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≪01≫ 「タンパク質に包まれた悪い知らせ」という言い方がある。「地球上で最も小さなハイジャッカー」という言い方もある。

≪02≫  ウィルスのことである。そのウィルスの正体が、しかし、なかなかわからないのである。

≪03≫  ウィルスは細胞ではない。核もないし細胞質もない。ウィルスは一層あるいはそれ以上のタンパク質の餃子の皮か、ミルフィユに包まれた極小きわまりない遺伝物質なのである。が、病原体ともいえない。ウィルスはそのほかの発見されたいっさいの病原体とも異なった、とんでもない性質をもっている。だいいち、ウィルスの大きさは病原体にくらべるとやたらに小さい。アデノウィルスのような平均的なウィルスでさえ、血液一滴の中になんと50億個が入りこめるのである。

≪04≫  ウィルスは埃りとともに飛ぶこともできるし、くしゃみにも乗っていける。また、そういうことがおこらなくとも、まるで不精者のように、いつまでも待っていられる。待つことがウィルスの半分以上の仕事になっているらしいのだ。そこでしばしば「ウィルスは死んでいるのか生きているのか、さっぱりわからない」と言われることになる。

≪05≫  が、いったん宿主の細胞の中に入ると、たちまち活性化される。こうなれば、ウィルスははっきり生きているということにる。しかしそれでは、まるでゾンビなのである。

≪06≫  ゾンビは何をするかというと、宿主の細胞機能を横取りしてしまう。本来ならば、宿主細胞は細胞自身の遺伝子をコピーすることになっているのだが、そしてそれこそが生命の尊厳なメカニズムというものであるのだが、ウィルスはその宿主のコピーのメカニズムをそのまま借用して、自分の増殖を企ててしまうのである。

≪07≫  つまり、まず、ウィルスが細胞の中に入ると、ウィルスを覆っていたタンパク質のミルフィユの殻が溶け出してくる。これはウィルスがもっている酵素の機能によっている。そうなると、宿主細胞はウィルスの遺伝子にじかにさらされる。そこで得たりとばかりに、ウィルス遺伝子は自分と同じウィルス遺伝子をつくるように指令する。ついで、増えてきた遺伝子の組み合わせによって、ウィルスのタンパク質をつくってしまう。実は行く先を変更させるハイジャックどころではないのだ。

≪08≫  ときにウィルスは、このあとに細胞自身の生存に必要なタンパク質の製造を中止させるプログラムさえ書きこんでしまう。なんとも凄惨なことであるが、自殺タンパク質をつくってしまうのである。

≪09≫  こうして、このような外来者であるウィルスが、最終的に遺伝情報のプログラムをDNAのかたちでもつのか、RNAのかたちでもつのかということが、重要になってくる。いや、それを調査研究することが今日のウィルス学の最も重要な出発点になったのだった。

≪010≫  もし、RNAのかたちでプログラム機能が保持されれば、これはRNAウィルスとして人類に敵対するほどの猛威をふるう。そのひとつがエイズの原因であるレトロウィルスHIVである。

≪011≫  本書は、こうしたウィルスの恐怖を縦横無尽に説明し解読しようとして駆けずりまわる、あたかもウィルスを暴くウィルスのような本になっている。とりあげられた話題はまことに多く、また今日のわれわれを蝕む危険な病気についての説明も多い。本書の原題が『ダンシング・マトリックス』となっているのは、そんな本書の書きっぷりによっている。

≪01≫  最初に、川端康成の短編『弓浦市』が出てくる。 ある女性が作家を訪れて、二人で行った弓浦の思い出話をする。ところが作家はそのことがどうしても思い出せない。そろそろ衰えが目立っていた作家はうろたえるのだが、女性はひるまず「あのとき結婚しようとおっしゃいましたね」と恐ろしいことを言う。彼女が去ったあと、作家はいろいろ思い出そうとして、念のため地図でその場所を調べると、そんな町は日本のどこにもなかったという、そういう話だ。

≪02≫  本書の著者のシャクターはハーバード大学の心理学部長で、記憶が専門である。その知識は広域にわたるとともに、よく整理分類されている。たまにこういう本を読むと、その手際にホッとする。

≪03≫  科学書には主として二つの傾向がある。ひとつは未知の領域を思索が複雑にたどっていくのを傍らで同行するようなオムニプレゼントな充実がある虫の目による書物、もうひとつは鳥の目のようにその科学領域を俯瞰してみごとな色分けをしているオムニシエントな分解能のいい書物である。

≪04≫  もっともこの色分けはどこかで色が決まらない領域があきらかにされていないと、信用できない。しかもこの二つの傾向にさらに重量級と軽快派がある。本書はこの後者の軽快派の書物としてまずまずの出来だった。

≪05≫  例示が巧みで文章もうまい。ただしこういう書物にも欠陥がある。あまりに軽快で巧みに書いてあるのでどんどん読めるのだが、読み終わると、さて何が一番の重要な流れだったのか忘れてしまうのだ。その責任は著者よりもわれわれのほうにあることも少なくない。本書はそういうふうに読者を追いこむことも、狙いのひとつに入れていた。

≪06≫  われわれはしょっちゅう「物忘れ」をする。物忘れではないにしても、思い出そうとしたとたん、どうしても出てこないことがある。そこまで口に出かかっているのにその名前が確定できないこともある。ぼくも川端康成の小篇ではないが、かなりあやしくなっている。シャクターは、こうした記憶エラーはひとつの原因からおこっているのではなく、大きく七つに分けられるとした。

≪07≫
  物忘れ=時間がたつと去年の十月のことを忘れる
  不注意=さっき置いた鍵やメガネを忘れる
  記憶の妨害=どうしても目の前の男の名前がブロックされて思い出せない
  混乱=どこかで記憶の引き出しが混乱している
  エラー暗示=犯罪目撃の記憶ちがいなどにあらわれる擬似記憶
  書き換え=現在の立場や意識による過去の記憶の編集
  つきまとい=失敗や失恋などのトラウマによる記憶ちがい

≪08≫  記憶があやしくなる、記憶がまちがうというのは、その情報や知識が長期記憶されていないせいである。ところが長期記憶にはエピソード記憶や意味記憶や作業記憶があって、そのどれを使うかで再生がしやすくも、しにくくもなる。しかも組み合わせは複雑で、システマチックにはできていない。

≪09≫  物忘れ(transience)は歳をとるほどひどくなるが、これはもともと不完全に記憶していたせいか、記憶の合成を怠るようになるためにおこる。これを奪回するには再学習が最も効果的だが、最近になって、左脳の海馬傍回部分が記憶合成プロセスの「セーブ」にあずかっていることがわかってきた。また「音韻ループ」が記憶プロセスに介在していることもわかってきた。

≪010≫  二つ目の不注意(absentmindedness)はまさに注意が刷りこまれていなかったためで、その再生にはそのことに対する「想起」と「親近感」が関与する。ところが鍵やメガネの置き忘れは、置いた場所があまりに親近感のうちにあるところなので、かえって思い出せない。物忘れが多いときは、その大事なものをやや特定のところに置くことである。

≪011≫  三つ目の記憶の妨害(blocking)はしばしば固有名詞が思い出せないときにおこっている。人名や固有名詞には、視覚的印象・概念的印象・音韻的印象・語彙的印象がかかわっている。これをごっちゃにしたり、関連語がしゃしゃり出てきて妨害されたりすると、いつまでたっても思い出せなくなる。

≪012≫  思い出すときに一度まちがってしまって、その語感や綴りが舌先に残って、いつもまちがえるのはTOT(舌先現象=Tip-of-the-Tongue State)というやつで、ぼくなどのべつこのTOTに悩まされている。「ええっと、あの川田君が…(いや川田じゃなくていつも川田と言ってしまうんだけど、これはええっと川田ではない角田なんだっけ)、いや、あの角田君にね」「ああ、鎌田さんのことですか」。

≪013≫  妨害には、もっと深い問題もかかわる。いわゆる「想起の抑制」がかかってしまったばあいがそれで、幼少期の記憶が忌まわしくてそれを抑圧してしまったときなどにおこる。心理学はこれをリプレッサーの問題としている。

≪014≫  次の混乱(misattribution)の最も有名な例はデジャ・ヴュである。見ていないのにその光景を過去に見たと思ってしまう。原因は特定できないが、おそらく記憶結合のミスが異なる幻想をつくったと推定されている。デジャ・ヴュがさらに人間関係に発展するとフレゴリ錯覚がおこる。これは、特定のスターなどの人物が記憶の中にどっかと宿ってしまうもので、統合失調症に多い。

≪015≫  このことと潜在記憶が同種のものかはわかっていない。これは思い出した情報の起源について記憶ミスをしたままそれが定着されるので、このことからしばしば無意識の盗作がおこる。記憶の引き出しが混乱しているわけである。

≪016≫  五つ目のエラー暗示(suggestibility)とは「暗示されやすさ」ということで、現代ではマスメディアによる暗示がわれわれの記憶をほとんど全域にわたって侵しているといっていい。

