日本語
リテラシー

日本語の年輪
読書・独歩 宇宙の間隙に移居するParⅠガイド 情
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≪01≫  2004年、2人のグーグル・エンジニアのジェフリー・ディーンとサンジェイ・ゲマワットが「大規模計算の自動並列化と分散化を可能にするシンプルでパワフルなインターフェース、およびその実装によって一般PCのラージクラスター上での高性能を発揮する方法について」という、長ったらしいタイトルの論文を書いた。これが「マップリデュース」(MapReduce)の誕生を告げた。

≪02≫  長らくデータ分析には大型コンピュータが使われてきた。しかしながら世の中にH&Mやユニクロもどきのリアルクローズが溢れ、ネットに厖大な“虫の惑星”めいた選択サイトがひしめきあっていくなか、大型コンピュータがフル稼働して多岐選択問題を処理するのはとっくに限界がきていた。それは1人で必死に100題の試験問題にとりくむようなものだ。

≪03≫  ディーンとゲマワットは、試験問題を分割して100人の解答者に配り、問題が解けたあとに解答を集めて集計用紙にするという方法を思いついたのである。問題を分割して答えを出すプロセスを「マップ」(Map)とし、答えをまとめて一つにするプロセスを「リデュース」(Reduce)とした。これで数時間かかるデータセットが僅か数秒で片付くことになった。

≪04≫  一方、ダグ・カッティングとマイク・カファレラはグーグルの検索エンジンに対抗したくて、グーグルのようなクローズド・ソースではなく、無料かつオープンソースの検索エンジンをつくると意気込んで、これを「ナッチ」(Nutch)と名付けていた。

≪05≫  「ナッチ」はインターネットのすべてのページにインデックスを付けるというような気が遠くなる仕事をやってのけるためのエンジン構想だったが、そのコーディングはやっぱり気が遠くなりそうだった。そこに「マップリデュース」の論文が出た。二人はこのイノベーティブな構想に乗って「ナッチ」を完成させるべきだと決断した。

≪06≫  こうして「ハドゥープ」(Hadoop)が誕生した。この変ちくりんな名はダグの息子が愛玩していた象のぬいぐるみの名前らしい。

≪07≫  ハドゥープはたちまちテラバイト級データの分析手段を多くのユーザーに開放していった。

≪08≫  よく出来ていた。ハドゥープにはマップ機能、リデュース機能のほか、何万台もの個別コンピュータの処理状況を把握して、その仕事をまとめて一貫した全体像を見せるオーバーヘッド機能も自動化されていたのだ。これらによって、仕事の準備、その分散、結果の収集、管理、冗長コピーの保管、アト処理、全体の仕事の順調度の検証などが一挙にできるようになった。

≪09≫  2007年、フェイスブックは「ハドゥープ」の導入に踏み切り、翌年には2500台のコンピュータ並行処理を実現できるようにした。アマゾンは何百万件もの購入記録の中からパターンを探し出す仕事に、リンクトインは「もしかして知り合い?」の呈示のために、ヤフーはスパムのフィルタリングや広告トレンドの分析のために、イーベイは人気の売り手と商品分析のベストマッチングに、それぞれ「ハドゥープ」を使い始めた。

≪010≫  こうして「マップリデュース」と「ハドゥープ」がビッグデータ時代の弾頭となっていったのである。そして、そこには夥しいスコアの航跡が残っていくことになった。残っていっただけではない。「そのスコアをどう使うか」というレピュテーション・ビジネスが雨後の筍のように頻出していった。

≪011≫  本書はとても困った本である。その理由はこのあとすぐ書くが、その前にぼくの今日の情報社会と経済社会についての注文を表明しておく。一言であらわせる。

≪012≫  そろそろ「評判の社会」から「評価の社会」になりなさいね。この一言だ。

≪013≫  むろん評判がいいのは悪いことじゃない。視聴率がいいのもベストセラーが出るのも結構だ。けれども21世紀の現在社会はついつい「評判の社会」になりすぎてきた。芸能界を筆頭に、評判で人気とりをするポピュリズムは政治家たちを含めてずっと以前からあったけれど、アクセス数に溺れまくるネット社会になって、その傾向が極端に増大した。増大しただけではなく、それが止まらなくなった。

≪014≫  いまや何だって、何かにつけて、ワイドショーからマーケティングまで、大学進学率からAKBじゃんけんまで、SNSからブレイクダンスまで、噂と評判とランキングと推挙(リコメンデーション)ばかりで埋め尽くされている。そのうち評判数こそが評価だと勘違いされてしまった。

≪015≫  これはどう見ても、評判(reputation)でしか社会価値がつくれないという過剰適応現象だ。これではいけない。

≪016≫  われわれが望むべきは評判ではない。今後の社会に示されていくべきは評判のランキングではない。ましてその集計結果ではない。「評価」(evaluation)の内実であるべきである。「いいね」のヒット数などではなく、「いい」をめぐる対話を交わすことなのだ。

≪017≫  だから「評判の社会」から「評価の社会」へであり、「レピュテーション」から「エヴァリュエーションへ」なのだ。「レピュ」から「エヴァ」へ。これがぼくの注文なのだ。

≪018≫  ところが、本書は徹底して「評判」だけを論じた本なのだ。そもそも原著のタイトルからして「レピュテーション・エコノミー」で、おまけに二人の共著者は揃って「レピュテーション・ドットコム」という企業の創業CEOと法律顧問なのである。

≪019≫  何をか言わんやだ。実に困った本なのだ。 だったらこんな本を採り上げなければいいのだが、それがそうもいかなかった。この本がレポートしていることはスコアのことばかりで、ちっとも深いことは書いていないのに、今日の社会や経済の「あからさまな動向」を端的に伝えるものになっているからだ。その中身たるや自社宣伝というより(そういう巧妙な面も多々あるけれど)、そんじょそこらの社会学者や評論家たちが綴っているものより、うんとアクチュアルで適確なのである。

≪020≫  なぜアクチュアルなのか。スコアになりにくいものがスコアリングされ、それらが複合化されているからだ。

≪021≫  最近ぼくは「インタースコア」こそが編集力の武器になると声を嗄らしている。『インタースコア』(春秋社)という厚い本をイシス編集学校の諸君と上梓したばかりでもある。ところがこの本ときたら、別の意味での「スコアリング・マニフェスト」にもなっていて、それで困った、困ったなのだった。

≪022≫  本書にはさまざまなレピュテーション・スコアと、そのスコアを巧みにいかしたサービス事例がいろいろ出てくる。ふーん、そこまでやるのか、それがニュービジネスになっているのかというほどだ。

≪023≫  たとえば、クラウト社の「クラウト・スコア」(Klout)は、ツイッターやフェイスブックでのやりとりの因子分析をして、人々の影響力をレピュテーション・スコアにしてみせる。「スキピオ・ドットコム」は人口学的情報に富裕スコアを重ねて告示する。「アンジーズ・リスト」(Angie’s List)は不動産についての評判を開示し、「エアビーアンドビー」(Airbnb)は空き部屋の評判を知らせる。オンラインゲームの「ネクソン」(Nexon)はフェイスブックやリンクトインのアカウントを調べて“当人妥当性”を告げる。

≪024≫  最近の日本では政治家も芸能人も経歴詐称が多いようで、ショーンKがかわいそうな失脚をしたけれど、アメリカではとっくに「エストゥーヴェリファイ」(S2Verify)のように履歴のスクリーニングに特化して履歴書の適不適を通知するレピュテーション・サービスが大流行しているらしい。ビジネスレビュー・サイトのひとつ「イェルプ」はビジネスマンが使用したレストランや借りスペースの評判度を調べ、投稿者の信頼性によって重みづけしたスコアを表示するビジネスになっている。

≪025≫  まだまだ、ある。ファーストアドバンテージ社は「エスティーム」(尊敬)という名前データベースを販売しているのだが、これをブラックリストの発見に使いたい企業群のためにレピュテーション・エンジンをかました。逆に、企業の従業員たちが自分の会社についての評判を立てる「グラスドア」(Glassdoor)もある。告げ口だってスコアなのだ。

≪026≫  文書や文面もほっとけない。「タイガーテクスト」(TigerText)はメッセージング・サービス屋だが、メッセージの安全度と評判度を掛け合わせた。もっと安全にしたいのなら「テレグラム」(Telegram)というアプリでミリタリーレコードの暗号を入れこんで、インタースコアできるようにもなっている。

≪027≫  不動産スコア、資産スコア、友情スコア、慈善スコア、富裕スコア、債務不履行スコア、相性スコア、病歴スコア、占星スコア、フルーツ完熟度スコア、お便り内容判定スコア‥‥。まあ、何でもありだ。すべてがランク付けされ、すべてが点数化され、そして、すべてが脱文脈化されていっている。

≪028≫  しかもそれらがことごとく「信用スコア」や「信頼スコア」だと思わされるようになったのだ。ここがヤバい。

≪029≫  今日の社会でデジタルストレージが最も精度の高いレベルにさしかかっていることは、まちがいがない。それも1テラバイトのディスクドライブがあるだけで、平均的な学術図書館の蔵書量をラクに超えるストレージができる。

≪030≫  おまけに値段は1万円を切る。自分でデータマイニングするのも自在になっている。

≪031≫  処理速度もチョー速い。「瞬間」とは瞼が1回またたく時間のことを言うのだが、これは古代インドの「刹那」では75分の1秒だったが、今日の計測では平均0・4秒にあたる。この0・4秒のあいだに、世のノートパソコンは約10億回の計算をやってのけるのだ。信じがたい刹那主義の世の中なのだ。

≪032≫  それでどうなるかというと、すべてのアクセス行為やクリック行為がデジタルスコアとなり、デジタルフットプリント(電子の足跡)ともなって、ストレージされていく。やがてそれらの集積が次々にゴミの山のように溜まっていく。よくまあゴミが溜まったままで平気でいられると思うけれど、ところがいまやデータを削除するよりも、まるごと保存しておくほうがコストパフォーマンスがよくなってしまったのだ。

≪033≫  すべてがオンラインになっていて、その出し入れのすべてがデータ化されているということは、すべてはどこかでスコアとして記録され、点数化され、ランキングされうるということだ。これはまあ、何事もことごとく監視されているようなものだ。

≪034≫  それだけではない。それらのデジタルスコアやフットスコアは、それらにちょっと工夫を凝らして束ねさえすれば、何だって「評判化」しうるということになる。ということは「評判」こそが「流通力」となり、ということは「通貨」にもなるということだ。

≪035≫  コリイ・ドクトロウのSFに『マジック・キングダムで落ちぶれて』(ハヤカワ文庫)があった。そこに評判通貨ウッフィーが出てくる。ウッフィーはこれを集めれば、おカネなんてなくとも十分に社会の信用も信頼も得られるという通貨として描かれている。まさにレピュテーション経済を先取りした作品だった。

≪036≫  ぼくは「人とスコアが付着する」という現象やそういう固着状態が一番嫌いなのだが(だから中学校以来、通信簿はちらっと見て2度と見直すことをしなかったのだが)、レピュテーション経済社会の事例はほとんどが「人」を「評判」で束ね、「噂」で縛り上げていく。

≪037≫  ティンダー、マッチ・ドットコム、オーケーキューピッドなどの「出会い系サイト」(ミート・マーケット)でレピュテーション・スコアそのものがビジネスになっているのは、ユーザーがそれだけを(より自分に有利な出会いを)望んでいるのだからまだわかりやすいが、自分がなんとなく捜したいと思っているものが、そこに辿りついてみたら「評判点」付きになっているのは、どうにもいやらしい。

≪038≫  気になるお寺に行ってみたら、「当寺の評判は68点と判定されました」という立札が目に入ってくるようなものだ。

≪039≫  しかし、この「評判」によって社会と「人」をがんじがらめにしていくという傾向は、収まりそうはない。収まりそうもないどころか、ますます過飽和になって、ほんとうの「評価」や「価値」が何であるのかを、次々に忘れさせている。

≪040≫  さすがに、このままでいいはずはない。そこでマーケッター出身のウィリアム・ダビドウはこの異様な状態を「過剰結合社会」(overconnected)と名付けて、『つながりすぎた世界』(ダイヤモンド社)という本を書いた。まさに世の中、とことんオーバーコネクテッドなのである。

≪041≫  けれども評判ビジネスの業界は、オーバーコネクテッドだからといってへこたれない。それどころか、その情報の余剰から新たな指標を発見して、それを計算式にしてそこにレピュテーションを加えていけば、リアルな実感社会とは異なる評判社会のほうが大きくなる、そういう市場さえ確立していくというのが、レピュテーション経済の発想なのである。

≪042≫  近ごろはこれを「シェアリング・エコノミー」と呼ぶ者さえ出てきた。

≪043≫  ところで最近になって、ぼくのところへ大学からの相談が次々にくるようになった。

≪044≫  図書館をおもしろくしてほしい、図書館に代わる施設やネットを使った読書力向上の仕組みがほしい、学生に編集力をつけさせるためのプログラムがほしい、大学イメージのブランディングを頼みたいといったものなのだが、そういう相談に少しずつ乗っていると、いろいろ大学経営の難しさが聞こえてくるようになってきた。

≪045≫  日本の大学の多くは、いまかなり大変なのである。むろん少子化現象が大きな要因になっているのだが、暗記型の受験勉強を数十年にわたって押し付けてきたツケもある。「学生さん、いらっしゃい」のために、余計な学部や学科や余計な施設をつくりすぎてきたこともある。そんなこんなで、何をすれば学生の獲得と雇用者の評判を上げられるのか、そこがぐらぐらしてきたのだ。

≪046≫  しかしこれがアメリカや中国になると、凄まじいほどの競争と最適化を勝ち抜く大学が次々に登場して、いままさに「レピュテーション・ユニヴァシティ」をめぐる過剰な様相を呈するようになっている。

≪047≫  イエール大学はシンガポールにキャンパスをつくって、同国初のリベラルアーツ・カレッジに仕上げた。ニューヨーク大学はブエノスアイレス・シドニー・アブダビなどにグローバル・アカデミック・センターをつくった。中国では13年前の大学生よりも3倍近い2800万人が大学の門に吸い込まれていっている。これらの大学では学費は年に8パーセント上がっていて、この上昇率はヘルスケア部門を除くとどんな分野のインフレ率よりも高い。

