GMV懇話会
SDGsという方法

参照資料(知求儀)

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コラバのSDGsフォーカス:③⑪⑫⑯⑰、 サステナビリティ:サクセッション 

あらゆる形態と次元の

貧困を根絶すること

持続可能な開発に向け、

構造的変革を加速すること

災害や紛争などの危機や

ショックへの対応力を

強化構築すること

貧困の根絶

国家の仕組みの整備 

災害や紛争などへの危機対応力強化 

環境保全 

安価なクリーン
エネルギーの普 

女性のエンパワーメントとジェンダー平等の実現

≪01≫  2000年6月から「ISIS編集学校」というネット上の塾のようなものをやっている。各教室を全国各所の師範代に担当してもらい、その教室に生徒が平均20人くらい入っている。

≪02≫  師範代は新聞記者から主婦まで、生徒もプロデューサー・テレビディレクター・企業経営者・銀行員から、アーティスト・美容師・大学生・主婦、さらには中学生までいる。週に1本ずつ程度のテンポで「編集稽古」の問題が教室ごとに配信され、これに生徒がさまざまな回答を寄せ、それに師範代が指南をしていくというしくみである。言い出しっぺのぼくが校長です。

≪03≫  この「ISIS編集学校」を見ていて、予想外ともいうべき師範代の指南力に、ほとほと感心した。感心していることはいろいろあるが、なかで、ああ、これがリオタールのいう「メテク」なんだという感慨が大きい。

≪04≫  メテクとは古代アテネの居留外国人で、雇われ教師のことをいうのだが、パリではアラブ系の外国人を蔑称するのにも使われる。リオタールはそのメテクをこそ自分の生涯の使命としていたふしがある。師範代にもそういうところがある。

≪05≫  メテクとしてのリオタールが永遠の哲学教師としてめざしていたのは、「その場で発見できる正しさを探る」ということだった。すでに近代的な知識人が終焉しているとみなしていたリオタールは、自分が何を語りうるかがわからないままに、つねにその場に臨んで正しい方向を“共に”探ることこそが、新たな「知」の創発を生むのだと考えた。

≪06≫  リオタールはそのときに発見するものを「イディオム」とよんだり、「パガニスム」(異教の実行)とよんでいた。編集学校の師範代たちも、最初から正解をもってはいない。「編集稽古」のための“お題”はあるが、それをめぐって生徒とのあいだで交わされるコミュニケーションが時々刻々のイディオムの発見なのである。だから教室ではいくつもの“解”があり、各教室ではまたまったく別のたくさんの“解”が動いている。不肖の校長はこれにいたく感動しているのだ。

≪07≫  リオタールは「知識人は終焉した」という発言とともに、「大きな物語は終焉した」という発言で話題になった。

≪08≫  「大きな物語」とは、知識人や科学者や技術者がつくりあげてきた正当化のための物語ともいうべきもので、その社会の大きさに対応している。これに対してリオタールは、各自が断片にすぎないことを自覚して、決して“正当”や“正解”を議論しないですむ物語がありうると言って、これを「小さな物語」とよんだ。

≪09≫  それはスッキリした問題解決ではなく、どこかに不透明なものが含まれるような問題提起であって、一定の場や普遍の場ではなくて「その場」に生まれるものであり、しかも活性化を促す方向性と、スタンダールのいう「スヴェルテス」(軽やかさ)をもっている。そういう「小さな物語」をメテクはナビゲートすべきだというのである。

≪010≫  お察しのとおり、「大きな物語」はモダンの産物である。このモダンの物語構造をそれぞれが食い破って、仮設的でポストモダンな「小さな物語」が生まれていく。エフェメラルな「小さな物語」はあくまで臨場的であって、仮設工事でなければならない。本書が訴えているところでおもしろいのは、ここである。

≪011≫  本書はタイトルを裏切って、子供向けの本ではない。「こどもたちに語る」というのは「次世代のために」といった意味だ。リオタールはそういうことを、よくする。

≪012≫  実のところ、ぼくはリオタールの良い読者ではない。どちらかといえば、かったるい。読まずにすむなら放っておきたい口である。文章(エクリチュール)も自分の文章(エクリチュール)の分節に絡まれて、動けなくなっているときがある。それにもかかわらず本書を紹介する気になったのは、ISIS編集学校の師範代がメテクとしての努力を払いつづけていることを、なんとか説明したかったからである。

≪01≫  1981年のフランスにミッテラン政権という社会党政権が誕生したことは、いまからおもえば奇蹟のようなものだった。その後、世界は90年代に向かってソ連・東欧の社会主義政権の崩壊を経験し、ヨーロッパはEUに向かっていくことになったからである。 

≪02≫  そのミッテラン政権の最高経済顧問となり、特別補佐官に就いたのが、まだ30代後半だったジャック・アタリだった。むしろアタリこそが奇蹟的人物といってもよかった。 

≪03≫  ぼくの一つ年上のアタリは、パリ理工科学校を首席で卒業後、フランスにはいまでもエリート養成学校がいくらもあるのだが、そのなかでも最高のエリート校である国立行政学院を出て、さらにパリ政治学院・鉱山大学校を修め、社会党に迎え入れられて経済政策を担当した。 

≪04≫  こんな経歴だけを持ち出すと、なんとも鼻持ちならない知的エリートの一人と見えるだろうが(むろんそういうところもあるが)、アタリが最初に書いた著作が市場主義を批判した『アンチ・エコノミクス』(1974)で、次がシャンソンの堕落と音楽商品の行方を論じた『音楽・貨幣・雑音』(1977)、それから情報社会論の先駆としての本書(1979)、さらには自律監視社会と自慰商品社会を根底から批評した『カニバリズムの秩序』(1979)だったことをおもうと、とてもとてもアタリの思想や行動が単調なエリートには収まらないことがすぐわかる。  

≪05≫  日本の政治家やその卵たちで、社民党や共産党を含めてこれほどの書物を書ける男は一人としていないし、それどころかアタリに匹敵するコンセプトワークなど日本の企業やベンチャーで見たこともないし、日本のシンクタンクや広告会社はそれを提案する文章すら書けないと言ってよい。 

≪06≫  おまけにアタリは、ヨーロッパがEU体制への移行を決断してからは、1991年から3年間、欧州復興開発銀行の総裁として嘱望されてその任にあたり、苦汁も嘗めた。この失敗の経験こそアタリに必要なことだった。いまどうしているのかは知らないが、おそらくこれだけの男のこと、またぞろ何かを考えているにちがいない。 

≪07≫  それで本書だが、まず邦訳タイトルがおおげさになっている。原題は『言葉と道具』である。 

≪08≫  冒頭、今後の社会は情報を多消費する機械によってひたすら擾乱されていくだろうということ、今後はいっさいの学説には、とりわけケインズ流の国家資本主義を標榜する経済学には進歩がないだろうこと、だから今後は「生産構造の変化そのものが生産となる」だろうこと、したがって今後は「権力のための科学」ではなくて「権力についての科学」が必要だろうこと、そのためにはおそらく「比喩」や「類比」が国際社会や国内政治でかなり重視されるであろうこと(とくに生命現象との類比)、こうして今後はプロジェクトこそが政治であり外交であり経済であって、そのプロジェクトはつねに変化を伴う自己組織化を生むものとなるであろうことが、次々に予告される。 

≪09≫  これだけでもこれが執筆された1976年あたりの事情を配慮するとなかなか壮観だが、アタリはここから実に粘り強くプロジェクトの具体像を提案していく。それは新たな社会モデルを提出しようというもので、それを、①経済的意思決定の基準、②権力の範囲、③権力の正当性に分けつつ、かつ、外展開軸(外交性)と内展開軸(内政性)が異なっていく方向で議論しようとする。 

≪010≫  もちろん、この時期の提案であるので、国際状況の読みや用語の設定ではいまや時代遅れとなってしまった見方も数々あるのだが、それらを差っ引いて読むと、その先駆的な判断にはしばしば目を見張らされる。とくに情報社会の捉え方である。  

≪011≫  アタリが本書で採った見方で有効だとおもわれるのは、エネルギー問題と情報問題を両方欠かさないで議論しようとしているところだった。 

≪012≫  ここではエネルギー問題については省くけれど、アタリがどんな経済過程もエネルギーの散逸を伴わないではいられないこと、経済が情報のエントロピーによって歪みも増幅もすることをあらかじめ指摘していたことは、注目に値する。アタリは「エネルギー-情報の対」を両眼視しつづけたのである。たとえば「記憶とは情報化されたエネルギーだ」「情報のフローとストックはエネルギーと回路の総体に比例する」というふうに。 

≪013≫  そこで、情報問題である。 アタリの情報論は半分当たっていて、半分は外れているか時代遅れになっている。しかし、当たっているところが格別に抜きん出ていた。それでいいのである。世の中の議論では、「はずれ」ばかりに文句をつけて、「あたり」をいちはやく理解しない評論家や実践者が罷り通っているのだが、その見方をしているかぎりは何も“編集”できない。 

≪014≫  本書の邦訳は1983年だったのだが、そのころ電電公社の民営化とNTTの発進に伴って、ぼくは情報文化論の組み立てをいろいろ依頼されていた。ずいぶんいろいろの著作や論文を読んだものだが、本書の右に出るものは少なかった。 

≪015≫  とくに情報の価値を、①情報は加算的ではない、②情報は能率を組織する、③情報は測定値にかかわらず意味の相互作用をおこす、というあたりに求めたところは、なかなかのものだった。その後、ぼくが『情報と文化』(1986・NTT出版)において、情報の特質を「多様性・同時性・選択性」をもつ「理解の関数」という点に絞り、その情報を交通させる情報経済にあっては、①情報財は相互付加性をもっている、②情報財には在庫処分がない、③情報財はパッケージを求めてメディアをまたぐたびに価値のパターンを変えていく、と述べたのも、主としてアタリの考察からの影響を多分に蒙っていた。 

≪016≫  アタリが本書の段階でめざした社会モデルは、一言でいえば「意味連関型相互交通社会」というものである。そこでは、言語や言説をさまざまな情報単位に転移して、不断に情報道具を再編成していくプロジェクトが産業文化の中核を占める。 

≪017≫  そのためアタリは、情報を「意味情報・記号情報・人格情報」に分け、ストック型からフロー型の経済システムを模索して、そこに情報が分節的にかかわる可能性を追求した。いまからみれば、これは“情報ネットワーク経済社会”の予告であったわけだが、さすがにこのモデルの細部は記述しきれてはいない。とくにホストマシンなきクライアント=サーバ型のウェブ社会の到来は、まったく見通せなかった。 

≪018≫  しかし他方、これは本書よりも『カニバリズムの秩序』に詳しいのだが、そうした社会になればなるほどに、多くの商品が食人型になっていくことを指摘して、かえって情報ネットワーク経済社会の“その後”の問題を先取りしたようなところもあった。新しい経済社会の食人性(カニバリズム)は、家屋を装う商品が家屋を蝕み、健康を装う商品が健康を蝕み、心を装う商品が心を蝕んでいく危険性があると説いたのだ。だからそのような社会ではどうしても「自律監視性」が求められるだろうが、そこをどうするかが難問になると警告したのだった。 

≪019≫  ジャック・アタリをどう読むか、それはこれからの問題なのかもしれない。とくにEUの前途が誰にも読めなくなっている今日(ということはアメリカやアラブ諸国の出方もということだが)、アタリの設計図が何を意図していたのか、おそらくはもう一度、関心をよぶだろう。 

≪020≫  1994年、欧州復興開発銀行の総裁を退いて1年後になったアタリは、次のような見取図を書き残して下野をした。選択肢が5つあるというのだ。 

≪021≫  第1には、EUの加盟国を現状のままにして、まずマーストリヒト条約を実現したうえで、統一通貨を早期に導入し、ヨーロッパ同盟という名の防衛体制を確立することである。 

≪022≫  第2にはEUを深化させないようにして、周辺諸国にEU性を拡大し、巨大市場の可能性をつくることである。ただしこの選択肢はドイツの支配力を高めることになるだろうとアタリは予想する。 

≪023≫  第3の選択肢は、EUが北アメリカと組んで大西洋経済文化圏を共有することである。このばあいは環太平洋諸国をどうするかが問われる(つまり日本の扱いだ)。もっともこのシナリオはアメリカから見れば、アメリカが“複数のヨーロッパ”を支配するのにもってこいになる。 

≪024≫  第4には、すべてのヨーロッパ諸国をほぼ平等に扱うEUの拡張を推進するというもので、とくに東欧諸国が重視されることになる。しかしこれにはアジアの低コスト製品からヨーロッパの弱体経済国を守るための、たとえば特恵関税が生じる可能性がある。 

≪025≫  第5には、いささか意外だが、フランス・スペイン・イタリアの南欧3国とモロッコ・アルジェリア・チュニジアのマグレブ3国による地中海連合を発足させ、ここを固めてからEU統合のシナリオに向かうというものだ。 

≪026≫  このシナリオを見ても、アタリがその後も何かを見通して虎視眈々としていることはあきらかである。むろん、政治の舞台は政権との縁によるのだから、アタリが日アタリのいい場所に出るかどうかはまったくわからない。 

≪027≫  しかしそれはそれ、フランスの秀才ばかりを褒めていてもしょうがない。せめて日本にも子アタリ、場アタリくらいが登場してもいいころである。 

グローバリゼーションが過剰になりすぎたいま、世界は反転しようとしているのだろうか。

ではどこに、どのように反転がおこるべきなのか。

本書はアンソニー・ギデンズの「第三の道」と、ネグリ=ハートの「マルチチュード」を両眼視して、そこにプルードン風のアナキズムの再来を嗅ぎとった。

著者は現在34歳の俊英である。 

≪01≫  1998年のWTO閣僚会議で、ビル・クリントンは「グローバリゼーションとは政策的な選択のことではない。それは現実なのだ」と述べた。その翌年のシアトルのWTO閣僚会議には、市場原理主義の侵攻に対する「反グローバリズム」の市民デモが押し寄せた。 

≪02≫  田中宇(667夜)によれば、グローバリゼーション(globalization)という言葉が欧米の新聞に登場したのは1983年以降のことだという。ジェラード・デランティは、社会学用語としてグローバリゼーションが使われたのは1966年の「アメリカ社会学雑誌」でのことだったという。初見はどうであれ、やがてグローバリゼーションは20世紀の終わりに向かってまさに現実のものとなっていった。それは政治と経済の分野、とりわけ世界経済的にボーダレスな現象としてあらわれていく。ウォッチャー大前研一は80年代の終わりから、そうした“グローバルな現実”が目に付きはじめたと、すかさず書いている。 

≪03≫  しかしその後のグローバリゼーションの驀進ぐあいを見ていると、そこには見逃せない大きな特徴があらわれていた。それは経済のグローバリゼーションは「政治からの脱コントロール」をめざし、もっぱら「資本の論理」によって駆動されるようになっていたということである。 

≪04≫  これについては当初から、スーザン・ジョージのように(A)グローバリゼーションはワシントン・コンセンサスのような“黒幕”や“犯人”が推進したという見方と、アレックス・カリニコスのように(B)資本の世界化が止まらなくなったとする“暴走説”による見方に分かれてきたのだが、しばらくすると、もっといろいろな解釈や指摘が登場してきた。 

≪05≫  たとえば、(C)グローバリズムと資源フローの顕在化と国民国家の衰退とはカップリングされている(デイビッド・ヘルド)、(D)グローバリゼーションは地域の絆を失わせていく(ロバート・パットナム)、(E)グローバリズムとナショナルな国民国家は両立しうる、(F)グローバリゼーションは国家の枠組との調整をはかりながら変容する(サスキア・サッセン)、(G)グローバリズムは世界をフラット化させている(ベンジャミン・バーバー、ジョージ・リッツァ、トマス・フリードマン)、とかとか。 

≪06≫  こうした幾つもの見解はいまなお併走し、なお論争されたままにある。しかし本書では、こうした見解群の相違の議論ではなく、次の二つの際立つグローバリゼーション論のありかたを検証した。社会学者アンソニー・ギデンズの『第三の道』(日本経済新聞社)に象徴される「市民的グローバリゼーション」論と、ネグリ=ハート(1029夜)の「グローバル≒ローカル・マルチチュード」論である。 

≪07≫  本書は鈴木謙介の『暴走するインターネット』(イースト・プレス)と『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)に次ぐ3冊目の単著にあたる。 