≪017≫  著者はあるテレビ番組で被験者のアナウンサーを連れて公園に行き、そこで人々の行動を観察してもらった。二日後、このビデオを見ながら実際におこったことに関する質問をした。ビデオには実は似たような画面がいくつも挿入されていて、よほど記憶が鮮明でないと何が現実で何がニセの挿入かはわからない。著者は「いろいろニセの画面が入っていますから注意してほしい」と暗示をかけたのだ。アナウンサーはついに自分の目撃体験に自信がもてなくなった。犯罪に関する目撃の報告やマスメディアによる催眠術は、こうした暗示による擬似記憶づくりが少なくないと、著者は警告する。

≪018≫  ややわかりにくい書き換え(bias)は、われわれはつねに記憶を編集しているのではないかという仮説にもとづいて説明される最新の研究分野なのだが、まだまだわかっていないことが多い。著者は、一応、記憶編集に「型」があるとみて、「調和編集」「変化編集」「あと知恵編集」「利己的編集」「ステレオタイプ編集」という分類をした。

≪019≫  「調和編集」は現在の感情や意識にもとづいて過去の意識状態を編集しているもので、たとえば七年前に「日本の首相はどういう人物がなるといい」と予想していたかということを思い出すようなとき、はたらく。しかし、そのあいだに自分も変わったはずだと考えるのもよくあることで、このばあいは「変化編集」がおこる。これは恋人や友人関係につねにおこる。三年前の出会いを現在の変化のぐあいからみて、もとの情報を改定してしまうわけである。

≪020≫  著者はこの調和と変化の編集は「認知不協和」がおこりやすい現代では、むしろ有効な記憶の書き換えだとみている。しかし、最も多い書き換えは「あと知恵編集」で、「ずっとそう思っていた」「前々から知っていた」というやつである。選挙が終わるととくにこういった評論家が多くなるが、だいたいこれはバレる。「利己的編集」は、記憶を自分本位に組み換えてしまうもので、離婚をしたい夫婦が陥りがちになる。これらに対して「ステレオタイプ編集」にはつねに危険が伴う。とくに人種差別者はこの色メガネがいつまでも外れない。

≪021≫  最後のつきまとい(persistence)とは、忘れたいのに忘れられなくなった深刻な記憶エラーのことである。ここには心理学が「凶器注目効果」とか「反事実思考」とよぶ傾向がおこる。見てはいけないものを見てしまったという思いからその記憶が消せなかったり、ああすればよかったという失敗の訂正意識が他の代替シナリオになったりして、かえってその記憶がトラウマになってしまう例だ。

≪022≫  こうした「つきまとい」がくりかえされ再現されていると、大半の人々は鬱病にかかっていく。ここにはリバウンド効果もあって、解消にはなかなかの障壁があるため一筋縄ではいかない。最近はPTSD(心的外傷後ストレス障害)が話題になって、これらのトラウマがかなり複雑な様相を呈していることがわかってきた。同じ場面がフィルムクリップのように何度も心を襲うわけである。

≪023≫  ちなみに「つきまとい」の療法としては、安全な環境でその同じ場面を追体験させることが効果的だということも報告されているらしいが、むしろ「証言療法」といって、その出来事に関する証言を多く語りあえる環境をつくるほうが効果があるという例もあがっている。

≪024≫  記憶とはほとんどわれわれの感情なのである。ことによっては記憶とは精神である。その記憶にエラーがおこることは、ぼんやりやボケや不注意ですむばあいもあるが、人間性における決定的な問題にかかわることもある。それが脳の部位障害と関係していることもある。

≪025≫  たとえばトラウマのいくつかの原因は、海馬に接する扁桃体の役割に関係がある。海馬の損傷は個人的な記憶をつくったり思い出したりすることができなくなるのだが、扁桃体の損傷は記憶障害はおこらないのに、その再生に感情が伴わなくなってしまう。アドレナリンやコルチゾールといった経験記憶を強化するホルモンが役立たなくなるらしい。

≪026≫  おそらく、われわれは記憶の世界の質と量を前にして、どこでトレードオフをするかということを決める以外はない。当分使いそうもない記憶を忘れてしまうメリットと、早くに忘れたことによる失敗のデメリットとのトレードオフである。

≪027≫  そこで最後に著者が勧めるのが、「記憶の編集の方法」をもっと見いだすべきだということだ。二つの意味でちょっと驚いた。なぜなら、それこそはぼくがずっと考えてきたことであり、それにしては著者のお勧めの編集方法があまりに単純であるからだ。

≪028≫  ぼくのお勧めは、こうである。記憶をアタマの中に入れるばかりではいけない。それではいつまでたっても記憶エラーからは逃れられない。もっと外に置いておくべきなのだ。仮想のハンガーに掛けておいたり、いくつもの色付きの抽斗に入れておく。そうすると自分のアタマの中と外が分離する。編集とは内外で出入りするものなのである。これがうまくできるようになれば、つぎにはもう少し別な収容力をもつものにプロジェクトしてしまうのだ。たとえば書棚に、たとえば他人の記憶に、たとえば自然の景観に、たとえばダイヤグラムとして、たとえば茶室の中に。

≪01≫ 性の起源はながらく生物学者を悩ませてきた問題だった。とくに何が悩みの種かというと、性の発生現場を押さえられないことと、有性生物たちが世代ごとに交配に要する生物学的コストをどうやって払えるかということが、わからなかったせいだった。

≪02≫ 性は最初の最初は細菌のふるまいのなかで発生したらしい。この細菌に芽生えた性は、DNA分子のスプライシング(切断連接)や修復のプロセスから生じたもので、それを性とよぶかどうかは、今後の議論と検討にかかっている。しかも、意外なことにわれわれがそれが性だとおもえる性の起源は、それとは別におこっている。

≪03≫ 単細胞の原生生物であるプロティストというやや複雑な微生物のなかに、新しい別種の性が出現したのである。これは単細胞生物が減数分裂をはじめたことと関係していた。しかもその減数分裂と関連して発生した性は、意外なことに最初のうちは生殖とはまったく関係のない性質だったというのだった。

≪04≫ 生命活動の本質というものは、わかりやすくまとめていえば「自己維持」と「成長」と「複製」にある。

≪05≫ おそらくは最初の原細胞でDNAのエラー訂正が何かの役にたって、これが減数分裂をおこすことになったのであろう。

≪06≫  性とは、きわめて稀な異形配合を起源として発生してきたものなのだ。ちょっとシャレていえば、真核細胞と微生物共同体とは相同なのである。

≪07≫ そこでは減数分裂を背景にした「性のサイクル」というものがある。このサイクルは、もともとは有糸分裂にともなって発生していた例の"ダンス"を起源としているのかもしれない。そこはいまだはっきりしないものの、仮にそうだとすれば、性とは、あらゆる意味において、たえず相互作用的であり、共生的なプロセスだったということになる。

≪08≫ すなわち性は生物が発展するにあたってきわめて本質的なサイクルを表現したものなのであり、それゆえ生命の高級なリズミックな本質を体現したものなのだ。

≪01≫  ぼくの肺の中にはざっと170種のウイルスや細菌が棲みついている。まとめて常在菌という。ぞっとする。肺だけではない。人体のどこにもいる。 ブラウン大学のスーザン・ヒューズが数え上げたところ、舌の両側に7947個、口腔に4154個、耳の裏側に2359、大腸に3万3627の常在菌がいた。この調子で数え上げると、総数で数百兆個になる。細胞の10倍以上いる。総重量は約1300グラムあったというから、これは脳くらいの重さになっている。

≪02≫  常在菌として、このところ日本で話題になっているのがピロリ菌だ。医療ニュースでは「日本人最大の感染症」と言われた。日本人にはピロリ菌の保菌者がかなり多かったのである。

≪03≫  意外だったのは、塩酸いっぱいの強酸性の胃にはどんな細菌もとても棲めないと思われていたのに、そうではなかったということだ。ピロリ菌は胃の粘膜の中にいた。ヘリコバクター・ピロリ(Helicobacter pylori)という正式名がある。ヘリコはヘリコプターと同じ語源で「螺旋」のことを、バクターは「細菌」を、ピロリは胃の出口の「幽門」をさす。捩れた形状で四~八本の鞭毛をもつ。1984年に西オーストラリア大学のロビン・ウォーレンとバリー・マーシャルがピロリ菌こそが胃癌の引き金の正体だということをつきとめた(2005年にノーベル賞をもらった)。

≪04≫  ぼくが胃癌を疑われたとき、中目黒の森センセイはひょっとするとピロリ菌のせいかもしれないと推定し、のちに築地の国立がんセンターで調べたところ、おそらく中学生のころからいたんじゃないかと言われた。ぞっとした。かつては世界中の大半の胃の中にピロリ菌がいたらしい。いまでも人口の半数の胃の中にいる。ということは、ピロリ菌の移動の歴史と文明の伝搬には関係があるともくされる。

≪05≫  生物は自分の遺伝子をコピーして子孫を残そうとする。そのプロセスでコピーミスが生じ、さまざまな突然変異がおこる。その残痕は次々に蓄積されていく。遺伝子は「進化の化石」なのである。

≪06≫  遺伝子の変異がどのようにおこるかということを一定の時間で割り振って、同じ祖先をもつ生物種がどのように分岐していったかを調べることができる。ものさしは分子時計にもとづく。