≪048≫  こうした評判合戦を背景に、「レート・マイ・プロフェッサーズ」のような、学生が授業の難易度や好感度を測って送るサイトも何種類もできた。エンプロイ・インサイト社のように企業と大学のニーズとシーズの歪みを調整するために、求職者がオンラインで受けるテストをつくり、これを企業と大学の両方にリリースしているところもある。

≪049≫  オラクルがタレオを買収したのは、多すぎる求職者を効率よくふるい落とすためのフィルターを、人事担当に提供するためだった。

≪050≫  こんなことをして学生の質がよくなっていくとはかぎらない。ハーヴァード大学の学長を20年以上務めたデレック・ボックが書いているように、「大学の経済力が上がれば上がるほど、学生の能力は低下している。雇用者を満足させるだけの筆力を獲得できないで卒業していく学生がどんどん多くなっている」。

≪051≫  そんな学生たちばかりでも、大学としては自校の学生たちの「評判」を上げていかなければならない。そうしないかぎりはブランド力があっというまに落ちていく。企業も採用してくれない。ちなみにデレック・ボックには『幸福の研究』(東洋経済新報社)という「幸福の評判」を批判した本がある。

≪052≫  これまでアメリカの学生の「才能」や「力」のあらわし方は、もっぱらGPA(Grade Point Average)に頼っていた。雇用者もそこを見るのが先決だった。各科目の成績から特定の方式によって算出する成績評価の指数のことだ。けれども、この指数に新たな指標を導入することが求められてきた。

≪053≫  ユーチューブ・チャンネルに数億回の視聴力を誇る「カーン・アカデミー」を作り上げたサルマン・カーンの助言は、大学はもっと「マイクロ・クレデンシャル」(個別証明書)をオンラインでつくっていくべきだというものである。そのほうが「どこそこ大学の何々科の出身です」「GPAはこれこれです」などというおおざっぱな名のりより、レピュテーションのライトサークルがくっきり浮き上がっていくというのだ。

≪054≫  それはそうだろう。すでにアメリカの大学コンソーシアム(とくにハーヴァード・MIT・カリフォルニア大学バークレーのコンソーシアム)は、個々のオンライン課程にパスするたびにマイクロ・クレデンシャルを発行する「エデックス」(edX)というプログラムを動かしている。

≪055≫  日本にも北海道から沖縄まで数々の大学コンソーシアムがつくられているが、「エデックス」のようなオンライン・プログラムは動いていない。これではアクティブ・ラーニングやラーニング・コモンズは名ばかりなのである。

≪056≫  大学の評判は一様なスコアでは決まらない。雇用者のほうも一様なスコアを一式もらっても、困るだけだ。だから、さまざまな取り組みが始まったのだ。GPAとマイクロ・クレデンシャルを組み合わせるというのは、その対策のひとつだった。

≪057≫  この手の話は何をあらわしているのだろうか。ようするに、ここに何がおこっているのかといえば、いよいよ「インタースコア」の試みが劇的に始まっているということなのである。本書のような本からこのことを告げられるようでは、まことに困ったことだった。

≪058≫  しかしとはいえ、これ以上のあやしいレピュテーション経済社会が罷り通っていくとすると、ぼくは検索エンジンと機械算定と人工知能による「評判」の指標分配方式には、いずれはサブプライム・ローンのような亀裂が幾つも入っていくと見る。

≪059≫  評判づくりのための「まやかし」や「いんちき」もふえるだろうが、それよりなにより、実際の実像が「なるほど、評判どおり」とはいかなくなっていくに決まっていくからだ。いったい何が「評価」の実質なのか、どんどんわからなくなってしまうからだ。

≪060≫  それでは、今夜の最後のおまけとして、「評判をくっつけたい価値観」と、「評価をめぐって思考を進める価値観」との違いを示す一例として、バカロレアの試験問題のことをかんたんに紹介しておきたい。

≪061≫  フランスではリセ(高等学校)の最終学年の哲学教育と、バカロレア(大学入学資格試験)の哲学試験が重視されてきた。文系・理系を問わず高校生は哲学が必修で、そこでは構成的自由の力が試される。

≪062≫  バカロレアの試験を受けるために、リセでは最終学年1年間を哲学の授業にあてる。高校生はこれをじっくり咀嚼して試験に臨むのだが、毎年、むろん問題は変わる。変わるだけでなく、その水準はかなり高度のまま保たれてきた。

≪063≫  哲学の試験は記述式で、試験時間は4時間である。問題はいつも3題あって、そのうち1題は小論文(ディセルタシオン)、残り2題はテクスト説明になる。そこから一つを選ぶ。テクスト説明では20行ほどの哲学的著作の引用を構造的かつ意味的にあきらかにし、とくに構成要素のあいだの関係を明示することが求められる。2012年の文学系コースのお題は次のようなものだった。

≪064≫  (1)Que gagne-t-on en travaillant? (働くことによって何    を得るのか) (2)Toute croyance est-elle contarire à la raison?(あらゆる信仰は理性に対立するか) (3)スピノザの『神学・政治論』の一節を説明せよ

≪065≫  とうてい日本の高校生には太刀打ちできないだろう。神に酔った哲人バルーフ・スピノザ(842夜)を知っていたかどうかも気になるが、そこに一喜一憂すべきなのではない。このバカロレアによって、「いったい何を評価するのか」という根本の判断力や価値観と交われるということが大きい。

≪066≫  実際にも採点基準は、「思考の型」が身についているかどうかということ、および哲学的課題に答えつつ構成的自由をあらわせるかどうかが問われる、というふうになっている。これまた古くて新しいインタースコアであった。

≪067≫  評価というものは、容易な数の寄せ集めによって人を判断するためのものではない。深さ、高さ、広がり、陰に隠れるもの、大胆なところ、鮮明な表明などが沛然とあらわれていて、その総体によって評価が動くのだ。

≪068≫  はたしてビッグデータ時代の人工知能の成果は、「評判」よりも「評価」を引っ張ってこられるのか、どうか。さらにしばらく、突っ込んで考えてみたい。

≪01≫ 「タンパク質に包まれた悪い知らせ」という言い方がある。「地球上で最も小さなハイジャッカー」という言い方もある。

≪02≫  ウィルスのことである。そのウィルスの正体が、しかし、なかなかわからないのである。

≪03≫  ウィルスは細胞ではない。核もないし細胞質もない。ウィルスは一層あるいはそれ以上のタンパク質の餃子の皮か、ミルフィユに包まれた極小きわまりない遺伝物質なのである。が、病原体ともいえない。ウィルスはそのほかの発見されたいっさいの病原体とも異なった、とんでもない性質をもっている。だいいち、ウィルスの大きさは病原体にくらべるとやたらに小さい。アデノウィルスのような平均的なウィルスでさえ、血液一滴の中になんと50億個が入りこめるのである。

≪04≫  ウィルスは埃りとともに飛ぶこともできるし、くしゃみにも乗っていける。また、そういうことがおこらなくとも、まるで不精者のように、いつまでも待っていられる。待つことがウィルスの半分以上の仕事になっているらしいのだ。そこでしばしば「ウィルスは死んでいるのか生きているのか、さっぱりわからない」と言われることになる。

≪05≫  が、いったん宿主の細胞の中に入ると、たちまち活性化される。こうなれば、ウィルスははっきり生きているということにる。しかしそれでは、まるでゾンビなのである。

≪06≫  ゾンビは何をするかというと、宿主の細胞機能を横取りしてしまう。本来ならば、宿主細胞は細胞自身の遺伝子をコピーすることになっているのだが、そしてそれこそが生命の尊厳なメカニズムというものであるのだが、ウィルスはその宿主のコピーのメカニズムをそのまま借用して、自分の増殖を企ててしまうのである。

≪07≫  つまり、まず、ウィルスが細胞の中に入ると、ウィルスを覆っていたタンパク質のミルフィユの殻が溶け出してくる。これはウィルスがもっている酵素の機能によっている。そうなると、宿主細胞はウィルスの遺伝子にじかにさらされる。そこで得たりとばかりに、ウィルス遺伝子は自分と同じウィルス遺伝子をつくるように指令する。ついで、増えてきた遺伝子の組み合わせによって、ウィルスのタンパク質をつくってしまう。実は行く先を変更させるハイジャックどころではないのだ。

≪08≫  ときにウィルスは、このあとに細胞自身の生存に必要なタンパク質の製造を中止させるプログラムさえ書きこんでしまう。なんとも凄惨なことであるが、自殺タンパク質をつくってしまうのである。

≪09≫  こうして、このような外来者であるウィルスが、最終的に遺伝情報のプログラムをDNAのかたちでもつのか、RNAのかたちでもつのかということが、重要になってくる。いや、それを調査研究することが今日のウィルス学の最も重要な出発点になったのだった。

≪010≫  もし、RNAのかたちでプログラム機能が保持されれば、これはRNAウィルスとして人類に敵対するほどの猛威をふるう。そのひとつがエイズの原因であるレトロウィルスHIVである。

≪011≫  本書は、こうしたウィルスの恐怖を縦横無尽に説明し解読しようとして駆けずりまわる、あたかもウィルスを暴くウィルスのような本になっている。とりあげられた話題はまことに多く、また今日のわれわれを蝕む危険な病気についての説明も多い。本書の原題が『ダンシング・マトリックス』となっているのは、そんな本書の書きっぷりによっている。

≪01≫  いま地球上にはおよそ六〇〇〇の言語がある。地球のどこかで話されている言葉の数だ。世界中の言語名、方言名、別呼称を総計すると三万九〇〇〇語にのぼる。けれども、国は二〇〇くらいしかない。それでも単純に平均すれば一国あたり約三〇の言語が使われていることになる。 

≪02≫  言語というものは猛烈に多様なのだ。ただし近現代になるにしたがって、地域によって疎密ができてしまった。実際にはアフリカやポリネシアのように、地域によってものすごい数の言語たちが隣りあってひしめいているところと、ヨーロッパのように寡占状態のところがある。だから、この「一国三〇言語」という平均像はいつわりの数字であるが、しかしその程度に言語というものは数が多いのだ。 

≪03≫  実情はもっと複雑だ。世界に六〇〇〇言語があるといっても、この数は五〇〇年前の半分にすぎない。この五〇〇年間で世界の言葉は約半分が死滅してしまったからだ。しかも、その半分になった言語のほぼ二〇パーセントが、いままた瀕死の状態にある。それも加速的に消滅しつつある。 

≪04≫  本書はこのような広域でおこりつつある言語消滅に関する克明なレポートであり、かつ、その要因を政治・経済・社会の過激な変動に探して告発しようという提案になっている。 

≪05≫  本書はこのような広域でおこりつつある言語消滅に関する克明なレポートであり、かつ、その要因を政治・経済・社会の過激な変動に探して告発しようという提案になっている。 

≪06≫  こういうことがのべつおこっている。それも毎年だ。一九八二年にオーストラリアのムババラム語の最後の話者が死んだ。その二年後にはマン島語の最後の話者が死んだ。オーストラリアでは先住民言語が一年に一言語ずつ滅んでいるらしい。ヨーロッパ人と接触する以前のオーストラリアには、確認されているだけでも二五〇以上の言語が生きていた。 

≪07≫  コロンブス到着以前の北米大陸だって、推計三〇〇言語が話されていた。いまはそれが一七五言語になった。ざっと半分が死滅した。半分が残っているとはいえ、話者がたった十人以下の言葉が五一言語にものぼる。これらがまもなく死滅していくだろうことは目に見えている。ワッポ語の最後の話者のローラ・サマーサルばあさんが死んだのは一九九〇年のことだった。 

≪08≫  なぜ言語(語り言葉)は消えていくのだろうか。駆逐されるのか、それとも自滅するのか。その両方ともいえるし、そんなふうに単純には説明できないともいえる。事情は複雑なのである。 

≪09≫  たとえば一九三二年にエル・サルバドルでおきた事例は、まことに悲しい事情を物語っている。農民暴動がおきた。そこで服装や体つきでインディオと見なされた連中が片っ端から殺されることになった。その数、約二万五〇〇〇人におよんだ。三年後になってもラジオや新聞はインディオの暴動を警告し、暴動がなければ先進国からの援助も得られるというキャンペーンをしていた。そこで多くの先住民たちが、インディオと見られないようにするために自分たちの言語を放棄していったのだった。 

≪010≫  こういう事態が各地でおこっているわけなのである。差別の激しいケニアの作家ングギ・ワ・ティオンゴは、果敢に自分の言語であるキクユ語による文章をあえて発表しつづけたため、投獄された。 

≪011≫  服装なら変えられるし、髭なら剃ればすむ。髭はまた伸ばせばはえてくれる。けれども皮膚の色や言語の特徴はなかなか変えられない。言葉ははえてこないのだ。それらは身体の内側からつくられている。だから、北部同盟がタリバンを放逐したところで、北部同盟にパスティン人が残っていれば、その言葉はまだ続く。しかしかれらが死ねば、言語も死んでいく。ボスニア・ヘルツェゴビナやチェチェンやウイグルで、民族や部族が抑圧されたり殺されたりするような事態が進行すれば、その言語はひとたまりもなく壊滅してしまう危険性をもっているわけなのだ。 

≪012≫  さらにもっと恐ろしい事情もある。英語がますます広まっているという問題だ。少数民族の言語を研究する者たちは、英語を「殺し屋の言語」とよんでいる。「アイルランド語は英語に殺された」というのは、かれらのなかでは合い言葉になっている。 

≪013≫  一九六六年、すでに世界の七〇パーセントの郵便物が英語に、ラジオ・テレビの放送言語の六〇パーセントが英語になっていた。はっきりしたデータはないのだが、国際政治の場面や教育の現場でも英語がそうとうにふえている。インターネットによってさらに英語の殺傷能力は増してきた。英語をつかう者には加害者の意識はない。それなのに英語は殺し屋なのである。 

≪014≫  英語という言語自体の文法や発音や言いまわしに殺し屋の要素があるわけではない。英語をつかう場面の強引と暴力が英語を強くしているにすぎない。ごく最近、日本でも英語を公用語にしようとか第二公用語にしようといった提案が出て、一部の者たちの〝国語の良心〟をいちじるしく傷つけたことがあったが、そのような提案に呆れることができる人数があまりにも少ないことにも、ぼくは呆れたものだった。 

