店主独白 その2

投稿日: 2018/11/14 9:05:10

私は昭和の終わりごろから平成にかけて27年間、神明宮の裏通りに住んでいた。

宮の裏の石垣にへばりつくように家があり、毎年おびただしい欅や銀杏の葉が降り注ぐところだ。犀星が育った雨宝院や生家跡・犀星記念館まで歩いて数分の場所である。

以前は蟇蛙がたくさんいて、初夏には路地に這い出てきて車の犠牲になるものや、我が家の2階の玄関先にちょこんと座っているものなど、にぎやかであった。ある晩、通りかかった学生がぎゃっと叫んで飛び上がり、手に持っていた珈琲缶を地面に投げつけて去っていった。

何事かと思えば、一匹の蟇蛙であった。そこまで嫌わなくてもよいのにと思いつつ、その

蟇を手のひらに乗せて、宮の敷地に放したのであった。

同じ裏路地に小さなフクロウがいたことがあった。数羽の鴉に取り囲まれて難儀をしている風であった。これは樹齢五百年といわれる宮の大欅から落っこちて、今まさに鴉に食われるところなり、そう合点して、鴉を追い払い、フクロウを捕らえようとしたのだが、あっという間に石垣の上に飛びあがり、藪に隠れてしまった。

我が家の庭に蛇がやって来たこともあった。ベランダから手が届く、柿の木の枝にするすると登ってきて、動かなくなった。これではおちおち洗濯物が干せないので、竿の先に煙草をくくり、火をつけてさしだした。やはり、野生のものは煙草が嫌いと見えてまたするすると退散して行った。一帯にあのあたりは隆起扇状地の端にあたるところで、石垣は多い。そこには人知れず青大将なんぞが住み着いている。人と出くわしても、さも当たり前という顔?をして、民家の床下にするすると入ってゆく。

犀星の随筆に「くちなわの記」というのがある。くちなわ即ち蛇である。忌言葉を避ける用語なのか、言い得て妙である。確かに口のついた縄のごときものである。誰だったか、村の道で落ちている縄を片付けようとつまんだら、それが蛇だったという話もあるくらいだ。犀星は蛇に関するエピソードを四つ紹介している。その中に、宮でサーカスがあり、見世物の大蛇(錦蛇)が逃げだしていなくなったという話があった。どう探しても見つからなかったものが、翌朝、雨宝院の裏の犀川の川原にとぐろを巻いていた、という。それは大変だったろうと同情するより、怖いものを見た後のような、人に言いふらしたくなる衝動を覚えた。

ちなみに、神明宮のサーカスと言えば、中原中也の「サーカス」という詩が生まれたのはこの宮だという説がある。

サーカス小屋は高い梁はり

そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ

頭倒さかさに手を垂れて

汚れ木綿の屋蓋やねのもと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

雨宝院は昔はずっと広く、裏に川原まであったようだ。犀星の日課のひとつに、手桶を持って川原に下り、水を汲むことがあった。当時(明治)はその水で炊事をし、お茶を入れていたのだ。今はと言えば清流にほど遠い。犀川の濁りはじめは、ダムであった。

犀星のことを書こうと思ってパソコンを開いたのだが、意外とたくさんのことを思いだした。まだある。もちろん犀星にかかわる話もある。私の人生も歴史の一部と化しつつあるのかもしれない。

駄文におつきあいくださり、ありがとうございます。続く。

高田実記