≪07≫  ある遺伝子が10万年に一個の割合で変異しているとすると、2つの種の遺伝子に50個ほどのちがいがあれば、この元の遺伝子は500万年前に分岐したことになる。こういう具合に分子時計による計算を詰めていくと、人類は487万年前にチンパンジーと共通の祖先から分かれたと推定できる。

≪08≫  マックス・プランク研究所が胃の中に棲みついたピロリ菌の遺伝子を分子時計で調べてみると、東アフリカからの距離が遠くなるにしたがってピロリ菌の数が減少していくことがわかった。ピロリ菌の先祖は人類の胃袋とともに、アフリカを旅立ち、中央アジアや東アジアをへて日本にやってきたのである。いまでは7種のピロリ菌の遺伝子型が発見されている。

≪09≫  日本人のピロリ菌は第七種で、中国、韓国、台湾先住民、南太平洋、北米先住民と同じものに属する。ピロリ菌人類学だ。しかし、なかでも日本人にピロリ菌が多く、胃癌の発生率と重なる傾向を見せていることについては、いまのところ多様な要因がからんでいるせいで、その理由ははっきりしていない。ぼくの場合は人類学とカンケーなく、喫煙常習性、ピロリ菌保菌、不節制な生活、偏った食事習慣などが重なり、細胞が変異して胃癌になったのだろう。

≪010≫  ポール・フォーコウスキーの『微生物が地球をつくった』(青土社)が鮮やかに描いたように、環境も地球も生物も、そしてわれわれも、微生物で成り立っている。ぼくはニトロゲナーゼとルビスコの役割に驚嘆した。

≪011≫  そんな微生物のなかで、これまで約5400種のウイルスと約6800種の細菌(バクテリア)が発見されてきた。びっくりするのはウイルスの種類がとてつもなく多いということだ。コロンビア大学のスティーブン・モースによると、まだ見つかっていないウイルスの存在数を予想すると360万種になるのではないかという。

≪012≫  細菌(真性細菌 bacteria)はれっきとした生物である。大腸菌・枯草菌・シアノバクテリアを含み、地球中のどこででも活躍して、広範囲の生物圏の底辺を支えてきた。光合成や窒素固定も細菌がいなければおこらなかった。ウイルスはどうか。

≪013≫  細菌たちの30分の1のサイズしかないウイルス(virus)は、生きものとしては極小の存在者たちではあるが、実は生物の条件を満たしてはいない。生物の最低の条件は、わかりやすくいえば、①遺伝子をもっている、②細胞がある、③代謝エネルギーを生成する、④自己複製できる、という四つにあるだろうが、ウイルスは遺伝子をもつものの細胞がなく、自律的には複製できないし、代謝エネルギーももっていない。それでも「生きている」。

≪014≫  ウイルスは生物ではなく、生物モドキなのである。生物モドキであるウイルスは、しかしながら生物の細胞を利用して自己複製をする。つまり増殖できる。他動的なのだ。これがなんとも微妙だ。

≪015≫  増殖は「細胞表面への吸着→細胞内への侵入→脱殻→部品の合成→部品の集合→感染細胞からの放出」というふうに進むのだが、このプロセスのなかで、細胞はウイルスに感染した状態になり、われわれは感染症(infectious disease)に冒される。麻疹もインフルエンザもエイズもウイルスによる感染症である。

≪016≫  ウイルスが感染症をおこすのは、ウイルスがモドキであるからだ。自分のコピーをつくりたいくせにタンパク質合成に必要な遺伝情報や酵素をもたず、宿主細胞のものを借りて、自己複製や自己組織化をする。この「ちゃっかり」のメカニズムは、まだ十全には解けていない。

≪017≫  そもそもウイルスの基本構造は粒子っぽい。粒子の中心にウイルス核酸があり、それをとりかこんでカプシド(capsid)というタンパク質の殻がある。カプシドとエンベロープ(envelope)の二重殻になっているものもある。

≪018≫  おまけにウイルス殻はRNAかDNAかのどちらかしか含まない。通常の生物は一個の細胞にRNAとDNAの両方を含むのに、ウイルスは片方しかもたない。RNAウイルスかDNAウイルスしか、ない。それでどうするかというと、カプシドはウイルスが細胞に侵入したのちに壊れて脱殻し、あとは宿主の細胞のもつタンパク質合成機構や代謝力を利用する。「ちゃっかり」かつ「ハッキング」なのだ。

≪019≫  ウイルスがどのように標的の細胞を感染させるのかは、宿主細胞の表面に露出しているレセプター(標的分子)に出会えるかどうかで決まる。この決まり方に感染症という事態が蔓延する最初の要因がある。

≪020≫  感染症とは、医学的には寄生虫・細菌・真菌・ウイルス・異常プリオンなどの病原体(pathogen)によって、宿主(host)に生じる「望ましくない反応」(症状)の総称だ。「望ましくない反応」は人体のどこにでもおこる。

≪021≫  ごく一部をあげても、脳(髄膜炎・脳炎)、顔(鼻炎・咽頭炎・喉頭炎)、肺・気管支(肺炎・気管支炎・結核)、心臓(心内膜炎・心筋炎・大動脈炎・敗血症)、消化器(胆囊炎・肝炎・胃炎・胃潰瘍・腸炎・虫垂炎・クラミジア肝炎)、泌尿器(腎盂炎・膀胱炎・前立腺炎・膣炎)、皮膚(蜂窩織炎・脂肪織炎・ガス壊疽・とびひ・せつ・よう・ブドウ球菌性傷様皮膚症候群・帯状疱疹・水痘・麻疹・風疹・疥癬)など、膨大だ。これでは感染症という名称は広範になりすぎていると思うのだが、いまのところそうなっている。

≪022≫  本書は石弘之さんによるダイナミックな感染症案内記である。感染症に関する本はゴマンとあるけれど、とてもいい本だ。 石さんはぼくが初めてお会いした頃はまだ朝日新聞の編集委員をしていて、その精力的な活動範囲で、多くの人脈ネットワークの雄弁なハブになっていた。その後はもっと大事なハブになられただろう。著書も多く、新聞記者時代に鍛えた文章もうまい。かなり自在に文章を書く。

≪023≫  とくに『地球環境報告』1・2(岩波新書)は画期的だった。最初に読んだときはかなり衝撃を受けた。歪みながら腐食しつつあるリアルな地球像の実情を突きつけられた。ぼくは湯浅赳男・安田喜憲さんと自在に語りあっていた『環境と文明の世界史』(洋泉社)も愛読した。これもたいへん仮説に富んでいた。意外な名著に『鉄条網の歴史』(洋泉社)などもある。

≪024≫  石さんはずっと「文明」とは何かを考えてきた人だ。本書も、文明の伝搬にあたっては農耕・道具・言語・技術・神話・音楽・信仰・武器・服飾などとともに、ネズミ・ダニ・ゴキブリ・ノミ・カ・シラミ・寄生虫たちがいたこと、膨大な細菌・ウイルス・原虫・カビなどこそが猛威をふるうグローバライザーであったことをくりかえし訴えて、病原性の微生物としてのウイルスがもたらす感染症をわかりやすく案内した。

≪025≫ 石さんが本書で重視したことは、大きくは3つある。 第一に、感染症をもたらすウイルスがなぜ感染網を広げるのかということだ。答えははっきりしている。通常の遺伝子は親から子へとタテ(垂直型)に移動するけれど、ウイルスはヨコ(水平型)に遺伝子を移動させてきたからだ。

≪026≫  ヒトゲノムが2003年にすべて解読されて、タンパク質をつくる機能のある遺伝子はわずか1.5パーセントしかなくて、全体のほぼ半分くらいはウイルスに由来することがわかってきた。多くはトランスポゾンといわれる自由に動きまわれる遺伝子の断片だった。

≪027≫  ウイルスが進化の途上でわれわれの遺伝子に潜りこんだのか、それとも遺伝子がウイルスを利用したのか、どちらが「つもり」で、どちらが「ほんと」かはわからない。なかでもRNAウイルスの一種のレトロウイルスは、自分の遺伝子を別の生物の遺伝子に組み込むことによってまんまと生き延びてきた。これでヨコ水平ネットワークをつくりあげたのだ。

≪028≫  第二に石さんは、いったいいつごろから人間とウイルスが共生してきたのかということを考える。 われわれの祖先がアフリカのサバンナから出所したことはわかっている。そこからさまざまな文明が発達し、多くの為政者が世界を征服するつもりになってきた。その一方、結核菌、ピロリ菌、エイズ、パピローマウイルス、マラリア、麻疹、水痘(水疱瘡)、成人T細胞白血病などの原因になる病原性微生物が、いずれもアフリカ起源であることもわかってきた。

≪029≫  この2つのことは生物と人間と文明の展開のなかできわめて重大な両義性もしくは多義性が、アフリカで発揚されていただろうこと、直立二足歩行とともに何かが始まっていたことを暗示する。ウイルスはわれわれに厄災をもたらすとともに、その半面でわれわれをここまで進化させたのだ。