≪015≫  今日、使用頻度の最も高い一〇〇程度の言語を、世界総人口の九〇パーセントが話している。国連には六つの公用語しか用意されてはいない。ひどい寡占状態である。残された一〇パーセントの多くはアジア・アフリカにいる。とくに熱帯地域に多い。  

≪017≫  それなら、これらの言語は消滅するのもやむをえないほど特徴の薄い言語なのかといえば、そうではない。むしろ逆なのだ。たとえば、八一個の子音とたった三個の母音でできているウビフ語、五個の母音と六個の子音しかもたないパプアニューギニアのロトカス語など、多くの言語が言語学上でもいちじるしく興味深い特徴をもっている。イヌイットの言葉はたいていは犬の重さやカヤックの大きさと氷や雪の種類とが対応できるようになっているし、北米ネイティブ・アメリカンのミクマック語は樹木の種類を風が通る方向や音によって呼称できるようになっている。まことに雄弁なのだ。 

≪016≫  なかでもアフリカは重症で、すでに五四言語が絶滅し、さらに一一六言語が絶滅の危機にある。多言語地帯としてとくに有名なナイジェリアでは、いままさに一七言語が涸れつつあるという。アフリカはまた、全体としては二〇〇〇言語があるにもかかわらず、二〇語系にしか仕切られていないという状態にある。 

≪018≫  ぼくが注目しているオセアニア系の言語の多くは、「譲渡可能な所有物」と「譲渡不可能な所有物」という区分けによって言語が分類できるようになっていて、世の中の品詞というものが男性名詞と女性名詞でできているわけでも、自然名詞と固有名詞に分かれているわけでもないことを、誇り高く告げている。 

≪019≫  そもそも言語には、拡張しつつある特定言語に接触すると、しだいに単純化していくという性質がある。シンプルになる。単純な言語が複雑な言語を駆逐するというのではなく、特定の言語が政治力や経済力を背景にして大量に流れ、その大量言語に他の少数言語が接すると、その言語が単純化する傾向があるということだ。英語が殺し屋になるのはそのせいである。 

≪020≫  しかし、エル・サルバドルの事例がそうであったように、言語というものは言語だけが自立しているのではなく、その言語が使える生活状況や政治経済状況がまとわりついて次々に生病老死をくりかえしているものだ。また、そこには侮蔑や差別や嘲笑がつきまとう。いくら方言がすばらしいからといって、テレビで訛りのなおらない言葉づかいをしていたら、とたんに仲間から冷やかされて、そのまま意気消沈して芸能界を降りたタレントも少なくはない。 

≪022≫  本書は、「生物多様性」というものがあるのなら、それに匹敵する「言語多様性」があるということを、ほとんど喉を嗄らすほどに訴えている。本書はだから、グローバリズムに対する徹底抗戦を謳った一書でもある。しかしながら、どうも、このような絶叫に似た言語学者や言語生態学者たちの訴えは、ほとんどの政策決定者や知識人には届いていないようである。とくにグローバリズムやコンプライアンスが「言語多様性」を奪っている。逆にナショナリズムのほうも母語の多様性を単純化してしまう。 

≪021≫  言語は多様であるにもかかわらず、その言語がもたらす文化の多様性を手放しでは確信していられない。その言語を使う文化の場面がしだいに少なくなっていけば、そのまま言語の多様性も削られていく。そういう宿命をもっている。それにもかかわらず、生物が絶滅の危機に瀕していることには先進国はやかましく言うわりに、こうした「絶滅途上の言語種」については、まったく対策がたてられてはいない。 

≪023≫  ぼくは本書を読んでずいぶん寒気をおぼえたけれど、そのように寒気を感じる読者数もおそらくはものすごく少ないのだろうとおもう。ぼくは以前から好きな造語を文中や会話の中につかうのが平ちゃらなのだが、新聞や出版社の校閲者からはたいてい訂正を求められるし、テレビ番組では「言いなおし」を強いられる。これでは、ぼく自身の言語感覚が絶滅種に近づいているというふうに言われてもおかしくないということになる。ああ、無情。ああ、無常。 

音読をしてみること、これに勝る学習はないと言われながら、なかなか誰もこれをやりたがらない。 われわれはいつしか“だんまり助平”になっている。 ではいったい、黙読と音読とのあいだで、何が失われてしまったのか。
 それは「脳」の出来事だけなのか。「文化」そのものの喪失ではなかったのか。
 今夜は本書にかこつけたセイゴオ・エッセイだ。 

④ ミルマン・パリーのホメーロスの研究以来、このことについてはウォルター・オングやマーシャル・マクルーハンやアンドレ・ルロワ=グーランが注目し、なかでもマクルーハンはその理由を活版印刷の出現と結びつけたものだった。活版印刷の普及が黙読社会を広げていったという説だ。また、このこと(音読社会から黙読社会への移行)が、ひょっとしたら人類に「無意識」を発生させたのではないかとも推理した。黙読するようになって、アタマのどこかに無意識の領分ができてしまったというのだ。ギョッとする仮説だった。 

⑦ 逆にいうのならこういう問題を軽視したとたん、その民族、その部族、その国の言語文化は急速に衰え、結果としてその民族文化や部族文化そのものが消滅しかねない。そのことについては、「千夜千冊」ではネトルとロメインの『消えゆく言語たち』のときにもふれておいたことである。 

⑩ この二つのことをもっと横断的に重ねて考察すれば、幼児がどのように音読学習から黙読慣習へと成長(あるいは転倒)していったのかというような、新たな学習の秘密をめぐる研究も浮上するはずだろう。けれどもそうなるには、音読をすることが複合知覚力ともいうべきを励起させているのだといったような、そういうこともあきらかになってこなければならない。いや、音読だけではない。筆写にも複合知覚力を励起させるものがある。 

① そもそも音読と黙読の関係や、音読から黙読への読書知覚体験の発展は、世界の文明と文化にとっての大きな転換をあらわす出来事だった。そこにはオラリティとリテラシー、話し言葉(プラクリットやパロール)と書き言葉(サンスクリットやラング)の独特のちがいが含まれてきた 

② われわれは古代より長らく「音読社会」(オラル・ソサエティ)のなかにいた。その後に文字を発明したり移入移植したりして、その文化圏の識字率(リテラシー)が伸びていったのちも、これらをたえず声を出して読んでいた。 

⑤ けれども、このような説明や推理だけで言語社会文化の実態の解明になっているとは、とうてい言いがたい。また、パリーやオングやマクルーハンはアルファベット文字のような表音文字の社会文化的活用のみを追ったのだけれど、表意文字をもつ古代漢字社会などが、いったいどのような「目の解釈」と「耳の思考」と「口の表明」とで複合されていたのかとか、あるいは分離されていったのかといった問題はほとんど研究されてはいない。日本語の社会文化史のなかの音読と黙読を研究した例もない。 

⑧ そもそも音読・黙読問題は、人類が長きにわたってオラル・コミュニケーションと音読社会を体験してきたということ、および、幼児や子供が会話と音読からこそ言葉のコミュニケーションの習得を深化させているということに関係がある。 

⑪ ひるがえって、そもそも認識(IN)と表現(OUT)とは、そのしくみがまったく異なる知的行為になっている。「INするしくみ」と「OUTするしくみ」とはそうとうに異なっている。そのため、いろいろのことを見聞きし、いろいろ体験したことがいくら充実したものであっても、それをいざ再生しようとすると、まったく別の困難に出会ってしまう。アタマの中のスピーチバルーン(吹き出し)に浮かんだ実感や感想をいざ言葉や絵にしてみようとすると、どうもその感想どおりではなくなってしまうのだ。 

③ それがしだいに黙読(目読)するようになった。リテラルな文字群を目で追うだけになった。そのうち、すべての近代社会は「黙読社会」になっていた。そのうちみんながみんな、“むっつり助平”ならぬ“だんまり助平”になった。それでもそうなるには、文字文化を獲得してからざっと千年近くを要した。なぜ音読から黙読への移行がおきたのか。 

⑥ だから音読の効果がどこにあるのか、黙読には黙読のそれなりの効果がどのようにあるのかということは、いまのところ決定的な評価の決着がついていないと見たほうがいいのだが、しかしそれでもなお、音読と黙読の関係は、言語習得のプロセスに密接な影響をもたらしてきたとみなせるし、また、コミュニケーション能力の大きなキャスチングボートにもなってきたともみなせそうなのだ。とりわけ音読が「国語力」と交差することによって、言語能力は深長もし、また希薄にもなっていく。 

⑨ ということは、第一には、その民族や部族やその国の文化に、いったいどの程度の「声の文化」や「耳の文字」が重視されているかということが問われるべきなのだ。それとともに第二に、その個人やその家族やそのコミュニティが、幼児期や子供のころにどのくらい「声による言葉」や「耳による学習」をインプリンティング(刷り込み)してきたかということも問われるべきだった。 

⑫ その別々のしくみになってしまっている認識INと表現OUTを、あえて擬似的にであれ、なんとかつなげて同時に感得してみようとするとき、ひとつには音読が、もうひとつには筆写が有効になってくる。
 なぜ有効なのかといえば、おそらく音読行為や筆写行為が千年にわたってINとOUTの同時性を形成してきたからだ。音読や筆写をしてみると、その千年のミームともいうべきがうっすらと蘇るからなのだ。ぼくはそうおもっている。 

⑬ このことについては、『日本数寄』(ちくま学芸文庫)の長めのエッセイ「編集文化数寄」にも書いておいたことで、記憶の再生にはそもそもトポスが関与しているからだった。また、そのトポスが関与した事柄こそがホメーロスの詩や万葉の歌となり、それがくりかえし音唱・音読・筆写・筆読されてきて、われわれの言語感覚の奥に継承されてきたからだ。そこには認識のジェノタイプ(遺伝型)に対するに表現のフェノタイプ(表現型)とでもいうものが、鍵と鍵穴の関係のように「抜き型」になっているとおぼしい。音読や筆写をすると、それがうっすらとではあれ、リリース(解発)されるのだ。 このことは、先だっての爆笑問題との番組「ニッポンの教養」でも少々話しておいた。またこのことは白川静さんが、甲骨文字や金文をいつもGペンでトレース(筆写)しつづけていた行為にも似ているはずなのだ。 

⑯ それより、本書に戻るのだが、ぼくには安達センセーが「素読」をもちこんだことがおもしろかった。素読というのは、『論語』や『大学』などの漢文や李白や杜甫の漢詩などを、意味をいちいち教えたりする以前に、徹底して棒読みさせることをいう。寺子屋でやっていたあれである。できれば大きな声を出す。棒読みだから、中身の理解は必要がない。ただ読めばいい。しかし、この棒読みを重ねることがあら不思議、中身の理解の立派な素地をつくっていく。 

⑭ というようなわけで、音読・黙読問題は意外にも文明史や文化史の深いところまで問題を誘ってしまうのであるが、それはそれ、やっぱり音読は断乎として試みるほうがいいだろう。 ぼくも、音読が重要なことは折りにつけ強調してきた。たとえばイシス編集学校では師範や師範代のために年に数度の「伝習座」というものが設けられていて、そこで指南の方法をあれこれ伝授するのだが、そこはまたぼくによる音読学習の場でもあって、師範も師範代も「千夜千冊」などの音読をたのしむことになっている。編集学校「守・破・離」のうちの「離」では、もっと音読のことを考える。 

⑰ 安達センセーはこの素読こそ、音読と黙読の関係にひそむ何かの能力にかかわっているのではないかと推測した。おそらく当たっているだろう。国語の能力は幼児や子供が棒読みのような会話をしているうちに身につくもので、それは英語やフランス語を身につけるときだって同じなのである。それを読書にいかしたらどうなのか。いや、読書の前にいろはカルタで音読習慣を身につけたらどうなのか。そういう提案だ。 そのことにちなんで、ぼくにも直近で感じたちょっと興味深い出来事があった。そのことを話して、今夜の紆余曲折をおわりたい。 

⑮ もっとも、音読の奨めについては、一言いちゃもんをつけたいこともある。例の大ベストセラー、齋藤孝の『声に出して読んでみたい日本語』(草思社)や、その後の類書のことだ。齋藤センセー、たしかに音読は奨励しているものの、あの本はとんでもない代物だった。音読のもつ意味をとりちがえているし、例文もよくない。あれはむしろ演劇やパフォーマーのための訓練に使ったほうがいい。 

 先月の三月二二日とその翌日のことだが、未詳倶楽部でこんなことを試みた。能楽師の安田登さんと能笛の槻宅聡さんを招いて、『羽衣』の一節をみんなに予告なく素読・音読してもらったのだ。会員の大半は謡曲など読んだことがない。黙読したこともない。それを最初から音読してもらった。 安田さんはこのエクササイズを予告なくやってみることを提案し、三十数名のみんなも大声を出してみた。『羽衣』のキリの一節、「東遊の数々に、その名も月の宮人は、三五夜半の空に又、満願真如の影となり云々……」。そのあと、みんなはバスに乗り、いくつかの観光地をまわったのち、富士を遠望する「美保の松原」に行った。まさに『羽衣』の舞台だ。トポスそのものだ。 そこにはすでに安田さんと槻宅さんが和泉佳奈子とともに先回りして待っていて、衣裳を整えて座している。羽衣の松の前には、ぼくがちょっとした言葉を毛筆で書いた布帛が風にはためいている。みんなはそこを囲み、しばらく“開演”を待った。 やおら槻宅さんの風を切る能管の一吹きとともに、安田さんの能仕舞が向こうの松を橋掛りと見立てたところから始まった。ゆっくりした舞だ。そのうち安田さんはさあっと布帛を体にまとう。それとともに、みんなは謡曲本をコピーした一節を手にもちながら、一斉に『羽衣』を声を揃えて謡ったのである。 

≪01≫  文化とは、われわれが自分自身をめぐって自分自身に語る物語の総体である。このように「文化」を定義したのはクリフォード・ギアーツだった。そうだとすれば、物語を語れなくなっているとき、その人の文化、あるいはその共同体の文化はいちじるしく衰退していることになる。

≪02≫  長らくデータ分析には大型コンピュータが使われてきた。しかしながら世の中にH&Mやユニクロもどきのリアルクローズが溢れ、ネットに厖大な“虫の惑星”めいた選択サイトがひしめきあっていくなか、大型コンピュータがフル稼働して多岐選択問題を処理するのはとっくに限界がきていた。それは1人で必死に100題の試験問題にとりくむようなものだ。

