位である言霊を内容とするのに対し、太極図は哲学的概念と数理(―は陽、--は陰)を以て示しているという明瞭な相違があります。この事から天津磐境が先に存在し、易経は磐境の概念的写しであり、易経は磐境の呪示・表徴であり、指月の指に当ることがお分かり頂けることと思います。
【大極図】
次に印度の釈迦に始まる仏教に於いて人間の精神の先天構造をどの様に説明しているかを見ましょう。
古くからあるお寺へ行き、普通二重(二階)の建築で、上の階の外壁が白色で円形、または六角形のお堂を御覧になられた方があると思います。これを仏教は多宝塔と呼びます。この多宝塔と、この塔と共に出現する多宝仏(如来)については、仏教のお経の中のお経と称えられる法華経の「妙法蓮華経見宝塔品第十一」という章の中で詳しく述べられています。その説く所を簡単にお話すると次の様になります。
法華経というお経は仏教がお経の王様と称える最も大事なお経でありまして、その説く内容は「仏所護念」と言って仏であれば如何なる仏も心にしっかり護持している大真理である摩尼宝珠の学を説くお経とされています。摩尼宝珠の摩尼とは古神道言霊学の麻邇即ち言霊の事であります。見宝塔品第十一の章ではお釈迦様がこの法華経(即ち摩尼)を説教なさる時には、お釈迦様の後方に多宝塔が姿を現わし、その多宝塔の中にいらっしゃる多宝如来が、多宝塔の構造原理に則ってお釈迦様の説教をお聞きになり、お釈迦様の説く所が正しい場合、多宝如来は「善哉、々々」と祝福の言葉を述べ、その説法の正しい事を証明するという事が書かれているのであります。
先にお話しましたように、天津磐境の精神の先天構造によって人間の心の営みの一切は実行・実現され、しかもその実現した一切の現象の成功・不成功、真偽、美醜、善悪等々はこの磐境の原理によって判定されます。同様に仏教の最奥の真理を説く釈迦仏の説法は、その後方に位置する多宝塔の多宝仏により、多宝塔の原理によってその真偽が判定され、その真は多宝仏の「善哉」なる讃辞によって証明されます。この様に多宝塔とは言霊学の天津磐境を仏説的に表現し、説述したものと言う事が出来るのであります。これに依って見ましても、言霊学に説かれる先天十七言霊にて構成される人間の心の先天構造、天津磐境は人類普遍の心の先天構造に関する究極の原理であることが理解されるでありましょう。
仏教の多宝塔の外壁が何故円形または六角形であるか、それは人間の心の先天構造は生れながらに与えられた大自然の法則だからであり、人為ならざる大自然の形状は普通円形で表示され、その数霊は「六」であるからであります。以上で「古事記と言霊」講座の精神の先天構造の章を終ります。
その167
ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依さしたまひき。かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、これ淤能碁呂島(おのろご)なり。その島に天降(あも)りまして、天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。
前号まで七回の講義によって人間の心の先天構造(天津磐境)を構成する十七個の言霊が出揃いました。先天構造を説明いたしますのに七回もの講義を要しました。そのように長い説明が何故必要かと申しますと、次の様な事が言えるでありましょう。
心の先天構造が活動することによって、後天の現象(出来事)が発生します。意識で捉えることが出来る現象が現れるには、意識で捉えることが出来る以前の、意識で捉え得ない心の先天構造の活動を必要とします。先天活動があるから後天活動が発生します。この事を仏教の般若心経では「色(意識で捉えた現象)即是空(意識で捉え得ない先天現象)、空即是色」と言います。またこの時、意識で捉える後天の現象の姿を「諸法実相」と言い、これと即の関係にある意識で捉えることが出来ない先天構造の働きを「諸法空相」と呼びます。
「母親は何故子を叱ったのか」という問に「子が悪戯(いたずら)をしたから」という答えも確かに答えとなります。これは一つの現象をそれに関連するもう一つの現象で答えた事です。これは形而下の答えであります。しかし答となるのはこれだけではありません。叱られた子という事を捨象し、叱った母親の心というものだけに限定して「母親はあの場合何故叱る態度をとったのか」という答えを出すことも出来ます。こうなりますと、叱った母親の心の中、「叱る」という後天現象を生むことになった原因となる母親の心の先天構造を探ることも一つの答えとなります。この探究の仕方は「形而上学」と呼ばれる分野と言えます。
以上一つの例を挙げてお話申上げましたが、一つの現象を他の関連する現象から説明すると同時に、その現象を生じる先天構造の活動からも説明することが出来れば、説明は完璧なものとなります。形而下の説明と形而上の説明がピタリと合致した時、一つの現象の説明は完結されます。この事を逆に考えますと、一つの眼に見える現象を、それに関連ある他の現象だけでする説明は「風が吹くと桶屋が儲かる」式に、その説明は限りなく続かねばならなくなるでしょう。そして限りなく続いて行く内に原点の現象の説明の影は次第に現実から遠ざかって行きます。一切の現象の説明は、その出来事が起る主体と客体の諸法空想と諸法実相の立場から考えられるべきものであります。この為に、現象が起る絶対的な原因となる人間の精神の先天構造を事細かく解説して来た次第なのであります。心の先天と後天の両構造を、心と言葉の最小要素である言霊によって解明する事が出来た言霊学が世界で唯一つ物事の真実の姿を見ることが出来るのだ、という事を御理解頂けたと思います。
さて、心の先天構造を構成する十七の先天言霊が出揃い、その最後に現れました伊耶那岐・伊耶那美の二神(言霊イ・ヰ)が「いざ」と立上り、此処に後天現象の最小単位である言霊子音の創生が始まります。古事記は実際に子音を生む記述の前に、子音を生む時の状況、生れ出る子音の場所、位置等を予め設定する事から始めています。それがどういう事か、説明して参ります。
ここに天津神諸の命以ちて、
これを文章通りに解釈しますと「先天十七神の命令によって、……」となります。これでは古事記神話が言霊学の教科書である、という意味は出て来ません。ではどうすればよいか。「神様が命令する」のではなく、「神様自身が活動する」と変えてみると言霊学の文章が成立します。「さてここで先天で十七神が活動を開始しまして……」となります。
伊耶那岐の命伊耶那美の命に詔りたまひて、
先天十七神即ち先天構造を構成する十七個の言霊が活動を開始しますと、伊耶那岐・伊耶那美の二神、言霊イ・ヰは次の様な事を実行することとなります。
「この漂へる国を修理め固め成せ」と、
この漂へる国とは、先天構造の十七の言霊は出揃ったが、その十七言霊が実際にどんな構造の先天であるのか、またその先天が活動することによって如何なる子音が生れるのか、その子音がどの様な構造を構成するのか、またその子音によって実際にどんな世の中が生れて来るのか、…等々がまだ何も分ってはいない、という様に事態はまだ全く流動的状態であるという事であります。「修理め固め成せ」を漢字だけ取り出しますと、「修理固成」となります。どういう事かと申しますと、「修理」とは不完全なものを整え繕う事、「固成」とは流動的で秩序が定まっていないものに秩序をつけ、流動的なものに確乎とした形を与えることであります。実際にはどういう事をすることになるかと申しますと、宇宙大自然の中にあって、およそ人間の営みに関係するもの一切を創造し、それに名前をつけることによって生活の秩序を整え、人類としての文化を発展させて行く事であります。
前にもお話しましたが、創造というと物を造り、道路や橋やビルを建設したり、芸術作品を創作したりする事と思われています。これ等も創造である事に間違いありませんが、精神内の創造とはそれ等の外に今までの経験を生かし、それに新しいアイデアを加えて物事を創造すると共に、その創り出されたものに言葉の道理に則って新しい名前を附けること、これも大きな創造です。言葉というもの自体から言うなら、この様に新しいものに附けられる名前の発展、これが創造の本質と言うことが出来ます。
天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。
この文章をそのままにとりますと「伊耶那岐・美の二神に天の沼矛を授けて、実行するよう依頼しました」となります。けれどそれでは言霊学の教科書としては通用しません。この文章もまた人間の心の内部に関する叙述なのです。そのつもりで説明を進めます。
沼矛の矛とは両刃の剱に長い柄をつけたもの、と辞書にあります。しかし矛という武器は言霊学と関係がないものです。では矛という言葉を使うのは何故か。文章の前後を慎重に検討しますと、言葉の学問に対して矛とは何を表徴しているのか、それは人間の発声器官である舌の事でありましょう。人の舌の形は矛に似ています。人は舌を上手に使って言葉を話します。けれど舌だけで言葉を話すわけではありません。それは心が動くからです。心が活動して、更に舌が動く事によって、霊と音声が一緒になり、言霊子音を生みます。この現象子音である言霊によって漂へる国を修理固成し、人類の文明創造が行われる事となって行きます。
かれ二柱の神、天の浮橋に立たして、
母音と半母音、私とあなた、主体と客体だけでは現象は起りません。母音と半母音の間に言霊イ・ヰの働きである八つの父韻チイキミシリヒニの天の浮橋が懸かり、私と貴方が結ばれますと、現象子音が生れます。「二柱の神、天の浮橋に立たして」とは言霊イとヰが主体と客体とを結ぶ天の浮橋の両端に立って、の意であります。天の浮橋の「天の」とは「先天」の意。
その沼矛を指し下して画きたまひ、塩こをろこをろに画き鳴して、引き上げたまひし時に、
沼矛(ぬぼこ)の沼(ぬ)は貫(ぬ)で縦横の横の意です。チイキミシリヒニの八父韻を表わします。八父韻を発音してみて下さい。舌の巧妙な使い方が必要な事がお分かりになると思います。次に塩が出て来ます。塩と言いますと、二つの意味があります。一つは四穂(しほ)で五母音の中の言霊イを除いた他の四言霊(ほ)の事であり、二つには機(しほ)または潮時(しほどき)の事で、これは時の変化の相を示す八つの父韻の事であります。ここに「塩こをろこをろに画き鳴して」とある塩は四つの母音エアオウの事でありましょう。
ここで図を御覧下さい。対立する私と貴方、母音(イエアオウ)と半母音(ヰヱワヲウ)が両側に縦に並び、双方を結ぶ天の浮橋が横に懸かります。言霊イとヰ、伊耶那岐の神と伊耶那美の神は天の浮橋の両端に立ちます。そして沼矛を指し下して、四つの母音を画(か)き即ち撹き廻してみると、どんな事が起るでありましょうか。舌を使って八つの父韻チイキミシリヒニで四つの母音エアオウを撹いてみると、父韻と母音の結合が起ります。キとエでケ(K+E=KE)、チとアでタ(T+A=TA)……の如く現象の子音が生れ出て来ます。舌で母音を撹き廻して、引き上げますと、現象子音8×4=32の子音の音が鳴ります。
その矛の末より垂り落つる塩の累積りて成れる島は、
父韻チイキミシリヒニを操って四つの母音エアオウを撹き廻して引き上げて来ます。すると父韻に付着した母音がしたたり落ちて積もります。そしてそれぞれの島を造ります。島(しま)とは「締(し)まり」の意。若し「カ」という音が島となるという事は、およそ人間の営みに関係する事柄の中で「カ」と名付けるべきすべての物事を統率して、心の宇宙の他の物事から区別します。ばくち打ちの言葉に「島」があります。それぞれの組の勢力範囲といった言葉です。単音の一音一音が、それぞれの音独特の内容を持ち、他の音とは混同出来ない島を占有している事であります。
これ淤能碁呂島なり。
己(おの)れの心の締まりの意であります。八父韻でもって四つの母音を撹き廻し、三十二の現象子音を生みました。意識で捉えることの出来る眼前の現象界宇宙をこれ等三十二の子音はそれぞれ特有の内容の島を分け持ち、混同したり、重複したりすることがありません。それ等現象子音の単音はそれぞれ独特の光を輝かし、集まって素晴らしい光の交響楽を奏でています。
古事記は以上の如く、心の先天構造十七言霊を活用して、初めて人間が自分自身の心を言霊を以て表現し得る道理を発見した事、即ち「己れの心の締まり」である現象子音を生む事が出来た時の状況をこの様に述べているのです。人類が歴史上初めて人間の生命法則に則った掛替えのない真実の言葉を発見した喜びを日本書紀では次のように表現しています。「二神(伊耶那岐・伊耶那美)天霧の中に立たして曰はく、吾れ国を得んとのたまひて、乃ち天瓊矛を以て指し垂して探りしかは馭盧島を得たまひき。則ち矛を抜きあげて喜びて曰はく、善きかな国のありけること。」
如何なる国や民族の言語であっても、その言語を以て人間の営みを初めて表現することが出来た時には、同じように喜ぶのではないか。何も日本語だけに限ったものではない、と思われるかも知れません。そう思われるのも尤もな事でありますが、古代日本語の時には特にその意義は大きいと言わなければなりません。何故なら、現代社会を見ても分りますように、この世に存在する一切のものを締めくくり、限定、分類して表現する時、その規準として思考的な論理的な概念を用います。概念による思考は物事の実相を表現する場合、その実相を薄ぼんやりとした月の光の下で見る如く、真実の姿を見ること、表現することが出来ません。この点に於て古代日本語の如く、概念を一切使わず、そのものの実相ズバリの現象子音言霊の単音を以てする方法は他の世界の言語に類例を見ない優秀なものであります。物事の実相がそのまま表現されるからであります。この事は、その言語を使用する日本人の喜びであると同時に、世界人類の宝とも言うべきものなのであります。
その島に天降りまして、天之御柱を見立て八尋殿を見立てたまひき。
天之御柱とは人が自らの主体である言霊母音アオウエイの次元を自覚し、確立した姿の事を言います。この主体の柱に対して客体であるワヲウヱヰの半母音の畳わりの姿を国之御柱といいます。この主体と客体との二本の柱で示される宇宙の実在の有り様に二つの場合があります。この事は先にお話した事でありますが、二本の主体・客体の柱が合一した絶対の実在として心の中心に一本となって立っている場合と、相対的に二本の柱が主体・客体の対立として立っている場合とがあります。この二本の柱は一切の現象がここより生れ、またここに帰って行く宇宙の根本実在であります。
八尋殿とは文字通り八つを尋ねる宮殿の意です。宮殿と申しましたのは、心を形成している典型的な法則を図形化したものだからです(図①②参照)。この二つの図形のそれぞれの八つの間に八つの父韻チイキミシリヒニが入ります。この図形は基本数である八の数理を保ちながら何処までも発展します(図③参照)。そこで八尋殿を一名弥広殿とも呼びます。
天之御柱(国之御柱)と八尋殿を以上の如く説明して置いて、この文章の始めにある「その島に天降りまして」の意味について考えてみましょう。「古事記と言霊」の講座が始まってから前号までの話はすべて人間の心の先天構造即ち意識で捉える事が出来ない部分の説明でありました。そして今号より後天子音を生む話に移って来たわけであります。十七個の先天言霊が活動して、現象子音である淤能碁呂島が出来ました。「その島に天降りまして」とは岐美二神が先天の立場から己れの心を形成している三十二の子音の場所である後天の立場に降って来た、という意味であります。その後天の立場から見て、先天と後天を合わせた宇宙の構造を頭の中で図形を画いて見る状態を文章にしているというわけであります。すると、此処の文章は次の様に解釈することが出来ましょう。
「舌を使って八つの父韻チイキミシリヒニを働かせて、四つの母音エアオウの宇宙を撹き廻してみると、現象子音が生れて来ました。その音のそれぞれが自分の心を構成しているそれぞれの部分の内容を表現している事が分かって来ました。そこで今度は自分の心の部分々々の立場(淤能碁呂島)に立って全宇宙を見ると、自らの心の中心に宇宙の実在であるアオウエイ・ワヲウヱヰの柱がスックと立っている事が確認され、またその柱を中心として八つの父韻の原理に則して後天世界の構造が何処までも発展・展開している事が分って来たのでした(図④参照)。
天之御柱と八尋殿について世界の各宗教に於て種々説明されています。天之御柱の事を神道に於ては神道五部書に「一心之霊台、諸神変通の本基」とあり、伊勢神宮では心柱または御量柱(みはかりばしら)、また忌柱と呼んで尊ばれ、内外宮本殿床中央の真下の床下に約五尺の角の白木の柱によって象徴として安置されており、仏教に於ては単的に古い寺院にある五重塔で示されています。ここでは天之御柱と八尋殿について易経との関係をお話することにしましょう。
中国の易経という本の中に河図・洛書という言葉が出て来ます。その文章を引用すると「河、図を出し、洛、書を出して、聖人之に則る」とあります。この文章だけでは何の事かお分かりにならないでしょうから、説明を加えます。「河図」とは辞書に次の様にあります。「伏羲の世、黄河に現れた龍馬(りゅうめ)の背に生えている旋毛(つむじ)に象取(かたど)ったという文様のこと。」また「洛書」とは「太古、中国で禹王が洪水を治めた時、洛水から現れた神亀の背中にあったといわれる九つの文様。書経中の洪範(こうはん)九畴(ちゅう)はこれに基づいて禹が説いたものという」とあります。
この様に辞書の文章を引用しても尚お分りにならない事と思います。そこで河図と洛書を易経は如何に表わすかを図で示して見ます。ズバリ申上げますが、河図は天之御柱を数の図形で、洛書は八尋殿を数学の魔方陣の形で示したものなのです。
日本の古文献竹内歴史には「鵜草葺不合王朝五十八代御中主幸玉天皇の御宇(みよ)、伏羲(ふぎ)来る。天皇これに天津金木を教える」と記されています。天津金木とは言霊原理の中の言霊ウ(五官感覚に基づく欲望)を中心に置いた五十音図の法則の事を謂います。天皇は伏羲に天津金木音図そのものを授けず、その法則を中国の言語概念と数の原理に脚色して授けたのでした。伏羲は故国に帰り、この法則を基礎として「易」を興したと伝えられています。中国の書「易経」には「伏羲が始めて八卦を画し、文王が彖辞(てんじ)を作り、周公が爻辞(こうじ)を作り、孔子が十翼(よく)という解説書を作った」と記されています。この様な易学の発展の途上で、日本並びに世界の文明創造上の方針の転換が実施され、天津金木を含む言霊の原理は世の表面から隠没することとなりました。その結果、易の起源が日本の言霊原理であることも秘匿されました。従って易の起源は空想的な事柄に設定されたのです。そこに現れた物語が「伏羲の世、黄河に現れた龍馬の背に生えている旋毛に象取って河図(かと)の法則を考案し、また禹王が洛水から現れた神亀の背中にあったといわれる九つの文様から洪範九畴の洛書を説いた」というおとぎ話となった訳であります。
「中国文化五千年、わが国の文化二千年」という言葉が常識となった今日、日本の言霊学と中国の易経との関係を右の様に書きますと、読む人によっては「何を迷事(よまいごと)を言って」とお笑いになるかも知れません。けれど前にも述べました如く言霊学の天之御柱・八尋殿は共に物事の実相の究極単位である言霊によって組立てられているのに対し、中国の河図・洛書は実相音の指月の指あるいは概念的説明である数理によって表わされています。どちらが先で、どちらが後なのか、は自(おの)ずから明らかであります。この一事を取ってみましても、日本国の紀元が今の歴史書の示す高々二千年なるものではなく、世人の想像も及ばない程太古より始まっている事、またその時代に行われていた国家体制が人類の精神的秘宝である言霊原理に則って行われていた事、また今より二千年前、神倭朝十代崇神天皇の御宇、皇祖皇宗の世界文明創造という遠大な計画の下に、この言霊原理が政治の原器としての役割の座から一時的に故意に隠される事になったという事実に思いを馳せる事が出来るでありましょう。
* * *
「古事記と言霊」の書には、子音創生の章の中に「思うと考えるという事」なる一節が挿入されています。これについて簡単に解説を加えることにしましょう。現代では「思う」と「考える」とはほとんど同じ事と考えられています。しかし日本語の原点である言霊学から見ると「思う」と「考える」という事は違った意味を持つ事になります。「思う」とはその文字に見られますように田の心の事です。これだけでは言霊学との関りは分りませんが、田という字の意味を説明しますと、明瞭になって来ます。この講座が先に進み言霊五十音を使って人間の各次元の心の構造を表わす段階に入りますと、縦五音・横十音の五十音図が出来上がります。これを昔田と呼びました。それは人間の心のすべて、即ち人格全体を表わします。「思う」という人間の心の動きの内容はこの田の心という事で明らかに示されます。「思う」とは、人間の精神構造はそれを知ると否とに関らず、厳然と決まったその構造の法則が存在し、その法則から物事の結論は必然的に導き出されるという心の働きの事です。一を知っていれば十は自ずから導き出される、という哲学で謂う演繹法のことです。この心の働きは図形で表わされ、その動きの数霊は四または八であります。
「考える」の語源は「神帰(かみかえ)る」です。種々の出来事を観察し、それらの現象が出て来る共通の原因(神)を突き止める(帰る)の意です。十から元の一に帰るやり方です。これは哲学で帰納法と呼ばれます。その心の働きは図形で示され、その動きの数霊は三または六です。
この「思う」と「考える」の二つの心の動かし方は、人間の頭脳内に於ても、また人類の歴史の上でのこの三千年間は共に相容れることなく平行線をたどり、歴史創造の主導権を競い合って来ました。地球上の地域は「思う」は主として東洋に於て、「考える」は西欧に於て発展しました。今、ここに日本から第三の思考法、言霊布斗麻邇が昔の姿そのままに復活を遂げました。その数霊は五または十であり、その言霊的意味に於ても、また数霊的意味に於ても、「思う」(宗教)と「考える」(科学)の双方の心の働きを共に生かしながら人類の福祉のためにコントロールすることが出来る精神機能を発揮させる時が来た事を教えてくれます。
その168
古事記の文章を先に進めます。
ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。かく期(ちぎ)りて、すなはち詔りたまひしく、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、約(ちぎ)り竟(を)へて廻りたまふ時に、伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。然れども隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。
古事記神話が先天十七言霊全部の出現で人間精神の先天の構造がすべて明らかとなり、言霊学を解説する視点が先天構造から後天構造へ下りて来ました。ここで後天現象の単位である現象子音言霊の誕生の話に移ることとなります。先にお話しましたようにアオウエ四母音とチイキミシリヒニ八父韻の結びで計三十二の子音誕生となる訳でありますが、古事記はここで直ぐに子音創生の話に入らず、創生の失敗談や、創生した子音が占める宇宙の場所(位置)等の話が挿入されます。古事記の神話が言霊学の原理の教科書だという事からすると、何ともまどろこしいように思えますが、実はその創生の失敗談や言霊の位置の話が言霊の立場から見た人類の歴史や、社会に現出して来る人間の種々の考え方、また言霊学原理の理解の上などで大層役立つ事になるのであります。その内容は話が進むにつれて明らかとなって行きます。
吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処あり
子音創生の話を、古事記は人間の男女間の生殖作用の形という謎で示して行きます。男女の交合とか、言葉の成り立ちとかは人間生命の営みの根元とも言える事柄に属しますので、その内容が共に似ている事を利用して、子音創生を男女交合の謎で上手に指し示そうとする訳です。
伊耶那岐の命が伊耶那美の命に「汝が身はいかに成れる」と問うたのに対し、美の命が「吾が身は成り成りて、成り合わぬところ一処あり」と答えました。「成る」は「鳴る」と謎を解くと言霊学の意味が解ります。アオウエ四母音はそれを発音してみると、息の続く限り声を出してもアはアーーであり、オはオーーと同じ音が続き、母音・半母音以外の音の如く成り合うことがありません。その事を生殖作用に於ける女陰の形「成り合はぬ」に譬えたのであります。
我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。
「我が身」とは伊耶那岐の命の身体という事で言霊イを意味するように思われますが、実際にはその言霊イの働きである父韻チイキミシリヒニのことを指すのであります。この八つの父韻を発音しますと、チの言葉の余韻としてイの音が残ります。即ちチーイイイと続きます。これが鳴り余れる音という訳です。この事を人間の男根が身体から成り余っていることに譬えたのであります。
この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合わぬ処に刺し塞ぎて、国土生み成さむ。
この一節も男女の交合(身体の結合)に譬えて言葉の発声について述べたものです。父韻を母音の中に刺し塞ぐようにして声を出しますと、父韻キと母音アの結合でキア=カとなり、父韻シと母音エでシエ=セとなります。このようにして子音の三十二言霊が生れます。
「国土生み成さむ」の国土とは「組んで似せる」または「区切って似せる」の意です。組んで似せるとは父韻と母音とを組み合わせて一つの子音言霊を生むことを言います。その子音、例えばカの一音を生むことによってカという内容の実相に近づける事です。区切って似せると言えば、カという音で表わされるべきものを他の音で表わされるべきものから区切って実相を表わす、の意となります。
人間智性の根本リズムである言霊父韻と、精神宇宙の実在である母音言霊との結合で生れた、現象の実相を表わす単位である子音言霊を組み合わせて作られた日本語は、その言葉そのものが物事のまぎれもない真実の姿を表わす事となるという、世界で唯一つの言葉なのであるという事を、その言語を今も尚話すことによって生活を営んでいる現代の日本人が一日も早く自覚して頂き度いと希望するものであります。
伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗の麻具波比せむ」とのりたまひき。
天の御柱とは主体を表わす五母音アオウエイ(伊耶那岐の命)の事であり、それに対する客体の半母音ワヲウヱヰ(伊耶那美の命)の柱は国の御柱と呼ばれます。この天の御柱と国の御柱は先にお話しましたように相対的に双方が離れて対立する場合と、絶対的に主体(岐)と客体(美)とが一つとなって働く場合があります。今、この文章で伊耶那岐と伊耶那美が天の御柱を左と右から「行き廻り合う」という時には図の如く絶対的な立場と考えられます。その場合の天の御柱とは、実は天の御柱と国の御柱とが一体となっている絶対的立場を言っているのだとご承知下さい。
八つの父韻は陰陽、作用・反作用の二つ一組の四組より成っています。即ちチイ・キミ・シリ・ヒニの四組です。伊耶那岐と伊耶那美が天の御柱を左と右の反対方向に廻り合うという事になりますと、左は霊足(ひた)りで陽、右は身切(みき)りで陰という事になり、伊耶那岐は左廻りで八父韻の陽であるチキシヒを分担し、伊耶那美は右廻りで八父韻の陰であるイミリニを分担していると言うことが出来ます。
「美斗の麻具波比せむ」の「美斗」とは辞書に御門・御床の意。寝床をいう、とあります。麻具波比とは「目合い」または「招(ま)ぎ合い」の意。美斗の麻具波比で男女の交接すること、の意となります。即ち「結婚しよう」という事です。竹内文献には「ミトルツナマグハヒ」と書かれています。陰陽の綱を招(ま)ぎ合い、縒(よ)り合って七五三縄(しめなわ)を作ることを謂います。即ち夫婦の婚(とつ)ぎ(十作)(とつぎ)の法則に通じます。この事については子音創生の所で詳しく解説いたします。
汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢わむ。
伊耶那美の命は女性で「身切り」より廻り、伊耶那岐の命は男性で「霊足り」より廻り、その女陰と男根、成り合はぬ所と成り余れる所を交合することによって現象子音言霊が生れます。その際、岐の命は八父韻の中のチキシヒの四韻を、美の命はイミリニの四韻を分担する事となります。
女人先だち言へるはふさはず
伊耶那美の命が「あなにやし、えをとこを」、「あなたは愛すべき良き男性です」と伊耶那岐の命より先に発言したのは適当ではない、の意。これは男尊女卑の思想を言ったのではなく、飽くまで子音創生の言葉の発声に関する意味であります。子音を生むに際して、母音を先にして父韻を後にしたのでは、子音は生れない、だから適当ではないと言ったのです。父韻キに母音アで子音カが生れます。逆に母音アを先にして父韻キが続けばカの単音は生れない事を言ったのであります。
然れども隠処に興して子水蛭子を生みたまひき。
「女人先だち言へるはふさはず」と母音を先に、父韻を後に発音したのでは正統な現象子音を生むのに適当ではない、と知りながら「然れども隠戸に興して水蛭子を生んだ」というのです。言霊学上重要な子音創生という時、何故適当ではない方法で正統な現象音ではない水蛭子を生む事などを文章に載せたのでしょうか。
水蛭子とは如何なることを言うのでしょうか。それは霊流子(ひるこ)とも書けます。霊(ひ)である父韻が流れてしまって現象音が出来ない、という意味です。蛭(ひる)に骨なし、と謂われるように、霊音(ほね)である父韻が役に立たぬ、の意ともとれます。実際には言霊子音にならぬものをどうして取上げたのでしょうか。それは母音を先にし父韻を後にすると、現象は生れないが、そういう心の操作を実際に行う人間の行動も起り得ることを太安万侶は知っていたからであります。それは何か。
言霊の原理が世の中から隠没した後、言霊学に代わる人類の精神の拠所となる各種の個人救済の小乗信仰の事をいうのであります。言霊の原理は人類歴史創造の規範です。その原理が隠されて、その間に現われた個人救済の信仰、例えば仏儒耶等の信仰は、「人間とは何か」「心の安心とは」「幸福とは」等々、人間の心の救済は説いても、人類の歴史創造についての方策に関しては何一つ言挙げしません。否、言挙げする事が出来ません。現在の地球上の人類生存の危機が叫ばれている昨今、世界の宗教団体から何一つ有効な提言が出されない事がそれを良く物語っています。
世界の大宗教がその点に盲目な原因は、人間の生命創造の根本英智である言霊八父韻と、それによって生れる現象の要素である三十二の子音言霊の認識を全く欠いているからに他なりません。しかし言霊原理隠没の時代には、信仰心に見えるように生命の実在である宇宙(空)とか、救われを先にし、社会・国家・世界の建設等の創造を捨象してしまう事も、即ち母音を先にし、父韻を後にする発声が示す精神行為も時には必要となるであろう事を、古事記の撰者太安万侶は充分知っていたからに他なりません。
「隠処に興して」の隠処とは「組むところ」の意。頭脳内で言葉が組まれる所のことで、組む所は意識で捉えることが出来ない隠れた所でありますので、隠処と「隠」の字が使われています。では実際には言葉は何処で組まれるのでしょうか。それは子音創生の所で明確に指摘されます。言霊学が人間の言葉と心に関する一切を解明した学問であるという事は此処に於ても証明されるのであります。
この子は葦船に入れて流し去りつ。
母音を先に、父韻を後に発音して現象を生まない、即ち創造の行為ではないが、世界にはそういう行為もある事であろうから成り行きのままに世界に流布させた、というわけです。「葦船に入れて」とは五十音言霊図の原理に照らし合わせて、世界の歴史の進行の中では小乗的な信仰等の考え方も必要であろうと世界中に広め、教えたという意味です。葦船が何故五十音図の原理と謂われるのか、は古事記神話の解説が進むにつれて明らかにされます。船は人を運ぶ乗物、言葉は心を運ぶもの、の意から言葉を船に喩えることが出来ます。「葦船に入れて流し去りつ」を日本書紀では「天磐■樟船(あまのいはくすぶね)に載せて、風の順(まにま)に放ち棄(す)つ」と書かれています。磐(いは)は五十葉(いは)の意、■樟(くす)とは組んで澄ますの謎、で全体で五十音言霊図のことです。
次に淡島を生みたまひき。こも子の例に入らず。
水蛭子が現象の実相を生まない行為に譬えられるとしますと、同様の行為はもう一つ考えられます。それが淡島です。淡島の淡はアワで主体と客体を意味します。このアとワとの間に天の浮橋、チイキミシリヒニの八父韻が懸かれば現象が生まれる事となります。ところが、このアとワは天津磐境の先天構造の中のアとワそのものではありません。心の先天構造に於ては、広い宇宙の一点に何か分らぬが何かが、即ち意識の萌芽とも言うべきもの(禅で謂う一枚)が生れます。言霊ウです。その次に何かの人間の思考が加わると同時に言霊ウの宇宙が言霊アとワの宇宙に剖判します。この場合のアとワは言霊ウの宇宙が剖判して現われたアとワなのです。
ところが淡(あわ)島のアとワは、頭脳内の心の先天構造の動きである「宇宙→ウ→ア・ワ」の過程をネグレクトして、主体である自分と客体である現象とに別れた所から思考が始まる事なのです。ですから淡島の心の運びは天津磐境と呼ばれる人間の心の運びの原則とは全く異なる思考方法となります。(この事については「思うと考えるという事」の章に詳しく説明しました。)この事から現象(客体)に対する我(主体)とは先天構造の中の純粋な主体を表わす言霊アではなく、その人の自我、即ちその人自身の経験・知識等の集積である自我であるという事になります。そのため、自我が見る対象の現象は実相を現わす事がなく、自我という経験知識が問いかけた問に対してだけに答えるものとなります。概念による思考形式が此処から始まります。その結論は物事の実相を表わす事が出来ません。淡島即ち実相が淡くしか見えぬ心の締まりと呼ばれる所以であります。これも人間の心の正統な子の数に入れません。
ここに二柱の神議(はか)りたまひて、「今、吾が生める子ふさわず。なほうべ天つ神の御所(みもと)に白(まを)さな」とのりたまひて、すなはち共に参(ま)ゐ上がりて、天つ神の命を請ひたまひき。ここに天つ神の命以ちて、太卜(ふとまに)に卜(うら)へてのりたまひしく、「女(おみな)の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。
右は伊耶那岐・美二神の失敗に続き天つ神へお伺いを立てる話でありますが、これを言霊学の教科書としての文章に置き換える必要があります。「太卜に卜へて」とは「布斗麻邇の原理に則って」という事です。そこで右の文章は左の通りとなります。「母音を先に、父韻を後に発音しては現象子音を生むのにふさわしくなかった。だから初めの心の先天構造の天津磐境の原理に帰って検討をしよう。そう気がついて改めて布斗麻邇に照らし合わせてみると『母音を先に発音するのがいけなかった。また後天現象の立場に帰り、再びやり直して今度は父韻を先にし、母音を後にするやり方にしよう』と気付いたのでした」となります。
太古、日本人の祖先が心と言葉の完全法則である言霊布斗麻邇を発見・自覚するまでには幾多の苦心と紆余曲折があったことでしょう。右の古事記の文章はその苦心談の一つと考えることが出来ます。そして行為がうまく行かず、迷った時には早く出発点にもどり、出直してみることが大切であると教えているようにも思えます。尚「太卜に卜へて」を辞書で見ると、「神代に行われた一種の占法。鹿の片骨を焼き、その裂けた骨のあやによって吉凶を占ったものという」とあります。これは二千年前、崇神天皇の御宇、言霊原理が世の表面から隠されて以来、物事を心の原理に基づいて判断する事が出来なくなった為に、その穴埋めに用いられた占(うらない)であります。うらないの語源は裏綯(うらな)うで、現実と裏(心)をより合わせて、物事の先行きを決める、という事であります。
古事記の文章を先に進めます。
かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、子淡路の穂の狭別の島を生みたまひき。
最初の子生みに失敗した岐・美二神は、心の先天構造の法則に立ち返り、今度は間違いないやり方で子を生むこととなります。伊耶那岐の命が先に「あなにやし、えをとめを」と言い、その後で伊耶那美の命が「あなにやし、えをとこを」と言います。そして二人の命は交わり合って、淡路の穂の狭別の島を生みました。子を生むと言いながら何故初めに島を生んだのでしょうか。
先天構造を構成する十七言霊の活動によって今後次々と三十二の子音を指示する三十二の神々が誕生して来ます。更に古事記は生れ出た言霊を整理し、それを操作することによって壮大な人間精神の先天と後天の全構造とその動きを明らかにして行きます。その結果、先天と後天の言霊数合計五十、その五十の言霊の整理、操作の典型的な動き方合計五十、総合計百の心の道理を明らかに示す事となります。更に子音言霊やその後の整理・活用を示す神々の名をただ無造作に生み出すのではなく、その生み出す順序と、それを整理する為の明確な区分を前もって明らかにして置く必要があります。即ちその言霊と整理の区分を島の名を以て示そうとする訳であります。言霊の区分と整理活動が心の宇宙に占める位置と区分を島の名によって前以て定めておこうとする作業が始まります。
島とは以前にもお話しましたように「締めてまとめる」の意であります。商店で夕方に帳簿を締めたといえば、それは今日の会計はここで終りとして、明日の会計との区別をつけた、ということです。今日の会計をここで締めて、まとめた訳です。古事記が今から創生する島々も、言霊五十神、その整理法五十神が次々と生まれて来る時に、この神からあの神まではかくかくの内容を持った言霊だ、と内容別に締めてまとめた事であります。
古事記神話に於て伊耶那岐・美の二命によって全部で十四の島々が生まれます。古事記の言霊百神を示す物語が「天地初発の時」より、言霊学原理の總結論である天照大神・月読命・須佐男命(三貴子)(みはしらのうずみこ)誕生までの小説だと喩えるならば、それは島の数十四の章を持った壮大な真理を黙示した物語小説であり、ドラマに喩えるならば、全部で十四幕にまとめられた神々の天上のドラマとなり、これを交響楽に喩えるなら、全章が十四楽章に分れた大シンフォニーなのであります。かく申上げることが出来ますように、古事記の神話は十四段に分れた物語であり、その一段々々が人間精神の働きの部分々々を明確に表現しながら、更にその十四段の全部が水の流れる如くに関連し合って人間の精神生命の全貌を残らず解明し尽くした精神学の完成品だという事が出来ます。