≪08≫  前2冊はなかなか刺激に富んだものだったが、本書はその刺激がさらに広域にも細部にもまたがり、かつ表層と深部を畳み針のごとく打ち返していて、領域は狭いけれども、より読みごたえのある論述になっている。鈴木はよほどの思索力・編集力の持ち主なのであろう。 

≪09≫  そういう鈴木の思想的才能についてはのちに少しだけふれることにして(文末の【参考情報】参照)、今夜はさっそくギデンズとネグリ=ハートの言い分に入っていくが、まずはかんたんな振り分けをしておく。 

≪010≫  アンソニー・ギデンズの言い分は、国家と個人という枠組のなかで、新自由主義型のグローバリズムが自己責任によって市場化された世界を生きることを強いるのに対して、人々が連帯し、生活の基盤となるコミュニティや市民社会をエンパワーすることを政治の中心課題とするべきだというのである。  

≪011≫  一方のネグリ=ハートは、市民的活動がグローバリゼーションによって広まることはありうるとしても、それがかえって世界を分断していくのではないか、だからマルチチュードはグローバルな市民秩序から排除されつつも、分断を超える運動にならなければならないというものである。 

≪012≫  鈴木はこのような見方は、ギデンズのものはデュルケムにつながり、ネグリ=ハートのものはプルードンにつながるとしている。 

≪013≫  ギデンズの「第三の道」案が、イギリス労働党のトニー・ブレアの政治方針に採用されたことはよく知られている。 

≪014≫  それまで労働党は社会民主主義の刷新を謳いながらも長らく修正主義につぐ修正主義の調整にとどまり、80年前後は「不満の冬」をかこっていた。それが90年代にむかって、ラディカルになったニューライトと保守的になった社民派との両方を乗り越えようとするポリティカル・パラダイムが少しずつ浮上してきた。それでもまだ靄々していたところがあったのだが、その気運が明白な政治方針になっていったのは、ギデンズの「第三の道」の提唱によっていた。福祉国家の道を進める「第一の道」、新自由主義に走る「第二の道」に対して、グローバリズムのなかでも市場主義と社会の安定は両立できるというものだ。 

≪015≫  ただしそれには、①福祉についてのリスクの対処を個人に求める、②共同体と市民社会を生活の基盤とする、③政府の役割は個人と市民社会のエンパワーメントに限定する、という最低3つの政策が採用される必要がある。そういうことも含んでいた。ブレア政権はこれを積極的に採り入れた(ぼくにはそうは見えなかったし、ぼくはブレアが嫌いだった)。同じころ、デンマークの「協定的経済」やオランダの「ポルダー・モデル」などが姿をあらわしてきたため、この方針は脚光を浴びた。 

≪016≫  ギデンズの基本政策には、金融取引の監視機関の設置、グローバル経済の“最後の貸し手”となる機関の創設、貧困解消のための援助、企業活動の規制、環境保全のための企業責任の強化などが含まれ、グローバリズム対策とともにアングロサクソン型の株式資本主義からもステークホルダー資本主義からも脱したいという方針が如実になっていた。  

≪017≫  これを短絡していえば「民営化」から「公共化」へのシフトだということになる。マーク・グラノヴェッターが提起した「埋め込まれた市場」と「保証する国家」の両立ともいえる。 

≪018≫  このようにギデンズが方針をたてたのは、事態をインターナショナル(国家間)な枠組ではなくトランスナショナル(超国家間)な枠組にもとづいたガバナンスによって解決したいと考えていたことを端的にあらわしている。 

≪019≫  鈴木はここにはコスモポリタニズムが動いていると見た。実際にもギデンズはこのような「第三の道」を、その後はあえて「新進歩主義」(ネオプログレッシヴィズム)と呼びなおすようになって、さらにコスモポリタニズムを強く主張していった。 

≪020≫  とはいえ、ギデンズの考え方にはコミュニティの政治社会的役割が重視されていた。それは明白だ 

≪021≫  しかし、そのことについてはさまざまな賛成と反対が殺到した。共同体主義をいよいよ現実的な政治実践の場に移したというアミタイ・エツィオーニのような評価もあったし、コミュニティを利用して新自由主義の保守的価値への適応をはかっているにすぎないという批判もあった。後者の批判はアレックス・カリニコスや渋谷望によって深まっていった。 

≪022≫  『危険社会』を書いたウルリッヒ・ベックは、これまでのグローバリズムに対して3つの保護主義が反対の狼煙をあげたものの、そこにはそれぞれの限界があると指摘した。3つの保護主義者たちとは黒い保護主義、緑の保護主義、赤い保護主義だ。 

≪023≫  「黒い保護主義」というのは、価値の崩壊とナショナルなものの喪失を嘆きつつ国民国家の新自由主義を解体していこうというものをさす。「緑の保護主義」は市場に対して環境保護の基準を突き付け、強制力をもつ国民国家の創出をめざす。いわゆる環境主義だ。「赤い保護主義」はお察しの通り、マルクス主義の立場からグローバリゼーションを批判したり理解したりするグループのことをいう。 

≪024≫  ベックのこの指摘以降、ネグリ=ハートの思想と運動が「赤い保護主義」に押しやられることがあった。しかしはたしてそうかと鈴木は問うた。本書はここから俄然おもしろくなっていく。これまで、ネグリ=ハートの「帝国」(エンパイア)論や「マルチチュード」論についてはさまざまな誤解があったのだが、そこを鈴木が巧みに整序していったからだ。ざっとは次のようになろう。 

≪025≫  第1にネグリらは、グローバリゼーションをたんなる資本の運動とも帝国主義が延長されたプロセスとも見ていない。そういうものとは質的に異なったものだと見ている。 

≪026≫  たしかにグローバルな資本の運動は政治的な力と結びついてはいるが、その政治的な力は帝国主義的な国家を超える単一の力なのである。それをこそ「帝国」の出現としか呼びようのないものなのだ。この帝国はなるほど明らかにアメリカ、とりわけ9・11以降のアメリカから過剰に生まれたものではあるが、実はアメリカ帝国それ自体のことではない。この帝国はアメリカを超えていくものである。 

≪027≫  第2に、ネグリ=ハートのグローバリゼーション論は「反グローバリゼーション」ではないと言うべきだ。グローバル・システムの改革ではあるが、どちらかといえば「オルター・グローバリゼーション」(もうひとつのグローバリゼーション)なのだ。そこにはだからトービン税の導入や途上国の債務帳消しにあたるアイディアなども含まれる。 

≪028≫  第3に、いわゆるグローバリゼーションの動向はふつうは不可逆なものだとみなされていて、それゆえ企業はグローバル・スタンダードをたえずほしがっていくことになるのだが、ネグリらにとってのグローバリゼーションは可逆的なのである。だからこそそこに「生-政治」が生まれうるという論法になっている。 

≪029≫  第4に、ネグリらにとってグローバル・システムを変更していく主体はマルチチュードということになるのだが、これは“本歌取り”の戦略だということである。再帰的(リフレクシブ)なのだ。そこがアンチ・グローバリズムではないというところで、またジョージ・ソロス(1332夜)らの漸進的社会工学とつながってしまうところなのだ。 

≪030≫  第5に、マルチチュードは「共」をめざし、公と私のあいだに生じるコモンズを矛盾と葛藤を恐れず多点多面に前進していくことをめざしているが、それはインターネット普及によって生じていくコモンズとはどんな類似性があるか、いいかえればネグリらの作戦はすでにウェブの中に吸いこまれているのかどうか、そこを点検しなければならないのではないかということだ。 

≪031≫  ざっとこんな整序を通して、鈴木はギデンズの「第三の道」から零れていったグローバリゼーション論や、「赤い保護主義」を組み敷いていくマルチチュード型のグローバリゼーション論が、しかしシャンタル・ムフの「多元的民主主義」や公文俊平の「共の原理」やウェブ社会の多様性とどう異なっているのかを検討し、実はグローバリゼーションはそれ自体が反転しようとしているのだという方向を嗅ぎ出していく。 

≪032≫  このとき、鈴木が気にするのはインターネットがもたらす社会の将来像とギデンズやネグリの想定する近未来社会との相違である。すでに『暴走するインターネット』などの著書のある鈴木は、キャス・サンスティーンらが主張する「インターネットは政治的危機を招く」という判断がどの程度のものかを議論する。 

≪033≫  サンスティーンの主張は、ネット社会にいま以上のカスタマイズがおこっていけば、“デイリーミー”が次々にエコーチェンバー式に増幅されて、結局は多くの情報が見えなくなっていくのではないかというものである。たしかに最近のグーグル検索熱の野放図な広がり方は、そのようなサイバー・カスケードをおこしているかのようだ。 

≪034≫  インターネットでは、一見、誰もが公平に情報を検索できているようでいて、実のところは集団分極化がおこっているのはあきらかなのである。ではこれって、いったい多元的な民主主義やマルチチュードな出来事なのかどうか。加えてそこにサイバーテロがおこったらどうなるのか。そこが問われる。またこれって、「帝国」とマルチチュードのあいだの軋轢でもあるのではないか。すでに中国ではそういうことが頻繁におこっているのではないか。そういうことも議論の俎上にのぼってこよう。 

≪035≫  しかし鈴木にとっては、このへんのことはそんなに大きな問題ではないらしい。むしろ本書が本領を発揮するのはこのあとで、ギデンズとネグリをつなぐものとして「アナキズムの蘇生」を嗅ぎ出していったことだった。アナキズムにこそ新たなオルター・グローバリゼーションがあるのではないかという見解を案内していったことだった。 

≪036≫  これは柄谷行人(955夜)やデヴィッド・グレーバーもプルードン哲学の再生として早くに提出していた見方でもあった(グレーバーについてはそのうち千夜千冊する予定)。 

≪037≫  プルードンによるアナキズム思想の骨格は、「労働者の自己疎外としての国家は諸個人の自由な活動を組み合わせた経済革命によって乗り越えられる」というところにある。それをラディカルに象徴していたのが有名な「所有とは盗みである」という言葉だった。 

≪038≫  この思想は、すでに千夜千冊してきたように、貨幣についての根本的な提起をともなうものになる。プルードンはそこを、「貨幣と利子がなくては交換の信用を得られない社会を、すべての商品が“価値の構成”の属性をもつ社会への転換に変じていく」というふうに描いた。そして貨幣のもつ片務性を相対化して、あえて信用の無償化をおこすことを提起した。それが相互性や互酬性をもつアソシエーションを基盤とする交換原理というものだった。 

≪039≫  実はネグリ=ハートは、自分たちの思想がアナキズムだと見られることには反対している。ギデンズはましてアナキズムから遠いとみなされてきた。しかしながら、ギデンズのコスモポリタニズムがルーツとするデュルケムにルソー主義への批判があり、ネグリ=ハートに分断される市民を巻き込む連帯的マルチチュードの創発があるかぎり、ここにはプルードン思想がふたつながら原郷を示していたともいいうるのである。ぼくはこのへんの見方は当たっていると思う。  

≪040≫  もっとも、ここには新たな問題も生じていく。このようなアナーキーなオルター・グローバリゼーションは、いわゆるローカリズムやコミュニタリアニズムと一緒くたにならなのかということだ。またそこには地域通貨や並列通貨が顔を出してくるのではないかということだ。 

≪041≫  詳しいことは紹介しないけれど、鈴木はこの点についても配慮を見せて、大澤真幸(1084夜)の「第三者の審級」論、加藤敏春のエコマネー論(残念ながらシルビオ・ゲゼルにまでは触れていないが)、金子郁容(1125夜)のボランタリー議論、広井良典のコミュニティ論、今田剛士の日本の農本主義との関連性の指摘などを点検し、一見するとローカルな議論あるいはコミュニタリアンな議論とされている多くの問題提起には、オルター・グローバリゼーションやアナキズムとのそれなりの共鳴性があることを指摘した。ただしコミュニタリアニズムについての議論はあまりされてはいない。 

≪042≫  というわけで、こうした理論的な試みのすべてを含めて、いま、世界はグローバリゼーション自体の反転をおこしているのだというのが鈴木の見解だったのである。 

≪043≫  それにしても鈴木の整序や案内は、なかなかの手腕であった。ぼくとしてはここにニクラス・ルーマン(1349夜)やリチャード・ローティ(1350夜)を脱出したダブル・コンティンジェントな視点が加わり、さらには編集的な方法の強調がおこることを期待するが、ここから先はきっと鈴木もすでに独自の予定をたてているところなのだろう。 

044≫ 【参考情報】 

≪045≫ (1)鈴木謙介は1976年生まれ。東京都立大学と大学院で理論社会学を修得し、ネット文化やニート世代について早くから発言をして、『暴走するインターネット』(イースト・プレス)、『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)、『ウェブ社会の思想』(NHKブックス)を著すほか、『21世紀の現実』(ミネルヴァ書房)、『ised』(河出書房新社)、『思想地図』(NHKブックス別巻)などを共著してきた。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員をへて、いまは関西学院大学社会学部准教授になっている。現在、34歳。 

≪046≫  このような鈴木の研究活動や言論活動は、当初は東浩紀が編集していたメールマガジン「波状言論」で連載された「カーニヴァル・モダニティ・ライフ」で注目を浴び、それが『カーニヴァル化する社会』で結実して、さらに話題を呼んだ。「カーニヴァル」はもともと人類学ではつねに取り沙汰されてきた用語だが、改めてはシグムント・バウマン(1237夜)が再提起した概念で、近代後期の社会特質をあらわすものとして、ソリッドな大きな物語が失われたぶん、リキッドな社会が向かった特質を象徴している。鈴木はここに注目して、日本のニート世代が「やりたいことしかやりたくない」や「ずっと自分を見張っていたい」と思うののはなぜかと問い、そこから今日の社会やウェブ社会に出入りする共同体・共同性・コミュニティ・コモンズに共通する再帰的祝祭性を取り出したのだった。 

≪047≫  すでに感想を書いたけれど、そのゼロ年代としての手並みは30代前後からかなり抜きん出ていた。おそらくは柄谷やデヴィッド・グレーバーに示唆されたのだろうが、グローバリゼーションを反転して見たときの底辺にアナキズムの光を見いだしたのは、なんといっても筋がいい。 


≪048≫ (2)本書には何人もの思想家や理論家が高速で登場するが、とくにアンソニー・ギデンズに多くのページをさいているのが意外だった。ギデンズは社会学者としては早くからその名を馳せていた研究者で、とくに1998年に刊行された『第三の道』(日本経済新聞社)にはたいへんな反響があった。一言でいえば「ポジティブ・ウェルフェア」を確保するための社民的な社会経済政策に、互いに相克しかねない「効率と公正」を新たにつなげ、「制度的再帰性」によって社会化していくことを提案するという学者だ。それでうまくいけば御の字だったが、これを全面採用したトニー・ブレアの政策は、結局はアメリカとの連携をはかりすぎて失敗した。 

≪049≫  それをもってギデンズに何かの烙印を捺すべきではないし、またそれをもってギデンズが重視した「再帰性」をめぐる考え方が失墜したわけでもないのだが、ぼくが思うにはギデンズの「再帰性」論は、他の連中の再帰性論にくらべてもあまりにもダイナミックスに欠けていて、おもしろくないものなのである。ということは、鈴木はギデンズから入ってそのあとにデュルケムをへてプルードンに行くコースを選ぶよりも、最初からアナルコ・キャピタリズムなどを取り上げてもよかったはずなのだ。そこが意外だったという意味だ。 

≪050≫ (3)ギデンズについてもう一言。ギデンズには渡辺聰子との共著『日本の新たな「第三の道」』(ダイヤモンド社)がある。これは民主党鳩山政権がスタートしてからのもので、さまざまな提言を満載している。渡辺は上智大学の社会学教授で、1995年にギデンズを日本に招いた張本人だった。  

≪051≫  この本が言わんとしているのは、ヨーロッパで「福祉国家を掲げる社会民主主義政党」と「新自由主義を掲げる保守政党」とがかわりばんこに政権を取ってきたからといって、そんな真似をする必要はない。ヨーロッパはそのために政策転換ばかりを旗印にしてきたため、病巣を深くしたのだから、日本が採るべき「第三の道」は最初から「市場と福祉」の利用法を同時に改革する統合的なものとなるべきで、新たな政権はそこをめざすべきだというものだ。ギデンズ執筆による「欧米社会モデルからの教訓」はそれなりのヒントになる。 

≪052≫ (4)ネグリ=ハートについては、ここではふれないでおく。あまりにたくさんの議論もあるし、参考書もふえた。ひとつだけ、パオロ・ヴィルノの『マルチチュードの文法』(月曜社)がたいへんに示唆深かったので、紹介しておく。ヴィルノは長きにわたるネグリやハートの旧友である。 

