人世100年時代「ウィズコロナ」の新様式
GMV懇話会

「集団免疫生活」
プラス2

インターネット塾「COL@BA」に免疫向上倶楽部「COREDA」を設けました!
「集団免疫生活」プラス2(気づき(気)・互助(知)
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≪01≫  五木寛之が愉快なことを言った。ぼくは物心ついてから意識的に手を洗ったことがない。すると多田富雄が、それで免疫力がついたのかもしれませんね。

≪02≫  また五木寛之がこう言った、昔は鼻たれ小僧の青っ洟には緑膿菌などの雑菌がいて、それなりに免疫系を刺激していたわけでしょう。そのほうが花粉症などおこらなくてすんだんじゃないですか。多田富雄が笑いながら答えた、東南アジアで水を飲むとわれわれは下痢をしますが、向こうの人たちは平気です。これが免疫の本質です。でも、不潔だからいいということじゃないんです。

≪03≫  問題は「部品の病気」と「関係の病気」ということなのである。部分が治ったからといって、関係が治ったわけではない。多田富雄さんはつねに「関係の病気」を研究し、そのことを文章にも、能にも、詩にも、してきた。

≪04≫  今度は多田富雄が、こう言った。私は井上さんの『私家版日本語文法』を何度読んだかわかりません。そこで、あれに触発されて、「私家版免疫文法」というスライドまでつくったんです。免疫にも文法の時制のようなものがあるんです。

≪05≫  そうしたら井上ひさしが、こう言った。教室で一回さされると、当分さされることはない。これは免疫みたいなものですね。われわれは日々、自己と非自己をくりかえしてるんですね。それがどのようにスーパーシステムになるかというと、ひょっとするとそれは戯曲や小説を書くときのしくみと似ているかもしれませんね。

≪06≫  多田富雄が、こう言った。ふつうのシステムはいろいろな要素を組み立ててできるんです。スーパーシステムは、要素そのものまで創り出しながら自己組織化していくシステムのことです。まさにすぐれた文学と同じです。井上ひさしが、膝を打ってこう言った。形容詞ひとつで芝居は変わってしまいますからね。その形容詞ひとつが男と女の成り立ちにまで関係しているので驚きました。『生命の意味論』(新潮社)を読んでいたら、「人間は女がモトで、男は女があとから加工されてできあがった」と書いてあったでしょう。同性愛すら生命意味論なんですね。多田富雄が、微笑して言った。男はむりやり男になっているんですから、型通りにならない男はいくらでも出てくるんです。

≪07≫  多田さんには、スーパーシステム論という大胆な仮説がある。

≪08≫  われわれは遺伝情報とともに免疫情報や内分泌情報をもっているのだが、その両方を組み合わせていくと、どこかに要素を創発しているとしか思えないしくみがあることに気がついた。それがスーパーシステムの特色である。けれども、どうもその創発は女性(メス)が思いついたようなものなのだ。

≪09≫  このことについては、ぼくもすこぶる関心があったので、第414夜には『性の起源』を、第905夜には『聖杯と剣』を渉猟しておいた。しかし、多田さんは、そこをこんな名文句でまとめてみせた、「女は存在だが、男は現象にすぎない」と。

≪010≫  スーパーシステムでは自己も目的も曖昧なのである。自分でルールをつくってそれを生かしていくわけなのだ。

≪011≫  そこで中村桂子が、こんなふうに言った。スーパーシステムは自己創出系と言ってもいいでしょうね。ただし、最適解を求めているわけではない。生命には「最もよいという発想」がありませんからね。

≪012≫  多田富雄も同意する、生命は、きっと曖昧の原理のようなものを最初から含んでいたんでしょう。

≪013≫  中村桂子は、さらに続けた。しかも目的があってもそれぞれ別なものになっていて、それらを統合する役割をどこかがもっているわけではありませんからね。多田富雄も言った、生命にはオーケストラの指揮者はいないんです。けれども遺伝子のひとつずつはそれぞれ意味についても無意味についても何らかの機能をもっていて、自分で役割を終えて自殺する遺伝子もいれば、繋ぎ役や何の役にもたたないイントロンやエクソンもいるわけです。免疫系でもアナジーといって、反応をやめちゃう機能をもつこともあるんです。それらを含めて、生命には関係の相対において曖昧がありますね。

≪014≫  免疫系が何をしているかといえば、抗体抗原反応をおこしている。抗原は外部からやってくる病原菌やウィルスなどである。これが非自己にあたる。高分子のタンパク質や多糖類であることが多い。

≪015≫  われわれは、これに抵抗するためのしくみの担い手として抗体をつくる。これが自己である。非自己がなければ、自己もつくれない。

≪016≫  しかも抗体は胸腺のT細胞と骨髄のB細胞の2種類がなければ動かない。B細胞が抗体をつくるには、T細胞がなければならない。ということはT細胞からB細胞になんらかの指令が届いているはずで、そこには情報が関与しているはずである。この情報は免疫言語とでもいうべきもので、かつてはインターロイキン(ロイキンは白血球のこと)と、いまはサイトカイン(サイトは細胞、カインははたらくもの)とよばれる。

≪017≫  そのT細胞にもいろいろあって、免疫反応を上げるはたらきのあるヘルパーT細胞も、それを抑制するサプレッサーT細胞も、癌細胞などに直接に結合してその力を消去しようとするキラーT細胞もある。こうした免疫系の原型はメクラウナギなどの円口類からじょじょに形成されてきて、われわれにまで及んだ。

≪018≫  免疫系にはまだまだわからないことが多いのであるが、多田さんは、本書にこう書いた。「免疫というシステムは、先見性のない細胞群をまずつくりだし、その一揃いを温存することによって、逆に、未知のいかなるものが入ってきても対処しうる広い反応性を、すなわち先見性をつくりだしている」。

≪019≫  次に白洲正子が、こう挨拶をした。先だってはわざわざ病院までお見舞に来ていただいてありがとうございます。あのころはもう、夢うつつで、いろんなことをやったわよ。お能を舞ったりね。

≪020≫  多田富雄も応じた。私も死ぬときにどんなことをするかよく考えます。きっと「融」(とおる)の早舞なんてやるのかもしれません。白洲正子が応じた。だから死ぬなんてちっともこわくないのよ。死にそうなときって、なんだか岩山のようなものが見えたわね。落ちたらそれきりなんだけど、私は『弱法師』の出のところを舞ってるのね。夢の中のそのまたその自分の心の中でね。

≪021≫  多田富雄は深く頷きながら、こう言った。私は今年、顔面神経麻痺になりまして、顔面神経は7本に枝分かれしているのですが、その1本が味覚の神経になっていて、そのため味覚障害がおこるんです。顔面神経はカッコわるいのをがまんしていればすみますが、味覚が1カ月もないのは、きついですね。すると白洲正子が平然と言ってのけた。あら、私はドイツで子宮外妊娠で破裂しちゃったんだけど、手術の麻酔も失敗したらしく、1年ぐらい何を食べてもエーテルの味だったわよ。

≪022≫  多田富雄は気圧されて、こう言った。味覚というのは記憶です。白洲正子はこう言った、でも、『隅田川』の「親子とてなにやらん」というような、仮の世の記憶というのもあるみたいよね。

≪023≫  多田さんは少年のころから小鼓に親しんできた。新作能も書いている。『無明の井』では脳死と臓器移植を扱い、『望恨歌』では朝鮮人強制連行事件を扱った。

≪024≫  最近ではアインシュタインの特殊相対性理論をあしらった『一石仙人』がある。大倉正之助(第866夜)が舞台に上げた。ニューヨークで『無明の井』が上演されたときは絶賛され、ドクター・ノオとよばれた。

≪025≫  多田さんの能は、まさに「仮の世の記憶」を書いている。それは能舞台を借りた “生命の複式夢幻能”というものだった。

≪026≫  その多田さんが2001年5月に、旅先の金沢で脳梗塞の発作に襲われた。生死のさかいをさまよったのち、目覚めたときは右半身が完全に運動麻痺となり、声を失っていた。嚥下も困難で、水を飲んでも苦しい。

≪027≫  多田さんは一夜にして虫となったカフカの『変身』を思い出し、脳裏をダンテ『神曲』(第913夜)の「この門をくぐるもの、すべての希望を捨てよ」が過(よぎ)った。自殺も考えたという。

≪028≫  いま、多田さんはバリアフリーの部屋に住み、重度障害者として生きる望みをもちはじめられたとおっしゃる。このことは、今年の4月に刊行された柳澤桂子さんとの往復書簡集『露の身ながら』(集英社)にもつぶさに綴られていて、心を打つ。

≪029≫  柳澤さんもまた30年来の難病に苦しめられたまま、結婚生活43年のうちの32年を闘病に費やした。そのあいだ、生きる望みは書くことだけだったという。すでに第295夜に紹介しておいた名著『二重らせんの私』は、そのうちの一冊だ。

≪030≫  そのときは遠慮して書かなかったのだが、柳澤さんは病名を求めても医師からは「おまえのせいだ」と言われるばかり、やっと1999年になって脳幹異常による周期性嘔吐症候群と低脳液圧症候群という病名が与えられた。

≪031≫  ぼくが最初に入院したのも脳脊髄液の水位の異常によるもので、ずっと嘔吐が伴った。

≪032≫  多田さんも書いておられることだが、生命の恐怖というものは多様にあるものだ。

≪033≫  そのうちの一部が、いま医療によってもたらされているとしたら、これは患者にはおもいもよらない生命の恐怖のひとつである。多田さんは金沢で倒れたあとにストレッチャーに乗せられて、初めてMRIにかけられたときの恐怖を書いている。声が出ない多田さんの耳に暴力のような機械音が侵入してきたからだ。

≪034≫  1年にわたる入院生活をおえても、そのときの苦痛を声と言葉で訴えられなかった恐怖のほうがいまだに去らないという。

≪035≫  多田さんは構音障害のなかにいる。言葉はいっさい喋れない。けれども、その奥からは何かがやってくる。

≪036≫  それは石牟礼道子さんが「含羞」からの叫びを記録したという意味で、まさに同じような叫びだった。多田さんは倒れる前に、その石牟礼さんの新作能『不知火』に、土俗の神が何度でも生まれ変わって魂の救済を訴えているというオマージュを捧げていた。

≪037≫  しかし、それは多田さんにこそおこっていることなのだ。 こうして、ごく最近、一週間ほど前に、多田さんは『歌占』(藤原書店)という詩集を上梓した。

≪038≫  この表題は能の『哥占』を想わせる。伊勢の神官が死んで3日目に蘇ると、白髪の予言者となって将来を予告するというクセ舞である。けれどもその度がすぎて神の懲罰をうけて鎮まっていく。多田さんはその渡会の神官に自身を擬したのだ。

≪039≫  表題の『歌占』という作品が冒頭に示されていて、次に『新しい赦しの国』という詩につづく。そこには、こう綴られている。

≪035≫  多田さんは構音障害のなかにいる。言葉はいっさい喋れない。けれども、その奥からは何かがやってくる。

≪036≫  それは石牟礼道子さんが「含羞」からの叫びを記録したという意味で、まさに同じような叫びだった。多田さんは倒れる前に、その石牟礼さんの新作能『不知火』に、土俗の神が何度でも生まれ変わって魂の救済を訴えているというオマージュを捧げていた。

≪037≫  しかし、それは多田さんにこそおこっていることなのだ。 こうして、ごく最近、一週間ほど前に、多田さんは『歌占』(藤原書店)という詩集を上梓した。

≪038≫  この表題は能の『哥占』を想わせる。伊勢の神官が死んで3日目に蘇ると、白髪の予言者となって将来を予告するというクセ舞である。けれどもその度がすぎて神の懲罰をうけて鎮まっていく。多田さんはその渡会の神官に自身を擬したのだ。

≪039≫  表題の『歌占』という作品が冒頭に示されていて、次に『新しい赦しの国』という詩につづく。そこには、こう綴られている。

≪040≫  おれは新しい言語で
    新しい土地のことを語ろう
    むかし赦せなかったことを
    百万遍でも赦そう

≪041≫    老いて病を得たものには
その意味がわかるだろう
未来は過去の映った鏡だ
    過去とは未来の記憶に過ぎない
    そしてこの宇宙とは
    おれが引き当てた運命なのだ

≪042≫  「はにかみの国」と「赦しの国」。
 日本は一人ひとりの内側でT細胞とB細胞を躍らせて、   それぞれ一途で多様な面影の国を蘇らせるしかないようだ。

≪043≫ 参考¶ここで前半にとりあげた会話は、主に多田富雄『生命をめぐる対話』(大和書房)から援用し、複式に再構成してみたものです。千夜千冊のいくばくかのメリーゴーラウンドに、多田さん、五木さん、井上ひさしさん、白洲さん、中村さん、柳澤さん、石牟礼さんがあたかも露伴『連環記』のように、漂巡回遊しているかのようにしてみたかったからでした。みなさん、失礼しました。でも、やっぱり面影を持ち重りしてみたい、です。

≪01≫  新型コロナウイルスに世界中が揺れている。
見えない動揺もかなり広がっていて、それがトップダウンの動揺であることが由々しい。
東京オリンピックやパラリンピックはIOCの鶴の一声で延期された。

≪02≫  新しいウイルスは去年の暮、中国湖北省の武漢の食肉魚介市場でなんらかの動物感染源によって発現し(当初はアルマジロやセンザンコウが噂にのぼった)、またたくまに中国国内とアジアに拡まり、以降はヨーロッパに飛び火し、いまはアメリカをも危険に陥(おとしい)れている。

≪03≫  とめどもない勢いであるが、すべてがインビジブルなのである。しかし、インビジブルで価格がついてないまま拡張浸透していくものは、世の中にいくらでもある。イルカの遊泳、菌類の増殖、バッタの移動、渡り鳥、昔話、流行語、インフルエンザ、みんなそうだ。

≪05≫  2020年3月25日現在、感染者総計が30万人を突破して50万人に及び、正確なことはわからないが160カ国以上で同時発生しつづけている。感染者は3月中旬の時点で中国8万人、イタリア7万7000人、スペイン2万5000人、イラン1万3000人、韓国8000人だったが、この数字はさらに激増しつつある。なんらかのオーバーシュートがおこって、イタリアでは死者が1800人と急上昇した(その後に3400人に、さらに3日後に8000人を突破した)。

≪06≫  各地の医療崩壊も深刻になってきた。さきほどのニュースではインドが全土封鎖(ロックダウン)に踏み切ったようだ。感染病理学上の正式名は「COVID-19」である。

≪07≫  日本ではどうだったか。横浜に入港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号でやきもきする危機状況が続き(感染者621人)、数週間にわたってニュース画面いっぱいに全長300メートル・高さ54メートルの優美な「病んだ豪華客船」が夢魔のごとくあらわれるたび、まるでSFパニック映画の予告編を何度も見せられているようだった(船は英P&O社所有、米プリンセスクルーズ社運航、三菱重工の長崎造船所建造)。

≪08≫  そのころの日本のトップや自治体には漢然とした非プロフェッショナルな危機感だけが覆っていて、海外から帰国した感染者とその行動履歴が次々にあきらかになっても、有事としての見通しがそうとう甘く、どこか対岸の火事のように、それは他人事だろうといった応接が続いていた。

≪09≫  テレビのコメンテーターとして呼ばれた専門医や研究者たちの警告も、初期はすこぶる緩慢なもの。37度5分の体温が3日つづいたら検査を受けてくださいと言うばかり。屋形船で感染が拡まったというニュースが流れたときは、「クルーズ船とか屋形船とかの閉じた船みたいなところが危険なんです」と言う始末だった。クラスターという用語も浮上していなかった。

≪010≫  それが小学生の感染を機に、夕張市長から北海道知事に転進した鈴木直道知事が発した緊急事態宣言で、日本を見舞いつつある疫病力が告げられて、少しずつ遠来の鐘の音が近づくように風雲急を告げていったのである。

≪011≫  こうして突如としてシステミック・リスクの箱がバッカーンと開いたのだ。国家や都市や企業が慌てた。有事は平時をあからさまにする。システミック・リスクの蓋が開いた箱を繕うための命令が前後左右に捩れ、市民や国民に唐突なお頼み事をするしかなくなった。

≪012≫  みんながマスクをし、卒業や春休みを控えた小学生のいる家庭の中は、たちまち「おそ松くん」の家のような様相を呈し、盛り場では人波が寄せては返して、引いては満ち、パリやロンドンやニューヨークがすでにそうなっているが、突然に無人の街の映像が、ベルイマンやアントニオーニの映画の数シーンのように吹きっざらしなのである。

≪013≫  威信にかかわるとはこのことだった。習近平の中国は強引なトップダウンによる封じ込めに乗り出した。欧米も緊急警告を連発しはじめた。こういうときはまるで国家の威信をかけるかのような様相になるのだということが、よくわかった。

≪014≫  国家にとってはレストランやコンビニが潰れるのはかまわないが、巨大システムの崩壊が怖いのだ。とくに生産力と労働力の停滞が怖い。主要国の政治力はこの20年来ずっと停滞しているから、こういう緊急事態のほうが身が引き締まる。

≪015≫  歪みあいもおこっている。アメリカが「中国は武漢ウイルスの初期状況を隠蔽した」と報道したことに中国側が反発して、アメリカこそ事態を不安定に導いている張本人だと名指しにし、11月で武漢にアメリカ軍が催した軍事体育訓練大会でコロナが持ち込まれた疑いがあると言及した。これでカチンときたトランプは「チャイナ・ウイルス」呼ばわりをする。パンデミックは国際政治の戦略投げ合い競争なのである。

≪016≫  1カ月ほど前からの日本のテレビニュースでは、感染者が発見されるたびに知事や市長が発表会見をする様子が映されていた。ふーん、自治体の首長が感染者情報をテレビカメラの前で発表するのか、こういうときは首長がお出ましなのかということを初めて知った。こんな言い方をするのは不謹慎だろうけれど、県別・市長村別の対抗戦のようなのだ。

≪017≫  それがいまや各国の威信をかけての緊急対策試合のようになってきた。とともに各国首脳が「これは戦争だ」「見えない敵との戦争だ」と言っているのがやたら目立ってきた。

≪018≫  有事といえば「戦争」しか思いつかないのだろうが、それがおかしい。平時の中で有事を示すボキャブラリーが払底しすぎてきたのである。ウイルスや細菌をめぐる「社会と知と病いの関係」など、巷間でも大学でも企業でもメディアでも、まったく語られてこなかった。だから戦争用語ばかりが乱発される。

≪019≫  これは戦争なのではない。恐慌でもない。われわれの足元にある生物的文明の亀裂なのである。ウイルス・プラネットの咆哮なのである。有事は平時をあからさまにし、平時の中の有事を誇大化させる。かくして何か根本的なところが腑に落ちないままのパンデミックが続いている。

≪020≫  事態が少し収まってからでいいが、よくよく振り返ったほうがいい。だいたい「新型」(new type)とは何だったのか。コロナウイルス(corona virus)とはどういうものなのか。

≪021≫  2009年にメキシコに発して大流行した新型インフルエンザのときにも「新型」だと言われた。そもそもは動物感染しかしないはずの豚インフルエンザ・ウイルスがあるときにヒトに感染し、それがヒトからヒトへの感染経路に確認されたとき、そのウイルスが「新型」と呼ばれるのである。動物感染のウイルスがヒト感染に変容したとき、新型が生まれる。新型の「新」とはウイルス遺伝子の変異だったのである。ほんとうは「変型」だ。

≪022≫  今度は武漢でおこったこともそのことだった。それがコロナウイルスのヴァージョンなので、今回のウイルスは「新型のコロナウイルスの変異体」なのだ。

≪023≫  ということは、このウイルスは重度の肺炎などの呼吸器系疾患をもたらすRNAウイルスであって(RNAウイルスのことはあとで説明する)、2002年発見のSARS(サーズ)のコロナウイルスや、2012年発見のMERS(マーズ)のコロナウイルスの類系であることを示している。SARSの感染源はコウモリともハクビシンとも言われ、MERSはヒトコブラクダが感染源だったと言われている(まだ正確なことはわからないか、もしくは伏せられている)。

≪024≫  コロナという呼称がついたのは見た目のことで、ビリオン(感染性をもつウイルス粒子)の表面のエンベロープ(膜構造)に花弁状の外観をもつスパイク突起が付いているためである。中国では「冠状病毒」と言っている。

≪025≫  コロナウイルスが危険な正体をあらわしたのは、21世紀になってからである。2002年11月、中国広東省で305人の住民が急激な肺炎にかかって病院にかつぎこまれ、それが重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome)とみなされ、略称SARSと命名されたときからだ。

≪026≫  このときも潜伏期は2日間から1週間、最初に発熱や悪寒がきて、2週間をこえると非定型肺炎などになり、下痢もおこった。5カ月で世界32国に広まり、8000人が罹患して、916人が死亡した。

≪027≫  その後、風邪のような症状をおこすウイルス4種、重症肺炎を発病させるウイルス2種、動物から感染するウイルス1種の、計7種のコロナウイルスが確定された。ウイルスの遺伝子になんらかの突然変異があったか、あるいは耐性変異があった(人体感染を通過しているうちにウイルス自体が強化された)のである。ウイルスはしだいに変異するのが当たり前なのだが、その形質がいつまでも定位しないこともある。そのせいで、いまだに治療薬はない。ワクチンもつくれていない。

≪028≫  MERSは2012年9月にサウジアラビアで発病した患者から感染したロンドンの患者の検査で発見されたコロナウイルスで、中東呼吸器症候群(Middle East Respiratory Syndrome)と呼ばれる。潜伏期間は14日間で、中東とヨーロッパに拡って死者800人をこえた。こちらもいまなお治療法がない。

≪029≫  鳥インフルエンザや新型インフルエンザとの類縁性もほとんど言及されてこなかった。2009年の新型インフルエンザがパンデミックをおこしたときも(メキシコ東部が発祥源)、感染者や死者がべらぼうに多かった。1600万人が感染し、2185人の死者が出た。

≪030≫  日本は麻生太郎内閣のときで、やはり右往左往が目にあまった。こちらはさいわいワクチンやタミフルなど治療薬が出回ったので、ワクチンも治療薬も開発できていない新型コロナでは話題にしにくいのだろうと思うが、それでいいのかどうか。

≪031≫  どうもウイルスを甘く見ているようだ。いまさらながらの話だが、ウイルスが細菌とは異なるものであること、細胞をもっていないこと、宿主(ホスト)を選んでそこに寄生して増殖をくりかえすこと、感染が拡大するうちに遺伝子に変容がおこること、こういうことが根本的に甘く見られているような気がする。

≪032≫  もっとさかのぼっていえば、ウイルスが生きものなのか非生物なのかという決着がついていないということそのことが、平時の社会思想としてもとびきり重大なのに、そうは思われていないところが問題なのである。 おそらくウイルスのことだけでなく、ウイルス・細菌・寄生虫・真菌などによる、つまり微生物全般による感染症(infectious disease)の全体が「知」にも「情」にもなっていないのだろうと思う。

≪033≫  パンデミックはすべて感染症の世界的拡大なのだが、それはウイルス学の山内一也がずっと警鐘を鳴らしているように「人獣共通感染」(zoonosis)の大問題でもあって、これは有事のときに慌てて急に考えることではない。平時においても、国家においても、組織においても、大学においても、思想においても、政治家においても、経営者においても、もともと総合的に探求しているべきことだった。

≪034≫  もっとはっきりいえば、これは社会の流動的インフラの中に組み込まれるべき「情報感染」という大問題の根底に疼いている由々しさなのである。

≪035≫  そんなこんなで、今夜はカール・ジンマーの『ウイルス・プラネット』をとりあげることにした。専門的ではないが、きっとわかりやすいだろうからだ。 ジンマーには『進化の教科書』全3巻(講談社)、長谷川眞理子さんが訳した『進化』(岩波書店)、O157を含む大腸菌の悪役イメージを刷新させる『大腸菌』(NHK出版)、寄生生物のヒトとの共生を扱った『パラサイト・レックス』(光文社)、『水辺で起きた大進化』(早川書房)などの著書がある。いずれも構成や展開がうまく、読ませる。

≪036≫  ただしウイルスについてもっと詳しく知りたいなら、本書ではまにあわない。デイヴィッド・ハーパーの『生命科学のためのウイルス学』(南江堂)などがいい。ぼくがお世話になった教科書だ。それが少しむつかしいというのなら、入門的におもしろく読めるのは武村政春の『新しいウイルス入門』(講談社ブルーバックス)、生田哲の『ウイルスと感染のしくみ』(サイエンス・アイ新書)、中屋敷均の『ウイルスは生きている』(講談社現代新書)あたりだろうか。 もっとも中屋敷のものは科学出版賞をとったわりに、ぼくにはしごく萎縮しているように感じた。

≪037≫  社会思想としてウイルスを考えるには、腰を入れなおすべきである。さきほども書いたように、まだこのあたりは「知」にも「情」にもなっていない。

≪038≫  たとえば懐しい畑中正一の『現代ウイルス事情』(岩波新書)や『レトロウイルスと私』(海鳴社)、やや新しい山内一也の『ウイルスの意味論』(みすず書房)、『エマージングウイルスの世紀』(河出書房新社)、『ウイルスと地球生命』(岩波書店)など、フランク・ライアンの『ウイルスX』(角川書店)、話題になった『破壊する創造者』(早川書房)、ポール・イーワールドの『病原体進化論』(新曜社)、細菌の著述がめざましい武村の『巨大ウイルスと第4のドメイン』(講談社ブルーバックス)などを覗くのがいいだろう。

≪039≫  なかでライアンのものは“Virolution”という抉(えぐ)った造語が原題になっていて、ウイルスがヒトとともに進化していることを強調する快著だった。進化生物学者のライアンが、疫学や免疫学やウイルス学の専門家のテリー・イエーツやジョシュア・レーダーバーグらを訪ねて執拗な質問をしながら、ウイルスと人間との共生の臨界域をさぐっていくというスリリングな展開になっている。ヒトゲノムの約半数がウイルス由来であることなど、驚かされることも多い。

≪040≫  感染症については、千夜千冊では石弘之(1655夜)がまとめた『感染症の世界史』(洋泉社→角川ソフィア文庫)をとりあげておいた(千夜千冊エディション「理科の教室」角川ソフィア文庫参照)。これは古典的名著のウィリアム・マクニール『疫病の世界史』上下(中公文庫)の21世紀版をめざしていた。

≪041≫  感染とは何かということを知るなら、最近の新型コロナ騒ぎでニュースに登場する国立感染症研究所の初代センター長だった井上栄の『感染症の時代』(講談社現代新書)や『感染症』(中公新書)、あるいは山本太郎の『感染症と文明』(岩波新書)あたりだろうか。

≪042≫  中国が感染症に悩みつづけた歴史をもっていたということをふりかえったのは、飯島渉の『感染症の中国史』(中公新書)である。これはかつてマクニールも参照した陳高傭の『中国歴代天災人災表』を下敷きにしつつ、得意の近現代中国史や沖縄までを視野に入れたもので、啓発された。

≪043≫  ちなみに25年ほど前のことになるが、「現代思想」がウイルスを特集したとき、多田富雄(986夜)と畑中正一(1078夜)とが「ウイルスの世紀」という対談をしていて、ぼくはこれに大いに触発されたものだった。畑中がマクロファージやライボザイムの話をしていると、多田が「逆向きRNAというのはどうですか」と言って、ウイルスがアンチセンスRNAを利用したんじゃないでしょうかという話をするところなど、とてもチカチカした。

≪044≫  では、そろそろ今夜の本題について綴っておきたいのだが、ぼくの今夜の眼目はウイルスという奇妙な相手を考えるにあたっては、生物学がウイルスを厄介者だとみなした理由を問題にしておいたほうがいいということにある。

≪045≫  これはいいかえれば、ウイルスは生物なのか非生物なのか、ウイルスは生きているのか、生きものなのか、生物に乗っかっている乗客なのか、何かに付随している情報なのかという、たいへんデリケートだがきわめて重大な問題を、いったいどのようにウイルス・プラネット生態系の思想として採り入れたらいいのだろうかという問題につながっていく。

≪046≫  ところが、このことをそれなりに敷延していくには、ウイルスについての知識だけでなく(ウイルスは次々に新しくなっていく)、ウイルスをとりまく生物学の知識をつかいつつ、そこからのわずかではあるが重大な離脱を図らなくてはならず、そうなるとごくごく基本の問題、たとえばRNAワールドはDNAのセントラルドグマより先行してたかどうかといったような“太始の問題”に言及せざるをえなくなるのである。 とはいえ、われわれの前に突き付けられている厳然たる事実は、おそらく次の5つのことである。こんな事実でちゃんと理解するのは、けっこうややこしい。

≪047≫  第1に、ウイルスには「細胞がない」ということだ。ウイルスは細胞として生きているのではなく、ウイルス粒子(virion)として存在している。だから細胞膜(生体膜)もない。ここをどう見るか。

≪048≫  ふつうは細胞膜がなくて細胞がないものは自立生物ではない。生命体の定義に入らない。ウイルスは宿主(ホスト)を選んでそこに寄生して、増殖をくりかえしているにすぎない。自前の代謝系という生物としての基本性質をもっていないのだから、そこを見るとウイルスは非生物だということになる。

≪049≫  しかし第2に、ウイルスは核酸(RNAやDNAなどの遺伝子)をもっている。核酸はカプシド(capsid)というタンパク質の殻に包まれ、エンベロープ(envelope)という封筒のような膜で宿主に送り出される。遺伝子をタンパク質に包んでいるのがカプシドで、そのカプシドは脂質でできているエンベロープの格好をとって移動する(郵送される)。それが宿主の細胞に巧みに入ってカプシドが脱殻(だっかく)し、あとは宿主の細胞をつかって遺伝子を複製する。 遺伝子があって、それが他者の生物の細胞の中であれ複製をおこすのだから、こういうところはすこぶる生物的なのである。

≪050≫  第3に、ウイルスには細胞壁もなく、ATPの合成もできないということがある。つまり自己エネルギーをつくれない“生きもの”なのである。ただし、ちょっとややこしいこともある。細胞壁はマイコプラズマなどにもなく、クラミジアなどもATPをつくっていないからだ。こういう変則的な事情をみると、逆に「なぜかれらはウイルスっぽいのか」という説明がけっこうむつかしいものだということをガツンと知らされる。

≪051≫  第4に、ふつうの細胞はRNAとDNAの両方をもっているのに、ウイルスはそのどちらかしかもたないということが、たいへん微妙で、かつ重大な問題を突き付ける。ある種のウイルスには(それこそが新型コロナウイルスにもあてはまるのだが)、どこかとても初期のRNAワールド的なものが残響しているかのようなのだ。 この特色はひょっとするとウイルスの起源的特色を雄弁に語るものだろうと思われるのだが、さあそうなると、話は生物学の根本にかかわるRNAとDNAの先陣争いに巻きこまれていく。ぼくのように「RNAが先にエディターシップを発揮したのは当然だろう」などとは、多くの慎重な生物学者は口がさけても言わないのだ。しかしRNAウイルスを解くことが、ウイルスと生物と文明のあいだを羂索になるだろうと、ぼくは見ている。

≪052≫  第5に、ウイルスは増殖しすぎて、せっかく乗っ取った宿主細胞を殺してしまうことがあり、これはあきらかにウイルスの自滅行為なのだが、そこをどう考えるといいのかということがある。ウイルスには利己的遺伝子としての矜持がないということなのだろうか。 細胞のほうからすれば、これによって(細胞のアポトーシスによって)、宿主はウイルスの侵略から身を守っているということになるのだから、ウイルスの過剰とともに細胞が犠牲になることによって宿主全体のバランスを取り戻したということで「よかった、よかった」だけれど、ここにはウイルスと生命体との「もちつもたれつ」が垣間見えるとも言えるのだ。

≪053≫  第5に、ウイルスは増殖しすぎて、せっかく乗っ取った宿主細胞を殺してしまうことがあり、これはあきらかにウイルスの自滅行為なのだが、そこをどう考えるといいのかということがある。ウイルスには利己的遺伝子としての矜持がないということなのだろうか。 細胞のほうからすれば、これによって(細胞のアポトーシスによって)、宿主はウイルスの侵略から身を守っているということになるのだから、ウイルスの過剰とともに細胞が犠牲になることによって宿主全体のバランスを取り戻したということで「よかった、よかった」だけれど、ここにはウイルスと生命体との「もちつもたれつ」が垣間見えるとも言えるのだ。

≪054≫  地球上の生きものは、これまでの生物学の規定では
「真核生物」(動物・植物・真菌)、「原核生物」(細菌)、「アーキア」(古細菌)の3つの超界(ドメイン)に分けられている。
もう少し深入りすると、6つのドメインに分かれる。
動物界(ヒト、イヌ、昆虫)、植物界(コケ、イネ、草花)、菌類界(キノコ、酵母菌、カビ)、原生動物界(アメーバ、ゾウリムシ)、バクテリア界(大腸菌、チフス菌、結核菌)、そしてウイルス界だ。

≪055≫  このうちウイルス界だけが「いわゆる生物圏」から外れている「例外者」なのである。外れているけれど、動物にもヒトにもバクテリアにも寄生してインフルエンザやC型肝炎やヘルペスやエイズをおこす。かつてならペストや天然痘を大流行させた。つまりウイルスはどのドメインの生物をも宿主にする。そういう意味ではウイルスはすべての生物界(生きものたち)を覆っているわけだ。覆っているというより侵食しているとか、移籍しているとか、借家住まいをしていると言ったほうがいい。

≪056≫ 
 どのように侵食移籍してるかというと、吸着→侵入→脱殻→合成→成熟→放出ということをする。この勇敢きわまりない寄生力は何なのだろう?