この神話の一節についてもう一つ話を添えて置きたい事があります。岐美二神はお互いに「あなにやしえをとめを」「あなにやしえをとこを」と愛情の言葉を掛けてから天之御柱を往き廻り子音を生みます。この愛情表現は何を示そうとしたのでしょうか。これから生まれて来るものは現象の実相の単位を表わす子音言霊であります。現象の実相は見る人が言霊母音アの次元(そこより感情が生まれる)に視点を置く時、最も明らかに見得るのであります。それ故現象子音創生の前に愛情表現を差し挟んだに違いありません。
子淡路(こあわじ)の穂(ほ)の狭別(さわけ)の島を生みたまひき。
古事記は右の島より始まり、次々と全部で十四の島々が生れ出て来ます。そこで島の一つ一つの説明は後にして、島の全部が現われ出る文章を先に書き記すことにしましょう。
次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。次に隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。次に筑紫(つくし)の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。次に伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。次に津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。次に佐渡(さど)の島を生みたまひき。次に大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(もそらとよあきつねわけ)といふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。
然ありて後還ります時に、吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。次に小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。次に大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。次に女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。次に知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。次に両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。
その169
古事記の神話の形式による言霊学の教科書が天津磐境という十七の言霊で構成された心の先天構造を明らかにし、次にその先天構造の活動によって後天現象の単位である三十二の子音を創生する章に入ることとなりました。古事記は生れて来る子音の説明に入る前に、生れて来た子音が位置する宇宙の中の場所、これを島と名付けて、予め設定しておく作業を進めています。島の数は全部で十四有ります。その中の五島は先天十七言霊の区分、次の三島は生れる子音言霊三十二(三十三)の区分、残りの六島は言霊五十音を整理・運用して人間精神の最高規範(鏡)である三貴子(みはしらのうずみこ)を誕生させるまでの整理段階の順序とその内容を表わしたものであります。
島々の名の説明に入る前に、右の十四島の区分を御理解頂く参考として、私の言霊学の師小笠原孝次氏のそのまた師でありました山腰明将氏が作成しました十四島の区分と配列の図表を掲げることといたします(次頁参照)。初めの五島は既に出て来ました先天構造五段階を説明するものであります。それに続く九島に就きましては、古事記の話が進み、それぞれの区別が終る節々に於て説明させて頂く事といたします。
淡路の穂の狭別の島(あわじのほのさわけ)
先天構造の最初に出て来る言霊ウの区分を示す島名です。神話形式で言えば天の御中主の神の宝座ということになります。アとワ(淡)の言霊(穂)が別れ出て来る(別)狭い(狭)道(道)の区分(島)という意味であります。この島の名の意味・内容は古事記解説の冒頭にあります天の御中主の神(言霊ウ)の項の全部と引き比べてお考え下さるとよく御理解頂けるものと思います。「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神……」の古事記冒頭の文章自体がこの島名の意味を端的に表わしているとも言えましょう。
伊豫の二名島(いよのふたなしま)
言霊ア・ワの区分、高御産巣日(たかむすび)の神、神(かみ)産巣日の神の宝座。伊豫(いよ)とは言霊イ(ヰ)のあらかじめと意味がとれます。何物もない広い宇宙から主客未剖である意識の芽が現出します。言霊ウです。それが人間の思惟が加わりますと瞬間的に言霊アとワ(主と客)の二枚に分れます。人間は物を考える時には必ず考える主体と考えられる客体に分れます。これが人間の思考性能の持つ業であります。「分(わ)ける」から「分(わか)る」、日本語の持つ妙とも言えます。
この主と客に別れることがすべての人間の自覚・認識の始まりです。言霊ウの宇宙が言霊アワの宇宙に剖判し、次々とオヲ、エヱの宇宙剖判となり、終にイ・ヰの宇宙に剖判する事によって「いざ」と立上り、現象子音の創生が始まります。言霊イヰによる子音創生が始まりますのも、その予めに言霊アワに分かれたからでありますから、伊豫の二名(アワ)の島と呼ぶわけであります。
この島は身一つにして面四つあり。面(おも)ごとに島あり。
身一つ、とは一枚(言霊ウ)から二枚(言霊アワ)に分れることから、身とは言霊ウを指します。言霊アワから言霊オヲ、エヱが剖判します。そこで「面四つ」と言っています。
面ごとに名あり。かれ伊予(いよ)の国を愛比売(えひめ)といひ、讃岐(さぬき)の国を飯依比古(いひよりひこ)といひ、粟(あは)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。
面四つのそれぞれを言霊に置換えますと、愛比売とは、言霊エを秘めているの意で、言霊エは言霊オから選ばれる事から、愛比売とは言霊オであります。飯依比古の飯(いひ)は言霊イの霊(ひ)で言霊のこと、比古とは男性で主体を意味します。言霊を選ぶ主体は言霊エ、即ち讃岐の国は言霊エです。大宜都比売(おほげつひめ)とは「大いによろしい都を秘めている」の謎で、都とは宮子(みやこ)で言霊の組織体の意でありますので、粟の国とは言霊ヲの事を指します。建依別(たけよりわけ)とは建(たけ)は田気(たけ)で言霊のこと、依(より)は選(より)で選ぶの意で、土左の国は言霊ヱを指します。伊豫・讃岐・粟・土左の四国は「面四つあり」の四に掛けたもので、それ以外の意味はないように思われます。
【註】当会発行の「古事記と言霊」の書の九十四頁、九行に「建依別全部で言霊を選り分けたもの、となり言霊エとなります」とある言霊エはヱの間違いであります。訂正を願います。
次に隠岐の三(み)つ子の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。
言霊オヲ・エヱの宇宙に於ける区分の事です。隠岐(おき)は隠気で隠り神の意。三つ子とは天津磐境の三段目に位する言霊を意味します。またの名の天の忍許呂別(おしころわけ)とは先天の(天)大いなる(忍)心(許呂)の区分の意。言霊オ(経験知)と言霊エ(実践智)は人間の生の営み、人類文明創造に於ては最も重要な心の性能であります。
次に竺紫(つくし)の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ竺紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、豊の国を豊日別(とよひわけ)といひ、肥(ひ)の国を建日向日豊久志比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)といひ、熊曽(くまそ)の国を建日別(たけひわけ)といふ。
父韻チイキミシリヒニの八言霊の精神宇宙内の区分。宇比地邇の神・妹須比智邇の神、以下妹阿夜訶志古泥の神計八神の宝座のことであります。これ等八父韻言霊、八神は母音宇宙言霊に働きかけて子音言霊を生む人間の創造意志の智性の原律をすべて尽くしている、即ち竺紫(つくし)の島である、という事です。この島も身一つにして面四つあり、とあります。八父韻すべては言霊イ(親音)の働きであります。身一つといわれます。その働きは二言霊一組の四組から成っています。面四つあり、の意です。この面四つ、四組の区別を左に並べます。
竺紫の国 白日別 言霊シリ
豊の国 豊日別 言霊チイ
肥の国 建日向日豊久志比泥別 言霊ヒニ
熊曽の国 建日別 言霊キミ
右の如く並べて書きますと、三列目の肥の国を除く三行は白日別と言霊シリ、豊日別と言霊チイ、熊曽の国と言霊キミとしてそれぞれ五十音図表のサ行とラ行、タ行とヤ行、カ行とマ行と同じ行である事が分ります。また白日、豊日、建日と日の文字があり、日即ち霊(父韻)を意味します。以上の事から容易に古事記の編者太安万侶の意図を察する事が出来ます。然も編者は容易に謎を解かれるのを嫌ってか、三行目の肥の国だけは長い別の名を用いました。しかしこの長い名前も、八父韻解説の章で述べました如く、於母陀流(面足)が言霊ヒ、妹阿夜訶志古泥が言霊ニと解けてしまっている今では、建日向(面足)と日豊久志比泥(阿夜訶志古泥)は容易にその類似を知る事が出来ます。父韻ヒが心の表面に表現の言葉が完成する韻であり、その反作用として父韻ニが心の中心にすべての思いの内容が煮詰まる韻と分ってしまっているからであります。
伊岐(いき)の島またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)。
言霊イヰの精神宇宙に於いての区分。伊耶那岐の神・伊耶那美の神の宝座。伊岐の島とは伊の気の島の意でイ(ヰ)言霊のこと。天比登都柱とは先天構造の一つ柱の意であります。絶対観の立場から見ると、言霊イとヰは一つとなり、母音の縦の並びアオウエイと半母音の並びワヲウヱヰの五段階の宇宙を縦の一本の柱として統一しています。この統一した一本の柱を天之御柱と呼びます。伊勢神宮内外宮の本殿の床中央の床下にこの柱を斎き立て、これを心柱・忌柱または御量柱と呼び神宮の最奥の秘儀とされています。この心の御柱は人間に自覚された五次元界層の姿として、人間の精神宇宙の時は今、場所は此処の中今に天地を貫いてスックと立っています。一切の心の現象は此処から発現し、また此処へ帰って行きます。天比登都柱の荘厳この上ない意義を推察する事が出来るでありましょう。
以上で心の先天構造を構成する五段階の言霊の位置を示す五つの島名の説明を終わります。これ等島の名によってその区分に属す言霊の占める精神宇宙の位置ばかりでなく、言霊それぞれの内容を理解するよすがとなることをお分り頂けたことと思います。島の名はこれより創生される言霊子音並びに言霊五十音の整理・運用に関係する島名となります。まだ古事記の文章に登場しない言霊の位置を示す島の説明をしましても無意味な事でありますので、古事記の文章が進む節々に従って島名の説明をすることといたし、解説は三十二子音創生の章に移らせて頂きます。。
既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。かれ生みたまふ神の名は大事忍男(おおことおしを)の神、次に石土昆古(いはつちひこ)の神を生みたまひ、次に石巣(いはす)比売の神を生みたまひ、次に大戸日別(おおとひわけ)の神を生みたまひ、次に天の吹男(あめのふきを)の神を生みたまひ、次に大屋昆古(おおやひこ)の神を生みたまひ、次に風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神を生みたまひ、次に海(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神を生みたまひ、次に水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神、次に妹(いも)速秋津比売の神を生みたまひき。
既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。
国とは組んで似せたもの、島とは締めてまとめたもの、共に似た表現であります。生れて来る現象子音言霊三十二の精神宇宙に於ける区分と位置が定まりましたので、いよいよ子音言霊の創生に取り掛った、という訳であります。
先に昔の人は人の言葉を雷(かみなり)に譬えた、という話をしました。天空でピカピカッと稲妻(いなづま)が光ると、ゴロゴロと雷鳴が轟きます。それは心の先天構造の十七言霊が活動すると現象子音の言葉が鳴るのに似ているからです。「喉が渇いたな。お茶が飲みたい」という日常茶飯の何でもない言葉を発するのも、実は言葉の原理から言えば、先天宇宙に雷光が走ったからです。人の何でもない平凡な言葉も精神宇宙の大活動の結果です。そこで人間が言葉を発し、それを他人(または自分)が聞き、次にどんな活動が起り、その言葉の役目が終ったらどうなるのであろうか、という事をまとめてみたいと思います。それによって生れて来る子音言霊の精神宇宙に占める位置や区分、またその内容がはっきり理解されて来ると思われるからであります。
先天の活動によって言葉が生れ、発声され、人に聞かれて了解され、言葉の当面の役目が終り、消えて行く。何処へ消えて行くか、と申しますと、元の先天宇宙に帰って行き、記憶として留められます。これが言葉の精神宇宙内の活動の全部であり、その他にはありません。此処に言葉の宇宙循環図を先師小笠原孝次氏著「言霊百神」(一○七頁)より引用します。
先ず精神の先天宇宙の十七言霊が活動を開始します。この際の十七言霊を天名(あな)と呼びます。この天名の活動にて現象子音が生れて来ます。先天十七言霊(天名)の活動は、先天と呼びますように、人間の意識の及ばぬ領域でありますので、其処で何事が起り、意図されたのか、は全く分りません。その分らない内容を一つのイメージにまとめて行く作業が、先程書きました「既に国を生み竟へて、更に神を生みたまひき。……」に続く文章に生れて来ました大事忍男の神より妹速秋津比売の神までの十神の言霊の処で行われる事となります。この十神(十言霊)の属する島の名を津島(つしま)と呼びます。またこの十言霊の作業の処では、先天構造の活動によって起った意図がどんな内容か、がイメージとしてまとめられますが、しかしまだ言葉とはなっていません。この言葉にならない状態を真奈(真名)または未鳴(まな)と呼びます。津島の後に佐渡島があります。この島に属する言霊が八つあります。この八つの言霊の作業によってまとまったイメージが言葉と結び合わされて行き、最後に発声されます。この状態の言霊を真奈または真名と言います。
佐渡島の次に大倭豊秋津(おおやまととよあきつ)島またの名天つ御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)なる島が続きます。この島に属する十四言霊の作業で、イメージが言葉として組まれ、発声された言葉が空中を飛び、やがて他の人(または自分)の耳に聞かれ、復誦され、その内容が一つの意味に煮詰められ、最後に了解され、結果としてまとめられます。この間の十四の言霊の中で最初の四言霊(フモハヌ)が発声された言葉が空中を飛ぶ状態です。この四言霊を神名(かな)と呼びます。残りの十言霊が耳に入った言葉を点検・復誦して納得する作業となります。この時の言霊は再び真奈(真名)と呼ばれます。納得され、了解された言葉は役目を終え、元の宇宙に帰って行き、記憶として残ります。
以上、三島に属する三十二の言霊が後天現象の単位である子音言霊のすべてであります。これを三島に属すそれぞれに別け、更に生れ出て来る順に並べてみましょう。
津島――――――タトヨツテヤユエケメ
佐渡島―――――クムスルソセホヘ
大倭豊秋津島――フモハヌ・ラサロレノネカマナコ
以上三島で三十二の子音が生れます。子音言霊の数はこれで全部です。こう見て来ますと、読者の中にはちょっと奇妙な事になっていることに気付く方がいらっしゃるのではないでしょうか。そうです。狐につままれたのではないか、と思われる言霊の魔術?にかかってしまったかとも思われる事が事実なのだ、という事に気付くのです。それは、先天十七の言霊の活動で次々と三十二の子音が生れます。その生れ出て来る総数三十二の子音が、そのまま生れ出て来る順序をも示している、という事なのです。この様な奇妙な事が起るのも、言霊子音が現象の究極最小の単位であるという事、またこの三十二の現象子音の循環が現象宇宙のすべてを表示しており、少しの欠落も余剰もないという事に由来しているのであります。かくの如き言霊原理の魔術的表現を「言霊の幸倍(さちは)へ」と呼んでおります。この人間社会の生命の営みを言霊イ次元に視点を置いて見る時、其処には五十音の言霊しか存在せず、一切の社会的事物がこの五十音を組合せる事によってその実相を表現することが出来るという、日本語の本質が確認されるのであります。
以上の様な「言霊の幸倍へ」は言霊の学の他の箇所にも見られます。一・二例を挙げますと、言霊五十音(四十八音)全部を重複することなく並べて、人間の持つ一切の煩悩を打破する方法を説いた所謂「いろは歌」、また言霊四十七音を重複することなく並べて、世界文明創造の方法(禊祓)を説いた日文四十七文字があります。この日文四十七文字は奈良天理市の石上神宮に太古より伝わる布留の言本(ふるのこともと)と呼ばれています。
その170
先天構造の十七言霊(天名)(あな)の説明が終り、その活動によって生れて来る三十二の後天現象の要素子音のそれぞれが精神宇宙内での位置を示す島(国)の説明も終了しましたので、今号より生れて来る子音言霊の一つ一つについてお話を進めて行きます。三十二の子音を、その位置を示す島の順序に従って登場させます。初めに津島に属すタトヨツテヤユエケメの十言霊(十神)から始めます。
大事忍男(おおごとおしを)の神
言霊タ 神名は大いなる(大)現象(事)となって押し出て来る(忍)(おし)言霊(男)を指示する神名(神)と説明されます。先天構造から説明しますと、父韻チが母音アに働きかけて子音タが生れます。父韻チとは父韻の章で述べましたように「精神宇宙全体がそのまま後天の現象となって現われ出る力動韻」と説明されます。その父韻チが母音アに働きかけて子音タが生れます。物事(現象)は五母音の中でアの次元に視点を置いて見るのが最もその実相を明らかにします。以上の事から父韻チと母音アと結んで現われた子音タは宇宙がそのまま現象として現われたというのに最もふさわしい姿という事が出来ます。
精神宇宙は五十個の言霊で構成されており、それ以外のものはありません。「宇宙がそのまま現象となって現われた姿」である子音タとは言霊五十個(父韻・母音・子音のすべて)が人間の人格全体として整った姿でもあります。言霊五十個が整った姿と申しますと、私達が小学校の時から教えられるアイウエオ五十音図の如く縦に五母音、横に八父韻、次に縦に五半母音と続く五十音図が思い浮ぶでありましょう。それはまた形が整然と苗を植えられた田んぼに似ております。稲の植え代を田と呼ぶ語源であります。それはまた言霊学で謂う人間の人格の全体をも意味することとなります。
言霊子音タは言葉として田(た)・竹(たけ)・滝(たる)・足(たる)・貯(たくわえる)・助(たすける)・叩(おし)・佇(たたずむ)・戦(たたかう)等に使われます。
父韻と母音が結ばれて子音が生れます。ですから右に述べましたように子音の内容を説明するのに父韻と母音とからの説明は手段としては便利であります。では子音言霊の内容は父韻と母音からの説明ですべてかというと、決してそうではありません。人間の子供はその父親と母親の性質や特徴を合わせ持ってはいます。けれど子供の内容が父母の性質と内容ですべてか、というとそうではありません。子供はその父母の性質を受け継ぎながら、更にプラス・アルファーを持った、父母から独立した一個の人格です。言霊子音の内容もその先天である父韻と母音の内容を持ちながら、父韻と母音とから独立した実相内容を持っています。
右の消息を人間の実社会の現象を例に説明してみましょう。AとBの両人が或るビジネスの仕事でCという契約を結んだとしましょう。するとCという契約内容は確かに契約を結んだAとB両人のビジネス上の希望と計画の内容を含んでおります。と同時にその契約が結ばれた時以後は、Cという契約書はAとBの思惑から離れ、独立した社会的存在として歩き出し、時にはAとB両人の事業に一つの制約を与える存在ともなり得ることとなります。AとBから生れたCなる子がただAとB双方の内容だけからでは説明することが出来ぬものをも内容として持っている事を示すよい例ではないでしょうか。同様に言霊子音の内容の説明に当り先天構造の中の父韻と母音の言霊の内容からの説明が完璧なものではない事を頭に入れて置いて頂きたいと思います。
【註】後天現象の要素である三十二個の言霊子音についての記述とその内容の説明は、人類文明史上、ここ三千年程の間、唯の一つもなかった、と言っても過言ではない。人間精神内の現象の最小要素である言霊子音は正しく宗教、芸術、哲学等の奥義中の奥義であり、世界人類の精神的秘宝であり、そしてまた日本の伝統である言霊布斗麻邇の学問の独擅場(どくせんじょう)に属すものである。それ故、言霊子音の一つ一つの内容を自覚する為には、今お話する父韻と母音の結合よりする理論的想像を基礎として、子音言霊を指示する神名と、その子音が属す島の名並びに子音創生に於ける言霊の宇宙循環等よりする精神の内観に頼る方法を挙げる事が出来る。そして自らの心の内に焼き付く如くに子音内容を自覚し得る決定的な機会は、言霊学の結論というべき禊祓の行法の途上に見える上筒の男、中筒の男、下筒の男の三神によって示される人類文明創造行為の実践の中に訪れる事となる。その瞬間、言霊子音の一つ一つが禊祓実行者の心中に明らかに内観される。
石土毘古(いはつちひこ)の神、石巣比売(いはすひめ)の神
言霊ト、ヨ 石土毘古の神の石は五十葉(いは)で五十音言霊、土は培うで育てる意、即ち八つの父韻の働きを示します。毘古は主体を表わします。石巣比売の神の石(いは)は五十音言霊、巣はその住家の意で、現象子音がそこから生まれて来る元の宇宙、即ち母音の事、比売は姫で客体を指しています。これだけでは何の事だか明らかではありませんが、言霊がタトヨ……と続く過程は島名で津島と教えられています。先天構造が活動を起し、現象が生れて来ますが、津島と呼ばれる過程で先天の活動が実際に何を意図しているかを一つのイメージにまとめる働きをします。言霊タトヨと続く働きを右の津島という島の意味と重ねてみますと次のような事が考えられて来ます。
先天構造の十七言霊が活動を起し、その先天宇宙が言霊子音ターと後天現象として姿を現わしました。けれどそれは先天活動そのものであり、意識の及ばぬ領域のことですから、ターと現われても何の事だか分りません。父韻はどんな並びになっているか、母音はウオアエ四次元の中の何の次元の活動か、を先ず調べる必要があります。そのため過去の経験の記憶を呼び覚(さ)ますこととなります。次元オの宇宙の中から五十音図の横の列の十音の並び即ち言霊トが、また縦の列のイ段を除いた四つの母音の並び即ち言霊ヨが思い起され、参照比較されます。それによって先天活動の実際の意図は八父韻の如何なる並びか、母音に於いてはどの次元の意図か、が測られます。
言霊トは十(と)・戸(と)・解(とく)・時(とき)・富(とみ)・年(とし)・説(とく)等に使われ、言霊ヨは四・世(よ)・欲(よく)・夜(よる)・嫁(よめ)・横(よこ)・酔(よう)等に用いられます。
大戸日別(おおとひわけ)の神
言霊ツ 大戸日別とは大いなる戸(と)即ち言霊図の母音・八父韻・半母音計十言霊の横の列の(と)戸を通して先天の意図(日)である父韻の並び方が調べられ、その意図が現実に何を志しているか、が明らかとなり、「ツー」と姿を現わして来る姿であります。
言霊ツは津(つ)・月(つき)・附(つき)・突(つく)・次(つぐ)・啄(ついばむ)・杖(つえ)・使(つかう)・仕(つかえる)・土(つち)等に用いられます。
天の吹男(ふきを)の神
言霊テ 大戸日別の神として五十音図の横の並びが確かめられ「ツー」と現われ出たものが、縦の並びであるアオウエの四母音のどれかに結び付こうとして、人が手(て)を差延べるが如く近づく様であります。天の吹男の神の神名は、先天の意図が大戸日別で判別された父韻の並びが息を吹きかける如く特定された母音に吹き付けられる様とも表現されます。
言霊テは手(て)・寺(てら)・照(てる)等に用いられます。
大屋毘古(おほやひこ)の神
言霊ヤ 先天の意図が父韻の並びと、それが結び付こうとする母音次元が明らかとなり、結ばれると、一つのイメージとなって姿を表わします。するとそのイメージはあたかも一つの大きな建造物(屋)となって働き(毘古)始めることとなります。
言霊ヤは屋(や)・矢(や)・八(や)・焼(やく)・族(やから)・安(やす)・奴(やっこ)・山(やま)・病(やまい)・藪(やぶ)・闇(やみ)等に使われます。
風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神
言霊ユ 先天の活動が意図するものは何か、が一つのイメージにまとまって来たが、そのイメージは伊耶那岐・伊耶那美の霊と体、主体と客体との関係を保っており(風は霊、木は体)それが言霊(男)として押し(忍)(おし)出される姿(神)であるという事です。
言霊ユは湯(ゆ)・弓(ゆみ)・結(ゆう)・言(ゆう)・夕(ゆう)・縁(ゆかり)・歪(ゆがみ)・裄(ゆき)・行(ゆく)・雪(ゆき)・揺(ゆする)等に用いられます。
海(わた)の神名は大海津見(おほわたつみ)の神
言霊エ 神名の大海津見の神とは大いなる海に渡して(津)明らかに現われる(見)の意です。先天の活動の内容は何であるか、のイメージ化が頭脳の細い道(これが川に譬えられます)を通って次第に明らかになり、その姿が現象子音となり、また言葉となって広い海(口腔に見立てられる)に入って行きます。川から海への境目が江(え)と呼ばれます。
【註】大綿津見の神の言霊エは五十音図ヤイユエヨのエです。現代の国語はア行、ヤ行、ワ行のエ(ヱ)をすべてエ一字に表わしています。
水戸(みなと)の神名は速秋津日子(はやききつひこ)の神、妹(いも)速秋津比売(ひめ)の神
言霊ケ、メ 水戸とは港の事であります。速秋津とは速くすみやかに、あきらかに渡す、という意味です。頭脳内の細い川のような所を通って先天の意図が一つのイメージにまとまって来て、終に川から海のように広い口腔に達し、そこが港、それから向うは海となります。言霊ケ、メはイメージが言葉に組まれる直前の集約された姿のことです。この明らかにイメージとしてまとまったものも霊と体、主体と客体を分け持っております。言霊ケは気であり、主体であり、また霊であります。言霊メは芽、目で客体であり、体であります。
言霊ケは木(け)・毛(け)・気(け)・日(け)・蹴(ける)・穢(けがれ)・消(けす)等に使われ、言霊メは女(め)・目(め)・芽(め)・姪(めい)・飯(めし)・恵(めぐむ)・廻(めぐる)・召(めす)・雌(めす)・捲(めくる)等に使われます。
以上、大事忍男の神より妹速秋津比売の神までの十神、タトヨツテヤユエケメの十言霊の説明を終えます。これ等十神、十言霊が精神宇宙に占める位置を津島と呼びます。津とは渡すの意。意識では捉えることが出来ない心の先天構造の働きが実際にどんな内容、どんな意図があるかを一つのイメージにまとめる過程の働き、現象であります。この十個の言霊の働きによって、先天の活動を言葉として表現する次の段階に渡す、即ち津島であります。またの名を天の狭手依比売(さでよりひめ)といいます。先天の活動が狭い処を通り、手さぐりするように一つのイメージにまとまって行きますが、まだ言葉にはなっていない、すなわち秘められている(比売)の段階という意味であります。子音創生の話しはこれより佐渡の島と呼ばれる段階に入ります。
【註】「古事記と言霊」の中でこの津島の十言霊の後半にありますユエケメの中の言霊ユとメを取り上げて、これが日本語の「夢」の語源となる理由を示唆している、と書きました。意識外の先天構造の動きが津島と呼ばれる十言霊の働きによって次第に一つの建造物の如くイメージにまとまって行き(言霊ヤ)、それが湯が湧き出すように(言霊ユ)現われ、そのイメージが言語と結び付く直前の処まで、即ち発声器官に渡される境目(言霊エ、ケ、メ)にまで来た状態、しかし確実な言葉と結ばれてはいない(秘められている)様子、夢とは其処に深く関係する、と言う訳であります。読者の皆様もこの夢多き人間の心の活動と言葉との関係探索の旅を自らの心の中に楽しまれたら如何でありましょうか。
古事記の文章が子音創生の佐渡の島の領域に進みます。
この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、沫那芸(あわなぎ)の神。次に沫那美の神。次に頬那芸(つらなぎ)の神。次に頬那美の神。次に天の水分(みくまり)の神。次に国の水分の神。次に天の久比奢母智(くひざもち)の神、次に国の久比奢母智の神。
先天構造内の意識では触れることが出来ない活動の内容が、津島と呼ばれる宇宙内の位置に属する十言霊の働きによって、頭脳内の狭い通路を通り最後の速秋津日子・比売、言霊ケメに到って一つのイメージにはっきりとまとめられました。此処までが「河」に当ります。そして次の佐渡の島と呼ばれる位置に属す八言霊クムスルソセホヘの働きでイメージに言葉が結ばれ、口腔より発声されます。その口腔を広い海に譬えたのです。「速秋津日子、妹速秋津比売の二神、河海によりて持ち別けて生みたまふ……」とは以上の説明の如く、速秋津日子・妹速秋津比売までが河、次に生れる沫那芸・沫那美からは海と、河と海を持ち別けたという事であります。
沫那芸(あわなぎ)の神、沫那美(み)の神
言霊ク、ム 先天構造内で伊耶那岐・伊耶那美の二神言霊イ・ヰが婚(よばい)し、結びついて現象子音が生れて来ると説明されました。しかしそれは人の意識では触れることが出来ぬ先天構造内の出来事でありました。その先天構造内の活動を、今度は意識で触れることが出来る後天現象として伊耶那岐・美二神の婚(よば)いの活動を再構築する働き、これが沫那芸・美の二神、言霊ク・ムの働きであります。沫那芸・美の沫は言霊ア・ワを意味し、また敷衍(ふえん)しますと言霊アオウエイとワヲウヱヰでもあります。この二言霊の活動でイメージが言葉と結びつけられます。心と身が、霊と音が、私と貴方が結ばれます。
言霊クは来(く)・杭(くい)・食(くう)・悔(くい)・加(くわる)・暗(くらい)・繰(くる)・括(くくる)・草(くさ)・潜(くぐる)・挫(くじく)等に、言霊ムは六(む)・向(むかう)・迎(むかう)・昔(むかし)・麦(むぎ)・剥(むく)・婿(むこ)・虫(むし)・蒸(むす)・結(むすび)等に使われます。
頬那芸(つらなぎ)の神、頬那美(み)の神
言霊ス、ル 前の沫那岐・美、言霊ク・ムで先天活動の内容が言葉と結ばれたものが、この頬那芸・美の二神、言霊ス・ルで言葉として発声されます。発声には口腔の筋肉などが作用しますので、神名として頬(つら)(ほほ)の字が入っている訳です。頬那芸・頬那美と芸と美即ち気と身で霊と体、私と貴方を互いに受け持っています。
言霊スは主(す)・巣(す)・澄(すむ)・住(すむ)・据(すえる)・救(すくう)・州(す)・鬆(す)・吸(すう)・掬(すくう)等に使われ、言霊ルは流(る)・縷(る)・坩堝(るつぼ)等に用いられます。頬那芸、頬那美の働きが程よく調和しますと、言葉はスルスルと淀みなく相手に伝わります。言霊スは静止の姿、言霊ルは動く姿、双方がうまく調和する事によって話はスムーズに運びます。良い弁舌を「立て板に水」と表現しますが、それも留処(とめど)なく流れては相手の理解をそこないます。適当な「間」がなければなりません。流れの中に間があって初めて滑らかな弁舌と言えましょう。
【註】「古事記と言霊」の書では、この言霊スの登場の所で、古事記の冒頭の言霊ウ――ア・ワの宇宙剖判が実はス――ウ――ア・ワである事の説明を附記しています。これに間違いはないのですが、今回の講座ではこの説明を言霊学の最終結論である「三貴子」の登場の後に廻す事とします。
天の水分(みくまり)の神、国の水分の神
言霊ソ、セ 水分(みくまり)は水配(みずくば)りの事であります。心を言葉に組んで発声するには、無言から有言ヘ、意志の一段の推進力が加わる必要があります。私達は言葉を発して相手に伝えようとして一瞬ためらう時があります。その最中(さなか)にこの言霊の働きの姿を垣間見ることが出来ます。天の水分は意志の一層の意欲、国の水分は体的エネルギーの補給、実際には弁舌の舌を潤(うるお)す唾液の事でありましょうか。
言霊ソは注(そそぐ)・削(そぐ)・添(そえる)・聳(そびえる)・染(そめる)・逸(それる)・剃(そる)等に、言霊セは瀬(せ)・急(せく)・堰(せき)・責(せむ)・背(せ)等に用いられます。
天の久比奢母智(くひざもち)の神、国の久比奢母智の神
言霊ホ、ヘ 久比奢母智とは久しく(久)その精神内容(比・霊)を豊かに(奢)持ち続ける(母智)の意。天の久比奢母智は霊を、国の久比奢母は体を受け持ちます。先天意志の内容であるイメージが音声と結ばれ、発声されますと、その言葉の内容は何処までも豊かに持続され、発展して行きます。言葉というものは発声されたらそれで終りという訳ではありません。
言霊ホは穂(ほ)・火(ほ)・秀(ほ)・百(ほ)・帆(ほ)・吠(ほえる)・外(ほか)・惚(ほける)・炎(ほのお)・仄(ほのか)等に、言霊ヘは戸(へ)・辺(へ)・舳(へ)・凹(へこむ)・減(へる)・蛇(へび)・経(へる)・縁(へり)等に用いられます。
以上沫那芸の神より国の久比奢母の神までの八神、クムスルソセホヘの八言霊が属す宇宙区分を佐渡の島と呼びます。この区分の八言霊の現象によって先天の意図のイメージが音声と結ばれ言葉となり、口腔より空中へ飛び出して行きます。佐渡の島とは心を佐けて言葉として渡すという意です。この八言霊の作用により未鳴が真名となり、更に発声されて神名となって空中に飛び出します。
古神道言霊学の佐渡の島の「心を言に乗せて渡す」という事が佛教でも使われ、八苦の娑婆の此岸から極楽の彼岸に渡すことを度(ど)と言い、また得度(とくど)なる言葉もあります。佛の教えでは、人は生れながら佛の子であり、救われた存在なのであるが、救われているという自覚を持ちません。それが佛の教えを実行して救われてある事を自覚出来ます。けれどその自覚だけでは不充分であり、その救われの心を言葉に表わし、または詩にまとめて初めて自覚は完成する、と説きます。言葉によって渡す事となります。その詩を頌(しょう)または偈(げ)と呼びます。
古事記の文章が子音創生の第三番目の島である大倭豊秋津島と呼ばれる宇宙区分に移ります。
次に風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、次に木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ、次に山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、次に野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野槌(のづち)の神といふ。
大倭豊秋津島の区分に属す神(言霊)はこの四神に続いて天の狭土の神以下大宜都比売(おほげつひめ)の神まで十神がありますが、説明の都合上取り合えず志那都比古の神以下の四神、言霊フモハヌの四言霊を先に登場させます。何故かと申しますと、心の先天構造が活動を起し、それによって子音創生が始まり、タトヨツテヤユエケメの十言霊が属す津島の区分で先天の意図がイメージとしてまとめられ(未鳴)、次にクムスルソセホヘの八言霊の属す佐渡の島の区分でイメージに音声が結ばれ、発声されます(真名)。発声された言葉は次に大倭豊秋津島の区分に入り、空中を飛び(神名)(かな)、聞く人の耳に入り、復誦、検討され、その内容が了解され、そこで先天の意図が達成され、一連の言霊の宇宙循環は終り(真名)、再び先天に帰ります。この大倭豊秋津島の区分の言霊はフモハヌ・ラサロレノネカマナコの十四言霊であります。その中で先ず取上げました志那都比古の神以下の四神、フモハヌの四言霊は大倭豊秋津島の区分の十四言霊の中の空中を飛んでいる言葉(神名)の内容を示す言霊なのであります。
風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神
言霊フ 志那都比古とは先天活動の意図(志)がすべて(那)言葉となって活動している実体(神)と言った意味です。心は言葉に乗って何処までも活動します。言霊フモハヌは空中(外界)を飛ぶ言葉の内容でありますので、風・木・山・野の神と自然物の名が附けられています。風の神の風は人の息(いき)のことでありましょう。フとはその心、その言葉の内容を意味します。
言霊フは二(ふ)・譜(ふ)・笛(ふえ)・踏(ふみ)・吹(ふき)・伏(ふす)・深(ふかい)・殖(ふえる)・蒸(ふかえ)等に使われます。
木の神名は久久能智(くくのち)の神
言霊モ 久久能智とは久しく久しく能(よ)く智を持ち続けるの意。人が発声した言葉はそれ以後人との関係がなくなる、という訳ではありません。心はその言葉に乗って何処までも影響力を持ち続けます。木の神の木は気(き)、霊(ひ)の意。空中を飛んでいる言葉は気、霊を宿(やど)している事を示しています。
言霊モは裳(も)・萌(もえ)・燃(もえ)・設(もうける)・申(もうす)・詣(もうで)・藻(も)・もがく・持(もつ)・餅(もち)・盛(もり)等に使われます。
山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神
言霊ハ 山の神、また大山津見の山とは八間(やま)の意です。言霊八父韻チイキミシリヒニが発現する姿を図示しますと■となります。この図の八つの間に一つずつ父韻が入ります。またその図の平面の中央を面より直角に引き上げますと山の形となります。先天の意図が津島でイメージ化され、佐渡の島で音声と結ばれ、そして渡(わた)され現われ(津見)たものが言霊ハの言葉だという訳です。父韻ヒは「物事の表現が心の宇宙の表面に完成する韻」と説明されます。その実現の姿が言葉です。
言霊ハは葉(は)・肌(はだ)・歯(は)・裸(はだか)・端(はし)・橋(はし)・箸(はし)・這(はう)等に使われます。
【註】山には高い処の屋根と低い処の谷があります。山に譬えられる言葉にも尾根と谷があります。尾根は父韻、谷は母音です。中国の老子に「谷神(こくしん)は死なず」とあります。母音の事であり、母音は宇宙の音、永遠に変わることなき音です。
野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神、またの名は野槌(のづち)の神