≪03≫  ディーンとゲマワットは、試験問題を分割して100人の解答者に配り、問題が解けたあとに解答を集めて集計用紙にするという方法を思いついたのである。問題を分割して答えを出すプロセスを「マップ」(Map)とし、答えをまとめて一つにするプロセスを「リデュース」(Reduce)とした。これで数時間かかるデータセットが僅か数秒で片付くことになった。

≪04≫  一方、ダグ・カッティングとマイク・カファレラはグーグルの検索エンジンに対抗したくて、グーグルのようなクローズド・ソースではなく、無料かつオープンソースの検索エンジンをつくると意気込んで、これを「ナッチ」(Nutch)と名付けていた。

≪05≫  「ナッチ」はインターネットのすべてのページにインデックスを付けるというような気が遠くなる仕事をやってのけるためのエンジン構想だったが、そのコーディングはやっぱり気が遠くなりそうだった。そこに「マップリデュース」の論文が出た。二人はこのイノベーティブな構想に乗って「ナッチ」を完成させるべきだと決断した。

≪06≫  こうして「ハドゥープ」(Hadoop)が誕生した。この変ちくりんな名はダグの息子が愛玩していた象のぬいぐるみの名前らしい。

≪07≫  ハドゥープはたちまちテラバイト級データの分析手段を多くのユーザーに開放していった。

≪08≫  よく出来ていた。ハドゥープにはマップ機能、リデュース機能のほか、何万台もの個別コンピュータの処理状況を把握して、その仕事をまとめて一貫した全体像を見せるオーバーヘッド機能も自動化されていたのだ。これらによって、仕事の準備、その分散、結果の収集、管理、冗長コピーの保管、アト処理、全体の仕事の順調度の検証などが一挙にできるようになった。

≪09≫  2007年、フェイスブックは「ハドゥープ」の導入に踏み切り、翌年には2500台のコンピュータ並行処理を実現できるようにした。アマゾンは何百万件もの購入記録の中からパターンを探し出す仕事に、リンクトインは「もしかして知り合い?」の呈示のために、ヤフーはスパムのフィルタリングや広告トレンドの分析のために、イーベイは人気の売り手と商品分析のベストマッチングに、それぞれ「ハドゥープ」を使い始めた。

≪010≫  こうして「マップリデュース」と「ハドゥープ」がビッグデータ時代の弾頭となっていったのである。そして、そこには夥しいスコアの航跡が残っていくことになった。残っていっただけではない。「そのスコアをどう使うか」というレピュテーション・ビジネスが雨後の筍のように頻出していった。

≪011≫  本書はとても困った本である。その理由はこのあとすぐ書くが、その前にぼくの今日の情報社会と経済社会についての注文を表明しておく。一言であらわせる。

≪012≫  そろそろ「評判の社会」から「評価の社会」になりなさいね。この一言だ。

≪013≫  むろん評判がいいのは悪いことじゃない。視聴率がいいのもベストセラーが出るのも結構だ。けれども21世紀の現在社会はついつい「評判の社会」になりすぎてきた。芸能界を筆頭に、評判で人気とりをするポピュリズムは政治家たちを含めてずっと以前からあったけれど、アクセス数に溺れまくるネット社会になって、その傾向が極端に増大した。増大しただけではなく、それが止まらなくなった。

≪014≫  いまや何だって、何かにつけて、ワイドショーからマーケティングまで、大学進学率からAKBじゃんけんまで、SNSからブレイクダンスまで、噂と評判とランキングと推挙(リコメンデーション)ばかりで埋め尽くされている。そのうち評判数こそが評価だと勘違いされてしまった。

≪015≫  これはどう見ても、評判(reputation)でしか社会価値がつくれないという過剰適応現象だ。これではいけない。

≪016≫  われわれが望むべきは評判ではない。今後の社会に示されていくべきは評判のランキングではない。ましてその集計結果ではない。「評価」(evaluation)の内実であるべきである。「いいね」のヒット数などではなく、「いい」をめぐる対話を交わすことなのだ。

≪017≫  だから「評判の社会」から「評価の社会」へであり、「レピュテーション」から「エヴァリュエーションへ」なのだ。「レピュ」から「エヴァ」へ。これがぼくの注文なのだ。

≪018≫  ところが、本書は徹底して「評判」だけを論じた本なのだ。そもそも原著のタイトルからして「レピュテーション・エコノミー」で、おまけに二人の共著者は揃って「レピュテーション・ドットコム」という企業の創業CEOと法律顧問なのである。

≪019≫  何をか言わんやだ。実に困った本なのだ。 だったらこんな本を採り上げなければいいのだが、それがそうもいかなかった。この本がレポートしていることはスコアのことばかりで、ちっとも深いことは書いていないのに、今日の社会や経済の「あからさまな動向」を端的に伝えるものになっているからだ。その中身たるや自社宣伝というより(そういう巧妙な面も多々あるけれど)、そんじょそこらの社会学者や評論家たちが綴っているものより、うんとアクチュアルで適確なのである。

≪020≫  なぜアクチュアルなのか。スコアになりにくいものがスコアリングされ、それらが複合化されているからだ。

≪021≫  最近ぼくは「インタースコア」こそが編集力の武器になると声を嗄らしている。『インタースコア』(春秋社)という厚い本をイシス編集学校の諸君と上梓したばかりでもある。ところがこの本ときたら、別の意味での「スコアリング・マニフェスト」にもなっていて、それで困った、困ったなのだった。

≪022≫  本書にはさまざまなレピュテーション・スコアと、そのスコアを巧みにいかしたサービス事例がいろいろ出てくる。ふーん、そこまでやるのか、それがニュービジネスになっているのかというほどだ。

≪023≫  たとえば、クラウト社の「クラウト・スコア」(Klout)は、ツイッターやフェイスブックでのやりとりの因子分析をして、人々の影響力をレピュテーション・スコアにしてみせる。「スキピオ・ドットコム」は人口学的情報に富裕スコアを重ねて告示する。「アンジーズ・リスト」(Angie’s List)は不動産についての評判を開示し、「エアビーアンドビー」(Airbnb)は空き部屋の評判を知らせる。オンラインゲームの「ネクソン」(Nexon)はフェイスブックやリンクトインのアカウントを調べて“当人妥当性”を告げる。

≪024≫  最近の日本では政治家も芸能人も経歴詐称が多いようで、ショーンKがかわいそうな失脚をしたけれど、アメリカではとっくに「エストゥーヴェリファイ」(S2Verify)のように履歴のスクリーニングに特化して履歴書の適不適を通知するレピュテーション・サービスが大流行しているらしい。ビジネスレビュー・サイトのひとつ「イェルプ」はビジネスマンが使用したレストランや借りスペースの評判度を調べ、投稿者の信頼性によって重みづけしたスコアを表示するビジネスになっている。

≪025≫  まだまだ、ある。ファーストアドバンテージ社は「エスティーム」(尊敬)という名前データベースを販売しているのだが、これをブラックリストの発見に使いたい企業群のためにレピュテーション・エンジンをかました。逆に、企業の従業員たちが自分の会社についての評判を立てる「グラスドア」(Glassdoor)もある。告げ口だってスコアなのだ。

≪026≫  文書や文面もほっとけない。「タイガーテクスト」(TigerText)はメッセージング・サービス屋だが、メッセージの安全度と評判度を掛け合わせた。もっと安全にしたいのなら「テレグラム」(Telegram)というアプリでミリタリーレコードの暗号を入れこんで、インタースコアできるようにもなっている。

≪027≫  不動産スコア、資産スコア、友情スコア、慈善スコア、富裕スコア、債務不履行スコア、相性スコア、病歴スコア、占星スコア、フルーツ完熟度スコア、お便り内容判定スコア‥‥。まあ、何でもありだ。すべてがランク付けされ、すべてが点数化され、そして、すべてが脱文脈化されていっている。

≪028≫  しかもそれらがことごとく「信用スコア」や「信頼スコア」だと思わされるようになったのだ。ここがヤバい。

≪029≫  今日の社会でデジタルストレージが最も精度の高いレベルにさしかかっていることは、まちがいがない。それも1テラバイトのディスクドライブがあるだけで、平均的な学術図書館の蔵書量をラクに超えるストレージができる。

≪030≫  おまけに値段は1万円を切る。自分でデータマイニングするのも自在になっている。

≪031≫  処理速度もチョー速い。「瞬間」とは瞼が1回またたく時間のことを言うのだが、これは古代インドの「刹那」では75分の1秒だったが、今日の計測では平均0・4秒にあたる。この0・4秒のあいだに、世のノートパソコンは約10億回の計算をやってのけるのだ。信じがたい刹那主義の世の中なのだ。

≪032≫  それでどうなるかというと、すべてのアクセス行為やクリック行為がデジタルスコアとなり、デジタルフットプリント(電子の足跡)ともなって、ストレージされていく。やがてそれらの集積が次々にゴミの山のように溜まっていく。よくまあゴミが溜まったままで平気でいられると思うけれど、ところがいまやデータを削除するよりも、まるごと保存しておくほうがコストパフォーマンスがよくなってしまったのだ。

≪033≫  すべてがオンラインになっていて、その出し入れのすべてがデータ化されているということは、すべてはどこかでスコアとして記録され、点数化され、ランキングされうるということだ。これはまあ、何事もことごとく監視されているようなものだ。

≪034≫  それだけではない。それらのデジタルスコアやフットスコアは、それらにちょっと工夫を凝らして束ねさえすれば、何だって「評判化」しうるということになる。ということは「評判」こそが「流通力」となり、ということは「通貨」にもなるということだ。

≪035≫  コリイ・ドクトロウのSFに『マジック・キングダムで落ちぶれて』(ハヤカワ文庫)があった。そこに評判通貨ウッフィーが出てくる。ウッフィーはこれを集めれば、おカネなんてなくとも十分に社会の信用も信頼も得られるという通貨として描かれている。まさにレピュテーション経済を先取りした作品だった。

≪036≫  ぼくは「人とスコアが付着する」という現象やそういう固着状態が一番嫌いなのだが(だから中学校以来、通信簿はちらっと見て2度と見直すことをしなかったのだが)、レピュテーション経済社会の事例はほとんどが「人」を「評判」で束ね、「噂」で縛り上げていく。

≪037≫  ティンダー、マッチ・ドットコム、オーケーキューピッドなどの「出会い系サイト」(ミート・マーケット)でレピュテーション・スコアそのものがビジネスになっているのは、ユーザーがそれだけを(より自分に有利な出会いを)望んでいるのだからまだわかりやすいが、自分がなんとなく捜したいと思っているものが、そこに辿りついてみたら「評判点」付きになっているのは、どうにもいやらしい。

≪038≫  気になるお寺に行ってみたら、「当寺の評判は68点と判定されました」という立札が目に入ってくるようなものだ。

≪039≫  しかし、この「評判」によって社会と「人」をがんじがらめにしていくという傾向は、収まりそうはない。収まりそうもないどころか、ますます過飽和になって、ほんとうの「評価」や「価値」が何であるのかを、次々に忘れさせている。

≪040≫  さすがに、このままでいいはずはない。そこでマーケッター出身のウィリアム・ダビドウはこの異様な状態を「過剰結合社会」(overconnected)と名付けて、『つながりすぎた世界』(ダイヤモンド社)という本を書いた。まさに世の中、とことんオーバーコネクテッドなのである。

≪041≫  けれども評判ビジネスの業界は、オーバーコネクテッドだからといってへこたれない。それどころか、その情報の余剰から新たな指標を発見して、それを計算式にしてそこにレピュテーションを加えていけば、リアルな実感社会とは異なる評判社会のほうが大きくなる、そういう市場さえ確立していくというのが、レピュテーション経済の発想なのである。

≪042≫  近ごろはこれを「シェアリング・エコノミー」と呼ぶ者さえ出てきた。

≪043≫  ところで最近になって、ぼくのところへ大学からの相談が次々にくるようになった。

≪044≫  図書館をおもしろくしてほしい、図書館に代わる施設やネットを使った読書力向上の仕組みがほしい、学生に編集力をつけさせるためのプログラムがほしい、大学イメージのブランディングを頼みたいといったものなのだが、そういう相談に少しずつ乗っていると、いろいろ大学経営の難しさが聞こえてくるようになってきた。

≪045≫  日本の大学の多くは、いまかなり大変なのである。むろん少子化現象が大きな要因になっているのだが、暗記型の受験勉強を数十年にわたって押し付けてきたツケもある。「学生さん、いらっしゃい」のために、余計な学部や学科や余計な施設をつくりすぎてきたこともある。そんなこんなで、何をすれば学生の獲得と雇用者の評判を上げられるのか、そこがぐらぐらしてきたのだ。

≪046≫  しかしこれがアメリカや中国になると、凄まじいほどの競争と最適化を勝ち抜く大学が次々に登場して、いままさに「レピュテーション・ユニヴァシティ」をめぐる過剰な様相を呈するようになっている。

≪047≫  イエール大学はシンガポールにキャンパスをつくって、同国初のリベラルアーツ・カレッジに仕上げた。ニューヨーク大学はブエノスアイレス・シドニー・アブダビなどにグローバル・アカデミック・センターをつくった。中国では13年前の大学生よりも3倍近い2800万人が大学の門に吸い込まれていっている。これらの大学では学費は年に8パーセント上がっていて、この上昇率はヘルスケア部門を除くとどんな分野のインフレ率よりも高い。

≪048≫  こうした評判合戦を背景に、「レート・マイ・プロフェッサーズ」のような、学生が授業の難易度や好感度を測って送るサイトも何種類もできた。エンプロイ・インサイト社のように企業と大学のニーズとシーズの歪みを調整するために、求職者がオンラインで受けるテストをつくり、これを企業と大学の両方にリリースしているところもある。

≪049≫  オラクルがタレオを買収したのは、多すぎる求職者を効率よくふるい落とすためのフィルターを、人事担当に提供するためだった。

≪050≫  こんなことをして学生の質がよくなっていくとはかぎらない。ハーヴァード大学の学長を20年以上務めたデレック・ボックが書いているように、「大学の経済力が上がれば上がるほど、学生の能力は低下している。雇用者を満足させるだけの筆力を獲得できないで卒業していく学生がどんどん多くなっている」。