≪057≫  だいたいは次のような手順になっている。 ①[吸着] ウイルスはまずは感染する宿主の細胞にぴったりとくっつく。吸着専用のタンパク質をエンベロープの表面にもっていて、このタンパク質をつかって宿主の細胞膜の表面にあるタンパク質にくっつくのである。これが感染の最初だ。

≪058≫  たとえばインフルエンザウイルスはヘマグルチニン(HA)というタンパク質を、上皮細胞の表面にあるタンパク質の先端にあるノイラミン酸という糖にくっつかせる。ヒト免疫不全ウイルス(HIV)はENVという吸着専用タンパク質を、リンパ球のひとつのT細胞の表面にCD4をくっつかせる。 エンベロープがないウイルスの場合は、タンパク質でできたカプシドを宿主の細胞膜に結合させる。ポリオウイルスの一種のピコルナウイルスでは膜のくぼみを利用するし、バクテリオファージの場合はミズスマシか宇宙船のような形の吸着着陸用の「足」をもっている。

≪059≫  ②[侵入] 吸着のあとは、宿主の細胞にRNAやDNAを侵入させる。エンベロープ・ウイルスの場合は、エンベロープそのものが宿主の細胞膜と同じ脂質二重膜でできているので、エンベロープと細胞膜が融合する。HIVの侵入はそうなっている。融合しない場合は、エンベロープが細胞膜に包まれてあぶくのようになる。あぶくがなじんでくると、インフルエンザ・ウイルスは仲間のような顔をしてまんまと入りこむ。

≪057≫  だいたいは次のような手順になっている。 ①[吸着] ウイルスはまずは感染する宿主の細胞にぴったりとくっつく。吸着専用のタンパク質をエンベロープの表面にもっていて、このタンパク質をつかって宿主の細胞膜の表面にあるタンパク質にくっつくのである。これが感染の最初だ。

≪058≫  たとえばインフルエンザウイルスはヘマグルチニン(HA)というタンパク質を、上皮細胞の表面にあるタンパク質の先端にあるノイラミン酸という糖にくっつかせる。ヒト免疫不全ウイルス(HIV)はENVという吸着専用タンパク質を、リンパ球のひとつのT細胞の表面にCD4をくっつかせる。 エンベロープがないウイルスの場合は、タンパク質でできたカプシドを宿主の細胞膜に結合させる。ポリオウイルスの一種のピコルナウイルスでは膜のくぼみを利用するし、バクテリオファージの場合はミズスマシか宇宙船のような形の吸着着陸用の「足」をもっている。

≪059≫  ②[侵入] 吸着のあとは、宿主の細胞にRNAやDNAを侵入させる。エンベロープ・ウイルスの場合は、エンベロープそのものが宿主の細胞膜と同じ脂質二重膜でできているので、エンベロープと細胞膜が融合する。HIVの侵入はそうなっている。融合しない場合は、エンベロープが細胞膜に包まれてあぶくのようになる。あぶくがなじんでくると、インフルエンザ・ウイルスは仲間のような顔をしてまんまと入りこむ。

≪060≫  エンベロープをもたないウイルスは皮膜ピットのような細胞膜のくぼみに入り、そのくぼみが細胞質側にくびれると、にゅるっと入る。エンドサイトーシス(細胞内とりこみ)と呼ばれる。バクテリオファージでは足を突き刺して細胞表面に吸着したあと、お尻の部分にあるピンを刺しこみ、頭部に格納していたDNAだけを細胞内部に注入する。

≪061≫  ③[脱殻] これらの侵入が成功すると、次はタンパク質の殻であるカプシドを壊して、核酸を放出する。これが脱殻(だっかく)である。インフルエンザ・ウイルスの脱殻は、エンドソーム内の酸性条件によってエンベロープがゆるみ、HAのはたらきでウイルスの核酸(RNA)が宿主の細胞質の中に入室する。

≪062≫  ④[合成] こうしてウイルスは遺伝子(RNAかDNA)のプログラム情報をもとに、ちゃっかりと自分そっくりのタンパク質をつくり、遺伝子を複製し、たくさんの子ウイルスを生産する。借家の一隅で自己生産に励むのである。

≪063≫  ⑤[成熟] 子ウイルスをつくるところは、さまざまだ。HIVでは合成されたタンパク質と核酸(RNA)が宿主の細胞膜の内側あたりで組み立てられ、ヌクレオカプシドをつくる。インフルエンザ・ウイルスでは合成された核酸(RNA)は核の中でタンパク質と複合体を用意してRNPという構造になる。そのRNPが核膜の孔を通って細胞質に流れこむ。ピコルナウイルスでは、合成されたRNAとタンパク質が小胞体に接したところで組み立てられる。 ウイルスによっては細胞骨格という網目を手摺りにして細胞質内を移動するらしい。使えるものはなんでもつかうのである。

≪064≫  ⑥[放出] こうしてついにウイルスが放出される。その場合も細胞を殺して出ていくものと、細胞をそのままにして出ていくものがある。ピコルナウイルスは細胞1個あたり2万から10万におよぶ子ウイルスたちが細胞を壊して放出されていく。これでは世の中に感染症は広まるばかりだ。

≪065≫  これらのプロセスで、細胞も黙ってはいない。バランスを維持しようとするし、免疫系が抵抗することもある。合成・成熟・放出がすぐにおこらないこともある。ヘルペスのウイルスは神経細胞に入りこんだまま、ずうっと潜伏する。潜伏感染という。しかし宿主の体力が落ちたり、免疫力が低下すると、ヘルペスウイルスが動きだし、帯状疱疹を発疹させる。

≪066≫  これがウイルスの「吸着→侵入→脱殻→合成→成熟→放出」のプロセスである。すべては他人の細胞でのお仕事だ。 いったい、どうしてウイルスはこんなふうに「他人まかせ」なのか。なぜ自分では生きていけないのに、宿主がいると生きていけるのか。そういうウイルスはいったい何者なのか。この問いに答えるのは容易ではない。

≪067≫  自力では自己複製できず、宿主細胞に寄生すると自己複製するのだから、ウイルスが生物であるのか、それとも生物ではないのかはいちがいには決めがたい。いったいどっちなんだということがずっと議論されてきたけれど、いまだ決着がついていない。それほど厄介な連中なのである。

≪068≫  しかし厄介者に見えるのは、生命体についての定義が粗雑だからということもある。もっと思い切った見方をしなければ、ウイルス界を含んだ生物界の本来の構造はわからない。ぼくはずっとそう感じてきたのだが、なかなかそういう議論は世の中に向かっていかなかった。知の体系からも外されてきた。これはいかにも怠慢だ。まずかった。

≪069≫  そこであらためて考えるべきは、われわれはウイルスを起源とした共生編集的な生命系をつくってきたのであろうと思うことである。 あとからウイルスが厄介なことをしはじめたのではなくて、厄介なウイルスによって生命系が複合的に始動してきたと考えてみることだ。借家住まいのウイルスの活動を活用して、本体の生命系が細胞や細胞膜をつくったのではないかと思うことだ。

≪070≫  細胞は外からやってきたミトコンドリアだって取り込んだのである。さまざまな初期ウイルスの出入りをなんだかんだ活用しなかったはずがない。

≪071≫  もうひとつの考え方は、3つの超界(ドメイン)からウイルスを見るのではなく、「ウイルスから生物圏を見直す」ということだろうと思う。この見方についてはなかなかユニークな仮説がなかったのであるが、2008年にフランスの微生物学者のディディエ・ラウールとパトリック・フォルテールは、ウイルス以外の生物を「リボソームをコードとする生命体」とみなし、ウイルスを「カプシドをコードとする生命体」とみなした。

≪072≫  この見方はなかなか画期的だった。ラウールは世界中の微生物学者たちを驚かせたミミウイルス(巨大ウイルス)の発見者である。フォルテールにはこれまたすこぶる画期的な「ヴィロセル」(virocell)という仮説もある。ウイルスに乗っ取られた細胞のことをいう。

≪073≫  ウイルスの思想をもっと明確にするには、ウイルスにはRNAウイルスとDNAウイルスとがあるということに注目しなければならない。とくにRNAウイルスだ。 すでに書いておいたけれど、コロナウイルスも新型コロナウイルスもRNAウイルスなのである。

≪074≫  あらためて説明するまでもないだろうが、たいていの生物は細胞の中にDNAとRNAをもっている。DNA(デオキシリボ核酸)はヌクレオチドという情報物質がネックレスのようにつながって、ヌクレオチドの部分であるA(アデニン)・G(グアニン)・C(シトシン)・T(チミン)という4種の塩基を、二重の鎖に並べていろいろの塩基配列に組み合わせていく。それが転写されるにしたがって遺伝情報を親から子へ、子から孫へと伝えている。伝えるたびに、DNAの塩基配列が生物個体のタンパク質のアミノ酸の配列(20種類のアミノ酸の配列)を決めるのである。

≪075≫  RNA(リボ核酸)も4種類の塩基で特徴づけられているのだが、DNAのT(チミン)の代わりにRNAではU(ウラシル)が入る。

≪076≫  またDNAがヌクレオチドの一部を形成する糖をデオキシリボースをつかっているのに対して、RNAはリボースをつかっている。ふつうの生物では、DNAは転写のときに遺伝情報のコードをいったんmRNA(メッセンジャーRNA)のかたちにして翻訳し、その塩基配列をtRNA(トランスファーRNA)が連れてきたアミノ酸でつないでいくのである。

≪077≫  以上のことをウイルスもしたいのだが、その気がない(そういう機能をもっていない)。ウイルスはDNAだけのウイルスか、RNAだけのウイルスなので、ふつうの細胞の中でのようなDNAとRNAの協同作業がない。

≪078≫  そのかわり、DNAウイルスは宿主の細胞がもっているRNAポリメラーゼを借用し、転写をおこなうことにした。細胞のRNAポリメラーゼには細胞とウイルスのDNAを区別する能力がないので、宿主細胞がもつDNAで転写してしまう。

≪079≫  一方のRNAウイルスのほうはかなり特異である。分類すればレトロウイルス、二本鎖RNAウイルス、一本鎖プラス鎖RNAウイルス、一本鎖マイナスRNAウイルスがある。コロナウイルスや新型コロナウイルスは一本鎖プラス鎖RNAウイルスだ。 コロナウイルスの本体である一本鎖プラス鎖RNAウイルスは、遺伝情報の転写と翻訳に一本鎖のRNAをつかうウイルスで、その後にウイルス複製複合体(VRC)をつくるという特色をもつ。この複合体は変異によって生じるもので、ウイルス由来と宿主由来との両方のタンパク質を含む。ここがコロナウイルスの厄介なところだったのである。

≪080≫  レトロという名がついているのは、RNAからDNAを合成するときの酵素が「逆転写酵素」(reverse transcriptase)であるからで、つまりはリバース・エンジニアリングができるウイルスなのである。

≪081≫  ヒトに感染するレトロウイルスとしては、最初にヘルパーT細胞(免疫系の司令塔)に感染して白血病をもたらすウイルス(HTLV)が発見された。1980年にアメリカのロバート・ギャロがT細胞腫瘍に羅患した患者から取り出し、翌年には京大ウイルス研究所の日沼頼夫がT細胞白血病の患者から分離した。まとめてATLウイルスとして知られる。日沼は日本の先住民はATLウイルスの持ち主だったという仮説を提示した。

≪082≫  もっとよく知られているレトロウイルスは、エイズを発症させるヒト免疫不全ウイルス(HIV)であろう。やはりヘルパーT細胞に感染する。T細胞はインターロイキンというタンパク質を分泌して、これを受け取った他のT細胞や、抗体をつくるB細胞にはたらきかけて免疫反応を促進しているのだが、そこを攻撃するのだから、宿主は免疫不全に陥ってしまうのである。

≪083≫  RNAウイルスのことがいろいろわかってくると、ここに大きな仮説が立ち上がってくるように思われる。それは「生命系は細胞から生まれていった」のではなくて、実は「RNAウイルスから細胞がつくられたのではないか」という、とてつもなくドラスチックな仮説だ。

≪084≫  以前から、ウイルスの誕生については3つのシナリオがありうると考えられていた。シナリオAは「ウイルスはもともとは独立した細胞だった」というものだ。独立した細胞だったものが、進化の黎明期に何かのきっかけで他の細胞の代謝メカニズムや複製のメカニズムを借用あるいは活用して、ウイルス粒子という系譜を自己保存するようになり、そのかわりすべての細胞小器官を失ってしまったというシナリオである。 なるほどウイルスが“元細胞”だったとしたら、“今ウイルス”たちが宿主に感染するとき、細胞表面のタンパク質を介して吸着して侵入していくのは、お手のものになる。細胞どうしにトレードオフがおこったという見方だ。

≪085≫  シナリオBは「極小の自己複製分子のようなものが、細胞の中の遺伝子をとりこんでウイルスに進化した」というものだ。 植物細胞の中にはウイロイド(viroid)という自己複製するRNAがいることがわかっている。これは一本鎖RNAだけで構成されている。RNAウイルスやDNAウイルスよりも小さく、カプシドもつくらない。また単細胞生物であるバクテリアにはプラスミド(prasmid)という環状DNAを細胞の中にもっているものがある。この環状DNAはバクテリア自身の遺伝子の本体であるゲノムDNAとは別にある。

≪086≫  こういう極小の自己複製分子のようなものたちが細胞から細胞へと渡り歩くうちに、細胞の中の遺伝子を拝借してウイルスになっていったというのだ。たいへんおもしろいシナリオだが、ただこのことが立証できるには、あらためてウイロイドやプラスミドの起源も仮説しなければならなくなる。

≪087≫  シナリオCは「細胞とウイルスは別々に独自につくられた」「おそらく細胞よりも先に誕生していた」というものだ。ウイルスは核酸をタンパク質で包んだだけの単純な構造なのだから、細胞よりも先にできていてもおかしくはない。一番説得力がありそうなのだが、ただしこのシナリオでは、なぜウイルスが他の生物の細胞に寄生しなければならなくなったのか、その細胞依存性がうまく説明ができない。

≪088≫  かくて、これらのシナリオに代わって「RNAウイルスから細胞がつくられたのではないか」という仮説がお目見えすることになったのだった。 もっとも、この蠱惑的な仮説の正当性を議論したり検証しようとすると、とんでもなく話がやっさもっさしてくるので、ここではこういう仮説がありうるということだけを示すにとどめる。いずれ別の千夜千冊で採り上げたいが、どの本を紹介するかが、いまはむつかしい。

≪089≫  けれども、この仮説は生命系の発現の直前におそらく「RNAワールド」が編集因子として先行していただろうことを物語るだけでなく、いまなおわれわれはそのとき以来のRNAウイルスに悩まされ、ウイルス・プラネットの中で共生させられているということを雄弁に告げるものになりうるはずなのである。

≪090≫  そしてこのことは、われわれの文明や社会はRNAウイルスの上につくられてきたということ、それが生物学的文明の平時の姿だったということを示唆するはずなのである。

≪091≫  こうして話がやっと元に戻ってくるのだが、われわれは新型コロナウイルスにかぎらず、ウイルスの侵入に対してまずは発熱信号を発するようになったのだった。発熱は免疫系が発動したことの知らせである。

≪092≫  ウイルスが侵入して最初に駆動するのは自然免疫系で、ウイルスを非自己な抗原とみなして、その解体や消滅に乗り出す。これは個人差のある自然免疫力だから、ウイルスに強い者と弱い者が出る。しかしウイルスがもっと多くなってくると、自然免疫力だけではまにあわない。

≪093≫  そこで第一部隊としては、マクロファージと樹状細胞が発動して、ウイルスを食べて殺す。それでも全滅しない場合は、次に第二部隊がウイルスという抗原に対する抗体をつくる作業にとりかかる。防御体制づくりにとりくむのだ。生き残りウイルスの情報をヘルパーT細胞に伝え、ヘルパーT細胞が一方ではキラーT細胞にウイルスに侵食された細胞を破壊するように命じ、他方でB細胞に抗体(防御部隊)をつくるように命じる。

≪094≫  このときキラーT細胞はウイルスに乗っ取られた細胞を見いだすと、これにすかさずドッキングして、パーフォリンという破壊爆弾を感染細胞に発射する。パーフォリンが命中すれば細胞膜に穴があき、ここから細胞に維持のためのイオンが流れ出て、細胞が死ぬ。これでキラーT細胞もダメージを受けるのだが、損傷がなかったT細胞はメモリー細胞として、抗原抗体関係をアーカイブしていく。ウイルスが侵入して最初に駆動するのは自然免疫系で、ウイルスを非自己な抗原とみなして、その解体や消滅に乗り出す。これは個人差のある自然免疫力だから、ウイルスに強い者と弱い者が出る。しかしウイルスがもっと多くなってくると、自然免疫力だけではまにあわない。

≪095≫  こうした情報的戦闘がおこっているあいだ、われわれは発熱をしつづける。それが37度5分あたりの発熱戦線なのである。情報は熱をもっているのだ。 宿主が発熱しているあいだ、ウイルスのほうはどうなるのかというと、生き残りをかける。①免疫系を壊すか、②細胞の中に隠れるか、③変装するか、この3つのシナリオだ。この③「変装する」は遺伝子の変異のことで、この変異こそがコロナウイルスを新型にせしめたのだった。

≪096≫  今夜は新型コロナウイルス・パンデミックの渦中での千夜千冊だったので、さすがに落ち着かなかった。 2年半前に肺癌になって右肺3分の1を切除し、これまでのヘビースモーカーの宿痾のタタリで残りの肺も真っ黒な肺気腫状態(COPD)になっているぼくとしては、人混みも講演も濃厚接触もすべて回避したほうがよいのだが、まったくそんなことはしていないまま、今夜の千夜千冊を綴ってみた。

≪097≫  講演は2つキャンセルされ、会合もネット化を迫られた。けれどもぼくは根っからの自粛嫌いなので、あいかわらず毎日仕事場に通い、タバコも喫っている。これでバチが当たらなければ神さまが怒りだし、仏さまが見放すことになるだろう。しかしカール・ジンマーは、こう書いている。私たちの知識不足がウイルスに不滅性を与えてしまったのでしょう。遺伝子はたんに種の進化をもたらしてきただけではなく、再集合を試みようとしてきたのでしょう、と。

≪098≫  ちなみに、もう少し身近でウイルス問題を感じたい向きには、「遊刊エディスト」連載中の小倉加奈子による「おしゃべり病理医:編集ノート」を読まれることをお奨めする。

≪01≫  新型コロナウイルス(COVID-19)によるパンデミックがますます拡がっている。感染者は世界中で130万人を超えた。死者は7万人にのぼる。

≪02≫  感染力が只事ではない。速いし、分岐する。感染経路も追えなくなっている。当初は武漢やソウルが、つづいてパリ、ミラノ、マドリッド、ニューヨークが喘ぎ、各地の医療事情が悲鳴を上げた。ジョンズ・ホプキンス大学やMITの感染地図ダッシュボードを見ていると、かなりのスピードでアウトブレイク・ポイントの数字が変転している。シンガポールのダッシュボードにはついつい見入ってしまった。

シンガポールの保健省が運営する公式ダッシュボード

1人1人の入院患者に関する詳しいデータ(年齢、性別、居住地、勤務地、患者が訪れた場所など)が表示されている。運営する「アップコード・アカデミー(UpCode Academy)」のZP・リーCEO(最高経営責任者)は、データに示されている場所は人口密度が非常に高いため「Webサイトに表示されているすべてのデータを使っても、患者を正確に識別することはほぼ不可能です」と述べている。

https://www.technologyreview.jp/s/191263/the-best-and-the-worst-of-the-coronavirus-dashboards/

≪03≫  遅きに失したと言われながら、日本政府も4月7日夜をもって、特別措置法第32条にもとづいた緊急事態宣言を発出した。108兆円という。一都六府県が危険印を捺された。宣言が遅れたのは、自粛と休業を促すことで追い込まれた職種の担い手たちの収入手当を勘案する準備に時間がかかっていたせいだろう。だからこの緊急事態宣言はパンデミック対策法にはなっていない。ウイルス対策にもなんらの工夫がない。

≪04≫  ウイルスが遺伝子再集合をへて変異しているのである。DNAウイルスは修復機能をもっているが、RNAウイルスには複製エラーを修正するメカニズムがないので、転移の速度や頻度が高い。それだけではなく、分節RNAウイルスは一度だけの自己複製だけれど、新型コロナウイルスが非分節RNAウイルスだとしたら(きっとこのタイプだろう)、感染をくりかえしているうちにたくさんの断片に分離され、この断片が複製のたびに交換されているということになる。これは侮れない。移動が速いし、拡散岐が多い。

≪05≫  日本だけではない。パンデミック対策はいまだ世界中のガバナンスが組み立てできないでいるものだ。WHOは疫病流行の度合いを、特定地域流行のエンデミック(endemic)、集団発生型のエピデミック(epidemic)、世界的汎発のパンデミック(pandemic)に分けてはいるが、あまり深まってはいない。予測や効果の測定もできていないし、アクション・プログラムの咀嚼もできていない。

≪06≫  たしかに各国や自治体は打開策を次々に打っている。手洗い励行、外出禁止、自宅待機、マスクの供与、PCR検査の徹底、人工呼吸器の準備、治療剤のテスト、アビガンなどの併用、野戦病院の仮設、ワクチンづくり、地域のロックダウン、学校閉鎖、パトロールの徹底、宿泊施設の確保、テレワーク奨励、夜間接待営業の自粛‥‥などなどだ。

≪07≫  対策は感染情況によって、首長たちの決断の度合いによってさまざまで、小池都知事はもっぱら三密(密閉・密集・密接)への警戒ばかりを言う。極端に走る向きもある。習近平の中国のように徹底したトップダウンをする国もあれば(武漢のロックダウンは誇らしげに解除された)、トランプのアメリカのように気まぐれな過剰保守策で混乱している国もある。

≪08≫  医療崩壊も危惧されている。施設も人員も装備も病床数も。こんなふうに一気呵成の感染拡大が続いては、どの国のどの地域も平時の病院力ではまかなえない。 しかし各国首脳がとりあえず想定しているのは、かつての戦時法や恐慌対策法のようなものなのである。これらは国家の急激なアンバランスを取り戻すための軍事的経済的な偏重対策であって、そのために国民をどのように誘導しておけばいいかという警告的対策だ。これではウイルスの拡張をとめることとはほとんど交差できない。

≪09≫  日本政府の緊急事態宣言は戦時法的な強制力ではなく、都府県レベルの要請力にとどめたが、さて、この方針でどうなるか。経済主義に傾る安倍政権の衣の下の鎧がほつれなければ、いいのだが。

≪010≫  エピデミックやパンデミックは世界を異様にトランスフォーム(変形)させる。各国各地に突如として「有事の社会」の縮んだモデルが出現し(どんなモデルが適切なのか、ほとんど検証してこなかった)、人々はこぞって「偽装した平時」を強要されるのである。

≪011≫  そんな「有事が押し付けた平時」など、これまで誰も経験してこなかった。戦争や災害は有事の継続だった。パンデミックがつくるのは、いわば「偽装した平時」なのだ。

≪012≫  パンデミックが緊急事態を告げていることは、誰もがわかる。けれども急に身近になってきた「毎日が日曜日」を前に、みんなが何をしていいやらわからないのが実情だろう。全員が高齢者まがいであり、全員が引きこもりを装わされるのだ。大活躍するのはテレワークだろうが、そういうことをこなせる仕事人口は世界の2割に達していない。多くはテレビを見るか、近所をうろうろするか、ゲームに興じるか、ペットと話すか家族の会話をまさぐるか。

≪013≫  趣味を堪能できるといっても、釣りや合唱団や草野球やママさんバレーはできない。「街」がないのだからショッピングは叶わないし、「店」がないのだから飲み歩きも食べ歩きもできない。当然、休店を余儀なくされたお店は困る。おじさんは逼塞し、コンパができない若者は苛立ち、出歩けない歴女は歴史ムックを何度もめくってみるしかない。アスリートたちは自宅のトレーニングを工夫する。将棋や囲碁が浮上して、株の売買に目が移る。

≪014≫  こうしたことは、実は緊急事態でなくとも人々が自身の体調や事情によって適宜選択していることでもある。外出禁止は不便であるが、それ以上の緊急性が身に迫っているとは思っていない。むしろ「偽装した平時」に対する応身に戸惑っているといったほうが当たっている。

≪015≫  しかし、これではウイルス・パンデミックの真の実情は見えないままにおわるだろう。感染者数と死者数のカーブが低くなっていくことに安堵しておわるしかないだろう。

≪016≫  生命とは代謝機構の発現と変異そのもののことである。地球はこの代謝機構がつながりあって巨大で複雑な代謝ネットワークを内在させている。どんな「生き死に」もこのなかで決まる。そこにはヒトだけでなく、すべての植物、すべての動物、すべての細菌、すべてのバクテリアが組みこまれている。ウイルスはこれらの隙間を高速に移動する。

≪017≫  ウイルスが悪者なのではない。敵なのでもない。敵だとすれば文明に「内在する敵」だ。では何がおこっているかといえば、すべての生命体に付属して動くベクター(vector)の出入りが事態のカギを握っている。ベクターは高速の運び屋で、運んでいるのは情報である。核酸分子の姿をとって、情報の増幅・維持・導入・転移に参与する。

≪018≫  何がベクターになるかは生命体によって異なるが、かつてジョシュア・レーダーバーグは『細胞遺伝子と遺伝的共生』(1952)という画期的な論文のなかで、生物種の境界をこえて受け渡されるDNA分子のことをプラスミド(plasmid)と命名して、プラスミドがベクターになるしくみを解明し、分子生物学と遺伝子工学の新たなページを開いた。

≪019≫  レーダーバーグが大腸菌を用いて解明した手際は鮮やかだった。プラスミドは細胞内でDNAとは独立して自律的な情報複製をおこなっていたのである。抗生物質が効かなくなることがあるが、その理由のひとつはプラスミドが宿主に抗生物質に対する耐性をもたらしていたからだった。

≪020≫  ウイルスもベクターになる。もう少し正確にいえば、ウイルスは情報が細菌に感染する複製ネットワークを活用するのである。情報はヴィークルを乗り換え、衣装や意匠を着替え、カバンを持ち変えながら変容をとげていく。情報が乗り換え、着替え、持ち変えていくのは当たり前なのだ。

≪021≫  もうひとつ言っておかなくてはならないのは、今回のパンデミックは「ズーノーシス」(zoonosis)によるものでもあったということである。ズーノーシスは「人獣共通感染症」とか「動物由来感染症」と訳されているが、ウイルス性ズーノーシスにはインフルエンザ、SARS、MERS、エボラ出血熱、マールブルグ熱、デング熱、日本脳炎などかなりの種類がある。

≪022≫  新型コロナウイルスは武漢あたりの食肉街で発生したとみられるが、おそらくは鳥からコウモリへ、コウモリから何かの中間宿主に移り、その肉をヒトが食べたのちのヒト感染だったと想定される。パンデミックはヒトの動きの外面的なトレーサビリティーを監視しているだけではすまないはずなのだ。

≪023≫  こうしたことがおこりうることは、すでにこの20~30年来のパンデミックの前例や予例で見えていたことでもあった。いや、そもそもウイルス・パンデミックはつねに、いつだって、おこりうることなのである。

≪024≫  今夜はそのことをドキュメンタルに示した一冊を急いで紹介しておくことにする。フレデリック・ケックの『流感世界』だ。「人類学の転回」というシリーズの一冊である。かつて編集工学研究所にいた後藤享真君が編集した。後藤君は心優しきエディターで、われわれは「キョータダ! キョータダ!」と呼びすてていたけれど、きっと独特の水声社の編集風土を支えていくだろう。村上陽一郎さんからの紹介だった。

≪025≫  ケックは1974年生まれの社会人類学者である。いまはフランスの国立科学研究センター(CNRS)の研究員をしている。レヴィ=ストロース著作集の編集に携わったり、レヴィ=ブリュールの研究などをしていたのだが、2007年から約2年にわたって香港に入り込み、鳥インフルエンザに関するエスノグラフィック(民族誌的)な調査にかかわった。

≪026≫  本書はそのときの危機感迫る調査と見聞にもとづいたレポートで、やや話の文脈と事例紹介が前後しすぎるきらいはあるが、いろいろ示唆に富む。 原題は“Un Monde Grippé”だから、直訳すれば「麻痺した世界」とか「羅患社会」などというふうになるが、邦訳タイトルは訳者の小林と編集の後藤が相談して『流感世界』にしたようだ。フランス語の“grippé”が「面倒な風邪に罹った」というニュアンスをもっているので、工夫したのだろう。

≪027≫  中国では「伝染」(infection)と「感染」(contagion)を分け、インフルエンザなどの急激なウイルスの流出を「流感」と呼んでいるので、そのあたりも配慮したのかもしれないが、少しわかりにくくなったようにも思う。ぼくの世代では流感は「流行性感冒炎」のことで、小学校のころからリューカンといえば風邪のことで、ウイルスが動いているなどとは思っていなかった。

≪028≫  中国語を習得したケックが初めて香港に入ったのは、返還前の1996年のことだった。それから香港はさまざまな人類学的試練と疫学的試練をずっと受けるようになった。

≪029≫  香港が鳥インフルエンザ・ウイルスに見舞われたのは、香港返還と同じ1997年5月だった。3歳の子が謎のインフルエンザに罹って死んだ。原因がわからない。同時期、近郊の農場で500羽のニワトリが死んだ。感染ルートは中国からやってきていそうだったが、中国政府当局は知らんぷりをしているばかりで、なんらの憶測も許さない。

≪030≫  香港大学微生物学部門が原因究明に乗り出し、ロバート・ウェブスターとケネディ・ショートリッジが応援部隊の指揮をとったのだが、H5N1型のウイルスはまたたくまに拡大していって、ついに南米の豚インフルエンザ・ウイルスとなって、H1N1型に変異した。H1N1ウイルスは1918年のスペイン風邪の猛威の中で確認されたウイルスの系譜である。しかし当時はどんな対策も確立されきらず、バイオセキュリティの研究水準も実施水準も低いままだった。

≪031≫  2003年2月21日、香港でSARS(サーズ)の感染が発見された。広州で急性呼吸困難の患者を診察していたリ・ジャンルン医師自身が感染してペーシェント・ゼロとなり、数カ月で8000人が感染し、800人が死亡した。

≪032≫  ウイルスが動物起源であろうことは当初から推断されていた。ハクビシンに大量のコロナウイルスが検出されたのである。さっそくそのルートが探求された。まもなくコウモリが病原保有動物だったことがわかった。華南の生態系はとっくにコウモリによるコロナウイルス生態系と化していたのである。コウモリの中のコロナウイルスがハクビシンを中間媒体にして、その食肉が出回ったのだ。

≪033≫  ついで2005年4月、渡り鳥の生殖地である青島湖一帯で、H5N1型の鳥インフルエンザが発生した。3000羽のアヒルが死に、15000羽のニワトリが殺処分された。

≪034≫  H5N1ウイルスは鳥肉が調理されたときに死ぬので、ヒトに感染することはないはずだった。けれどもナマで食べればどうなるか。一人でもそれをすれば、H5N1はたちまちにしてヒトの細胞を格好の借家にする。多くのウイルスは摂氏50度以上の熱で死滅するが、「焼いてお召し上がりください」という但し書きは、ナマを食べたいという欲望の前では無力なのである。日本でもナマの獣肉や鳥肉で客を感染させた店が出たことがあった。 フード・セキュリティとフード・セーフティの基準が問われはじめた。ケックはその基準の問い方に注目し、勢力的な調査を開始した。

≪035≫  畜産業者のリスクも問題になった。かれらは鳥たちの糞便と日々接触しているので、その接触が動物型のウイルスをヒト個体群に乗り換えさせる機会をつくっていた。すぐさま獣医のネットワークが機能できるかどうかということが話題になり(日本ではそうなっていない)、第一次世界大戦後に設立された国際獣疫事務局(OIE)の動きが問われた。

≪036≫  無症候性キャリアの問題はもっと厄介である。症状があらわれないのだからリスクをもっていないかといえばその逆で、無症候のままウイルスがヒトからヒトへと動いていくことになる。そこでワクチンを開発して誰もが免疫力をもつことが対策されるのだが、H1N1ウイルス(豚インフルエンザ)のときのワクチンがギラン・バレー症候群(神経を変性させる症状)をおこした例があって、ワクチン開発についてもかなり精度が要求されることが突き付けられた。

≪037≫  レヴィ=ストロース(317夜)が明かしたことは、人間社会の現象は、なんらかの変換関係(rapports de transformation)によっておこっているだろうということだった。

≪038≫  ケックはこのことをウイルス・パンデミックの現象分析にあてはめ、調査の手を香港から中国へ、日本へ、カンボジアへも向ける。このコースはアジア北部では制圧された弱毒性のウイルスV株が、東南アジアでは強毒性のウイルスZ株に変異していったことを追跡したいと思ったからだった。医療人類学ならまだしも、こういう社会人類学者はめずらしい。

≪039≫  ケックが日本についての関心を示したのは、レヴィ=ストロースが沖縄と九州を訪れたときに「日本で神話が保っている活力」に感銘を受けたこと、および日本を含む仏教圏に漠然と広がっている「共生」の思想に注目したことにもとづいている。

≪040≫  けれどもケックが実際に調べてみると、この“美徳”はかなり低迷していて、すでに日中戦争時の731部隊の細菌兵器研究からオウム真理教のサリン製造と散布まで、とても日本人が「共生」を大切にしているとは思われなかった。寿司のマグロや馬刺しがずいぶん好きなところも、あやしい。ただし、日本人が清潔を重視しているだろうことはよくわかったし、生きた家禽の市場を禁止していることもわかった。

≪041≫  ケックは外薗昌也のマンガ『エマージング』(講談社)も読んでみた。東京に新しいウイルスが出現し、出血性の凄まじい症状を呈するのだが、政府にはなんらの対策もないことが暴かれていくというストーリーだ。

≪042≫  河岡義裕についても触れている。河岡は北海道大学獣医学部の出身で、日本を代表するインフルエンザやエボラウイルスの研究者として野口英世賞・武田医学賞・日本農学賞・高峰記念第一三共賞などを受賞した。

≪043≫  H5N1型をもとに新しいウイルスを人工的に生成したことで話題になり、デイリーメールが「4億人を死に至らしめる」と書き、ダン・ブラウンがウイルス・ベクターを道具立てにした『インフェルノ』(角川文庫)で河岡の実験成果に言及した。

≪044≫  ぼくは河岡が工夫した「リバースジェネティクス法」を評価しているが、ケックは安全基準が守られていないのではないかと危惧している。

≪045≫  しかし、これらの話題よりずっとリスクを伴う現実味を帯びていたのは、やはり中国国内に広がっている食肉市場や鳥市場なのである。ここでは詳しいことを紹介しないけれど、第5章「動物を解放すること」、第6章「生物を生産すること」はかなり読ませる。新たな文化人類学のフィールドワークとしても一読の価値がある。

≪046≫  本書は21世紀のインフルエンザ・ウイルスがおこしたこと、そのことに対処しようとした科学者や当事者や業界の反応、それらについて人類学徒として考えるべきこと、世界の安定的継続を脅かしつつあるRNAウイルスや鳥のことなどを、香港をハブとしたアジア各地の動揺態の変容として綴ったものである。このなかで、ケックは「いったいパンデミックは神話の再生なのか」ということを一貫して問うた。

≪047≫  この〝神話〟という意味はレヴィ=ストロースやロラン・バルト(714夜)が社会の解釈と入り交じらせた神話構造や神話作用のことである。たんなる神話の物語のことではない。しかし、社会や人間が神話性をもつということは、そこに世界性を感受しているということであって、ケックにとってはそこが調査研究と思索の最も重要なところなのである。

≪048≫  そういうことを左見右見していたとき、ケックがフィールドワークに入った香港に新インフルエンザウイルスによるパニックがおこっていた。それはたちまちアジアを襲いメキシコに転化して、パンデミックになった。いったいこれは何なのか。本書はこの視点をもって綴られた。

≪049≫  ひるがえって、ノアの洪水もペスト大流行もリスボン大地震もスペイン風邪もパンデミックだったのである。古代中世の戦争もパンデミックだった。そのたびに文明は試練にさらされ、新たな哲学や文化が再浮上していった。ケックはそのことを、ウイルスが「観念の感染」をももたらしてきたのだと書いている。まさに、その通り。スラヴォイ・ジジェク(654夜)なら「幻想の感染」と言ったところだ。

≪050≫  2009年のH1N1パンデミックでは、ワクチンの獲得と担保をめぐって醜い争いがおこった、今回の新型コロナパンデミックでも、サージカルマスクの取り合いがおこっている。これは補給争いであるけれど、脆弱な防具に対する一国の観念の動揺でもあり、幻想の感染でもあったのである。

≪051≫  あらためて考えてみるとわかることだろうが、パンデミックとはある意味では「活動の休止」を公認させるものである。「みんなで休めば恐くない」と言っているようなものだ。それをトップダウンで振り下ろしているのが緊急事態宣言やロックダウン(都市封鎖)や戒厳令である。

≪052≫  一方、近代国家はずっとゼネラルストライキを恐れてきた。革命的サンディカリストだったジョルジュ・ソレルはそのことを見抜いて、主著『暴力論』(岩波文庫)などでストライキの有効性を説いた。20世紀の働く者たちは生産や工場や交通をストップさせることで、抵抗を示した。

≪053≫  感染力の高いウイルスがもたらすもの、それは実のところは「公認のストライキ」なのである。自粛だなんて、体のいい強制なのである。そんなことは戦時であればすぐ察知できるだろうが、ウイルス・パンデミックのもとではうっかり忘れてしまうことだ。

≪054≫  ケックは最終章にこう書いた。「インフルエンザ対ストライキ、これらは敵対する二つの階級が担う二つの神話であり、前者においてはその侵略的な本性によって、後者においては集団的努力を通して、来たるべき破局を表象する二つの異なるヴァージョンとなるのだ」と。

≪055≫  同じことをレヴィ=ストロースもとっくに言っていた、「神話は死ぬのではなく、たえず変換されるのである」と。

≪01≫  飾りのついた鏡、刺繍に凝ったクッション、白い絹のカーテン、空色のカバーのベッド‥‥。 こんなものを並べると、そのへんの女性誌のインテリア特集ならどこにでも載っていそうなアイテムだということになるが、これにコバルト色のペティコート、灰色の絹の靴下、薔薇色のコスチュームというふうに加えると、これはロココ時代の女性たちの典型的な趣味なのである。

≪02≫  ロココ時代、女性たちは瀟洒な趣味を追求して、奢侈を尽くして部屋飾りに夢中になっていた。すなわち「室内」と「小物」が贅沢の舞台になってきた。このことについてはぼくも『情報の歴史を読む』に書いておいた。そして、フランスのこうした「プチ」の感覚がドイツに及んで社会化していった経緯を、クレヨンや色鉛筆の登場に結びつけて説明してみた。

≪03≫  こうしたロココ感覚の起源がどこにあるかといえば、むろん宮廷にある。それもフランソワ1世の宮廷が近代的宮廷のはっきりした起源になっていた。その宮廷の趣味が「プチ」になっていく。小型化する。このことと、ヨーロッパにおける都市の発達変遷とが結びついたとき、「恋愛と贅沢」こそが「資本主義の歯車」となったのである。 少なくともゾンバルトはそう考えた。しかも1910年代のことである。先見的喝破といってよい。

≪04≫  ゾンバルトといえば、日本でも戦前にはいっとき「マルクスか、ゾンバルトか」と並んで騒がれて、主著の『近代資本主義』や『三つの国民経済学』や『プロレタリア社会主義』といった翻訳書が読まれていたこともあったのに、その後はさっぱりである。