言霊ヌ 鹿屋野(かやの)の鹿屋(かや)は神(かみ)の家(いえ)の意です。これを神名(かな)と呼びます。佐渡の島の真名が口で発声されて神名となり、空中を飛んで大山津見の言葉となり、山が裾野(すその)に下って来て鹿屋野の野に着いた、という太安麻呂独特の洒落であります。野に到って、そこで人の耳に聞かれることとなります。耳の鼓膜を叩くので野槌(のづち)の神と付け加えたのでしょう。
言霊ヌは貫(ぬ)・野(ぬ)・縫(ぬう)・抜(ぬく)・額(ぬか)・糠(ぬか)等に使われます。
その171
先天十七言霊(天名)(あな)の活動の内容が津島と呼ばれる区分に属す十言霊(未鳴)(まな)の現象を経て一つのイメージにまとめられ、次に佐渡島という区分の八言霊(真名)(まな)の現象で言葉と結ばれ、口腔にて発声され(神名)空中を飛びます。空中を飛んでいる音声も心を乗せています。その音声の心はフモハヌ(神名)(かな)の四言霊であり、やがて人の耳に達します。この空中を飛び、人の耳に入り、聞いた人が復誦、検討して終に発言した人の言葉の内容を了解して、言葉の循環は終り(真名)、記憶として遺り、元の先天に帰ります。発声されて空中を飛ぶ内容の四言霊、それが耳で聞かれ、了解されるまでの十言霊ラサロレノネカマナコを加えた計十四言霊の宇宙区分を大倭豊秋津(おおやまととよあきつ)島、またの名は天つ虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)と呼びます。この区分の現象で言霊子音が出揃い、調和して(大倭)豊かに明らかに(豊秋)現われる(津)区分(島)の意です。十四言霊の中で初めの四言霊フモハヌ、志那都比古(しなつひこ)の神より鹿屋野比売の神までの四神は前号で説明を終えましたので、今号は言霊ラ、天の狭土(さづち)の神以下の十言霊、十神の説明より始めることといたします。
この大山津見の神、野槌(のづち)の神の二柱(ふたはしら)、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、天の狭土(さづち)の神。次に国の狭土の神。次に天の狭霧(さぎり)の神。次に国の狭霧の神。次に天の闇戸(くらど)の神。次に国の闇戸の神。次に大戸惑子(おおとまどひこ)の神。次に大戸惑女(め)の神。次に生みたまふ神の名は、鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ。次に大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、……
以上の古事記の文章に出て来る十神(十言霊)が、前の志那都比古の神以下の四神と合わせて大倭豊秋津島に属す十四神、十四言霊であります。
この大山津見の神、野槌の神の二柱、山野によりて持ち別けて……
発声された神名が大山津見の神で山を越え、鹿屋野比売の神で野に下って来て人の耳に入ります。耳に入った言葉は次々に十の言霊、ラサロレノネカマナコの現象によって検討されて行きます。
天の狭土の神。次に国の狭土の神。
言霊ラ、サ 狭土の狭は耳の中の狭い所、土は椎(つち)で、耳の鼓膜を叩く槌の意。この場合も天の狭土は霊を、国の狭土は音声を受け持ちます。
言霊ラは螺(ら)に示されますように螺旋運動のこと、言霊サは坂(さか)・狭(さ)・差(さす)・指(さす)・咲(さく)・性(さが)・酒(さけ)・裂(さく)・先(さき)・柵(さく)等に用いられます。言霊ラは螺旋状に、言霊サは一定方向に、共に進む動きを示します。
天の狭霧の神。次に国の狭霧の神。
言霊ロ、レ 天の狭霧・国の狭霧の狭霧とは霧の様に耳の孔にぐるぐる廻りながら入り込んで行く様を示しています。天は霊を、国は音を分担しています。言霊ロ・レは共に螺旋運動の状態を示します。
天の闇戸の神。次に国の闇戸の神。
言霊ノ、ネ 闇戸(くらど)とは文字通り「暗(くら)い戸」で、耳の中の戸、即ち聴覚器官の事でありましょう。耳の中へ入り込んで行った言葉はこの闇戸に当って、そこで更めて復誦されます。言霊ノネは「宣(の)る音(ね)」に通じます。ここでも天の闇戸は霊を、国の闇戸は音を受け持ちます。闇戸で復誦されることによって空中を飛んで来た神名が再び真名に還元されて行きます
言霊ノは宣(のる)・退(のく)・乗(のる)・野(の)・軒(のき)・残(のこる)・除(のぞく)等に、言霊ネは音(ね)・値(ね)・根(ね)・願(ねがう)・寝(ねる)・練(ねる)等に使われます。
大戸惑子の神。次に大戸惑女の神。
言霊カ、マ 耳の孔に入って来た言葉は復誦され、次にその意味・内容は「こうかな、ああかな」と考えられます。掻(か)き混(ま)ぜられ、次第に煮(に)つめられます。煮つめの道具を釜(かま)と呼びます。この作業で言葉の意味・内容が明らかにとなり、有音の神名は完全に真名に還ります。大戸惑子の神は霊を、大戸惑女の神は音を受け持ちます。
言霊カは掻(かく)・貸(かす)・借(かりる)・金(かね)・返(かえす)・刈(かる)・神(かみ)・囲(かこむ)・考(かんがえる)・柿(かき)等に、言霊マは真(ま)・魔(ま)・巻(まく)・廻(まわる)・豆(まめ)・増(ます)・的(まと)・馬(うま)・間(ま)等に使われます。
鳥の石楠船の神、またの名は天の鳥船
言霊ナ 鳥の石楠船の鳥は十理(とり)の意で、五十音図の母音アと半母音ワとの間に八つの父韻が入って現象子音を生みます。母音・八父韻・半母音合計十の道理で現象が起るのは、主体と客体との間を鳥が飛び交うのに譬えられます。石楠船(いはくすふね)とは、五十葉(いは)である五十の言霊を組(く)んで澄(す)ます(楠)と五十音言霊図が出来上がること。船とは人を乗せて渡す乗物。言葉は人の心を乗せて渡す乗物。そこで鳥の石楠船の神とは「言霊の原理に則って五十音言霊図上で確かめられた言葉の内容」という意味となります。天の鳥船とは「先天(天)の十の原理(母音・八父韻・半母音)の意図(鳥)を運ぶもの(船)」となり、鳥の石楠船と同じ意味となります。
言葉が耳に入り、復誦・検討され、煮つめられて「あゝ、こういう意味だったのだ」と了解されます。その了解された意味・内容が名(言霊ナ)であります。昔より「名は体をあらわす」と言われます。言葉が名となった事で内容は確定し、私と貴方との間の現象(子)が了解された事となります。言霊ナは言霊コの内容という事です。
言霊ナは名(な)・成(なる)・馴(なれ)・萎(なえる)・泣(なく)・治(なおる)・汝(なんじ)・七(なな)・魚(な)・菜(な)・字(な)等に用いられます。
大宜都毘売の神
言霊コ 言葉が耳に入り、復誦・検討され、内容が確定し、了解されますと、終りとして一つの出来事が完結します。事実として収(おさ)まります。父と母が婚(よば)いして子が生まれます。それが言霊コであります。それは物事のまぎれもない実相であり、言霊コはその実相の単位です。大宜都比売とは大いに宜(よろ)しき都(霊屋子)(みやこ)である言葉を秘めている(比売)の意であります。
言葉が最終的にその内容が確認され(言霊ナ)、事実として承認されます(言霊コ)と、三十二個の言霊子音は全部出尽くし、言霊の宇宙循環はここで終り、先天に帰ります。跡(あと)に記憶が残ります。この世の中には千差万別いろいろな出来事が雑然と起るように見えますが、親音言霊イの次元に視点を置いて見る時、世界の現象のすべては僅か三十二個の子音言霊によって構成されており、十七先天言霊によるいとも合理的に生産された出来事なのだ、という事が理解されて来ます。その理解を自分のものとする為には、言霊コである物事の実相を見る立場が要求される事を御理解頂けたでありましょうか。
言霊コは子(こ)・小(こ)・此(ここ)・粉(こ)・蚕(こ)・籠(こ)・鯉(こい)・越(こえる)・請(こう)・恋(こい)・乞(こう)等に用いられます。
さてここで伊耶那岐・美二神(言霊イ・ヰ)の婚(よば)いによる三十二個の子音言霊の創生が一段落となりました。先天構造の言霊十七個、後天現象の単位子音三十二個、計四十九個となります。すると言霊の総数は五十個のはずですから、明らかに一個足りません。残りの一言霊とは何なのでありましょうか。
次に火(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。またの名は火(ほ)の炫毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ。
言霊ン 火の夜芸速男の神の火(ほ)は言霊、夜芸(やぎ)とは夜の芸術の意、速男(はやお)とは速やかな働きという事。神とは実体という程の意です。これではまだその内容は明らかには分りません。そこで「またの名」を取り上げて見ましょう。火の炫毘古の神の火(ほ)は言霊、炫(かがや)毘古とは輝(かがや)いている働きの意。またの名火の迦具土の神の火(ほ)は言霊、迦具土(かぐつち)とは「書く土(つち)」の意です。昔は言霊一音一音を神代文字として粘土板に刻み、素焼きにしてclay tabletにしました。これを甕(みか)と呼びました。甕の神は御鏡(みかがみ)に通じます。
ここまで来ますと、火の夜芸速男の神とは昔の神代文字の事であることが分ります。文字は言葉が眠っている状態です。夜芸速男とは夜芸即ち読みの芸術である文字として言霊を速やかに示している働きの意であります。またの名、火の炫毘古とは文字を見ると其処に言霊が輝いているのが分ります。以上の事から五十番目の神、火の夜芸速男の神、言霊ンとは神代文字の事であると言う事が出来ます。太古の神代文字は言霊の原理に則って考案されたものでありました。言霊ンのンは「運ぶ」の意だそうであります。確かに文字は言葉を運びます。それを読めば言葉が蘇ってきます。
「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神(言霊ウ)」より始まり、先天十七神、それに火の夜芸速男の神(言霊ン)までの後天三十三神を加え、合計五十神、五十音言霊が全部出揃いました。古来、日本の神社では御神前に上下二段の鏡餅を供える風習があります。その意味は言霊学が「神とは五十個の言霊とその整理・操作法五十、計百の原理(道)即ち百の道で百道(もち)(餅)」と教えてくれます。先天・後天の五十の言霊が出揃ったという事は鏡餅の上段が明らかになったという事です。そこで古事記の話はこれより鏡餅の下の段である五十音言霊の整理・操作法に移ることになります。人間の心と言葉についての究極の学問であります言霊学の教科書としての古事記の文章が此処で折返し点を迎えたことになります。
【註】火の夜芸速男の神という日本の神代文字は現代知られているだけでも数十種あるといわれています。その詳細については後章にて説明されます。
古事記の後半の文章の第一歩を進めることにしましょう。
この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。たぐりに生(な)りませる神の名は金山毘古(かなやまびこ)の神。次に金山毘売(びめ)の神。次に屎(くそ)に成りませる神の名は波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に波邇夜須毘売(ひめ)の神。次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は弥都波能売(みつはのめ)の神。次に和久産巣日(わきむすび)の神。この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。
この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。
この子とは火の夜芸速男の神のことです。またの名である火の炫(かがや)毘古の神・火の迦具土の神も同様に頭に「火」の字が附されています。伊耶那美の命は夫君伊耶那岐の命と婚いして三十二の子音を生み、それを神代文字(言霊ン)に表わして、合計五十神・五十言霊がすべて出揃いました。これ以上の言霊は有り得ません。伊耶那美の命はもう子が生めなくなりました。この事を最後に火の神を生んだので伊耶那美の命の女陰が火傷(やけど)をして病気になってしまった、と表現しました。太安万侶一流の洒落であります。五十音言霊が出揃いましたので、これよりそれ等言霊の整理・活用の検討が始まります。
たぐりに生りませる神の名は金山毘古の神。次に金山毘売の神。
たぐりとは嘔吐(おほど)の事でありますが、ここでは「手繰(たぐ)り」の意の謎です。金山毘古の金は神名の意です。言霊一つ一つを粘土板に刻んで素焼きにした甕を手で手繰(たぐ)り寄せますと神代文字の山(神山)が出来ます。精神的なもの、物質的なものすべてを整理する為には先ずすべてのものを手許に寄せ集めることから始めなければなりません。金山毘古は音を、金山毘売は文字を受け持ちます。
【註】金山毘古の神に始まる古事記神話の言霊の整理・活用法の検討は実に総計五十の手順を一つ残らず明らかにして行きます。その間、どんな小さい手順も疎(おろそ)かにしたり、省略する事はありません。その手順はキッチリ五十にまとまります。その手順の一つ一つを読者御自身の心中に丁寧に準(なぞら)って検討されることを希望いたします。
屎に成りませる神の名は波邇夜須毘古の神。次に波邇夜須毘売の神。
屎は組素(くそ)の意を示す謎です。言霊五十音を粘土板に刻んだものを埴土(波邇)と言います。その五十個を集めて一つ一つを点検して行きますと、どの音も文字も正確で間違いがなく、安定している事が分った、という事であります。この場合も毘古は音を毘売は文字を受け持ちます。
【註】大祓祝詞(おおはらいのりと)や古事記の「天の岩戸」の章には「くそへ」「糞(くそ)まり」という言葉が出て来ますが、これ等も此処に示される「組素」と同様の意味であります。
尿に成りませる神の名は弥都波能売の神。
尿とは「いうまり」即ち「五埋(いう)まり」という謎です。五十の埴土を集めて、その一つ一つを点検して間違いがないのが分ったら、次に何をするか、というと先ず五つの母音を並べてみることでしょう。「五(い)埋まり」です。その順序はといえば、アは天位に、イは地位に落ちつき、その天地の間にオウエの三音が入ります。オウエの三つの葉(言葉)の目が入りました。弥都波能売(みつはのめ)とはこれを示す謎です。日本書紀では罔象目と書いております。罔(みつ)は網(あみ)の事で、五母音を縦に並べてみますと罔(あみ)の象(かたち)の目のようになっているのが分ります。五十の埴土(はに)を並べて整理しようとして、先ず五つの母音を基準となるよう並べたのであります。
和久産巣日の神。
和久産巣日とは枠結(わくむす)びの謎。五十の埴土(はに)を集め、一つ一つ点検し、次に五つの母音を並べてみると網の目になっていることが分りました。その網目に他の四十五個の埴土が符号するように並べて整理してみると、五十音全部が一つの枠の中に納まるようにきちんと並ぶことが分って来ました。一見五十音が整理されたようには見えますが、まだこの段階ではこの整理がどんな内容に整理されて来たのかは分っていません。「和久」とは「湧く」ともとれるように、この段階での整理には全体として何か混沌さがある事を示しているということが出来ます。
この神の子は豊宇気毘売の神といふ。
豊宇気毘売の神の豊とは十四(とよ)の意で心の先天構造十七言霊の中のアオウエイ・ワ・チイキミシリヒニの十四言霊のことで、豊とは先天構造を指します。宇気(うけ)とは盃(うけ)で入れ物のことです。豊宇気毘売全部で心の先天構造から成る入物(いれもの)を秘めているの意となります。「この神の子」と言う言葉が古事記に出て来る時は「この神の内容、働き、活用法、活用から現われる結論」等を意味します。豊宇気毘売とは豊受姫とも書き、伊勢神宮の外宮の主宰神であります。「心の先天構造で出来ている入れ物を秘めている神」では意味が明らかではありませんが、この神が伊勢外宮の神である、となりますと、内容が明らかとなります。
和久産巣日の神の内容が「五十音言霊を整理し、それを活用するに当り、先ず「五埋(いうま)り」によって母音アオウエイの順序に従って五十音を並べて枠の中に囲んで整理した働き」が分りました。しかしその整理は五十音図として初歩的に並べたものであって、どうしてその様に並んだのかの内容はまだ不明という事でありました。しかし「この神の子(活用法)である豊宇気毘売の神」が伊勢内宮の天照大神と並んで外宮の神として祭られている事実を考えますと、次の様な事が明らかになって来ます。
金山毘古の神に始まる五十音言霊の整理・活用を検討する作業が進み、最終結論として三貴子(みはしらのうづみこ)が生まれます。その中の一神、天照大神は言霊学の最高神であり、言霊五十音の理想の配列構造を持った人類文明創造の鏡であり、その鏡を祀る宮が伊勢の内宮であります。その内宮の鏡の原理に基づいて外宮の豊宇気毘売の神は世界の心物の生産のすべてを人類の歴史を創造するための材料として所を得しめる役目の神であるという事になります。和久産巣日の神とは言霊五十音の初歩的な整理ではありますが、その活用の役目である豊宇気毘売の神が、言霊整理活用の総結論である天照大神を鏡として戴く事によって世界中の文化一切に歴史創造という枠を結ばせる事となる消息を御理解頂けるものと思います。
吉備(きび)の児島(こじま)
五十音言霊の全部が出揃い、次にその五十音言霊の整理・活用法の検討が始まります。以上金山毘古の神より和久産巣日の神までの六神が精神宇宙内に占める区分を吉備の児島と呼びます。「吉(よ)く備(そな)わった小さい締(しま)り」の意です。児島と児の字が附きますのは、弥都波能売(みつはのめ)という上にア、下にイ、その間にオウエの三音が入った事の確認を基準として五十音言霊を整理し、枠で結びました。吉(よ)く備(そな)わっている事は確認されましたが、その様に並んだ事の内容についてはまだ何も分っていません。極めて初歩的な整理である事の意を「児」という字によって表わしたのであります。
古神道言霊学はこの初歩的ではありますが、最初にまとめられた言霊五十音図を天津菅曽(あまつすがそ)(音図)と呼びます。菅曽を菅麻(すがそ)と書くこともあります。菅麻とは「すがすがしい心の衣」の意で、人間が生まれながらに授かっている大自然そのままの心の構造の意であります。これから以後の言霊五十音の整理・活用法の検討はこの音図によって行なわれる事となります。
かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに因りて、遂に神避りたまひき。
伊耶那美の神は火の夜芸速男(やぎはやお)の神(言霊ン)という火の神を生んだので御陰(みほと)が火傷(やけど)し、病気となり、終になくなられた、という事です。これを言霊学の教科書という精神上の事から物語るとどういう事になるでしょうか。伊耶那岐・美二神の共同作業で三十二の子音言霊が生まれ、それを神代表音文字に表わしました。ここで伊耶那美の神の仕事は一応終ったことになります。そこで美の神は高天原という精神界のドラマの役をやり終えて一先ず幕の影へ姿を隠してしまう事になった、という訳であります。
「神避(かむさ)る」と言いますと、現代では単に「死ぬ」と言う事に受け取ります。古神道言霊学では決して「死」を説きません。「霊魂不滅」などと言って人の生命は永遠だ、と説く宗教もありますが、言霊学は霊魂などという極めて曖昧な意味で不死を説くわけではありません。この事は他の機会に譲りまして、では伊耶那美の神が神避ったという事は実際にどういう事であるのか、について一言申し上げます。
三十二子音の創生と神代表音文字の作製によって伊耶那美の神の分担の仕事は終りました。五十音言霊で構成された高天原精神界から退場することとなります。そして伊耶那美の神は本来の自身の責任領域である客観世界(予母都国(よもつくに))の主宰神となり、物事を自分の外(そと)に見る客観的な物質科学文明の創造の世界へ帰って行ったのであります。この時より後は、五十音言霊の整理と活用の方法の検討の仕事は伊耶那岐の神のみによって行なわれることとなります。
その172
かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は泣沢女(なきさわめ)の神。かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。
伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、
伊耶那岐の命はその時まで高天原での創造の協同者であった伊耶那美の命を失ってしまいましたので、「わが愛する妻の伊耶那美の命を子の一木に易えてしまった」と嘆(なげ)きました。岐美二神は共同で三十二の子音を生みました。その三十二の子音を表音神代文字火の夜芸速男の神・言霊ンに表わしました。妻神を失い、その代りに一連の神代文字(一木)に変えたという事であります。
御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、
五十個の言霊とその表音文字が出揃い、今はその言霊の整理・検討が行なわれているところです。その整理に当る伊耶那岐の命の行動を、妻神を失った伊耶那岐の命の悲しむ姿の謎で表わしています。御枕方と御足方とは美の命の身体をもって五十音図(菅曽音図)に譬えた表現です。人が横になった姿を五十音図に譬えたのですから、御枕方とは音図に向って一番右(頭の方)はアオウエイの五母音となります。反対に御足方とは音図の向って最左でワヲウヱヰ五半母音のことです。そこで「御枕方に葡匐ひ御足方に葡匐ひ」とは五十音図の母音の列と半母音の列との間を行ったり、来たりすることとなります。「哭きたまふ」とは、声を出して泣くという事から「鳴く」即ち発声してみるの意となります。
御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は泣沢女(なきさわめ)の神。
香山(かぐやま)とは言霊を一つ一つ粘土板に刻み、素焼にした埴(はに)を集めたもの、即ち香山とは「火の迦具土」と「金山」を一つにした名称。畝尾とは一段高い畝(うね)が続いている処。母音から半母音に連なる表音文字の繋がりの事。その畝尾は五十音図では五本あります。「その木のもと」とありますから、五母音の一番下イからヰに至る文字の連なりの事となります。涙はその一番下の畝尾に下って来ます。一番下のイからヰに至る文字の連なりは父韻チイキミシリヒニの八韻です。この父韻が鳴りますと、その韻は母音に作用して現象子音を生みます。父韻は泣き(鳴き)騒ぐ神です。そこで名を泣沢女(なきさわめ)の神と呼びます。泣くのは男より女に多い事から神名に泣沢女の神と女の文字がついたのでありましょう。
小豆島(あづきじま)またの名は大野手比売(おおのでひめ)
泣沢女の神の座。また五十音言霊の音図上の整理・確認の作業の中で、八つの父韻の締めくくりの区分を小豆島(あづきじま)と言います。明らかに(あ)続いている(づ)言霊(き)の区分の意です。大野手比売(おおのでひめ)とは大いなる(大)横に平らに展開している(野)働き(手)を秘めている(比売)の意です。八父韻は横に一列に展開しています。
菅曽音図の一番下の列、言霊イとヰとの間に展開している八つの父韻に泣沢女の神と名付けた事について今一つ説明を加えましょう。法華経の第二十五章の「観音普門品」に「梵音海潮音勝彼世間音」(ぼんおんかいちょうおんしょうひせけんおん)という言葉があります。梵音と海潮音とは彼(か)の世間で一般に使われている言葉に優(まさ)る言葉である、の意です。その梵音とは宇宙の音、即ちアオウエイの五母音の事です。また海潮音とは寄せては返す海の波の音の事で、即ちこれが言霊学で謂う八つの父韻の事です。宇宙には何の音もありません。無音です。もっと的確に言えば宇宙には無音の音が満ちているという事です。何故ならそこに人間の根本智性である八父韻の刺激が加わると、無限に現象の音を出すからです。八つの父韻は無音の母音宇宙を刺激する音ですから、泣き(鳴)騒ぐ音という事となります。父韻が先ず鳴き騒ぐ事によって、その刺激で宇宙の母音から現象音(世間音)が鳴り響き出します。梵音(母音)と海潮音(父韻)は人間の心の先天構造の音であり、その働きによって後天の現象音が現出して来ます。「勝彼世間音」と言われる所以であります。
お寺の鐘がゴーンと鳴ります。人は普通、鐘がその音を出して、人の耳がそれを聞いていると考えています。正確に言えばそうではありません。実際には鐘は無音の振動の音波を出しているだけです。では何故人間の耳にゴーンと聞こえるのでしょうか。種明かしをすれば、その仕掛人が人間の根本智性の韻である八つの父韻の働きです。音波という大自然界の無音の音が、人間の創造智性である八つの父韻のリズムと感応同交(シンクロナイズ)する時、初めてゴーンという現象音となって聞えるのです。ゴーンという音を創り出す智性のヒビキは飽くまで主体である人間の側の活動なのであり、客体側のものでありません。鐘の音を聞くという事ばかりではなく、空の七色の虹を見るのも、小川のせせらぎを聞くのも同様にその創造の主体は人間の側にあるという事であります。八つの父韻の音図上の確認の締まりを泣沢女の神という理由を御理解願えたでありましょうか。
かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。
出雲とは出る雲と書きます。大空の中にむくむくと湧き出る雲と言えば、心の先天構造の中に人間の根本智性である父韻が思い出されます。伯伎の国と言えば母なる気(木)で、アオウエイ五母音を指します。聖書で謂う生命の樹のことです。比婆(ひば)とは霊(ひ)の葉で言霊、特に言霊子音を言います。子音は光の言葉とも言われます。
伊耶那岐の命と伊耶那美の命は協力して三十二の子音言霊を生み、子種がなくなり、高天原での仕事をやり終えた伊耶那美の命は何処に葬られているか、と申しますと、父韻と母音で作られている三十二個の子音の中に隠されて葬られているよ、という意味であります。子音言霊が高天原から去って行った伊耶那美の神の忘れ形見または名残のもの、という事です。
古事記の文章を先に進めます。
ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、石柝(いはさく)の神。次に根柝(ねさく)の神。次に石筒(いはつつ)の男(を)の神。次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、甕速日(みかはやひ)の神。次に樋速日(ひはやひ)の神。次に建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、闇淤加美(くらおかみ)の神。次に闇御津羽(くらみつは)の神。
菅曽音図に基づいた五十音言霊の検討の作業は更に続きます。
ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。
ここに初めて古事記の文章に剣という言葉が出て来ました。古事記のみならず、各神話や宗教書の中に出る剣とは物を斬るための道具の事ではなく、頭の中で物事の道理・性質等を検討する人間天与の判断力の事を言います。形のある剣はその表徴物であります。この判断力に三種類があり、八拳、九拳、十拳(やつか、ここのつか、とつか)の剣です。
十拳の剣の判断とはどんな判断かと申しますと次の様であります。十拳の剣とは人の握り拳(こぶし)を十個並べた長さの剣という事ですが、これは勿論比喩であります。実は物事を十数を以て分割し、検討する判断力のことです。実際にはどういう判断かと言いますと、十数とは音図の横の列がア・タカマハラナヤサ・ワの十言霊が並ぶ天津太祝詞音図(後章登場)と呼ばれる五十音図の内容である人間の精神構造を鏡として行なわれる判断の事を言います。この判断力は主として伊耶那岐の神または天照大神が用いる判断力であります。後程詳しく説明されます。
迦具土の神とは前に出ました火(ほ)の夜芸速男(やぎきやを)の神・言霊ンの別名であります。古代表音神名(かな)文字のことです。頚(くび)を斬る、という頚とは組霊(くび)の意で、霊は言霊でありますから、組霊(くび)とは五十音図、ここでは菅曽音図の事となります。十拳の剣で迦具土の頚を斬ったという事は、表音神名文字を組んで作った菅曽音図を十拳の剣という人間天与の判断力で分析・検討を始めたという事になります。という事は、今までは言霊の個々について検討し、これからは菅曽音図という人間精神の全構造について、即ち人間の全人格の構造についての分析・検討が行なわれる事になるという訳であります。
ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、石柝(いはさく)の神。次に根柝(ねさく)の神。次に石筒(いはつつ)の男(を)の神。
御刀の前に著ける血、とは迦具土の頚(くび)である言霊五十音図を十拳の剣で分析・検討して人の心の構造がどの様になっているか、を調べて行き、御刀の前(さき)によって斬ったことにより判明した道理(血(ち))ということ。ここで御刀の「前」と殊更に言いましたのは、次の文章に御刀の「本(もと)」、御刀の「手上(たがみ)」と分析・検討の作業が進展して行く様子を示したものであります。
湯津石村の湯津(ゆず)とは五百個(いほつ)の謎です。五百個(いほつ)とはどういう事かと申しますと、五母音の配列である菅曽音図の意味を基調として五十音図を作り、この五十音図を上下にとった百音図の事を五百個と申します。石村(いはむら)とは五十葉叢(いはむら)の意。湯津石村の全部で五百個の上半分の五十音図の意となります。湯津石村に走(たばし)りつきての走りつきてとは「……と結ばれて」または「……と関連し、参照されて」の意となります。
成りませる神の名は、石柝(いはさく)の神
五十音図を分析して先ず分ったのは石柝(いはさく)の神ということです。石柝とは五葉裂(いはさ)くの意。五十音図が縦にアオウエイの五段階の界層に分かれていることが分った、という事であります。即ち人間の心が住む精神宇宙は五つの次元が畳(たたな)わっている状態の構造であることを確認したのでした。人間の精神に関係する一切のものはこの五つの次元宇宙から表れ出て来ます。これ以外のものは存在しません。「五葉裂く」の道理は人類の宗教・哲学の基本です。
この五つの次元の道理を世間の人々の会話の中で観察すると、そこに顕著な相違があることに気付きます。先ず言霊ウの次元に住む人同士の会話は、その各々の人がある物事について語り合う場合、各自の経験した事柄をその起った時から終るまで順序通りに羅列するように、一つの省略もなく喋(しゃべ)ります。従って会話は長くなります。若い者同士の電話の会話はその典型です。言霊オの次元に住む人の会話には抽象的概念の用語がやたらと飛び出します。所謂「〇〇的」という言葉です。社会主義新聞の論説はその良い例であります。次に言霊アの次元に於ては詩や歌が、言霊エの次元では「何々すべし」の至上命令が典型となります。言霊イの次元に住む人の口からは、言霊が、または他の四次元ウオアエの次元に住む人々それぞれの心に合わせた自由自在の言葉が出て来ます。以上、人間の心の進化の順序に従ってそれぞれの次元の会話の特徴についてお話しました。その人の会話を聞いていると、その人の心が住む次元が良く分って来ます。但し自分の心が住む次元より高い次元の話の識別は出来ません。識別出来るのは自らの心の次元以下の人についてのみであることを知らねばなりません。
社会で使われる用語の中からいくつかを石柝(いはさく)の道理によって分類した表を左に図示します。(小笠原孝次氏著「言霊百神」より引用)
次に根柝(ねさく)の神
根柝(ねさく)は根裂(ねさ)くの事です。今検討している音図は菅曽音図のことで、母音がアオウエイと縦に並びます。その五母音の一番下は言霊イであり、五母音を一本の木と見れば根に当ります。その根の五十音の列は言霊イとヰの間に八つの父韻が横に並んでいます。その根を裂けば、八つの父韻の並び方の順序と、その順序に示されるように母音に始まり、半母音に終る現象の移り方がより確認されます。
次に石筒(いはつつ)の男の神
石筒は五葉筒(いはつつ)または五十葉筒の意です。五十音図は縦に五母音、五半母音または五つの子音が並び、これが順序よく人の心の変化・進展の相を示しています。また五十葉筒と解釈すれば、五十音図が縦に横に同様に変化・進展する相を知ることが出来ます。筒とはその変化・進展の相が一つのチャンネルの如く続いて連なっている様子を表わします。石筒の男の神の男(を)の字が附いているのは、その変化・進展の相が確認出来る働きを示すの意であります。
次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、甕速日(みかはやひ)の神。
御刀の「前(さき)」から今度は「本(もと)」と五十音図表の整理・検討の段階が進展して来た事を示しています。始めに五十個の言霊を整理し、並べて和久産巣日の神なる音図、即ち菅曽音図を手にしました。次にその初歩的な菅曽音図を分析することによって五十音言霊自体で構成されている人間精神の構造を確認する作業が進んでいます。その人間の精神構造である道理(血)が「湯津石村に走り着きて」即ち五十音言霊図に参照されて、確認されましたのが甕速日の神という事であります。
甕速日の甕(みか)とは五十個の言霊を粘土板に刻んで素焼きにした五十音図の事です。速日の日は言霊、速とは一目で分るようにする事の意。甕速日全体で五十音言霊図全体の内容・意味が一目で分るようになっている事の確認という事です。音図の内容の確認には大きく別けて二通りがあります。一つは静的状態の観察です。五十音言霊がその音図全体で何を表現しているか、を知ることです。どういう事かと申しますと、この五十音言霊図は菅曽音図か、金木音図か、または……と、この五十個の言霊が音図に集められて、全体で何が分るか、ということの確認です。これを静的観察と言います。
次に樋速日(みかはやひ)の神
樋(ひ)速日の樋(ひ)とは水を流す道具です。この事から樋速日とは言霊(日)が一目で(速)どういう変化・進展の相を示しているか、が分ることの確認という意となります。五十音言霊図では母音五つからそれぞれの半母音に渡す子音の実相の動き・変化の流れが一目で確認出来る事を言います。甕速日の静に対して、樋速日は動的な変化の確認という事が出来ます。
ここで速日(はやひ)なる言葉が出て来ましたが、同様の意味の言葉に「早振り」があります。言霊の立場で物事を見ますと、その性状や内容が一目で分ることを言います。枕詞の「千早振る」も同様であります。
次に建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。
建御雷の建(たけ)とは田気(たけ)の意です。田とは五十音言霊図のことで、その気(け)ですから言霊を指します。雷(いかづち)とは五十神土(いかつち)の意で、五十音を粘土板に刻んだものです。自然現象としての雷は、天に稲妻(いなづま)が光るとゴロゴロと雷鳴が轟(とどろ)きます。同様に人間の言葉も精神の先天構造が活動を起すと、言葉という現象が起こります。言葉は神鳴りです。この神鳴りには五十個の要素と五十通りの基本的変化があります。この五十の要素の言霊と五十通りの変化の相とを整理・点検して最初に和久産巣日という五十音図(天津菅曽音図)にまとめました。次にその音図を十拳剣という主体の判断力で分析・検討して行き、石柝(いはさく)、根柝(ねさく)、石筒(いはつつ)の男と検討が進展し、甕速日(みかはやひ)という心の静的構造と樋速日という心の動的構造が明らかにされました。その結果として五十音言霊によって組織された人間の心の理想の構造が点検の主体である伊耶那岐の命の心の中に完成・自覚されたのであります。この精神構造を建御雷の男の神と言います。
人間精神の理想として建御雷の男の神という五十音図を自覚しました。これを建御雷の神と書かず、下に「男の神」と附したのは何故なのでしょうか。初め伊耶那岐の命は妻神伊耶那美の命と共同で三十二の子音を生みます。それを粘土板に書いて火の迦具土の神という神代表音文字に表わしました。そこで伊耶那美の命の客体としての高天原の仕事は終り、美の命は高天原から客観世界の予母津国に去って行き、残る五十音の整理・検討は主体である岐の命の仕事となります。そこで整理作業によって最初に得た菅曽音図を主体の判断力である十拳剣で分析・点検して人間精神の最高理想構造である建御雷の男の神という音図の自覚を得ました。しかし人間の心の理想構造の自覚と申しましても、それは飽くまで主体である伊耶那岐の命の側に自覚された真理であって、何時の時代、何処の場所、如何なる物事に適用しても通用するという客観的證明をまだ経たものではありません。主観内のみの真理であります。その事を明示するために、太安万侶はこの自覚構造に建御雷の男の神と男の字を附けたのであります。
またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。
建布都(たけふつ)の建は田(た)(言霊図)の気(け)で言霊の事。布都(ふつ)とは都(みやこ)を布(し)くの意。都とは言霊を以て組織した最高の精神構造、またはその精神によって文明創造の政治・教育を司る教庁の事でもあります。豊布都の豊(とよ)は十四(とよ)で、先天構造原理をいいます。そこで建布都とは言霊を以て、豊布都は言霊の先天構造原理を以て組織された最高の人間精神の事であり、建御雷の男の神と同意義であります。建布都・豊布都は奈良県天理市の石土(いそのかみ)神宮に伝わる十種(とくさ)の神宝(かむたから)の中の神剣の名でもあります。
その173
次に御刀の手上(たがみ)に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、闇淤加美(くらおかみ)の神。次に闇御津羽(くらみつは)の神。
伊耶那岐・美の二神は共同で三十二の子音を生み、次に父母子音言霊四十九個を粘土板上に神代表音文字として刻み、素焼にして五十番目の言霊ンを得ました。子種がなくなった伊耶那美の命はここで高天原での役目を終え、客観世界である予母津(よもつ)国に去って行きます。主観である伊耶那岐の命はこれより言霊五十音を刻んだ埴土(はに)を整理する作業を進め、先ず最初に和久産巣日(わくむすび)の神なる五十音図(菅曽[すがそ]音図)にまとめました。次に岐の命は和久産巣日の神とまとまった五十音図で示される人間の精神構造を十拳剣で分析・総合することによって社会を創造するための理想の精神構造を主体的に自覚いたしました。この主体内にて自覚された理想の精神構造を建御雷(たけみかつち)の男(を)の神と言います。次に岐の命はこの建御雷の男の神の活用法の検討に入ることとなります。
伊耶那岐の命の人間精神構造の検討の仕事が、初めに剣の「前(さき)」から「本」となり、此処では「御刀の手上(たがみ)」となり、検討の作業が進展して来た事を物語ります。ただ「前」と「本」とが「湯津石村に走りつきて」とありますのが、「手俣より漏き出て成りませる」と変わっているのは何故でしょうか。その理由は成り出でます神名闇淤加美の神、闇御津羽の神に関係しております。これについて説明いたします。