≪051≫  そんな学生たちばかりでも、大学としては自校の学生たちの「評判」を上げていかなければならない。そうしないかぎりはブランド力があっというまに落ちていく。企業も採用してくれない。ちなみにデレック・ボックには『幸福の研究』(東洋経済新報社)という「幸福の評判」を批判した本がある。

≪052≫  これまでアメリカの学生の「才能」や「力」のあらわし方は、もっぱらGPA(Grade Point Average)に頼っていた。雇用者もそこを見るのが先決だった。各科目の成績から特定の方式によって算出する成績評価の指数のことだ。けれども、この指数に新たな指標を導入することが求められてきた。

≪053≫  ユーチューブ・チャンネルに数億回の視聴力を誇る「カーン・アカデミー」を作り上げたサルマン・カーンの助言は、大学はもっと「マイクロ・クレデンシャル」(個別証明書)をオンラインでつくっていくべきだというものである。そのほうが「どこそこ大学の何々科の出身です」「GPAはこれこれです」などというおおざっぱな名のりより、レピュテーションのライトサークルがくっきり浮き上がっていくというのだ。

≪054≫  それはそうだろう。すでにアメリカの大学コンソーシアム(とくにハーヴァード・MIT・カリフォルニア大学バークレーのコンソーシアム)は、個々のオンライン課程にパスするたびにマイクロ・クレデンシャルを発行する「エデックス」(edX)というプログラムを動かしている。

≪055≫  日本にも北海道から沖縄まで数々の大学コンソーシアムがつくられているが、「エデックス」のようなオンライン・プログラムは動いていない。これではアクティブ・ラーニングやラーニング・コモンズは名ばかりなのである。

≪056≫  大学の評判は一様なスコアでは決まらない。雇用者のほうも一様なスコアを一式もらっても、困るだけだ。だから、さまざまな取り組みが始まったのだ。GPAとマイクロ・クレデンシャルを組み合わせるというのは、その対策のひとつだった。

≪057≫  この手の話は何をあらわしているのだろうか。ようするに、ここに何がおこっているのかといえば、いよいよ「インタースコア」の試みが劇的に始まっているということなのである。本書のような本からこのことを告げられるようでは、まことに困ったことだった。

≪058≫  しかしとはいえ、これ以上のあやしいレピュテーション経済社会が罷り通っていくとすると、ぼくは検索エンジンと機械算定と人工知能による「評判」の指標分配方式には、いずれはサブプライム・ローンのような亀裂が幾つも入っていくと見る。

≪059≫  評判づくりのための「まやかし」や「いんちき」もふえるだろうが、それよりなにより、実際の実像が「なるほど、評判どおり」とはいかなくなっていくに決まっていくからだ。いったい何が「評価」の実質なのか、どんどんわからなくなってしまうからだ。

≪060≫  それでは、今夜の最後のおまけとして、「評判をくっつけたい価値観」と、「評価をめぐって思考を進める価値観」との違いを示す一例として、バカロレアの試験問題のことをかんたんに紹介しておきたい。

≪061≫  フランスではリセ(高等学校)の最終学年の哲学教育と、バカロレア(大学入学資格試験)の哲学試験が重視されてきた。文系・理系を問わず高校生は哲学が必修で、そこでは構成的自由の力が試される。

≪062≫  バカロレアの試験を受けるために、リセでは最終学年1年間を哲学の授業にあてる。高校生はこれをじっくり咀嚼して試験に臨むのだが、毎年、むろん問題は変わる。変わるだけでなく、その水準はかなり高度のまま保たれてきた。

≪063≫  哲学の試験は記述式で、試験時間は4時間である。問題はいつも3題あって、そのうち1題は小論文(ディセルタシオン)、残り2題はテクスト説明になる。そこから一つを選ぶ。テクスト説明では20行ほどの哲学的著作の引用を構造的かつ意味的にあきらかにし、とくに構成要素のあいだの関係を明示することが求められる。2012年の文学系コースのお題は次のようなものだった。

≪064≫  (1)Que gagne-t-on en travaillant? (働くことによって何    を得るのか) (2)Toute croyance est-elle contarire à la raison?(あらゆる信仰は理性に対立するか) (3)スピノザの『神学・政治論』の一節を説明せよ

≪065≫  とうてい日本の高校生には太刀打ちできないだろう。神に酔った哲人バルーフ・スピノザ(842夜)を知っていたかどうかも気になるが、そこに一喜一憂すべきなのではない。このバカロレアによって、「いったい何を評価するのか」という根本の判断力や価値観と交われるということが大きい。

≪066≫  実際にも採点基準は、「思考の型」が身についているかどうかということ、および哲学的課題に答えつつ構成的自由をあらわせるかどうかが問われる、というふうになっている。これまた古くて新しいインタースコアであった。

≪067≫  評価というものは、容易な数の寄せ集めによって人を判断するためのものではない。深さ、高さ、広がり、陰に隠れるもの、大胆なところ、鮮明な表明などが沛然とあらわれていて、その総体によって評価が動くのだ。

≪068≫  はたしてビッグデータ時代の人工知能の成果は、「評判」よりも「評価」を引っ張ってこられるのか、どうか。さらにしばらく、突っ込んで考えてみたい。

≪01≫  ようやくこの手の本がかたちをなしてきた。嬉しいかぎりだ。この手というのは「模型」と「模型の思想」に関するもので、玩具文化史や大衆文化論に拡散しないものをいう。といって単に思想に走るのでなく具体事例にもそこそこ富むというものだ。それが日本にも登場した。

≪02≫  事例は日本だけだが、鉄道模型からガンプラまで、模型雑誌からフィギュアまで、かつ最近の「もの思想」(thing theory)や「オブジェクト思想」(object oriented ontology)をめぐる現代思想についても手際よくかいつまんだ(後述する)。それらをひたすら案内に徹し、面倒な議論を省いて一冊にまとめた。

≪03≫  最初から最後まで生硬な記述ではあるが、そこがかえって慎(つつ)ましく感じられて気にいった。発売してまだ一カ月もたっていないけれど、今後の水先案内本になるだろう。

≪04≫  模型とりわけ工作模型というものは、とても妙なものである。かつて千夜千冊に『田宮模型の仕事』(105夜)をとりあげたとき、ぼくは模型の思想が「ミメーシス」と「もどき」を本質にしていると述べ、そこにはリアルとヴァーチャルを分断するものがないと書いた。

≪05≫  工作模型は実物ではない。本物でもない。そもそもサイズが異なるし、素材もたいていは安物の材料でできている。大半は縮小模型か学習模型か玩具であって、見かけだけが「そっくり」あるいは「ややそっくり」もしくは「模式風」で、それがやたらに小さくなっている。なにしろ戦艦武蔵やメッサーシュミットやダースベイダーたちが手のひらに乗ってしまうのだ。

≪06≫  つまり模型は「にせもの」であって「イミテーション」であって「フェイク」なのである。けれどもデフォルメは嫌われる。だから精密な模型が多く、それをちょっとでもつぶさに見てみると、なんだか細部が異様にヴィヴィッドに訴えてきて、どこか「本物まがい」なのに「本物はだし」なのだ。その本物まがいであること、紛いであるのに「本物らしい」ということの反証力に、しばしば合点してしまうのだ。

≪07≫  かつて江戸後期の「根付」(ねつけ)が手のひらに入る独自な彫塑を制作しつづけて、欧米のコレクターがごっそり買い込んでしまったことがあったものだが、あれはアートとして根付が好まれたからで、たとえばタミヤのプラモデルや海洋堂の食玩は、そういうアートとは見なされない。

≪08≫  それなら、そういう模型は実物や本物がもたらすイメージをわれわれに照射していないのかというと、さあ、どうか。ときに実物や本物では告げられない「イメージのエクリチュール」を発揮しているとも言える。

≪09≫  かつてヴァルター・ベンヤミン(908夜)は、複製物には実物や本物がもっていたアウラがなくなっていると指摘した。写真のことを例にした有名な『複製芸術論』での言及だが、この見方は半分は当たっているが、半分はまちがっていた。

≪010≫  複製写真にもアウラはある。マン・レイ(74夜)から杉本博司に及ぶ写真家たちがやってみせたことは、複製写真がもたらすアウラをつくることだったはずである。これらはアートなので売り買い可能な商品であって、その価格は揺れ動く。

≪011≫  ロラン・バルト(714夜)が写真について、ステゥディウムとプンクトゥムを対比させたことがあった。これまたバルトの少女めいた写真が載って有名になった『明るい部屋』での記述だった。ステゥディウムというのはお勉強によって獲得したイメージが身につくことで、プンクトゥムはそのようなステゥディウムを壊すようなイメージが対象物からやってくることをいう。

≪012≫  バルトはプンクトゥムには「私を突き刺す偶然」があると言った。ステゥディウムは名指しができるぶん、それがないとも言った。むろん、そういうこともあるだろうが、これでは必ずしも十分ではない。その「突き刺す偶然」は実はコンティンジェントな別様の可能性として、ある種の「作りもの」にはもともと芽生えているものだったはずなのである。バルトはそこを見なかった。

≪013≫  ベンヤミンやバルトにして迂闊だったのだ。工作された模型には、アウラもプンクトゥムも発現しうる。なぜならそこには世阿弥(118夜)の「物学」(ものまね)やアウエルバッハの「ミメーシス」や、折口信夫(143夜)の「もどき」やガブリエル・タルド(1318夜)の「模倣の法則」が、如実に生きてくるからだ。

≪014≫  もっとも、そういうことがそこそこ実感できるには、少年の頃に模型工作に熱中していたほうがよかったかもしれない。そういう熱中をしてみると、つねに「勘違い」が細部にわたって理解されてくるからだ。この勘違いは「感ちがい」であってまた「感知外」であり、「関知外」であって「換ちがい」というものだ。模型の思想には、この“変換にともなう勘違い”がけっこう重要なのである。

≪015≫  少年時代、ぼくは自分が模型工作が好きなのは、セメダインのにちゃにちゃ感触と揮発性のたまらない匂いと劇的なくっつき力のせいだと思っていた。セメダインは今村善次郎が関東大震災の直後に発売した日本最初の化学接着剤である。そのセメダインが昭和に普及して、高額の英国製のメンダインや米国製のセナシチンを駆逐した。“攻めダイン”なのだ。

≪016≫  セメダインはどうみても、少年をおかしくさせる魔法だった。案の定、紙と竹ヒゴとニューム管で模型飛行機を工作しているうちに、それだけでは止まらず、好き勝手なお化けのような立体工作物をつくって遊んだものだ。セメダインがその場に何かを現出させていくアウラに、ぼくはついつい巻き込まれていくことに夢中だったのだろう。

≪017≫  そのセメダイン社が全国模型飛行機大会を主催していたことは、ずっとのちに知った。あの大会では「東は木村秀政のエーワン(A1)、西はエルエス(木村貫一)のスカイホーク」がいつも噂になった。この2機が当時のライトプレーンの代表だったからだ。みんなこの2機の真似をした。

≪018≫  模型は実物の模倣に始まっていくのだが、その模型もまた次から次へと模倣物と模擬物を派生するわけである。けれども安直にシミュラークルとは見なせない。

≪029≫  模型思考にはつねに「ほんと」と「つもり」が行き来する。しかし、「ほんと」が本物や本当で、「つもり」が擬似的で偽証的であるとはかぎらない。むしろ「ほんと」を実証したりすることが難しいのは、世の中の社会的事件を持ち出してみれば見当がつく。逆に「つもり」にひそむ想像力こそに、『摩訶止観』にいう当体全是があるともいえる。当体全是というのは「そう、そう、それそれ感覚」のことだ。

≪030≫  そう言うと、なるほど松岡はジャン・ボードリヤール(639夜)の「シミュラークル」に惚れたんだと思われそうだが、むろんそういう面もあるし、ボードリヤールの分析には大いに気にいっているものも少なくないのだが、記号消費だけに引きずりこまれたという思いはない。

≪031≫  そうなっていった経緯については、ここでまたまたぼくの青少年期の話になるが、むしろ模型工作雑誌に煽られることが少なくなかったのだ。当時の模型少年にとって、そうした雑誌は「どうしても覗き込みたいネヴァーランド」であって、「独り言がいつまでも続けられるコミュニケーションマシン」なのだ。

≪032≫  最初はなんといっても「子供の科学」(誠文堂新光社)だった。原田三夫が創刊して戦後に復刊されたこの雑誌は、毎月の特集やコラムもさることながら、二宮康明が工夫する紙飛行機の折込み付録が待ち遠しかった。

≪033≫  「子供の科学」が解説している理科実験や採集標本づくりもいろいろ自分でやってみては、愉しんだ。ぼくだけではない。みんながみんな、「タングステンおじさん」(1238夜)に憧れまくっていたわけだ。

≪034≫  次によく見たのは「模型少年」(教誠社)や「科学と模型」(朝日屋・模型社)だったろうか。8ページくらいの色付きページや巻末の小さな広告の文句さえ見逃せなかった。ほかに「模型と工作」(技術出版)、「模型とラジオ」(科学教材社)、「ラジオと模型」(少年文化社)などもしばしば貪った。

≪035≫  こうした模型雑誌に対する愛着は、長じても古本屋で日光書院の「模型」や毎日新聞社の「模型航空」などに出会うと、ついつい手に取ってしまうという性癖にも残響した。

≪036≫  中学生になると、なぜか模型のほうがずっと実物らしく見えてきた。萬代屋の「B29双発プロペラ回転式飛行機」「B26」が出回り、マルサン商会の夢のような「原子力潜水艦ノーチラス号」「ダットサン1000」が突如として出現したせいだ。

≪037≫  ノーチラス号は本書によると1958年の発売だったようなので、ぼくは14歳になっていたことになる。14歳でも胸が高鳴っていたこと、よくよく憶えている。萬代屋はのちのバンダイである。このあたりのことについては『田宮模型の仕事』(105夜)にもあれこれ綴っておいた。

≪038≫  もっとも、ぼくは模型づくりやのちのプラモづくりには全力疾走しなかった。中学から高校になるころ、鉱物や天体や物理に関心が移っていて、さきほども書いたように、そちらの中に頻出する模型思考のほうや数学モデルに惹かれていったからだ。セメダインは、物理化学の仕組みの中にひそむ「考え方の接着」のほうへ引き取られていったのである。