≪030≫  第三に、いったいウイルスと人間は敵対しているのか、それとも共生しているのかということを問う。 生物は感染したウイルスの遺伝子を自分にとりこむことで、突然変異をおこして遺伝情報を多様にし、進化ゲームを有利に進めてきた。とりこんだのだから、われわれにとってウイルスがすべて有害者や敵対者だったはずはない。たんなる居候だったはずもないし、お互いにそれなりの利得をなにがしか交換しあったはずだ。ウイルスはわれわれを感染病に罹らせるだけではなく、なんらかの恩恵も提供したはずなのだ。

≪031≫  たとえば、ウイルスは哺乳動物の胎児を守っていることがわかってきた。胎児の遺伝形質の半分は父親に由来するもので、それは移植された臓器のように母親の免疫系にとっては異質なものである。だから胎児は母体がもつ免疫反応によって生きていけなくなってもおかしくなかったのだが、そうならなかった。なぜなのか。このことは学界でも長らく謎になっていた。

≪032≫  1970年代になって、哺乳動物の胎盤から大量のウイルスが発見され、拒絶反応を引きおこすはずの母親のリンパ球が一枚の膜(合胞体細胞膜)に遮られ、胎児の血管に入るのが阻止されていたことが判明した。1988年にはウプサラ大学のエリック・ラーソンによって、この細胞膜が体内に棲むウイルスによってつくられていたことが発見された。最新の研究報告では、どうやら海洋にうごめく大量のウイルスが、大気中の二酸化炭素の蓄積や雲の形成にかかわっていることもわかってきた。

≪033≫  こうなると、ウイルスによって地球生態系を語る方法がもっとあっていいということになるのだが、しかし一方、人体と文明に危険な状態をもたらすウイルスも少なくない。ふつう、感染症といえばこの「由々しいウイルス」との闘いをどうするかという問題になる。

≪034≫  感染症についての本は、最近になってずいぶんふえたようだ。ぼくもちょいちょい目を通してきた。よく読まれてきたものとしては、国立感染症研究所の初代感染症情報センター長だった井上栄の『感染症の時代』(講談社現代新書)や『感染症』(中公新書)、山本太郎の『感染症と文明』(岩波新書)、益田昭吾の『病原体から見た人間』(ちくま新書)などの新書がある。いずれも新書だから入手しやすいだろう。

≪035≫  世界の感染症をセンセーショナルなヴィジュアル・リストにしたのは、日本疫病研究会が編集した『人類を滅ぼす感染症ファイル』(竹書房)だった。2014年にエボラ出血熱が大ニュースになったとき緊急出版された。ペストやチフスやマラリアだけでなく、炭疽症、クロイツフェルト・ヤコブ病、ラッサ熱、SARS、サルモネラ症、O157、ボツリヌス食中毒なども採り上げていた。一冊入手しておくことを薦めたい。

≪036≫  それでも千夜千冊としては石さんのものを選んだのは、ぼくが大の石ファンであったからだ。そのうちフランク・ライアンの『破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた』(早川書房)、ポール・イーワルドの『病原体進化論』(新曜社)といった本格的なウイルス論も採り上げたいが、まずは石さんだ。そう思って本書を千夜千冊しようとしていたら、ごくごく身近で感染症の実例がおこった。

≪037≫  2、3週間ほど前、編集工学研究所のスタッフがノロウイルスに感染した症状を見せたのである。それも続けさまに4人だ。1日おいたり、4日ほどしてからだったり、1週間をこえてからだったりした。みんな、嘔吐や下痢に苦しんだようだ。一人は、パソコンを打っていたら急に何かがズンとやってきて目の前でしていることが手につかなくなったと、一人は「出産以来の辛さだった」と言っていた。

≪038≫  ノロウイルスは牡蠣などの二枚貝をナマで食べるとおこりやすいが、小腸粘膜の細胞だけで増殖し、嘔吐物や糞便によって感染が広がる。感染も速い。80度以上2分間をこえて加熱しないと死滅しないところが悩ましい。水洗トイレもあやしい。当然、四人とも仕事場に来るのを控えた(これを書いているときに、「出産以来の辛さだった」と言った彼女の娘もノロになった)。まもなく一人はアニサキスによる食中毒だとわかった。自分で捌いたシメ鯖をばくばく食べたせいだ。シメ鯖の彼は、みんなから自業自得だと詰られた。

≪039≫  日本語になったノロウイルスという響きはまるで呪われたような名前に聞こえるが、もとはノーウォーク・ウイルス(Norwalk virus)と呼ばれていた。1968年にオハイオ州ノーウォークで集団発生したときの糞便から該当ウイルスが検出された。

≪040≫  検出されたのはSRSV(小型球形ウイルス)で、1990年に全塩基配列がほぼあきらかになり、2002年にノロウイルス(Norovirus)と名付けられた。経口感染して、たちまち感染性胃腸炎をおこす。潜伏期間は12時間から72時間。わがスタッフたちは仕事場で感染したとおぼしいが、こんなに感染力があるとは思わなかった。

≪041≫  ノロウイルスのことなど、てっきり遠方のニュースで知るものだと感じていたが、いやいや、こんなふうに身近なところでもおこるのである。

≪042≫  そういえばこの数年で、スタッフの中にはインフルエンザに罹る者が必ず出るようになった。タミフルで治った者もいる。症状はどうあれ、いったん罹ると医者からは自宅軟禁のお達しが出るし、仕事場には急にマスク派がふえる。

≪043≫  ぼくの家内も昨年の冬に罹った。ちょうどぼくが肺癌手術を了えて退院する一日前のことで、おかげで家には戻れず、数日を渋谷のホテルで待機した。肺をやられた者にはインフルエンザは致命傷になることがあるので隔離されたのだ。右肺3分の1をもぎとられた直後のホテル滞在は、なんとも落ち着かなかった。

≪044≫  ぼくの家内も昨年の冬に罹った。ちょうどぼくが肺癌手術を了えて退院する一日前のことで、おかげで家には戻れず、数日を渋谷のホテルで待機した。肺をやられた者にはインフルエンザは致命傷になることがあるので隔離されたのだ。右肺3分の1をもぎとられた直後のホテル滞在は、なんとも落ち着かなかった。

≪045≫  風邪とリューカンの区別も知らず、いつからリューカンがインフルエンザと呼ばれるようになったかも知らなかったが、むろん両方ともウイルスが原因である。

≪046≫  医療的な病名では、風邪(common cold)は「急性上気道感染症」で、一番多いライノウイルス、夏風邪(プール熱)をおこさせるアデノウイルス、冬に広まるコロナウイルスなど、10種類以上のウイルスがいたずらをしてきた。

≪047≫  風邪ウイルスにくらべて、インフルエンザ・ウイルスはそうとうに強い。毒性ももつ。季節性を伴うものとしてA型・B型・C型があり、A型から新型インフルエンザが派生する。毎年、世界中で300万人から500万人が罹り(A型が多い)、25万人から50万人が死んでいる。

≪048≫  インフルエンザ・ウイルスの正体や感染経路は一様ではない。もともとはシベリア・スカンディナビア・アラスカ・カナダなどの北極圏の近くで、凍りついた湖や沼の中にじっと潜んでいて、それが春になって水鳥のカモやガンなどの体内に入り込み、腸管で増殖し、その鳥たちが渡り鳥として各地に飛来するとともに撒布されるという定式で、流行する。

≪049≫  インフルエンザは鳥インフルエンザがルーツなのである。その水鳥のウイルスが変異をくりかえしているうちに、だんだん多様な亜型を生んでいった。鳥インフルエンザ・ウイルスの表面には2種類のトゲ状のタンパク質の、HA(ヘマグルチニン)とNA(ノイラミニダーゼ)がある。HAは宿主の細胞に付着するときに使われ、NAはウイルスが別の細胞に乗り移るときに機能する。

≪051≫  しかし奇妙なことに、宿主のカモやガンはインフルエンザには罹らない。長らく共生してきたからだ。けれどもそのウイルスがアヒルやニワトリなどに入りこむと、とたんに感染がおこる。ウイルスには「他者」が必要なのである。感染がくりかえされるうちに遺伝子がさまざまに変化して、強い毒性を発揮するようにもなった。

≪053≫  こうしてかつての20世紀初頭のスペイン風邪、1957年のアジア風邪、1968年の香港風邪、1977年のソ連風邪などのインフルエンザ大流行がおこったわけである。スペイン風邪ではエゴン・シーレ、クリムト、アポリネール、島村抱月、辰野金吾、関根正二らが死んだ。

≪050≫  このHAが抗原によって17種ほどの違いをもつ亜型ヴァージョンをつくる。そうすると、NAが10種類ほどの亜型に分かれる。となるとHAとNAの順列組み合わせだけでも、理論的には鳥インフルエンザ・ウイルスは170種のインフルエンザのパターンをもっていることになる。

≪052≫  それでもすぐに人には感染しなかった。それなのに鳥インフルエンザ・ウイルスが今度はブタに入ると、人に感染する亜型ウイルスがつくられるようになった。鳥インフルエンザから豚インフルエンザへ。養豚場がふえたからだ。そのうちブタが新種の亜型ウイルスの製造工場になっていた。ブタが媒介になったのは中国南部での出来事だったと推測されている。