伊耶那岐の命は菅曽音図の頚(くび)を斬り、人間の精神構造を検討するのに十拳剣を用いました。それはア・タカマハラナヤサ・ワの十数による分析・検討であります。この様に言霊によって示される構造を数の概念を以て検討する時、この数を数霊と言います。この十の数霊(かずたま)による検討は左右の手の指の操作で行う事が出来、その操作を御手繰(みてぐり)と呼びます。指を一本づつ「一、二、三、四……」と握ったり、「十、九、八、七……」と起したりする方法です。「御刀の手上(たがみ)に集まる血、手俣より漏き出て……」とありますのは、以上の御手繰りによる数霊の操作を表わしたものなのであります。太安万侶の機智の素晴らしさが窺える所であります。
御手繰りの操作に二通りがあります。開いた十本の指を一つ二つと次々に折り、握って行く事、それによって宇宙に於ける一切の現象の道理を一つ二つと理解して行き、指十本を握り終った時、その現象の法則をすべて把握した事になります。この道理の把握の操作を闇淤加美(くらおかみ)と言います。十本の指を順に繰って(暗[くら])噛(か)み合わせる(淤加美[おかみ])の意です。そして十本の指全部を握った姿を昔幣(にぎて)と呼びました。握手(にぎて)の意です。また物事の道理一切を掌握した形、即ち調和の姿でありますので、和幣(にぎて)とも書きました。紙に印刷した金のことを紙幣と言います。金は世の中の物の価値の一切を掌握したものであるからであります。また昔、子供はお金の事を「握々(にぎにぎ)」と呼んだ時代がありました。
御手繰のもう一つの操作の仕方を闇御津羽と言います。闇淤加美(くらみづは)とは反対に、握った十本の指を順に一本ずつ「十、九、八、七……」と順に起して行く操作です。指十本を闇淤加美として掌握した物事の道理を、今度は指を一本々々順に起して行き、現実世界に適用・活用して、第一条……、第二条……と規律として、また法律として社会の掟(おきて)を制定する事であります。掟とは起手の意味です。闇御津羽とは言霊を指を一本々々起して行く様に繰って(闇)鳥の尾羽が広がるように(羽)、その把握した道理の自覚の力(御津・御稜威[みいず])を活用・発展させて行く事の意であります。
伊耶那岐の命は人間の精神構造を表わす埴土(はに)に刻んだ五十音言霊図を十拳剣で分析・検討することによって、主体内自覚としての理想の精神構造である建御雷の男の神を得ました。その構造原理を更に数霊を以て操作して、その誤りない活用法、闇淤加美、闇御津羽の方法を発見しました。五十音言霊による人間精神構造と数霊によるその原理の活用法を完成し、人間の精神宇宙内の一切の事物の構造とその動きを掌握し、更にその活用法を自覚することが出来たのであります。言霊と数霊による現象の道理の把握に優る物事の掌握の方法はありません。伊耶那岐の命の心中に於ける物事の一切の道理の主体的自覚は此処に於て完成した事となります。
奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮に伝わる言葉に「一二三四五六七八九十(ひふみよいむなやこと)と唱えて、これに玉を結べ」とあります。玉とは言霊のこと。言霊を数霊を以て活用することが、この世の一切の現象の把握の最良の理法であることを教えております。
大島またの名は大多麻流別(おおたまるわけ)
以上、石柝の神、根柝の神、石筒の男の神、甕速日の神、桶速日の神、建御雷の男の神、闇淤加美の神、闇御津羽の神の八神の宇宙に占める区分を大島と呼びます。大いなる価値のある区分と言った意味です。人間の心を示す五十音言霊図を分析・検討して、終に自己主観内に於てではありますが、建御雷の男の神という理想構造に到達することが出来、その理想構造を活用する方法である闇淤加美・闇御津羽という真実の把握とその応用発揚の手順をも発見・自覚することが出来ました。言霊学上の大いなる価値を手にした区分と言えましょう。またの名は大いなる(大)言霊(多麻[たま])の力を発揚する(流[る])区分(別[わけ])という事になります。
古事記の文章を先に進めることにしましょう。
殺さえたまひし迦具土の神の頭に成りませる神の名は、正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。次に胸に成りませる神の名は、淤縢(おど)山津見の神。次に腹に成りませる神の名は、奥(おく)山津見の神。次に陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。次に左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。次に右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。次に左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。次に右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。
先に伊耶那岐の命は五十音言霊によって構成された迦具土の神を十拳剣で分析・検討して、斬った主体側の真理として建御雷の男の神という人間精神の理想構造を自覚いたしました。今度は十拳剣で斬られて殺された客体である迦具土の神からは何が生まれ出て来るのでしょうか。迦具土の神とは言霊五十音を粘土板に彫り刻んだ神代表音文字の事でありますから、斬られる客体である迦具土の神から表われるのは神代表音文字の原理・道理の事であります。言い換えますと、一つ一つの表音神代文字が言霊の原理の中のどの部分を強調し、どの様な表現を目的として作られたか、の分析・検討であります。
古事記の子音創生の所で説明されました大山津見の神は言霊ハ、即ち言葉の事でありました。大山津見の山とは八間のことで、図形で表わされる八つの父韻の活動する図式であり、この父韻の活動によって言葉が現われて来ました。山津見とは八間の原理から(山)出て来て(津)形となって現われたもの(見)の意でありました。大山津見の神は言霊ハとして言葉を意味しますが、ここに登場する八つの山津見の神は、言葉を更に文字に表わしたものの謂であります。その神代表音文字の作り方に古事記は代表的なものとして八種の文字原理を挙げております。ここに登場します正鹿山津見、淤縢山津見、奥山津見、闇山津見、志芸山津見、羽山津見、原山津見、戸山津見の八神がそれであります。
竹内古文献等の古文書、または神社、仏閣に伝わる日本の古代文字を調べますと、六十種類以上の神代表音文字が存在すると伝えられています。また奈良県天理市の石上神宮に伝わる十種(とくさ)の神宝(かむたから)の中の蛇の比札(ひれ)・百足(むかで)の比札・蜂の比札・種々物(くさぐさもの)の比札といわれるものは明らかに古代表音文字であります。比札とは霊顕(ひれ)とも書き、霊(ひ)は言霊であり、顕(れ)は現われるで文字である事を示しています。ただこれ等数十種類の神代文字が、古事記に示される八種の山津見の神の文字作成法の何(いず)れに属するものなのか、の研究が進んでいません。言霊学研究の先輩である山腰明将氏、小笠原孝次氏と継承された古代文字に関する見解を踏襲してお伝えいたしますが、今回は簡単な図表形式にして示しました。詳しくは「古事記と言霊」の中の「神代文字の原理」をお読み下さい。尚、石上神宮の十種の神宝の中の四種類の比札(文字)は同書171頁を参照下さい。
古事記神名
体の部分
文字の作り方
正鹿山津見
頭・神知(かし)ら
正鹿(まさか)は真性。言霊原理がそのまま表現される文字の作り方。龍形文字
淤縢山津見
胸・息を出す所
言葉を発声する法則に基づく文字構成法
奥山津見
腹・音図上
奥はオを繰(お)る。音図上の文字が調和するような文字の作り方
闇山津見
陰(ほと)・子が生まれる所
闇は繰る。言葉が文字となる原理がよく分る文字の作り方
志芸山津見
左の手・霊足り(全体)主眼
志芸(しぎ)は五十音言霊。文字の書き方に書き方をおく文字構成法
羽山津見
右の手・身切り(部分)
羽は言葉。言霊の一つ一つの内容を強調する文字の作り方
原山津見
左の足・運用法
原は言霊図。言霊図全体の運用法が分るような文字構成法
戸山津見
右の足
言霊図の十列の区別がよく分るような文字構成法
女島(ひめしま)又の名は天一根(あめひとつね)
以上の八つの神代表音文字の構成原理が人間の心の宇宙の中に占める区分を女島(ひめしま)と言います。女島の女(ひめ)は女(おんな)と呼び、即ち音名であり、それは文字の事となります。また文字には言葉が秘められています。即ち女(ひめ)島であります。またの名、天一根(あめひとつね)とは、神代文字はすべて火の迦具土の神という言霊ンから現われ出たものでありますので言霊(天)の一つの音でそう呼ばれます。
かれ斬りたまへる刀(たち)の名は天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。
迦具土の神の頚(くび)を十拳剣で斬り、斬る主体である伊耶那岐の命の側に建御雷の男の神という人間精神理想の構造原理が自覚され、また斬られた客体側に神代表音文字の八種の構成原理が発見されました。尾羽張(おはばり)とは鳥の尾羽が末広がりになる姿で、この十拳剣を活用すれば人間社会の文明は彌栄(いやさか)に発展する事が可能となります。その為にこの十拳剣の判断力(分析・総合)に天の尾羽張り、またの名伊都の尾羽張の名が付けられのであります。天(あめ)とは先天または天与の意であり、伊都(いつ)とは御稜威(みいず)の意であります。御稜威とは力または権威という事です。
この尾羽張の剣の判断力の活用は古来全世界の神話・宗教書に書かれました。ギリシア神話にオリオン星座(Orion, Oharion)が取上げられています。この星座の十字形が時間と空間を縦横に斬る十拳剣の分析と総合の人間天与の判断力の活用の象徴として説かれています。また旧約聖書のヨブ記に同様の記述があります。「ヱホバ大風の中よりヨブに答えて宣(のた)まはく、……なんじ昴宿[ぼうしゅく](スバル星)の鏈索(くさり)を結び得るや。参宿[さんじゅく](オリオン)の繋縄(つなぎ)を解き得るや。なんじ十二宮をその時にしたがひて引いだし得るや。また北斗とその子星を導き得るや。……」私は初めてこの聖書の文章に出合った時、宗教で謂う救世主(ヨブはイエス・キリスト以前のキリストと呼ばれます)は記述の如き超能力の持主なのか、と思ったものでした。言霊布斗麻邇の学に出合うに及び、この様な神話や宗教書の中の文章がすべて太古に世界に流布されていた言霊学の心と言葉の原理に基づく記述であることを知り、神と人間との関係という問題を解決する事が出来のであります。
その174
古事記の文章が「黄泉国」の章に入ります。
ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。
伊耶那岐の命が自身の精神領域である高天原から外へ出て行き、黄泉国(よみのくに)(黄泉国・予母津国(よもつくに)などとも書きます)という他の領域を初体験するという「黄泉国」の章と、これに続く「禊祓」の章にて古事記神話はクライマックスを迎えることとなります。この章を迎えるまでに、「古事記と言霊」講座は十四回開かれた事となります。毎月一回、十四ヶ月にわたる講話でありますので、それを文章でお読み下さる方には、ともすると古事記神話が始めから終りまで筋道が一貫している言霊布斗麻邇の学問の話なのであるという事をお忘れになるのではないか、という心配が御座います。そこで古事記神話のクライマックスに入る前に、今までの十四回の講座を簡単に振返ってみることとします。
古事記は初めに「天地の初発(はじめ)の時、高天原に成りませる神の名は、……」と書き出されます。この「天地の初発の時」とは、私たちが客体として見る天と地、宇宙空間のことではなく、これら対象を見る主体である私達の心のことを言っているのだ、という事を申しました。外観として見る宇宙がただ一つであると同様に、それを見る心の広がり(宇宙)もただ一つなのだ、という事も説明しました。そしてその心の宇宙の中に天之御中主の神を始めとして豊雲野(とよくもの)の神まで、言霊母音・半母音の宇宙、ウアワオエヲヱを示す七神が成り出でます。次に宇比地邇(うひぢに)の神より妹阿夜訶志古泥(いもあやかしこね)の神まで、母音と半母音宇宙を結んで現象子音を生み出す人間智性の根本性能である言霊父韻チイキミシリヒニを示す八神が現われます。次に母音・半母音でありながら、上述の母音七音、父韻八音計十五音を総合・統轄する二神、伊耶那岐の神・伊耶那美の神、言霊親音イ・ヰが現われます。以上合計十七神、十七言霊が「天地の初発の時」と言われる人間の心の先天構造(意識で捉えることの出来ない人間精神の先験部分)を構成する精神要素の事であります。これ等十七神が登場する文章には何らの物語的な叙述はありません。何故なら、十七神は先天構造を構成する言霊の存在を示すもので、この世に生れて来る人間なら誰しもが生まれながらに授かっている精神要素であり、この要素の働きによって天地間の現象のすべてが生れますが、その十七要素自体は人間という種が存する限り、永遠に変わることのない人間の根本の精神構造でありまして、「何故そうなっているか」の思惟が通用し得ない領域の存在と性能であるからです。言い換えますと、人はこれに関して「そうか」と肯定し、覚えるより他には対応の出来ぬものなのだ、という事であります。
次にこれら先天構造の十七神・十七言霊が活動を始め、その代表である伊耶那岐、伊耶那美の命が先天構造から後天現象の世界である淤能碁呂島(おのころじま)(自れの心の島)に下り立って、後天現象の究極要素である言霊子音を示す三十二の神々(大事忍男(おほことおしを)の神・言霊タより大宜都比売の神(おほげつひめ)・言霊コまで)を生みます。
次に伊耶那岐・美の二神は先天十七、後天三十二の合計四十九音の言霊を粘土板上に書き、彫り刻んで神代表音文字・言霊ンを示す火の迦具土(ほのかぐつち)の神を生みます。此処で夫神伊耶那岐の神と協同で三十三の子音言霊を生み終えた伊耶那美の神は子種が無くなり、高天原の仕事を成し遂げましたので、本来の領域である客観世界の文明創造の主宰神となって黄泉国(よもつくに)に去って行きます。
主体世界の責任者である伊耶那岐の命は、一人で言霊五十音の整理・活用法の検討に入ります。そして先ず最初の整理(金山毘古(かなやまひこ)の神より和久産巣日(わくむすび)の神までの操作の方法)によって最も初歩的な五十音整理の音図である和久産巣日の神を手に入れます。この音図は人間が生れながらに授かっている心の構成図である天津菅麻(すがそ)音図であります。
更に伊耶那岐の命(神)は右の菅麻音図を土台として整理・活用法の検討を進め、表音文字の五十音表(迦具土の神)の頚(くび)を十拳の剣で斬り、斬った十拳の剣である主体側の心の構造を検討・確認する作業(石柝(いはさく)の神より桶速日の神まで)によって人類文明創造のための最も理想の精神構造図を示す建御雷(たけみかづち)の男(を)の神を手にいたします。人間が自己の主体内に自覚した最高の精神原理の事であります。
伊耶那岐の命は更にこの主体内に自覚された建御雷の男の神という言霊原理を数霊(かずたま)によって運用する二つの方法、闇淤加美(くらおかみ)の神、闇御津羽(くらみつは)の神の手法も確立することが出来ました。建御雷の男の神という言霊原理をこの二つの手法を以って運用するならば、物事の実相の把握と、その把握した法則を掟として、制度として実践・活用し得る事を自覚したのであります。ここに於て、五十音言霊の原理の把握とその実践・活用の方法は、少なくとも人間精神の主体的真理としては確立された事となります。
更に伊耶那岐の命は、迦具土の神という五十音図表の検討に於て、神代表音文字を作成する八種類の方法(八山津見の神)をも発見することが出来ました。この様に五十音言霊図を縦横に分析・総合して、自由に文明を創造して行く判断力(十拳の剣)に天の尾羽張の名を附けたのであります。
以上、過去十四回の「古事記と言霊」講座によって明らかにされました言霊の学問の概要であります。古事記神話に基づく言霊学の話は、此処で大きく転回し、これまでに確立された主体内真理としての言霊原理が、広く世界の人類文明創造の真理として通用するか、否か、の実験・検討という古事記神話のドラマのクライマックスに突入して行く事となります。この大きな実験とその探究によってアイエオウ五十音言霊布斗麻邇の原理が世界人類の文明創造の原器として、またその任に当る天津日嗣スメラミコトの体得すべき大原理として確立し、今に伝わる三種の神器の根本内容の学問として人間精神の自覚に確立される事となります。この自覚に立った伊耶那岐の命は、この主体内の真理が人類文明の中の如何なる文化内容をも摂取して誤りなく歴史創造の糧として生かす事が出来るか、言い換えますと、自己主観内の真理を客観世界に運用しても誤りのない、主観と同時に客観的真理として通用し得るか、の検討の作業に入って行く事となります。以下、古事記の文章の順に従って説明してまいります。
ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。
文章をそのまま解釈しますと「伊耶那岐の命は、先に高天原の仕事を終え、本来の自らの領域である客観世界の国である黄泉国(よもつくに)に去って行った伊耶那美の命に会いたいと思い、高天原から黄泉国に伊耶那美の命を追って出て行きました」という事になります。けれど事の内容はそう簡単なものではありません。伊耶那岐・美の二神は共同で言霊子音を生み、生み終えた伊耶那美の命は客観的文明世界建設のため黄泉国に去って行きます。伊耶那岐の命は唯一人で五十音言霊の整理・運用の方法を検討し、終に自らの主観内に於てではありますが、人類文明創造の最高原理である建御雷の男の神という精神構造を発見・自覚することが出来ました。さてここで、伊耶那岐の命は自分の主観の中に自覚した創造原理を客観世界の文化に適用して、誤りなくその文化を人類文明に摂取し、創造の糧として生かす事が出来るか、を確認しなければなりません。その事によってのみ建御雷の男の神という主観内真理が、主観内真理であると同時に客観的真理でもある事が證明されます。以上の意図を以て岐の命は黄泉国に美の命を追って出て行く事となります。
この文章に黄泉国(よみのくに、よもつくに)の言葉が出て来ました。古事記の中にも上記の二つの読み方が出て来ます。特にその欄外の訳注に「地下にありとされる空想上の世界」(角川書店)とか、「地下にある死者の住む国で穢れた所とされている」(岩波書店)と書かれています。また「黄泉の文字は漢文からくる」ともあります。すべては古事記神話の真意を知らない人の誤った解釈であります。黄泉(こうせん)の言葉は仏教の死後の国の事で、古神道布斗麻邇が隠没した後に、仏教の影響でその様な解釈になったものと思われます。また「よもつくに」を予母都国、または四方津国と書くこともあります。予母都国と書けば予(あらかじ)めの母なる都の国と読めます。人類一切の諸文化は日本以外の国で起り、その諸文化を摂取して、言霊原理の鏡に照し合わせて人類全体の文明として取り入れ、所を得しめるのが昔の高天原日本の使命でありました。四方津国と書けば、その日本から四方に広がっている外国という事となります。また外国は人類文明に摂取される前の、予めなる文化の生れる母なる都、という訳であります。
ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、
縢戸をくみど、とざしど、さしどなどとの読み方があります。また殿の騰戸とする写本もあります。この場合はあげど、あがりどと読むこととなります。縢戸と読めば閉った戸の意であり、高天原と黄泉国とを隔てる戸の意となります。騰戸と読めば、風呂に入り、終って上って来る時に浴びる湯を「上り湯」という事から、別の意味が出て来ます。
殿とは「との」または「あらか」とも読みます。御殿(みあらか)または神殿の事で、言霊学から言えば五十音図表を示します。五十音図では向って右の母音から事は始まり、八つの父韻を経て、最左側の半母音で結論となります。すると、事が「上る」というのは半母音に於てという事となり、騰戸(あがりど)とは五十音図の半母音よりという事と解釈されます。高天原より客体である黄泉に出て行くには、半母音ワ行より、という事が出来ます。騰戸(あがりど)と読むのが適当という事となりましょう。
伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。
伊耶那岐の命は伊耶那美の命に語りかけました。「愛する妻神よ、私と貴方が力を合わせて作って来た国がまだ作りおえたわけではありません。これからも一緒に仕事をするために帰って来てはくれませんか。」岐美の二命は共同で言霊子音を生み、次に岐の命は一人で五十音言霊の整理・運用法を検討し、建御雷の男の神という文明創造の主観原理を確認しました。この主観内原理が客観的にも真理である事が確認された暁には、また岐美二神は力を合わせて人類文明を創造して行く事が出来る筈です。ですから帰ってきて下さい、という訳であります。
ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と 論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、
伊耶那美の命は答えました。「残念な事です。お別れして直ぐに尋ねて来て下さいませんでした。その間に私は自分の責任領域である外国の客観世界の学問や言葉を覚えてしまいました。けれど愛する貴方様がわざわざ来て下さった事は恐れ多い事ではあります。ですから帰ることにしましょう。しかし、その前に外国の学問や文字の神々と将来の事を相談しなければなりません。その間私の姿を見ないで下さいね」と。黄泉国の学問・文化はまだその頃は研究が始まったばかりで、はっきりした成果があがっていない事を伊耶那美の命は恥ずかしく思い、姿を見ないで下さい、と言ったのであります。
かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。
そう言って伊耶那美の命はその責任領域である客観世界に還って行きましたが中々出て来ません。伊耶那岐の命は待ち草臥(くたび)れてしまいました。客観的物質文明はこの揺籃時代より今日まで、その建設に四・五千年を要した事を考えますと、岐の命が待ち草臥れた、という事も頷かれます。
かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、
髻(みづら)とは古代の男の髪の形の一種で、頭髪を左右に分けて耳の辺りで輪にします。湯津爪櫛とは前出の湯津石村と同じで、湯津とは五百箇(いはつ)の意であります。五数を基調とした百箇の意。爪櫛(つまぐし)とは髪(かみ)(神・五十音言霊)を櫛(くし)けずる道具です。五十音図は櫛の形をしています。そこで湯津爪櫛の全体で五十音言霊図の意となります。男柱とは櫛を言霊図に喩えた時の向って一番右側の五母音の並び、言霊アオウエイの事であります。その一箇(ひとつ)ですから五つの母音の中の一つの事を指します。妻神伊耶那美の命恋(こい)し、と思う心なら言霊アであり、黄泉国の様子に好奇心を持ってなら言霊オとなりましょう。その一つの心でもって黄泉国の中に入って行って、その国の客観的世界の有様をのぞき見たのであります。
蛆たかれころろぎて、
伊耶那岐の命が黄泉国の中をのぞいて見ると、伊耶那美の命の身体には蛆(うじ)が沢山たかっていた、という事です。蛆(うじ)とは言霊ウの字の事を指します。言霊ウの性能である人間の五官感覚に基づく欲望の所産である種々の文化の事を謂います。この頃の客観世界の物質文化はまだそれ程発達しておらず、高天原の精神文化程整然としたものではなかったのです。その雑多の物質科学の研究の自己主張が伊耶那美の命にたかり附いて、音をたてていた、という事であります。「ころろきて」とは辞書に「喉(のど)がコロコロと鳴る様」とあります。
頭(かしら)には 大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。
雷神(いかづちかみ)とは、五十神である五十音言霊を粘土板に刻んで素焼にしたもの、と前に説明した事がありましたが、ここに出る雷神は八種の神代表音文字である山津見の神のことではなく、黄泉国外国の種々雑多な言葉・文字の事であります。高天原から黄泉国に来て暫く日が経ちましたので、伊耶那美の命の心身には外国の物の考え方、言葉や文字の文化が浸みこんでしまって、そのそれぞれの統制のない自己主張の声が轟(とどろ)き渡っていた、という事であります。ここに出ます黒雷より伏雷までの八雷神は黄泉国の言葉と文字の作成の方法のことで、言霊百神の数には入りません。
その175
古事記の神話のクライマックスである文章を先に進めます。
ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。
かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いふや)坂といふ。
先月号にて解説しました古事記の文章「ここにその妹伊耶那美の命を相見ましくおもほして、黄泉国に追ひ往でましき。……」より、今取り上げました「出雲の国の伊織夜坂といふ」までが、伊耶那岐の命が自らの主体内真理の自覚である建御雷の男の神という精神構造を、主体であると同時に客体的にも真理である事を證明するために、高天原から黄泉国に出て行き、其処で伊耶那美の命の主宰する黄泉国の整理されていない諸文化を体験し、その騒々しさに驚いて高天原に逃げ帰るまでの話であります。
以上の高天原の精神文明と黄泉国の物質文明との関係、伊耶那岐の命と伊耶那美の命との交渉という経緯を、古事記は物語的に「黄泉国」と題して叙述し、次にその経緯を純粋に言霊学による検討として「禊祓」と題して原理的に解明し、それによってアイエオウの言霊五十音布斗麻邇の学問の総結論を導き出して行くのであります。この作業によって人間の心の全構造とその運用法の全体が残る処なく解明され、三種の神器の学問体系が確立されます。以上順を追って解説して参ります。
ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、
伊耶那美の命の身体に「蛆たかれころろぎて」という、黄泉国の国中に物質文化の発明の主張が我先に自己主張している乱雑さに驚いて、伊耶那岐の命は高天原に逃げ帰ろうとしました。ただ単に逃げ帰るのではなく、黄泉国での体験を基にして、如何にしたらその文化を高天原の建御雷の男の神という精神内原理で吸収し、世界人類の文明として生かして行く事が出来るか、を思考しながら帰って行ったのであります。主体内原理を適用して、それが客体的にも通用する絶対の真理となる為の検討をしながら帰還の道を急いだのです。
その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。
「我をな視たまひそ」と言って伊耶那美の命は黄泉国の殿内に入りました。けれど伊耶那岐の命は待ち草臥(くたび)れて中を覗(のぞ)いて見てしまいましたので、伊耶那美の命は怒って「私に辱(はじ)をかかせましたね」と言って、黄泉醜女(しこめ)に後を追わせたのであります。醜女とは醜(みにく)い女、また女とは男の言葉に対して女は文字を表わします。黄泉醜女で黄泉国の合理的とは言えない文字の原理を意味します。美の命は黄泉国の文字の文化で岐の命を誘惑しようとした訳であります。
ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。
縵(かづら)は鬘(かづら)とも書き、鬘(かつら)とは書き連ねるの意であり、また頭にかぶせる事から、五十音図の上段であるア段の横の列の事を指します。黒御縵の黒は白に対する色で、白は陽で、主体側の父韻タカサハを表わし、黒は陰で、客体側のヤマラナの事となります。主体側は問いかけ、客体側はその問に答える事でありますから、黒御縵全体で、五十音図の上段の客体側の列のこと、即ち物事や現象を精神である主体から見た時の結論という事となります。伊耶那岐の命は黄泉醜女の誘惑に対して、精神から物事を見た時の結論を投げ与えてやった、という訳であります。すると蒲子(えびかづら)が生(は)えた、といいます。蒲子(えぴかづら)とはエ(智恵)の霊(ひ)(言霊)を書き連ねたもの、の意であります。現象を観察・研究するのに有用な精神原理の事であります。尚、蒲子とは山葡萄(やまぶどう)の事です。
こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。
「これはよい物がある」と、黄泉醜女が拾って自分のものにしようとしている間に伊耶那岐の命は高天原への帰還の道を急ぎました。醜女は尚追って来ましたので、岐の命は右の御髻(みみづら)に刺した湯津爪櫛を投げ棄(す)てましたところ、筍(たけのこ)が生えました。御髻とは以前にも出ましたが、頭髪を左右に分け、耳の所で輪に巻いたものです。顔を五十音言霊図に喩えますと、右の御髻は五十音図の向って左の五半母音の並びとなります。そこに刺している湯津爪櫛と言えば、湯津とは五百箇(いはつ)の意で、五を基調とした百音図のことで、また爪櫛とは髪(かみ)(神・言霊)を櫛(くしけずる)もので、湯津爪櫛全部で五十音言霊の原理となります。左の御髻は五母音であり、主体であり、物事の始めです。反対に右の御髻は五半母音であり、客体であり、物事の終りであり、結果・結論を意味します。そこで右の御髻に刺した湯津爪櫛を投げたという事は、伊耶那岐の命は醜女に言霊原理から見た時の客観世界の現象の結論を投げ与えた、という事になります。すると筍が生えました。笋(たかむな)とは田の神(か)(言霊)によって結(むす)ばれた現象の名という事で言霊より見た物事の現象の原理と同意義となります。筍(たけのこ)と読んでも同様であります。
実際に人類史上、物質科学研究が起こった初期の頃は、精神の原理を物質研究に当てはめた方法が用いられました。今に遺る天文学・幾何学・東洋医学等を見れば了解出来ましょう。また日本の一部で伝えられているカタカムナの学問も同様の事であります。伊耶那岐の命が「右の御髻に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄てた」という精神原理から見た物質現象の結論を黄泉醜女が取り入れて研究した、と解釈しますと、その消息が理解されます。
こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。
笋を抜いて食べている間に伊耶那岐の命は高天原への道を急ぎました。すると伊耶那美の命は黄泉国の文字を作る八種の原理に千五百の黄泉国の軍隊を加えて伊耶那岐の命を追わせました。八くさの雷神とは黄泉国の言葉を文字に表わす八種類の文字の作成法のことです。千五百の黄泉軍(よもついくさ)とは、先に千五百人の黄泉国の軍隊と書きましたが、それは古事記の文章の直訳で、実際では全く違ったものであります。三千を「みち」即ち道と取りますと、千五百はその半分です。三千の道の中で、その半分は精神の道、残りの半分は物質の現象を研究する道の事となります。また千五百(ちいほ)の五百(いほ)は五数を基調とする百の道理の意でもあります。五数を基調とする道理となりますと、主として東洋の物の考え方が考えられます。例えば、儒教の五行、印度哲学の五大もそうです。としますと、八くさの雷神と千五百の黄泉軍という事は西洋と東洋の物の考え方、即ち高天原日本以外の世界の思想のすべてという事となりましょう。その世界中の物の考え方が伊耶那岐の命を虜(とりこ)にしようとして追いかけて来たというわけであります。
ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、
世界中の客観的現象の研究の考え方が誘惑しようとして追って来ましたので、伊耶那岐の命は十拳の剣を抜いて後向きに振りながら逃げて来ました。十拳の剣とは、前にも出ましたが、物事を十数を基調として分析・総合する天与の判断力の事であります。この判断力を前手(まえで)に振ると、一つの原理から推論の分野を広げて行き「一二三四五……」と次々に関連する現象の法則を発見して行く、所謂哲学でいう演繹的(えんえき)思考の事です。伊耶那岐の命は十拳の剣を後手(しりへで)に振ったのですから、その反対に、物事の幾多の現象を観察し、そこに働く法則を見極め、それ等の法則が最終的に如何なる大法則から生み出されて行ったものであるか、演繹法とは逆に「十九八七六五……」と大元の法則に還元して行く、哲学で謂う帰納法の思考のことであります。伊耶那岐の命は十拳の剣を後手に振る思考作業によって、黄泉国の客観的に物事を見る種々の文化・主義・主張を観察し、その実相と法則を五十音言霊で示されるどの部分を担当すべき研究であるか、を見定め、それによって黄泉国の文化のそれぞれを人類文明創造のための糧(かて)として生かす事が出来るか、を検討し、その事によって自らの主観内に自覚されている建御雷の男の神という五十音図の原理が、黄泉国の文化全般に適用しても誤りない客観的・絶対的真理であるか、を確認しながら高天原に急いだのであります。
なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、
八くさの雷神と千五百の黄泉軍(いくさ)はなお追って来て、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に来ました。黄泉比良坂とは、比良は霊顕(ひら)で文字の事で、比良坂の坂とは性(さが)の意です。黄泉比良坂で黄泉国の文字の性質・内容という事となります。その坂本とありますから、黄泉国の文字の根本原理という事です。伊耶那岐の命は十拳の剣を後手に振りて、黄泉国すべての文化を高天原の言霊原理に還元してその夫々を人類文明創造の糧として生かす事が出来るかを検討し、その結果、黄泉国の文字作成の根本法則(坂本)に至りました。という事は、伊耶那岐の命が黄泉国の文化の根元を隅々まで知り尽くし、それを吸収し、揚棄して、人類文明に役立てる事が出来るという自覚に立ち至ったという事を意味するでありましょう。即ち伊耶那岐の命は自らの心の中に自覚した建御雷の男の神の音図構造が、如何なる外国の文化に適用しても誤りない客観的真理であること、そこで主観的真理であると同時に客観的真理でもある絶対的真理である事の證明を確立した事になります。
その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。
高天原日本以外の国々のすべての文化を十拳の剣で分析・総合し、黄泉国の文字の根本原理の内容を悉く知り尽くしました。黄泉国の文化の内容の全部の検討が終り、黄泉比良坂の坂本に到着したという事は、坂本が黄泉国と高天原との境界線になっているという事が出来ます。言い換えますと、此処までが黄泉国、ここから先は高天原となるという地点であります。となりますと、坂本に至ったという事は高天原への入口に到着した事ともなります。先に伊耶那岐の命は妻神を追って高天原より殿の騰戸(あがりど)から黄泉国に出て行きました。騰戸とは高天原の言霊構成図で半母音のワヰヱヲウの事と説明しました。殿の騰戸と言えば、高天原から黄泉国への出口であり、黄泉比良坂の坂本と言えば、黄泉国から高天原への入口という事になります。
黄泉比良坂まで逃げ帰った伊耶那岐の命は、坂本と境をなす高天原の五半母音の列(左図参照)の中のヱヲウの三言霊を手にとって、黄泉軍を撃ったのであります。言霊五十、その運用法五十、計百個の原理を桃(百[も])と言います。その子三つとは半母音ヱヲウの三言霊です。伊耶那岐の命は黄泉国より逃げ帰りながら、十拳の剣を後手に振って、黄泉国の文化の一切を人類文明に吸収処理する方法を確立する事が出来ました。その処理法には主として三つがあります。一つは黄泉国の五官感覚に基づく欲望性能より現出する産業・経済活動を処理する方策の結論である言霊ウ、次に経験知よりの主張を処理する結論である言霊ヲ、また、その次の総合運用法の処理法である言霊ヱの三つを「桃の子(み)三つ」と呼びます。この三つを持って八くさの雷神と千五百の黄泉軍を撃ちますと、「我々黄泉国の文化の客観的研究法からでは到底これ等の処理法を手にすることは不可能だ」と恐れ入って逃げ帰ってしまったのであります。
ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。
伊耶那岐の命は桃の実に申しました。「お前が私を助けたように、この日本の国に住むすべての人々が、困難な場面に陥って苦しい目にあう時には、助けてやって呉れよ」と言って意富加牟豆美の命という名を授けました。意富加牟豆美とは大いなる(意富[おほ])神(加牟[かむ])の御稜威[みいづ](豆美[づみ])の意であります。御稜威とは権威とか力とかいう意味です。
余談を申しますと、梅若の狂言にある「桃太郎」では、仕手[しで](主役)の桃太郎は自らを意富加牟豆美の命と名乗ります。おとぎ話の桃太郎は川に流れてきた桃の実から生まれ、お爺さんとお婆さん(伊耶那岐の命・伊耶那美の命)が育てる。桃とは言霊百神の事であり、百神の原理より生まれた太郎(長男)と言えば、三貴子(みはしらのうづみこ)天照大神、月読命、須佐之男命の一番上の子、即ち天照大神のこととなります。古事記神話の桃の子三つとは五十音言霊図の一番終わりの列(五半母音)の結論を表わします。そのヱヲウの三音が桃の子(み)三つという事になりますから、意富加牟豆美の命と天照大神とは同じ内容であることが分ります。
最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。
黄泉国の言葉から作成する八種の文字原理全部と高天原以外の外国の文化すべてが、伊耶那岐の命が手にした桃の子三つの真理には遠く及ばない事を知って引き返してしまいましたので、黄泉国には高天原の言霊原理に太刀打ちする事が出来るものは一つもなくなりましたので、黄泉国の文明創造の責任者・主宰者である伊耶那美の命自身が自ら伊耶那岐の命を追いかけて来ました。いよいよ高天原と黄泉国の両総覧者が向い合って力比べをする事となります。
ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、