≪05≫  ひとつにはマルクス主義が凋落し、そのぶん反マルクス主義も凋落した。もうひとつには、ゾンバルトが集めた数字や叙述の不用意をアナール派がこつこつと変更していった。その成果は偉大ですらあった。そういうことが重なってゾンバルトの人気が薄くなったのだろう。

≪06≫  ところがヨーロッパでは、西ドイツで「連合」が登場する前後からゾンバルトの本が軒並みに復活して、あらためて脚光を浴びている。ただし、フェミニズム思想には評判がよくない。その理由は以下の本書の案内を読んでもらえば、見当がつくだろう。

≪07≫  その前にゾンバルトのことにふれておくと、ベルリン大学でマルクスとディルタイの影響下に経済学を学んで、イタリアの農村問題を研究したのち、ブレスラウ大学、ベルリン商科大学でマルクス主義者として勇名を馳せ、母校のベルリン大学に招かれてアドルフ・ヴァーグナーの後任となってからは、マックス・ウェーバーと並んで経済学の方向を決定する巨頭ともくされた。そのころは反マルクス主義者とみなされた。つまりはこうした"評判"はアテにならないということである。

≪08≫  だいたい経歴もあまり参考にならない。そもそもゾンバルトのおもしろさは「美」や「欲望」や「感性」を経済学の議論に入れたところにあって、しかもそれが本書が書かれた1912年の時代から抜き出されて痛快な歴史観になっていたということにある。

≪09≫  1771年の序文にヴォルテールの「豊饒は最高の必要である」というモットーを掲げた『奢侈に関する理論、あるいは奢侈は国家の福祉にとってたんに有益であるばかりでなく不可欠の必要事であることを証明せんとする試みについて』という、まことに長ったらしい論文が発表された。

≪010≫  これで「奢侈は悪徳である」という理性が崩壊したわけではないが、このころから奢侈がヨーロッパ社会の中央から周辺にむかって流出しはじめたことはたしからしい。

≪011≫  ついで都市が変質していった。人口集中がおこり、イギリスでいえばエスクワイアとジェントルマンが"人為的に"形成され、ロンドンの一角に「シティ」(金融商業区域)が出現した。

≪012≫  そしてその次におこったのが、恋愛の変質である。恋愛は中世のようにミンネジンガーやヴェルクールが歌ってくれるものではなくて、自分で勝手に勝ち取るものとなり、そのための表現力を言葉だけではなく物品で示すことになっていった。そのような恋愛の解放を促進したのがモンテスキューやルソーをはじめとする啓蒙主義者だった。いいかえれば、啓蒙主義はそこから始まった。

≪013≫  しかも、そのような恋愛作法を真っ先にショーアップしてみせたのは(つまりだれにもわかるようにしたのは)、クルティザン(高等娼婦)やコルテジアーナ(媚を売る女性)たちで、その作法がかつてはアヴィニヨンなどの宮廷で洗練されていた作法の流出であることが、都市の男女を酔わせたのであった。すなわち宮廷は都市の中心で風俗化されていったわけだった。

≪014≫  こうしてゾンバルトによれば、男たちはこの恋愛作法に資金を注ぎ、女たちはそのような男たちの資金を"評価"して、好んで愛妾となることに磨きをかけたため、ここに「愛妾経済」ともいうべき新たな動向が誕生していった。

≪015≫  本書には、ラ・ブリュイエールが「パリとは宮廷の模倣のことである」と言い、アルヒェンホルツが「ロンドンの2000ポンド以上の収入のある男性は、生活のためにたった200ポンドしか使わずに、残りの大半を享楽のために費やした」と書いたことが引用されている。

≪016≫  たしかに、ぼくも読んだことがあるが、ディドロでさえ「かつては富裕な俗物たちは忍んで享楽に耽ったものだが、最近は富を何に向けているかをひけらかすようになった」と書いている。

≪017≫  奢侈・贅沢とは必需品をうわまわるものにかける出費のことである。しかし、それがゾンバルトがいうところの「愛妾経済」によってのみ促進したなどといえるのだろうか。 そのような疑問や反論がでることを予想して、ゾンバルトは本書でたくさんの消費傾向の数字の例をあげているのだが、それを集約すると、次のような傾向がおこったという結論になる。

≪018≫  すなわち、第1には「奢侈の屋内化」がおこった。中世の奢侈や豪奢は公共的であったのに、近代の奢侈は個人的であり、かつ屋内的なのである。まさにロココ趣味はここに発したものだった。

≪019≫  第2には「奢侈の即物化」がおこった。人々は非生産的な奢侈よりも生産的な奢侈に移行したがったのだ。手のかかる奢侈ではなく、すぐ手に入る奢侈。そのためには、その奢侈をどんどんつくりだす職人が、やがては商工業が必要になる。つまりはこの即物的奢侈のニーズこそが資本主義的生産力の一翼を担ったのである。

≪020≫  第3には「奢侈の感性化」がおこった。ゾンバルトはそれを「繊細化」ともよんでいる。これを推進したのが女性であることはまちがいはなく、彼女らは奢侈のための製品や商品がより恋愛にふさわしい品質であってほしかったのである。 今日のエルメスやグッチやヴィトンの隆盛を見れば、このゾンバルトの指摘に説明を加えることは何もない。

≪021≫  こうしてゾンバルトは贅沢と恋愛と資本主義の関係がそうとうに近距離になっていたことを証していくのだが、なかで「甘味品」と「女性優位」と「資本主義」の比例関係をのべていくくだりが傑作である。

≪022≫  ぼくは第491夜で「コーヒーハウス」の話を紹介したが、そこで言い忘れていたことがあったのである。それは、砂糖と都市とが結合したことが近代の情報社会の拠点をつくり(コーヒーハウスやカフェ)、資本主義の拠点(工場や株式会社)と市場の競争をつくったということだった。

≪01≫

  世界は特異に分裂している。
 その分裂を資本主義と民主主義の亀裂と見ることができるし、科学と文化の分断と見ることもできる。
 それをさらに、「過去の伝統」と「現在の経験」と「生産的行動」の3つのバランスが崩れていると見てもよい。
 そこには知の統合もなく、人間自身に対する適切な洞察も欠けている。
 こう、ホワイトは本書の終わり近くに「失望」を書いた。
 そう書いたのは米ソ対立が深刻になっていた1954年であるが、この「失望」はみっともないことながら、今日なおあてはまる。
 理由はいろいろあろうが、思考そのものが内的秩序を失っているのが大きい。思考が思考を覗けなくなってしまったのだ。
 なぜわれわれの思考は内的秩序を失ったのか。
 本書はそのことをめぐって、
当時としてはめずらしくも専門領域をまたいだインターディシプリナリー(学際的)で自在な思索と推理を披露した。

≪03≫  結論を先にいうと、われわれは「形」に対する思考を失ったのである。形態が生成されるプロセスに何があるかということに思索を集中しなくなったのだ。

≪04≫  そもそもわれわれは象徴機能という独自の特徴をもつ動物だったはずである。多様で複雑な動向の中から任意のパターンを選び、それを異なるパターンとくらべることができ、それらの作業を通しながら、さらに新たなパターンを創出する能力をもっているはずだった。 

≪05≫  そういう能力を、われわれは分類癖や抽象癖をもちすぎてめっきり鈍くしてきた。おかげでどうなったかといえば、物質と生命と精神をまったく別々のものにしてしまった。あげくに、自分たちの「無知」を暴くことばかりに関心をもち、「不満」をのべたてることが理論であり、「非難」をすることが思想であるとおもいこんでしまうようになった。これはおかしなことだ。ホワイトは、このような事態に一石を投じるために、多彩な思索と活動をくりひろげた。

≪06≫  ホワイトはケンブリッジ大学での学生時代はラザフォードに物理学を学び、1925年にははやくも「調和的共働」(condinate conditor)というコンセプトを提出し、ロンドンの理論生物学グループ(ニーダム、ウォディントン、バナール、ウッジャーら)に交わって、生命活動にひそむ動的で脈打つ原理の考察に向かっていった。こうした思索や研究をへて、ホワイトが到達したのは「形態にひそむ関係力」というものだった。

≪07≫  その推理はいま見てもほぼ当たっている。今日から見れば本書に紹介されている科学知識は役に立たないものが多いのに、それらを素材にしてホワイトが将来を見通す見方はいまなお説得力をもっている。これはホワイトが既存の科学が見忘れてきた「プロセス」や「関係」という現象に着目し、それがたんに流れ去って見えなくなってしまうようなものではなく、実は生命体をはじめとする「形態」に創発しているのだということに焦点をおいたからだった。

≪08≫  ホワイトが「形態」や「形」こそが自然と人間の間をつなげるすべての仮説の鍵を握っているとみなすまでには、多少の紆余曲折があった。当初、ホワイトは対称性と非対称性の問題にとりくんで、その思索の成果を『生物学と物理学の統一原理』にまとめていた。1949年のことだ。ホワイトヘッドやヘルマン・ワイルやウォディントンやベルタランフィの影響があった。

≪09≫  その主張は急ぎすぎていた。そこで、物理学と生物学にまたがる「調和的共働」というものに焦点を絞っていった。自然と物質と生命の各段階を特徴づけている全域的可変量に対するに、それを促しているとみられる局所的可変量のふるまいをひとつひとつとりあげ、その両者にコーディネーションがあるのではないかと見たのである。

≪10≫  ここからホワイトは自在な展開をする。対称性の破れ目から自然界の全体を眺めわたすという視点が出てきた。とくにダーシー・トムソンの業績を記念してホワイトが仕切ったシンポジウムが圧巻だった。これは工作舎から『形の全自然学』として翻訳出版されたが、ぼく自身がこの刊行にかかわっておおいに影響をうけたものでもあった。トムソンは名著『生物のかたち』(東大出版会)によってホワイトやルネ・ユイグらに先鞭をつけた形態学者の泰斗である。

≪11≫  こうしてホワイトは晩年を、その言葉づかいで説明するなら「形成的なるもの」から「造形的なるもの」のほうへと広げていった。それは、かつてゲーテが自身で探求した形態学によって見たヴィジョンに近づいたとも見えた。ダーウィンの登場によって失権したような扱いをうけつづけてきたラマルクが重視した形成力を、忘却の彼方から引き戻しているとも見えた。それならホワイトの精神を、若きデザイナーたちとともに継承しなければならないのである。

≪12≫  それにしてもホワイトが1920年代すでに、資本主義と民主主義の分裂を指摘していること、そこに知の分裂がおこっていること、そのようになったのは「形をめぐる思考」が貧弱になっているせいだとみなしていたことには感服する。

13≫ 
一般には、「形」の問題はデザインやセンスや技術の問題にはなったとしても、知の本質にかかわるとは考えられていないし、まして資本主義や民主主義にかかわるとは想定されていない。
しかし、そうではない。「形」の選択は生命の本質的な、しかも決定的な動向なのである。
「形」がなければ「命」はない。
「命」のあるところ、それが「形」なのである。

≪01≫ ボラティリティとは、コンティンジェントな変動性のことをいう。 そのボラティリティでグローバル資本主義を読む。 スーザン・ストレンジが確立した国際政治経済学の見方だ。 本書は『カジノ資本主義』と一対をなして、市場原理主義が世界をどのように蝕んでいったのか、その前夜の事情を浩瀚に証した。

≪02≫  いつまでたっても日本の経済の調子は悪いようだ。日本航空の破綻やトヨタのリコール問題のせいだけではない。いろいろおかしい。

≪03≫  3月7日の朝日新聞朝刊1面には「悪夢20XX年日本破綻」として、20XX年のある週末の夜、首相官邸の緊急記者会見で、首相が「国民の皆様、深刻なお話を申し上げなければなりません。日本の財政は破綻の危機です。本日、国際通貨基金(IMF)に緊急支援を要請し、関係国と協議に入りました」と沈痛な発表をした云々、という悪夢の未来シナリオがまことしやかに“予想”されていた。

≪04≫  朝日が1面にこういう予想シナリオを載せるとは異例だが、財政破綻による「日本倒産」だけが“予想される悪夢”だけではなく、実は日本社会はいろいろの場面で軋んでしまったままなのだ。複雑骨折もしている。

≪05≫  なぜそんなふうになったのか。すでにこの10年のトヨタをめぐっていろいろの批判的議論が出ているようだが、これは、企業が重視すべき「価値」や「意味」の維持や創出に耐えられなくなって、ひたすら成長や成績の数字をあげることに奔走しすぎたからだった。

≪06≫  どこかから、おかしくなったのだ。それについては私事ながら、ぼくなりに思い当たることがある。 ちょうどホリエモンや村上君が日の出の勢いを見せていた時期、経団連から呼ばれてそうした威勢のいい若手経営者たち(楽天とかサイバードとか)の会合の仕切りを頼まれたことがあった。座長はトヨタ会長を終えた奥田碩理事長だったのだが、それがひどかった。何がひどかったって、奥田さんがひどかったのだ。かれらの売上や利益にしか関心を示さない。かれらの事業意図や発想のおもしろさや危うさなどは、意に介さない。ひたすら数字なのである。

≪07≫  その日からおよそ10年前のこと、トヨタの張富士夫さんがアメリカ社長から帰ってきて、「あまりに疲れたのでしばらく日本のことを勉強したい」と言って、ある人物を介してぼくがしばらくお相手をすることになったのだが、そのときの張さんはすばらしかった。アメリカに勝つ思考ではなく、日本に必要な思考をしばらく考えたいというのだ。それからしばらくして張さんがトヨタ社長に抜擢されて、この密会は中断したのだが、そのときの印象と奥田さんの印象は、同じトヨタのトップを占める者とは思えなかったのだ。トヨタはおそらく張さん以降、売上至上主義に転じてしまったのだろう。

≪08≫  まあ、問題はトヨタにばかりに出ているわけではないのだが、ことほどさように、わが国の企業社会もどこかでかなり歪んでしまったのである。

≪09≫  日本の経済社会が軋み、複雑に骨折してしまったとしたら、それはいつごろからなのかというと、これまでの大方の見方は、バブル崩壊後の「失われた10年」の怠慢からいまだ立ち直れないで、そのまま世界金融同時危機に見舞われたからだと見ている観測が多かった。

≪010≫  が、ちょっと待った。これはおかしい。バブルを生んだ以前から軌道がまちがっていた。『日本力』(PARCO出版)の対談相手になってもらったエバレット・ブラウンは「日本が太陽暦を導入したころからまちがってま~す」と言っていたが(微笑)、そうでもあろうがそれはともかく、かなり以前からの病巣が日本という身体を蝕んでいることはたしかだ。

≪011≫  それでもなんとか病気の症例を最近の経済社会の軋みにだけ絞ってみると、それでどうなのかいえば、おそらくは1988年に、BIS規制を日本が受け入れたときには歪みがはっきり始まっていた。もうすこし詳しくいえば、このBIS規制の前後3年間に劇的な事態の進行があって、このあたりでウィルスに感染していた体に病巣が膨らんできた。

≪012≫  少し時計の針を戻して思いおこしてもらうといいが、1987年10月がブラックマンデーである。これで「市場への過剰な介入を控える」という太鼓が高鳴り、「規制緩和の掛け声」がとびかった。

≪013≫  ついで翌年のバーゼルのBIS(国際決済銀行)傘下の銀行監督委員会が、銀行の資産(融資残高)に対して適正な自己資本率をもつことを要請した。総資産の8パーセントの自己資本をもつことが要請された。日本は合意した。いわゆるバーゼル合意だ。

≪014≫  直後、ベルリンの壁が崩壊し(1989)、ドイツは統一され、EC加盟の日程に組みこまれたが、中欧諸国は“西欧化”には引きこまれなかった。同時に第三世界がGATTのウルグアイ・ラウンド交渉に巻きこまれ、急速に蔓延しつつあった市場原理的イデオロギーの波頭をかぶることになった。

≪015≫  このときすでに単一の世界市場(≒グローバル・キャピタリズム)によって世界を制しようというプロジェクトが、こうして着々と仕組まれていた。それを感知したフランシス・フクヤマは早まって『歴史の終焉』を書き、「世界史は、西洋民主主義と欧米資本主義の勝利を告げて終わった」とぶちあげた。

≪016≫  しかし、事態はまだ大いに紆余曲折していたのである。バーゼル合意の自己資本率の算定は不正確で、96年のBIS第二次規制まで先送りされた。アジアがどうなるかも、そのころはまだ皆目見当がつかなかった。それなのに、市場原理主義はすでに勇躍跋扈し、もはや引き戻らないほどの勢いを見せはじめたのだ。

≪017≫  何がおこったのか。 第1にはIT技術の進展と金融市場の機能とがあまりにも急速に結びついた。第2にそのため、国際金融ビジネスの規模が格段に拡張された。第3に、銀行がすっかり変質してしまった。ぼくが知っている銀行は街のどこにも見当らなくなった。商業銀行は投資銀行化し、自己勘定取引(proprietary trade)になだれこんで、自分の資本をカジノに賭けることのほうへ傾斜していった。もはやクローズド・ショップ(日本でいうところの護送船団方式)は時代遅れとなった。

≪018≫  第4には、まだ全域には及んではいなかったものの、まずもって日本資本主義がグローバル・カジノのニュープレイヤーとして名乗りをあげ、これをシンガポール・韓国・中国・台湾が追い上げる気構えを見せた。そして第5には、この段階では国際市場を監督する機能も規制する機能も用意できていないままだったのである。ようするに“医者のいない国際市場”が広がっていったのだった。

≪019≫  国際市場がマッド・マネーに犯されるだろうことは十分に予想されたはずである。しかし、多くのエコノミストもビジネスマンもその危険を察知してはいなかった。とくに日本の経済社会は何も気がついていなかった。

≪020≫  本書『マッド・マネー』はスーザン・ストレンジが1986年に満を持して世に問うた『カジノ資本主義』(岩波書店)の10年後の続編で、いまから12年前の1998年に刊行された。直後、ストレンジは75歳で眼を閉じた。両著とも名著となった。

≪022≫  ストレンジは一方で、『国家と市場』(邦訳『国際政治経済学入門』東洋経済新報社)で、世界経済は「安全保障・生産・金融・知識」の4つのパワーで見る必要を説き、10年後の『国家の退場』(邦訳『グローバル経済の新しい主役たち』岩波書店)では、主権国家間の「非対称性」の拡大に警鐘を鳴らし、「国民国家の権威の退場」と「非国家的権威の拡張」を比較してみせた。金融機関、IT企業、保険会社、各国マフィア、国際監査法人の暗躍にメスを入れたのだ。こうしてストレンジの『マッド・マネー』が書かれた。

≪021≫  カジノ資本主義とは、貨幣と金融の世界がグローバルに展開するなかで、”偶然”に左右される経済社会が化け物のように膨らんで、実体経済のコンティンジェントな不安定を次々に拡大させていった状況をカジノに譬えたもの、まるで全員がサイコロの目に誘導されるかのような情勢を揶揄したものだ。その後は国際経済界の悲しい常套語になった。

≪023≫  これらの著書をつなぐキーワードは、ここが重要なのだが、実は「恐慌」ではない。「金融」そのものでもない。彼女はよくあるような“恐慌の予告”をしたかったのではなかった。 キーワードは一貫して「ボラティリティ」(volatility)なのである。ボラティリティは金融関係者にはおなじみの用語で、「浮動性」とか「変動幅」といった意味をもつのだが、これがちょっと曲者なのだ。

≪024≫  金融業界や金融工学でいうボラティリティとは、資産価格が確率過程にしたがって変動するとき、その収益率の変動の大きさが測る尺度のことをいう。ファイナンスの計量分析者の多くは、このボラティリティによって市場を予測する。

≪025≫  例のブラック・ショールズの公式では、ボラティリティの変化に対するオプション価格の変化率ベガが注目されてきた。ベガは、ボラティリティのコンティンジェントな不確実性にもとづくオプションの価格変動をリスクに転嫁する。この価格変動リスクはベガリスクと呼ばれてきた。

≪027≫  そもそも市場リスクを見るには、主に、①ダウンサイドリスクを見る、②エクスポージャーを見る、③ボラティリティを見る、といった測定法が好まれてきた。ダウンサイドリスクは収益確率分布の下方部分だけに注目するもので、だからVaR(バリュー・アット・リスク)といった見方が流行した。エクスポージャーは為替などのリスクファクターが1単位動いたときの損失額だけに目をつける。

≪026≫  ベガなどのボラティリティを掴みきるのは、なかなか難しい。たとえば株式市場では、株価が上がった日の翌日よりも下がった日の翌日のほうがボラティリティが上昇する傾向がよく知られてきたのだが、このようなボラティリティの非対称性はなかなか掴めなかった。

≪028≫  これらに対して、ボラティリティは上方への変動を含んでいる。上下の変動まとめてボラティリティなのである。ボラティリティは“変化の激しさ”の道標なのである。固定した基準値があるわけではない。そこにはさまざまなファクターがそのつど関与する。したがってボラティリティを使うには、そこそこの時代動向との関連についての深い読みが必要になる。ストレンジはそういうボラティリティによって、国際政治経済の変動を読もうとしたわけである。

≪029≫  本書のためにストレンジが分析したボラティリティは、3つの領域にまたがった。その3つにおいて経済の主流がマッド・マネー化していった動向を見た。

≪030≫  3つのボラティリティは、「通貨のボラティリティ」(為替相場とその周辺)、「財と信用のボラティリティ」(インフレーションと利子率)、「価格のボラティリティ」(石油価格に始まる連鎖)である。詳しいことは省くけれど、これらのボラティリティの流れと断絶を検討した結果、そこに見られる不確実性と不安定性の読みちがいこそが、マッド・マネーの拡張をもたらしたと、ストレンジは見た。

≪031≫  つまりは、コンティンジェンーを金融主義だけで吸い上げようとしたことが、並みいる国家を蝕み、金融市場をマッド・マネーで埋めつくし、市場原理主義と新自由主義をのさばらせたという見通しになったのである。かくてストレンジは本書において国際資本主義の全貌とアメリカと日本の関係に対して、強い警告を発したのだ。

≪032≫  ボラティリティ、恐るべし。 こうなると、これはたんなる金融用語ではあるまい。これだけのリスクについてのミスジャッジをもたらしのだから、ボラティリティを経済用語とみなすのではなく、社会概念とかシステム概念とみなしたほうがいい。

≪033≫  それにしても、なぜカジノ資本主義は並いるエコノミストたちにボラティリティを読みちがえさせ、マッド・マネーを世界にふりまくことになったのだろうか。

≪034≫  金融業者とて、そんなつもりを最初からもっていたはずはない。出来事はじりじり、じりじりと準備されていったにちがいない。あるいはどこかに後戻りのきかない分岐点がいくつかあったにちがいない。

≪035≫  ストレンジは、まずは舞台の淵源をクロノジカルに整理した。そして、もとをただせば1950年代にすべてが潜伏的に発火していたことを突き止めた。ざっと要約すると、次のようなことがおこっていた。

≪036≫  (1)NATOの防衛負担を平等にしたいというアメリカの要求を、ヨーロッパ諸国が拒否した。これによってアメリカの防衛力にフリーライドする癖がヨーロッパ(そして日本)に組みこまれた。これはアメリカに、防衛負担に相応する補償を課税以外の形で求めうるという口実をまんまと与えてしまった。これによってアメリカは誰に相談することもなくベトナム戦争を始め、ドルを特権的に乱用することにした。ヨーロッパが防衛よりも福祉を選んだことが原因なのだ。 (2)ついで途上国が国連援助の再配分を申し出たとき、先進諸国はこれを蹴ってしまった。 (3)そのため、国際的債務処理をつねに事後的にして、手続きが事例によって異なっていった。 (4)他方においては、工業諸国が輸出競争にさいして、低利融資や輸出入保険をめぐる補助行為に走ったとき、これらを包括的に禁止する合意がつくれなかった。 (5)イギリス労働党の当時のハロルド・ウィルソン首相がシティを国際金融の場として再開してしまった。 

≪037≫  これらは必ずしも“遠い事件”なのではない。なぜなら、これらのことが次の1972年からなされたアメリカによる次の5つの政治的選択を、やすやすと決断させてしまったからだ。

≪038≫  (a)1972年、アメリカ財務省がブレトンウッズ以来の固定相場制を廃止して、外国為替市場から撤退してみせた。これはニクソンの思いつきではなかった。熟慮のうえでのサボタージュだったのだ。

≪039≫  (b)アメリカは国際通貨改革を真剣に検討しているというふうに見せかけて、20カ国委員会にまんまと一杯くわせた。ストレンジはこれを“皮肉なパントマイム”と名付け、ルールが消えて“偽りのシステム”が作動した初日だったみなしている。

≪040≫  (c)おそらくはヘンリー・キッシンジャーの仕業だと思われるのだが、中東アラブの石油産油国との交渉を巧みに拒否して、戦略的備蓄をカードとしてちらつかせて、1973年の石油価格引き上げの再現に対する戦略をアメリカに選ばせてしまった。これが、石油価格と金融市場を結びつけるコンテキストをやたらに、アメリカのテーブルの下で、強くしてしまった。

≪041≫  (d)フランスがOPEC(石油輸出機構)の態度に対して発展途上国のために音頭をとった国際経済協力会議(CIEC)に、アメリカが妨害戦略を用いた(1974)。ここには、のちのちサダム・フセインが反米支援の可能性に依拠したくなる原因がひそんでいるし、中東のイスラム原理主義が政治的抵抗を示しつづけるかという原因がひそんでいる。

≪042≫  (e)1974年にニューヨークのフランクリン・ナショナル銀行と西ドイツのヘルシュタット銀行が破綻寸前になったとき、中央銀行間に、のちのBIS規制にあたる前哨戦が用意された。

≪043≫  ざっと以上のような背景のもと、先にのべた1988年前後のブラックマンデー、BIS規制、ベルリンの壁崩壊が連打されたのだった。もはや言うまでもないだろうが、ここで日本は完全に梯子を外されたか、ニセの梯子の上に乗っかってしまったのだ。

≪044≫  だったら本当は、エコノミストたちはこの段階で事態がシステミック・リスクの問題になりつつあるということを見破るべきだったのである。狂奔する一部の市場参加者が決済不能に陥れば、他の“健全”な参加者も決済不能になるようなシステムそのものに巣食ったリスクが、システミック・リスクとして見破られてよかったのだ。

≪045≫  けれども、事態の進捗はそうはならずに、世界は20世紀最後のディケードに向かってマッド・マネー化していくことになった。市場原理主義の席巻を許したのだ。もっとも日本はこのバスには幸か不幸か乗り遅れ、そのかわり小泉改革で狂奔することになった。この時期、日本はバスに乗り遅れたのだから、それならむしろ梯子を降りるべきだったのである。

≪046≫  市場原理主義の台頭に拍車をかけた原因は、いまでははっきりしている。ストレンジはそれを早々に言い当てていた。


≪047≫  念のため言っておくと、その原因とは(A)半導体やコンピュータや衛星通信に代表されるICT技術の革新、(B)アメリカの双子の赤字と日本の貿易黒字による日米関係の決定的変化、(C)EU諸国の統合実験と分裂状況の併存、(D)国際企業の肥大化とビジネススクール・ブーム、(E)債務国の停滞と逆襲、そして(F)ウォール街の狂奔、だった。

≪048≫  とくに解説はいらないと思うが、このうちの(C)については、ストレンジは主に「フランスのマネタリスト」と「ドイツのエコノミスト」の対立として描き、それを脱却したのがジョージ・ソロス(1332夜)の「再帰性」(リフレクシビティ)の考え方だったと語っている。

≪01≫ 

 グローバル資本主義は普遍的文明を広げる啓蒙主義である。
 それは、合意と契約をふやして国を弱らせ、企業をコンプライアンスで縛り、
さらには各国の文化を蹂躙しながら、雇用を不安定にして、労働力を低下させ、
誰もかもを見えないリスクで不断に脅かしていくことになる。
 なぜ、世界はこんなものに騙されたのか。
 諸君はアングロサクソンとアメリカの歴史的準備をあまりに甘く見すぎてきたのだ。

≪02≫  原題はちょっと洒落ていて、“False Dawn”という。『まがいものの夜明け』とか『擬似黎明期』といったところだ。何が偽りの夜明けかといえば、副題に「グローバル資本主義の幻想」とあるように、グローバリズムやグローバル資本主義や民主的資本主義が偽りの夜明けなのである。

≪03≫  中身は、ここまで断定していいのか、それってちゃんとした裏付けがあるのか、ロジックが単純すぎやしまいかというほど、明快だ。グレイは次のように断罪していったのだ。とりあえず十項目にしてみた。今夜はその紹介をしておわる。

≪04≫ (1) グローバル資本主義は普遍的文明を広げる啓蒙主義である。 それは、合意と契約をふやして国を弱らせ、企業をコンプライアンスで縛り、さらには各国の文化を蹂躙しながら、雇用を不安定にして、労働力を低下させ、誰もかもを見えないリスクで不断に脅かしていくことになる。 なぜ、世界はこんなものに騙されたのか。 諸君はアングロサクソンとアメリカの歴史的準備をあまりに甘く見すぎてきたのだ。

≪05≫  (2)グローバル資本主義はたしかに理性的ではあるが、決して自己制御的ではない。投機的であり、内在的な不安定をつねにかかえる。自由市場主義を方針とした各国政府がかかげた目標は、その多くが失敗した。これからも失敗するだろう。 だから、グローバル資本主義が「小さな政府」と「規制緩和」と「民営化」を促進したからといって、自由主義だとか新自由主義だとかの「自由」を標榜する権利はない。もしもリベラルな国際経済秩序というものがあるとしたら、歴史をふりかえればわかるように、そんなものは1914年の開放経済までのことか、もしくは1930年代に非業の死を遂げたのだ。

≪06≫  (3)そもそもグローバル資本主義の基礎は、ピューリタン革命からヴィクトリア朝初期までの「囲い込み」が用意した。ただし「囲い込み」がイギリスを農村社会から市場社会に変えたというのは言いすぎである。それが自由市場主義に向かったのは、穀物法の廃止と救貧法の改正以降のことである。 サッチャーが実施したことを見れば、今日のイギリスのグローバル資本主義がこの路線の延長線上にあることは明白だ。労働組合の削減、公団住宅の奪取、直接税の減少、大企業の民営化などの政策は、市場にエンクロージャーの機能を明け渡しただけのことなのだ。 政府がそれによって得た名誉があるとしたら、言葉だけのネオリベラリズムの称号ばかりだった。

≪07≫  (4)グローバル資本主義の生みの親は、どう見てもアングロサクソンだ。アングロサクソンは「合意」のための「契約」が大好きな民族だから、その合意と契約による経済的戦略を非アングロサクソン型の国々に認めさせるためには、どんな会議や折衝も辞さない。その象徴的な例が、たとえば1985年のプラザ合意だった。 こういう合意と契約が、各国に押しつけがましい構造改革を迫るのは当然である。ニュージーランドやメキシコや日本が、いっときであれそのシナリオに屈服しようとしたのは、不幸というしかない。もっとも、それほどにグローバリズムが“最後の勝利の方法”に見える幻想に包まれていたのである。

≪08≫  (5)グローバル資本主義はアメリカとドル金融機関が促進したけれど、世界に広まったものは必ずしもアメリカのコピーとはかぎらない。むしろその変態と変種がはびこった。 それゆえ、グローバリズムの実態は国際的な混乱をよびさます。ところが、アメリカにとっては、アメリカ以外のグローバリズムは変態と変種の巣窟なのだから、これはアメリカが文句をつけるにはとても都合のいいことなのだ。 アメリカが優秀だとしたら、そしてアメリカが狡猾だとしたら、それはアメリカがグローバリズムのためのコストを世界に分担させる秘訣を知っているということにある。あげくのはて、アメリカの自由市場はリベラリズムを非合法化してしまった。

≪09≫  (6)グローバル自由市場は多元主義の世界や国家とは合致するはずがない。どうしてもグローバリズムを無批判に受容したいというなら、国民国家(ネーション・ステート)の内実を実質的に無意味にしてしまう覚悟をもつべきだ。そのうえで企業は無国籍や多国籍になればいい。 しかしそうするのなら、国民国家はすべてのオプションが不確定であることを知ったうえで行動したほうがいい。国家こそがリスクにさらされているのだから。むろんアメリカも損をしている。その最も顕著な事例は、アメリカにおける家族の紐帯が失われていっていることにあらわれている。もはやアメリカの夢見る家族たちは、ハリウッドとディズニーランドとホームドラマにしか出てこない。

≪010≫  (7)グローバル自由市場こそが各国の生活を繁栄させたと感じているのなら、それはまちがいだ。企業の外部契約による労働力供給に頼って、雇用の不安定がどんどん増していくことは、むしろブルジョワ的生活がどんどん不安定になっていくことだと認識すべきなのである。 つまりは、「グローバリズム」と「文化」とは正確な意味で対立物なのである。とくにウェブなどのコミュニケーション・メディアに乗った情報グローバリズムは、その国の地域文化を破壊し、その痕跡と断片だけをグローバリズムがあたかも拾い集めたかのようにふるまうことによって、各国の国民に自国文化から対外文化のほうへ目を逸らさせる。

≪011≫  (8)グローバル経済は、人間の深い確信を希薄にし、組織に対して不断の疑いをもたせる。そのため、都市や社会やメディアがグローバルな装いをとればとるほど、各人の心の蟠りは鬱積し、各組織はコンプライアンスに縛られ、衣食住の管理問題ばかりが日々の生活を覆っていく。これは資本が自由に世界を流通するのに逆比例しておこる。

≪012≫  (9)グローバル自由市場は、減少しつづける天然資源をめぐる地政学的な争いのなかに主権国家を対立させる。 たとえば環境コストを想定してみると、当該国家や当該企業がその環境コストに敏感になろうとすればするほど、その国家や企業の地政学的・経済地理学的不利が「内部化」されてふりかかってくることになる。これに対してグローバリズムの指導者のほうは内部コストを「外部化」しうる。こんな不公正な話はない。

≪013≫  (10)グローバル資本主義が新自由主義や新保守主義と結びついたことは、自由や平等や正義の議論を最大限にあやふやなものにさせた。思想や理論、科学や数学さえ、グローバリズムの災いにまみれたのだ。とくにフランシス・フクヤマやサミュエル・ハンチントンにおいては、歴史観についての錯覚すらおこった。

≪014≫  ジョン・グレイが一番言いたかったことは、「歴史と社会は市場の要求に仕える必要はない」ということにある。

≪015≫  ひとつには、グレイは日本が幕末維新で開国したことをもったいないことだったと見ていて、江戸社会こそは「ゼロ成長経済が繁栄と文化生活を完全に両立させた希有な例」だとみなしたのである。なるほど、ゼロ成長モデルがこんなところにあったかと思わせた。

≪016≫  もうひとつは、日本には輸出不可能なものがあり、そこにこそ日本の文化的持続性があるのだから、やたらに文化の海外進出など考えないほうがいいというものだ。これはちょっとばかり痛し痒しという指摘だろうか。

≪01≫  かつて君子は危うきに近寄らず、石橋は叩いて渡ればよかった。 いま、大半の「危険」は「リスク」に変換されて、安全対策と責任体制のシステムに組みこまれるようになった。 世の中、もはや「リスク社会」なのである。 どんなところにもリスクが入りこんだのだ。 それなら、いったいリスクとは何なのか。 たんなる危険とはどこが違うのか。 そのリスクを回避し、管理するために、社会や企業は何を負担してしまったのか。

≪02≫  驚くべきことに、いまや世の中の大半の現象が「リスク」と捉えられるようになっている。そのリスクがとことん計算され、明示化されている。その数、その種類、あまりにも多い。多すぎる。

≪03≫  病気や事故や災害だけでなく、コンビニの冷凍食品に中国産の素材がまじること、ポリ塩化ビニル工場の近くで居住すること、日に20本のタバコを20年間以上吸うこと、どこでもテロがおこりうること、ジェット旅客機に乗って1600キロ移動すること、予定していた野外イベントで雨が降るかもしれないこと、JRの運転手が眠くなって事故をおこすこと、遺伝子操作の野菜を食べること‥‥。これらすべてがリスクの対象になるとされてしまった。

≪04≫  ぼくも早くからタバコをやめなさいと言われつづけてきた。「松岡さんのために言うんだからね」というのはまだいいとして、この“喫煙リスク”は、買ったタバコにもくっついてくる。「喫煙はあなたにとっての肺がんの原因のひとつとなります」「疫学的な推計によると、喫煙者は肺がんにより死亡する危険性が非喫煙者に比べて2倍から4倍高くなります」「妊娠中の喫煙は胎児の発育障害や早産の原因の一つになります」などとお節介が表記され、忠告ではなくて、リスク表示として公式化されるのである。むろんタール値とニコチン値と賞味期限も表示されている。