≪053≫  本書が書いていることで最も興味深かったのは、「生-政治」が大事なものになるには、まずは「生-言語」に向かうべきだと言っているところ、および、マルチチュードは人民の反対語だと言っているところだ。「言語こそマルチチュードとなるべきだ」、および「マルチチュードあるところに人民なし、人民あるところにマルチチュードなし」というところだ。とくに記述の半ばに出てくる「アリストテレスからグレン・グールドヘ」というあたりは、とてもすばらしい。テオリア・ポイエーシス・プラクシスの高らかな21世紀的転換になっている。 

ウェーバー、グラムシ、ポランニー。

グローバリズムにはこの3人の「方法」をもって立ち向かうべきである。

そう考えたミッテルマンは、グローバリゼーションを否定も肯定もしなかった。

むしろグローバルな「知識の変革」が必要だと考えた。

有機的な社会構成論によるグローバリゼーション論だった。

グラムシの対抗ヘゲモニー論から、インフラポリティックスに向かうところがおもしろい。 

≪01≫  これまでグローバリゼーションには、ほとんど神話とも世界伝説とでもいえるほどの、3つの説話がつきまとってきた。「われわれは地球村に住んでいる」「グローバリゼーションは世界の異なる条件を調和させていく」「グローバリゼーションとアメリカナイゼーションは同じものである」。 

≪02≫  いずれもグローバリゼーションが“国境のない世界”をつくりだすという、まことしやかなものになっている。ときには“だからみんな自由になる”という怪しげなお釣りがつく。この説話はちょっと思想っぽく言われるときは「脱領域化」とか「脱中心化」などと形容されてきた。 

≪03≫  むろんそんなことはおこっていない。グローバリゼーションは世界中のいたるところで「村」を破壊しているし、アングロサクソン・モデルが下敷きになってはきたものの、アメリカ資本主義と北欧資本主義とドイツ資本主義はそうとう違っている。それにアメリカにはミッキーマウスやバッグス・バニーだけでなくマリオやドラゴンボールもクレヨンしんちゃんも活躍している。 

≪04≫  地球はどこも一つになんてなっていないのだ。かつてのマクルーハン(70夜)やトフラーの先見的な期待に反して、クインシー・ジョーンズのすばらしいコーディネーションによる“We are the world”の熱唱に反して、われわれはいまだに地球村に住んでいる実感など、ちっとももててはいやしないのだ。 

≪05≫  アジアだって同じこと、インド、シンガポール、タイ、ベトナム、中国、韓国、日本には、“地球村”なんてどこにも共有されてはいない。  

≪06≫  尖閣諸島で中国漁船と海上保安庁がおこした事件に端を発した中国各地のデモひとつをとっても、東アジアはグローバルであるどころか、いっそうナショナルでリージョナルな地域間の歪みあいや激突を準備しつつあると見ておいたほうがいい。 

≪07≫  それなのに基軸通貨と軍事力はいまなおアメリカ中心なのである。日本は普天間基地移設を独自に動かすことなんて、できないままにいる。  

≪08≫  一方、グローバリズムはすべて過誤であるとか、その原因はマッド・マネーを暴走させたネオリベラル・グローバリゼーションにあるのだと決めつけるのも、おかしい。 

≪09≫  グローバリズムの正体は金融の悪魔のせいだけでは説明がつかない。国家と市場は二部構成なのであって、輪唱する合唱団なのだ。すでにデヴィッド・ハーヴェイ(1356夜)が解きほぐしたことだ。   

≪010≫  いや、国家と市場が二部構成だけなのではない。そこには環境主義がもたらしているグローバリゼーションもあるし、インターネットがもたらしているグローバリゼーションもある。そこへもってきて言語と通貨とウィルスがぐちゃぐちゃに紛れ込む。 

≪011≫  それにもかかわらず、こうした肯定否定ないまぜのグローバル世界説話があたかも“地球的真実”を語っているかのような経済社会お徳用神話として各国各地に蔓延し、流布しているのは、このところのグローバリゼーションについての知識とイデオロギーがかなり出来の悪いものであるからで、そこを根本的に問い直さなければグローバリゼーション議論はろくなものになるはずがない。   

≪012≫  ざっと以上のような見方をしてみたというのが、本書の立場と内容になる。題して『オルター・グローバリゼーション』とはなっているが、原題にあるように、これは本当は“Whither Globalization ?”なのである。 

≪013≫  すでにミッテルマンは前著で『グローバル化シンドローム』(法政大学出版局)をものしていた。グローバリゼーションはシンドロームであって、相互に連結する現象が見せあっているシンプトンあるいは症状の重ね合わせなのではないかという見方だ。   

≪014≫  市場原理主義、個人主義、効率主義、競争主義、規制緩和主義、民営主義、新自由主義、「小さな政府」主義が、相互にその発症シンプトンばかりで組み合わさって、グローバリズムの政治経済的なコアコンピタンスが形成された。そこに、さらに権力と労働のグローバルな分割、新しいリージョナリズム、グローバリゼーションに対する抵抗運動などが絡まっていった。それらがしだいに巨大なシンドロームになっていったというのだ。  

≪015≫  そうだとしたら、グローバリゼーションを不可避な動向と見るべきではないし、グローバリゼーションをやみくもに否定してもしょうがない。モハメド・マハティールとジョージ・ソロス(1332夜)とパット・ブキャナンとオサマ・ビンラディンをグローバリストとして同一視するのもおかしい。ミッテルマンはそう言うのだ。   

≪016≫  つまりグローバリゼーションは、市場、国家、金融工学、グローバル・ガバナンス、リージョナル・ガバナンス、それにグローバル化に対するさまざまな抵抗運動などが、それぞれ向かいつつある傾向が別々であるのに、いつのまにかあれこれ一緒くたになった“メタボ”のような膨張症状なのである。 

≪017≫  これがミッテルマンの見解だが、こういうふうに光と闇とを一緒にしてグローバリゼーションを捉えるのは、きわめて健全で穏当な見方で、一部の知識人からすればあまりラディカルには感じられないかもしれないが、いや、必ずしもそうではない。 

≪018≫  この見方は、これまで紹介してきたエマニュエル・トッド(1355夜)の家族歴史学によるグローバリゼーション論や、アンソニー・ギデンズの「第三の道」への脱出論とも異なるし、あるいはデヴィッド・ハーヴェイのポストモダニティから見たグローバリズム論やジョン・グレイ(1357夜)の「歴史社会は市場に答える必要がない」論などとも異なっている。これらはいずれも説得力をもってはいたが、ミッテルマンはやや別の見方に向かったのだ。 

≪019≫  どこが新しかったのかといえば、これ以上シンドロームとしてのグローバリゼーションの議論を放置しておくと、21世紀のわれわれの知識や言語活動に重大な支障をきたすことになるだろうと警告したところだ。グローバリゼーションを「知の歪み」と捉えたところだ。 

≪020≫  遅すぎる警告ではあるが、この警告は重要だ。どちらかといえば、クリスティアン・マラッツィが『資本と言語』(1385夜)に指摘したような、金融言語そのものを改革しなければグローバリゼーションの過誤を脱することはできないという視点と交差するところがある。 

≪021≫  そもそもグローバリゼーションは知識の新たなパラダイムを求めてつくられた概念や知で成り立ってはいない。つまりは相乗効果でここまで“メタボ”してきただけなのだから、このまま世の中にグローバルな見方が進行しつづけると、いずれその底が抜けたときは多くの知が混乱をきたしたままになっていくだろうこと、火を見るよりあきらかなのだ。   

≪022≫  もっとわかりやすくいえば、今日のグローバリゼーションはそれ以前の分析カテゴリーではとうてい説明がつかないものなのである。この20年ほどのグローバリゼーションによって、かつての社会にあてはまっていた知的カテゴリーの多くはことごとく二項対立に嵌まってしまうものになったのだ。このことによって、国家もグローバル・ガバナンスも、リージョナリズムも抵抗運動も、ひどく古めかしいものになってしまったのだ。 

≪023≫  ところが、多くの者がそのことに気づかないままにある。 

≪024≫  ぼくもつくづく実感しているが、最近の日本の企業家やビジネスマンと話していて一番に失望を感じるのは、かれらがグローバリゼーションによって広められた言葉と知識でしか世界や社会や所属企業のことを語れなくなっているという“症状”に陥っていることである。    

≪025≫  これはそうとうにどうしようもない。かなり、ひどい。とりわけ日本のビジネスマンはこの十数年間、グローバリズムとコンプライアンスでかなり骨抜きになったままにある。 

≪026≫  こういう状態では、マラッツィやミッテルマンのように、金融やビジネスや商取引や組織の言葉を根底から変えないかぎり事態は変わらないと思うのは、むべなるかななのだ。 

≪027≫  さて、ミッテルマンがこうした見方を打ち出すにあたって依拠しているのは、主要にはマックス・ウェーバー、アントニオ・グラムシ、カール・ポランニー(151夜)の3人だった。そこにときにマルクス(789夜)、ときにブローデル(1363夜)、ときにトマス・クーン、ときにフーコー(545夜)、ときにデヴィッド・ハーヴェイ(1356夜)が適用される。 

≪028≫  かれらの思想に全面的に依拠しているのではない。上記の主要3人がそれぞれの思想的文脈で強調してきたこと、すなわち、どんな知識も「方法」のために方法論的に構成されるべきだということだということに注目して、方法によってグローバリゼーションの方法を改編しようというのだ。 

≪029≫  ウェーバーが、社会的行動の目標はたんなる理念やユートピア思考や破壊思想によって充填されるべきでないと断じたことはよく知られている。そこでウェーバーは「社会は方法論的構成物でなければならない」と考えた。 

≪030≫  グラムシも「対抗ヘゲモニー」を持ち出したことにおいて、すぐれて方法の人だった。方法論的構成だけを重視した。しかも資本主義のパースペクティブの中でのヘゲモニーのありかたを提起した。 

≪031≫  アントニオ・グラムシ(1891~1937)はトリノ大学で言語学を専攻した。在学中に友人のトリアッティとともに労働運動に接し、みずから身を投じて社会党トリノ支部の書記になると、折から勃発していたロシア革命に大いに刺激されフィアット自動車工場の労働者たちの渦中に入っていくうち、来たるべきイタリア革命の母体を工場評議会に見いだすようになった。 

≪032≫  その後、社会党が改良主義に堕しているのに見切りをつけ、イタリア共産党の創設(1921)に参加して、モスクワに赴いてコミンテルン執行委員になった。帰国後、出馬して国会議員となると、共産党書記長としてムッソリーニのファシスト政権に真っ向から対決するのだが、1926年に逮捕され、以降10年間の獄中生活を強いられて、二度と世間に交わることなく、釈放直後に脳溢血で死んだ。46歳だ。この獄中で書かれたノートに、有名な「ヘゲモニー論」があった。 

≪033≫  グラムシは活動中にロシアとヨーロッパとの差異を知ったのである。また獄中でありとあらゆる「情報」に接したのである。 

≪034≫  ロシアでは権力が政治社会に集中しうるが、ヨーロッパでは市民社会が成熟しつつあるので、権力は教会・学校・企業・組合などに分散して浸透している。そこには大衆もいるし、メディアもいる。すなわち国家のヘゲモニーは市民社会の内外に出入りして動いている。もう少し正確にいえば、権力は「ヘゲモニー関係」としてあらわれていると見るべきなのだ。 

≪035≫  そうだとすると、革命や改革は前衛が一挙的に破壊活動や暴力行為をおこして獲得するものではなく、「ヘゲモニー関係」を日常的に変質させながらネットワーク化させていくべきものなのである。 

≪036≫  グラムシはそのためには、「知識」が方法論的に変革されていくべきだと考えた。その知識は知識人が大衆を指導したり感化するというのではなく、大衆的な「感性」を採り入れて「練り上げる」べきである。そういう“有機的な知識”の生成のためのネットワーク化の努力をしていけば、やがて「調和した社会」(societá regolata)がつくれるであろう。  

≪037≫  これが、方法によって既存社会に立ち向かい、社会の中に「対抗ヘゲモニー」を創発させていくというグラムシの方法論だった。ミッテルマンは、このようなグラムシの方法が今日のグローバリゼーションの中にこそ蘇るべきだとみなしたのだ 

≪038≫  有機的な知識をつくりだす方法が、見方を変えれば、カール・ポランニーのいわゆる「社会に埋め込まれた経済」とつながりうることは、説明するを俟たない。だからそのことについてはここでは敷延しないけれど、ミッテルマンはもうひとつ、ポランニーの「二重運動」論にも注目した。 

≪039≫  これは、産業資本主義の発達が市場を拡大深化していったとき、それに対する反対運動や破壊運動がかえって産業資本の自己保護を強化したというポランニーの分析から生まれた方法的観点である。ミッテルマンはここにも注目して、グローバリゼーションにも二重運動がおこっているとみなしたのだった。 

≪040≫  以上のようなグラムシやポランニーの発見は、まとめていえば、大きな動向がヘゲモニーやイニシアティブをとるにあたっては、どこかで下位集団や対抗集団の知識やイデオロギーが吸収されているということである。ミッテルマンは、グローバリゼーションもまたそういう「方法」をこそねじこむべきだというのである。 

≪041≫  ついでながら、ミッテルマンはそこからさらに、グラムシの考え方を継承発展したジェームズ・スコットの「インフラポリティックス」に注目していった。本書に詳しくは展開されていないのだが、これがなかなかに興味深い。 

≪042≫  インフラポリティックスは、本書では「基底政治」と訳されているが、字義通りにはそうではあるが、必ずしもそういうものではない。むしろ紫外線(インフラバイオレット)や赤外線(インフラレッド)というときのインフラに近く、いわば測定規定外のスペクトルをもった社会的なメッセージ群、見え隠れするメッセージ群のことをいう。 

≪043≫  さまざまな有意的な活動やメッセージの中に出入りする多様な“隠れたトランススクリプト”のこと、それがインフラポリティックスである。  

≪044≫  たとえば、ユーモア、走り書き、徒名(あだな)、緩慢な動作、しゃがみこみ、チャット、ゴシップ、噂、壁新聞、フリーマーケット、井戸端会議、さらに付け加えれば、たとえばトランスジェンダー、ヒップホップ、ブログ、ツイッター‥‥。だいたいはこういうものだ。つまりは社会的な既存ヘゲモニーや既成イニシアティブと結びついていないメッセージ群、隠れたトランススクリプト群たちが、インフラポリティックスなのである。 

≪045≫  ミッテルマンがこれらに見いだしたのは、グローバリゼーションの先端から零れていった火花であり、新たな対抗ヘゲモニー関係の閃光というものだったろう。もっとも、これらのトランススクリプト群が新たな「知」に向かってどのように編集されるべきかは、前著『グローバル化シンドローム』にも本書にもまったく触れられていない。 

≪046≫  どうも学者というのは、せっかく新たなセオリーに組み入れる突端の作用概念に気がついていながら、その後の編集力を欠くようだ。このあたり、今後に議論が深まっていくべきだ。 

≪047≫ 【参考情報】 

≪048≫ (1)ジェームズ・ミッテルマンはぼくと同い歳の1944年生まれ。ミシガン州立大学からコーネルの大学院に進み、1971年にコーネル大学で政治学のPh.Dを取得した。その後、いくつかを歴任して、ごく最近まではワシントンのアメリカン大学国際関係学の教授の職にいた。本書は大筋はおもしろいのだが、上にも書いたように細部からの起爆がまったくなく、そこがめんどうくさいほど焦れったい。  

≪049≫  訳者の奥田和彦はフェリス女学院の国際交流学教授で、政治学と政治思想史の専攻。滝田賢治は中央大学法学部教授でアメリカ外交史が専門、その『東アジア共同体への道』(中央大学出版部)はNARASIA編集のときに参考にした。 

≪050≫ (2)アントニオ・グラムシのものは『グラムシ選集』全6巻(合同出版)で読める。ほかに『愛と思想と人間と(獄中からの手紙)』(大月書店)、『現代の君主』(青木書店)、『ファシズムと共産主義』(現代の理論社)、『グラムシ政治論文集』(三一書房・大月書店)、『ノート22:アメリカニズムとフォーディズム』(同時代社)などの単著も出ている。  

≪051≫  もっともグラムシのことはかつてはたいていの左翼が読んでいたか、気にしていた思想家・運動家だったのに、現在の日本ではほぼ忘れられているといっていい。当時、石堂清倫の名など、いつもグラムシとともに響いていた。 