ここまでは黄泉国、これから先は高天原という境界線が黄泉比良坂です。その高天原と黄泉国との境界線に千引の石を、越す事ができないものとして据え置いて、その千引の石を中にして伊耶那岐の命と伊耶那美の命とは各自向き合って立ち、言葉の戸(事戸)を境界線に沿って張りめぐらす時に、の意味となります。事戸を度す事を日本書紀では「絶妻の誓し」(ことづまのわたし)と書いております。即ち夫婦の離婚の宣言という事になります。事戸または言戸を夫婦の中に置きわたす事とは、夫と妻とが双方の関係を絶って(事戸)、今まで共通していた言葉に戸を立て、話が通じなくなってしまう事も同様に夫婦離婚という意味と受取られます。高天原を構成する言霊五十音を伊耶那岐・美の二神は協力して生んで来ました。それなのに今になって離婚する事態に立ち至ったのは如何なる訳でありましょうか。
先ず千引(ちびき)の石(いは)の解釈から始めます。千引の石の千引とは道引き、または血引きと考えられます。石(いは)は五十葉(いは)で五十音言霊の事です。字引きとは字の意味・内容を示す書の事です。千引を道(ち)引きととれば、道である物事の道理・原理である五十音となります。千引を血引きととれば、伊耶那岐の命と伊耶那美の命両方の血を引いて生れた言霊五十音、特にその中の三十二個の言霊子音の事と解することが出来ます。
伊耶那岐の命は妻神伊耶那美の命を追って客観世界研究の領域である黄泉国へ行き、その文化を体験し、その不整備・雑然さに驚いて主観世界の整備された高天原へ逃げて来ました。その高天原への帰途、追いかけて来る黄泉国の一切の客観世界の文化を、十拳の剣を後手に振る事によって分析・検討し、その上に自己内に自覚した建御雷の男の神という原理を投入し、その原理によるならば、一切の黄泉国の文化を摂取して、人類文明の創造の糧として役立たせ、所を得しめる事ができる事を證明したのであります。その検討・分析の結果の一つとして、黄泉国の客観世界研究の方法は、伊耶那岐の命が完成・自覚した高天原の主観世界の研究方法とは全く異質のものであり、黄泉国の研究とその成果は、少なくともその研究の究極の完成を見るまでは、高天原の精神文明の成果と比較・照合・附会(ごじつける)する事が出来ないという事がはっきり分ったのであります。その為に伊耶那岐の命は黄泉国の一切の主義・主張・研究・言語・文字の内容を確認し終り、高天原へ帰還する直前に、黄泉国と高天原の境界線である黄泉比良坂に於て、言霊五十音、特にその奥義である言霊子音三十二個を以て言葉の戸を立て廻らし、黄泉国の思想が決して高天原には入って来られない様に定め、伊耶那岐の命は伊耶那美の命に事戸の度し、日本書紀で謂う「絶妻の誓し」(ことづまのわたし)なる離婚宣言をする事となります。古事記の中のこの「事戸の度し」は単なる岐美二神の離婚の物語として述べられておりますが、言霊学上の「事戸の度し」は、人類の文明創造上の厳然たる法則として、精神界の法則と物質界の法則とは、その研究途上の法則にあっては、決して同一場に於て論議することの出来ないものであるという大原則を宣言したものなのであります。古事記の編者、太安万侶が完成された精神文明と、発展し続け、遠い将来に於ての完成が望まれる物質科学文明との双方にわたりかくも深い洞察力を持っていた事を思う時、畏敬の念を新たにするのであります。
その176
伊耶那美の命のりたまはく、「愛しき我が汝兄の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日に千頭絞(くび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、のりたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾は一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を立てむ」とのりたまひき。ここを以ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。
「愛しき我が汝兄の命、かくしたまはば、…」とは夫君である伊耶那岐の命が千引の石を挟んで、向い合い、離婚宣言をしたので、の意味であります。「私と離婚するならば、貴方の国、即ち高天原日本の国の人を一日に千人頚を絞めて殺しますよ」と伊耶那美の命が言ったのであります。すると伊耶那岐の命は「貴方がそのような事をするのなら、私は対向上一日に千五百の産屋を立てましょう。即ち一日に千五百人の人を生みましょう」と言ったのであります。この故事(こじ)に基づいて、これ以後一日に千人の人が必ず死に、また一日に千五百人の人が必ず生れることになったのです、と言う事になります。どうも話が物騒な事になりました。角川書店版の古事記では、その注に「人口増殖の起源説話」と説明され、また岩波書店版の古事記には「人の生と死の起源を説明するが本義の神話」と注釈されています。けれど必ずしもこの神話は人間の生死について説かれたものではありません。この事について少々説明してみようと思います。
人を千人絞り殺す事に対して、千五百人の人を生もう、というこの説話は伊耶那美の命の「貴方がこのように私との離婚を宣言なさるなら、…」という高天原と黄泉国との間の往来の禁止、その事によって高天原の主宰者である伊耶那岐の命と、黄泉国(よもつくに)の主宰者である伊耶那美の命との離婚となった訳です。では何故そのような事態になったのか、と言えば、前号に述べられていますように、伊耶那岐の命は伊耶那美の命を追って黄泉国に行き、その無秩序・不整理の文化に接し、驚いて高天原に逃げ帰ります。その帰途、十拳剣を後手(しりへで)に振って、黄泉国の物事を客観的に見て研究する文化の内容を見極め、それ等の諸文化を高天原の物事を主観的に見る建御雷の男の神という鏡に照らすならば、世界人類の文明に統合する事が可能である事の證明をも自覚する事が出来た為に、高天原の精神文明と黄泉国の物質文明は同一の場では論じる事が出来ないと判断し、その結果、高天原と黄泉国との両主宰者の離婚宣言となった訳であります。
右の岐美二神の交渉の経緯から考えまして人を生むとか殺すとかいう話は、感情的に憎む・恨むという行動ではなく、精神文明と物質科学文明との研究内容の問題として考える方が妥当であろうと思われます。そこで次の如き解釈が生れます。
精神文明と物質科学文明とを問わず、その文明の根幹を担うものは言葉と数と文字であります。この三つの要素の中で、今取り上げるべきものは言葉と文字、とりわけ言葉でありましょう。言葉の中で特に高天原日本の言葉は先天・後天現象の究極の要素である言霊を物事の実相に即して組合せて作った言葉でありますから、文字通りその言葉は物事の実相を表わしており、その他に何の説明をも要しないものです。その高天原の言葉に対し、黄泉国の言葉は如何なるものでありましょうか。物質科学の研究は物を分析して、即ち破壊してそれを構成している部分々々に別け、その性質・内容を調べる事から始まります。物を分析・破壊するとは、その物の名を破壊することでもあります。そして分析した部分々々に、言霊ではない言葉、即ち研究者の経験知識より生み出された言葉によって物質科学の世界での言葉を附けることとなります。例えば水(みず)を分析し、そこに分解された水素と酸素との二者を命名し、元の水にH2Oの名を与えます。高天原の言葉である「みず」は殺され、H2Oという黄泉国の名前になりました。この様にして黄泉国の物質文明が発展して行く裏には高天原の美しい名によって表わされた物事の実相は一日に千どころか、その何倍もの言葉が絞り殺されて行きます。「一日に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺さむ」と伊耶那美の命は言った筈であります。それに対して伊耶那岐の命は「貴方がそうするなら高天原の美しい実相を表わす言葉を一日に千五百も作りましょう」と言ったのであります。此処に取上げる神話の実意は人口増殖とか、人間の生と死の問題ではなく、高天原の精神文明と黄泉国の物質科学文明との根底部分、即ちそれぞれの領域での言葉の相違を述べたものであることを御理解頂けたものと思います。
古事記の文章に戻ります。
かれその伊耶那美の命に号(なず)けて黄泉津大神といふ。またその追ひ及きしをもちて道敷(ちしき)の大神ともいへり。
伊耶那岐の命と伊耶那美の命が千引きの石を挟んで離婚をしました。その事によって伊耶那美の命は黄泉国の物質科学文明創造を分担する総覧者であり、主宰神であることがはっきりと決まりました。その主宰神としての名前を黄泉津大神といいます。また伊耶那美の命が伊耶那岐の命を追いかけて黄泉津比良坂の坂本まで行った事によって、その黄泉国と高天原との間に越す事が出来ない道理の境界線が決定いたしましたから、道敷(ちしき)の大神とも呼ぶのであります。
またその黄泉(よみ)の坂に塞(さは)れる石(いは)は、道反(ちかへ)しの大神ともいひ、塞(さ)へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。
黄泉(よみ)の坂とは黄泉比良坂の事であります。その坂に置かれ「此処より先は来るな」と言って遮ぎる千引の石は、道反(ちかへ)しの大神と言います。道反しとは、高天原から見れば「ここまでは高天原、ここから先は黄泉国」という事であり、反対に黄泉国から見れば、「ここまでが黄泉国、ここより先は高天原」と、人が自由には越す事が出来ない印(しるし)となる石でありますから、道反し、即ちここまでで人が引き返す印の石という訳であります。またその石は塞へます黄泉戸の大神ともいいます。黄泉国から来て、高天原に入る口に置かれ、人が高天原に入れないように遮(さえぎ)っている戸、の意であります。
ここで言霊学を勉強しようとなさる方々に一言申上げ度い事があります。言霊の学問の初心者の方の中に「言霊学は難しくてよく分からない」と言われる方がいらっしゃいます。何故「難しい」と言われるのか、と申しますと、右に述べました道反しの大神、またの名、塞へます黄泉戸の大神に引掛(ひっかか)ってしまうからであります。どういう事かと言いますと、高天原と申します処は言霊五十音で構成されている心の領域です。それ以外のものは存在しません。言霊といいますのは、人間の心を構成する究極の要素であると同時に言葉の要素でもあるものです。この五十個の言霊を結ぶ事によって高天原日本の言葉は作られました。ですからその言葉は物事の実相(真実の姿)をそのまま表わします。それに対して現代の人々の言葉は、人それぞれの経験に基づいて構成された智識を表現した言葉なのです。それは謂わば高天原の言葉に対する黄泉国の言葉でもあります。経験知識によって作られた言葉で生きている人が言霊学を学ぼうとする時、必ずぶつかってしまうのが、黄泉国と高天原との間に置かれた千引きの石、即ち道反しの大神、または塞へます黄泉戸の大神という事になります。言霊学という高天原の学問の門を入ろうとするならば、道反しの大神またの名、塞へます黄泉戸の大神の許可を貰わなければならぬ、という訳であります。以上、御参考にして頂ければ幸甚であります。
かれそのいはゆる黄泉比良坂は、今、出雲(いずも)の国の伊賦夜坂(いぶやさか)といふ。
黄泉比良坂とは黄泉国の文字の性質・内容という意であります。現実の上り下りの坂の事ではありません。でありますから、伊織夜坂と言いますのも現実の地図上の場所の事ではありません。精神世界の中の或る場所を示す謎です。角川版古事記の訳註に「島根県八束郡東出雲町揖屋。揖屋神社がある」と記され、岩波版には「所在不明」とあります。共に古事記神話の真義を知らぬ為の見当違いの訳註です。
では出雲の国の伊賦夜坂とは如何なる意味でありましょうか。出雲の国とは地名である島根県のことではありません。出る雲の意です。大空に雲がムクムクと湧き出て来るように、物質界の研究によって頭脳から発現して来る種々のアイデアで満ちている領域、という事です。伊賦夜坂とは、母音イの次元の言葉(賦)、即ち言霊の意味が暗くて(夜[や])よく見えなくなっている性質(坂)、それは取りも直さず黄泉国の文字の性質という事となります。出雲の国の伊賦夜坂の全体では、雲が湧き出るが如く発明されて来る経験知によるアイデアの世界の、高天原の言霊で作られた言葉の内容が薄ボンヤリとしか見えない字の性質、という事であります。黄泉比良坂とはそういう内容の黄泉国の文字の性質だ、という事であります。古事記神話の編者太安万侶が高天原と黄泉国との言葉と文字の決定的な相違について繰返し示した老婆心とも受取る事が出来ましょう。
ここで道反(ちかへ)しの大神または塞(さ)へます黄泉戸(よみど)の大神という神名について附け加えて置き度い一つの話があります。「古事記と言霊」の二○一頁に詳しく書いてありますが、念のため一言申上げておきます。旧約聖書のヨブ記に次のような文章があります。「海の水流れ出て、胎内より湧き出でし時、誰が戸を以(も)て之を閉じこめたりしや、かの時われ雲をもて之が衣服(ころも)となし、黒暗(くらやみ)をもて之が襁褓(むつぎ)となし、之に我が法度(のり)を定め、関および門を設けて、曰く、此(ここ)までは来るべし、此を越ゆるべからず、汝の高波ここに止(とど)まるべしと」(旧約聖書ヨブ記三十八章八~十一)。ヨブはキリスト以前のキリストと呼ばれる聖者であり、そのヨブ記に古事記の道反しの大神・塞へます黄泉戸の大神の記述と全く同じ内容の文章が見られる事は誠に興味深い事であります。伊耶那美の命の精神的後継者である須佐之男命は、古事記神話に「汝は海原を治(し)らせ」と言霊ウの名(な)の原(領域)、即ち五官感覚に基づく欲望の次元の主宰者であり、その「海」がヨブ記の「海の水流れ出て…」と記されているのです。詳細な解説は「古事記と言霊」を見て頂く事として、人類文明創造上の重要な法則に関して、地球上の時も処も違う日本の古事記、イスラエルのヨブ記に全く同様の内容の記述が見られる事は、単なる偶然とは考え難く、人類文明創造の歴史を考えるに当り、大きな示唆を与えるものとして、簡単ながら一言挿入いたしました。内容の詳細は「古事記と言霊」を御参照下さい。
以上にて、伊耶那岐の命が自己精神内に確立した建御雷の男の神という人類文明創造の原理が、高天原以外の国々の文化に適用しても通用するか、どうか、を證明する為に妻神伊耶那美の命が主宰する黄泉国へ出て行き、そこで黄泉国の整理されていない、種々雑多な発明・発見が我勝ちの主張をする様子を体験し、高天原に逃げて帰る「黄泉国」と題する文章の解説を終る事といたします。この物語の中の岐・美二神の言行によって、この章の文章が単なる伊耶那岐の命の黄泉国見聞記なのではなく、その中の岐・美二神の言葉のやり取りによって、伊耶那岐の命が自らの主観的自覚の建御雷の男の神なる原理を、どの様にして人類文明創造の大真理にまで高めて行ったか、の経緯が物語的に述べられたのであります。
この「黄泉国」の章に続く「身禊」(みそぎ)の章では、物語的に綴られた伊耶那岐の命の心の進化過程を、今度は厳密な言霊の学問上の理論として、言霊学の最高峰であり、総結論である「三貴子誕生」まで一気に駆け登って行く心の過程が述べられます。今までの章で述べられて来ました五十音の言霊が、何一つ取り残される事なく、すべての言霊が生命の躍動となって、最後に天照大神、月読の命、須佐之男の命の三貴子を中核として、八咫の鏡に象徴される人間の全生命の構造とその動きの全貌が読者の前に明らかにされて行きます。今から始まる「身禊」の章は読者御自身の生命が読者にその全体像を明らかにする章なのであります。
これより「身禊」の章に入り、解説して行きます。
ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
ここを以ちて、とは伊耶那岐の命が妻神伊耶那美の命が主宰する黄泉国の文化を体験し、その内容と、黄泉国の文化を摂取して世界人類の文明創造に組み入れる方法をも確認し、その結果、高天原の精神文明と黄泉国の物質科学文明とでは同一の場で語り合う事は出来ないという決定的相違を知り、岐の命と美の命とは高天原と黄泉国との境に置かれた千引の石を挟んで向き合い、離婚宣言をした事を受けての言葉であります。
伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、……
この文章を読んで奇異に感じる方もいらっしゃるかと思います。今までの古事記の文章では伊耶那岐の命または伊耶那岐の神といわれて来ました。ここに来て初めて伊耶那岐の大神と大の字が附けられたのは、ただ単に尊称として大の字を附したのではありません。そこには重大な意味が含まれています。この事について説明して参ります。古事記の神話が始まって間もない時、主体である伊耶那岐の命と客体である伊耶那美の命との関係として、相対的立場と絶対的立場という事をお話した事があったのを御記憶の方もいらっしゃると思います。相対的立場とは主体と客体が相対立した場合の立場であり、絶対的立場とは一体となった場合の事であります。正(まさ)しく伊耶那岐の大神という呼び名は伊耶那岐の命と伊耶那美の命とが一体となった呼名であります。二人の命が一体となる、とはどういう事なのでありましょうか。この事を理解しませんと、これより説明をします古事記の総結論に導く「禊祓」の法というものの理解が難かしくなってしまう事が考えられます。そこで、この大神という名の意味を詳しく説明いたします。
客体と一体となった主体の心とはどんな心なのでしょう。卑近な例で言えば、お母さんが赤ちゃんに対する心と言う事が出来ます。赤ちゃんが普段と違う泣き声をしている。掌を頭に当てて見て「あっ、熱があるみたい」と思う時は、赤ちゃんとお母さんはまだ主体と客体が対立した相対的立場に立っている、という事です。熱を計り、「三十八度近くある」と知り、「どうしてだろう」と考えている時もお母さんは赤ちゃんの事を客体として観察しています。けれど「昨夜、暖かいと思って薄着にさせたのがいけなかったに違いない」と知って、お母さんが反省した時からは、お母さんは自分が病気になった時以上に申訳なく思い、心配します。赤ちゃんを病気にさせたのは百パーセント自分のせいだ、という様に悔やみ、心配します。この時、お母さんと赤ちゃんは一体となっています。主体と客体が一体となる絶対の立場となります。
主体と客体の相対と絶対の立場をもう少し掘り下げて考えてみましょう。時々お話する事ですが、人間の心は五段階の進化を遂げます。人間は生まれた時から五段階の性能が備わっています。ウオアエイの五次元性能です。けれど人間はそれを知りません。言霊学に出合って初めてそれを知り、言霊学を学ぶ事によって一段々々とその自覚を確立させる事が出来ます。その自覚の進化の順序はウ(五官感覚による欲望)、オ(経験知)、ア(感情)、エ(実践智)、イ(創造意志)の順です。以上の五段階の進化の中で、人間の主体と客体との関係はどう変わっているか、を考えることにします。
先ずは言霊ウの欲望性能では、何々が欲しい、何々になりたい、という欲望行為は、その欲望の対象であるものを客体として、その獲得のために努力し、また手練手管を駆使してその対象である目的に近づきます。この段階の主体と客体は飽くまで相対関係にあります。次の言霊オの経験知識性能ではどうでしょう。研究したいものを客体とし、主体はその客体について観察、比較等を繰り返して、客体の動きを法則化して行きます。この次元の場合も主体と客体とは飽くまで対立し、相対の立場にあると言えます。
第三段階の言霊ア(感情)の性能に到って様相を異にして来ます。醜いもの、臭いもの、嫌なものを見聞きして、「いやだ、気持悪い、憎い」と思っている内は主体と客体は相対の立場をとっていますが、大層美しい物や事に遭遇しますと、自然感動し、我を忘れます。また気の毒な人に会うと同情します。美しいものに感動し、自分ならざる人に同情する心、それは純粋感情と呼ばれ、愛とか慈悲の心、滅私の心であり、主体(自我)と客体が同一化してしまった場合に見られます。先程述べた赤ちゃんに対するお母さんの心もその一例でしょう。この時、主体と客体は絶対の関係となります。
以上の言霊アの性能が社会の活動となって現われたものが芸術や宗教であります。芸術の美と宗教の愛の活動によって世の中に明るさ(光)と慈(いつく)しむ心(愛)が芽生え、楽しい社会がもたらされます。それは感動と同情の心の発露によりましょう。しかしながら愛や慈悲、同情や美的感情が客観としての社会に影響を及ぼすのは個人または家庭、更には区域社会に限られます。広く国家全体、ひいては世界人類に対してはほとんど何らの影響を与える事が出来ないのが現状です。何故なのでしょうか。芸術や宗教は人間のヒューマニズム的心情に光を与える事はあっても、人類全体の歴史をどう見るか、人類の明日よりの創造を如何に計画するか、の方策と理論を持ち合わせていない為であります。言霊学の教える人間の心の進化の三段目である言霊アの確認は出来ても、第四、第五の次元、言霊エとイへの進化の自覚が欠けているからであります。言霊アの感情性能は人対人、人対地域社会での主体と客体との絶対関係を立てる事は出来ても、人対人類の主体と客体の関係は相対的なものに終り、人即人類世界の絶対関係に立つ事が不可能だからです。それ故に人は宗教と芸術活動に於いて人類を愛する感情はあっても、人一人が世界と合一し、世界をわが事と思い、愛すると同時に世界歴史の今を合理的に認識し、それに光明を与えて、明日の世界創造の唯一無二の指針を生み出すことが出来ないのです。
人類世界という自らの外の存在を自らの内に引き寄せ、人類世界と自らが主客絶対の境地に入る為には、言霊学の所謂第四の言霊エ(実践智)と第五の言霊イ(創造意志)の人間性能の自覚が不可欠となります。言霊五十音の原理は人間進化の第五段階、言霊イの次元に存在し、その原理に基づく世界の明日を築く実践智は第四段階の言霊エから発現します。この第四と第五の進化の自覚の下に人は「我は人類であり、人類とは我の事である」の我と人類との絶対関係が成立し、その活動は人間の心の今・此処(中今)に於て行われ、人類が歩むべき道が絶対至上命令として発動されます。
長々とお話をして参りましたが、古事記の禊祓に登場する伊耶那岐の大神とは、右の如き立場に立った伊耶那岐の命の事をいうのであります。それは主体である伊耶那岐の命が客体である伊耶那美の命を包含した主体の事であり、それはまた高天原の建御雷の男の神なる精神構造を心とし、黄泉国の次々と生産される文化の総体を体とするところの世界身、宇宙身としての伊耶那岐の命のことでもあります。以上伊耶那岐の大神の意味・内容について解説いたしました。
「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、……
いな醜め醜めき穢なき国とは黄泉国の事であります。そこでは人各自の経験知による客観世界の研究の成果を自分勝手に自己主張して、乱雑で整理されていない大層みにくい、汚(きた)ない国だ、という事です。穢なきとは生田無(きたな)いの意。生々した整理された五十音図表の如き整然さを欠いている文化の国といった意味であります。そういう汚ない国へ行って来たので自分の身体の禊祓(みそぎはらひ)をしよう、と言った訳であります。但し、禊祓とは現在の神社神道が言う様な滝や川の水を浴びたりして、個人の罪穢れを払拭するという個人救済の業ではありません。そのために「身体」と言わず「御身」(おほみま)という言葉が使われています。伊耶那岐の大神で説明いたしましたように、御身とは単なる伊耶那岐の命の身体という事ではなく、黄泉国の主宰者である伊耶那美の命という客体を中に取り込んだ主体としての伊耶那岐の命、高天原の言霊原理を心とし、黄泉国の全文化を身体とした意味での我(われ)である伊耶那岐の命、即ち伊耶那岐の大神の身体を御身(おほみま)と呼びます。
でありますから、「御身の禊(はらひ)せむ」とは、単に「自身の穢れを払おう」というのではなく、「黄泉国へ行って、乱雑極まりない自己主張の文化を体験して来た今までの自分自身の過去の姿をよく見極め、それを五十音言霊図上にてそれぞれの時所位を決定し、それに新しい生命の光を与えて、世界人類の文明を創造する糧に生かして行こう」という行為なのであります。何故「御身の禊せむ」がこの様な意味となるかは、これより始まる古事記の禊祓の行法の詳細がそれを教えてくれます。
右の事に関して挿話を一つ申上げます。この古事記の文章の「御身」に対して、岩波書店版は「みみ」とルビを振り、角川書店版は「おほみま」とルビしておりますが、右の一連の解説から推察して「おほみま」の方が正しいように思われます。
竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原は地図上に見られる地名を言っているのではありません。たとえそういう地名が存在していたとしても、其処と古事記の文章とは関係ありません。古事記の編者太安万侶が禊祓を行う精神上の場に対して附ける名前に、それにふさわしい地名を何処からか捜して持って来たに過ぎないからです。岩波・角川両版の古事記共「所在不明」と注釈があります。竺紫(つくし)とは尽(つ)くしの意です。日向(ひむか)とは日に向うという意で、日(ひ)は霊(ひ)で言霊、日向で言霊原理に基づく、の意となります。橘(たちばな)は性(たち)の名(な)の葉(は)で言霊の意。小門(おど)は音。阿波岐原(あはぎはら)とは図に示されますように、天津菅麻音図の四隅はアワイヰの四音が入ります。その中でイヰは音が詰まってギと発音され、結局アワギとなります。そこで竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原の全部で言霊の原理に基づいてすべてが言霊の音によって埋められた天津菅麻音図という事になります。原とは五十音図上の場(ば)の意味であります。
伊耶那岐の大神は高天原精神界に、黄泉国に於て生産される諸文化のすべてを取り込み、その上で伊耶那岐の大神の持つ建御雷の男の神という鏡に照合して黄泉国の文化を摂取し、それを糧として世界人類の文明を築き上げる人類最高の精神原理を樹立する作業を、自らの音図である天津菅麻音図上に於て点検しながら始めようとしたのであります。此処に古事記神話の総結論である天津太祝詞音図、即ち八咫の鏡の自覚完成に向う作業、即ち禊祓が開始されます。
その177
古事記神話の総結論となります「禊祓」の行法の文章に進むことといたします。
かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、道の長乳歯(みちのながちは)の神。次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときおかし)の神。次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累の大人(わずらひのうし)の神。次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣(ちまた)の神。次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。
いよいよ人間精神上最高の心の働きである「禊祓」の言霊学上の解明が行われる事となるのですが、ここで今までに幾度となくお話した事ですが、この禊祓が行われる場面の状況について重ねて確かめておき度いと思います。
伊耶那岐の命と伊耶那美の命は共同で三十二の子音言霊を産みました。ここで伊耶那美の命は子種が尽き、自分の仕事がなくなったので、本来の住家である物事を客観的に見る黄泉国(よもつくに)へ高天原から去って行きました。
一人になった伊耶那岐の命は先天十七言霊と後天三十二言霊、計四十九言霊をどの様に整理・活用したら人間最高の精神構造を得るか、を検討して、建御雷の男の神という音図を自覚することが出来ました。
この主観内の自覚である精神構造が、如何なる世界の文化に適用しても人類文明創造に役立ち得る絶対的真理である事を証明しようとして、伊耶那美の命のいる黄泉国へ高天原から出て行き、そこで整備された高天原の精神文明とは全く違う未発達・不整備・自我主張の黄泉国の客観的文化を見聞きして、驚いて高天原へ逃げ帰りました。
逃げ帰る道すがら、伊耶那岐の命は十拳(とつか)の剣の判断力で黄泉国の文化の内容を見極め、黄泉国の客観世界の文化と高天原の主観的な精神文化とは同一の場では語り得ないという事実を知り、同時にその客観世界の文化を摂取して、高天原の精神原理に基づいてその夫々を世界人類の文明の創造の糧として生かして行く自らの精神原理(建御雷の男の神)が立派に役立つものである事をも知ったのであります。
以上簡単に述べました事実を踏まえながら、伊耶那岐の命は自ら体験した黄泉国の文化の内容を、世界人類の文明創造に組入れて行く行法を「禊祓」という精神の学問、即ち言霊原理として体系化する作業に入って行きます。更に申しますと、右の状況を踏まえる事、同時に伊耶那岐の大神の立場に立つ事、言い換えますと、伊耶那岐の命の高天原の原理を心とし、黄泉国の伊耶那美の命の心を自らの身体と見る伊耶那岐の大神の立場に立つ事という二つの条件を満たした時、初めて「禊祓」の大業が成立することとなります。これよりその作業の実際について解説して行きます。
かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、
杖(つえ)とは、それに縋(すが)って歩くものです。その事から宗教書や神話では人に生来与えられている判断力の事を指す表徴となっています。投げ棄つる、とは投げ捨てる事ではなく、物事の判断をする場合にある考えを投入する事を言います。判断の鏡を提供する意味を持ちます。
衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。
衝き立つ、とは斎き立てるの謎です。判断に当って、その基準となる鏡を掲げることであります。その鏡とは何なのかと言いますと、先に伊耶那岐の命が五十音言霊を整理・検討して、その結論として自らの主観内に確認した人間精神の最高構造である建御雷の男の神という五十音言霊図であります。船は人を運ぶ乗物です。言葉は心を運びます。その事から言葉を船に譬えます。神社の御神体としての鏡は船形の台に乗せられています。でありますから、船戸の神とは、船という心の乗物である言葉を構成する五十音言霊図の戸、即ち鏡という事になります。衝き立つ船戸の神とは、物事の判断の基準として斎き立てられた五十音言霊図の鏡の働き(神)という事になります。此処では建御雷の男の神という五十音図の事です。
禊祓という行法の作業の基準として斎き立てた建御雷の男の神という五十音言霊図の事を衝き立つ船戸の神と呼びます。という事は、建御雷の男の神と衝き立つ船戸の神とは、その内容となる五十音言霊図は全く同じものであり、その現われる時・処によって名前が変わるだけという事になります。では何故建御雷の男の神という一つの神名で終りまで押し通さないのでしょうか。そこに古事記神話の編者、太安万侶の深謀が窺えるのであります。この事について説明を挿し挟む事とします。
右のように書きますと、伊耶那岐の大神が自らの心の中に斎き立てた衝き立つ船戸の神が、前に出て来ました建御雷の男の神であるという事が自明のように思われるかも知れません。けれど実際には古事記神話の何処にもそんな記述はありません。また同時に言えます事は、これから後の言霊百神を示す神話の中に衝き立つ船戸の神という神名が唯の一つも出て来ないのであります。言霊布斗麻邇の学問の結論となる「禊祓」の行法の判断の基準として不可欠な衝き立つ船戸の神の正体を明らかにせず、また禊祓の実践の最中にもその神名さえも書かず、ただ実践の最初にのみ「投げ棄つる御杖に成りませる神の名は、衝き立つ船戸の神」と一度だけ書いた太安万侶の意図は何処にあったのでしょうか。
それは禊祓と呼ばれる言霊布斗麻邇の学問の総結論に導くための人間精神の最高の行法が、単なる自我を救済する自利の道ではなく、また自分と相向う客観としての他を救う単なる利他の道でもなく、自らに相対する他を包含した自分、即ち客体と一体となった主体である宇宙身自体を清めるというスメラミコトの世界文明創造の業である事を後世の日本人に知らせるための太安万侶の大きな賭であったのでありましょう。何故なら伊耶那岐の大神の宇宙身である御身という意味を理解しない限り、後世の人々が想像だに出来ない禊祓の真意義を説くに当って、太安万侶は古事記の神話という謎物語の中での最大の謎をここに仕掛けたのであります。それは考えに考えた末の決断であったのです。「知らせてはならず、知らさいではならず、神はつらいぞよ」という大本教祖のお筆先はこの事情をよく物語っていると言えましょう。衝き立つ船戸の神の内容が建御雷の男の神であるという事は、古事記神話全体の文章の流れの把握によってのみ言い得る事なのです。
さて伊耶那岐の大神は御杖に続いて自分の身につけているものを次々に投げ棄ち、合計五神が誕生します。これ等の五神は禊祓の実行のため基準の鏡となる衝き立つ船戸の神とは違い、伊耶那岐の大神が自らの身体として摂取する黄泉国の文化を、その内容について詳しく調べる為の五つの条項を示す神名なのであります。その一つ一つについて解説をして参ります。
次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、道の長乳歯(みちのながちは)の神。
次に御帯を投入しますと、道の長乳歯の神が生まれました。道とは道理という事。長乳歯とは、子供の生え揃った歯が一本も欠ける事なく長く続いて並んでいるの意であります。投げ棄つる御帯の帯とは緒霊の意で、心を結んでいる紐という事から物事の間の関連性を意味する事と考えられます。そこで道の長乳歯の神とは、摂取する黄泉国の文化の内容の他との関連性を調べる働きという事になります。黄泉国の文化が他文化とどの様な関係を持っているかを調べる働きが生まれて来たという事になります。
次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときおかし)の神
古事記の或る書には御嚢を御裳(みも)と書いてあるものがあります。そこで誕生する神名が時量師の神という事となりますと、御嚢より御裳の方が正しいように思われます。また時量師の神を時置師(ときおかし)の神と書いてある書もあります。これはどちらでも同じ意味であります。そこで御裳(みも)として説明して行きます。
裳(も)とは百(も)で、心の衣(ころも)の意となります。また裳とは昔、腰より下に着る衣のことで、襞(ひだ)があります。伊耶那岐の大神の衣である天津菅麻(すがそ)音図は母音が上からアオウエイと並び、その下のイの段はイ・チイキミシリヒニ・ヰと並び、イとヰの間に八つの父韻が入ります。この八つの父韻の並びの変化は物事の現象の変化を表わします。そして物事の現象の変化は時の移り変わりを示す事でもあります。時量師の神とは現象の変化から時間を決定する働きという事になります。
現象の移り変わりが時間を表わすとはどういう事なのでしょうか。「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」という有名な俳句があります。冬の厳しい寒さを耐え忍んで来て、或る日、ふと空を見上げると、庭前の梅の木の枝の先に梅の花が一輪蕾を開かせようとしているのが目に止まりました。まだ寒さは厳しいが、梅の花が咲こうとする所を見ると春はもうそこまで来ているのだな。そう思ってみると、朝の寒風の中にも何処となく春の気配の暖かさが膚に感ぜられるような気がする、という感じの句です。つい先日まで枝の先の梅の蕾は固く小さかったのに、今朝は一輪が咲き初めて来た。「あゝ、春はもう近いのだ」と季節の移り変わりを知ります。物事の現象の変化が時を表わすとはこの様な事であります。「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」の句は更に強烈に秋の季節の到来を告げています。
以上のように物事の姿の変化のリズムが時の変化だという事が出来ます。物事の姿の変化という事がなければ、時というものは考えられません。実相の変化が時の内容であると言う事であります。人間が日常経験する大自然の変化、また人間の営みの変化にも、それぞれ特有の変化のリズムが見てとれます。このリズムを五十音言霊図に照合して調べ検討する働きを時量師の神というのであります。私達がアオウエイ五次元相に現われる現象の変化のリズムを八父韻の配列によって認識する働きの事です。
ここでウオアエイの各次元に働きかけ、適合する時量師(時置師)の父韻配列を列挙して置く事にしましょう。
言霊ウ次元 キシチニヒミイリ 天津金木音図
オ次元 キチミヒシニイリ 赤珠音図
ア次元 チキリヒシニイミ 宝音図
エ次元 チキミヒリニイシ 天津太祝詞音図
イ次元 チキシヒミリイニ 天津菅麻音図
宇宙から種々の現象が現われて来ます。その現われて来る現象を唯一つの現象として特定化するのは、宇宙の内容を示す五十音言霊図の中の縦の母音の並びによる次元、横の父韻の変化に基づく時間、両者の結びによる空間の場所、即ち時・所・位(次元)の三者によって行われます。それ故現象(実相)には必ず時処位が備わっています。古事記には時量師の神しか書かれてありませんが、実際には処量師、位量師もある筈であります。その事から時間とは空間の変化であり、空間は時間の内容という事が出来ます。時間のない空間はなく、空間のない時間はありません。そして時間も空間もアオウエイと畳(たたな)わる次元の中の一つの広がりについて言える事であります。時間と空間は次元の一部であるという事です。これ等のことは、宇宙の全容を示す言霊五十音図表について考えれば一目瞭然であります。その時間と空間の畳(たたな)わりが次元宇宙なのです。
次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累の大人(わずらひのうし)の神。
御衣とは衣の事で、心の衣である五十音言霊図の事です。煩累の大人の神とは、煩累が意味がアイマイで、不明瞭な言葉のことであり、大人とは家の主人のこと、その神名全部で五十音言霊図に参照してアイマイで意味不明瞭な言葉を整理・検討して、その言葉の内容をしっかり確認する働き、という事であります。煩累の大人の神を和豆良比能宇斯能神と書いた古事記の本もありますが、意味は同じであります。
次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣(ちまた)の神。
褌(はかま)とは腰より下にはいて、股(また)より下が二つに分かれている衣類のことです。道俣(ちまた)も道の一点で、二方向に分かれる場所のことです。物事の内容を明らかにするには、上下・表裏・陰陽・主客・前後・左右・遅速等の分離・分岐等の事実を明らかにする必要があります。道俣の神とは言霊図に照合して物事の分岐点を明らかに確認する働きのことであります。
次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。
冠(かがふり)とは帽子のことで、頭にかぶるものです。五十音図で言えば一番上のア段に当ります。物事の実相はアオウエイ五次元の中のア段に立って見ると最も明らかに見ることが出来ます。芸術がア段より発現する所以であります。飽咋の大人の神の飽咋(あきぐひ)とは明らかに組む霊(ひ)の意です。物事の実相を明らかに見て、それを霊(ひ)である言霊を以て組むの意となります。大人とは主人公の事。御冠である五十音図のア段と照らし合わせて、物事の実相を言霊で明らかに組んで行く働きという事です。