≪039≫  そうではあるのだが、その後のマルサンのゴジラ、タミヤのミニ4駆やタイガー戦車、イマイのサンダーバード、バンダイのガンダムなど、世の中を席巻していった模型たちの勇姿は、いつもぼくを襲ってきていた。それらは社会人になってしまった松岡正剛に対しての、その現場から離れてしまった者を諌めるかのような刺戟的制裁だった。

≪040≫  やがて制裁は解除されていく。世の中の注目がプラモから海洋堂の食玩へ、また怪物や妖怪からフィギュアへと変移していったからだった。

≪042≫  日本の模型文化史については手に入りやすい本がほとんどない。日本玩具史の類いを見るか、もしくは『日本の模型 業界七十五年史』(東京都科学模型教材協同組合)や『語りつぐ昭和模型史』(ブンカ社長室)などをひっくりかえすのだが、これらは図書館に行かないとない。それで本書の手際よさが便利なのである。

≪043≫  それでも、個別模型に詳しい研究や調査やドキュメントはいろいろ出回った。たとえばプラモについては井田博の『日本プラモデル興亡史』(文春文庫)がやたらにおもしろい。これは北九州の模型屋さんの回顧なので、昭和から平成におよぶ模型ブームの盛衰がまざまざと蘇ってくる。正史としては日本プラモデル工業協同組合の『日本プラモデル50年史』(文芸春秋)が、ドキュメントには今柊二の『プラモデル進化論』(イーストプレス)などがあるものの、やや退屈だ。

≪044≫  個別メーカーについては、『田宮模型全仕事』全3冊(文春ネスコ)と、宮脇修一『海洋堂の発想』(光文社新書)、あさのまさひこ執筆構成の『海洋堂クロニクル』(太田出版)が、なんといっても他を圧してエキサイティングだ。とくに『海洋堂クロニクル』は370ページ一冊まるごとがまるで「読み見る模型」のようになっていて、唸らせる。ぼくはいまだに読み見きれていない。定番なら『萬代不易 バンダイグループ三十年の歩み』(バンダイ社史編纂委員会)、『トミー75年史』(トミー社史編纂委員会)などだろうか。

≪045≫  そのほかガンダムについては格別の文献が勢揃いしているというような、特殊事情もある。ガンダム世代ではなかったぼくには、いささか読みにくい。

≪046≫  最後にリクツの話を少しだけしておきたい。最近になって“Thing Theory”や“Thing Knowledge”についての議論が日本でも浮上してきた。「もの思考」の復活だ。

≪047≫  目立つところでいえば、デービス・ベアードが実験機器に着目した『物のかたちをした知識』(青土社)やビル・ブラウンがボードリヤールの記号消費から離れてモノと記号の関係を再構築した『モノ理論』(未訳)が読まれるようになってきたし、ブルーノ・ラトゥールが非人間的な事物をアクターに見立てて提唱した「アクターネットワーク理論」や、グレアム・ハーマンやティモシー・モートンがオブェクト間の連携を代替因果という概念で説明した「オブジェクト指向存在学」なども、やっと注目を浴びるようになってきた。ラトゥールは『科学論の実在』(産業図書)が訳されている。

≪048≫  これらをまとめては、上野俊哉君が訳してくれたのだが、スティーヴン・シャヴィロの『モノたちの宇宙』(河出書房新社)が思弁的実在論に組み立てなおしていて、かなりに雄弁だ。ホワイトヘッド(995夜・1267夜)のプロセス思考からカンタン・メイヤスーの相関主義批判の検討までが議論され、「もの」自体についての思索をどう21世紀の哲学や社会学に入れ込めるのかという展開に向かっている。そのジャヴィロをさらに発展した試みに、森元齋の『具体性の哲学』(以文社)などがある。

≪049≫  シャヴィロが検討材料にしたものには、ホワイトヘッドとジェームズの議論がたくさん頻出するのだが、それを縫ってなかなか興味深い考え方や見方が挙がっている。

≪050≫  エマニュエル・レヴィナスが「他を同に変容させること」をしきりに重視していたこと、カンタン・メイヤスーが「まちがって思考の無能力ととらえたものを事物そのもののなかに捉えなおす」と言った見方、そこに偶有性(コンティンジェンシー)が折り畳まれていることを確認したこと、グレアム・ハーマンが模型思想にあてはまりそうな「道具存在」「代替因果性」という見方をしたり、「ほのめかしや魅了は知識の正しい形式である」と考えていること、ジョージ・モルナーの「志向性にとてもよく似た何かが物理世界にもあるはずだ」や、デヴィッド・スクルビナの「すべてのモノには精神に似た性質がある」といった見方、ジェーン・ベネットの生気論的唯物論の見方、ジルベール・シモンドンの質料形相的図式、ストローソンの現実=実在物理学主義という立場の提案などなどだ。ここでは用語だけを示すにとどめるけれど、それぞれ含蓄に富んでいる。

≪051≫  しかし本音をいえば、こうした「もの思考」復活劇はあまりに遅きに失したのではないかと思う。これらの議論はぼくが「遊」を“objet magazine”と名付けたとき以来、また『自然学曼陀羅』(工作舎)に模型自然論を書いたとき以来、待ち望んでいたものだったのだ。リクツが構築されてこなかったのは、リクツ屋たちがあまりにフッサール現象学やソシュール言語論や、ポストモダン思想にとらわれていたからだ。そこには一人として「タングステンおじさん」がいなかったのだ。

≪052≫  物体と模型、実在と模式、現象と実験は、いまさら言うまでもなく、どちらが「つもり」でどちらが「ほんと」なのか、容易には区別なんてつかないものである。いや、区別をつけてはいけなかったものなのだ。諸君は、もっと模型や模擬に遊びなさい。新たな模倣や模作に遊びなさい。

≪01≫  この1冊の中には、盗作・盗用・模作・模倣・翻案・パロディ化・剽窃・パクリ・二次創作・転用・リライト・改作のたぐいをいくぶん好んで遊んでいる作家やその作品が、賑やかに出入りする。それらはそのきわどい擬似行為のわりには、あまりこそこそしていない。

≪02≫  たとえば、井伏鱒二(238夜)の初期の『ジョン万次郎漂流記』は石井研堂による伝記を口語体にしただけだとか、村上春樹は1979年に群像新人賞を受賞した『風の歌を聴け』でデビューしたが、アメリカでは翻訳発売されていないのは中身とスタイルがカート・ヴォネガット・ジュニアやリチャード・ブローティガンに似ているからだとか、あるいは蓮実重彦の文体は吉田健一(1183夜)を真似て、それが金井美恵子や阿部和重の文体に感染していったとか、栗原祐一郎の『〈盗作〉の文学史』(新曜社)や竹山哲の『現代日本文学「盗作疑惑」の研究』(PHP研究所)にはどんなことが書いてあるかとか、そんな揶揄めいた話がずらずら並ぶのだ。

≪03≫  こういう「知財の含み」が生きた呼吸をしている本は、手にとって読むにかぎる。テレビや講演会やネットでは微妙な含意や経緯はわからないし、評判(あるいは批判)や噂を聞くだけでは狙いが伝わらない。なにしろ本書は全ページに「模倣を肯定したい」「オリジナリティこそ疑わしい」という気分が充ちているのである。

≪04≫  著者の清水良典は旺盛なライターだ。デビューは1986年に『記述の国家 谷崎潤一郎言論』で群像新人文学賞をとったので、どうでもいいことだが、肩書は文芸批評家になる。ちなみによく似た名前だが、パスティーシュ名人の清水義範(1670夜)ではない。清水良典だ。

≪05≫  良典のほうのシミズヨシノリは村上春樹について妙に詳しく、『村上春樹はくせになる』(朝日新書)や『MURAKAMI』(幻冬社)があり、賛否両論、ハルキ派にも反ハルキ派にも話題になった。誰も異才の笙野頼子についての応援演説をしないなと感じていたら(彼女も盗作非難を受けた)、いちはやく『笙野頼子 虚空の戦士』(河出書房新社)なども書いた。

≪06≫  きっと文章や文体に執着があり、かつその啓蒙にミッションを感じているのだろうと思うが、良典シミズには『高校生のための文章読本』『新作文宣言』『2週間で小説を書く』などといった本もある。

≪07≫  ジョヴァンニ・パピーニというイタリア未来派にも属する短篇の達人がいた。『自叙伝』(アテネ書院)もある。『逃げてゆく鏡』(国書刊行会「世界幻想文学大系」所収)が夙に有名だが、ボルヘス(552夜)は『バベルの図書館』最終巻にたっぷり10作の短篇をとりあげた。そのボルヘスがパピーニについて、こんなことを書いている。

≪08≫  「ずっと昔読んだ本のページを、いまあらためて読み直してみると、そこに物語られている寓話が、いままでは自分の独走とばかり思いこんでいたのに、じつはそれを私が別の空間、別の時間に移しかえて私流に練り直したに過ぎなかったことを発見して、感謝と驚きの念を覚えるのである。しかしながらもっと重要なことは、私の虚構物語とまったく同じ雰囲気をそこに発見したことだった」。

≪09≫  さすがにボルヘスともなると、ちゃんと模作や模倣を白状しているのに「つもり」と「ほんと」の区別がつかない芸当を見せている。「もどき」の精神が横溢しているのだ。

≪010≫  そういう作家は日本にも少なくない。芥川(931夜)や中島敦(361夜)がそうだった。二人とも翻案の名手で、中世説話や中国民話などを援用した。谷崎(60夜)にもそういう作品がある。三島(1022夜)が絶賛した『金色の死』は、あきらかにポー(972夜)の『アルンハイムの地所』や『ランダアの家』を借りていた。佐藤春夫(20夜)の『美しき街』や乱歩の『パノラマ島綺譚』も同断だ。

≪011≫  もっともそのポーにして、当初の元ネタをゴシック小説の泰斗ウィリアム・ベックフォードの『ヴァセック』からすっかり借りていた。ベックフオードを借りた作家は幻想作家やSF作家にかなりいる。

≪012≫  千夜千冊でそのことを少し書いておいたのでダブった話になるけれど、寺山修司(413夜)は剽窃の天才だった。草田男の句を短歌に仕立て上げた一連の創意など、名人芸だ。杉山正樹が『寺山修司・遊戯の人』(新潮社)で詳細比較をしたのでけっこう知られるようになったが、その寺山の才能を最初に発見した中井英夫(当時の「短歌」編集長)にして、テラヤマ芸を見抜けなかったほどだった。

≪013≫  演出家で出色の世阿弥論を書いた堂本正樹は寺山の友人でもあるが、誰もが口ずさんだ「マッチ擦るつかのまの海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が、次の3句の組み合わせであったことをバラしてみせた。「夜の湖あヽ白い手に燐寸の火」(西東三鬼)、「一本のマッチをすれば湖は霧」(富澤赤黄男)、「めつむれば祖国は蒼き海の上」(赤黄男)。よくぞこの3句を象眼して一首に仕立てたと思う。

≪014≫  ぼくもときどき話しこんだのでだいたいがわかるのだが、寺山の才能はハナっから言葉とイメージがリトリーバルなのである。言い回しのリバース・エンジニアリングを少年期から磨いてきたのだ。いまさら言うまでもないだろうが、『書を捨てよ、町へ出よう』はアンドレ・ジッド(865夜)の『地の糧』の中の詩句だし、美輪明宏(530夜)がおハコにしている戯曲『毛皮のマリー』はイヴ・モンタンのシャンソンだった。カルメン・マキの『時には母のない子のように』は黒人霊歌のタイトルそのものだった。

≪015≫  本書には、渋澤龍彦(968夜)の『エピクロスの肋骨』や『ドラコニア奇譚集』などにも、小島信夫→田中小実昌→保坂和志の師弟関係の作品群にも、この手の模倣が巧みに組み立てられていたことが指摘されている。

≪016≫  しかし寺山も澁澤も、自分が盗作をしたとはこれっぽっちも思っていない。丁寧に拝借したというくらいのつもりだろう。その「つもり」を彫琢して新たな「ほんと」にしたと思っているはずだ。かねてジャン・コクトー(912夜)が何度も宣言していたけれど、むしろ「オリジナリティを誇ることこそ、あやしい」のである。

≪022≫  ジュネットは、物語の本質が稠密で多様な模倣技法でできていると考えた。『物語のディスクール』や『物語の詩学』(いずれも書肆風の薔薇)などに詳細な分析と解説がされている。

≪023≫  ふりかえっていえば、ギルガメシュの時代から確立していた「物語というしくみ」が、そもそもにおいて一様な成り立ちではなかった。

≪024≫  少なく見ても、物語には「物語内容(histoire)=語られている話の内容」「物語言説(recit)=テスキト」「語り(narration)=語り手による物語行為」という3つの相が複合的に含まれていて、そのためそれぞれのちょっとしたちがいによって千変の変化と万化の変容をもたらしてきた。どんな物語もこの3つの相に少しずつ新たな手を加えさえすれば、いくらでも改作できたし、変換できた。

≪025≫  物語は物語に出入りする時間、話の順序、登場人物、場所(トポス)によっても変幻自在になった。時間を動かせば錯時法(anachronie)が翩翻と躍り、それも先説型(prolepse)になったり後説型(analepse)になったり、まぜこぜになったりできた。ほぼ似たようなストーリーでも登場人物が変わり、舞台が変われば、いくらでも新たな物語になりうるのである。

≪026≫  編集工学でも物語の5大構成要素を、①ストーリー(筋書き)とプロット(結節点)の流れ、②シーン(場面)の自立性、③キャラクター(登場人物)の組み合わせ、④ナレーター(語り手)の特定、⑤ワールドモデル(時と場をもつ舞台)、という5つに設定して、そこにオムニシエントな視点(鳥の目)とオムニプレゼントな視点(虫の目)が加わっていくしくみを説明してきた。イシス編集学校では「破」のコースで物語のマザータイプ7つほどから一つを選択して、それを使って自由な物語を書いてみるというカリキュラムを実施している。

≪027≫  また赤羽卓美が綴師(てっし)をしている「遊」コースの物語講座では、いったん自分でつくった物語を童話やミステリーや落語にするスキルを学んでもらっている。