≪054≫  問題はここから新型ウイルスが次から次へと派生していったということだ。とくにA型だ。インフルエンザ・ウイルスの遺伝子はRNAでできている。これが驚くべき連続抗原変異をおこす。増殖速度も異様に速い。1個のウイルスが翌日には100万個になる。哺乳類が100万年をかけておこしてきた変異がたった1年でおこるのだ。

≪055≫  2014年、南極のアデリーペンギンから鳥インフルエンザの新型が見つかったニュースは、関係者を震え上がらせた。唯一の空白地帯だった南極にもウイルスが届いていたのだ。これでインフルエンザ・ウイルスは全地球にくまなく撒布されていることになった。

≪056≫  インフルエンザの正体と経路をめぐることは、文明の正体と経路を辿ることである。さまざまな推理が乱立してきた。かつてはフレッド・ホイルやウィクラマシンジがそういう仮説をたてたのだが、彗星や隕石によってウイルスが撒き散らされるとも思われていた。そういったなか、インフルエンザについてはジョン・バリー『グレート・インフルエンザ』(共同通信社)、アルフレッド・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ』(みすず書房)、山本太郎『新型インフルエンザ―世界がふるえる日』(岩波新書)、NHK「最強ウイルス」プロジェクト『最強ウイルス­―新型インフルエンザの恐怖』(NHK出版)、岡田晴恵『鳥インフルエンザの脅威』(河出書房新社)、外岡立人『豚インフルエンザの真実』(幻冬舎新書)などが、かなりヤバイ話を満載している。

≪057≫  いわゆる風邪についての本も家庭医療本をふくめてかなり出回っているが、ジェニファー・アッカーマンの『かぜの科学』(早川書房)が詳しく、岸田直樹の『誰も教えてくれなかった「風邪」の診かた』(医学書院)が専門家たちに受けている。

≪058≫  身近で感染症を知ったという例では、イシス編集学校にデング熱に罹った者がいた。たいへん優秀な学衆で、チェンマイに住む化粧品クリエイターだった。当時の症状を聞いたが、高熱・関節痛・発疹のほか、口や鼻からの出血がとまらなかったようだ。

≪060≫  それでも1970年代までは、デング熱は九ヵ国でしか発症していなかった。デングウイルス4種類が発見されたのも東南アジアだけだった。それがいまでは100ヵ国をこえる。2014年の夏には東京の代々木公園でダンスの練習をしていた若者が発病した。ただちに蚊の退治が徹底されたが、わずか2ヵ月で感染者が青森から高知に及んでいたことが確認された。

≪059≫  デング熱(dengue fever)はフラビウイルス科に属するデングウイルスによるもので(血清型で4種類に分けられている)、このウイルスの仲間は黄熱病・西ナイル熱・日本脳炎・リフトバレー熱・ダニ媒介性脳炎などを発症させる。いずれも蚊やマダニが媒介する。デング熱はヤブ蚊の一種のヒトスジシマカ(タイガー・モスキート)による。

≪061≫  世界で最も大量の人間を殺してきた野生動物は何か。わかるだろうか。第1位は、なんと蚊なのである。第2位は何か。蚊に続くのは人間だ。蚊は人間と並ぶ殺戮生物なのである。マラリア、デング熱、黄熱病、日本脳炎などで毎年1000万人が死ぬ。これらの感染症は人から人へと感染するのではない。必ず蚊が媒介になる。

≪058≫  身近で感染症を知ったという例では、イシス編集学校にデング熱に罹った者がいた。たいへん優秀な学衆で、チェンマイに住む化粧品クリエイターだった。当時の症状を聞いたが、高熱・関節痛・発疹のほか、口や鼻からの出血がとまらなかったようだ。

≪060≫  それでも1970年代までは、デング熱は九ヵ国でしか発症していなかった。デングウイルス4種類が発見されたのも東南アジアだけだった。それがいまでは100ヵ国をこえる。2014年の夏には東京の代々木公園でダンスの練習をしていた若者が発病した。ただちに蚊の退治が徹底されたが、わずか2ヵ月で感染者が青森から高知に及んでいたことが確認された。

≪059≫  デング熱(dengue fever)はフラビウイルス科に属するデングウイルスによるもので(血清型で4種類に分けられている)、このウイルスの仲間は黄熱病・西ナイル熱・日本脳炎・リフトバレー熱・ダニ媒介性脳炎などを発症させる。いずれも蚊やマダニが媒介する。デング熱はヤブ蚊の一種のヒトスジシマカ(タイガー・モスキート)による。

≪061≫  世界で最も大量の人間を殺してきた野生動物は何か。わかるだろうか。第1位は、なんと蚊なのである。第2位は何か。蚊に続くのは人間だ。蚊は人間と並ぶ殺戮生物なのである。マラリア、デング熱、黄熱病、日本脳炎などで毎年1000万人が死ぬ。これらの感染症は人から人へと感染するのではない。必ず蚊が媒介になる。

≪062≫  蚊(Culicidae)にはナガハシ蚊、イエ蚊、ヤブ蚊、ハマダラ蚊など35属、約2500種がいる。1億7000万年前のジュラ紀の化石に発見されているのだから、小さな恐竜と言っていい。

≪063≫  われわれを刺すのはメスである。メスだけが吸血する。それも交尾した直後のメスが産卵に必要な栄養分として血を選ぶようになった。ふだんの蚊が血を必要としているのではなく、オスもメスも花の蜜などで一般養分を確保するのだが、メスは卵巣を活性化させるために吸血をする。一滴吸えばそれだけで何百個もの卵を産める。気温が15度以上にならないと、蚊は吸血活動をしないこともわかっている。

≪064≫  どうやって吸うのかというと、まず口吻(極細の針が六本束ねられている)を皮膚に刺し、タンパク質などの生理活性物質がまじった唾液を注入しておいてから(この液によって血小板の凝固反応を巧みにくいとめる)、毛細血管の血を吸い上げる。人体のほうはこれで小さなアレルギー反応がおこり、血管が拡張して痒くなる(搔いてはまずいらしい。冷たいタオルなどを当てるか、ひどいときは抗ヒスタミン薬を塗るかする)。


≪065≫  よく血液型がO型の者が刺されやすいといわれるが、これについては証拠がないらしい(O型説を調査しているグループもある)。それよりも汗が蒸発するときに汗の中のL(+)乳酸が誘引物質になったり、皮膚呼吸による炭酸ガスがその気にさせたり、女性ホルモンの分泌周期が原因になったりすることが多いようだ。

≪066≫  いつのまにか話がぼくの周辺事情や蚊に片寄ってしまったが、本書は今日の地球文明にとって感染症がどんな緊急事態をもたらしたかということを縦横無尽に説明してくれている。せっかくなので、猛威をふるった新興感染症(エマージング感染症)について、二、三、とりあげておく。

≪067≫  2014年に西アフリカで発症したエボラ出血熱は、内臓が溶けて全身から血を噴き出して死んでいくという悲惨な症状で、死亡率はほぼ90パーセントに達する。治療対策もまったく見つかっていない。

≪068≫  エボラ・ウイルスは細長いRNAウイルスで、糖タンパク質を鍵にして人間の細胞の鍵穴をこじあける。マールブルグ出血熱の要素や機能に似ていた。治療対策が見つからないのは、鍵になる糖タンパク質が細胞に入ってくるとき、「おとり」を使っているためで、この巧妙な手口によってウイルス本体を叩くことがなかなか成功しないせいでもあった。ザイール株が最も毒性が強く、レストン株はフィリピンからアメリカとイタリアに輸出されたカニクイザルの大量死によって発見された。感染源はまだ不明だが、熱帯林で果実を貪るオオコウモリが有力視されている。ちなみにコウモリたちは、100種以上の多様なウイルスを媒介することで知られる名うての「運び屋」なのである。

≪069≫  エイズ(AIDS)については、すでに畑中正一の『エイズ』(共立出版)を千夜千冊したことがあるが、文明社会に突如として姿をあらわしたのは1979年から翌々年にかけてのことだった。最初はその末期症状からカリニ肺炎などと呼ばれた。実はHIV(ヒト免疫不全ウイルス)による感染だということがわかった。

≪070≫  1982年には「スリム病」の名のエイズが、タンザニア国境近くのウガンダ南部で流行した。500人の村人のうちの17人が死に、5年後に患者は6000人に達した。

≪071≫  リュック・モンタニエ、ロバート・ギャロをはじめ、多くの医学者がこの奇病の原因究明に乗り出した。こうしてひとまずはエイズ・ウイルスHIVがつきとめられたのだが(二人はノーベル賞をもらった)、一方では各国の研究機関がエイズ・ウイルスに似たもの、すなわち“モドキ探索”に一斉に取り組んだ。

≪072≫  その結果、ミドリザル、マンガベイ、バブーン、マンドリルなどのアフリカ産の霊長類の大半、および牛・家猫・ライオン・馬・羊・ヤギなどに同類のウイルスがあることが判明した。マカクザルから摘出されたウイルスもHIVに酷似していたため、こちらはSAIDS(セイズ)と名付けられ、ウイルスのほうはSIVと命名された。