以上で禊祓の行を実行する基準となる衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)と、摂取する黄泉国の文化を整理・検討して、その内容や実相、また時処位等を明らかにする五つの働き(道の長乳歯の神・時量師の神・煩累の大人の神・道俣の神・飽咋の大人の神)を解説いたしました。これ等六神の謎解きについては御理解を得られた事と思います。これまでのお話で禊祓を行う下準備は完了しました。これよりいよいよ禊祓の実行に取りかかる事となりますが、その実行する手順と手続きの内容を示す神名が極めて難解であります。先に詳細に説明申上げました「伊耶那岐の大神」と「御身(おほみま)」という事の意味を理解しませんと、禊祓の行の始めから終りまでが宙に浮いてしまうように、何の事かさっぱり分からなくなります。頭の中でただ理屈の上で考えて頂くだけではお分り難い事となります。是非読者御自身が禊祓の実行者の立場に立ったつもりになって、言い換えますと、読者御自身が「伊耶那岐の大神」になられ、その御自身の「御身」を禊祓なさるおつもりでお聞き願い度いと思います。そういう事で古事記の文章を先に進めます。
次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奥疎(おきさかる)の神。次に奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、辺疎(へさかる)の神。次に辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。
以上六つの神名が出て来ました。読んだだけではその神名が何を示すものなにか、全く見当もつかない名前であります。先ずその名の文字上の意味から考えることにしましょう。六神名を読んで分かります事は、一番から三番目までの神名のそれぞれの頭に付けられている奥、奥津、奥津と、四番目から六番目までの神名にそれぞれ付けられている辺、辺津、辺津の文字を取り去りますと、一番目と四番目が疎(さかる)、二番目と五番目が那芸佐毘古、三番目と六番目が甲斐弁羅とそれぞれ同じ神名という事になります。この事を先ず頭に入れておいて解釈をすることとしましょう。
次に投げ棄つる左の御手の手纏とは何か。辞書を引くと、「手纏とは上代、玉などで飾り、手にまとって飾りとしたもの」とあります。伊耶那岐の大神が両手を左右に延ばした姿を五十音図表に喩えますと、左の御手の手纏とは五十音図に向って最右のアオウエイの五母音に当ります。そして右の御手の手纏とは音図の最左の半母音ワヲウヱヰとなります。物事は母音より始まり、八つの父韻の流れを経て、最後の半母音で終結します。そうしますと、「奥(おき)」とは起(おき)で物事の始まりであり、反対に「辺(へ)」とは山の辺に見られますように、物事の終りを表わす事となります。
次に疎(さかる)とは辞書に「離れる」「遠ざかる」を表わす上代の言葉とあります。そうしますと、奥疎(おきさかる)と辺疎(へさかる)の文字上の意味は明らかになります。即ち奥疎の神とは何かを他の何かから始まりの処に遠ざける働きという事になります。そして辺疎の神とは何かを他の何かから終結する処に遠ざける働きと言う事が出来ます。文字の上での解釈はこの様になりますが、実際にはどういう事になるのかは後程説明いたします。
次に奥津那芸佐毘古の神、辺津那芸佐毘古の神の文字上の解釈に入ります。奥津・辺津の津は渡すの意です。那芸佐毘古の神とは悉(ことごと)くの(那)芸(わざ)を助ける(佐)働き(毘古)の力(神)という事です。とすると奥津那芸佐毘古の神とは始めにある何かを或る処に渡すすべての芸を助ける働きの力という事となります。辺津那芸佐毘古の神とは終結点に向って何ものかを渡すすべての芸を助ける働きの力と解釈されます。
次に奥津甲斐弁羅の神、辺津甲斐弁羅の神の解釈に入ります。甲斐といえば甲州、山梨県の事となりますが、この甲斐は山峡の峡のことで、山と山との間という意味です。弁羅とは減らす事。甲斐弁羅であるものとあるものとの間の距離を減らすの意となります。そうしますと、奥津甲斐弁羅の神とは、始めにあるものを渡して或るものとの間の距離を減らす働きという事となります。
辺津甲斐弁羅の神とは、終結点にあるものを渡して、あるものとの間の距離を減らす働きとなります。
以上で奥疎、奥津那芸佐毘古、奥津甲斐弁羅並びに辺疎、辺津那芸佐毘古、辺津甲斐弁羅、計六神の文字上の解釈を終えたのでありますが、この解釈だけでは実際には何のことなのか、読者の皆様の御理解は得られないと思われます。そこでこの文字上の解釈に基づきながら、禊祓を実行する人の心の中に起る手順・経過について説明して行きます。
禊祓の業と言いますのは、自分に対する客観的なものの穢れを清めたり、修正したりすることではありません。何度も申上げている事ですが、黄泉国で考え出された文化を、世界身・宇宙身である伊耶那岐の大神が自分自身の身体の中に起ったものとして受け入れ、受け入れた自身の身を禊祓することによって新しい身体としての宇宙身に生まれ変わって行く事、そういう形式で人類文明を創造して行く業であります。
先ず伊耶那岐の大神は客観世界に起って来た文化を自らの身体の中に起って来たものとして摂取します。摂取した文化を先にお話しました道の長乳歯の神以下五神の働きによってその文化の内容の実相がよく理解し易いように整理・検討します。その作業が終わりますと、次に奥・辺の疎、奥津・辺津の那芸佐毘古、甲斐弁羅の心の中の業の進行に入る事となります。
奥疎の神、辺疎の神
伊耶那岐の大神という世界身の中に摂取された黄泉国の文化は、それが実相を明らかにされた時点でも禊祓の洗礼を受けている訳ではありません。伊耶那岐の大神の身体の中に取り入れられただけの状態です。その文化を取り入れた我が身の状態をよく観察して、これに新生命を与えるための業の出発点となる実相を見定める働き、これが奥疎の神であります。もう少し説明を加えましょう。黄泉国の文化をわが身の内のものとして摂取した時は整理されていない文化を身の内に入れたのですから、自らが清められ、新しい生命に生まれ変わらねばなりません。では何処が整理されるべきなのか、禊祓の業の出発点としての自らの黄泉国の文化体験はどう認識すべきなのか、が決定されなければならないでしょう。摂取した文化の実相を見極めて、それを摂取した自らの禊祓の出発点としなければなりません。その出発点(奥)(おき)の状態を見極めて行く働き、これを奥疎と呼ぶのであります。
行の出発点としての自らの実相が見極められたら、次ぎに禊祓によって新生命に生まれ変わった世界身としての自らは如何なる状態となっているか、の終着点の新世界身の姿がはっきり心に浮び上がります。禊祓の業の目的達成の時の状況が明らかに心中に浮び上がります。この様に禊祓の業によって創り出されて行く結果(辺)の状況の決定、これが辺疎の働きであります。この働きによって黄泉国の摂取された文化がどんな姿に変わって行くかが決定されると同時に、その文化が摂取された後は伊耶那岐の大神の世界身である世界文明がどういう姿に変化・革新されて行くかも決定されます。禊祓の出発点の実相を見極める働きが奥疎の神であり、禊祓の業の終了後の世界身の実相を決定する働きが辺疎の神であります。それは黄泉国の新しい文化を摂取したばかりの伊耶那岐の大神の心の内容から、禊祓の行を始める出発点に「これが新しく摂取する文化の実相だよ」と思い定める事(奥疎)、またその摂取した新文化は禊祓の結果として「この様な姿で人類文明の一翼を担うようになるのだ」という確乎としたイメージを結ぶ事(辺疎)なのであります。
その178
先月号までにて古事記の所謂伊耶那岐の大神(伊耶那美の命を包含した伊耶那岐の命)と、御身(自らの主観世界を心とし、客観世界を自らの身体とする世界心、宇宙身、宇宙生命)の内容を詳しく説明して来ました。その意味での御身を禊祓するという事は、宇宙身自体の革新事業であり、人類文明の創造行為という事となります。
その禊祓の行為の規範として伊耶那岐の大神は、自らの主観内に樹立した建御雷の男の神という五十音言霊構造を衝立つ船戸の神と掲げました。次にわが身として摂取する黄泉国の文化の内容を天津菅麻音図上に於て調べる為の五項目として道の長乳歯の神以下の五神名を定めました。かくて言霊布斗麻邇の最終結論に導く行為の準備は整った事になります。そして禊祓が開始されたのであります。
奥疎(おきさかる)の神、辺疎(へさかる)の神
黄泉国の文化を身の内に摂取した伊耶那岐の大神は、その摂取した時点のわが身の実相を禊祓する出発点の状況として認定する事から始めます。これを奥疎の神と言います。次にその出発店から禊祓が始まり、その結果、黄泉国の文化が世界文明の内容の一部として取り入れられ、禊祓の行為が終了した時点に於てわが身は如何なる状況に変革されているか、のイメージが明らかに見定められます。この働きが辺疎の神であります。先月号はここまでお話しました。
奥津那芸佐毘古(おきなぎさひこ)の神、辺津那芸佐毘古(へつなぎさひこ)の神
奥疎の神の働きで御身(おほみま)の禊祓の出発点の実相が明らかになりました。その出発点で明らかにされた黄泉国の文化の内容をすべて生かして人類文明へ渡して行く働きが必要となります。その働きを奥津那芸佐毘古の神と言います。出発点に於ける黄泉国の文化の内容(奥津那芸)を生かして人類文明に渡す芸(わざ)を推進する(佐)働き(毘古)の力(神)という訳であります。それは過ぎたるを削り、足らざるを補う業(わざ)ではありません。内容のすべてを生かす事によって結論に導いて行く業であります。
辺津那芸佐毘古の神とは結論(辺)に渡して(津)行くすべての業(那芸)を助(佐)けて行く働き(毘古)の力(神)という事です。辺疎(へさかる)で黄泉国の文化がどういう姿で人類文明に摂取されるかが心中に確認されました。黄泉国の文化がその姿に収(おさ)まらせる事がどうしたら出来るか、の業が決定されねばならないでしょう。そういう業の働きの力を辺津那芸佐毘古の神と言います。禊祓の出発点に於ける黄泉国の文化の内容をすべて生かして行く業(方法)が奥津那芸佐毘古であり、その内容をどういう姿で人類文明に摂取するかの業が辺津那芸佐毘古と言う事が出来ます。
奥津甲斐弁羅(おきつかいべら)の神、辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神
奥津那芸佐毘古で禊祓の作業の出発点にある黄泉国の文化の内容を尽く生かす手段が分かりました。また辺津那芸佐毘古でその文化の内容を人類文明の中に同化・吸収する手段が分かりました。出発点の黄泉国の文化を生かす方法と終着点である人類文明に組込む手段とは、実は別々のものではなく、実際には一つの手段でなければなりません。人類文明に摂取する外国文化の内容の尽くを見極め、それを生かそうとする手段と、その内容を衝立つ船戸の神の音図に照らし合わせて、人類文明の中にその時処位を与える方法とは、実際には一つの行為・手段によって行われるものです。そこで出発点の手段と終着点の手段は一つにまとめられなければならないでしょう。ですからそのそれぞれの間の隔たりは狭められなければなりません。その間の距離を狭める働きが出発点の奥津那芸佐毘古に働く事を奥津甲斐弁羅と言い、終着点の辺津那芸佐毘古に働く事を辺津甲斐弁羅と名付けるのであります。この様にして摂取する外国文化の内容のすべてを生かし、更にそれを人類文明に組み入れる動作とがただ一つの言葉によって遂行される事となります。この禊祓の行為を仏教では佛の「一切衆生摂取不捨」の救済と形容しております。
以上、伊耶那岐の大神が自らの御身の中に於て外国文化を人類文明に組み込んで行く手法を示す奥疎の神以下辺津甲斐弁羅の神までの六神について解説いたしました。お分かり頂けたでありましょうか。
知訶(ちか)島またの名は天の忍男(あまのおしを)
以上お話申上げました衝立つ船戸の神より辺津甲斐弁羅の神までの十二神が人類精神宇宙に占める区分を知訶島または天の忍男と言います。知訶島の知(ち)とは言霊オ次元の知識のこと、訶(か)とは叱り、たしなめるという事。黄泉国で発想・提起された経験知識である学問や諸文化を、人間の文明創造の最高の鏡に照合して、人類文明の中に処を得しめ、時処位を決定し、新しい生命を吹き込める働きの宇宙区分という意味であります。またの名、天の忍男とは、人間精神の中(天)の最も大きな(忍[おし])働き(男)という事です。世界各地で製産される諸種の文化を摂取して、世界人類の文明を創造して行くこの精神能力は人間精神の最も偉大な働きであります。
古事記禊祓の文章を先に進めます。
ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に大禍津日(おほまがつひ)の神。この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。
前段の文章で伊耶那岐の大神が黄泉国の文化を摂取した自らの御身(おほみま)の禊祓を実行する際の心理とその過程が明らかとなりました。次にその外国の文化を人類文明に取り入れる禊祓の実施はアオウエイ五次元の中のどの段階に於て行うのが適当なのかが検討されます。説明を続けます。
「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、
禊祓をする竺紫の日向の橘の小門(つくしのひむかのたちばなのおど)の阿波岐原(あはぎはら)、即ち天津菅麻音図では母音の並びがアオウエイとなります。その瀬と言いますと、菅麻音図の母音アより半母音ワ、オよりヲ、ウよりウ、エよりヱ、イよりヰに流れる川の瀬という事です。(図参照)
その上つ瀬と言えばアよりワ、下つ瀬とはイよりヰに流れる川の瀬の事です。言霊アは感情の次元です。世界人類の文明を創造して行くのに感情を以てしては、物事を取り扱う点で直情的になり、自由奔放ではありますが、人間の五段階の性能によって製産されるそれぞれの文化を総合して世界文明を創造して行くには適当ではありません。宗教観や芸術観で諸文化を総合し、世界文明を創造することは単純すぎてア次元以外の文化を取扱う為の説得力に欠けます。そこで「上つ瀬は瀬速し」となります。
下つ瀬の言霊イの段は人間意志の次元、言霊原理の存する次元です。言霊イの次元は他の四次元を縁の下の力持ちの如く支えて、その働きである八つの父韻は他の四母音に働きかけて現象を生む原動力ではありますが、諸文化を摂取・総合するには、この言霊原理に基づき言霊エの実践智が働かなければ総合活動は生まれません。言霊原理だけ、意志だけでは絵に画いた餅の如く、原則論だけで何らの動きも起りません。「下つ瀬は弱し」となる訳であります。
禊祓を実践するのに上つ瀬のア段では不適当、下つ瀬のイ段でも適当でない事を確認した伊耶那岐の大神は、菅麻音図の中つ背に下って行ったのであります。
初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、
上つ瀬のア段も、下つ瀬のイ段も禊祓の実践の次元としては不適当だという事を確かめた伊耶那岐の大神は、初めて中つ瀬の中に入って行って禊祓をしました。中つ瀬とはオウエから流れるオ―ヲ、ウ―ウ、エ―ヱのそれぞれの川の瀬の事であります。次元オは経験知、その社会的な活動は学問であり、次元ウは五官感覚に基づく欲望であり、その社会に於ける活動は産業・経済となります。次元エからは実践智性能が発現し、その社会的活動は政治・道徳となって現われます。共に文明の創造を担うに適した性能という事が出来ます。
成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に大禍津日(おほまがつひ)の神。
中つ瀬に入って禊祓をしますと、八十禍津日の神、次に大禍津日の神が生まれました。伊耶那岐の大神は禊祓を五次元性能のどの次元に於てすれば文明創造に適当か、を調べ、先ずア段とイ段で行う事が不適当と知りました。そこで上つ瀬と下つ瀬の間の中つ瀬に入って禊祓を行う事にしました。すると最初に不適当だと思った言霊アとイの次元が禊祓を実行するために如何なる意義・内容を持つ次元なのであるか、がはっきり分かって来たのでした。八十禍津日の神と大禍津日の神とは、それぞれ禊祓実行に於てア次元とイ次元が持つ意義内容を明らかにした神名なのであります。
八十禍津日の神
人は言霊アの次元に視点を置きますと、物事の実相が最もよく見えるものです。そこで信仰的愛の感情や芸術的美的感情が迸出して来ます。その感情は個人的な豊かな生活には欠かせないものです。けれどこの感情を以て諸文化を統合して人類全体の文明創造をするには自由奔放すぎて役に立ちません。危険ですらあります。禊祓の実践には不適当(禍[まが])という事となります。けれどこの性能により物事の実相を明らかにすることは禊祓の下準備としては欠く事は出来ません。八十禍津日の神の禍津日とはこの間の事情を明らかにした言葉なのです。禍ではあるが、それによって黄泉国の文化を聖なる世界文明(日)に渡して行く(津)働きがあるという意味であります。以上の意味によって禊祓に於ける上つ瀬言霊アの役割が決定されたのです。
では八十禍津日の八十(やそ)は何を示すのでしょうか。図をご覧下さい。菅麻(すがそ)音図を上下にとった百音図です。上の五十音図は言霊五十音によって人間の精神構造を表わしました。言霊によって自覚された心の構造を表わす高天原人間の構造です。下の五十音図は何を示すのでしょう。これは現代の人間の心の構造を示しています。元来人間はこの世に生まれて来た時から既に救われている神の子、仏の子である人間です。けれどその自覚がありません。旧約聖書創世記の「アダムとイヴが禁断の実を食べた事によりエデンの園から追い出された」とある如く、人本来の天与の判断力の智恵を忘れ、自らの経験知によって物事を考えるようになりました。経験知は人ごとに違います。その為、物事を見る眼も人ごとに違います。実相とは違う虚相が生じます。黄泉国の文化を摂取し、人類文明を創造する為には実相と同時に虚相をも知らなければなりません。そこで上下二段の五十音図が出来上がるのです。
合計百音図が出来ますが、その音図に向かい最右の母音十音と最左の半母音の十音は現象とはならない音でありますので、これを除きますと、残り八十音を得ます。この八十音が現象である実相、虚相を示す八十音であります。これが八十禍津日の八十の意味です。言霊母音アの視点からはこの八十音の実相と虚相をはっきりと見極める事が出来ます。
この八十相を見極めることは禊祓にとって必要欠く可からざる準備活動です。けれどそれを見極めたからと言って、禊祓が叶う訳ではありません。そこで八十禍と禍の字が神名に附される事になります。
古事記が八十禍津日の神に於て人間の境遇をアオウエイ五段階を上下にとった十段階で説く所を、仏教では六道輪廻の教えとして説明しています。それを敷衍して図の如く書く事が出来ます。
大禍津日の神
八十禍津日の神が、伊耶那岐の大神の禊祓の行法に於ける菅麻音図のア段(感情性能)の意義・内容の確認でありましたが、大禍津日の神は禊祓におけるイ段(意志性能)の意義・内容の確認であります。言霊イから人間の意志が発生しますが、意志は現象とはなりません。意志だけで禊祓はできません。また言霊イの次元には言霊原理が存在します。この原理は禊祓実践の基礎原理でありますが、禊祓を実行するに当り「基礎原理はこういうものだよ」といくら詳しく説明したとて、それで禊祓が遂行されるものではありません。言霊原理は偉大な法則です。けれどそれだけでは禊祓をするのに適当ではありません。そこで大禍(おほまが)となります。しかしその原理があるからこそ、伊耶那岐の大神は阿波岐原の中つ瀬に入って禊祓が実行可能となるのです。中つ瀬に於て光の言葉(日)に渡され、禊祓は完成される事になります。大禍に続く「津日」が行われます。言霊イの次元の意志の法則である言霊原理は、それだけでは禊祓の実践には不適当であるが、その原理を中つ瀬のオウエの三次元に於て活用する事で立派な役を果すこととなる、という確認が行われました。この確認の働きを大禍津日の神と呼びます。
この二神は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。
八十禍津日の神と大禍津日の神とは、伊耶那岐の大神がかの黄泉国という穢い限りの国に行ったときの汚垢(けがれ)から生まれた神である、と文庫本「古事記」の訳注に見えます。この解釈では禊祓の意味が見えて来ません。そこで少々見方を変えて検討することとしましょう。
伊耶那岐の命が妻神のいる黄泉国へ出て行き、そこで体験した黄泉国の文化はどんなものだったでしょうか。その文化は物事を自分の外に見て、そこに起る現象を観察し、現象相互の関係を調べて行く研究・学問の文化でありました。その学問では、今までに世間で真理だと思われて来た一つの学問の論理を取り上げ、それに新たに発見した新事実を披露し、今までの学問では新事実を包含した説明は成立しない事を指摘して、次に今までの学問の主張と新しい事実との双方を同時に成立させる事が出来る論理を発表して新しい真理だと主張します。この様に正反合の三角形型△の思考の積み重ねによって学問の発達を計るやり方であります。
客観的現象世界探究のこの学問では、他人の説の不足を指摘し、その上に自説を打ち立てる競争原理が成立ち、自我主張、弱肉強食そのものの生存競争世界が現出します。伊耶那岐の命は黄泉国のこの様相を見て、伊耶那美の命の身体に「蛆(うじ)たかれころろきて」居る様に驚いて高天原に逃げ帰って来ました。この事によって伊耶那岐の命は、黄泉国で発見・主張されている文化は不調和で穢いものではあるが、世界人類文明を創造する為には、これらの黄泉国の諸文化を摂取し、言霊原理の光に照らして、新しい生命を与える手段を完成しなければならないと考え、禊祓を始めたのであります。
その結果として種々雑多な黄泉国の文化を摂取して行くのにアオウエイ五次元の性能の中で、アとイの次元の性能は禊祓の基礎とし(イ・言霊原理)、また下準備とする(ア・実相を明らかにする)のが適当である事が分かり、八十禍津日、大禍津日の二神の働きを確認する事が出来たのであります。「この二神は、かの穢き繁き国に到りたまひし時の、汚垢によりて成りませる神なり」の意味は以上の様なことであります。
古事記の文章を先に進めます。
次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘(かむなほひ)の神。次に大直毘(おほなほひ)の神。次に伊豆能売(いずのめ)。
禊祓をアオウエイ五次元性能の中のどれでしたらよいか、を検討した伊耶那岐の大神はア次元とイ次元を調べて、この双方は禊祓の下準備(八十禍津日)や、基礎原理(大禍津日)としては必要であるが、そのもので禊祓をするのは不適当である事を確認して、上つ瀬でも下つ瀬でもない中つ瀬に入って禊祓をすることとなりました。その時に生まれましたのが神直毘の神、大直毘の神、伊豆能売の三神であります。中つ瀬にはウオエの三次元性能があります。神直毘は言霊オ、大直毘は言霊ウ、そして伊豆能売は言霊エの性能を担当する神であります。
神直毘の神
言霊オの宇宙から現われる人間の精神性能は経験知です。伊耶那岐の大神が禊祓を実行する為に心の中に斎き立てた衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)の鏡に照らし合わせて、人間の経験知という性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されました。その確認された働きを神直毘の神といいます。神直毘の神の働きによって黄泉国で産出される諸学問を人類の知的財産として、世界人類の文明創造に役立たせる事が可能だと確認されたのであります。
大直毘の神
言霊ウの宇宙より現出する人間の精神性能は五官感覚に基づく欲望性能です。この性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されました。この確認された性能を大直毘の神と呼びます。この大直毘の神の働きによって、世界各地に於て営まれる産業・経済活動を統合して世界人類全体に役立たせる事が可能である事が分かったのであります。
伊豆能売
阿波岐原の川の中つ瀬の最後の言霊エの宇宙より現出する人間性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されました。この確認された働きを伊豆能売といいます。言霊エの宇宙から発現する人間精神性能は実践智と呼ばれます。人間のこの実践智の働きによって世界の国々の人々が営む生活活動の一切、言霊ウオアエの性能が産み出すすべてのものを摂取、統合して、世界人類の生命の合目的性に添わせ、全体の福祉の増進に役立たせる事の可能性が確認されたのであります。伊豆能売とは御稜威の眼という意です。御稜威とは大いなる人間生命原理活用の威力、と言った意味であります。眼とは芽でもあります。眼または芽とは何を指す言葉なのでしょうか。
禊祓をするに当り、人間の根本性能である五母音アオウエイ性能のそれぞれの適否が検討され、その中のオウエ三つの次元が適している事が確認されました。この後、更に適当だと確認されたオウエの三性能について、可能とする道筋の経過が音図上で詳しく検討されます。その経過は明らかに言霊そのもので明示され、確乎とした事実としてその可能が証明されて来ます。その時、オウエの中の言霊エの性能が人間精神上最高・理想の精神構造として示され、主体的・客体的に絶対の真理であるという言霊学の総結論が完成されて来ます。その絶対的真理となる一歩手前の姿、という意味で伊豆能売、即ち御稜威の眼(芽)と謂われるのであります。
その179
「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」と言って伊耶那岐の大神は中つ瀬に入って行って、禊祓を始めました。すると「瀬速し」と言った上つ瀬、言霊ア段の禊祓に於ける功罪が先ず分って来ました。言霊ア段に立って見ると、摂取する外国の文化の真実の姿はよく見る事が出来る。けれど言霊ア段に於て禊祓を実行することは性急すぎて適当でない事が分ったのです。これを確認したことを八十禍津日の神と言います。次に下つ瀬の言霊イ段の禊祓に於ける功と罪が明らかとなりました。言霊イに存在する言霊布斗麻邇の原理は禊祓の実行の基礎原理であって、欠く可からざるものではあるけれど、原理・原則ばかりを並べ立てて見ても禊祓を実行することは出来ない事も明らかとなりました。この確認を大禍津日の神と呼びます。
以上の二点を見定めましたので、いよいよ伊耶那岐の大神は中つ瀬に入り、禊祓に適した人間の性能を探究し、神直毘、大直毘、伊豆能売の三神の働きを確認することになります。即ち中つ瀬のオ段に於て禊祓をすれば、確実に外国の学問、主義・主張等を摂取し、人類の知的財産として人類文明の中に所を得しめる事を予測したのです。この働きを神直毘の神と言います。次に中つ瀬のウ段に於て禊祓をしますと、世界各地で生産される物質、流通等の産業経済を人類全体の豊かな生活実現のために役立たせる事が可能であると予測出来ました。この働きを大直毘の神と呼びます。更に中つ瀬の言霊エの人間性能である実践智が禊祓に於て如何なる貢献を成し得るか、を検討し、その働きを伊豆能売(いづのめ)と言います。伊豆能売とは御稜威(みいず)の眼(め)の意です。御稜威とは人間の究極の生命原理活用の威力といった事であります。この言霊エ段に於て禊祓を実行する事によって全世界の一切の人間の生活の営みをコントロールして、人類生命の合目的性に叶う社会を造り上げる力がある事を予測した事になります。
以上、中つ瀬のオウエの人間性能によって禊祓を実行すれば、外国文化を統合して世界人類文明の創造は可能である事が推測できました。伊耶那岐の大神の心中に掲げられました建御雷の男の神と呼ばれる主観内原理が、如何なる外国の文化に適用しても、それを摂取し、世界文明創造の糧として所を得しめる事が可能である目安が立った事になります。伊耶那岐の大神の主観内に於て組立てられた建御雷の男の神という言霊五十音図が、いよいよ全人類の文明創造の絶対的原理として、人類の歴史経綸の鏡として打ち樹てられるという言霊学の総結論に入る事となります。
古事記の文章を先に進めます。
次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に底筒(そこつつ)の男(を)の命。中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。次に中筒の男の命。水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。次に上筒の男の命。
水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみ)の神。
伊耶那岐の命の天津菅麻(すがそ)音図の母音アオウエイのアを上つ瀬、イを下つ瀬としましたので、オウエが中つ瀬となります。そこで今度はオウエを区別するために中つ瀬の水底、水の中、水上の三つに分けたのであります。即ち水の底は言霊エ段、中は言霊ウ段、水の上は言霊オ段となります。そこで水底である言霊エ段に於いて禊祓を致しますと、底津綿津見の神が生まれました。底津とは底の港の意。言霊エの性能に於て禊祓をすると、外国の文化はエ段の初めの港、即ちエから始まり、最後に半母音ヱに於て世界文明に摂取されます。そうしますと、摂取されるべき外国文化の内容は底の津(港)から終りの津(港)に渡される事となります。綿(わた)とは渡(わた)す事です。すると底津綿津見の神とは、言霊エから始まり、言霊ヱに終る働きによって外国の文化は世界文明に摂取されるのだ、という事が明らかにされた(見)という意だと分ります。伊耶那岐の大神が心中に斎き立てた建御雷の男の神という音図の原理によれば、禊祓によって外国の文化を完全に摂取して所を得しめる事が可能だと分ったのです。
次に底筒(そこつつ)の男(を)の命。
衝立つ船戸の神の原理によれば禊祓は如何なる外国文化も摂取する事が可能であると分りました。とするならば、その初め、言霊エから始まり、言霊ヱまでにどんな現象が実際に起るのか、が検討され、明らかに現象子音の八つの言霊によって示される事が分ります。それはエ・テケメヘレネエセ・ヱの八つの子音の連続です。八つの子音は筒の如く繋がっていて、チャンネルの様であります。そこで下筒の男の命と呼ばれます。
何故下筒の神と呼ばずに下筒の男の命と言うのか、について説明しましょう。神と言えば、働き又は原則という事となります。禊祓の場合、エとヱとの間に如何なる現象が起きるか、が八つの子音言霊の連続によって示されるという事は、生きた人間が禊祓をする時、その人間の心の内観によって心に焼きつく如くに知る事が出来る事です。そこで男の命(人)と呼ばれる訳であります。内観ではあっても、それは子音であり、厳然たる事実なのです。その事は禅宗「無門関」が空の悟りを「唖子の夢を得るが如く、只(た)だ自知することを許す」と表現するのと同様であります。
中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。
中つ瀬の水の中と言うと言霊ウ段の事です。言霊ウの宇宙から現われ出る人間性能は五官感覚に基づく欲望性能であり、その性能が社会現象となったものが産業経済活動です。この性能次元で禊祓をすると、外国の経済産業活動から生産・流通して来る物質は極めて速やかに世界人類の生活に円滑に奉仕される事が明らかになったという事です。中津綿津見の神の最初の津とは言霊ウの働きがそこから始まる港のこと。次の津は言霊ウの働きがそこに於て終わって結果を出す港の意。中津綿津見の神の全部で、言霊ウの欲望性能で禊祓をすると、外国の産業経済活動が世界の経済機構に吸収され、その結果世界経済の中で所を得しめる働きがあることが証明された、の意となります。
次に中筒の男の命。
では言霊ウ段に於ける禊祓がどういう経過を踏んで達成されるか、の言霊子音での表現が明らかとなった事であります。即ちウよりウに渡る間の現象を言霊子音で示しますと、ウ・ツクムフルヌユス・ウの八子音で表わすことが出来、この実相が心に焼きつく如く明らかに禊祓を実行する人の心中に内観されることとなります。
水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。
中つ瀬の水の上は言霊オ段です。この母音宇宙から現出する人間性能は経験知です。この性能が社会的活動となると学問と呼ばれる領域が開けて来ます。この性能に於て禊祓をしますと、上津綿津見の神が生まれました。言霊オから言霊ヲまでの働きによって外国で生れて来る各種の学問や思想等が人類の知的財産として摂取され、人類全体の知的財産の向上のためにその所を得しめることが可能であると確認されたのであります。
次に上筒の男の命。
そして外国の学問・思想等知的産物が世界人類の知的財産として所を得しめられるまでに、八つの現象を経過して行なわれる事が分りました。その経路はオ・トコモホロノヨソ・ヲの八つの子音であります。この八つの子音が繋がった筒(チャンネル)の如くなりますので、またその八つの子音は禊祓を実践する人の心中に焼きつく如く内観されますので、上筒の男の命と呼ばれる事となります。
以上、底中上の綿津見の神、筒の男の命六神の解説を終ることとなりますが、御理解頂けたでありましょうか。伊耶那岐の大神が客観世界の総覧者である伊耶那美の命を我が身の内のものと見なし、自らの心を心とした御身(おほみま)を禊祓することによって外国の文化を摂取し、これを糧として人類文明を創造して行く禊祓の実践の作業は、これら六神に於ける確認によって大方の完成を見る事となります。そしてこの六神に於ける確認によって五十音言霊布斗麻邇の学問の総結論(天照大神、月読の命、建速須佐之男の命の三貴子[みはしらのうずみこ])の一歩手前まで進んで来た事になります。
ここで一気に総結論に入る前に、底津綿津見の神より上筒の男の命の六神の事について少々説明して置きたい事があります。古事記神話の始まりから結論までに五十音を構成している母音、半母音、父韻、親音については縷々(るる)お話をして来ました。けれど子音についてはそれ程紙面を割(さ)くことはありませんでした。何故なら子音の把握が他の音に比べて最も難しい為であります。子音は他の音と違って現象の単位です。現象でありますから、一瞬に現われ、消えてしまいます。母音、半母音、父韻、親音は理を以て何とか説明することが出来ますが、一瞬に現われては消える現象は説明の仕様がありません。そこに把握の難しさがあると言えます。
今までに子音に関する記述は、古事記の「子音創生」の所で見られます。先天十七言霊が活動を開始して、子音がタトヨツテヤユエ……と三十二個生まれ出る所であります。先天言霊の活動によって子音コ(大宜都比売の神)が生まれるまでに大事忍男の神(言霊タ)から始まり、鳥の石楠船の神(言霊ナ)までの三十一言霊の現象を経ることとなります。現象子音(コ)を生む為に頭脳内を三十一の子音現象を経過すると言うのですから理論上の想像は出来ても、その子音三十一の現象の連続の中から、一つ一つの子音の実相を把握することは殆(ほとん)ど不可能に近いと言わねばなりません。
けれど不可能だなどと呑気に言っている訳には参りません。日本人の祖先はチャンと三十二の子音を把握して、それによって物事の実相がハッキリ表わされるように名前を附け、現在に至るまで通用している日本語を造ったのですから。では子音を把握する手段は何処に発見されるのか。その唯一無二の道が底津綿津見の神より上筒の男の命までの六神が示す禊祓の実践の行程の中に発見されるのであります。
禊祓の実践者が、自らの心を心とし、外国の種々の文化を自らの身体とする伊耶那岐の大神の立場に立ち、自らの心の中に斎き立てた建御雷の男の神の音図を基本原理として、自らの御身を禊祓する時、自らの心の中つ瀬の底(エ)、中(ウ)、上(オ)段の行為は如何なる経過を辿って禊祓を完成させるか、を内観する時、水底の言霊エ段がエ・テケメヘレネエセ・ヱ、水の中の言霊ウ段がウ・ツクムフルヌユス・ウ、次に水の上である言霊オ段がオ・トコモホロノヨソ・ヲという明快な経過を経て、外国の文化を摂取する事が、心中に焼き付くが如くに把握され、自覚する事が出来るのであります。それは自己内面の心の変化の相として、比較的容易に各子音現象を自覚する事が出来る事となります。
以上の如く言霊エウオの段に属するそれぞれの八つの子音の把握は可能である事が分りました。残る現象の一次元であるア段の子音タカマハラナヤサは如何にしたらよいのでしょうか。それは禊祓を実践する人の心の中に、言霊アの感情性能の移り変わりの変化として自覚することが出来ます。それはア・タカマハラナヤサ・ワの初めから終りまでの経過として把握することが可能となるのであります。
この様にアオウエの現象の四母音次元に属する三十二個の現象子音は、人間精神の最小の要素である五十の言霊を操作して、人間が与えられた最高の性能である人類文明創造の実践の中に、今・此処即ち中今の生きた言霊の活動する相として把握され、自覚される事となります。そしてその子音の相の把握という事は、最近の会報の中で度々随想の形で書いてきた事でありますが、生きて活動している人が、自らの生命の実体、生命の実相を手に取って見るが如く確実に、自らの心の中に内観することなのであります。人が自らの生命の実体を自らの心の中に、正に事実として内観するのです。
人が生まれると新しい生命(いのち)の誕生と言われます。人が死ぬと一人の生命が失われたと言います。生命は人の最も尊いものと言われて来ました。けれど人はその生命とは何か、を知りません。最近生命科学がその生命の中に客観的物質科学のメスを入れ、遺伝子DNAの実像を解明しました。私はその方面の事には全くの門外漢でありますが、人類が客観的科学の研究によって生命そのものの内部の消息を明らかにしつつある時代となったと言う事でありましょう。それは素晴らしい事であります。けれど人類が客観とは反対の方向、即ち自らの生命を主観の方向に探究して、驚くべき事に今から少なくとも八千年以上昔に、既にその生命要素の実相を見極めてしまっていたという事実に、現代人の注意を喚起せねばならないと思います。太古の昔、日本人の祖先によって人間生命を内側に見て、そのすべてが言霊布斗麻邇の学として解明され、更に今現在、生命を外に見て、その究極にDNA等の学問として現代物質科学が解明を続けています。この人間が自分自身の生命の実相を内と外との両面から解明するという事実が、人類の将来にとって如何なる事を示唆しているのか、興味津々たるものがあります。
古事記の文章を先に進めます。
この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。