≪052≫  それでも山崎功の『アントニオ・グラムシ』(岩波書店)、竹村英輔『グラムシの思想』(青木書店)、上村忠男の『クリオの手鏡』(平凡社選書)や『グラムシ 獄舎の思想』(青土社)、片桐薫『グラムシの世界』(勁草書房)、同『ポスト・アメリカニズムとグラムシ』(リベルタ出版)、松田博『グラムシ研究の新展開』(御茶の水書房)など、日本人の手によるすぐれたグラムシ論は少なくない。最近ではノルベルト・ボッビオ『グラムシ思想の再検討』(御茶の水書房)、アウレリオ・レプレ『囚われ人 アントニオ・グラムシ』(青土社)などの翻訳もある。 

≪053≫  ちなみにぼくにとってのグラムシ像は、クローチェ、キンズブルク(56夜)、アガンベン(1324夜)、ネグリ(1029夜)、パオロ・ヴィルノとともに読める“イタリア思想の最も切れ味のいい相手”ということにある。 

≪054≫ (3)グラムシを受けたジェームズ・スコットについては、残念ながらまだ日本ではほとんど紹介されていない。翻訳もない。しかし「インフラポリティックス」あるいは「隠れたトランススクリプト」という考え方は甚だ興味深い。もっと議論されていい。とりあえず詳しくは、James C. Scott “Domination and the Arts of Resistance : Hidden Transcripts”(Yale University Press)をどうぞ。 

いま、アジア経済が注目されている。

しかし、かつてアジア経済こそが、400年にわたっての世界経済のセンターだった。

各地のリージョナル・エコノミーが相互に動き、あたかも「アフラジアな夢」とでもいうべき充実だった。

それが1800年を境に、ヨーロッパの近代世界システムの軍門に下った。

なぜ東洋は没落し、西洋が勃興したのか。

本書はそのことを「リオエント現象」のなかに一貫して捉えようとした。

ウォーラーステインの世界システム観からの脱却である。 

≪01≫  いま、ぼくは「世界の見方をコンテント・インデックスするための作業」の一応の仕上げにかかっている。三十年来の懸案の仕事で、マザープログラムとしての「目次録」というものだが(詳しいことはそのうち公表する)、これをイシス編集学校の「離」の演習を修了した者たちがつくる「纏組」のメンバーとともに取り組んでいる。この年末年始にはちょっとピッチを上げたい。 

≪02≫ なかで二人の若い仲間にエディトリアル・リーダーシップを期待している。一人は香港を拠点に投資会社を動かしている「川」君で、一人はチェンマイにいて化粧品会社を経営している「花」嬢である。こんな会話をしていると仮想してもらうといい。「花」は最近トルコに原料の仕入れに行ってきた。 

≪03≫
  イスタンブールはどうだった?
  トルコはやっぱり東と西の両方をもってますよね。それがオリーブの木の繁り方にもあらわれてます。
  かつての日本はトルコの政治動向によく目を凝らしていたけれど、最近はダメだね。トルコが東西融合のカギを握っているのにね。香港も「東の中の西」だよね。仕事をしていて、どう?
  すでにマネーはあまりにもグローバルになりすぎてるんですが、経営者たちのマネージ感覚はやはり中国的で、会社の将来に対するアカウンタビリティはやっぱりどこか東方的です。
  タイのさまざまな会社は、その手工業的な生産のしくみにはまだまだアジア性があるんですが、いったんグローバルマネーの洗礼を受けると、がらりと変わります。それは日本企業の近寄り方にもあらわれている。
  校長のNARASIA(ナラジア)のほうはどうですか。奈良とアジアを線から面へつなげていくプロジェクトでしたね。
  ちょうど近代以降の東アジアの人物ばかりを取り上げる「人名事典」の執筆編集にかかっているんだけど、いままで誰もそんなことをしてこなかったようだね。どうも「欧米の知」に埋没しすぎた時期が長すぎた。掘り起こすのがたいへんだ。  

≪04≫  まあ、こんな感じの会話をちょくちょく楽しんでいるのだが、この二人のためにも、今夜はアンドレ・フランクの『リオリエント』を紹介することにした。すでに『NARASIA2』でちょっとお目見えした本だ。榊原英資さんが紹介した。ざっとは、以下のようなものになっている。 

≪05≫  ヨーロッパ人は自分たちの位置が世界の圧倒的優位にあることを示すため、かなり“せこい”ことをしてきた。わかりやすい例をいえば、メルカトール図法を波及させてヨーロッパを大陸扱いし、イギリスをインドほどの大きさにして、そのぶんインドを「亜大陸」と呼び、途方もなく大きな中国をただの「国」(country)にした。 

≪06≫  そもそもアジアを含む「ユーラシア」(Eurasia)という言い方があまりにヨーロッパに寄りすぎていた。せめてアーノルド・トインビーや世界史学会の元会長だったロス・ダンがかつてかりそめに提案した「アフラジア」(Afrasia)くらいには謙虚になるべきだが、そんなアイディアはすぐに吹っ飛び、そのユーラシアの中核を占めるヴェネツィアやアムステルダムやロンドンが発信したシステムだけを、ウォーラーステインが名付けたように「世界システム」とみなしたのだ。 

≪07≫  西洋史観にあっては、ヨーロッパの歴史が世界の歴史であり、ヨーロッパの見方が世界の価値観なのである。 

≪08≫  さすがにこうした片寄った見方が、何らかの度しがたい社会的な過誤を生じさせてきたであろうことは、一部の先駆的な知識人からしてみれば理の当然だった。たとえばパレスチナ出身のエドワード・サイードは『オリエンタリズム』(平凡社ライブラリー)で、カイロ生まれのサミール・アミンは『世界は周辺部から変る』(第三書館)で、西洋社会(the West)が自分たち以外の「残り」(the Rest)を“オリエンタルな縮こまり”とみなして、多分に偏見と蔑視を増幅してきたことを暴いた。 

≪09≫  またたとえば、マーティン・バナールは大著『ブラック・アテナ』(新評論)で、ヨーロッパが古代ギリシアに民主的なルーツをもっているとみなしたのは十九世紀ヨーロッパが意図的にでっちあげた史的神話であり、そこには根強いヨーロッパ中心史観が横行していったことを暴露した。ミシェル・ボーもほぼ似たようなことを暴露した。 

≪010≫  ヨーロッパ中心史観は“せこい”“ずるい”だけではなく、アジアについての歴史認識が決定的にまちがっていた。そのことをいちはやく証かした者たちも、告発した者たちもいる。早くにはジョゼフ・ニーダムの『中国の科学と文明』(思索社)という十巻近い大シリーズがあった。ぼくは七〇年代に夢中になった。本人とも会った。中国の科学技術を絶賛していた。 

≪011≫  ドナルド・ラックとエドウィン・ヴァン・クレイは『ヨーロッパを準備したアジア』(未訳)というこれまた八巻をこえる大著を刊行し、十六世紀のヨーロッパ人が「中国と日本こそ未来の偉大な希望である」と見ていたことを実証した。この時期までは、ヨーロッパの宣教師・商人・船長・医師・兵士は中国と日本を訪れた際の驚きをヨーロッパの主要言語でさかんに著述喧伝していたのだ。ライプニッツでさえルイ一四世に、「フランスがライン川の対岸に関心をお持ちのようならば、むしろ南東に矛先を変えてオスマンに戦いを挑んだほうがよろしかろう」と手紙を書いているほどだ。 

≪012≫  ジャネット・アブー゠ルゴドの『ヨーロッパ覇権以前』(岩波書店)という本もある。この本では、十三世紀にすでに「アフロ・ユーラシア経済」というシステムが機能していて、そこに、①ヨーロッパのサブシステム(シャンパーニュの大市、フランドル工業地帯、ジェノヴァ・ヴェネツィアなどの海洋都市国家)、②中東中心部とモンゴリアン・アジアを横断する東西交易システム、③インド・東南アジア・東アジア型のサブシステムという、三つのサブシステムが共有されていると主張した。 

≪013≫  イスラムの研究者であるマーシャル・ホジソンは、近代以降のヨーロッパの世界経済研究者の視野狭窄を「トンネル史観」だと批判した。ヨーロッパ内部の因果関係だけをくらべて見てトンネル的な視界でものを言っているというのだ。 

≪014≫  たしかにヨーロッパにはアダム・スミスの『国富論』は下敷きになってはいても、『諸国民の富』はまったく目に入っていない。実はアダム・スミスが「中国はヨーロッパのどの部分よりも豊かである」と書いていたにもかかわらず――。 

≪015≫  どう見ても、世界経済は長期にわたってアジア・オリエントに基盤をおいていたのである。ジェノヴァもヴェネツィアもオランダもポルトガルも、その経済成長の基盤はアジアにあった。トルコ以東にあった。コロンブスが行きたかったところも“黄金のアジア”だったのである。  

≪016≫  これらのことをまちがえて伝え、あるいは隠し、その代わりにその空欄にヨーロッパ中心史観をせっせと充当していったことは、近代以降の世界経済社会から得た欧米主義の大成果の巨大さからして、あまりにもその過誤は大きい。捏造されたのは歴史観だけではない。経済学やその法則化もこの史観の上にアグラをかいただけだったのだ。その責めはマルサスやリカードやミルにも、また残念ながらマルクスにも、またマックス・ウェーバーにもあったと言うべきである。 

≪017≫  ようするにヨーロッパは、ウェーバーにこそ象徴的であるが、アジアの経済社会が長らく「東洋的専制」「アジア的生産様式」「貢納的小資本主義」「鎖国的交易主義」などに陥っていると強弁しつづけることで主役の座から追いやり、ヨーロッパ自身の経済成長をまんまとなしとげたのだった。 

≪018≫  こうした強弁にもかかわらず(いや、故意に過誤を犯してきたからだったともいうべきだが)、ヨーロッパは十九世紀になると、それまで周辺世界を公平に学習してこなかったことはいっさい棚上げにして、その後の一〇〇年足らずで一挙にアジアを凌駕してみせたわけだ。実質的にも、理論的にも、その後のグランドシナリオにもとづくグローバリゼーションにおいても――。 

≪019≫  そこでアンドレ・フランクがこれらの総点検をもって、本来のアジア・オリエントの優位は今後の二一世紀における“リオリエント現象”によって復権につながるのではないかという仮説を、本書で提出することになったわけである。  

≪020≫  一言でその方法をいえば、本書ではブローデルのヨーロッパ中心の経済パラダイム論やウォーラーステイン型の近代世界システム論ではなくて、新たな「リージョナルエコノミー・システム」(地域間経済システム)が右に左に、東西に、南北に動くことになる。銀や綿花や胡椒や陶磁器が「横につながる経済力」をもって主語になっていく。  

≪021≫
  どうして「アジアの経済学」が生まれなかったんですかね。
  欧米で?
  アジア人の手によって。
  そもそも 儒学の「経世済民」は東洋の経済思想だと思うけどね。でもそれが近代化のときに孫文をはじめ、みんな社会主義のほうに行った。日本にも三浦梅園にも二宮尊徳にも権藤成卿にも経済学はあったんだが、やっぱり近代日本人がそのことに気がつかなかったんだね。二十世紀にその必要があったときは、もうすっかり欧米エコノミーに蹂躙されていたしね。
  そうなると、前夜の千夜千冊の『ガンディーの経済学』(作品社)こそ、ますますかっこいいですね。スワラージ、スワデーシというより「ナイー・タリーム」ね。
  「富」と「貧」をつなぐ受託者制度ね。あれは「第三の経済学」というより、まさしく近代における経済社会の原点ですよね。
  ポランニーが実践できなかったことだよね。
  それをカッダル(チャルカー=手工業の国産糸で紡がれ織られた服)に人々の選好を集中させるという象徴的選択であらわしているのが、とてもかっこいい。セクシーです。
  アジット・ダースグプタの『ガンディーの経済学』に書いてあった「サッティヤグラハ」がそうですが、ガンディーって概念を編集的に創造してますよね。それが経済政策の「より少ない資本、それも外国資本に頼らない資本」という実践方針と合致していくのは、感心しました。
  そう、かなり編集的な政治家だね。
  「ナイー・タリーム」(新しい教育)は母語による学習と教育の徹底ですよね。
  子供に教えるためのシラバスは手仕事的な仕掛けで説明されているべきだというのは、涙ぐみます。
  あれって「離」のカリキュラムですね。「離」は子供ではなくて大人用だけど、“大人のための手仕事”でシラバスができてますよね。「目次録」も新しいシラバスになるでしょうね。
  うん、そうなると嬉しいね。 

≪022≫  本書は六〇〇ページの大著で、十五世紀から近代直前までのアジアの経済力を克明に詳述したものであるが、その記述は研究者たちの成果と議論をことこまかに示しながら展開されているために、一般読者にはきわめて読みにくい。 

≪023≫  けれどもそのぶん、経済史家やアジアを視野に入れたいエコノミストには目から鱗が何度も落ちるだろうから、ぼくのような素人にはアジア経済史研究の跛行的な比較の核心がことごとく見えてくるというありがたい特典がある。 

≪024≫  が、そういうことをべつにすると、本書が提示した内容はきわめてシンプルなのである。第一点、なぜ中世近世のアジア経済は未曾有の活性力に富んでいたのか。第二点、なぜそのアジア経済が十九世紀に退嬰して、ヨーロッパ経済が世界を席巻できたのか。第三点、以上の背景と理由を経済史や経済学が見すごしてきたのはなぜか。たったこれだけだ。 

≪025≫  第二点については、かつてカール・ポランニーがいみじくも「大転換」と名付けた現象で、その理由については一般の経済史では産業技術革命の成功とヨーロッパ諸国によるオスマントルコ叩きの成功とが主たる理由にあげられてきた。それがアジアに及んで、一八四〇年のアヘン戦争がすでにして“とどめ”になったと説明されてきた。 

≪026≫  いっとき話題になったダグラス・ノースとロバート・トマスの『西欧世界の勃興―新しい経済史の試み』(ミネルヴァ書房)では、ヨーロッパにおける経済組織の充実と発展が要因だとされた。株式会社の発展だ。ウィリアム・マクニールの『世界史:人類の結びつきと相互作用の歴史』(楽工社)では、大転換はそれ以前の長きにわたるアフロ・ユーラシアの経済動向に関係しているという説明になった。 

≪027≫  一方、ポランニーは十九世紀のヨーロッパが土地や労働を売買することにしたからだという“犯罪”の告発に徹した。  

≪028≫  フランクはこれらの説明のいずれにも不満をもったのである。それが第三点の問題にかかわっていた。 

≪029≫  フランクの不満を一言でいえば、多くの経済史家が「ヨーロッパ世界経済」と「それ以外の外部経済」という区分にこだわりすぎていたことにあった。その頂点にブローデルとウォーラーステインがいたのだが、フランクは当初はこの二人に依拠し、あまつさえウォーラーステインとは共同研究すらしていたのだが、ある時期からこのようなパースペクティブをいったん捨てて、もっとホリスティックな世界経済史観の確立をめざさなければならないと決断したようなのだ。 

≪030≫  そこでフランクは、第一点の問題を新たな四つのスコープで書きなおすべきだと考えた。「リージョナリズム」(地域主義)、「交易ディアスポーラ」、「文書記録」、「エコロジー」(経済の生態系)だ。これによって本書の前半部はまことに雄弁な書きなおしになった。そこには第三点の「見過ごし」の理由もいちいち示されている。 

≪031≫  しかしあらかじめ言っておくと、ぼくが本書を読んだかぎりでは、第二点の「東洋の没落」と「西洋の勃興」の交代がおこった理由は十分に説明されていなかった。また、十九世紀におけるアジアの後退の構造的要因をアジア自身には求めていなかった。アジアは叩きのめされたとしか説明されていないのだ。このあたりは『資本主義の世界史』や『大反転する世界』(ともに藤原書店)のミシェル・ボーのほうが明断している。  

≪032≫  とはいえ、本書によって世界史上の訂正すべき問題の大半が一四〇〇年から一八〇〇年のあいだにおこったことは如実になった。ふりかえっていえば、一九三五年にアンリ・ピレンヌが「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」と直観的に指摘したことは、本書によって浩瀚なアフラジアで、アフロ・ユーラシアな、そしてちょっぴりNARASIAな四〇〇年史となったのである。 