≪073≫  やがてロスアラモス国立研究所のチームが、ツェゴチンパンジーのSIVが突然変異をおこして人間感染型のHIV︲1型に変わったのではないかという仮説を発表した。そういうことがおこったのは1950年前後のことだという。

≪074≫  なぜこんなことがおこったかは推測するしかないけれど、おそらくはチンパンジー狩りをしているうちに、この異常な転移と変異が生じたのではないかと予想されている。「ハンター(狩人)仮説」と呼ばれる。

≪075≫  エイズの症状は恐ろしい。最初は全身の倦怠感、体重の急激な減少、慢性的な下痢、極度の疲労、帯状疱疹などが発症し、しだいに過呼吸、めまい、発疹、口内炎、発熱などを併発するため、いったんは風邪とまちがえるほどなのだが、この時期の自覚では医者もお手上げなのだ。

≪076≫  やがてCD4陽性T細胞の減少とともに、ニューモシスチス肺炎、カポジ肉腫、悪性リンパ腫、皮膚癌などが次々におこり、悪性腫瘍やサイトメガロウイルスによる身体異常が目に見えてくる。HIV感染細胞が中枢神経系組織に浸潤してしまったのだ。これが脳に及べば認知症や精神障害になる。

≪077≫  いまでは23にのぼるエイズ指標疾患がリストアップされている。カンジダ症、サルモネラ菌血症、壊疽、クリプトコッカス症、活動性結核、反復性肺炎、原発性脳リンパ腫などだ。これほど恐ろしいエイズなのだが、潜伏期間が十年近いため、気が付きにくい。感染源となりうる体液は血液・精液・膣分泌液・母乳などで、これも警戒がしにくい。

≪078≫  疫病や厄災が世界的に広がることをパンデミック(pandemic)という。 これまで感染症パンデミックで歴史上最大の犠牲者を出したのは、6世紀の「ユスティニアヌスの疫病」である。ペストのことだ。約1億人が死んだ。第1位が1346年から4年間に猛威をふるった黒死病(ペスト)で5000万人が死に、第3位は1918年からの2年間でパンデミックになったスペイン風邪で、約4000万人が犠牲者になった。

≪079≫  そして第四位がエイズなのである。すでに3600万人を突破している。ロック・ハドソン、アンソニー・パーキンス、フレディ・マーキュリーなどのスターも倒れていった。ちなみにパンデミック第13位に、2009年の28万人を失った豚インフルエンザが入っている。

≪080≫  それでもエイズ対策はそこそこ進んでいて、いま先進地域でエイズ患者がふえているのはどうやら日本だけになった。なぜなのかははっきりしないけれど、日本はスリーパーエージェント(潜伏ウイルス)に対する警戒心が極端に甘いからだという説が有力だ。

≪081≫  スリーパーエージェントで最も厄介なのはヘルペスである。ヘルペス・ウイルスはいつ暴れだすのかがわからない。宿主の状態を見きわめているとしか思えない。疲労、ストレス、紫外線、妊娠、病気がち、免疫力の低下などを見計らって、てきめんにヘルペスは動き出す。

≪083≫  ヘルペス・ウイルスは2億2000万年前に、哺乳類が出現する以前に登場したとみられている。真核生物とともにスタートを切って、変異をとげながら動物間にヨコ水平に広がっていった。そのうち7000万年前に分化をおこして、その一部が人間を好み、その最も狡猾なウイルスが三叉神経節に隠れることを学んだのだろう。

≪082≫  子供のころに罹る水痘(水疱瘡)、口のまわりに水ぶくれができる口唇ヘルペス、陰部が痒くなる性器ヘルペス、加齢につれて脇腹や背中に激痛が走る帯状疱疹、いずれもヘルペス・ウイルスの悪さだ。なかでもHSV︲1(単純ヘルペス・ウイルス1型)は、感染すると三叉神経節に潜伏して、じっと出動の機会を待っている。

≪084≫  ぼくの友人や知人も三人がヘルペスに悩まされた。なかには有名な写真家もいる。なんとも名状しがたい鈍痛に苦しむようだ。帯状疱疹にかかると、自分の皮膚が異質なものに冒されているという奇怪な実感に耐えられなくなると言っていた。しかも日本はワクチン対策がかなり遅れている。抗ヘルペス薬「アシクロビル」のこともあまり知られていない。感染症の歴史は、いまや生物学の歴史に介入してしまったのである。

≪01≫  

16億年前、生命の歴史に意外な事件がおこった。 
ミトコンドリアによる核DNAとの共生 または融合が、おこったのだ。 
これは乗っ取りなのか、あるいは編集なのか。 
それならわれわれは、 いまなおパラサイト・イヴの 隠れもなき申し子なのか。


≪02≫  1971年7月に刊行した「遊」の創刊号には、何人かの「ぼく」が隠れている。共生している。『自然学曼陀羅』と『場所と屍体』は松岡正剛という本名で、『人文ノート』の西山徳之助、『同定と仮説』の尾ケ瀬孫一、『ミトコンドリア・カルテット』の高田又三郎はこっそりペンネームで登場し、そのほか『オブジェ・コレクション』『物典』などのいくつかは無署名で紛れこんでいる。 雑誌の創刊号で、こんなに一人何役もの仕事をした編集長はめずらしいだろう。尾ケ瀬孫一はマツオカセイゴーのアナグラムである。なぜこんなふうにしたのかということは、いまはおく。 なかで『ミトコンドリア・カルテット』は、哲学と数学と音楽に並々ならぬ敬意と憎悪を払っている埼玉県在住の売れない作家ロレンス・ダレル氏を主人公にしたSFコントのようなもので、ある朝、ダレル氏が目がさめると「世界がちょうど2倍になっていた」というところから話が始まる。

≪03≫  埴谷雄高、篠田正浩、富岡多恵子、「現代の眼」編集部といった実名が乱れとぶなか、ダレル氏が収集あるいは開発した奇怪な機材類、たとえば視覚分度器、幻覚抑制定規、原索動物模型、自動鬼火撮影カメラ、経験頻度バロメーター、地形露出計、遠感封印器などのいかがわしいものとのやりとりをへて、ダレル氏が渋谷の情報取引所ですこぶる怪しいコミュニケーション体験をするというふうになっている。世界が半分になったところでカルテットが終わる。

≪04≫  これが『ミトコンドリア・カルテット』というタイトルになっているのは、当時、ミトコンドリアが「外」から入りこんだ闖入者だという説に触発されたためで、それがカルテットになっているのはロレンス・ダレルの『アレクサンドリア・カルテット』(745夜)に倣ったもの、ミトコンドリアとアレクサンドリアの“ドリア”を重ねた。ペンネームの高田又三郎は、御存知、宮沢賢治『風の又三郎』の転校少年だ。 まあ、大半は“地口の知”に遊んだものだが、それをミトコンドリアにひっかけたのは、それほどに35年ほど前のぼくがミトコンドリアの驚くべき動向に興味をもっていたということだ。1967年に発表されたリン・マーグリスの「ミトコンドリア=細胞内共生説」に瞠目したわけである。マーグリスについては第414夜に『性の起源』をとりあげておいたので、これを読まれたい。 ちなみにマーグリスの仮説が出る前までは、ミトコンドリアといえばATPの工場だと思われていた。高校で習った生物の教科書では、ミトコンドリアについてはATP(アデノシン三リン酸)をつくっていることばかりの説明しかなかった。そのころの教科書はないので、ぼくが数年前に高校教科書『理科基礎』を監修した縁のある東京書籍の『生物ⅠB』を見ると、こう書いてある。

≪05≫  すべての真核細胞にあり、呼吸をいとなみ、生命活動に必要なエネルギー源であるATPを生産する。内外の二重膜(二重の生体膜)に包まれ、内側の膜(内膜)は内部に向かって突出し、クリステを形成する。内膜に囲まれた部分にはマトリックスがある。細胞内で分裂によってふえる。 こんな程度だ。それでもいま見るとよく書いてあると思うけれど、むろんこれは“現状”のミトコンドリアであって、化学分化と化学進化の歴史のなかでのミトコンドリアがどんな活動をしていたのかは、これではほとんどわからない。 ミトコンドリアには、生命エネルギー源ATPをわれわれにもたらす以前の正体があったのだ。実は次のようだった。

≪06≫  およそ16億年前、地球に単細胞生物しかいなかったころ、ある単細胞生物がたまたま近くにいた別種の単細胞生物をとりこんで、なぜか共同して生息するようになった。

≪07≫  それから時が流れ、分裂と増殖がくりかえされるうちに、とりこまれたほうの生物の遺伝子は、その大部分が宿主(ホスト)側の遺伝子にくみこまれ、やがて二つの生物は“融合”した。この新しい生物こそ今日の多細胞生物の“元祖”であった。これがリン・マーグリスが描いた「核とミトコンドリアの共生」の物語のおおざっぱなシナリオだ。 地球が46億年前に誕生したとき、生命らしきものはこれっぽっちもいなかった。やがて地球が冷えて海が形成されると、海底火山口からは金属塩類をたっぷり含んだ高温高圧の熱水が噴出し、地球の原始大気を水蒸気・窒素・二酸化炭素、それに少量のメタン・塩化水素・二酸化硫黄・硫化水素などの構成にしていった。 このときは酸素はごくごく僅かで、大気中にはほとんどなかった。酸素がないからオゾン層もなく、紫外線や宇宙線がじかに地表に降りそそいでいた。たくさんの隕石の落下も、雷による放電もあった。

