金沢の始まり

来年3月の北陸新幹線開業を前に、金沢がちょっとしたブームのようである。

地方都市のブランドとしては、全国でもトップクラスという話は、

この町で生まれ育ったものとしては面映ゆい。

九谷焼、漆器、友禅、金箔、桐工芸などの伝統工芸や美術、海産物や食文化、

加賀百万石の文化遺産、最近は、美術館、図書館、金沢駅が世界的な建築であると紹介されている。

忘れてはいけない兼六園。フランス人に人気である。

このような特徴ある金沢はいつどのようにして生まれたのだろうか。

通説は、まず芋堀藤五郎の砂金伝説である。

小学校の副読本にある。砂金を洗ったところが、金沢となったという。

続いて、蓮如伝説から、今の金沢城公園の地に蓮如が本源寺という一宇を建立したのがその始まりという。

これは金沢古蹟志に記されている卑史である。(事実であれば1470年代のことになる)

それを裏付ける史料がない。

はっきりと、この地を金沢と呼んだ史料の始は、天文日記である。

これは本願寺証如の時代の史料で、天文15年(1546年)金沢坊(御堂)に本尊を下附したと書かれている。

これをもって金沢開闢と言える。

それは、ただ寺院がひとつできたのではなく、そのまわりに寺内という町が形成されていったからである。

金沢御堂は、石山本願寺の支坊であり、加賀の政庁であった。

今でいえば石川県庁と東西別院が合体したようなものである。

従って、北陸一円から参詣に来る門徒は多く、その宿泊施設(多屋)商人、職人らの集まる町が発展して不思議はない。

金沢以前にも、吉崎や若松、波佐谷に寺内があったことが知られている。

しかし、それらの寺内と寺院はいずれも滅んでいるので、

今の金沢市につながる町としては、この金沢寺内町が金沢の始まりである。11/29