≪033≫
 川 フランクは「東洋の没落」と「西洋の勃興」の交代の理由をあきらかにしなかったんですか。
 松 いろいろ書いているし、引用もしているんだけど、抉るようなもの、説得力のある説明はなかったね。
 花 学者さんの学説型の組み立てだからじゃないですか。
 松 そうだね。ただし、この手のものがあまりにもなかったので、従来のアジア経済史を読むよりよっぽどダイナミックなものにはなってます。ただし、読みづらい。いろいろこちらでつなげる必要がある。
 花 それでも「リオリエント現象」というテーゼは高らかなんですか。
 松 必ずしも情熱的でも、精神的でもないけれど、確実にリオリエンテーションを実証しようとしているね。 

≪034≫  十五世紀からの世界経済の鍵を握っていたのは、「銀の流通」と「リージョナル交易」と「細菌のコロンブス的交流」である。その一部の流れについてはジャレド・ダイアモンドも触れていた。そこにはたえず「リオリエント」(方向を変える)ということがおこっていた。以下、興味深い流れだけを簡潔に地域ごとに紹介することにする。 

≪035≫  まずインドとインド洋だが、ここでは時計回りにアデン、モカ、ホルムズ、カンバヤ、グジャラート、ゴア、ヴィジャナガル、カリカット、コロンボ、マドラス(現在はチェンナイ)、マスリパタム、マラッカ、アチェなどが交易港湾都市として次々にネックレスのように連なり、これに応じて十七世紀のムガール帝国のアグラ、デリー、ラホールがそれぞれ五〇万人内陸都市として繁栄した。 

≪036≫  低コストの綿織物・胡椒・豆類・植物油などが、ヨーロッパに対しても西アジアに対しても西回りの貿易黒字を計上しつづけ、その一部が東回りで東南アジアに向かっていたのだ。これによってインドは莫大な銀とある程度の金を受け取り、銀は貨幣に鋳造されるか中国などに再輸出され、金はパゴダ貨や金細工になっていった(インドはほとんど銀を産出しない)。 

≪037≫  なかでインド西岸は紅海・ペルシア湾交易の中継地となったグジャラートとポルトガルの交易集散地となったゴアを拠点に、インド東岸はベンガル湾に面したコロマンデル地域を中心に、東南アジアと中国とのあいだで綿布を輸出し、香料・陶磁器・金・錫・銅・木材を輸入していた。コロマンデルはオランダ人による世界経営の出張拠点にもなっていく。 

≪038≫  次には東南アジアだが、この豊かな生産力をもつ地域ではインド洋側のクラ地峡よりも、東側の東シナ海に面した「扶南」(中国からそう呼ばれた)地域に流通センター化がおこったことが重要である。胡椒はスマトラ・マラヤ・ジャワに、香料はモルッカ諸島・バンダ諸島にしか採れなかったからだ。  

≪039≫  歴史的には、ベトナムの越国と占城(チャンパ)、カンボジアのクメール人によるアンコール朝、ビルマのペグー朝、タイ(シャム)のアユタヤ朝、スマトラのシュリーヴィジャヤ王国とマジャパヒト王国などが、西のインドと東の中国の中継力を発揮して、インドの繊維業から日本と南米の銀の扱いまでを頻繁に交差させていった。 

≪040≫  とくに東南アジアが世界経済に寄与したのは、やはり中国市場との交易力によるもので、たとえばビルマと中国では中国から絹・塩・鉄・武具・化粧品・衣服・茶・銅銭が入り、琥珀・紅玉・ヒスイ・魚類・ツバメの巣・フカヒレ・ココヤシ糖が出ていったし、ベトナムは木材・竹・硫黄・薬品・染料・鉛を中国に向かわせ、タイは米・綿花・砂糖・錫・木材・胡椒・カルダモン・象牙・蘇芳・安息香・鹿皮・虎皮などを中国に向け、アユタヤ経済文化の独特の栄華を誇った。 

≪041≫  こうしたなかで、戦国末期の日本が一五六〇年以降に豊富な銀の産出量によってはたした役割が見逃せない。近世日本は交易力においてはまったく“鎖国”などしていなかったのだ。徳川幕府まもなくの三十年間だけをとっても、日本の輸出力はGNPの一〇パーセントに達していたのだし、その三十年間でざっと三五〇隻の船が東南アジアに向かったのだ。 

≪042≫  中国についてはキリがないくらいの説明が必要だが、思いきって縮めていうと、まずは十一世紀から十二世紀にかけての宋代の中国が当時すでに世界で最も進んだ経済大国だった。そこにモンゴルが入ってきて元朝をおこしたのだけれど、それがかえって江南に逃れた士大夫・商業階級を充実させ、むしろ明代の全土的な隆盛のスプリングボードとなった。 

≪043≫  中国経済は生産力は高く、交易はさすがに広い。スペイン領アメリカと日本からの銀によって経済活動が煽られたこと、米の二期作とトウモロコシ・馬鈴薯の導入によって耕地面積の拡大と収穫量の増大がおこったこと、少なく見積ってもこの二つに人口増加が相俟って、明代の中国は世界経済における“銀の排水口”として大いに機能した。「近世の中国が“銀貨圏”にならなかったら、ヨーロッパの価格革命もおこらなかっただろう」と言われるゆえんだ。科学文化史全能のハンス・ブロイアーに「コロンブスは中国人だった」と言わしめたような、途方もない世界経済情勢のモデルがそこにはあったのである。 

≪044≫  もともと中国は絹・陶磁器・水銀・茶などでは世界の競争者を大きく引き離してきたのだが、“銀貨圏”になってからはさらに亜鉛・銅・ニッケルなどの採掘・合金化にも長じて、他方では森林破壊や土壌侵食すら進んだほどだった。このことは、のちの欧米資本主義諸国家の長所と短所があらわしたものとほとんど変わらない。   

≪045≫  こうした中国事情にくらべると、イスラムの宗教的経済文化を背景としたモンゴル帝国やティムール帝国の威力があれほど強大だったのに、一四〇〇年~一八〇〇年の中央アジアの歴史状況はほとんど知られてこなかった。『ケンブリッジ・イスラムの歴史』などまったくふれていない。これはおかしい。シルクロードやステップロードの例を挙げるまでもなく、中央アジアは世界史の周縁などではなかったのだ。  

≪046≫  それどころか、オスマントルコ、サファビー朝ペルシア、インドのムガール帝国は、すべてモンゴル帝国やティムール帝国の勢力が及ぶことによってイスラム帝国を築いたのであって、これらはすべて一連の世界イスラム経済システムのリージョナル・モデルの流れだったのである。 

≪047≫  中国とて、そうした地域から馬・ラクダ・羊・毛皮・刀剣をはじめ、隊商が送りこんでくる数々の輸入品目に目がなかった。そのような中央アジアが衰退するのは、明朝が滅び、やっとロシアが南下を始めてからのことなのである。 

≪048≫  そのロシアだが、ここは一貫してバルト諸国やシベリア地域と一蓮托生の経済圏を誇ってきた。ロシア経済圏が拡張するのは十七世紀にとくにシベリアを視野に入れるようになってからで、シベリア産の毛皮がロシア・ヨーロッパの毛皮を上回り、貨幣がヨーロッパから東に流れることになってからである。ピョートル大帝時代はモスクワ周辺だけで二〇〇以上の工業組織ができあがっていた。うち六九が冶金、四六は繊維と皮革、一七は火薬関連だったらしい。 

≪049≫  そのほか、世界経済からは最も遠いと思われてきたアフリカにおいても、“アフラジアの経済力”との連携が結ばれていた。たとえばタカラガイ(宝貝)だ。柳田国男も注目したタカラガイの、もともとの主産地はモルディブ諸島で、それが南アジアでタカラガイ貨幣として使われるようになり、ヨーロッパ人(ポルトガル、オランダ、ついでイギリス)はそれを逆にアフリカに持ち込んで黒人奴隷を安く買いまくったのである。 

≪050≫  以上のちょっとしたスケッチでもわかることは、われわれはこれまで金や金貨や金本位制ばかりによって「世界経済史の流れを教えこまれてきた」ということだろう。とんでもない。それはまったくまちがっていた。十五世紀からの中国・インド・日本のアジア、南北アメリカ、アフリカを動かしていたのは何といっても「銀」であり、何といっても「銀本位」だったのである。そこに大量の生産物と物産と商品と、金・銅・錫・タカラガイなどが交じっていったのだ。 

≪051≫
 花 金色銀色、桃色吐息(笑)。アジアは銀なり、ですか
 川 銀はポトシ銀山や日本の石見ですよね。金のほうはどうなってたんですか。
 松 主な産出地域はアフリカ、中米・南米、東南アジアだね。そのうちの中米・南米というのはスペイン領だから、銀は西から東へ動き、金は東から西へ動いた。ちなみにインドでは金が南下して、銀が北上するんだね。
 花 徳川時代でも東国が銀の決済で、西国が金の決済ですよね。
 川 一物一価じゃなくて、二物多価だった
 松 そうそう、そこにこそ「貨幣の流通の問題」と「価値と価格の問題」とがあるわけだ。 

≪052≫  本書は第三章と第四章を銀本位経済社会のリージョナルなインタラクションに当てて、近世のグローバル・エコノミーがいかに“アフラジアな地域間交易”によって律せられていたかを縷々説明している。 

≪053≫  しかしながら、そのオリエントの栄光は十九世紀になると次々に衰退し、没落していった。最初の兆候は一七五七年のプラッシーの戦いでインドがイギリスに敗退したことだった。それによってイギリス東インド会社の「ベンガルの略奪」の引き金が引かれ、織物産業が破壊され、インドからの資本の流出が始まった。 

≪054≫  オスマン帝国は経済成長のピークが十八世紀以前に止まり、その類いまれな政治力も十八世紀のナポレオンのエジプト遠征あたりをピークに落ちていった。そこへ北アメリカからの安価な綿が入ってきてアナトリアの綿を駆逐し、カリブ産の安価なコーヒーがカイロ経由のアラビアコーヒーを支配した。まるで東京の珈琲屋がスターバックスに次々に駆逐されていったようなものだった。 

≪055≫  中国では銀の輸入が落ちた一七二〇年代に清朝の経済力の低下が始まっていたが、一七九六年の白蓮教徒の乱をきっかけに回復不能な症状がいろいろな面にあらわれた。それらに鉄槌をくだして息の根を止めようとしたのが、一八四〇年のイギリスによるアヘン戦争である。  

≪056≫  この時期になるとアメリカの拡張が本格的になってもいて、奴隷プランテーションによる資本力の蓄積もものを言いはじめた。その余波が日本に及ぶと、かねて予定の通りのペリーによる黒船来航になる。そんなこと、とっくに決まっていたことなのだ。つまりは全アジア的危機をいかにしてさらにつくりだしていくかということが、欧米列強の資本主義的な戦略になったのだ。 

≪057≫  というわけで、「アフラジアな経済圏」はリージョナルな力を狙い打ちされるかのようにことごとく分断されて、欧米列強の軍門に降ることになったのである。軍門に降っただけではない。アフラジアな各地は新たな欧米資本主義のロジックとイノベーションによって“別種の繁栄”を督促されていった。これはガンディーのようにシンガーミシン以外の工場型機械を拒否するというならともかくも、それ以外の方法ではとうてい抵抗できなかったものだった。 

≪058≫  人類の経済史は一八〇〇年以前と以降とをまったくちがうシナリオにして突き進むことになったわけである。 

≪059≫  その突進のシナリオは、ぼくがこの数ヵ月にわたって千夜千冊してきたことに呼応する。すなわち、ナヤン・チャンダの『グローバリゼーション 人類5万年のドラマ』(NTT出版)とジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』(草思社)以来紹介しつづけてきたこと、つまりはグレゴリー・クラークの『10万年の世界経済史』(日経BP社)をへて、いったんブローデルの『物質文明・経済・資本主義』(みすず書房)とウォーラーステインの『史的システムとしての資本主義』(岩波現代選書)を通して案内し、それをジョヴァンニ・アリギの『長い20世紀』(作品社)と渡辺亮の『アングロサクソン・モデルの本質』(ダイヤモンド社)でブーツストラッピングしたものに合致する。 

≪060≫  けれど残念なことに、グレゴリー・クラークが「従来の世界経済史を見てきた歴史観はマルサスの罠にはまっていた」と指摘したような問題は、あくまで一八〇〇年以降のヨーロッパの経済システムから見た反省にすぎなかったのである。その点フランクは、本書に登場するおびただしい研究者とともに、そうした「一八〇〇年以降の見方」をいっさい使わずに、新たなアジア型の近世グローバル・エコノミーの記述の仕方に挑んだのだった。 

≪061≫
 川 「リオリエント」って「東に向いて方向を変える」ということですね。とてもいい言葉だけれど、今後は広まっていきますか。
 松 そうあってほしいけれど、東アジアの経済の将来は中国の急成長でわかったようにいまや政治情勢と高度資本主義とのずぶずぶの関係になってきているから、それを新たに「リオリエント」とか「リオリエンテーション」として網を打つのはなかなか難しいだろうね。
 川 普天間も尖閣もノーベル平和賞も、ちっともリオリエントじゃありません。
 松 だいたい日米同盟や韓米同盟がリオリエントするときは軍事的プレゼンスか経済摩擦だからね。マハティールの「ルック・イースト」というわけにはいかない。
 花 本格的アジア主義みたいなものがない。みんなちょっとずつアジアを重視してくれているけれど、しょせんはグローバリズムのロジックですよね。
 川 経済だけの歴史観には限界があるんじゃないんですか。
 松 その通り。 花 アジアの歴史がもたらしてきた物語が不足しすぎています。
 川 東の哲学ってほとんど世界に向かっていませんからね。いまの中国も政治と経済のプレステージだけで押している。
 花 この本が言っている“リージョナルなもの”が失われているんでしょうね。
 松 大文字の経済はそろそろいらないということだね。とくにGod・Gold・Gloryの3Gはいらない。
 花 でも、イスラムはどうでしょう。大文字なのに独特でしょう。
 松 おっ、いいところを突くね。これで決まったね。次夜の「千夜千冊」はイスラム経済学でいこうかな(笑)。 

≪062≫ 【参考情報】 

≪063≫ (1)アンドレ・グンダー・フランクは1929年のベルリン生まれ。アムステルダム大学で長らくラテンアメリカの経済社会の研究をしていたが、その後はウォーラーステインと交わり、90年代に「500年周期の世界システム論」を発表すると、やがてそのウォーラーステインとも袂を分かってアジア・アフリカ・南北アメリカをつなげる「リオリエント経済史」とでもいうべき研究に没頭した。マイアミ大学、フロリダ大学などの客員教授も務めた。バリー・ギルズとの共同研究が有名。 

≪064≫ (2)翻訳者の山下範久は気鋭の歴史社会学者で、世界システムにもとづく社会経済論の研究者。いま39歳。東大と東大大学院ののち、ニューヨーク州立大学の社会学部大学院でウォーラーステインに師事した。その後は北大をへて立命館大学へ。 

≪065≫  何冊かのウォーラーステイン著作本の翻訳のほか、『世界システム論で読む日本』『帝国論』(講談社選書メチエ)、『現代帝国論』(NHKブックス)、『ワインで考えるグローバリゼーション』(NTT出版)などの自著がある。実は日本ソムリエ協会認定のワインエキスパートでもあるらしい。 

≪066≫  ところでぼくは、東大の博士課程にいた山下さんが『リオリエント』を翻訳したときに、手紙付きで贈本を受けた。手紙には「私淑する松岡先生に、是非、御批判を乞いたいとの思いやみがたく感じて、突然に失礼とは存じながら一部献呈させていただきました」とあり、たいへん恐縮したものの、その後本書を紹介する機会がないままになってしまったこと、申し訳なかった。証文の出し遅れのように、今夜、その約束の一端をはたしたわけだ。 

≪067≫  山下さん自身のほうはそれからの活躍がめざましい。たとえば最初の単著となった『世界システム論で読む日本』は、ウォーラーステインが確立した開発主義的な近代化論とそれへの批判をふくむ従属理論とを総合した見方をいったん離れて、そこにポランニーやブローデルの視野を残響させるような方法で新たな世界システム論をめざそうというもの、それを山下さんは「近世」の解明に、さらに日本の近代化の世界史的な位置付けの解明にあてた。ずうっと前に山本七平が提示した仮説にもとずく桂島宣弘の『思想史の十九世紀』(ぺりかん社)にいささか依拠しすぎているのが気になったけれど、その構想はなかなか意欲的だった。 