≪08≫  こうした強烈な刺激が地上でつづくうちに、海中で物質が反応しあって炭素を基調とする有機物がじょじょに合成され、さらにこれらの有機物どうしが組み合わさって高分子が形成されていった。これらの高分子こそ「生命の基体」となったもので、ここにRNAによる原始的な情報システムが生まれ、40億年ほど前にはDNAのセントラル・ドグマによる情報転写活動が開始した。

≪09≫  ついで27億年前になると、地球上では大規模な大陸移動がおこり、広い範囲の浅瀬ができて、生命誕生にふさわしい太陽光が射しこむ好条件が整った。ここに光合成をするシアノバクテリアの祖先にあたる藍藻類が出現した。藍藻類は二酸化炭素を吸って酸素を吐き出し、地球はここに初めて「酸素をもつ惑星」となった。

≪010≫  もっとも酸素はそもそも生物にとってはきわめて危険な代物で、他の元素とくらべて電子を吸収する力が強く、そのため周囲のさまざまなものと結合してしまう。酸化してしまう。また酸素は燃焼反応をおこしやすく、すぐ火を放つ。さらに酸素は他の物質と反応するときに電子を2個吸収するのだが、中途半端に1個だけ吸収すると、酸素よりももっと強い酸化作用をもつ「活性酸素」に変化してしまうという性質がある。こうなると生体に入った活性酸素は近くにあるタンパク質や脂質や糖や核酸などとすぐに反応して、これらをずたずたに切り裂いていく。 つまりは酸素は地球に「生命の温床」を用意したのだが、その一方で毒ガスをまきちらしていたわけでもあって、だったとしたら、多くの生命体がこの段階で死滅したはずなのだ。 ところが、どっこい、このときにこうした酸素の毒性に耐えられる生命体がいた。有毒な酸素をつかってエネルギーを産生する連中だ。この連中こそミトコンドリアの祖先なのである。

≪011≫  やがて意外な事件がおこる。およそ16億年前のこと、ミトコンドリアの遠い祖先であるこの連中が別の生命体の中に入りこんだのだ。なんらかの理由で大挙移住(移動)した。そして、この二つの生命体の遺伝情報はまもなく“融合”してしまったのである。 リン・マーグリスの「ミトコンドリア=細胞内共生説」とはこのことだった。しかし、その後の研究によって、マーグリスの説明だけでは説明できないことがいくつも出てきた。最初の移住者がαプロテオバクテリアらしいということもわかってきた。

≪012≫  現在の地球にいる生物は大きく見ると、「古細菌」「バクテリア(真正細菌)」「真核生物」の3種のドメインに分かれる。これ以外はいまのところ、ない。 古細菌ドメインは太古の地球に生存していた単細胞生物で、火山や温泉のような高温で硫酸を含む場所に生きている好熱好酸菌、死海のような高塩濃度を好む好塩細菌、下水処理場などで有機廃棄物を発酵させるために用いられるメタン生成細菌などがある。

≪013≫  バクテリア(真正細菌)のドメインは分裂によってふえる単細胞生物たちで、光合成細菌体、大腸菌、ブドウ球菌、スピロヘータ、リケッチアなど、たいへんな種類がある。バクテリア(真正細菌)のDNAは染色体のようなかたちをとらず、細胞質のなかにそのまま入っている。かなり初期に光合成細菌が、その後にαプロテオバクテリアが生まれていったのだと思われる。以上の古細菌とバクテリア(真正細菌)をまとめて「原核生物」ということもある。 一方、真核生物ドメインに入るのは、以上のほかのすべての生物だ。原生生物(トリパノソーマ=鞭毛虫類・粘菌・ゾウリムシなど)、酵母、植物のすべて、われわれヒトを含めた動物のすべてが入る。真核というように、細胞に核がある。DNAはその核の中にある。 大別すればこうなるのだが、これら3種(あるいは原核生物と真核生物)がどのように関係しあって進化してきたのかとなると、どうもわからないことが多い。うまい系統的発展の説明にならないのだ。

≪014≫  たとえば真核生物にはいくつかの種類のアミノアシルtRNA合成酵素というタンパク質をもっているのだが、このうちのひとつの遺伝子を調べてみると古細菌のものに似ていた。けれども別のアミノアシルtRNA合成酵素を調べてみると、バクテリアのほうに似ていた。また、真核生物の酵母であるアスパラギンtRNA合成酵母の遺伝子は、古細菌に由来する遺伝子とバクテリア由来の遺伝子をつなぎあわせているとしかみえない。 調べるタンパク質によって系統樹が変わってしまうのでは、どれが実際の進化の関係を示しているのか、わからない。どうすれば、この複雑さを説明できるのか。これはどう見ても、太古におこったはずの「細胞内共生」についての考え方を変える必要がある。

≪015≫  よく知られているように、DNAにひそむ遺伝情報はA(アデニン)・T(チミン)・G(グアニン)・C(シトシン)という塩基の文字によって符号化(暗号化)されている。 ATGCはDNAの螺旋梯子の部分にあたっていて、AとT、GとCが結合している。この塩基配列がタンパク質の基本設計図で、その符号の並びぐあいに従ってアミノ酸を順につくり、これをくっつけていけば目的のタンパク質になる。

≪016≫  生物がつかうアミノ酸は20種類である。アミノ酸1種を1文字で符号化すると、4種類のアミノ酸しかつくれない。2文字なら4×4=16個のアミノ酸を符号化できる。が、20種類にはまだ足りない。そこで3文字ずつを組み合わせて、4×4×4=64種のバリエーションにした。3文字を一組に符号化した。これが「コドン」である。3文字連なりのコドンならかなり余裕ができる。生物はこの戦略を編み出した。このコドンとアミノ酸の対応を遺伝子コードという。

≪017≫  しかし、これは細胞の核の中におさまっている「核DNA」の遺伝子コードなのである。実は細胞のなかで核とは別のところにあるミトコンドリアは、これとは異なる遺伝子コードをもっている。これを「ミトコンドリアDNA」(mtDNA)の遺伝子コードという。核DNAとミトコンドリアDNAは別物なのだ。 ミトコンドリアDNAは核DNAとくらべものにならないほど短く、その程度の符号ではミトコンドリアのすべての機能をカバーできるはずがない。なぜ、こんなものがあるのか。推理できることはただひとつ、ということは、このミトコンドリアDNAは、かつて細胞のなかに入りこんだミトコンドリアの祖先がもっていたDNAの痕跡だったのではないかということだ。

≪018≫  それでは、残りの多くはどうなったのかというと、これが核DNAに組み込まれていった。いいかえれば、ミトコンドリアの祖先がもっていたDNAの大部分は核へ移住して、古細菌の祖先に由来するDNA群と“融合”してしまったのである。最近の仮説では、さきほども書いたように、αプロテオバクテリアという連中が古細菌に入っていったと考えられている。 これはいわゆる「ふつうの共生」ではないかもしれない。どちらを主語にするかによるが、ひょっとしたら「乗っ取り」(テイクオーバー)かもしれず、「寄生」(パラサイト)かもしれない。「収奪的共生」という説明をする研究者もいる。もうちょっと編集工学っぽくいえば、相互に密接な「編集的生命関係」というものなのかもしれない。

≪019≫  いや、正確にいえば、真核生物の細胞を宿主(ホスト)として、好気性のαプロテオバクテリアなどがそこに入りこみ、そこでミトコンドリアに“なった”。こう、考えるしかない。生物史のある段階で(16億年前あたり)で、ミトコンドリアがなんらかの理由で合成的に作られたのだ。 本書はミトコンドリアを扱った多くの類書のなかでは、きわめてわかりやすく、また刺激に富んだ一冊になっている。 それもそのはずで、本書の著者の一人の瀬名秀明は『パラサイト・イヴ』の作者なのである。その瀬名が、スイス・バーゼル大学研究所と自治医科大学でミトコンドリアを研究してきた太田成男(いまは日本医科大学教授)と組んだ。太田はミトコンドリア病の専門家でもある。このコンビネーションのせいで、まことによくできた一冊になっている。

≪020≫  小説『パラサイト・イヴ』は1995年に発表されて、日本ホラー小説大賞をとった。この年は阪神大震災と地下鉄サリン事件があった。なかなか暗示的な年だった。『パラサイト・イヴ』については、日本にもついにアイラ・レヴィンの『死の接吻』やディーン・クーンツの『ストレンジャーズ』に匹敵するモダンホラーが出現したと騒がれた。ぼくもすぐに読んで、なるほどうまいと思った。

