フォーリャの旅のお話
あるあたたかい国の海辺の丘に朝日がのぼりました。
丘の斜面にはたくさんのオリーブの木が自生しています。
その中の一本の太いオリーブの木にたくさんの葉っぱがついていました。花もたくさん咲いていました。
その中に一枚の大きな葉っぱがありました。その葉っぱの名前はフォーリャ。
朝日がその木に当たると、フォーリャは目をさましました。
「朝がきたぞ、今日もまたいい日になりそうだ。ママ、兄弟のみんなおはよう」
フォーリャはあたたかい太陽の日を浴びるのが大好きでした。
葉っぱの兄弟たちや花の姉妹たちも次々と目をさましました。
「おはようフォーリャ」とママの木が言いました。
「今日も一番におきだしたのはフォーリャか」
東風がやってきて、木をざわざわとゆらしました。
それは兄弟たちが「いちばん早起きフォーリャ。いちばん大きいフォーリャ」と歌うように言ったのです。
そのとき、とつぜん風が強くなったので、みんな枝にしがみつきました。でも大きなフォーリャは枝から飛ばされ、海のほうに運ばれてしまいました。
フォーリャはおどろいて東風に言いました。
「ああ、なんてことをしてくれたんだ。ぼくはひとりぼっちになってしまうじゃないか」
東風はおかまいなしに、フォーリャを海へ、沖へと運んでいきます。
「なあに、しんぱいはいらんさ。これから行ったことのないところに行って、見たことのないものをたくさん見られるぞ」
「余計なおせわさ。ぼくはそんなことをのぞんでなんかいない。ママの木につながって、兄弟たちと力をあわせ、姉妹の花たちを大きく甘い実にするのが楽しいんだ」
「それはすまんことをしたな。だがわしは東風だ。お前さんを元のところにおろしてやることはできんのじゃ。今度西風がやってきたらたのむんだな」
そう言って東風は飛び去ってしまいました。
フォーリャはひらひらと海の上に落ちました。
くらくらと目がまわりました。
海に落ちると背中がひやりとしました。
波のあいだからオリーブの丘のてっぺんが見えたりかくれたりしています。
しばらくすると丘は見えなくなりました。
フォーリャは波間をただよいながら、とほうにくれていました。
「ぼくは本当にひとりぽっちになってしまった。どうやって丘にかえろう」
夜になっても、波はフォーリャを西へ西へと運んでゆきました。
空にはたくさんの星がまたたいています。
ひとりぽっちになったことが悲しくて、なみだなのか、夜つゆなのか、フォーリャはぬれたまま眠ってしまいました。
次の日の朝、あつい日ざしをつれた南風がやってきて、フォーリャをゆっくりと北に運びはじめました。
その日差しのあついことといったら。丘にはなかったあつさです。
「なんてあついんだ。これじゃぼくはひからびて枯葉になってしまうよ」
南風は笑って言いました。
「君はいま、海の上にいて、背中はいつも水につかっているんだよ。ひからびることなんかあるもんか」
フォーリャはそういわれて少し安心し、少し元気が出たようにかんじました。
夜になると南風はちょっと日焼けのしたフォーリャを置いて飛び去っていきました。
そのまた次の日の朝、フォーリャははげしくゆさぶられ、波をかぶって目をさましました。
見ると北風がびゅうびゅう吹いて、波をまきおこしています。
「やめてよ北風さん。これじゃおぼれて死んでしまうよ」
「おぼれるだって。お前はからだに油をためこんでいるじゃないか。しずむわけがないだろう」
北風は一日中フォーリャをさんざんゆさぶり、目をまわさせて飛んで行ってしまいました。
「ああこわかった。海にしずまなくてよかったよ」
夜のうちに風がやんで、海はみずうみのようにしずかになりました。しずかすぎて、フォーリャはねむることができません。
明け方、たくさんの鳥がフォーリャの上を飛んで、東のほうに去っていきました。