≪05≫  僅か8×2センチ程度のタバコのパッケージに、なぜこんなにもリスクをめぐるメッセージとデータを訴えておく必要があるのかと思うと、「明日のミス」ばかりを気にして生きるような日々なんて、これは世も末だぜと言いたくなるが、いやいや、もうすでに事態はかなり異様になっている。

≪06≫  順に説明していこう。まずは、タバコに印刷された「原因」「推計」「危険性」という重たい用語が、気になる。いつのまに、こんな理化的重大用語が安易にオーソライズされて日常社会に蔓延していったのか。

≪08≫  たしかにポリ塩化ビニル工場の近くで居住するというのは、なんだか危なそうなことである。しかし、その工場で事故がおこる割合と近隣の居住者が被害をうける割合とを推定したり、計量するのは並大抵ではないはずだ。工場事故の原因が機械トラブルなのか、管理怠慢なのか、恣意的な事故なのか決めがたいことはたんさんあるし、被害者のほうもたんなる騒音障害から爆発による被災まで、いろいろありうる。加害にも被害にもいくつもの要因が組み合わさっている。

≪07≫  こんな用語を並べたてたからといって、それで何の気がすむのかがわからない。それに、このようなリスクが明示化されているからといって、そもそもそのリスクはどのように予測され、リスク値を確定したのかもわからない。また明示しましたよと言われたところで、それをどうすれば回避できるというのか。

≪09≫  仮に、そのリスク度が社会的にも生活的にも危険であると思われ、それを保険にかけるとしても、容易な計算ではまにあわない。それらを複合的に計算するのは至難の技なのだ。そうではあろうに、世の中はできるかぎりのリスク表示で埋めておいたほうが、ゼッタイによいというふうになってしまったのだ。

≪010≫  いったいリスクとは何なのか。いったい誰が、何を、リスクと決めたのか。それがリスクと認められるのは、どうしてなのか。まずもって、そこを問う必要がある。

≪011≫  リスクの定義はいろいろありうるが(そのうち深い議論もしていくつもりだが)、最もデキの悪いほうから言うと、たとえば日本のJIS規格では「事態の確からしさとその結果の組み合わせ、または事態の発生確率とその結果の組み合わせ」というふうになっていて、甚だわかりにくい。

≪012≫  リスクの値を計算する方法も、あれこれ試みがされてはきているのだが、まだ本格的な方法は確立していない。最もかんたんな計算法はリスクの要因を「損害規模」と「発生頻度」にしぼり、「リスク=損害規模×発生頻度」というふうにするものだが、これではほとんど役に立たない。たとえば飛行機事故は発生頻度は低いが、いったん事故がおこれば多数の死者が出るし、その直後に社会に与える影響も大きい。自動車事故はかなりしょっちゅうおこっているけれど、あまりに頻度が多いので自動車に乗る者はリスクを感じない。これらを同じリスク値で比較したって、どうにもならない。

≪013≫  かつてリスクには、受動的なものと能動的なものがあると考えられていたことがあった。地震や火山爆発や崖崩れや洪水は「受動的リスク」で、新製品開発や海外進出は「能動的リスク」とみなされた。しかし、たとえば感染症のリスクが、さてどちらに当たるのかというと、どちらにも当たるし、そのどちらでもないとも言える。なぜなら感染症ウィルスはその発生源がどこであったかに依存するし(カントリーリスク)、その後にどんな防疫措置がとられたかにも依存する(防御度リスク)。

≪014≫  そもそも疫学的リスクは、ウィルスの構造や宿主がわかっている場合とそうでない場合で変化し(要因確定リスク)、感染する者の健康状態や年齢で分岐し(ジエネレーションリスク)、ワクチン開発の程度や蓄積にも依存する(備蓄度リスク)。 受動リスクか能動リスクかなどというだけでは、とうてい何の確定にも至らない。

≪015≫  リスクについての関心が異常に高まってきたのは、リスクが「責任」と対応していると考えられてしまったからである。

≪016≫  かつては「君子、危うきに近寄らず」「さわらぬ神に祟りなし」「石橋を叩いて渡る」「梨下(りか)に冠(かんむり)をたださず」「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」「一寸先は闇」「きれいな花には刺がある」といった諺(ことわざ)が示していたように、「危険」とおぼしいものにはなるべく自分で接近しないようにしたり、誤解を受けそうなことは自粛したものなのだ。家族や近隣のコミュニティもそのような話題を交わしあい、危なっかしい出来事についての学習を怠らなかった。

≪017≫  それがいつのまにか、危なっかしいことは、その危険性を発している原因に所属する問題、あるいはその危険性の発生を警告しなかった当事者の帰属する問題だというふうになってきた。ここに「危険」と「責任」とがすり替わるように対応することになったのだった。

≪018≫  もともとリスク(risk)は「危険」概念のボキャブラリー・ファミリーのひとつにすぎなかったはずである。

≪019≫  その危険も、危険・危難・危機などと言われていたように、多くの度合いやケースを内包していた。英語でみても、crisis、danger、disaster、hazard、jeopardy、menace、peril、threatなどの同義語・類語がある。それらは「危なっかしい」のクラスでありファミリーなのだ。だからこそ君子はそういう危ない気配のあるものは避け、石橋は叩いて渡った。

≪020≫  ところが歴史が移り、社会の出来事がとことん情報化され、どんなデータも表示・発信・交換できるのだという自信が広がるとともに、そのぶん状況や製品や商品にそれが発露するかもしれない危険度を示すべきだというふうになってきた。すべてはおおっぴらになったかわりに、責任とカップリングされることになった。

≪021≫  海浜公園の崖っぷちに「危険!」「DANGER!」と看板を掲げておくだけではダメなのだ。柵を設け、看板に責任者を明示し、事故がおこればその対策が準備されていなければならなくなった。JR西日本は業務姿勢まで問われて、歴代社長が引責せざるをえなくなった。

≪022≫  ここにおいて、ついに「危険」は「安全」(safety)の反対語となり、安全は「安全責任」にスライドしていくことになる。さらには、これこそわかりにくい概念だと思うのだが、そこに「安心」までもが加わって、社会は「安心社会」でなければならなくなったのである。安心(あんじん)は、もともとは仏教語の「安心立命」の派生語だったのに。

≪023≫  が、事態はそれだけではおわらなかったのである。これらの「危険」と「安全」と「安心」の相対比や相対費をあらわすものとして、新たに「リスク」が君臨し、そのリスクを明示することが状況や製品や商品を提供する側の責任になった。

≪024≫  だったら君子はもう心配しなくていいようになったのだろうか。何がおこっても責任をとってくれる者が社会の各部にずらりと揃ったというのだろうか。かえって心配事がふえたのだ。

≪025≫  ちょっと考えてみればわかるように、これはまさに責任の転嫁であり、かつ、責任の分散なのである。

≪026≫  ポリ塩化ビニル工場がいつか事故をおこすとしても、そこで問われる責任はかなり多様である。欠陥機械を導入した責任、それを修理保全しなかった責任、過失を犯した責任、昨晩夜更かしをした責任、部下に過剰な労働を課した責任。いろいろなのだ。

≪027≫  そこで、いったんはPL(製造物責任:Product Liability)によって製品の欠陥によって生じた損害を追う責任などが切り離されて、賠償責任や訴訟権利が確立されたのだが、とうていその程度で話がおわるということは少ない。

≪028≫  それでも責任の所在ならば、法的な文章にしておけばとりあえずはその責務を問える。けれどもリスクは「おこるかもしれない確率」のなかで出入りする。それゆえ、そのリスクを発生させている当事該当システムがリスク多様性にぴったり対応していなければ、リスクと責任の関係はいつまでたっても“なすりあい”のままなのだ。

≪029≫  かくして企業や法人のような組織は、よせばいいのに徹底したリスク対策をとることにした。「リスク・マネジメント」とか「危機管理」とか「コンプライアンス」とかといえばそれなりに聞こえはいいが、これがなんとも徒労感にさいなまされるようなものだった。 本書についての案内と感想をもうちょっとあとにまわし、少々、そのへんの事情を覗いておきたい。

≪030≫  今日の、企業のリスク対策を大別すると、リスクの保有・分散・移転をはかる財務的な対策と、リスクの回避・防止・低減をはかる非財務的対策に分かれる。ただしこれはあくまで原則であって、これらはたいてい入り交じることのほうが多い。

≪031≫  それよりも、そのような対策をとる前に、何をもってその企業のリスクとみなすかが、実は曖昧なのである。そのためリスク対策をこうじる前に、前もってリスクの発見、リスクの分析、リスクの評価(算定)という、やたらにめんどうな仕事をしておかなければならなくなった。

≪032≫  リスクの発見と分析とは、組織に損害をおよぼす項目を数えあげ、その所在、損害規模、発生率、影響範囲をあげることをいうのだが、そのためには財務・法務・人事・製造・販売・情報などの各部門がリスクとおぼしい項目を提出しなければならない。しかしリスクには、既存のデータから“推計”できるリスクもあるが、未知のリスク、潜在的リスク、投機的リスクもあるため、調査は複雑をきわめる。

≪033≫  そこでファンダメンタルズの分析には税理士や公認会計士などをかませ、他の領域では保険会社や弁護士などをかませて、万全を期するようにする。ところが東京商工会議所の最新資料によれば、企業が緊急事態だと認知する出来事は、マスコミ報道・クチコミ・市民団体の告発・タレコミなど、社外情報を端緒とするケースが4分の3にものぼるわけで、これらは社内のリスクチェック(一般的にはTBQやSWOT分析を使う)だけでは、手に負えない。

≪034≫  もっといい手はないものか。企業も考えた。そこで、事故の発端から次々に不具合がおこってその損害が拡大していくプロセスをシミュレーションしたETA法(Event Tree Analysis)や、アメリカ空軍がベル研に発注して有名になった頂上現象からトップダウンにリスクチェックをするFTA法(Fault Tree Analysis)などといった、いろいろな手法が工夫開発されてきたのだが、やはり決定打などあるはずがなかった。だいたいはAND・ORゲートで仕上げたものなのだ。

≪035≫  これらのなかで、唯一、繁雑な調査と分析のマンネリを抜け出したのが、リスクヘッジを専門とするヘッジファンド・トレーダーたちだったのである。かれらは金融機関の市場リスク分析で話題になった「VaR」(Value at Risk)を駆使するのだが、この統計学的確率論にもとづいた手法もまた、いずれ千夜千冊するように、またジョージ・ソロス(1332夜)がその限界を早くから指摘していたように、やはり問題があった。それにVaRは組織の中の活動チェックにはまったくあてはまらない。

≪036≫  結局は、企業や法人は詳しいリスクマップを用意して、それをクモの巣のように張りめぐらせ、「不幸」と「事故」を待っていなければならないだけなのである。それがどういうものかは、図1に示したマイクロソフトのリスクマップで見当がつくだろう(中央青山監査法人監修『ビジネス・リスクマネジメント』東洋経済新報社)。

≪037≫  それでもここまでは、リスクを認知するための作業である。だから、そのようなリスクを負いたくなければ、まず回避するのがいいということになる。リスクとおぼしいことをいっさいやらないようにすることだ。リスク発生の危険性がある事業や仕事を中止することだ。

≪038≫  もっともこんなことをすれば、ほとんどの仕事がなくなっていく。杞憂に踊らされたナサケない組織になるだけだ。そこで次にはリスク防止あるいはリスク低減を試みる。リスクの発生率を抑えたり、リスクによる損害を受け入れ可能なレベルにする。

≪039≫  わかりやすくいえば、建物を耐震耐火構造にし、防犯装置・火災報知機を取り付け、セコムに頼んで施錠管理をゆきとどかせ、機械には安全装置を、社員や派遣社員やアルバイトには「君たちには自己責任があるんだよ」と言い聞かせ、かつ安全作業マニュアルを徹底させて、どこにもかしこにも監視カメラをつける。

≪040≫  これでPLリスクはなんとかなるはずだが、こんなことばかりしてどこに立派オトナがいるのかと思う。どこに企業の自己免疫力があるのかと思う。それに、こういうことでたとえ事故は防げたか低めになったとしても、こんなことを目標にしてしまうと、リスクに向かって視野狭窄がおこり、しだいにビジネスチャンスを狭めていく。

≪041≫  考えられていったのが、「リスク移転」と「リスク分散」だったのである。資産を分離したり、資産の所有権を分散させたりする。また免責事項を織りこんだ契約によって取引先や第三者企業にリスクを移転したり分担させる。さらに「リスク結合」もする。異なる企業が価格協定・取引協定・技術協定を結び、生産制限や競争制限をし、その一方で対等合併、吸収合併、子会社支配をする。

≪042≫  経営規模を大きくすれば、なんとか競争リスクや倒産リスクが少なくなるだろうという「大きければ、なんとかなる」というスコープである。いまや大はやりだ。

≪043≫  しかし、もっと積極的にリスクに挑戦する方法もあった。仮にリスクがまわってきても、もともと準備金・引当金・積立金によって応じられるようにしておいて、他企業がシュリンクしているような分野やリスクが高い新規分野に、あえて進出していくやりかただ。

≪044≫  この積極的リスク対策は、かねてから諺に「当たって砕けろ」「かわいい子には旅をさせよ」「失敗は成功の母」「虎穴に入らずんば虎児をえず」と言われてきたところだった。まさにその通り。むろん企業ならこのくらいのことはしたほうがいい。


≪045≫
いずれにしても、こういうふうに、リスクの正体なんてなかなか見えにくく、管理もしにくいものなのである。

≪046≫  それに、くまなくリスクの網を張りめぐらせた社会や組織なんて、不確実性に挑んでなお懲りない目標をたてている帝王の支配思想か、すべてを平均的なチャンスとリスクに配分しようとしている民主主義の怪物のようなもので、とても説得力があるものとは思えない。説得力を増そうとすれば、そこには必ずや「支配と制御のパラドックス」が露呈するはずなのだ。

≪047≫  リスク管理というもの、本来が「たまたま」を相手にしようというもので、その「たまたま」なリスク確率にはある程度の推定可能なものもあるけれど、まったく推定のしようがないものもどっさり含まれているというべきなのだ。この、確率が利用できないほうのリスクが「不確実性」(uncertainty)とよばれてきたものである。

≪048≫  実は、この手のリスク論をとりあげるなら、斯界では“定番”ともくされてきた本がいくつかあった。そこから説明しておきたい。

≪049≫  リスク論の嚆矢にあたるのは、ウルリヒ・ベックの『危険社会』(法政大学出版局)である。原著は1986年、日本語訳は1998年。この本で「リスク社会が到来した」という認識が一気に広まった。

≪050≫  ウルリヒ・ベックはミュンヘン大学とロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの社会学教授である(かつてジョージ・ソロスがいた学校だ)。『危険社会』(原題『リスク社会』)は、産業社会が高度化すればリスク社会が必然化するのは当然だという立場から、リスクは先進諸国が「豊かな社会」を求めたときの必然的に引き起こす副作用であり、それは“自業自得ともいうべき社会メカニズム”なのだと説いた。

≪051≫  ベックの「豊かな社会はリスクをもたらす」という分析は、すこぶる予言的だった。たとえば、原発事故や環境汚染といった巨大なリスクがのしかかってきて、保険制度に限界がくるだろう。そういうリスクは直接の知覚を超えてしまうだろう(その知覚を超えた知を「非知」と名付けている)。そういうときは作為者と犠牲者は“ブーメラン効果”のようなものがはたらいて一体化するだろう(これは「リフレクシビティ」にあたる)。しかもブーメランのようなリスクはたちまちグローバル化して、世界が「世界リスク社会」というものに向かうにちがいない。

≪052≫  そうなると、誰もが「等しいリスク」にさらされる。それは経済社会においては、かつての「富の分配」に代わる「リスクの分配」の促進となるだろう(これはまさにCO2排出取引の予言であった)。

≪053≫  ということは、従来の非政治的な領域が次々に政治化されていくということであり、いきおい、科学も「真理」よりもいっそう「政治」と連動することになり、総じてリスクの性格にどこを切っても政治・科学・社会の断面があらわれるということになるだろう……。

≪054≫  ベックのリスク社会論の大枠はこういうことで、ぼくからすると問題提起としては当然すぎるような主張も含まれてはいたものの、めざましいものも含まれていた。

≪055≫  なにより、それまで議論の水面下に身を隠していた「リスク」が社会の前面に躍り出したのだ。とくに、従来の「安全」と「危険」の凡庸な対比を壊して、その両方をリスクとして把握し、認識するという必然性が説かれていたことが清新だった。

≪056≫  ついで、ニクラス・ルーマンの『リスクと社会学』(1991 未訳)が発表された。やはりドイツ語である。

≪059≫  ルーマンはシステムの自律性に関心をもったわけである。その自律性は、システムが幾度にもわたるシステム自身とのリフレクシブな関係によって、自己言及的に更新されていくことによってもたらされるのではないかとも考えた。システムには本来的な自己媒介的な自己生産様式のようなものがあるという見方だ。これも当たっている。

≪062≫  20世紀社会では、職業選択の自由、男女の機会を均等にする自由、居住地選択の自由などが次々に要求され、それがほぼ可能になって現実化していったのだが、それはさまざまな場面での“選択の決断”を伴うものでもあって、その結果、選択そのものがリスクとの直面あるいは回避をあらわすというふうになったはずなのである。

≪057≫  ルーマンについてはいずれ気が向けば千夜千冊するつもりだが、フライブルク大学で法律学を修め、行政実務にかかわったのちにハーバード大学で行政学を学んで、社会を「システム」として掴むためのさまざまな仮説と研究を展開してきた。

≪060≫  この見方はジョージ・ソロスが惚れ抜いたカール・ポパーの「リフレクシビティ」ともむろん類縁があるが、よりラディカルにはマトゥラナやヴァレラが提起した「オートポイエーシス」(1063夜)にヒントを得たもので、ルーマンにとってはシステムの本来的な進行はたぶんにオートポイエティクだったのである。

≪058≫  ルーマンの理論は、「どのようにして社会秩序は可能なものになっていくのか」というところに集中していて、それは、「複雑な世界から複雑性を縮減していく」という方向で進むだろうという見方になっている。これは当たっている。ぼくなら縮減を「編集」と言いたいところだが、ルーマンはこの縮減をおこすものを「意味」と名付け、そのように意味を加工構成していくものを「システム」と定義した。これも悪くない。

≪061≫  ぼくも、おそらくシステムはオートポエティクな自己言及性と自己生成性をもっているのだろうと思う。で、もしそのように、システムが「意味」を加工しながら更新されていくのなら、そこには自己と他者とのあいだに生じる幾多のリスクが、当然にやりとりされるはずだった。ルーマンはそこからリスク論を突起させていった。

≪063≫  自由の枝をひとつ選ぶということは、とりもなおさずリスク社会の枝のひとつに直面するということだったのだ。ルーマンはそういうことを指摘した。

≪064≫  ざっとこういうふうに、80年代後半から90年代にかけて経済学や金融論とはべつに、主に社会学者らによって「リスク社会論」の基礎的な議論がされていたわけである。

≪065≫  ぼくはそういうなかで本書を読んだ。そういう順序だ。ちなみに、その直後に小松丈晃の『リスク論のルーマン』(勁草書房)という、もっとルーマンに肉薄した本にも目を通すことになり、ぼくとしてはいよいよシステム論とリスク論とを一緒に考える日々が近づいてきたという印象を強くしたものだった(今夜はその紹介は省かせてもらう)。

≪066≫  本書の編著者の土方とナセヒはほぼ同世代の理論社会学者で(1956年生まれと1960年生まれ)、二人ともがルーマンのシステム理論の研究者でもある。本書は、この二人が組んで日独をまたいだリスク論の共同研究をおこし、その成果をまとめた。8人による8本の論文が収録されている。

≪067≫  研究論文集なので千夜千冊にとりあげるにしては研究くさく、また断片的なものでもあるのだが、ぼくがこれを読んだ時期がよかったのか、リスク論や「たまたま問題」や確率的社会像を考えるうえでの、次に進むステップになった(小松の『リスク論のルーマン』などともに)。

≪068≫  以下、その勝手な要旨を、主として土方とナセヒとディルク・ベッカーの論文(リスク・欠陥・自己認知)、ヴォルフガング・リップの論文(リスク・責任・運命)を下敷きに、ぼくの見方と感想をまじえてサマライズしてみる。

≪069≫  人間の歴史というのは、制御不可能なものを制御可能なものへ変換した歴史であった。かつては、制御不可能なものはまとめて「災い」とか「不幸」とか「運命」と名付けられてきた。人知がかかわりえない領域が制御不可能な領域なのである。

≪072≫  危険は感じればよく、できることなら避ければいい。けれどもリスクは、われわれが何かをしようとするときに、必ずや選択や決定を迫ってきた。それは、選択や決定がリスクを生み出しているということでもあって、もっと端的にいうのなら、リスクに対処するあらゆる企てが新たなリスクの原因になっていくというパラドックスを露呈させることになったのだ。リスクはリスクを生み、リスクはそこにかかわる者を介して“停止なき自己増殖”をするものとなったのである。

≪070≫  やがて産業革命以降の技術革新によって、いくつもの制御が誕生し、そのぶん新たな事故や未解決性が生じてきた。そうなると、かつてからの自然災害も人為的な事故も、それぞれ同じような「危険物」だとみなされるようになった。

≪073≫  こうして、リスクはあたかも「未来の被害を現在時点での予測に置き換えたもの」になった。 意想外の変貌だ。これは不確実性のなかで予測の確実性を問うという、新たな難題をもたらした。まさに数理的にもパラドキカルな難題だ。そこでは過去と未来の「時間の結合」をおこざるをえない。

≪071≫  しかし、「危険」と「リスク」は別ものだったのだ。かつてはあくまで外部にあって制御不可能であると思われていた危険と、ひょっとしたらわれわれがかかわっているシステムに関連して制御できるかもしれない危険とがごちゃまぜになり、制御できるかもしれない危険を「リスク」とみなすにつれ、危険の諸全体をもリスクの対象になってしまったのだ。

≪074≫  しかしむろんのこと、そんな芸当はできそうもない。そこで、時間の問題は社会の問題にずらされることになる。リスクを決定づけている時間の問題は、リスクがおこりうる社会の責任に、次から次へと転嫁されていくことになっていったのである。ルーマンはこれを「リスクのコミュニケーション」がリスクを決定しているとみなした。

≪075≫  それでどうなったかといえば、リスクは決定者に、危険は被害者に分断されたのだ。もしくは決定者と被害者は、リスクと危険を介してコミュニケーション・ルールの共同者(協同者)にならざるをえなくなったのだ。 いいかえれば、社会はさまざまなリスク含みのサブシステムやセカンドオーダーの相互浸透のほうに向かって進んでいくということになったのである。

≪076≫  一方、組織というものは、つねに不確実性をコンティンジェントに吸収して改革されてきた。そういう組織の活性化は内部性と外部性とのあいだの推移によって保証されている。

≪077≫  それは、組織が不確実な環境・社会・市場という外界とのあいだに何らかの「意味の境界」をもってきたからだ。組織が不確実な状況から「意味」を取り出し、そのことを努力して強調してきたからだ。

≪078≫  しかしながら、環境や社会の外部性の多くが情報やデータになり、その情報やデータを等分に組織がもつにすぎないようになったとしたら、組織は環境や社会がかかえるリスクのすべてを担当することになる。すべてのリスクは社会的リスクとして認知され、指弾されるからである。

≪079≫  そして、時代はまさにそのように進み、結局はIT社会をつくりあげることになった。もう逆戻りはないだろう。しかしもし、組織がこのことに鈍感であれば、リスクが明示する言葉や文脈と、組織がもつべき意味とのあいだに、さまざまな葛藤・矛盾・対立がおこる。グローバル資本主義が驀進するなか、組織はかぎりなく鈍感になっていた。


≪080≫  ひるがえって、もともとすべての組織にはオフィス機能というものがある。これはマックス・ウェーバーが早くに指摘していたように、古代このかた官僚組織がつくりだしてきたもので、そのオフィス機能は必ず文書機能によって裏打ちされていた。すべてのオフィス機能はそのまま文書機能とぴったり等価であって、その文書の指示する内容によって外側の国家とも法とも市場とも結びついてきた。

≪081≫  けれども、国家と法と市場がリスクを多様に明示するようになれば、組織の文書機能もまたことごとくリスクの明示性と等価になっていき、組織はリスクの文書によってがんじがらめになっていくというふうにもなる。そしてまさしく、鈍感な組織はそうならざるをえなかったのだ。そこに陥っていったのだ。これがしばしばコンプライアンス問題として、いま話題になっている事情である。

≪082≫  が、そんなことでいいのだろうか。組織の内側と外側が同じリスクの多様性をかかえたまま、コンプライアンスを保持していていいのだろうか。そうではあるまい。本来は組織が生み出すオフィス機能は、組織が生み出す意味にもとづいた文法やメタファーによって生成されるべきものだったはずである。そうであればこそ、組織は製品や商品や才能を生み出すことができのだ。組織は環境や社会や市場のリスクの隙間を縫って、新たな意味を生成してきたはずなのである。

≪083≫  おそらく問題は、組織がどんな外部リスクをどのように内部リスクに接続させ、それによってどんな価値観を決定づけたのかということなのである。 ここにおいて、昨今の金融市場のリスク・コントロールの問題が浮上する。金融工学をとりこんだ組織が何をしたかといえば、外の市場がかかえるリスクを「時間の結合」によって、内外に通じる文書(証券や債券やデリバティブ)としてつなげてしまったのだった。おかげで一部の金融機関は莫大な収益をあげ、膨大な組織に膨れあがったけれど、そこにはいつのまにか、内部と外部の「意味の境界」の消滅もおこっていたわけだった。

≪084≫  きっと不確実なものは不確実なままでもよかったのである。 不確実なものから確率的接続と確率的決定ができたとしても、それ以外は不確実なもの、あるいは「危なっかしいもの」として、組織の内外にまたがってのこるべきだったのだ。そしてそこには、組織が外界とのあいだに積極的にのこす「誤謬」や「欠陥」や「誤解」があったって、べつだんかまわなかったのである。

≪085≫  いや、そのファリビリティ(誤謬性)を勘定に毫も入れないようにしたことが、かえって組織がリスク社会に追随する要員になったのだ。その案配には、ベックのいう”ブーメラン効果”や確率論でいう”可用バイアス”がかかっているのだから、それをむりやり除去しようとすることがまちがいだったのである。

≪086≫  そうなのだ、むしろ「危なっかしいもの」の残余こそは、組織がすべてのリスクの自己陥入から自由になりうる方法だったはずなのである。すでにジョージ・ソロスやリカルド・レボネト(そのうち千夜千冊する)が気がついていたことだった。

≪087≫  このように考えてみると、「世界リスク社会」のなかのリスクとは、工業社会がポストモダンな社会に移行する過程で、みずからつくりだした社会的危険をばらまいたものだったとも言える。そこには、過度なマネー資本主義的経済活動や、統計的確率の過信的適用や、決定のロジックの乱用がはたらいていた。

≪088≫  それに対して、本来の危険や危機というものは、熱力学的にはもっと散逸的であり、幾何学的にはフラクタルであり、有機的にはときに創発的なものでさえあるものだ。

≪089≫  なぜなら、そもそも自然や人間にとっての本来のリスクは、「死」や「熱死」に極限されていくものであり、そうであるとすれば、リスクの淵源はわれわれの生命活動そのものの「ゆらぎの本質」に宿っているはずのもので、だからこそシステムは危険や危機と隣リ合わせに自律的に進んできたはずだったからである。

≪090≫  そこには、リスクに対応する責任など、あるはずがない。イチョウにもオタマジャクシにもシマウマにもリスクはあるけれど、そこにはどんな責任もない。われわれが病気をしたとして、そこで責任を問われるものはなかったはずなのだ。タバコを喫いすぎて肺ガンで死んだとしても、そこにリスクデータが対応している必要はなかったのである。あいつはやっぱりタバコを喫いすぎたよな、かわいそうにねでも、よかったのだ。 けれども残念なことに、そこにいつしかリスクと責任が対応していった。

≪091≫  本書の最終論文を書いたヴォルガング・リップ(ヴュルツブルク大学の社会学者)が興味ある指摘をしている。リスクが責任に対応づけられてしまったのは、そもそも近代科学が現象のすべてに対する合理的説明を求め、キリスト教社会が自己責任をあきらかにしようとしたからだったというのだ。

≪092≫  だからリスクの正体を議論するには、こうしたヨーロッパ社会史の背景がもたらした算術的性格や合理的属性のルーツに立ち入らなければならない。そう、言うのだ。ぼくもぜひともそう言いたいところだが、いまは遠慮しておく。

≪093≫  そのかわり、ちょっとべつな指摘をして、今夜の話のしめくくりにしておきたい。それは、ずうっとさかのぼれば、リスクの起源は人類が災害や暴力や噂をかかえたときから始まっていて、ルネ・ジラールが指摘したように、まさに「世の始めから隠されてきたもの」(492夜)のひとつだったのではないかということだ。歴史的なリスクは、つねにリスクの正体を隠そうとしてきた者のほうにだけ、リスクをまぶして損得勘定を発生しうるアドバンテージをもたらしてきたということだ。

≪094≫  
それゆえ東インド会社に始まる強欲な前資本主義時代は、
むしろリスクこそが商売のエンジンになっていて、
これを21世紀の社会がいかにクリーアップしようとしても、
リスクの正体そのものが別のものに代わることはないのではないかということである。

このこと、どこかで言っておきたかったことである。

担保

ソーシャル・キャピタルとは何か。

社会関係資本などと訳されてはいるけれど、こう言われてもその正体はよくわかるまい。

ロバート・パットナムらの研究者たちの定義はソーシャル・キャピタルが「信頼×互酬性×ネットワーク」などで構成されるという。

そうだとすれば、「絆」こそがソーシャル・キャピタルなのである。

が、人と人の「絆」のどこがキャピタルなのか。

そこにどのくらいの潜在力の大きさや深さがあるのか。

ぼくはそこを考えることが、関係の充実を維持し、新たな関係の束を創生する編集力になると思っている。

世の中には「しきる経済」とともに、「なつく経済」があっていいのだ。

≪01≫  サン=テグジュベリ(16夜)の『星の王子さま』に、王子がキツネと出会う場面がある。王子が「おいでよ、ぼくと遊ぼうよ」と言うと、キツネは「でも、なついてないから遊べない」と言う。王子が「なつく」ってどういうことなのと聞くと、キツネは「それはね、絆を結ぶことだよ」と答える。

≪02≫  キツネはこういう説明もする。ぼくにとって君はいまのところほかの10万人の男の子と何の変わりもない。だからぼくにとっては君はいなくても同じなのだ。でも、もし君がぼくをなつかせてくれたら、君はぼくにとってとても大事な人になる。君にとっても大事なキツネになる、と。

≪03≫  この有名な話は、社会において「人がつながる」とは何かということを端的にあらわしている。「なつく」とは人と人とが何らかの信頼関係に入ることをいう。星の王子さまはこのことに納得した。

≪04≫  では、このように「人がつながる」ということで何が生まれるのか。そこに個人的な友情や信頼がもたらされたのは当然だとしても、いったいそのことが何かを社会にもたらしているのかといえば、これまでこのような議論が社会の富や生活の規範やビジネスの充実に大きな意味をもつとは考えられてこなかった。

≪05≫  なぜなら、多くの信頼はひたすら個人的な関係だとみなされてきたか、ないしは多くの社会にはもともと地域コミュニティがあって、人々はそれなりにつながっていたからだ。そういう伝統的なコミュニティでは、わざわざキツネと仲良くなる必要がなかったからだった。

≪06≫  ところが、ある時期から社会は「よそよそしく」なっていったのだ。ないしはタンタロスの神話のように「じれったく」なった。その理由のひとつは個人主義がはびこりすぎたからだった。

≪08≫  日本でも同じことだった。もはや柳田国男(1144夜)が大切にしてきた「村」は自動車とロードサイドショップとで解体を余儀なくされたか、擬装を余儀なくされた。

≪010≫  けれどもやがて、生活者たちも疑問をもつようになった。なんだか心が荒んでくるような、誰かとのつながりが希薄になっているような気がしてきたのである。

≪07≫  もうひとつの理由はジグムント・バウマンがすでに『コミュニティ』(1237夜)でみごとに論じてみせたのでここでは屋上に屋を重ねないが、一言でいえば利益社会(ゲゼルシャフト)が共同社会(ゲマインシャフト)をすっぽり覆ってしまったからだった。

≪09≫  そのうち、学級は崩壊し、親子がいがみあい、鬱病が広がり、自殺者がふえていった。さらには共同体の風景がずたずたになっていった。それでも商店街がさびれてスーパーやコンビニが栄えるなら、それはそれで不便にはならないのだから、それでいいだろうと感じられてきた。

≪011≫  だったら、どのように共同社会を浮上させればいいのか。知識人たちはいろいろ模索した。自治体も生活者もいろいろ考えた。インターネットも工夫を凝らした。

≪012≫  公民館や道の駅で人々のつながりを回復しようとか、セーフティーネットをしっかりつくろうとか、介護施設をふやそうとか、ブログで共同社会が取り戻せるだろうとか‥‥。しかし、リーマン・ショックを過ぎてもまだ市場原理主義がはびこって、すべては自由競争社会にとりこまれ、結局はアキハバラで突然に人を殺したくなってしまったのである。

≪013≫  いっとき、たいへん杜撰な議論がもてはやされたことがある。戦後社会は第1の道、第2の道を選択してきて、いまは第3の道を選択しつつあるというものだ。

≪015≫  第2の道は、サッチャリズムとレーガノミクスに代表されるニューライトの道で、しばしば新自由主義(ネオリベラリズム=ネオリベ)とかカジノ資本主義とか市場原理主義とよばれてきた。競争と排除(exclusion)を特色とした。これについてはぼくもいろいろ千夜千冊した。ジョージ・ソロス(1332夜)、ジョン・グレイ(1357夜)、デヴィッド・ハーヴェイ(1356夜)などの議論を読まれたい。

≪014≫  第1の道は1945年から1973年までの、オイルショック以前の福祉国家型オールドレフトの道である。大きな政府による福祉の受給がユニバーサルな権利(entitlement)であるとみなした。

≪016≫  これらに対して第3の道は、ニューレフト兼センターレフトな社民(社会民主主義)型の道である。サッチャーを補佐したアンソニー・ギデンスらによる命名だった。

≪017≫  第3の道は、国家や市場を固定的な代替メカニズムとみなした第1、第2の道をそこそこ踏襲しつつも、「市民社会、政府、経済」の3軸を福祉供給の独立した対等パートナーとみて、政府はこれら3つのあいだに均衡をつくりだす社会政策をとればいいという立場をとる。

≪018≫  その特色はしばしばキーワードの頭文字をとってRIOなどと略称される。権利をばらまくのではなく責任(Responsibility)をもってもらう。排除ではなく包括(Inclusion)をめざしていく。競争的不平等ではなく均等に機会(Opportunity)を開く。こういうRとIとOの3条件によって成り立っているというだ。

≪019≫  が、この程度の第3の道では、その後のリーマン・ショック以降を乗り超えられなかったばかりか、さらには中国経済の増長や中東ジャスミン革命の動向やユーロ経済圏の決定的な綻びに対処できるはずはなかった。このことは第3の道めいた方向を選択しようとした民主党の政治を見ても一目瞭然なのである。

≪021≫  ソーシャル・キャピタルについてはハーバード大学の政治学者ロバート・パットナムの話題の大著『孤独なボウリング』(柏書房)から説きおこさなければならない。パットナムによってソーシャル・キャピタルは俄然脚光を浴びることになったからだ。

≪022≫  だからぼくもこの大著から千夜千冊したほうがいいのだろうが、とはいえパットナムの試みはソーシャル・キャピタルの重要な発見を示した入口ではあっても、ソーシャル・キャピタルにもとづく社会展望ではなかった。サン=テグジュベリが気が付いていた「つながり」と「なつく」の本質からの展望に切り込むものではなかった。

≪023≫  そこで今夜は、もうちょっと先にまで行きたいというつもりで、ソーシャル・キャピタルについての軽い見取図用に本書を選んだ。だから本書は深い議論はしていない。あくまで見取図を提供しているにすぎない。

≪020≫  一方、こうした第3の道のような戦後経済の踏襲と修正による折衷案とはべつに、まったく新たな見方によって経済社会を眺めなおそうという機運も出てきていた。失われた共同体を再発見しようという機運が出てきた。今夜はそこに注目しようというのだが、それがソーシャル・キャピタル(社会関係資本)によって世の中の価値の付け方を見直そうというものだった。