その180
底津・中津・上津の綿津見の神と底・中・上の筒の男の命の六神の働きによって、先に伊耶那岐の大神が心中に確認した建御雷の男の神(衝立つ船戸の神)を鏡とするならば、如何なる黄泉国外国の文化も禊祓によって世界人類全体の文明に摂取し、新しい生命を与える事が出来るという事が証明されました。単なる主観内真理であった建御雷の男の神が名実共に主観的と同時に客観的な、即ち絶対の人類文明創造の原理となったのであります。
言い換えますと、禊祓によって外国文化を世界文明に引上げる時に起る現象の変化、底筒の男の命(エ段)のテケメヘレネエセ、中筒の男の命(ウ段)のツクムフルヌユス、上筒の男の命(オ段)のトコモホロノヨソの三段の言霊八子音それぞれの現象を経るならば、外国文化は間違いなく世界文明に吸収出来る事が証明されたのであります。このエウオ三段のそれぞれの八つの現象子音と、その時禊祓を実行する人の心に起る感情ア次元タカマハラナヤサの八子音を加え、合計三十二の現象子音の実相が、祓祓の実行者の心中に焼き付く如く明らかに自覚されます。この自覚された四段の八子音を特に霊葉(ひば)、即ち光の言葉と呼びます。
それは高天原の言霊原理に基づく事のない言葉で構成されている黄泉国外国の暗黒の文化に生命の光を注(そそ)ぎ、人類の光の文明に引上げる言葉であるからです。生命が躍動している今・此処(永遠の今)の内容である言霊五十音原理に基づいた実相そのものの言葉だからであります。
綿津見・筒の男六神に続く古事記の文章の解釈に入ります。
この三柱の綿津見の神は、阿曇(あづみ)の連(むらじ)等が祖神と斎く神なり。
連(むらじ)とは「姓(かばね)の一。神別に賜わり、臣(おみ)と共に朝政にあずかる名家で、その統領を大連(おおむらじ)という」と辞書に載っています。底津綿津見・中津綿津見・上津綿津見の三柱の神は阿曇の連等が先祖としてお祭りする神です、の意であります。阿曇(あづみ)とは明(あき)らかに続(つづ)いて現われる(み)の意。綿津見は外国の文化を摂取して世界文明の内容として表わすという事でありますから、綿津見と阿曇とは意味が同じ事となります。太古はその人の仕事としていた官職を以て姓とするのが慣習でありましたから、阿曇の一族とは、後世外国の文化を摂取するに当り、受け入れる外国の言葉を、言霊原理に則ってその実相がよく分る大和言葉で表わす官職についていた人達であろうと推察されます。
かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子、宇都志日金柝(うつしひかなさく)の命の子孫(のち)なり。
綿津見の神の子、とある神の子というのは神様の子という事ではなく、その神の内容の応用、またはその内容を仕事とする人の意であります。宇都志日(うつしひ)金柝の命の宇都志(うつしひ)とは現(うつし)しで、現実に、の意。日は言霊の事、金柝(かなさく)とは神名(かな)で綴って言葉とし、世の中に咲(さ)かせる、の意。命の名の全部で「現実に外国の言葉を言霊原理に則った言葉で表わして、世の中に流布(るふ)させる人(命)」という事になります。底・中・上の綿津見の神が禊祓によって外国の文化を摂取して世界人類の文明の内容に消化・吸収して行く事の可能性を確認する働きの事でありますから、その働きの応用として宇都志日金柝の命から阿曇の連と続く家系とその官職の相続となる事が窺えます。
古事記の宇都志日金柝の命の事を竹内古文献では萬言文造主(よろずことぶみつくりぬし)の命と呼んでおります。
その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前(みまえ)の大神なり。
墨の江の墨(すみ)は統(す)見、総(す)見、澄(す)見の意であり、江(え)とは智恵(ちえ)の事です。底・中・上の三筒の男の命によって外国の文化を世界文明の中に吸収して新しい生命を与える可能性を言霊子音の配列ではっきりと証明する事が出来ました。その結果、言霊学の総結論となる天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三神が誕生する前提となる条件とその内容はすべて出揃った事になります。総見とは総べみそなわす、の意で、天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三神は人間の営みの一切のものの総覧者であります。三筒の男の命はその総覧者の持つ智恵の全内容の事でありますので、総見(すみ)の恵(え)の三前(みまえ)の大神と呼ぶのであります。世界人類一切の総覧者の誕生の前提となる三つの智恵の働き、という事であります。
右の経緯を前号の随想でお知らせしました言霊と数霊との関係で説明してみましょう。禊祓の実行に用いられる判断力の事を十拳(とつか)の剣と申します。一つの行為を始めから終りまで十数を以て区切ってする判断のことです。伊耶那岐の大神が自らの心を心とし、世界人類の心を自らの身体として始める禊祓の出発を一とし、一二三四五……と禊祓の行が進展して行き、判断の九数目に六七八九(むなやこ)と子音(言霊コ)の並びで示される筒の男の命の段階となります。言霊子音の配列によって物事の内容は確定し、物事は終いに終結します。一二三四……と続いた禊祓の行は最後に九十(こと)となり、物事はコトとして成立し、終ります。また言霊トは「桑田変じて海となる」「わが物とする」の如く、物事の転化の帰着する処を
示す音でもあります。以上、禊祓の行を言霊と数霊との関係で説明しました。
更に綿津見と筒の男の内容を古事記と日本書紀双方の文章を比較しながら解釈を試みることにしましょう。「古事記と言霊」の書の二六○頁の注に――
日本書紀の千引の石(ちびきのいは)の章に「時に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)乃ち其の杖(つえ)を投(なげう)ちて曰く、此還(このかた)雷来(いかづちく)な。是を岐神(ふなどのかみ)と謂う。此の本の名をば来名戸(くなど)の祖神(さえのかみ)と曰う」とある。岐神(ふなどのかみ)は古事記では衝立つ船戸(つきたつふなど)の神(かみ)と呼ぶ。その本の名は来名戸(くなど)の祖神(さえのかみ)である。来名戸とは「ここより来るな」の意と同時に、九十七の戸の意味でもある。九十七の数は「墨江の三前」即ち底筒の男・中筒の男・上筒の男の三神、言霊百神の中の三つ手前(前提)の九十七の意味である。高天原の主観的真理と黄泉国の客観的真理探究の二つの世界の間の結界(千引の石)とは筒の男三神が明らかにする言霊三十二の子音の自覚であることを示している。――
とあります。来名戸とは「ここより来るな」の意でありますが、これは旧約聖書ヨブ記の「海の水ながれ出て、胎内より湧きいでし時、誰が戸を以て之を閉じこめたりしや、かの時われ雲をもて之が衣服(ころも)となし、黒闇(くらやみ)をもて之が襁褓(むつぎ)となし、之に我が法度(のり)を定め、関および門を設けて、曰く、此(ここ)までは来るべし、此を超ゆるべからず、汝の高波ここに止まるべしと」あるのと同様のことであります。古事記の「言戸の度(わた)し」の文章の中で、千引の石を挟んで伊耶那岐の命と伊耶那美の命が明らかに離婚を宣言します。この離婚宣言によって、一つの生命を内に観じて探究する主観的精神の学問と、外に見て客観的に研究する物質的科学とは、双方の完成された姿に於てのみ比較が可能であり、その結果は双方が相似形となること、そこまで行かぬ途中の状態での比較と同一性の論議は必ず合理性を欠く事になるという事実が示されたのであります。そしてその宣言の決定的証明が今お話申上げました三筒の男の命の子音の自覚という事になります。
「古事記と言霊」講座と題しました過去二十回余のお話によりまして、講座の総結論となります三貴子(みはしらのうずみこ)、天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の章に入る一切の準備が整いました。これより古事記の三貴子の章に入ります。
ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照らす大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐の男の命。
ここに古事記の文章では初めての選り分けの言葉、左の御目、右の御目、御鼻という言葉が出て来ました。どういう事か、と申しますと、阿波岐原の川の流れを上中下の三つに分けました。上はア段、下はイ段、そして中はオウエの三段としました。その中つ瀬のオウエを各々選り分ける為に底中上の三つの言葉を使いました。次にその底中上について重ねて現象を述べるに当り、底中上の区別を二回続けるのは芸がない、と思った為でありましょうか。太安万侶は全く別の表現を使ったと考えられます。それが顔の中の左の目、右の目、鼻の区別なのであります。顔とは伊耶那岐の命の音図、即ち天津菅麻(すがそ)音図の事です。菅麻音図は母音が上からアオウエイと並びます。この母音の列を倒して上にしますと、左より右にアオウエイと並び、その中の中央の三母音を顔に見立てますと、言霊エは左の目、言霊オは右の目、鼻は言霊ウとなります(図参照)。
ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照らす大御神。
そこで左の御目を洗いますと、天照らす大御神が誕生することとなります。その内容は言霊エで始まり、エ段の子音(底筒の男の命)テケメヘレネエセが続き、最後に言霊ヱで終る、人間の基本的性能である実践智、道徳智の究極の鏡の構造が出来上がりました。この構造原理を基本原理として、人類一切の生活の営みを統轄し、人類全体の歴史創造の経綸を行う働きの規範の誕生です。これを天照大御神と申します。またその統轄原理を言霊五十音を以て表わした言霊図を八咫の鏡と呼びます。伊勢神宮正殿床上中央に祭られる御神体です。またその五十音言霊図を天津太祝詞(音図)と呼びます。
次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命。
右の御目に相当する次元は言霊オの経験知です。禊祓の実行によって人間の経験知、それから発生する人類の諸種の精神文化(麻邇を除く)を摂取・統合して人類の知的財産とする働きの究極の規範が明らかに把握されました。月読の命の誕生です。その精神構造を言霊麻邇によって表わしますと、上筒の男の神に於て示された如く、オ・トコモホロノヨソ・ヲとなります。
次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐の男の命。
顔の真中の鼻に当るのは言霊ウの性能、五官感覚に基づく欲望です。その働きの社会に於ける活動は産業・経済です。禊祓によって人間の欲望性能に基づく世界各地の産業・経済活動を統轄して世界人類の物質的福祉に寄与させる働きの最高の精神規範の自覚の完成が確認されました。建速須佐の男の命の誕生です。その原理を言霊麻邇を以て表わしますと、中筒の男の命で明らかにされました如く、ウ・ツクムフルヌユス・ウとなります。
両児島(ふたご)またの名は天之両屋(あめのふたや)
以上、八十禍津日の神より建速須佐の男の命までの合計十四神が心の宇宙の中で占める区分(宝座)を両児島または天之両屋(ふたや)といいます。両児または両屋と両の字が附けられますのは、この言霊百神の原理の話の最終段階で、百音図の上段の人間の精神を構成する最終要素である言霊五十個と、下段の五十個の言霊を操作・運用して人間精神の最高の規範を作り出す方法との上下二段(両屋)それぞれの原理が確立され、文字通り言霊百神の道、即ち百道(もち)の学問が完成された事を示しております。先に古事記の神話の中で、言霊子音を生む前に、言霊それぞれが心の宇宙に占める区分として計十四の島を設定しました。今回の両児の島にてその宇宙区分の話も終った事になります。
伊耶那岐の大神の顔に譬えられた左の御目、右の御目、御鼻から生まれました天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三神を三貴子(みはしらのうずみこ)と呼びます。言霊百神、布斗麻邇の学問の総結論であります。幾度か繰返す事ですが、古事記神話の始め天の御中主の神(言霊ウ)より火の夜芸速男(ほのやぎはやを)の神(言霊ン)までの五十神が心の構成要素である五十個の言霊、次に五十一番目の神、金山毘古の神より百番目の建速須佐の男の命までの五十神が言霊の操作法を示す神名であります。前の言霊五十神が鏡餅の上段、後の五十神が鏡餅の下段に当り、二段の鏡餅で言霊百神、即ち百(も)の道(ち)の原理となります。現在の伊勢神宮は五十の言霊を祭る宮であり、その古名は柝釧(裂口代[さくしろ])五十鈴(いすず)宮であります。また言霊の操作法五十神を祭る宮は石上神宮であり、太古より神宮に伝わる「布留の言本(ふるのこともと)」日文四十七文字は、言霊四十七を重複することなく並べて、五十音の操作法を教えております。
以上をもちまして古事記神話冒頭の天之御中主の神より建速須佐の男の命までの言霊百神の学の講義は終了いたしました。後少々、言霊原理の後日譚といたしまして一、二回のお話を残すだけとなりました。ここで念の為、過去二十一回の講座を振り返り、復習をする事にいたします。先ず簡単に今まで続いて来た話の題(章)を書き連ねます。
一、天地初発の時(先天十七言霊)
二、淤能碁呂島[おのごろしま](己れの心の締りの島)
三、島々の生成(宇宙区分、十四島)
四、神々の生成(三十二子音と神代文字言霊ン)
五、五十音の整理と活用(和久産巣日の神、建御雷の男の神)
六、神代文字の原理(八山津見の神)
七、黄泉国(よもつくに)
八、言戸度(わた)し(伊耶那岐・美二神の離婚)
九、禊祓(伊耶那岐の大神、御身[おほみま])
十、三貴子(天照らす大御神、月読の命、建速須佐の男の命)
言霊布斗麻邇の学問の教科書である古事記神話の内容を箇条書にすると右の十の章に分けられます。第一章の「天地の初発の時」は言霊学の発端であり、最後の章「三貴子」は結論となります。アルファからオメガまでの間に八つの章で示される経緯があります。全編の十章は一大スペクタクルのドラマの如く、「人間の精神」という主題を一から十まで一分の隙もなく画きながら、生命の流れを流れ下るように解明して行く大小説を読む感があります。読者におかれましては、神話を始めから結末まで順序よく何回でも読み返して下さり、その話の筋道をスラスラと御自身の心の中に実現する如く作り上げて行って頂き度いものであります。その結果、人間の心の構造とその働きが自分自身の心を振り返るよすがとなる鏡の如く、そのイメージがはっきり結ばれて来るに違いありません。その鏡こそ昔から伊勢神宮の御神体と称せられているものの実体なのです。その鏡が完成したら、喜び勇んで鏡を鏡としてご自分の心の宇宙の楽しい旅に御出発下さい。その旅は必ず第三生命文明時代という人類の楽園に導いてくれる事でありましょう。
その181
天の御中主の神に始まり、天照らす大御神、月読の命、建速須佐の男の命(三貴子)の誕生に終る言霊百神の講義は前号にて終了しました。人間精神を構成する最終要素である五十の言霊と、それを整理運用する五十の運用法、計百の道理はここに完成したのであります。
ところが、古事記には右の百神の原理に次いで、その附録、または後日譚とも謂うべき神話が文庫本にして半頁程書かれているのであります。この半頁程の神話を言霊百神の神話と同様に謎解きをしますと、極めて重要な事柄が示されている事に気付きます。そこには人類の歴史創造の営みにとって重大な影響を持つ三つの事項が書かれています。その事について今号より百神の原理の後日譚としてお話して参ります。三つの事項とは次の様なものです。
一、天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三権分立
二、天照らす大御神にのみ言霊原理を与えた事
三、建速須佐の男の命の反逆
古事記の文章を載せます。
この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。
以上は「三権分立」と「天照らす大御神にのみ言霊原理を与えた」という第一と第二の事項の古事記の文章であります。説明して参ります。
この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、
天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命という言霊エ・オ・ウを中心とした言霊学の総結論を完成した伊耶那岐の命はここに到るまでの経緯を顧(かえり)みて、三貴子の結論に達した事を大層喜んで、次のように言いました。「私は最初に伊耶那美の命と協力して言霊子音を生み、次に私一人でその言霊の整理・運用法を検討し、終に言霊学の総結論である三貴子(みはしらのうづみこ)を得る事が出来た」と言いました。
この伊耶那岐の命の子生みを「子音創生」の神話からと考えますと、子音三十三、整理法五十計八十三神となります。また伊耶那岐の命を言霊布斗麻邇の神と考えますと、古事記冒頭の天の御中主の神以下建速須佐の男の命まで、伊耶那岐の命自身を含めた言霊百神全体の事と受け取る事が出来ます。
すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さして賜ひき。
御頸玉(みくびたま)とは頸に巻いた玉の事、その玉を糸で繋いだロザリーであります。また頸(くび)とは組(く)む霊(ひ)の意でもあります。言霊の事を霊と呼びます。言霊を組む事によって大和言葉が生まれます。御頸玉とは三種の神器の一つ、八坂(やさか)の勾珠(まがたま)と同様のものであります。「もゆら」とは辞書に「玉がゆれ動き、触れ合って鳴る音」とあります。そのロザリーを天照らす大御神に与えました。という事は言霊の原理を天照らす大御神に与えた事になります。そして伊耶那岐の命は天照らす大御神に「汝が命は高天原を治めなさい」と命令し、委任したのでした。高天原とは前にもお話いたしました如く、五十音言霊麻邇によって結界された清浄無垢な精神の領域の事を謂います。
かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。
この様に天照らす大御神に言霊原理を与え、月読の命、建速須佐の男の命には言霊原理は与えられませんでした。この事は人間の心の内容・意義にとって、またその後の人類文明創造の歴史の中で重大な影響・意味を持つ事になりますが、その事に就いては後程詳しくお話することといたします。
かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。
御倉板挙とは御厨(みくりや)の棚(たな)の意です。天照らす大御神の知しめす食物といえば言霊のことです。それを並べておく棚という事で五十音言霊図の事であります。天照らす大御神が父神、伊耶那岐の命から授かった御頸珠とは五十音言霊図、またはその原理だ、という事となります。
次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。
次に伊耶那岐の命は月読の命に「貴方は夜の食国を治めなさい」と命令し、委任しました。夜の食国とは昼間の言葉である言霊に対して、その言霊の日の光がない国の言葉、それは哲学や宗教に見られる経験知より始まる概念とか、または表徴等の言葉の事でありましょう。精神内容を表現する言葉から言霊原理を差引いた言葉の領域、これを夜の食国といいます。この事は月読(つくよみ)の命という名前の由来ともなっています。月読の月(つく)とは附く、即ち附属するの意です。何に附属するか、と言いますと、言霊とその原理に附属して「読む」、即ち説明するの意です。そこに経験知に従って表出された概念や表徴の言葉が使われるようになります。それはまた言霊即ち日(ひ)(太陽)の光を反射して照る月の光で物を見るように、何事も薄ぼんやりとして実相が見えない領域を指しています。月読の命はこの領域を治めよと命令され、委任されたのでした。
次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。
伊耶那岐の命は建速須佐の男の命に「お前は海原を治めなさい」と命令し、委任したのでした、の意。海原とはウの名の原の意で言霊ウの領域の事です。言霊ウの心の宇宙から発現する人間性能は五官感覚に基づく欲望です。その性能が社会活動となって産業・経済社会を現出させます。現代科学文明はこれによって創造されたのであります。
以上、伊耶那岐の命は三貴子にそれぞれの統治の分野を決定したのでした。天照らす大御神には高天原を、月読の命には夜の食国を、建速須佐の男の命には海原を統治する事を命令し、それを委任したのであります。世界人類の文明を創造して行く為の人間の基本性能である言霊エオウの三次元宇宙のそれぞれの主宰神として天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命を任命したのであります。これを人類文明創造上の精神の三権分立と呼んでいます。
この三権分立が実際に歴史を創造するに当り人間精神の五段の次元をどの様に分担したかを考えてみましょう。天照らす大御神が治める高天原とは、言霊原理に基づいて人類の歴史を創造する実践智の領域です。即ち言霊イ(言霊原理)と言霊エ(実践智)を活動領域とします。その統治の責任者は、神代といわれる第一精神文明時代には霊の本(日本)の国の天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)であり、言霊原理隠没の第二物質科学文明時代には、言霊原理によって作られた日本語を話す日本人の心の奥の潜在意識として、またその原理の象徴物である三種の神器として日本天皇家の秘宝となって皇居賢所に保管され、来るべき文明転換の時を待っています。
月読の命は、その自らの分野である言霊オに言霊アの分野を結び付け、言霊原理を除いた主観世界の観察に採用し、世界の哲学、宗教、芸術の諸文化を創造して行きました。世界各民族に伝わる神話もその所産であります。そしてその活動地域は主として東洋でありました。
建速須佐の男の命は、その自らの分野、言霊ウに言霊オを取り入れ、それを客観世界研究に採用し、自然科学を振興させ、産業・経済社会を建設して行きました。その活動舞台は最近までは主として西洋地域でありました。
以上の三権分立を表に示しますと、次の如くになります。
次に後日譚の第二の事項「伊耶那岐の命は三貴子の中で天照らす大御神のみに言霊原理を与えた」事についてお話を進めましょう。
伊耶那岐の大神が禊祓をする為の規範として斎き立てた衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)の音図が、禊祓の作業の最終段階の底・中・上の三筒の男の命によって三通りの言霊子音の連続の現象として絶対の真理であることが證明されました。その證明によって言霊学の最終的結論である天照らす大御神、月読の命、建速須佐の男の命が誕生したのでした。それによれば、天照らす大御神の働きは、絶対真理と證明された天津太祝詞音図のエ段、エ・テケメヘレネエセ・ヱであり、月読の命の働きはオ段、オ・トコモホロノヨソ・ヲであり、また建速須佐の男の命のそれはウ段のウ・ツクムフルヌユス・ウと示されたのです。にも拘らず、三貴子の誕生後に於て、伊耶那岐の命は天照らす大御神にのみ言霊原理(御頸玉)を授け、月読の命と建速須佐の男の命には授けなかったのであります。言い換えますと、人間の心の五次元性能アオウエイの中で、言霊エによってのみ言霊イの言霊原理を操作・運用することが出来る、という事実が決定した事になります。
では、天照らす大御神と同様、筒の男の命の八子音によってその絶対性が證明され、しかも言霊原理を与えられなかった月読の命と建速須佐の男の命は、どの様にして伊耶那岐の命から指定されたそれぞれの分野、夜(よ)の食国(おすくに)と海原(うなばら)を統治して行ったのでしょうか。前に触れましたように、月読の命には言霊原理の代りに、経験知に基づく概念、比喩、表徴等が与えられ、それによって言霊原理に基づく物事の名を説明する事、言霊原理による物事の実相を比喩・表徴によっておぼろげではあるが、その実相に限りなく近づける弛まぬ努力の作業によって、哲学、宗教、芸術の領域を広め、人々を教育する分野を司って行きました。そして高天原の言霊原理が世の表面から隠されてしまった、人類の第二物質科学文明時代にあっては、三貴子の残された二神の一として、片方の建速須佐の男の命の物質面に対して、精神面を受持ち、荒廃する人類精神の唯一の支柱となったのであります。太陽が西の空に隠れた後の夜空に地上を照らす月の働きとなって、人々の心の慰めとなり、希望を与える役目を果たして行ったのであります。
言霊原理を与えられず、海原である言霊ウの名の原、即ち人間の欲望性能の主宰となった建速須佐の男の命には言霊原理の代りに数が与えられました。言霊ウの性能に言霊オの経験知を結び付け、その働きを客観方向に向け、観察の結果の表現法として数の概念を取り入れたのであります。それによって現象の表現と諸現象の間の関係の表現を数によって示す事によって表現の曖昧さを無くし、人間の信頼に耐え得る学問・文化を築いて行きました。その結果は、人類の第一精神文明の基礎である高天原の言霊原理と、その精確さに於て引を取らぬ物質科学文明を築き上げて行く事になります。
建速須佐の男の命という名は、竹がすさまじく速く延びて行く、と読める如く、人間の欲望性能の行き着くままに、すさまじい勢いで生存競争の世の中にあって物質科学を発展させて行く事を示しております。と同時に、その反面、須佐の男の名は、須(す)即ち人類の主(す)である天照らす大御神を佐(助)けるとも読めます。人類の第二物質科学文明完成の暁、精神文明の天照らす大御神と物質文明の須佐の男の命は共に相携えて、車の両輪の如く第三の人類文明時代の建設の責任者ともなる事を示してもいるのであります。
蟹はその甲羅に似せて穴を掘る、と謂われます。同様に人類もまたその甲羅に似せて穴を掘ります。人の甲羅とは人間の心の全構造とその働きの事であり、穴とは人類文明創造の歴史の事であります。日本人の大先祖である皇祖皇宗は長い年月をかけて五十音言霊布斗麻邇の原理を発見し、その原理に基づいて人類の文明創造の法則を禊祓の行法によって古事記神話が教える如く、高天原の天照らす大御神(エ)、月読の命(オ)、建速須佐の男の命(ウ)の三貴子という総結論を手中にしました。この結論を得た後に、天照らす大御神にのみ言霊原理を与えるという大英断を下しました。その三貴子のエ・オ・ウの三権分立・協同の縄(名和)を巧妙に糾(あざな)う事によって、この地球上に、人類の永遠の福祉社会を築く為の経綸を定め、実践することとなります。
特に天照らす大御神にのみ言霊原理を与えた事、即ち人間精神の最高位にある創造意志の次元にある八父韻操作が天照らす大御神(言霊エ)によってのみ自覚・操作されるという人間の基本性能の彩(あや)を最高度に活用して、人類の第一精神文明、第二物質科学文明、そして今後予想される第三生命文明時代創造と続く人類歴史創造の経綸の大綱を決定して行ったのであります。言霊原理とその操作法を説く言霊学に基づいて永遠の人類生命の営みの歴史の大綱を決定した日本人の大先祖の気宇の高邁さが忍ばれるのであります。
以上で後日譚の第二項「御頸玉は天照らす大御神にのみ与えられた」の説明を終ります。これによって天照らす大御神は自らの統治の領域である高天原日本は勿論のこと、月読の命の宗教・哲学・芸術の分野や、建速須佐の男の命の物質科学・産業経済の分野の社会の進展状況をも、即ち人類の現実界の営みの一切を言霊麻邇の相に於て観照・把握し、それを統轄して、世界人類の文明の創造者として日本の高天原に君臨しているのであります。言霊麻邇は言霊エに於てのみ操作する事が出来るものだからです。
後日譚の第三項「建速須佐の男の命の反逆」の話に入る事とします。先ず古事記の文章を書き記します。
故(かれ)、各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)如(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。故(かれ)、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治らさずて、哭きいさちる。」とのりたまへば、答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神大く(いた)忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然(しか)らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂(かむや)らひに遂らひたまひき。故、その伊耶那岐大神は、淡路の多賀にまします。
以上が速須佐之男命の反逆の文章であります。「古事記」の角川文庫本には、先に建速須佐の男の命と書き、此処では速須佐之男命と文字に違いがありますが、そのままに書く事といたします。「反逆」と書きましたのはどういう事なのか、先ずその事から説明して参ります。
故(かれ)、 各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、
故(かれ)、即ち「故(ゆえ)に」とありますのは、伊耶那岐命が三貴子である天照らす大御神には高天原を、月読の命には夜の食国を、そして建速須佐の男の命には海原を、それぞれ治めなさい、と命令し、委任した事を受けての言葉であります。三柱の神に伊耶那岐の命が命令して以来、三貴子のそれぞれは長い間自らに委任された精神上の国々を命令に従って、力を合わせ、三権分立し、同時に三位一体となって精神界の統治の事業を実行して行ったのであります。この期間は、実際の人類の歴史上では、今から八千年乃至一万年前から、三千年乃至五千年程前までの間と推定されます。
そしてその期間に於ては、天照らす大御神は言霊原理によって高天原日本と全世界の文明創造の任に当り、月読の命は言霊原理を除いた精神界に於て、比喩・表徴・神話等の方法で言霊原理を一般に説明する仕事を分担し、速須佐之男命は姉神天照らす大御神の言霊原理運用の法をそのまま物質世界の産業・経済社会に適用することによって、物質の生産・流通の促進・調整の任に当っていたのであります。
速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、
三貴子の三権分立、三位一体の時代、人類の第一精神文明時代は長い間続きました。しかし或る時、物質の生産・流通の調整の任に当っていた速須佐之男の命の胸中に変化が起こって来ました。今から約四・五千年前の事と推定されます。速須佐之男の命は思いました。「姉神、天照らす大御神の精神の原理、五十音言霊布斗麻邇の学は確かに非の打ち処がなく、完璧なものである。けれど心とは違い、物質世界に於ては、精神界の原理とは違った法則があるように思えて仕方がない。私は何としてでもこの物質界の法則を検討し、極めてみたくなった。」一旦こう思ってしまった速須佐之男の命には、姉神の言霊原理を真似る事によって海原である物質を運営する仕事に対する情熱がすっかり冷めてしまったのです。速須佐之男の命は父神伊耶那岐の命から命令・委任された物質の生産・流通の仕事をやらなくなってしまいました。
八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。
須(ひげ)は鬚(ひげ)です。また霊気(ひげ)の謎でもあります。霊(ひ)は言霊、気(け)はその言霊を生む原動力である父韻を意味します。八拳須とありますから八つの父韻の並びという事になります。心前(むなさき)に至るまで、とは自分の心に満足が行くまで、との意。啼きいちさき、とは、八父韻は古事記の前の所に出て来ました「泣き騒ぐ」神(泣沢女神)であります。速須佐之男の命は高天原の「タカマハラナヤサ」の八父韻の配列ではない、物質探究に適した方法の配列は見つからぬものか、と躍起となって声を出して探し求めたのであります。
その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。
高天原精神界は一切のものをその有りの侭に認め、それ等のものを全体の調和に導いて行く文明創造の原理です。それに反して速須佐之男の命が目指す物の探究は、一切のものを破壊し、その要素に分解して性質を探ろうとする高天原とは全く正反対の行為であり、その有り様は物凄いものがあったのです。そのため何時も平穏な高天原精神界が青々と草木が茂る山々がみんな枯山になってしまうような、また海や川がすべて涸れて、乾し上がってしまうような騒然たる状態になってしまったのであります。
先に千引の石を中に置いて、伊耶那岐の命と伊耶那美の命が言戸(ことど)を度(わた)す時に、美の命が「汝の国の人草、一日に千頭絞(くび)り殺さむ」と言ったのに対し、岐の命は「吾は一日に千五百の産屋を立てむ」と答えた、とありました。これは必ずしも人を千人殺し、千五百人生むという事ではなく、高天原の言霊原理に則って造られた物事の実相を表わす言葉を破壊したり、新しく造る事だ、とお話をいたしました。今此処での話も、速須佐之男の命の行為は、高天原に於て言霊を結び合わせる事によって物事の実相そのままの大和言葉の名をつけられた物事を、物質研究のために破壊分析し、分析された物事に対し、言霊原理に則る事のない、人各自の経験知によって名を附す事となります。理路整然とした実相音で成立している高天原の世界に、各自の経験によって造られた名が附されるという事は、それだけで高天原精神界にとっては、重大な冒涜行為であったのであります。
その182
ここを以ちて悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蝿(さばえ)なす皆満(み)ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発りき。
建速須佐の男の命が思いついた物質の法則と、それを探究する方法を求めるに性急な余り、高天原の実相の言葉を乱す行為が続きましたので、高天原精神界と日本の国土には悪ぶる神の活動が活発となって来ました。荒ぶる神の「荒ぶる」とは、単に「乱暴な」というだけではありません。大祓祝詞(おおはらひのりと)に書かれておりますように、言霊の学問の完成後に、その学問を熟知し、自覚した聖(ひじり)の集団(邇々芸の尊)が世界の高原地帯の高天原から日本国土に降臨する以前、この国土に前から住んでいた土着民、または高天原に於て言霊原理が確立していなかった時、中途半端な言霊学を持って高天原から日本にやって来た人々が振るう権力政治、言い換えますと、力の強いものがその持てる力を以て力の弱い人達を治める政治の方法が行われていたのであります。この政治の思想を天津金木(かなぎ)と言います。この金木思想を言霊で表わしますと、図の如くなります。
即ち現代の小学校で教えている五十音図で、母音が縦にアイウエオと並び、上段が横にアカサタナハマヤラワと並びます。現在の世界全体の政治が権力と金力と武力によって行われている事を見ますと、当時の古代の様相がそのまま偲ばれます。この音図の上段がアで始まり、その内容がラで終わる事から、この音図を荒(あら)の音図とも言い、その権力闘争の人々を荒(あら)の思想を振(ふる)う(活用する)の意で悪ぶる神と呼ぶのであります。
物質の法則を研究するには、物を裁断し、その部分々々の性質や内容を調べ、分ったものに研究者それぞれの経験を基(もと)とした概念知識によって名前を附けます。物の内容を発見し、それに経験に基づく名前を附した人が研究の勝者と呼ばれます。そこに高天原本来の協調精神とは反対の競争精神、ひいては弱肉強食の生存競争社会出現の芽が育ちます。高天原の協調精神に基づく平穏な社会の中に我勝ちの蝿の羽音(はおと)のように騒々しい険悪な空気が漂い出したのでありました。
かれ伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、
建速須佐の男の命が始めた行動が静かな高天原に険悪な世相を起す気配を見た伊耶那岐の大御神は、須佐の男の命に次の様に尋ねたのであります。
「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治(し)らさずて、哭きいさちる」とのりたまへば、
「どうしてお前は私が命令し、委任した国、即ち海原であるウの名の原(言霊ウの領域、物質の生産と流通という仕事)を治めないで、毎日高天原とは違うやり方を探して騒々しい行いをやり始めたのだ」と問質(といただ)しました。
答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根の堅洲国に罷(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。
建速須佐の男の命は伊耶那岐の大御神の問いに対し、次の様に答えたのです。「私は長い間、父上がお申し付けになったウの名の原である高天原の物質の生産と流通の仕事を統率して働いて参りました。けれど近頃、この物質世界に於ては姉上天照大御神が治めている高天原精神界の法則とは全く違った法則が支配している様に思えて仕方がありません。そのため、その法則を探すには母上がいらっしゃる根の堅洲国に行かねばならない、と考えて一所懸命にその事ばかりを考えて努力しているのです」と答えたのであります。根の堅洲国とは音(ね)の片洲国の謎。音は言葉の事。片州とは、一方は言霊原理に則った実相音の世界である高天原精神界の言葉。もう一方は物事を客観方向に探究する伊耶那美の神が主宰する黄泉国の言葉。建速須佐の男の命が行き度いと思ったのは、この片方の後者である客観世界の言葉が根づいている(洲[す])黄泉国(よもつくに)の事であります。
ここに伊耶那岐の大御神、大(いた)く忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、
建速須佐の男の命が黄泉国へ行き度いと言う答えを聞いて、伊耶那岐の大御神は自分が命令した事を守ろうとしない建速須佐の男の命の態度に大層怒(おこ)って、次の様に言いました。「高天原日本でのお前の本来の仕事をせず、物事を客観的に見る研究をしようとするのなら、それは高天原に留まるべきではない。高天原本来の原理と違うものを探究しようとするなら、黄泉国に行ってそれを為(な)すがよい」と言って、……
すなはち神遂(かむやら)ひに遂(やら)ひたまひき。
建速須佐の男の命を高天原から黄泉国へ追放したのでありました。