≪068≫  そのあとの『現代帝国論』や共著の『帝国論』(講談社選書メチエ)はこちらこそいつか千夜千冊したいというもの、「ポランニー的不安」(人間・自然・性の定義のゆらぎや流動化)と名付けた問題を巧みに浮上させている。今後は是非とも、たとえばエマニュエル・トッド(1355夜)とユセフ・クルバージュがイスラムと西洋の橋と溝とを描いた『文明の接近』(藤原書店)に代わるような、「東洋・西洋の橋と溝」や「世界史と日本の経済システム比較」といったものを、独自に展開してもらいたい。 

≪069≫ (3)謎めく「目次録」については、まだ詳しい話はできないが、これはぼくが来年にプロトタイプをまとめる仕事としては最も重要なものになる。冒頭に書いたように、「目次録」は「世界の見方のためのコンテント・インデックス」を立体化したマザープログラムのようなもので、そこから数百万冊の本の目次に自在に出入りできるようになるという“知の母”づくりなのだ。 

≪070≫ (4)松丸本舗がクリスマスと初春にそれぞれ特別企画した、クリスマス期間の「くすくす贈りマス」セールと正月7日間の「本の福袋」セールについては、どうぞ丸の内丸善4階を訪れてほしい。行ってみないとゼッタイにその「ときめき」はわからない。 

≪071≫  いとうせいこう、福原義春、ヨウジヤマモト、佐藤優、美輪明宏、市川亀治郎、杏、コシノジュンコ、鴻巣友季子、やくしまるえつこ、藤本晴美、松本健一、長谷川眞理子、今野裕一、森村泰昌、しりあがり寿、金子郁容さんたち、総勢20余名のゲスト陣と、ぼくとイシスチームとが、年末年始に分かれてずらりとお好み本とお好みグッズを意外なパッケージセットにして待っているというものだ。 

≪072≫  ジャン・ジュネあり、坂口安吾あり、男空(おとこぞら)文庫あり、アンデルセンあり、森ガール術あり、稲垣足穂あり、温泉セットあり、甘読スイートあり、藤原新也・アラーキー・横尾忠則セットあり、セカイまるごと仕掛け本あり。これ、松丸本舗店主からの宣伝でした(ぼくも、この歳になって、さらにいろいろ仕事が多くてフーフーしています)。 

≪01≫  このタイトルや、スティグリッツの『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店)のタイトルに象徴的なように、グローバリズムとかグローバル資本主義といえば、だいたいは資本(とりわけ金融資本)が国境をやすやすと越えて市場社会を『暴走する資本主義』(1275夜)に巻きこんでいったことをさすものだと思われている。端的にいうのなら、ブレトン・ウッズ体制が崩壊して変動相場制になってからの、とりわけ米ソ対立が解凍してからの世界経済の動向がグローバリズムなのである。その評判は、かなり落ちてきた。 

≪02≫  しかし各国の経済政策や多くの企業家は、いまもってこのようなグローバリズムやグローバル資本主義を否定していない。フランシス・フクヤマのようにそれこそが”民主主義の頂上”だと見る者は少ないけれど、またさすがに行きすぎには多少の反省もしているのだが、たとえば、ピュリッツアー賞をとって話題になったトマス・フリードマンの『レクサスとオリーブの木』(草思社)や、その続編にあたる『フラット化する世界』(日本経済新聞出版社)は、「どこにも統轄者のいないグローバリズム」が、これからの柔軟で正当で持続可能な社会を必ずや拡張していくだろうという見方をとっている。 

≪03≫  日本企業の大方のビジネスマンにあっては、グローバル化の波に乗り遅れたことのほうに切歯扼腕しているほどなのだ。そこを戒めたのが、たとえば水野和夫の『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日本経済新聞出版社)だった。 

≪04≫  いったいグローバリズムを肯定的に見る可能性がどのくらいあるのかということについては、いずれまた議論したいと思うのだが、今夜は、この資本主義的なグローバリズムという見方と、「グローバリゼーション」という見方は必ずしも一致していないということを、いったん眺めておきたい。 

≪05≫  ジョン・グレイが指摘したようにグローバリズムが啓蒙主義であったとしても、グローバリゼーションにはそうした主義主張がかぶさらない歴史もあったからである。そのことは、最近の力作ナヤン・チェンダの大著『グローバリゼーション』(NTT出版)に「人類5万年のドラマ」という副題がついていることでもすぐにピンとくるだろう。 

≪06≫  グローバリゼーションについては、このところ実に多くの本が書かれてきた。ぼくは松丸本舗のオープニングの棚づくりのとき、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』(草思社)が最もグローバリゼーションの歴史母型になりうると見て、一番目立つ棚に並べておいたものだけれど(それが今年4月の「ゼロ年代の50冊」のベスト1に選ばれたけれど)、そのほかデレック・ビッカートンの『言語のルーツ』(大修館書店)やスティーヴン・フィッシャーの『ことばの歴史』(研究社)などの言語の歴史をグローバルに解くものから、フェルナン・ブローデルの『物質文明・経済・資本主義』全6巻(みすず書房)をはじめとするアナール学派の業績まで、いろいろのグローバリゼーション史やグローバリゼーション論が出揃ってきた。 

≪07≫  まとめて「グローバル・スタディーズ」の本という。それらのなかの数冊をこれから時に応じて千夜千冊したいと思っているのだが、今夜はまずはそうした歴史の流れをかいつまんで俯瞰をしておくのがいいだろうから、本書を選んでみた。  

≪08≫  著者のマンフレッド・スティーガーはイリノイ州立大学から王立メルボルン工科大学のグローバリズム研究所に移った政治学者。グローバリゼーション研究のほかに禅の歴史やガンジーの研究もしているようだ。 

≪09≫  本書は“Very Short Introductions”シリーズ(日本では「1冊でわかる」というシリーズ)で、まことに具合よく俯瞰がゆきとどいている。手頃に問題点を列挙するにはふさわしい。2003年の初版をアップデートしたセカンド・エディションなので、最近の動向も組みこまれている。櫻井公人の解説もわかりやすい。では、俯瞰の俯瞰をしておこう。 

≪010≫  グローバリゼーションは、人間の社会・文化・地理・言語・道具などがさまざまな接触することによって相互に連続していく“一連の社会状態”のすべてにあてはまる。厳密にはその社会状態は「グローバリティ」とでも呼ばれるべきだろうが、そのグローバリティが社会化していく状態がグローバリゼーションである。そのプロセスは「ローカル→リージョナル(地域的)→ナショナル→グローバル」というふうに転じ、ある段階からはその逆にも、相互的にも交じっていく。 

≪011≫  したがってグローバリゼーションはそもそもが不均等なプロセスをもつ。またつねに多元的であり、たえず多様でもある。その特徴は次の4点にまとめられる。   

≪012≫  ①グローバリゼーションは伝統的な政治・経済・文化の境界を横断し、そこに社会的ネットワークを創出もしくは変容させる。ときに新たな秩序をつくりだす。②グローバリゼーションは社会的な関係と行動にまつわって、たいていは相互依存の拡大と伸長を反映する。このことは金融市場からNGOまで、多国籍企業からアルカイダまで、あてはまる。③グローバリゼーションは社会的な交流活動の強化と加速をともなっている。つまり技術革新とグローバリゼーションはほとんど合致する。④グローバリゼーションは人間の意識とも関連するため、共同体というマクロ構造と個性というミクロ構造の両方に影響をおよぼす。 

≪013≫  こうした特徴をもったグローバリゼーションは、100万年前のアフリカのルーシーの出現やその途中までの波及までにはさかのぼらない。 

≪014≫  1万2000年ほど前にその原人狩猟集団が南米の突端に届いたときをもって、最初のグローバルな”輪っか”が成立したと見るべきだろう。とりわけ1万年前に、人間が自分自身の食料を生産するという仕事についたときに、劇的なグローバリゼーションの歯車が動きだした。 

≪015≫  狩猟的で遊牧的な集団が耕作や農耕に向かうと、それまでの集団の性質に集権的で階層化されたパトリアーキー(家父長的)な社会構造が芽生えていったはずで、そこに三つのグループが生まれたのだったろう。祭司的なグループ、管理的なグループ、職人的なグループである。  

≪016≫  シュメール、エジプト、中央アジアにおける「文字」と「書記」の発明と発生と、西南アジアにおける「車輪」の発明と「交通力」の発達は、ほぼ時期を一にしている。  

≪017≫  このあと、初期のグローバリゼーションはユーラシアの主要な風土軸が東西の方位に広がり、同じ緯度線に沿って食料生産を保っていた幸運にもめぐまれて、これらの文化と技術をまたたくまに広げていくことになった。また、そのような文化技術の波及力を軍事力に変えうる部族や一族だけが特定のセンターを築き、それを驚くべき「古代帝国」に発展させていった。ここでは四大文明よりもヘレニズムやシルクロードや海の潮流の行く先こそが雄弁だった。 

≪018≫  ここから先のグローバリゼーションの歴史は、今夜は詳しくのべる必要はないだろう。大規模な民族移動、人口増加、道路インフラなどの発達、中枢都市の形成、移民の流入などが打ち続いて、それ以前は地域的な宗教でしかなかったユダヤ教、ヒンドゥ教、仏教、キリスト教、イスラム教を「世界宗教」に変えていった。そこには鉄とウィルスと農作物と、そして価値観とが入り混じっていた。 

≪019≫  こうして中世社会からアーリーモダンへの歩みがゆっくり興っていく。そのグローバリゼーションは文明文化の交流の歴史でもある。しかし11世紀くらいまでの文明技術に貢献したのはもっぱら中国やイスラムであって、西欧社会がグローバル化のイニシアティブの一端を握るのは、ずっとあとになる。それには、機械印刷、水力技術、航行技術、郵便システムと、プロテスタントを生み出す宗教革命意識と商業取引意識とが必要だった。これらと1648年のウェストファリア条約(宗教戦争の終結)が重なっていったとき、西欧諸国は「国家」と「宗教」と、そして「マネー」を動かすことの同時性を獲得しはじめたのだった。 

≪020≫  アダム・スミスの「自由な市場」、蒸気動力技術の革新、金本位制に向けた鉱物資源の確保、土地と資本のエンクロジャー、これらはほぼひとつながりの出来事なのである。ここからマルクスやエンゲルスが資本家と労働者を分け、生産手段と剰余価値の分断を怒りをもって叙述した時代までは、一足飛びだろう。 

≪021≫  そして穀物や綿が、ならびに奴隷や植民地侵略が、ついでは電気や石炭や石油や蒸気機関が、グローバリゼーションの西欧型のエンジンとなっていったのだ。 

≪022≫  今日のグローバリゼーションが経済に及ぼした影響は、世界経済システムがグローバリゼーションを乗っ取ったかの様相を呈している。その安定的なスタートは、第二次世界大戦直後のブレトン・ウッズ体制の固定相場制にあらわれた。IMF、IBRD、GATTがこれを後押しした。 

≪023≫  ほぼ30年にわたるブレトン・ウッズ体制は、たしかに世界経済を「統制のとれる資本主義の繁栄」に導いたかのようだった。ネーションステート(国民国家)各国が、内外に出入りするマネーを調整できたからだった。世界は金(きん)に裏打ちされていた。 

≪024≫  しかし1970年代に入って、ドル・ショックとオイル・ショックが連打されると、この体制はもろくも崩れ、世界経済は変動相場制に一挙に移り、その後の10年は高インフレ率、低い経済成長、高い失業率、政府部門の財政赤字、そして度重なるエネルギー危機、各地域での飢餓増大という、とんでもない矛盾と破綻に見舞われることになった。ソ連を中心とする社会主義諸国はこれとはまったく異なる計画経済の確立に向かっていたのだが、やはりしだいに失速していった。いずれその理由も説明するが、例外は西ドイツと日本にだけおこったのである。 

≪025≫  ここに登場してきたのが、新自由主義政策を背景とした80年代のグローバリズムだった。 

≪026≫  新たな経済秩序をつくりだすため、このグローバリズムはグローバル資本主義として、「貿易と金融の国際的自由化」「多国籍企業の許容」「IMFなどの国際経済機関の大作動」をもっぱらの軸にして、①公営企業の民営化、②経済の規制緩和、③大規模減税、④マネタリズムの奨励、⑤公共支出の削減、⑥小さな政府の実現、などに向かっていった。 

≪027≫  サッチャーとレーガンが先頭を切り、これをジョージ・ブッシュが「新世界秩序」として掲げた。その思想的根拠としてハイエク(1337夜)やフリードマン(1338夜)が動員された。 

≪028≫  資本主義的グローバリズムに特化されたそのようなグローバリゼーションの新たな動向については、いまでは「グローバリゼーション誇張派」と「グローバリゼーション懐疑派」が互いに別々の見解を交わしあうという図になっている。この二つの見解のあいだを、エコノミストたちは右往左往する。日本の政党も右往左往する。 

≪029≫  誇張派は「小さな政府」による資本国境のないボーダーレス社会を主張し、ネーションステートの静かな後退を強調する。そこでは市場の自由な拡大と個人の自由意志とが執拗にセット化されている。懐疑派はグローバリズムも政府の力によるものだったのだから、今後も「国家の退場」はありえないと主張し、新しい市場も新しい技術も国家間がコントロールすることが可能だと強調する。どちらもグローバリゼーションの発展を認め、そのグローバリティの運用を問題にする。 

≪030≫  懐疑派のなかには、グローバリゼーションにおけるグローバリティを市民社会や地方自治体が担うべきだという意見、アソシエーション(自発的結社)が担うべきだという意見、ネットワークが担うべきだという意見などが、いまではかなりの数で林立している。環境保護運動、自立経済派、アントニオ・ネグリ(1029夜)の「マルチチュード」的なるもの、ITネットワーク主義、各種のリバタリアニズム、ラディカル・フェミニズム、アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)などもここに入る。 

≪031≫  けれども本書では、次の3つのグローバリズムがグローバル・イデオロギーの鎬を削りあっていると見るのが、まずまず妥当だろうと俯瞰する。スティーガーは、グローバリズム市場派、グローバリズム正義派、グローバリズム聖戦派というふうに分た。 

≪028≫  資本主義的グローバリズムに特化されたそのようなグローバリゼーションの新たな動向については、いまでは「グローバリゼーション誇張派」と「グローバリゼーション懐疑派」が互いに別々の見解を交わしあうという図になっている。この二つの見解のあいだを、エコノミストたちは右往左往する。日本の政党も右往左往する。 

≪029≫  誇張派は「小さな政府」による資本国境のないボーダーレス社会を主張し、ネーションステートの静かな後退を強調する。そこでは市場の自由な拡大と個人の自由意志とが執拗にセット化されている。懐疑派はグローバリズムも政府の力によるものだったのだから、今後も「国家の退場」はありえないと主張し、新しい市場も新しい技術も国家間がコントロールすることが可能だと強調する。どちらもグローバリゼーションの発展を認め、そのグローバリティの運用を問題にする。 

≪030≫  懐疑派のなかには、グローバリゼーションにおけるグローバリティを市民社会や地方自治体が担うべきだという意見、アソシエーション(自発的結社)が担うべきだという意見、ネットワークが担うべきだという意見などが、いまではかなりの数で林立している。環境保護運動、自立経済派、アントニオ・ネグリ(1029夜)の「マルチチュード」的なるもの、ITネットワーク主義、各種のリバタリアニズム、ラディカル・フェミニズム、アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)などもここに入る。 

≪031≫  けれども本書では、次の3つのグローバリズムがグローバル・イデオロギーの鎬を削りあっていると見るのが、まずまず妥当だろうと俯瞰する。スティーガーは、グローバリズム市場派、グローバリズム正義派、グローバリズム聖戦派というふうに分た。 

≪032≫  市場派が何を言ってきたかは、いまさら説明はいらないだろう。グローバルなパワーエリートたちが依拠している思想で、消費主義的な自由市場の拡張を金科玉条とする。ビジネスウィーク、エコノミスト、ウォールストリートジャーナル、フィナンシャルタイムズ、日本経済新聞は、ここに属するメディアである。しばしば「強力な言説」と呼ばれる。 

≪033≫  この連中は、「グローバリゼーションを統括している者はいない」「グローバリゼーションは世界の民主主義を守るとともに広めている」「グローバリゼーションは非可逆的である」という確信をめったにゆるがせない。厄介なのは、この理念と方針のためには、これを妨げる障壁をどんな手段をつかっても除去しようとすることだ。小泉・竹中改革もそうだった。ここに、この連中が市場原理主義というファンダメンタリズムとしての強烈な性格をもつゆえんがある。サッチャーはこれを「選択の余地がない」と言って、TINA(There Is No Alternative)という略語をはやらせた。 