「ぼくも鳥になれたら、いっしょに東のほうに飛んでいくことができるのに。ママや兄弟たちはぼくのことを心配しているだろうな」
フォーリャの水につかっている背中がくすぐったくなりました。何かが下にいるようです。
「君はだれ?ぼくの背中をくすぐったりして、まさかつっついて破ったりしないよね」
「あら、葉っぱさん。ごめんなさい。わたしは小イワシのデルフィーノ。大きな魚に追いかけられてやっとかくれるところを見つけたわ」
フォーリャはくすくす笑いました。
「君の頭としっぽがぼくのかげからはみだしているよ。ぼくはフォーリャ」
「あら、それでもいいのよ。こうやってただよっていれば、葉っぱにしか見えないから」
フォーリャは友だちができたようにかんじて、うれしくなりました。
「君さえよかったら、ずっとぼくの下にかくれていていいんだよ」
「ありがとう。もうしばらくこうしているわ。でも仲間の群れをさがさないと」
そのとき西風が吹きはじめ、黒いかげがふたりをおおい、フォーリャは重くかんじました。
「何てことだ。ぼくの上にのっかったのはだれ。重いんだけど」
「ああ、わるかったね。ぼくはツグミのトルド。羽がいたくなって、仲間からずいぶんおくれてしまった。悪いカモメに追いかけられてさんざんさ。少しのあいだ休ませてくれないか」
「そうだったのか。いいとも。ぼくはフォーリャ。デルフィーノもいいだろう」
デルフィーノは不安そうに上を見上げています。
「あなた、私をたべたりしないわよね」
「もちろんさ。ぼくたちのごはんは木の実なんだから」
フォーリャは、またひとり仲間がふえて、とてもよろこびました。
「きのうまではひとりで、とてもさびしかったけど、もうだいじょうぶ。これから三人で旅をしないかい」
デルフィーノは申しわけなさそうに言いました。
「ごめんなさい。わたしは群れにもどらないと。ひとりではそのうち大きな魚に食べられてしまうから」
「ぼくも群れにもどらないと、カモメにいじめられる。しばらく休んだら東の陸地にむかった群れをおいかけるつもりだ」
「東。トルド今東って言ったよね。ぼくは東の丘からふきとばされてしまったんだ。お願いだからぼくをつれて行っておくれ」
フォーリャはいっしょうけんめいトルドにおねがいしました。
「それはそうしてあげたいけれど、君はぼくがくわえるには、少し大きすぎるね」
そのとき、トルドがフォーリャの上から飛び立ち、デルフィーノが海の底へと泳いで行ってしまいました。
ふたりはとてもあわてていました。
「二人ともどうしてぼくをおいて行ってしまうの。もどって来てよ。お願いだから」
フォーリャは叫びました。またひとりになることに、たえられなかったからです。
フォーリャは泣きながら、自分のからだがふわりと浮き上がるのを感じました。
小さな二本の指がフォーリャをつまんで海からつまみあげたのです。
人間の声が聞こえました。
「もう少しで、ツグミのローストとイワシのマリネを食べられたのに。残念だわ」
「パパ、見て。オリーブの葉っぱだよ。日にやけて、しわしわだけど、きっとそうだよ」
フォーリャはおどろいてあばれました。
「ぼくを海にもどしてよ。デルフィーノやトルドがぼくをたよりにしているんだから」
でもフォーリャは小さな指から大きな手のひらへとわたされました。
「何だって、オリーブの葉がういていたのかい。これはすごい。まるでノアの箱舟みたいだ」
「どうしてノアなの、パパ」
「陸地が近いってことさ。聖書に書いてある。さあもうひとがんばり、西風に乗ってボートをこいでいこう。早くオリーブ油にひたしたパンを食べたくはないかい」
「あなた、それを言わないで。もうおなかがすいて死にそうなんですから」
「ママ、船が沈没してからまだ二日もたっていないよ」
ボートの上は笑い声に包まれました。
どうやら、北風が一せきの船を海にしずめ、この一家はボートでのがれて助かったようすです。