≪028≫  こういうことをやっているとたちまち理解できるのは、物語こそ模倣技法の極致であるということだ。

≪029≫  ソ連時代のウラジミール・プロップが1928年に書いた『昔話の形態学』『民話の形態学』(白馬書房)という有名な本がある。ロシアの民話や昔話から百話を選んで分析し、それらの物語を30程度の構成要素で説明してみせたというもので、たいへん示唆に富む。

≪030≫  それによるとロシア民話のストーリーやプロットをつくっているのは、だいたい「留守をした」「禁止(何かが禁止される)」「違反(ルールが破られる)」「諮りごとがめぐらされる」「出立」「闘い・競い」「加害」「欠如や欠損」「仲介者があらわれる」「不当な要求」「難題が課される」「解決」「勝利(敵対者が敗北する)」「変身(正体を隠す)」「処罰」「結ばれる(結婚など)」「即位」といった31の物語機能によってできているという。

≪031≫  実は登場人物もそんなに多くない。類型としては「主人公」「ニセの主人公」「敵対者・加害者」「贈与者」「助手」「探し求められる人物(王女など)」「強い父親・悲嘆する父親」「派遣者」という7つのモデルがあれば、あとはだいたいそのヴァージョンの中に入ってくる。たいていの物語にはこうしたマザー(母型)がある。

≪032≫  このプロップの分析はスターリン時代に発禁され、その成果が広まらなかったのだが、60年代にレヴィ=ストロース(317夜)の構造主義が話題になることで注目されるようになった。ソシュールやヤコブソンの言語学とプロップの物語学とレヴィ=ストロースの神話学とが出会ったのだ。

≪033≫  ソシュールは言語を記号(シーニユ、サイン)の作用として捉えた。ソシュールは、言語にはそのつど発話される「パロル」(口語的なるもの、場面づかい的、個人的)と、その奥で歴史的あるいは民族的に組み立てられていった「ラング」(文語的なるもの、語彙・文法、プロトコル、社会的)があって、言語社会はそうした言葉の作用を通時性と共時性の両方にまたがらせてランガージュ(言語能力)というものを発達させてきたとみなした。

≪034≫  また、多くの言葉にはシニフィアン(意味されるもの)とシニフィエ(意味するもの)が二重化されているとみなし、どんな言葉もこの二重性をちぐはぐさせていると考えた。ジュネットの物語学もここを源流にしている。

≪035≫  レヴィ=ストロースも神話を八百例ほど分析した。そしてそこに、たいてい「対立」と「変換」が共通していると分析した。

≪036≫  対立というのは「旅立ちと帰還」「火と水」「天空と大地」「正義と悪」「出産と死」「老人と若者」「日々と異常」「東の王と西の魔女」「わがままな姉とおとなしい妹」といったことを、変換というのはどんな神話も、さきほどあげたプロット、シーン、キャラクター、ナレーター、ワールドモデルを変えて作話されてきたことを示す。

≪037≫  レヴィ=ストロースはこの変換作業のことを「ブリコラージュ」(bricolage)と呼んだ。「繕う」「修繕」「寄せ集めて作りなおす」「器用な手作業」という意味だが、これはまさに「編集」のことである。レヴィ=ストロースは設計図や理論にもとづくエンジニアリングに対して、その場で手に入るもので作ることをブリコラージュと呼んだのだが、ぼくは神話時代以降の物語、たとえば器楽や映画やVRのように機械システムが介在しても同じことがおこると見て、あえて編集工学(エディトリアル・エンジニアリング)という用語を使うようにした。 模倣を媒介に物語やコンテンツは、必ずやエディトリアル(編集物)としてエンジニアリングの対象になってきたという見方をとったのだ。

≪038≫  模倣技法は文学や物語ばかりにあるのではない。美術にも音楽にも工芸にもサブカルにもある。古典芸能や陶芸で「写し」と言われるのは、先代たちの型を所作や焼成で真似しつくすことをいう。もともとは世阿弥(118夜)が「物学(ものまね)」と名付けたことだった。

≪039≫  「もどき」の開花だった。それが今日にまで続いて、アートやクリエイティブを賑わしていった。1991年に椹木野衣(43夜)が『シミュレーショニズム』(洋泉社)でいちはやく強調したのは、ハウス・ミュージックで常用されるサンプリング、カットアップ、リミックスなどは「盗用」をもっぱらとする技法であるが、ハウス・ミュージックはその盗用そのものから誕生したアートだったということだ。椹木は翌年にはレントゲン藝術研究所で展覧会『アノマリー』を開催して、村上隆やヤノベケンジをニューウェーブとして紹介した。

≪040≫  同様のことはマンガやアニメやゲームでもおこっている。大塚英志はそれを「まんが・アニメ的リアリズム」と呼び、東浩紀は「ゲーム的リアリズム」と呼んだ。二次使用や三次使用にも「リアル」や新たなハイパーリアリティが濫觴していくとみなしたのだ。ミシェル・ド・セルトーは「密猟」とも呼んだ。ぼくはそれをもって「エディトリアリティ」(編集によって生まれるニューリアリテイ)と名付けたものだった。

≪041≫  本書はタイトルで「あらわる小説は模倣である」と言っているが、むろんそれは大袈裟だ。しかし、小説が模倣をつくったのではなく、ほんとうのところは、模倣の歴史から小説や芸術が生まれてきたとも言えるのである。

マイケル・トマセロ『心とことばの起源を探る』

≪01≫  幼な心は掴まえがたい。幼児から老境まで去来しているのに、ぴったり思い出せないものになっている。思い出そうとするとおぼつかなく、うたかたの泡になる。自分の中にあって、自分では掴まえられない。きっと、しばしば寄り添う「よそ」と「べつ」と「ほか」であって、断ち切られたままの「走り去っていく菫色」なのだ。そこには電話がかけれられない。

≪02≫  だから幻の電話をかける。電話の先には、谷内六郎(338夜)の初期画集『幼なごころの歌』(萬字屋書店)や、のちにまとまった『北風とぬりえ』(マドラ出版)に描かれているような光景が待っている。取り戻せないほど懐かしい光景だ。

≪03≫  そんな幼な心だが、その心情を綴ればうまい作家たちもいた。ペロー(673夜)、ノヴァーリス(132夜)、アンデルセン(58夜)、小川未明(73夜)、野口雨情(700夜)らがそうだった。どれも読めば読むほど、心がキュンと痛くなる。

≪04≫  幼な心がたったひと夏で変容してしまうことは、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』(935夜)やスティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』(827夜)がみごとに綴っていた。そして、読み了えた者は知らされる。子供はいつまでも子供であってはくれない、のだと。だから大人になってはいけなかった、のだと。

≪05≫  いや、そもそもかれらは「おとな以上」だったのである。コクトー(912夜)の『アンファン・テリブル』(恐るべき子供たち)やカポーティ(38夜)の『遠い声 遠い部屋』は自身にまつわる官能的な傷からその秘密を取り出した。

≪06≫  そういう変容する幼年期の日々のことをフランス語ではアンファンティーヌ(enfantines)というのだが、それが何を意味しているのかについて、コクトーよりずっとフランス語を操れるヴァレリー・ラルボーに教えられた。ラルボーはジョイスの『ユリシーズ』をみごとなフランス語に移した男だ。1169夜の『幼なごころ』(岩波文庫)に、そのあたりのことを少しふれておいた。

≪07≫  幼年期の心がどのように形成されるのかということは、私たちの記憶が2歳半あたりでプッツンしていて、それ以前にさかのぼれない以上、本人にはムリである。すべてはうたかたの泡になるか、さもなくば憶測になる。

≪08≫  とはいえ幼年期がどういうものだったかがわからないでは、その後の「自我」(自己)もわからず、それでは哲学も社会文化論もクソもない。だから観察と論理がこれを補ってきた。補っているうちに過剰になった。実は古代ギリシア以来の哲学と思想の多くは、この憶測と観察をめぐって理性がもがいた累々たる軌跡なのである。とくに理性を立てて論理で武装しておくのが常套手段になった。言葉に頼り、その言葉が幼年期の「北風とぬりえ」にならないように操るには、理性で勝負するのが一番の逃げ道だったのである。

≪09≫  けれども、そんなことだけでわれらが内なる「地球幼年期」(アーサー・クラーク)が見えてくるのかと疑ってみるべきだった。そこで近代の19世紀になると、ここに生物学と進化論、人類学と民族学が分け入り、20世紀に入ってからはさらに心理学と言語学と脳科学が推理舞台を分担していった。

≪010≫  こうしていよいよ「こども」が浮上した。心理と言語の起源は幼児の活動こそが秘匿してきたからだ。

≪011≫  けれどもこの「こども」は大人が組み立てた「自己の起源としてのこども」なのである。「アカデミックなこども」なのだ。ちっともアンファンティーヌではないし、フラジャイルでもなかった。そうではあるものの、学校が子供たちを大人にさせていくには、そのほうがよかった。教育はヴァルネラブル(傷つきやすい)では困るのだ。

≪012≫  これで、みるみるうちに近代的な幼児観が城郭のようにできあがっていったわけである。教育の情熱を発揮することと学習の秘密を解明することが両輪となったのである。その多くは良くも悪くも今日の児童教育に反映されているが、ペスタロッチ、オーウェン、フレーベルのような独創もあらわれた。なかで幼児の認識の正体が五里霧中であったのだが、ジャン・ピアジェがこの難問をほぼすべて担おうとした。

≪013≫  だが、待てよ。それでいいのか。ここはもう一度、総点検するべきところではないのか。教育と学習の根っこにある問題を「思考と言語の土壌」に戻って考えなおすべきではないのか。そう思ったのがレフ・ヴィゴツキー(1815夜)だった。

≪014≫  前夜、そのことの大筋を書いたばかりだ。ただ、まだまだ書き足りないことがあるし、そのヴィゴツキーがその後はどのように継承されつつあるのかということを、あまり言い添えていない。今夜はその有力な候補の一人であろうマイケル・トマセロを覗こうと思う。

≪015≫  2018年3月末の1669夜に、森口佑介の『おさなこごろを科学する』(新曜社)を採りあげた。「進化する幼児観」というサブタイトルだ。幼な心を発達心理学や認知心理学で受けとめた好著だった。

≪016≫  その夜の千夜千冊では森口のガイドに従って、ソクラテス、デカルト、ロック、ルソー、ダーウィンの幼児観に続いて、ボールドウィン、ピアジェ、ヴィゴツキー、ボウルビィ、エインスワース、トマセロを、それぞれの考え方や主張の相違が見えやすいように紹介した。

≪017≫  ピアジェが「アタッチメント」(愛着)を軽視したこと、他者との出会いを重視したヴィゴツキーがそのガラスの壁を乗り越えていったことを強調し、その流れでいえばトマセロの模倣学習論がおもしろいということを、やや期待をこめて言及しておいたのだ。

≪018≫  マイケル・トマセロは早くからヴィゴツキーぞっこんの認知心理学者である。霊長類学、発達心理学、言語獲得プロセスの研究に従事してきた。ぼくより5~6歳若い。かなり一途な研究者で、少しまじめすぎるようにも思うけれど、そのぶん確固たる仮説を提案できた。

≪019≫  ただし、フラジャイルな幼年期にはまったく触知できてはいない。トマセロはなにはともあれヴィゴツキーのインテリオリザーツィア(内展化)の基本に戻り、ZPD(発達の最近接領域)に正しく立ちたかったのであろう。

≪020≫  それはそれで誰かがやるべきことだった。トマセロへの期待はそこにある。フラジャイルな幼児意識の解明は、いまのところアカデミックなアプローチには取りこめていない。そのかわりトマセロはZPD(Zone of Proximal Development)の起源を探ろうとした。

≪021≫  邦訳されている著書には、『心とことばの起源を探る』『コミュニケーションの起源を探る』『道徳の自然誌』『思考の自然誌』『ヒトはなぜ協力するのか』(いずれも勁草書房)のほか、『ことばをつくる』(慶応義塾大学出版会)、『認知・機能言語学』(研究社)などがある。

≪022≫  ちなみに、いまは京都大学で研究を続けている森口は最新刊『子どもから大人が生まれるとき』(日本評論社)を今年の3月に刊行する。『おさなこごろを科学する』の続編に近いので読まれるといい。

≪023≫  一口に集約していえば、トマセロは「9カ月革命」と「ジョイント・アテンション」に注目した。9カ月革命というのは、生後9カ月から12カ月の時期に、赤ちゃんが劇的に変化することを強調したもので、ジョイント・アテンション(joint attention)は幼児は生後9ヶ月あたりから「共同注意」をしはじめているということを示す。

≪024≫  9カ月目付近に、幼児は物事と自分と他者とを共同的に連動させるZPDにさしかかっているということである。

≪025≫  ピアジェ以来、赤ちゃんは生後4カ月ごろから物体にリーチングしながらそれを掴もうとするようになり、8カ月ほどになると見えなくなった物体を探しはじめ、生後12カ月から18カ月には、物体を別の位置に移しておくと、目に見えるところに移しても見えないところに隠しても、それを追視するようになると考えられてきた。

≪026≫  ところが1980年代半ばになって、ベイヤールジョン、グラバー、トレヴァーセン(いずれも児童認知心理学者)らは、赤ちゃんが「もの」たちのアリバイのようなものを生後3カ月か4カ月には認識しているのではないかということを確証する。赤ちゃんは「もの」が見えようと見えまいと、それらがどこかにありつづけているという“世界”を想定するようになっているというのだ。しかもこの“世界”は、赤ちゃんが意図的に「もの」たちをいじろうとする時期にすでに芽生えているようなのだ。

≪027≫  トマセロは(おそらくヴィゴツキーもそう感じたにちがいないのだが)、これは乳幼児の「社会にめざめた時期」が意外に早いというのではなく、むしろ「超社会から入ってきている」(大人がつくった社会ではない「超社会」をスキーマにしている)にちがいないと推断した。もちろん、そうに決まっている。赤ちゃんは“大人”と異なる認知プランナーなのである。

≪028≫  すでに赤ちゃんが喋る以前からプロト・カンバセーション(原会話)のようなことをしていること、それが「見つめる」「さわる」「声をだす」という反応から始まっているだろうことは予想されていた。