≪024≫ 一応、紹介しておく。 本書の編者の稲葉陽二(日大法学部教授)はソーシャル・キャピタルを「信頼」と「互酬性の規範」と「ネットワーク」の組み合わせとみなしたことで、いまはとりあえず日本のソーシャル・キャピタル議論の代表的な識者の一人ともくされている。

≪025≫  本書はその稲葉のもと、吉野諒三、麗澤大学の堀内一史、明治学院の宮田加久子、三菱UFJの市田行信、それに日本福祉大学の研究者たちが各章を執筆した。中身は総花的である。

≪026≫  ぼくの手元には、ほかにパットナムの『哲学する民主主義』(NTT出版)、ナン・リンの『ソーシャル・キャピタル』(ミネルヴァ書房)、宮川公男・大守隆が編著した『ソーシャル・キャピタル』(東洋経済新報社)、稲葉陽一らの『ソーシャル・キャピタルのフロンティア』(ミネルヴァ書房)、ミシガン大学の教科課程にもとづいたウェイン・ベーカーの『ソーシャル・キャピタル』(ダイヤモンド社)、一般向けに書かれた稲葉の『ソーシャル・キャピタル入門』(中公新書)、あるいは領域適用型の戸井佳奈子の『ソーシャル・キャピタルと金融変革』(日本評論社)、イチロー・カワチの『ソーシャル・キャピタルと健康』(日本評論社)などがあるけれど、いずれも似たりよったりで、残念ながら群を抜いたものがない。

≪027≫  このあたりのものばかりを読んでいると、ひょっとしてソーシャル・キャピタル議論がそもそも貧しいのか、ソーシャル・キャピタルというものそのものに発展力がないのか、いささか迷うほどである。

≪028≫  が、それにもかかわらず、ソーシャル・キャピタルの可能性は「第3の道」の議論などに代わって、これから一挙に深化する「社会的充実」への期待を担う斬新な広がりをもつべき見方だとぼくは思っている。今夜はその理由の一端を手短かに書いておく。

≪029≫  パットナムが何を提起したかということは、その入口を示した試みだったとはいえ、いまなおソーシャル・キャピタル論の大前提である。だいたいこういう本だった。

≪030≫  2000年に刊行された大著『孤独なボウリング』(Bowling Alone)には「米国コミュニティの崩壊と再生」というサブタイトルがついている。なぜボウリングの遊び方などが米国コミュニティの崩壊や再生と関係があるのだろうか。

≪031≫  これはアメリカでかつて大流行し、どの地方でもその地域のコミュニティの絆をあらわしていたはずのリーグ・ボウリングがなぜか20世紀末に向かって廃れていったのだが、その理由がコミュニティの衰退と関連があったということを証していったものだった。リーグ・ボウリングとは地域のボウリング場に地域住民が一定期間集まってチーム戦をくりかえしていくことをいう。

≪032≫  このリーグ・ボウリング時代では、たとえばボウリング場で知り合ったフツーの33歳の白人が、3年にわたって腎臓移植の順番を待っていた64歳の黒人に自分の腎臓を提供するという「関係の創発」がおこっていた。それはたいてい無償の行為だった。ほかにもこういうことがいろいろあった。ところが、それがだんだんおこりにくくなったのだ。

≪033≫  あげく、どういうふうになったかというと、1985年から2004年までの20年間に「重要なことを相談する相手がいない」という比率が3倍になった。

≪034≫  パットナムの詳細な調査による結論からいうと、このことはアメリカ社会での「互酬性と信頼性を支えてきたソーシャル・キャピタル」の積み上げが、目に見えて薄れていったためだということになる。だから「アメリカ社会はソーシャル・キャピタルをふやすことをめざさないかぎり再生は不可能だ」というのだ。これはいっとき話題になったフランシス・フクヤマの『「信」なくば立たず』(三笠書房)と同じ結論だった。

≪035≫  経済学や社会学では、市場を通さないでおこる影響や効果のことをしばしば「外部性」とよぶ。いささか乱暴な区分けだが、そのうち社会経済に好ましい影響をもたらすものを「外部経済」と名付け、社会や生活に損害をもたらすものを「外部不経済」と名付ける。

≪036≫  たとえば養蜂業者のミツバチが周辺地域の花のあいだを飛びまわり、蜜とともに受粉をもたらしているのはプラスの外部経済であり、工場廃液が地域住民に公害をもたらしているのはマイナスの外部不経済である。

≪037≫  外部経済にはいろいろの例がある。タイガーマスクが匿名でランドセルを子供たちに寄贈することや、東北の被災地に救援金や支援物資を贈るのは、市場を介さない行為である。その行為者の収入と支出は等価にはなっていない。ホームパーティを催すことや色紙に何かを書いて渡すことも、市場を媒介にしていない。

≪038≫  しかしこれらがまったく経済的な行為ではないかといえば、そんなことはない。そこにはなんらかの社会的な経済力のスピルオーバー(波及)がある。

≪039≫  以前から、経済学はこうした外部的な経済力の正体を測りかねていた。市場を介していないのにそこに生まれているかもしれない社会的経済力を、エコノミストたちは認めたがらないからだ。

≪040≫  そこで、社会学者や社会観察者たちがこの手の議論にしだいに援軍を出すようになった。たとえば勇敢な構想者であったジェイン・ジェイコブズが1961年に発表した『アメリカ大都市の死と生』やその後の『都市の原理』(鹿島出版会)はそうした力強い援軍のひとつだった。ジェイコブズは都市の自治の実態を調査して、自治の本来は人々が複合的につながりあうことによって蓄積される関係資本、すなわちソーシャル・キャピタルによっていることを訴えたのである。

≪041≫  その後、ソーシャル・キャピタルとネットワークの関係に光が当っていった。シカゴ大学のジェームズ・コールマンは互酬性がもたらす経済的なスピルオーバーに関心をもち、『リーディングス・ネットワーク論』(勁草書房)などによって、適当に閉じたネットワークのほうが互酬性が相互にゆきわたりやすいという実証結果を発表し、社会現象にひそむ「類は友を呼ぶ」(homophily)の意義に少し迫るものを見せた。

≪042≫  ここで互酬性とは、中世イタリアのコムーネや日本の結(ゆい)や講や株仲間のような、相互扶助的な経済行為のことをいう。 ぼくが大好きなピエール・ブルデュー(1115夜)も『再生産』(藤原書店)などで、ソーシャル・キャピタルは現実力と潜在力を同時に合わせもったリソースの力であるとみなし、これは「ネットワーク関係資本」ともいいうるとした。

≪043≫  パットナムはこうした議論のなかへ、『孤独なボウリング』をもって大きな論拠を持ち出したのだ。そして、ソーシャル・キャピタルが結論的にまとめていうのなら、ずばり「信頼性」と「互酬性」と「ネットワーク性」との重なりのなかで蓄積されていくことを証明した。

≪044≫  またソーシャル・キャピタルには、大きくは二つの作用特色があって、野鳥の会や異業種交流やNPOなどのように異質な者を次々に結びつけていく「ブリッジング・タイプ」(橋渡し型)と、親戚や学校の同窓生や商店会や消防団のように同系の者たちを結びつける「ボンディング・タイプ」(結束型)とに分かれうることをあきらかにした。

≪045≫  パットナムのソーシャル・キャピタル論は絶大な威力を発揮した。なにしろそれまでは互酬性の正体なんて、とんとはっきりしなかったのだ。「持ちつ持たれつ」とか「おたがいさま」といった社会関係は、どうにも得体の知れない特別な社会感情の作用だとみなされてきたのである。星の王子さまさえキツネの言うことに最初はピンとこなかったのも、当然なのだ。

≪046≫  ぼくの場合は機会があって、金子郁容(1125夜)らと『ボランタリー経済の誕生』(実業之日本社)などを通して、「持ちつ持たれつ」の経済的可能性がどういうものかという問題に挑んだけれど、「おたがいさま」の社会経済学なんて、当時もほとんど見向きもされなかったのである。

≪047≫  しかしパットナムの論拠は勇気を与えた。そこ(信頼性・互酬性・ネットワーク性)には、リソース(資源)やキャピタル(資本)が発生し、交通しているとみなされたのだ。こうしてソーシャル・キャピタル論はビジネス界にも影響を及ぼしていった。

≪048≫  シカゴ大学ビジネススクールのロナルド・パートは、ソーシャル・キャピタルがネットワーク上の「ストラクチュラル・ホール」(構造的空隙)によって関係づけられていくという仮説をたてた。

≪049≫  Aの閉じたネットワークとBの閉じたネットワークとのあいだには、たいてい隙間か隔たりとしてのストラクチュラル・ホールがある。それがA、B、C、Dというネットワークグループにふえればなおさらだ。しかし、この相互のネットワーク間の空隙には、必ずやこれらをつなぐ個人や小人数グループがいる。この連中こそがソーシャル・キャピタルの潜在力の鍵を握っているのではないかという説だ。『競争の社会的構造:構造的空隙の理論』(新曜社)に詳しい。

≪050≫  一方、ミシガン大学ビジネススクールのウェイン・ベーカーは、自己発見や自己能力の開発では決してオリジナル・ビジネスは保証されないという視点から、組織コンピテンシーとしてのソーシャル・キャピタルを捉え、ビジネスマンに必要なソーシャル・キャピタルは「創発的ネットワーク」こそがつくっていくというカリキュラムを仕立てた。

≪051≫  ダブルロールやポリロールを積極的に引き受け、組織内の誰かを意図的に支援することで、自分にどのくらいのソーシャル・キャピタル係数が加わっていくかということを見るカリキュラムだった。

≪052≫  デューク大学のナン・リンはさらに深いところへソーシャル・キャピタル論をはこんだ。ソーシャル・キャピタルはもともと「社会に埋め込まれた資源」なのだから、ここにアクセスする動員関係によってその質量が決定されていくという見方である。ソーシャル・キャピタルを「人々が何らかの行為をするためにアクセスをおこし、これを活用しようとするときの社会ネットワークの中に埋め込まれた資源」と定義したのだ。

≪053≫  こうしてソーシャル・キャピタルの議論はだんだん膨らんでいった。本書はソーシャル・キャピタルが及ぼす力が、①企業の経済活動、②地域社会の活力、③国民の福祉と健康、④教育の充実、⑤政策の効率、という5つの領域に及んでいるという証拠をあれこれ示している。

≪055≫  しかし、いまのところ「信頼」や「互酬性」を明確に計測できるインディケータは、とりあえずは統計数理研究所の5年ごとの一般社会調査などで似たものが掲示されてはいるものの、『星の王子さま』のキツネの説得力ほどには明示されてはいない。 内閣府や日本総研や稲葉らが調査している調査も、次の12項目を調べているというのだから、かなり情けない。おぼつかない。

≪054≫  たいへんに興味深い。世の中にはコスト・パフォーマンスが成立する経済とともに、BSやPLに書きこめない経済力もあるということなのである。いわば「しきる経済」が君臨しているとともに、それとはべつに「なつく経済」だってあるということなのだ。

≪056≫  ①近所つきあいの程度、②つきあっている人の数、③職場外での友人と知人の数、④親戚との親密度、⑤スポーツ・趣味・娯楽への参加状況、⑥一般的に人を信頼していると思うかの度合い、⑦近所の人々への信頼度の度合い、⑧友人・知人に対する信頼度、⑨親戚への信頼度、⑩地縁的活動への参加状況、⑪ボランティア・NPO・市民活動への参加状況。

≪057≫  これではいかんのである。これでは何のためにソーシャル・キャピタルを重視してきたのか、わからない。 ぼくはこの程度のことでソーシャル・キャピタルを計量しないほうがいいと思っている。ソーシャル・キャピタルはシンタックスではない。アクティブ・セマンティクスなのである。コンパイルされた編纂力ではなく、エディットされる編集力が重要なのだ。ソーシャル・キャピタルはつねに社会的な文脈の中におかれた編集リソースなのである。

≪058≫  そうだとすれば、ソーシャル・キャピタルは、その該当ネットワークの内外に出入りする文脈上にプロットされるべきなのだ。また、そこに萌芽する物語の起承転結によって納得されるべきものなのだ。 そんなことはムリだと思うなら、たとえば医師や弁護士や教師にともなう「信認義務」(fiduciary duty)のことを思ってみるといい。信認義務はしばしば採算を度外視してでも患者や依頼人や生徒の利益のために最善を尽くすことをいう。もしも患者が「医者は最善を尽くさない」などと思ったら、医療行為の大半は崩れてしまうのである。先生がいいかげんだと思われれば、教育なんて成立しないのだ。

≪059≫  これこそは「絆の社会」の底辺である。けれども、さらに言っておかなければならないことがある。 それは「絆」にも「なつく」にも必ず負の側面があるということだ。これまでのソーシャル・キャピタル論では、この負をなべて「ソーシャル・キャピタルを毀損するもの」と批判的に捉えてきた。ぼくは、ここが不満なのである。

≪060≫  パットナム以降、ソーシャル・キャピタルを毀損するものとして格差や不平等や暴力や犯罪があげられてきた。 なるほど、そのようなものは一時的にソーシャル・キャピタルの蓄積をがっかりさせる。できればそんなことがおこっていないほうがいい。しかしながら、いったい何が不平等で何が非正義かということは、その時代社会とともにあるわけで、ということは平等や正義の観念そのものが時代社会のソーシャル・キャピタルの中身そのものなのである。

≪061≫  あえて特異な例をいえば、『楢山節考』(393夜)に見られる「姥捨て」という習慣はある種の共同体では重要な容認行為だった。村の祭祀とともにご開帳される賭場も、ある種の経済事情の解放であり、外部経済の臨時のシャッフルにもなっていた。 これを正当な料金設定による養老施設の普及や公開オークションの実施やカジノ経営にしていったのが、その後の資本主義社会の過剰発達というものだった。それは老人ビジネスの競争やヤフー・オークションの暴走にもつながっていくばかりなのである。 つまりは、これらの「負」は、いくら正当化をはかったところで、どこかにわだかまるものなのだ。

≪062≫  実は、ソーシャル・キャピタルはそもそもにおいて「正と負の両方のフィードバック」をもっているはずなのである。 そのような二つの価値を内在させているものをこそソーシャル・キャピタルとみなすべきなのだ。 いやいや、この話の続きはべつのところでもしてみたい。急ぎたい諸君は、手近かなところでは荒井一博の『自由だけではなぜいけないのか』(講談社選書メチエ)や新雅史の『商店街はなぜ滅びるのか』(光文社新書)などを読まれたい。

≪063≫  もうひとつ、話しておかなければならないことがある。 それはネットワークと人のつながりはベキ乗になっているということだ。このことを除いてソーシャル・キャピタルのネットワーク性は語れない。これも急いで気にしたいというのなら、ダンカン・ワッツの『スモールワールド』(東京電機大学出版局)やアルバート=ラズロ・バラバシの『新ネットワーク思考』(NHK出版)などを読まれるといい。いつかぼくも言及する。

≪02≫  マラッツィについて最初に一言紹介しておく。スイスにはいくつかのイタリア語圏がある。ティツィーノ州はそのひとつで、マラッツィはそこで生まれ育った。学生の頃からイタリア・オペライズモ(労働者主義運動)に強い関心をもち、70年代のアウトノミア運動に参画した。

≪04≫  経済学者なのではない。経済運動学者なのだ。何の運動かといえば、ニューエコノミーに立ち向かった。当時のマラッツィにとってのニューエコノミーとは、ドットコム・クラッシュ(ITバブル)を引き起こした背景にあるグローバル化した金融問題を、得意の社会的労働の問題のほうから抉り出すように語ろうとすることをいう。

≪05≫  あまりうまい書き手とはいえないが、著作も怠らない。本書以前に、1995年の『ソックスの場所』(邦訳『現代経済の大転換』青土社)、『そしてマネーは行く――金融市場からの脱出とその革命』(未訳)などを著した。本書のあとには『燃えつきた金融』(2009)も書いた。

≪03≫  そう言えばおよその察しがつくだろうが、マラッツィはフェルッチョ・ガンビーノやアントニオ・ネグリ(1029夜)やルチャーノ・フェラーリと親交した社会運動家なのである。1977年にはネグリの教室で教鞭をとったりもしていた。それとともにマラッツィはれっきとしたエコノミストでもあった。ニューヨーク、ロンドン、モンアレルなどに居住しながら、イタリア・オペライズモのアウトノミア問題を提起をしつつ、つねに経済社会の最前線にかかわってきた。

≪06≫  ちなみに本書にはネグリとともに『帝国』を共著したマイケル・ハートの序文がついていて、マラッツィの提案が今後の資本主義社会の有効なモデルになるだろうと褒めている。褒めすぎに感じる。

≪07≫  さて、本書の結論はきわめて明白である。大枠は「言語こそが現代の資本主義経済の機能と危機を理解するためのモデルだ」というもので、これに尽きている。もっと簡約すれば、「今日の資本の活動はほとんど言語の活動だ」というものだ。

≪09≫  そのように思う理由も明快だ。2つある。第1には、金融社会は言語的慣習によって特徴づけられ、言語的に流通する金融商品によっているというもの。第2には、グローバル金融主義によって生み出された労働社会は新たな支配形態であり、これまた言語ないしは言語行為に類似した手段によって広まっているというもの。この二つだ。

≪08≫  貨幣が言語から生まれているとは言ってはいない。貨幣と言語が同質のものだとも言ってない。金融活動がどんどん言語活動に近づいて、そのため金融言語的な矛盾がおこっていると言っている。

≪010≫  ここまで明快な解義は、最近はあまり見当たらない。貨幣と言語が似たものであることについては、ゲーテ(970夜)もジンメル(1369夜)も、むろんシュタイナー(33夜)もエンデ(1377夜)も気がついていたが、グローバリゼーション後の金融資本こそが最も言語的な姿をとっていることを指摘したのは、実はクリスティアン・マラッツィが最初だった。

≪011≫  マラッツィは、金融市場を理解するには新たな「言語理論のモデル」をこそもつべきだとも踏みこんだのだ。しかしさっきも書いたように、そのモデルの中身はほとんど描かれていない。舌足らずなのである。でも言いたいことはわかる。

≪012≫  金融動静がFRBの議長の発言内容という“言語”によって大きく左右されているという程度のことなら、誰もが知っている。日本でも財務大臣や日銀総裁の不用意な発言で、円の相場はころころ動く。

≪014≫  いいかえれば、金融市場の危機は「金融言語の自己言及性」をあらわにしておこっていくものだと言っているのだ。このあたりの指摘は、なかなか新鮮だった。

≪013≫  こういう卑近な例もたしかに金融と言語の至近性を物語る一例ではあるけれど、マラッツィはその程度のことを指摘したかったわけではない。ニクラス・ルーマン(1349夜)やジョージ・ソロス(1332夜)がいみじくも言い当てたように、市場が自己言及的な動きをとるかぎりは、金融の特質ははしなくも言語行為と一蓮托生になるしかない。この傾向は21世紀の金融資本主義の限界が近づくにつれて、もっともっと現実化していくだろう。金融は言語問題にフィードバックされてくるだろう、そう言っているのだ。

≪015≫  金融言語がどういうものであるかの詳細な指摘はない。が、この金融言語の範疇にはあきらかに、確率統計的な表現、ブラック=ショールズの公式などの数式的予測性、金融機関の饒舌な商品説明、FRBや中央銀行総裁の発言、エコノミストやマスメディアの解説言語、投資家たちの言動、物価や財政にまつわって乱れ飛ぶ言葉、企業人が日常的に交わしている言葉、以上に対する一般の生活言語の反応など、これらいずれもが入る。これらのなかでもマネーや価値に関する言語が資本主義の現在を構成する。

≪016≫  通貨や貨幣について、銀行が流動性をコントロールしているなら、そのコントロールの主権は国民国家そのものにある。しかし流動性が金融市場そのものによってコントロールされているのなら、その主権や責任や母体は社会の言語的コミュニケーションそのものにある。

≪018≫  それにもかかわらず、これまではなぜか「金融言語」の理論化もモデル化も試みられてはこなかった。マラッツィは、社会学者や社会運動家こそがそういう言語理論の構築に向かうべきだと考えたのだった。

≪020≫  これで十分だとはとうてい言えないが、(1)は言語と身体の関係はどのようにマネー社会に影響をもたらすかということ、(2)は言語的差異が所得や労賃の格差感覚に何をもたらしているかということ、(3)は貨幣・所有・婚姻・技術・労働をマルチチュードな言語行為として連環させるにはどうすればいいかということを、それぞれ意味している。

≪022≫  また、そうなってきた理由として、ひとつには金融とITと証券化の結託の問題を、もうひとつには労働が労働の言葉をもてなくなって、金融やITや証券化の言葉に席巻されていった問題をあげた。これは当っている。

≪017≫  そうだとすれば、金融市場の機能を担当するエンジンはやはりのことに「言語」がつくりだすヴィジョンに引っ張られて動いているというべきである。いまや金融言語こそがカジノ資本主義や情報資本主義やマネー資本主義の正体なのだ。

≪019≫  意外なことに、そういうことを試みたのは金融工学者やクォンツたちばかりなのだ。これではまずい。そこでそのためにマラッツィが勇躍立ち上って用意するのは、とりあえずは(1)言語と身体の問題、(2)言語と差異の問題、(3)言語とマルチチュードの問題である。

≪021≫  これで察知できるように、マラッツィは金融と言語があるべき資本主義社会における“一般的知性”を犯してきたと見たわけである。金融機関や金融工学による金融ポートフォリオ主義が行き詰まるのは、それについての言語が自己言及性をもってしまっているからだと見たわけだ。

≪023≫  しかしマラッツィは、この”閉塞的な自己言及回路”を脱するのに、どんな経済政策があるのか、またそのことを言語文化がどのように引き取るべきかということについては、マイケル・ハートが褒めたわりには、ほとんど明示的なことを提案しなかった。

≪024≫  本書の日本語版には監修者がついている。水嶋一憲だ。いまは大阪産業大学で経済学の教授をしているが、ネグリやハートの著作の翻訳を手掛けるとともに、経済のグローバリゼーション問題にとりくんできた。

≪026≫  それによると、マラッツィは今日の資本主義社会をよくありがちな「実体経済」と「擬制資本」という二分法で読むのはまちがいだと見たわけなのだ。そのうえで、金融化とは「新たな価値生産過程に釣り合った資本の蓄積形態そのものだ」とみなした。これを象徴しているのは各国で一斉におこった「年金基金」の金融化であった。

≪028≫  ネグリ=ハートは、このことはそもそもの「生」のオプションが20世紀の戦争とともに21世紀の金融に二つながら分化して進行していることとみなした。そこには環境危機のオプションもある。「生」はいまや戦争危機と金融危機と環境危機の上に乗る情報ヴィークルなのである。

≪030≫  その通りであろう。いまやわれわれの「生」は金融言語とグーグル・モデルの中で一緒くたの現象になってしまいつつあるのだ。

≪025≫  その水嶋が巻末に解説を書いていて、そこにマラッツィの近著の『燃えつきた金融』とネグリ=ハートの『コモンウェルス』(『帝国』三部作の最終巻)を紹介している。ありがたいことに、そこからマラッツィの狙いがもう少し見えるようになっている。

≪027≫  年金とは何かという問題は案外難しいが、その本質は「明日の生活」に根差した「遅延された給与」であるということにある。しかしながら、昨今の多くの年金基金が株式投資市場に回っているということは、生活者の「生」がダイレクトに資本のリスクと強力に結びついてしまったということでもある。「明日の生活」を資本の取引や金融言語に委ねたということである。

≪029≫  マラッツィや水嶋はそこに加えて、資本と情報と言語がITネットワークの完璧なまでの波及によって組み合わさってクラウド・ソーシング化され、われわれがウェブ2・0状態で「生」を享受しているということそのものが、これらのオプションと危機を逃れがたいものにしていると説明する。

≪031≫  マラッツィは新しい著作のなかでは「バイオ資本主義」という見方を披露しているようだ。アンドレア・フマガッリのネーミングらしい。人間の「生」の総体を金融主導型の資本主義が巻き込んでしまったこと、それがバイオ資本主義状態だというのだ。

≪033≫  なるほどそうだとしたら、われわれはバイオ資本主義的マルチチュードとしての「コモンウェル」(共有の富)の奪還をはからなければならないということになる。公でも私でなく、また公でありながら私でもあるような「共」(コモン)の奪還だ。しかしそんなことができるのか。かなりの代価も覚悟しなければならないのではないか。

≪032≫  いささか走りすぎたネーミングだが、今日の社会が不変資本や可変資本の投資だけで成り立っているのではなく、いくつものフィードバック回路とクラウド・ソーシング回路によってさまざまな“合体化”をおこしているという状態を、あえてフーコー(545夜)やネグリふうの「生-政治」の視点でまるごと掴まえようとすると、バイオ資本主義というような言い方になるのかもしれない。

≪034≫  マラッツィもそれは覚悟しているようだ。そして、次のように告げていた。「この代価はたしかにとても高くつくだろう。しかしすでにわれわれは失業の拡大や社会支出の削減をもってその支払いをしてきたのだ。だからわれわれは、こうした私的負債を社会的収入に転換させながら、次の作戦に向かわなければならない。たとえばその代価を金融資本に払わせることも含めて、である」。

石橋を叩けば橋が壊れるリスクが生じ、叩きすぎれば手にリスク(傷)が生じ、
叩きもせず渡りもしなければ、行く先のリターンは決して手に入らない。

リスクを免れることが新たなリスクを生み、リスクを排除しようとすることそれ自体が、社会をリスクに満ちたものにする。

リスクと社会の関係は、いったんリスクとシステムの関係で語られる必要がある。

ウルリヒ・ベックやニクラス・ルーマンはそこを新たな社会学の踏み台にしてみせた。

≪02≫  臨床試験の十分でない新薬を投与することはリスキーである。しかしそのリスクを避けるために投薬を見送れば、患者を見殺しにするリスクを負うことになる。ヘッジファンドに多額の資金の運用をまかせるのはリスキーである。しかしそれを惧(おそ)れて資金を遊ばせておけば、リターンがないというリスクを負う。

≪03≫  リスクを少なくしようとする試みは、それ自体がリスキーなのである。現代におけるリスクのパラドックスは、「安全が危険の函数になっている」ということにある。このような問題は、社会がそのようにシステム思考をすることが自己言及的構造をもったということに由来する。いまやリスクを考慮しない社会など、考えるべうもない。そうだとすると、ここに新たな「リスク社会学」のようなものが出てこなければならない。

≪04≫  すでに「リスク学」というジャンルも生まれている。日本でも2007年に「リスク学」と銘打った全5巻のシリーズが岩波書店から刊行された。橘木俊詔・長谷部恭男・今田高俊・益永茂樹の監修構成で、第1巻が総論の「リスク学入門」、第2巻が『経済から見たリスク』、第3巻『法律から見たリスク』、第4巻『社会生活から見たリスク』、第5巻『科学技術から見たリスク』。

≪05≫  リスク学の扱い範囲を告知する入門的な講座ではあったが、出版物としてはそれなりの役割を果たした。しかし、中身からすると災害や医療やリーガルなリスク対策が勝ちすぎて、広井良典「リスクと福祉社会」、椿広計「リスク解析とは何か」、中西準子「環境リスクの考え方」などは収穫が濃いものでありながら、社会学や経済学が本気でとりくむべきリスク論のメルクマールは明示しきれていなかった。

≪06≫  山口節郎の本書は2002年の執筆ではあるが、この20年ほどの社会学がリスク論にさしかかったあたりを理論的に俯瞰トレースしていた。比較的よくまとまっている。とくに第4章は「リスクの社会学」と銘打たれていて、その章題どおりの内容になっていて、今日でも参考になるマップを提供していた。そこで今夜はこの本の案内をしておく。

≪07≫  リスク論が社会科学のなかで急速な話題になったのは、1986年にウルリヒ・ベックが『危険社会』(原題は『リスク社会』)で「リスク社会の到来」を告示してからのことである。「豊かな社会」を求めすぎた歴史は必ずやリスク社会に向かっていくだろうというものだ。

≪08≫  むろん、自然災害がもたらす危害や生老病死にかかわる危難についてのリスクや、世の中の出来事の「たまたま」「偶然」「不確実性」に関する議論なら、ずっと昔からあった。リスクという概念が浮上したのも、フランク・ナイトが「計算できない不確実性」と「計算できるリスク」を区別してからのことだから、かれこれ半世紀はたっている。

≪09≫  しかし社会学的なリスク論はベックからで、以来、急速に議論の俎上にのぼるようになった。けれども如何せん、課題が大きすぎた。アンソニー・ギデンズの「自然的リスク」と「人為的リスク」の区別があったりしたものの、リスクの多様性や多義性はとうていその程度の分類ではおさまるはずはなく、とくに金融市場や企業社会におけるリスクヘッジやリスクマネジメント議論と、環境リスクをめぐる議論とが激しく発火して、いまではリスクに関する認識と評価、リスクをめぐる防止と削減、リスクをめぐる運用と応用は、それぞれ実に多岐にわたるものになっている。

≪010≫  今日の社会学では、リスク論は大きくは二つの目で眺められている。ひとつはベックのように、高度な資本主義社会が拍車をかけた富への加担とグローバリゼーションが拍車をかけた豊かさと情報がまじりあった豊かさとがあいまって、社会のさまざまな場面でのリスクとなって亀裂を生じているとみなす見方だ。いわば暴走する欲望社会のしっぺ返しとしてのリスクをどのように見るかという問題である。

≪011≫  もうひとつはニクラス・ルーマンらの見方で、社会が高度に発達して職業選択から生活スタイルの選択まで人間活動の自由度が高まって、人々がさまざまな場面でのコンティンジェントな選択を強いられるようになったため、その選択がかえって期待どおりの結果をもたらさなくなったという、「選択の自由にともなうリスク」に注目する見方だ。

≪012≫  いずれも、いったい社会におけるシステムや人間の生き方における自由とは何かということが問われていることには変わりないのだが、しかしながら問題は単純ではない。多様なリスクをどのように社会的に管理するのか、地域社会でのリスク・コミュニケーションはどのように進めるのか、さらにはリスクの共有とリスクの削減をめぐる不一致の問題をどう解決するのか、問題群はずらりと並んでいる。

≪013≫  経済学や市場の現場では、リスクは損失をともなうものであるとともに、利得を返すものとして早くから扱われていたので、リスクとリターンが一衣帯水の現象として議論され、組み立てられてきた。

≪014≫  とくに「オプション」の考え方から派生したデリバティブ、スワップなどの金融派生商品が人気を得るにいたって、「リスクの経済学」こそが経済社会の鍵を握るようになってきた。カール・ポパーの社会工学とジョージ・ソロスのリスクヘッジ(1332夜)が結びついたのは、その象徴的な例である。経済リスクと社会リスクは切り離せないはずなのだ。

≪015≫  しかし、ここまでリスクの多様性が広まっていくとは、社会学のほうも予想していなかった。たとえば前夜ではリアルオプションの可能性についても紹介しておいたけれど、このへんのことは社会学でもほとんど注目されていない。

≪016≫  本書の著者の問題意識の出所にも、20世紀の「豊かな社会」が新たな社会的不平等というリスクを生んだこと、市場システムがもたらしたリスクを解決するために登場した福祉国家が新たなリスクを生んだこと、この二つをめぐる大きな矛盾が露呈していた。

≪017≫  この矛盾が互いに交差すると、そこからおびただしい問題が吹き出してくるのだが、それが何を示しているかということを議論するには、社会学は用意がなかったのだ。そこでまるで判で捺したかのように、ベックの『危険社会』を起点におくことがジョーシキになっていた。スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故の直後に執筆されたせいでもあった。だからたいへん話題を呼んだ。

≪018≫  話題になったのだが、その後、この一冊が投げかけた“啓蒙的リスク論”ではまにあわないこともいくつも見つかった。それでも現代社会学は、それまでリスクについては甚だ鈍感だったので、「リスクの社会学」を議論するとなるとこの一冊を起点にせざるをえなかったのである。

≪019≫  ベックが『危険社会』で何を書いたかということを整理しておこう。第1に、産業社会は「残余リスク社会」であるという判断を提出した。第2に、したがってその後の社会の近現代化のプロセスは、産業社会が生み出した「負の副産物」を新たなリスクとして認識できるかどうかという視点で捉えなおせると見た。しかし第3に、そのような捉え方をすることはその認識がかなり苦(にが)いものになるだろうため、そこに自省的な社会が登場するだろうと見た。ベックの問題提示はそういうものだった。

≪020≫  わかりやすくいえば、こうである。産業社会が掲げた目標は“I am hungry”という物質的アンバランスの改善だった。「欠乏」の克服だった。ところが産業技術が発展していくと、それに代わって公害や原発やテクノストレスや環境ホルモンや「うつ」などの「負の副産物」があらわれてきた。それは、他山の石ではなく、世界中の一人ひとりの自分自身がかかわるかもしれない環境や生命をゆるがすもののようだった。人々は“I am afraid”という「不安」を募らせた。

≪021≫  “I am hungry”はいつのまにか“I am afraid”に切り替わっていたのだ。それは「欠乏の共有」から「不安の共有」への切り替わりでもあった。そのとき、その切り替わりの断面に、あっというまに「リスク社会」が次々ごしごしとさしはさまれたのだ。そういうスコープなのである。

≪022≫  こういう判断をしたベックは、近現代化のプロセスは総じて自省的(あるいは再帰的=reflexive)になり、今後の社会学は「自省的近代」を問題にしなければならないと考えた。

≪023≫  いまから思うと、ベックが掲げたリスク社会は、3つの「ない」(nicht)で定義されていた。①リスクを空間的時間的に限定できない(限定不能)、②多様なリスクの責任を特定所在者に負わしきれない(帰責不能)、③大規模リスクの被害を補償しきれない(補償不能)。

≪024≫  いったいどうして3つもの「ない」が揃ったのかといえば、リスクが多様になり複雑になり大規模にもなったからであり、それにもかかわらずそうしたリスクの多様性から逃げようとする「組織化された無責任」がはびこったからだった。このことが責任と規範と習慣の関係に次々にミスマッチをおこさせた。多発するリスクと多様なリスクについての限定と帰責が立証できないことが、しだいに組織的無責任をつくったのだ。

≪025≫  このことをベックは比喩的に、「リスク社会における生活と行為は、言葉の厳密な意味においてカフカ的にものになっていく」と言っている。たしかに今日の社会はいっそうカフカ的であり、村上春樹的である。

≪026≫  現代社会学史の観点からいうと、このようなベックのリスク社会論はアドルノ(1257夜)やホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』の意図をすぐれて引き継いでいた。不気味なものの浸透と断絶に対する警告でもあった。しかしながらそのような意図だけでは、文明のパラドックスに対する警世や啓蒙にはなったとしても、リスクを不可避に抱えた社会やシステムの分析にはなりえない。

≪027≫  ここはいったん、リスクをもっと大きな「不確実性」のなかで捉えなおし、その捉えなおした不確実性のもと、新たな社会構造やシステムやネットワークの特性を見いださなければならない。社会学者たちはそのことをひしひしと実感していた。ベックの『危険社会』の余波がほどほどに収まってくると、多くの社会学者はそのような感想をもつようになり、次のようなスコープを想定するようになった。

≪028≫  いまや世界は、「かくあらねばならない」という必然性と合理性をとっくに失っている。世界は「たまたまな偶然」と「予想どおりの不合理」と「バイアスとリフレクシビティ」に満ちてしまっている。

≪029≫  加えて、空間は民族空間や仮想空間を含めて一様ではないし、時間も将来の予測に向かって変質をとげている。生命から環境にいたるまで、すべての情報は非対称なのだ。こういう世界のなかで、社会とシステムとネットワークが不確実性を吸収しながら、急激なデジタル技術の波及のなかにふらふらと浮かんでいる。

≪030≫  そこへもってきて、「リスクの経済学」のほうも保険から証券へ、投資リスクや信用リスクから複合リスクへと大胆不敵に姿を変えて、その適用範囲を暴力的に加速させてきた。デリバティブに至っては複雑なポートフォリオにまでなった。ベックが巧妙にも名付けた「残余リスク社会」は、IT社会の進行のなかではまたたくまに別の様相の「リスク後遺社会」に代わってしまったのだ。

≪031≫  こんな時代社会では、意思決定のための「最適化ルール」なんて役に立たないし、「決定の合理」に行きつくことも無理である。せいぜい限定合理性や最小合理性を使って、できるだけ印象的な「行為の経済」を積み重ねていくしかなくなっている。

≪032≫  けれども、このように社会とシステムとネットワークが不確実性をあまりに吸収しようとしていくと、今度はそこには「結果としての不確実」というコストの支払いがのこされる。そのツケは誰が払えばいいかといえば、そんな答えは政府も社会学も用意はしていない。そもそも異種配合しつづけるようなリスク複合体を、いったいどう考えていけばいいものか、それすらもわからないままなのだ。

≪033≫  ベック以降、こんな議論が次々におこっていたのだが、さて、ここに登場してきたのが、それらのスコープを新たに組立て直すものとしてのニクラス・ルーマンの新たなリスク論だったわけである。これは、システムから見たリスク社会学の登場だった。

≪034≫  システムは成長しつづけることによってしか存続することができない。そのためシステムは、どんどん変わっていく外部環境に適応し、自己更新を続ける。こういう宿命をもつ。しかしシステムはそのはたらきの「自己言及性」ゆえに、たえずリスクにさらされる。逆に見れば、システムはその作動を通じてたえずリスクを生み出している。

≪035≫  ルーマンはリスク社会を、このような自己言及的なシステム特性に見舞われた現代社会として特徴づけたのである。そこでは、システムの部分性だけが相互依存性をもっている。

≪036≫  そういうシステムでは、部分システムを全体システムとして調整する中央機関はなく、審廷もない。各部分が自分で世界を観察し、さまざまな情報を編集し、コンティンジェントに自律的再生産に向かう。そうなっていくしかない。しかしリスクは、このプロセスのさまざまな場面にこそ出入りするものだったのである。

≪037≫  すでに20世紀の100年間のあいだに、システム理論の基本パラダイムが大きく変化した。最大の変化は量子力学と相対性理論と生命情報論によってもたらされた。システムは自分がシステムでありつづけるために、「歪み」と「ゆらぎ」を伴うようになったのだ。

≪039≫  システムは「制御」から「自律」への変化を組みこむようになったのである。しかしながら、それはまた、リスクの頻繁な出入りと滞留でもあった。ということは、リスクとは、こうしたシテスムのふるまいからこそ観察できるものなのかもしれないということだった。

≪038≫  そこへさらに脳と環境が加わった。「全体と部分」の問題はしだいに「システムと環境」の問題に変わり、「インプットとアウトプットの関係」は科学においても社会においてもフィードバックやバイアスをともなう「自己言及的な関係」に変わっていった。ベルタランフィ(521夜)やウォディントンやホワイトヘッド(995夜)のシステム論は、そういうものだった。

≪040≫  こうしてルーマンは、生命・脳・自己・社会・環境にわたるシテスムとリスクの関係に分け入り、そこに「オートポイエーシス」の視点を積極的にとりいれて、さまざまな理論的分析を加えていった。それは、ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・ヴァレラが著した、あの『オートポイエーシス』(1063夜)からの援用によるオートポエティック・システム論でもあったが、そこにはマトゥーラナらのオートポイエーシス仮説を超えて、かなり独自な見方も加えられていた。

≪041≫  ルーマンは、リスクをシステム・カテゴリーとして語る方法を発見したのである。リスクのふるまいはその大半をシステム・リスクとして語りうるだろうとみなしたのだ。

≪042≫  システムは自分自身の自己言及性によってたえずリスクを生みだし、「ゆらぎ」にさらされるのだ。もはやリスクのないシステムはシステムたりえず、システムに関与しないリスクはリスクたりえなくなったのだ。

≪043≫  システムは自分自身の自己言及性によってたえずリスクを生みだし、「ゆらぎ」にさらされるのだ。もはやリスクのないシステムはシステムたりえず、システムに関与しないリスクはリスクたりえなくなったのだ。

≪044≫  ここから導き出されるのは、システムが選択強化的なコンティンジェンシーによって、どうしたら自己変更をとげられるかということである。どのようなオプショナル・システムの様相を、どのようにオートポエティックに組みこむことができるかということだ。「計画論」から「オートポイエーシス」へと言ってもいいだろう。ルーマンのシステム論はそこを考えた。

≪045≫  これを最近の大企業や銀行のように、合併や合体や資本提携によってひたすらリスク回避に走ろうとしても、リスクは決してなくならない。それどころか図体が大きくなったらそのぶんそれだけ、かえってリスクが生じたときの危険度はバカでかくなる。リスクはもっと大きくなって撒き散らされるだけなのだ。

≪046≫  このように、リスクをシステムとの関係を読んでいくというルーマン以降の方法は、新たなリスク社会学の登場としてさまざまな展開の可能性をもっていた。新たな問題もかかえた。ルーマンのリスク論を中心に、次夜で、もう少し詳しく説明したい。

山口浩『リスクの正体!』No Risk,No Life.