フォーリャは「ぼくが陸地へ案内するよ」と言いましたが、人間には聞こえませんでした。
「この葉っぱはかわかして、祈りの本にはさんでおこう。これこそ私たちを救ってくださった神さまのしるしなんだから」
フォーリャはよろこびで、ぶるぶるっとふるえました。
「ぼくが神さまのしるしだって。ひやけしてしわしわになったこのぼくが」
フォーリャは日の光を浴びているうちに、眠たくなりました。眠って、海辺のオリーブの丘の夢を見ていました。生まれてはじめて、海の上を何日も旅をして、疲れていたんですものね。
フォーリャはどれくらい眠っていたでしょうか。声が聞こえてきて、目がさめました。でもまわりはきゅうくつで真っ暗です。
「みんな、陸地が見えるぞ。もうあんなに近くに」
ボートをこぐ音が大きくなり、やがてボートのゆれが止まりました。
「助かったのね。神さまにかんしゃするしかありませんわ」
「ここはすばらしいオリーブの森だ。ここで新しい生活をはじめることに、だれも反対はないだろうね」
「もちろんですとも、船がしずんだあとにこんなにすてきな恵をいただけるなんて、思ってもみませんでしたわ」
「アメリカに行けなかったのはちょっと残念だな」
足音が聞こえましたので、この家族が歩いていることがわかりました。
「パパ、ママこのオリーブは大きいね」
「本当に大きいわ。葉っぱも花もたくさんついていて」
「さあ、かんしゃのお祈りだ、みんなこの木の根元にすわりなさい」
とつぜん、フォーリャへ明るい光がふりそそぎました。
人間のパパさんが祈りの本を開いたのです。
一家がお祈りをはじめたそのときです。
「お帰り、フォーリャ」
「おかえりなさい、おにいさん」
「どこへ行ってたんだい、フォーリャ」
なつかしい声がいっせいにフォーリャを包みました。
「ママ、みんな。ぼくは帰ってきたんだ。本当に、信じられないよ」
そこはあの丘の斜面のママの木の根元でした。
フォーリャはうれしくてうれしくて仕方ありませんでした。
みんなに話したいことがたくさんありました。
でも自分の姿をみてちょっと悲しく、ちょっとほこらしくなりました。ひやけをして、しわができて、でもずいぶんたくましくなっています。
「ぼくはもう枝にはもどれない。残念だけど枯れてゆくんだ。兄さんたちのように」
ママがやさしくフォーリャをなぐさめました。
「いいのよ、枝にいる子たちもいずれ地面におちてゆくわ。そして、また私の中にかえってくるのよ。そしてまた生まれるの」
「おや、また会えたね。葉っぱのフォーリャ君」
それは枝に止まって花のみつをすっている、ツグミのトルドでした。今度はオリーブの森で休んでいるようすです。きっと姉妹たちが実ったら、遠い国まではこんでくれることでしょう。
そのとき、また東風がやってきて、今度はフォーリャにそっと息をふきかけました。
フォーリャは祈りの本からすべり落ちて、地面の上のたくさんの葉っぱにまざりました。
たくさんの葉っぱは、フォーリャのお兄さんたちでした。
「あれ、大事な葉っぱが落ちてしまったぞ。どれなのかわからなくなってしまった」
フォーリャはくすっと笑いました。
「ぼくがいちばん大きくて、ひやけして、しわしわなこと、わすれたのかなあ」と思いました。
「パパ、葉っぱはいっぱいあるんだから、どれでもいいでしょう」
「そうはいかん。私たちに陸地の近いことを教えてくれた葉っぱは、たったひとつの特別な葉っぱなんだ」
特別と言われてフォーリャはうれしくなりました。
東風が吹くとママの木がざわざわとゆれました。
それは兄弟たちがうたうように
「特別、特別。いちばん大きいフォーリャ。いちばん早起きフォーリャ」と言ったのです。
人間の耳にはざわざわとしか聞こえませんでしたけどね。
東風が「どうだい、旅はおもしろかったかい」と言いのこして飛んでいってしまいました。
二〇一八年四月十七日 まりや じゅうべえ