≪034≫  正義派は、グローバル資本主義がさまざまな格差をもたらすものなので、これを別のしくみによって組み立てなおさなければならないとする。グローバル環境の保護、南北対立の解消、フェアトレード、労働と雇用の格差問題の解決、セーフティネットの提案、人権擁護、人種差別や女性差別の撤廃、そしてグローバル市民社会の確立である。 

≪035≫  最近、ここからは「グローバル・ニューディール」という方針やコミュニタリアン(共同体主義者)の活動といった実際運動が次々に派生している。メキシコのサパティスタ民族解放戦線、インドのチプコ運動、フィリピンのウォールデン・ベローのコミュニタリアニズム、フランスの半農家ジョゼ・ボヴェのマクドナルド破壊活動、マレーシアに本拠がある第三世界ネットワークなどが、その例だ。市場派グローバリストが集まる「ダボス会議」に対抗して、しばしば「世界社会フォーラム」(WSF)を主催するという動きもある。 

≪036≫  こうした正義派の要求は、①第三世界の債務の帳消し、②いわゆる「トービン税」の施行(国際金融取引に対する課税)、③オフショア金融センターの廃止、④厳格な地球環境協定の履行、⑤公平なグローバル開発アジェンダの履行、⑥新たな国際開発機関の創設、⑦グローバルな労働者保護基金の確立、⑧政府と国際機関が市民に対して透明性を発揮すること、⑨あらゆるグローバル・ガバナンスが明示的なジェンダー配慮を示すこと、などにまとめられる。 

≪037≫  なかにはすでにジョージ・ソロス(1332夜)が提案し、実施にとりかかったプランもある。 

≪038≫  聖戦派を代表するのは、なんといってもオサマ・ビンラディンやアルカイーダによって展開されているテロ・ネットワークであろう。自爆テロという驚くべき方法を“技術化”した。 

≪039≫  しかし、このネットワークはテロリズムがテーマになっているのではなく、アメリカに集約された欧米資本主義の堕落と失敗を糾弾しているという意味で、やはり一連のグローバリゼーションの進捗に関与する聖戦的グローバリズムなのである。だから、イスラム過激派の原理主義者と呼ばれるネットワークだけが聖戦派なのではない。当然、キリスト教原理主義にもとづく動きも、極端な迫害を好む一部のWASPの動きも、ハマスなどの反イスラエルのパレスチナ戦線も、また世界各地の民族主義運動や過激な自然保護団体も、いずれも聖戦派に位置づけられる。  

≪040≫  これは言ってみれば、西欧諸国のウェストファリア条約の虚妄を世紀末あるいは21世紀になって新たに暴くという歴史訂正にもなっている。 

≪041≫  それにしても、おそらくこれまでのグローバリズム議論でオサマ・ビンラディンのグローバリズムを本格的に論じたものはないのではないかと思われるほどに、この第3のグローバリズムは世界史から屹立しすぎている。前夜に紹介したジョン・グレイの『アル・カーイダと西欧』(阪急コミュニケーションズ)を見られたい。  

≪042≫  本書では、ざっとこういう俯瞰が提供されていた。いったいここから何を議論すべきかというと、巻末解説で桜井公人がまとめた腑分けでいえば、次の疑問にどう応えるかということだ。 

≪043≫ ①グローバリゼーションは歴史的に不可避で不可逆動向なのか。  

≪044≫ ②グローバリゼーションは何をその原動力にして、何を決定要因にしているのか。 

≪045≫ ③グローバリゼーションは古いのか、新しいのか。それとも繰り返されてきたプロセスなのか。 

≪046≫ ④グローバリゼーションは世界に利益をもたらすのか、あるいは格差を広げていくのか。 

≪047≫ ⑤グローバリゼーションは本当に民主化および自由化を推進しているのか。   

≪048≫ ⑥グローバリゼーションは国家の役割を狭めていっているのか、強化させつつあるのか、あるいは変容させていくのか。 

≪049≫ ⑦グローバリゼーションはアメリカの動向と同一の現象になっているのか、それともどこにでもおこりうる資本文化の帝国主義段階なのか。 

≪050≫  われわれの前途には、まさにこのような問題が臆面もなくずらりと揃っているのだが、著者のスティーガーは、これらにはあえて答えずに、著者が「多次元的アプローチ」と名付けた叙述に徹している。なるほど、俯瞰するには賢明なやりかただったが、ではここを一歩も二歩も踏みこんでいくとどうなるかというと、けっこうな難問となる。 

≪051≫  たとえばスーザン・ストレンジ(1352夜)のように、あまりにまぜこぜになったグローバル資本主義の価値観を国別と世界機関別にいったん分離して検討していくべきだという方針もあれば、デイヴィッド・ヘルドによる肯定でも否定でもない「変容」を選ぶべきだという方針(『グローバル・トランスフォーメーションズ』中央大学出版部)、あるいは、それをいったん自由主義の問題に戻してそこから“第三の道”を提案するアンソニー・ギデンズらの方針もあるし(『第三の道』日本経済新聞社)、もっと原点に戻してカール・ポランニー(151夜)ふうに「いっそ経済を社会に従属させるべきだ」というエマニュエル・トッド(1355夜)やジョン・グレイ(1357夜)のような方針、いやいや、もっと否定的にグローバリゼーションのなかの「反グローバリズム」をこそめざすべきだという方針など、いろいろ噴出してくる。 

≪052≫  その反グローバリズムも、ジャック・アタリ(764夜)の『反グローバリズム』(彩流社)はそこから「友愛」を導き出したものだったし、ジョージ・リッツアの『無のグローバル化』(明石書店)は拡大しすぎる消費市場が「存在」をすら喪失させているという分析に至っている。いずれ紹介するが、先頭的リバタリアニズムの思想や鈴木謙介の言い分なども、グローバリズム議論を裂いていったり、反転させたりしていった。 

≪053≫  いや、まだまだある。デヴィッド・ハーヴェイ(1356夜)はこれらを総体としてポストモダンの中のグローバリゼーションなどと見ずに、議論の仕方をもっと包括的でかつ細部が生きてくるような「近代の総合的検討」にもちこんで、そもそもポストモダン幻想の中に安住していることに警告を発したのだし、それをニクラス・ルーマン(1349夜)やノルベルト・ボルツ(1351夜)のように「意味のシステム」の自律的でコンティンジェントな“ひっくりかえし”にすべきだという見方もあった。 

≪054≫  イアン・ハッキング(1334夜)になると、そういう場合は言い方をメタフォリカルに扱う以外はないという、粋な心得さえ披露した。  

≪055≫  いずれにしても、これからの日々、グローバリゼーションの「蜜の味」と「厄災」は、アイスランド火山の爆発灰のように空を覆って、まだまだネステッドにわれわれを見舞いつづけるはずなのである。空港に立ち往生するくらいだなんて、まだましなのだ。そのうち精神や思考の空港に閉じ込められたままになったら、どうするのか。 

≪056≫ 【参考情報】 

≪057≫ (1)本書のシリーズ“Very Short Introductions”は岩波によって「1冊でわかる」というシリーズになっているのだが、これがけっこういい。ちなみに本書は今年3月に出たばかりで、同時期に『ゲーム理論』も配本された。そのほか、ぼくがこのシリーズで薦めるのは『古代哲学』『イスラーム』『コーラン』『デモクラシー』『ファンダメンタリズム』『ポスト構造主義』『ポストコロニアリズム』『ヨーロッパ大陸の哲学』『暗号理論』『感情』『意識』『知能』『経済学』『文学理論』など。あまり本屋にそろっていないのがもったいないので、松丸本舗に来てほしい。巻末の参考文献が充実しているのもいい。 


≪058≫ (2)グローバリゼーションについての参考文献は、ここではあげるのを封じておく。それでも本文中に示したもの、たとえばナヤン・チャンダの『グローバリゼーション:人類5万年のドラマ』(NTT出版)は最も長大で、実に人種の出現からワシントン・コンセンサスやブログやiPodまでの、まさに5万年を扱っていて圧巻。著者はインド出身の編集スペシャリストで、最近はエール大学の「グローバリゼーション研究センター」の出版部長をしている。そうそう、アンドレ・フランクの『リオリエント』(藤原書店)も予告しておこう。アジアのほうから見たグローバリゼーション論なのだ。いずれとりあげたい。 


≪059≫ (3)グローバリゼーションと反グローバリズムの議論は、これから最も熱いものになっていくだろう。気がはやる諸君は、とりあえずデヴィッド・ヘルドの『論争グローバリゼーション』(岩波書店)、ボー『大反転する世界』(藤原書店)、スーザン・ジョージ『オルター・グローバリゼーション宣言』(作品社)、ポール・ケネディの『人類の議会』(日本経済新聞出版社)、ホロウェイ『権力を取らずに世界を変える』(同時代社)、エセキエル・アダモフスキ『まんが反資本主義入門』(明石書店)などを覗いてみるといい。そのうち、これらの1、2冊を案内するつもりだ。 

≪01≫  音楽プレーヤーiPodをウェブから注文すると、わずか数分で注文確認のeメールが届く。商品配送データをチェックすれば、この商品の発送地点は上海で、組立工場はアップル・チャイニーズである。それだけではない。iPodの心臓部のマイクロドライブは日立が作り、コントロールチップは韓国製で、ソニー製のバッテリーは中国に下請けされている。何万もの曲を検索して演奏してくれるチップのソフトは、インドのポータルプレーヤー社のプログラマーが設計した。 

≪02≫  これぞグローバリゼーションである。いかにもアップルらしい。しかしそれなら、インド名「アヴァロキテシュヴァラ」がやがて中国では「グアンイン」と発音されて「観音菩薩」と綴られ、日本では観音さんとなっていつしか「キヤノン」というカメラメーカーの名前になったというのは、どうなのか。韓国のキムチの大流行は、コロンブスの唐辛子が日本に入ってそれが秀吉時代に韓国に移ってからおこったことで、それまでのキムチは白菜とニンニクによるあっさりしたものだったというのは、どうなのか。これらはグローバリゼーションではないのか。 

≪03≫  あるいはまた黒死病の原因となったペスト菌、ボルドー・ワイン、議会主義、アイザック・シンガーのミシン、プロレタリアートという階級意識、ディオールのAライン、H2N2型の鳥インフルエンザ、スノーボードは、どうなのか。むろんこういうこともグローバリゼーションの正体である。本書はそういう見方をもって綴られた。 

≪04≫  グローバリゼーションの定義には、いまのところたいしたものがない。ブリタニカの最新版では、ジェームズ・ワトソンが「日常生活の見聞や体験が商品やアイディアの拡散によって広まり、あるいは深まって、それが世界中の文化的表現の標準化を助長していくプロセスである」と説明した。世界銀行の公式サイトの説明はこうだ、「個人や会社が、他の国の居住者と自発的に経済行為を開始する自由と能力をさす」。何、これ? こんな定義ではさっぱりわからない。 

≪05≫  トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』(日本経済新聞社)は、世界の商品と技術が高速にグローバル化したことがグローバリゼーションをつくったと言ったけれど、かなりそういう気はするものの、はたしてそれだけか。たしかにiPodはそうなっているけれど、それだけか。ナヤン・チャンダは必ずしもそうではないと見る。多国籍企業やNGOがグローバリゼーションのひとつの証左なら、そもそも戦争や移民や旅行者だってグローバリゼーションなのである。 

≪06≫  それというのも、グローバリゼーションは何も20世紀の最後半からおこったことではなくて、人類の歴史や文明の歴史とともに始まっていたはずであるからだ。ナヤンはそのような観点によって新たにグローバリゼーションの歴史を執筆した。調査から仕上げまでに6年をかけたらしい。ドキュメントやルポに強いジャーナリストらしい粘り強い仕上がりだ。いまさらという知識のひけらかしも少なくないが、ともかくは通史に挑んだだけあって、説得力のある内容になっていた。

≪07≫  それにしても5万年ぶんものグローバリゼーションをどう縮めて叙述できるのか。本書を読む前にその壮大な企図をナヤンがどんなふうに構成編集したのか、戦争や移民や旅行者ばかりをあれこれ例示して歴史説明しようとしたのか、はなはだ興味津々だったのだが、目次を見て合点した。 

≪08≫  ナヤンは、グローバリゼーションの担い手たち、すなわち“グローバライザー”を大きな歴史のタームごとに絞っていった。ミトコンドリア、小麦、馬、木綿、仏像、宣教師、帆船、交易商人、胡椒、奴隷、アヘン、コーヒー、郵便物、ジーンズ、レコード、真空管、トランジスタラジオ、ミニスカート、シリコンチップ、そしてグーグルアース、iPodというふうに。なるほど、その通りだ。つまりこの本は資本とか金融ではないものに注目してみたわけだ。ただし商社や企業のグローバリゼーションは扱っている。かれらもまた新規のグローバライザーであるからだ。 

≪09≫  著者はインドのジャーナリズム出身で、エール大学のグローバリゼーション研究センターの部長をしている編集のプロである。実に多様なグローバライザーの変遷を組み上げている。それでも中身を紹介するとなると膨大になるが、さいわいチャプター・タイトルにその意図がうまく表現されているので、その順にサマライズをしておく。 

≪010≫  第1章 すべてはアフリカから始まった 氷河期末期(ヴュルム氷期から最終氷期)のどこかで、われらが祖先の一握りのグループがアフリカから世界に散らばった。自然食糧と環境を求めたにちがいない。 

≪011≫  この人類初期の拡散は、最初はミトコンドリアDNAの母系を通しておこっていった。すべての初期人類は20万年前の“イヴ”か“ルーシー”を曾祖母にしていたわけだ。けれどもそのうちの系統のいくつかは不幸な血統崩壊をおこし、生き残ったL1、L2、L3の血統が今日におよぶその後の世界人類のルーツとなった。アフリカの女性たちはL1とL2系に、残りすべての女性はL3系に。 

≪012≫  5万年前、この子孫たちがほぼ大陸のすべての各所に定住した。氷河期がおわると分散と拡散はいったん止まり、農耕を始め、家畜を飼いならした。続く4万年前、レヴァントの系統のM9という新しいマーカーがイランか中央アジア南部の平原に登場し、その子孫たちが「ユーラシア族」の起源となった。それがタジキスタンあたりで南に向かったM20マーカーの一族と(インド定住派)、北に向かったM45のマーカーの一族とに分かれた(中央アジア・シベリア定住派)。それからは同時多発、時間差いろいろ、人生いろいろで、たとえば東アジアにはM175が、ヨーロッパにはM173が最終マーカーとなっていく。 

≪013≫  それでどうなったのか。紀元前1万年前のころ、アフリカ―ユーラシア域、オーストラリア―ニューギニア域、アメリカ域、太平洋域が分掌された。やがてレヴァント地方やインドや中国の集落都市のふところから、貿易商人、布教師、兵士、冒険者たちが出現した。かれらが最初のグローバライザーである。 

≪014≫  第2章 ラクダの隊商から電子商取引へ グローバリゼーションの大きな歯車は交易にある。交易を促進したのは交通と輸送と運搬の手段の発展による。馬、ラクダ、季節風で走る帆船、蒸気船などなどだ。これらによって、絹、漆器、毛織物、亜麻布、ガラス、サンゴ、琥珀、真珠、ワイン、そして奴隷が走りまわることになった。 

≪015≫  アッバース朝のバグダッドが完成し、モンスーンの拠点にマラッカが築港されると、シナモン、パピルス、紙、インク、白檀、ココナツ、陶器、各種香辛料、そして「知識」が動きまわるようになった。コンパスと大三角帆が活躍した。やがて蒸気船が生まれ、スエズ運河とパナマ運河が開通し、その後はたちまち列車・自動車・飛行機・コンテナ船・ジャンボジェット機になっていく。 

≪016≫  それとともに取引手段や決済手段が次々と変化していった。物々交換から貝類へ、そこから貴金属やその裏付けのある証書や朱印や手形による取引へ、そのうちあっというまに金貨からペラペラの紙幣への転換がおこり、ついにはプラスチック製のクレジットカードが出てきて、銀行オンライン決済へ向かっていった。一方、CERNでコンサルをしていた物理屋ティム・バーナーズ=リーが組み立てたHTML(ハイパーテキスト・マークアップ・ランゲージ)は、地球上の異なる場所のパソコンから送られてくるテキスト・画像・音声をシームレスに読み書き転送できるようにした。 