≪01≫

 本書でリスクの正体が証されているのではない。
 リスクについての新しい見方を感覚的に提供している。
 No Risk,No Life!
 ヒントは柔軟性、視点の変化、予測市場、 そしてリアルオプションにある。
 No Risk,No Life!
 果報は練って待て、さわれる神から祟りを貰え。

≪02≫  ブログが書籍になった例がだんだんふえている。池田信夫のようなベテランカリスマ・ブロガーもいる。本書もそうしたひとつで、ベテランではないが、2004年から2年間ほどのブログをもとにして構成執筆した。

≪03≫  著者は適当に投資を愉しんでいるらしい大学の若手センセーだ。リアルオプションを専門にしている。リアルオプションは企業や経営者が投資計画をたて、意思決定をするときの柔軟な分析理論をいう。

≪05≫  主旨はどういうものかというと、冒頭の「ひとつの怪物が日本を徘徊している。リスクという怪物だ」という『共産党宣言』まがいのパロった一文から始まって、リスクは得体の知れない怪物のように扱われているけれど、実は正面から付き合ってみたり、もっと遊んでみれば、リスクが今日の社会で最も大事なコンセプトのひとつで、考え方で、方法であって、また社会や人生の基本になるべきものだということが見えてくるはずだというもの。

≪07≫  すでに石田梅岩(807夜)、佐藤信淵、福沢諭吉(412夜)、渋沢栄一がそのことを説いていた。投資理論を専門にしているこの著者も、そういうリスクの社会的意義がわかっているようだ。ただし、本書のサブタイトル「賢いリスクとのつきあい方」は、いただけない。

≪04≫  ブログ本は当たり外れが激しいが(どんな本もそうだけれど、ブログ本だからおもしろいなんてことはほとんどない)、本書にはときおり痛快なことが書いてある。なかなかのニューアイディアもある。

≪06≫  そのとおりだ。そう思う。リスクは、現代思想のなかでも5つの重要コンセプトに入る代物なのである。ぼくはそう確信している。これからはリスクを扱っていない思想など、話になるまい。正義よりリスク、自由よりもリスク、友愛よりリスク、だ。いや、正義はリスク、自由はリスク、友愛はリスクなのである。

≪08≫  リスクは賢いか愚かかの対象などではなく、もっと本来的なものなのだ。だからそれよりも、カバーの片隅に小さく刷られていた“No Risk, No Life”がサブタイトルとしてはずっといい。ここでは勝手にそう表示する。 というわけで、以下、著者の思い切った見方が出ているところは強調し、平凡なイージーシンキングなところを切り捨てる。

≪09≫  ここで扱っているリスクは、リスクとチャンスが表裏の関係になるリスクのほうで、そこに価格がともなうものをさす。前夜の『リスクのモノサシ』(1345夜)でとりあげたリスクを純粋リスクと呼ぶとすると、こちらはあけすけにも投機リスクと呼ばれる。

≪011≫  おそらく予測は、もともとは動物が生殖の相手やエサの確保や環境適応するために発達したものだった。いや、もっと以前に情報高分子がカリウム・チャネルとナトリウム・チャネルによって情報の出し入れをつくりあげ、そこに“自己組織化”を始めて“自己”を発生させて以来のことだったのかもしれない。ともかくも生存のための生体メカニズム(=オーガニズム)として機能しただろうとみられるほどに、予測の起源は古いはずである。カオスとも深い関係をもっているだろう。

≪010≫  しかし純粋リスクであれ、投機リスク(投資にともなうリスク)であれ、リスクを相手にするときに最も重要になるのは「予測」である。 予測だなんて地震予測から天気予報まで、景気予測からオカルティックな終末予測まで、ともかく当たらないほうがジョーシキになっているくらいなのだが、けれども人間はなぜ予測したがるのかということになると、これはかなり遠大な背景をもっている。

≪012≫  それゆえ、生物時計の発生メカニズムが掴めていないように、そのしくみはまだわかっていない。ローレンツ(172夜)やティンバーゲンが興したエソロジーも、その半ばは「予測の動物行動学」なのである。

≪013≫  他方では、意外なことも知られるようになってきた。脳のなかでの予測のトリガーにあたるものがうっすら見えてきた。 たとえば最近になってfMRI(機能的磁気共鳴映像法=1312夜『脳のなかの水分子』参照)などによって見えてきた例でいえば、舌の上にジュースをたらしてどのようにドーパミン・システムが作動するかといえば、それが甘いものかもしれないという予測をした時点でドーパミンが反応しているらしい。報酬を知ってからドーパミンが出るのではなく、予測の時点で反応がおこるのだ。

≪014≫  日常生活のなかで予測がどのように機能しているかも、見逃せない。だから武道のようなもの、スポーツの訓練のようなもの、行動心理学のようなものが長年にわたって発達してきたわけだ。これらは体の動きという資源や資産を生活やスポーツゲームのなかでどのように計画するかという予測と意思のリアルオプション探求ともいえる。予測と意思決定はずっと昔から一対なのである。 というわけで、予測は生体にとっても動物環境の全体にとっても、また日常生活やスポーツにとっても見逃せないものなのであるが、さてこれを経済社会でおこなおうとすると、いろいろな視点での検討が必要になる。

≪015≫  市場的な場面で予測をおこなうばあい、いつも陥るのは「これまで続いたことがこれからも続くだろう」という、初期的な確率論の誤解にもとづくもので、たいていはそんなふうにはなりっこない。

≪017≫  とはいえ過去の行動パターンや決定プロセスのパターンが役に立たないともいえない。できるかぎりの推移のデータを集め、これをさまざまに組み合わせることで、なんとか予測をそれらしくすることは、最低限不可欠なことでもある(これを「探索的予測」という)。ここでは予測は「当たらずとも遠からず」なのである。

≪016≫  また、すでに何度かのべてきたように、予測にはヒューリスティクスとバイアスがかかわることも計算に入れなければならない。多くの者は「予想どおりに不合理」な選択をしてしまうのだから、予測するにあたってはその不合理のリフレクシビティを勘定に入れておかなければならなくなってくる。

≪018≫  一方、景気予測などの政府や日銀の経済予測などになると、「将来どうなるか」ではなく「将来どうしたいか」という予測になっていて(これを「規範的予測」という)、希望的観測を組み合わせてつくられていることのほうが多い。こんなものもアテになるわけはない。

≪019≫  こんなふうに考えていくと、市場的予測なんていったいどこに根拠があるのかということになるけれど、実はこのような検討には洩れていたものがある。それは経済や市場には「見たいものを見る」という参入者による“意識の向き”のような傾向がおこるということだ。

≪020≫  たとえば相場には本来あるべき水準が想定できるのだが、しばしばその水準からずれた誤差が生じる。そういう誤差は平均すると短期間で消滅してしまうのだが、ときおりそうならずに、かなりの期間にわたってその相場が持続することがある。これを「サンスポット均衡」という。かつて太陽の黒点が株価の動きに関係しているという変なウワサがあったのでこのネーミングがついているのだが、もしも相場師たちの多くが太陽の黒点の増減を確信するようになれば、本当の株価がそちらに動いて多数を占めることもありうるということだ。


≪021≫  そこで、このようなことを取り込んだ「予測市場」(prediction market)というものが新たに発想されるようになった。

≪022≫  予測市場とはどういうものかというと、具体例を言ったほうが早いだろうから紹介すると、そのひとつにアイディア市場(idea market)がある。多数のアイディアからほしいものを見いだすために証券市場に似たメカニズムを用いる方法で、個々のアイディアが証券になる。

≪024≫  これは、はてなという企業の意思決定プロセスに社外の参加者(顧客)を引きこんで、はてなが将来的にもつべきさまざまな技術機能やビジネスフォームを予測してもらうというもので、参加者は自分の視点に立つのではなく、はてなの視点に立つ。発表当時は社員10人ほどだったはてなは、この予測市場によって約3000人の“社外企画部員”を獲得した。いわば人的レバレッジが効いたのである。

≪023≫  全部調べたわけではないが、日本初の予測市場は株式会社はてなによる「はてなアイデア」だった。はてなは2002年設立のブログやソーシャルブックマークといったウェブサービスを提供する企業で、その「はてなアイデア」がアイディア市場にあたっていた。

≪025≫  その後、はてなは小泉郵政選挙のときに「総選挙はてな」を開設したが、これは公職選挙法にひっかかるかもしれないというので、あまり話題にならなかった。

≪026≫  これまでの意見集約方法には、アンケートや投票やヒアリングやデルファイ法などを含めていろいろあった。しかし予測市場のやりかたはアンケートや人気投票と似ているようで、似ていない。根本的なちがいがある。

≪027≫  アンケートや人気投票は参加者の「意見」を聞くのだが、予測市場はそうではなくて、「予測」を聞く。有名なケインズの美人投票論は、誰が美人かを投票するのではなく、誰が美人ベストテンに入るかの予測をする話を例にしながら市場議論をしたわけだが、あれに近いのだ。

≪029≫  つまりは予測市場は、情報の発見・集約・編集・評価を一連の手続きに入れているしくみなのである。はてなはその手続きをウェブネットワーク上の市場でおこるようにした。

≪028≫  もうひとつ、ちがいがある。アンケートでは回答して報酬がもらえるとしても、原則としてはどんなことを書いてもかまわない。報酬は回答したかどうかに対して支払われるだけで、内容とは関係がない。予測市場では予測の結果が報酬のパフォーマンスを決めるのだから、予測の内容に対するインセンティブがある。しかもその報酬は現金でなくともよい。仮想通貨やポイントやクーポンでもいい。

≪030≫  こうした新たな集合知が新たな市場を形成することは、今後はいろいろありうることだろうと思われる。既存の市場の予測に汲々とするのではなくて、自身で予測市場をつくりあげ、そこから新たな市場の可能性をひらいていこうという考え方なのだ。

≪027≫  アンケートや人気投票は参加者の「意見」を聞くのだが、予測市場はそうではなくて、「予測」を聞く。有名なケインズの美人投票論は、誰が美人かを投票するのではなく、誰が美人ベストテンに入るかの予測をする話を例にしながら市場議論をしたわけだが、あれに近いのだ。

≪029≫  つまりは予測市場は、情報の発見・集約・編集・評価を一連の手続きに入れているしくみなのである。はてなはその手続きをウェブネットワーク上の市場でおこるようにした。

≪028≫  もうひとつ、ちがいがある。アンケートでは回答して報酬がもらえるとしても、原則としてはどんなことを書いてもかまわない。報酬は回答したかどうかに対して支払われるだけで、内容とは関係がない。予測市場では予測の結果が報酬のパフォーマンスを決めるのだから、予測の内容に対するインセンティブがある。しかもその報酬は現金でなくともよい。仮想通貨やポイントやクーポンでもいい。

≪030≫  こうした新たな集合知が新たな市場を形成することは、今後はいろいろありうることだろうと思われる。既存の市場の予測に汲々とするのではなくて、自身で予測市場をつくりあげ、そこから新たな市場の可能性をひらいていこうという考え方なのだ。

≪031≫  トルストイの『アンナ・カレーニナ』(580夜)の冒頭は、「幸福な家庭はみんな似通っているが、不幸な家庭は不幸がさまざまなのである」から始まっている。

≪033≫  今日、「格差」や「勝ち組・負け組」が取り沙汰されている。山田昌宏の『希望格差社会』(筑摩書房)やリチャード・ウィルキンソンの『格差社会の衝撃』(書籍工房早山)という雄弁な本もある。しかし幸福組や勝ち組があるというのは、どこかの権威機関やマスコミが勝手な予測にもとづいて価値を振り分けたからできてしまったものであって、結局は幸福や勝ち組の条件を絞ったからにすぎない。エンゲル係数やGNPや自己資本率のように、つまりは国や格付け機関が決めた条件をそのまま喧伝して世間が認識してしまったからだった。だから「負け犬」も出る。

≪032≫  これを確率論的統計学に変えて「幸福」の定義をいいかえると、次の2条件のどちらかを満足させているという話になる。①たくさんの「幸福な家庭」の条件をできるだけ多く備えた家庭が「幸福な家庭」であって、その条件が少なければ「不幸な家庭」である。あるいは、②世の中の家庭にはいろいろあるが、「幸福な家庭」の条件を備えた家庭では、それ以外の条件を無視できる。さあ、こんな定義でいいものか。

≪034≫  それゆえこんなことだけを真に受けて、格差社会の対策として「再分配」や「生活保障」を考慮するだけでは、幸福や勝ち組の条件設定を同じままにして事態打開を考えているのだから、実は事態の本質は変わらないと言うべきなのである。

≪035≫  以上の話はちょっと見方を変えれば、リスクの正体とは何か、利得と損害とは何かということの根本を問う問題にもなっている。 一般的利得がどこかの社会では利得でなく、政府が決めた損害が損害と感じられない社会だって、実はありうるはずなのである。

≪036≫  2004年9月に浅間山が爆発したとき、降灰の被害をうけたキャベツが大量に出現したことがあった。多くの農家は失望し、メディアは大量の被害が出たと報じたが、高崎高島屋がそれを引き取って灰のついたキャベツを洗って売ったところ、あっというまに売り切れた。灰をかぶったキャベツは損害とはかぎらないわけである。リスクは認識次第、感覚次第なのである。

≪037≫  本書の著者はリアルオプションを専門にしている。聞きなれない用語かもしれないが、リアルオプションとは、財務理論のオプション評価モデルを実物資産や事業などに応用して、それらを金融オプションになぞらえてリスクとチャンスを分析・評価をする考え方をいう。だからどこかでリアルオプションを“売っている”といったものではない。

≪039≫  法律が保証していないリアルオプションもある。ある企業が技術力や販売力などで業界の他企業より優位に立っているときは、その企業はその将来的行使力においてリアルオプションを内在させているのだし、ある職人の技能が圧倒的な技能に達しているときは、そこには才能の可能性の高いリアルオプションが内在しているというふうに見る。

≪038≫  たとえば、土地の所有者は特段の事情がないかぎり、その土地に建物をいつ建てるかを自由に選べる。技術の特許権があればそれをいつ用いて製品にするかは自由に選べる。こうした財産権には、その権利を利用するタイミングに関する柔軟性が保持されている。この意思決定に関する柔軟性がリアルオプションなのである。

≪040≫  本書を読み、さらにレノ・トゥリジオリスの『リアルオプション』(エコノミスト社)や、マーサ・アムラム&ナリン・クラティラカの『リアル・オプション』(東洋経済新報社)、山口浩の『リアルオプションと企業経営』(エコノミスト社)などをさらりと読んで、ぼくがおもしろいと思ったのは、リアルオプションはオプション(金融オプション)をうまく「なぞらえている」ということにある。いわば「見立て」なのである。

≪041≫  「見立て」なのだが、その見立てのなかでリスクとチャンスに関する新たな視点をつくろうとしている。入れ込もうとしている。言ってみればリアルオプションの考え方は、企業や才能の価値をどこで見るかということを、従来の確率一辺倒の視点やベルトコンベアー的な視点や量的なマーケット対応性による視点からずらして、新たな視点を経済行為のなかに築こうとするものなのである。この「ずらしかた」は悪くない。

≪042≫  最近、キャリアパス議論やキャリアカウンセリングの理論モデルのなかで、「計画された偶発性」(planned happenstance)という新たな概念が浮上しつつある。これもどこかリアルオプションっぽい。 プランド・ハプンスタンスとはいかにも英語的で理屈っぽい言い方だが、わかりやすくいえば、自分のキャリアプランに偶発性を入れておくこと、柔軟性をもたせておくことをいう。

≪044≫  これらの例示でわかるように、リアルオプションを確保するには、ひとつには偶発性を充実させておくための「場」が必要で、もうひとつにはそのリアルオプションの持ち主や才能性をどこかで提示しておく必要がある。リアルオプション分析の方法を仕事に取り入れはじめた連中は、いまそちらに向かっているようなのだ。

≪043≫  本田宗一郎(271夜)ふうにいえば「果報は練って待て」ということ、1304夜ふうにいえば「やってくる偶然」と「迎えにいく偶然」によるセレンディビティを重視するということ、清水博(1060夜)ふうにいうなら「相互誘導合致」というものだ。これらのプロセスの柔軟性(計画された偶然性)にリアルオプションが潜在するというふうにもいえる。

≪045≫  これを知って、ぼくは半分は我が意を得て、半分は反省した。ちょっと手前味噌の話になるが、また校長としてのぼくの反省にもなるのだが、イシス編集学校の師範代や師範になることは、たいへんなリアルオプションを獲得することになるだろうと思う。その編集能力はかなり潜在能力が高く、かけがえがない。けれども編集学校ではそのリアルオプション性を掲示も提示もしてこなかった。 これはいささかもったいないことだった。今後は、このあたりをぼくのアイディアなどではもう遅いだろうから、誰かの力を得て発露できるように仕向けたい。

≪046≫  さて、本書には「なかなかのニューアイディアもある」。いずれもリスク論にもとづいているのだが、その議論をこえてもきっとおもしろいだろうから、いくつかをごく簡潔に紹介しておく。 たとえば入札制度。

≪047≫  日本の公共事業の入札では会計法に定められた一般競争入札と指名競争入札がある。ここにはしばしば談合がまじる。そこで、バリュー・エンジニアリング方式、設計施工一括方式、総合評価方式などの改革案が提案されているのだが、いっこうに改善されない。著者はその原因が、①発注者と企業の利害関係がゼロサムゲームになっている、②企業の技術力など価格以外の要素を入札プロセスに反映できていない、③企業の直面する真のコストの検証が難しい、の3点にあって、そのためお互いが情報を隠さざるをえなくなっていると見た。

≪048≫  入札側は上限がわからず、行政側は企業の真のコストがわからない。しかしここの視点を変えてリスクのとり方に変化を与え、発注者の行政側にはすべてがコストだが、企業側には利益も含まれているのだから、請負金額を企業が要する実費と企業が得る報酬に分けたらどうかというのだ。ちょっとおもしろい。詳しい方法は本書にあたられたい。

≪049≫  たとえば「政府の失敗」。 著者は「政府の失敗」を許してみたらどうかという提案をしている。政府は失敗を嫌う。メディアもそこを非難する。だから政府は失敗を認めようとせず、そのためかえって傷口を大きくする。

≪050≫  ここで重要なのは「方向転換」であるはずだ。それを促すために、失敗に関しての説明責任がはたされていたかどうかを評価して(そういう機関などを設けて)、次には新たな方針の提示に切り替えさせ、しばらくその実践を見ていくようにしてはどうか。そういう提案だ。なるほどと思えるふしがある。

≪051≫  たとえば税金の還付。 いま、日本中で問題になっているのは「税金がムダ使いされているのではないか」という議論だ。事業仕訳けなどもそのためにおこなわれた。しかし、実際に何に実行力があって何がムダかは、なかなかわからないし、だいたい事業仕訳だけしたところで国民一人ひとりとの関係がない。

≪052≫  そこで、税金がなんらかのしくみで戻ってくるようにしたらどうか。年末調整などにある「還付」の考え方だ。それには、税金の一部を「政府への投資」というふうにしてみる。

≪053≫  企業の株式に投資したばあいには、キャピタルゲインとともに配当がある。これに似たしくみで、たとえば、予算を予定より安くおさめたらその一部を還付するとか、インフラ投資が成功して予想以上の税収があったらその一部を還付するといったことをする。

≪054≫  これはいわば、国に投資してリターンを得るという発想だ。逆からいえば、国がプロジェクト・ファイナンスで資金を調達するという発想だ。これならばリスクを国も国民も共有するという考え方も生きてくる。

≪055≫  ちょっと出来すぎのアイデイアだし、投資できる国民とそうでない国民とに”格差”ができるというまたぞろの反論がすぐに出そうだが、ぼくはこういう発想によるリスク論的転換には、もっと多くの者がなじんだほうがいいと思うのである。

≪056≫  こんなふうに、本書にはいろいろのリスクにまつわるニューアイディアがそこかしこに“潜伏”していて、そこがおもしろかった。残念ながら表題が謳うような「リスクの正体」があきらかにされたわけではないけれど、まあ、それはいい。 要は、リスクも心意気なのだ。そこで最後にもうひとつ、著者の見解に賛成したい点を書き添えておく。それはいったい「責任」とは何なのかということだ。

≪057≫  現状のコンプライアンス(責任をとるための法令遵守)がこのまま定着していくとどうなるかというと、国も自治体も企業も学校も含め、日本はますますガタガタになるだろう。コンプライアンスをなんとかしたほうがいい。これはぼくの持論だ。

≪058≫  すでに郷原信郎の『法令遵守が日本を滅ぼす』(新潮新書)といった本も出回っているが、当事者や責任者を処罰してばかりで、何が対策なのかと思う。これではリスクをとろうとする勇気や冒険や地味な努力は、どんどん摩滅していくにちがいない。

≪059≫  本書の著者はそこまでは言っていないのだが、「責任」のとり方について共感できる提言をしていた。それは、責任というのは足して100パーセントになるものではないだろうという見方だ。本来の責任は足せば200パーセントにも300パーセントにもなるはずのものなのだ。

≪060≫  それを責任を全部で100パーセントちょっきしにして、それを誰がどう分担するかと責任分離を考えるから、事態はおかしくなっていく。たとえテレビカメラの前で頭を下げたとしても、これではいつまでたってもコンプライアンスが社内の新たな力を殺いでいく。このことが実感できれば、安易に責任の帰属者など限定できないはずなのだという、これはちょっと付け加えておきたかったことだった。

≪01≫ 

プログラミングとハッキング、信仰とテロ、
環境保全と割り箸批判、親愛とセクハラ、予報と誤報、
地震と設計、母乳とダイオキシン、喫煙と癌、
ネオフィリアとネオフォリア、基地と安全保障、
地球温暖化と排出権取引、関心と無知、
肥満と整形、白鳥保護と鳥インフルエンザ、
指導と叱咤と肩叩き、不倫とウソと隠しごと、
喋りすぎ、笑いすぎ、黙りすぎ、書きすぎ。

あれっ、これらのどちらがリスク、どちらが安全?

≪02≫  どうしたことか。今日の社会はいつのまにか「安全と安心を求めるリスク社会」になっている。えっ、安全や安心を求めてそれでどこが悪いのですかと訝る諸君もいるだろうけれど、それはそうとうにおめでたい。

≪03≫  いまや安全と安心は、古代ギリシアのアタラクシアでも、古代仏教のニルヴァーナでもなくて、身のまわりに及ぶかもしれないリスクと、めったに身のまわりには及ばないであろうリスクを、同時に除去することからしか得られなくなったのだ。困ったもんだ。

≪04≫  それというのも、フランク・ナイトが「計算できない不確実性」と「計算できるリスク」とを分けて以来(1337夜など参照)、その計算可能のリスクをなんとか数値におきかえて、地球温暖化から新型インフルエンザまで、病気保険から投資行為まで、リスクとおぼしいものならなんでも防ぐようになったからだった。はいはい、防げればおおいに結構、せめてリスクとリターンがうまく見合っているならまだしもね。けれども、それがなかなかそうはいかなくなっている。

≪05≫  そうこうしているうちに、計算できそうなリスクをことごとく数え上げたいという度しがたい趨勢が大きくなって、あげくは安全とリスクを奇妙にも裏腹のサンドイッチにして、安危(あんき)抱き合わせのキマイラ社会をつくりあげてしまった。そこには口さがない“たれこみ”も“チクリ”も含まれていた。赤福も吉兆もその歯牙にかけられた。あの雪印や不二家すら‥‥。

≪06≫  そもそもリスキーな行動や出来事は、それこそが稀少価値の創出だったのである。新たなリスクの認定は新たな冒険であり、それが新しい価値の創出だったのだ。 それが証拠に神話も昔話の大半が、大きなリスクを受け入れた者たちの物語になっている。ジョセフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』(704夜)の登場人物は、ことごとく”リスク”の英雄たちだった。

≪07≫  昔のことだけではない。新丹那トンネルも黒四ダムも、YS11の開発もコンビニエンスストアの日本導入も、つまりはNHK「プロジェクトX」の主人公たちの挑戦は、すべてリスクを取って価値の創出に賭けたという物語だったはずである。いま放映中のNHK「プロフェッショナル」の登場人物たちだって、リスクを価値にしなかった者なんて一人としているまい。

≪08≫  むろん日本ばかりではない。ジョージ・ソロス(1332夜)やスティーブ・ジョブスようなリスク・テイカーは世界中に、いっぱいいる。 ところがいまでは、リスクを避けつづけ、賞味期限を守りつづけなければ、安全はけっして保証されず、心穏やかな日々の安心もやってこないことになった。しかもその基準がどこにあるかは、なかなか見えがたい。

≪09≫  たとえばタミフルである。インフルエンザ特効薬として知られているが、数年前、アメリカの食品医薬局(FDA)が「日本ではタミフル使用を認可した2000年以降、12人の子供が死亡した」というあけすけな報告書を公表した。ただちに日本のマスメディアは「タミフルに危険な副作用」といった見出しをおどらせた。

≪011≫  続いて新型インフル上陸が報じられると、今度はマスク着用と手洗いと学校閉鎖がやたらに煽られ、マスクがゆきわたらないことがリスクになったのだ。そのうちこれら付和雷同はまたまた切り替えられて、ワクチン備蓄の準備問題の報道に移っていった。

≪010≫  けれども一方、新型インフルエンザの流行の兆しが報じられると、今度は「日本のタミフル備蓄は足りるのか」というふうに、備蓄を基準とする報道になった。わずか0.4パーセントの備蓄しかないという記事だ。

≪012≫  これではいったい、タミフルが足りないことが危険なのか、タミフルを使うことが危険なのか、ワクチンがリスク管理の王者になっているのか、「どうでもいいからマスクは買いなさい」ということなのか、まるでどっちつかず、さっぱりわからない。ことほどさように、リスクの認定も評価も一筋縄ではいかないものなのだ。

≪013≫  ひるがえっていえば、人間社会にとって「危険」(danger)とは何かということが、もっともっと存分に問われるべきだった。じっくり哲学され、科学されるべきだった。 そのうえで、そのうちの何をもってリスクと見るのかを問うべきだった。この順序こそが重要なのだが、これがぐちゃぐちゃなままなのだ。

≪014≫  だいたい危険といってもいろいろなのである。災害もあるし、事故もあるし、病気もある。円高もあれば、不渡り手形もある。自分では法令遵守をしていも、部下がミソをつければそれで責任が問われるということもある。これでは小沢一郎よろしく、上は何くわぬ顔をしつづけるしかなくなっていく。

≪015≫  わが子が川に落ちたり、麻薬に走ることもある。手塩にかけた娘が肉食系男子に娶られるのだって、男親にとってはけっこうリスキーなことなのである。いやいや、「愛は世界を救う」だなんて言っているけれど、人を恋することすらいまではきわめてリスキーだ。不倫、ストーカー、セクハラ、ハニートラップ、いつなんどき恋愛が犯罪にひっくりかえされるか、わかったものじゃない。

≪016≫  ヒトというもの、生涯においてどれだけの危険に出会うか数知れない。ましてどのような条件が整えば安全だ安心だと感じられるかといえば、そんな数値があるわけじゃない。すべてはことごとく相対的である。「予想どおりに不合理」(1343夜)なのだ。

≪017≫  それでもなんとか安全・安心の基準を決めたとしても、では、それにもとづいて危険がもたらすであろうリスクを次々に消していこうとすれば、それでいいのかというと、これまたそんなわけがない。

≪018≫  むしろ適度にリスクと仲良くしておくことも、「柔らかい闇」があることも重要で、ときにはリスキーな仕事こそ生きがいなのだ。ぼくなど、ほとんどこっちのほうだ。ぼくには何もおこらない退屈こそが危険なのである。けれども世の中、「さわらぬ神に、たたりなし」。法律が安全度の基準を提示して、あなたがそんなことをしたら当局も会社も責任がとれませんといって、コンプライアンスな規制をかけるばかりになっている。あんたらねえ、はっきりいって、それがお節介なんだ。

≪019≫  ともかくもぼくの知るかぎりでは、危険の正体など、まだ誰も思想していないというべきだ。そのためには“偶然や必然の哲学”を総ざらえしなくてはならないから、そういう思想的努力をするのがめんどうなのだ。みんな、シェリングや九鬼周造(689夜)や木田元(1335夜)のような思索をするのは、しんどいだけなのだ。

≪022≫  それでもなんとか危険を分類できたとしてみても、それなら、それらの危険の何をもってリスク(risk)とみなせるかという視点や視野が確立しているのかというと、これこそが一番わかりにくい。

≪023≫  そもそもリスクの語源はラテン語の“risicare”で、岩礁の間を航行するというような意味だった。それがスペイン艦隊が海洋を制圧するころには常套用語化されて、その覇権をイギリスが握る17世紀ころに英語のリスクになったといういきさつをもっている。

≪020≫  むろん当局は、そんなことを待っていてはリスク管理(リスク・マネジメント)はできないから、現状、さまざまな規定やガイドラインをつくってきた。みんなもその上にちょんちょん乗ることにした。たとえば危険の分類も、アメリカの保険業界に発したリスク学に倣って次のようにした。

≪021≫  インフラが切断されて多数の死傷者が出るような災害による危険をクライシス(crisis)、山火事のような偶発事故のことをペリル(peril)、軍事的脅威のようなものをスレット(threat)、事故をおこす要因に満ちた危険のことをハザード(hazard)などと分けたのである。これで何が分類できたというのだろう。これは現代国家が欲したリスク分類にすぎまい。これらがどんな風土のどんな民族のどんな生活にもあてはまるかといえば、そんなことがあるはずもない。砂漠の危険と森林の危険では同日に語れないことなんて、かなりある。

≪024≫  ということは、英語のリスクは最初から、コンメンダ(交易会社)やカンパニア(株式会社の起源)のメンバーたちが、船が遠洋貿易に出港するにあたって出資をするときの保険観念としてしだいに流布していった概念なのである。つまりは「元手を失いたくない」「なんとかお互い保証していこう」という保険用語なのである。

≪025≫  もちろん投資者にとっては失敗回避も保証も必要であるのは当然だ。とはいえ、そういうようなリスク概念を、そのまま生活の安全や安心のすみずみににまでこじ入れたままでいいのかといえば、これはやっぱりあやしかったのだ。

≪026≫  前置きが長くなってしまったが、誤解なきように言っておくと、本書が以上のような乱暴なセイゴオ流議論をしているわけではない。

≪027≫  著者は奈良の帝塚山大学の福祉学部教授から現在は同志社大の心理学部に移ったばかりのセンセーで、おそらくは心優しい社会心理学のセンセーだ。それは本書を読むと、すぐ伝わってくる。「あとがき」で奥さんや子供や飼い犬に感謝しているところや、帽子をかぶった柔和な顔写真を見ても、そのことは伝わってくる。中谷内一也は「なかやち・かずや」と読む。

≪028≫  すでにナカニシヤ出版から『環境リスク心理学』や『ゼロリスク評価の心理学』といった著書を出していて、きっと既存のリスク学のあらかたをマスターしたうえで、新たなリスク管理の問題にとりくんでいる人なのだ。ただし、わかりやすくは書いてあるけれど、その問題提起は決して安易なものにはなってはいない。

≪029≫  本書の大きな見通しは、このままのリスク管理社会がこのままの基準で続いていくなら、われわれの生きている価値の質はしだいに低下していくだけだろうというものだ。 著者は現状のリスクをめぐる取り決めや議論の仕方に限界があると感じてきた人なのである。

≪031≫  そこへもってきて、専門家たちがもっともらしい汚染の危険や服用の危険を訴える。それが拡声されてマスメディアで報道される。問題は、このサイエンス・リテラシーが高い専門家たちの見解がめったに合致しないということで、しかも専門家たちは自分は一貫した意見を言っているというふうに、数値や理屈で「合理の城」をつくっていく。

≪030≫  どうしてそう感じるかといえば、理由はいろいろある。たとえば、リスク管理についての人々の「合意の過信」(フォールス・コンセンサス)がありすぎる。母乳哺育とダイオキシン汚染の関連が取り沙汰されると、ほかのお母さんがたは誰もがこれを危険だと考えるだろうと、勝手に思ってしまう。一般に、世間はサイエンス・リテラシーがひどく低いものなのだ。

≪032≫  こうなると、誰(どの専門グループ)の専門意見にもとづいてリスクを判断していいかは、ほとんどわからなくなっていく。それがメディアを席巻するのだから、世間は右往左往なのである。