さて此処で問題が一つあります。それは「伊耶那岐の大御神、大(いた)く忿怒(いか)らして……」とある事についてです。神様の物語として、伊耶那岐の大御神が息子の建速須佐の男の命の我侭に対して腹を立てて、高天原から黄泉国へ放逐したとしても、別に問題となる訳ではありません。読んだ人は「そうか」と言って済ませればよい事です。けれどちょっと勘繰って見ると、「変だな」と思いたくなる事でもあるのです。伊耶那岐の大御神は言霊の神、最高神です。その神が大切な息子神が、親神の命令を破り、命令していない事をやり始めようとしてるのを知って、怒るのは変ではないか、と思う事です。建速須佐の男の命は父の神の命を守って、長い間高天原で三貴子が力を合わせて人類の歴史創造に精を出して来たのです。その途上、海原である五官感覚に基づく物質生産の仕事を忠実に務めた結果、物質界には高天原精神界とは違う法則があるに違いないという事に気付き、その方面に意識を向けるようになる事は、人類の文明創造上当然の事であり、親神としては怒るよりむしろ賞めてやるべきではなかろうか、という考えもある事です。
その事を考えに入れますと、古事記の文章、「伊耶那岐の大御神、大(いた)く忿怒(いか)らして……」の「忿怒(いか)らして」は「五神(いか)らして」と受け取る事も出来ると思われます。五神(いか)とは言霊アオウエイの天之御柱の事です。人間天与の最高の判断力であり「その時、その処の状況を判断して、いかに対処するかを決定する」事となります。折りしも時代は三貴子の三権分立、三位一体の体制によって、人類の第一精神文明の爛熟期を迎えようとしていました。その社会の底に於て、第二の物質文明時代への転換の気配が浮び上がっても当然の事でありましょう。伊耶那岐の大御神は、その気配を察知して、建速須佐の男の命を第二物質科学文明創造の主宰者として、その創造の最適である黄泉国外国へ旅に出した、というのが真相でありましょうか。
以上で古事記百神の原理の後日譚とも言うべき三つの事項、三貴子の三権分立、天照大御神にのみ言霊原理を与えた事、建速須佐の男の命の反逆についての解説を終えることとなるのでありますが、古事記神話はその締め括りとして、重要な一言を最後にポツンと短い文章で付け加えています。それは――
かれその伊耶那岐大神は、淡路の多賀(たが)にまします。
の一文であります。これはどういう意味でありましょうか。考えて行く事といたします。古事記のこの短文では余りにも素気ないというのでしょうか、日本書紀にはこの文章の解説をするかのように次の文章が載せてあります。
「是の後に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、神功(かんこと)既に竟(を)へたまひて、霊運当遷(かむあがりましなんとす)、是を以て幽宮(かくれのみや)を淡路の洲(す)に構(つく)り、寂然(しずかた)長く隠れましき。亦曰く、伊弉諾尊功(こと)既に至りぬ。徳(いさはひ)亦大いなり。是(ここ)に天に登りまして、報告(かへりこど)したまふ。仍(すなわ)ち日の少宮(わかみや)に留(とどま)り宅(す)みましぬ。」
神功(かんこと)とは伊弉諾尊が言霊百神を生み、言霊原理を完成させた事をいいます。幽宮とは仕事を終え、隠居する家の意。伊弉諾尊が言霊百神を生み、その学問の真実を證明し終り、その自覚を持ちながら現象世界を静かに見ている所の事であります。このようにすべてを自覚しながら、静かに現象世界を見そなわしている状態を言霊スと言います。ではその隠居所は何処か、と言いますと、それを淡路の洲と申します。淡路(あわぢ)とは古歌の「淡路島通(かよ)う千鳥の……」とある淡路で、言霊アとワの間、という事の謎であります。伊弉諾尊(言霊イ)は主体(ア)と客体(ワ)の間を自らの働きである八つの父韻によって結ぶ事によって、この世の中の一切の現象を生んで行く自らの性能を自覚し、その上で永遠の今に言霊スの姿で留まっていらっしゃるのであります。
また伊弉諾尊は人間精神の先天構造(日)の中の少宮に宅(住)んでいらっしゃいます。少宮とは母音の柱アオウエイ(天之御柱)の事であります。人間の営みである一切の現象は此処より発現し、そして此処に帰って行きます。
以上、日本書紀の文章を説明して来ましたが、古事記はこの事を先に挙げました如く「かれその伊耶那岐の大神は、淡路の多賀(たが)にまします」と短文で締め括っております。淡路(あわぢ)とはアとワを結ぶ道の意。その結ぶ路とはアとワの間を輪を画く如く伊耶那岐の命の働きである八つの父韻が廻って、アオウエの四母音に働きかけ、現象を生みます(図参照)。この図をアとワ、オとヲ、ウとウ、エとヱ、イとヰのそれぞれの母音と半母音を廻る円と考えますと、全体で円筒形の器が出来ます。するとアワ、オヲ、ウウ、エヱ、イヰを結ぶ円形は桶を締める箍(たが)と同じ形となります。伊耶那岐の大神はア(オウエイ)とワ(ヲウヱヰ)を結ぶ箍のように八つの父韻として働きながら、永遠に森羅万象を現出させて、人類社会を創造されている、の意であります。
因みに、右の如き器(桶)を宇気槽(うけふね)と呼び、祭具の一種でありました。桶を伏せた形で、巫がその上に立ち、舞ったり、鉾(ほこ)でこれを突いたりして踊ると「古語拾遺」にあります。いわゆる神楽(かぐら)であります。この宇気槽上の踊りは、伊耶那岐の大神が、古事記が示すように「淡路の多賀にまします」という言霊学上の姿と同じである事がお分り頂けるでありましょう。昔から伝わる神楽並びに神楽歌は古事記言霊百神の原理の真実を現代に伝える為の伝統行事だ、という事が出来ます。古事記「天の岩戸」の章に見えます「岩戸前の天の鈿女の命の宇気槽の上での裸踊り」も同じ事を示した神楽であります。
(「古事記と言霊」講座 終り)
「古事記と言霊」講座を終って
今月の二十三回目のお話を以ちまして「古事記と言霊」講座を終了いたしました。講座をお聞き下さった方々に心より感謝申上げます。古事記神話の冒頭の「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神。……」に始まり、伊耶那岐の大神の禊祓の行によって天照大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三貴子(三柱のうづみこ)に至る言霊百神の物語の呪示(謎)を解いて、日本人の大先祖である皇祖皇宗が後世の私達に遺してくれた人間精神の究極の構成要素である五十個の言霊とその整理・活用法五十、計百個の原理である言霊布斗麻邇を明らかにする講座で御座いました。お分り頂けたでありましょうか。
古事記神話と言霊学に関する講座は今回で四度目と記憶しております。同じ内容の話を四度目ともなれば、気楽に熟す事が出来るであろう、と思われる方もいらっしゃるからも知れません。けれど、そうではありません。「古事記と言霊」講座のお話をさせて頂くには、以前に書き記した「古事記と言霊」の本を棒読みしていればよい、という訳には行きません。言霊学の勉強は古事記に呪示された人間精神の構造と活用法を鏡として、自分の心を内省し、自分の心を見つめ直して行く道であります。一日その内省を怠ければ、自分の心の今・此処(中今)に活動して下さる神(言霊)を、生彩を失ったマンネリの概念に陥(おとし)いれることとなります。言霊学の話は常に自らの中に躍動する生命のリズムと一体でなければなりません。そこに緊張があります。
また、その内省の作業は「心の真相にここまで迫ればよいだろう」「これ以上に迫ることは出来ない」と考える自らの中の心の壁を何度でも突き破ってくれます。そしてその都度、心の奥へ奥へと観想が進み、心の真実に近づかせて呉れます。この体験から古事記に示される言霊布斗麻邇の学問が、大昔に日本人の祖先の聖の人々が永年にわたる不撓不屈の努力によって、心の真相を見極めた末に発見した完璧な真理の学問である事を気付かせてくれるのです。この体験は更に話しに緊張をもたらします。
以上の緊張のお蔭もあってか、「古事記と言霊」の講座は一回目よりは二回目、二回目よりは三回目……と心と言葉の真実に近づき、その自覚を深める事が出来ました。また同時に講座をお聞き下さる人達が御理解し易いような解説が出来るようになって参りました。鹿爪(しかつめ)らしい、むずかしい宗教用語や哲学用語ではなく、今の世の中の人々が日常に交(かわ)す会話の言葉で解説することが出来るようになって来ました。
以上のような解説の変化の中で、今回の第四回目の講座では特筆すべき事がありました。それは解説の中に「光の言葉」(霊葉[ひば])という事を導入することが出来た事です。この「光の言葉」という事に気が付かせて頂いたのは、今回の講座が始まる前、一昨年の初頭より始まりました「大祓祝詞の話」という講座の途中でありました。大祓祝詞の中に「天津宮事以ちて、大中臣、天津金木を、本打切り、末打断ちて、千座(ちくら)の置座(おきくら)に置足らはして、天津菅麻を、本刈断ち、末刈切りて、八針に取辟きて、天津祝詞の太祝詞事を宣れ」とあります。この「天津祝詞の太祝詞事を宣(の)れ」とあるのは、実際には如何なることをするのか、と考えていた時であります。「霊葉(ひば)」という言葉がスーっと心の中に湧き出したのであります。言霊のことを太古では一音、霊(ひ)と呼ぶ事がありました。その霊(ひ)である言霊、特にその中の子音から出来ている言葉を霊葉といいます。おとぎ話「桃太郎」の中の「お爺さん(伊耶那岐の命)は山へ柴(しば)刈りに……」という所の「柴」とは霊葉の謎です。「天津祝詞の太祝詞事を宣(の)れ」とは、人々の罪穢を払拭する為に祝詞を大声で宣る事ではなく、日本の天津日嗣天皇が、外国(黄泉国)の文化を摂取して、世界人類の文明を創造して行くのに際し、外国の文化の内容を吟味して、取捨選択することではなく、外国の文化の実相を見極めて、それに言霊、特に子音によって命名すること、であるのに気付いたのでありました。黄泉国の経験知による信条、思想の薄ぼんやりとした暗がりの文化を、霊(ひ)の「霊駆(ひか)り」を以て照らし、命名すること、と気付いたのです。
この事実が今回の「古事記と言霊」講座の「禊祓」の章の解説に大いに役立つ事となりました。古事記言霊百神の八十七番目、八十禍津日の神より神直日の神、大直日の神、伊豆能売を経て、底・中・上筒の男に至る神名の解説がその真相に近づく事が出来ました。またこの事により真実の人類文明の歴史創造に於て、言語の占める重要性を更めて認識することとなったのであります。黄泉国で発生する経験知による概念の言葉で組立られた文化を、取捨選択することなく摂取して、その実相を「光の言葉」で表現・命名すること、それが人類文明創造となるのだ、という簡単にして明瞭な事実に気付く事が出来たのでした。古事記はこの事を強調して「かれ阿曇(あずみ)の連(むらじ)等は、その綿津見の神の子宇都志日金柝(うつしひかなさく)の命(竹内文献では萬言文造主の命)の子孫(のち)なり」と、その太古の朝廷内の職名を殊更に挙げた訳であります。
今回の講座を通して、右の事以外に印象に残りましたのは、古事記神話の冒頭「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神。……」に始まる人間精神の先天構造を構成する十七個の言霊の解説の難しさであります。先天とは先験ともいいます。経験に先立つ、の意です。哲学の辞書を引くと「認識論上、経験に先立ち、しかも経験の成立・構成の基礎となるの意、とあります。経験知識がそこによって成立しますが、逆に経験知識によってその先験構造を認識する事は不可能なものなのです。先天領域にあるものは、人間の五官感覚によって捉える事が出来ません。その為に、論理的な解説の困難さがあります。
人間の心の先天構造と申しますのは、実は神道で神とか、仙と呼ばれる世界、仏教では仏、菩薩から阿羅漢と呼ばれる人の性能に関係しており、キリスト教で神、イエス・キリスト、聖母マリア、聖霊等と崇められている所のものであり、心霊科学で守護霊・背後霊または狐霊、狸霊などと呼ばれている諸霊が関係している心霊領域でもあるのです。この様に書きますと、読者には信仰を強要する如く、または霊を弄(もてあそ)ぶが如く思われるかも知れません。そういう事を避けるために、言霊の会はそれ等のことを極力口にしない事にしております。何故かと申しますと、その様な表現をしますと、人は自らの外にそれを考えてしまい勝ちになる危険があります。言霊学はそれ等すべてのものを一個の人間の内に見る学問だからであります。神も仏も、救世主も、背後霊・守護霊等々も、すべては人の内なるものとして統一する世界で唯一の学問であるのです。
以上申し述べました事を心に留めて、人間精神の先天(先験)構造をどの様に理解したらよいのか、どの様にしたら理解出来るか、を考えてみましょう。
先にお話しました如く、先天構造とは「認識論上、経験に先立ち、しかも経験の成立・構成の基礎となる領域」のことです。ですから人間の五官感覚(眼耳鼻舌身)では捉えることは出来ません。見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、触ること、即ち性能の中の言霊ウでは歯が立たないのです。では人間の心の次の性能、言霊オではどうか。言霊オの認識は言霊ウの感覚で捉えた現象と現象との間の関係を求める経験知の世界ですから、経験に先立つ領域の認識は不可能です。言霊オを以てしても歯が立ちません。人が言霊学に出合う以前に積み上げて来た豊かな経験知識を如何程に働かせても先天構造を理解し、自覚することは出来ません。
言霊ウ・オの次元の方法で求めることが出来ないとすれば、どんな方法・手段があるのでしょうか。古事記神話の初めの所を見ましょう。「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は……」とあります。その「天地の初発」に帰ることです。天地の初発とはどんな時なのでしょうか。それは人の心の中に今、何かが始まろうとする時の意です。心に何も起っていない時、それが心の先天構造なのです。心の宇宙という事になります。その宇宙に帰るとはどういうことなのでしょうか。
そこでちょっと考えてみて下さい。人は母親の腹から生れて来ます。世の中に生れます。これをもっと大きな眼で見て下さい。人は宇宙の中から宇宙の中の一点に生れて来たとも言えます。そして宇宙の中で育ち、働き、時が来れば宇宙に帰って行きます。こう考えると、人間は宇宙の中にズッポリ浸り切っている事に気付きます。としますと、人が生れた赤ん坊の時、目が見え始めても、それが何であるか分らず、体に触れるものを感じても、それも何か分らない時、その赤ん坊こそ大自然宇宙の子というに相応わしい存在と言う事が出来ます。
人が言霊ウ・オの立場に立ち、更にアの次元の自覚を得ようとするならば、元の赤ん坊の心に帰らねばなりません。そこに帰るにはどうしたらよいのか。言霊ウの五官感覚に基づく欲望は、何歳になっても赤ん坊の時と性能に本質的な違いはありません。年を経ると共に変わって来たのは、言霊オ次元の経験知識です。人は生長するに従い、次々と経験知識を身につけて行きます。それだけではありません。その集積された知識の集合体を自我と感違いして自我意識を強固に形成します。本来は無いはずのもの、虚妄であり、影とも言うべき自我の存在を信じて疑わなくなってしまいます。この自我意識が、本来の宇宙から生れ、宇宙に育った宇宙の「申し子」である自分の実相を完全なまでに包み隠してしまいます。お日様は常に天空に輝いています。それが見えないのは雲がかかっているからです。同様に人は生れながらに大自然宇宙の子として救われているのです。その自覚が持てないのは、心にかかった雲である経験知識で構成された自我意識があるからなのです。
人が自らの心の故郷である大自然宇宙を自覚しようとするなら、自分の心の中に入り込み、「我こそ自我だ」と猛威を振い、本物の自分自身を思うように動かしている経験知識で構成されている「自我意識」を、自分本来の心の「衣」であり、道具として心の中で整理して行く事です。整理の手段はこの世の中に既に昔から整備され、用意されています。それは皇祖皇宗が、二千年以前、言霊布斗麻邇をこの世の表面から隠してしまう前後に、布斗麻邇の原理が隠れる二千年間の人類の心の平安を保つ為に、また言霊原理復活の時に際しては、言霊学への門に入る魂の修行のために、その用を務めるべく皇祖皇宗が世界各地に創立させた儒仏耶の正式な教義を持つ宗教なのであります。
その183
数千年の間、世界人類の第一精神文明創造の根本原理であったアオウエイ五十音言霊の学問は、今より二千年前、神倭皇朝第十代崇神天皇の時、人類の第二物質科学文明創造促進のための方便として、社会の表面から故意に隠されてしまいました。古事記はこれを天照大御神の岩戸隠れと謂い、儒教は結縄の政の終焉と呼び、仏教は仏陀入涅槃(ねはん)と謂い、聖書はエデンの園の閉鎖と呼んでいます。人類の歴史上最大の事件の一つと言う事が出来ましょう。
言霊布斗麻邇の学問の隠没は人類の第二物質文明創造のための方便でありますから、学問隠没の時代の期間、予想される人心の荒廃に対処する施策、並びに物質科学文明完成の暁、復活する言霊の学問を受け入れる為の人間精神の修行法が必要です。その為に創始されましたのが儒・仏・耶の信仰宗教でありました。物質科学文明創造の精神の暗黒時代にこれ等の宗教は、人々が生きて行く為の心の支柱の役割を果しました。また物質文明爛熟の現代、不死鳥の如く復活して来ました言霊の学に入門する為の心構えを提供してくれるものでもあります。
老孔孟の聖人が説いた儒教、釈迦が開いた仏教、イエスが遺した聖書等の書を読みますと、右に述べました皇祖皇宗の至れり尽くせりの御経綸についての深い御配慮が心に浸みて分って参ります。特にここ二千年乃至三・四千年にわたる第二物質科学文明時代の言霊ウの弱肉強食の世相、言霊オの概念的経験知識による魂の束縛から脱却して、精神の自由を回復する為の修行法としては、正にこれ以上ない合理的な教えを私達に示してくれます。この一事に気付いただけで、我が皇祖皇宗が私達現代人のために払われた御配慮の深さに感謝の念を禁じ得なくなります。
私の言霊学の先師、小笠原孝次氏は、言霊学を学ぼうと先師の門を叩く人に対して「貴方は今まで宗教修業をした事がありますか。あればその宗教を一応卒業してからおいで下さい。なかったならば、儒仏耶の宗教書をお読み下さり、自己の魂の浄めという事が如何なるものなのか、という事をお知りになってから私の所へおいで下さい」と告げられるのを常としました。言霊ウ・オ次元の壁を突き破って、言霊アの魂の救われ、諸法空相、諸法実相の見所に一応の見極めが出来ない内は、言霊学の実地の門に入る事が困難である事の教えを示したのでありましょう。
また同時に次の様な事もありました。師を訪れた人が自らの魂の救われ、空の見所に至る方法等を尋ねますと、きまって「私は坊主ではない。そういう問題はお寺の坊さんに聞いて下さい」と答えていました。儒教についても、またキリスト教についても、同様な意味の答えが返って来たものです。先師はその当時、古事記神話の呪文(謎)を解いて、言霊布斗麻邇の学問の復活、確立に全力を傾けていらっしゃった時であり、個人の魂の浄めの問題にまで関る暇がなかった為でもあったのでしょう。但しお話を伺った後に幾度か「言霊学に入る実践・修行の道場として小さくともよいから静かな部屋が欲しいものです」との先師の言葉を聞いた記憶があります。時が来たならば、言霊学入門に必要な御魂磨きの為の鎮魂帰神道場を開設して、人々の勉学のお手伝をする意図もお持ちになっておられたのではないか、と推察されます。
さて、先に述べました復活して来た言霊学に入る為の御経綸の施策として役立つべき現在の仏教・儒教・キリスト教等の活動について一言申上げることにしましょう。御経綸では、物質科学創造の時代に於ては人心荒廃に対処する精神の慰めとしての宗教であり、第三文明への転換に当っては、言霊学入門のための心構えを得る教えとしての宗教でありました。しかし現在は精神の夜明けの寸前の、人心荒廃がその極に達した時であります。その為でありましょうか、従来の諸宗教は困難な時の人心の心の支(ささ)え、慰めの用を専らにして、精神文明時代に於ける心の真実である愛と慈悲の根源である言霊学のア次元存在について言及する宗教家は極めて寥々たる有様だと聞いております。でありますから先に挙げました先師の言葉「そういう事はお坊さん(牧師さん)に聞いてくれ」という事も期待出来ない事になります。
真実の鎮魂の行のやり方を従来の宗教家に期待出来ないとしたら、どうしたらよいのでしょうか。方法はないのでしょうか。否、そうではありません。皇祖皇宗の御経綸に疎漏はありません。それは何か、各宗教に伝わる聖典・聖書・教典です。各宗教の教祖や聖者、大師が後世に遺してくれたそれ等の書物は一字一句として間違いなく究極真理を迎えるための心構へに至る方法を事細かく指示してくれています。これ等の教えに則って勉学・修行すれば間違いなく進路を開拓する事は可能です。儒仏耶の諸経典・聖典を、勉学者御自身の意の赴くものから繰返し繰返しお読み下さる事です。何処かに御自分の心の琴線に触れる箇所がある筈です。そこを起点として心の反省の範囲を広げて行けばよい事になります。
経典・聖典を読む事について先師は私に次の様なアドバイスをされた事を覚えています。「仏典や聖書を読む時は、成可(なるべ)く原文か、またはそれに近いものを読むことです。現代人の註釈書は読まない事です。個人の経験知識による註解は思わぬ方向に勉学者の心を迷わす事となります。初めの間は辞書を引いたりして手間がかかるかも知れませんが、原文を繰返し読む内に経文の真意は自ずと分って来ます。末法の世と言われる現代の人の経験による知識からの註解程当てにならぬものはありません。」このアドバイスに従って、私は仏典を読むには岩波文庫の経文の漢字假名まじり文を読む事にしたものです。また聖書を読むには戦争以前の文語文の聖書を選んだものでした。これ等の宗教書は今でも私の書棚に並んでいます。
言霊学の門に入る為のア字の修行についてお話しているのですが、前置きが続きます。堅苦しい文章が続いて恐縮でありますが、もう少しお付き合い下さい。これはズーッと以前、会報の随想「釣」という文章でお伝えした話です。先師は昭和二十年代の後半、そのまた先師の山腰明将氏について言霊学の手釈(ほど)きを受け、友人・知人に言霊学理論を宣伝していた頃、群馬県の禅寺の坊さんから「貴方は言霊の学問について大層自信をもって吹聴しておられる。言霊学が貴方の言われる如く人の心と言葉についての究極の学問だと言うからには、貴方は当然禅で謂う「空」をご存知なのでしょうな」と言われ愕然とした、といいます。先師はお坊さんの言う禅の「諸法空相」を知らなかったのです。その時以来、先師の多摩川畔での坐禅修行が始まりました。釣道具一式とコオモリ傘一本とを持って朝早くから夕方まで、時には夜遅くまで、釣箱に腰かけ、川面に向って「人の心の本体とは」を思う坐禅です。一本の傘が雨の日には雨傘に、晴れの日には日傘になって一年有余、一日の欠くる日もなく坐り、終に自分の心の本体が宇宙(空)そのものであることを何の理屈もなく知る事が出来たといいます。先師の「古事記解義、言霊百神」の研究はその後急速に開けたと聞いています。古事記神話の冒頭の文章「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、……」の「天地の初発の時」の意味・内容の自覚がその時完成したからでありましょう。言霊アの宇宙が自らの心の本体であること、その中心の一点である「今・此処」に始まる宇宙剖判によって心の現象の一切が生まれて来る消息を自らの中に把握出来たからであります。
先師小笠原孝次氏は明治生れの、道を求めるに極めて厳しい人でありました。私はその師から二十年間御指導を頂いたのですが、先生の学問に対する厳格な態度を示す文章がありますので、ここでお伝えしておこうと思います。それは先師が言霊学を復活する上で必要なア字の自覚を確立した後の、昭和三十四年十二月に会誌「皇学」に載った「修行者に」という随筆の一文です。求道者小笠原孝次氏の面目躍如たる文章であります。
「修行者に」
全身全霊を挙げても、も早やこれ以上の工夫も努力も出来ない、ギリギリの境に行った時、それでも猶その先に道の実体が存することを信ずる時、正しい仕事をしなければならぬ念願に燃える時、その時自己の無意義なことがしみじみと判って、初めて無碍光、無量寿の神の存在を体得する。
行者が行者である間はまだ本物ではない。坐禅でも水行でも、或は山野の行脚(あんぎゃ)でも鎮魂帰神でも、自分の意図計画、或は他人の指導で「行」がやれる間はまだく隙間がある、余裕がある。生温い。「行」をやれる余地がある間はまだ自分の力を本当に出し切っていない証拠である。斯う云う意味の「行」や特殊の霊能力を他人の前に相対的に如何程誇っても、絶対者の神の前には無価値である。もう是以上修業が出来なくなった時、初めて自己のための修業でなくて世界のための、人類のための本当の修業、本当の仕事が出来る様になる。これを菩薩行と云う。然しそれまでは何処までも勇敢に修業工夫を積んで行かなければならぬ。「君がため幾度か蒼竜屈に下る」(碧岩)と云う。修業しなければ佛に遭うことは出来ない。
けれど修業したからと云って必ずしも佛に会えるものではない。「大修業底の人、因果に堕するやまた無しや」(無門関)と問われる所であり、大通智勝佛が十劫道場に坐している一面の所以でもある。修業しようと思う心は、求めんとする所ある有漏の自己の営み、然し佛は宇宙の生命意志である。この両者はまるきり懸絶した全然別箇の事柄である。真実はこの矛盾を飛び越えた所にある。(「皇学」第二十二号)
以上先師の文章の紹介までを前置きとして言霊学入門としての言霊アの修行について気が付いた事をアットランダムに書き記して行く事にします。人はそれぞれ生れ、育ち、環境等々に違いがあります。そのためどんな方法がその人に適しているか、一概には決まりません。ア字の自覚を志す方は私が長い勉学の中で思い出すままに綴る文章の中から自分に合うと思う所を参考にして頂きたいと思います。
先ずア字修行には前提となる心構えが必要です。その心構えから始めます。言霊アの次元を自覚しようとして、今までに身に付けてきた種々の経験知識を更に広げて行けば、言霊アの境地に到達すると思いますと、一生かかっても自覚は困難です。ア字修行を始めるまでの勉強は進歩の学問です。積めば積むほど学識は大きく広くなります。これは言霊オ次元の学問方法です。けれど言霊アの修行はその反対です。ですから退歩の学と呼ばれます。何故かと申しますと、ア字の修行とは自分がこの世に生れた時の境地を再確認する作業なのです。生れたばかりの赤ん坊は何の知識も持っていません。けれどその真更(まっさら)な心の中には天与の性能であるアオウエイ五母音の天之御柱が既にスックと立っています。という事は生れた時から「救われている神の子」としてこの世に姿を現わしたのです。生れた時から神なのです。それが生長するに従い教育や社会体験によって経験知識を身につけ、更にその経験知識の総合体を「自我」と思い込み、生れた時からの「神の子」を自覚することなしに「自我意識が自分だ」と思ってしまうのです。キリスト教旧約聖書の創世記にある「禁断の木の実」を食べてしまったのです。
ア字の修行とは、右の事に気付いた時点からは、心の生長の順序・内容を逆に辿って生れた時まで遡って行く事となります。という事は心中に積み重ねて来た経験知識を再点検して、自分がこの世の中に生きて行くために、自分が身につけた経験知識がどの様に役立っているか、どの段階で役立ち、どの様な時に矛盾を起すか、即ち経験知識の分際を確かめる事なのです。こうして身につけた経験知の分際が尽く明らかにされた時、人は物事を自分に対するものとして、即ち対象として見る見地から脱却して、生れた時さながらの自身そのもの「宇宙」に再会します。自分の本体とは、五官感覚(眼耳鼻舌身)や思惟・思考で捉える自身ではなくて、神・仏の子と言われ、心の宇宙と呼ばれ、「空」と表現される思考の本源だという事が分ります。この様にして生れた時から神であり、仏である身が、経典・聖典に記された修行によって自分が本来の神・仏そのものだ、との自覚へ導かれるのです。言霊アの自覚とは、新しく発見する境地の開拓ではなく、既に生れた時から賦与されている身分を「実はそうだったのか」と今更の如く知る事なのです。これが心構えの第一です。
ア字修行の心構えの第二の要諦は、第一の事項に関係するのですが、言霊アの宇宙の自覚を目指すには、その自覚を欲しがり瞑想や種々の修練によって近づこうとしても、それは無駄な事と知るべきです。人は生まれながらに救われており、宇宙を本体として生れ、宇宙の中に育ち、死んで宇宙に帰ります。唯自覚していないだけなのです。それなのに更めて宇宙を望んだとて全く無意味な事です。前にも申しましたが、太陽は天空に輝いています。若し見えないとしたら、それは雲がかかっているからです。雲が切れれば太陽は顔を出します。人の心の雲とは何でしょう。それは人の自我意識を構成する経験知識です。経験知の事をサンスクリット語で業(カルマ)と言うのだそうです。人の心の本体が言霊アの宇宙であるとの自覚が得たければ、自我だと思い込んでいる経験知を本来の自分ではない、と否定することです。経験知を否定すると申しましても、身につけた経験知のすべてを否定するのではありません。自分がそれを信じ、信念・信条・道徳・常識と思っている知識、それ等の事と違反した行為を見聞きすると、まるで自分自身が犯された如くそれに対抗し、心中に批判の心が騒ぎ出す原因となる経験知を否定するのです。経験知の否定とは、経験知そのものが不要というのでは決してありません。実際に経験知識がなかったら、この社会の中で生きては行けません。けれど経験知は人間が生きる為の心の道具なのであって、自分自身ではありません。人は幾多の自分の身につけた経験知を道具として、その時、その場の状況に従って経験知を選び、世の中の出来事に対処して行く事であって、経験知が人の心の中枢に入り込んで、人を操り人形の如く勝手に振り廻したのでは全くの本末顛倒です。この事を顛倒想(てんどうそう)と呼びます。
では何故この様なサカサマの事が起るのでしょうか。人は生れて後、生長の段階で楽しい事、悲しい事、恐ろしい事、種々の出来事を経験します。それ等の体験から、自分はこういう人になりたい、こういう目には遭いたくない、しっかりとした信念を持ちたい等々の希望を持つようになり、その希望に沿った教訓や知識を本やテレビ、友人、知人から見聞きして、自分の心に適当と思える知識を心の中に蓄(たくわ)えて行きます。その中でも自分の心に感動を起したもの、憧れを懐いたものには、それが他から見聞きした知識だという事を越えて「自分の信条・信念もしくは信仰」として強固な自我意識を形成します。この単に見聞きした知識の範囲を超えて、自我の信念となって定着してしまった信念・信条は人間の生の営みに一生の間種々の葛藤を惹起す原因となります。かかる現象を説明すると次の様になります。以前にもお話した事ですが図をご覧ください。
人がある論説・主張に共感し、それを自らの信条としますと、その知識が人の頭脳中枢に入り込み、その人を操り人形の如く振り廻す事となると言いました。けれど実際にはこの表現は適当ではありません。実はその人の心が自分の心の母屋を離れ、その信条となった主張を初めて表明した人(その人も自分の心の中に住んでいます)の処へ住みついてしまうのです。この様な人の魂を遊魂といいます。俗な言葉で言えば本妻のいる心の母屋から飛び出して、お妾さんの処へ行ってしまう事です。お妾さんである経験知識が悪いのではありません。それを知って知識とする事を越えて、自分の信条・信念とまでしてしまったその人の責任なのです。自分の家を離れてお妾さんの家に居候をしているのですから、お妾さんの言う事は何でもかんでも従わねばなりません。さもないと御飯を食べさせて貰えなくなります。お妾さんの言う事と相反する主張に出会えば、即座に目をむいて怒り出します。そこには思慮する余地は全くありません。「そんな馬鹿な事を。私にはそんな事は決してない。妾などとんでもない」と一笑に附す方が多いかも知れません。ですがこれは全くの事実なのです。地球人口の九十九パーセントの人の心の実状なのです。お妾さんの家で現を抜かしている遊び心(遊魂)を鎮め、一切の出来事に当っては自身が大自然から賦与されている自由創造の性能を働かせて、時処位に応じて対処して行く本然の自分を取り戻すこと、これを神道で鎮魂帰神といいます。その行を完遂した人を仏教では縁覚と呼び、キリスト教では油塗られし者(アノインテッド)といいます。
ア字修行についての次の要諦に移りましょう。ア字の修行に入ろうとして自分の心の中の経験知を否定し始めると、心も身体もガタガタになって大変な恐怖感に襲われる人を見かけます。その恐怖感が余りにひどいものですから、こんな行は二度としたくない、と自分に不可能を宣言してしまう人もいるようです。その様子を観察しますと、第一に自分の心中の経験知を無原則に否定しようとする事、それによって自身の心が支離滅裂になってしまう様です。前にも申しましたが、否定すべきは経験知のすべてではありません。自分がそれを疑う余地なく信じ、その知識に違反する行為に出合うと、考える暇なく直ちに言葉で、または心中に批判の心が突出して来る原因となっている経験知を否定して行くのだ、という事を知らない場合です。第二に多いのは、自分でも意識していない信条の堅さが、時として自分を、または家族、友人、知人の心をどんなに深く傷つけて来たか、を知らず、その自らの罪に全く気付いていない人に見かけられます。罪の意識のない反省は当面の平和のための反省であって、自分または他人を祝福するための反省にはなり得ません。自分は常識人だと思う人には反省は出来ません。御参考までに浄土真宗の親鸞上人の手記を掲げておきましょう。「久遠劫(くおんごう)よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだむまれざる安養浄土はこひしからずさふらふこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にさふらうにこそ。」言霊の学問によって「人間とは」の真理の概念的知識を得、その理論より見た皇祖皇宗の人類歴史創造の御経綸とその実際を知ることが出来た時、それが人類に伝えられた皇祖皇宗の御遺訓とのみ思う方は常識人であります。この人類存亡の危機に直面しながら、何一つ為すことが出来ない罪深い地獄の自分に皇祖皇宗が自ら垂れ給う救済の唯一本の綱なのだ、と思う事の出来る人は幸福(しあわせ)な人と言うべきでありましょうか。
第四回の「古事記と言霊」講座の終了に当り、人間精神の先天構造の理解に繋がるア字の修行の要諦について思い付くままにお話申上げて来ました。御参考になれば幸いであります。自らの心の本体が宇宙そのものなのだ、というア字の自覚の道は、行ずる人自身唯一人で行う道であり、誰一人としてお手伝いすることが出来ない道です。そこに到る道は「大道無門」です。機運に従って何処からでも入れます。そこに努力と同時に工夫を要します。行き詰まったと思った時には特に工夫が必要です。「必勝の道如何」と質問されたら、私には答えを持ち合わせません。けれど私はそれを志して四十年間の失敗のキャリアがあります。御参考になる「工夫」をアドバイス出来るかも知れません。これも「大道無門」であります。
以上長々とア字修行についてお話を続けて来たのですが、かくお話しますと、聞かれた方は「ア字修行を続け、その完成を見るまでは言霊学の門には入れないのだとしたら、各宗教の聖者、聖人の如く一生を費やしてア字修行をすることになる、言霊学実践は来世の問題となってしまうのではないか」と思う方もあろうかと思います。発心してア字修行に入ったら一生かけて完遂する覚悟が必要です。これに間違いはありません。けれど仏教に「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という言葉があります。「日頃の自分の心の矛盾に苦しみ悩み、仏法の修行によって無碍光の中に安心を得る時、以前悩み苦しんだその心は、そのままで悟りなのだと知る」という意味です。言霊学によって人間の心が五十音言霊によって構成されており、その五十音言霊に母音、半母音、父韻、親音、子音の別とそれぞれの内容が概念的に理解出来た時、更めて自分の心の反省に入ったとします。人の心の自覚はウオアエイと進化します。初めは自分の心の言霊ウオの次元の矛盾と格闘します。自分の心を思うように振廻して来た自らが信奉した生活信条、社会通念、家族意識等を否定しようとします。けれどそう簡単に否定は成功しません。経験知識は否定しても否定しても、鎌首を擡げて来ます。心の中のただ一つの信条・通念の否定について精も根も尽きた時、「自分のただ一つの心にすら勝つ事が出来ない腑甲斐ない自分(言霊ウオの次元)を無言で温かく包み、護り、育んで下さっている大きな愛の力の存在」に気付きます。これが言霊アの宇宙の自覚です。この愛に包まれた意識の眼で今までの自分の言霊ウ・オの生活を見る時、その矛盾の実相(真実の姿)が明らかに見て取れます。言霊ウ・オの心の葛藤が姿そのままにその次元の真実相であることを知ります。この分別(ふんべつ)が仏教の「煩悩即菩提」という事です。更に仏教を超えて言霊学に於ては、従来は矛盾と苦悩の坩堝の姿であり、今は安心の真実相と見えるその現象が、言霊アの宇宙の内容である言霊イ・エの性能を持つ人間の最高次元の生命創造智性の閃(ひらめ)きが作り出す光の彩(あや)だという事に気付きます。この様にして仏教の所謂「煩悩即菩提」というものが、言霊学のいう言霊ウオアの次元の畳(たたな)わりの構造を説いたものであり、更に煩悩の苦しみの様相から、言霊学ウオアの次元の更に上に、言霊エ・イの生命の創造意志とその活動の次元が続いており、全部で五つの母音で構成された天之御柱が立っている事を知る事となります。人は信仰・信条を超えて、人間の生活一切の営みの原動力が人間自体の中に整然と賦与されている事を自覚します。
煩悩の心を反省する努力は更に大きく言霊学の深奥に導いてくれます。人間の心の先入観を形成する経験知識は、その信条に違反する行為に出合った時、思慮分別の経過を抜きにして即座にその相手行為に攻撃の火蓋を切ります。言葉に出さなくとも、心の中で批判の矢を相手に飛ばします。この時(今・此処)の自分の心を反省してみて下さい。まるで真っ赤に燃えた非難の火矢を相手に飛ばしている地獄の相を見ることが出来る人は仕合わせです。ふと我に返って「自分なら決してすまい」と思う他人の行為に出合った瞬間、その時何が起ったのか、心を静めて見る事です。自分の心が一瞬にして「為すべきでない」と命令する経験知と結びつく様を見、また感じる事が出来る人は仕合わせです。その心の動きは正に言霊父韻キ・ミそのものなのです。「古事記と言霊」の三十七頁「角杙の神、妹活杙の神」の項をご覧下さい。貴方は父韻の内容を何の理屈も介せず自分の生命に備わった生命創造の力動として自覚することが出来ましょう。
この様にして、ア字の行が進む毎に言霊五十音がすべて疑う余地なく人間(貴方)の生命の究極の構成要素である事の自覚が確立されて来ます。