≪017≫  こうして世界はWWW(ワールドワイドウェブ)のグローバル・ネットワークの中に入っていった。いまやセヴィリヤの宝石商人も鹿児島の黒豚商人も、たいていが片手間の電子取引商人になっている。このあたり、ナヤンの手さばきは快調だ。 

≪018≫  第3章 ワールド・インサイド――世界がその中に詰まっている 世界をその中に詰めて各地をグローバルに動きまわったものがいっぱいある。たとえば木綿、コーヒー、マイクロチップだ。インテル社はインテル製品を使っている電子機器には「インテル・インサイド」(内部でインテル使用)という商標を貼りつけているのだが、そのでんでいえば、木綿・コーヒー・マイクロチップはさしずめ「ワールド・インサイド」なのである。世界がその中に詰まっている商品なのだ。 

≪019≫  「ワールド・インサイド」は強かった。かつて木綿から採った綿は、マネーよりも換金能力をもっていた。木綿はインド亜大陸のインダス川の盆地で自生していた品種を改良して栽培され、紀元前1世紀には中国でいくつもの品種となり、やがてインダス流域や長江流域からヨーロッパにも朝鮮にも日本にも渡っていった。 

≪020≫  それが西洋では、10世紀には重要な換金能力をもつ「ワールド・インサイド」になっていた。イタリアの旅行者で1695年にインドを訪れたジェメリ・カレリは「世界で流通している金と銀はみんなムガール帝国の財布の中に入っていく」と書いた。 

≪021≫  そこにイギリスが目をつけ、18世紀にはマンチェスターを世界中の綿を仕切るコットン・ポリスに仕立てた。あとは推して知るべし、インドの大衆は歴史上初めて、イギリスで作ったコットン製品を輸入して着るハメになる。ガンジーが綿を紡ぐ手押し車ひとつで大英帝国に刃向かったのは、この機械生産に対する反逆だった。 

≪022≫  コーヒーはどのように「ワールド・インサイド」になったのか。綿の歴史に「アンクル・トムの小屋」という黒人奴隷の歴史が滲みついたように、ブラジルにコーヒー・プランテーションができるにしたがって非合法の奴隷貿易がかぶさって、毎年約5万人の奴隷がブラジルに運ばれたのである。いまではそのコーヒーのシェアを、四大焙煎屋であるプロクター&ギャンブル、クラフト・フーズ、サラ・リー、ネスレ(元ネッスル)が握り、その価格をニューヨークのコーヒー取引所が操作している。 

≪023≫  第4章 布教師の世界 この章ではブッダとナザレの大工の息子とジハードが好きな男が先駆者で、その弟子や末裔たちがグローバライザーだ。仏教とキリスト教とイスラムの教えを運んだ者たちだ。 

≪024≫  ついでは十字軍やテンプル騎士団が、さらにはマルコ・ポーロやヴァスコダ・ガマやコロンブスが代表的グローバライザーになる。かれらもまたさまざまな意味での伝道師たちだ。むろんイエズス会の宣教師たちこそ文字通りの伝道師であるが、かれらは宗教を伝えただけでなく「文明と文化の商品」の売り買いを媒介した。 

≪025≫  それが高じてどうなったかといえば、アヘン戦争だ。インドの綿花をイギリス国内で加工して儲けたマネーは、インド産の大量のアヘンとなって中国に売られ、この三角貿易こそが世界に植民地を増産させ、アングロ・サクソンを増長させた。もっともかれらは信心を押し付け、物品を買わせたばかりではなく、行く先々の言葉を翻訳して異文化コミュニケーションの最初の立役者にもなった。グローバリゼーションはつねに相反する効果をもたらすものなのだ。 

≪026≫  デイヴィッド・リヴィングストンがヨーロッパ人が恐れていた暗黒大陸アフリカに分け入って巨大で長大なザンベジ川を発見し、この「神のハイウェイ」こそが新たな世界の十字路になるだろうと感じたことは、そのまま「アフリカ分割」となった。ジョセフ・コンラッドが傑作『闇の奥』に暴いたことだ。こうしたアヘン戦争からアフリカ分割に及んだ列強の獰猛な歴史については、ぼくも『国家と「私」の行方』(春秋社)に詳しく書いておいた。 

≪027≫  この章には、新たなグローバライザーも登場する。そこでは、1つのグローバライザーの効果が相反するものを生み出してきた歴史において、2つのグローバリゼーションが対立する。IMFやコングロマリットが上からのグローバリゼーションを推進しているのに対して、NGOやNPOが下からのグローバリゼーションで対立しあうようになったのだ。アイリーン・カーンの「アムネスティ・インターナショナル」やケネス・ロスの「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は下からの運動を進めていった。 

≪028≫  いやいや、もうひとつ、上でも下でもなく、横からの攻撃を仕掛ける者たちもいる。アルカイダの反グローバリゼーション活動だ。ジョン・グレイの『グローバリズムという妄想』(日本経済新聞社)も指摘していたことだ。 

≪029≫  第5章 流動する世界 この章はあまりおもしろくない。中身も粗雑だ。張騫、鄭和、甘英、マルコ・ポーロ、イブン・バットゥータ、ヴァスコダ・ガマ、コロンブスを扱って、かれらの末裔が奴隷を商品とし、世界中に移民を奨励して、本国と植民地というグローバルな主従システムをつくり、そのうえでシリコンチップを世界にばらまいたというのだ。 

≪030≫  世の中、どんなときも「出エシプト」「出アフリカ」「出本国」なのである。ただしこれらは先進列強国のシナリオで、これを真似したイタリア、ドイツ、日本は痛い目にあうことになった。 

≪031≫  第6章 帝国の織りなす世界 アメリカだけが帝国(インペリウム)なのではない。アッシリア皇帝や始皇帝に始まって、アレキサンダーや何人ものローマ皇帝やチンギス・ハーンも大帝国をつくりあげた。ロマノフ王朝もハプスブルク帝国もオスマントルコ帝国も大英帝国もあった。 

≪032≫  なかでも1800年以降の大英帝国はグローバリゼーションの文法のほとんどを独占したのだが、その大英帝国の栄光が一九九七年の香港返還によって完全に消滅してからは、またゴルバチョフによってソ連の解体がもたらされてからは、もっぱらアメリカだけが「帝国」の名をほしいままにした。  

≪033≫  これらの帝国はたいてい「通貨の帝国」であった。また「知識の帝国」や「言語の帝国」でもあろうとした。サンスクリット語、ベネチア金貨、ポンドやドル、フランス語や英語を世界に売り出した。今後は人民元や北京官語が新たなグローバライザーをめざすであろう。本書ではまったくふれられていないけれど、数学と科学方程式による「理科の帝国」の進出もめざましい。 

≪034≫  だから歴史のなかでは、軍事や経済の軍隊をくりだす侵略的帝国のグローバリゼーションとはべつの、いわば「精神の帝国」をつくろうとする試みも数々あったのは当然だ。アショーカ王の仏教やパウロのキリスト教やムハマンド(マホメット)のイスラムがその代表であるが、そのほか数かぎりない精神帝国が提案された。そこにはケルト・ルネサンスから神秘主義者や心理学者たちの喧伝による「意識の帝国」もある。 

≪035≫  しかしそうしたなかで、新たな世界を制したのは結局は「情報の帝国」だったのである。いまではインターネットという情報ネットワークを通して布教されているのは、もっぱら「富と商品の帝国」ばかりだ。 

≪036≫  第7章 奴隷、細菌、そしてトロイの木馬 グローバリゼーションは明るいところでばかり進展するわけではない。天然痘やアヘンやコンピュータ・ウィルスによっても広まった。ここを隠して経済主義に偏したグローバリゼーション論には信用ならないものがある。マッジ・ドレッサーは早くに「19世紀までの奴隷貿易と十九世紀のグローバリゼーションが人類最大の悲劇である」と切り捨てていた。 

≪037≫  奴隷の売買にかかわった国は数かぎりない。古代ローマ、ヴァイキング、中世中国、スペインとイギリスと西ヨーロッパのすべての国、オスマントルコ、ロシア、ブラジル、そしてアメリカだ。みんな奴隷で巨きくなった。奴隷問題は人身売買だけのグローバリゼーションではなかった。奴隷と砂糖がカップリングされ、「奴隷・砂糖複合体プランテーション」となって、南北アメリカ大陸にあまねくゆきわたったことに、もっと異様な特色があった。これが大西洋奴隷貿易として十九世紀までの世界を制したグローバリゼーションのOSだったのだ。奴隷と砂糖のカップリングがなかったら、海運業も造船技術も農場経営もなかった。  

≪038≫  砂糖・奴隷の複合体がもたらした富は、大英帝国によってラム酒・ブランデー・チーズ・タバコ・火薬・銃とも変じて世界の嗜好と暴力の欲望を広げ、大学の創設にあずかって知識産業のプラットホームになっていった。ハーバード大学、エール大学、ブラウン大学の創設者は砂糖と奴隷で大儲けして、その後に奴隷制度の反対を唱えたのだ。 

≪039≫  見えないグローバリゼーションとしてもっと恐るべきものとなったのは、各地で「白人がふりまく息」の中にひそんでいたものだった。病原菌である。ニーアル・ファーガソンは『憎悪の世紀』(早川書房)のなかで、そういう白人たちのことを「中世ヨーロッパで黒死病を運んだネズミのようだ」と評した。いまSARSは「21世紀に出現した最初の深刻な伝染グローバライザー」と呼ばれている。 

≪040≫  一方、1985年になって南カリフォルニア大学のフレッド・コーエンが自己コピーするプログラムを作った。ついでパキスタンのファルーク・アルビ兄弟が「ブレイン」によって、コンピュータの保存データからフロッピーディスクのソフトをコピーするたびに自分自身もハードコピーして「著作権は自分にある」という警告を発するようにしたとき、新たなウィルス、コンピュータ・ウィルスが登場した。このウィルスが二一世紀の「トロイの木馬」の厄災を世界に次々にもたらしていくだろうことは、想像に難くない。 

≪041≫  第8章 グローバリゼーション――流行語から呪われた言葉へ このチャプター・タイトルはわかりにくい。グローバリゼーションという言葉がウェブスターに最初に登録されたのは一九六一年だった。「ものごとを世界的な視野で捉え、認識すること」と定義された。マルティン・ベハイムがコロンブス新大陸発見の1492年に最初の地球儀をつくってくるくる回してみせてから約470年後のこと、スプートニクが地球を回った1957年から4年後のことだった。  

≪042≫  以来、この言葉の意味こそがくるくる変わってきた。国際化と同義のこともあったし、コカ・コーラやマクドナルドと同義のこともあった。GATTの交渉の成功や「多国間繊維協定」(MFA)の定着を意味していたこともあった。やがて市場原理主義や金融資本主義と結びついて、グローバル資本主義=グローバリゼーションになった。 

≪043≫  そういうふうに使われるようになったのは、ルイス・ウチテルの見るところでは、「ハーバード・ビジネス・レビュー」が1989年に、グローバリゼーションを「すぐれた産業技術の発展をもたらす王道」と書いたあたりからだったという。つまり「国境なき生産システム」が当初のレッテルだったのだ。 

≪044≫  それがまたたくまに「経済の自由」「富の拡大」「貧困からの脱出」というふうになり、アナン国連事務総長すらもが「世界はいよいよ強い時代に入った。貧困国が経なければならない段階を飛び越すだろう」と発言した。  

≪045≫  こういう言葉の意味の変移はグローバリゼーションの本義を歪めた。おまけにフリードマンの『フラット化する世界』が強調していたように、アウトソーシングこそがグローバリゼーションを促進するというふうにもなってきた。慌ててコカ・コーラのCEOだったダグラス・ダフトは「ゴーイング・ローカル」に立ち戻ろうとグループ全体に呼びかけた。 

≪046≫  第9章 グローバリゼーションを恐れる者は誰だ? IMFやWTOがおこしたグローバリゼーションは、各国に悲劇的な混乱と格差をもたらした。韓国の農産物輸入関税の規制緩和を機に立ち上がった李京海は、国際的な農民グループ「農民の道」(Via Campesina)を率いて反グローバリゼーションのキャンペーンを展開し、フランスの農民ジョゼ・ボヴェはファストフードなどの「悪玉食品」(malbouffe)の撲滅に立ち上がり、グローバリゼーションが邪悪な新興宗教であることを訴えた。 

≪047≫  ジョセフ・スティグリッツはさっそく『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店)を、ハロルド・ジェイムズは『グローバリゼーションの終焉』(日本経済新聞社)を書いて、グローバリゼーションはグローバリズムという名の偏狭な主義にすぎないと言い立てた。世界最大のコンピュータメーカーDELLの販売収入の43パーセントがアメリカ国外からのものなのだ。 

≪048≫  こうして「反グローバリゼーション」と「オルター・グローバリゼーション」という気運が高まってきた。それならこのままいくとグローバリゼーションは、かつて世界を股にかけたグローバライザーだったマゼラン船長やクック船長が現地人に殺されたように、どこかで打倒対象になるのだろうか。もしそうなら過激なマルクス主義者の革命運動の再来だろうけれど、どうもそうはなりそうにない。 

≪049≫  それというのも反グローバリズムの旗印は、いまのところは国外からの侵入や影響に反対する目印にとどまっているからだ。フランス人作家パトリック・アルテュスの『デロカリザシオン』は、仕事を失っていく青年層たちの不安を描いて、アウトソーシングやオフショアリングが“21世紀のカミュたち”を用意しつつあることを告げた。デロカリザシオンというのは企業や工場の移転のことである。かくして、結論。グローバリゼーションは、あまりに「丸見えの勝者」と「顔の見えない敗者」を分けすぎたのだ。 

≪050≫  第10章 前途 以上のようにグローバリゼーションの歴史をかいつまんでみると、はたしてグローバリゼーションの功罪はプラマイ・トータル、合算するとどうだったのかという総括が必要になる。とりあえず今日の段階で総括すれば、グローバリゼーションは世界の一体化をもたらし、多くの民衆を貧困から解放したぶん、世界の3分の1の人々を取り残した。これをどう見るかが分岐点だ。 

≪051≫  ナヤンはこれみよがしの善悪の判断をくだしていないけれど、グローバリゼーションがさまざまな時代と分野で「超結合世界」をもたらしたことを肯定する一方で、今日のグローバリゼーションがあまりに格差を広げすぎたため、その役割が終わるべきであろうことを暗示する。 

≪052≫  まあまあ無難な結論だが、それで、どうする、だ。反グローバリゼーションだけじゃ無理だろう。資本主義そのものと対決しなければならなくなっていく。自由とは何かとかという議論の方向もあるが、この数百年にわたる自由論をめぐる検討にも新たな展望がほしい。ジェームズ・ミッテルマンは「オルター・グローバリゼーション」という対案を、若き鈴木謙介は「反転するグローバリゼーション」という視点を出した。ちょっとおもしろかった。このあたりのこと、さらにどう深めていけばいいのか。いったんはフェルナン・ブローデルやジャレド・ダイアモンドに戻ってみるべきだろう。  

≪053≫ 【参考情報】 

≪054≫ (1)本書の原題は“Bound Together”である。「みんな結びつけられている」といったところだ。サブタイトルは“How Traders, Preachers, Adventurers, and Warriors Shaped Globalization”。 Traders(交易商人)、Preachers(布教師)、Adventurers(冒険家)、Warriors(戦士)によるグローバリゼーションの歴史なのである。 

≪055≫  著者はインド生まれの著名なジャーナリストで、香港に本拠地をおくアジア問題のニュース週刊誌「極東エコノミックレビュー」の記者を振り出しに、アジア版「ウォールストリート・ジャーナル」編集長、「極東エコノミックレビュー」編集長をへて、2008年にはエール大学のグローバリゼーション研究センターの出版部長となり、電子版「エール・オンラインマガジン」の編集長ともなっている。邦訳書にカンボジア紛争をドキュメントした『ブラザー・エネミー』(めこん出版)がある。 

≪056≫ (2)翻訳者の友田錫(せき)と滝上広水も、ともにジャーナリスト出身。友田は東京新聞・産経新聞の記者から亜細亜大学教授をへて、去年まで日本国際問題研究所の所長をしていた。著書に『入門・原題日本外交』(中公新書)、訳書に『ブラザー・エネミー』、『シアヌーク回想録』(中央公論社)、ルイス『ヨーロッパ』上下(河出書房新社)など。滝上は共同通信をずっと歩んで、いまは編集局だが、中国人留学生の実態を抉った『隣人』(筑摩書房)などの著書がある。