≪033≫  たとえば喫煙は肺ガンになるリスクがあるとされているけれど、このリスク評価は肺ガンがエンドポイントになったためで、そのため習慣的喫煙者のうちの何パーセントが肺ガンになったかというエンドポイントでの数値ばかりが発表される。ここには家族構成も職能も他の疾患率も加わらない。喫煙と肺ガンだけが結ばれるのだ。

≪034≫  これは何かに似ている。ラグビーが危険なスポーツで、したがって小中学生には向かないというような見方があるのは、骨折をエンドポイントとしたリスクがあるからだという話と似ている。骨折者の数を競技人口の中の割合から計算しているのだが、そこには、その当人がラグビーの練習や試合に出る前にどんな疲労状態にあったかとか、そもそもどういう体力や筋肉力のある者がラグビーを選んだかということは、考慮されてはいない。

≪035≫  著者はこうしたことをさまざまあげて、いまだリスク認知についてのモノサシが確立していないということを指摘した。そして、そのモノサシにはできれば、次のような目盛りが工夫されなければならないと暗示した。これって、どこか編集工学っぽい。

≪036≫

  ①そのリスクが発するメッセージは何か。
  ②情報源は何だったのか。
  ③リスクの証拠に何が上がっているのか。
  ④そのリスクと自分の関係は何か。
  ⑤リスク発生の頻度の基準はどこなのか。
  ⑥他のリスクと比較できるようになっているのか。
  ⑦何をするとリスクが減るのか。
  ⑧そのリスクを何とトレードオフしているのか。
  ⑨ほかに何を知りたいのか。
  ⑩どこへ行けば別の情報があるのか。

≪037≫  著者の提案にはいろいろ考えさせられるところが、いくつかある。たとえば、リスクを考えるには二分法(二値主義)にこだわらないということだ。黒か白か、危険か安全か、拒絶か容認か。これではリスクのいっさいから「ほど」(程度)というものがなくなっていく。

≪038≫  またたとえば、リスクを議論するばあいには、安全か危険かにやみくもに突き進むよりも、実は「信頼」とはどういうものかということを考えるべきではないかというのも、本書の提案のひとつになっている。そのための一案として、SVSモデル(主要価値類似性モデル)を紹介する。

≪039≫  経済学では有名な「レモン市場」という話がある。レモンというのは欠陥を隠した中古車のことで、一般の消費者にはその車にどんな欠陥があるのかはわからない。 そのためレモンであることを見越して、消費者は安い買い値しか申し出ない。売り手は優良な中古車を仕入れても結局買い叩かれるので、そういう優良車だけでは儲からないから、むしろレモンを売って利益を得ようとする。その結果、一般市場に出まわる中古車はレモンがふえ、買い手はさらに安い値でしか中古車を買わなくなっていく。かくて市場はレモンで溢れかえります。こういう話だ。

≪040≫  これは「情報の非対称性」がもたらす「逆選択」と名付けられている現象なのだが、この話の奥には、そもそも社会的信頼性はどのようなソーシャル・キャピタルになっていくのかという問題がひそんでいる。どうすれば、こんなふうにならないですむようになるのか。 いっとき大ニュースになった耐震強度偽装事件は、地震強度というリスク基準を偽って、人々のソーシャル・キャピタル(ソーシャル・コスト)についての信頼を狂わせた事件だとみなされた。そこで取り組まれたのは「監視と制裁の強化」であった。

≪041≫  ところが、この監視と制裁のためのコストは建築のコストそのものには反映していない。設計者や建設者が仕組む偽装を見張るために費やすコストなのである。だから、このことをいくら強化しても、本来のリスクたる「耐震の安全性」には貢献しない。ソーシャル・キャピタルの信頼は、これではまったく進捗していかない。 信憑性と本来の信頼性は“べつもの”なのだ。いくら信憑性を監視したところで、それによって社会的な信頼性は確保できないのである。

≪042≫  そこで著者が「信頼」をもうすこしはっきりさせるために参照してみるといいと勧めているのが、SVS(Salient Value Similarity)、すなわち、「主要問題についての価値をめぐる類似性に関する思想」から導かれた考え方だった。 主要価値といっているのは、ある問題、たとえば河川修造計画や耐震問題やBSE問題や母乳哺育問題ということについて、人々が抱く表象のことをいう。その問題はどのような結果が望ましく、そのためにどんな方法がとられるといいだろうということに関する表象だ。

≪043≫  このとき、自分と相手や世間のあいだに、あるいはユーザーとシステムのあいだに、その問題についての価値観の類似性があるかどうか。SVSモデルでは、自分(ユーザー)が相手(システム)と似たような価値観を共有しているように感じられると、その相手に対する信頼も共有されるというふうにみなす。 ぼくは、ハッとした。これって何かに似ている。そうだ、漱石の「可哀想だた、惚れたってことよ」なのである。いや、わかりやすくは“信頼の相似律”というものだ。なるほど、なるほど、信頼のコストは類似性の連鎖にどれだけコストを払うかということだったんですね。

著者が名うてのクォンツで、おおげさな邦訳タイトルになってもいるが、実は本書からは含蓄のあるリスク論が読める。

トレーダーや金融関係者はむろん、仕事にリスクを感じているビジネスマンも、運にも富にも見放されていると思っている一般読者も、
事業仕分けに賛否のある役人と政治家も、虚心坦懐、ぜひとも読むといい。

なかで一番の論点は、統計学(スタティクティクス)と国家(ステート)とが、まったく同じ起源をもっているということにある。

≪02≫  去年の11月に発売された本なので、ぼくも読んだばかりだ。タイトルがあけすけな邦題になったわりにはなかなか含蓄に富む金融リスク論になっていて、思いのほか楽しませてもらった。やっぱり果物は齧ってみないと味はわからず、買った本はソファで赤ペン片手にページを開いてみないとわからない。

≪03≫  日本語版に寄せた序文によると、著者が本書を書きおえたのは金融危機やリーマンショックの前のことだったようだけれど、著者自身もやや謙遜して書いているように、改めて加筆や訂正をするところなどなさそうな上々の出来ばえになっている。

≪04≫  著者のリカルド・レボネトはオックスフォード大学やインペリアル・カレッジ・ロンドンで数理ファイナンスの講義をしているものの、学者ではなくて、ロイヤルバンク・オブ・スコットランドの市場リスク部門のグローバルヘッドを務めている実務者である。リスク管理のプロ中のプロの「クォンツ」(1330夜参照)なのだ。

≪05≫  ところが実務者やクォンツなのにというと失礼なことになるが、一読、文章のセンスといい、構成力といい、例示や比喩や例題の編集力といい、たいそう柔軟で英明なので驚いた。 原題の“Plight of the Fortune Tellers”にして洒落ている。一語ずつがダブルミーニングになっている。洒落た話は好きだから、その話をしておきたい。

≪06≫  まずは“plight”という言葉だが、これはめでたい「婚約・誓約」であって、かつ同時に単数形では「窮地・苦境」の意味をもつ。正反両方の意味がある。ただし、これは英語を知っている者ならもともとニヤリとするダブルミーニングだから、それほどのお手柄ではない。

≪07≫  次に“fortune teller”といえば、ふつうは「占い師」のことを言う。フォーチュン・テラーはハリー・ポッターなどにはしょっちゅう出てくる。しかしこの言葉は、イングランドやスコットランドでは銀行窓口の「金銭出納係」という意味をもってきた。おまけに“teller”はむろん「語り部」のことだから、著者が“fortune teller”を多重な意味で名のっているともいえる。本書の内容が現状の金融リスク論批判になっていて、著者が名うてのクォンツであるだけに、この言葉をタイトルに入れたというセンスはかなりおもしろい。

≪08≫  が、仕掛けにはもっと奥がある。“fortune”の意味がラテン語世界や中世ヨーロッパでは、「運」であってまた「富」なのだ。だからその仕掛も効いている。ルネサンスの版画や絵画にはしょっちゅう[fortune]というアレゴリーが出てくるのだが、キリスト教社会での「フォーチュン」は意味深長なのだ。 だいたいラテン・ヨーロッパ社会や一神教的キリスト教社会では、古来このかた「運」も「富」も一筋縄ではいかない。

≪09≫  古代ローマでは富の神はマモンと言った。これがマネーの語源になるのだけれど、もともとは古代ローマの貨幣鋳造所に女神ユーノーがいたことに由来する。

≪011≫  もっとおもしろいことがある。モネータが女神ユーノーの異名になったのは、この女神の名において、土地・商品・労働奉仕に対して公認された重さと純度の貨幣(コイン)を払う誓約が、公衆の承認を前にしておこなわれていたからでもあった。

≪010≫  この女神ユーノーは異名をモネータとも言って、そのモネータがやがてマネーになった。ところがモネータはそもそもが古代ギリシアの女神ムネモシュネのローマ読みなのである。ムネモシュネというのは「精神の集中」や「記憶の作用」を司る神のことだから、ヨーロッパ古典社会では、マネーというのは「何かの行為を意図的に集約していく」ということだったのである。たんに集約するのではなく、それを「奥から引き出すために集約」する。

≪012≫  こうしてモネータがマモンとなり、マモンがマネーになっていったのだ。すでに碩学ロバート・グレイヴス(608夜)が示唆していたことである。レボネト、ひょっとしてグレイヴスの愛読者だったのではないかと、ぼくは邪推したくなったほどだった。

≪013≫  まあこういうぐあいに、本書はタイトルだけでも、このところ世界的窮状に立たされている金融業界の富と運とをめぐる語り部としての立ち位置を、もののみごとに二重多重にシンボライズしていたということがわかる。

≪015≫  もっとも文才だけでは、昨今最もきわどい分野となった金融論やリスク論の議論が書けるはずはない。金融市場の実務に携わっているのでは、思いきったことなど書けないということもある。それよりなにより、金融工学の鬼才たちは、サブプライム・ローンの基礎をつくり、そこに手を出し、そして失敗してしまったのだ。いかに名だたるクォンツとはいえ、この、世界中に知られてしまった「マモンの魔術の失敗」を説明して、なおかつそこを切り抜けるというのはあまり気がすすまないだろう。

≪014≫  といって、“Plight of the Fortune Tellers”をどういう邦題にするかというと、たしかに難しい。『運と富の苦境』とか『リスクの神々の失敗』とか‥‥。ぼくも急にはうまい案は思いつかないが、とはいえ『なぜ金融リスク管理はうまくいかないのか』ではあまりにあからさますぎて、レボネトの才能が可哀想だった。

≪016≫  それでもレボネトはそこのところをエレガントにやってみせた。ご承知のことだろうけれど、ぼくはこのように、事態の危険の渦中から新しいロジックをもって脱出してくる御仁には、めっぽう弱い。前々夜に田渕直也をとりあげたのもそのせいだ。

≪017≫  で、本書の中身の話だが、この本の基本の基本にあるレボネトの考え方は、「統計学」(statistics)と国家(state)とは同じ語源であるということにある。その二つがともに「リスク管理」を本業にしているということ、このことにある。 統計学(スタティスティクス)と国家(ステート)は似ている。これは絶対に見逃してはいけない重大な相似律だ。

≪019≫  イアン・ハッキングの『偶然を飼いならす』(1334夜)で、ナポレオン執政府がつくりあげた官僚はそもそもが“統計官僚”とでもいうべきもので、ネーション・ステート(国民国家)としての近代国家の官僚制はすべからく統計的官僚制度だったということをあきらかにしておいたように、統計学と近代国家はそのスタートにおいて両輪の車だったのである。

≪018≫  そもそも“statistics”では、数字をあれこれ寄せ集めてデータ表をつくり、そこからその時点ごとの情報を読みとって予測に渡すということをするのだし、“state”では、そういう数字にあらわされる限定的な意味を規則(法)と組織(国家システム)と運営(行政・自治)にする。そこにはむろん違いもあるが、かなり酷似するものがある。

≪020≫  すでにゲーテ(970夜)は『イタリア紀行』に、こう書いていた。「ドイツ人は統計学という名の一種の政治的調査に熱心なことがわかった。ドイツでは、統計という言葉は国の政治力を強めるための調査、すなわち国情に関する質問を意味する」と。 ゲーテもさすがだった。国家と統計をつなげただけでなく、統計学の本質が「質問」だということを見抜いている。

≪021≫  統計学の“statistics”と国家の“state”の二つには、ともに生じている仕事があった。それが「リスク管理」というものである。 あらためていうまでもなく、リスク管理とは、不確実性のもとでの意思決定を最も効果的におこなうことをいう。そして、この意思決定が金融におよんだばあい、そこにベイズ統計学や主観的確率論を下敷きに、効用理論やプロスペクト理論を操って、まことしやかな「AのQ」セットをつくってみせるのが、金融的リスク管理というものだ。 ちなみに、ここで「質問」というのは、Qを立ててAを呼ぶことをいう。その「QからAへ」を、あえてひっくりかえして「AのQ」という短絡的な“しくみ”にリセットしたのが、統計論であり、確率論なのである。ついでに言っておくと、ここを「AからQへ」にしてセットをつくらず、むしろ情報の流れを動的なままにしようとしているのが編集工学だ。

≪022≫  今日の金融理論では、「期待されるリターンとリスク間のトレードオフ」がファイナンス理論の基礎になっている。これを計算するには、ある事象が観察された頻度データから、同じ事象が将来に発生する確率を導く。これがリスク計算の主な仕事になるのだが、このとき多くの金融機関やトレーダーは「確率を推定してから行動を決定する」というふうになる。これは確率評価から意思決定に進むという頻度主義である(1340夜参照)。

≪023≫  しかしレボネトは、ここを逆転して見ることを提案する。「確率を推定してから行動を決定する」のではなくて、「行動を観察してから確率を決定する」というふうに目を逆転させた。 なるほど、なるほど、これはいい。これなら損失分布を確率的にあらわすときに、めったにおこりそうもない事象はほとんど推定できないということがわかってこよう。

≪024≫  ジョージ・ソロス(1332夜)でも『確率論的思考』(1340夜)でも述べておいたけれど、富を求める者には必ずバイアス(認知バイアスや可用性バイアス)がかかる。運を求める者にも認知バイアスがかかる。 なぜなら、そこには「選択」と「決定」とが伴い、そのための「評価」がかかわるからだ。

≪026≫  つまりは、リスク管理の意思決定プロセスには、こうした外からの介在介入がひっきりなしにおこっているわけで、そうなると、確率誤差を訂正するよりもリスク管理のプロセスそのものが、多様なバイアスの進行にまみれているということになる。

≪028≫  これは資産評価さえヒューリスティックではないということなのだ。なるほど、なるほど。きっと、そうだろう。 ヒューリスティックス(heuristics)とは、問題解決や意思決定のときにロジカルなアルゴリズムを使わずに、経験的に有効と思われる“近道”で問題の行き先に達することをいうのだが、これについてはあらためて別の千夜千冊で論じたい。

≪025≫  企業家と投資家は、しばしば資産評価を一番気にすることになるのだが、それが実は“確率評価”であることを忘れがちになる。物価から株価にいたるまで、評価はつねに相対的確率のなかにあるはずなのに、それを忘れがちになる。しかも“確率評価”となると、かなりの専門知識が必要になる。そのため、銀行や金融機関や専門トレーダーたちの評価数字や高くつくアドバイスを介在させることになるし、格付機関のランキングも気にせざるをえない。

≪027≫  本来なら、このようなバイアスを修正するしくみを金融リスク管理のシステムがもつ必要があった。けれどもレボネトはそこを告白しているのだが、今日の計量的リスク管理システムには、この修正はほとんどとりこまれていないままになっている。そのため多くのファイナンス行動において、「選択」と「決定」におけるアセット・プライシングがうまく機能せず、まちがった判断も含まれる。その判断がまたフィードバックされて、金融システムの総体に看過できない誤差を与える。

≪029≫  ざっとこんなふうに、本書はセンスよく金融の魔術の限界を描いてみせている。ぼくはけっこう堪能した。 とくにクォンツが「確率」の正確な意味を理解していなかったという自省的指摘には、深く納得することができた。詳しいことを知りたければ、ぜひとも本書を1ページから順に紐解くことをお奨めする。

≪030≫  だから、これで本書の案内をすましておいてもいいのだが、それではあまりに素っ気ないだろうから、ちょっとした付け足しを書いておく。この手の分野によほど暗い諸君には、けっこうおもしろいかもしれないけれど、いまでは大方が見当のつく話であろう。 数年前、こんなふうなことがおこったのである。

≪031≫  昨今の金融の仕事は、借り手と貸し手の中間で資金を効果的に動かすことだけではなくなっている。とくに金融工学をつかった仕事は、マネーだけではなくリスクを分割し、それを再パッケージ化して、経済活動にかかわるさまざまなプレイヤーに分散させることにある。

≪033≫  ここから先、当然なことに友人夫婦はローンの金利と元本の一部を毎月返していくことになるのだが、かれらがかかわっているのはここまでで、友人夫婦のモーゲージ(返済についての権利)は、たちまち大手の連邦住宅金融機関(いわゆる政府系機関)に買い取られた。この政府系機関は多くの住民が住宅を入手しやすくするために設立されたものである。

≪032≫  たとえばぼくの友人のアメリカ人は、ロングアイランドに小さな一軒家を買うことにした。そのため地方銀行で初めて住宅ローンを組んだ。

≪034≫  友人夫婦のモーゲージは政府系機関に入ると、次には同じような何千ものモーゲージと一緒にプールされ、それがある程度のかたまりになると、一つの分散された債権資産というものに変貌していった。

≪035≫  しばらくしてこの手の債権資産がたまってくると、政府系機関は少額ずつの規格化された新しい証券をつくり、銀行や投資家や投資信託に販売するようになった。

≪037≫  これですでに、この住宅モーゲージに始まった資金の動きはそうとうに大きなものになっていた。それ自体で個別のマーケットができるほどなのだ。金融機関の商売もこれでホクホクだ。

≪039≫  それどころか、この手数料が入る可能性も取引金融商品になり、その取引をもつ投資銀行やヘッジファンドをめぐって、またまたマネーが膨らんでいった。おまけに、このような金融派生商品(デリバティブ)は、国内にとどまらなかったのである。何万人もの民間住宅ローンの借り手によって裏書きされた同じ証券は、世界中の関心の的になった。中国人民銀行が購入することもあった。

≪036≫  このとき、この証券を売りやすく、また買いやすくするために、さまざまな金融工学的テクニックが動き出した。小口に分割されたり、いろいろなタイプの投資家の選好に合うようなものも工夫された。

≪038≫  なぜなら、モーゲージの金利支払いが指定日におこなわれたかどうかをチェックするとか、モーゲージを早めに返した記録をとっておくとか、そこにはささやかな手数料も発生するのだが、その手数のために元のモーゲージの総額のわずかな割合が支払われたとしても、そのマネーの流れが膨大になっていくにつれ、この仕事に携わった金融業者はたちまち大きな資金プールにありつけたからだ。

≪040≫  というふうに、友人夫婦がローン返済をするかどうかというちっぽけなリスクは、そこが金融市場のグローバル性というものなのだが、知らないあいだに莫大な金融市場の取引商品として、海外にまで及んでしまったのだ。

≪041≫  話をここでおえるなら、まだ金融マネー資本主義は“健全”だ。ところがこのあたりから、問題がだんだんあやしくなってくる。 たとえば中国人民銀行は、対米貿易黒字から発生した資金を投資するために、友人夫妻のモーゲージが入っている何らかの証券を大量に購入するかもしれない。しかしながらそういうことをしたとたん、それが証券の価格を上昇させることもおこりうる。

≪042≫  かくてこの瞬間から、中国という「国家」(state)がこのグローバル金融市場の統計(statistics)に関与したことになり、それをとりまく事情はたんなる住宅ローンの返済ではなくなってしまうのである。

≪043≫  モーゲージだけがそうなっていくのではない。同様の幾重にも入りくんだ金融商品が、保険商品、代償企業の資金調達、クレジットカード、投資信託などというかっこうで一斉に試される。これらはその出発点の動機も規模もしくみも少しずつ異なっているのではあるが、誰もがリスクを防御したいと思い、誰もがリスクの集中と分散のメンバーになっていたということについては、すべからくマネー金融工学のゲームプレイヤーであったという共通性に巻きこまれざるをえない。

≪044≫  こうして金融市場は、友人夫婦の「家をもちたい」というささやかな希望とはまったくべつの化け物となっていったのである。 ここには、どんな“実体”もない。リスクが集められ、再構成され、ひたすら金融市場で交換されるテクニックが駆使され、そのかわり市場にとっての最も重要な「流動性」が保証されていたというだけなのだ。

≪045≫  けれども、いったんこの信頼すべき流動性の流れのどこかに異常事態がおこれば、ここからは世界の実体経済こそがその事態の波をかぶることになる。リスクは巨大な経済変動となって返ってくる。金融リスク管理のミスとは、こういう恐ろしいゲームになっていくものなのだ。 かくしてサブプライム・ローンは、周知の通りのとんでもない焦土と化したのである。

≪01≫  政府や自治体が「外出を控え、ソーシャルディスタンスを保って、自宅で自粛をする」ように、毎日、呼びかけている。みんな、がまんをしているようだ。自宅や自室が狭い者には辛いことだろう。そこで、一言、申し上げておく。 自粛は自縮ではない。それぞれが粛然としなければならない。たんに粛然とするのではない。「粛」は聿(いつ)と規(き)に従って、しかるべき文様や画文を描くことをいう。文様や画文とはヴィジョンのことだ。それを自発させるのが自粛だ。問題はその「粛」による文様や画文をどういうものにするかである。グロバールスンダードな画文であるはずがない。わかりやすければいいというものでもない。

≪02≫  粛然は多様を生むべきだ。できればコンティンジェントな別様の多様性を企むべきだ。 自粛要請後も、ぼくはいつもの仕事場に通っている。散らばった書斎の混沌の中で、以前にましてひたむきになることに集中している。とても愉快な気分で「知の三密」をふやしている。有事の中で、あえて最も過激な平時を愉しんでいるのだ。

≪03≫  COVID19による緊急事態態勢が解除されると、ニューノーマルがやってくるという。ほんとにそうなるのだろうか。どうも、そのようには思えないので、一言、申し上げておく。 ニューノーマルは新生活秩序や新日常のことではない。リーマンショックのあとの狼狽から転がり出た政策提案にすぎない。中国では「新常態」というが、それでもない。ましてテレワークやリモートワークをすることではないし、オフィスやレストランで互いに離れて坐ることでもなく、そういうオフィス環境の変更や店舗リニューアルをすることでもない。

≪04≫  全国的な自粛の勧告によって、突如として「偽装した平時」が広まって、津々浦々が開店休業状態になった。そのためリーマンショックを超える損失と不況になったというが、これは損失や不況なのではない。安全を重視して(これは当然だ)、不活性を強要したから、こうなった。 政府や自治体は経済の回復を急ぎたいだろうけれど、資金をばらまいても、おそらくキリがない。既存のパラメーターで復興対策に向かうことには限界がある。企業は事業形態の見直しを計りたいだろうが、一次産業やサービス産業はそうはいかない。貧困層は、もっとそうはいかない。

≪05≫  おそらく、ニューノーマルは出現しないだろう。だいたい、そのための政治哲学も社会哲学もない。みんな、「フツー」に戻りたいだけなのだ。知識人もアーティストも「フツー」に慣れすぎた。アレクサンダー・マックィーンのような例は、めったに見当らない。 こういうときは、あえて根源的なことをいうのなら、いつもの(フツーの)リスクヘッジをするのではなく、もともと生命系がもっている「ノーマルとアブノーマルの混在の持続」にもとづくことが、レギュラリティ(通常性)とアノマリー(異質性)を混交することが、おそらくは本来のニューノーマルなのである。

≪06≫  この本は25年前の本である。インターネットが普及する前の1995年の刊行だ。windows95が出たばかりで、まだ9・11(2001)もSARS(2003)もリーマンショック(2007)も、おこっていない。 けれども本書は、それらを見越していたかのような内容になっている。レーガノミクスと金融工学の台頭とグローバルスタンダードの蔓延が進むなか、先行きはロクなものにならないとみなし、経済社会に求められているのは複雑系の中の「免疫ネットワーク」になるだろうというのが、この本の主張になっていた。 そこで一言、申し上げておくが、言うまでもないだろうけれど、新刊書やベストセラーが新しいとはかぎらない。むしろ21世紀の今日の指針には、20年前や30年前の本の中にキラリとするものがあるので、注意深くなったほうがいい。

≪07≫  思い出してもらえばいい。1985年から1995年までのあいだに、バブルと湾岸戦争(第一次文明戦争)を挟んで、世界は「過剰」と「過失」に鈍感になり、社会的生態系をひどく読みまちがえるようになった(マフディ・エルマンジェラ『第一次文明戦争』720夜)。日本では92年に「電波少年」が始まり、94年に松本サリン事件がおこって「ジュリアナ東京」が閉店し、95年1月に阪神大震災がおきて、3月に地下鉄サリン事件がおこっていた。98年からは橋本内閣から小渕内閣に移行した。 バブルが崩壊して「失われた10年」に低迷していた時期である。だからこそ、こういう迷妄の時期に思索を広げた本にはあらためて注意深くなったほうがいい。

≪08≫  当時、この本はあまり話題にならなかったかもしれないが、ここに来て、やっと読める時期がきたのかもしないと思う。コロナ・パンデミックに喘ぐ2020年の日本社会で慌ただしく「自粛」や「ニューノーマル」が提案されているいまこそ、本来の「ニューノーマルとは何か」という問いにぴったりの提案をしていたことがわかるだろう。

≪09≫  著者はいっとき親しくしていた西山賢一さんだ。ぼくの一つ歳上で、そのころは清水博さんと会うとたいてい一緒になって、雑談をたのしんだ。 西山さんは京大や九大や東大で理論生物学や理論化学を修めたのち、帝京大学や埼玉大学をへて経済情報学や文化生態学の開拓に向かった研究者である。「理科を文化にもちこむ試み」の先頭にいた。

≪010≫  多くの著書があるが、いずれもすこぶる啓蒙的で、ユニークな提案に充ちていた。『文化生態学入門』(批評社)、『企業の適応戦略』(中公新書)、『複雑系としての経済』(NHKブックス)、『左右学への招待』(風濤社)、『方法としての生命体科学』(批評社)などなどだ。ただし視点や視野が多層をまたがり、領域が多岐にわたるので、その主張や提案がいささか散漫になったきらいがあった。複雑系の理論は難解なところが多いので、これを啓蒙しようとしてついついわかりやすくしようとしすぎたのであろう。

≪011≫  しかし、いまならピンとくる読者が多いだろうし、きっとギョッともするだろう。 そこで千夜千冊としては、自粛を超え、ニューノーマルに自在になるためにも、急いで要約編集しておくことにした。西山さんの本は思いきったコンデンスをしたほうが伝わってくるものが浮かび上がってくるだろうから、要約しつつも、適宜、ぼくなりの補充もしておいた。

≪012≫  西山さんは文化生態学の目で経済社会がどういうものであるべきかということを考えてきた。その目で見ると、経済はマクロな地球の要請とミクロな生活身体の要請の両方で成り立っていることがわかる。いわゆるマクロ経済とミクロ経済で成り立っているのではない。

≪013≫  マクロな経済は資源と環境の中に埋め込まれている。その起源は、地球が太陽からの秩序の高い光を受けとり、宇宙空間に秩序の低い熱を放出して、エネルギーを循環させていることにもとづいている。プリゴジンはこのしくみを「散逸構造」と名付けた(プリゴジン『確実性の終焉』909夜)。エントロピーをうまく捨てているのだ。

≪014≫  このしくみを採り入れて、光合成に始まる代謝系をつくりだしたのが地球生命である。このときRNAウイルスが先行してDNAの自己複製が始まり、ミトコンドリアが細胞膜の中にとりこまれた。そういう一連の出来事を、シュレーディンガー(1043夜)は「生命は負のエントロピーを食べている」と言った。バートランド・ラッセルは「そうしなければ、秩序が失われる」と言った。

≪015≫  われわれはこのような地球生命系の中でずっと暮らしている。何百回もの環境の変動があり、何十回ものパンデミックがあった。それなのに、そこから金融や情報機器やGDPだけでつくるグローバル・ネットワークができたからといって、そこに依拠して現在や未来の政策や事業計画を律しようとしても、うまくはいかない。一見うまくいったように見えたとしても、そんなものはグローバルではないし、本来のネットワークでもない。

≪016≫  生命系のネットワークがもつ秩序の生成過程は、もっと複雑で、もっとノンリニアで、臨界的なのだ。 複雑系から見た地球生命の秩序には4つの種類がある。ウォルフラムやラングトンやカウフマン(1076夜)はそれを計算によって見通した。第一にはいずれ均一になる秩序がある。第二には周期的になる。第3にはカオスが形成される。そして第4に複雑になる。 生命と進化の秩序は第三のカオスの淵に誕生して、その後に第二世界の境界に浮かび上がってきた(ニック・レーン『生命の跳躍』1499夜、田中博『生命と複雑系』1617夜)。

≪017≫  地球のマクロ経済は植物と動物とバクテリアとウイルスで循環する。産業社会に喩えていえば、植物は生産を、動物は消費を、バクテリアは分解を、ウイルスは情報を担当する。これらはすべて地球経済の基本資源であるが、いずれも再生可能資源になっている。 

≪018≫ これに対して産業社会がつくりだしたプラスチックなどは、循環資源にも再生資源にもならない。どうしてもプラスチックを流通させたいのなら、バクテリアが分解できるプラスチックをつくればいいのである。

≪019≫  一方のミクロでは、身体の活動性にもとづいた生活そのものが経済になっている。こちらでは生体としての代謝が重要になっていて、そのための食品と排泄と休息にもとづくサイクルが守られる。それには疾患の平癒が獲得されなければならず、そのための施設や技術が供給されていなければならない。こういうことは物価や消費者係数などにはあらわれない。 けれども食べて、出して、調子が悪ければ病院に行くというだけが、生活なのではなかった。個人の日々には代謝とともに、学習やコミュニケーションが求められる。子育てや老人介護もある。社会や組織はそういうことを見守るためにあり、仕事と収入を保証する。

≪020≫  趣味や遊びも無視できない。ロジェ・カイヨワは「遊びは非対称を望む」とみなし(カイヨワ『斜線』899夜)、ピエール・ブルデューは「ハビトゥスは私たちの身体の内部に組みこまれた社会なのである」と言った(ブルデュー『資本主義のハビトゥス』1115夜)。 もしもニューノーマルを拡大したいというなら、これらすべてを引き受けなければならない。またぞろ「失われた10年」を持ち出して申し訳ないが、1990年に大学入試センター試験などを決行したのが、ニューノーマルの基幹を脆弱にしてしまったのだ。

≪021≫  しかし、そんなことを政府や自治体や企業や学校が十全に支えるのはムリがある。それに、どんな活動にも必ず失敗がおこるし、疲労や損傷もおこる。そこを予算配分や金融の下支えだけに頼っていれば、連鎖不況や経済恐慌を免れえないだろう。一方また、植物と動物とバクテリアとウイルスの関係や無頓着なままのニューノーマルの掛け声だけでは、社会と個人は何度でも感染症のパンデミックに襲われる。

≪022≫  経済社会が大企業の収益力を軸にして営まれるのは、かなり危険なのである。大企業の収益力によって合算された国のトータルなGDPやGNPやGNIが高いかどうか、世界ランクの何位であるかなどということは、競争社会の掛け声には有効だが、なんら経済社会の充実を語っていない。

≪023≫  それよりも農業や林業や中小企業が適切に活性していること、教育や医療が潤沢に機能しているかどうかということ、職能や文化がおもしろく享受できているかどうかといったことのほうが、GDPやGNPやGNIが上がることよりずっと大事だし、望ましい。けれども、これらの活性度はそういう大きな数字にはあらわれない。

≪024≫  なぜ、こういうことが見えにくくなったのかといえば、われわれはいつのまにか決定論的で線形的な思考と結果に慣らされてしまい、全体や大枠の確率を多数決や評判で獲得するほうに加担するようになってしまったからだ。

≪025≫  われわれを生んだ地球生命系は、その進化のすべてのプロセスにおいて、また多様に仕上がった植物・動物・バクテリア・ウイルスのしくみにおいて、ほとんど非決定論で、非線形的(ノンリニア)なプロセスをもってできあがってきた(蔵本由紀『非線形科学』1225夜)。ときにホロニックでさえあった(清水博『生命を捉えなおす』1060夜)。 それゆえ、多くの少数生物や中間生物が地球のそこかしこで共生できるようになった。隙間が重要なのである。

≪026≫  その長い歴史の中で動いていた複雑生命系のエンジンは、四則演算や適者生存で成り立ってはいない。むしろ遺伝子の複製ミスや「ゆらぎ」の発生や状態の「相転移」をいかして進むということを含んでいた。不安定や不確実は除去されるのではなく、つまりリスクは除去されるのではなく、その不確定な状況から次の生育や成長の芽を選んだのである。 これを生物物理学では「自己組織化する」とも言ってきた(エリッヒ・ヤンツ『自己組織化する宇宙』1731夜、スチュアート・カウフマン『自己組織化と真価の論理』1076夜)。

≪027≫  自己組織化のしくみが複雑系をつくったのである。複雑系は「複雑に込み入っている」(complicated)いるのではない。もともと「複雑さ」(complex)をもつシステム複合力やシステム重複力によって形成されてきたのだ(ジョン・キャスティ『複雑性とパラドックス』1066夜)。西山さんはそういう複雑系を新たな社会モデルとしなければならないと見た。とくに免疫ネットワークがもっているしくみに注目した。

≪028≫  生命系と社会システムをくらべると、似ていないところはいくらでもあるが、似ているところもある。システムの複雑さを維持するネットワーク機能から見ると、わかりやすくいえば、①物流と廃棄のネットワーク、②情報伝達ネットワーク、③防御ネットワーク、という3つが生命系と社会系に共通する。

≪029≫  ①物流と廃棄のネットワークは、物質とエネルギーを体の中のしかるべきところに運ぶ。生体では主として血管系がこの作業にあたっている。資材と栄養を運び、ゴミや老廃物を排出する。社会では鉄道・クルマ・航空機・船舶から黒ネコヤマトにいたるさまざまな輸送システムがこれを担う。

≪030≫  ②情報伝達ネットワークは、生体では神経系と内分泌系が分担して、電気的な信号(刺激)と化学的な信号(ホルモン)を活用してホメオスタシス(恒常性)を維持する。生体情報は物質とエネルギーの循環システムに乗らないと動かないが、①のネットワークを動かすよりずっと少量の物質とエネルギーですむ。社会での情報伝達は人と機械と電子回路による通信ネットワークによってまかなわれる。

≪031≫  3つ目の③防御ネットワークは生体を侵入者から守るためのもので、ここに免疫系が活躍する。 防衛を担当するのはマクロファージとリンパ球で、マクロファージは侵入者を殺し、リンパ球のB細胞は侵入者を抗原とみなして、その抗原に対応する抗体を用意する。これが防御体制の準備にあたる。リンパ球にはT細胞もあって、そのうちのキラーT細胞がマクロファージが叩けなかった感染細胞を死滅させ、ヘルパーT細胞が免疫システムの全体を指揮する。

≪032≫  このしくみは軍事システムに似ているが、軍事とまったく異なるのは、免疫システムがあくまで専守防衛のためだけにあるといことだ。まるで墨子(ぼくし)の行動思想のようなのだ。しかも「非自己」としての侵入者を認知することによって、自身の内なる「自己」を強化しているところが際立った特徴になる(多田富雄『免疫の意味論』986夜)。 このことはいくら強調してもいいだろう。非自己なき自己はなく、外敵なき防御の強化もなく、有事なき平時などなかったのである。

≪033≫  生体の防御システムは白血球のネットワークが受けもっている。われわれの体には血球1000個に1個の割合で白血球が活動している。

≪034≫  白血球は好塩基球、好酸球、好中球、リンパ球、単球などのチームを編成していて、それぞれが分担して外敵に応じる。好塩基球は体が異物と接したことに応じてヒスタミンを放出して炎症による警鐘を鳴らし、好酸球はさまざまなアレルギーに対応する。 しかし、どんな侵入者がきてもずらりと対応者が用意できるというわけにはいかない。それでは生体コストがかかりすぎる。そこで外敵(細菌・ウイルスなどの病原体)を認識して、その抗原に応じて抗体をつくるという効率的な防御システムができあがった。これか免疫ネットワークだ。

≪035≫  赤血球や白血球をつくっているのは骨髄である。骨髄には、1個の細胞でありながらいくつもの機能をもつ多能性幹細胞があって、この幹細胞が分化すると骨髄性幹細胞とリンパ性幹細胞ができる。骨髄性幹細胞は赤血球や白血球や単球をつくり、単球からマクロファージができる。