≪029≫  これはごく初期の行為にさまざまな「やりとり」が潜在していたということだ。一般には母親とのやりとりで促進されるとおぼしいターンテイキング(turn taking)によって、プロト・カンバセーションのトリガーが引かれると想定されていたのだが、もっと以前から共社会的な「やりとり」が始まっていたのである。最近では、あまりうまい用語ではないが、これらを「協調行動」(joint engagement)とか「情動調律」(affect attunement)ということもある。

≪030≫  縮めていえば、まさに9カ月革命がジョイント・アテンション(共同注意)でおこっていたのである。コールウィン・トレヴァーセンは踏ん張って、ひょっとするとこれらは最初の「間主観性」(intersubjectivity)の出現とも「随伴性」(contingency)の創発とも言えるのではないかと主張した。

≪031≫  ところで子供がいないぼくには、こうした幼児におこっているらしい劇的で香ばしい出来事は、残念ながら与えられた知識としてしか理解できないものだった。だから識者たちによってどんなデカラージュ(獲得時期のずれ)の判断がおこっているのかということも、実感としては把握できなかった。

≪032≫  それがこの2年半ほどで救世主があらわれたのである。救世主はYUTOというかわいらしい幼児だ。松岡正剛事務所の寺平賢司と編集工学研究所の仁禮洋子が「悠人」くんを授けられ、折りあるごとに仕事場に連れてくるようになったからだ。

≪033≫  あろうことか、二人はぼくの76歳を祝う会の幹事で念入りな準備をするうちにねんごろになったらしく、しかも偶然とはいえ(出来心とはいえ)、YUTOはぼくの誕生日の1月25日が出産予定日になっていたらしい。実際には少し遅れての2020年1月29日出産だったけれど、それからというもの、両親が嬉しさを隠しながら頻繁に連れてくる。

≪034≫  YUTOも赤堤の3階建の仕事場の様子がものめずらしかったらしく、それがなんだかむずむず嬉しそうなので、ついついわれわれはちょっとずつ相手をすることになった。ぼくもそうなった。そして、すぐさまぼくの欠如に何かが充実していったのだ。

≪035≫  さてさて、おうおう、これはなんともピアジェ、ヴィゴツキー、イーガン、トマセロの解釈系の上にあらわれた護法童子ではないか。これはほってはおけないではないか。

≪036≫  YUTOが出現するときは、寺平(父)か仁禮(母)が抱きかかえるか、前をよちよち歩かせてか、ぼくの書斎に入ってくるという動線になる。

≪037≫  書斎は両側を本棚に挟まれた狭いアプローチを通ってクランク型に進んでくるようになっていて、そのアプローチの最後の角を曲がったら、すぐにぼくが机でキーボードを打っている姿に出会う。ここでYUTOの視界がパッと開く。まるで「いない・いない・ばー」なのだ。

≪038≫  書斎はほぼ本ばかりで埋まっているが、よく見れば色のついた箱やらビリケン人形やら寺社の護符やらが本棚にくっついている。ジャンクフードの袋も机上の大きな茶碗などもある。YUTOはそれらをあっというまに察知しながら、ぼくの大きな椅子にニコニコしながら近づいてくる。そして「ひげしゃん」と声を出し、小さな手を動かす。「ひげしゃん」は「髭のおじいさん」のことだ。

≪039≫  この出会いが生後3カ月から始まって、まるでぼくの書斎がトレヴァーセンやトマセロの幼児観察室のようになって、ほぼ1カ月ごとのパフォーマンスになったのだ。寺平は最近のぼくの筆頭秘書で、千夜千冊の図版作成グループの隊長である。このセレンディップな話、ここに挟んでおくしかあるまい。

≪040≫  とにもかくにも、はからずもYUTOが見せるジョイント・アテンションの数々が、こうしてわが貧しい幼児観察体験をコンティンジェントに帯電していったのである。

≪041≫  トマセロは考えこんだ。幼児のジョイント・アテンションのスキルがかなり相関しあっているのは、いったいなぜなのか。それが9カ月から12カ月のあたりにおこるのはなぜなのか。

≪042≫  当時、ピアジェの説の変更、ヴィゴツキーのZPD仮説の延長の試み、シミュレーション説、文化学習説、模倣学習の合致がおこす効果の強調、いろいろの考え方がとびかっていた。トマセロは少し迷いながらも、ジョイント・アテンションの仮説を拡張しつつ、共同(cooperation)と教示(teaching)が融合しているという見方に向かっていく。

≪043≫  そこから、9カ月革命の幼児にはおそらく「刺戟学習」と「エミレーション学習」と「模倣学習」とがほぼ同時におこったのではないかと推理し、ヒトザルからヒトに向かった人類が初期に言葉と道具を用いたことと照らし併せ、幼児が早々に超社会的な認知ハビトゥスを発現させていたのではないかという推測に及ぼうとしていった。

≪044≫  結論としては、きっと幼児にはこれまで誰も考えつかなかった早期の「情報の寄贈」がおこっていたのである。トマセロはもしそうだとしたら、(詳しい考え方は説明されていないのだが)その情報寄贈とは、渾然一体となったアナロジーの名状しがたい発揚と、幼児ならではのアフォーダンスの入れ替えだったのではないかとひらめいたようだ。とくに「身ぶり」と「指さし」にアナロジーとアフォーダンスが来襲している(寄贈されている)と見た。

≪045≫  意図(intention)はどういうふうに生じ、どういうふうにキャッチアップされるのだろうか。多くの認知科学者たちが同意したことは、すべては注意(attention)が用意しているというものだった。アテンションが動いたからインテンションが作動したのだ。そのアテンションもただの注意ではない。そこには視点の依存、記号の発見、同意の反応が三すくみで伴っていた。

≪046≫  かつてヴィゴツキーは「思考は言葉によって表現されるだけではなく、言葉を通して存在するようになる」と考えた。まさしく幼児がそうした。それは「指さし」と「言葉もどき」が同時反応的におこるだけで、ほぼ完璧に作動した。

≪047≫  ヴィトゲンシュタイン(833夜)は「われわれが意味と呼ぶものは、身ぶりの原始的言語と関係があるにちがいない」と言っていた。チャールズ・パース(1182夜・1566夜)は「われわれの思考力は記号なしでは進まない」と見通していた。これまた、その通りだった。ただそれは9カ月児において早くもおこっていることだった。

≪048≫  トマセロはこのような意図の動静がおこる場面を、あらためて「共同注意場面」(joint attentional scene)と呼んで、そこに共同注意を促すやりとり、共同注意として記憶にのこっていくエピソード、共同注意がおこりやすい形態などが、一緒になって動いていると考えた。そしてこれらをつなぐようにして、幼児は話しはじめていくのだと考えた。「もっと!」(more)、「ない!」(gone)、「あげる」(give)、「もってる」(have)というふうに叫びながら。YUTOもそう反応していた。

≪049≫  案の定、ミハイル・バフチンはこう言っていた。「発話はどんなものであれ、きわめて複雑に組織された連鎖と一環している行為なのである」。

≪050≫  案の定、ミハイル・バフチンはこう言っていた。「発話はどんなものであれ、きわめて複雑に組織された連鎖と一環している行為なのである」。

≪051≫  このような発話の確立は日常的な現実のその場とともに生まれたのではなかった。そうではなく、幼児の心身に浮かんでいるイメージ・スキーマが「もっと!」「ない!」と言っていたのである。「ひげしゃん」の部屋での見聞はYUTOのイメージ・スキーマのキャンバスにプロットされたのである。そうだとするのなら、幼児のことば学習の教育には、そのイメージ・スキーマ(メンタル・スキーマ)をそのもの応援することでなくてはならなかったのである。やむをえないことだろうけれど、多くの両親はこのイメージ・スキーマを見いだすのが苦手だった。

≪052≫  ついでながらの閑話休題をちょっと。30代半ばのころ、ぼくは工作舎で「遊」を編集しながら、いずれ二つのヴァージョンをつくりたいと思っていた。ひとつは「方言・遊」、もうひとつは「こども・遊」だ。

≪053≫  そのため「遊」の地方読者がたいへん気がかりで、「遊会」と銘打った集いを各地で開いていった。遊学が「訛り」になるのを見聞したかったのだ。いまでもその伝統を、ライブハウス「ペパーランド」の能勢伊勢雄が「岡山遊会」として存続させている。

≪054≫  またいつも、もしもこの特集(たとえば「亜時間」「神道・化学幻想」など)を子供向けにつくったらどうなるかということを気にして、「子供にとっての特有の時間、あるのか。マンガの中は?」とか「神さま→子供だけの神さま→ちいさこべ?」とか「童謡はいつから発生したのか」といったメモを必ず執っていた。世界中の「ごっこ遊び・しりとり・宝さがし」を調べまくってもいた。

≪055≫  編集工学研究所を立ち上げてからは、スタッフの子がやってくるのを大いに歓迎していた。先頭を切ったのは佐々木千佳(イシス編集学校学林局)の子の詩歩ちゃんである。5歳ほどの元気いっぱいの女の子だった。ちょこちょこっと仕事場にやってくると、お兄さんお姉さんのデスクを次々にまわっておもしろそうに喋りまくっていた。ぼくは感心しつづけるばかりだった。

≪056≫  佐々木はいまは”編集かあさん”こと松井路代や高校の国語教師でもある川野貴志らと「イシス子ども編集学校」の準備にとりくんでいる。その松井は「遊刊エディスト」に母子ともどもの「思考と言語」を開陳して連載している。福岡で九天玄気組の組長をしている中野由紀昌も、最初に幼な子を連れて「感門之盟」にやってきた。この子は最近は大学を了えてラノベ用の絵の名手になりつつある。

≪057≫  こういう事情からしても、実はYUTOの登場は天賦のごとくに待ち望まれていたわけである。それが、なんと松岡正剛事務所と編集工学研究所を血縁関係にくみこむ申し子になるとは思わなかったけれど、ぼくが森口の本を紹介してからヴィゴツキーに及ぶあいだにYUTOがぼくの前に登場してきたのだから、これはまあ、そうなるべき帯電現象だったのだろうと思っている。

≪058≫  では話を戻して、トマセロが本書『心とことばの起源を探る』の後半に綴っているなかで、いくぶん気になることを紹介しておきたい。

≪059≫  なるほどと膝を打ったのは、児童認知を分析するうちに、子供たちが世界を「出来事と参加者」に分けていることに注目したこと、児童の成長には「自己規制」の作用が大きく、そのことが児童のメタ認知と表現上の再記述力を促進しているのではないかという観点を重視したこと、児童の「文化」は誰かに伝達するたびに育まれるのであって、そのたびごとにアナロジーとメタファーの役割に気づいていくのだろうと推測したことなどである。

≪060≫  おそらくこのような見方はヴィゴツキーが望んでいた考え方に近いはずで、それなら新ヴィゴツキー派のいっそうの面目躍如を期待したいのだが、とはいえ、これらの着眼はまだ着眼したばかりといった研究状態に放置されている。児童研究のデータやエビデンスをほしがりすぎているからだろうと思う。もっと自在に推理の翼をのばしてもよいだろうに、そこがトマセロがまじめすぎるところなのである。

≪061≫  もうひとつ、話を加えておく。別の著書にはときどき詳しく書いてあるのだが、本書にはチョムスキー(738夜)に代表される「生得説」が取り上げられておらず、またこっぴどく否定もされていない。しかしトマセロにとって、チョムスキーの生成文法論こそまったく認められないものなのである。

≪062≫  チョムスキーの理論をかんたんにいうと、言語は人間の他の認知機能から自律的に形成された「心的器官」のようなものだというところにあって、したがって母国に育った者が母国語の文法を教えられずとも話せるのは、生物的人間として文法が生得的に生成されているからだと説明した。この文法は「普遍文法」(Universal Grammar)と呼ばれ、この骨格を理解すればどんな言語の習得にも通用すると提起された。

≪063≫  それまで、言葉はもっぱら耳から聞いているうちに(つまり生活しているうちに)習得できると信じられていたのだが(とくにアメリカ型の行動主義言語学習論がこの見方をとっていた)、チョムスキーはこれに真っ向から刃向かったのである。刃向かっただけではなく、言語の習得能力は誰にでも備わっているとしたので(それを言語獲得装置と名付け、その一般化を普遍文法とした)、これはまるで言語本能が幼児に備わっているかのようにも解釈されたのだった。

≪064≫  けれども言語獲得装置(Language Acquisition)も普遍文法も、実際にははなはだ数学的な論法で説明されていて、そのどこが幼児にあてはまるのか、さっぱり見当がつかなかった。そのわりに、チョムスキーの説明は華麗で鮮やかで、すこぶる説得力に富んでいた。そこで児童心理学者たちはチョムスキーの生成文法で重視されている構文の作成能力について、それなりに児童の言語形成のプロセスにもあてはめて検討してみたのだが、どうにも成果は出なかったのだ。

≪065≫  トマセロはチョムスキーの理論が数学的であるから反対したのではない。ジョージ・レイコフらに倣って、生成文法論が示す構文の特色が児童の言葉の学習プロセスにほとんどあらわれないことをもって批判した。

≪066≫  ともかくもこうして、児童の言語認識をめぐってはチョムスキー派と認知言語学派が真っ向から対立してきたのであった。ただし、この対立の具合や細部を理解することがそれほど稔りあるものかどうかは、疑問だ。本書の訳者たちは二つの対立を通してトマセロを解釈するほうがわかりやすいという主旨のようだが、さて、どうか。ここはあらためて、ピアジェの構成説とチョムスキーの生得説に戻って、その相違のあいだに参集してくる問題群を点検すべきであろう。

≪067≫  一方、トマセロのほうにも杜撰なところや短絡しすぎているところがあった。とくに児童の認識の全般を「文化学習」としてまるく収めようとしているところが、あまりにおおざっぱだ。とくに「知の転移性」によって幼ない認知が脈動するということについては、もっと強調しておくべきだった。

≪068≫  このあたりのこと、言語学というものがどういう性格で、どんな長所と短所をもっているかということと関係してくるので、今夜はこれ以上は立ち入らない。

≪069≫  最後に、本書の第1章「謎と仮説」の冒頭に掲げられているエピグラフを紹介しておく。「精神がなしとげた最も偉大な成果は、すべてよるべなき個人の力を越えたものであった」というものだ。チャールズ・サンダース・パースからの引用だ。「よるべきなきもの」とは無名の思索者のことではない。まさに幼児たちのことである。「幼な心」の探求こそ、われわれのめざすべき編集的未来なのである。