≪021≫  筋書きは、国立大学の薬学部に勤める研究者(永島利明)の妻が交通事故で死亡して、その腎が14歳の少女(安斉麻理子)に移植されるという設定になっていて、その少女が腎のうごめくのを感じたり、何者かが襲ってくる幻夢にうなされるというふうになるにしたがって、しだいに恐怖が募る。 主人公の研究者は妻の肝細胞を採取して、培養をする。その細胞は異常な増殖能力をもっていて、調べれば調べるほどミトコンドリアが未曾有の活性化をおこしていた。永島は細胞をクローン化することを思いつき、これを「イヴ」と名付けた。しかし‥‥実は、これらの一連の出来事は、つまり妻の死も臓器移植も「寄生者」(パラサイト)であるミトコンドリアが仕組んだ罠だった――。そういう話だ。 この筋書きにはむろんいくつもの下敷きがある。瀬名は東北大学の薬学科の大学院に在学中にこの小説を書いたのだが、そのため、かなり生化学にも分子生物学にも詳しい(のちの作品を読むとどんな科学にも強い)。なかでも下敷きになったのは、1987年に「ネイチャー」に発表されたセンセーショナルな論文だったろう。 カリフォルニア大学のアラン・ウィルソンとレベッカ・キャン(当時は大学院生)という分子進化学者が、現在生きているすべての人間は、かつてアフリカにいた一人の女性のミトコンドリアDNAを起源にしていると言い出したのだ。

≪022≫  ウィルソンとキャンは、世界中の民族や血統の異なる147人の現代人のミトコンドリアDNAを採取し、それに制限酵素(特定の塩基配列を切断する酵素)を反応させ、どのような長さのDNA断片が得られるかを比較計算した。そのうえでミトコンドリアDNAの変異系統樹をつくった。

≪023≫  二人はミトコンドリアDNAの変異がざっと100万年に2~4パーセントの割合でおこると想定した。その時間尺で計算すると、系統樹のルーツが約14万年前から29万年前にさかのぼる。これは一部の化石人類学者たちが想定してきた約20万年前に出現した人類の起源とほぼ一致する。そこで二人は、きっと小躍りしたのだろうけれど、このミトコンドリアDNAをもったアフリカ女性に尊敬と機知をこめて「ミトコンドリア・イヴ」という称号を与えた。

≪024≫  この算定はその後、さまざまに検証された。それに役立ったのはぼくも第72夜に紹介しておいたキャリー・マリス博士のポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法である。ホンダ・インテグラを乗りまわして離婚と結婚をくりかえすこのノーベル賞化学者についてはここではもうくりかえさないが(うんざりするので)、彼がやたらに女好きだということが「ミトコンドリア・イヴ」と妙に結びついている(笑)。

≪025≫  それはともかく、「ミトコンドリア・イヴ」についてはここでもうひとつ重要なことを言っておかなくてはならなかった。それはミトコンドリアDNAは母系遺伝する(母系遺伝しかしない!)ということだ。 われわれは精子と卵子の合体、すなわち受精によって誕生する。このとき、父親由来の遺伝子と母親由来の遺伝子を1セットずつ受け継ぐことになる。これが核DNAの遺伝法則であり、大原則だ。つまりメンデル遺伝だ。

≪026≫  ところが、ミトコンドリアの遺伝子は母親からの遺伝子しか継承しない。これが母系遺伝なのである。なぜか精子のミトコンドリアDNAは受け継がれない。メンデルの法則を無視してしまう。なぜこんなことがおこるのか。精子は卵子に自分の遺伝子をどうして届けなかったのか。 ふつう、ミトコンドリアは楕円形のゾウリムシのような形をしていると思われている。そこにクレステという壁か襞のような区切りがついている。昔も今も生物の教科書にはそういう模式図がのっている。けれども実際は、ミトコンドリアは臓器ごと、組織ごとに形がちがう。糸状か粒状になっていることのほうが多い。

≪027≫  精子のミトコンドリアは鞭毛の付け根にあって、まるで鞭毛を縛りつけるようにとぐろを巻いている。このミトコンドリアが精子を活発に動かすエネルギーを送り出している。最初に書いておいたように、ミトコンドリアの最も重要な役割はATPの産生だから、これは当然だ。それならばなぜ精子のミトコンドリアDNAは卵子に合体しないのか。 これについてはかつては、受精のときに精子の核だけが卵子に入りこみ、鞭毛の根っこについていたミトコンドリアは中に入らないせいだと解釈されていた。ところがこれはまちがいで、実は精子のミトコンドリアも卵子の中にちゃんと入っていることが電子顕微鏡などの観察でわかってきた。それにもかかわらず精子のミトコンドリアDNAは受精卵には伝わらない。消えたのだ。

≪028≫  なぜ消えたのか。まだそのしくみの一部しかわかっていないのだが、これは精子のミトコンドリアがユビキチンという物質によって“消されている”せいだという。なんらかの目的で、卵子はユビキチンという“目印”を精子の遺伝子につけ、これを消したのだ。“目印”をつけたのは、それ以外の卵子のDNAを消さないためだ。このため、卵子に残ったミトコンドリアDNAだけが次世代に伝えられ、母系遺伝の系譜ができあがったらしい。恐るべき「母性の起源」であろう。

≪029≫  それにしても「ミトコンドリア・イヴ」の歴史には、まだまだ秘密が多い。またミトコンドリアDNAを目盛りにして新たな生物史や人類史を解く試みも、これからそうとうに新たな結末を呼びこみそうだ。 そういう成果のまだ一部にすぎないが、ヒトと類人猿とサルとの関係も、ミトコンドリアDNAの塩基配列からしだいに解けそうになっている。宝来聰(総合研究大学院)がヒトと類人猿の系統樹をあきらかにしてみせたのは、そういう成果のひとつだった。それによるとオランウータンが約1300万年前に枝分かれし、次にゴリラが約656万年前に自立して、つづいてチンパンジーとヒトが487万年前に、そのあとボノボ(ピグミーチンパンジー)が233万年前に分かれたということになった。松岡正剛事務所の和泉佳奈子は学生時代にサルの研究をしていたのだが、ある日、ボノボがそのような類人亜種であることを知って、いつかアフリカのボノボに会いたいと思っている。

≪030≫  その人類誕生のミステリーも、ミトコンドリアDNAが解く可能性がある。ヒトが直立二足歩行をしはじめるのは500万年前の地球規模の寒冷化と砂漠化以前ではない。そのあとの440万年前にラミダス猿人が、つづいてアファール猿人(その代表が「ルーシー」、第622夜『ヒトはいつから人間になったか』参照)が登場して、すべての人類ドラマのプロローグがおこったのである。

≪031≫  さらにホモ・ハビリス、ホモ・エレクトスと続いたのちにネアンデルタール人(旧人)があらわれて、しかし、あえなく絶滅した。われらがホモ・サピエンス(新人)はそのあとの登場である。 問題はいったい旧人と新人の切り替えがいったいどのようにおこったかということだが、ミトコンドリアDNAによる解析では、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは一定期間(おそらく数千年ほど)はどこかで“共存”していたことになる。けれどもネアンデルタール人の化石標本のミトコンドリアDNAには、現代人の塩基配列はまったく見られなかった。旧人と新人は交わらなかったか、もしくは交われない何かの理由(きっととんでもない理由)があったのだ。

≪032≫  ともかくもそういうなかで、最初のアフリカ人としての「ミトコンドリア・イヴ」が出現したわけである。ではイヴたちはどのように“出アフリカ”をしていったのか。 これもある程度の見当がついてきた。最初にイヴ一族はモーセのごとく中東に進出し、そこで北に進んだ西ユーラシア人と、東に進んだ東ユーラシア人に分かれた。約9万年前のお別れだ。われわれモンゴロイドはこの後者の旅人の末裔にあたる。そのモンゴロイドがベーリング海峡を渡るのは2万年前ほどのことである。 まあ、そういった人類史と遺伝子の関係については、さらには日本人のDNA伝記については、また別の本で案内したいと思う。

≪033≫  ところでふたたび『パラサイト・イヴ』の話だが、これは2年後には映画化されて、少女を葉月里緒菜が演じた。これで『パラサイト・イヴ』とミトコンドリアの動向はおおいに人口に膾炙し、余談になるけれど、ミトコンドリアの正体は緑色した怪物のようなものだという印象すら広まった。 たしかにミトコンドリアには銅の成分を含んだチトクロムc酸化酵素があって、この酵素は黒ずんだ緑色をしている。けれども生きた細胞のなかのミトコンドリアは大量の鉄分が含まれているので、赤茶色だ。そのためミトコンドリアが多い筋肉を赤筋、少ない筋肉を白筋ということがある(まるで歌舞伎の隈取りだ)。 それなのにミトコンドリアが緑色だと思われているのは、葉月里緒菜がミトコンドリアの化け物に変身するときに体を緑色に塗られ、目の中に緑のカラーコンタクトにしたからだった。 もっとも、もうひとつの奇妙な理由があったらしい。ほんとうにそんなことが人心をゆさぶったのかどうかわからないが、ミトコンドリアには「ミ」「ド」「リ」という文字が隠れていたせいだった! もっともぼくがミトコンドリアと緑色を結びつけるというなら、ジェラール・ド・ネルヴァルの「緑色の怪物」やノーム・チョムスキーの生成文法論に有名な例文を持ち出したい。

≪034≫
では、諸君、今夜はミトコンドリアの緑色の悪夢を見られたい。
どんな悪夢にうなされたとしても、ぼくはいっさい責任をもちかねる。