≪036≫  マクロファージは「大食細胞」の異名をとるように、体内に入ってきた細菌やウイルスなどの病原体を真っ先に退治する先兵隊の役割をもつ。われわれがインフルエンザなどで発熱するのもマクロファージがウイルスを認識してインターロイキン1という内的発熱物質を放出するからだ。COVID19が流行しはじめたころ、37度5分の熱が4日続いたら感染していると思って保健所や病院で検査してくださいというアナウンスが広まったけれど、あれはマクロファージが闘っているごく初期の状況信号のことだった。

≪037≫  リンパ性幹細胞からはB細胞とT細胞が分化する。T細胞は心臓のやや上にある胸腺をインキュベーターにして成熟し、キラーT細胞とヘルパーT細胞になる。 キラーT細胞はマクロファージがとりこぼした外敵によって感染してしまった細胞を、バーフォリンという破壊的なタンパク質を発射して殺す。ヘルパーT細胞はこうした戦況を刻々判断して、インターロイキン2という特別なタンパク質を放ってキラー細胞を増殖させる。

≪038≫  これらの動きはことごとく情報管理されている。サイトカイン(生理活性タンパク質)という情報分子によって、免疫細胞どうしの非自己情報と自己情報に関する情報連絡網をつなげ、体内に抗原抗体反応を進行させるのである。

≪039≫  西山さんは本書の後半で、こうした免疫ネットワークのはたらきがすこぶるコンカレント・エンジニアリングになっていることに注目し、その特徴を5つにわたって解説する。ここは読みどころだった。

≪040≫  第1に、免疫系のプレイヤーはみごとなほどの共同作業をしている。社会組織に譬えていえばB細胞がラインを担い、T細胞がスタッフの役割をする。マクロファージは情報を集めて抗原に目印をつけ、T細胞のチームに情報提示する。

≪041≫  第2に、免疫系は情報のトレーサビリティをもって情報管理している。MHC抗原をマーカーにして照合ミスがおこらないようにしているのである。輸血には血液型の適合が大事になるが、われわれには血液型だけでなく主要組織適合抗原というものがいろいろ潜在している。これが糖タンパク質でできている「MHC抗原」で(主要組織適合性複合体=Major Histocompatibility Complex)、ヒトのばあいはHLA抗原(ヒト白血球抗原)という。臓器移植などのばあいはこのMHCあるいはHLAの「型」が合わなければ手術ができない。

≪042≫  実はわれわれの細胞はすべてこのMHC抗原というマーカーをもっている。これが生物的な「自己」の正体である。自己マーカーなのである。その「自己」を、免疫系は病原体の侵入という「非自己の介入」をきっかけに強化してきたのだった。驚くべきしくみだ。

≪043≫  第3に、免疫系はつねに学習している。よくわかっているのは胸腺でT細胞が最初の徹底教育を受けていることで、幹細胞からT細胞が分化するのは、この教育と学習によっている。 胸腺では1個の幹細胞が分裂と増殖をくりかえして、たくさんの細胞になっていく。同じ細胞がふえるのではない。遺伝子をばらばらにして、つなぎなおして、それぞれが異なった遺伝子構成の細胞に育っていく。これがT細胞となってのちに活躍するのだが、ここで資格が問われ、ポジティブ選択とネガティブ選択がおこる。

≪044≫  ポジティブ選択では、のちにT細胞がはたらくときにMHC分子とともに抗原を認識することができるかどうか、そういう学習がちゃんとできていたかがチェックされる。MHC拘束がかかったかどうかを資格審査されるのだ。センター試験とはずいぶんちがう。 ネガティブ選択は「自己トレランス」を調べるもので、自己の成分の対応には寛容であるようになっているかをチェックする。侵入者(異物=抗原)を見る目で自己を見てしまうようでは、自分を攻撃してしまうことになるからだ。そこでネガティブ選択によって、自己を構成する分子に反応してしまうT細胞は排除されるか、不活性化されるようにした。

≪045≫  自己と非自己の区別がここでもトレーニングされるわけである。そうとうにきつい選択だ。それゆえポジティブ選択とネガティブ選択の2つに合格するT細胞は10パーセントに満たないようだが、それでも1個の幹細胞からすれば100万倍ほどになっている。こうして免疫細胞はその後も学習記憶を発揮する。

≪046≫  第4に、免疫系では「外部情報が内部イメージになっている」。これは、B細胞やT細胞が抗原と闘っているときだけ機能するのではなく、ふだんからシミュレーションをしているということをあらわす。たんなる予行練習ではない。外部の情報を内部に反映させている。

≪047≫  B細胞が他のB細胞によって認識されるようになっていくということは、B細胞が外部の異物の内部イメージになっているということである。そういうB細胞がたくさんあるということは、外部の世界についてのイメージがたくさんあるということで、免疫系では外部多様性と内部イメージとが相互にネットワークされているということになる。

≪048≫  第5に、免疫系は「情報の場」の上に成り立っている。この情報は主にサイトカインによっている。サイトカインはマクロファージが抗原の刺激で活性化されたり、T細胞がマクロファージの抗原情報を認識したりすると、インターロイキン、インターフェロン、TNF(腫瘍壊死因子)などの情報分子として放出される。たとえばT細胞が出したインターロイキンはB細胞にはたらいて、抗体をつくりだすシグナルの役割をはたす。サイトカインはいずれも状況に応じてその増減や抑制をされるのだが、そこには「情報の場」が形成されているということなのである。

≪049≫  ざっと紹介してみたが、以上のことから、免疫ネットワークはきわめて有能な共働力をもっていて、相互支援性が高い場の力が発揮できるようなものになっているとみなせる。 日本の免疫学を牽引していた多田富雄さんは、免疫のしくみが「生きた記憶による自己決定をともなう創発的なシステム」だとして、これらを総じて「スーパーシステム」と名付けた。この呼称は国際免疫学会では採用されていないけれど、ニューノーマルがあるすれば、このような考え方とともに発想されるべきだろう。

≪050≫  免疫ネットワークでは、偶然性や偶有性がいかされていることも特筆されるべきである。即興性に富んでいるとも強調した。まさに、そうなっている。ぼくからすると免疫ネットワークこそ、すぐれてコンティンジェントなのである。

≪051≫  西山さんは、このような免疫ネットワークの特徴が、新たな社会システムの結節点にいかせるのではないかということを、本書の随所で提案した。それもありうると思うのだが、日本の国や役所や企業の現状を見ていると、容易ではないことだろうとも感じる。この数十年で、ほとんど生命論的な見方や発想や構想が枯渇してしまっているからだ。

≪052≫  もうひとつ、言っておかなくてはならないことがある。とても大事なことだ。 免疫システムは非自己によって自己を形成するしくみではあるものの、その自己は「グローバル(普遍的)な自己」ではないということだ。個人によって異なる「免疫自己」が形成されるのである。だからこそスギ花粉でアレルギーがおこる個人もあれば、花粉症に平ちゃらな個人も出てくる。

≪053≫  免疫の不都合というものがあるわけだ。それがアトピーや気管支喘息を促す。自己免疫疾患もおこるし、免疫不全もおこる。 すなわち、免疫システムは生理的個性に応じて、それぞれの自己を形成し、防衛するわけだ。免疫システムは生体防御のアーキテクチャを用意はするが、他方では個々人の多様性をのこしたのである。この「それぞれの自己」があるということ、いささか難しい生理学や病理学の問題になるのだけれど、心しておきたい。

≪054≫  ところで西山さんは本書の最後に、自身が提唱している文化生態学にはカイヨワの「対角線の科学」のような見方の必要性と、仕事や構想に「色気」や「粋なるもの」をまぜることが必要だということを書いていた。

≪055≫  科学者がこういうことを書くのはめずらしい。美意識を持ち出したのではない。「色気」や「粋」をとりこんだ科学が求められていると言いたいのだ。たいへん結構なことだ。しかし、これまたまさにそうではあるけれど、それが枯渇してしまいすぎている。寺田寅彦や岡潔の時代はそんなことはなかったのに、残念なことである。

≪056≫  とにもかくにも、各国がCOVID19のパンデミックが従来のシステムの総点検を迫っているとするなら、ここは大いに考えたほうがいい。粛然と考えたほうがいい。いまさら言うのもおこがましいが、いや、だからあえて申し上げるのだが、編集工学研究所は「生命に学ぶ、歴史を展く、文化と遊ぶ」をスローガンにしてきた。この順番が大事なのである。ぼくがこの先、どのくらい「粛」の画文を提示できるかわからないが、最近はもう少し、このことを喧伝してもいいだろうという気になっている。

 この本の初訳本(『生物=生存機械論』)を読んだのは30年以上も前のことだが、論旨のあらわしかたは奇抜で鮮やかではあったものの、ネオダーウィニストが片手でゲーム理論を操っているような、どこかたえず「きわどい抜け道」を用意しているような、そんな仕立てを感じた。そのため、あまり気分のいい読書をしたという印象がのこらなかった。いまでもこの印象は拭えない。

③ しかしドーキンスがこの本で訴えたことは、その後の10年間で教科書にのるほどのメッセージとなった。遺伝子はすこぶる利己的であって、自分の延命のためならどんなことでもするというメッセージだ。どんなことでもするというのは、どんな手をつかっても生物のすべてをホテルにして生き抜こうとしているという意味だ。ドーキンスはこのメッセージを最初につくったのはダーウィンその人だと何度も強調している。ダーウィンの進化論にひそんでいる考えかたを自分は新たな表現で取り出しただけなのだというのである。

⑥ 1980年、この本が紀伊國屋書店で最初に翻訳されたとき、『生物=生存機械論』といういかめしいタイトルになっていた。原題にもサブタイトルにもない言葉だが、本書のなかではしきりに「サバイバル・マシン」(生存機械survival machine)という用語がつかわれているから、わかりやすくするつもりで編集部がおもいついたのだろう。 たしかにドーキンスは「生物は遺伝子のためのサバイバル・マシンである」とみなした。生物は遺伝子の乗り物にすぎないと言ったのだ。しかしサバイバル・マシンだなんて、まるで生物は遺伝子に操られているだけで何の意志もないクルマのようだ。だからこの機械論的な見方はひどく冷徹に映った。日本版のキャッチフレーズにもこんな文句が刷りこまれた、「われわれは遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ」。

⑨ DNAの仕事はタンパク質をつくることだ。自己構成要素としてのタンパク質だけではなくて、遺伝情報をいつどこでどのようにつくるのかというプログラムを維持するためにタンパク質をつくる。DNAはタンパク質の設計プログラムなのである。ドーキンスは「遺伝子はマスタープログラマーである」とさえ書く。ただしこのプログラマーは自分の生命の維持のための、きわめてエゴセントリックなプログラマーだ。 地球上の生物を構成しているタンパク質は100億あるとも1兆あるともいわれている。ところが、そのありとあらゆるタンパク質はわずか20種類のアミノ酸の組み合わせでできている。DNAはそのアミノ酸の組み合わせを決めている張本人なのだ。

⑫ この考えかたはジョン・メイナード=スミスの『進化とゲーム理論』(産業図書)に対応するもので、表現型をゲーム理論における戦略シナリオに相当させている。表現型の淘汰をナッシュ均衡や最適解を自動的に計算してくれるアルゴリズムとみなしたわけである。これはいささかずるい説明ではあるが、本書の次に執筆した『延長された表現型』(紀伊國屋書店)では、驚くべき説得力をもってこの仮説を立証しようとした。

⑮ いまのところこの仮説を信じない者はゴマンといるものの、あえてこれをぶっこわす理論の組み立てに向かった者も、まだいない。逆にミームを学問にとりこもうという動向がしだいに高まっている。「ミーム理論」(memetics)という領域が登場して、1999年にはケンブリッジ大学のキングズ・カレッジでシンポジウムが開催され、そのオーガナイザーとなった認知科学者のロバート・アンジェはシンポジウムをまとめた『ダーウィン文化論』(産業図書)や『電子的ミーム』(未訳)を出版した。「ミーム・ジャーナル」なんて機関誌もできた。 ぼくも何度か訪れた北大の田中譲さんが設立した知識メディア研究所の英語名は「ミーム研」である。今後、ミーム理論がどこまで成長するかは、佐倉統君や長谷川眞理子さんあたりに聞いてみないことには、なんとも予測がつきにくい。

㉑ 最初に書いておいたように、ドーキンスの仮説は遺伝子の本質をなんらめぐるものではない。生物、とりわけ動物は利己的に動いているのか、利他的な相互作用ももっているのかという見方に決着をつけるためのものだった。ドーキンスは利己的であれば利他的な動向も派生しうると説いたのだ。だから本当は、ドーキンスの仮説は利己的遺伝子の戦略理論なのではなくて、動物の生き残りのための複合的遺伝戦略をめぐるゲーム仮説にすぎないはずなのだ。 しかし、いまや生物学の全地図に利己的遺伝子が大手を振るようになっている。このあといったいどうしようかと、一番当惑しているのはドーキンス自身ではないかとぼくは言ってみたい。

① ドーキンスは冒頭で「ほぼサイエンス・フィクションのように読んでもらいたい」と書いた。科学書だがイマジネーションに訴えるように書いたからだという。たしかにこの本はSFっぽい。利己的遺伝子というコンセプトがSFっぽいのではなく、語り口がSFっぽい。それならSFっぽい遺伝子論なのかというと、そうではない。まだこの本を読んでいない読者のために言っておくけれど、この本はDNAやRNAにまつわる遺伝子の究極のドラマについては、ほとんど何の科学的説明もしていないのだ。

④ そこまではまだ穏健な主張だった。ダーウィンの進化論に正面から反対している生物学者や動物行動学者なんて、まず一人もいないだろうからだ。けれどもドーキンスは本書の冒頭から数ページのところで、次のように書いた。ローレンツの『攻撃』(みすず書房)、アードレイの『アフリカ創世記』(筑摩書房)や『狩りをするサル』(河出書房新社)、アイブル=アイベスフェルトの『愛と憎しみ』(みすず書房)は全面的にまちがっている。かれらは進化において重要なのは個体でなくて種の利益だと考えたようだが、それはまったく誤っている。ダーウィンはそんなことは何も言っていないというふうに。

⑦ このキャッチフレーズにはいくぶんまやかしが入っている。盲目的にプログラムされているのはわれわれだけではなく、地上の生物のすべてだったのである。生物のすべてが遺伝子のためのクルマかホテルにすぎなかったのである。しかし、そうだとすると生物のすべてが遺伝子のためのロボットだということになる。やっぱりこんな冷徹な見方はない。ダーウィンがそんなことを主張していたとも言いたくない。 べつだん擁護するつもりはないが、ドーキンスはこのように書いてはいない。サバイバル・マシンだとは書いたけれど、ロボットだなどとは一度も書きはしなかった。ただ、読み方によってはそうとられなくもないことを書いた。ドーキンスがこの本で一番説明したかったことは「協力はいかに進化したのか」ということなのである。遺伝子が利己的であることなど、当然すぎることなのだ。

⑩ アミノ酸の組み合わせはDNAの4つの記号(塩基)のうちの3文字で決まる。たとえば栄養ドリンク「アスパラ」で有名なアスパラギン酸というアミノ酸はGATかGACで、「味の素」で有名な調味料のグルタミン酸はGAAかGAGで決まる。この3文字の組み合わせが「コドン」である。ということはドーキンスよりもすこし謙虚にいえば、DNAはアミノ酸のコドンを決めるプログラマーなのである。 ともかくもそういうDNAが生物のすべての細胞の中にセットとして入っている。細胞は個体を構成している基本単位である。そこでドーキンスは、大半の動物たちの個体には遺伝子の保存という「目的」がそなわっていて、個体はその「目的」のためのサバイバル・マシンになっているのだと結論づけたのだった。

⑬ 本書には以上にかいつまんだ粗略なメッセージのほかに(いささかドーキンスを責めすぎる書きかたをしてしまったが)、もう2つほどのメッセージがかなり乱暴に強調されている。 ひとつは「ミーム」仮説の提案だ。遺伝子(gene)のスペルにあわせて模倣や記憶を“遺伝”しているかとおもわせる「ミーム」(meme)というものがありうるのではないかと言い出したのだ。ぼくはさっそくミームを「意伝子」と訳してみたが、ふつうは「文化遺伝子」というふうに解釈されている。このアイディアは画期的だった。文化が伝承されること自体は大半が了承していたことだったろうが、その伝承にミームという担い手がいて、ある種のプログラムのようなものをもっているというところが斬新だった。

⑯ もうひとつは、あるゲーム理論が強調されたことだった。今夜とりあげた本書は紀伊國屋書店が1980年に翻訳した『生物=生存機械論』ではなくて、第2版の『利己的な遺伝子』のほうなのだが、その第2版で、新たな第12章として進化生物学者で政治学者でもあるロバート・アクセルロッドのゲーム理論によるシナリオが遺伝子の戦略の説明に役にたつという説明を加えたのである。 アクセルロッドのゲーム理論とは、ゲームにおける「協力」と「背信」の合理的な関係をつきつめようとしたもので、「ティット・フォー・タット」(やられたらやりかえせ)理論として知られる。TFT(Tit for Tat)と略される。ドーキンスによると、これが遺伝子戦略と似ているというのだ。

⑲ 2人が対決している論点はいくつかに分散するが、まとめていえばドーキンスが「進化は利己的な自然淘汰だ」と言っているのに対して、グールドが「進化は偶発的な自然淘汰を含んでいる」とみなしている点にある。2人ともダーウィン主義者であることに変わりはない。 むろんグールドはなにもかもが偶発的だと言っているのではなく、進化のある時期(たとえばカンブリア紀の爆発や中世代の恐竜の絶滅)に確定的なことがおこったことと、その後のすべての時期に遺伝子が戦略にかかわりつづけるとおもいこむことを区別しなさいと言ったのである。これが有名な「断続平衡論」になる。とくに遺伝子が個体にはたらいていると考えるのはおかしいと指摘した。せめて個体群あるいは種の系統ではたらくとすべきだというのだ。

② 何が書いてあるかというと、ドーキンスが動物行動学の出身であるこwとをおもえば当たり前なのだが、「生物の個体の動向の大半は遺伝子の自己戦略にもとづいている」という、ただそのドラマの粗筋だけを主張した。新しい考え方ではない。この本の考え方の基本は1960年代の半ばにジョージ・ウィリアムズとウィリアム・ハミルトンが提唱したものだった。

⑤ これでダーウィン派の一部がカチンときた。その代表格は『パンダの親指』『ニワトリの歯』『ワンダフル・ライフ』(以上ハヤカワ文庫NF)、『人間の測りまちがい』(河出文庫)などの旺盛な著書で鳴るスティーブン・グールドである。古生物学者として断続平衡進化論を唱えた。ぼくも何度か話した。強靭な進化思想の持ち主だ。以来、ドーキンスは圧倒的な賛同者にかこまれながらも、つねに危険な論争にさらされることになる。

⑧ 遺伝子の利己性(gene selfishness)について、ドーキンスの説得は他説を押しのけるほどにはなはだ雄弁で、ダーウィンの「最適者生存」の論理が執拗に貫かれる。 最初は原始地球のスープのどこかに、すこぶる能動的なレプリケーター(自己複製子)が偶然に出現したのだ。いくつものレプリケーターが競いあっていたのだろうが、そのなかで最も能動的なレプリケーターが勝ちのこった。それがやがてDNAになった。この出現自体がドーキンスにいわせれば「最初の自然淘汰」だった。当初のレプリケーターはDNA配列ではなかった。RNA配列だった。RNAが自分の自己触媒機能を発揮してDNAの自立を助けた。いわゆる「RNAワールド」の先行だ。やがてその能動的なレプリケーターはDNA配列の完全コピーという仕事に徹するようになる。DNAはDNAの複製をしつづける。ドーキンスにとっては、そこからは一瀉千里だ。

⑪ ドーキンスがこの本で主張したことは、自然淘汰は直接的には個体にはたらくのだろうが、間接的にはレプリケーターにもはたらいているということだった。「間接的には」というのは、まわりまわってはレプリケーターの生存にかかわってという意味だから、ドーキンスにとってはレプリケーターも自然淘汰されているということになる。 この主張は過激すぎるし、誤解もうけかねない。まるでDNAセットのひとつずつにダーウィンが笑っているように見える。そこでドーキンスは「遺伝子プール」というものを考え出して、このプールにとっての最適者戦略に幅のある自然淘汰がはたらいているというふうにした。もうひとつ、ドーキンスは工夫した。遺伝子の戦略には「遺伝子型」を保持するためのシナリオと、のちにはたらく「表現型」によって元の遺伝子を有利に導くためのシナリオとがあるのだが、その表現型が生存にふさわしい最適解を決めるための戦略を担うと考えたのだ。

⑭ しかし本書で説明されているミームは何のことやらわからないというのがぼくの正直な感想で、仮にミームが文化のレプリケーターだとしても、それが利己的であるのか、そこにDNAやRNAにあたるものがあるのかどうか、またミームがつくるアミノ酸やタンパク質が何をさしているのかは、さっぱりわからない。とはいえ、本書刊行の直後から“ミーム社会生物学”は爆発的に流行した。遺伝子がサバイバル・マシンを動かしているように、ミームはミーム・マシンとしての人間文化を動かしていると考えられるようになってしまったのである。

⑰ アクセルロッドの議論自体は「囚人のジレンマ」に陥らないためのシナリオとして、それなりにおもしろい。ぼくも金子郁容や澁谷恭子とこの理論を検討して、その一部を『ボランタリー経済の誕生』(実業之日本社)に紹介した。しかしながらはたしてアクセルロッドの理論と遺伝子戦略が似ているのかどうかというと、かなりあやしい。ドーキンスはきっととんでもない勇み足をしたのではないかというのが、ぼくのとりあえずの判定だが、この点についてはそもそもゲーム理論が自然や社会の何をあらわしているのかということ、また複雑系の理論が形成されていくにつれ、従来のゲーム理論にはかなりの限界があるのではないかということを検討しないと、正確な判定がつかないところなのである。

⑳ これに対してドーキンスは遺伝子はあくまで連合して(つまり遺伝子プールとして)、生物というヴィークルを形成する競争をしつづけているという立場を崩さない。しかもその競争には「延長された表現型」による遅れた効果もあって、それをすら遺伝子は決定づけていると言う。 グールドが科学的合理性や進化ゲームだけで自然界のルールをあらわすことはできないと考えているのはあきらかだ。ドーキンスのほうは仮に科学で説明できないことがあるとしても、科学で説明できることだけを議論すべきだという徹底した科学理性主義である。これでは2人が融和するわけはない。そのうち、ダニエル・デネットのような認知科学の方面からドーキンスを支持する理論家があらわれ、グールドはこれをウルトラ・ダーウィニズムとして爆撃した。デネットはデネットで大部の『ダーウィンの危険な思想』(青土社)を著して、これに対抗した。ぼくがドーキンスとグールドの論争に飽きてきたのはこのころからだった。

≪01≫  本のタイトルには著者も編集者もとびきりの思いをこめる。小説やノンフィクションほどではないが、学術書や科学ものにも意表をついたタイトルが躍る。ワインバーグの『宇宙創成はじめの3分間』(ダイヤモンド社・ちくま学芸文庫)、カール・セーガンの『エデンの恐竜』(秀潤社)、ドーキンスの『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)、本川達雄の『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)などは、有名どころだ。コンラート・ローレンツの黒い表紙の『攻撃』(みすず書房)には「悪の自然誌」というセンセーショナルなサブタイトルがついていて、ローレンツの名を一般読者に知らしめた。

≪02≫  動物行動学者や生物学者などのナマモノに強い著者たちが、たとえば『裸のサル』(デズモンド・モリス)、『パンダの親指』(スティーヴン・グールド)、『パラサイト日本人論』(竹内久美子)というように、いささか露悪的か逆説的なタイトルをつけると、だいたいはベストセラーになるようなのだが、ローレンツの本はサブタイトルほどには「悪」を扱ったわけではなく、むしろ動物行動学の水位を根底のほうにもっていくという剛腕の仕事になっている。

≪03≫  早稲田小劇場をつくったばかりで意欲に燃えていた鈴木忠志は、そのころぼくに会うごとに「いま、何かおもしろい本、ある?」と聞くのがクセだった。あるとき「うーん、最近はローレンツかな」と言ったところ、鈴木忠志もそのときは『攻撃』を読んでいたらしく、「うん、あれは演劇論だよな」と言ったのが印象的だった。そういう読みかたもあったのだ。しばらくして『人、イヌにあう』(早川書房)を読んだ。こちらは杉浦康平に薦められた。ジョン・レノンが飼っていたダックスフントの仔を「朝日ジャーナル」の矢野編集長から貰って「レア」と名付け可愛がっていた杉浦さんは、「あれはおもしろいよ、感心した」「ぼくの犬の育てかたはあの本に教わった」と言っていた。

≪04≫  1970年代に入ると、ローレンツがノーベル賞を受賞したこともあって翻訳が次々に出始め、ローレンツが文明的人間の将来を真剣に考えていることがあきらかになってきた。とくに『文明化した人間の八つの大罪』(新思索社)は問題作というにふさわしく、日本ではあまり話題にならなかったけれど、ぼくはこの本をかなり広く紹介した。ローレンツが告発している八つの大罪とは、次の8項をいう。

≪05≫  [1]人口過剰 
   [2]生活空間の荒廃
   [3]人間どうしの競争 
   [4]感性の衰滅
   [5]遺伝的な頹廃
   [6]伝統の破壊
   [7]教化されやすさ
   [8]核兵器

≪06≫  なるほど、である。とくに[4]や[5]や[7]が気になるだろうが、[2]の指摘は意外だ。このままでは都市環境は生活を排除し、モダンリビングは人間をおかしくさせるだろうというのだ。[6]も強調した。地球上の伝統文化を一斉に活かさないかぎり、文明は立ちゆくまいと主張した。

≪07≫  それはそれとして、ローレンツはこの八つの大罪の説明に先立つ章で、「生きているシステムの構造の特徴と機能の狂い」を強調した。この一章こそは大いに注目すべき一章で、当時のぼくは「正のフィードバック」に対する「負のフィードバック」の確立が、かえってそれを支えてきたサブシステムに機能低下をもたらす幅をつくったということに、驚いた。ここでいう「負のフィードバック」とはホメオスタシスによる急激な調整作用のことをいうのだが、それが生体システム全般にいわば未必の故意をつくっていたということに仰天したのだ。25、6歳のころだった。

≪08≫  この『文明化した人間の八つの大罪』とほぼ同時期に書かれていたのが、本書『鏡の背面』だった。サブタイトルには「人間的認識の自然誌的考察」という科学者としての重たい意志をあらわす言葉がついている。ローレンツがこの大きめの一冊をもって『攻撃』以来の思索の集大成をしようとしたことがずっしり伝わってくる。

≪09≫  タイトルの『鏡の背面』はちょっと凝っていて、人間という生物が自分を鏡に映してみたときに見える(あるいは見えない)背面の像を扱った。ローレンツが言いたかったことを、かいつまんでおく。

≪010≫  ローレンツは前置きで、ジャック・モノーの『偶然と必然』(みすず書房)を揶揄し、生命体や生物体のふるまいにはモノーのように確定的に叙述できるものばかりではなく、「生きたシステムのプロセスとしてしか現れないもの」があるとクギを刺している。モノーは自然の客観性を記述できることが科学の使命だと言うのだが、その客観性こそがあやしいと批判した。ついで本論を展開するにあたって前提にしたのは、自殺した熱力学者ブリッジマンの次の言葉だった。「知識の対象と知識の道具は、当然ながら分離されるはずはなく、一つの全体として共にとりあげられなければならない」。

≪011≫  この引用には、ローレンツ構想の「生体をめぐる科学」というものが、認識する主体も認識される主体も同種の現実に帰属しているときに、これを同時に記述できる科学の可能性のほうに向かっているということを示していた。

≪012≫  ローレンツにとっては、生物を扱う科学者自体が生物なのである。生体システムを見る科学者には、生体システムだけでは解けない「心」というものがある。一般に「身心問題」とよばれているこの見方は、それを展開しようとしたとたん、そうは問屋がすぐには卸さないジグザグとした前途多難な科学になりかねないのだが、ローレンツは本書でそれに敢然と立ち向かいたいと宣言してみせたのである。

≪013≫  われわれは、自分が何かを見たり聞いたり考えたりしているとき、その内容がどのように動いていくかということと、そのときにどのような生物学的かつ生理学的な出来事が動いているかということを、同時に認識(知覚)することはできない。たとえば何かを見ているときには眼球の動きに気がつかないし、何かを聞いているときには耳のことを忘れてしまっている。

≪014≫  そこで、2つの問題が出てくる。なぜそうなのかという問題と、どのようなことをこの二律背反的な現象から導き出せるかという問題だ。欲ばりなローレンツはその両方を考えようとする。つまり鏡に映った現象とその鏡を見ている者の現象とを、二つながら問題にする。

≪015≫  手がかりとして、因果推論の心理学者ドナルド・キャンベルにならって「仮説的実在論」ともいうべきアプローチを試みた。われわれの認識のプロセスは、もとをただせば系統発生的な現象にもとづいている。系統発生的だというのは、サカナのヒレは水流との関係から生まれ、胃腸は食べたものによって発達していくというような見方のことで、われわれの目や手はそれ以前の生物がつくりあげてきた器官性をもとにしながら、新たな環境や変化した生活にあわせて発達してきたものだという見方である。生物たちは進化や分化のたびに、そういう仮りの装置を用意してきたのではないか。そう、ローレンツは見た。

≪016≫  このようにしてできあがった“生きた装置”を、ローレンツはとりあえず「世界像装置」とよんだ。かつてカントが「先験的なもの」とよんだものやカール・ポパーが「知覚装置」とよんだものに似ているが、ちょっとちがっている。カントやポパーは鏡に映りこんだほうだけを相手にした。ローレンツは映り写される相互関係をなんとか同時に見るようにする。そのためには、この「装置そのものの科学」というものが必要なんだというふうに進んでいく。

≪017≫  自信はあったようだ。「生命の最も驚嘆すべき、そして同時に最も多くの説明を要するはたらきは」と書いて、ローレンツはつづけて次のような根拠をあげた。「生物が確率の法則に一見矛盾するかたちで、つまりありそうな事態からありそうもない事態の方向へ、単純なものから複雑なものへ、低い調和をもつシステムから高い調和をもつシステムへ発展することである」。

≪018≫  生命現象はかなり奇妙なことをやってのけているにもかかわらず、これまで発見された物理法則に反してはいないし、熱力学の第2法則も破ってはいない。すべての生命現象は、「宇宙に放出される、物理学でいういわゆる消費エネルギーの余りで維持される」。いいかえれば、生物とは正のフィードバックの回路においてエネルギーを獲得するシステムなのである。

≪019≫  しかし、これだけでは生物が世界像装置になってきた根拠を示せない。なぜこんなことがおこりうるかを説明しなければならない。ローレンツは外界のエネルギーや何やかやを取りこんだときの装置に秘密があるというのだ。その外界の何やかやとは、ひとまとめでいえば「情報」である。その情報をたくみに刷りこむしかけが装置にある。そう考えるべきなのではないか。

≪020≫  この装置はときに「模写をする」し、ときに「形を変える」。人間でいえば、装置に取りこまれた情報が「知識」だということになる。この知識はおおかたの人々が想像するように、脳によってのみ取りこまれるのではないし、脳にばかり貯まっていくわけでもない。ローレンツのいう世界像装置のあちこちに吸収される。いや、そのように情報吸収したことそのことが、その生物の特徴になっているわけなのである。

≪021≫  さあ、ここまではそうだとして、ここから話は少しややこしくなっていく。情報が取りこまれたことが装置のあちこちにぴったりあてはまってそのまま機能しているなら、それほどの面倒はない。ところが、どう見ても生物はそうなってはいない。

≪022≫  葉っぱが取りこんだ光は炭酸同化作用によって変化し、ライオンが食いちぎったシマウマの肉は胃腸が消化して栄養分と排泄分にしている。かなり特別のことがおこるのだ。外部から取りこまれた何やかやは内部の部品と結合するものではなかったし、内部もそんなふうにはできていなかった。

≪023≫  それなら、どのようなことがおこったのか。そこで“発見”され、仮説されていったものこそローレンツが長期にわたって観察し、考察しつづけたエソロジーの成果なのである。それは「創発特性」あるいは「システム特性」というものだ。それでどうなるかというと、「全体はその部分の総和より多い」ということになっていく。

≪024≫  このことを説明するために、ローレンツはおびただしい動物行動の例をあげた。ここではそうした事例の紹介を省くけれど、ローレンツもいったんその作業を途中でやめると、意外にも哲学者のニコライ・ハルトマンを借りて、人間が獲得する「存在のカテゴリー」がどういうものかの検討に入る。そして、そのカテゴリーには存在するものの基本的な述語性がちゃんと入っているということを指摘して、世界像装置としての生物にもそのような「述語のレール」のようなものがあるはずなのだという説明をする。システム特性というのはその生物を存在させているカテゴリー特性でもあったのだ。「述語のレール」が必要だなんて、とてもすばらしい。

≪025≫  こうしてローレンツは、認識のメカニズムと系統発生の比較と検討から、次の3点にまたがる仮説を打ちたてていった。

≪026≫ (1)どんな単純な生命システムにも、他の生命とは自立して機能する装置がそなわっているはずだ。 (2)生命現象にはすでに先行していた機能とはちがう新たな機能がたえず統合的にあらわれ、そのようにしてあらわれた機能は次々にその生物の生命現象の構成要素になっていく。 (3)ただし、そのようなシステム特性だけをそのまま外部に取り出すのは不可能であろう。

≪027≫  ローレンツはゲノム情報の機能を解読すれば、「生得的解発」というはたらきを装置に発見できるとみなしたのだ。それならば、「生得的解発」を秘めたシステムはどのようにして確立されるのか。その可能性に向かおうとした。ハイイロガンの親と子のあいだに解発が伝わるように、フロクウがズアオアトリの警告反応を解発したように、解発は親と子のあいだのやりとりでも別種の動物のあいだのやりとりによってもおこるはずである。それなら、それをなんとか取り込めないものか。

≪028≫  ざっとは以上のような説明を試みたのだが、システム特性が生まれるような世界像装置のモデルは示しえなかった。やむをえないことだろう。しかし、そのことを模索するためにローレンツが残してくれたことには、たくさんのヒントが示唆されていた。

≪029≫  たとえば、ぼくにとって興味深かったのは、「解発」はそれとは反対の「外傷」をもつくるということだった。たとえば一度回転ドアに押しこめられたイヌは、すべての回転ドアを避けるだけでなく、トラウマをうけた場所の一帯すら回避する。ぼくが飼った2匹のイヌもそうだった。

≪030≫  もっともこうした話は、これまでローレンツがたびたび著書のなかで指摘してきたことも少なくなかったので、本書のこの部分は重複が多い。次に検討するパターン・マッチングのしくみ、すなわちシステムが秘めている「型」の問題も、それまでの著書のくりかえしに近い。やや新しいのは「移調可能性」という考えかたで、これは音楽や歌のメロディに移調があっても、人々はそのメロディの「型」(ゲシュタルト)を容易に維持できるように、生物にもそのような「移調」がおこっているということである。このあたりはエゴン・ブルンスヴィックの「擬合理性」とも関連して、いささかおもしろい。

≪031≫  本書の後半になると、ローレンツは大胆にも人間の言語活動をふくむ概念作用がどのようにできているかという方面に入っていく。

≪032≫  チョムスキーやヘッブが登場してあれあれとおもうのだが、結局のところローレンツは言語学者が考案した言語のしくみでは、とうてい生命現象の只中に出現した世界像装置は説明できないだろうと言ってホッとさせる。ホッとさせるのだが、そんなことで言語論の成果を片付けてもいいのかともおもわせる。

≪033≫  かくて第8章は「人間の精神」という、いささか挑戦的で危険な章になる。ここでローレンツは「文化」に立ち入って、文化の定義を「超個人的システムの個別具体的実現」というふうにする。これは少々ムリがあるところで、案の定、このムリがそのあとの数章にまたがっていくのだが、しかしローレンツが言いたいことはわからないではない。「生きたシステムとしての文化」は必ずや自律分散的に発展していくものだということをなんとか説明したいわけなのだ。

≪034≫  このようなローレンツの主張はこれまでほとんど無視されてきた。
しかしながら、ここが肝心なところになるのだが、このような問題に立ち向かうときにどうすればよいかという対案など、その後もまだ誰によっても提出されていないのだ。われわれは“この文化に向かったローレンツ”をこそ継承すべきなのである。